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「第一話 聖少女生誕 〜鋼鉄の槍と鎌〜 」
漆黒の闇。何万光年という気の遠くなる時間を旅して届く、星星の光たち――
空気も重力もない、ただ宝石を散りばめた美しさと、どこまでも深い静寂とが存在する、宇宙
空間。
その秩序を乱して、巨大な火球が、黒の海を引き裂く。
光の帯は、チリと大音響を撒き散らし、流星となって突き進む。
青く美しい、星へと―――
序
銀色の少女のしなやかな指先から、光の帯が放たれる。
灼熱の炎の色をした鎧と、二つの凶悪な鋏とを持った、蟹によく似た生物にそれは巻きつく。
周囲への影響を考えてか、少女の顔をした巨大な戦士は、海岸に現れた巨大蟹を、山あい
の民家のまばらな砂浜で迎え撃った。二つの生体の巨大さを比較する建造物はほとんどなか ったが、大地を踏みしめる度に起こる震動が、その規格外な大きさを知らしめる。
銀の無表情のマスクには、美少女といって差し支えない、バランスの取れた目鼻立ちが浮か
んでいる。紫色の幾何学的な文様がデザインされた体には、その華奢さからは想像できない 力が秘められているのだろう、どうみても倍の横幅はある毒々しい赤色の甲羅の動きを、絡め 取ったリボンで牛耳っている。
「キャプチャー・エンドッ!!」
白い帯を、さらにまばゆい光が、少女戦士の手から巨大蟹へと伝っていく。
三重に巻きついたリボンから、聖なるエネルギーが鎧の持ち主に流される。
「ギャオオオオオ―――ッッッ!!!」
海面が波立つ。煙をあげた巨大蟹が痛撃にむせぶ。生き抜こうとする生命の本能が、鋭利
な鋏で白いリボンを切らせた。
「えッッ?!!」
フィニッシュとして放った拘束技を破られ、予想外の事態に、銀と紫の戦士は慌てる。自慢の
リボンが切断されるシーンなど、夢に描いたことさえなかったのだ。そして、更なる“予想外”が 聖なる少女を襲った。
横にしか進めないはずの蟹が、猪のごとく突進してきたのだ。
真っ直ぐに向かってくるものを避けるのは、予想以上に難しい。
次の瞬間、この眼前の敵が、「蟹」ではないことを思い知りながら、巨大な少女はダンプカー
に跳ね飛ばされたような勢いで、宙を飛んでいた。
この付近一帯で、最も小高い山稜に雪崩れ込む、銀のシルエット。森林の薙ぎ倒される音
と、高層ビルのひとつでも崩れ落ちたかのような轟音とが重なる。
土煙の立ちこめるなか、弱弱しく、少女は動いた。頭がブレる。視界が揺らぐ。3倍以上の質
量の相手に、渾身の体当たりをブチ込められたのだ。軋む体を、なんとか起こそうとするが、 意志を嘲笑うかのように全身がいうことをきかない。かろうじて上半身を起こす。
「ああッッ!!!」
世界が白濁する。
距離を詰めた巨大蟹から吐き出された泡が、聖なる戦士に吹きつけられる。
バシュウウウウッッッ―――ッッ・・・・
“ぐあああッッ?!!とッッ・・・溶けるッ!!私の身体が・・・溶かされていくッッ!!!”
灼けつく痛みに転げ回る銀の戦士。酸を浴びせられたように、その光沢ある皮膚の表面は
侵食され、ジュウジュウと溶け出している。
“どッ・・・どこなのッッ?!!ヤツはどこにいるのッッ!!”
全身を犯す痛みに悶えながら、よろけて立ちあがった銀の戦士。左手で顔を押さえ、右手で
姿の見えぬ敵を探る。
混乱する格好の標的に、手負いの巨大生物が襲いかかる!
グワッシャアアアアッッッッッ・・・・・
過疎化の進む海浜に、凄惨な光景が広がった。
巨大な赤い鋏に挟まれた、銀の少女。
さらにその残酷な鋏は、銀色の細いウエストを握り潰す。
巨大少女のアバラが粉砕される不快な音が、海岸に響き渡る。
壮絶な激痛に、悲鳴すらあげず、全身を突っ張らせる聖なる少女。
その青い瞳の光が一瞬消え・・・・また点灯する。頭頂を貫く痛みに失神し、そしてあまりの痛
みゆえに蘇生させられたのだ。
奇妙にくびれたウエストから、赤い斧が引きぬかれる。
ピクピクと断末魔に震える銀の戦士。
小刻みに震え、哀れな獲物が、トドメの一撃を待って立ち尽くす。
慈悲なく怪物は、胴を輪切りにすべく、同じ箇所に裁断機を飛ばす!
ガッシイイイィィィッッッ―――ッッ!!!
先程とは違う音。
鋏に伝わる同じような手応え。だが今度の鋏は・・・閉じられない!
鋏の中にいたのは、体操選手のように180度開脚した、戦士の姿。
突っかえた両足の筋力が、鋏の圧搾する力を凌駕する―――
“捉えた――!!”
天空に伸ばしたしなやかな両手。紫の手袋の中に、輝く二つの棍棒が現れる。
光の結合体が裂帛の気合いとともに振り下ろされた時、浜辺の死闘は終演の幕を引いた―
――
1
「・・・ナナちゃん」
背後から呼びとめられ、藤木七菜江はわずかに肩を震わせ、振り返る。
「な〜〜んだ、里美さんかぁ・・・ビックリしたぁ〜!こんなところで名前呼ばれるなんて、思っ
てなかったから・・・・・」
若干引きつっていた顔が、学校の朝礼などで見知った相手を認め、光を放って輝く。
七菜江の視界に飛びこんだきたのは、彼女の通う聖愛学院の生徒会長、五十嵐里美のスラ
リとした肢体であった。
いつ見ても、キレイな人だなぁ・・・七菜江は思う。
少し茶色がかった髪は、肩甲骨にまで伸び、シルクを陽光に翳した時のように輝いていた。
(本人も自慢の髪なんだとか)大きいけど切れ長の瞳、よく通った鼻梁、艶やかに潤った小ぶり な唇・・・キレイというより美しいといった方が正確なんだろうか?秋の月のような美しさがある が、今みたいに穏やかな微笑みを浮かべていると、小春日和の縁側を思わせるから、美人は 得だ。しかもスタイル抜群・・・・・。落ち着いた雰囲気はわずか一コ上とは思えない。
容姿だけではない。この儚さも含んだ少女は、スポーツも万能だった。特に新体操では、オリ
ンピック強化選手として選ばれているほどである。幼少のころからヴァイオリンや絵画もたしな み、テストでは上位三名から外れたことがない。要するに完璧だった。七菜江はこれほどのマ ンガに描いたような優等生を見たことがなかった。しかも家系は旧華族の本家で、祖父も父 も、財閥系の大企業の会長職に就いている、筋金入りのブルジョワ・・・とくれば、もはやシット する気も起こらない。これで性格が悪ければ大ヒールの誕生なのだが、穏やかにして配慮も利 き、慈愛に満ちた、という表現がピッタリくるものなので、彼女の悪口というのは、高校入学以 来の2年間、聞いたことがなかった。生徒5000名を越すマンモス校の生徒会長になるのも、 ごく自然な流れだと言える。これだけ条件が揃ってしまうと、男たちが逆に恐れを為してしまう のか、浮いた話がほとんどないのが不思議であった。噂好きな友達からの情報によれば、今 でも特定の男性はいないらしい。
里美を知らない聖愛生はいないが、里美に知られてる生徒は限られている。
その数少ない名誉を七菜江は手に入れていた。何故か、この誰からも尊敬される生徒会長
は、七菜江のことを可愛がっていた。
「この時間にここにいるってことは・・・試合の帰りかな?」
「あったり〜です。そのまま帰るのもなんなんで、ちょっとブラブラしてました」
「試合は勝った?」
長い指で作ったVサインと、夏の太陽のような笑顔が、結果を雄弁に物語る。
「ナナちゃん自身はどうだったの?」
「1点負けてるとこから出て、3分で5得点。2アシスト。ぴーす♪」
「さっすが。でもなんでレギュラーじゃないの?一番運動神経いいのに・・・」
「仕方ないですよ、体力ないもん。そこが『ウルトラナナ』と呼ばれる所以です」
屈託なく少女は笑う。
藤木七菜江は里美と違い、特に目立った生徒ではなかった。
だが、記録的なものでは何も残してなくても、彼女を知る者の中には、実に高い評価を下す
者も少なくない。
七菜江の所属するハンドボール部では、確かにレギュラーではないのだが、その潜在能力
はズバ抜けていた。3分間限定の試合なら、スーパーサブとして活躍する七菜江に、太刀打ち できる者はいない。聖愛学院女子ハンド部は、3年連続で全国大会に出場している強豪校だ が、そのレギュラー二人がかりでも、1分限定となれば七菜江を止めることは困難なのだ。非 公式ではあるが、陸上部のエースに100m走で勝ったこともある。それら数多の事実を知る者 は、七菜江への認識を変える。里美もそのうちのひとりなのだろう。
肩までのショートカットがよく似合う、17歳という年齢の微妙な危うさ、可愛らしさと色香のバ
ランスを表現したルックスは、隠れた人気だった。里美よりも肉付きのいい身体は、あるべきと ころに芸術的な曲線を生み、校内随一のプロポーションを誇る。裏の人気投票では、天真爛 漫な性格も手伝ってか、里美に急追する第二位なのだが、本人にそういった自覚は皆無であ った。
駅前の雑踏の中、蒼を基調としたセーラー姿の美少女二人は、通行人の視線を集めずには
いられない。
「・・・ナナちゃん、今日これから予定はある?」
「いえ、別に・・・寮に戻ってボーっとするぐらいですかねぇ?」
「・・・・・・・じゃあ、少し私と付き合ってくれないかな?前から一度、ナナちゃんに話したいこと
があったの・・・」
「もちろんいいですよ!里美さんから誘われるなんて、嬉しいなぁ」
「よかった。では私の家に行きましょう」
七菜江のように県外からの受験者も多い聖愛学院では、その多くが、学校指定の寮に入っ
ていた。実家から通える里美のようなタイプはごくわずかである。
「え?!里美さんのウチに?いいんですか?」
「ええ、ナナちゃんなら大歓迎よ」
「でも、お父さんとかいるんですよね、菱井銀行頭取の・・・緊張しちゃう・・・」
「フフフ。大丈夫。父も母も、普段忙しくて家にはいないの。いつも、執事がひとり、いるだけな
のよ」
ホッとすると同時、里美の秘めた部分を見る思いがして、寂しさがよぎる。令嬢も、けっこう大
変なのかもしれない。
「じゃあ、行きま・・・・ッッ!!!」
突如、轟音が空気を震わせる。
超高速で“何か”が降ってくる音・・・・・老夫婦も、カジュアルな格好に身を包んだ大学生くらい
のカップルも、買い物袋を両手に提げた家族連れも、通行人の全てが、不気味なほど透き通 った青い空を見上げる。二人の美少女もその瞳に、鮮やかな蒼を映し出す。この音を全員が 知っていた。それは、巨大な物体がこの星に近付いていることを知らせる音。テレビのニュー スで、あるいは現場で、誰もが聞いていた。2ヶ月前のあの日以来、忘れたくても忘れられない 恐怖。
街のあちこちで高音のサイレンが神経を掻き毟り、騒ぎ立てる。心臓を爪を立てて擦られる。
あの日以来、緊急危機管理対策として早急に設置された警報サイレン。何度鳴らされても、慣 れることのない不快な音波だ。
「く・・・・・来るッ・・・・・・」
爽快な蒼に、染み出るような黒点が・・・・・・二つ!!
和紙に垂らした墨汁と同じ速度で、黒が世界に広がっていく。
GYUGGGGGGGOOOOWWWッッ!!!
轟音。怯える街。
宇宙から飛来した2個の物質が、今、この地に降り立つ!
DOGOOOOOWWWNNNッッ!!!・・・・・
衝撃で七菜江の身体は、20cm浮いていた。
パリンパリン、と駅前ビルの窓ガラスが割れていく。美しく、危険な結晶のシャワー。
怯えていた人々の金縛りを、更なる恐怖が打ち破り、脳の高いところから声をあげて、一斉
に人間が動き出す。
30階建てのビルの、頭一つ上。
漆黒の鎧に身を包んだ、ニ体の宇宙生物が、その顔を覗かせていた。
「こッ・・・これが・・・・宇宙生物・・・・・・」
七菜江は己の掠れた声を、どこか遠くで聞いていた。
2ヶ月前、それまでの宇宙人はいるかいないか?という論争を嘲笑うかのように、突如として
この地球に降り立った鶏型の宇宙生物は、地球側の動揺を尻目に、侵略を開始した。呆気に 取られる最初の犠牲者数十人が、頭から啄ばまれ、血にまみれた足が怪獣の黄色い嘴から はみ出るシーンは、人々の警戒心をあおるため、報道規制を乗り越えて、何度も繰り返し放送 された。七菜江の脳裏にも、紅く染まったデニムの右足が、くっきりと刻み込まれている。
核を使用できない人類の防衛力は、この地球外からの敵に対して、果たして無力に等しかっ
た。全長50mはあろうかという、巨大生物は人知を越えた存在だった。たった一匹の侵略者 に、この星は壊滅的ダメージを被るはずだった。・・・・・そう、彼女が現れなければ。
「はッ!!・・・里美さん?!里美さん、どこ?!!」
五十嵐里美の姿は無かった。いつのまにか、逃げたのだろうか?ならいいが、もしはぐれた
のだとしたら・・・逃げ惑う人々の押し寄せる波に拮抗しながら、七菜江は妖精の姿を探す。華 凛なセーラー服は見つからない。
いつもと同じように、必ず彼女が現れてくれる・・・ハズだ。だけど、その闘いに巻きこまれな
いようにするためには、半径10kmは離れなくてはならない。(対外生物緊急危機対策法案で 決められたことだ)一刻も早く、七菜江も、人波と同じ方向に駆け出さねばならない。でも、里美 がはぐれてしまったのなら・・・そして自分を探そうとしていたなら・・・
「ダメだ、やっぱ、里美さんをほっといて、逃げるわけにはいかないよ・・・」
その可能性があるならば。
流れに逆らって、100m12秒を切る自慢の快足はニ体の宇宙生物のいる方向へ、駆け出
した。
「キシュルリリリリ・・・・」
「キリリ・・・キリリリリリ・・・・・・」
鋼鉄の甲冑を着こんだ、小山ほどの大きさはある鎧武者の音声が聞こえる。鳴いているの
だ。
右側の怪獣には緩やかにカーブを描いた、青龍刀の如き角が身体の真正面、頭頂部より天
に向かって伸びていた。先が3つに分かれている。そしてもうひとつの角、こちらは短めだが、 ヤクザ者の匕首に似て、凶凶しい鋭さを見せている。大きな眼が黄色く光り、黒金の殻で守ら れた手足は、太く固く、城壁のような安定感がある。
カブトムシにそっくりな宇宙生物であった。
いっぽう、左側は・・・くの字に曲がった巨大な鋏、いや、顎を見れば一目瞭然、クワガタムシ
そのままの姿をしていた。ただ、地球上の虫とは違い、頼りなげな手足は発達しており、二本 足でしっかりと立っている点が異なる。
理科の担当教師・奥村が、昆虫はそのあまりの生態の違いから、実は宇宙からやってきた
のではないかという説があることを、授業の合間に言っていたのを思い出す。だが、こんなに 巨大なものであるとは、思ってもみなかっただろう。
「はぁ・・・はぁ・・・どこに行ったんだろ?里美さん・・・」
巨大生物達は、豪華な料理を前に舌なめずりしているかのような佇まいで、逃げ惑う小人の
群れを前に、ジッと動かずにいる。これ以上近付くのは、いくら七菜江がお転婆として名を馳せ たからといって、あまりに無謀な行為だった。
「仕方ない・・・もう戻ろう・・・」
すでにほかの人影は見当たらない。廃墟と化したかのような街を、埃くさい風が舞う。温度が
急速に冷えていってるのがわかる。荒野をすさぶ風の中、七菜江は踵を返す。
「キュルルリリリリリ・・・・・・」
「ッッ!!!!!」
七菜江は影の中にいた。
頭上遥かに、陽光を背にした山影。
そこから伸びた一本の槍。その先端は3つに割けている。
いつの間に・・・疑問の沸く余裕は、少女の許容メモリ内にはなかった。この現状、事実が冷
たい処刑の刃を、白い首筋に当てる。
七菜江は生まれて初めて、自分の汗腺が開く音を聞いた。それはドッといった。腋の下と脊
髄を、冷たい分泌物が流れる。
カブトムシと同じ形をした、宇宙からの侵略者は、その黄色い視界によく締まった17歳の少
女を捕らえていた。
その眼は、新鮮な食糧を見つけた喜びにむせている。
複眼に写る獲物は逃げようとしなかった。両親に真っ直ぐにモノを見るよう、躾られた彼女
は、その純粋な瞳で見つめ返す。
“私を食べるのね”
生物は本能的に巨大なものを恐れる。七菜江は己が恐怖していることをよく悟っていた。
冷静に働く左脳が、ひとつの結論を語る。
“ワタシハココデシヌ”
絶対の死に見つめられた確信。
先ほどからの耳障りなカチカチという音が、自らの奥歯が鳴らしているものだとすら気付いて
いない。
何も考えてなかった。考えられなかった。細胞が恐怖するのを自覚するのみ。カブトムシがニ
ヤリと笑ったような。浮かぶのは、黄色い嘴、血に染まったデニム。
おかあさん――私・・・・・ごめんね・・・・
光が錯綜する。
世界が爆発したような、激しい光。
いや、それは目の前の巨大生物が横からの衝撃に弾き飛ばされ、隠れていた陽光が、七菜
江を照らしたための眩さ――
「・・・・ファントム・・・ガールッッ!!!」
来てくれたッ!!彼女が来てくれたッ!!!
2ヶ月前、鶏型の宇宙生物が襲撃して以来、突如として現れ、人類を守ってくれた、巨大な女
神の姿が、今、七菜江の前に立っている。
凛々しさ漂う銀色のボデイーに、紫色の模様がアクセントを付けている。胸の中央と下腹部
に青く輝く水晶体。身体のラインに沿った幾何学的なデザインは、女神のスレンダーな肢体 を、よりグラマラスに強調していた。その身体の色と、怪物達と変わらぬ巨大さを除けば、人類 とほぼ同じ、しかも美少女といっていい容姿をしている。背中までの長い髪は、金色のやや入 った茶色で、化学繊維かと思われるほど、キラキラと昼の光を反射している。
「さあ、もう大丈夫よ。早く逃げて」
街中に響き渡る大音響ながら、優しい音色で女神は語りかける。脳に直接響くような、不思
議な声。この声で、女神は初めて人類にその姿を現した時(鶏を光の輪で切断し、倒した時)、 自らを「ファントムガール」と名乗り、人々の守護者であることを宣言したのだ。
テレビでは何度も見たが、直接顔を見るのは、七菜江にとって初めての経験だった。覗きこ
んでくる巨大美少女の顔は、優しく、可愛かった。さっきまで巨大なモノにおびえていたのに、 何故だろう?ファントムガールはちっとも恐くない・・・むしろ安心させてくれる何かがある。そし て、どこかで見たような・・・・・
不意にファントムガールの跳び蹴りを食らい、もんどりうって倒れたカブトムシが戦闘態勢を
取る。クワガタのほうは、呼応するかのようにファントムガールの後ろに回りこみ、挟み撃ちの 陣形をひく。対する女神は左手を軽く前に出し、ファイティングポーズを取った。人類が関与不 可能な闘いが、見守ることしかできない闘いが、また始まろうとしている。
「ファントム・クラブ!!」
女神がそのスラリとした両の腕を、天に差し上げる。
銀の艶かしい長い指に、光が収斂され・・・やがてそれは、彼女の肌と同じ、白銀の棍棒とな
って現れた。
以前、七菜江は近所の子供たちが、ボーリングのピンを使って(どこからみつけたんだか)、
ファントムガールごっこをしていたのを見たことがある。華奢な体つきと言っていいファントムガ ールが、軽々と扱うその武器は、蟹に似た宇宙生物の装甲(甲羅?)を一撃で打ち破いてい た。後日、政府の科学研究班が、その装甲の破片を調べたところ、スカッドミサイル10発分の ダメージを受けても、ヒビひとつ入らなかったそうだ。
二つの棍棒をクロスにして目前に構えるファントムガール。対するカブトムシに似た宇宙生物
は、巨大な少女を中心に、ジリジリと反時計周りに動く。それに合わせたように反対側のクワガ タも、正義の使者の背後を周る。ニ体の怪物は、ファントムガールを中心にして、常に点対称 の位置をキープし続ける。
「こいつら・・・まるで、コンビみたい・・・」
ファントムガールに指示され、駆け逃げた七菜江であったが、キョリにして約500mほど離れ
た商社のビル影に隠れていた。
死に面した恐怖は完全に消え去ったわけではないが、好奇心というか・・・使命感みたいなも
のが、その感情に克っていた。
命を救ってくれた、ファントムガール。その恩人の闘いを、最後まで見届けねばならな
い・・・・・・
幸い、七菜江が逃げ込んだビルの方角は、宇宙生物達の死角になっており、彼らが気付く心
配はなさそうだ。
誰よりも間近なキョリで、七菜江はこの星の命運を握る闘いを凝視する――
“この相手は・・・コンビネーションを使うとでも言うの?”
キュルリリリリリ・・・・
キリリリリリリリ・・・・
弦楽器の高音のような奇声。守護天使を挟む形で、巨大昆虫の姿をした怪物が鳴く。ファン
トムガールには、それが二匹の間で交わされる、会話のように思えてきた。
“いままでの敵は、動物と同じ、ただ無規則に暴れるだけだったけど・・・・・はッッ!!!”
ジャッッッ!!!
カブトムシの三叉の角の先から、橙色の光線が発射される!
交差した銀のクラブで受けとめるファントムガール。
弾かれたオレンジの帯が、ジュウ・・・という音とともに、車道のアスファルトを溶かしていく。
同時、背後から、クワガタの顎より放たれた、黄色い稲妻が!
熱光線を左のクラブ一本で受け、残った右の一本で、高圧電撃を弾く。
このままでは、どちらも動けない――守護天使の頭によぎった瞬間、敵の第二撃めは襲って
きた。
クワガタが、ビルを信号を薙ぎ倒し、超低空飛行で銀の少女に殺到する。
その黒金の顎が、細い少女の足首を切断するのは容易な所作に違いなかった。
40階建てのビルを、豆腐のようにサプリと裂く巨大な鎌。
しかし、そこにファントムガールの足はなかった。
間一髪のタイミングで、女神は自身の身長の5倍を跳んで、危機を回避していた。飛行能力
こそないものの、その身体能力は人間レベルでは計り知れないものがある。
だが、「飛ぶ」のと「跳ぶ」のは違う。
強力な推進力で「飛ん」だわけではなく、驚異的な跳躍力で「跳ん」だだけの少女は、重力に
逆らえず、無防備な態勢で落ちてくる。
「ウッッ!!」
まるで狙い透かしていたかのような、熱線と電撃の嵐!
橙と黄色の光線が、次々に巨大な少女戦士に打ちこまれる。
「アアッッ?!!・・・ファントムガールッッ!!!」
七菜江の悲痛な叫びが、無人の街に響く。
物体がぶつかる衝撃音と、圧倒的な熱量によって発生した気流の中で、七菜江は白煙と、光
線の向こうの女神を確認しようとする。
・・・・・いた。
巨大な少女は、繭のように、白いヴェールに包まれていた。
「??!ッ」
七菜江と同じく、二匹の宇宙生物も驚きを隠せない。動揺が伝わる。
やがて、疑問を解きほどいていくかのように、ゆっくりとヴェールが下の方から、包帯のように
はがれていく。
「ファントム・・・リボン!」
繭の正体は、新体操で使うようなリボンであった。
もちろん、光の技を使うファントムガールのそれは、おおいなる力を秘めているに違いない。
そのリボンを頭上に掲げ、高速回転させることで、自らの身を包み、破壊光線から逃れたの
だった。
「今度はこちらの番よ!」
ほどけたリボンが白い蛇となってうねり、矢のスピードでカブトムシへと直進する。攻守の切り
替えに、巨大怪物は反応しきれていない。いともたやすく螺旋に絡み付く、光の帯。
「キャプチャー・エンド!」
世界を白で覆う、眩い光の爆発。輝くリボンが、聖なるエネルギーをカブトムシ型宇宙生物に
送りこむ。
「ギィシィィヤヤヤァァァッッーーーッッッ!!!」
「きゃあッ!」
数百メートルの距離を越えて飛びこんでくる、断末魔の叫び。脳が震える感覚に、思わず七
菜江は頭を抱えたまま、その場にしゃがみこんだ。
「やっぱり。強固な装甲で身を固めていても、この手の攻撃には弱いようね!」
己の戦術眼が確かであったことを、ファントムガールは確認する。
だが、トドメを刺すだけの余裕は、もう一体の巨大生物が許さない。
「キリリリリリ!」
飛来する漆黒のハサミを避け、横に回転する聖なる少女。手放したリボンは、白煙をあげる
カブトムシにからまったまま。
少女の元いた場所をすり抜け、ハサミがUターンして再度襲来する。
「ハンド・スラッシュ!」
中腰姿勢のまま、腋の下に引いた左手と、右手の掌を合わせる。力強く右手が振られ、掌大
の光の破片が散乱する。ミグ戦闘機並の速さで殺到するクワガタに、サクサクと刺さる光の手 裏剣。
「ぐッッ!」
勢いの止まらぬ宇宙生物が、間一髪、ファントムガールの右腕を掠めて、通りすぎる。紅い
血が、舞う。ゴロゴロと地面を転がって致命傷を避けた聖少女が、鎌に切り裂かれ赤に染まる 右腕を押さえる。七菜江はファントムガールの血が自分達と同じ色であることを初めて知った。
“ハンド・スラッシュが効いてない?!・・・あの装甲には普通の攻撃は通用しないようね・・・・・
はッッ?!!”
背後に感じる生物の息吹。
「ギシャアァァァッッーーーツツッ!!!ギギィィッッ・・・・・ぎギュルリリリ・・・・・」
壊れたコントラバスの怪音。ゴムの焼ける臭いと、黄色の煙をあげ、カブトムシが吼える。
怒っている。
怒り狂っている。
黄色の眼が赤い。憤怒の感情に猛り狂っている。
跪いたままの守護天使に、復讐の狂気に操られた巨大昆虫がぶつかっていく。
合わせるかのように、クワガタが全てを切り裂く顎を開いて、パートナーの反対側から迫る。
完全な挟み撃ち。
「危ないッッ!!ファントムガールッッ!」
少女戦士の生命を滅せんとする、鋼鉄の槍と鎌。だが。
沈んだ肢体が図ったように、二体の宇宙生物を同士討ちさせる。
必殺の武器を互いに浴びせ、悲鳴を挙げる巨大獣。
その隙に前転してすり抜けたファントムガールが距離を置く。
“確かにコンビネーションを使うし、戦闘慣れしてるけど・・・動物的。動きが単調で見きりやす
いわ・・・・・・勝てる”
なにが起きたか、理解できずに戸惑う敵に向かい、両手を突き出し親指と人差し指で三角形
を型作る。聖なる力が満ち、白く輝くトライアングルが現出する。
「やったー!!ファントムガール必殺の『ディサピアード・シャワー』だ!これで勝ちだァ!!」
思わず跳びあがって七菜江は喜んでいた。隠れていたはずのビルの影から、その身を躍り
出させているのも気付かず。
傍目から見ても、ファントムガールの優位は明らかだった。少女が危険地帯に身をおいてい
たことを忘れたのも、無理はない。
ゾクゥッッ・・・・・
強烈な、悪寒。
次の瞬間、全身を襲う圧迫感が、17歳の少女の脳天に衝き抜けていった・・・・・
光のエネルギーが溜まるまで、4秒。
必殺光線の準備期間は、邪魔されることなく過ぎ去った。
「終わりよ!ディサピアー・・・・・えッッ!!!」
あとわずかで決着という時、ファントムガールの動きが止まる。
美しい少女の顔は、正面の敵ではなく、左を向いていた。
青い瞳に映る、新たな、人影。
三体目の敵。
それは人型だった。
油圧で動く機械のように、太い管が体中のあちこちから出ては入っている。肩・肘・膝・頭頂
に、鋭い角。全身が青銅のような色。
そして、そうした凶悪な姿とは対照的な、黄金の顔は・・・笑っている。両眼も口も、弓のように
湾曲した形。3つの三日月が貼り付いた、笑い。
だが、ファントムガールには、そんな、背筋に凍ったナイフを突き刺すような、恐ろしい敵の体
は眼になかった。
その右手。その中。
両腕と顔を巨大生物の右手から生やしているのは・・・・藤木七菜江だった。
「!!!なッ・・・ナナエちゃんッッ!!」
溢れ出る叫びを、ファントムガールは止めることさえ忘れていた。
三角形に集まった光が四散していく。必殺光線の態勢を崩し、新たな敵に向き合う、守護天
使。この眼前の巨大生物が敵であることは、右手に捕らえられた七菜江が、雄弁に証明してい る。
「その娘を放しなさいッ!」
「フハハ。そうはいかない。キミにとって、大事な人間のようだからね、ファントムガール」
喋った。今までの宇宙生物との明らかな違いに、動揺が走る。
「我がペットをよく可愛がってくれた、ファントムガール。そちらのカブトムシがラクレス、クワガ
タのほうはチタヌスと言う。そして私の名は・・・メフェレスだ」
優雅にさえ感じる、自己紹介。怒りと不安が沸き立つのを守護天使は自覚した。
「そ・・そんなことはどうだっていいわ!一体何が・・・」
「きゃあああああーーーーッッッ!!!」
青銅色の凶悪な姿、メフェレスが右手に軽く力を入れた。女子高生の悲鳴が、無人となった
街に響き渡る。
「なッ!!?や・・やめ・・・・やめなさいッ!!」
はげしく動揺するファントムガール。
「クハハハハ!たかが人間ひとり、掴まっただけでもう闘えないのか?地球を守る正義の味
方としては、甘すぎるのではないかな?ほォ〜〜ら」
再び右手に力が加えられる。
「うわああッッ!!ぐあああああァァッッ〜〜〜〜ッッ!!!」
ガクガクと頭を振り、悶絶する七菜江。自分の何十倍もある怪物にとって、七菜江の身体な
ど、さぞ脆い肉人形なのだろう。朦朧とした意識の中、ミンチになった己の姿が浮かぶ。息がヒ ューヒューと鳴る。脂汗に濡れたショートヘアーが、額にべったりと付く。内臓を潰されたため か、叫びすぎて喉が破れたのか、唇の端から、ひとすじの朱色の線が落ちる。
「や、やめろォォーーーッッ!!!」
ファントムガールの口から、怒りに任せて、言葉が溢れ出ていた。
取り乱した少女の姿がそこにはあった。
ドズウゥゥゥッッッ・・・・・
銀の小ぶりな唇から、ゴボリと血塊がこぼれる。
ファントムガールは腹から生えた、カブトムシの角を見た。
「あ・・・・ぐあ・・・・・・・」
“し・・・しまった・・・・・”
プシュウウゥゥゥーーーーッッ・・・・
聖少女の腹部から吹き出る噴水が、コンクリートのビルを赤く染めていく。
愛しげに、己を貫いた槍の先端を、巨大な少女戦士は掴む。
ザクゥゥッッ!・・ザクザクザクッッッ!!
「あぐああッッッ!!・・・・・がッ・・・がはアッッ!・・・・が・・・が・・・」
もう一体の敵の攻撃は次の瞬間だった。
のこぎりの刃より鋭い牙が、ファントムガールの引き締まった脇腹にめり込む。
圧迫され肋骨が軋む。刃が曳かれ、赤い霧が舞う。激痛に自然牙を掴んだ紫の両手を、無
意味だと言わんばかりに腹ごと顎は切り裂いていく。
「うがああッッ!!ああッッ!!うあああーーーッッッ!!!」
人類の眼前に信じられない光景が広がっていた。
あの無敵を誇ったファントムガールが・・・人類の希望が・・・今、無残に蹂躙されている・・・・・
「ワハハハハハ!この星はこのメフェレスのものだ!ファントムガールよ、今日は貴方の処
刑記念日となる。よく見ておけ、弱き人間ども」
聖少女の身に食いこんだ、槍と鎌とがメフェレスの命により、引き剥がされる。
ズボォ・・・という音とともに、カブトムシ・ラクレスの角が、ファントムガールの肢体から引き抜
かれるや、滝のような血がダラダラと流れ出た。反動で口から吐血するファントムガール。
ゆっくりと、膝が、落ちる。
ドシーーン・・・・・・50mの巨体が跪く、轟音。
カクリと頭は垂れ、青い瞳の光は消えている。
「さて・・・どう遊んだものか?」
動けなくなった正義の使者のもとへ、青銅の異形の者が静かに近付く。茶色の美しく長い髪
をムンズと掴み、俯いた美少女の顔を引き上げる。
「むうッ?!」
「ファントム・リボンッッ!!」
紫の右手から伸びた白い帯が、油断しきった三日月に笑う敵を絡め取る。
「ぬうう・・・死んだ振りとはな・・・みかけによらず、卑怯なマネもできるではないか」
「ハァハァ・・・・あなたに・・・言われたくないわ・・・」
聖なるリボンが螺旋に絡み、メフェレスの身体は接着剤を頭からかぶったようになる。小刻
みな震えが、その身の不自由さを物語っていた。
この、今までに葬ってきたタイプとは異なる、知的で、傲慢でさえある生命体の弱点が、その
慢心にあることをファントムガールは気付いていた。卑怯と罵られようが、燃え尽きそうな身体 と、暗闇に呑みこまれかけた意識のなかで、聖少女にできる逆転の一手は、これしかなかった のだ。
だが・・・・・・・光の網の捕獲は完全ではなかった。
青銅の魔人の手首には、輝く帯は巻かれていなかった。
そしてこの場合、メフェレスにとっては右の手首から先さえ動けば、問題はなかった。
その右手が無造作に振られる。
「ッッ!!!!!」
地上80mはあろうかという宙空に、藤木七菜江の身体が放り投げられていた。
“な、なんてことをッ!”
完全な死が待つコンクリートの大地へ落ちていく。
浮遊感と加速度に、青いセーラー姿の少女は身を任せる。
死ぬ実感はなかった。
永遠に思われる、長い、落下。
花火みたいに爆発する、赤い閃光をアスファルトに撒き散らして―――
予想する衝撃は、来なかった。
その身を包む大きく、柔らかな感触。
ファントムガール。
地上20mの地点でキャッチした女子高生の身体を、そっと灰色の大地に降ろす。
全身の痛みでなく、生き延びた喜びでなく、助けてくれた感謝でなく、なにかが心の奥から
次々に沸いてきて・・・・・ぐったりと地面に身を預けながら、七菜江は泣いた。
「もう・・・・・大丈夫・・・・よ」
ファントムガールの声は優しかった。
四つんばいになり、覗きこむような形で、守護天使は少女を守る。
涙で霞む七菜江の視界の中、正義の戦士の姿が大きく仰け反ったのは、次の瞬間だった。
ラクレスの熱線とチタヌスの電撃が、無防備な光の少女戦士の背中に容赦なく叩きこまれ
る。
白煙があがり、肉の焼ける悪臭が、救いのない街に漂う。
止むことのない激痛に、ピクピクと震えるファントムガール。
しかし、なにかを守るかのように悲鳴はあげない。
「フフン。自分が苦しむことで、その小娘を悲しませたくない・・・というとこか。甘い。甘すぎる
なあ・・・」
哄笑。ファントムガールの手から離れ、エネルギーを失ったリボンが、メフェレスによってビリ
ビリに引き裂かれていく。白い布となったリボンが、季節外れの桜となって、舞い落ちる。
「お前は責め苦に絶叫する。あの小娘は己を責め、絶命する。そして、人類はお前の敗北に
絶望し、この星を私に差し出すだろう」
目も口も三日月の黄金の顔が、歌うように宣言する。
そして、それからは、地獄だった。
「あッッ!!」
カブトムシ・ラクレスの三叉の槍が銀色の戦士の左足を貫く。
根元まで貫かれ、引き千切られた筋繊維が、ハムみたいに角の先端にぶら下がる。
ガクガクと腰がくだけ、崩れそうになる身体を、気力だけで必死で立たせるファントムガール。
「ッッッ!!!」
右腕が切断されたような激痛。
クワガタ・チタヌスの顎が、華奢な少女の右腕を挟みこんでいた。
ブチブチと腱や筋肉が切れる音。赤い飛沫が端正な銀のマスクを彩る。
「ほうほう、ガンバッテいるなあ。だが、本番はこれからだ」
少女戦士の肢体に食い込んだまま、槍と鎌が熱と電撃を帯びる。
ジュ―――ジュジュジュジュ〜〜〜〜ッッッ・・・・
バリバリッッババババババッッビチィッッ・・・・・
「うぐうッッ!!うぎゃあああああーーーーッッッッ!!!!」
悲鳴を挙げぬ。挙げたら屈したことになりそうで・・・そう誓っていた少女の内面を嘲笑うかの
ように、敗北の中、わずかに見せた反抗も、いともたやすく破られた。己の肉の焼ける臭い が、ファントムガールの鼻腔を刺激する。
「ハハハハハ!いい歌だ!もっとさえずってもらうぞ」
熱と電撃が同時に止む。右腕の神経が剥き出しにされ、ヤスリで削られているよう。左足は
焼きゴテが溶けた皮膚にくっついてしまったかのようだ。一時の休息に、ハァハァと荒い息をつ くファントムガール。なぜ、攻撃を止めた?一体・・・何を考え・・・・・!!!
「うわああああーーーーッッッ!!!いやあああーーーーッッッ!!」
わずかな安息に気を抜いた瞬間、細胞を灼く熱と電撃が、再び守護天使を襲う。
あまりの苦痛が感覚を破壊し、少女はどこが痛いのかも忘れて、大の字で絶叫続ける。体中
に開けられた穴から、ドクドクと真っ赤な血が銀の肢体を伝い落ちる。永遠に続くかと思われた 拷問は、また不意に終了する。
「ああッッ!!・・・・くうッ・・・くッ・・・・い・・痛みに・・・・慣れさせないつもり・・・・・!!きゃああ
ああああーーーーッッッ!!!」
止めては始め、始めては中断し・・・・・・ランダムに続く激痛に、痛みを和らげるアドレナリン
が、反応しきれなくなっていく。また、繰り返されることで、細胞が恐怖心を抱き始め、痛みが倍 化されていく。
もはや、全身の痙攣は止まらなくなった。
「あぐあァァッ・・・・あッ・・・・ああ・・・・・・」
「ん〜〜〜、いい顔だ・・・・無表情に見えるそのマスクが、歪んでいるのがわかる・・・」
貫かれた足と腕は、焼け焦げ、炭化している。艶やかな金色交じりの茶髪は、水分を失い、
ボサボサになっていた。あれほど輝いていた銀の肢体も、埃と血にまみれ、黒ずんでいる。
「ワハハハハハ!惨めだな、ファントムガール!チタヌス!腕ではなく、もっと効く場所に電撃
を流してやれ」
クワガタの顎が、美しい少女の頭を挟む。
右腕を灼き尽くし、筋繊維をズタボロにした、電撃刑・・・・そんなものを直接頭部に食らった
ら・・・・
「やめ・・・・・やめ・・・て・・・・・・・・」
か細い声で、ふるふるとかぶりを振る。拷問により半失神となった守護天使にとって、敵に哀
願する惨めさなど自覚すべくもなかった。
「よし、やれ」
バチバチィッッ!!バシュンッ!バシュバシュッバシュンッッ!!
「いやあああああーーーーーーッツツツツ!!!!!」
全身を弾かせて、ファントムガールの意識は、白い世界に取りこまれていった。
人類の目の前に、絶望的なシーンが広がる。
巨大なクワガタの鎌にこめかみを挟まれ、全身をダラリと力無く垂らした守護天使の姿がそ
こにはあった。
貫かれ、抉られ、斬られ、弾かれて・・・・流れ落ちる朱の雫が、足元に池のような血溜まりを
つくる。一体、何万ボルトの電流を浴びせればこうなるのだろう。全身に送りこまれた高圧電流 によって、ファントムガールの銀と紫の肢体は、あらゆる箇所で内側から爆発し、皮膚は弾け 飛んで・・・・・タンパク質の焦げた悪臭と紫煙を立ち昇らせる。
「ククク・・・人類の諸君、見ているかね?キミ達を守る守護天使とやらは、ご覧の有り様だ。
だが、安心するがいい。死んではおらん。これから最高のショウをお見せしよう」
メフェレスがピクリとも動かぬファントムガールに近付く。
埃にまみれた長い髪を掴み、汚れて尚美しい顔を晒しあげる。
三日月の口から、ピンクの舌が意志を持った生物のように這い出て、ベロリと少女を舐めあ
げる。
巨大なヒルを思わせる舌が、小さく厚めの銀の唇を割って、侵入する。
ジュッルルジュルルル・・・・
吸われている。ファントムガールの舌が。
異形の悪の宇宙生物に、その唇が犯されている。
ピクピクと痙攣するファントムガールの指。先程とは違う種類の痙攣。
ピチャピチャと唾液の混じる音。舌が吸われ、絡まれ、上顎の歯の裏が舐めしごかれる。溢
れる唾液が、透明なスライムとなって、口の端からトロトロとこぼれる。
小ぶりだが、形のいい乳房は、銀色の肢体の中で、それとハッキリわかる。
青銅色のゴツイ掌の中で、それは散々弄ばれていた。
揉まれ、突つかれ、回され・・・・なんということか、二つの突起物まで、誰の目にもわかるほど
に露になっている。
オモチャのように遊ぶメフェレスの、ぼんやりと光るその手がいかなる作用を生むのか、いつ
のまにか覚醒したファントムガールから、苦悶とは別の吐息が洩れ始める。
「あくう・・・・・あはァッ・・・・・・な・・なんで・・・・・・」
「ククク・・・お前を殺すことなど造作もない・・・・屈服させることに意味があるのだ。どうだ?敗
れた相手に犯される気分は?・・・感じさせられる気分はどうだね?」
「あくはあッッ・・・あッ・・・アアッ・・・・・屈服など・・・しな・・・・」
光るメフェレスの手が、両の乳首をくいと引っ張る。
「ひィやああッッ!!・・・・あはあッ!・・・・あふうッ!・・・・あ・・あ・・・や・やめ・・・・・」
「効くだろう、ファントムガール?私の前では、お前は単なる小娘にすぎん。ほら、こうするとど
うなるんだ?」
銀の乳首がこりこりとしこりあげられる。ファントムガールにとって初めての刺激が、本能の
深い部分に電流を流す。眠っていた淫靡な蛇が鎌首をもたげ、少女の下腹部を激しく掻き乱 す。隠しきれない悦楽の衝動を確認し、青銅の悪魔は宿敵の萌芽をより一層の愛撫で仕上げ にかかる。
「はふあッッ!!・・・かふッ・・・ひィやううううーーッッ!!ぎひィィィィ―――ッッ!!!」
愉悦の嵐が少女の蜜園を沸騰させる。燃え盛る溶岩が下腹部に疼き、脊髄を駆け登って脳
を衝き抜ける―――
ビジュッ・・・ジュッ・・・・・
「ワハハハハハハ!こりゃあいい!!正義の味方、聖少女とやらも潮を吹くらしい!ウハハ
ハハハ!」
血溜まりに飛んだ泡のような液体を、ファントムガールは虚ろな瞳で見ていた。それがなにか
は良くわかっていなかったが・・・・目の前のメフェレスという怪物に、敗れたことだけは理解し た。
「グワハハハハ!まだまだァァーーッッ!!そりゃあ、ファントムガールよ!気持ち良かろう!
狂ってしまいそうだろう!」
光る手が乳房を、強く、柔らかく、揉みしだく。先端を上に曲げ、下に曲げ、右に曲げ・・・・最
高の玩具を嬲り尽くす。
「ぎィひィやあああーーーッッ!!やめてェェッッーーーッッ!!狂うゥッッ!!狂ってしまう
ッ!!お願いッ!もうやめてェェッーーッ!!」
衆人の視線も忘れて、ファントムガールは泣き叫んだ。もう、動けなどしないのに・・・・・左右
の背後から足を踏み、両腕と金色の髪を掴んで少女を大の字に固定する、二匹の怪獣の嗜 虐性が、余計に哀れさを演出する。
「ほう。ならばやめるか」
「ええッッ?!!」
ファントムガールの嘆願に、メフェレスは素直に応じる。愛撫する両手を躊躇なく引っ込め
る。呆気なさに、聖少女は驚きの声を唇から漏らした。なぜ・・・?その答えは間もなくわかっ た。地獄の責めは終わったが・・・熱い火照りが、少女の細胞を侵食していく。
「うくッ・・・・くううッッ・・・・・」
「おや?どうした?やめて欲しいというので望みを叶えてやったのに、随分と切なげではない
か?」
「うぅぅ・・・・・・ああぅッ・・・・・・・はぁ・・・・ああぁぁ・・・・・」
からだが・・・・熱い。息をかけられるだけで電流が走るほどに、回路を強制的に繋げられ、フ
ァントムガールの細胞は発狂寸前になっていた。肉片を抉られ焼かれた激痛と、失血による脱 力感に加え、本能の昂ぶりを極限にまで高められて・・・少女の意識はとっくにオーバーヒートし ていた。その青い瞳には、もはや何も映っていない。
そして、今、鍋の中で高めに高められた内圧は、爆発手前で、戯れによって中断されてしまっ
たのだ。絶頂を迎えるに迎えられず・・・昂ぶりを抑えることも叶わず・・・達する寸前の無情感 が、聖なる少女の激情を、黒板に爪をたてるように、永遠と思われる1秒単位で掻き千切って いく。
そして、とどめの一言が、官能に溺れる脳髄を射る。
「いま、続けて欲しいと思ったろう?」
衝撃が心臓を打ち、血流が頭に昇る。
「ワーッハハハハハ!負けるとはこういうことだ!ファントムガール!」
青銅の手が、敗北を知った守護天使の秘所に潜り込む。
「!!!!!」
「ビチョビチョだなあ〜〜・・・ククク・・・・愛液を枯らしてやろう・・・人類よ!お前達の救世主の
AV、よ〜〜く見るんだな!ハハハハハ!」
「さて・・・そろそろ60分か。遊びはここまでのようだな」
三日月の笑いを浮かべた悪魔が見下ろす先に、赤と白の粘液の海に沈むファントムガール
はいた。自らの、血と愛液の海に沈む、少女戦士。
三体の敵に3度づつ、少女はイカされた。
昆虫の角と鋏でイカされ・・・・悪の首謀者たる男には、全身を賞味尽くされた。
そして、その姿は全国に放送された。
「もうすぐで変身の解けるころだな、ファントムガール」
「!!!・・・・・な・・・・・・なぜ・・・・・・・そ・・・・れを・・・・・・・」
「とどめだ」
青銅の右手から、ズブズブと棒が抜き出てくる。体内に武器を隠していたらしい。棒はやが
て、刀となった。
横たわる銀の戦士の元へ、メフェレスが移動する。
青い瞳も、胸と下腹部の水晶体も、その輝きを失い、弱弱しい灯火が揺れるのみ。
「ククク・・・」
躊躇なく、刀が振り下ろされる。
ズブリ・・・・
左胸を貫く、青銅の刀身。
ビクリと仰け反る銀の戦士。
灯火が消え、次の瞬間、光の粒子となって、ファントムガールの身体は霧散した・・・・・
少女の残した血溜まりに突き立てられた刀を抜き、青銅の魔人は勝利の雄たけびを揚げ
る。
「フハハハハハ!ファントムガールは我が軍門に下った!この星は私のものだ!まずはこの
国を頂こう。1日、時間をやろう。明日の同じ時間までに、降伏か、滅亡か、選ぶがいい。ウワ ハハハハ!ハーッハッハッハッハッ!!・・・・・・」
2
「あ・・・・気がついたみたい」
ゆっくりと覚醒していく意識の中、いつもの朝とは聞きなれぬ声を、五十嵐里美は聞いてい
た。
深い底の水を留めた瞳を開ける。イタリア製の木造ベッド。京都の匠の手による100パーセ
ント羽毛の掛け布団。いつもの朝と同じ場所。
その横の丸椅子に座る、ショートカットの少女だけが、日常とは異なっていた。
「・・・・ナナエ・・・・ちゃん?・・・・・いったい・・・・」
混濁する思考回路がまとまっていく。眠りにつく前の状況が、記憶の棚に並べられていく。
消防隊による瓦礫撤去が始まるころ、ひとりのセーラー服の少女が自らを抱きしめるように、
災害後の街をさまよっていた。
ファントムガールが敗れ、異形の生命体による、人類への降伏勧告のあと―――絶望にひし
がれる街をゆく少女は、メフェレスという宇宙生物に捕らえられ、そしてファントムガールに助け られた、あの少女であった。
なにかに誘われるように、藤木七菜江は、瓦解したビルの一角に入る。多くのテナントがは
いった雑居ビルの地下一階。駐車場になったその場所に、探し人は、いた。
通路の真中。汚れた黄色の照明の下に、仰向けの五十嵐里美がいた。
はぐれてしまってから2時間を経て再会した生徒会長の姿は、崩れ落ちる瓦礫の下敷きにで
もなったのか、変わり果てたものになっていた。
陶磁器のような白い肌は、ドロと煤にまみれて、黒ずんでいる。カッターで切られたような浅い
傷から血がにじみ、七菜江と同じセーラーを汚している。特に右足と腹部の怪我がひどく、太 股は焼けた鉄の棒でも刺さったのか、火傷した傷跡が、ケロイド状に腫れていた。
満月のように輝いていた先輩の惨状に、思わず七菜江は目を逸らしていた。しかし、死んだ
ように眠る里美が、まだ生きているのを確認して、その華奢な肢体を背負う。
巨大生物に潰されかけた内臓は無事のようだったが・・・アバラにひびが入っていることはわ
かる。決して五体満足とはいえない女子高校生が、50キロに満たないとはいえ、ひとりの人間 を担いで歩くのは、脅威的といえた。それこそが七菜江の潜在能力の高さであった。
フラフラと彷徨う少女が、騒ぎを知って駆けつけた救いの手に会った時、その顔は汗と涙で
グシャグシャになっていた。
「・・・・・というわけで、来てくれた執事の安藤さんの車に乗って、ここまで里美さんを連れてき
たんです」
5mほど離れた部屋の入り口に立つ老紳士・安藤が軽く会釈する。幼い時からの教育係で、
滅多に在宅しない多忙な両親の代わりに里美を育てた彼は、ニュースを知り、現場に里美を 探しに来たのだった。里美を背負う七菜江と遭遇できたのは、運ではなく、彼の必死の捜索に よる移動範囲の広さゆえだ。
「そう・・・・ありがとう、ふたりとも」
にっこりと里美は微笑む。この、痛々しい包帯姿の美少女に癒されるのを、七菜江は感じ
た。
「七菜江ちゃんには大きな借りが、できちゃったわね」
「そんなこと・・・・」
俯き加減の七菜江の眉根が寄る。
「七菜江ちゃんは大丈夫だったの?休んだほうがいいわ」
「私はいいです、平気。それよりも、里美さん・・・・・」
淡い陽光の射し込む窓の外で、小鳥がさえずる。
「里美さんが・・・・ファントムガールだったんですね」
金細工の仕掛け時計の、針を進める音だけが、落ち着いた雰囲気の里美の部屋を支配す
る。
再び、小鳥のさえずり。
沈黙の空間に、鼻をすする音が、低く流れ始めた。
「私の・・・・私のせいで、あんなこと・・・・・・ごめんな・・さい・・・・」
「違うわ。七菜江ちゃんのせいなんかじゃない」
嗚咽は号泣に変わりかけていた。
怪我の場所を確認するまでもなく、また、ファントムガールの技が、里美の得意とする新体操
の技に似ている事実を引き合いに出すまでも無く、初めてファントムガールと対面した瞬間。あ の瞬間に、七菜江は全てを悟った気がした。ファントムガールの銀のマスクには、五十嵐里美 の面影が色濃く出ていた。それは実物を間近で見たからこそ、気付けたことでもある。
だが・・・・できればそれは、知りたくはない事実であった。それでいて、知らねばならぬ事実で
もあった。
なぜなら、里美がこのような目に遭ったのは、七菜江があの場所にいたせいなのだから。七
菜江が、メフェレスという侵略者に捕まったりしなければ、ファントムガールは負けなかっただろ うし、里美も無事だっただろうし、地球が降伏を迫られることもなかっただろう。
「あたしが・・・・・あたしが、ちゃんと逃げてれば・・・・・里美さん、あんなことにならなかったよ
ね?・・・・・・・全部、あたしが悪いんだ・・・」
グスグスと涙に揺れるか細い声が、罪を背負い込んでしまった少女の心を吐露する。膝の上
にギュッと握った小さな拳に、ポタポタと透明な雫が落ちる。
「・・・・・・ナナちゃん、手を貸して」
ベッドの上に上半身だけ起こした里美が、傍らの赤い眼をした少女に、左手を差し出す。細
く、長い手。反射的に七菜江は右手をその上に重ねていた。
「わあッッ!」
急に手を引かれ、思わぬ力に、七菜江はベッドにつんのめっていた。涙で霞む視界を、右手
に向ける。里美は空いた方の手で、自らの淡いブルーのパジャマを、乳房の下のところまで、 たくしあげていた。
「??!!ッ」
同じ女性として惚れ惚れするような・・・肌の白さに、眩しさを覚える。七菜江の右手は、その
シルクの肌に持っていかれた。掌に感じる、優しい体温。七菜江は頬が蒸気するのを隠せな かった。
「さ、里美さん・・・・・・」
「どう?」
「え?・・・・・??」
「傷跡・・・・・ほとんど無いでしょ」
七菜江の右手が連れられていったのは、里美の腹部・・・ファントムガールがカブトムシ・ラク
レスに串刺しにされた、あの部分だった。包帯の上から、わずかに盛り上がった皮膚の感触は あったが、穴が開いている感じは、断じてない。
「ファントムガールでのダメージは、実体では何十分の一かに軽減されるの。だから、あれぐ
らいじゃあ参らないわ。それに、実体となってからの回復力も通常の何倍にも飛躍してるから、 すぐに直るわ」
七菜江の脳裏にファントムガールの悲鳴が蘇る。
あれは・・・・魂からの叫びだった。
そして、自ら漏らした白い液体に汚されていく、銀色の戦士。
里美が負った傷は肉体だけではない、むしろそちらのほうが大きいかも・・・・
にも関わらず、この繊細そうな令嬢は、弱さを見せない。その強さが、七菜江には辛かった。
「でも・・・・・」
「ナナちゃん。誰も悪くなんて、ないのよ」
力のこもった声で、里美は言った。それは初めて見る、強さを敢えて晒した里美の姿だった。
「里美さん・・・・・」
「あのメフェレスだって、悪いんじゃないわ。侵略の真意はわからないけど、彼らには彼らの
道理があると思うの。でも、それは私達にとっては、間違いなく敵。正義でも悪でもない・・・敵だ から、私はファントムガールになって、闘うことに決めたのよ」
鈴のような声に、溢れる力。白鳥に隠された、水面を掻く力強さ。
「誰が悪いとか・・・誰のせいとか・・・そんなことはどうでもいいの。あなたを助けたいから、私
はあなたを助けた。だから、喜んで。こうして、ふたり、生きて再び会えたことに」
月の美しさを持つ少女が微笑む。ホントにこのヒトには・・・敵わない。つられて腫れた目が、
細くなるのを七菜江は感じた。
「じゃあ、里美さん。今度は私が里美さんを・・・・いえ、ファントムガールを助ける」
「!!・・・・だから、ナナちゃん、そんなふうに責任感じなくても・・・」
「ううん、違うよォ。そおゆうんじゃなくて、里美さんを助けたいから、助けるの。ね。お願い、な
んでもするから、手伝わせて!」
自分の発言を逆に利用されて、里美に動揺が走る。なんと答えていいのか、考えあぐねてい
る様子が、その表情からはハッキリ伝わってきた。
「・・・・・お嬢様」
扉の側で、ずっと不動の姿勢を崩さないでいた、執事の安藤が、なにやら意志を乗せた口調
で、主を呼ぶ。当然、この執事もファントムガールの正体に、一枚噛んでいたのは間違い無 い。
「・・・・・・・・・・・・・」
「お嬢様」
「・・・・・・・・・・本当は、こんなことになる前に、話しておきたかったのだけれど・・・・・・ナナちゃ
ん、ファントムガールについて、あなたに話したいことがあるの。付いて来て」
「すご・・・・い・・・・」
五十嵐家・地下3階。
果ての見えぬ広大な敷地の豪邸の地下深くに、そこはあった。
広さは、高校の職員室くらい。しかし、机の上に並べられたのは、教科書ではなく、電器屋が
すぐできそうな数のモニター類と、電子機器。
「ここがいわば、ファントムガールの作戦指令本部。内閣保安部のマザーコンピューターと直
通してるから、日本中のどこに宇宙生物が現れても、すぐにわかるわ」
安藤に押された車イスの上で、里美が説明する。こういう日が来るのを予測してか、五十嵐
家に備えられた医療機器は、大学病院並であるらしかった。車イスの準備は容易いものだっ た。
「え・・・・それって、よくわかんないけど・・・・国がからんでるってことですか?」
「ファントムガールに関しては、全て五十嵐の家に、任されているわ。それが条件だから。」
世界のため・・・日本のため・・・闘うかわりに、情報や技術提供を受ける。国と五十嵐家の間
で交わされた約束は、そういうものらしかった。ファントムガールの正体がほんの一部、ごくわ ずかの者(首相ですら除く)にしか知られてないのは、ヘタをしたら、愛娘をモルモットにされか ねない父親の、必死の抵抗によるのだろう。それにしても、いくら旧華族で各界に大きな影響 を持つとはいえ、国に対してここまでイニシアチブを握れる五十嵐家とは一体何者なのだろう か?
「ナナちゃん。今からあなたに、ファントムガールの正体を見せるわ。・・・・・安藤、持ってき
て」
急いでるふうでもないのに、確かに素早い動きで、長身の初老の執事が、部屋の奥に移動
する。パネルを操り、電磁ロックをはずすと、金庫の中から、強化ガラスに覆われた透明なケ ースを運んでくる。大きさにして、30cm四方程度。中にはニワトリの卵らしき、白い球体がは いっているのみ。
くの字に上半身を折り曲げて、七菜江は好奇心を隠しもせずに覗きこむ。視線の先で、球体
はそよ風に吹かれるように、震えた。
「―――!!!こッッ・・・これッッ!!い・・・・生きてるぅッ――!!!」
「これが・・・・ファントムガールの正体、よ」
白い楕円形の球体は、表面がザラザラしており、よく見ると、細かい襞が張り詰めているの
がわかる。その襞が蠢動しているのだ。感じとしては・・・・・ナマコに似ているだろうか?
「なに、なにッッ!??一体、なんなの、これッ??!」
「2ヵ月ほど前、隕石が関東地方に落ちたのは、知ってる?」
視線は、ガラスケースの中身から離さないまま、ブルブルと七菜江はかぶりを振る。
「そうよね、隕石自体はほとんど燃え尽きていたし、被害も出なかったから、大きなニュース
にならなかったものね。でも、その隕石には、宇宙生命体が乗っていて、一部地域にそれは散 乱したのよ」
「それが・・・・・」
「これよ。彼らは・・・といっても、雌雄の区別はないようなんだけど・・・他の生物に寄生し、そ
こからエネルギーを得て、共存共栄していくの。その代わりに、強い生命力と回復力を与える。 そして、その寄生が与える、もっとも大きな変化は・・・・・トランスフォーム」
「トランス・・・・フォーム?」
「巨大化し、エネルギーの流れを操ることが可能になる。時間の限界はあるんだけれどね。
人間だったら、個体差も若干あるんだろうけど、60分。構造が単純な生命体ほど、長い時間、 トランスフォームできるみたい」
「・・・それが、ファントムガールなんだ・・・・」
「そうよ」
「今の話だと、人間以外にも寄生できるんですよね。てことは、もしかして、宇宙生物
も・・・・・」
「ファントムガールと同じね。今日だったら、カブトムシとクワガタにこの寄生体――『エデン』
と呼んでるんだけど――が融合し、トランスフォームした姿が、やつらよ。私達は宇宙生物とは 呼ばず、『ミュータント』って言ってるわ」
突然、巨大な生命体が現れた理由が、七菜江には氷が溶けていくようにわかった。同時にフ
ァントムガールが現れたのも、都合のいい話だなぁ、と思っていたのだが、偶然ではなかった のだ。
「じゃ・・・じゃあ、あのメフェレスってのは?」
「・・・・・人間がトランスフォームしたもの、でしょうね・・・」
漆黒の瞳に翳りがでる。里美は背筋を走る氷のナイフと、奥底に沈めたマグマの昂ぶりを、
反射的に蘇らせていた。あの、三日月の笑み。そして、理性をドロドロに溶かされた、光る手。 己を地獄に陥れた悪魔の正体が、同種族であることを認めねばならなかった。
「でも、ファントムガールとは、全然違う姿じゃん!同じ人間なのに、なんであんなに見た目が
変わっちゃうの?それに・・・・・」
七菜江も里美と同じシーンを思い出していた。ファントムガール・里美を徹底的に嬲り、陵辱
の限りを尽くしたあのシーン。
「あんなことする奴、人間じゃあないッ!」
「・・・・・・・・実は、そこが『エデン』の恐ろしいところなの」
「え?」
「私達は国の特殊研究団とともに、『エデン』を調べた結果、あることがわかったの。それは、
『エデン』が寄生した相手の思考によって、トランスした際の姿・能力が大きく変わってくるってこ と」
「・・・・・」
「例えば、今までに現れた動物タイプのミュータントを考えてみるとわかりやすいわ。動物の
意識のほとんどは、食欲に占められているでしょ。だから、食欲のみ特化された怪物になって しまう。」
「つまり、殺人狂に『エデン』が寄生すれば、大量殺戮しか頭にない怪物が生まれてしまう、と
いうことなのです」
それまで沈黙を続けていた執事・安藤が、低く、落ち着きのある声で語り出す。
「己のことは喋りにくいでしょうから、お嬢様に代わって、私がお話いたしましょう。先ほどお嬢
様は、正義や悪はないと仰いましたが、実際には、絶対的な正・悪という観念はあると思うので す。例えば、溺れている子供を救う行為、これは万国共通で正しい行為と捉えられますよね。」
コクリと七菜江は頷く。
「そういう正のパワー・負のパワーというのが、光の力・闇の力となるようなのです。お嬢様が
光溢れる銀の戦士となるのは、お嬢様が正義の心を持った、正の力に満ちた方だからなので す」
「じゃあ、あのメフェレスは・・・」
「あの者は、邪念に満ちております。憎悪・名誉欲・色欲・嫉妬・暴力・・・そういった負の力に
支配された人間が、『エデン』と融合しトランスすれば、あのような凶凶しい姿となるのです」」
「恐らく、偶然この力を手に入れてしまったのでしょう。でも、私達が恐れていたのはこれな
の。邪気に捉えられた人間が、『エデン』の力を手にした時、何とかしてこれを食い止めねばな らない。危険性を知り、調査隊が『エデン』を採集しているんだけど・・・・この3つしか捕獲でき なかった。メフェレスのような人間タイプのミュータントは、まだ現れる可能性があるのよ」
車イスの上で、美しい少女は、力を込めて、言った。
「それを阻止するのが、私の、使命。だから、メフェレスなんかに負けるわけにはいかない
わ」
五十嵐里美、いや、ファントムガールの決意を、七菜江は眩しく聞いていた。悲壮な決意であ
るのに・・・それ故眩しすぎた。“使命”・・・・・そんな言葉が、同世代の女のコから聞かれるなん て、思ってもみなかった。この、憧れの先輩が、自分よりも遥か彼方の存在であることを、七菜 江は自覚せずにはいられなかった。
しかし、次の里美の一言が、七菜江の運命を急カーブで曲げていくことになる。
「お嬢様。そろそろ藤木様にお話を・・・」
「・・・・・・・そうね・・・・・・ナナちゃん、あなたにお願いがあるの」
「里美さんの役に立てるなら、なんでも言ってください!里美さんに助けてもらった命だもん」
「ナナちゃん、あなたにファントムガールになって欲しいの」
「へ?」
七菜江の頭が真っ白になる。彼女には、里美の言葉の意味が理解出来なかった。
「こんな非常識なこと頼むなんて、どうかしてるとはわかってる。でも、あなたなの。あなたがフ
ァントムガールになるべきなのよ」
「そんなそんなそんな・・・・無理です!絶対無理ッ!」
言葉がようやく呑みこめた少女は、激しい勢いで首を振った。
「私達が『エデン』を集めてるのは、凶悪な人物に渡らないようにするためだけじゃあないの。
一緒にこの国と、星を守れる仲間を増やすためでもあるのよ。ナナちゃん、私と一緒に闘っ て!」
「でも・・・さっきの話だと、いいひとじゃないと、ファントムガールにならないんでしょ?!無理
だよ!わたし、そんないいコじゃないもん!」
「私だってそうよ。人間だから、悪いところなんて、ある。完璧じゃなくていいの、正と負、どち
らが多いかが大事なの。大丈夫、ナナちゃんなら!私が保証するわ」
「地球を守るとか・・・・・私、そんなこと、考えたこともないよ!」
「でも、私のことは守りたいって、思ってくれたんでしょ?」
「それは・・・そうだけど・・・・・」
「他にも友達とか、家族とか・・・守ってあげたい人はいるでしょ?」
「うん、まぁ・・・」
「それで十分。大それたことなんか、考えなくていいわ。大切な誰かを、ハッピーにしてやりた
いって思ってくれるなら」
「・・・・・・・でも、でもでもでも・・・・私、里美さんみたいに強くない!仲間になんて・・・足を引っ
張っちゃうだけだよォ!」
一瞬、視線を床に落とし、思考を巡らすような表情を見せた七菜江だったが、すぐさま違うア
ングルから、拒絶を示した。
「いいえ。ナナちゃんは強いわ。だからこそ、ナナちゃんにファントムガールになって欲しい
の」
「ど、どういうこと?!」
「さっきも話した通り、ファントムガールは元の生命体と『エデン』とが融合したものよ。その力
は、元の個体の強さ・能力と密接な関係にあるわ。ファントムガールになる第一条件は、正の 力に溢れた人物であることだけど、その第二は戦闘能力に長けた人物であることよ。私が知る 限り、最もその条件を満たしているのが、ナナちゃんなの」
“強さ”というキーワードを聞いて・・・七菜江の脳裏に、肉厚な逆三角形の肉体が浮かび上が
る。短めの髪に、角張った顔。獅子を想起させる眼は、時に優しい光を発することを、七菜江 は知っている。
「だったら、吼介先輩がいるじゃないですか!!里美さんの頼みなら、あのひと、断らないと
思うな」
「・・・・・・彼は・・・・・ダメよ」
里美の月のような美しさに翳が入る。タブーに触れたかのような緊迫感に、七菜江の心臓も
萎縮する。理由を追求する気力は奮い立たなかった。
「・・・・とにかく! ナナちゃんも自分の身体能力の高さはわかってるでしょ? どんな敵にも
勝てるような運動神経の持ち主となると、藤木七菜江を置いて、他にはいないのよ!」
「でも・・・・・」
「どちらにせよ、明日になったら、あのメフェレスに侵略されてしまうかもしれないのよ?」
そうだった。
あの青銅の悪魔は、1日の期限を設けて、まず手始めに、この国に降伏か・滅亡かを迫って
いるのだった。今までの経験から言って、結局どちらの結論もだせないまま、政府はただあた ふたし、ファントムガールの助けを祈ってるばかりなのは、高校生の七菜江でも予測できる。
「残念だけど、ファントムガールじゃないと、奴らには対抗できないでしょう・・・・・そして、悔し
いけど・・・・」
里美はそこで、言葉をいったん切った。
「・・・悔しいけど・・・・・私は、奴ら3匹を相手にして、勝てる自信は、ないわ」
「里美さん・・・・・・」
無理もない話だった。こんなか細い少女が、三体の怪物に囲まれて、勝てという方がオカシ
ナ話だ。例えどんな屈強な男がトランスフォームしたとしても、あの状況を突破できる者が何人 いるものか。しかもダメージが軽減されてるとはいうものの、あれだけの重症を負ってしまった 里美が、満足に闘えるわけはない。
スーーっと大きく七菜江は息を吸う。
天井を見つめる。思い描く、父・母の顔。クラスメートの顔。ハンド部のチームメイト。大切な、
大切な人たち。
明日になったら、みんなどうなっちゃうんだろ?
もう二度と会えない?バラバラ?死んじゃうの?違うよね?!
目の前のガラスケースを七菜江は見た。
生きている。白い卵。
気味が悪い、としか感想はないけれど・・・・でも・・・でも!!!
「里美さん・・・・・・・・・」
俯き加減で、咽喉の奥から声を絞り出す。少し肩をいからせ、両の拳は軽く握られている。
「本当に・・・・私でいいんですか?!」
「ナナちゃん・・・・・・・・・」
切れ長の瞳をやや広げて、ハッとしたように里美がショートカットの少女を見る。
17歳の少女から、その人生において最大の決意表明が、今、そのピンク色の唇からまろび
でる。
「私、ファントムガール、やりますッッ!!!」
沈黙。
永遠と思われる5秒が過ぎ、五十嵐里美の口から、予想もしない言葉が返された。
「・・・・・・ごめんなさい」
「え???」
「忘れて。ナナちゃん、今までの話は全て、なかったことにして欲しいの」
「どッ・・・どういうことですかッ!!」
世界が反転してしまったような・・・混乱と疑問渦巻く思考のさなか、昂ぶった声音で、七菜江
は問うた。
「お嬢様ッッ!」
「下がって!安藤!・・・・・やっぱり、あなたにはファントムガールになって欲しくないってこと
よ」
凛々しいとも、あどけないとも言える七菜江の両目が吊り上がる。少し小麦色に焼けた顔
が、紅潮する。小刻みに震える震動が、緊迫した空気に伝わる。
「急に・・・とんでもないこと話したと思ったら・・・・・なれとか、なるなとか!! バカにするなあ
ッッッ!!!」
どちらかというと・・・自分は単純なほうだ。すぐ感情的になっちゃうし。でも、これは怒ってもい
いよね?七菜江の頭が、憧れの人に激昂する悲しみに、そして尚許せない憤りに、揺れる。
「さんざんひとをその気にさせといてッ!! いざやる気になったら、やめろだなんて・・・ヒドイ
よッ!! 里美さんがやれって言ったんじゃないッ!!」
知らず、熱い雫が、眼の奥に溜まってきた。いろいろと・・・心が痛い。
「・・・本当に・・・・ごめんなさい。でも、今の私は、ナナちゃんがファントムガールになることを
認められない」
「・・・・・・・・・・」
「なって欲しくないっていうのは、言い過ぎたわ。ごめんなさい。けれど、今のナナちゃんは、
勢いだけでファントムガールになることを承諾したと思うの。こんな状況だから・・・・。だから、も っとゆっくり考えて、結論を出して欲しいのよ」
「・・・・・・・ちゃんと考えたよ」
「いいえ。もっと、しっかり、冷静になって判断して欲しいの。だから、あと1日。よーーく考え
て、それでもファントムガールになるって言ってくれるんだったら、喜んでなってもらうわ」
「・・・そんな。明日にはあいつらが来るんだよ?! 降伏してからじゃ遅いんだよ?!」
「だから、1日。奴らは同じ時間に来るというのだから、明日の夕方5時に間に合えば問題は
ないでしょ。これは譲れないわ」
反論しようと開きかけた口は、執事の言葉によって閉ざされる。
「藤木様。私からもお願いです。お嬢様の提言、受け入れて頂けませんか。」
「だけどッ!」
「非礼の数々、私からもお詫びいたします。ただ、お嬢様のお気持ちも察してください。本当
はあなたをこんなことに巻き込みたくないのです。誰よりも苦しんでいるのは、お嬢様なので す」
「安藤ッッ!」
執事が白髪交じりのオールバックを深深とさげ、でしゃばった失礼を主人に詫びる。しかし、
その言葉は、七菜江の心臓を正確に射抜いていた。
里美さんが、一番辛いんだよね・・・・
正直、1度沸騰した感情は、すぐには冷めてくれないけど・・・・七菜江は幾分落ち着きを取り
戻した。
「ナナちゃん、私もあなたも、今はとても満足な体調とは言えないわ。まずは、休みましょう。
話の続きはそれからだわ」
ガバアッッ!!
跳ね起きる、という表現がピッタリな勢いで、藤木七菜江は目覚めた。
周りを見回す。ベランダに通じる南側の窓から、紫色の光が射し込んでいる。言いようのない
不安が、咽喉の奥からこみ上げる。なに・・・? なんなの、この不安は? とんでもない事態が 起きている、そんな予兆を、暗くなりかけた外の世界が語りかけてくる。
「時間は? ・・・・・今、何時なの!」
五十嵐家の客間。そこのベッドに案内されるや、それまでの疲れと負傷した脇腹のダメー
ジ、それに里美を看病して徹夜した影響が、ドッと出て・・・・・気絶するように眠ってしまった七 菜江は、その部屋のどこに時計があるか、確認していない。やがて、20畳あまりの部屋を隈 なく探した少女は、そこに時間を知る手段がないことを悟る。
携帯・・・・・ない。荷物は、あの執事さんに預けたままだった。
心臓が早鐘を打つ。まずい。なんだか、まずい! この状況は、あってはならないもののよう
な気がする。嫌な予感が、すごくする!
里美に借りた、淡いブルーのパジャマ着のまま、客間を跳び出し、ペルシャ文様の施された
階段を、二段飛ばしで駆け下りる。
「安藤さんッ! 安藤さん、どこにいるのッ!!」
返事はない。しかし、引き寄せられるように、七菜江の足は、地下3階・ファントムガールの作
戦本部基地へと駆ける。
「安藤さんッッ!!」
いた。
モニターの並ぶ、司令官席のごとき位置の、大きめの黒革椅子に、初老の紳士は穏やかな
表情で座っていた。
「おや、藤木様、お目覚めですか。ご気分はいかがですか?」
切迫した様子の七菜江に気付き、胸に去来する毒々しい翳を嘲笑うかのような、悠然とした
口調で執事は声を掛けた。そのまま、寝覚めのコーヒーでも持ってきてくれそうな・・・そんな感 じに、得体の知れない不安が掠れる。
だが・・・・・・・・!!
『きゃああああああ――――――ッッッ!!!』
里美さんの・・・いや、ファントムガールの悲鳴!!
巨大なメインスクリーンの向こうで、銀と紫の巨大な少女戦士は、カブトムシとクワガタと、そ
して青銅の三日月に笑う魔人に囲まれて、三方向からの光線を一身に浴びているところだっ た。
右手が、宙空に伸びる。なにかを掴もうとして、掴めず・・・・・
助けを求めるような、しなやかな指が、ゆっくりと丸まっていき・・・・・脱力した右腕は、力無
く、地面に落ちた。ドシーーンという轟音とともに、崩れていく銀の影。失神し、ピクピクと断末魔 に震えるだけの聖なる少女。その無残な姿が、モニターの中で大写しになっている。
「安藤さんッ! 安藤さん、これは一体、どういうことなのォッ!!」
七菜江の視界の隅に、アナログの時計が映る。5時20分。メフェレスが襲来を予告した時間
を、過ぎている。
「国の特殊組織による映像です。マスコミには規制を引いているため、ある程度の距離を置
かねば撮影できませんが、ファントムガールをサポートする我々としては、彼女の闘いぶりを、 つぶさに記録する必要があります」
「そうじゃなくて! なんで里美さんが闘ってるのよ! あの身体で、勝てるわけない。死にに
いくようなもんだわ!」
執事が奥まった細い目を、七菜江に見据える。毅然とした態度は、一瞬なんの感慨も持って
いないかのように思えた。
「そうです。お嬢様はこの戦闘で散るおつもりです」
世界が曲がる。自動車事故のような衝撃が七菜江に叩きつけられ、擦り抜けていった。
「・・・・・・・そんな・・・・そんなんでいいの?!! 安藤さん! なんでそんなに冷静なのよォ
ッ!!!」
「・・・冷静にみえますか?」
以前となんら変わらない表情。しかし、その漆黒の瞳の奥に、深い水底を見た気が、七菜江
にはした。
「お嬢様はひとりでやつらと決着をつけにいきました。昨日申した通り、あなたを巻き込みたく
なかったからです。これがなんだか、わかりますか?」
安藤が白い錠剤を左の掌に乗せて、七菜江の目の前に差し出す。
「今朝、寝る前にもらった精神安定剤・・・・よね」
「本当は睡眠薬です。お嬢様に命じられ用意したのですが、私の不注意により、12時間は眠
ってもらうところ、早めに効き目が切れてしまったようです」
黒のスーツのうちポケットから、同じ錠剤を2個取り出す。七菜江が床に就く前に、勧められ
てもらったものは1個だけだった。
「あなたが眠っていらっしゃる間に、全ての決着をつけたかったのでしょう。起きれば、あなた
は間違いなくファントムガールになると仰る。あなたはそういうお方です」
「そりゃ・・・足手まといになるかもしれないけど・・・私だって里美さんを助けたい! なの
に・・・なんで勝手にいっちゃうのよ・・・」
また、熱い疼きが目蓋の底から沸きあがる。私、里美さんに泣かされてばかりだ・・・どこかで
冷静な自分が苦笑する。
「我々が聖愛学院を中心に、ファントムガールの資質ある者を調査したとき、藤木様のお名
前はすぐに浮かんで参りました。しかし、その話を最後まで切り出すことを嫌がったのが、他な らぬ里美お嬢様でした。何故だか、おわかりですか?」
2度目の質問に、フルフルと力なく七菜江は、首を横に振った。
「好きだからですよ、あなたのことが」
ハッとして、俯いた顔を上げ、純粋な瞳を白髪交じりの紳士に向ける。
「ヘンな意味ではありませんよ。あなたを気にいっているからこそ、ファントムガールにしたく
なかったのです。誰よりも、その資質を認めていながら。なぜなら、藤木様は自覚されていない かもしれませんが、ファントムガールになるということは、あのような姿になることも覚悟しなけ ればならないのですよ」
“あのような”と指さした先に、モニターに映るファントムガール・里美がいた。そこには、目を
背けたい現実が、冷ややかに笑っていた。
メフェレスに両手首を捕らえられた銀の少女は、グッタリと、己のどこにも闘う力が残ってない
ことを示して、ただ吊り下げられていた。ザンバラになった茶色の髪が顔の半分を隠し、その 奥で青い瞳が弱弱しく光っている。大地を這いずりまわったことを証明する泥が、温かみのあ る曲線を描くボディーを汚す。
その前に、距離を置いて、ラクレスとチタヌスが立つ。声はないが・・・笑っているのがわか
る。
ピクリとも動かないファントムガールの肢体が、勝負は既につき、“ゲーム”の段階に入ったこ
とを雄弁に語っている。
ラクレスの角が光る。ファントムガールの足を溶かした熱線。
赤い気球は動かぬ標的の、胸のクリスタルに直撃する。
『ッッ!!! ぎィィゃああああああッッーーッッ・・・・・がああッッ・・・』
両手で耳を塞ぎ、七菜江はその場にしゃがみこんだ。聞いたことのない、里美の声。普段、
鈴のような可愛らしい声が、あんなに掠れちゃうなんて・・・・・
怒りと悲しみ。激情に溺れる心を逆撫でするように、スクリーンの向こうの青銅の悪魔は、手
中の虜囚に処刑の言葉を囁く。
『失神から醒めたか? ファントムガール・・・・・その胸の水晶体、フフフ、よーーく光っている
ではないか・・・ここが弱点なのだろう?』
『・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・』
うめきが洩れる。もはや、宿敵の尋問もその耳には届いていないようだった。
「胸の水晶体・・・・・エナジークリスタルは、ファントムガールのエネルギー貯蓄庫のようなも
の。アレを破壊されれば、ファントムガールは全ての活動を停止することでしょう」
「!!! じゃッ、じゃあ・・・里美さんが殺されるぅッ!!」
『腑抜けの人間ども、よく聞くがいい。お前達の犠牲となった、この弱き者に免じて、もう少し
だけ、選択の時間をやろう。降伏か、滅亡か?この女のクリスタルが砕けるまでが、タイムリミ ットだ。ワハハハハ!』
クワガタの顎から発射された電撃が、哀れな生贄の弱点を射る。
『ぐぎゃあああッッッ・・・・・あああッッッ・・・・・があああッッ――ッ!!』
「嫌だあッッ!! こんなの嫌だあッッ!! 安藤さん、お願い! なんとかしてよォッ!」
「私には、なんともなりません」
「いいのッッ?!! 里美さん、死んじゃうよォッ?!! それでいいのッ?! 安藤さ
ん!!」
「いいわけありません。失礼ながら、この安藤、里美お嬢様の幸せ以上に価値のあるものを
見出せません」
「???!!」
黒のスーツ姿が、その長身を折り曲げて、強化コンクリートの地面にひれ伏していた。静だっ
たっものが、瞬時にとった激動。執事・安藤は土下座をしていた。
「ですからッッ!!! なにとぞッ! なにとぞッお嬢様をお助けくださいッ!!! 私はあな
たにお願いするしか、ないのですッッッ!!!」
地下室全体が震える絶叫。初老の紳士の真実が、堰を切って溢れ出る。
「あ、安藤さん・・・」
「私のような老体には、『エデン』は反応してくれません! もしかしたら、次はあなたがああな
ってしまうかもしれない。それでも、無理は承知で、この老いぼれは、あなたにすがるしかない のですッッ!!! お嬢様を、助けてくださいッッ!!!」
いつの間に取り出したのか、ガラスケースを地に擦りつける額の前に、老紳士は置いてい
た。その中に見える、白い球体。謎の宇宙生命体。天使と悪魔を生むモノ。
パリーーン
ガラスケースが砕け散る。それをせしめた張本人は、水晶の破片の中から、おぞましくさえ見
える、鶏の卵大の生物を、なんの躊躇なく、その手に握り締めた。
「ふ、藤木様・・・・」
「安藤さん! そんなこと、やってる場合じゃないよ! 早く、こいつとの合体の仕方、教え
て!!」
「ほ、本当にいいのですかッ?!!」
「今更そんなこと聞かないでッ! さ、早く!」
「で・・ですが・・・矛盾していることはわかっておりますが、本当にいいのですか?! よく考え
てください、ファントムガールになるということは・・・・」
百戦錬磨の執事の顔に、緊張が走る。
「ファントムガールになるということは・・・・人間ではなくなるということですぞッッ!!!!!」
一瞬。
七菜江の動きが止まった。
だが、その一瞬は、矢の速さで通りすぎる。
「考える必要なんて無いッッ!! 今は・・・こうするしか思いつかないもんッッッ!!!」
3
掌に、苦悶に震える衝動が伝わる。
三日月の笑いの持ち主・メフェレスは、いまだかつてない高揚感と、嗜虐心くすぐる愉悦に酔
っていた。
世界征服・・・人間なら誰しも一度は夢見、そしてあまりの絵のデカさに、描くことを瞬時にあ
きらめる壮大な物語。
それを今、自分は・・・・・そのまず第一歩である、この国の支配を今、自分は成そうとしてい
る。
そして、その作品の完成に、最も障害となるであろうと予想された銀色の邪魔者は、今、己の
手の中で、儚くその命を散らそうとしていた。
巨大な生物が現れるたび、正義の味方面をして人類を救う、厄介な銀と紫の少女。守護天
使、聖少女などともてはやされるその存在は、神のごとき力を手に入れた者にとって、最も目 障りな障害物であった。必ずや、この女はオレの行く手に立ちはだかる。データを収集し、綿密 な計画を立て、男は“その日”に備えた。
案の定、しゃしゃり出てきた銀の小娘は、計画通り、いや、計画以上に容易く、翻弄できた。
たったひとり、人質を取られただけで、手も足も出なくなるとは・・・・・手応えの無さにガックリ、 などするはずも無かった。反撃できない相手を嬲る快感に、射精寸前になった。
このファントムガールという獲物は、人外の生命体のくせに奇妙にそそられる。銀のマスクは
確かに無表情なのに・・・その元は間違いなく美しいことが一目でわかる。スラリとした光沢ある プロポーションは、そこはかとないエロティシズムを醸し出していた。気になった女はほとんど食 らい尽くしてきたメフェレスだが・・・・・この正義の味方は、高級料理の薫りを撒き散らしてい た。
そして、この食材は今のように虐げることで、一層食欲をそそる薫りを発することに、メフェレ
スは気付き始めていた。
初戦で完膚なきまでに叩き潰したこの銀の戦士が、実は死んでなかったことは、メフェレスに
もわかっていた。
だが、まさかあの状態で、翌日も進路を阻むために現れるとは、さすがの狡猾な悪魔も予想
だにしていなかった。
その健気なまでの義勇心に、メフェレスのサディズムは躍った。
一撃で葬るのは簡単であったが・・・・・再び三体で嬲り尽くせる喜びに、素直に従った。
じっくりじっくり・・・薄皮を剥ぐように命を削り取っていく・・・・
願わくば、この至福の時間を永遠に楽しんでいたかったが・・・しかし、メフェレスにはそうも出
来ない事情が差し迫ってきていた。
「なかなか割れぬな・・・意外と丈夫らしい」
弱点である胸の水晶体に、交互に熱線と電撃を浴びせられ、ファントムガールは死の渕を彷
徨っていた。
目も、胸と下腹部の水晶体も、全ての光が消えかけている。
初め、狂わんばかりに喚いていた絶叫も、やがて力無い呻き声に代わり、ついには声すら出
なくなっていた。
ビクビクと震えていた肢体は、いまや指一本動かない。
胸の水晶体が放つ、ヴイーン、ヴイーンという音が、ファントムガールの命が残り僅かである
ことを示しているようだ。
「予想以上に粘るな、ファントムガール・・・だが、そろそろ終わりにしなければならん」
両手にかかる重みが、返答などないことを知らせていたが、メフェレスは我が手に堕ちた聖
少女に語り掛ける。返ってくるのはヴイーン、ヴイーンという無機質な音のみ。
「さて、人類よ、降伏か滅亡か、決めたかね? もうタイムリミットは近いぞ」
夕陽が沈んでいく。赤い斜光が青銅の魔人に捕らえられた銀の少女を照らす。観念したよう
に、守護天使は身動きひとつせず、処刑をまっているようだ。
巨大な魔人への返答はなく・・・人類を代表する政府が、ファントムガールを見殺しにすること
だけが、満天下に知らしめられる。
「ふむ。まぁそうくるだろうな。よろしい、では、この愚かな女が串刺しになるのを見届けてか
ら、滅亡の道を辿れば良いさ・・・ラクレスよ、この敗北者を、ご自慢の角で貫いてやれ」
カブトムシの変態生命体・ラクレスが、槍のごとき漆黒の角を赤くたぎらせる。鋼鉄をチーズ
のように溶かす高熱の槍。その矛先が、ピクリとも動かない銀色の肢体に向けられる。
「ラクレス、ここだぞ。この胸のど真ん中の水晶体だ。しぶとく光ってるだろう? 熱と電撃に
は耐えてきたが、お前のチタン合金より固い角で刺しぬかれたら、粉々に砕けることだろう。こ の小娘にトドメを刺すんだ」
キリキリと嬉しげにカブトムシが笑う。
人々はただ、この殺戮ショーを黙って眺めている以外になかった。
哀れな獲物の耳元で、青銅の悪魔が囁く。
「ファントムガールよ・・・・・死ね」
マッハの速度で灼熱に燃えた槍が殺到する!
人類を守りつづけてきた巨大な天使の胸に、今―――
ズガガガガガガーーーーーン!!
「なッなにィィッッ??!!」
信じられない光景を、青銅の魔人は目にしていた。
処刑の弾丸が、突如突きあがった銀色の光に吹き上げられる!
槍がファントムガールの胸を貫く、その寸前で阻止したその光の正体は―――
「ファッ・・・・ファントムガールッッ?!!」
三日月の笑みは浮かべたまま、黄金の仮面が歪む。
新たな光の戦士の渾身の右ストレートが、虚を突かれた魔人のマスクに吸いこまれていた。
「ぐぶううううッッッ!!!」
青銅色の凶悪な身体が、100mを平行に吹っ飛ぶ!
手中の虜囚を、衝撃で取り逃がす。
轟音。ビルの崩壊。土煙。尊大な態度しか見せていなかった悪魔の、初めて晒す情けない
姿。
絶望の淵に沈んでいた人類から、大歓声が巻き起こる。侵略者の惨めなダウンと、突然現
れた新たなヒロインの誕生に!
「バッッバカなぁぁ!! 一体何が起こったというのだぁぁ!!」
全ての計画が順調に進んでいたというのに・・・突然の破綻にメフェレスは激しく動揺する。冷
静沈着ぶりが消え、終始漂っていた余裕は霧のごとく消滅していた。倒れ伏した魔人の眼前 に、ファントムガールそっくりの新たな戦士が仁王立つ。
大きさ、銀色に輝く皮膚、胸と下腹部に輝く水晶体、青い瞳・・・は同じ。
身体に施された文様が若干違う。そして、その色は、紫ではなく、青だ。
ファントムガールは肩甲骨にまで届く茶色い髪の持ち主だが、新しい戦士はうなじにかかる
程度の、これまた青いショートヘアー。
銀のマスクに浮かぶ顔立ちは、ファントムガールよりもやや気が強そうな印象だ。
女性らしい丸みを帯びた肢体が、抜群のプロポーションを誇る。ファントムガールはスレンダ
ーなスタイルが美少女に似つかわしかったが、この青の模様の少女には、より肉感的かつ健 康的なイヤラシさがある。
左手をスッと上げる。少し短めの人差し指を、文字通り青銅の悪魔に突き出す、青の戦士。
ヒロインはここぞの場面で登場するのよ、とか。
世界征服なんてさせないわ、とか。
いろいろと言いたい事はあったが。
怒りに駆られた感情が、口にさせる台詞はひとつ――
「お前は許さないぞォォッッッ!!!!!」
空気が震える。大地が共鳴する。青い咆哮が、世界を檄する。
人類を守る希望の戦士が、今、ここに参上した。
怯むメフェレスを尻目に、青銅の悪魔から奪還した仲間を、心配そうに見やる青のファントム
ガール。
右腕に抱えたボロボロの少女が、微かに息を吹き返す。
「・・・・・・・・・・・・ナ・・・・・・・・・・・・・・・・・ナ・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「大丈夫よ、ファントムガール。早くトランスを解いて。後は私に任せて」
コクリと頷いたように見えると、瀕死のファントムガールは光の粒となり、散乱して消えた。
「よし・・・・」
“間に合った・・・良かった、これで里美さんは助かるわ・・・・・あとは”
力強く立ちすくむ青い少女を、いつの間にか三体の巨大生物が囲んでいた。
突進する無防備な腹部に、強烈なアッパーブローを食らったカブトムシが復讐に吼える。新
たな獲物にクワガタが鳴く。プライドを踏みにじられ、計画を水泡に帰された魔人が、憤怒に燃 える。乱入者に為すべき処置は、全員が解っていた。
“滅さねばならぬ。このメスブタを”
対峙する少女の決意は固い。
“こいつらを・・・倒すッ!”
青いファントムガール、藤木七菜江の変身体の初陣が、切って落とされようとしていた。
「お・の・れェェェ〜〜〜ッッッ!!! よくも私の顔を傷つけてくれたなぁッッ!! キサマの
せいで全てが・・・許さんッ! 許さんぞッッ!!」
「それはこっちのセリフだぁッ!! 世界征服だか、なんだか、くだらない理由でファントムガ
ールをあんな目にあわせて・・・・絶ッ対ッッ許さないッッ!!」
「バカめッ! この状況を理解していないのか。1vs3で何ができる。貴様のお仲間が、同じ
状況で敗れ去ったのを見てなかったのか」
「それは・・・・」
“私が捕まってたからよ!”
「死ねッッ!!」
三方向から一斉に破壊光線が発射される!
別角度から同時に攻撃されれば、慌ててしまい、その一瞬の迷いが命取りになるのが普通
だ。
青の少女は、普通ではなかった。
メフェレスの黒い破壊光線をかいくぐり、地を這うような姿勢で突進する。
同時攻撃に対して、誰もが考え、誰でもが実行できるわけではない対応。
女子高生が正体の守護天使は、それを為し得た。
光線を放射中の無防備な黄金の顎に、打ち上げるアッパーカット!
「ぎゃふふィィィッッッ!!」
崩れた顔面が、奇ッ怪な叫び声を挙げる。三日月の口から赤い霧が舞う。魔人が初めて見
せる流血。悪魔の血も赤いらしい。
10mを垂直に浮き上がった巨大生命体が、豪快に大地に落ちる。チャンス。だが、力を込
めた聖少女の右足がガクリと意志を裏切る。
「ううッッ?!!」
「ぎゃははははは! そりゃそうだ! オレの破壊光線はキサマらの光とは逆の闇のエネル
ギー! 直撃せずともその波動を浴びるだけでお前らは―――!!!」
巨大少女が舞う。跳び蹴り。ダメージをものともせず、青いファントムガールは右足をキレイ
に伸ばしたフォームで、憎き敵の上空から迫る。
「単調ッッ!!」
仰向けに寝た状態で、顔面を襲う青のブーツを、青銅の両手をクロスしてメフェレスは防い
だ。怒りに任せた故か、少女の攻撃が、首より上に集中していることに、魔人はすでに気付い ていたのだ。だが――
ブギャアアアアッッッ
クロスガードの隙間を縫って、左のブーツが三日月のマスクにめり込む!!
跳び蹴りの右足を踏み台にした、左のキック。
超人的な動きが、青銅の悪魔を翻弄する。
「ごッぱあああああッッッ!!! ぶぐぐぐぐッッ!!」
体重の掛かった振り下ろしの顔面蹴りは、黄金のマスクを朱色に染める。新戦士の強さは想
像以上であった。
「とどめだあッッ!!」
さらに顔面に、右の正拳を突き降ろす。
その銀と青の背中に、超高熱の火球が直撃し、聖少女は炎に包まれた。
「うわあああああーーーッッッ!!!」
悪寒。
咄嗟に前転する燃える背中を、飛来したクワガタの鎌が一文字に裂く。血風。アスファルトの
地面を転がり回り、炎を消す。
“あたし、抜けてる――こいつらいるの、忘れてた・・・”
灼けた肌がわななく。背中がジンジン疼く。生命のやり取りの場にいることを、七菜江は実感
する。背後からまた、鎌。トラースキックをクワガタの咽喉元に突き刺し、距離を置く青のファン トムガール。火球の飛礫が時雨となって襲いかかる。側転。早い。熱線の速度を越えて、かわ しきる。だが、一息つこうとした少女の背を、高圧電流が捕らえる。青い全身を疾走する電撃。
「ぐわああああああ―――ッッッ!!!」
“いッ痛いッ! く、苦しいッッ!! 体が爆発しそう・・・やっぱ、三体相手じゃキツイか
な・・・・・”
弱気が心の奥底で、顔を持ち上げる。そんな少女をさらに不安にさせる光景が、青い瞳に飛
び込んでくる。
三日月型の口から、赤い泡を吹きながら・・・メフェレスが立ち上がっていた。気が付けば、七
菜江は三体の巨大生物に、再び囲まれている。
「・・・・・青いファントムガール・・・・・名を・・・聞こう・・・」
激昂し、狂気すら見せていた青銅の魔人の雰囲気は変わっていた。怒りが突きぬけてしまっ
たのか、強敵の出現に生命の危機を感じたのか。粘着質な冷静さを取り戻し、ヒビ割れたマス クの向こうで低く訊く。
「・・・ファントムガール・・・・・・ナナよッ!!」
名前など考えてもいなかった七菜江が思わず、ほとんど本名を名乗る。安藤の取材規制の
話が脳をよぎる。都合の悪い情報は、マスコミには流れないよう、なっているという話。問題は ないだろう。
「ファントムガール・ナナ・・・・私には時間がない。本当ならば、たっぷりと時間をかけて嬲り殺
してやるのだが、仕方がない。一瞬で決着を着けよう」
そうなのだ。ここにくるまでの執事・安藤の話を、七菜江はまた思い出す。
メフェレスの本体が里美と同じく、人間であるならば、その活動時間は60分前後のはず。
そして、メフェレスが初めて現れた時にファントムガールに喋った言葉から考えると、メフェレ
ス自身がそのことを知っている様子だった。七菜江が車で安藤と来た時、すでに5時50分を 過ぎていたので・・・メフェレスがその禍禍しい姿でいられるのは、あと僅かな時間しかないはず なのだ。
「もし、制限時間を超えると、どうなるの?」
制限速度を50キロオーバーして飛ばす運転席の安藤に、七菜江は訊いた。
「恐らく、エナジークリスタルを破壊されるのと同じ状態になるかと」
「つまり・・・死ぬってこと?」
「活動エネルギーが0になるということなので・・・そう捉えて頂いて構わないでしょう」
融合したせいか、七菜江にはファントムガール、つまり『エデン』という宇宙生命体を寄生させ
ることで変身する巨大生物『ミュータント』の生態・弱点がなんとなくわかるようになってきた。胸 と下腹部のクリスタル、この二つはとても大事なところだと、細胞が語りかけてくる。時間もそう だ。あまり長いトランスは避けねばと、本能が理解している。もちろん、メフェレスも気付いてい るに違いない。となれば、みすみす自滅の道を歩むわけもなく・・・制限時間がくる前に、変身を 解除するのは確実だった。
だからこそ、七菜江は短時間決着を狙った。
安藤はメフェレスが退場するのを待って、残りの二匹の撤退に力を傾けるようアドバイスして
くれたが、七菜江に聞く耳はなかった。
メフェレスを倒す。
首謀者であり、里美を残酷なまでに蹂躙し尽くした悪魔を、なんとしてもこの手で倒したかっ
た。
そうしなければ、里美の仇は討てない。
純粋なまでの怒りの炎、だが、それゆえの窮地がこの先待っているとは、七菜江には知る由
もなかった。
メフェレスが右手を差し出す。青銅の掌から、ズブズブと刀が現れる。
初戦でファントムガールにトドメを刺した、あの刀。
妖しく光を放つ、青銅の刀身を右手に、魔人が悠然と構える。
「真っ二つだ。ファントムガール・ナナ」
「ファントムガール・ナナねぇ・・・フフフ、バカな娘。ああなったメフェレスは手を付けられない
わよ」
立ち入り禁止エリアとなった市街の一角に、妖然と微笑む美女の姿があった。腰にまで届く
ストレートな黒髪。彫りの深い目鼻立ちが、ハーフを想わせる。両耳の赤いピアスが、逆に子 供っぽく映るほど、熟成した女の色香が滲んでいる。
「怒らせるまでにしとけばよかったのにねぇ。あそこまでやるから、メフェレス、キレちゃった
わ。キレルと冷静になるのが、あの人の恐いところ・・・ま、時間がないんだから、一瞬で決めち ゃうでしょうね」
髪を掻き揚げ、ぺろリと血の色の舌をだして、女は上唇を舐めた。
夕陽の残滓が人気のない街に漂う。
薄闇が紺色に世界を覆う。銀に輝く勇姿と、それを囲む3つの凶悪なシルエットが影絵のよう
に浮かぶ。
青銅の刀を、邪悪な外見とは裏腹に、気品ささえ溢れるように構えるメフェレス。七菜江に剣
道の知識があったら、それが青眼の構えに酷似していることに、すぐに気付いただろう。
一瞬、弱気な虫に駆られたファントムガール・ナナだったが、この青銅の凶悪な姿を目の前
にすると、力がふつふつと沸いてきた。こいつには・・・この悪党だけには負けられない! 安 藤は『エデン』が元の個体の精神状態を特化させると言ったが、それは正の方向についても言 えるのだろう。殺人願望者を殺人鬼にするのなら、義の心の持ち主を義勇心溢れる正義の味 方にしても、おかしくはない。たとえ、腕の一本を失おうと、里美の仇を討つくらいの気構えは、 とっくに出来ていた。
しかし・・・KO寸前にまで追いこんだはずの敵は、先程までとは違ったオーラを纏っている。
強い。
そして、危険だ。
刀を手にしただけで、この魔人の強さは、本質から変化していた。それがわかる。
頭頂から股間まで、大上段から切り裂かれる己のイメージが、頭の中から離れない。
だが、ヤツを倒すには、残された時間はあと僅かしかない。
危険と知りつつ、懐に飛び込むしかないのだ。
そうわかっているから、メフェレスはナナが動くのを待っている。
つまり、ファントムガール・ナナはメフェレスが待ち構えているところに、それでも飛び込んで
行くしかないのだ。
では、倒すのを諦め、時間が過ぎるのを待つか? それもできない。
逆に三体の敵に先に仕掛けられたら、ナナにとっては限りなく不利な状況となってしまうから
だ。
三方向からの同時攻撃はただでさえ、避けるのが難しいのに、今度はメフェレスは剣技で斬
りつけてくるのだ。剣先から迸る闘気が、それをかわす困難さを、明瞭に教えてくれる。そし て、その斬撃から逃れたとしても、熱線か電撃のどちらかを食らい、一瞬でも動きが止まれ ば・・・青銅の刀が青い戦士を両断するだろう。
となると・・・・先に仕掛けるしかない。
死が待ちうける懐へ、自ら飛び込むしかない。
ナナを巡る血管が沸騰する。筋肉が騒ぐ。光が氾濫する。
やってやる。
里美さんをあんな目にしたことを、後悔させてやるッッ!!!
「来い」
ドンッッッッッ!!!!!
銀と青の弾丸が、青銅の鎧に疾走する!
アスファルトを踏みしめる衝撃音、同時に眼前に出現ッ!!
「ちええぇぇぇいいィィッッッ!!!」
裂帛の咆哮。縦一文字の閃光。
霞む銀の少女。残像。人外のスピードが為し得た奇跡。後の先の剣戟が避けられ、手応えな
く空を斬る。
左側面、青の襲撃! 態勢の整わぬ魔人に逆転の一撃を―――!!
ドズウウウッッッッッ・・・・・
「惜しかったわね」
街に響く、低いトーンの女の声。
右の拳を振り上げ、背後から襲いかかったファントムガール・ナナを、腋の下から突き出され
た青銅の刀が、根元まで貫き刺していた。
クルリと振りかえる青銅の魔人。正面から改めて、日本刀によく似た刀身の柄を握る。破滅
をもたらす裂撃は、青い少女の腹部のど真ん中を、正確に貫いていた。
「本当はこの水晶を狙ったんだが・・・よく急所を外したな。もっとも、相当ダメージがあるよう
だが」
「あく・・・・あッッ・・・・・・があッッ・・・・・・」
痙攣するナナ。壮絶な痛みに翻弄されるのみ。
「超スピードによる残像を作るとはな。しかも二つも。正面にフェイクをいれ、横から、と思わ
せておいて、実は背後からの攻撃というのは、非常によかった。殺気がありすぎて、私には通 用しなかったが」
刀を握る手に力を入れる。ゴキュル、ゴキュルという音。青銅の刀身がファントムガール・ナ
ナの血を吸っているのだ! 刀が震えるたび、ビクビクと痙攣する聖少女。あまりに凄惨な図 に、固唾を飲んで見守っていた人類の総毛が粟立つ。
「がふうッッ・・・・・・あぐああッッ・・・・・ああああッッッ――ッッ!!」
「ふははははは! いい悲鳴じゃあないか! ファントムガールの鳴き声は、最高に良い
な! もっと楽しみたいが・・・」
ズボリ・・・串刺しの剣を抜く。
「約束通り、真っ二つだ♪」
青いショートヘアーから、股間までを、一撃で両断されるファントムガール・ナナ。
「???!!」
手応えが―――ない??!
「こっちだァァッッッ!!!」
左横、声のする方向に傾く黄金のマスクを、青い稲妻がカウンターで迎え撃つ!!
右のフック。そのまま回転し、左のバックブロー。
直撃! こぼれる血潮。グラつく青銅の魔人に更なる追撃。
止まらない回転から繰り出される、右のハイキック!
衝撃音!! 崩れ落ちる魔人を、ハリケーンが許さない。
ハイキックからさらに生まれた回転力が、左の後ろ回し蹴りを放つ。
ドテッ腹! 内臓を抉られ、屈み込むメフェレスを、再び戻ってきた右膝が捕える。
グシャリ・・・破壊音とともに、顎を砕かれた魔人が宙を舞う。
一呼吸の回転のうちで、これだけの打撃を放つ破壊の暴風雨の前に、青銅の体が崩壊して
いく。
「とどめだあァァァ―――ッッッ!!!」
ファントムガール・ナナの、左の、ローリングソバット!! 半失神の無防備な顎を、青のブー
ツが打ち抜く!!
バキイイイイッッッッッ!!
残虐な侵略者が、宙を飛ぶ。
保険会社のビルに突っ込み、崩れていく瓦礫の中へ、青銅の姿は消えていった。
「やっ・・・・た――?!」
いや、メフェレスは死んではいないだろう。最後の回転による連続打撃は確かな手応えを、
拳に足に、伝えていたが、KOはできても死に至らしめるまでにはいかない。とはいえ、里美の 苦しみの幾分かは返せたはずだ。
「へ・・・へへ・・・・・けど・・・・あたしの方が・・・・・・やられた・・・・かな・・・・・」
知らぬ間に、膝から崩れ落ちたファントムガール・ナナは、大地に顔を突っ伏し、ハアハアと
荒い息を繰り返していた。押さえたお腹からドクドクと滝のように流れる血。ファントムガールで の怪我は、ダメージを何十分の一かに軽減するとはいえ、壮絶な激痛と失血により、ナナの限 界は随分近づいてしまった。回転の連撃に、少女は最後の力を振り絞ったのだ。もはや、闘い を望むことは不可能だった。
パチパチと乾いた拍手が血生臭くなった街に流れる。
拍手の主は腰までの長い黒髪の美女。その冷ややかな視線の先に、うずくまる巨大な青い
少女がいた。
「あの深手で、よくあんな動きができるもんだわ。よほど正体は運動神経のいいコらしいわ
ね。まあ、無茶しすぎて、動けなくなっちゃったみたいだけど。体力がないっていうか・・・体力の 使い方をわかってないのが弱点ねぇ」
大きめの唇が吊り上る。艶かしくさえある、笑み。
「さて、私もやることやったら、とっとと帰りましょうか。じゃあね、青いファントムガール。生き
伸びれたら、また会うこともあるでしょ」
ゼーゼー・・・ハアハア・・・・・・
荒い呼吸音が、ファントムガール・ナナの口から止まらなくなってきた。
メフェレス戦のダメージ以上に、体力の無さをナナは痛感する。正体の藤木七菜江の時で
も、インターハイ常連のハンド部で一番の運動神経を自認しつつも、サブに甘んじているのは、 この体力の無さ故なのだ。
正確に言うと、七菜江は体力が無いわけではない。寧ろトップクラスのレベルにあった。それ
でも彼女がスタミナ切れを起こすのは、そのペース配分が、全くうまくできない為であった。
瞬間的、爆発的に体力を使いきってしまう。感情が先走るタイプの七菜江は、温存ということ
ができない。常に全力なのだ。
メフェレスに対して、アレだけの動きができたのは七菜江ならではであるが、その代償に体力
は残らず使いきってしまったのだ。
里美の仇討ちに燃えるあまり、ナナは肝心なことを失念していた。
そう、まだ敵は二匹いる。
止まらない血を押さえ、大地に倒れ伏したままの銀と青の少女を、黒鉄の鎧に包まれた二体
の巨大生物『ミュータント』が、挟み撃ちの陣形を取って見下ろしている。
黄色の濁った眼が、苦痛に囚われ小刻みに震える獲物を映す。まるで、そのダメージの量を
測っているかのように。
彼らの頭領的な存在であったはずのメフェレスは退散し、文字通り消え失せていたが、その
ことによる影響は全くないようだ。殺戮マシーンとしての本懐を遂げるべく行動する彼らにとっ て、今、目の前にうずくまる『敵』を、抹殺することだけが全て―――
「ハア・・ハア・・ハア・・・・・こいつら・・・の・・・・ゼエ・・・ゼエ・・・・トランスできる・・・ゲホォッ
ッ・・ゴホゴホ・・・・時間・・は・・・・ハア・・・ハア・・・・・ながい・・ん・・・・ハア・・・・ハア・・・・だっ た・・・・・」
肩が大きく上下する。喋るだけで、全身がキリキリ痛む。
極度の酸欠状態により、指先の痙攣が止まらない。視界が暗く霞む。少女の愛らしさを残し
た唇が、ワナワナと苦悶に揺れる。
“こ・・・このまま、眠りたい・・・・・で、でも・・・・・こいつらを・・・・止めなきゃ・・・・・・”
神に祈りを捧げるのにも似たポーズの守護天使が、悲壮な決意を固める。
そんな心情を嘲笑って、無情の破壊光線が、青い聖戦士を両サイドから挟み撃つ!
ビジャジャジャジャジャッッ!!
物質が溶け、弾ける音。
カブトムシの熱線と、クワガタの雷は、少女のいない大地を叩いていた。
さっきまでの死に体が擬態であったかのようなスピードで、ファントムガール・ナナは跳躍し、
2回トンボを切って巨大生物の攻撃を避けていた。
銀光を煌かせ体操選手のように舞うナナ。が、そのしなやかな動きは着地と同時に、糸が切
れた人形のようにドシーーンと膝から崩れ落ちる。
「ゼエエ・・・ハアア・・・ゼエゼエゼエゼエ・・・・・ガハア・・・・・・ハアハア・・・・・」
“くッ苦しいィッッ!! 息が・・・息が満足に出来ないッ!! 一瞬は動けてもこのままじゃ
あ・・・”
無理を押して動かした体が、崩壊の悲鳴を挙げている。
ただでさえ体力を枯らしているところに、腹に開いた穴が、呼吸するたびに、内臓が溶ける激
痛を脳に送る。いまやナナにとって、一呼吸ごとが拷問だ。加えて大量の失血により、体力は 余計に流出していく。
光線技―――
体力に任せての格闘が不可能な今、ナナが勝利を収めるには、それしかない。
「そんなこと、私にもできるの?」
車中での執事・安藤との会話が蘇る。
「もちろん。『エデン』との合体で光のエネルギーを操れるようになっていますから」
「どうやるの? 里美さんのようにやればいいのかな?」
「それでも構わないでしょう。大切なのはイメージです。エネルギーを放つイメージ。あるいは
普段、身に慣れたものを具現化するのもいいでしょう。お嬢様のリボン、バトンなどがそうです」
五十嵐里美は新体操のオリンピック強化選手である。その経歴がファントムガールとしての
闘いの幅を広げているのだ。
「普段、身に慣れたもの・・・・」
私ならやっぱ・・・・・ハンドボール?!!
「はッッ!!」
迫る橙色の火球が、ナナの思考を余儀なく中断させる。
前転。どこに逃げるか、推測していたように、クワガタの稲妻が着地点を射る。
それも、避けた。
『ミュータント』の時間差攻撃を、類稀な運動神経が防ぎきる。
「!! ハアハアハアッッ・・・ガハアッ・・・・ゼエェ・・ゼエェェッッ・・・・・くッッ・・・くそォッッ・・・・・
ハアッ・・・ハアッ・・・・」
瞬間、アスリートの能力を披露したナナだが、それは長くは続かない。再び、右膝をつき自ら
を抱きしめる、か弱い姿を露呈する。曳きつく荒荒しい呼吸が、ファントムガール・ナナの終幕 を予感させる。誰の目にも、青い聖少女の敗北は時間の問題だ。
人類の焦燥を嘲笑って、カブトムシとクワガタが獲物狩りのクライマックスを開始する。
熱球と電磁光線を交互に発射する。
ラクレスの熱線。側転でかわすナナ。着地と同時に放たれる電撃。身を捻って避ける少女。
その瞬間、撃たれる炎。跳躍して直撃を免れる。また、電磁光線が・・・・
一呼吸として休む間を与えぬタイミング。否が応にも動けぬ体を動かし続けられる悪魔の連
携に、空になった体力を絞り尽くされるファントムガール・ナナ。元は昆虫の怪物は、獲物が最 もされたくない戦法を知っていた。
“しッッ心臓が爆発しちゃうぅぅぅッッッ!!! 苦しいッッ!! 苦しいよォォッッッ!!! 目
が暗いッッ!! 体がビクビクしてるッッ!! も、もうやめてェェッッ!!! 呼吸をさせてッッ お願いッッッ!!!”
「ふひゅうぅぅッーーッ・・・・ふひゅうぅッッーーッ・・・・・ガフッッ・・・・ゼエエェェ・・・・げへェッ
ッ・・・・がひゅうぅぅッッーーッ・・・・」
胸を掻き毟る。唇がパクパク開閉する。アルコール中毒者のようにフラつく。ボトボトと気泡と
血が垂れる。それでも止められない悶絶のダンス。コマ送りのようなスピードで、健気に少女は 踊り続ける。
スウッ・・・・と右腕が上がる。
掌をカブトムシ・ラクレスに向け、掌底突きの要領で一歩を踏み出す。
ゴォウウッッッ!!
“で・・・出たッッ!!!”
振り絞った気合いが、光の筋となって、巨大生物を撃つ!
逆転の一矢! 直撃!!
「・・・・・あ・・・・・・・・・」
残酷な現実がファントムガール・ナナを砕く。
防御もせず、平然とナナの光線を受けとめた甲虫が、そこにはいた。
バチバチバチバチイィィッッッ!!!
完全に動きの止まった青い戦士を、高圧電流が蹂躙する!
「ッッッ!! 〜〜〜〜ッッッ!! がふぅぅッッ・・・〜〜〜ッッッ!!!・・・・・〜〜ッ〜〜ッ
ッ!!!」
大の字で、スローモーションで、うつ伏せに倒れていく巨大少女。
そのあどけなさの残る可憐なマスクに、超高熱の火の玉がぶち込まれる!
炎のカウンターブローに意識を飛ばされ、海老のように反りきった大の字の姿勢のまま、聖
少女は瓦礫のマットに沈んでいった・・・
「負けた・・・・・・」
「青いファントムガールも、負けた・・・・・」
「オレ達はどうなるんだ・・・?」
安全な場所から、守護天使の闘いを見守っていた人々が、現実に引き戻されざわめく。希望
を一瞬で吹き消す、KO劇。ファントムガールの次は、自分達が殺戮の標的となる現実が、徐 徐に人類の心を闇に連れて行く。
しかし、ボクシングなら終わった闘いは、まだ続いていたのだ。
失神した聖少女に、クワガタ・チタヌスが飛びかかる!
殺戮マシーンの二匹にとって、敵の鼓動が止まるまで、闘いは終わりではない。
晒け出された銀の脇腹を、鋼鉄の鋭利な巨大鎌が圧搾する!
「ッッ!!! 〜〜〜ッッ〜〜〜ぎひィィッッ・・・〜〜ィッッ!! ・・・ぎひィィやァァああァァァッ
ッッ―――ッッッ!!!」
身も世もない、魂切る絶叫!!
ヒビの入ったアバラを、ショベルカーで砕き潰される地獄の責めに、眠りを許されず、蘇生す
るナナ。
ファントムガールでのダメージは軽減されるが、元の個体の負傷は、トランスフォームしても
そのまま引き摺る。メフェレスに握り潰された肋骨は、今の七菜江にとって、最大の弱点と言え た。そこを見透かされたように、噛み潰され、ナナは戦士としてのプライドを捨てて、泣き叫 ぶ!
「ぎゃひゃあああァァァッッッーーッッ!!! ぐあああッッッ・・・・!! やめてッッ!! お願
いッッ!! やめてェェェッッーーッッ!!! げええェェッッ・・・・うあああああッッ―――ッ ッ!!!」
殺虫剤を噴射された虫のように、バタバタと手足をメチャクチャに振るナナ。喚く口から血が
霧を吹く。
「ああああ・あ・あ・あ・ッッッ・・・・・・やめ・・・・てェェッッ! ・・・・・・許し・・・・てッッ・・・・・・・あ
ああッッ・・・・あ・あ・・・あ・・あ・・・お・・ね・・・・・・が・・・・・・・・い・・・・・・・・・・・」
命乞いをする、象徴的な敗北に、闘争心が折れたのか。
カクーーンと全身から崩れる少女。
静かになった聖戦士の左肩を、カブトムシの角が刺す。
どこまでも容赦ない残虐な槍が、少女の体液をこれでもかと抜き取る。
泉のように涌き出る血で赤く染まった、哀れな獲物がクワガタに掲げられる。
贄のように、グッタリと、鋼鉄の鎌にその身を預けるだけのナナ。
チタヌスがその決して低くはない知能で、青い蝶の処刑法を決定する。
コノママ、アゴデ、カミチギッテヤロウ
メキィィ・・・ゴキッ・・ベキベキッ・・・・ブチィッ・・・
少しづつ力を加えるごとに、銀色の唇から、赤い塊がこぼれ出る。
合わせるように、相棒が角を捻る。青かった少女の肢体は、赤色になっていた。
肋骨が折れていく感触。一本、また一本と・・・そのたびに獲物がビクリと痙攣する。
内臓を圧迫する。間もなく、骨が刺さっていくだろう。
銀の両腕が、天に翳すように、ゆっくりと上がっていく。
潰される内臓が悲鳴を挙げ始める。
頭上に挙げた青のグローブに、光の粒子が固まり始める。
「・・・??!・・・」
掌に集まった光のエネルギーが、顔と同じくらいの球体になる。渦巻く正の力が加速し、溢れ
る聖光を放ちだす。
・・・コイツ、ハンゲキシヨウトシテイル・・??
二匹の『ミュータント』が、真実に辿りついた時、すでに遅かった。
輝く球体が、破邪の光を撒き散らして発射される!
天空を衝く白い彗星。見上げる二匹の巨大獣。
光の凝縮体が旋回し、螺旋を巻いて急降下する!
グワジャアアアアッッッ!!!
光球がチタヌスの頭頂から股間までを、撃ち貫く。
筒のような穴を中心に、絶命したクワガタの骸が左右に分かれ、アスファルトを揺らすと同時
に爆散した。
鳴き声もなく散ったパートナーを目前にし、ラクレスは凍ったように動かない。
漆黒の槍を両手で掴むナナ。そのまま一気に真上に上げる。
貫かれた左肩を自ら切り千切り、ファントムガール・ナナがようやく地獄の戒めから脱出す
る。ゴロゴロと後転し、距離を取る聖なる戦士。
「じっくり・・・・・嬲ってくれたおかげで・・・・・・・ようやく呼吸が整ったわ・・・・・・・」
片膝立ちの姿勢を取り、脇腹に食い込むクワガタの残骸・鎌を、ズボリと抜き取る。密度の
濃い血塊がドロリとこぼれる。
「ずっと・・・・・ホントに・・・・・苦しかった・・・・・・でも・・・・ちょっと慣れちゃったよ・・・・・・・」
両手を上げる。暗闇が支配しつつある空に向けた掌に、人工の太陽が輝いていく。
ラクレスが、吼える。
「ハアッッッ!!」
光球をファントムガール・ナナが投げる。
唸る光の弾丸。
身構えるカブトムシ。
その鋼鉄の鎧は昆虫界最強の硬度を誇る甲殻。実際にファントムガールの光線技はその装
甲の前に、全くダメージを与えられないでいた。絶対の自信を持つ強度が、ナナの唯一の決め 技に立ちはだかる。
光が鎧をすり抜ける。
ラクレスの胸にハンドボール大の穴が開き、崩壊したビル群がその向こうに覗いていた。
爆発した巨大生物を確認し、青い少女戦士は、光を散乱させて、死闘の終わった街を消え
た。
多くの血を犠牲に、人類は侵略の魔の手から、とりあえず免れたのだった。
「なによ、『青いファントムガール』って」
三体の宇宙生物、『ミュータント』と呼んでいるそれらの襲来を、新しい戦士が退けてから、三
日めの朝。
『エデン』による超回復力により、全身の傷がほとんど癒えた藤木七菜江は、久しぶりの朝刊
に目を通していた。
「仕方ないわよ、ファントムガール・ナナじゃ、正体バレバレだもの」
羽毛のべッドに横になったままの五十嵐里美がクスリと笑う。
こちらの方は、外傷も癒え、意識はあるものの、身体を起こすまでには回復していなかった。
それでも、その表情は随分と明るい。
「でも、そんな呼び方、なんかヤダ」
「フフフ。いいじゃないの、ちゃんと私達は呼んであげるから」
部屋の扉の前に立つ初老の紳士が、微笑みながら朝食準備のために席を立つ。
「ウルトラマンの次は、ウルトラセブン。ファントムガールの次は・・・ファントムガール・ナナ、
なんてよくできてるじゃない」
あどけなく笑う生徒会長。七菜江はふくれてみせるしかなかった。
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