第二話


 
「第二話  魔人集結 〜魔性の両輪〜 」
 
 
 序
 
 「・・・完成したわ・・・・・」
 
 艶やかな女の声が洩れる。
 なんの感慨もないようで、その実達成感を押し殺した響き。やや低いトーンは、“オトナのオン
ナ”に似つかわしい。
 
 事務的な幾層もの棚には、ドイツ語のスペルが並ぶ薬品が、異常な数で並んでいる。薬瓶の
展覧会。こげ茶や薄黄色の瓶の横には、内臓を見せびらかした蛇や蛙のホルマリン漬けも数
多ある。小学生高学年以上の者なら、誰でもがそれとわかる研究室。そこに女はいた。
 
 美貌だ。
 100人が100人とも美しいと認める美女。
 男なら振りかえらずにはいられない、女なら恋人を寝取られても、「そりゃキレイはキレイだけ
ど」と言わざるを得ない美しさ。
 腰までの黒色の長い髪と、両耳の赤いピアスがアクセントを付けている。
 その誘うような大きな瞳は、つい今しがたまで神経を尖らせられていた、作業机の上にある
物体を写している。
 
 それは金属製の実験用手術台に拘束された、マウスだった。
 違う、マウスではない。
 マウスだったモノ、だ。
 白い体毛で覆われた腹は、ニシキヘビが兎を丸のみしたかのように膨らみ、奇ッ怪な野球ボ
ールと変わり果てていた。球体に鼠の頭・手足が取りつけられた、と表現した方が的確か。そ
のみてくれだけでも異常性がハッキリわかる。
 しかも、その鶏の卵大の球体は、白く輝いているのだった。
 意志を持っているかのように、明るく、暗く。
 
 「さすがだな。権威というのは、案外にバカにしたものでは無いようだ」
 
 広大な研究室、というか実験室と呼んだ方が良いのかもしれないが、――にいたもうひとりの
人影が、言葉を放つ。
 こちらは男だ。女ほどではないが、ハンサムと呼んで差し支えないマスクの持ち主。口のあた
りをやたら気にし、頬杖をついたまま、しきりに右手で触っている。
 顕微鏡などが置いてある机に横柄に腰掛けていた姿勢を解き、優雅且つ力強く、女が見つ
める研究成果へと歩んでいく。
 
 「グロテスクだな。気味が悪い」
 
 「ふふふ・・・。そんなこと、言うもんじゃないの。これから私達の“切り札”になるんだから」
 
 なだめるような、からかうような、甘えるような。
 男の正体を知る者が聞いたら、耳鼻科に行きたくなるような口調で女が囁く。
 
 「あとはこれを誰と“融合”させるか、だな。陸上部のエースとかがいいか?」
 
 「逆よ。ネズミの敏捷性と掛け合わせるのは、力強さとか、耐久力とかを持った、パワーファ
イタータイプがベスト、よ」
 
 女の赤い唇が突然、獲物に食らい尽くように動く。
 薄めの男の唇を捕らえた情熱的な口紅は、単細胞生物となってヌメヌメと這いずる。ピチャリ
ピチャリと絡まる唾液。淫らな音楽が、研究室の冷たい床を流れる。
 肺中の空気まで貪って、男は吸いつくヒルを放す。
 
 「思い出すのも忌々しいクソメスが・・・・このオレの顔に手を上げやがって・・・・内臓を引き摺
り出して晒してやるわ! ハハハハハ!」
 
 回転する銀と青の少女。叩きこまれる連撃。
 思い起こされる痛みと屈辱、それに崩壊する青い聖少女の姿を重ねて、男は再び赤い唇に
吸いついた―――
 
 
 1
 
 その街には、公園があった。
 噴水や、花見のできる芝生、ダイエットにオススメのランニングコース、そういったものが整っ
た、大きめの公園。
 夕方には恋人達が、夜にはそれを拝見に来る出歯亀が現れる公園。
 少し奥に入ると、急に人影が絶えてしまうような木陰がある。
 木洩れ日のようにチカチカと煌く色、それは青だった。
 青と白で構成されたセーラー服がひとつ。
 それを中心に、同じ色のジャケットとズボン姿が囲んでいる。6つ。ジャケットは着てない者
や、大きく胸をはだけた者など、着崩している感じが強い。茶や緑や赤や・・・その6個の頭に
は黒がひとつもなかった。
 
 「ひいいィィ〜〜〜ッッッ・・・・・お・お願いですうぅぅッッ〜〜〜・・・・・・・もう勘弁してくださいィィ
〜〜〜ッッッ・・・・・・」
 
 グシャグシャな泣き声を無視し、女子高生の前に立った男が、腹に無慈悲な拳をめり込ませ
る。ドボオオッッッ! という肉がひしゃげる悲鳴。涙と血塊がドピュッと吹き出る。身長190c
mはあろうかという大男の全力の一撃を耐えるのは、よく引き締まっているとはいえ、少女の
腹筋では酷な話だった。
 
 「げぶうううぅぅッッッ!!! げぼおおッッ!! げほッげほッッ!! ぐおおおおおッッ
ッ・・・・・・・ひ・ひぐうぅぅッッ・・・・ぎひィッッ・・・ぎひぎひ・・・・・ゆ・ゆるじでェェェ〜〜〜・・・・わだ
じがなにじだっていうのォォ〜〜〜ッッ!!」
 
 涙と鼻水と吐血の洪水でグチョグチョになった顔が、右半身を抱えた男によって、グイと晒し
上げられる。左の男はもはや抵抗の弱くなった腕を、関節技に捕らえて嬲っている。固定され
た少女は、朝見送った母親が見たら、発狂しかねない形になっていた。
 
 鮮やかな白さで輝くシャツは、ボタンを全て弾き飛ばされていた。左胸のところだけ大きく切り
千切られ、丸みを帯びた形のよい乳房が、そこだけ強調されて曝け出されている。青のカラー
は暴力の跡を示してあちこちが破け、少し濃い目の青が使われた、地域一帯で自慢のスカー
フは、3分の一だけになった残骸が、胸元に頼りなげに飾られている。口からの吐血が点々と
白地を汚し、アイロンの効いたプリーツスカートは膝まで摺り下ろされていた。幼さの残るリボ
ン付きのパンティーからは、淡い密林が顔を覗かせていた。
 
 正面に立ったリーダーらしき大男は、質問には答えず、哀れな標的を見下ろす。
 右耳に金色のリングが光る。タンクトップからはみ出た大胸筋は、トレーラーのタイヤのよう
にぶ厚い。リングと同じ色の髪は、短く切り揃えられており、彫りの深い顔立ちは、人類の祖先
を思わせる。丸太のような右腕が、大の字に固定された少女の顔面に弓引く。
 
 ドス黒く腫れあがった右の目蓋に、岩の拳が吸いこまれる。
 骨が骨を砕く音。少女のボーイッシュな髪型が、ぐらりと揺れる。
 また弓が引かれる。もう一発。
 今度のストレートは、鼻と口にめり込んだ。
 拳を引く。ヌチャリとした音とともに、ドロリとした粘り気のある血が、拳と顔面とに掛け橋を架
ける。大男の赤く染まった拳に、白色が見える。突き刺さった、少女の前歯だった。
 
 「オッケ〜〜〜ェ。武志ィ、もういいよォ〜〜。それ以上やったら、そいつ、死んじゃうからサ」
 
 5mの高さにある枝に腰掛け、見物を決めこんでいた派手な少女が指示する。グラサン、茶
髪、豹柄のタンクトップとミニスカート。今時の女子高生のステレオタイプ的格好の少女は、そ
のまま、ピョンと2階の高さを飛び降りる。1mmとてぶれずに、両足で着地に成功した。
 緩慢に、しかし軽やかなステップで、哀れな受刑者へと近付く豹柄の少女。少女というより
は、今は使わない「コギャル」という呼び名がピッタリくるファッションだ。波が引くように、オトナ
の言葉には耳も貸さない連中が、このコギャルのために道を開ける。
 ぐったりとうな垂れた、粘液まみれの顔を、顎を持って上向かせる。反動で、曲がった鼻と裂
傷を負った口から、泡立った血塊がゴボリとこぼれた。無情なリンチに、囚われの少女は失神
していた。
 
 「おい、起きなよ」
 
 常人の2倍の長さはある、尖った爪の先で、剥き出しにされた白いお椀の突起物を突つく。
衣替えしたばかりの季節に合わせたのか、ネイルには黄色の紫陽花がアートされている。そ
の尖り方は、まるで魔女だ。金属のような光沢があり、普通の付け爪とは違うものであることが
わかる。その凶器で、瑞々しいピンクの先端を、血が滲むほどに突く。
 
 「お〜いったら。起きろって、言ってんだろォ〜〜」
 
 間延びした口調。鼻にかかった拙い喋り方は、一種、幼児を思わせる。だが、その、抑揚も
感情も感じさせぬ言葉の裏には、極彩色の狂気が潜んでいた。
 悪魔の爪が、ウブな乳首を挟む。
 次の瞬間には、ピンクの小豆は、なんの躊躇もなく、ザブリと切り千切られていた。
 
 「ッッッ!!! うぎィやあああああァァァァッッッ―――ッッッ!!!」
 
 先端を走る稲妻に、囚われの少女は蘇生させられる。
 針を数十本、埋め込まれた痛み。その発生する原因を見て、少女は突然襲った悲劇に打ち
のめされる。
 
 「いやああああッッ――――ッッッ!!! 乳首がッッ!! あたしの乳首がアアッッ―――
ッッッ!!!」
 
 「っるさいなァ〜〜・・・・・・・そんなに欲しけりゃ、ほら・・・・・・」
 
 スピードくじでも引くような手軽さで、ネイルアートを施した右手が、被虐者の口に突っ込まれ
る。爪にへばり付いた乳首を舌になすりつけ、呼吸器官を押さえて無理矢理に飲みこませる。
嚥下するのを確認して、満足げにサングラスの奥に透けた瞳を細める魔女。
 
 「ほい。返したっと」
 
 あまりに酷い行為。だが、少女には悲しむ余裕はなかった。なぜなら、溢れる涙の向こうで、
自分をこんな目にした首謀者の正体を、ハッキリと確認したからだ。なぜ・・・なぜ、この女が自
分の前にいるのか?! 一生関わりたくないと思っていたこの女が!! 乳首を失った不運な
ど、これからの恐怖に比べれば、他愛のないことだ。ガチガチと鳴る歯の震動で、体液の雫
が、ポタポタ落ちる。
 
 「か・・・かんざき・・・さん・・・・・・な・なんで・・・・・わだじがなにじだっていうの・・・・・・・」
 
 「ん〜〜? べつにィ? 両親でも恨んだらぁ?」
 
 さもつまらなそうに、豹柄のコギャルは答える。
 
 神崎ちゆり・・・・・少女の通う聖愛学院は、生徒数5000名以上のマンモス校だが、その中
で、最も出会いたくない人間のひとりが彼女だった。
 硬派を気取る不良だろうが、徒党を組んでやりたい放題をする危険な集団だろうが、盛り場
を支配するヤクザだろうが・・・とにかく「そちら」方面の人間で、彼女の名を知らぬ者はいな
い。ちゆりが一声かければ、3桁の兵隊が動く、と噂されるほど、その闇世界への影響力は絶
大だった。
 自称・ファションリーダーの彼女は、豹柄をこよなく愛すことから、「闇豹」とあだ名されてい
る。プリーツスカートなど履いたことなく、常に豹柄のミニスカート。(教師に注意されるわけはな
い)薄めのサングラスに透ける眼は、マスカラとアイライン、それに元々の瞳の大きさが加わっ
て、パンダのように見えることすらある。むろん、指摘できる人間などいないのだが。
 激しい気分屋で、学校に来るのもまばらな不良が、一体どうして、なんの関わりもないはずの
自分を襲うのか?
 
 迫り来る運命を予想し、全身で怯える少女を前に、「闇豹」神崎ちゆりは大学ノートを取り出
す。ペラペラとページをめくり、ある場所で止まると、左手にノート、右手にウェーブのかかった
茶髪をもって、その内容を読み始めた。
 
 「え〜と、志村奈々美・・・聖愛学院二年生。164cm 48kg。水泳部200m背泳のレギュラ
ー選手。地区大会記録の保持者。1年の冬から頭角を現し、今や水泳部を引っ張るエー
ス・・・・これってあんたのことだよね」
 
 己のプロフィールを読まれ、少女・奈々美が変形した顔を引き攣らせる。調べてる? 私を?
 計画的?
 
 「ああ、あんたってさぁ、恨みはないけど、“ちり”の嫌いなタイプだぁ。汗臭い女って、好きじゃ
ないんだよねェ」
 
 処刑執行の宣言に戦慄が背筋を駆け登る。淡々とした口調に含まれる、毒。
 ヤラレル。
 コワサレル。
 萎縮した咽喉を、くぐもった悲鳴が割って出ようと、小さくうめき声を漏らす。
 
 猛獣が肉を噛みきる音。
 次いで、人間のものとは思えない大絶叫が、隔離された公園の一角に虚しく轟く。
 声帯が破れんばかりに泣き叫ぶ少女の、露にされた左の乳房は、肉食獣の牙跡を残して、
無くなっていた。
 
 「あは♪ あははははは!」
 
 金色のルージュを大きく開き、悪魔が愉快げに笑う。
 大きな3つの腕輪をカチャカチャと鳴らして、か細い右腕を水平に上げる。掌が開き、何かを
落とした。血に塗れた奈々美の左乳房。
 
 ビクウッ! ビクビクビクビクビクビクビク
 あまりのショックに痙攣する奈々美。おこりに罹ったように、全身が振動する。凄惨な苦しみ
ぶりに、両サイドで奈々美を抱えた男達が、思わず手を放しそうになる。
 
 「あし、広げてェ」
 
 まったりとした喋り方。が、その意味することを理解した男達が、残虐性に飲みこまれ、蒼白
となる。もう、手中の少女は、壊れている。その狂態は、越えてはいけない一線まで来ているこ
とを訴えていた。もう、嫌だ。これ以上は、人間が進んではいけない場所だ。
 
 「ち・ちりさん・・・・・・こいつはもう・・・・・」
 
 「あれェ? ちりの言うこと、聞こえなかったぁ?」
 
 黒ずんだ目元から、大きな瞳が射る。
 壊される。
 やらねばオレが、人として死ねなくなる。
 吼えた。男が恐怖に飲みこまれた瞬間。
 半分白目を剥いて、二人の男が凄まじい力で、水泳で鍛えた太股を開ける。
 狂ったように抵抗する奈々美。だが、男達も必死さは同じ。
 獣の鳴き声を挙げて、二匹の雄と一匹の雌が格闘する。
 形勢通りの無情な現実が、悲運の生贄を包む。さしたる時間もかからず、狂乱の雌はM字
に抱えられ、派手な衣装の悪魔に捧げられた。スカートもショーツも、暴れた際に剥ぎ取られ、
開脚した中心に生える花弁が、真新しいピンク色で咲いている。
 
 「ぎひいいいいいィィッッ―――ッッ!!! うぎいいィィィッッッ―――ッッ!!! ぎゃひゅい
いいィィィッッッ――――ッッッ!!!」
 
 「わあ〜〜〜、くっさそォ〜〜・・・・あんたの穴さあ〜〜、どーせ使ってないんでしょォ〜? だ
ったらぁ〜、そんな穴はぁ〜・・・」
 
 「ひぎィィッッ?!! やめてえッッッ!! やめてッやめてッやめてェェェッッッ―――ッッ
ッ!!!!!」
 
 「ふさいじゃえェェッッ!」
 
 豹の五つの爪が、聖なる花園を抉り刺す!
 引き裂かれた魂の泣き声! 取り囲んだ男たちが耳を塞いで苦悶する中、「闇豹」の無邪気
な笑い声だけが響く。
 ナイフより鋭い爪が、少女の膣でピストン運動を繰り返す。手を広げ、握り・・・・・壊れていく
奈々美を楽しんで、禁断の秘所を切り刻む。咽喉が破れて尚叫び続ける、阿鼻叫喚の地獄を
正視できるのは、もはや、イカれた魔女と破壊衝動に駆られた大男だけであった。
 
 
 
 「志村奈々美・・・バツ・・・と」
 
 こびりついた血を使って、コギャルの格好をした悪魔が、大学ノートの奈々美の情報欄に、大
きく×印を書く。
 確認するように、マスカラの濃い瞳を、公園の土の上に。
 そこには、原型を僅かに留めた、青いセーラー服のおもちゃが、壊れた身体を横たえてい
た。
 口と、股間から溢れる赤い液体が、ゴポゴポと泡立って、いつまでも流れ続けている。
 先ほどまでの狂乱が嘘のように、ピクリとも動かず、時折吹く初夏の風に、ショートカットの髪
がなびく。
 死んでいるのか? それすら魔女には興味のないことだった。
 
 「あたしってさぁ〜〜、こう見えて、けっこう思いやりがあったりするんだよねぇ〜〜」
 
 地獄絵図の目撃者となった、色とりどりの頭の少年たちに処理を任せ、豹柄・グラサンの女
子高生は公園を後にすることにした。去り際、ガクガクと震える(中には失禁までした)男たち
に、神崎ちゆりはトドメを刺すのを忘れなかった。
 
 「処女膜破られたのが、女の手ってんじゃあ、そいつも浮かばれないだろうからさぁ〜〜。武
志ィ、みんなで輪姦してあげてぇ。そしたら、その女も、カッコがつくでしょ」
 
 
 
 「オッ!」
 
 藤木七菜江はその朝、登校する人波の中に、待望の後ろ姿を発見する。
 朝の光を跳ね返す、やや茶色の入ったストレートヘアー。背中にまで掛かったその上部に
は、白いリボンが二つ、飾られている。七菜江もお気に入りの、青が際立つセーラー服が、少
し細身の後ろ姿に、眩しいほど似合っている。
 その隣にある、付かず離れずで並んでいる後ろ姿にも、七菜江は見覚えがあった。
 頭ひとつ抜けた、半袖の開襟シャツの背中は、見事な逆三角形をしていた。袖から生えた腕
は、スイカのようだ。5000人以上いると言われる聖愛学院だが、こんな高校生離れした肉体
の持ち主は、ひとりしかいない。
 
 20mはある距離を、登校ラッシュの波の中、スルリスルリと抜けて七菜江は走る。まるで風。
滑らか過ぎる動きが、その速度の異常性を周囲に気付かせない。
 少し空間の開けた真中に、ふたりがいた。(あ、そうか。このふたりだと、みんな近寄りにくい
かも知れないな)
 勢いをつけたまま、走り寄った七菜江は―――
 ピョンッと男の方の背中に飛び乗る。
 
 「うわあッッ??!」
 
 不意を突いておぶさってきた少女の攻撃に、鍛え上げられた男が前につんのめる。態勢を
整えた時には、七菜江は背を降り、二人の前に正対していた。膝上までの短めのプリーツスカ
ートが揺れる。
 
 「里美さん、おはようございますッ! もう大丈夫なんですねッ!!」
 
 「おはよう、ナナちゃん。おかげさまで、バッチリよ」
 
 朝に負けない爽やかな微笑みで、生徒会長・五十嵐里美が突然現れた後輩に、挨拶を返
す。もちろん、今のふたりは単なる先輩・後輩ではない。命を賭けた絆で結ばれた二人なのだ
が、隣の男をはじめ、誰も知る者はいない。
 
 銀と紫の姿で、宇宙生物(実際は宇宙生物が地球上の生体に寄生しているもの)の侵略か
ら、地球と人類を守る正義の守護天使・ファントムガール。そして、ファントムガールの窮地を
救った、『青いファントムガール』と通称されるファントムガール・ナナ。その正体が、このふたり
の美少女、五十嵐里美と藤木七菜江であることは、絶対に守らねばならない秘密であった。
 当人以外でそれを知るのは、五十嵐家の執事であり、里美の教育係でもある安藤と、ごくわ
ずかな政府高官だけだ。
 
 メフェレスと名乗る、人間が変態した悪魔と、彼の率いる二匹の昆虫怪獣を、なんとか退けた
ふたりだったが、その代償は大きかった。ただの人間なら何度死んだかわからない深手を負
った七菜江は、宇宙寄生体『エデン』に与えられた凄まじい回復力によって、3日の安静の後、
クラブ活動を再開できるまでになった。学校に復帰した初日から、ハンドボール部で走り回る
七菜江の姿があった。
 一方の里美は、傷こそ七菜江より浅かったものの、弱点である胸の水晶体―エナジークリス
タル―を徹底的に責められたため、体力がなかなか戻らず、今、ようやく体調が万全になった
のだった。
 
 ふたりにとって好都合なのは、巨大生物が現れてから数日は、学校を休む者は枚挙にいと
まが無い、ということだった。怪我をしたり、親戚が被害に巻き込まれたり・・・様々な要素を考
えれば、ごく自然なことだ。学校を休んだからといって、ファントムガールと結びつけて考えられ
ることは、有り得ないといっても良い。
 『エデン』に依る巨大変身=トランスフォームした容姿は、元の個体を基盤にする以上、ある
程度似てくるのは当然だったが、取材規制により、ハッキリとファントムガールの顔は見えない
ようになっている。誰でもが、なんとなく知っている、程度なのだ。
 また、たとえ顔を直接見たとしても、余程カンの鋭い人間でなければ、正体に気付くのは難し
いだろう。それぐらいには変身していた。
 よって、彼女たちが正体を隠すというのは、決してできないことではなかったのだ。
 
 「・・・七菜江、オレには挨拶ないのかよ」
 
 隣の男が不満げに言う。
 短く刈り込んだ髪を立てた、男臭い顔。わざとらしく(というか、わざとだ)大きく口を歪めた表
情は、どことなく憎めない。時に獅子と同じになる眼光を、恐れる者も多いが、七菜江は猛獣
使いのように、慣れた様子で手なずけている。
 
 「ああ、吼介先輩、いたんですか」
 
 「てか、お前、飛び乗ってきただろが!! 里美に挨拶して、オレにはしないってのは、ええ根
性やんけ」
 
 「はいはい。オハヨウゴザイマス。これでいいですか」
 
 機械みたく、抑揚のない挨拶をし、ご丁寧に直立不動の体勢から、直角になるまでお辞儀し
た、七菜江のショートカットを、ぶっとい腕が捕まえる。
 
 「よっしゃああッッ―――ッ!! ヘェッ――ドロォッ――クッ!! わはははは! 相変わら
ず、脇が甘いのう!! オレ様をからかうたぁ、いい度胸だぜィィッ!!」
 
 「イタイイタイッ!! 女のコに技かけるなぁッ!!」
 
 キョトンとした様子で、七菜江と男・工藤吼介のやりとりを見ていた里美が、おずおずと声を
掛ける。
 
 「あの・・・・仲、いいのね?!」
 
 「ん?? そう見えるか?」
 
 「全然知らなかった。吼介とナナちゃんが知り合いだったなんて」
 
 「前に、こいつが街の兄ちゃん達に絡まれてるのを、助けてやったんだよ。それ以来の腐れ
縁。つうか、オレに憧れてるみたいで」
 
 「うわぁ〜〜・・・そういう寒いジョーダン、よく平気で言えますよね・・・里美さんが本気にした
ら、どうするんですか」
 
 解放された頭を両手で抑えながら、白い歯を見せて七菜江がたしなめる。笑いながらも、バ
ツの悪そうな視線が、月のように美しい生徒会長に向けられる。
 
 「こいつさ、バス停で横入りされたことに腹立てて、ワルそうな連中にケンカ売ってんだぜ。危
なっかしいヤツだろ? あんな無鉄砲なの、イマドキいないぜ?」
 
 岩のような手で、鷲掴んだショートカットを乱暴にナデナデする。
 
 「だって、あいつら、おばあちゃんを脅したりしてんだもん」
 
 せっかくセットした髪型がクシャクシャになるのも構わず、七菜江は吼介流の称賛を、唇を尖
らせて受ける。このナデナデは、七菜江のお気に入りだったが、今日に限っては気恥ずかしか
った。自然に里美の顔色を窺ってしまう。
 
 「ナナちゃん、私になら、全ッ然遠慮しなくていいのよ。ホントに私達、何の関係もないんだか
ら」
 
 やや首を右に傾けて、ニッコリ笑った里美が、ちょっと力を込めて宣言する。
 この筋肉の鎧を着込んだ男・工藤吼介は、五十嵐里美の幼馴染であった。
 空手と古流柔術、二つの武道で黒帯をもっている吼介は、強さという点においてズバ抜けた
存在だった。校内という、狭い範囲の話ではない。大会などには一切出ないため、あくまで推
測ではあったが、プロの格闘家にも勝てるとすら語られているのだ。
 その強さは、空手をやってるから、柔術をやってるから、ではない。奇跡が造ったとしか思え
ぬ体が生む、規格外のパワーとスピード。それが吼介の強さの源だった。
 ファントムガールの誕生の秘密を、里美から聞いた七菜江が、なぜファントムガール(もちろ
んガールとは呼べないが)の候補者に挙がっていないのか、不思議だったのが、吼介だ。吼介
が「エデン」と融合したら、一体どんな強さになってしまうのか? 考えただけでゾクゾクする。
 
 この幼馴染が付き合ってるという噂は、常に流れていたが、それは噂の枠をはみ出したこと
がなかった。両方とも有名人だし、ふたりで行動するのが日常茶飯事でもあったので、聖愛学
院を代表するカップルのように思われていたのだが、真相は、「とても仲の良い幼馴染」以上で
も、以下でもない関係らしい。七菜江もそのことは、よく知っていたが・・・・・それでも里美の前
で吼介と仲良くするのは、ちょっとした抵抗があった。
 
 「ナナちゃんが良かったら、付き合ってあげて。この人、モテないんだから。まあ、ナナちゃん
には、もっといいひとができるでしょうけど」
 
 モテないってわけはないと思うけど・・・・・里美っぽくない言い回しに、どう答えたらいいか、わ
からず七菜江は苦笑する。
 
 「私なら気にしなくていいのよ、ホントに。ほら、吼介からも頼んでみたら?」
 
 「あほ」
 
 場の雰囲気が膠着しそうになるのを察してか、一言で吼介は話題を終わらせた。己の発言
の子供っぽさに気付いた里美が、羞恥で頬を赤らめる。眉根をひそめた美しい瞳で、“ごめん
ね”と合図を後輩に送る。内心ホッとする七菜江だったが、
 “里美さん・・・・・・ジョーダンじゃなかった・・・のかな?”
 里美の反応が、逆に気になってしまう。
 そんな七菜江の心情を置いてけぼりにして、吼介は話を先に進める。
 
 「里美、お前が休んでる間に、先生がひとり来たの、知ってるか?」
 
 「そうなの?初耳」
 
 「これが、また、とんでもなくてさ。理科の非常勤講師ってことなんだけど、どっかの外国の大
学で、博士号かなんか取ってる、エリートなんだってよ。生物科学の世界じゃ、相当有名らし
い。将来のノーベル賞候補なんだと」
 
 「そんな人が、よく高校の先生なんか引きうけたわね?」
 
 「ハゲ理事長が金にもの言わせたんだろ。かなりの条件を揃えたって話だぜ。実際、理科実
験室、二つ増えたんだから」
 
 マンモス校である聖愛学院には、広大な敷地内に、数多くの校舎・建築物が点在している。
そのうちの未使用の教室を改造し、大学研究室も真っ青な施設を完成させたらしい。生徒に
は、その場所すら公開されてなかったが。
 
 「しかも! まだ、25歳で、メチャメチャ美人!!」
 
 「え?! 女の人なの?」
 
 「男どもは、オトナの色気にメロメロよ。すげーぞ。スタイル抜群、デルモだ、デルモ! 歩くだ
けで、フェロモン全開って感じさあ。里美が休んでる間に、一番人気、持ってかれたんじゃ
あ・・・・・」
 
 突然、吼介が風を巻く。
 巨体が反転し、丸太の左腕が、後方にフルスイング! 裏拳!!
 反射的に身を反らした鼻先を掠め、豪打は背後にいた制服姿の眼前に止まる。
 まるで、空気が焦げるような一撃。かわした少年の顔に、ドッと汗が吹き出る。
 
 「く・・・工藤くん・・・危ないじゃないか・・・」
 
 「悪りィ! 悪りィ! 背後に立たれると反応しちまう体になってるもんでな。今度からは後ろ
に立たないようにしてくれよ」
 
 最強の空振りに、登校の風景がざわめく。だが、嵐を起こした張本人の、垢抜けた苦笑い
が、多くの時間を要さず安心と正常を取り戻していく。ああいう人懐っこい感じで、随分得してる
よね・・・吼介のセリフには、ツッコミを入れたかったが、場を乱さぬよう、七菜江は黙っている
ことにした。
 
 「で、いつからストーカーしてたんだよ、久慈?」
 
 「おじい様の話くらいからだよ・・・言っておくが、会長に挨拶しようとしただけだ。失礼なこと、
言わないでくれよ」
 
 聖愛学院理事長の孫であり、生徒会副会長である久慈仁紀は、不愉快そうな口調を隠さず
に言った。坊ちゃんらしい、華奢な体躯は、吼介とは好対照だ。大人しい印象を誰もが受ける
が、プレイボーイとして、学校では名を馳せていた。
 
 「おはよう、久慈くん」
 
 「五十嵐会長、おはよう。久しぶりだね。あなたがいない間、どれだけ淋しかったことか。で
も、そのお陰で、あなたがボクにとって、いかに大きな存在か、わかることができて良かったよ」
 
 “こりゃ、吼介先輩、嫌うよね”
 歯の浮くような台詞が、恥ずかしげもなく、次々と出てくる。ソフトな感じの品のいいヤサ男、と
いうのは、超肉体派の工藤吼介が最も苦手にするタイプのひとつであることを、七菜江は知っ
ている。先ほどまでの上機嫌に、雲が懸かってきているのは、眼をみればすぐにわかった。
 
 「ごめんなさい、長く休んでしまって。生徒会の運営、すっかり任せてしまったわね」
 
 「気にしないで。会長になにかあった時に、代わりをするのがボクの仕事だから。運営の方は
順調にいってる。全く問題ないよ、大丈夫。ただ・・・・」
 
 「ただ?」
 
 「最近、“ナナ狩り”って言われる傷害事件が多発してるんだ」
 
 「“ナナ狩り”ッッ?!!」
 
 里美と七菜江が思わず顔を見合わせる。
 
 「そう。ナナコとか、ナナミとか、ずばりナナとか・・・名前に“ナナ”がつく女のコばかりが狙わ
れて、酷いリンチに遭ってる。地域一帯で被害者が続出してるけど、ウチの高校もかなりやら
れてるみたい。被害者のコ達が喋りたがらないんで、あまり表面化してないけどね」
 
 『あいつ』だ。『あいつ』のせいに違いない!!
 視線を交わすふたりに、稲妻のように思考が駆ける。
 メフェレス―――青銅の悪魔。
 やはり、あの時、死んではいなかったのだ!
 そして、今、ファントムガール・ナナに侵略計画を潰され、ノックアウトすら喫した悪魔が、その
復讐の青白い炎を放ったのだ。
 なぜなら、新しく誕生した『青いファントムガール』の正式名称が、ファントムガール・ナナであ
ることを知る者は、直接対峙したメフェレス以外にいないのだから。“ナナ“を捜し、処刑を企て
ている者、それがメフェレスの正体であることは間違いない。
 七菜江は悔やむ。本名に近い名を名乗ったことにではない。メフェレスの執着心を侮ったこと
にだ。まさか、“ナナ”という名前だけを手掛りに、正体探しをやるなんて・・・・・普通じゃない。こ
の一帯だけにでも、一体何人の“ナナ”がいると思うのか? そして、それだけの無関係の犠
牲者がいると思うと・・・七菜江の歯がギリギリと鳴る。
 
 「ちょッ・・ちょっとッ!! ナナちゃん、こっち来てッ!」
 
 七菜江の表情の変化にぎょッとした里美が、手を引っ張って、男たちから離れる。七菜江の
顔は、ムカついた女子高生ではなく、憤怒する戦闘士のそれになっていたのだ。周囲に洩れぬ
よう、小声で話す。
 
 「ダメよ、ナナちゃん! そんな顔しちゃ、変に思われちゃうよ」
 
 「だって! 私のせいで関係ないコを巻きこんでると思うと・・・」
 
 「それもやつらの作戦なの。そうやって、あなたが自分から飛び出てくるのを、待ってるのよ。
でも、ダメ。絶対に正体を知られてはならないわ」
 
 「それはわかってるけど・・・でも! メフェレスのやつ、許せないッ!」
 
 「大丈夫、こちらからも、仕掛けるから」
 
 予想外のふたりの少女の動揺ぶりに、その原因を作った久慈仁紀は、逆に落ちつきを失く
す。ふたりだけで、こそこそ話す垣間に見える表情は、真剣そのものであるだけに余計だ。
 
 「工藤くん・・・・ボク、なにか悪いこと言ったんだろうか?」
 
 「うん? ああ、あのコも“ナナエ”ってんだ。それでだろ」
 
 「ええッ!! ・・・そうだったのか、謝ってくるよ」
 
 事情を察した久慈が、なにやら話しこむ二人の美少女に歩み寄る。
 
 「えっと・・・・キミ、ナナエちゃんっていうの?」
 
 「はい、藤木七菜江です」
 
 不意に話しかけられ、ニッコリと、ひまわりの笑みを返す少女。先程まで、里美に見せていた
激情は霞みほどにも残っていない。ほとんどのことには動じない里美が内心驚くほど、その変
わり身の早さは見事だった。
 
 「ボクとしたことが、キミのようなキュートなコの名前を知らなかったなんて、一生の不覚だよ。
大丈夫、“ナナ狩り”なんて、このボクが守ってあげるよ。キミみたいなカワイイ女のコを、危険
な目になんか、遭わせないさ」
 
 「ありがとうございます。でも、いいですよ」
 
 輝く笑みをそのまま、健康的な美少女はアッサリと副会長の申し出を断った。
 
 「えッ?? あ、あの、そんな遠慮とか、しなくていいんだよ?」
 
 誘いを断られた経験などほとんどない久慈にとって、七菜江の言葉は理解しにくいものだっ
た。
 
 「う〜〜ん、ていうか、先輩、あまり強そうじゃないですよねぇ」
 
 「へ?」
 
 「私には、最強のガードマンがついてますから。てことで、吼介先輩、よろしく守ってね♪」
 
 彫像のように固まったプレイボーイをすり抜け、七菜江は唖然とする工藤吼介に軽やかに駆
け寄って、根っこのような右腕にしがみつく。御主人様にじゃれつく猫のようだが、自分より大き
なくまのぬいぐるみを、抱きしめているかのようにも見える。
 
 「オイオイオイ! なに勝手に決めてんだぁ?」
 
 「里美さん、公認だもん♪」
 
 「吼介、お願い。なにがあってもゼッタイにナナちゃんを守って、とは言わないけど。あなたの
良心に任せるわ」
 
 ゼッタイに守れってことでしょーが。
 余った左手で頭を抱えたポーズが、了承のサインとなる。
 
 「あら? 朝っぱらから、随分とお熱いことね」
 
 降って湧いた新たな声に、七菜江は冷水を浴びせられたようにハッとして、吼介から離れる。
“ナナ狩り”への怒りと不安で、少しはしゃぎすぎた。冷水を浴びせた張本人を見る。
 
 「うッ・・・・・・・」
 
 本人の自覚もないまま、声は洩れ出ていた。
 もしかして、それは蛇と出くわしてしまった蛙の様子に似ていたかもしれない。
 
 “美人・・・・・・な、なに、このヒト・・・・なんか圧倒される・・・・”
 
 白いブラウスに黒のミニスカート。典型的女教師の格好が芳醇な色香を醸し出す。完璧と言
っていいスタイル、神が手掛けたとしか思えぬ美貌。里美を初めて見た時、この世にはなんて
キレイなひとがいるんだ、と感心したが、その時の衝撃に近い。ただ、違うのは、里美が纏う空
気は純白だが、このヒトは濃いピンクの霧を発している。
 
 「ち、違うってば、片倉先生。ヘンなふうに取るなよ」
 
 片倉響子。これがさっき話題になった、天才生物学者。
 初対面となる里美と七菜江が、まじまじとそのスラリとした肢体を眺める。
 美人とは聞いていたが・・・聞くと見るのとは、大違いだ。ただ、顔が美形というだけではない。
存在自体が、他の人間とは別物だ。極端に言えば、吐く息すらも美しい。その美しさには、男な
らずとも、女子生徒までも憧れを抱きそうな洗練さがある。
 
 「ふふふ。冗談よ、工藤くん。あなたのような優秀な肉体の持ち主とそのコじゃあ、釣り合わな
いわ」
 
 女教師・片倉は、吼介のことをよく知っている様子で話す。話しぶりから、ふたりが既に何回
か、接触していることがわかる。だが、それよりも、七菜江はその言い方にカチンと来ていた。
 
 「ふたり並んでても、ちっとも恋人には見えないわ。そのコ、まだ子供だものね。まあ、身体だ
けは一人前のようだけど。オジサンに好かれそうな顔だから、援交やるにはバッチリだけど、
あなたはそういうのは相手にするタイプじゃないものね」
 
 「あたし、援交なんか、やってません」
 
 静かな口調で、七菜江が言う。里美と吼介は、それがキレル寸前というサインであることを知
っている。
 
 「そう。軽そうな感じに見えたから、思わず言っちゃったわ。行動見てると、頭悪そうだったし」
 
 七菜江の身体が、小刻みに震え出す。もう怒りは沸点を越えている。爆発は目前だ。焦る周
囲が止めるより先に、言葉が出てきた。
 
 「な・・・なんで、そこまで言われなきゃあ・・・・ッッ?!!」
 
 我慢の緒が、ブチリと切れたその瞬間、真っ赤になった17歳の鼻先に、神話の女神を思わ
せる美貌が現れる。瞬間移動並の出来事に、虚を突かれて、怒りは塵のように吹き飛ばされ
てしまった。
 頭ひとつ分高い女教師が、顔を突き出すようにして、真正面から目が点になった少女を覗き
込む。まばたきもせず、あらゆる部位を1ミリとて動かさずに、凍える視線を真っ直ぐに射ら
れ、七菜江の身体は氷結する。まるで西洋神話に登場する怪物・メデューサか、死霊にでも睨
まれたような、恐怖。その美しさゆえに、人外の者に魂を切り裂かれるような恐ろしさがある。
先程までの憤怒は、瞬時に正反対の感情に生まれ変わってしまっていた。
 
 “わ、私・・・・怯えてる?!・・・”
 怒りの炎がまだ燃えているのを悟りつつも、ゾクゾクと駆け巡る圧倒的悪寒に封じこまれてい
るのを自覚し、七菜江は己が完全に飲みこまれているのを知る。
 “一体なんなの・・・なんでこんなに私のこと、ジロジロ見んのよォ〜ッ!?”
 言葉はそのまま、出た。
 
 「な、なんですかッ?!」
 
 「・・・・・・・あなた、どこかで会ったかしら?」
 
 「???」
 
 片倉響子の疑問は、少女にとっては全く覚えのないことだった。
 少なくとも、こんな妖艶の固まりに遭遇して、欠片も印象が残ってないほど、記憶力が弱くは
ない。その程度の自信はあった。
 
 「まあ、いいわ。さ、始業ベルが鳴る前に、教室に行きましょう」
 
 くるりと腰までの長い髪を翻し、片倉響子は校舎の方へ、向き直る。
 その耳に輝く赤いピアスが、茫然と見送る七菜江の目に、いつまでも鮮明に映っていた――

 
 
 
 2
 
 「あれぇ? ッかしいな〜〜・・・・」
 
 教室の廊下側の窓のひとつをカラカラと開けて、中の様子をぐるりと窺っていた工藤吼介は、
周囲に聞こえるほどの大きさで、ひとり呟いた。
 
 3年生が2年生のクラスにやってくるというのは、それだけでも目立つ行為だが、なにしろ吼
介はマンモス校・聖愛学院の中で、3本の指に入る有名人だ。気を遣って扉ではなく、窓を開
けてこっそり教室内部を見ていたのだが、そんな努力は杞憂だった。2年普通科の校舎・第8
号館にその姿を見せた時点で、熱心なファンは、彼のストーキングを開始していた。
 身長も高いが、特筆すべきほどではない。圧倒的なのは、その肉の厚みだ。並の高校生の2
倍はありそうな胸の厚み。開襟シャツの中で、風船がはちきれそうに膨らんでいる。あまりの太
さのため、切れこみを入れた袖からは、コブが3つ4つ合体した岩のような腕が生えている。ス
ポーツマンらしく刈り込んだ頭髪に、頑丈そうな顎。それを支える首は、顔の横幅よりも太くなっ
ている。見事な逆三角形の肉体は、ボディービルダーのように“造られた感”が強いものではな
く、“使える感”が強調された美しさがある。
 たとえ、彼の名が知られていなくても、すれ違った人は、振り返らずにはいられない・・・そん
な肉体の持ち主が、隠密行動を取ること自体に無理があった。
 
 「・・・んだよ、せっかく来てやったのに、どこ行ってやがんだ・・・・」
 
 たしか、そこにいるはずの、外側から3番目・一番後ろの席に、最強と呼ばれる男は、お目当
ての人物を探す。空席となっているその席の近くで、ペチャクチャと話す、彼女の友人らしき3
人の女生徒のうちのひとりが、吼介に気付いて声を飛ばす。
 
 「工藤先輩ッ! もしかして、ナナちゃんですかぁ?」
 
 手を拡声器代わりに使ったおかっぱ頭の少女は、藤木七菜江と同じ、ハンド部員のはずだ。
吼介は何度か、会った記憶がある。空手と柔術を習得している吼介は、どんなケンカ自慢も、
この人の前ではケンカの話をしなくなるとさえ言われており、憧れの的である反面、恐れられて
もいたが(特に女子には)、七菜江を通じているためか、3人のコたちには、一向に脅える様子
がなかった。
 
 「んン?? そうそう・・・ちょっと野暮用でな。あいつ、どこ行ったか、知ってる?」
 
 顔を見合わせた3人が、クスクスと笑い合う。
 
 「???」
 
 「先輩、目の前にいますよ」
 
 窓サッシに両手を掛け、満面に笑顔を輝かせて、子犬のように吼介を見上げる七菜江の姿
がそこにあった。
 
 「うおッッ!!」
 
 「エヘヘ♪ 吼介先輩、こんにちわ」
 
 他人の椅子にチョコンと正座し、おあずけの姿勢で、鈍感な格闘家が自分の存在に気付くの
を待っていた少女が、予想通りのリアクションにしてやったりの笑みを振り撒く。笑うと口の横に
皺ができ、猫のような口元に見えることもあるので、吼介は七菜江を「猫娘」と呼ぶこともあった
が、悪戯をした時は、この「猫」になるのが常だ。
 
 「私に会いに来たんですか、先輩? もしかして、あたしに気があるのかなぁ〜〜?」
 
 やりたくて仕方なかった朝の仕返しを成し遂げ、七菜江の瞳に小悪魔の閃きが光る。
 
 「好きなら好きって、言っちゃってもいいんですよ? あ、でも、返事は期待しないでください
ね」
 
 困惑する様子を期待して、目を輝かせている少女のショートカットを、上からムンズと片手で
鷲掴みにし、高校の計器では測定不能だった握力で、吼介はギリギリとアイアンクローで締め
上げる。
 
 「イタイイタイイタイ! ごめんなさいごめんなさい!!」
 
 
 
 「ったく・・・なんでオレが大事な昼休みに、お前のボディーガードなんかしなくちゃなんねえん
だ?」
 
 まだ痛みの残る頭を抱え、「猫」の口を尖らせ「タコ」にした七菜江が、不満気に反論する。
 
 「そんなに嫌なら、断ればいいじゃないですか。どーせ、里美さんには歯向かえないくせに」
 
 日焼けした男臭い顔が、そっぽを向く。
 
 「先輩って、学園最強とか言われてるけど、ホントは2位ですよね。里美さんには敵わないも
ん」
 
 「お前ね・・・オレってそんなイメージなの?」
 
 「ていうか、なんでそんなに里美さんに弱いんですか?」
 
 次の言葉を一瞬ためらい、七菜江は思い切って口に出した。
 
 「・・・やっぱり・・・里美さんのこと、好きなんですか?」
 
 子犬のような姿勢のまま、七菜江は逞しい男の体を見上げる。暖かく、大きな掌が、ポンと、
ショートカットを優しく叩く。
 
 「幼馴染っつッてんだろ」
 
 色気にはほど遠い、大げさなウインクを、吼介は天真爛漫を絵に描いたような少女に送っ
た。バチンと音が聞こえてきそうなヤツを。
 “なんで私、こんなバカなこと、聞いちゃったんだろ?”
 とぼけた味に、七菜江は正常に戻る想いがする。
 と、同時に、明るい少女は、朝に起こった衝撃を思い返していた。
 
 「そうだ! そんなことより、吼介先輩、なんであのヒトと仲良いんですかッ?!」
 
 「あのヒト? 誰だよ?」
 
 「片倉っていうあのヤな感じの先生ですよ! なんか知ってる感じだったじゃないですか」
 
 片倉響子・・・脈絡なくヒドイ扱いを受けた屈辱が、七菜江の中でふつふつと沸騰する。クレオ
パトラはこんな風だったのではと思わせる美貌、スラリと伸びたプロポーション、妖しいまでの
オトナの色気・・・そして垣間見せる青白い怖さ。七菜江の心には、初対面にして多くの傷跡が
残されていた。
 
 「やたら、吼介先輩のこと持ち上げて・・・やらしい感じ!! 私、正直、先輩のこと、見損ない
ました! 里美さんが病気で苦しんでる時に、あんな女になびいちゃうなんて・・・」
 
 「ああ・・・片倉先生のことか・・・」
 
 「『ああ』じゃないですよ!」
 
 「なーんか、よく会うっつーか、話し掛けてくんだよな。それだけだぞ。なびくとか、何わけのわ
からんこと言ってんだ?」
 
 「・・・だって! 美人とか言ってたじゃないですか!」
 
 「美人だろ?」
 
 「そう・・・・・・・・・・ですね」
 
 「周りで野郎連中が騒いでるだけだって。七菜江、お前、ちょっとおかしいぞ? 腹立つのは
わかるけど、意識過剰だぜ」
 
 口をへの字に曲げて、不快感を思いっきり露わにした表情で、「猫娘」が更なる反論を考え
る。吼介との仲はわかったが、まだあの片倉って女には、文句をつけないと気が済まない。だ
が、その作業は中断を余儀なくされることになる。
 
 《生徒の呼び出しをします。3年F組、工藤吼介くん、第3生物実験室まで来てください。あと、
2年J組、藤木七菜江さん、第5化学実験室に至急行くように》
 
 「あれ・・・?」
 
 “今の声、片倉先生”
 
 「噂をすれば、早速!! もう、一体なんなのよ!」
 
 話題にしていた女教師に、まるで見透かされたかのようなタイミングで呼び出しを食らい、七
菜江の口はますます尖る。怒りの感情もあるが、また、嫌な思いを味わうのではないか、という
憂鬱が予測の大部分を占めている。
 
 「ねえ? なんなのかなぁ? なんか朝の時、マズイことしたっけ」
 
 「七菜江はムッとした顔してたもんな」
 
 「・・・・・・あれは向こうが悪いじゃん! 先生だったら何言ってもいいの?!」
 
 「学校てな、どんな嫌な上司にも耐えられるよう、勉強するところだぞ。大丈夫、朝のことでな
んかっていうなら、ふたり別々の場所に呼ばれないだろ」
 
 級友に手を振り、教室を出た七菜江は、途中まで一緒に筋肉の鎧武者と共に行くことにす
る。午後の授業開始まで、あと5分。遅刻は覚悟した方が良さそうだ。
 
 逆三角形の背中と、丸みを帯びたボディーラインを見送って、その影が消えるのを確認した、
3人の女子高生が話し始める。
 
 「ねえ、ねえ、あのふたり、怪しいよね」
 
 「ナナちゃん、普段はあんなに男にべたべたしないもんね」
 
 「でも、工藤先輩には五十嵐先輩がいるんじゃ?」
 
 「あの二人は幼馴染らしいわよ」
 
 「工藤先輩、ナナちゃんとよく会ってるみたいだし」
 
 「今日はなにしに来たの? まさかナナちゃんにただ会うため?」
 
 「なんかナナちゃんが不良グループに狙われてるんだって」
 
 「それホント? ちょっと嘘っぽいっていうか・・・」
 
 「でもホントだとしたら、ナナちゃん、いいの? いま、ひとりになっちゃったんじゃない?」
 
 
 
 長い廊下を突き当たりまで、藤木七菜江は行く。
 第5化学実験室は、普段は使うことのない教室だ。2年生は大体第2か第3を使うため、記憶
と校内掲示板を頼りに、学園内でも端になるこの教室に向かっていた。
 途中まではまもなく始まる授業に備え、慌しく準備する生徒たちの騒ぎ声が木霊していたが、
授業が始まったためか、実験室が離れた場所にあるためか、シンと静まり返った廊下を、少女
の足音だけが響く。
 
 「ちくしょおォ〜〜、あの女め・・・・・こんなとこに呼び出して、なんなのよ・・・」
 
 女のコらしからぬ台詞を吐き、ハンドボールで鍛えた肉付きのいい太股を動かしていく。
 
 「おかげで授業に出られないじゃない(それは嬉しいけど)。吼介先輩と別々の場所に呼び出
して、自分の体は一個しかないのにどうするつもりなのよ?」
 
 行ってみたら、実は誰もいなくて・・・・・なにやってるの、やっぱり頭の悪いコは困るわ・・・バカ
にして笑う片倉響子の姿が、思い浮かんできてしまう。帰ろっかな・・・・何度も思うが、そういう
わけにもいかず、七菜江は歩を進めた。
 
 教師にあるまじき艶かしさを持つ美女のことを思うと、朝に受けた屈辱があぶくになって復活
してしまう。
 援交やってそうとか・・・御生憎様! どーせ、キスもしたことないガキですよ!
 頭悪そうとか・・・そりゃあ、あなた様に比べればね!
 しかし、最後の、どこかで会ったような、というのだけは、七菜江の心に思い当たる節は、全く
なかった。もしかして、それを思い出したから、呼び出されたのかな? 授業中にわざわざ呼ぶ
重大性から考えて、その予想はすぐに打ち消したが、今朝初対面で、直接講義を受けてるわ
けでもない自分を呼ぶ理由は、七菜江には想像も出来なかった。
 
 片倉響子への怒りを反芻しているうちに、目的地に着いていた。
 一番南の校舎・第12号館の3階、突き当たりの部屋。それが第5化学実験室であった。近く
には、視聴覚室や物理実験室など、あまり使用頻度の高くない教室が並んでいるため、人影
が一切なく、隔離された孤島を想わせる。
 
 「ホントにいなかったら、あの女、ただじゃすまないんだから・・・」
 
 物騒な言葉を吐いて、七菜江はひとつしかない扉を開ける。
 
 ツンと、すえた臭いが鼻腔をくすぐる。
 大きな黒い机が8個と、そこに備え付けられた洗面台。壁に飾られた薬品棚。それらがここ
が実験室であることを主張している。
 静まり返った室内を、真中まで七菜江は進んでいった。
 
 「いないじゃん・・・・」
 
 腰までの長い黒髪を持つ美女の姿は、そこにはなかった。
 ホントにからかわれてるのかな? 怒りよりも不安が先に立つ。もしかして、工藤吼介との用
事が済んでから、現れるつもりなのだろうか? それならば、わざわざ別の場所に呼ぶ意味が
ないが・・・
 
 「まって〜たよ。フジキナナエ」
 
 不意に湧いた声に、コンマ単位で振り向く七菜江。
 黒板の前、一際大きな黒い机の上に、いつのまにか、女が足を組んで腰掛けている。
 片倉響子? ―――全ッ然違うッッッ!!!
 毛根から染められた茶髪、半透明なサングラス、その奥に覗くマスカラとラインのキツイ大き
な瞳。白のワイシャツの胸の部分は大きくはだけ、豹柄のタンクトップが挑発的に光る。同じ豹
柄のミニスカートからは、足を組んでいるため、その中が無遠慮に曝け出され、娼婦丸だしの
黒い下着が見える。顎に添えられた右腕にリングが三つ。指の装飾物は確認するのも大変な
ほどだ。
 ダルそうな視線、猛獣のような爪、そして、なにより、「豹柄」・・・・・七菜江のコンピューターに
ひとつの人物ファイルが浮ぶ。
 
 「か・・・・神崎ちゆり・・・・・なんであなたがここに・・・・・・」
 
 口にしたくはなかったその名を、ショートカットの少女は呟いていた。
 ヤクザとも交流があるといわれ、この地方のあらゆる学校の不良たちが、頭が上がらないと
言われる、裏世界の女王・・・「闇豹」とあだ名される魔女が、何故片倉先生の呼び出した教室
で、七菜江をまっていたのか?!
 
 混乱する思考が、単純な正解に辿りつかせない。
 嘲笑うかのように、魔女・ちゆりがヒントを与える。
 
 「藤木七菜江・・・聖愛学院二年生。158cm 48kg。ハンドボール部期待のスーパーサブ。
体力に不安あるが、運動神経は部内随一・・・ふ〜〜ん、あんたも汗臭いことしてんだ」
 
 ペラペラと大学ノートを繰りながら、「闇豹」が「猫娘」のデータを確認する。その作業だけで、
これが計画的なモノと知らせるには、十分だった。
 
 “ヤラレタ・・・・罠にはまった・・・・”
 
 ギリギリと唇を噛む。
 
 “これが・・・・ナナ狩りねッッッ!!”
 
 目の前の派手な少女・神崎ちゆりが、“ナナ狩り”の首謀者だったのだ。そして、メフェレスと
も関係しているのに違いない!
 
 “まさか、ちゆりがメフェレス・・・いや、それは有り得ない。メフェレスのあの感じは間違いなく
男! てことは他に・・・・・それだけじゃない、あの片倉先生も・・・・”
 
 あの女教師が、“ナナ狩り”に加担していたなんて!
 怒りが津波のように押し寄せる。だが、激情に身を委ねている余裕はない。
 机の影から、二つ分の人影が踊り出る。反対側からも二つ。さらに唯一の逃げ場である扉か
ら、新たにふたり、脱出不能を示すかのように、処刑場に入場する。
 
 吹き出る汗の雫が、尖った顎の先からポタリと落ちる。色取り取りの6つの頭、そして鮮やか
な豹柄に囲まれて、少女の顔がせわしなく動く。
 
 「あ〜〜あ〜〜完全に囲まれちゃったねぇ〜。ど〜する〜〜?」
 
 獲物を前に、バカにした口調で茶化す豹柄のコギャルを、思わず七菜江は睨みつける。
 
 「お! いい! いいねえ♪ その反抗的な態度。そういう勝気な女ってボロボロにしてやりた
くなるのよねぇ〜。あんた、特別サービスで、“ちり”が嬲ってあげる♪」
 
 コロコロと笑う「闇豹」に、七菜江は悔しさを募らせる。
 
 “くそオッ! くそオッッ!! あの女、だましたなぁッ!! なにがナナ狩りよ・・・なめやがっ
て・・・・こうやって大勢で罪の無い女のコをリンチしたのね! こいつらも・・・片倉響子も・・・全
員許せないッッ!!!” 
 
 青白い闘志が燃えあがるのを、七菜江は自覚する。
 宇宙生命体『エデン』が寄生することにより、七菜江はファントムガール・ナナへと変身できる
ようになったが、『エデン』との融合は、彼女本体への影響も生み出していた。なんというか、以
前よりも戦闘意欲が上がったように感じるのだ。恐らく『エデン』の生存本能が加算した分、細
胞が意識が闘争へと駆り立てられるのだろう。
 だが、その一方で、17歳の普通の女子高生だった彼女が、本来持っていた闘いへの嫌悪
感・恐怖が、抑制薬として働いてもいた。
 
 “全部で七人・・・でも、神崎ちゆりは見てるだけだろうから、実質6人。あの緑の髪の男は木
刀を持ってるけど、明らかに素人・・・メフェレスではない。強そうなのは、金髪の大男。今の私
なら、6人相手でもなんとかなりそう・・・”
 
 激情に炎を灯しながらも、七菜江は冷静に自分を囲む処刑者たちの戦力を分析していた。
 『エデン』により、高められた七菜江の運動能力・耐久力・パワー・スピードなら、いくら暴力に
慣れているとはいえ、所詮素人の高校生6人に襲われたぐらいでは、負けることはない。多
少、手を抜いたところで、攻撃を避けきり、この窮地を脱するのは、それほど難しいことではな
いだろう。
 
 “くそ・・・ホントなら、こいつらみんなやっつけて、二度とバカな真似しないようにするの
に・・・・・・”
 
 だが、今回に関しては、その選択肢は七菜江には与えられていなかった。
 “ナナ狩り”の、そして、それを裏で操っているはずのメフェレスの目的は、「ファントムガー
ル・ナナ」の正体を探すことにあるのだ。ここで人並み外れた能力を晒すことは、絶対に避けね
ばならない。少しでも“らしい”動きを見せたら最期、報告係であろう神崎ちゆりから、メフェレス
に「ナナ」の正体が明かされることだろう。6人相手に大立ち回りをやるどころか、鮮やかに窮
地を脱するだけでも、要注意人物として藤木七菜江の名を挙げさせるには十分だ。
 逆に、ここでリンチを受け、ボロボロにされようとも、極端な話、生きていさえすれば、神崎ち
ゆりと片倉響子、このふたりがメフェレスに繋がる人物であるという、特上の情報を里美に伝え
られるのだ。
 五十嵐里美は、絶対に正体を知られてはいけない、と教示する反面、「もし、危なくなったら、
そのときは逃げて。正体なんかバレていいから」と矛盾するが七菜江に気遣った言葉を言って
くれたが、七菜江の決意はとっくにできていた。
 
 “悔しいけど・・・わざとやられるしかない! できるだけ、致命傷を避けて・・・・・・”
 
 少女の悲愴な思いも知らず、残酷な豹が、ゲームの開始を告げる。
 
 「んじゃあ武志ィ〜、この生意気な女、ヒイヒイ言わせてあげてぇ。ちりにああいう目を向けた
らどうなるか、そのよく育った体に刷り込んであげる〜」
 
 大きな黒机で遮られた通路、その真中に立つ少女に、処刑執行の魔の手が伸びる。
 背後から、鉄パイプを持った男と、赤い髪の男が迫る。正面からは、武志と呼ばれた金髪の
大男。本命は、この大男だ。退路を塞ぎ、止むなく向かってきた獲物をこの男が、狩る。連中
の作戦は七菜江には手に取るようにわかった。それほど飛びぬけて、目の前の大男は、戦闘
能力が高い。
 工藤吼介並のぶ厚い胸板。その顔・肉体から受けるイメージはまさしくゴリラだ。右だけに金
の大きなイヤリングをしており、短く刈り込んだ金髪と合わせているようだ。最強と呼ばれる男
を見知った七菜江だからこそ、目の前の脅威が、見掛け倒しでないことを見抜く。
 これは・・・後ろに逃げた方がまだいいかも。
 七菜江が前後の戦力を比較した結論を出そうとした瞬間、猛威が襲いかかった。
 
 ゴリラが前に出る。予想以上に速い。
 思いっきり右拳を振りかぶる。わかりやすい攻撃。だが、背後から同時に鉄パイプで殴りか
かられてるなら、話は別だ。
 前後に迫る圧倒的暴力。どうよける??
 横へ――黒机の上を横転し、隣の通路へ。パイプが床を叩く激しい音。
 回転レシーブの要領で転がり、通路に着地した瞬間、緑の頭の木刀が真上から襲う。見えて
た。遅い。一瞬迷って、つい反射的に避ける。
 今度は前転。膝上までの短めのプリーツスカートがはだける。ピンクの縞のパンティ。ちくしょ
う、見られた。
 待ち構えていた赤のモヒカンが、七菜江が立つと同時に、右ストレートを放つ。
 
 「ヒャッヒャッ――ッッ!!」
 
 ピアスの付いた唇を歪め、不愉快に笑う。
 そんなテレフォンパンチ、避けれないと思ってンのッ?!!
 容赦ない一撃が、少女の角度の良い顎に吸いこまれる。弾けそうな勢いで、右に振られる
顔。ぶれるショートカット。50kgに満たない身体が、化学実験室の宙を飛ぶ。
 
 “受けて・・・・・・あげたわよッ”
 
 七菜江はモヒカンの非力を見抜いていた。わざと、殴られる。
 もちろん、ただやられるのではない。拳が当たった瞬間、顔を振ることにより、力のベクトルを
逃がす。人間の身体は、普通殴られそうになると固くなるところを、逆に力を抜いたのだ。しか
も最小限の手応えを、モヒカンに与えて。神業のスピードとタイミング。さらに、自分から後方に
飛ぶことにより、二重に力を逃す。『エデン』はここまでの戦闘能力を少女に授けていた。
 背中から固いフロアに落ちる七菜江。猫のようなしなやかな受け身で、ダメージをゼロに。一
方で、音は派手に立てて、やられっぷりをアピールする。
 さっき木刀を空振りした、緑頭が、再び木刀を振りかぶる。
 狙っているのは・・・倒れた七菜江の頭?!! ―――ジョーダンじゃないッ!! ギリギリま
で見極めて、木刀と床とを激突させる。今度は、足が上がる。狙いは・・・・・胸。―――・・・・・受
けよう。
 
 セーラー服の上からでも形がわかる、水蜜桃のようなふくよかな胸を、緑頭の非情な足が抉
る。
 
 「ぐうぅッッ!!」
 
 リアルな呻き声が洩れる。覚悟していても、急所のひとつである胸を踏み抜かれるのは、い
かに『エデン』の寄生者といえど、キツイ。両手で自分自身を抱きしめる。
 鉄パイプの男が、黒机を飛び越えてうずくまる七菜江の横に立つ。がら空きの腹を、サッカー
ボールのように蹴り上げる.呻く少女。海老のように丸まる肉付きのいい肢体を、緑頭と鉄パ
イプとが、両脇を抱えて立ち上がらせる。
 
 「う・・・う・・・」
 
 筋肉に包まれた巨猿が、捕らわれた獲物を見下ろす。奥まった眼が、本格的な処刑の開始
を告げている。
 胸が痛い、腹が痛い。でも、メフェレスたちに食らった惨劇に比べれば、こんなものはなんて
ことない。その気になれば、この程度の戒めは難なく脱出できる。そうとはわかっているが・・・・
 
 “ダメ。逃げちゃ、ばれちゃう。やられるしか・・・・ない”
 
 しっかりと固定された健康的な肢体に、情け容赦ない、豪腕の一撃。
 鍛えられた腹筋に、サザエのような拳がめり込むのを、七菜江は見た。
 
 「ぐぼあああッッッ?!! ぐああああッッ―――ッッ!!」
 
 今までとは別種の悲鳴。ヨダレと胃液の混ざったものが、ベチャッと床を叩く。両サイドの男
たちの拘束を無視し、上半身を屈ませる七菜江。内臓が鉛を埋め込まれたように、重く、疼く。
 
 “き・・・・・効く・・・・・・な、なんてパンチ・・・・・今までとは比べ物にならない・・・・”
 
 くの字に曲がった体が、無理矢理に真っ直ぐに伸ばされる。大男が顔ほどもある拳を、苦痛
に顔を歪ませた七菜江の鼻先に見せる。もう一発いくぞ。無意識に、七菜江の首が小さく横に
振れる。
 
 動けぬ獲物に見せつけるように、大きく振りかぶる右拳。
 狙いは、腹。さっきと同じ場所。
 全筋力を集中し、腹筋の壁で迎え撃つ七菜江。
 2倍以上の体躯の、渾身の砲弾が、十字に捧げられた17歳の少女のくびれたウエストを撃
つ。
 少女の抵抗は、無意味だった。
 腹筋の壁は打ち破られ、ビリビリに裂かれた筋肉の中、拳は丸ごと埋まっていた。
 
 「ッッッ!!!!!」
 
 パカッッと口を開け、引き裂かれた筋繊維の激痛に、再び折れ曲がる七菜江の上半身。
 金髪の大男が、拳をギュルリと捻る。
 
 「がはあッッ!!! おヴぇヴぇヴぇええええ〜〜〜ッッッ!!!」
 
 形のいい唇から、黄色い吐瀉物が、噴水のように溢れる。
 
 “お・・お腹がぁ・・・・は、破裂したみたいに・・・・痛い・・・・”
 
 胃液を吐き散らしながら、ビクビクとふたりの男の腕の中で痙攣する七菜江。
 苦悶に歪む顔の下から、追撃のアッパーカットが唸る。
 卵が潰れるような音。
 電車に跳ね飛ばされた勢いで、七菜江の小さな顔が上を向く。
 カメラのシャッターを押したように、カシャッと白目を剥く少女。
 20cm浮き上がった女のコらしい身体が膝から落ち、気絶した上半身がゆっくりと、自ら嘔吐
した汚液の海に沈んでいった。
 
 「あはははは♪ な〜に〜、大したことないのねぇ〜。最初、いい動きするなぁ〜って思った
んだけどォ。運動神経抜群って、この程度なのォ〜〜?」
 
 サングラスに透ける瞳を細め、笑い皺でクシャクシャにするコギャル。地に伏した生贄に、優
雅な足取りで近付く。
 黄色い反吐に接吻する七菜江のショートカットを掴み、引き摺り上げる。獲物が完全に失神
しているのを確認すると、無造作に手を放す。ベチャリという音を残して、再び吐瀉物にまみれ
る可愛らしい少女の顔。その敗者の頭を、ハイヒールがゴツッと踏みしめる。
 
 「でもさあ〜、まだ終わんないよォ〜。あんたが、わざと、やられてるかもしれないからね。泣
き喚くまで、徹底的に遊んであげるぅ〜♪」
 
 残虐な宣告は、気を失った少女に、聞こえるはずはなかった。
 
 
 
 「待ってたわ、工藤くん」
 
 第3生物実験室に工藤吼介が着くと、丸椅子に腰掛けた長い髪の美女は、にこやかに振り
返った。にこやかと言っても、この女教師がやると、明るいイメージではなく、妖しい感じになっ
てしまうのは流石であったが。
 
 「なんスか、先生。オレ、次の授業、数学だから、出ときたかったんですけど。よっぽど、大事
な用なんでしょうね」
 
 見掛けに合わぬ台詞を、筋肉の固まりがヒトの形になった男が言う。やや不満げな様子を、
片倉響子は、笑顔でかわす。
 
 「まぁ、掛けて」
 
 対面にある、同じ型の丸椅子を、吼介に勧める。棍棒のような腕を組んだまま、男は身動き
ひとつしない。2mほどの距離を置いて、片倉響子の仕草を見ている。
 響子も同じ催促を、二度はしなかった。見上げる格好で、話を進める。
 
 「実はね、あなたに頼みたい事があるのよ」
 
 「引越しの手伝いとかッスか?」
 
 「ふふふ、まさか。あなたのその優秀な肉体を、そんな無益な労働には使えないわ」
 
 ギリシャ彫刻のような彫りの深い美貌に、妖艶な笑みが広がる。
 
 「私はね、工藤くん、徹底的な現実主義者なの。差別主義者って呼ぶ人もいるけど。能力が
ある者が支配し、無能な者は支配される・・・これって当たり前のことじゃないかしら?」
 
 「否定は、しませんよ」
 
 吼介の返答は瞬時だった。不満げな様子は消えている。その顔に浮ぶのは、恐れられてい
る学園最強の男ではなく、里美と連れ添う幼馴染ではなく、七菜江とじゃれあう陽気な姿でな
く、全く新しい一面。好奇心に餓えた顔。
 
 「良かったわ、あなたが予想通りのヒトで。その辺の筋肉バカとは大違い。高校生にもなっ
て、世の中の摂理ってものを理解してないガキが多いのよね」
 
 片倉響子が立ちあがる。白のブラウス、黒のミニスカート。なんでもないファッションが、なぜ
こんなに淫らに映るのか?
 
 「ハッキリ言えば、私は支配する人間。そしてあなたも。さっき、私は引越しは無益な労働と言
ったけれど、そうすると反論するヤツがいるわけ。引越しは立派な仕事だって。確かにそうね。
でも、優秀な肉体を持った、あなたがやるべきことではない。誰でもできることは、誰かがやれ
ばいいのよ。けれど、誰かにしかできないことは、その誰かがやらねばならない。あなたは、そ
の最強の肉体を持った者として、やらなければならない義務があるはずよ」
 
 工藤吼介がニヤリと笑う。いつもの垢抜けた笑みとは違う、翳のある笑み。
 
 「そういう割りきった考え、嫌いじゃないですよ」
 
 「工藤くん、私はあなたに力を与えたいの。支配する者としての力を。傲慢に聞こえるなら、こ
う言い換えるわ。あなたの力を、私に貸して。これがお願いよ」
 
 髪を掻き揚げる。耳に艶かしく光る赤いピアスが、誘うように午後の光を反射する。お願いと
言いつつも、響子の瞳に懇願などは一切無い。あるのは、契約を迫る悪魔のそれだ。
 
 「要は先生と手を結べってことですよね? 悪いけど、お断りッス! モルモットのようにされ
ちゃあ、敵わないですからね。オレ、よく疑われるんだけど、クスリとか一切やってないっての
が自慢なんで」
 
 いつもの調子に戻った吼介が、豪快かつ明朗に拒否をする。彼の頭に去来するのは、ドーピ
ングなど、科学者と結託して記録を残し、その代償に副作用による崩壊を受け入れた、多くの
かつてのアスリートたち。
 
 「あ、プロテインとかは飲んでますよ。でも、注射とか、嫌なんスよね―! ステロイドとかけっ
こうヤバイんでしょ? オレ、ああいうのはお断りだなあ!」
 
 「ち、違うわ・・・そんな小さな話をしてるんじゃないの」
 
 「先生の話、面白かったけど、オレ自身は支配とか、なんだとか興味ないんですよねー。悪い
けど、他、当たってください。んじゃ!」
 
 片手を軽く上げて、意気揚揚と実験室を出ようとする吼介。
 女教師が、彼女らしからぬ切迫した口調で、筋肉武者を止める。
 
 「待って! あなたのその肉体がどうしても必要なのよ!」
 
 今度の叫びは、懇願だった。切羽詰まった女が、プライドをかなぐり捨てる。
 出口に向かっていた、吼介の切り株のような足が止まる。
 
 「私がヒトにモノを頼むなんて、有り得ないことなのよ。あなただから、こうしてお願いしてる
の」
 
 「・・・・・・・」
 
 「もちろん、タダとは言わないわ」
 
 ファサリと何かが落ちる音。ゆっくりと、工藤吼介は振り返った。
 
 一糸纏わぬ、生まれたままの姿で、片倉響子は立っていた。
 
 「私をあげるわ。さあ、好きなようにしていいのよ」
 
 
 
 隔離された、化学実験室。
 止むこと無い肉が潰れる音に、可憐な悲鳴が時折混じる。
 薬品棚と黒机に囲まれた室内、その真ん中。
 羽交い締めに捕らわれた少女を、ふたりの男が、交互に殴る。
 頬、胸、腹、顎、鳩尾、下腹部・・・・・場所はどこでも構わない、闇雲に、しっちゃかめっちゃか
に殴打の嵐に晒す。
 金髪の大男・武志に封じられた体は、抵抗する気持ちさえ奪われるほどガッシリと固められ、
藤木七菜江には呻く自由しか与えられていなかった。
 もう、何時間、殴られ続けただろう?
 十数分という時間が、七菜江には、永遠に続く悪魔の晩餐に思われる。6人の男に代わる代
わる、気が済むまでサンドバッグとしてその身を捧げた少女は、本来の健康的な姿からは程
遠い、陰惨な被虐者に変わり果ててしまっていた。
 左目の目蓋が赤く腫れ、右の頬は紫色に膨れ上がっていた。少女らしい唇の端からは、朱
色の線が引かれ、口腔内は絵の具を塗ったように赤い。セーラーの下から覗くお腹は、青黒い
痣がいくつも浮んでいる。聖愛学院を象徴する青のカラーも、スカーフも、白のシャツも、殴ら
れるたびできる皺で、グシャグシャになっている。
 
 普通なら、もっと、その可愛らしさと無邪気さ、オトナの色気を微妙なバランスで内包したマス
クは崩壊しているのだろうが、『エデン』によって高まった耐久力のおかげで、その原型は随分
保たれていた。いくら戦士として覚悟をきめた七菜江とて、本当は花も恥らう17歳の乙女、顔
を潰されるのは、なによりツライ。その点、『エデン』には素直に感謝していた。
 一方で、普通の少女なら、とっくに失神しているところを、なかなか眠らせてもらえないことに
は、恨み言のひとつも言いたい気分だった。
 
 「あは♪ い〜いザマねぇ! それにしてもけっこう頑丈なのねぇ〜、ちり、そこんところは褒
めたげる」
 
 頬杖をついた姿勢のまま、高みの見物を決めこんでいる豹柄のコギャルに、虜の少女は鋭
い目を向ける。
 
 「あ〜れ〜? まぁ〜だそんな眼ができるのぉ? ホント、大したもんねぇ〜。身も心もまだ、
折れてないって感じィ〜! じゃあ、武志ィ〜」
 
 金のルージュを歪めて、愉悦に咽ぶ女豹が、筋肉に包まれた不良のリーダーに指令を下
す。
 
 「まず、身体から、壊しちゃってぇぇ〜〜♪」
 
 魔女の声を合図に、ゴリラが羽交い締めを解く。七菜江の小さな背中を魔法瓶のような両腕
でドンと押す。
 氷の上を滑るように、つんのめって吹き飛ぶ身体を、銀の髪の男が受けとめる。身体を起こ
す。振りかぶる右手に巻かれた鎖が、鈍く光る。小麦色の頬に、叩きこまれる鎖。鉄が肉を削
る音。
 七菜江の口から血が舞う。後方によろめく少女。
 その無防備な背中を赤いモヒカンが蹴り抜く。小さく呻いて、囲んだ男たちの間を、ピンボー
ルのように往復する七菜江。もうひとりの赤い髪の男が、突き出された形の良いバストを前か
ら蹴り潰す。
 前後左右からの暴力に、フラフラと彷徨う七菜江。
 
 「オラッ! 背中ががら空きなんだよッ!!」
 
 緑頭の木刀が、フルスイングで少女を両断する。柔らかな17歳の肉体が、凶悪な木の暴打
に嬲られる音。背骨が奇妙な悲鳴をあげる。天を向いた七菜江の口から、火山の噴火のよう
に、吐血が空中を赤く染める。
 鳩尾に鉄パイプ。反っていた七菜江の肢体が、今度は逆に折り曲がり、潰された腹を押さえ
て苦悶に震える。
 傍らに立つ大男。激痛に囚われた少女は気付かない。両手を組んで振り上げる。手斧は少
女の儚げな首筋に叩きこまれる。
 モノのように叩き伏せられる少女。その健康的なプロポーションが衝撃でバウンドする。ピク
リピクリと断末魔に震えるのみ。
 うつ伏せに倒れた少女を、6人の男が囲む。動けぬ七菜江を蹴りまくる。蹴る。踏む。潰す。
 金髪の大将・武志が右手を挙げる。それを合図に処刑が止まる。
 肩を蹴って、惨めな獲物を仰向けに起こす。全身を腫れあがらせた、無残な七菜江の残骸
がそこにはあった。埃まみれの青いカラーを鷲掴み、両手の力で、崩壊した肢体を吊り上げ
る。ガクーンと垂れた手足が、ブラブラと力無く揺れる。
 
 「あははははは♪ やった、やった! そのカッコイイ身体を、もっとちりに見せてぇ〜!」
 
 武志が壊れた物体を、投げる。ドチャリと黒机に落ちる、七菜江という物。文字通り、大の字
にその痣だらけの肉体を晒す。
 近寄る女豹がまじまじと生贄の品定めをする。
 横になっても崩れない形の良いバスト。部活で鍛えた締まったウエスト。膝上までの少し短め
のスカートから、ちょっと太めの太股が覗く。シャツも短めにしているのだろう、水色のブラが見
えるまでに捲くり上がっていた。
 
 「あんたもけっこう不良じゃないのぉ? こんな短い制服・・・パンツなんか見えそうじゃない」
 
 スカートを無遠慮に捲くる。ピンク縞のパンティが、男どもの股間を刺激する。
 
 「でも、ホント、いい身体よね〜〜、ちり、オッパイちっちゃいから羨ましいわぁ。こんなヤラシ
イ身体の持ち主は・・・・お・し・お・き♪」
 
 四人の不良が七菜江の四肢のひとつづつを抑えつける。実験室の学習机は、拷問の拘束
台へと早代わりする。
 猛獣の爪がセーラー服に掛けられる。
 一気に引き裂く。服と下着だけが、キレイに切られ、左右に落ちる。
 少女の白い丘陵がふたつ、白日の下に曝け出される。
 誰かがツバを嚥下する音が、異様に響く。
 
 「・・・・や・・・・・やめろ・・・・・・・」
 
 意識の遠のいていたはずの少女が、己の身に襲いかかる悪夢に気付き、掠れた声を絞り出
す。
 手足に力を込める。ビクとも動かない現実が、少女を嘲笑う。反撃をしようとするには、あまり
にも七菜江は私刑を受けすぎた。傷つきすぎた体では、『エデン』の超身体能力を持ってして
も、7人の処刑者相手に逆襲することは不可能だった。
 
 豹の爪が、七菜江の桜色の突起物を摘まむ。ビクリと反応する七菜江。優しく、突起をこね
回す。爪の先で突き、折り、撫でて・・・また、ゆっくりと回す。時には、乳房全体を包み込むよう
に、撫で上げ、頂点を弄る。知らず、七菜江の口から、吐息が洩れる。
 
 「うッ・・・・・くぅッ・・・・・・ううぅッ・・・・・・・」
 
 「ふふふ。我慢しても無駄、無駄。ちりはねぇ、男に飽きちゃったから、最近女をイカセルのに
凝ってんのよね・・・・・あんた、こんなに身体固くして、経験ないでしょォ? こういうのって、赤
子の乳首を捻る・・・っていうのかなァ〜・・・・」
 
 急激に摘まんだ桜の突起を、折り曲げる。
 
 「!! あふうぅッッ!!」
 
 「あ〜〜、ゴメン、“乳首”じゃなくって、“手”だっけぇ〜〜? まあ、いいや。こんなふうにィ
〜、あんたごときはァ〜、自由自在に喘がせちゃうわけ。ほらほら、気持ちいいでしょオ〜
〜?」
 
 豹の愛撫が早さを増す。七菜江の先端はコリコリと固くなり、埋もれていた蕾が、尖ってくる。
 
 「あふうッ!・・・・ああッ・・・・・くうぅぅッ・・・・・うぐうッ!・・・」
 
 七菜江の息が荒い。切なげに腫れた顔を左右に振るが、悦楽の檻からは逃れられない。腫
れて塞がった眼に、涙が浮かぶ。
 
 “く・・・くやしいィッッ!! あ、あたし、遊ばれてる・・・・・あたしの身体が遊ばれてる・・・・・ホ
ントなら・・・・こいつらなんかに負けないのにッッ!!”
 
 「ふふふ、悔しそうねぇ〜。でも、体は正直みたい。ほら、濡れてきてんじゃないのォ〜〜?」
 
 豹の左手が下半身の繁みに伸びる。その意味を悟った七菜江が必死で身を捩るが、わずか
に腰が揺れるのみ。嫌悪に歪む美少女の表情が、豹柄の魔女の嗜虐心をより一層刺激す
る。
 
 「嫌がってる、嫌がってる・・・・・カワイイわぁ、他人に触られたことなんて、ないんでしょうねぇ
〜〜・・・・」
 
 ネイルアートの施された毒々しい爪が、ピンク縞のパンティの上から、少女の聖域に触れる。
しっとりとした感触が、派手なコギャルの指先に伝わる。
 
 「ほォ〜らッ! やっぱり感じてるじゃないのォ〜! ていうか、ビショビショオオォォ〜〜!!
 あんた、感度良すぎんじゃないのォ? あんたみたいに爽やかに、スポーツしてますって顔し
てる女、ちり、大ッキライなのよねえッ! ホントはこォ〜〜んなに淫乱なのにィ〜! ほらほ
ら、もォ〜ッと喘げよォ〜! よがり狂わせてやるからなッ!」
 
 ちゆりの指が、下着の生地をナイフのように突き破る。最後の防御線を破られ、少女の悲鳴
を挙げる七菜江。構わず指は、七菜江の最も大事な部分に侵入する。中指と、人差し指。二
本のナイフが秘所の奥へと突き進み、洞窟の襞を摩擦する。
 
 「ふやああああああッッッ!!!」
 
 絶望の叫び。七菜江の無垢な心が食い潰されていく。
 聖域の中で、豹が放った蛇が、蜜園を掻き乱す。コギャルの荒々しい言葉とは裏腹に、優し
く、這いずる。見えないはずなのに、敏感な突起を、正確に突く。こねる。弄ぶ。意志に反して
溢れる愛液が、淫靡な響きで流れていく。
 
 「あはあッッ!・・・・・うふうッッ!!・・・・・ああうッ!・・・・ううああ・あ・あ・・・あああッッ――ッ
ッ!!」
 
 「気持ちいいでしょオ〜〜ッッナナエッッ!! 狂い死んでもいいのよオ! あんたの心、壊し
てやるよッッ!!」
 
 「あああッッ!!・・・・や・・やめてェッッ!・・・・あふうッッ!・・・・も・もう・・・・やめてェェ――ッ
ッ!!」
 
 晒されている。最も見られてはならない、私の姿を。
 数百メートル離れた教室では、友達がノートを取っている学び舎で、私は男たちに胸を見ら
れ、女にいいように弄ばれ、感じて喘ぐ声を聞かれ、快感に震える淫乱な本性を晒しているの
だ。
 神聖な学校で、私は最も恥ずかしい遊戯に耽っている。
 耽らされている―――
 塞がった眼から、透明な雫がポロポロと落ちていく。
 乳房と秘所とを同時に、しかもかつてない感覚で責められ、少女の精神はたやすく限界に達
していた。怨敵にたまらず哀願しているのもわからないほどに。
 
 「そうやって、初めっから、泣き喚いてりゃ、いいのよオ〜〜! でも、遅いわぁ。ああいう眼を
ちりに向けたバカは・・・・こ〜〜う」
 
 右胸を豹の爪が弄ぶ。空いた左胸をゴリラが握り潰さんばかりに、荒々しく揉みしだく。秘園
の蜜を尽くさんと、蛇が襞を嬲り尽くす。少女の一番敏感な弱点が見抜かれ、全く違う強さ・温
度・柔らかさ・早さで、三点を暴風雨のように責めたてられる。熱い疼きが、3箇所で七菜江の
性をドロドロに溶かしていく。
 狂ったようにかぶりを振る七菜江。四肢を抑える男どもが、暴れる力で浮き上がる。腰が反
り、背中の下に空間を作る。全身を貫く快感に、細胞が暴れ舞う。
 
 “熱いィィ――ッッ!! 体が溶けるぅぅッッ――ッッ!! 痺れるぅぅッッ――ッッ!! ダメッ
ッ! あたし、ダメェェ――ッッ!! 狂うッッ!! 溶けるッッ!! 指を抜いてッッ! お願い
ッッ! もうやめてッッ!! うあああッッ!!うあああああああッッ―――ッッッ!!!”
 
 内圧が、爆発する。
 ニヤリと凄惨な笑みを浮べる豹柄のコギャル。
 ビクンッッ・・・と大きく痙攣し・・・・・七菜江の悶絶が止む。
 涙がまた、一雫。
 ズボリ・・・と聖なるクレバスから、二本の指を引きぬくちゆり。
 外れた栓から、白い愛液が、トロトロと溢れ出る。
 粘り気のある液体に濡れそぼった鋭い爪を、神崎ちゆりは液体の噴出者である17歳の女
子高生の顔で拭く。
 吐血と涙と汗と失神の泡と・・・多くの分泌物に薄汚れた可愛らしい顔に、今度は愛液が重ね
塗られる。
 
 「藤木七菜江・・・・・・ハズレだったけど、ちりは気に入っちゃったわぁ。もっと、もォ〜ッと、遊
んだげるぅ♪」
 
 「・・・・・・・・」
 
 「あらぁ? ま〜だ意識あったのォ? ホ〜〜ントにしぶといコねェ! なに、なに言ってんの
ォ? もっと大きな声で言ってみなって」
 
 チャラチャラとイヤリングが鳴る耳を、血のこびりついた少女の口元に寄せる。心身ともに切
り刻まれた少女が、微かに吐息に言葉を乗せる。
 
 「・・・・・・神崎・・・・・・ち・・ゆ・・り・・・・・・・ゼッ・・・・・タイ・・・・・・・・・ゆ・・・る・・・さ・・・・・・・・
な・・・・・・・い・・・・・・・・・」
 
 ペッと吐いた唾が、ちゆりのサングラスに当たる。
 虚ろな瞳が、ぼんやりと、しかし激しく「闇豹」を睨む。
 
 「こ・・・・のォッ・・・・・・・・クソ生意気なメスネコがああッッッ!!!いつまでも調子に乗ってん
じゃあねえぞオッッッッッ!!!!!」
 
 サングラスの向こうに透けていた笑い皺が消える。薄ら笑っていた金のルージュが咆哮す
る!
 眠っていた「闇豹」の獣性が、イカれた魔女の本性が目覚める。
 
 「お前らッッ! このカスを抑えろッ!! 武志ッ! 左足を持ちなッ!!」
 
 動けない七菜江を、容赦なく拘束する、男たち。その全身は総毛だっていた。命令を聞かね
ば、オレたちがコロサレル―――
 銀の髪の男が腹の上に乗る。腕にひとりづつ、右足にはふたり、全体重を懸けて抑えつけ
る。残った金髪の大男が、左足首から先を抑える。
 
 「クソメスがあッッ!! 地獄を見せてやるよッッ!!」
 
 凶悪な爪が5本、よく引き締まった左の太股に突き刺さる!
 
 「ぐああッッッ!!!」
 
 ズブズブと根元まで埋まる爪。そこから筋細胞ごと、膝頭まで引き裂いていく!!
 
 「うわああああああッッッッ―――ッッッ!!!! わあああああッッッッ―――ッッ
ッ!!!!!」
 
 血が噴水のように涌き出る! 右足を抑えた男たちの顔が、みるみる朱に染まっていく。七
菜江の悲痛な叫びが、処刑の部屋に哀しく響く。
 
 「泣けッ!! 喚けッッ!! こんなのはどうだアッッ!!」
 
 血に塗れた太股の傷口から、再び両手を刺し入れる!
 グチョグチョと鋭利な爪で、太股の筋繊維を、神経を、掻き回し。切り刻む!
 
 「うぎゃああああああッッッ――――ッッッッ!!!!! ぎィやああああああッッッ―――ッ
ッッ!!!!! やめでえええェェェ―――ッッッ!!! ゆるじでェェェッッッ――ッッ
ッ!!!」
 
 あまりに酷い破壊劇! ファントムガールであることなど忘れ、涙と鼻水とヨダレの洪水を撒
き散らして、七菜江は泣き叫ぶ。
 腕の中で苦しむ少女の狂乱ぶりに、男たちも気が狂いそうになる。
 
 「武志ッ、こいつの足、捻り千切ってやんな!」
 
 筋肉に包まれた大男が、七菜江の左足を捕らえる。つま先を右手が、踵を左手が。そのま
ま、無造作に180度回転させる!
 ブギイッ! ベキベキベキブチイッ! ゴキイッ!ゴキベキイッ!
 
 「ふぎイやああああああッッッ―――ッッッ!!!!」
 
 何かが千切れていく壮絶な破壊音に、激痛に貫かれた少女の絶叫が重なる。だが、蹂躙は
止まることを知らない。
 今度は逆回転。大男に遠慮は一切ない。
 ブチブチブチイッッ! べチイッ!! ゴリイッベキベキッ!!
 
 「ぐぎやああああああッッッ!!! ぐあああああッッッ―――ッッッ!!!」
 
 太股まで雑巾のような捻りが入り、五条の朱線から、新たな血が噴出する。
 “足が・・・あたしの足が・・・・・もう・・・・・もう・・・・・”
 
 「これ、何かわかる?」
 
 絶望に飲み込まれていく七菜江に、狂気の魔女が茶色の薬瓶に入った液体を見せる。
 
 「そこの棚にあったんだよ。バカなあたしでも、塩酸ってのがキケンなことぐらい知ってるさ。ど
れくらいキケンか・・・試そうじゃない」
 
 豹柄の魔女の意図を悟った七菜江が、泣いて懇願する。
 
 「やめてェェ――ッッ!! お願いッッ! やめでぐだざいッッ〜〜〜ッッッ!! ゆるじでェェ
ェ〜〜〜ッッッ!!!」
 
 “コロサレルッッ!! コロサレチャウヨオッッ!!”
 
 全身の血が引いていく音を、少女は聞いた。もし、塩酸なんかを掛けられたら・・・・・・骨まで
溶けてしまうのではないか? 凍えた刃が背筋を切り裂く。だが、七菜江に反撃の力は残って
いない。いっそファントムガールに変身してしまうか?!
 
 “ダメ! 里美さんが言ってた! 捕まってる時はトランスできない!”
 
 ファントムガールや「ミュータント」のように、宇宙生命体『エデン』との融合によって、地球の
生命体は巨大化=トランスフォームが可能になるが、一定の束縛や拘束を受けていると変身
できないことが、これまでの研究によってわかっているのだ。もちろん、それを知っているの
は、ごくわずかな特別研究員と、里美と七菜江、当事者のふたりだけだったが。
 これはトランスを解除する時にも言えて、拘束されている時は、もとの体に戻れないのだ。物
理的に考えると、大きな体から小さくなるのだから、束縛されててもすり抜けられそうな感じが
するのだが、捕まっていると『エデン』が、そういう状況と把握してしまうらしい。いくら、元の個
体が小さくなろうとしても、『エデン』が《動けない》と感じている以上、巨大化を解くという自由は
できないのだ。
 
 “つまり・・・・・あたしには、どうすることもできない・・・・・”
 
 己の無力に打ちひしがれる七菜江に、塩酸が降りかけられる!
 ズタズタに切り裂かれた、太股に!!
 
 ジュウウ・・・・・
 
 肉を灼く醜悪な臭いが、実験室に充満する。
 
 「ひぎイイやああああああッッッ!!! うああああああッッッ―――ッッッ!!! ああああ
あッッッ―――ッッッ!!! あッあッあッ!! あああ・ああ・あああ・・・あ・・・・・・・」
 
 あまりの激痛に気絶すら許されない。かつてない痛みに、七菜江は神経を掻き乱されている
錯覚に捕らわれる。まるで、左足が馬か牛に引き抜かれたかのよう。七菜江の脳裏に猛獣に
噛み千切られる左足が浮ぶ。
 
 “も・・・もう・・・・・・・・・死にたい・・・・・・・・よ・・・・・・”
 
 塩酸の瓶が少女の頭上に持ってこられる。
 恐るべき「闇豹」の目的を読み取り、何度も死を覚悟した七菜江の汚れた顔が、蒼白になっ
ていく。
 
 「さっきのは、練習。ちょっとだけしか降ってないわ。今度は本番よ。この塩酸、あんたの生意
気な顔にぶっかけたら、どうなるかしら?」
 
 細かく七菜江の頭が揺れる。圧倒的な恐怖。絶望。
 死よりも恐ろしい現実の刃が、少女の細い首に、その冷酷な刃先を当てる。
 ガチガチと歯が鳴る。震動で瞳にたまった涙が、紫に変色した頬を、小刻みに落ちていく。あ
まりの恐怖に、少女の心の中で、砂の楼閣が塵となって崩れていく・・・・・・
 
 「やめ・・やめ・・・・・・ゆるじで・・・・・だれがだずげで・・・・・」
 
 “誰か、助けて・・・・・・・・お願い・・・・・・”
 “里美さん、助けて・・・・・・”
 “吼介先輩ィ・・・助けて・・・・・”
 “お願いッ! 誰かあッッ!! 誰か、助けてええェェェ―――ッッッ!!!”
 
 「じゃあね、ナナエ」
 
 少女の瞳に映る茶色の薬瓶が、傾く。スローモーションで流れ落ちてくる、透明な劇薬。
 霧になる。塩酸が。
 
 ゴキイッ! 
 
 破壊音、七菜江に架かった緊縛が消滅する。
 
 「???・・・・・・・・・ッッ!!!!!」
 
 ―――神様、ありがとう―――
 
 「て、てめえッッッ!!」
 
 心と身体を蹂躙された少女が、涙で歪んだ視界の向こうに、背中を見る。
 逆三角形の背中を。
 大きくて、逞しくて、そして優しい、その背中を。
 工藤吼介。
 学園最強の男。
 そして、私の―――
 
 蹴散らされた不良たちが囲む中央、処刑台と化した黒机の上に、筋肉の鎧武者が仁王立
つ。足元に、赤く染まった少女。紫に腫れ、青い痣を浮ばせ、太股を刻まれ、左足を捻られ、
内臓を潰され、剥かれた淡い繁みから、白濁した液体を垂れ流す、少女。
 鎧武者が膝を折る。
 グッタリとした少女の上半身を抱き起こす。
 
 「・・・・・・・・・無事か?」
 
 「・・・・・・・・・・う・・・・・・・ん・・・・・・・・バッ・・・・・・・チリ・・・・・・・・・」
 
 「な〜に、メロドラマさせてんのよオ〜〜。ほら、チャンスでしょォ〜」
 
 間延びした口調で、冷酷な豹が命令する。
 絶対の指令に脅え、反射的に鉄パイプを持った男が、片膝を付いた無防備な顔面に襲いか
かる、
 鉄と鉄の衝突する音。
 工藤吼介の左腕が、刀となって、鉄パイプを受けとめる。
 
 「七菜江、ちょっと待ってろ」
 
 コクリと頷く傷ついた少女を、優しく机に寝かす。
 鉄パイプの二撃目。袈裟切りに、刈り上がった頭部を狙う。
 今度は左腕を捻って受ける。上段廻し受け。
 ハリケーンに突っ込んだ小鳥のように、弾き返される、鉄の棒。
 
 「鉄なら肉より固いとでも思ったか?」
 
 固体と液体が粉砕する音。
 大上段から、頭頂への鉄槌を受け、不良の頭が身体にめり込む。
 首が弱かったので、頭部がめりこんだのだ。強かったなら、頭蓋骨が砕けていた。
 そのまま、不良の身体は、空き缶を踏み潰したように垂直に圧縮する。
 
 「あ〜ら〜、もう、あと5人〜〜?」
 
 「4人だ」
 
 角張った顎を振る。促されて向けた視線の先に、七菜江の腹に乗って拘束していたはずの、
銀の頭の男が眠っている。その距離、5m。
 
 「ふ〜〜ん、あそこまで蹴り飛ばしたってわけねぇ・・・・武志ィ、あんた、真似できるぅ?」
 
 金髪のゴリラが筋肉を硬直させる。膨れ上がる筋繊維が、ミシミシと闘争の喜びに哄笑う。コ
ギャルの挑発に乗った大男が、その全力を解放せんとする。
 受けて立つ、最強の看板を背負った男は、静かに、ゾッとするほど静かに言い放った。
 
 「オレはお前らを、殺したくて仕方がない」
 
 
 
 3
 
 今までにどれだけ多くの暴力を見てきただろう。
 気が付くと、血と悲鳴と慈悲を求める声が、常に神崎ちゆりの周りにはあった。
 同級生が教師に殴られ、体罰だどうだと学校を挙げて大騒ぎしているころ、ちゆりは拳銃でヒ
トが撃たれるのを、平然と見られるようになっていた。昨日買われた男が、朝になったら港に浮
んでいたこともあったし、跨っていた組の親分が、突然侵入してきた数人の男たちにハチの巣
にされたこともある。あの時はザマアミロと思った。息が臭かったし、爪を立てて揉まれた胸が
痛かったから。
 クスリもセックスもとっくに飽きていたが、人間を壊す快感だけは特別だった。特に同性を嬲
り、助けを乞う顔を切り刻んでやる爽快さといったらなかった。人間が壊れることこそ、楽しいシ
ョウはなかった。いつのまにか、ちゆりは暴力を見る側ではなく、やる側に回っていた。
 
 そのちゆりの細胞が、粟立っていた。
 足を組み、頬杖をついた姿勢は同じだったが、至近距離で繰り広げられた破壊劇は、ちゆり
の獣性を刺激した。
 テーブルに並べられた、極上の料理。
 工藤吼介の圧倒的戦闘力を前に、人間の残骸が転がる。いや、それは戦闘力などという生
温いものではない。
 軍事力と呼んで差し支えない。
 「ヨダレがでちゃいそう♪」
 武志という金髪の大男だけが、血の海にそびえる、修羅の前に立つ。
 
 ある者は、手首を有り得ない方向に曲げられていた。
 吼介の胸倉を掴んだ瞬間、折れていた。見えない巨大な鉄球で押し潰されたように、床に叩
き伏せられたが、手首の関節を極められた激痛で、自分から地面に倒れこんだと、あとでわか
った。
 ある者は、仰向けに倒れた体の表面が、ダートコースのように凸凹になっていた。吼介の正
拳突きが胸骨を粉砕した結果だった。ちゆりには見えなかったが、雷が落ちたような轟音のあ
とに、一瞬でこのような姿になっていたから、一呼吸で何発もの豪打が叩きこまれたということ
らしい。
 ある者は、鼻が顔に埋まっていた。それ以外は潰れすぎてよくわからない。ただ、赤い。時折
ある白色は、どうやら歯か、皮膚の下の骨らしい。顔に一撃を食らい、昏倒しているところをさ
らに殴られた。三撃目で救いを乞う声が止み、次の突きで全く動かなくなった。
 
 「エグイことするじゃねえか・・・格闘家はケンカしないんじゃなかったのかよ」
 
 低く、落ちついたトーン。金髪のゴリラの声は、見掛け以上に知的に聞こえる。イントネーショ
ンに動揺は見られなかったが、滴る大量の汗が、散々女を嬲ってきた男の心情を明かす。
 
 「知らなかったのか? 格闘技は人間を壊す技術だ」
 
 対峙する工藤吼介は、静かなまま、言う。不良達を葬る刹那の時にも、破壊者は一言も発せ
ず、作業を完遂した。黙々と。精密機械のように。
 暗黙の内に、語りかけてくる。
 お前達を破壊することが全て、と。
 
 「最強の男だか、なんだか知らねえが、こっちはモノホンのルールなしで鍛えた、真剣勝負の
強さなんだよ・・・やれ、顔面殴っちゃいけねえとか、武器使っちゃいけねえとか、多人数で襲っ
ちゃいけねえとか、そんな甘い世界で育ったてめえと、オレとじゃ根本的に・・・」
 
 ボギイッッ
 
 枯れ枝を折るように、大男の左足がくの字に曲がる。吼介の右のローキック。大腿骨を真ん
中からへし折られ、10cmは高い巨躯が、筋繊維でできた男の前に崩れ落ちる。
 
 「いつまでも、のたまってんじゃねえよ」
 
 叫びかける口が、急激に閉じられる。
 右のアッパーブロー。
 100kgを越える巨体が打ち上げられる。噛み合わさって砕けた歯が、紙吹雪となって舞う。
 
 「腹、殴ったの、お前だろ」
 
 宙空の肉ダルマの鳩尾に、左の第2弾ロケットが楔を撃ちこむ。肘まで埋まる肉の槍。突き
上げられた、左の豪腕。大男の口から、黄色の汚液が花火を思わせて爆発する。
 
 「腹破られるのは苦しいだろ? なあ?」
 
 同じ場所に、今度は右のブローがめり込む。右腕一本で、ゴリラの巨躯が天に掲げられてい
る。空の胃袋から搾り出された胃液が舞い散る。ピチャピチャと音を立てて、床に落ちる。
 
 「言ってみろよ、なあ? 苦しいかよ? なあ? なあ?」
 
 左。右。左。右。左・・・・・・
 浮いたままの身体に削岩機のような連撃! 悶絶する大男が、ピクリとも動かなくなった時、
その巨体は落下音とともに、大地に還った。己の撒いた、吐瀉物の海に溺れる巨体。昼に食
べた、半分溶解した白米が、酸っぱい臭気とともに、ゴリラの頬に付着する。
 
 ぱちぱちと乾いた拍手が、血生臭い実験室に木霊する。
 
 「すっごォ〜〜い! ちり、ゾクゾクしちゃったぁ! 一発目で失神した相手にそこまでやるな
んてぇ、あんた、ちりより悪党なんじゃないのオ?」
 
 倒した巨躯に一瞥もくれず、スタスタと高みの見物を決めこんだ豹のコギャルに歩み寄る、吼
介。教壇の黒机に腰掛けた「闇豹」の、挑発的に開いたシャツの襟を鷲掴む。
 
 「何、チンカスついた汚ねえ手で、触ってんだよッ!! 筋肉ダルマがッッ!!」
 
 「神崎、オレは女・子供でも容赦しないタチだぞ」
 
 「ハンッ!! 殴るなら殴れよ! けどいいのかあッ?! あの女、治療してやるのが先じゃ
ねえのかよッ!!」
 
 襟を掴む力が、わずかに緩むのを逃さず、豹が吼介の手を振り払う。大の字に放置された
少女の、荒々しい息遣いが、彼女を救いに来た男の耳朶を叩く。
 
 「神崎、よく聞け」
 
 全身を脱力した少女を背負い、第5化学実験室の扉をくぐる時、工藤吼介は最後のメッセー
ジを残した。
 
 「こいつは、オレのモンだ。二度と手を出すんじゃねえ」
 
 
 
 ガラガラと、たったひとつしかない部屋の扉が開く。
 いつもなら、薬品のスエた臭いが鼻腔を刺激するのに、今日は異なる臭気が、第5化学実験
室に入ってきた女の嗅覚に感知される。
 理由は一目でわかった。
 学生服姿の少年達が、血の色に染まって、冷たい床に倒れている。全部で6つ。ある者は痙
攣し、ある者は呻いて・・・本来生徒たちが授業で使うための黒机のひとつには、人影はない
が、大量の血がこぼれている。
 
 明らかに異常事態が起こった部屋。しかし、入室した女は、動揺するどころか、驚いた様子
すら、ない。まるで、ここで何があったか、予め知っているかのように。血の臭いが充満した室
内で、悠然と、腰まである長い黒髪を手櫛でそよがせる。
 転がっている身体のひとつが、動く。少年達の中で、飛び抜けて大きな身体。金髪がヒクヒク
と震えている。なにやら液体に濡れた、類人猿を連想させる顔を上げ、ズルズルと悶えながら
這いずっている。
 
 「ち・・・・・ちり・・・・・・い、痛えェェよおォォッッ!! た、助けてくれよおォォッッ・・・・・」
 
 痛みに支配された猛獣が、泣いて救いを乞うていた。発達した眉の下から、ポロポロと周囲
も憚らず、大粒の涙をこぼす。
 這いずり、手を伸ばす先に、コギャルがいた。
 教壇の黒机に足を組んで腰掛け、「闇豹」は窓の外の景色を見ていた。ネイルアートを施した
長い爪にタバコを挟んでいる。金のルージュが紫煙を吐き出す。
 
 「ち、ちり・・・・・・・」
 
 這いずる巨体が、派手な格好の女子高生の足元までやってくる。
 ヒョイと机を降りた神崎ちゆりは、半分ほど残ったタバコの火を、ゴリラのような大男の額に
擦りつける。
 
 「!! ギャヒイイッッッ!!!」
 
 「武志イィィ・・・あんた、使えないねえ〜」
 
 振り上がったブーツが、床を這う金髪の後頭部に吸いこまれる。
 鈍い音を残して、巨体はピクリとも動かなくなった。
 顔の辺りから、赤い染みが、ジワジワと滲んでいく・・・
 
 「あんた、な〜にやってんのよォ〜・・・・・・ちり、もっと、もお〜〜ッと、あのコで遊びたかった
のにィ〜・・・・あんたがマッチョバカを逃すから、ジャマされちゃったじゃん」
 
 不快感を露に、神崎ちゆりは長髪の入室者を振り返る。先程、工藤吼介相手に見せた、激し
い口調はどこへやら、元の間延びした、舌足らずな印象を与える喋り方に戻っている。
 掻き上げた髪から、紅のピアスを覗かせて、生物教師・片倉響子は涼しい顔で応えた。
 
 「フラレちゃったのよ」
 
 「あんたが? あの筋肉オバケに? あはは♪ 最高ッ――ッ!! あんたみたいなエリート
様も、フラレたりするんだ? あはははは」
 
 「でも、こんな力を見せられちゃあ、諦めるわけにはいかないわね」
 
 人形のような大きな瞳を、床に散らばる壊れた少年達に向ける。慈悲など入りこむ隙間もな
い、破壊の衝撃を計測する冷酷な視線。
 
 「んじゃあ、後始末、よろしくぅ〜」
 
 「ちょっと待って。あの七菜江ってコは、どうだったの?」
 
 面倒臭そうに、ちゆりが大学ノートを見開いて、女教師に見せる。そこには、『藤木七菜江』
の欄の上に、少女自身の血で描かれた、大きな×印がある。
 
 「はっずれ〜〜。シブトかったけどねぇ〜。あれだけイジメがいのあるコはなかなかいないよ
ォ。あ〜あ、あとちょっとであの顔を塩酸で溶かせたのになぁ〜〜。ちり、個人的に遊んじゃお
うかなぁ?」
 
 「勝手な真似はしないで。メフェレスも黙ってないでしょう」
 
 機械的だった片倉響子の視線が、鋭く尖る。サングラスの奥で、豹もマスカラに彩られた瞳
に、魔性を篭らせるが・・・分が悪いのを悟ってか、すぐに臨戦体勢を解いた。
 
 「冗〜〜談よ〜。メフェレスがそういうなら、やめとくわぁ」
 
 響子の出した「メフェレス」という単語に、ちゆりは反応したらしい。このタイプの全く異なるふ
たりの魔性の女が、数日前地球侵略を公言して現れ、人類の希望ファントムガールを徹底的
に苦しめた悪魔に関係していることは、間違い無さそうだった。そして、悪魔の正体の人間も、
ふたりと接触しているのは確実だろう。
 
 「どっちにしたって、兵隊がこれじゃあ“ナナ狩り”は、当分無理だろ〜ね〜。メフェレスに言っ
といてぇ〜。また、やりたけりゃあ、兵隊調達しろって」
 
 「わかったわ。ところで、私からもお願いがあるんだけど」
 
 「な〜に〜?」
 
 「“これ”、もらえないかしら?」
 
 「別にィ、いいけどォ〜。でも、多分、使えないよォ〜?」
 
 「いいのよ。見たところ、素材はけっこう悪くないわ。どうせ、プロトタイプだし。じゃあ、貰って
いくわね・・・・・・さて、あとは残ったゴミを始末しましょうか」
 
 パチンと、美人教師が指を鳴らす。
 その瞬間、床に倒れた少年達の首が一斉に飛び、血を吹いて絶命した。
 実験室に立ち昇る、死の臭いだけが、彼らの存在を弔っていた。
 
 
 
 身体が・・・熱い。
 赤く熱した鉄の槍を四方から撃ちこまれたように、炎が小さな全身を渦巻いている。お腹に、
3本の槍。ぐるぐると旋回し、内臓の配置をぐちゃぐちゃにしていく。50cmはあろうかという巨
大な串が無数に刺さった左足は、ムカデのような姿に変わり果て、篭った熱によって、ゴウゴウ
と燃え盛っている。
 
 “く・・・苦しい・・・・・・・あ、熱い・・・・・・・誰か・・・・・助けて・・・・”
 
 どことも知れぬ無人の街を、少女はボロボロの身体を抱え、さまよい歩く。一足ごとに激痛が
少女の気力を削っていく。
 風が吹く。少女の白と青のセーラー服が、真ん中からスッパリと裂け、豊かな双丘と引き締ま
った腹筋が露になる。かまいたちとなった風は、純白のシャツを切り、青のスカートを裂き、衣
服の破片を宙に舞わせる。翻弄される少女は、風の刃に切りつけられながら、死のダンスを踊
りつづける。
 
 “た・・・助けて・・・・・・誰か・・・・・・・誰か・・・・・・・・・”
 
 若き肉体に何本もの槍を生やした少女が、朱色に染まったセーラー服を纏って彷徨う。フラ
フラと徘徊するショートカットの少女は、公園に来ていた。
 
 “あ、あれは・・・!!”
 
 そこは見知った公園。人影もまばらな夕暮れ時。
 噴水前に立っているのは、少女のよく知る逆三角形の筋肉の持ち主。
 
 「こ、吼介せんぱ・・・ッッ!!」
 
 助けを求めようとして、少女はその声を押し留めた。
 近くにあった桜の木の陰に、さっと隠れる。
 身を隠した巨木の端から、半分だけ顔を出して、少女は噴水前の様子を窺う。怪我は治って
いた。
 少女はこの男が、獅子のような眼をすることがあるのを知っている。
 あるいは、太陽のように明るく屈託のない笑顔で、クラスメイトとバカ話をしているのも知って
いる。
 それが今日はどちらでもない表情をしている。
 少女の見たことがない、表情。
 哀しいような、切ないような・・・・・それでいて、愛しげな。
 筋肉で包まれた男の前には、美しい少女がいた。
 長い髪の、秋の月のような、美少女。
 ふたりは、どちらからともなく近寄り、お互いの身体を包みあう。
 美少女が男を見上げる。男の手が、優しく長い髪を撫でる。
 夕陽をバックに、唇を重ねたふたりのシルエットが浮ぶ。
 
 少女は、木の陰に全身を隠した。
 空を見上げる。
 どこまでも秋の空は、高く、澄みきり。
 夕焼けの似合う季節には、桜は、咲いていなかった。
 
 
 
 「・・・・・・大丈夫か?・・・・・」
 
 びっしょりと濡れた額の汗を、綿が優しく拭き取る。その感触に、藤木七菜江はうっすらと眼
を開ける。
 ぼんやりと視界に入ってくるのは、白い天井、萌黄色のカーテン、日焼けした男臭い顔。どう
やら、学校の保健室らしい。そこの簡易ベッドの上に、七菜江は寝かされていた。意識が覚醒
すると同時に、小さな身体を包むベッドの感覚と、全身を這いずる熱い痛みが伝わってくる。特
に左足は重い熱さが細胞を灼いている。ズキズキと疼く痛みが、少女の全神経を捕らえてい
た。
 
 “私・・・・・・生きてた・・・・・・・・”
 
 あの豹柄の魔女に屈し、生命の危機にすら瀕した自分を救ってくれた鎧武者は、目の前に
座っていた。優しい眼。汗の浮き出る七菜江の頬を、そっとまた、綿のガーゼで撫でる。
 できれば、こんな惨めな姿は見せたくなかった―――
 そんな想いと、感謝の気持ちがこみ上げて、不覚にも涙が溢れそうになる。誤魔化すため
に、口腔内に裂傷を負った口を動かして、七菜江は話した。
 
 「今、何時ですか?・・・・・」
 
 「もうすぐ6時限目が終わるころだな・・・先生たちには授業を休むことは伝えといた」
 
 1時間近く、七菜江は眠り続けたことになる。気を抜くと駆け巡る電流に眉をひそめて、少女
は深いため息をついた。
 
 「えへへ・・・・・やられちゃいました・・・・」
 
 「・・・・・随分、うなされてたな。痛むか?」
 
 「メチャメチャ、痛いです」
 
 赤く腫れた目蓋を動かして、無理に微笑んでみせる。『エデン』の力により、いくら耐久力がつ
いているとはいえ、女のコにとって、最も見せたくはない顔で。
 
 「先生がこれを飲めって。七菜江のために、今日は夕方までここを開けててくれるんだって
よ。睡眠作用のある鎮痛剤らしいから、夕方までぐっすり眠るといい。目が覚めるころに、ま
た、迎えに来るよ」
 
 淡い色のカーテンの向こうで、影がゆらゆらと動いた。保健室の医務員が雑務をこなしてい
るらしい。
 
 「吼介先輩、いっちゃうんですか?」
 
 「ちょっと柔道部のやつらと約束があってな・・・心細いか? なんなら、側にいるぞ。汗臭い野
郎どもの約束なんか、破ったって問題ないんだし」
 
 「ううん。平気です。・・・・・待ってます」
 
 工藤吼介は、学校の部活動に参加していなかったが、週に何回か、“特別ゲスト”として空手
部や柔道部などに顔を出していた。ひとりで全部員を相手に組手したとか、30人乱取りで勝ち
抜いたとか・・・常人離れした噂がまことしやかに流れていたが、顧問やOB以上にリスペクトさ
れているのは事実だった。どうやら、今日はその日らしい。吼介にとっては、単なるトレーニン
グの一環だろうが、彼の来場を心待ちにしている部員たちがいるのは、同じスポーツをやる者
として、七菜江にもよくわかる。不良たちがあのような状態になったいま、再度、襲われる心配
もないし・・・・ワガママを言いたい弱い気持ちを、七菜江は懸命に抑えた。
 
 「本当にいいのか?」
 
 「はい、大丈夫ですよ」
 
 上半身を起こして、ゴツイ掌から受け取った、白いカプセルをふたつ、同じく受け取ったコップ
の水で流し込む。七菜江の身体には、体育用の体操着とハンドボール部のジャージが着せ替
えられていた。セーラー服をあれだけ破られたり、血がついたりすれば当然のことだろう。切れ
た頬の裏が、ヒリヒリと沁みて痛む。
 ベッドの横に立ったまま、工藤吼介はじっと健気な少女を見つめ続けている。
 
 「そんなに見ないで下さい。こんなブサイクになっちゃった顔、あまり見られたくないもん」
 
 セリフが言い終わると同時、ニコリと微笑む七菜江を、吼介は抱き締めていた。
 左手がショートカットを撫で、逞しい右腕が腰に回って、傷ついた脇腹に添えられる。鋼鉄の
ように固い胸板の感覚と、焼けた皮膚の臭いが、七菜江の鼻腔をくすぐる。耳元で声が囁く。
 
 「こうすれば、顔を見られずに済むだろ?」
 
 ドクン・・・ドクン・・・・ドクン・・・・・
 
 身体が・・・火照る。
 心臓が踊っている。細胞の奥で熱いなにかが鎌首を持ち上げる。
 意識が沸騰し、どこか遠くへ飛んでいってしまいそうだ。
 
 「こ・・・・吼介先輩・・・・・・・」
 
 「お前がこうなったのは、オレのせいだな。スマン」
 
 血管の浮き出た岩のような手に、丸っこい、柔らかな手が重ねられる。腰に廻した右手に、
七菜江の右手が重なり、互いの温度を確認する。指と指の間に、相手の指が絡み、いつしか
ふたりの両手はしっかりと握り締められていた。
 
 “先輩・・・私の髪を撫でてる・・・・”
 
 吼介は、なにか七菜江を褒めるときには、よく頭を優しく撫でた。クシャクシャと乱暴にナデナ
デすることもあったし、ポンと軽く叩いて、励ますこともあった。いつのまにかふたりにとって、そ
れは特別なコミュニケーションの取り方になっていた。
 
 “・・・・あの時、あの長い髪を撫でていた、あの手で私を撫でている・・・・”
 
 遠くに追いやったはずの記憶がフラッシュバックする。夕焼け。公園。噴水に煌く影法師。そ
して、茶色の美しい髪―――
 
 「ダメ・・・・・・だよ・・・・・・里美さんに怒られちゃうよ・・・・・・」
 
 不意に圧力が消えた。
 制服では隠せない逆三角形の背中は、保健室の扉の前に立っていた。
 右手を挙げる。振り向かないで。
 
 「帰りに迎えに来る。ゆっくり休めよ」
 
 そのまま扉の向こうへ消えていく。
 
 燃えるように熱かった身体が、急速に冷えていくのを、七菜江は自覚した。
 なんで、あんなこと言っちゃったんだろ?
 なんで、あんなことするんだろ?
 いろんな「なんで?」が、少女の小さな胸を掻き乱す。
 
 「・・・・・・痛い・・・・・・な・・・・・・・・」
 
 内臓を潰され、腹筋を裂かれた痛みが蘇ってくる。切り裂かれた太股が悲鳴を挙げてくる。
捻られた足首の関節が泣いている。弄ばれた秘所に痛痒感が宿る。少女に架せられた拷問
が、再び七菜江に襲いかかってきていた。
 激痛が少女を蹂躙するなか、七菜江はその手を豊かな双丘にあてた。
 
 「・・・・・痛い・・・・・・よ・・・・・・なんでこんなに痛いんだろ? ・・・・・」
 
 ベッドに腰掛けたまま、少女は胸を掻き毟る。
 そうやって、何度も何度も、押し寄せる痛みに、じっと耐える。
 保健室の窓に夕陽が刺す。
 あの時と同じような色の光が、室内に充ちていく。
 
 「ハッッ!!・・・・・そうだ、こうしちゃいられない!!」
 
 俯いていた顔を突然あげ、七菜江はベッドの横、簡易机の上にある、緑色のリュックに視線
を飛ばす。
 クラスの誰かか、吼介が持ってきてくれたのだろう、机の上には七菜江の学生鞄やら、帰り
仕度が整えられていた。いつもは部活用の練習着や小物が入ったリュックを引き寄せ、荒々し
く中身を探る。
 取り出したのは、青色のケータイだった。
 
 パカリと開くと、メールのモードに切り換え、あまり慣れてない手つきで文字を打ち始める。
 
 “里美さんに、あのふたりのことを伝えなきゃ! せっかく痛い思いをして、メフェレスに繋が
る情報を手に入れたんだから”
 
 授業中ということもあって、恐らく里美は、七菜江が“ナナ狩り”に遭った事実をまだ知らされ
てない。それよりもなによりも、苦心して手に入れた超重要事項を、一刻も早く、里美に伝えた
くて仕方が無かった。
 
 《ナナ狩りの首謀者がわかりました。3年の神崎ちゆりです。他にも数人の男が協力してるけ
ど、ちゆりにやらされてる感じ。少なくともミュータントはいないと思います。あと、生物教師の片
倉響子! こいつも黒幕です! このふたりがメフェレスと関係しているのは、間違いないと思
います。あとはメフェレスが》
 
 「あッッッ?!!」
 
 突然、七菜江のケータイが上空に抜き取られる。
 不意を突かれ、何が起きているか理解できない少女の前で、メールを書きかけのケータイ
は、床に落とされ、抜き取った人物の高いヒールによって踏み潰される。液晶の破片が砕け、
安っぽい音を立てて、保健室の床に散らばる。
 
 「な、何する・・・・・・ッッッ!!!!!」
 
 背後から、七菜江のケータイを奪い、破壊した張本人が仁王立っている。
 長い黒髪、両耳に輝く赤のピアス、そして彫刻を思わせる美貌―――
 
 「片倉響子ッッ!!! なんであんたがここにッ??!」
 
 「なんでって、私は医師免許ももっているのよ。理事長にお願いして、特別に医務の手伝いも
できるようにさせてもらったの。それにしても、最近のコはホントに礼儀がなってないわね。先
生くらい、付けられないの?」
 
 「よくもぬけぬけと・・・・・私を騙したヤツに、先生なんて呼べるかあッッ!!!」
 
 “ナナ狩り”を実行していたのは、確かに神崎ちゆりを中心とする不良たちであったが、七菜
江を彼らが待つ罠に陥れたのは、この片倉響子であった。しかも、ボディーガード役の工藤吼
介を引き離すという念のいれようで。いわば、七菜江を惨めな姿にした、張本人のひとりが、こ
の目の前の女教師なのだ。
 そして、いま、この女は間違いなく七菜江のメールを読んだはずだ。
 秘密を知った少女の前に、メフェレスという悪魔の眷属が立ち塞がっている。
 
 「フフフ。いくら回転の鈍い頭でも、さすがに気付いたようね」
 
 「バカにするなあッッ!!!」
 
 「それで、メフェレスとの関係もわかったってわけ」
 
 七菜江の眉が寄る。怒りの灯った瞳で仇敵を見据える。片倉響子の口から、メフェレスの名
が出たということは・・・自分でその関係を認めたようなものだ。人類への侵略を図る、あの青
銅の悪魔との関係を。
 
 「しかし、あなたはやっぱり、頭が良くないようね」
 
 カチンと来た少女がさらに鋭い視線を飛ばす。傍目は病人と、保健の先生というふたりなの
に、その真実は互いの間に火花が散っていた。
 
 「くッ・・・・うるさいッッ!!」
 
 「確かに、ファントムガール・ナナの名を知るのは、直接聞いたメフェレスだけだわ。“ナナ狩
り”をするのがメフェレスの意を汲む者という判断は正しい。でも、逆に言うと、それがわかるの
はメフェレスが“ナナ”という名に怨みを持つことを知る者だけ。つまり・・・・・・ファントムガール・
ナナ自身」
 
 七菜江の顔から音をたてて、血が引いていく。
 
 「藤木七菜江、いいえ、ファントムガール・ナナ。わざとリンチに遭うなんて、ご苦労だったわ
ね。でも、そこまでやっても、あなたの正体はバレてしまったようね。残念だったわ」
 
 七菜江の寝ていた掛け布団に、等間隔で黒い横線がはいる。と同時に線が濃くなり、鉄パイ
プの崩れる音とともに、簡易ベッドは5つに分断されてその場に雪崩れ落ちた。
 布団の中身がばら撒かれ、綿が宙を舞う。ベッドに寝ていた七菜江は、切断されてその場に
―――いない。
 綿吹雪の向こうに、青のジャージ姿が飛ぶ。
 風を巻く。綿の雨を縫って走る、右の飛び廻し蹴り――!
 目を見開く女教師の側頭部に鮮やかにヒットし、ゴキンという鈍い打撃音を響かせる。
 突如襲ってきた片倉響子の“謎の”攻撃をかわし、神速の動きで跳躍するや、逆に渾身のキ
ックを叩きこんだのだ。
 
 「うッッ!!」
 
 だが、重力に任せ落下し始めた七菜江は、枯れ枝のように細い片倉響子が倒れるどころ
か、ニヤリと凄まじいまでに美しく笑ったのを見た。バットの3本くらいは折れそうな七菜江の廻
し蹴りを食っているのに。
 悪寒が脳髄を奔走する。
 空中でトンボを切り、両腕から着地した少女は、腕の力で数メートルを飛び、敵から距離を置
いて態勢を整える。
 
 「痛ッッ!!」
 
 思わず両足で着地した七菜江は危うく、倒れこみそうになる。苦痛に愛らしい顔が歪む。包
帯でグルグルに巻かれた左足を支え、右足一本で身構える。ドッと吹き出た汗が額を濡らす。
着地の衝撃が腹部にも熱く疼いてくる。
 
 「うふふ。さすがね、ファントムガール・ナナ。あれだけの傷を負いながら、この動き、その回
復力。ただ、左足の怪我は深刻よ。大腿四頭筋・縫工筋が断裂、内転筋・膝蓋靭帯・下腿横靭
帯も激しく損傷しているわ。普通なら二度と歩けなくなっていてもおかしくない重傷。いくら宇宙
生命体と融合しているあなたでも、当分は松葉杖が必要なはずよ」
 
 唇の端に流れる血を、ペろりと真っ赤な舌で舐め、片倉響子は妖艶に微笑んだ。七菜江の
攻撃は、まるで効いていないと言わんばかりに。
 痛みとは別種の汗が、七菜江の白桃の頬を滴る。バレた。バレてしまった。神崎ちゆりの拷
問に必死で耐え、殺されかけても守ろうとした秘密を、この女教師に簡単に見破られてしまっ
た。メールを見られたのは、あまりに致命的。迂闊。迂闊だった。この女が、保健室にいるな
ど、予想もしていなかった。せめてもの救いは、送信先が里美であることを知られずに済んだ
ことだ。だが、この女の力! 侮れない、『エデン』との融合によって飛躍的に破壊力を増した
七菜江のキックを、頭部に受けて笑ってられるなんて! 少し休んだことで、七菜江の怪我は
常識をはるかに凌駕する速度で回復していたが、左足と、腹部に関しては、激しくダメージが
残ってしまっていた。
 
 「あんたこそ、あの蹴り食らって笑ってるなんて・・・あなたも『ミュータント』なんでしょッ?!」
 
 「『ミュータント』??」
 
 「宇宙生命体・・・『エデン』の寄生者のことよッ!!」
 
 「ああ、あの白い球体型の外惑星生物のことね。・・・『エデン』っていうの、ふふふ、なかなか
面白いネーミングじゃない。それで、彼らとの融合者を『ミュータント』と呼んでるわけ・・・なるほ
ど。私達も同じ呼び方を使わせてもらおうかしら?」
 
 さも愉快げに、片倉響子はその美貌を弾けさせる。終始漂う余裕が、七菜江の心に憤怒と不
安を抱かせる。
 
 「さっきから、余裕かましてくれちゃってるけど・・・私があなたを逃がすと思ってんのッ!!」
 
 吼える七菜江。駆け巡る痛みや、纏いつく脅えを振り払うように。
 確かに戦況は不利だ。大怪我を負って、立つこともやっとだし、敵の技もわからない。さっき
は何かが光るのが見えて、咄嗟に反応できたけど・・・鉄製のベッドを豆腐のように切断してし
まう、この女の攻撃を今度はちゃんと避けられるのか? いや、それだけでなく、この身体で反
撃できるのか? 冷静に考えるほど、己の窮地が自覚される。
 
 “でも、やらなきゃ!! 私の正体がバレてしまったし・・・悪を前にして、逃げるのはイヤ
ッ!! 特にこの女からは・・・・”
 
 17歳の少女が固める、その可憐さには似つかわしくない、戦闘への決意。だが、人生の先
達者でもある女教師は、そんな悲壮感をも漂わせた乙女の決心を、踏みにじるかのように高ら
かに破顔する。
 
 「なッ・・・何がおかしいんだぁッッ!!!」
 
 「ホッホッホッ・・・そうね、確かに考えてみれば、お互いの条件は同じだったわね。相手の秘
密を知り・・・逆に自分の秘密を知られ・・・どうしても倒したい憎い敵が、目の前にいる・・・・・・
ここで相手を倒した時のメリットは計り知れないわね」
 
 「そうよ! だから、ここでお前を倒すッ!!」
 
 「そこで有り得ない話をするから、あなたはバカだって言うのよ」
 
 片倉響子の口調は極めて普通だった。嘲るようでもなく、挑発するでもなく、ただ、データを、
事実を、淡々と解析するコンピューターのように、戦闘態勢に入っている少女を愚弄する。そ
の平然とした様子が、ますます七菜江の心に火を点ける。
 
 「あなたのように、バカで、単純で、なんの取り柄もないクズ人間が、ちょっと力を手に入れた
からって、この私に勝てるわけがないじゃないの。カスはすぐ図に乗るから、困ったものだわ。
いい? あなたと私とでは、住む世界が違うの。あなたは地を這う蛆虫。私は神に近い存在。
本来、喋ることさえ許されない行為なのよ。それを自分が正義だなんて、蛆虫がおだてられて
調子に乗って。神に逆らおうなんて、身の程知らずも度を越えているわね」
 
 終わることのない罵倒に、七菜江の拳が震える。あまりの怒りに涙が浮んできた。悔しいと
か、切ないとか、涌き出るあまりの量の思いを流し出すには、涙という形しかなかったのだ。
 
 「あらら? 泣いてるの? ホントにダメ人間ね、あなたは。泣き虫。弱虫ナナエ。身体だけ一
人前になって、心もオツムも全然成長してないんじゃないの? 正義の味方、ファントムガー
ル・ナナの正体は、こんなにバカで、ダメで、弱虫な藤木七菜江ちゃんだったわけだ」
 
 ブチンッッ
 
 「いいっかげんにッ・・・・・しろおォォッッッ!!!」
 
 「待ちなさいッッ!!!」
 
 極度の怒りに駆られ、拳を振り上げ、片足で殴りかかろうとする七菜江を、片倉響子は突き
出した右手を大きく広げて、制止する。そのタイミングのあまりの良さに、興奮を削がれた七菜
江の身体はビクンとひと震えして、突撃を止められた。踏み出した右足は、一歩を進んだとこ
ろで、太股の筋肉に負担をかけて、急ブレーキを踏む。
 以前にも同様なことはあった。憤って、突っかかろうとする七菜江を抜群のタイミングでいな
し、勢いを殺してしまう、片倉響子。その人心掌握を心得たような、百戦錬磨の戦術ぶりは、注
意すべき技能であったが、冷静さを失った今の七菜江が気付くのは、困難な作業であった。
 
 狙い通りに、スピードのある初弾を、心理的に食い止めた片倉響子は、本心からの疑問を提
示する。
 
 「あなた、まさかファントムガールに変身するつもりじゃないでしょうね?」
 
 考えてもいなかった、響子の言葉。この手で直接、さんざん罵倒された、憎き女教師を殴る
気持ちでいっぱいだった七菜江は、思わぬ効果的な戦法に気付いて、戸惑う。傷ついたこの
身体で闘うよりは、光の技が使えるファントムガールになった方が、勝ち目があるのは確か
だ。こんな不利な闘いをする決心がついたのも、心のどこかで、いざとなったらファントムガー
ルに変身できるという想いが、あったからかもしれない。
 
 「さあ? そんなこと、あんたに喋る必要はないじゃん」
 
 少しでも、精神的な優位を求めて、七菜江は焦らすように、響子の問いをはぐらかす。尖った
顎をツンと突き出し、見下ろすような視線をつくる、念の入れようで。
 
 「もしかして、あなた、こんな大事なことを理解してないんじゃないでしょうね・・・・・・・」
 
 「なんのこと?? もし、私を動揺させようってんなら、無駄なんだから!」
 
 「藤木七菜江、よく聞きなさい。もし、ファントムガールに変身すれば、あなたも私もお終いに
なるわよ」
 
 いつになく厳しい響子の口調に、思わずたじろぐ七菜江がいた。「お終い」ということばが、ゾ
ッとする戦慄を含んで、響いてくる。しかし、目の前の美貌の敵は、七菜江を容易く罠にはめ、
闘志を一喝するだけで空回りさせる、精神の支配に長けた相手なのだ。そのことばを、単純に
信じるのはどうか? 気圧された己を恥じ、七菜江は敵の姦計を見破ろうと、想像を巡らして
反論する。
 
 「ふ、ふんだ! そんなねー、ファントムガールになられたら困るからって、ハッタリかまされて
も、ビビったりなんかするもんか! どーせ、ファントムガールには敵わないから、変身させな
いようにっていう魂胆でしょッ? 見え見えですよーだ!」
 
 ペろりと舌をだし、アカンベーする七菜江を、再び片倉響子は右手を広げて制止する。その
目には、冷たいながらも、諭すような光が射している。
 
 「いいから、よく聞きなさい。これはあなた達にとっても、私達にとっても重要な話よ。・・・・例
えば、今、私とあなたが闘って、一方が負けそうになるとする。そうすれば、当然、巨大化して
窮地を脱しようとする。そうじゃない?」
 
 七菜江は無言のまま。それがYESというサインであることは、響子にもわかっていた。
 一方で、七菜江は、片倉響子の態度に脅威を感じていた。何気に「巨大化」といっていたが、
響子にとっては、『エデン』の能力はすでに当たり前のものとして、受け取られているらしい。普
通なら、そんな超常的なことばは、使う者に抵抗があるものだ。響子には、それがなかった。そ
れだけ「慣れている」ということだ。
 
 「ひとりが巨大化すれば、もう片方も変身せざるを得ないわ。そうしなければ、みすみす殺さ
れてしまうものね。ところが、こんな場所で変身すれば、その正体がバレてしまうのは時間の問
題。学校中の人間が、私とあなたの秘密に辿りつくでしょう。そうなったら・・・どうなると思う?」
 
 突然の質問に、七菜江は困惑する。これではまるで、ホントの先生と生徒の関係だ。(実際
そうなのだが) 細く整えられた眉が寄り、八の字になる。なんでそんなこと、答えなきゃいけな
いの! と思いつつも、高2の女子高生は自分なりの答えを出してみる。
 
 「普通に生活できなくなる・・・と思う。みんなと別れて、特別な施設で生きていかなきゃならな
いかも」
 
 手術台の上で、モルモットとして扱われる姿や、迷彩服を着て特殊部隊の一員として活躍す
る自分が、想像される。女子高生ではなく、戦士としての、兵器としての藤木七菜江。ハンド部
の仲間や、クラスメートの顔が浮んできて、闘いの最中というのに、センチな気分が波を寄せ
る。
 
 「甘いわね、だからあなたはガキなのよ」
 
 「なッ・・・なによッッ!」
 
 常に一言多い響子のセリフに、七菜江は小さな顔を紅潮させて、泡を飛ばす。しかし、次に
真っ赤な唇からまろびでたことばは、少女の心臓に鋭い棘を刺した。
 
 「あなた、殺されるわよ」
 
 西洋人とのハーフっぽい、くっきりとした瞳が、冷たく光る。陶磁器のような白い肌から発する
空気が、ことばの真剣みを伝えてくる。ごくりという、幼い喉が唾を飲みこむ音を、七菜江は無
意識のうちに聞いていた。
 
 「一般人が私達のような、超常的な存在を許すと思っているの? これは正義とか悪とかは
関係ない話よ。全ての人間が正義を愛すると思ったら大間違い。人類の滅亡を望む歪んだ思
想の者はいるのよ。まして人間は、自分より強い存在を許さない。いくらあなたが正義の味方
を気取っても、人類にとってはファントムガールは脅威の存在、人類の将来を脅かす可能性の
ある、危険な存在なのよ」
 
 ハンマーが少女の頭に衝撃を与える。視界が揺れる。眼が大きく見開かれ、一瞬呆けた表
情になる。
 考えたこともなかった。ファントムガールが人類にとって、危険と思われてるなんて。
 信じたくはなかった。騙してるんだ、とも思いたい。だが、静かに話す片倉響子の口調には、
力強さと説得力があった。
 
 「そして、残念なことに私達、宇宙生物との融合者・・・・・・『ミュータント』って言ったかしらね、
『ミュータント』は、常に絶対的な力を持っているわけではない。もちろん、知ってるわよね? 
我々の巨大化には、時間制限があることを」
 
 「・・・・・・60分・・・」
 
 「そう。つまり60分は無敵な我々も、その後は無力な人間に戻ってしまうわけ。まあ、超人的
な身体能力は保っているのだけれど。それにしたって、変身解除後は、その影響で眠ってしま
う」
 
 そのことは、七菜江も聞かされていた。里美が激闘によるダメージで伏せっている間、大まか
にではあるが、銀の戦士としてのレクチャーを受けたのだ。その最初の講義が『ファントムガー
ルには無闇にトランスフォームしてはならない』ということだった。正体を知られてはならない、
という理由とともに、里美に声高に言われたのは、ファントムガールに長時間変身したり、トラ
ンス中に大きなダメージを受けると、トランス解除後、回復のために、『エデン』が強制的に身
体機能を眠らせてしまうから、ということだった。
 
 『例えば、今回、私がメフェレスに殺されそうになった時、トランスを解除したわよね。あの時
は幸運にもナナちゃんが私を見つけてくれたけど、もし、敵に見つかっていたら・・・今、ここに
はいないでしょうね。殺されるならまだしも、どんな拷問を受けていたか、わからない。そういう
意味では、変身を解くというのは、ファントムガールにとって、とても危険な行為なの』
 
 そう言えば、初めてファントムガールの正体を知ったあの日、メフェレスに嬲り者にされた里
美は、地下の駐車場で死んだように眠っていた。その後、里美を背負った七菜江は、執事・安
藤に見つけられ、保護されたのだが・・・・・・あの時、安藤がいたのは、戦闘で傷つきどこかで
眠っているであろう里美を、敵が見つける前に探しに来ていたのだ。
 
 『そうよ。戦闘に勝ったり、負傷が少ない時は、トランスを解除して光の粒子となった時に、あ
る程度、自由に元の肉体の置き場所を選べるの。距離もそこそこ遠くまで行けるし。けれど、
大きなダメージを受けたら、どこへ行くか、全くわからない。距離もほとんど解除した場所の近く
になってしまう。トランスの制限時間、60分を越えると、ファントムガールは活動を停止してしま
うということは、説明済みだったわよね? でも、かといって、敵を仕留められないまま、トラン
ス解除するのは、死と隣合わせのイチかバチかの賭けになってしまうの。つまり、私達ファント
ムガールが生き残るには、60分のうちで、敵を倒すしかないのよ』
 
 『なんか・・・大変ですね』
 
 『そう。だから、できる限り、ファントムガールにはならない方がいいのよ。でも、結局、ミュー
タントが出てきたら、私達が倒さなくちゃいけないんだけどね』
 
 そう自嘲気味に笑う里美を、切ない気持ちで七菜江は見ていた。
 
 「・・・・・・・私達ミュータントも、あなたたちファントムガールも・・・まぁ、元々は同じものなんだ
けど、敢えて違う呼称を使うわ・・・・・・・60分の超肉体と引き換えに、無防備な状態を晒してし
まうわけ。どんな無能な人間にでも、確実に殺せるような状態をね」
 
 スラリとした肢体を誇るように、腕組みをして斜に構える片倉響子。彼女の言わんとしている
ことは、着実に生徒に伝わっているようだった。
 
 「ミュータントもファントムガールも、最も正体を知られてはならないのは、敵に、ではない。一
般人に、よ。この地球上に何十億といる普通の人間から、逃げられると思う? 彼らに正体を
知られることこそが、破滅。そして、今、あなたが私と闘おうとしているのは、その破滅への道
の第一歩なのよ。・・・・・理解できたかしら? おバカな七菜江ちゃん」
 
 「バカは余計だッッ!! ・・・・・・なんとなくだけど、わかったわよ」
 
 少女の両腕はとっくに垂れていた。右に傾いて立ち尽くす。どこまで、この憎い女の話を信じ
ればいいか、わからないが・・・・ただ、この場でファントムガールになるのは、どうしても避けね
ばならないことは、ハッキリと意識していた。実際のところ、片倉響子の言う内容は、その通り
なのだろう。残念だが、少女が守っている普通の人々が、七菜江をファントムガールと知った
ら・・・その目は「人間」を見る目ではなくなるような気がする。一般人にこそ、正体を知られては
ならぬという響子の主張は、頷かざるを得なかった。先ほどまでの闘志は掻き消え、握ってい
た拳を緩める。目の前に敵がいるのに・・・正体をみすみす知られてしまうのに・・・何もできな
い自分が腹立たしい。
 
 「ふふふ。あなたにしては上出来よ。でも、せっかくだから・・・」
 
 蜜を振りまいて、毒々しい闇華が笑う。その血の色をしたルージュを隠していた右手が、無造
作に、指についた水を振りきるように、七菜江に向かって勢い良く差し出される。
 
 「ちょっと、遊びましょうよ」
 
 何もないはずの空間に、キラキラと光が散乱する。
 光が眼に飛び込んできた瞬間、七菜江は無事な右足で真横に3mを跳んでいた。使えない
左足をキレイにたたみ、左肩から右肩へと、流れるように接地ポイントを移動させ、回転して受
け身を取る。
 
 バシュバシュバシュッッ
 
 フローリングの床が、プリンにナイフを刺したみたいに、サックリと網目に刻まれる。一瞬、光
を確認するのが遅れたら、七菜江の瑞々しい身体が、サイコロステーキになっていただろう。
 
 「こォんのッッ!! どこまで卑怯なのよッッ!!!」
 
 いかにも闘わないような話をしといて、殺す気満々じゃないのッ!! 
 回転した体を止める為、ズタズタの左足で踏ん張る。激痛の覚悟。その上をいく、神経を裂く
電流が脊髄を疾走する。リスに似た愛らしい眼が、皺を寄せて細くなる。
 だが、少女の気力は、痛みなどには屈しない。襲われたら、闘う。その後を考えるほど、オト
ナじゃない。
 いつの間にか掴んだベッドの残骸を、片膝立ちになった瞬間、投げつける。鉄パイプがプロ
ペラのように回転し、泉の妖精を思わせる蕭然さで立つ、美貌の教師に唸りをあげて突進す
る。
 
 華奢な左手を優雅としか表現できない動作で、響子が振る。鉄パイプが宙空で静止し、まば
たきをひとつすると、コマ切れに分断されて、地に落ちる。
 
 “わかった!! この女の武器は・・・”
 
 空気が煌く。今度は前方に飛ぶ七菜江。ジャージが切れて、聖愛学院のシンボルカラー・青
が、衣服の切れ端となって虚空を泳ぐ。
 
 「その動きは見切っているわ!」
 
 左足の使えない七菜江が、倒立した姿勢のまま、右手一本で床に着く。そのまま腕立て伏せ
の要領で腕を曲げ、思いきり伸ばしてジャンプ! 高校生の女のコが、己の体重を片腕のみで
弾き飛ばそうというのだ。元が常人離れした運動神経の持ち主で、『エデン』の融合者だからこ
そできるウルトラE。
 だが、着地した時点で、光が逆立ちの少女を包囲する。その場所に七菜江が来るのを読ん
だ響子の待ち伏せ。片腕のジャンプを敢行した七菜江の右手首に、三条の朱線が疾る。
 
 「くうッッ!!」
 
 鋭い痛み。しかし、手首を落とされるより早く、七菜江の手刀が空を切る。ブチッという音とと
もに、見えない手首への戒めが解き放たれる。
 
 「やっぱり!! あんたの武器は、“糸”でしょッッ!!」
 
 「スペースシャトルの外壁を両断する特殊合成糸を、手で切るとはね! 面白い・・・見直した
わ!」
 
 「言ってろッッ!」
 
 両手と右足だけの、三点の側転で、響子に迫る七菜江。
 響子が腕を交差して振るう。1ミクロンにも満たぬ細さにして、合成金属すらも細断する死の
糸が、小麦色の柔肌をミンチにしたいと襲いかかる。が、少女の側転のスピードは、響子が糸
を操る速度を遥かに凌駕していた。
 
 「なんてコ! 楽しませてくれるわね!」
 
 ブオッッッ・・・・
 
 風を引き連れた七菜江の身体が、霞みがかって響子の鼻先に現れる。
 ギリシャ彫刻の女神の顔に貼りついた、哄笑い。赤いヒルが、三日月の形に吊り上がる。
 
 “今までの想い・・・食らえッッ!!”
 
 加速度と回転力、そして自らの身体の捻りを右拳に乗せ、渾身のストレートを、怨敵の美しい
顔面へ―――
 
 「えッッッ??!」
 
 妖艶な薔薇の笑顔が二重にぼやける。不意に襲った脱力感が七菜江の骨の髄から力を吸
い取り、空中姿勢が大きく崩れる。それでもなんとか放った右ストレートは、力なく空を切り、美
少女戦士はバランスを崩したまま、倒れこんだ。力が液体となって、あらゆる穴から垂れ流れ
ていく。先までの攻勢も一転、床に這いつくばり、泥沼でもがく少女の後頭部を、残酷な女教師
の高く、冷たいヒールが、ゴツッと踏みにじる。
 
 「たいしたものね、その運動神経は。そこは認めましょう。ちゆりが気に入ったのもわかるわ」
 
 「ぐッ・・・ううッッ・・・・・・・な、なん・・・で・・・・・・」
 
 石像が置かれたような圧力が、七菜江の頭にかかってくる。桃の頬が冷たい床に押し潰され
る。必死で動かす腕は、蛇のようにのたくるだけで、囚われた少女の言うことを聞いてくれな
い。明瞭だった視界が、白濁してくる。目蓋が鉄のように重くなり、開けているのもツライ。
 
 「言ったでしょ。蛆虫は神の足元に跪いているのが、お似合いなのよ。オホホホホホ!」
 
 片倉響子の尖ったヒールが、動けない少女戦士の頭部をガツガツと穿つ。その度に引き攣
る、丸みを帯びた肢体。額が床に打ちつけられ、その衝撃で滲んだ血が、じっとりとフローリン
グに流れてくる。空気に鉄分の臭いが篭り始める。
 
 「あなたは怪我人なんだから、大人しくおクスリを飲んでればいいものを・・・」
 
 七菜江の脳裏に、先程吼介にもらった、白いカプセルが蘇る。あれ・・・・・・か・・・。またもや
響子の罠に嵌ったことを悟り、注意不足な自分が嫌になる。
 
 「卑怯・・・者・・・・・また、だましたのね・・・・・・」
 
 「人聞きの悪いことを言わないで。工藤くんが言ってたでしょ? 睡眠薬入り鎮痛剤って。そ
のままのものよ。少し、効き過ぎるけど。どうかしら? 春の陽だまりにいる心地じゃなくっ
て?」
 
 目蓋が重い。ぼやけた視界で、水の中にいるようだ。伝達神経が切れたみたいに、各個所
が言うことを聞かない。底無し沼が、もがけばもがくほど、可憐な戦士を溺れさせていく。
 
 「さて、もっと、いい格好になってもらいましょうか。負け犬のファントムガール・ナナさん」
 
 響子が両手を勢いよく広げる。祈る形で、悪の女神の足元に跪いた七菜江の四肢が、今度
はハッキリと目に見える太さの糸に絡み取られていく。手首と足首、そして首が。皮膚が裂け、
骨が軋むほどに縛糸が食い込み、薬によって意識が半濁した少女戦士を、軽々と人形のよう
に吊り上げる。
 
 保健室の中央に、糸のみで捕縛された七菜江が、十字架に処された無残な姿を晒す。両腕
は真横にピンと張られ、強制的に閉じられた足が、一文字につま先までを伸ばした姿勢で完全
に宙に浮く。うな垂れた頭を無理に上方に引っ張られ、絞首刑を架けられた様にも似ている。
全体重が食いこむ糸に懸かり、破れた皮膚から滲んだ鮮血が、ポタポタと、処刑の床に落ちて
いく。閉じかけた瞳に虚ろな光が浮んでいる。
 
 「うふふふふ。いいザマね、ナナ。こうなっちゃったら、もう巨大化すらできないでしょ? 悪に
捕まった気分はいかがかしら、正義の味方さん?」
 
 ハリウッドスターの優雅さに似た歩調で、絶世の美女は捕獲した獲物に近寄る。ピアニストと
間違う細く長い指を、虚空を睨む少女にかざす。10本の指からは、あらゆる太さの糸が、四方
八方に複雑に絡み合って伸びていた。
 
 囚われの七菜江は必死の抵抗を試みる。だが、クスリの影響で闇に飲まれかけた意識で
は、指一本自由にならない。絡まる糸は剃刀の鋭さを伝え、無理に暴れれば、より傷つくだけ
であることをわかりやすく伝えてくる。
 
 “く・・・苦しい・・・・・・喉が・・・締ま・・・・・・る・・・・・・・い、糸が・・・・・手首・・・・に・・・食い込ん
で・・・・・・・い、痛い・・・・・千切れそ・・・う・・・・”
 
 この苦境から脱しなければいけない。このままでは、この女にいいようにあしらわれるだけ
だ。そんなことは嫌というほどわかってるのに、脱出どころか戒めの激痛に翻弄されている。
 
 「まだ・・・・・・私は負けてない・・・・・・・・」
 
 単なる強がり。もはや己の力では、どうにもならない事態に陥っていることは、七菜江自身が
悟っていた。でも、この女にだけは負けを認めたくない―――
 
 「オホホホホホ! 弱いくせに、ホントに気だけは強いのね! 身の程しらずなコ、悲鳴でも
挙げてなさい」
 
 開いた右手の人差し指を、折り曲げる。
 七菜江の腕が両サイドから急激に引っ張られ、宙に浮いた足が地に着かんばかりに伸ばさ
れる。見えない巨人が、少女の四肢をバラバラに引き千切ろうとしている。靭帯が伸び、関節
が外れる不快な音楽が、七菜江の体内に駆け巡る。
 
 「ぐああああッッッ―――ッッッ!!! がああッッッ!! ・・・・・・ああッッ! ・・・・・・・・・あ・
あ・あ・・・・・・・」
 
 “う、腕が抜けちゃう! あ、足・・・も、もうこれ以上、壊さないで! この女は・・・・私で遊んで
る・・・”
 
 響子の思惑通り、叫んでしまった七菜江。磔にされた惨めな自分が悔しい。
 
 「今度は死にかけてもらおうかしら」
 
 苦悶する美少女を見て、明らかにサディスティックな渇きを潤す悪女。赤いルージュが愉悦に
歪む。右手の小指が曲げられる。
 
 「ぐええええッッッ!!! ごぼオオォッッッ!! ごぼごぼオォッッ!! ・・・・・・・ぶぐうッ・・・
ぐぶうッ・・・がふッがふッ! ・・・・・」
 
 七菜江の桜色の唇から、地獄から涌き出たような悶絶の叫びがこぼれる! 声だけではな
い、ヨダレや泡が、ゴボゴボと噴水になって次々と溢れ出る。動かすことのできないはずの身
体が、死が近付く苦痛に痙攣する。
 引っ張られているのは、七菜江の首だった。
 喉に食い込む糸が、容赦なく上方に引かれている。
 頚動脈を絞めたりなど、しない。“落とす”のではなく、喉を潰し、気管を潰し、“苦しめる”のを
目的とした、絞首刑。
 
 「わかったかしら? もう、あなたは私のオモチャ。操り人形なのよ。生かすも殺すも私次第
―― 」
 
 小指をゆっくりと伸ばしていく。真っ青だった少女の顔に徐徐に血の気が差していき、ビクビ
クと震えていた身体が収まってくる。
 
 「がはあッッ!! ・・・ぐふうッ・・・がはッがはあッッ・・・・ぐぶぶぶぶ・・・・・・・・」
 
 「ふふふ・・・涙とヨダレでグチョグチョね・・・お似合いだわ」
 
 響子の平手打ちが、七菜江の頬を叩く。
 七菜江の顔が電車に轢かれた速度で横を向く。あまりの勢いに、少女の顔は霞むほど。女と
は思えぬ一撃。
 4mは離れた保健室の壁に、七菜江の血や汗や涙やヨダレが、飛沫となってビシャリと付着
する。不良にあれだけ殴られても、赤く腫れるだけだった七菜江の頬が、みるみるうちに膨れ
上がる。クスリによって混乱する意識が、ヘビー級ボクサー並のフックを食らって、ますます白
く、飲み込まれて行く。
 
 「・・・・ぐう・・・・・・・・う・・・・・・・うぅぅ・・・・・・・・」
 
 逆方向、左からの張り手。
 頬の内肉が千切れ、ベチャッと床に肉片が落ちる。血が霧となって空気を染める。
 
 バチーーン
 バチーーン
 バチーーン
 
 絶世の美女が、恍惚の表情を浮かべながら、十字架に磔られた傷だらけの美少女を、途切
れることなく平手打っていく。殴るたび、血が舞う、凄惨な光景。
 手を休めずに、片倉響子は語り始めた。
 
 「あなたがメフェレスと闘った日、私はあの場所にいたのよ。当然、あなたは気付かなかった
でしょうけど。変身解除後のメフェレスを、あなたたちに見つかる前に保護しなければならない
からね。」
 
 「・・・・・・・・」
 
 「今朝、あなたに会った時、どこかで見た気がしたのはそのためよ。あとは策を練らせてもら
ったわ。二重、三重にね。あなたは負けるべくして負けたのよ、ファントムガール・ナナ」
 
 殴打が止む。
 血にまみれ、原型を留めぬほどに赤黒く腫れあがった七菜江の顔が、ガクーーンと垂れる。
 口の端から流れる鮮血が、白い首を伝って、ジャージに黒く沁みていく。
 
 「ナナ、メフェレスはあなたのことを、大層憎んでいるの。あれだけのことをしたんだから、当
然ね。で、あなたの惨殺死体を見たがってるんだけど、どっちがいい? 首をチョン切られる
か、内臓をぶちまけるか?」
 
 「・・・・・・・好・・・き・・・に・・・・・しろ・・・・・・・・・・」
 
 「そう。じゃあ、サヨナラ。ファントムガール・ナナ」
 
 塞がった視界の中で、悪女・片倉響子の全ての指が閉じられる。
 その映像を最期に、ファントムガール・ナナこと藤木七菜江の意識は、白く、深い闇へと侵食
されていった――――
 
 
 
 夕暮れの校庭に、運動部の掛け声が突き抜ける。
 紫色の闇が校舎を包むなか、廊下を疾走するふたつの影があった。
 ひとつは、シルクの輝きを持った長い髪をなびかせる、スレンダーな女子高生。そのあと、少
し遅れて続くのは、影でさえ筋肉の隆起がわかるガタイの持ち主。
 聖愛学院生徒会長・五十嵐里美と彼女の幼馴染・工藤吼介は、校則を無視して、誰もいない
廊下を全速力で駆けていた。
 目指すのは、第2号館の端にある、保健室。
 
 “嫌な予感がする・・・・・・とても。ナナちゃんになにかあったら、私のせいだ・・・”
 
 吼介から七菜江が“ナナ狩り”にあったことを聞いた里美は、生徒会の雑務を副会長の久慈
に任せ、血相を変えて飛び出した。
 
 “ナナ狩り”の話を聞いた時から、こういった事態が起こる覚悟はできていた。きっと、一般人
相手に、七菜江はリンチを敢えて受けるだろう。そういうコだから、あのコは。
 吼介から聞いた七菜江の惨状は、顔をしかめざるを得ないものだったが、同時に安堵もし
た。『エデン』の保有者なら、1週間もあれば回復できそうな程度だったからだ。
 里美を不安にさせるのは、怪我のことではなかった。
 
 「どうして・・・どうしてあのヒトが、一緒なのよ・・・」
 
 片倉響子。新しく赴任してきた教師にして天才生物学者の、美貌の女性。
 彼女は違う。ただ者ではない。
 今朝一目見た里美の心を襲ったのは、憧れとか嫌悪感とかではない。戦慄だった。
 蛙が蛇を初めて見ながら、危険と察知するような、本能に訴えてくる恐怖。
 その女が、今、重傷を負った七菜江とふたりだけでいる―――
 
 すでに時計は6時を回っていた。2時間以上、ふたりきりにしている計算になる。
 もっと早く教えてくれれば・・・罪の無いことはわかっているが、呑気に柔道着で汗を流してい
た吼介に、当たりたくなってしまう里美がいた。
 その吼介は、なにやらよく理解していないまま、里美の勢いに気圧されて、思わず付いてきて
しまっていた。いつも冷静で、高貴にすら映る里美が、明らかに取り乱していた。いつの間に、
七菜江と里美はこんなにも親密になったのだろうか?
 
 ガラリと扉を開け、里美が先頭になって、保健室に入る。
 
 誰も、いない。
 シンと静まり返った室内に、薄墨色の闇だけが、じっとりと染み入っている。一番奥のベッド
の掛け布団が、人間ひとり分の大きさのものを包んで膨らんでいる。
 
 ドクン・・・ドクン・・・ドクン・・・
 
 里美の小さな胸が、早鐘のように打つ。静まった空気に、鼓動だけが大きく響く。
 いつもと変わらぬ保健室の風景。
 だが、里美は嗅ぎ分けていた。薬品の臭いに混じる、異臭・・・ま新しい血の香りを。見抜いて
いた。所々白くなった床や壁を。それは“何か”を拭き取った証拠。そして、隠しきれない、深く
斬りつけられた、床の傷。
 
 一歩一歩、ベッド上の膨らみに近付く里美。膨らみは微動だにしない。
 震える右手が、物体を包み隠した布団にかかる。
 爆発しそうな、心臓。
 一気に布団を捲り上げる。
 
 「きゃあああああ―――ッッッ!!!」
 
 そこには、五体をバラバラに切断された、藤木七菜江の骸が転がっていた。
 切り落とされた首が、ゴロゴロと転がり床に落ちる。
 
 「うわあああああ――――ッッッ!!!」
 
 上体を弾かせ、冷や汗をびっしょりと掻いた七菜江が、そこで目を覚ました。
 ハァハァと荒い息をつく。額についた黒い髪を、右手の指で掻き上げる。腫れた目蓋に触
れ、思わずビクンとなる。
 
 “あたし・・・生きてた?!・・・”
 
 「ナナちゃん!!」
 
 傍らに付いていた里美が、思い切り抱き締めてくる。七菜江の肩に顔を埋め、強く抱く。怪我
に響く痛みより、里美の肌の温かさが傷ついた体を癒した。
 
 「ごめん。ごめんね。私のせいだ。・・・・・・・・こんな酷い目に遭わせてしまって・・・・・・ごめん
ね」
 
 「そんな・・・・・・里美さんのせいなんかじゃないですよ・・・」
 
 抱擁するふたりの美少女を、工藤吼介は腕組みをしたまま、ベッドの側に立って見つめてい
た。以前から知るふたりが、自分の知らないうちに懇意になっていることに、複雑な表情を見
せながら。
 七菜江の顔がさっきよりもだいぶ腫れあがっていることに気付いていたが、ふたりの少女の
気持ちを考えると、口に出す気にはなれなかった。
 
 しばらくお互いの心を通い合わせるように抱き合った後、里美はボロボロの身体から離れ
た。切れ長で、澄みきった瞳に、凸凹になった七菜江の顔が映っている。真っ直ぐ見つめる漆
黒の瞳には、決意の炎が燃えていた。
 
 「・・・・・・許せない・・・」
 
 小さな貝のような潤った唇が、誰にも聞こえない呟きを漏らす。
 
 「吼介、悪いけど、ナナちゃんを私の家まで送ってくれる? 寮だといつまた襲われるか、わ
からないわ」
 
 「そりゃあいいけどよ・・・里美はどうすんだ?」
 
 「私はまだ帰れない。大事な・・・やることがあるわ」
 
 美しく、聡明で、いつも優しい生徒会長。
 夕闇に立つ彼女は、学校の誰にも見せたことの無い雰囲気を纏っていた。吼介はその雰囲
気の正体を感知した。
 なぜなら、自分と同じ、雰囲気だったから。
 
 
 
 4
 
 荒々しい吐息が、ふたつ、重なりあって奏でられている。
 50畳はあろうかという、巨大な部屋。その半分に棚に納められた薬瓶や、ビーカー・フラスコ
などの実験器具が並ぶ。冷却機や電子顕微鏡、培養保存用の無菌室など、素人は見るだけ
で圧倒される設備が、そこら中に置かれている。人ひとりが十分寝られる手術台の上には、9
個もの電灯が備わった証明器具が、不気味な巨大さで浮いている。
 その部屋の残りは、それら見るからに研究室然とした様子とは、趣を大きく異なっていた。
 純白のシーツに包まれた巨大なベッドが、壁際にドンと置かれている。それはラブホテルで見
るものと、よく似ていた。隣の壁には、天井まで届く木造の棚。ここには、薬品ではなく、和洋を
問わぬ酒瓶が所狭しと並んでいる。ドンペリ・ナポレオン・越しの寒梅から、シャトー・ムートン、
ロマネ・コンティまで。ワインが多いのは、この部屋の主人の好みに依るらしい。
 猛獣のヨガリ声は、ベッドの上から流れてきていた。
 
 モデル体型の女が、男に跨っている。長い黒髪が、全裸の背中までを隠し、扇状に広がる。
深紅のルージュを割って出た舌が、それ自体生きているように、男の顔を這いずる。唇を舐
め、鼻の先を舐め・・・白い歯の隙間から侵入し、男の舌と絡んでいく。形のよい、高い鼻が、
男の頬に当たる。
 下になった男は、右手を背から回して、女の秘穴に伸ばす。一番大事な箇所は、そそり立っ
た怒張が占領済みだ。狭い菊門に、女性的なスラリとした細い指を、第二関節まで埋めてい
く。時折、ブリッジの要領で、女を貫いた槍をグラインドさせ、熱い秘泉へと潜り込んでいく。工
藤吼介のような筋肉で膨れ上がった体ではないが、腹筋や胸筋がくっきりと浮びあがり、無駄
な肉のない、引き締まった肉体を披露している。アスリートという呼称に相応しい肉体。豹のよ
うな、力強さとしなやかさを同居した体は、吼介とは違い、セクシーな芳香を醸している。
 
 女が顔を上げる。舌と舌を繋ぐ唾液が、シャンデリアの光を浴びて、七色に輝く。この、研究
室とラブホテルを合体した異空間が、女の私的な所有地であることよりも、そんな施設が神聖
な学校の学び舎にあることこそが、意外な事実であった。
 国立大学並の敷地を誇る聖愛学院の一角、樹林に囲まれた片隅に、新しく建造された3階
建ての校舎は、20代半ばにして生物学会の権威となった女性を迎えるために、理事長自ら用
意した研究用施設だった。入り口はコンピュータ管理の施錠装置が24時間態勢で侵入者を見
張り、女の許可がなければ、理事長・校長といえど入ることはできない。1・2階はまだ設備が
整っておらず、ガランとしているが、3階にはその奇妙な部屋以外にも、高級マンションと錯覚
する調度の揃った部屋がいくつかあった。学園近辺の正真正銘の高級マンションを、女は学
園側から与えられていたが、研究の進度によってこちらで寝泊りすることも多いようだ。
 
 陶然として唾液を舐め取る女は―――美しかった。ハーフと紛う彫りの深い目鼻立ち。研ぎ
澄まされたプロポーション。大理石のように白く、シミひとつない肌。そして、男を見下ろす瞳か
ら発散する、フェロモンの薫り。その目に見入られれば、どんな雄も勃起せずにはいられまい。
 
 「で、実験は成功したのか?」
 
 男の声に、女・片倉響子は妖艶に哄笑ってみせる。クライマックスに向けて、男の屹立が激し
く揺さぶり、突き上げる.ベッドのスプリングが勢いに負けて、ギシギシと音を奏でる。
 
 「ええ。基盤の方が万全じゃないから、直るまで待たないといけないけど。融合自体は成功
よ」
 
 成果を挙げたことによるエクスタシーが、響子の反応を過敏にしていた。突き上がる官能に
酔いしれた表情を晒す。長い指が、男の豆粒大の乳首をコリコリと弄う。
 
 「しかし、気に食わんな。あんな個体でいいのか? 確かに腕力はありそうだが、知能は足り
ているのか? 駒として使えそうにない」
 
 「あれはあれでいいのよ、試作品なんだから。飛車や角だけでなく、歩を使いこなしてこそ名
将成り得るのよ、メフェレス」
 
 つい先日、人類を恐怖のドン底に陥れた魔人の名を、片倉響子は呼んだ。
 メフェレス――青銅の鎧と、黄金のマスクを持つ巨大生命体・ミュータント。目と口、全てが三
日月に笑うマスクを着けたその悪魔は、人類の守護天使であるファントムガールを蹂躙し、滅
亡か降伏かを迫った、人類史上最凶の天敵であった。結局は新しく現れた青いファントムガー
ル=ファントムガール・ナナに撃退されたが、その恐怖は、人々の胸にまだ新しい。その悪魔
の正体が、この一見普通の男だと言うのか。
 
 男は笑いどころか、能面を付けたように無表情であった。見ようによっては優しく見える顔。
好みは分かれようが、タイプだという女は必ずいる整った美形。パッと見、そこには人類の征
服を望むような、歪んだ野心は見受けられない。
 
 「オレが気に入らないのは、もうひとつ、ある。なぜ、あのクソ忌々しい小娘を捕らえた時に、
教えてくれなかった? 首を捻り千切って、カラスの餌にでもしてやったのに」
 
 怒張が膣の中で、さらに肥大化する。喋りながら、男は怨敵を惨殺する想像に、興奮してい
るようだった。激しい突き上げが、美貌の教師の欲望を満たす。
 
 「仕方ないでしょ。人間が来る気配がしたんだから。それとも、正体がバレる危険性を無視し
て、目撃者はどんどん殺せばいいって言うのかしら」
 
 男がその不満を口にするのは三度目だ。余程悔しい気持ちは手に取るようにわかったが、
響子は同じ嘘を三度ともつき続けた。男がギリギリと歯軋りをする。比例して、洞窟を抉る直棒
の激しさが増す。
 
 「まさか、あの藤木七菜江がファントムガール・ナナとはな・・・ぬかった。一気に殺れたのが、
今後は警戒されるだろうな・・・」
 
 「うふふ。いいじゃないの、別に。ファントムガールとして屠るのが、下等な人間どもにはいい
見せしめになるんだから」
 
 「ふん。それは言える・・・な」
 
 響子の狭穴から指を抜き、男の右手が枕の下に伸びる。
 その手が、無造作に振られた。
 細長い影が弾丸となって、薬品棚の隙間を撃つ!
 一直線に進んだ影は、乾いた音と共に弾かれ、アーミーナイフとなって、コンクリートの床に
突き刺さる。
 
 「人の部屋に無断侵入して覗き見なんて・・・いい趣味してるわね」
 
 響子の声に反応して、空間が蠢く。
 棚の隙間から、スレンダーなセーラー服が影を纏って現れる。その手には、新体操のクラ
ブ。そんなもので、少女は投げつけられたナイフを迎撃したのか。
 
 「一応、この部屋にはセンサーが張ってあるんだけど。どうやって侵入できたのかしら、生徒
会長さん?」
 
 響子の問いに、五十嵐里美は答えない。
 醒めるような、美しさ。憂いを帯びた漆黒の瞳、スッと通り抜けた鼻梁、桜貝の貼りついた
唇。肩までかかる茶色がかった髪は、白いリボンで束ねられ、ポニーテールになっている。溜
め息が洩れる、純粋無垢な美少女。
 しかし、直立する彼女は、昼間見せる優等生の表情ではなかった。哀しみを秘めた、強い光
が瞳に宿る。よく里美の美しさは、秋月に喩えられるが、今夜の月は血生臭い戦場に浮ぶ妖
かしの月――
 
 「なんの用かしら? まさか、先生と生徒のセックスを咎めに来たわけじゃないでしょうね」
 
 結合したまま、片倉響子が問う。その裸体にじっとりと汗が滲む。
 
 「もう、お互いにしらばっくれるのは止めにしましょう、メフェレス」
 
 女教師を無視し、下で腰を動かす男に、里美は話し掛ける。
 
 「――いいえ、柳生新陰流の血を継承する者・・・久慈仁紀」
 
 
 
 挿入した自分自身を黙々と動かしつつ、プレイボーイと称される生徒会の副会長は、五十嵐
里美のことばを聞いていた。
 やがて、薄い唇が耳まで裂けそうな勢いで吊り上がる。無機質な色の瞳が細まり、無数の皺
が寄った目尻が垂れ下がる。蝋で固まっていたマスクいっぱいに、凄絶な笑いが浮ぶ。あの青
銅の魔人と同じ、三日月の笑いが。
 
 「くくくくく・・・・いつから気付いていた?」
 
 「始めから、よ。生徒会で一緒に仕事をするうちに、あなたの突出したエリート意識、支配欲
には気付いたわ。そして、メフェレスが見せた剣の腕前。あれは、剣道よりも殺人剣に近かっ
た」
 
 「しかし、オレが柳生の血を引いていることは、内緒にしていたはずだが?」
 
 「調べさせてもらったわ。こういうことは得意なのよ」
 
 裸の女教師と交わる生徒会副会長を見つめる、生徒会会長。
 異様な光景に合わぬ、淡々とした口調のうちには、互いを警戒する緊張感が隠されている。
 騎乗位の姿勢を崩さず、腰をグラインド続けるヤサ男。その左手が里美の死角をついて、巨
大ベッドの裏に伸びる。枕の下にはアーミーナイフを隠していたが、ベッド裏には・・・日本刀。
凶悪な守り神を、久慈仁紀の手が・・・握る。
 
 瞬間、風が通りすぎる。
 久慈と覆い被さる響子の間を縫って壁に刺さった刃物が、必殺の速度を示してビィーンと震
える。ナイフに似ているが、違う種類の刃。それは捲り上げたブルーのプリーツスカートから覗
く、里美の太股に付けられた黒のホルダーから放たれたもの。ちらつく銀色が、まだ同じ武器
があることを知らせる。
 
 「これは・・・苦無・・・か・・・どうやら、キサマ、単なるお嬢様じゃあなさそうだな」
 
 壁に刺さった、携帯しても飛び道具としても使える、先端の尖った形状の武器を、久慈はまじ
まじと観察する。日本刀を握った腕は、里美の投げた苦無《クナイ》から、2cmの場所で静止し
ていた。
 久慈仁紀の声は、女のコを誘う甘い音色ではなくなっている。声質も違うが、喋り方も乱暴に
なっていた。これが本来なのだろう。破壊と虐待に悦ぶ悪魔・メフェレスの本性が、秘めた檻か
ら抜け出てきている証明。ニヤリと歪んだ薄い唇を、ざらついた舌が舐める。
 
 「どうでもいいけど、早く服着てくれない? あなたたちの醜い裸なんて、見たくないんだけれ
ど」
 
 淑やかにして、穏やかな里美らしからぬ台詞。明確な嫌悪が滲んでいる。
 
 「せっかくこれからフィニッシュっていうのに・・・無粋なコね。白けちゃったわ」
 
 片倉響子がベッドの端に置いていた、白いバスローブにスレンダーな肢体を包む。一旦スプ
リングに沈むと、バウンドして身を起こす。そのまま、スタスタと奥の扉に向かっていく。
 
 「お嬢さんの目当てはメフェレスなんでしょ? 私はシャワー浴びてくるわ」
 
 「あなたにも、用事はあるわ」
 
 「私を失望させないで、オリジナルのファントムガールさん。いくら、お仲間が嬲られたからっ
て、我を忘れるほど、あなたはバカじゃないでしょ。こんなところで闘えば、お互いの存在が危う
くなることぐらい、わかってるわよね。それともまさか、ここで変身して、道連れにするつもり?」
 
 「・・・・・・・・」
 
 「そりゃできないわよね。あなたの敵は私達だけじゃないもの。人類を守るのが使命だもの
ね。・・・まぁ、若いふたりで、じっくりと話し合ってごらんなさい。では、失礼」
 
 扉の奥に、長い黒髪が消える。どうやら、奥にはシャワー室やサロンなど、とても高校の研究
室とは思えぬ設備が整っているらしい。高名な科学者を呼ぶために投資した大金の一部は、
こういったところにも注がれているのだ。
 もちろん、いまとなっては、彼女を呼んだ本当の理由は、学園理事の孫である、久慈仁紀の
意向に依るのは、明らかだったが。
 
 ベッド上で胡座を掻いて、久慈は枕元の棚にあった煙草を取る。黒い鞘に入った刀は、膝元
に置いてある。襲われないよう注意しつつ、襲う気がないことを示す微妙な距離。エキサイトし
て巨大化すれば、正体を満天下に知らせることになり、結果己の首を絞めることになる。と言
って、油断すれば響子に捕えられた七菜江のようになるのがオチだ。『エデン』の力を得た敵
同士が向かい合うのは、核兵器を所有する大国どうしの冷戦に似ていた。トランスフォームは
核ミサイルの発射ボタン。押せば、互いの滅亡を賭けての終末戦争に突入することになる。だ
が、放棄するのは危険すぎる。『エデン』の融合者が敵として出会った時、結局は闘えず、互い
の様子を探る遣り取りに終始するしかないのだ。里美も久慈も、その暗黙のルールをよく理解
していた。
 
 「一服させてもらうぞ」
 
 黙ったままの里美を一瞥し、シーツで下半身だけを隠した久慈が、紫煙をくゆらせる。昼間の
彼には有り得ない行動だが、里美にとってはどうでもいいことだった。
 
 「私の正体には、いつ気付いた?」
 
 「ついさっきだな。新体操の技ってのと、顔を見たときちょっと怪しんだんだが、藤木七菜江が
ファントムガール・ナナってのを知って、決定的になった。あれだけ仲良しじゃあな」
 
 十分、10mほどの距離を置いて、美しき女子高生と、裸で座る同級生の会話は続く。タイル
に当たるシャワーの音が、勢いよく聞こえてくる。
 
 「しかし・・・ファントムガールの正体が、身持ちの固さで有名な生徒会長様だったとはな・・・そ
うと知ってれば、もっと遊んであげたものを」
 
 くくく・・・と卑しい笑いを久慈が立てる。その手が空中の見えない里美の乳房を、包み込むよ
うに揉みしだく。淫らな指の動きが、里美を辱めた、あの屈辱と興奮を蘇らせていく。
 そう、ファントムガールである五十嵐里美は、メフェレスに敗れ、淫靡な光を放つ手によって、
強制的にイカされてしまっていたのだ。
 
 「ファントムガールの正体が、お前と知った時のオレの気持ちがわかるか?」
 
 「・・・・・・・・・・」
 
 「最高だァ! 踊りまくりたい衝動に駆られたぜェ。目障りな会長と邪魔者のファントムガール
を一度に始末できるんだからなあ。以前から、お前は気に入らなかったんだ。何故、理事長の
孫のオレが副会長で、お前が会長なんだ? オレ様はルックスから頭脳から家柄から全てパ
ーフェクトなのに。だが、悔しいことにお前はオレの上を行きやがる。何から何まで、全てにお
いて、だ。お前さえいなければ、オレはこの学校でスーパースターになれたのに・・・」
 
 「・・・下らないわ。やっぱりあなたは歪んでいる」
 
 「くくく・・・なんとでも言うがいい。いくら偉そうにしても、ファントムガールがオレにイカされた事
実は覆らない。まさか、忘れたわけないよな? 気高くて上品な会長様が、懇願してオレの愛
撫を求めたじゃないか」
 
 優越感に浸った視線を久慈が送る。知らぬ間とはいえ、彼は人類の守護天使と、目の上の
たんこぶ的存在だった、学園のアイドルを同時に貪っていたのだ。彼にとって、最大の邪魔者
を。これが気分の悪いはずはなかった。
 一方の里美は、全く表情を変えずにいた。少なくとも表面上に、精神的な動揺は陰すら見え
ない。
 
 「オレの技は気持ちよかっただろ? ヒイヒイ言って、潮吹いてたもんな、お前。どこの馬の骨
かわからん女に、息子をやるのは嫌だったから、手でイカせたが、正体が済ました会長さんと
知ってたら、オレの巨砲でガバガバにしてやったのに」
 
 「挑発のつもり? あまり下品なこと言ってると、育ちがバレるわよ」
 
 「強がんなよ。ホントはオレ様のが欲しいんだろ? 気持ち良かったです、久慈様のを下さ
い、って言ってみろよ!」
 
 「・・・ホントにあなたは・・・下衆ね。悪いけど、あなた、趣味じゃないのよ」
 
 里美が言うなり突っ込んでくる。
 こいつ、やる気なのか?―――
 久慈が膝元の日本刀を掴む。同時に里美が腕を振る。
 放たれた四条の黒い風を真剣が最小限度の動きで捌く。金属が金属と当たる音。弾かれた
黒い影は、十字型の飛び道具となって、床に落ちる。
 「手裏剣――やはり、キサマ!」 久慈の叫びが終わる前に、クラブを上段に構えた里美が
宙を舞う。
 独楽のように前方宙返りを何回転も切る里美。ポニーテールが円を描く。
 
 「メスイヌがッッ!! ヌルイわッッ!!」
 
 鈍く光る刀身が、回転する里美を頭頂から股間までを両断する!
 がッ・・・・・軽いッッ!!!
 
 「う・・・空蝉の術だとォッッ!!」
 
 久慈が斬ったのは、青と白のセーラーと、プリーツスカート。そして、それらを着こんだ、元は
ぬいぐるみと思われる、綿の固まり。
 すりかわった中身を確認した久慈の喉に、白いリボンが絡み付く。新体操で使う、あのリボ
ン。
 
 「ぐえええッッ!! き、貴様あぁッッ!! くノ一だなッッ!!」
 
 久慈の背後を取った里美が、リボンを操って首を絞める。里美が操るリボンは生きた蛇とな
って、頚動脈を絞めつけていく。セーラー服を脱ぎ捨てた少女は、特殊繊維と軽合金の鎖で編
まれた、黒の忍びかたびら姿になっている。
 
 「五十嵐家は御庭番衆頭領の正統宗家。あなたが柳生の血を引くというのなら、私は現代忍
者の末裔よ」
 
 里美が防衛庁長官を含め、数人しか知らぬ五十嵐家の素性を明かす。
 そう、五十嵐里美は単なる華族出身のお嬢様ではない。
 その身体には、江戸時代よりこの国を裏から守ってきた、闇の戦闘士の血が流れているの
だ。
 
 御庭番・・・徳川八代将軍・吉宗に組織された隠密集団。諸国の情勢を探り、暗躍する闇の
軍団は、情報収集という点において、幕府の中枢を担っていた。現代社会における情報の重
要性を考えれば、彼らがいかに重宝すべき存在かがわかるだろう。
 幕末の混乱に乗じて、彼らの存在は歴史の闇に埋もれていった、とされている。しかし、実際
には地位と引き換えに、この国の暗部を探る裏の諜報部隊としての活動を続けていたのだ。
財閥としての表の顔とは別に。
 
 「物心ついた時から、ずっと言われてきたわ。この国を守るのが、私の使命って。私の命は、
この国と、人々を守るためにあるの」
 
 「それでファントムガールってか・・・バカな女だ。お前はいいように利用されてるだけだ」
 
 ギリギリと絞めつけられ、久慈の白い肌が紅潮する。それでも、減らず口は止まらなかった。
 
 「それでもいいわ。みんなが幸せになるなら。そのために、私は血と汗と涙を流して、修行に
耐えてきた。お嬢様と呼ばれるけど、決して楽をしてきたつもりはない。毎日、必死で生き抜い
て来た。だからこそ、あなたのように戯れで人を傷つける者は、許せないッ!」
 
 「くっくく・・・成る程、道理で新体操でもあれだけの活躍が出来るわけだ・・・死にかけるほどの
修行を積み重ねたんだからな・・・だが、その挙句に自分より下等な庶民どもを救うために傷つ
くのは、つまらんと思わんか? 奴らは生きる価値もない、くだらん生物だぞ。我々高貴な存在
が支配してやった方が、奴らのためなのだ。それを奴らも望んでいるのがわからんのか?」
 
 「そういう思いあがりが許せないのよ!」
 
 絞める里美の頬も紅潮する。長い睫毛が怒りに揺れる。普段、大人しい彼女の沸点は、とっ
くに限界に達していた。泡を吹き始めた久慈の手から、冷たい光を放つ日本刀が落ちる。
 
 「あなたも3代将軍家光のころから指南役となった、由緒正しき柳生の血を引くのなら、下ら
ない妄想を捨てて、正義の刃に屈しなさい! いくらあなたが力をつけても、世界征服など有り
得ない! 私がさせない!」
 
 徳川将軍家の御留流として、名を馳せた柳生新陰流は、柳生但馬守宗矩が仕えた東京での
流れは途絶え、現在は尾張名古屋で継がれた道統のみが残ったとされている。
 だが、途絶えたはずの東京での血統が、久慈家なのだった。
 その祖先がどのような手段を講じたか、定かではないが、明治の中期に突如現れた久慈家
は、柳生の名を捨て、代わりに莫大な財産を持った資本家として、歴史の表舞台に立ったの
だ。
 しかし、その裏で、柳生の技は脈々と受け継がれてきたのだろう。
 それは、剣道部に所属せず、街角の道場にも通っていない久慈仁紀の剣術の腕が証明して
いる。
 
 「柳生,柳生とうるさいメスだ・・・奴らは『活人剣』、我が久慈家は『殺人剣』・・・キサマもオレ
の愛刀で血の海に沈めてくれる・・・」
 
 「よく状況がわかってないようね。あと数十秒もあれば、あなたの首は折れるのよ」
 
 「くくくくく・・・さて、どうかな?」
 
 久慈の笑い、それを里美は強がりだと判断した。
 すでに反撃する力は残っていないことはわかっている。無警戒にシャワーを浴びに行った女
教師は、戻ってくる気配がない。水がタイルを叩く音がいまだ続いている。
 だが、頭では優勢を確認していても、身体が注意信号を出してくる。
 なに・・・なんなの、この不安は・・・・?
 里美の細胞が正体不明の異常事態を感じて、ざわめいている。
 
 苦しむ久慈仁紀が、首に食いこむリボンを取ろうともがく。しかし、華奢な外見に秘められた
力で絞めるリボンは、久慈の喉に完全に埋まっており、指先に掛かりさえしない。
 
 「ムダよ! このリボンは特殊繊維で編まれたもの。簡単には切れないわ!」
 
 窒息寸前の震える手が、なにもない空間を掴もうとする。
 足元に落ちた日本刀を、サッカー選手がボールをリフティングするように、右足の甲で器用に
蹴り上げる。苦痛にもがいているだけと思われた久慈の手に、刀の柄が納まる。
 
 「!!」
 “慌てないでいい。状況はさっきと一緒”
 
 冷静に判断して、動転しかける心を落ち着かせる里美。だが、状況は変わらずとも、久慈の
覚悟が違っていた。
 拾った刀の刃を、自らに向ける。
 あっと思う間もなく、食いこんだ首の肉もろとも、リボンを刀で切る久慈。
 同時に前転し、リボンの絞首刑を脱した久慈が、振りかえりざまに大上段から死神の刃を振
り下ろす。
 後に飛ぶ里美。迫っていた壁を蹴り、天井へ。さらに天井も蹴って、三角跳びの要領で久慈
を越え、3回前転し距離を置く。
 
 両者がほぼ同じタイミングで振り返り、対峙する。
 ブシュウウッッッ・・・・
 黒い忍びかたびらを袈裟斬り状に血が吹き出る。
 
 「フハハハハ! 惜しかったな、五十嵐里美。もう少しでオレを倒せたものを、お喋りに夢中
になり過ぎたのではないか?」
 
 喋るたびに、パックリと割れた喉の切り口が震動で開く。斬り方がうまいのか、血はほとんど
でてないが、ピンク色の肉が覗いて痛々しい。
 平然とした様子でいるが、先の絞首が効いているのは確かだ。しかし、里美にはもっと気に
なることがあった。
 
 “た、確かによけたはずなのに・・・なぜ斬られた?”
 
 思わず、左肩から右脇腹にかけて2cmほどの深さで斬られた傷に手を当てる。ヌルリとした
感触。焼けるように熱いが、我慢できなくはない。それよりも、見切ったはずの剣戟を食らって
いたショックが大きい。
 
 “速いし、ムダのない軌道だわ・・・でも、十分よけきれたはず。一体なぜ・・・? 特に変な動
きを使っているようには見えないのに・・・”
 
 「ハハハ! なにをボーッとしているのだ!」
 
 久慈が間合いを詰める。速い!!
 風すら切り裂く横薙ぎの一閃。
 2回バック宙して、危機を避ける里美。弾かれたように後方に跳ぶ。
 着地して構えるくノ一の背後の床に、沁みが広がっていく。
 
 「あと5ミリで脊髄だったが・・・惜しいな」
 
 鎖と特殊繊維で編まれたかたびらはバッサリと切られ、白い背中に一直線に引かれた朱線
から、御庭番から受け継いだ血が、ドクドクと流れ落ちていく。
 額に浮んだ透明な雫が、顎の先端へと伝っていく。
 
 “ま、また・・・おかしい、なぜよけられないの・・・・・なにか仕掛けが・・・・・・・・・・も、もしや!”
 
 太股のホルダーから抜いた苦無を投げつける里美。
 乾いた音を立てて、燕より速く飛ぶ暗器が、難なく刀に弾き飛ばされる。
 
 「やっぱり! 神経毒ね!!」
 
 「クハハハハ! ようやく気付いたか! 無味無臭の毒ガスを撒かせてもらった。もちろん、
抗生物質を服用しているオレには効かんがな。敵のアジトに潜りこむには、それ相応の覚悟を
しとくんだったな、くノ一さんよ」
 
 里美が苦無を投げたのは、久慈を仕留めるためではない、己の神経の確認のためだ。放っ
た苦無は、里美が狙ったポイントからわずかにずれた場所に飛んだ。ほんの数ミリのずれ。そ
れで里美は中枢神経が毒に冒されていることを悟ったのだ。よけたはずの斬撃を浴びていた
のも、それで説明がつく。
 幼きころからの修行の一環として、毒に対する訓練も当然のように積んでいる里美だからこ
そ、早い段階で気付けたのだ。無味無臭だろうと、細胞自体がある程度反応しやすくなってい
る。抵抗力をつけるため、少しづつあらゆる毒を服んでいるので、段違いに毒への免疫が強
い。
 
 “若干麻痺してるけど、大丈夫、十分動ける。でも、長い時間ここにいるのはマズイわ・・・”
 
 「おっと、逃げようとしたって、そうはいかん。お前はこれで終わりだ」
 
 端正な顔が三日月に歪む。勝利を確信した残忍な笑み。だが、一方の里美には余裕があ
る。
 上段に構えた日本刀を肩の上に引いていく。これは・・・突きの構え?! 5m以上離れたこ
の距離で、突きが届くわけはない。一体どんな技があるというのか。
 いぶかしむ里美の目前に、突如現れる三日月の笑み。
 突き。回避不可能な距離。
 必死で捻った脇腹を、根元まで銀光が刺し貫く。
 真珠に光る唇から、ゴボリと溢れる血塊。
 
 「ううぅッッ!!・・・・・くッ・・・くううッッ!!・・・・・・」
 
 「どうだぁ、五十嵐里美? 久慈の殺人剣の味はぁ? 死の香りがするだろうが」
 
 久慈仁紀が、里美を貫く刀を、90度捻る。
 脇腹を抉られ、ワナワナと震える唇から、新たな血塊がこぼれる。
 
 「ごぼおッッ!!・・・・がふぅッ!・・・・ぐうううう・・・・」
 
 “あ、足捌き・・・・・”
 
 いくら久慈の突きが速いといえ、5mの距離があれば十分に避けられると思っていた。点の
攻撃である突きは、攻撃力は高いが線の攻撃より避けやすい。『エデン』の融合者なら5mは
一気に跳べる距離だが、直線的な攻撃になるので、決して恐れるものではない。そう考えてい
たのだが・・・
 違った。
 久慈は跳ばなかった。
 無駄のない合理的な足の動かし方で、5mを一度に縮めたのだ。言いかえれば、超スピード
で“歩いた”のだ。
 歩いているので途中での軌道変更は容易い。里美が避けきれなかったのもそれ故だ。寧
ろ、寸前で致命傷を免れた体術こそを褒めるべきだろう。
 とはいえ、腹を貫かれたのは、あまりにキツイ。
 ファントムガールでのダメージなら大幅に軽減されるが、生身で受ける傷は、普通の人間が
受けるのとほとんど変わらないからだ。
 忍者として修行を積んだ里美にしても、2箇所の大きな裂傷に加え、腹に穴を開けられて、無
事で済むわけがなかった。
 
 「うあぅ・・・・・ああ・・・・・・ああぁ・・・・・ぐ・・・う・・・・」
 
 やや低めの可憐な声が、切ない響きでさ迷う。里美自身、無意識で発す苦痛の呻き。閉じそ
うな目蓋の奥で、焦点の合わぬ瞳が濁っている。形のよい小さな唇からは、震える吐息と鮮血
が洩れる。自身の血を浴びて、真っ赤に染まった白い肌が、より悲惨さを強調する。
 
 “失血が・・・ヒドイ・・・意識が掠れてきた・・・・こ・・・このままでは・・・・・”
 
 「ククククク・・・・いい姿だ、五十嵐里美。御庭番かなにか知らんが、所詮権力者の犬が、侍
の指南役だった我らの技に、敵うわけなかろうが・・・今の関係が、オレとお前の正しい関係な
のだ。お前はオレには勝てん」
 
 はぁはぁと荒い息をつきながら、里美の目蓋がスッと閉じられる。痛みに少しでも集中するた
めに。秀麗な眉がひそむ。
 苦悶に耐える里美の表情が、久慈の中の嗜虐心をさらに高める。刀の柄を、またも90度、
捻る。
 
 「ぐううッッ!! ぐううううッッ〜〜〜ッッッ!!! あぐうッ!! う・・・うう・・・・・くふ・・・・・」
 
 カッと眼が開き、次の瞬間、激痛に顔中が歪む。くいしばった歯の間から、赤い泡がボトボト
と吹き零れる。真剣を抑えようと掴んだ両手が、簡単に切り落ちそうになり、雑巾を絞ったよう
に赤い雫を滴らせる。里美の全身は、もはや半分以上が血に染まっていた。
 
 「フフフ・・・美しい。五十嵐里美、いや、ファントムガールよ。お前が助かる道はただひとつ。
オレ様に忠誠を誓い、我が配下となるのだ。お前なら、オレの側にいる資格は十分だ」
 
 久慈の空いている左手が、赤く染まった里美の胸の膨らみへと伸びる。人間体では、誰にも
触れられたことのない、禁断の果実へと―――
 
 「ッッ!!!」
 
 その手を止めたのは・・・絵の具を塗ったように赤い、里美自らの手。
 双眸は強い光を放って開かれ、さ迷っていた視線が久慈を貫く。知らず、久慈の腰が引け
る。あまりに激しく、強く、切ない視線。こんなにも恐ろしく、そして美しい表情を久慈は見たこと
がなかった。血に塗れた、死を司る天使。
 
 「そうかよ・・・・・・やっぱり貴様はお嬢様で、オレ達とはレベルが違うと言いたいのか?! よ
かろう、ならば下らんプライドを持って、あの世へいくがいいさッ」
 
 久慈が里美を貫く刀を引く。杭が泥から抜かれる音。小さな里美の身体が、壊れたオモチャ
のように、ガクガクと揺れる。血臭がプンと薫る。
 剣を引いて久慈が構える。必殺の突きの構え。しかも、今度はさっきより近い、2mの距離。
 
 「刀の錆びとなれ。五十嵐里美」
 
 躊躇なく撃たれる神速の突き。
 風を巻いて銀の閃光が、忍びかたびらの左胸に走る。
 後方に下がる里美の上半身。
 
 「バカがッッ!! 100m下がってもこの突きからは逃れられんッッ!!」
 
 速く、かつ正確な足捌きで、逃げる獲物を追い詰める久慈。
 だが―――
 銀の光が里美の心臓を捉えられない!
 後ろに退いた敵を追ったはずが、切っ先は上空にずれていく。・・・いや、そうではない。刀が
上に外れていくのではなく、標的が下に沈んでいるのだ!
 五十嵐里美の身体は前後180度に開脚し、その後ろ足に背中がピタリと付くまで反ってい
た。一瞬でそこまで身体を折り曲げ、沈ませる柔軟性。予測だにしない回避方法に、必殺の突
きは空を斬る。
 
 “しまった! 忍びということに囚われすぎて、こいつのもうひとつの顔を忘れていた”
 
 新体操オリンピック強化選手。
 その身体が沈んだ時と同じ速度で伸び上がる。柔軟性+瞬発力。
 その真っ赤な手が握り締めるのは、新体操の、クラブ。
 突きを撃ちきり、無防備な顎へと叩きこまれる!
 
 グワッキイイィィッーーッンンン・・・・
 
 顎を仰け反らせ、空中を舞う久慈仁紀の締まった肉体。
 放物線を描いて巨大なベッドに落ちていく。
 百合のようなか細い身体に似合わぬパワーを見せた美少女が、彼女専用のクラブ型武器を
投げ捨てる。銀行の巨大金庫を、コンビニ弁当の容器みたいにひしゃげるクラブは、深い亀裂
が入っており、床に当たった衝撃で粉々に散った。
 里美は見ていた。クラブが顎を砕く直前、日本刀がクラブと顎の合間に入ってカバーし、直撃
を避けていることを。久慈が自らジャンプすることで、ダメージを逃がしていることを。
 ベッドに頭から落ちると思われた久慈は、激突の直前で宙返りし、体操選手のように悠然と
着地する。そして。
 手を広げて、笑う。
 ニンマリという音が聞こえてきそうなほどに。
 右手に握られた刀を見る。先から3分の1ほどのところで、銀の刀身はポッキリと折れてい
た。
 
 「じゅ〜〜ぶん、だなぁ」
 
 ドン! というベッドを踏み込む音を残し、三日月に哄笑う人の皮を被った悪魔が、血塗れの
天使に殺到する。
 里美の右手が突き出される。握られているのは銀色の筒。きゅうりのように湾曲した筒が、
ボタンを押すと同時にカチャカチャと伸びていき、ついには円になって繋がる。マジシャンが使
う金属のリングを、ひとまわり大きくしたような形状。里美の場合は、新体操のフープをふたま
わり小さくした、と表現するのが妥当か。
 リングを振る。闇を裂く、高速回転。
 一直線に迫る敵の首に、銀の光輪が飛ぶ。
 短くなった真剣が、リングを難なく跳ね飛ばす。こぼれた刃が、光を浴びて散乱する。
 武器を失った里美の前に、刀を振り上げる、殺人剣の遣い手。
 
 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」
 
 「クフ・・・クフフフフ・・・バイバイ会長〜〜♪」
 
 ドズウゥゥゥゥッッッ!!!
 
 久慈仁紀の細身の身体が、大きく仰け反る。
 その背中に突き刺さる、銀のリング。
 噴き出した鮮血が、半研究室半ラブホテルの奇妙な部屋の床を染めていく。
 背に生えた金属の輪を抜こうと、もがく久慈の脳裏に去年の全国大会で見た、里美の演技
が浮ぶ。
 白いフープを糸でもついているかのように自在に操る、里美の演技。
 
 「オレが弾くのも・・・全て計算づくだったの・・・か・・・?・・・」
 
 問いには応えず里美が駆ける。ガラス窓の方向へ――
 
 「バカめッ! ここは3階だぞッ!」
 
 優雅な調べを残し、散乱するガラスの破片とともに、黒い忍び姿が建物の外へと消える。
 フラフラとよろめきながら、久慈が枠のみを残した窓から、下を見下ろす。
 わずかに期待した、少女の死体はそこにはなかった。
 その代わりにあったのは、校内の樹林に点々と続く、赤い雫。
 
 「おの・・れ・・・一度ならずニ度までも、このオレを傷つけるか、ファントムガール」
 
 ギリギリと軋む歯の間から、生暖かい粘着のある液体がこぼれる。窓枠にかけた手に自然
力が入り、残ったガラスが皮膚を裂いていく。
 
 「まぁ、いい。あの傷では、しばし動けないだろう。今日はお前らの無力さを思い知らせてくれ
る。指をくわえて地獄絵図を眺めてるんだな、ククククク・・・・」
 
 
 
 六月を過ぎると、陽が落ちるのが随分と遅くなる。
 七時を回って闇が世界のほとんどを支配していたが、太陽の残滓が、そこここに転がってい
る感じ。閑静な住宅街にも、歩く人々の影がポツポツと残っている。
 
 「吼介先輩、私、歩くからもういいよ? 疲れたでしょ?」
 
 人通りの少ない道路で、その姿はやはり目立った。制服では隠せない屈強な肉体の大男
が、セーラー服の女子高生をおんぶしている。しかも女子高生は、額・首・手首・左足と露出し
ている肌のほとんどを包帯でまかれ、残った部分もガーゼなどが貼られた、傷だらけの身体。
通りすがる人皆が、振りかえるのも無理はなかった。
 
 「あほ。そんなこと言って、ベッドから立てなかったのはどこのどいつだ? できないことを言う
んじゃねーの」
 
 開襟シャツから、膨らんだ胸筋が覗く。背中の荷物などないような涼しい顔で、工藤吼介は傷
だらけの少女・藤木七菜江をたしなめる。幼馴染に頼まれて、家まで送っていく道程だ。
 
 「でも・・・恥ずかしいんだもん・・・」
 
 「誰も見ちゃいねーよ」
 
 すれ違ったサラリーマン風のハゲオヤジが、ギョッとして立ち止まる。そのまま肩幅の広い背
中と、包帯まみれのセーラーを見送る。少女の青いスカートが短くて、思わず視線が釘突けに
なってしまう。
 しばらくふたりは無言で進む。時々聞こえる蛙の鳴き声が、梅雨の到来を教える。上流家庭
が多く住む地域だけに、元々往来は激しくない。気が付けば、街路灯に照らされる影は、七菜
江と吼介だけになった。
 吼介の背中に、ギュッと圧力が懸かってくる。
 
 「どうした? 痛むのか?」
 
 七菜江の豊かな固まりが、発達した背筋に押し潰される。不意に少女はしがみつく力を強め
てきた。
 
 「んーん。・・・・そうじゃないけど・・・・先輩の背中って、ゴツゴツしてるなぁって。ここになんか
入ってるみたい・・・・・・」
 
 筋肉の動く感触を、七菜江は身体の前面いっぱいに感じ取ろうとする。逆三角形の背は、盛
り上がった筋肉で凸凹していた。特に肩甲骨の下にある菱形筋と広背筋が異様に発達し、ソフ
トボールがふたつ、埋まっているほどに膨らんでいる。
 
 「ああ・・・正拳打ってたら、肉ついたんだよ。人を背負うには、イマイチの背中だよな」
 
 「・・・大丈夫、けっこう居心地いいよ・・・」
 
 広い肩に包帯で覆われた顔を埋める。ズキズキと疼く痛みは一向に去ってくれないが、伝わ
ってくる体温が、暖かく沁みこんでくる。
 
 “今日は最低の一日だったから・・・ちょっとは甘えても、いいよね?”
 
 キュッと太い首に回した腕に、力をこめる。
 五十嵐里美の家が近付くのを感じる一方で、もう少し、ゆっくり歩いてくれたらと思う心があ
る。
 
 「しばらくは学校休んでしっかり直せよ。最近は宇宙生物だ、なんだって出やがるおかげで、
補講が増えたからな。勉強はなんとかなるだろ」
 
 「うん」
 
 「あの豹女は、オレが潰してやる」
 
 「ッッ!!・・・そんな、いいですよ、そんなことしなくて!! ていうか、絶ッ対ッにやめてくださ
いッッ!!」
 
 思わず顔をあげ、七菜江は興奮した口調で吼介を制御する。いくら吼介が並外れた力の持
ち主でも、ミュータントの可能性の高い神崎ちゆりと事を構えるのは、危険すぎる。ちゆりのバ
ックには、メフェレスという悪魔も潜んでいるのだ。仇を取ろうとしてくれる気持ちは嬉しかった
が、強くても一般人の吼介を、これ以上巻きこむわけにはいかない。
 
 「そうか、わかったよ」
 
 「ごめんなさい、声を荒げて・・・でも、もうあの女とは関わって欲しくないんです・・・」
 
 そう、あの女は私が倒さねばならない相手なのだ。
 神崎ちゆりと、片倉響子。
 この、メフェレスと繋がるふたりの魔女にいたぶられた、苦い記憶が蘇る。
 全力を出せないとか、薬を飲まされたとか、そんな状況や理由はさておいて、結果として残っ
たのは、悪魔の化身・メフェレスの仲間に、ファントムガールである自分が、ボロボロに蹂躙さ
れたという事実。
 闇世界の支配者だろうが、天才学者だろうが、この強大な敵を打ち破らねばならないのだ。
 
 “もしかして、私はこの闘いで死ぬかもしれない。・・・実際、今日、何度殺されかけたか・・・”
 
 ファントムガール・ナナとなって、1週間足らず。初めて藤木七菜江の意識に、死というものが
実感を伴って入りこんでくる。
 七菜江も里美も、いつ死んでもおかしくない世界に足を踏み入れているのだ。わずか17にし
て、この世界を守る使命を背負って。
 里美とともに歩むことを決めたこの道に、後悔などはなかったが、それでも普通の女のコとし
ての願望は常にある。クラスメイトと買い物したり、部活の帰りにパフェ食べたり、ボーイフレン
ドとデートしたり・・・したい。
 こうやって、吼介と話すのも、今日が最期になるかもしれない。
 そう思ったら、この時間が抱き締めたいほど愛しくて、切なくて、たまらなくなる。
 
 再び包帯に包まれた小さな顔を、吼介の背中に押しつける。
 熱い、湿った感覚が、シャツ越しに背筋に伝わる。
 
 「・・・・・・痛むか?」
 
 「・・・・・・・違います・・・・・でも、もう少し・・・・・このままいさせてください・・・・・・・・」
 
 街路灯の下に、少女を背負った影が、長く伸びる。
 白い開襟シャツの背中に、透明な染みが広がる。
 風が吹く。ふたりは無言でいた。
 黄色の羽を持った蛾が、光に誘われ無軌道に飛んでいる。時々蛍光灯に当たったり、支柱
に止まったり。やがて飽きたように、またフラフラとさ迷い飛んでいく。
 シャツの染みは、すっかり乾いていた。
 
 「・・・・・・吼介先輩・・・」
 
 「ん?」
 
 「私、先輩のものじゃあ、ないです」
 
 「なんだよ、聞いてたのか」
 
 「聞こえちゃったんです」
 
 「あん時ゃ、ああいった方がハッタリ効くだろ?」
 
 「・・・・・・そう、ですよね・・・・先輩は他に好きな人、いるもんね・・・」
 
 「・・・里美なら、幼馴染だからな」
 
 「嘘だ」
 
 「嘘じゃない、オレはお前には嘘をつかん」
 
 「でも・・・・・見ちゃったもん・・・・里美さんと先輩が・・・・・・・キスしてるとこ」
 
 自転車が通りすぎる。スーツ姿のOLが、街路灯の下で佇む、包帯に包まれた青いセーラー
服を背負う学生に、視線を飛ばす。別れ話かしら? その割には不自然な状況に、一瞥した眼
を元に戻す。若いっていいわよね。カラカラと回る車輪の音が、ふたりを残して遠ざかっていく。
 
 「そうか」
 
 「ふたりが単なる幼馴染なわけ、ないもん・・・・・なんで、そんな嘘つくの? ツライよ・・・・・・ツ
ライよ・・・・・・」
 
 「・・・・・・・・」
 
 「お願いだから、ホントのこと言って・・・このままじゃ、ふたりともキライになっちゃいそうだ
よ・・・」
 
 「・・・・・・里美のことは、好きだ」
 
 「・・・・・・・・・・」
 
 「だが、それは有り得ないことなんだ」
 
 「・・・・・・・どういうことですか?」
 
 「オレからは言えない。だが、信じろ、七菜江。お前に嘘はつかない」
 
 同じセリフを吼介は繰り返した。
 
 「でも・・・・・・」
 
 「お前と里美は特別なんだ。ふたりとも好きだが・・・愛しているのはひとりだけだ」
 
 ドクンッッッ!!!
 
 巨大な矢が、七菜江の心臓を射る。
 火照った身体を沸騰した血液が駆け巡る。高まる鼓動が、背中越しに吼介に聞こえてしまい
そうだ。
 頬が、桜色に染まってるのが、自分でもよくわかる。
 
 “な、なに・・・これ・・・・・これは告白と取っていいの? それとも・・・・・・”
 
 ドキドキと脈打つ心臓の音だけが、異様に響く。
 
 ビイーーン、ビイーーン、ビイーーン・・・・
 
 静寂をやぶる高音のサイレン。それは、緊急危機管理対策本部が取りつけたスピーカーか
ら、洪水となって高級住宅地全体に流れていく。寝起きの枕元で、ハードロックの生演奏をされ
るような、けたたましい叫び。
 
 “こんなときになんなのよ!! くっそォ――ッ、ミュータントめぇ! もっとタイミングを考えて
よッ!!”
 
 サイレンの鳴り方から、この周囲が第二種警戒区域、つまりミュータント(一般の人には、宇
宙生物で名が通っているが)が現れた現場から10kmから100km離れた、“要警戒”区域に
相当することがわかる。速やかに準備を進め、指定された避難場所へ行かなければならな
い。
 もちろん、七菜江の場合、逃げるより、やらねばならないことがあったが。
 
 「吼介先輩ッ、ごめんなさいッッ!! 急いで里美さんのお屋敷へ行ってくださいッッ!!」
 
 七菜江の懇願より先に、工藤吼介の足は動いていた。本来の役目を、忘れてなどいない、と
言わんばかりに。
 
 
 
 この地方一帯で、最も栄えた繁華街。
 夜ともなると蛍光色のネオンが溢れ、酒の臭いと、女の嬌声、そして酔っ払いたちの反吐の
酸味が、彩りを加える。
 隣接するオフィス街には、高層ビルが立ち並ぶ。定規で測ったように、同じような高さでズラリ
並んだビル群の中に、100mを越える超高層ビルもいくつか点在している。
 半分以上の窓に灯った光の中に、ネクタイを締めたままのサラリーマンの姿がチラチラ映
る。残業に心砕く彼らは、夜景に浮ぶネオンを恋しく見つめる。最近、御無沙汰だなぁ、と。
 
 しかし、今の街にはそんな日常の光景はなかった。
 サラリーマンも娼婦も、我先にと逃げる。車道も歩道も人でいっぱいになり、詰まった道をこじ
開けて逃げていく。車の上を走る者、ケンカを始める者・・・転んでしまった何人かが、その後に
押し寄せる人の波に踏みつけられ、内臓を破裂させた骸を曝け出している。
 
 ビルの合間に垣間見える、茶色の巨大な影。それが非日常を運んできた張本人。
 闇より暗い漆黒が、天から降ってきたと思うと、それは瞬く間に、轟音とともに巨大生物に形
を成したのだ。
 鳴り響くサイレン。運悪く、怪物の降り立った目の前にいた、帰宅途中のOLが、最初の犠牲
者となった。眼を見開いた彼女の身体は、足首より先だけ残して、あっという間に食べられた。
 
 怪物が右手を振る。速い! 巨大生物独特のゆっくりとした動作がまるでない。ボクサーが
そのまま大きくなったような動き。 
 その右腕の一撃で、ビルがまるごと爆発する。
 技を使ったわけではない、単純なパンチの威力に依るものだ。衝撃の伝わるパンチだからこ
そ、飛んだりせずに、ビルは粉々になる。
 ビルが崩れたおかげで、怪物の全体像が明らかになる。
 
 全身を茶色の体毛で覆われた体は、動物であることを強く認識させる。
 特徴的なのは、その歯。顔全体が細長く尖り、その先に鍬のような巨大な歯がふたつ生えて
いる。人間の眉に当たる部分の骨が発達して飛び出していたが、その奥に光るのは、赤くて、
朝顔の種みたいな小さな眼。それらの特徴はネズミを想起させるのに十分だったが、その割
には体つきは人間によく似ていた。
 まず怪物は二本足で立っていた。人間と比べると、足が異常に太いが、それでも二本足で立
つ姿勢に、違和感はない。そして、バランスよくついた筋肉。胸や腕の筋肉は明らかに浮びあ
がっている。奇妙なのは、拳の大きさ。顔よりも遥かにデカイ。まるで壷を持っているかのよう。
指にはサザエの殻のようなトゲトゲが付いており、拳を握ると、その先端に鋭利な爪が無数に
伸びているように見える。
 ネズミと人間が合体したような・・・それが巨大生物の印象だった。
 
 巨大ネズミが、その凶悪な左手を振るう。
 手には逃げ遅れた人々が数人、捕まっている。
 なにか喚いている食糧を、ネズミは躊躇なく口に運ぶ。
 骨と肉の砕ける音が、阿鼻叫喚の地獄と化した繁華街に木霊する。
 ジュルジュルと血を飲み干す音。
 前歯の隙間から、食い残した女の手首が落ちてくる。赤いマニキュアが毒々しい。
 
 「ガハハハハ! うまい! うまいぞォ!! 人間がこんなにうまいものとは知らなかっ
た!!」
 
 ネズミが発する人間のことば! 巨大生物が喋るのはこれで2度目だ。前回のメフェレスは、
ファントムガールをとことん苦しめた、恐るべき敵だった。ということは、この敵も?? しかし、
逃げ惑う人々にそこまで考える余裕はない。とにかく生きてこの場を離れることが全てだ。怪物
が喋ったことで、ただ恐怖のポイントがひとつ増えただけ。
 
 「すばらしい・・・すばらしい力だ!! 与えてくれて感謝するぞォッッ!! これでオレは神に
なるのだ!!」
 
 巨大獣が吼える。その震動でビルのガラスが一斉に割れ、瀑布となってアスファルトの大地
に落ちていく。小さな、下等生物の悲鳴が、ガラスの砕ける美しい音色に溶けていく。
 超高層ビルの屋上から、怪物の暴れっぷリを眺めていた女が、満足げに腰まである長い髪
を掻きあげる。
 
 「ふふふ・・・存分に暴れるがいいわ。子猫ちゃんをおびき出すために・・・ね」
 
 創られたような美貌が、微笑む。
 そんな彼女の声とは無関係に、ネズミ型の巨大生物は、己の欲望と復讐を満たすべく、吼え
続ける。
 
 「まずは工藤吼介ぇぇッッ!! どこにいるッッ!! 貴様を殺すのが、オレが神になる第一
歩だ!! 腹わたから食い尽くしてやるぅぅッッ!! どこだぁッ!? どこにいるのだあッ
ッ!!?」
 
 
 
 「ミュータントが現れたのは、北区の栄ヶ丘です。ビルを破壊し、被害者も多数出ております。
今のところ、移動する気配はございません」
 
 「栄ヶ丘って・・・あんな中心部に出たのッ?!」
 
 車椅子に乗せられた藤木七菜江が、五十嵐家の執事・安藤に訊く。白髪混じりの初老の紳
士だが、日本有数の名門に仕えるだけあって、上品さと厳格さが同居している。ファントムガー
ルである五十嵐里美の教育係でもある彼は、彼女たちの参謀という側面も持っていた。今、彼
は車椅子を押して、七菜江を地下3階の秘密基地へと連れて行くところだった。
 
 「今までのミュータントは自然界の動物が元の個体でしたので、どうしても彼らの生息地に近
い場所に出現したのでしょう。しかし、今度のミュータントも人間との融合体です。これからはこ
ういった、人間の密集地帯、より被害が出やすい場所での出現が、増えるかもしれませんね」
 
 車椅子が作戦指令本部の扉をくぐる。
 その瞬間、七菜江の眼に、巨大スクリーンに映る街の惨状が飛び込んできた。
 
 《ぎゃはははは! 無駄だ,無駄だ! お前らはオレの食糧なのだ!》
 
 高笑いする、茶色の尖った顔。その鋭い前歯は真っ赤に染まっている。
 ネズミに似た顔が、ビルの真ん中ぐらいの階に突っ込む。グチャグチャと咀嚼する音。どうや
らそこは居酒屋らしい。アルコールが回り、逃げ遅れた人々を食っているのだ。ビルから顔を
抜いては入れ、入れては抜き・・・パニックになった酔客を、ひとり残らず貪る。巨大ネズミの顔
はビルから出てくる度に朱に染まる。
 
 「こッッこいつッッ!! こんなことするヤツが人間だなんて言うのッ?!!」
 
 「藤木さま、お忘れですか? 『エデン』の融合者は正・負のパワーを大幅に上げることを。悪
のエネルギーに支配された者は、トランスフォームすると、ああいった欲望に囚われた悪魔に
なるのです。あの者の正体は、余程破壊衝動に満ちた者なのでしょう。御覧なさい、あの崩壊
したビル群を。無意味に破壊を楽しんでいるのです」
 
 「なんてやつッ!! 許せないィッ!!」
 
 握った小さな拳が、小刻みに震える。壊れた左足のことも忘れ、立ちあがりそうな勢いの七
菜江がいた。
 
 「お待ちなさい。まさか、藤木さま、闘おうというのではないでしょうね?」
 
 「私がやらなくちゃ、誰がやるのッ?! 私、やる! あの筋肉ネズミを倒してやるッ!!」
 
 「その身体でなにができるのです? ここで無茶をしてあなたが死んだら、それこそこの星は
どうなるのですか?」
 
 吊り上がっていた七菜江の眼と眉が、安藤のことばで哀しげに垂れる。落ち着いた紳士の声
には、説得力が含まれていた。何か言おうとする、苺の唇からは、二の句に詰まった吐息だけ
が洩れる。
 
 「お気持ちはわかります。ですが、藤木さま、ベストを尽くすのとガムシャラにやるのとは、違
います。時には休むことこそが重要なこともあります。どんなに休みたくなくても、です。」
 
 「・・・だけど・・・里美さんは?」
 
 「実は・・・連絡が取れないのです」
 
 「じゃあッッ!! やっぱり私がやるしかないじゃないッ!!」
 
 「すでにお二人が闘えないのは、連絡済です。今回は防衛庁の力を信じて、彼らに任せまし
ょう」
 
 メインスクリーンが切り替わり、巨大獣からやや離れた地点からの映像になる。全体を俯瞰
するような構図。これならば、随分とミュータントと周囲の状況が掴めやすい。
 世間一般の人はおろか、時の首相にも知らされてはいないが、ごく一部のこの国の実力者
は、ファントムガールが五十嵐家の人間であることを知っている。いや、正しく言えば、御庭番
頭領の子孫であり、日本を裏から守る使命を帯びた五十嵐里美に、ファントムガールとなるこ
とを、彼らが勧めたのだ。よって、表立ってはいないが、政府のファントムガールに対するバッ
クアップは万全だった。もちろん、その代わりに、ファントムガールはその意志に関わらず、巨
大生物・ミュータントと闘う義務を負うのだが。
 かといって、政府が常にファントムガールの出動を要請できるかというと、そうではない。ファ
ントムガールに直接指示を下すことはできないのだ。今回のように正体である里美や七菜江
が傷ついた時、闘うか否かは、彼女たち本人が決める。そして闘えないと判断した時は、その
他の手段、具体的には防衛庁の力で応戦することが政府と五十嵐家との間で取り纏められて
いる約束だった。
 政府としても、怪物退治に莫大な防衛費を使うのは避けたい一方、実戦での経験を積めるチ
ャンスでもある。また、自衛隊が成果を挙げれば、対外諸国へのアピールにもなるため、怪物
退治に魅力を感じないでもなかった。ただ、そういった事情は、高校生の七菜江には話さない
でもいいという、安藤の判断があった。
 
 メインスクリーンに3つの影が現れる。航空自衛隊の戦闘機、F−15だ。
 巨大ネズミが現れてから、恐らく10分と経ってないだろう。対応の遅さを常に揶揄される政府
としては異例の早さといえる。ファントムガールと政府が関連していることを知らぬ現場の自衛
隊員の間には、まるで銀の少女が現れるのを待つかのような待機の長さと、世間の不要論
に、苛立ちが山のように溜まっていたのだ。今回、今までとは比べ物にならない速さでスクラン
ブル指令が飛んだことで、彼らのやる気は爆発していた。
 だが、そんな想いも、圧倒的な力の前に、わずかな時間で散ることなる。
 
 市街戦であるため、速度はやや落としているのだろうが、それでもマッハ2を越えるスピード
で、三機のF−15は怪物に向かっていく。射程距離に入るや、20mmガトリング砲を一斉放
射する。機関銃の嵐。そのほとんどが命中しているにも関わらず、ネズミは気にする素振りさ
えない。
 スクリーンに見入る七菜江の拳が固くなる。何とか持ちこたえて欲しいと、祈りを込めて液晶
画面の闘いを凝視する。この映像も、政府の特殊部隊による撮影であり、一般の人々は、こん
な至近距離からの映像は見られない。マスコミ用に許可された、遠距離からの映像を見て、今
の七菜江と同じ気持ちで戦況を見守っているに違いない。
 
 音速で巨大生物を通り過ぎた戦闘機が、旋回して第二弾攻撃に備える。凄まじい速度で移
動するため、旋回には時間がかかる。その間に、ゆっくりと振りかえった茶色の巨獣が、迎撃
態勢を整える。
 スクリーンで見ると、点のようになった距離から、三機のF−15が取っておきの攻撃を仕掛
ける。サイドワインダーと呼ばれる炸裂ミサイル。四発装填された内の二発を、標的に撃ちこ
む。ガラガラヘビの通称通り、蛇行して進んだ、計六発のミサイルが、茶色の体毛に全弾命中
する。白煙と炎に包まれる巨獣。
 
 「やったあ! イケルじゃんッ!」
 
 「いえ、恐らく効いてません」
 
 白煙を挙げるネズミを、戦闘機が通りすぎる瞬間――
 煙の中から、口の端を吊り上げた、尖った顔が現れる。
 棘のついた拳を振る。最後尾の一機に当たり、爆発炎上する。
 巨大ネズミが笑ったまま、振り向く。その小さな赤い瞳が、戦闘機を視界に収める。開いた口
から、黒い光線が一直線に放射される。マッハ2の戦闘機を遥かに凌駕する光線の速度。
 黒の奔流が一機のF−15を直撃する。
 乗組員の命とともに、機体は一瞬にして消滅した。
 
 無言のまま、その様子を眺める七菜江。
 
 「ミュータントは負のエネルギーで膨らんだ巨大生物です。そのほとんどが闇の力で構成され
ているため、通常の物理攻撃では、効果がないのです。彼らもそのことは知っているはずです
が、残念なことに功を焦ってしまったようです・・・」
 
 残った一機が、距離を置いて大きくネズミの周りを飛ぶ。攻撃が通用せず、近寄れば撃墜さ
れることを知った、窮余の策。しかしながら、民衆を守るのが最優先目標の自衛隊にとって、
最善の策とも言える。とにかく時間を稼ぐこと。現場の彼らは知らないが、人間のミュータントは
60分の活動しかできないのだ。
 このまま、残りの時間を・・・七菜江の淡い期待は、この後あっさり破られる。
 
 巨大ネズミが上半身を沈めていく。今になって、攻撃が効いてきたのか? そうではなかっ
た。怪物は四つん這いになったのだ。
 次の瞬間、ネズミが駆ける。この繁華街が自慢にする、100mの幅がある道路は、ネズミの
巨体を十分に収める。滑走路となった道を、巨獣は超速度で走る!
 巨大な前歯が戦闘機に突き刺さる。マッハ2の飛行物体を、この巨獣は捕らえたのだ。なん
という瞬発力! 恐るべき俊敏さ!
 顔ほどの大きさの戦闘機を、ネズミが噛み砕く。炎とともに、航空自衛隊が誇る精鋭は、その
命を散らす。口腔内の爆発をものともせず、黒煙を吐きながら、尖った顔が不気味に笑う。
 
 《ぐわはははは! オレは神だ! 人間ごときがオレを止められるか!!》
 
 「・・・・ッのヤロウッッ・・・・」
 
 固く握っていた七菜江の丸い拳が、ブルブルと怒りに震える。そして、次の怪物の一言が、撃
鉄を起こした拳銃の引金を引いた。
 
 《工藤吼介ッッ!! どこだあッどこにいるッ?!! 貴様を殺さねばオレの怒りは収まらん
ッ!! どこにいるのだあッ?!》
 
 「こッこいつッッ!!・・・・なんで吼介先輩のことをッ?!!」
 
 「恐らく元の個体である人物が、彼と一悶着起こしているのでしょう。かなり恨みを抱いている
ようですが・・・復讐の黒いエネルギーは、当然『エデン』によって肥大化しています」
 
 昼の出来事を七菜江は思い出す。不良達を完膚なきまでに破壊していく吼介。そういえば、
このネズミの化け物は、あの武志と呼ばれた金髪の大男の身体によく似ていた。眉の骨が発
達してせり出ているのも似てる。ネズミ丸だしの顔は違うが・・・もしかしてあの男が巨大ネズミ
の正体なのか? いずれにしろ、吼介が怨みを買わないタイプでないことは確かだ。
 
 七菜江の脳裏に吼介との別れのシーンが浮ぶ。執事・安藤に傷ついた少女を渡した男は、
七菜江が引き止めるのも聞かず、要警戒のサイレンがなる闇へと消えていった。まさか、自分
が巨大生物に狙われているなど、夢想だにしていないだろう。あの時、もっと引き止めていれ
ば・・・痛切な後悔が少女の胸に迫る。
 
 「大丈夫です。あのミュータントが吼介様の居場所を知る術はありません。勝気なあの方が
聞いたら、自ら名乗りでてしまいそうですが、この映像はここにしか流れておりませんから」
 
 「安藤さん・・・私、やっぱりやるよ」
 
 「まだ、そんなことを仰るのですか?その身体でなにが・・・」
 
 「やってみなくちゃわからないよ! なにかできるかも知れないのに、何もしないで誰かが死
んでいくのを見てるなんて、耐えきれない! お願い、安藤さん! 私に闘わせて!」
 
 「しかし・・・」
 
 「あいつを止めれるのは、私だけだよ! お願い、やらせて!」
 
 「・・・今、ご覧になった通り、敵は破壊欲と復讐に餓えた悪魔です。そのお身体では満足に帰
ってこれないかもしれませんぞ」
 
 「大丈夫、私、ファントムガールだもん。あの人達を助けてくるよ」
 
 Vサインをして、ひまわりのように微笑む七菜江。覚悟をしたものだけが許される微笑みの眩
しさに、初老の紳士の胸がズキリと痛む。包帯だらけの、このいたいけな女子高生に、我々は
死地への戦闘を強いなければならないのだ。だが、彼の役目は、この国を襲う災厄から守る
ため、ベストの決断を下すことだった。
 
 「すいません、藤木様。この老いぼれは、あなたにご負担をかけてばかりでございますな」
 
 「なに言ってんの、安藤さん。私は私がやりたいからやってるだけだよ・・・・・・って、コレ、里
美さんのうけうり」
 
 あどけなさの残った瞳を、ウインクする七菜江。その明るさの裏に秘めた、怒りと決意の炎が
渦巻く。
 
 “人間を食べるなんて・・・悪魔め! 私が絶対倒してやるッッ!! そして・・・・・・吼介先輩に
指一本触れさせないんだからッ!!”
 
 自分を守ってくれた・・・そして、好きと言ってくれた男のために、少女の決心は燃え盛る。今
度は七菜江が守る番だった。
 
 「そうと決まれば、早速行こう! ここから栄ヶ丘までけっこうあるでしょ?! 犠牲者をこれ
以上増やさないように・・・」
 
 執事が七菜江の車椅子を押す。
 エレベーターに乗りこむや、B4のボタンを押す。浮遊感がふたりを捕える。
 
 「あ、安藤さん、地下に降りちゃってるよ!?」
 
 「いえ、これでいいのです」
 
 長い落下のあと、エレベーターの扉が開く。安藤に押され、七菜江は初めて見る、地下四階
の全貌を見渡す。
 そこは作戦指令室と言われる3階に比べ、随分狭い印象があった。一回り小さいスクリーン
と、その下の機械類。だが、もっとも特徴的なのは・・・線路があること。
 そして、その線路の上には、SFマンガなどで見る、医療ポッドのようなひとり乗りのカプセル
がある。
 
 “こ・・・これは、まるで・・・地下鉄??”
 
 「ジェットラインです」
 
 おもむろに執事が話す。七菜江の疑問を解くように。
 
 「この都市の地下鉄工事の際に、併設してこのひとり用の移動通路を完成させました。この
屋敷、学校、その他主要施設と、地下鉄沿線上のポイントとは繋がっております。有事に公共
機関は機能しなくなりますが、このジェットラインさえあればこの地方の主要箇所には瞬時に移
動が可能です」
 
 抱き起こした七菜江を、カプセルまで運び、乗せる。こんな包帯だらけの17歳の少女に闘い
を望むなんて・・・正気の沙汰ではない。しかし、普通に生きている人々を少しでも多く助けるに
は、これが正解の方法であることもわかっている。苦渋の選択から解放されるため、安藤は合
理という名の判断に従った。
 
 「Gが5までかかりますが、藤木様の身体能力なら持ちこたえられるでしょう。栄ヶ丘までな
ら・・・30秒もかからず着きます。」
 
 「こんなものがあるなんて・・・知らなかった・・・」
 
 「地上は混乱しますので、こういった特殊ルートが必要なのです。五十嵐家を含む、ごく少数
の者しか知り得ませんが」
 
 地下鉄の敷設など、随分昔の話だ。里美がファントムガールになる以前から、五十嵐家はこ
ういった設備を持っていたことになる。一体、五十嵐家とは何者なのだろうか・・・彼らが御庭番
の血を引くことを知らぬ七菜江は、ふとそんな疑問を抱く。
 安藤がスクリーン下の機械を操作する。緑の光がディスプレイされ、この地方の地図と、血管
のように循環しているラインが示される。どうやら、このジェットラインの経路らしい。そして、赤
く点滅するポイントが目的地――
 
 「北区、栄ヶ丘、D−3ポイント。着いたら敵は目の前です。すぐにトランスフォームされるとよ
いでしょう」
 
 安藤がカプセル内の七菜江の元に駆けより、シートベルトを締める。仰向けに寝る形で、少
女は初老の紳士に語りかける。
 
 「ワガママ言ってごめんね、安藤さん」
 
 「いいえ、とんでもありません。お嬢様は・・・いや、私どもは、あなたに会えたことを、神に感
謝せねばなりませんな」
 
 「持ち上げすぎだよォ。・・・じゃあ、行ってきます」
 
 「藤木様、ひとつだけ約束を」
 
 「なに?」
 
 「必ず、生きて帰ってきなさい」
 
 カプセルの蓋を執事が閉める。
 次の瞬間、轟音とともに、カプセルは闇の彼方へと消えていった――
 
 
 
 5
 
 血風が香る。
 左足を引き摺って地上に現れた七菜江を迎えたのは、凄惨な地獄絵図だった。
 栄ヶ丘には、何度か遊びに来たことがある。友達と服を買いに来たり、映画を見たり。この地
方有数の中枢都市なだけに、広い道路に溢れる車の列と、高層ビルに遮られた狭い空が印
象的だった。
 ところが、いまや、高く見上げるばかりだったビルは崩れ落ち、炎と火花が散っている。そし
てあちこちから、流れてくる血の香り。眼を凝らせば食い千切られた手足や、アスファルトの血
溜まりが確認できたろう。
 
 ブルルッ・・・と身震いが、七菜江を襲う。
 恐怖―――それもあろう、だが、それ以上の怒りが少女を支配していた。
 激情を言葉に乗せて、血と瓦礫の街で叫ぶ!
 
 「トランスフォームッッ!!」
 
 少女の下腹部が白く輝く。溢れる光の奔流が爆発する。
 
 
 
 「・・・さて・・・ようやくおでましね」
 
 一際高いビルの屋上で、巨大ネズミの暴れっぷりを堪能していた女が、満足げな声を出す。
 自衛隊を撃破し、調子に乗って、逃げ惑う人々を捕まえては食っていた怪物の背後に、空間
から涌き出た光が収斂していく。流れ星の破片のような、煌く粒子が渦巻いて、一箇所に集ま
る。夜に覆われた世界に、光が何かの形を成していく。
 光の固まりが爆発する。
 散乱した光が逆流し、銀色のスレンダーな影となって地上に降り立つ。
 
 「グロロロローーッッ!! 現れたな、青いファントムガールッ!」
 
 銀に輝くボディーに、青い模様が描かれている。胸と下腹部には、青く輝く水晶体。やはり青
いショートカットの下で、同じ色の瞳が揺れている。締まるところは締まり、膨らむべきところが
膨らんだ、優雅な曲線。健康的かつ色香の漂う肢体。その持ち主が、凶悪な巨大獣と対峙す
る。
 
 「私は・・・ファントムガール・ナナよ! お前みたいな悪魔は絶対に許さないんだからッ!!」
 
 「ファントムガールといえど、神の力を得たオレを止めることはできんッ!」
 
 ネズミがパカリと尖った口を開く。黒い光線が、バズーカーの如く吐き出される。
 
 「くッ!! フォース・シールド!」
 
 青と銀の少女が両手を前にかざす。
 虹色に輝く長方形の盾が現れ、闇の破壊光線を迎え撃つ。黒い蛇が虹の板に弾かれる。
 凄まじい衝撃音が繁華街に響き、震動がビル群に伝わる。
 
 “なッ・・なんて威力!! 里美さんから技を教えてもらっておいてよかった・・・”
 
 あらゆる物質を弾き返す光の壁を通じて、巨大ネズミの放った光線の破壊力を感じ取るナ
ナ。壁を支える両腕がビリビリと震える。
 
 ファントムガール・五十嵐里美から受けたレクチャーにより、藤木七菜江はいくつかの技を会
得していた。そのひとつが、この「フォース・シールド」である。体術により敵の攻撃を避けるし
かなかったナナが、この技により真っ向から光線などを受けられるようになった。
 見た目には通常通りのファントムガール・ナナだが、彼女の左足はすでに崩壊している。とて
も動きで敵の攻撃を避けられる状態ではないのだ。もし、この光の壁を創れなければ、正義の
守護天使はすでに瀕死になっていたに違いない。
 
 ネズミが光線の放射を止める。
 間髪いれずに鍬のような二枚の前歯を、突き出す。磨製石器のような歯が黄色に光ってい
く。
 巨獣の気合いとともに、光は歯型の黄色い弾丸となって、銀と青の戦士を襲う。
 
 「ハンド・スラッシュ!!」
 
 左の掌を大きく広げて向ける聖少女。
 掌型の光弾が連射され、ネズミの歯型弾を撃墜する。
 
 「ぬうううッ?!! こしゃくなあッ!!」
 
 見た目は互角、だが、恐らく巨獣の最大の光線である黒い破壊光を、ナナはすでに防ぎきっ
ている。一方、ナナにはハンドボールをモチーフとした、光球を使った必殺技が残されている。
 
 “やっぱり里美さんの言う通り、技の名を呼ぶと威力がつくわ。『スラム・ショット』で十分ヤツ
を倒せる”
 
 青い戦士が技の名を叫びながら攻撃するのは、格好をつけてのものではない。そうすること
でイメージが強固になり、光線技の威力が上がるためだ。相手に先読みされるという弱点を、
補って余りある成果を七菜江は実感していた。
 トランスフォームの際に声をあげるのも、同じ理由だ。そうすることで、変身がしやすくなる。
意識を集中すればトランスは可能だが、おまじないのように行動を決めておけば、より意識の
集中は容易くなるのだ。
 
 メジャーリーガーのイチローは、打席にはいるまでに、屈伸をしたり、袖を引っ張ったり、一定
の決められた動作を必ず行う。イチロー以外の多くの打者にも、こういった決め事が存在して
いるが、このような動作をルーティンと呼ぶ。ルーティンはしなくても、もちろんヒットを打つこと
はできようが、集中力を増すための儀式として、必ず行われるものなのだ。
 ふたりのファントムガールにとって、トランス時の掛け声や、技の名を叫ぶのは、ルーティンで
あると言ってよい。
 事実、少女の技は以前よりパワーアップし、徒に力を放つだけの巨獣の攻撃を凌駕しようと
していた。
 
 “今の私に遊んでいる余裕はない。ここで決着を着ける!”
 
 両手を天にかざす、青い少女戦士。漆黒の鎧に包まれたカブトムシとクワガタのミュータント
を一撃に屠った、あの技の態勢。
 光の潮流が、その先に集まっていく・・・・・・その時。
 
 GUOOOOOOWWWWWッッッ!!!
 
 「なッ・・・なにィッッ?!! この音は・・・ミュータントの現れる音ッ?!!」
 
 上空を仰ぐファントムガール・ナナ。
 闇より黒い点が、ひとつ。
 それがみるみるうちに大きくなって・・・
 
 DDDOGUOOOOONNNNッッッ!!!
 
 漆黒が大地に落ち、影が形を成す。
 新しいミュータントの登場。
 ただでさえ、負傷したナナにとって厳しい闘いなのに、加えて新手が出てくるなんて・・・
 しかも。慄然とする青い瞳に飛び込むその姿は―――
 
 全身水色のしなやかな肢体。
 神が手を加えたとしか思えぬ、グラマラスな肉体は明らかに女性のものだった。それも飛び
きり美人の。
 色といい、巨大さといい、怪物であるのは間違いないのに、その正体が凍るような美貌であ
ることがわかる。妖しさと艶やかさを持った美女・・・まさしく魔女とはこのことか。
 金色の髪が腰まであり、キラキラと闇夜にも輝く。滑らかに光っているので、化学繊維かと見
紛うほどだ。髪の中からは、おそらく触角であろう、二本の茶色の角が生えている。手足は肘・
膝から先が細かい茶色の毛で覆われ、指先はスズメバチの針のように、緩やかなカーブを描
きながら尖っている。額には赤い点がふたつ。もう一対眼があるようにも見える。
 
 美しくも禍禍しい姿はまるで妖精のようでもある。
 だが、ファントムガール・ナナは、この美貌を知っていた。忘れたくてもできぬ、屈辱の記憶と
ともに。
 
 「お・・・お前は・・・・・・片倉響子ォォッッッ!!!」
 
 「うふふ。よくわかったわね、藤木七菜江。いえ、ファントムガール・ナナ。けれど、この姿の時
は、『シヴァ』と呼んでもらおうかしら? いくら一般人は戦闘区域から離れるといっても、いつ、
誰に聞かれるか、わからないからね」
 
 化け物になっても損なわぬ美しさで、女教師・片倉響子=シヴァが聖少女に語りかける。そ
の眼がチラリと、大通りを逃げていく、サラリーマンの集団を捉える。
 
 「一応、念には念を入れておきましょうか」
 
 金の髪が一本、生き物のように伸びる。
 あっと思う間もなく、髪が唸り、真っ二つになったサラリーマンたちの上半身が、オフィス街の
空高く舞いあがる。
 
 「うッ・・・くくッ・・・」
 
 目の前で一般市民が惨殺されながら、何もできなかった無力さにナナは苛立つ。だが、それ
はあまりに一瞬すぎた。巨大化したミュータントにとって、人間の命などあまりに脆いものなの
だ。その気になればあっという間に、万単位の人間を滅ぼす力があるのだ。
 
 「よくそんな・・・平気で人を殺せるわねッ?!」
 
 「彼らが死んでも、世の中は回るわ。それよりも、他人の心配をしてる暇はあるの?」
 
 ハッとして、前方を見るナナ。
 凶悪な巨大ネズミの顔が目前にある―――
 ドゴゴゴ―――ンッッ・・・と激しい衝突音を残して、銀と青の肢体が後方に吹き飛ばされる。
 内臓を砕く勢いで高層ビルに叩きつけられ、そのままコンクリートの雪崩れに飲まれる守護
天使。25階建てのビルが、土砂となって崩れていく。
 ミュータントに物理攻撃が効かないのと同様、ファントムガールにも通常の物理攻撃は、大し
たダメージを与えることはできない。鉄骨とコンクリートの固まりに身体をしたたかに打ちつけら
れたナナにも、見た目ほどのダメージはなかった。
 
 しかし、一回り大きな巨獣に食らった体当たりの衝撃は、可憐な少女にモロに叩きこまれて
いた。小柄な女子高生が、100kgを越えるラグビー部員にタックルされるようなものだ。衝撃
で脳が揺れ、昏倒するファントムガール・ナナ。瓦礫の山から身体を起こそうとする。が―――
 
 「ううぅ・・・あ、足が・・・・・・動かな・・・い・・・」
 
 忘れかけていた激痛が蘇る。たまらず、左足を押さえ、エビのように丸まる。不良たちに蹂躙
された足は、肉を切り裂かれ、腱を捻られ、筋繊維を断ち刻まれているのだ。本来は立ってい
るのも奇跡に近い。
 視界の隅に茶色の影が迫る。
 気付いた時には、遅かった。ネズミの切り株のように太い右足が、くびれた少女のウエストを
踏み潰す。
 
 「うあああッッ?!! ぐぅッ!! うううぅぅぅッッッ・・・・うッ・・・・」
 
 左足のあまりの痛みに誤魔化されているが、ナナの腹部に貯まったダメージは決して軽くは
ない。あの武志という大男に徹底的に殴られた腹は、痣で黒ずんでしまっていた。凡人なら内
臓破裂を免れない強打を、散々受けたのだ。いまや触れるだけで、顔をしかめるほど、七菜江
の腹部は痛んでいた。
 その負傷箇所を、容赦なく踏みつけられたのだ。
 突っ張ったナナの上半身は、大地から浮き上がり、両手はぐりぐりと踏みにじるネズミの足
を、抑えようと掴む。
 
 「オホホホホホ! 油断大敵よ、ナナ。ちなみに、その巨大生物・・・ミュータントの正体はわ
かってるかしら?」
 
 腹に溶岩を流すような痛みを与えてくる、巨大な敵の姿を見上げるナナ。二枚の前歯を突き
出して、下卑た笑いを浮かべている。そのはちきれそうな肉体、苦しむ姿に悦ぶ歪んだ精神、
そして工藤吼介に恨みを持つことから、ある人間の容姿が思い浮かぶ。だが、それにしてはこ
の尖った顔はネズミそっくりではないか。あの男は、ネズミというより、ゴリラにそっくりだったの
に・・・
 
 「なんとなく察しはついてるようね。そう、あなたをボロボロにした不良たちのリーダー。あの金
髪の大男よ。もう、彼は武志という小さな存在ではなく、『アルジャ』という名の、偉大なミュータ
ントになったのよ。」
 
 やはり!! 納得する一方で、そのあまりに懸け離れた変身後の姿に、疑問が残る。尖った
口、突き出た前歯、赤い小さな眼は、どう見てもネズミそのものだ。あの大男の内に、ネズミと
なる素養があったのだろうか?
 
 「不思議そうね。あまりの変貌ぶりに納得がいかないってとこかしら。何故、ネズミそっくりに
なってしまったのか、教えてあげましょうか?」
 
 特に飛び抜けて高い、保健会社のビルを背もたれにし、水色の魔女が瓦礫の中で踏みつけ
られる青い少女に話す。腕組みをした姿勢からは、余裕が漂ってくる。
 
 「あなたたちが『エデン』と呼んでいる宇宙生命体、あれにまず、実験用マウスを融合させた
のよ。そして、それをあの男に寄生させたの。つまり、アルジャは、ネズミと大男、両方の力を
受け継いだミュータントというわけ。・・・そうね、『キメラ・ミュータント』とでも名付けようかしら」
 
 「そ、そんな・・・そんなことが・・・・・」
 
 否定しようとする言葉とは裏腹に、ナナの頭で一つずつの点が繋がっていく。
 天才生物学者である片倉響子が、メフェレスに加担しているのは、このためだったのだ!
 人間と動物の長所を持った、より強いミュータントを生み出すこと。これが侵略者・メフェレス
の作戦だったのだ。本来、一個の生命体にしか寄生しないはずの『エデン』に、ニ種類の生物
を融合させるなど、天才と呼ばれる頭脳の持ち主にしか、成し得ない奇跡だ。
 これで巨獣の顔がネズミに酷似しているのも頷けるし、巨体に合わぬ敏捷性を伴っていたの
も理由がつく。このアルジャというミュータントは、金髪の大男のパワー・残虐性と、ネズミのス
ピード・食欲とを兼ね備えた、文字通りの化け物だったのだ。
 
 “ナナ狩り”の時は確かに普通の人間だったので、恐らく、吼介にやられた後、武志の身体
は、響子によってマウスと同様の扱いを受けて、実験されたのだろう。神崎ちゆりと片倉響子
が繋がっていると考えれば、至極真っ当な推理だ。
 そうすると、もしや響子が吼介に関心を抱いていたのも、そのためではないのか?! 単に
七菜江から引き離そうとしたのではなく、あの圧倒的強さを誇る肉体を、ミュータントとして使い
たかったのでは・・・・・・恐ろしい想像だが、説得力はある。
 
 「うふふふふ。ようやくあなたが置かれた窮地が理解できてきたようね。じゃあ、今度はアル
ジャにあなたの正体を教えてあげなくちゃね。・・・・・アルジャ、その青いファントムガール、ファ
ントムガール・ナナは、あなたが昼にリンチした女子高生、藤木七菜江が正体。つまり・・・・・・
憎っくき工藤吼介のお・と・も・だ・ち」
 
 鋭い歯の並んだ口が、耳まで吊りあがる。陰惨なネズミの笑み。ゾクリという悪寒が、ナナの
背筋を駆け上がる。
 
 「グフ・・・グフフフフフ・・・そうかぁ、あの昼の小娘かぁ・・・お前のせいでオレは痛い目にあっ
たってことだよなぁ・・・当然、あの男がどこにいるか、お前なら知ってるよなぁ・・・・・・」
 
 赤い眼が、さらに深紅に燃えていく。
 マズイ。逃げなければマズイ。だが、腹を踏まれた身体はビクとも動かない。
 威力はさほどないが、素早く放てる技、「ハンド・スラッシュ」を狙って右の掌を突き出すナナ。
 だが、遅かった。
 巨大ネズミ・アルジャは、ナナの締まった左足を捕らえると、グイッと顔の高さまで持ち上げ
る。逆さ吊りになる銀の少女戦士。アルジャの右手がつま先を、左手が踵を掴む。
 
 “こッ・・・これは、あの時と同じ体勢!!”
 
 「お前があの時の小娘なら、左足をこうされたら、堪らんだろうが!!」
 
 「やッ、やめろオオォォッッ―――ッッッ!!!」
 
 昼と同じ悲劇が、ナナの左足を襲う。
 再び180度、正反対の向きに捻られる銀色の足。
 
 「ぐううわあああああッッッ―――――ッッッ!!!!!」
 
 繁華街に守護天使の、身も世もない悲鳴が響き渡る。
 
 パンッッッ・・・・
 という水風船を割ったような音。
 ナナの銀色の左足が爆発し、断裂した皮膚から、血のシャワーが四方に降り注ぐ。
 元々壊れていた七菜江の足に、いわば“張りぼて”がついて、まともそうに見えていたに過ぎ
ないのだ。その“張りぼて”が巨獣の残虐な破壊によって剥がれ、本来のズタボロの姿が露呈
したのである。
 
 アルジャが両手を離す。
 ろくに受け身も取れずに大地に落下したナナが、血まみれの足を抱えて、想像を絶する痛み
に転がり回る。
 
 「うああッッ!! あッ足があッ!! わ・・・私の足がぁぁ・・・ああッ!!」
 
 あまりの痛みに悶えるしかない正義の使者。しかし、巨獣は悶え続けることすら許さない。
 ゴロゴロと転がるナナが仰向けになった瞬間、その肢体に飛び乗る巨大ネズミ。3倍以上の
質量に圧搾され、「ぐええッッ!!」と可憐な唇に合わぬ呻きが洩れる。
 馬乗りの体勢。総合格闘技で言うところの、マウントポジションをアルジャが取る。こうなると、
圧倒的に上に乗っている者が有利になる。パンチの届く距離・威力が段違いになる。脱出は不
可能。加えて、銀の戦士と巨獣とでは、体重・パワーが始めから違いすぎる。
 
 この圧倒的優位な立場から、壷のような巨大な拳で聖なる少女を殴る。両手で必死にガード
しようとするナナだが、ゾウと虫ほどの力の差の前では無力だった。一撃目で脳震盪を起こ
し、ゆるくなったガードをかいくぐったニ撃目が、顔面を直撃する。
 
 「あうくぅッッ・・・あふうッッ!!」
 
 無意識に声がこぼれる。拳に付いた棘により、ナナの頬がザックリと切れている。
 だが、この攻撃は怪物の戯れに過ぎなかった。
 アルジャの中にある武志のサディズムが招いた、可愛らしいものを苛めてやりたい、という欲
求に従っただけだ。
 本当の拷問は、次からだった。
 
 半濁した意識の中、ナナの両手首が筋肉ネズミに押さえられる。
 女のコにしては、七菜江の力は強い。ハンド部の中で恐らく一番腕相撲が強いのは、彼女だ
った。
 しかし、今回ばかりは相手が悪過ぎた。不良達の間でケンカの強さでリーダーになり、工藤
吼介にひけを取らぬ体躯を持った男が敵なのだ。
 掴まれた両手はビクともせず、巨獣の良いように操られる。頭上の方へ上げられていく。
 ネズミの下で、大の字に組み伏せられるナナ。
 
 “か、身体が・・・全く動かない・・・・”
 
 「グフフフフ! ファントムガール・ナナだと?! 正体があの弱い小娘とわかれば恐れること
などないわ! さぁ、工藤吼介はどこにいる? 教えてもらおうか?」
 
 「だ・・・誰が言うか・・・お前なんかに吼介先輩に、指一本触れさせるもんかッ!!」
 
 「バカめ」
 
 ネズミの尖った前歯が光る。
 次の瞬間、顔の半分ほどもあろうかという凶悪な前歯が、銀と青の少女の左の二の腕に噛
みつく!
 
 ザブブウウッッッ・・・・・・・
 
 「はぐああぁぁッッ?!!! うわあああッ―――ッッッ!!!」
 
 勢いよく鮮血が繁華街のアスファルトを濡らす。返り血を浴びてネズミの鼻先が赤く染まって
いく。飛び散る血潮で、ナナの顔の左半面も朱色に彩られていく。
 
 「う、腕がああッッ――ッッ!! 腕がああッッ――ッッ!! い、痛いィィ――ッッ、千切れそ
うぅぅッ――ッ!!」
 
 「グフハハハハ! いい鳴き声だ、小娘。オラ、工藤はどこにいるんだ?」
 
 ネズミが器用に、腕に噛みついたまま喋る。
 
 「言わないッッ!! 言うもんかあぁッッ――ッ!!」
 
 「ウワハハハ! じゃあ、こうだな」
 
 ほとんど腕を貫通しているであろう巨大な前歯が、黄色に発光していく。先程光のミサイルを
発射したのと、同じ現象。前歯は単なる鋭利なスコップではなく、高熱をもった焼きゴテへと変
化していく―――
 
 「うああッッ?!! あ、熱いィィッッ――ッッ!! ぎゃああッッ?!! うああッ!! ああ
ッ・・・がああああッッッ―――ッッ!!」
 
 貫いた熱棒が、少女戦士の細い腕を焼いていく!
 ジュウウウウッッッ・・・・・・・という、皮膚と筋肉を焼く音。
 肉の焼ける生臭い悪臭が、ナナの嗅覚に突き刺さる。
 いくらファントムガールでのダメージは大幅に減るとはいえ、肉が焼き爛れていく激痛は、17
歳の少女には過酷すぎる。
 
 「熱いッッ熱いッッ熱いィィッッ―――ッッ!!! ダメぇッ、こんなのダメぇッッ!! やめてェ
ッ、お願いッ!! もうやめてェェェ――ッッッ!!!」
 
 「グワハハハハァァ――ッッ!! どうだあッ、言う気になったかぁ!!」
 
 「うあああッッ――ッッ!!! 言わないッッ!! 絶ッッ対に言わないィッッ!!! ぐわあ
ああッ―――ッッ!!!」
 
 「オホホ・・・・・・自分勝手なコね」
 
 青い戦士の苦しむ様を、愉快そうに見ていた水色の魔女が、皮肉る。
 
 「全くだ。どうやら、こいつはオレのことを舐めてるらしい。もっと痛い目に会いたいようだな」
 
 ピンク色の肉が赤くなり、銀の皮膚が黒ずむまで腕を焼いたところで、高熱を帯びた刃が抜
かれる。白煙があがり、ゴムタイヤを焼いた時のような悪臭が、人のいなくなったネオン街に立
ちこめる。
 
 「はあ、はあ、はあ、はあ、・・・・・・・」
 “く、苦しい・・・辛い・・・でも、逃げられない・・・・・・ど、どうすれば・・・・”
 
 荒い呼吸を吐くナナに、容赦ない惨撃が再び襲いかかる!
 今度の標的は、右の肩。身動きの取れぬ少女のそこにネズミの前歯が突き刺さる!
 
 ガブウウウウッッッ・・・・・
 
 「はうああああッッッ―――ッッッ!!!」
 
 絶叫する守護天使。その声が止むのと同時に牙が抜かれる。
 そして、間髪入れずに、再び右肩を噛む!
 
 「ぐあああうううッッッ―――ッッッ!!! ・・・・ふがあああッッッ―――ッッ!!」
 
 ガブウッッ・・・ガブウッッ・・・ガブウッッ・・・・
 刃を突き刺しては抜き、抜いては噛み・・・・・少女の右肩をズタズタに噛み砕いていく巨獣。
 鮮血を撒き散らして、ファントムガール・ナナは叫び続ける。
 
 「あぐううッッ!! ・・・・・うああッッ!! ・・・・・がああッッ!! ・・・・・ぎィやああッッ・・・・あ
ああッッ―――ッッ!!」
 
 “ひ・・ヒドイ・・・・もう、あたしはこんなにボロボロなのに・・・・・・どこまで苛めれば気が済む
の・・・・・・・・”
 
 トドメとばかりに、一気に根元まで深く、突き刺さる前歯。
 ナナの首がビクンと仰け反る。
 
 「ううう・・・ああ・・・・・・・あ・・・ぐう・・・・ああ・・・あ・・・・・・・」
 
 切なく哀れな呻き声が、人類が逃げ去った後の街に木霊する。
 
 「工藤吼介はどこだ? 言え」
 
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・言わ・・・・・・ない・・・・・・殺されても・・・・・・言わ・・・な・・
い・・・・・・・・・・・・」
 
 少女戦士を咥えたまま、巨獣・アルジャは立ち上がる。
 全身を真っ赤に染めたファントムガール・ナナが、グッタリと前歯に貫かれた姿勢で垂れ下が
る。鮮やかな銀と青の皮膚は、血と泥にまみれ、瞳と、ふたつの水晶体は、今にも消え入りそ
うな弱弱しい灯りを、その中に揺らしている。
 
 「グロロロロ――ッッ!! まだ、そんな強がりを言うかッ!! では、本当に死ぬがいい」
 
 “このままでは・・・・・・・・殺されちゃう・・・・・・・な、なんとかしないと・・・・・・”
 
 焼かれた左腕は麻痺してしまっているため、しばらくは自由が利かない。肩に食い込む牙の
せいで、右腕も使い物にならぬ。唯一動かせる右足で、必死の抵抗を試みるナナ。膝蹴りを茶
色の体毛が覆った腹部に打つ。力無い攻撃が、筋肉の壁に当たる。
 だが、フラフラと当てるのが精一杯といった膝蹴りは、予想以上に効いたらしい。
 腹部の痛みに叫びかけた巨大ネズミが、前歯を抜きそうになる。ビクリと震えた全身が、痛
みを感じた何よりの証拠だ。
 
 “?? 今のが効いた? ・・・・・・この膝蹴りを続ければ脱出できるかも?!”
 
 囚われの少女に湧く一瞬の希望。
 だが、それは嵐の前の木の葉のごとく吹き消される。
 
 「グオオオオ―――ッッ!!! このアマぁッ、ぶち殺してやるああッッ―――ッッ!!!」
 
 巨大な拳が、無防備の腹部に叩きこまれる。
 聖少女の肩と腹で、ビリビリ・・・ブチブチ・・・という肉の裂かれる音が響く。ボディーブローに
よって腹筋が断たれ、殴られた勢いで右肩の肉が削がれそうになった音。
 噛まれているナナの視界には、巨獣が殴ってくる様子がわからない。しかも、腹を殴ってくる
という予想はしていなかったため、ほとんど脱力したところを打たれてしまったのだ。
 現在のナナにとって、大きな弱点である腹部を、筋肉でガードすることすら許されずにハード
ヒットされたのだ。
 想像を絶する激痛が、少女戦士に襲いかかる。
 
 「はぐふううッッッ!!!・・・・・・ふひゅうッッ!!・・・・ぐッッッ・・・・・うッッッ・・・・・・・」
 
 アルジャの前歯が銀の少女の肩から抜かれる。もんどりうって倒れるナナ。内臓の潰れる地
獄に、呻きながら、のたうち回る。あまりの激痛に、ブリッジをした体勢で腹を突き上げて、ピク
ピクと痙攣する。
 巨獣がナナを放したのは、トドメを刺すためだった。弱いくせに、神である自分に痛みを与え
た罰を下すために。
 曝け出した青いファントムガールの腹部に、巨獣の渾身の一撃がめり込む!!
 
 グシャアアアアッッッ!!!・・・・・・・
 
 青い腹部がアスファルトに打ちつけられる。
 ナナの下の地面に放射線状に亀裂がはいる。
 ズタズタの四肢が天に向かって伸び上がり、やがて、ゆっくりと、大地に落ちていく。
 ゴボリ・・・と血塊が艶やかな銀の唇からこぼれおちる。
 そして・・・・・青い瞳に灯っていた明かりは、完全に消えてしまっていた。
 
 「失神したか。だが、こんな程度で終わると思うなよ」
 
 聞こえない聖少女に、更なる処刑宣告が下される。
 ガブリッッ・・・と右肩に食らいつき、またもやナナを同じ無残な姿に曝け出す。
 根元まで埋まった前歯が、柔らかい肩をさらに圧迫する。失神から蘇生させようという狙いだ
が、全身を破壊された守護天使は目覚めない。
 
 「手のかかるコね。私達の邪魔ばっかりして・・・アルジャ、私が起こしてあげるわ。背中をこっ
ちに向けなさい」
 
 高層ビルにもたれかかったままの姿勢で、魔女・シヴァが金色の髪を操る。それ自体生きて
いるかのように、髪の一部が螺旋に絡まりながら、一束になっていく。
 
 「私の髪は一本でファントムガールの首くらい、落とせちゃうんだけどね。切れ味抜群のこの
髪を、こうやってまとめて鞭をつくるとね、それはそれはいったァァ〜〜〜い鞭が出来上がるっ
てわけ。そのスベスベのお肌で試してみる、ナナ?」
 
 気を失っている少女からの返答は、当然ない。
 
 「そう。じゃあ、存分に味わいなさい」
 
 金色の髪で出来た鞭が伸びる。
 泥に汚れた銀の背中を、エックス字に鞭が叩く。
 
 バッチイイイッッッ!!!・・・・・ビチイイィィッッッ!!!・・・・
 
 「ッッッ!!!〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
 
 声にならない絶叫とともに、目覚めるナナ。その背中は、クロスに銀の皮膚が削げ、ピンク色
の肉が生々しく覗いている。
 
 「おはよう、ファントムガール・ナナ。お目覚めの気分はいかが?」
 
 「グフフフフ・・・・・・今からお前を処刑する。地獄の苦しみを楽しみにするんだな」
 
 「ハァ・・・・ハァ・・・・・ハァ・・・・・ハァ・・・・・・」
 
 荒い息をつきつづける少女戦士。
 左腕を焼かれ、左足を破壊され、右肩を穴だらけにされ、腹部を潰され・・・・・・大量の失血
が赤く全身を染め上げる。
 駆け巡る激痛に麻痺した脳が、少女の本音を語らせる。
 
 「・・・も・・・もう・・・・・・ダ・・・・メ・・・・・・あたし・・・・・・・闘え・・・・・な・・・・い・・・・・・・・・勝てな
い・・・・・・よ・・・・・・・」
 
 「グロロロロロ! ワハハ、ようやく運命を悟ったか! 激痛に悶えながら死んでいけ」
 
 「・・・・や・・・やめ・・・・・て・・・・・・・も・・・・う・・・・・・・ゆ・・・る・・・・・して・・・・・・おね・・・が・・・
い・・・・・・・・」
 
 「グフフ、ならば工藤吼介がどこにいるか、言うんだ」
 
 「・・・・こう・・・・す・・け・・・・せん・・・・・・ぱ・・・・・い・・・・・・・・た・・・たす・・・・・・け・・・
て・・・・・・」
 
 「せっかく保健室で命は助けてやったのに、思ったよりあっさり死ぬのね、ナナ。いいことを教
えましょうか。お仲間の生徒会長さん、ファントムガールは助けに来ないわよ」
 
 「・・・・・・・・・・・・・・」
 
 「あなたの敵討ちのつもりか知らないけど、私達のアジトに潜入してね。でも、いまごろメフェ
レスが始末したでしょう。神経毒をたっぷり撒いておいたからね」
 
 あの時、シャワーを浴びることを口実に部屋を抜け出た片倉響子は、隣の部屋にあったスイ
ッチを捻って、毒ガスを研究室兼ベッドルームに噴射したのだ。そうしておいて、当初からの計
画を実行すべく、新たなミュータントを引き連れて、繁華街まで足を伸ばしたのであった。
 メフェレスから連絡は受けていないが、聞かなくとも五十嵐里美の運命はわかる。彼女の作
った特製の神経毒を吸って、あのメフェレス相手に無事で済むわけはない。いかに里美がファ
ントムガールの正体であっても。
 
 「・・・・・・・・う・・・・・・・・そ・・・・・・・・・・・」
 
 保健室で別れた里美の顔が蘇る。あの時のゾッとする程美しい顔は・・・悲壮な決意を秘め
た顔は・・・七菜江の仇を取るために闘う顔だったのか。だが、そのせいで里美が死んだなどと
は、どうしても信じるわけにはいかなかった。
 
 「首を刎ねられたか、串刺しにされたか。いずれにしろ、あの状況を抜け出すのは無理でしょ
う。フフフ・・・・・・大丈夫よ、あなたもすぐにあの世に送ってあげるわ」
 
 「・・・・さ・・・・・とみ・・・・・・・さん・・・・・・・・」
 
 フツフツと怒りが込み上げてくるのがわかる。本当に里美はメフェレスによって殺されてしまっ
たのか? 真偽は定かでないが、とにかく今は、この、目の前の怪物を、卑怯で悪魔のような
怪物を、なんとしてでも倒したい。
 しかし、ナナのダメージは、精神力ではどうにもならないレベルにまで達していた。見た目より
は軽いとはいえ、右肩には五寸釘を埋められたような痛みが随時襲ってくる。少女の意識は激
痛に耐えるのに精一杯だった。
 
 「グロロロロ! さあ、最期のチャンスだ。工藤吼介の居場所を教えるか? それともここで
地獄の苦しみの中で悶え死ぬか? どっちだ、ファントムガール・ナナ?」
 
 「・・・・・・・・・・わた・・・・・・・・・し・・・・は・・・・・・・・・」
 
 「素直に言いなさい、ナナ。降伏すれば命は助けてあげるわ」
 
 「・・・・・・・・・言わ・・・・・・・な・・・・・い・・・・・・ゼッタイ・・・・・・に・・・・・・・」
 
 「・・・そうか。ならば、お望み通り、悶え死ぬがいい」
 
 聖少女の右肩を咥えたままの巨大ネズミが、内圧を高めていく。その茶色の巨体に黒いエネ
ルギーが充満していくのが、傍目にもハッキリわかる。身体中から湧きあがった闇のエネルギ
ーは、巨獣の中心線に集中していき、だんだんと口元に這いあがっていく。
 
 “!!! も、もしや・・・あの黒い破壊光線を、このまま発射しようというの・・・?!!”
 
 凍りつく青の少女戦士。巨獣・アルジャの最大の必殺光線を、この至近距離で受けたら、一
体どうなってしまうのか?! 恐ろしい予感に身体がすくむが、噛み付きの刑から逃れる術は
ない。
 ミュータントにとって、ファントムガールの光の技が、もっとも効果的であるのと同様、ファント
ムガールにとって、闇の技は、最大の天敵なのだ。その闇の光線を、今、直撃されようとしてい
る・・・
 
 “に、逃げなくちゃ!! ホントに・・・ホントに殺されちゃう!!”
 
 もがくファントムガール・ナナ。だが、切り裂かれた腕は緩やかに巨獣を叩き、出血に染まっ
た肢体は無駄な抵抗を示してよじれるばかり。
 
 「・・・やめ・・・・・・て・・・・・・・や・・・・め・・・・て・・・・・・・」
 
 「地獄の業火に焼かれろ、小娘」
 
 闇の破壊光が、聖少女の右肩を噛んだままの、尖った口から放射される!!
 距離ゼロから、黒いエネルギーが、銀色の戦士の右肩から、濁流となって注ぎ込まれる!!
 
 「うぎゃあああああああああッッッ―――――ッッッ!!!!!」
 
 天を衝く大絶叫!!
 銀の肢体を黒の奔流が駆け巡る。光の戦士から、黒のオーラが肌を突き破って発散される。
闇の溶岩が光の肉体を内部から溶かしていく。スラリとした手足が突っ張り、苦悶に喘ぐ指
が、奇妙な形に折れ曲がる。
 
 「ぎゃあああああああッッッ――――ッッッ!!!!! ぎいやああああああッッッ――――
―ッッッ!!!!!」
 
 “バクハツするッッ!! 身体がバクハツしちゃうッッ!!! 溶けるッ!! 熱いッ!! 死
ぬッ! 死ぬッ!! 死ぬぅぅッッ〜〜ッッ!!! やめてッ! もうやめてェェッッ〜〜ッッ!!
 お願いィィィ〜〜〜ッッッ!!!”
 
 ガクガクと青いショートカットが揺れる。
 ゴボゴボと白い泡が口から垂れ流れる。
 胸の水晶体がヴィーンヴィーンと激しく点滅する。
 誰もが青いファントムガールの死を確信した、その時。
 
 突如、夜の繁華街に眩い光が乱反射する。
 空間いっぱいに湧いた光の粒子が一箇所に集まっていき、密度を増して明るく輝く。
 真昼のように周囲を照らし、爆発した光の後に立つ人影は――
 
 「ファントムガール?!! あなた、あの部屋から脱出できたというの?!!」
 
 水色の魔女・シヴァが驚嘆の叫びを挙げる。
 銀に輝くボディに、紫の模様。胸と下腹部に青く光る水晶体。金色がかった茶色の髪が背中
にまで伸びるその巨大な女神は、まさしくファントムガールであった。
 
 スレンダーな女神は、魔女の言葉に耳を貸さず、脇の下に掌を上向けて置いた左手に、右
手を引いて重ねる。ふたつの手に光が溢れた瞬間、力強く右手を振る。
 
 「ハンド・スラッシュ!!」
 
 無数の光の破片が飛び、呆気にとられる巨大ネズミの背にブスブスと突き刺さる。
 ナナのそれとは違うハンド・スラッシュは、正体の五十嵐里美が扱う手裏剣からイメージされ
たものだ。威力はないが、素早く、無数に放てる。
 
 「ぐえええッッッ!!」
 
 一声苦痛に鳴いて、ネズミの口から、青い獲物がこぼれおちる。
 大地に崩れ落ちる血まみれの少女戦士。闇に焼かれた全身から白煙が昇る。
 背を反らせながら、緩慢な動きでアルジャが振り返る。
 
 「ディサピアード・シャワー!!」
 
 振りかえった巨獣を待っていたのは、ファントムガール最大の必殺光線であった。両手の人
差し指と親指で作った三角形の中に満ちた光のエネルギーが、聖なる雨となって巨大ネズミを
撃つ!
 
 「ぐぎゃああああッッ―――ッッ!!!」
 
 光のシャワーが茶色の巨体を滅ぼしていく。叫びながら、黒煙をあげて崩壊していく巨大な魔
獣。
 あと数秒もあれば、ファントムガールの必殺技の犠牲者に、アルジャの名が刻まれたことだ
ろう。
 
 「きゃああッッ!!」
 
 だが、次に悲鳴を挙げたのは、ファントムガールの方だった。その左側面、肩口から腰骨に
かけて、銀の皮膚が削ぎ取られ、ピンク色の生肉が痛々しく濡れ光っている。突然の、死角か
らの一撃によろめき、必殺光線はあと一歩のところで仕留める寸前に中断される。
 右手で左腕を押さえた聖少女が、攻撃の主を見る。
 
 「2対1では不公平だからね。私も参戦させてもらうわ。これで2対2、平等な闘いでしょ?」
 
 ファントムガールの皮膚を剥いだ、金色の鞭をしならせ、水色のミュータント、シヴァが微笑
む。処刑の楽しみを邪魔した者への宣戦布告。受けるファントムガールが戦闘態勢を取る。さ
んざん蹂躙されたナナが大地に倒れたままの今、実質は1対2の闘いが始まろうとしていた。
 
 「あの部屋を抜け出したのは、褒めてあげるわ、ファントムガール。けれど、やっぱり無事に
は済まなかったようね」
 
 銀の守護天使は無言のまま。
 しかし、激しく上下する肩が、彼女の深刻なダメージを伝えてしまっていた。
 
 外見こそ普通だが、ファントムガールの正体である五十嵐里美はメフェレスこと久慈仁紀に、
腹を日本刀で貫かれているのだ。
 他にも深くて広い裂傷を2箇所に負っており、相当の量の失血がある。
 ナナも“キメラ・ミュータント”のアルジャに嬲られ、鋭利な前歯で身体中に穴を開けられたが、
トランス前と後とで受けたダメージは、全く違う。里美の怪我は死に繋がるほどの重傷なのだ。
 
 メフェレスから逃れた里美は、林に身を隠して、応急処置を行った。それが終わった途端、安
堵感と、多量の出血、毒の効果、激しい疲労によって、死んだように眠り続けたのであった。
 彼女の身体を思えば、そのまま、眠り続けるべきだった。
 が、目覚めた里美の眼に飛びこんできたのは、ミュータントに蹂躙される青いファントムガー
ルの姿。
 躊躇なく、少女はそのボロボロの身体を這いずり、死地へと向かったのだった。
 
 颯爽と現れたファントムガールだが、その凛々しいファンティングポーズとは裏腹に、内面は
壊れかけているのだ、
 しかも、里美を苦しめるのは、傷だけではない。
 彼女はメフェレスと長く闘いすぎた。いくらくノ一で、毒への耐久性があるとはいえ、神経毒を
吸いすぎた。意識は混濁し、指一本満足に動かせないのが現実なのだ。
 すでに、ファントムガールは瀕死の状態にあった。
 
 それをなんとか隠して闘いたかったのだが。
 鞭の一撃を浴びた聖少女は、思わず腹部をかばってしまった。
 そして、それを見逃すような、甘い相手ではなかった。
 
 「フフフ。どうやらお腹が痛いようね、生徒会長さん。刀にでも刺されたのかしら? ・・・アルジ
ャ、腹を狙うわよ」
 
 咆哮する茶色の魔獣。光の散弾を食らった箇所から血が流れ、あらゆる所に穴が開いてい
る。それこそがディサピアード・シャワーの威力であったが、怒りの炎に油を注いだとも言えた。
 巨大ネズミが四つん這いになる。全力疾走の前兆。
 マッハ2以上で飛行するF−15を捕えた超速度を、この闘いで見せるというのか。
 
 だが、それよりも先にファントムガールを襲ったのは、金色の、触れるもの皆裂いてしまう、
魔女の鞭。
 シヴァの髪が螺旋状に絡まってできた鞭を、トンボを切ってかわす銀の聖少女。
 空振りした鞭が、アスファルトの地面を叩く。亀裂。砕けた道路が舞う。鞭の形そのままのク
レバスが完成する。
 鞭の攻撃には第二陣があった。
 地面を抉った瞬間、鞭が本来の姿に戻る。バラけた金色の髪がカメレオンの舌みたく伸び、
守護天使の四肢を捕えようとする。
 
 「ファントム・リングッ!!」
 
 鈴のような声で叫ぶファントムガール。両手で大きく円を描くや、白く輝く光の輪が現れる。そ
の大きさは、リングというより新体操のフープ。
 素早くフープに右手を通し、手首を軸にして高速回転させる銀の戦士。まるでセスナのプロペ
ラだ。白い残像が光の盾となる。ファントムガールに向かって伸びた髪が、フープのプロペラに
弾かれ、切られていく。
 
 「こしゃくな! では、横からの攻めはどうかわすかしら?」
 
 鋭い爪を持った両手を、女教師が正体の魔女・シヴァが左右に大きく広げる。
 かろうじて目視可能な細さの糸がまとまって、水色の魔女の両サイドに飛ぶ。そこには敵は
いない。あるのは高層ビルの群れだけだ。
 糸はビルを越えると急カーブし、今度は銀の戦士に向かって飛んでいく。左右両側から挟み
撃ちされる格好のファントムガール。ビルはいわば支柱代わりだったのだ。
 
 大地に倒れ伏したまま、全身を纏う激痛と格闘していたナナが、なぜシヴァがこの繁華街を
闘いの場に決めたのか、理由に気付く。大量虐殺が目的ではなかったのだ。シヴァが欲しかっ
たのは、この高層ビル群。自らの武器である糸を、有効に使うために、この場所を選んだの
だ。
 
 目論見通り、前方だけでなく、上下左右、立体的な攻撃で糸がファントムガールを襲う。
 バックステップで糸を鉢合わせにする銀の美少女。白銀のリングを右手に持ち、四肢を絡め
んとする妖糸を断ち切る。重傷とは思えぬ体捌きで、次々にうねりくる蛇を、見事に切り伏せて
いく。
 
 ゴオウウッッッ・・・・
 
 風が吼える。
 距離を置いていたはずの巨大ネズミが、一瞬でファントムガールの懐に飛び込む。巨体に似
合わぬ圧倒的スピード!!
 決してもう一匹、敵がいるのを忘れたわけではないが、アルジャの瞬発力は、ファントムガー
ルの想像を遥かに上回っていた。
 キメラ・ミュータント・・・2種類の動物、ネズミの敏捷性と武志という大男のパワー・知力を兼
ね持った化け物。その身体能力が、瀕死の少女を飲みこもうとしている。
 
 ギロチンの刃のような巨大な前歯が剥き出され、スレンダーな肢体を串刺しにかかる。
 毒で麻痺した銀の身体は、それでも間一髪、巨獣型ミサイルをくびれた腰を捻って避けてい
た。
 黄色く高熱を宿した前歯が、艶やかに輝く少女の腹を掠る。
 瞬間―――
 
 ブッシャアアアアッッッ!!・・・・・・
 
 ファントムガールの腹が裂け、大量の血が噴火する!
 片膝をつく守護天使。腹を押さえた両手の指の間から、スポンジを絞るように真っ赤な血がド
ボドボと溢れていく。
 原理はナナの左足と同じ。元々穴の開いている腹部は、わずかな衝撃でその本来の姿を晒
してしまったのだ。
 
 「やはり、ね。思ったよりも重傷のようね」
 
 シヴァの言葉には、嗜虐の悦びが含まれている。その茶色の体毛に覆われた腕を振る。縛
糸が四方八方からファントムガールに迫る。
 緩やかな動きで迎撃しようとしたリングをせせら笑うように、妖糸が右腕を絡め取る。左足を
捕える。右足を、左腕を、首を、腰を、太股を・・・・・・糸の洪水がファントムガールを飲みこみ、
そのスラリと伸びた手足、芸術的な曲線のボディをがんじがらめにする。その姿は蜘蛛の巣に
かかった美しき蝶を思わせた。
 
 「う・・・・・ああ・・・・・・うぅぅ・・・・・・」
 
 緊縛による圧迫か、貫かれた腹の痛みか。
 銀色の美少女の艶やかな唇からは、切なげな喘ぎが洩れる。
 
 「うふふ・・・死にぞこないは、大人しくしてればいいのに・・・愚かなのね、生徒会長さん。あな
たはもっとクールだと評価してたんだけど。」
 
 「・・・く・・・・・ううぅ・・・・・・あ・・・・・」
 
 「アルジャ、さっきの光の技は効いたでしょう? お返しをしてやりなさい。ここよ、ここ。お腹
のここを串刺しにするのよ、いい?」
 
 無数の糸に縛られ、大の字に磔られたファントムガールにツカツカと歩み寄り、血で濡れた
腹部の一箇所を指差すシヴァ。的確にメフェレス・久慈仁紀が貫いた穴を示す。
 咆哮する巨獣が四つん這いになる。赤い小さな瞳が復讐にたぎっている。前歯が突き上が
る。四肢に力が込められていく。
 呼応するように、シヴァが右手を握る。
 キリキリキリ・・・・・・
 と、磔の少女戦士が突っ張っていく。負傷箇所を誇張するように反りあがる。
 
 ドンッッッ!!!
 
 巨獣の弾丸が放たれる。
 たっぷりの助走を駆け、生贄の戦士に突進する!
 
 「きゃあああああァァァ―――――ッッッ!!!」
 
 肉を破る音が、夜の繁華街に響く。
 宣言通り、巨獣の前歯は銀の肢体を串刺し、その切っ先が、背中から覗いていた。
 ペットボトルを矢で貫いた様子に似ていた。開いた孔から赤い液体がとめどなく溢れる。
 ネズミの耳まで裂けた口が、残忍に笑う。
 水色の魔女は蔑んだ眼を獲物に向ける。
 腹を貫かれたファントムガールの口の端から、スウッと朱線が落ちる。
 何も変わらないはずなのに、美しい銀のマスクが確かに翳る。
 
 「今までで、一番キレイな姿だわ、ファントムガール」
 
 刃が抜かれ、縛糸が解かれる。
 下半身を真っ赤に染めた守護天使が、そのまま膝から崩れ落ちる。全身を脱力させたファン
トムガールが、自らの血の海にしゃがみこむ。長い髪がサーッッと流れて、戦士の表情を隠
す。ダラリと垂れた腕が、聖なる少女の敗北を示す。
 
 「さ・・・里美・・・・・・・・さん・・・・・・・」
 
 ナナの声が震える。
 里美が、ファントムガールがやられそうになっているのを目の前にして、何もできなかった己
が許せなかった。
 現れた時から、里美が普通の状態でないことは動きでわかった。無理をして自分を救いに来
たのだと。里美さんがああなったのは、私のせいだ。なのに、私は里美さんのピンチに何も出
来ず、ただ地面に寝てるだけ・・・・・・・
 
 しかし、少女に悲しんでいる暇はなかった。
 
 「では、トドメの時間にしましょうか。アルジャ、あなたはナナに遊んでもらいなさい。私はこち
らのファントムガールをぐちゃぐちゃにするわ。人類が絶望するよう、思いっきりむごたらしく、
殺すのよ」
 
 血の海に沈むふたりのファントムガールに、処刑宣告が下される。
 
 ゆったりとした足取りで、大地を揺らしながら巨大ネズミがいまだ立ち上がれないナナへと歩
を進める。顔に浮ぶのは、ファントムガールを串刺した時と同じ、残忍な笑み。ネズミの脳裏に
ナナの絶叫が心地よくリフレインする。
 
 “う、うそ・・・・・やめて、こないで・・・・・・・もう、許して・・・・”
 
 いたぶられた記憶に恐怖する、ナナ。
 苛烈な拷問に屈しかけた少女の顔に、絶望の色が浮びあがる。
 
 「!!!」
 
 横たわったナナの視線が、離れた場所からこちらを覗くシヴァの視線とぶつかる。
 明らかな軽蔑のまなざし。
 そして、水色の唇が大きく吊りあがり、哄笑する。
 
 “わ、私が、どんな顔をするのか、見ていた・・・・・・私が絶望する顔を、見ようとしていたん
だ・・・・・・”
 
 バカに、している。
 悔しい! 悔しいッ!! 悔しいィィッッッ!!!
 いつでも、どこでも、この女は私を蔑んできた。そして、いいように私は弄ばれた。ついには、
里美さんまでもがこの女の毒牙にかかってしまった。
 絶ッッ対にッッッ!! この女、シヴァ・・・いや、片倉響子には負けたくないッッ!!! なん
としても、私のこの手で倒したいッッ!!
 
 動けないはずのナナの両腕がピクンピクンと震える。脱力した身体に、マグマのように力がド
ンドンと沸き立ってくる。
 ナナの怒りが精神を越え、肉体に力を与えていた。この窮地を救うのは、私しかいないという
使命感が、聖なる熱き息吹を吹きこんでくる。
 
 だが、嘲笑うような現実が、ナナを押し潰そうとする。
 立ちあがりかけたナナに気付いた巨獣が、素早く獲物に近付き、その右胸のあたりに巨大な
前歯を突き立てる。
 
 「ぐがあああああッッッ――――ッッ!!!」
 
 ナナの苦悶が繁華街に漂う。今度噛まれているのは、豊満な胸の膨らみ。柔肌に杭を打た
れて、少女の苦痛は最高潮に達した。眼の光にこそ、力はあるが、精神力で支えるにも限界
はある。バタバタと足を泳がすナナの苦しみは、それを与える巨獣に最も伝わっていた。
 
 「グロロロロ! 無駄だァ、小娘! このまま、乳房を食い千切ってやるわ!」
 
 勝ち誇る、キメラ・ミュータント。
 しかし、新たな“変化”が起ころうとしていた。
 
 「?? なに、これは・・・・・・霧??」
 
 愉快そうにナナとアルジャの闘いを見つめていたシヴァが、“変化”に気付く。夜目にも鮮や
かな、ピンク色の霧が、彼女の周辺を取り巻いていた。自然現象であるわけがない、その霧
は、凄まじい勢いで濃度を増していき、魔女の視界を奪っていく。
 
 「秘術・・・・・・桜霞み・・・・・・・・」
 
 声の主は、失神したはずのファントムガール!
 少女が崩れていた場所に妖糸をとばすシヴァ。すでに眼では確認できなくなったそこには、誰
もいないことが、手応えのない糸の感覚でわかる。
 
 「そういえば、あなたはナナと違って、死んだふりが得意だったわね。そういうしたたかさ、嫌
いじゃないわ」
 
 喋る間にも、ピンクの霧はますます濃くなる。繁華街の一角に桃色の空間が沸き、なんびと
の視線も拒絶する。中に飲みこまれたシヴァの視界は、わずかな先も見えないほどになってい
た。
 水色のミュータントは落ちついていた。その美貌に揺るぎはない。霧の成分を冷静に探る。
生物学者が正体の怪物は、毒についても詳しい。この霧は・・・毒ではない。この霧の正体
は・・・・・・
 
 「血ね。滝のように流れた自分の血を使って、霧を発生してるってわけね。どうやら、目隠し
のつもりらしいけど、それで私に勝てるかしら?」
 
 シヴァの挑発に、応える声はない。今いる場所を知られたくないというのもあろうが、喋る体
力すら惜しいというのが、正直なところだろう。
 
 “ふふふ・・・なかなか楽しませてくれるわね。けれど、何をしても無駄よ。すでに糸を周囲に張
り巡らせてある。あなたがどんな技をしかけてこようが、糸がその軌道を知らせてくれるわ。瀕
死のあなたでは私に触れることすらできないのよ”
 
 「ファントム・リングッ!!」
 
 再び霧の彼方から、ファントムガールの声。
 白銀に輝いているはずのフープは、光の欠片すら、シヴァには届いてこない。
 初めてファントムガールが現れた時、鶏型のミュータントを葬ったのが、このファントム・リン
グだった。一撃で巨大生命体を真っ二つにしたその切れ味で、シヴァを倒そうというのだろう。
だが、どこから飛んできても、シヴァには避ける自信がある。
 
 ブンッッ・・・という空を裂く音。リングが投げられた!
 高速回転し、シヴァに突き進むリング。
 ひょいっと右に身を傾け、やすやすと光の輪をかわしたシヴァが叫ぶ。
 
 「アルジャ! ファントムガールのリングがあなたを狙っているわ! 避けなさい!」
 
 声に反応した巨獣が、青い戦士を咥えたまま、左に素早く跳ぶ。背中から襲ってきた光のリ
ングは、ネズミのいた場所をすり抜け飛んでいく。
 
 「いい狙いよ、ファントムガール! 私に当てると見せて、後ろのアルジャを狙うとはね! 確
かにアルジャは背中を向けてるから、こちらの様子はわかっていない。でも、リングの軌道は
私には手に取るようにわかるのよ」
 
 ファントム・リングはシヴァではなく、ナナを苛めることに没頭している巨獣を狙ったのだ。シヴ
ァに向かったのは、いわばフェイク。だが、その軌道の微妙なズレを、糸を通して魔女は感知し
たのだった。
 
 「遊びはおしまいよ、ファントムガール! あなたの手は尽きたわ」
 
 「ナナちゃん!! そいつの左足を蹴って!!」
 
 ファントムガールの絶叫が爆発する。普段は大人しい里美の、祈りを込めるような叫び。
 弾かれたようにナナが動く。唯一まともな右足で、渾身の力で巨獣の左足を蹴る!
 ボキリという奇妙な音をたて、曲がる左足。
 ナナの一撃で、巨大ネズミの足が折れる!
 悲鳴を挙げるアルジャ。前歯が抜け、噛みつきから逃れたナナが、アスファルトの大地に落
ちていく。
 落ちるナナの背中越しに現れたのは―――
 過ぎ去ったはずの、ファントム・リング!!
 
 「ぷぎえええええッッッッ!!!!!」
 
 ザクンッッ!!!・・・・切断音と、ネズミの絶叫の中、宙高く飛ぶ、巨獣の右腕。
 恐るべき敏捷性で身をよじったアルジャの右腕を、ファントム・リングが切断した。
 
 七菜江は気付く。
 アルジャの正体、武志が、工藤吼介に左足を折られていたことを。
 ネズミという、もうひとつの融合体があるためにわかりにくかったが、アルジャの左足もすでに
崩壊していたのだ。その証拠に、超速度をだすためには、四つん這いにならないといけないの
だ。
 決して万全でないナナのキックで容易く足が折れたのは、そのためだ。トランス前の怪我が
響くのは、ファントムガールもミュータントも変わらない――
 
 そして、リングが初め外れたのも、里美の計算通りだったに違いない。
 シヴァが軌道を読むことを、里美はわかっていた。だから、最初にリングを避けさせ、帰ってく
るところに賭けたのだ。新体操オリンピック強化選手の里美にとって、フープを自在に操るの
は、手慣れた作業だ。
 
 もちろん、一歩間違えば、攻撃が当たらないどころか、ナナを切ってしまう可能性もある、危う
い戦術。だが、ファントムガールはそれに賭けた。ナナが必ずや蘇生し、巨獣の戒めから脱出
することに。ナナの消えてはいない闘志に。
 そして、賭けは成功した。
 
 「今よ、ナナ!! 『スラム・ショット』をッッ!!」
 
 血の霧は晴れかけていた。叫びをあげる銀色の肢体がうっすらと朧となって現れる。と同時
に、視界を失っていたシヴァが、形勢が逆転した現状を一目で悟る。
 ナナの丸みを帯びた隆起を、食い千切らんばかりだった巨獣の右腕は、乗り捨てられた自
動車の列に丸ごと落ち、切り株のような左足はくの字に折れ曲がっている。片腕片足を失った
痛みに、動物の本能を晒して喚き狂う、巨大ネズミ。空間を掻き乱し、かつてない刺激に踊り
苦しむ。
 その足元に倒れる青の少女戦士は、死に体であったはずの肉体を、気力で奮い立たせる。
引き裂かれた両腕を、頭上に高く上げる。その掌に、凄まじい勢いで光が渦を巻いて集まる。
ハンドボール大の熱球が、今、完成しようとする。
 
 なぜ、こんな状況が起こっているのか?? 考えるより先に、天才学者の頭脳は最優先です
べき行動を選択していた。
 
 「ナナ!! あなたが殺そうとしているものの正体は、人間なのよ!! あなたにヒトが殺せ
るかしら?!!」
 
 動揺作戦。これがハマる。
 ビクリと肩を動かしたナナの光球が、一瞬、その活動を停止する。
 その一瞬が明暗を分ける。狂ったネズミの尖った口から、闇の破壊光が発射される。ナナの
隆起の中央、活動エネルギーが貯蓄された青く光る水晶体に、直撃する!
 最大の弱点に、最悪の光線を受けた少女戦士の苦痛は凄まじい。
 
 「わあああああああ―――――ッッッッ!!!!」
 
 喉が破れんばかりの絶叫とともに、掌の太陽が霧散する。最高の決定機を逃したナナは、魂
が削られるような極痛の海に、溺れかかって身悶えする。
 初めて水晶体、エナジークリスタルを攻撃された七菜江の苦痛は激しい。まるで身体中に巻
かれた有刺鉄線を牛馬に八方から思いきり引かれるような、痛み。全身を千切られそうな酷い
仕打ちに、大地を転がり回る青い守護天使。
 
 巨獣が距離を取る。もはや人間性を失い、吼え狂ったネズミが獲物へのトドメを狙う。鋭利な
前歯が立てられ、黄色く光っていく。三本になった手足で四つん這いになる。ターゲットは胸の
クリスタル。そこをミサイルで串刺しに図る。
 呻きながら、雑居ビルを杖にして、ブルブルと立ちあがるナナ。誰の目にも、それは処刑を甘
受しようとしているように映る。
 
 「ナナちゃん、そいつはもう人間じゃあないわ!! 悪魔になった彼を、あなたが救ってあげ
て!!」
 
 ファントムガールの絶叫。
 巨獣が駆ける。超速度で。
 ふたつの手足を無くしても、十分なスピードで、瀕死の少女に突撃する。槍の砲弾。
 土煙。轟音。亀裂。突進。巨獣。黄色の刃。突進。咆哮。突進。突進。青の戦士。土煙。突
進。突進。突進!!
 その刃が、クリスタルを砕く瞬間―――
 
 青いグローブが、ネズミの尖った顔を支える。
 高熱をもった前歯が、水晶体に届く寸前、アルジャの顔に伸ばした両腕を力強く伸ばすナ
ナ。槍の直撃を、腕を支えにすることで避けたのだ!
 ラグビーの上級者は、飛んでくるタックルを腕の力によって避けるというが、ナナが見せたの
は、それと同じ動きだ。
 だが、もちろん巨体の、それも超速度の力学的エネルギーを、穴だらけの腕で吸収できるわ
けはない。吸収しようとすれば、腕はもぎ取られただろう。
 凄まじい量の力学的エネルギーは、そのままナナの身体に渡され、恐るべきスピードで遥か
宙空に飛んでいく。
 
 「オホホホ! 無駄な足掻きね! いくら直撃を防いだつもりでも、衝突の威力はあなたにそ
のまま・・・・・・・ッッッ!!!」
 
 違う。
 ナナの計算通り。
 
 地面と平行に吹っ飛んでいくナナの頭上に光る白球。
 衝撃を受けたのは、飛ばされるため。必殺の光球を造る時間を得るため。
 マッハの速度で弾け飛ぶナナの掌に、完成した光の砲弾がうねりをあげる。
 
 巨獣が吼える。全てを悟り、光球が放たれる前にトドメを刺すべく、再び超速度で駆けようと
する。
 
 「スラム・ショットッッ!!!」
 
 光の迫撃砲が巨獣を撃つ!! 
 爆発する光。白い世界が夜の街を切り裂く。
 爆散した巨獣の肉片が、聖なる渦に飲まれて蒸発していく。
 ネズミと人間のキメラ・ミュータントを、細胞の欠片すら残さず滅殺した勝者は、勝利の余韻
に浸る間もなく、巨大なビルの固まりに弾丸となって突っ込んでいく。
 崩れる瓦礫が、死闘終了の鐘を鳴らす。
 
 
 
 「・・・シビレル、わね。なんて、そそるコなのかしら・・・」
 
 闘いはまだ終わっていなかった。水色のミュータント、シヴァがうめくように呟く。その怪物とな
って尚美しい視線の先には、ナナを飲みこんで崩れた瓦礫がある。
 
 「では、こちらも決着をつけましょうか、ファントムガールさん。もうひとり、遊び相手が出来ち
ゃったから・・・」
 
 振り返る魔女。そこに銀のスレンダーな肢体はない。
 その姿は、風を伴ってシヴァの背後に現れる。
 
 ドズウウウウッッッ・・・・・・
 
 「えッッ・・・・・・・?!!」
 
 真っ赤な腹部を押さえるファントムガール。その銀色の肌には、新たにふたつの穴が開き、
ハチミツのような血がトロリと流れ落ちていく。
 どうして、こんな状況になったのか? わからない。確かに無防備な背後を取ったはずなの
に、どうやって攻撃されたのか。失血により遠のく意識の中で、必死に思考を巡らすファントム
ガール・里美。わかるのは、華奢な体躯に残された力はわずかであること。あと一回、攻撃で
きるかどうか・・・・・・
 銀の手袋に光の棍棒が現れる。ファントム・クラブ。至近距離で最も破壊力のある武器を、貯
蓄庫に残った全てのエネルギーを振り絞って振るう。
 
 人類のために、その身を犠牲にして闘う天使の願い。それは儚く消える。
 最期の一撃は、シヴァの体毛に覆われた手によって、受け止められていた。
 
 「くぅ・・・・・・・」
 
 「万策尽きたわね、ファントムガール!! 処刑の時間よ、取っておきを見せてあげるわ」
 
 「・・・・・・あぐぅぅぅッッッ!!」
 
 再び灼熱が腹部を貫く。無防備な腹を見る少女。茶色の体毛に覆われた腕が、ナイフのよう
に尖った指をそろえて、銀の光沢のある腹を抉っている。
 
 「う、腕が・・・・・・も、もう一対・・・・・・・・」
 
 ファントムガールの手首を掴んだ腕とは別に、もう二本の腕が金髪に隠れた背中から伸びて
いる! 腰まである長い髪に隠れてわからなかったが、シヴァには腕が四本あるのだ!
 
 「キメラ・ミュータントの話は聞いてたかしら? 私は2種類の動物を『エデン』と融合させるこ
とに成功したのよ。例えば、人間とネズミのようにね。でも、まずその実験の第1号に、自分自
身を選んだのよ」
 
 ファントムガールの鼻先で、彫刻のような完成された美貌を歪ませて笑う魔女。死の香り漂
う、悪魔に魅入られた、笑み。対照的に無表情な銀のマスクを見つめる。
 
 「私は、蜘蛛の能力を持った、キメラ・ミュータント。あなた達ファントムガールは、蜘蛛に捕え
られた美しい蝶よ」
 
 金髪に隠れた背中から、さらに腕が二本。
 腕は四本ではない、合計六本。
 本物の腕とは違い、指が3本しかないが、その分鋭利に尖った爪が、錐の鋭さで、もはや抗
うことすらできないファントムガールの腹を突き刺す。
 銀の美少女に埋まったナイフが四つ。腹筋を、内臓を、抉り裂いて暴れ回る。灼熱が、里美
の腹を掻き乱す。
 
 「うぐうううぅぅッッッ!!! あああッッッ!! あううううッッッ!!!」
 
 白いクラブが銀のグローブを離れて地に落ちる。残りわずかな主人の命を象徴するように、
光の粒子と化して消滅する。
 
 「サービスよ。文字通り、ぐちゃぐちゃになりなさい、ファントムガール」
 
 主格たる、五本の指が揃った腕が、手首を放して腹に爪を立てる。穴だらけの、守護天使の
腹。蜘蛛女の六本の腕が、苦痛を与えるためだけに、哀れな獲物のボディーを貪っていく。
 
 「きゃあああッッッ・・・アアアッッッ・・・アアッッ・・・ガアッ・・・ア・ア・・アアアア・・・・・・・」
 
 無数の刃物に腹を切り刻まれる地獄。桜の花びらの唇から、耳を塞ぎたくなる苦悶がこぼれ
る。折れ曲がった紫の指が、虚空を掻き毟る。茶色の艶やかな髪は、水分を失ってざんばらに
乱れ、輝く銀のボディーが見る見るうちに色褪せていく。
 絶体絶命のピンチに、エナジークリスタルが危険警報を発する。ヴィーンヴィーンとけたたま
しく鳴り響く、水晶体。だが、もはや聖少女は悶絶することしかできない。
 
 「晒しなさい、ファントムガール! その惨めな敗北の姿を!」
 
 六本の腕が、スラリと伸びた肢体を、高々と天に向かって衝き上げる。水色の蜘蛛の化身の
頭上に、抱え上げられるファントムガール・里美。自らの重みで、ますます刃が埋まっていく・・・
 青い瞳がフッ・・・と消える。硬直していた手足が、ダラリと重力に負けて垂れ下がる。ついに
少女は意識を失ってしまった。無残な敗北者が、満天下に晒される。哀しげなヴィーンヴィーン
という響きだけが、虚しく市街地に響き渡る。
 
 瓦礫の山から立ちあがったナナの眼に飛び込んできたのは、六本の腕に腹を抉られ、天に
差し向けられたファントムガールの姿。
 
 「さ、里美・・・・・・さん・・・・・・・・・」
 
 「ナナ。お仲間の死に様を、そこで見てるといいわ」
 
 黒い光が、六本の腕から発射される。
 貫かれた腹から、闇の破壊光を直入され、失神したファントムガールがあまりの苦痛に蘇生
する。
 燃え盛る巨大な芋虫が、内臓を這いずり、里美の腹から食い破っていく! 地獄の業火に包
まれる光の戦士。とっくに闘えない彼女に容赦ない責め苦を与える悪魔の所業に、聖少女は
断末魔の叫びを咆哮する。
 
 「きィゃああああああああァァッッ―――――ッッッ!!!!! はうああああああァぁアアぁ
ああぁアアッッッッ!!!!!」
 
 六本の槍の先で反りあがる銀の少女。両手で貫く蜘蛛の腕を掴む。圧倒的な闇のパワーの
前に、ボロボロと崩れ溶けていく銀のグローブ。ファントムガールの全身から白煙が昇り、やが
てその色が黒く変わっていく。
 溶けていく。崩れていく、ファントムガールが!!
 何もできない里美が、死を待って、悶絶の慟哭をし続ける。
 
 「ウオオオオオオッッッ―――ッッッ!!!!!」
 
 爆発する感情。
 どこにそんな力が残っていたのか、完全な死の淵に沈もうとするファントムガールを目の当た
りにして、青い戦士がアスファルトを駆ける。
 ネズミの瞬発力も慄くスピード。ナナが、その全能力を全開にして最期の勝負を挑む。
 
 憎き宿敵の手前で大ジャンプ!!
 頭上の掌に、光の太陽が現れる。身体中からかき集めた光の力を使いきって、必殺の光球
をつくりだす。
 ハンド部の七菜江が、最も得意とするジャンプシュートの態勢。
 ダイナミックなフォームで、鷹のごとく空中から襲いかかる青の守護天使。光球を持った、右
手を振る!
 
 「スラム・ショッ・・・・・・!!!!!」
 
 「かかったわね、ナナ!!」
 
 右手が・・・・・・動かない!!!
 肩の後ろにまで振りかぶった右手が、ビクともしない! 高密度のエネルギーの潮流が、掌
の上でうねったまま、その発射を待っている。
 だが、右手はおろか、キレイなジャンプシュートの姿勢のまま、ナナの全身は空中で蝋人形
のように固まる。絡まった透明な糸が、少女の動きを封じている!
 
 「予め、空中に糸を張っておいたのよ! この高層ビル群は、私の巣。あらゆるところに糸が
仕掛けてあるの。あなた達ファントムガールは、このシヴァに敵わないことがよくわかったかし
ら?!」
 
 ナナの右手に力が篭る。まだ、少女は諦めていない。青い腕に幾条もの朱線がはいるのも
構わず、光の熱球を放とうともがく。腕を切り落とされても、スラム・ショットを撃とうとする気概
が、奇跡を呼びこもうとする。
 
 「無駄よ!」
 
 煙の昇るファントムガールを、ゴミのように捨てる蜘蛛の魔女。その右手を一気に握る。
 ナナを捕えた縛糸が急激に引かれ、無数の朱線が銀と青のグラマラスな肉体を疾走る。赤
い霧が繁華街の空に舞う。
 ガクリとショートカットを揺らして、細い首がうな垂れる。
 銀の戦士の最期の望みがバラけていき、光の球は、夜の空間に溶けていった・・・・・・
 
 
 
 「終わったわね・・・さあ、お楽しみは、これからよ」
 
 操り人形と化したナナが、無数の糸に吊られてシヴァの眼の高さにまで降りてくる。
 仰向けに宙に浮遊するナナ。両腕は大きく広げられ、上方に上げられる。光を無くした瞳。滑
らかな首筋を見せて、仰け反った頭が垂れる。柔らかい筋肉で締まった足が、M字に開脚さ
れ、少女の最も大事な部分が曝け出される格好となる。そこにあるべき性器はなく、見事なヒッ
プラインが誇張されるだけだ。
 
 「もう、死んだフリはさせないわよ」
 
 うつ伏せに倒れたファントムガールを、束になった糸が捕獲する。手首・足首を捕え、大の字
に固定する。首にかかった糸が、絞首刑のように細い首を吊り上げる。銀と紫に彩られた背中
が、否でも反りあがる。
 
 「そこでナナの処刑をみているがいいわ。敗北の味を、噛み締めながら、ね」
 
 返事はない。黒ずんだ銀の皮膚は、すでに発光を忘れている。
 
 蜘蛛女が、青い蝶に歩み寄る。
 空中に浮いた胸の果実を、五本指が揃った主格の腕が包み込む。両手に余る膨らみを、下
から掬い上げるように揉みあげる。柔肉が指の圧力に形を崩す。優しい愛撫が胸の周辺から
登頂部に向けて、円を描くように這い登っていく。七菜江自慢の美乳が、怨敵の手によってこ
ね回される。
 その間にも、残る四本の腕は、鋭い爪の切っ先を、触れるか触れないかの微妙な感覚で、ナ
ナの抜群なプロポーションの上に走らせる。全身にむず痒い刺激が湧いてくる。
 優しいながらも、過度の愛撫が、少女の意識を徐徐に取り戻していく。崩壊した肉体に、熱い
疼きが萌えてくる。
 
 「ううぅ・・・・・・・・ああ・・・・・・・・・・・」
 
 「うふふふふ・・・ナナ、今日は始めから、あなたが狙いだったのよ。アルジャを倒したのは褒
めてあげる。試作品のガラクタといえど、その身体でよくやったわ。でも、もうおしまい。ここから
は、私の計画通り、あなたには地獄に落ちてもらうわ・・・」
 
 柔丘を半分押し潰して、掌でグリグリとこね回す。意志ではどうにも出来ぬ刺激によって、少
女の秘芯がたぎってくる。
 ついに隆起の中心に、誰の目にもハッキリとわかる突起が浮ぶ。小豆のようなそれを中心
に、豊丘への愛撫は続く。
 
 「うく・・・・・・あふ・・・・・・・ううぅ・・・・・・・・」
 
 「我慢しても喘ぎが洩れちゃってるわねえ、ナナ。ほら、乳首がこんなに立ってきてる。若いか
ら、カチコチに固いわね。普段は隠れていても、元が人間である以上、刺激すれば性器も必ず
現れるわ。それは、ここもおんなじ」
 
 身体中を這っていた腕のうちの二本が、矛先をかえる。ひとつは、性器があるべき股間の谷
間へ。もうひとつは、引き締まったヒップの割れ目の中へ。
 指を二本ずつ揃えて、目的の場所を摩擦していく。痛いほど速くはなく、常に刺激が途絶えな
い速度で擦る。時にはまだ見えない穴をほじくるように、青い皮膚を掘ってみる。
 その間にも、乳首を責める手は休めない。現れた突起物をつまんで擦る。蕾は固い。それを
押したり、引っ張ったり。クリクリと焦らすように回してやると、銀のマスクの眉が思わず八の字
に歪む。
 
 「はあうッッ・・・・・・・・・ぅふうぅッ・・・・・・・・・くふッ・・・・・・」
 
 「おやおや。喘ぎ声が変わってきちゃったわね。男を知らないくせに、随分感度がいいんじゃ
ない、ナナ。この程度で感じてたら、先がもたないわよ」
 
 最近の女子高生には珍しいほどウブな七菜江にとって、熟練の技による刺激は耐えられな
いものだった。見透かされたように、性感帯を探られる。シヴァが触れる、ひとつひとつに感じ
てしまう。胸の蕾は痛いほどに固くなり、風に吹かれるだけでジュンとなる。股間を責める熱い
電流に、細胞が桜色に染まっていく。
 上下に動かしていた股間の指を止める。その跡には、巨大な少女の恥丘が、鮮やかに盛り
上がっていた。ヒップの割れ目には、菊の門の跡。
 
 「準備完了。まずは体験したことのない天国に連れてってあげましょう」
 
 主の腕二本がナナの秘所を、残る腕のうち二本がひとつずつ乳房を、一本が新たに出現し
た肛門を担当する。
 首にかかった糸が、グイッと活発な美少女と呼ぶに相応しい顔を上げる。己の身に振りかか
る惨劇を、その眼でよく見ろと言わんばかりに。
 
 すでに征服したといっていい、芸術的な丸みを帯びた双丘を、3本指が弄ぶ。固い蕾を飽き
るまでこねくり回す。鋭い爪で、時々先端を突くと、ナナの背中がピクリとはねる。秘所を除く
と、この柔らかな隆起とその先端の突起が、少女の最大の感度ポイントであることは明白だっ
た。いじるたびに、銀のマスクの眉根が寄る。切なげに八の字に垂れる。その表情が、蜘蛛女
の嗜虐心をますます煽るのにも気付かず。
 
 「ひゃうううッッッ!! ・・・・・あああぁぁ〜〜〜ッッ・・・・あふうううッッッ!!! 」
 
 首を横に振って、必死に疼きに耐えるナナ。残る最後の腕が、その口を掴み、無理矢理こじ
開ける。
 
 「ぐぶうッッ!!! ぐ・ぐ・ぐ・ぐ・・・・・・」
 
 「ナナ、あなた、キスの経験ないでしょ? 隠してもわかるわ。あなたのファースト・キスは私が
もらうわ」
 
 少女の唇に、水色の唇が食らいつく。
 キスというより、それはナナを貪るように見えた。長い舌が、少女の口腔を隅々まで舐め取っ
ていく。前歯、奥歯、犬歯、臼歯。頬の内側、ベロの表面、唇の裏側。歯の裏をしごき、舌に絡
みつく。暴れ回る龍が、聖なる少女の口を犯す。
 シヴァが唇を放す。透明な雫の掛け橋が、正と邪、ふたりの巨人の口に掛かってきらめく。ナ
ナの口腔に溜まったヨダレの池が、唇の端から垂れ流れる。
 
 「飲みなさい!! 一滴残さず飲み干すのよ! 負け犬の証明として!」
 
 再び唇に食らいつくシヴァ。ピチャピチャと音をたて、激しい勢いでナナの口を汚していく。ガ
クガクと頭を狂ったように振らされ、はずみで銀の喉が生暖かい唾液を嚥下する。
 ゴク・・・・・・・ゴク・・・・・・・ゴク・・・・・・・・
 穢れていく少女を確認し、シヴァが最高の笑い声をあげる。
 
 「アーハッハッハッハッ!! 美味しいわ、ナナ! 生意気な小娘だけど、なんてあなたは可
愛いのかしら! 最高のキスの味よ!!」
 
 女のコにとって、なによりも大事なものを奪われたナナの首が横に傾く。口に残ったヨダレ
が、虹色に輝きながら、零れ落ちていく。
 銀のマスクからは涙はでないが、素顔の七菜江は泣いていた。その顔を、苛め足らないシヴ
ァの長い舌が、ベロベロと舐め上げる。唾液に濡れ光っていく、少女戦士の顔。
 
 しかし、陵辱の宴は、まだ始まったばかりだった。
 二本の腕が、少女の秘所を擦り上げる。指を二本、洞窟の中にいれ、襞を掻き乱していく。
刺激が高まるにつれ、ナナの秘園は複雑化していき、陰唇が明らかになっていく。
 そして、埋まっていた萌芽をシヴァは見逃さない。集中的に摩擦する。ナナの腰がピクピクと
反応する。芽はどんどんと大きくなり、陰核となってその姿を晒す。
 指でその蕾を弾く。
 
 「ひィィィッッッ!!!」
 
 「まだ、開発されてないって感じね。その分、ここは効くわよォ」
 
 蕾の皮を剥き、性感帯の絶頂を露にする。剥き出しの陰核を容赦なく擦るシヴァ。
 
 「ひゃあうううううううッッッ――――ッッッ!!!!!」
 
 美少女は我も知らず叫んでいた。かつてない、刺激の津波。押し寄せる快感の怒涛に、理性
が飲み込まれて行く。
 それだけではない。陰唇が擦られ,襞が掻き乱される。胸の突起は千切れそうに固くなり、そ
こを折られたり、回されたり。唇は再び吸われ、今度は的確に刺激を与えるように、柔らかに
触れられて痺れていく。
 トドメとばかりに、アナルに挿入される指一本。尖った指が、ナナが悦楽に溺れるのも構わ
ず、遠慮無く奥に侵入していく。仄かな痛みと、究極の疼き。ピンク色の電流が、無垢な少女を
弾け焦がしていく。
 
 「うひやああああああッッッ〜〜〜〜ッッッ!!!! ひやあうううッッッ!!! はああうああ
ああアアア〜〜〜ッッッ!!!!! ぎひいいいィィィッッ―――――ッッッ!!!!!」
 
 性を趣味とするほどに楽しむ女教師と、純粋な女子高生とではあまりにも差がありすぎた。し
かも、相手は3人いるようなもの。シヴァの前に、ナナは成す術なく喚くしかない。
 
 「気分はどう、ナナ? 素直に屈服する気になった?」
 
 「ハア・・・ハア・・・・ハア・・・・わ、私は・・・・・・・・・ま、負けない・・・・・・ゼッタイに・・・・・・・お
前・・・・・・・なんかに・・・・・・・負け・・・・ない・・・・・・・」
 
 「そういう強がりも、もう哀れにしか見えないわね。ま、予想通りだけど」
 
 突然、全身の愛撫が止む。炎のような高まりが去らないナナは、自然に腰を上下させる。守
るべき人類の見守る中で、恥ずべき醜態だったが、このまま容易くイカされるよりは、まだまし
だ。
 そんなナナの思惑は、実に甘いことが、この後思い知らされる。
 二本の腕を、青い少女の目の前に見せる蜘蛛女。その鋭利な爪先からは、緑色の液体がポ
タポタと垂れている。
 
 「これ、なんだかわかる? 自然界の毒を研究したり、調合したりしてると、時々素晴らしい奇
跡に巡り合えるの。これはね、体内に注入すると、神経が剥き出しになったように、刺激に敏
感になるの。10倍・・・それどころじゃ済まないかも、よ。拷問用として使うわけ。この“媚毒”を
あなたにプレゼントするわ」
 
 ナナの全身から、音をたてて血が引いていく。その意味することが、少女には寒いほどによく
わかった。必死でかぶりを振る少女戦士の、あろうことか胸の豊丘に、毒針が突き刺さる。
 ドギュッドギュッドギュウッッ・・・・・
 たっぷりと、毒が注入される。絶望の淵に叩き落されるナナ。
 
 「オホホホ! 早く毒が回るようにしてあげないとね!」
 
 柔らかな球体を中心に、ナナの全身が六本の腕に揉みしだかれる。撫でまわされる。毒が回
っていくのと同時、点在する性感帯を発掘され、少女の内圧がグングン高まっていく。
 
 「うひいいいいィィィッッ―――ッッッ!!! ひあああああぁぁッッ〜〜〜〜ッッッ!!!」
 
 「なんて切ない表情なのかしら! ナナ、堪らないでしょう! オモチャとして、髄液までしゃぶ
り尽くしてあげる!」
 
 「うひゃああああああッッッ〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」
 
 媚毒がその効能を発揮し始める。惰性で感じなくなっていた糸の食いこむ痛みが、ノコギリで
切られているように感じてくる。白く熱した鉄の杭が左足に埋まり、左腕は硫酸で溶かされる。
神経を直に磨り潰される極痛。しかし、それ以上の熱い迸りが、ナナを発狂寸前に追い込んで
いく。
 熱い。熱い。熱い。
 ピンク色に染まるナナ。細胞が愉悦に悶える。皮膚の表面全てが性感帯となり、空気に触れ
るだけで愛撫を受けているよう。昂ぶりの残滓が、ナナのオンナを目覚めさせる。
 
 シヴァの指が、胸の突起を弾く。
 凄まじい電流が、ナナの秘芯を灼き尽くす。
 一声、吼えたナナの裂け目から、透明な雫が噴射される。
 
 「あひいいィィッッ!! あひいいいいィィィィ〜〜〜〜ィィッッッ!!!!」
 
 「ナナ、獣になりなさい」
 
 先程の全性感帯を、一斉に責める悦楽地獄が、囚われの少女戦士に襲いかかる。
 胸を、秘所を、唇を、アナルを・・・・・極地が、ありとあらゆる方法で嬲られる。陵辱の嵐に飲
みこまれ、快感の魔獣に食らい尽くされるナナ!!
 
 「ふべええええェェェッッッ〜〜〜ッッッ!!! ひぎいえええええェェェッッ〜〜〜ッッ
ッ!!! ふわああああああぁぁぁッッ〜〜〜ッッッ!!! くるううぅぅぅッッッ〜〜〜ッッ!! 
くるうううぅぅッッ〜〜〜ッッッ!!」
 
 凄まじい速度で陰核が、乳首が擦られる。狭穴を指が抜き差しする。もう、人間としての扱い
ではない。一瞬でイカされたナナは、それでは許されず、イッては昂ぶらされ、昂ぶってはイ
ク、を繰り返される。何度も何度も爆発し、途切れることのない絶頂の中で、身体中の水分を
垂れ流していく、ナナ。小便のように愛液は噴射し、ヨダレが滝のようにふきこぼれる。激しく上
下する腰が、少女が官能の魔界に堕ちたことを示す。
 
 「オーッホッホッホッ!! 正義の使者がなんて醜態なの、ナナ!! それがあなたの淫乱な
正体なのよ!」
 
 ビクビクビクビクビクビク・・・・・・
 痙攣だけが、蜘蛛女のことばに応える。
 
 「お・・・・お願い・・・・・・もう・・・・・やめて・・・・・やるなら、ナナちゃんの代わりに、私
を・・・・・・・・・」
 
 声の主は、大地に這いつくばったファントムガール。あまりに酷い陵辱劇に、見ていた彼女の
心が壊れそうになる。
 
 「聞いてなかったかしら? 今日はこのコ、ナナを堕とす日なのよ。あなたの番はまた、今度。
大人しく見てなさい」
 
 無造作に、銀色の美少女の整った顔を蹴り上げる。
 血を吹く、ファントムガール。首に絡まる糸が、顔を逸らすことすら許さない。
 
 「さて、天国の旅は満喫してもらえたようね。次は地獄を巡ってもらうわ」
 
 いまだ痙攣し続けるナナの隣に立った魔女が、金色の針を取り出す。二本の腕に、一本づ
つ。
 
 「今度の取っておきは、この“金剛糸”よ。これにも毒が塗ってあってね。猛毒よ。だけど、安
心して、死なないの。激痛だけが襲うの。高圧電流が流れてるみたいに、とっても痺れちゃう
の。こんなふうにね」
 
 M字に開脚したナナの、柔らかな太股の内側に、金色の針が突き刺さる。
 悦楽の怒涛が、瞬時に消え去る、最極の激痛!!
 
 「ギャアアアアアアアアッッッッッ―――――ッッッッッ!!!!!」
 
 獣の悲鳴が処刑場に響き渡る。
 ファントムガールでのダメージが軽減されることなど、意に介さないレベルの激痛に、戦士と
してのプライドをかなぐり捨てて泣き喚くナナ。素顔の七菜江は、痛みに屈して号泣していた。
 針が抜かれる。安堵するのもつかの間、恐ろしい光景がナナの青い視界に飛びこむ。
 
 シヴァが金色の針の先を、胸の先端、固い蕾に置いたのだ。
 
 「やめてえええェェェッッ〜〜ッッ!!! もう、許してええェェェッッッ〜〜〜ッッ!!!」
 
 たまらず、怨敵に懇願するナナ。少女の中で、なにかが音をたてて崩れていく。
 ゾッとする戦慄と共に哄笑うシヴァ。右手がナナの左の乳房を形が崩れるまでに強く鷲掴
む。固定された蕾のくぼみに、金色の針がセットされる。触れるだけで、微かな電流が、豊かな
膨らみ全体を包む。
 
 「いい気味ね、ナナ。ようやく力の差が理解できたようね。媚毒と金剛糸の二重奏じゃあ、さ
すがに堪えるでしょう?」
 
 「お願いッッッ!! もうやめてええェェッッ!! 私、もう、闘えないのッッ!!」
 
 「そんなこと、わかってるわ。最近の若者は、ヒトにものを頼む態度ができてないわね」
 
 金色の針の切っ先が、乳首の先端、わずかなくぼみにズブズブと埋まっていく!
 
 「ウギャアアアアアアアアッッッ―――――ッッッッ!!!!!」
 
 「アッハッハッハッハッ! いい鳴き声だわ、ナナ! さあ、もう一回、きちんとした言葉で懇願
しなさい」
 
 「私、ダメエエエエェェェッッッ〜〜ッッ!! 狂うぅぅッッ!!! 狂ってしまううぅぅッッ
ッ!!!!」
 
 「聞こえないの?! さっさと言い直しなさい!」
 
 さらに全体の5分の一程度が、ズブズブと、針が体内に消えていく。
 
 「ギアアアアアアアアッッッッ―――――ッッッ!!!!! ・・・がッッ・・・アアッッ・・・い、言い
ます・・・・・・も、もう・・・許して・・・・・・・・くだ・・・さい・・・・・・・・お願い・・・・・・・しま・・・・・・・
す・・・・・・・」
 
 「そうよ、最初からそう言えばいいの。でも、なんだか物足りないわね」
 
 また、5分の一ほど、針が美乳の中に入っていく。
 
 「フゲエエエエエエエエェェェッッッ―――――ッッッ!!!!! ゲエエッッッ・・・ぐえええええ
えッッッッ!!!!」
 
 血を吐くナナ。クリスタルの光は線香花火のように消えかけ、瞳のブルーは点滅する。
 
 「もっと、誠意を込めたセリフが欲しいわ。さあ、心の底から一生懸命お願いしてごらんなさ
い。そしたら、金剛糸を抜いてあげてもいいわ」
 
 「ううぅ・・・・・・・ぐぶう・・・・・・・がふうう・・・・・・」
 
 「言うの、言わないの、どっち?!!」
 
 ズブズブズブ・・・・・・・
 ついに針が半分以上埋まってしまう。
 
 「ギイヤアアアアアアアアアアッッッ―――――ッッッ!!!!!」
 
 「さあ、どっちなのよ。喚いてないで答えなさい!」
 
 「い、言いま・・すぅぅ・・・・・・・わ、私の・・・負けですぅぅ・・・・・・も、もう・・・・・許しでぐだざいィィ
〜〜ッッ・・・・・・あ、あなたには・・・・か、敵いまぜん〜〜ッッ・・・・・・・お、お願い・・・・ですが
ら・・・・・・だ、だずげで・・・・・だずげでぐだざいィィッッ〜〜〜ッッッ・・・・・・・」
 
 憎き悪魔に、泣きながら哀願する少女戦士。完全なる屈服の瞬間に、シヴァのエクスタシー
は最高潮を迎える。
 
 「いいコよ、ナナ。あなたのような虫けらが、選ばれた者である私に歯向かうことが無謀だと、
やっと悟ったようね」
 
 腕の一本が、青いショートカットをナデナデする。七菜江史上、最低最悪のナデナデ。涙こそ
流れてないが、クシャクシャの泣き顔が揺れる。
 
 「じゃあ、ご褒美♪」
 
 ズブズブズブズブ・・・・・
 残りの針が、一気に埋めこまれる!!
 
 「イヤアアアアアアアアアアアッッッ―――――ッッッッ!!!!!」
 
 魂切る大絶叫!! 
 ナナの全身が硬直し・・・・・・一瞬後には、弛緩して、縛糸に吊り下がる少女の無残な姿があ
った。
 
 「あと、もう一本あるのよね。今度は右胸がいいかしら? それともクリトリス?」
 
 想像するだに恐ろしい台詞を吐いて、悠然と金色の針を出すシヴァ。どうみても、ナナにそれ
を耐える体力・精神力はない。待つのは、ショック死か、精神崩壊か・・・・
 
 「や、やめて・・・・・お願いだから、もうやめて・・・・・」
 
 ファントムガールの声が再度、シヴァに懇願する。彼女の声も震えていた。
 
 「また、あなたなの? しつこいわねェ。ナナを堕とすって言ってるでしょ」
 
 「も、もう、ナナちゃんは、あなたに負けを認めたわ・・・・・・あなたの勝ちよ・・・・・・これ以上
は、もう・・・・・」
 
 「・・・・・・あなたも、負けを認めるかしら?」
 
 「・・・わ、私も・・・・・・認めるわ・・・・・・・・」
 
 「そう。じゃあ、私の足の汚れをキレイに拭き取ってちょうだい。あなたの舌で、ね。そうすれ
ば、この金剛糸は使わないであげましょう」
 
 茶色の体毛の覆われた蜘蛛の足を、這いつくばるファントムガールの鼻先に突き出すシヴ
ァ。よく見ると、足首から先は細く尖り、ハイヒールのような足型になっている。ファントムガール
がブーツを履いていることを考えれば、さほど不思議なことではない。ハイヒールは、当然なが
ら、アスファルトの泥と埃で汚れていた。
 数瞬の沈黙。そして。
 ファントムガールの赤い、子犬のような舌が、ペロリとハイヒールを舐める――
 
 「オホホホホ! お利口さんよ、さすが生徒会長さんは何をすべきか、ちゃんとわかってる
わ!」
 
 燃えるような恥辱の炎が、里美の心を焼いているはずだった。
 しかし、そんな気持ちをおくびにも出さず、彼女は丹念に、魔女の足の汚れを舐め取る。
 
 「足の裏も、よ」
 
 一瞬のためらい。だが、黒く汚れたその場所をも、ファントムガールはペロペロと舐めていく。
 正義の使者が、悪魔に敗れ、這いつくばって、その足を舐める。かつてない、衝撃的なシー
ンが、繁華街を背景に繰り広がる。見つめる人々の胸に、苦い想いが込み上がる。
 
 「いいわ。金剛糸は使わないであげる」
 
 金色の針をしまう蜘蛛女。ホッとしたファントムガールの茶色の髪が、顔を隠すように流れて
いく。
 
 「そろそろ時間がないわ。最期のとどめといこうかしら」
 
 ファントムガールの髪が跳ね上がる。切れ長の青い瞳が、動揺を示して吊りあがる。
 
 「や、約束が違うわ!!」
 
 「金剛糸は使わないって言ったでしょ。安心しなさい、殺しはしないわ。もっとも、勝手に死んじ
ゃったら知らないけど」
 
 水色の身体に変化が起こる。金色の産毛が生えた股間から、何かが突き出てくる。もしや、
ディルドゥ・・・違う、緩やかにカーブし、先端が尖った黒い物体は・・・・・・針。
 スズメバチのような毒針が、禍禍しい曲線を顕示して、シヴァの股間から飛び出している。
 針の先からは、黄色の液体が、点滴からこぼれるように落ちている。
 
 蜘蛛の巣に絡み取られた青い獲物に、魔女が飛びかかる。六本の腕で、動けない守護天使
を、さらに固定する。
 気絶したままのナナの股間、秘密の洞穴に、蜘蛛の毒針が突き刺さる!!
 
 「ぐああああぁぁ??!!」
 
 突如襲った、のっぴきならない悲劇に蘇生するナナ。下腹部に走る鈍重な圧迫感と痛み。正
常位の態勢でのしかかってくるシヴァの陰惨な笑みが、少女の運命を教える。
 
 「ああ・・・・・あうああ・・・・・・ああ・・・・・」
 
 「今時の女子高生にしては、操を守りつづけてるなんて、見た目よりもお堅いのね、ナナ。あ
なたの処女は、私が奪ってあげるわ」
 
 毒針が激しくピストン運動を始める。それとともに黄色の毒液が、ナナの膣を、子宮を、汚し
ていく!!
 
 「うわああああああああッッッ―――――ッッッッ!!!!!」
 
 「オーホッホッホッホッ!! ホーッホッホッホッホッホッ!!」
 
 毒液が、ナナの秘所を溶岩のように溶かしていく。内臓が焼け爛れていく激痛に、止むことの
ない少女戦士の哀れな悲鳴が、絶望の街にこだまする。勝ち誇る、魔女の嘲笑ととも
に・・・・・・・・
 
 
 
 ミュータントが現れてから、約1時間後、水色の魔女の姿は闇に溶けこんでいった。
 同じように、様々な太さの糸が消失し、光の使者を捕えていた戒めが解かれる。自由を取り
戻した瞬間、ふたりのファントムガールは、光の粒子となって、四方に砕け散って消えた。
 後には、崩壊したビル群と、瓦礫の山、土煙と火柱が残った。
 池となったふたりのファントムガールの血溜まり、そしてナナの愛液の海が、ここで起こった
陵辱の宴の跡だった。
 
 
 
 執事・安藤が指揮する特殊部隊は、立ち入り禁止の瓦礫の山で、ふたりの少女の回収に成
功する。
 五十嵐里美は腹部をズタズタに引き裂かれた、無残な姿で発見された。黒い軽合金で編ま
れた忍びかたびらを装着した彼女が寝ていた場所は、滴る血で真っ赤に染まっていた。
 藤木七菜江はビリビリに破れたセーラー服姿で発見された。激闘の跡が、衣服にまで影響し
た結果だった。破れたプリーツスカートから覗く、ピンクの縞のショーツからは、黄色の毒液と、
透明な愛液がとめどなく溢れ出ていた。左足の怪我が一番目立つが、内部には相当レベルの
ダメージを被っていた。
 
 
 
 かくして、天才学者と蜘蛛のキメラ・ミュータント=シヴァの前に、ふたりのファントムガールは
圧倒的な惨敗を喫したのだった。
 完膚なきまでに叩きのめされた光の戦士に、人類の未来に、希望はあるのだろうか。
 そして、次なる侵攻を防ぐことはできるのか。
 銀色の守護天使は、復活できるのか。
 ドス暗い澱が、世界に沈殿し、誰の心にも重い翳りが宿るのだった。
 
 
 
 
 
 1週間後―――
 
 藤木七菜江は、見覚えのある天井を視線の先に見る。
 そこは五十嵐家のベッドの上だった。柔らかすぎず、硬すぎないスプリングの感覚が、小さな
少女の身体に心地よい。暖かな羽毛の掛け布団が、死の淵を彷徨った肉体を、優しく包み込
む。
 どこがどう、という話ではなかった。
 あらゆる部分が痛く、苦しい。吐く息が、炎のように熱い。目蓋を開けるのも、だるい。
 
 「ナナちゃん・・・・・・気が付いた?」
 
 五十嵐里美の声は隣のベッドから聞こえてきた。眼だけを動かしてそちらを見る。
 里美はベッドの上に上半身を起こしていた。淡いブルーのパジャマから覗く包帯が痛々しい。
点滴の管が襟の裾から出入りしているが、よく見ると、それは自分も同じだった。幾分、青白い
表情だが、声には力があった。
 
 「良かった・・・本当に。良かった・・・」
 
 みるみるうちに、切れ長の、星を宿した瞳に雫が溢れる。これほどに美しい涙を、七菜江は
見たことがなかった。
 
 「里美さん、泣かないで。・・・私、生きて会えて、嬉しいよ・・・」
 
 苦しい割には声はよく通った。少しでも里美が安心してくれることを思うと、有り難い。
 
 「散々な目に遭ったけど、また、ふたりでガンバロ。・・・こうやって生き延びれたんだから、私
達、ツイてるんだよ」
 
 部屋の様子を見回していた七菜江の視線が、壁に掛けられたセーラー服の上で止まる。七
菜江お気に入りの制服は、ビリビリに引き裂かれており、ところどころに穴が開いていた。
 
 「私の制服・・・」
 
 「・・・衣服もトランスの際に身体と同化するから・・・・・・ダメージでああなっちゃったみた
い・・・」
 
 「あは・・・ボロボロだぁ・・・新しいの、買わなきゃ・・・・・」
 
 鈍い重みが、突然七菜江の下腹部を襲う。それはいまだ抜け切らない毒の影響だった。女
のコにとって、最も大事なものを奪われた、忌まわしい記憶が蘇る。
 
 「あ、あたし・・・・・・負けたんだね・・・・・」
 
 「ナナちゃん・・・・・・・・・・」
 
 「あたし、あの女に負けたんだね・・・・・・・・」
 
 天井を見たままの七菜江の頬を、綺麗な聖水が伝う。ショートカットを支えた枕に、染みが広
がっていく。
 
 「里美さん・・・・・ひとつ、お願いしても、いい?」
 
 「・・・・・・・・・なに?」
 
 「・・・ちょっとだけ、泣いてもいいですか?」
 
 それは、ふたりだけの秘密。
 苛烈な使命を背負った、ふたりの少女だけの時間が、ゆるやかに流れていった―――
 
 
      《ファントムガール 第二話  −完ー 》
 
 


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