第六話


 
 「第六話  里美秘抄 〜野望の影〜 」
 
 
 
 序
 
 「ねえ、ねえ、みんなで海いかない?」
 
 青を基調としたセーラー服の少女が、明るい声を響かせる。
 8月を迎えようとする、夏真っ盛りに、少女のショートカットはよく似合った。暑さでやや紅潮し
た頬が可愛らしい。
 巨大生物の急襲のため、1週遅れで県下の高校が一斉に夏休みを迎えたこの日、空調の効
いたハンバーガーショップには、誰の目も惹きつけずにはおれぬ、一団の女子高生の姿があ
った。
 
 五人の少女、全員がそれぞれ異なったタイプの美少女揃い。
 その華やかさと艶やかさは、比較的目立たぬ隅の席にいても、異性は当然、同性の視線も
集めずにはいられない。どんな美少女コンテストでも、これだけのメンバーは揃わないだろう。
いや、彼女たちが出場したら、優勝を独占してしまいかねない。
 
 一番明るく、元気に会話を盛り上げているのは、いまどきのアイドルらしい容姿を持ち、健康
的な魅力を振り撒いている少女・藤木七菜江であった。長期休暇を迎えて、純朴な七菜江の
心は踊り跳ねているようだ。
 
 「海かぁ・・・ナナは元気だからいいけど、あたし、まだケガ治ってないからな・・・」
 
 「ダイジョウブ。あたし、初めのうちは、試合があるからさ。大会が終わるころには、モモのケ
ガも治ってるよ!」
 
 七菜江の笑顔につられて、桜宮桃子も白い歯を見せる。並びのよい大きな歯は、桃子の完
成された美貌を際立たせた。唇の右下にある黒子が仄かな色気を放つ。ひとりだけブレザータ
イプの制服を着た桃子は、美少女という単語にもっとも相応しい少女、といえるかもしれない。
可愛らしさと美しさが同居した容姿。さらに時折大人の魅力も醸す端正な顔立ちには、赤いネ
クタイがよく似合っている。
 七菜江と桃子は、同い年ということもあってか、ウマがよく合った。性質がふたりとも明るい、
というのもあるだろうし、年相応の精神年齢であることも、ふたりに共通していた。普通の女子
高生らしい、ということは、かえってこの集団にあっては個性となるらしい。
 
 「私はパス。悪いけど、研究に集中したいの」
 
 鮮やかな茶髪をツインテールで纏めた少女が、冷めた口調で言い放つ。霧澤夕子だ。容姿
の端正なことでいえば、桃子と双璧を成すほどのバランスの良さだが、小動物のような瞳を持
った本来あどけないマスクは、冷静な雰囲気によって、随分クールに見える。コーヒーをすする
少女からは、知性の香りが確実に漂っていた。
 
 「そんな研究ばっかじゃ、息詰まっちゃうって。たまにはパーッと南の島でもいこうよ! ね!」
 
 「七菜江はノーテンキでいいわね」
 
 ふぅ、と溜め息をつく夕子の横顔には、明らかな侮辱の色が浮んでいる。
 
 「ムカ。ちょっとォ、なによ、今の言い方ぁ! あたしが何も考えてないみたいじゃん!」
 
 「考えてないでしょ? 遊ぶか、あの筋肉男のことしか、七菜江は頭にないじゃない」
 
 「な! な、な、な・・・もう、怒った!」
 
 「ちょっとォ〜、やめなよ、ふたりとも」
 
 夕子と七菜江、桃子とは、同い年であるためか、3人一緒に行動することがたまにあったが、
必ずといっていいほど七菜江と夕子は衝突した。対照的なふたりの性格を考えれば、当然の
ことだったかもしれない。ケンカのたびに桃子は間にはいって、仲裁を試みるのだが、最近で
は慣れてしまって、呆れ始めていた。
 
 「ユリちゃんは? 夏休みはなんか予定あるの?」
 
 熱くなる二人をすかすように、桃子は角の席で小さくなってオレンジジュースを飲んでいる、西
条ユリに会話を振る。
 
 「え?・・・私は・・・・・・道場の合宿とかあるから・・・・・・」
 
 真っ白なセーラーにスレンダーな長身を包んだユリは、消え入りそうな声でたどたどしく答え
る。襟足のところでふたつに纏めたおさげ髪がよく似合う、幼さを残した少女が物静かなのは、
彼女が一番の年下であることよりも、生来の性格によるところが大きいようだ。この大人しい少
女が、「想気流柔術」の後継者であり達人であるとは、その外見からは想像すらできないだろ
う。
 
 「ずっと合宿するわけじゃないんでしょ? 予定合わせたら、なんとかなるんじゃない?」
 
 「・・・でも・・・水着は・・・恥ずかしいです・・・・・・」
 
 制服同様に白い頬を、ユリは紅く染める。
 
 「ユリちゃん、スタイルいいから水着似合うと思うけどな」
 
 「そうそう! 周りもみんな水着なんだから、気にすることないって!」
 
 「七菜江は少しは気にした方がいいと思うけど。身体“だけ”は一人前なんだから」
 
 「なんッッ・・・で夕子はあたしに絡んでくるかなぁッ!!」
 
 ワイワイと騒ぎ立てる少女たちを、五十嵐里美は柔らかに微笑みながら眺めていた。
 
 魔人メフェレスたちとの死闘を終えた五人のファントムガール。世界を守り抜いた彼女たちの
代償は決して小さくはなく、『エデン』の回復力を持ってしても、いまだ負傷は完治していなかっ
たが、日常生活を送れるまでにはなっていた。
 メフェレスの正体である久慈仁紀は、あの闘い以来、姿を見せてはいなかった。久慈だけで
はない、片倉響子も、神崎ちゆりも、消息不明のままである。いったんはファントムガールが処
刑されるという、前回の衝撃的な闘いの影響で、数多くの人間が学校を休んでいるため、3人
の存在が特にクローズアップされることはなかったが、彼らの正体を知る者にとってはその意
味は大きかった。
 
 このまま、平和が続いてくれればいいのだけれど。
 だが、里美はそんな期待が、実に都合のいい願望であることを、よく悟っていた。
 冷静に考えれば、ちゆりや響子があの闘いで命を失っている可能性は、極めて低い。
 久慈にしてもそうだ。ファントムガール・アリスとサクラ、ふたりの前に突如現れた青銅の魔人
がなにを意味しているかは、久慈と工藤吼介が死闘を繰り広げた事実を知らない里美にわか
るわけはなかったが、あれが侵略者の首領たる男の最期とは、到底思えない。今は潜伏して
いるが、あの野心の塊のような男は、必ずや再び人類に牙を剥く。そんな日が、遠からずやっ
てくる。里美の脳を巡る想いは、予想ではなく確信といってよかった。
 
 今が束の間の休息であることを、里美だけでなく、目の前の少女たち、全員がわかっている
だろう。わかっているから、この瞬間を楽しんでいる。他愛のない会話に花を咲かせて、無邪
気に笑っている。
 修羅の道へと引き攣り込んでしまった里美にできることは、この愛すべき仲間たちを優しい
瞳で見守ることだけであった。
 
 「里美さんは海行きますよね?」
 
 夕子と納得いくまでやりあった七菜江が、夏によく合う笑顔を見せて聞く。
 
 「う〜〜ん、どうかな? 私も桃子と一緒で体調が万全じゃないから」
 
 肉体的ダメージの深さでいえば、敵方に捕らえられてしまった里美と、久慈に刺し貫かれた
桃子は、一時は仮死状態に陥ったユリ以上に深刻であった。集中治療室に入っていたのは、
桃子が2日、里美はさらに一日プラス。意識を戻したふたりが、そこからわずかな期間で日常
生活を送れるほどに復調したことは、驚嘆以外の何物でもない。
 言葉では濁したが、実際にはとても海どころではない、というのが里美の現実であった。
 
 「実は、しばらく静養しようかと思ってるの」
 
 できる限り明るい調子で、一番の年長者になる少女は話す。
 
 「そう・・・ですよね。ごめんなさい、はしゃいじゃって・・・」
 
 里美の現状を思い出したショートカットの少女は、細い眉を曇らせて下を向く。詳しいことは聞
いていないが、里美が受けた拷問の苛烈さを想像するのは難しいことではなかった。今の里美
に必要なのは、心身ともに休養を取ることだ。そうわかっていたはずなのに、配慮が足りない
幼い自分を、七菜江は悔しくなるほど恥じた。
 そんな七菜江の純粋さを、誰よりも好んでいる里美は、その美貌をニッコリと崩してみせる。
 
 「いいのよ、気にしなくても。海には行けないかもしれないけれど、山奥でゆっくりするのもい
いものよ。それに、ひとりになるのは、久しぶりだしね」
 
 「え、安藤さんは一緒じゃないんですか?」
 
 里美の影のように付き添い、参謀であるとともにボディーガード役でもある、五十嵐家の執事
の名を七菜江は口にした。
 
 「今回はひとりにさせてもらったの。たまにはいいでしょ?」
 
 「でも、そんな身体で敵が襲ってきたら・・・」
 
 「うふふ、大丈夫よ、いざとなったらこれで助けを呼ぶわ」
 
 外見は普通と変わらない携帯電話を、細長い手に翳して見せる。秘密裏に張られた政府専
用回線を利用した通信機は、五十嵐家のマザーコンピューターと五人の少女に直結できるよう
になっている。どんな山奥にいようとも、この国にいる限りネットワークは繋がっていた。
 
 「そんなに心配しないで。これでも私は・・・ファントムガールなのよ」
 
 不安げに寄せられる8つの瞳に、五人の中でもずば抜けて美しい超美少女は、気品と優雅
に溢れた笑顔を返す。
 少女戦士たちそれぞれの暑い夏が、始まろうとしていた――
 
 
 
 1
 
 「元防衛庁特殊国家保安部隊員、伊達宗元だな」
 
 飲食店の看板が立ち並ぶ表道路。その賑やかな往来から少し外れて奥に入ると、それまで
の明るさが嘘のように闇が支配する世界が広がる。
 若者の街と呼ばれる、谷宿。
 巨大生物が出現しようが、高層ビル群が崩壊しようが、危機が去った途端にどこからともなく
若いエネルギーが集結してくる街は、その復活の早さにおいて他を圧倒していた。
 数日前に起こった人類の危機など忘れたように、様々な髪型とファッションの男女が集まり、
甲高い声をあげて我が世の春を謳歌している。己がこの世界の中心であるかのように。
 そんな華やかな表道路から、わずか数十メートル離れた裏通路に、邪念と殺気に満ちた暗
い空間が展開されている。
 
 中心にいるのは、黒ずくめの男だった。
 真夏というのに長袖の黒シャツに、黒のスラックス。髪の色は当然として、靴下、靴、ベルトに
至るまで、全てが黒で統一されている。バイカーが着けるような、薄手の皮手袋までが黒色。1
80cmはあろうかという長身が、実際以上に引き締まってみえ、ナイフのような殺気を増幅して
みせている。
 オールバックに口髭を生やした顔は、男性化粧品のCMが似合いそうだ。くっきりした二重目
蓋と垂れた目は、本来なら優しい雰囲気を醸すのだろうが、濁った瞳の水晶体と青白い頬が、
戦慄にも似た不気味さに変えている。
 
 男の周りを囲むのは、見るからにその筋の者とわかる、コワモテの男たち。
 谷宿を根城にする少年グループとは、格も実力も、そして危険性も段違いに上回った極道者
が、6人でひとりの黒い男を囲んでいる。低い声で男を呼びとめるや、手に握った匕首やナイフ
を隠しもせずにひけらかしている。
 
 わかりやすい、宣戦布告。
 巨大生物が出現するようになってから、治安が悪化したと言われるこの街でも、ここまで無秩
序な襲撃はまずありえない。
 殺意をこめたヤクザ者の視線を集中砲火されながら、伊達宗元と呼ばれた男は、ふぅ、と溜
め息をつく。
 
 一瞬、だった。
 黒皮の手袋が霞んだと思うや、銀の閃光が数条飛び、次の瞬間には喉元から血を吹いて、
絶命した極道たちが倒れていく。
 
 何が起きたか理解できないながら、ヤクザもまた戦闘のプロであった。ひとり危険を察知し
て、飛来する凶器を全くのカンで飛び退けた角刈りの男は、反射的に右手をスーツの懐に入
れていた。
 スーツから抜き出された手には、カートリッジ装填式の拳銃。
 黒い銃口が、オールバックの額を狙う。
 
 金属の擦れる乾いた音色が響く。
 一体どういう魔法なのか、あらぬ方向から飛んできた漆黒の鎖が、照準を絞ったヤクザの右
手を絡め取る。
 ブスブスブスッッ!!
 頼りの飛び道具を封じられ、動揺する角刈りの顔に銀の光が突き刺さる。
 3本の刃をコワモテに生やした最後の襲撃者は、その屍をゆっくりと大地に沈ませていった。
 
 「このオレを試すとは・・・いい度胸だ、神崎ちゆり」
 
 コツコツと黒革靴を鳴らして死体に近付きながら、伊達宗元は暗い闇に呼び掛ける。
 なにもないと思われた暗黒が、ゾワリと蠢いた。
 漆黒の闇から極彩色が浮かび上がる。
 
 女が、いる。
 伊達の声に答えるように現れた、派手な化粧をした少女は、長い爪に気遣いながら音のほと
んどでない拍手をしていた。彼女にとっては、それは褒め称えている、という意味になるらし
い。大きなサングラスにその奥の濃いマスカラ。茶髪は気分転換で金色に変わっており、ソバ
ージュがかけられている。マイクロミニのスカートと、何故かこの暑さのなか羽織ったコートは、
どちらも鮮やかな豹柄だ。
 『谷宿の歌姫』であり、裏世界の支配者である「闇豹」神崎ちゆりは、そのあだ名に恥じぬ
毒々しい姿で、自ら雇った兵隊たちが転がる死地に登場した。
 
 「さっすがぁ〜〜、元なんとか特殊部隊ねぇ〜♪ そいつら、組の中じゃあけっこう恐れられて
る存在なのに、あっという間に全滅なんてぇ〜!」
 
 「フン。防衛庁にいるころは神崎ちゆりの名は幾度か聞いたことがあったが・・・こんな小娘だ
とはな。この界隈の暴力団員で、お前の名を知らぬ者はいないそうだな」
 
 40を過ぎたと思しき伊達から見れば、いかに闇世界に染まっていようが、ちゆりもワルぶっ
た女子高生に過ぎないのだろう。ダンディズム薫るその眼には、明らかな見下した態度が窺え
る。
 
 「まあいい。少し権力を手に入れたからといって、己の天下のように自惚れた小娘だろうが、
客は客だ。今のオレが、暗殺を生業にしていることを知って、呼びつけたのだろう?」
 
 「そうそう♪ 実はあんたに殺って欲しいヤツがいるのよォ〜」
 
 言うなりちゆりの指は、ゴージャスな豹柄のコートの胸元へと伸びる。
 バッという音も豪快に、コートは真ん中から開帳される。
 伊達の目に飛び込んできた光景、それはグルグルと包帯で巻きつかれた、痛々しく未発達な
肉体であった。
 
 「ちりの身体をこんなにしやがった、メスブタどもを〜〜、ぐちゃぐちゃに屠殺して欲しいの♪」
 
 神崎ちゆりの本性を知らぬ者が見たら、誰もが同情を禁じえないであろう。ミイラと見紛うほ
どに包帯で包まれたコギャルの権化は、鮮やかな装飾品が色褪せるまでに惨めな姿を晒して
いた。
 
 ファントムガールとの闘いで負ったダメージは、「闇豹」が想像していなかった深さにまで達し
ていた。
 おおよその悪と呼ばれる組織と接触しつつも、大きな危険に晒されることなく生き抜いてきた
悪女にとって、虐待はするものであって、断じてされるものではない。痛みを与えられる屈辱
は、ちゆりが持つ残虐性を最大限に膨らませていた。
 まして、自称ファッションリーダーたる己を傷つけるとは・・・
 銀の皮膚を持った、あの憎き女たちは、死程度の生ぬるさでは到底許すことはできない。
 特に。
 リーダーであり、とことん歯向かってくる長い髪の令嬢。
 超震動による技で、肉体をボロボロにさせたスポーツ女。
 顔を殴られ、命乞いまでさせられた、機械人間。
 この3人への怒りは、内臓を引きずりだして食らうぐらいでは、済まないレベルに達している。
 
 怨念とすら呼べる憎悪の炎を瞳に宿す女豹に対して、黒ずくめの暗殺者は冷ややかな視線
をあからさまに向ける。
 
 「くだらんな。女の争いごときに、オレを使おうとは・・・」
 
 「あは、そういうと思ったぁ〜〜♪ でもねぇ、ちりの話を聞いたら、あんた、ワクワクしてくると
思うよォ〜〜?」
 
 趣味の悪い金のルージュが歪む。その笑顔には、伊達を憎き小娘たちを抹殺する役に選ん
だ理由が、絶対的な勝算とともに滲んでいた。
 
 「あんたが前いた特殊部隊って、相当変わったとこだったみたいねぇ〜?」
 
 突然ちゆりは、一見なんの関係もなさそうな話題に転換した。
 
 「・・・なにが言いたい?」
 
 「なんかさ〜、普通の警察とか自衛隊じゃ手に負えないような仕事してたんだってぇ? えら
いひと守ったりィ〜、スパイみたいなことしたりィ〜・・・巨大生物の謎を探ったりィ?」
 
 「確かにその通りだが、オレは完全に足を洗っている。興味あるようだが、今は単なる殺し屋
だ。昔話には付き合わんぞ」
 
 「ファントムガールの正体なんか、知ってたぁ?」
 
 アイラインの濃い瞳が、強い光を放つ。
 ちゆりと正義の守護天使の関係など知るわけもない伊達は、その意味もわからずに淡々と
答える。
 
 「バカな。上の連中とファントムガールが繋がっているという噂は聞いたことがあるが、オレた
ち兵隊には関係ない話だ。寧ろあいつらに関する話題は、防衛庁のなかではタブー視されて
いるような雰囲気もあった」
 
 「ちりが殺して欲しいってのはぁ〜、そのファントムガールなのよねぇ〜」
 
 一瞬沈黙した黒い男が、やがて引き締まった肉体を震わせるや、堪らんとばかりに大口を開
けて笑い出す。
 
 「ウワハハハハ! 面白い小娘だ! いくらこのオレでも、ファントムガールを仕留めるのは、
少々難しいかもしれんな!」
 
 「あらぁ〜〜? ちりは真剣なんだけどォ〜?」
 
 「ふざけるな。冗談なら、他をあたるんだな」
 
 死者の肉体から己の武器を引き抜きながら、伊達の灰色の瞳が鋭い光を射る。静かな口調
には、貴様を相手に暗殺術を見せてもいいぞ、という怒気が、敢えてちゆりにわかるように篭
められている。
 暗殺を職業とする男の殺気は、どんな修羅場をくぐり抜けてきた傭兵だろうと、緊張させずに
いられぬはずだったが、このコギャルは動揺の影すら見せずに言った。
 
 「そりゃあ、巨大になったファントムガールを殺すのはムリだろうけどォ〜。変身前だったらぁ
〜?」
 
 「変身前、だと」
 
 伊達の眼が細まる。口髭がピクリと反応するのを、ちゆりは見逃さなかった。
 
 「ファントムガールの正体は、五十嵐里美っていうクソ女。他はいいわぁ、あんたには、こいつ
をブチ殺して欲しいのよねぇ〜〜」
 
 「五十嵐・・・」
 
 「そ〜う、五十嵐ィ〜。あんたが考えてるとおりの五十嵐よォ〜♪」
 
 死体から抜いた武器を、伊達はカチャリと掌の中で鳴らす。
 十字型に鈍く光る銀の刃物。それは手裏剣だった。
 
 「御庭番衆の血を引き継ぐあんたにとっちゃあ、頭領の五十嵐家は目の上のタンコブでしょ
ォ? 知ってるわよォ〜、あんたが特殊部隊辞めたのは、お上に仕えるのが嫌になったって
ハ・ナ・シ♪ 忍者仕込みの暗殺術でぇ〜、成り上がりたいんでしょォ〜? だったらぁ、五十嵐
の当主を殺っちゃって、あんたが代わりに頭領になるってのはど〜う?」
 
 「・・・その里美というのは?」
 
 「あはは、やっぱねぇ〜。現代の忍者さんは、自分たちのリーダーの姿さえしらずに、ただ掟
ってやつに縛られて生きてんだ〜? そりゃあ〜、いやになるわよね〜。実質の五十嵐家の当
主よォ。ちりと同じ18の小娘。ファントムガールを殺す勲章と一緒に、忍者のリーダーの立場
まで手に入るのよォ。いい話だと思うけどォ〜?」
 
 目尻の下がった二重目蓋が、歓喜に歪む。
 ニヤリという擬音が、これほどまでに似合う笑いもなかった。
 
 「どうやら決まりねぇ〜! じゃあ、ちりからプレゼントよォ」
 
 豹柄のコートに隠された右手に、濃いブルーの液体で浸された円筒が握られている。
 中には鶏の卵大の白い球形が、ふわふわと漂いながら蠢いていた――
 
 
 
 真夏の陽射しが容赦なく土色の大地に突き刺さる。
 空を埋め尽したセミの大合唱が、途切れることなく降り注いでいる。季節は8月を迎えようと
いうところ。身体は暑さに慣れ始めたとはいえ、照りつける太陽にジリジリと肌を焼かれるの
は、女のコにとっては辛い。ソフトクリームみたいな入道雲を恨めしそうににらみながら、少女
は誰憚ることなく制服の胸元を大きくはだけ、手団扇で空気を送る。
 周囲は鮮やかな緑で彩られた山々。
 田と畑で区切られたアスファルトの道路を、3人の少女はスポーツ鞄片手に歩いている。青い
匂いが、時々かすかに吹く風とともに鼻腔を漂う。
 コンクリートに囲まれた都会に比べれば、山地であるこの町は、随分涼しいはずであったが、
生まれた時からこの町に住む少女らにとって、その恩恵を自覚できるわけはなかった。
 夏休みといえど、部活の練習で毎日のように高校に行く3人の少女たちは、帰りには暑さへ
の恨み言と、気になる男子生徒の話題で盛り上がるのが日課となっていた。
 
 「ねえねえ、亜梨沙。あのひと・・・」
 
 ポニーテールの少女が、真ん中で歩いている、一番よく喋っている少女の名を呼ぶ。
 やや右側から分けた黒髪を肩付近まで垂らした小柄な少女は、促されるままに、親友が指
差した方向へと目を向ける。
 
 河岸に女が立っている。
 紫色のサマードレスが、川に流れる風に舞って揺れている。ノースリーブから覗く肩は艶やか
に輝き、膝下まで伸びたドレスは、上品さを自然に醸し出している。肩甲骨にまで伸びた茶の
入った髪には、白いリボンがちょこんとつけられているが、幼さよりも優雅さが強い。胸元に輝
く十字架を模したペンダントが、女の美しさとよくマッチしていた。
 
 「この辺じゃ見ないよね。観光かなぁ・・・凄いキレイなひとじゃない?」
 
 「ふーん・・・ちょっと見てこっか?」
 
 「え?! ちょ・・・ちょっと亜梨沙!」
 
 二人の友人が止めるのも構わず、小柄な少女は河へと続く山道を、慣れた足取りで駆け下
りた。
 気配に驚いたサマードレスの女が、素早い動きで振り返る。
 他のふたりを置き去りにして、50mほどあった距離を一足に縮めて河岸に辿りついた少女
は、額に珠の汗を浮かべて声を掛けた。
 
 「わあ〜・・・近くで見ると、ホントにキレイだ・・・」
 
 挨拶もなしにいきなり呟いたのは、少女が行儀知らずというより、女の並外れた美貌に責任
がありそうだった。
 美しい。
 少女はその言葉の意味を、初めて知った気がした。
 田舎といえど、テレビも雑誌もある今は、アイドルや女優など、美人と呼ばれる人間は何人も
見てきた。かくいう少女自身、最近人気の元レースクイーンというグラビア系アイドルにそっくり
と言われ、近辺では美少女で通っている。容姿にはちょっとした自信もあった。
 
 だが、目の前の美貌の持ち主は、明らかにレベルが違った。
 遅れて到着した友人たちの、思わず息を呑む音が背後から聞こえてくる。
 切れ長の瞳、すっと通った形のいい鼻梁、花びらに似た、潤んだような唇。
 造形からして完璧なのに、憂いを含んだ儚さと、炎のような芯の強さが、湖の水を湛えたよう
な瞳から同時に感じられる。魔力がかった神秘的な美しさが、女の奥底にある生命の泉からコ
ンコンと湧きあがっている。単に外見の問題ではなく、存在自体の高貴さに圧倒されるのを、
少女は自覚した。
 
 「かわ・・・いい・・・・・」
 
 熱病にうなされてでもいるのか、茫然と嘆息を漏らすポニーテールの少女の声に、紫の妖精
はニッコリと微笑んだ。
 
 「こんにちは」
 
 纏っている落ち着いた雰囲気に騙されていたことを、3人の少女は悟る。余程年上かと思っ
ていたが、女は実は自分たちとほとんど変わらない少女であった。
 
 「えっと・・・あの・・・こんにちは」
 
 なにか言おうとして、うまく言葉を探せなかった小柄な少女は、結局普通に挨拶を交わした。
 
 「カワイイ制服ね。この近くの学校なの?」
 
 白いカッターにグリーンの格子柄のミニスカート。赤いリボンがアクセントをつけた制服は、少
女たちの密かな自慢であった。硬い表情が自然とほころぶ。コクリと頷くと、緊張から解放され
て話し始める。
 
 「旅行者のひとですか? この辺じゃみないもんね」
 
 「ええ、ちょっと静養に。いいところね、ここは。水も空気もおいしくて、心も身体も休まるのが
わかるわ」
 
 「もしかして、もしかして! 山の中腹にある豪邸のひと? ほら、壁が白くて屋根が茶色
の・・・」
 
 「豪邸かどうかはわからないけれど、確かに家は山の中にあるかな」
 
 「あ〜やっぱり! アリサ、昔からあの別荘に住むひと、気になってたんだよね! すごいす
ごい、やっぱお嬢様って感じするもん!」
 
 やたらと感心しながらはしゃぎまくる少女の勢いに、サマードレスの少女は戸惑いを見せる。
3人いる少女たちの中でも、この最も小柄な少女は飛び抜けて明るく元気がよかった。
 
 「アリサはね、四方堂亜梨沙っていうの。今高2で、バレー部ではセッターやってる。けっこうう
まいんだよ! ね、ね、なんていう名前? あの家って表札あったっけ? アリサより年上だよ
ね?!」
 
 矢継ぎ早に繰り出される質問に、気品溢れる美少女は、圧倒されつつも答える。
 
 「五十嵐里美よ。18なんで、1コ上になるのかな」
 
 「イガラシサトミか・・・けっこう普通の名なんだね。アリサの方がカッコイイじゃん。年上でも、
里美って呼んでいい?」
 
 「もちろん」
 
 落ち着いた物腰がオトナの雰囲気を醸しているが、微笑む里美には年相応の少女らしさが
滲み出ていた。月のように玲瓏たる美しさで、満天の星空の下に飛び抜けた気品を輝かせる
かと見えた少女は、ややはにかんだように微笑むだけで、春の風吹く草原へと誘う、可愛らしさ
も併せ持っていたのだ。
 
 「里美はひとりで来たの? 家族とかは?」
 
 「今回はひとりにさせてもらったの。家族というか・・・親しいひとたちからは、少し反対された
んだけどね」
 
 里美の脳裏に、蝶ネクタイをした老紳士や、個性豊かな4人の美少女の顔が蘇る。そしてあ
とひとり、角張った顔に短髪が似合う、男臭い顔が。
 哀愁を帯びた視線が、やや遠くを見つめるのも気付かずに、3人の地元女子高生は、ひとり
でなんて凄いね、などと呑気に会話を弾ませていた。
 
 「でもさ、なんでこんなところに来たの? 静養なら軽井沢とか、もっといっぱい、いいところが
ありそうじゃん。ここはなにもないとこだよ。ま、確かにそこそこは有名だけどさ」
 
 金持ちの別荘といえば軽井沢、というのは女子高生らしい発想といえた。化粧はしていない
が、くっきりとした二重と、澄んだ吊り気味の瞳が可愛らしい亜梨沙を見ながら、里美は再び微
笑んだ。
 
 「少しこの土地に興味があってね。せっかくだからいろいろ見て回るのもいいかと思って」
 
 三重県阿山郡伊賀町。
 言わずと知れた伊賀忍者の故郷。
 滋賀県との県境に位置する、この忍者の里として有名な町で、末裔たる少女はしばしのバカ
ンスを楽しむ予定であった。
 時間さえも悠然と過ぎる、緑溢れる大地の中で、里美は己に流れる血のルーツを、再度噛み
締めているのだった。
 
 そして、遠く霞む山中の林から、食い入るように突き刺さる灰色の視線。
 
 「くくく・・・あれが五十嵐里美か」
 
 迫り来る黒い野望の姦計に、心身ともに休息が必要な少女戦士が勘付くことは、この時点で
あろうわけがなかった。
 
 
 
 2
 
 プラットホームには、まばらな数の人影が、せわしなく上下左右に動いていた。
 電車に乗るもの、降りるもの。
 改札へ向かうもの、改札から来るもの。
 別段多くもなく、少なくもない人数が、階段を昇降し、駆け寄っては、線路上を移動する鉄の
箱に飛び移っていく。あるいは箱からまろびでて、兎のように走り去っていく。互いに無関心で、
無秩序に移動する彼らは、傍目から見れば、ひとつの生き物のように規則的に動いていた。
 友達連れの児童から、白髪混じりの老人まで。
 あらゆる世代と職種が入り乱れる駅で、1組の男女に気付いた者が何人いただろうか?
 
 「誰に聞いたの?」
 
 白のカーディガンに、同じ色のロングスカート。肩までの髪が柔らかくなびく少女は、真っ直ぐ
に見つめながら声を発した。琴が奏でられる、優雅な音色。たまたま少女の顔を覗き込んだ中
年のサラリーマンは、思わず息を呑んでいた。
 
 美神。
 今までに見た、どんな美貌の持ち主をも、遥かに凌駕した美の結晶。視線を離すことができ
なくなる者や、知らず数歩後退した者がいるのも、納得せざるを得ないほど、少女は美しすぎ
た。
 
 対する男も、注目度という点では、少女にひけをとっていない。
 デカイ。いや、威圧感がある。
 身長は180を越えるかという程度だが、その極厚な胸板、凶暴な二の腕、充満した太股は、
男を巨大な岩山のように見せていた。圧倒的存在感。ティ―シャツとジーパンでは隠しきれな
い獣性と巨肉が、蒸気となって包んでいる。
 
 五十嵐里美と工藤吼介。
 近隣の聖愛学院では、五千を越える生徒がいるというのに、知らぬ者がいないと言われるほ
どの有名人。
 幼馴染という学園のアイドルと最強の男は、その関係に似つかわしくない雰囲気を醸し出し
て、雑踏から距離を置いた場所に立っていた。
 
 別れ話か?
 ふたりのことをなにも知らない、お得意先に向かう営業マンは、若いカップルの湿った空気
に、つい野次馬根性を剥き出しにしてしまう。
 
 「さあね。誰から聞こうと、問題じゃないだろ?」
 
 「隠したがるってことは、あのコから聞いたってことね」
 
 里美の脳裏に、健康的なショートカットの少女の笑顔が湧きあがる。
 潤んだような瞳にじっと見つめられながら、吼介は問いかけには応えず言う。
 
 「オレも付いていこう。今のお前の体力じゃ、ひとりだとなにかと大変だろ?」
 
 視線を伏せた里美の首が、ゆっくりと横に振られる。シルクの髪が優しい光を跳ね返す。
 
 「ひとりにさせて欲しいの。誰かがそばにいたら、私は知らないうちにそのひとに頼ってしま
う。私はもっと強くならなくちゃいけないの」
 
 「里美、お前は一体なにをしてるんだ?」
 
 左手と左足に包帯を巻いた格闘士の視線が、真剣みを増して光る。
 
 「久慈がストーカーになって襲ったというが、お前の傷はそんな生易しいものではなかった。お
前と久慈の間には、なにがあったんだ? オレになにを隠しているんだ? 教えてくれ、オレに
全てを」
 
 高らかな列車出発の合図が鳴る。
 五十嵐里美の華奢な身体は、風となって赤い車体に滑り込む。俊敏な動きは、5mの距離を
あっという間に駆け抜けた。足の負傷が癒えない吼介が、美少女を追うことはできなかった。
 電車の中で扉の前に立って、白い少女は幼馴染を見つめる。深い藍色の瞳で。
 
 「吼介、大切なひとにほど、秘密はできるものなのよ」
 
 発車ベルの音が止む。見送る者もまばらなホームで、美少女と鎧武者は閉まりかける扉を
挟んで見詰め合う。
 
 「それともうひとつ。どうしても、吼介には来てもらうわけにいかない理由があるわ」
 
 プシューという空気の洩れる音が響く。
 閉まる扉の向こうで、里美は最後の言葉を吼介に送った。
 
 「ナナちゃんはあなたを試しているのよ。私に構わず、ナナちゃんのところに行ってあげて」
 
 
 
 「ねぇ、ねぇ、里美ってばぁ!」
 
 脳天にキンとくる黄色の呼び掛けに、思考を過去へと飛ばしていた五十嵐里美は、現実にと
連れ戻される。
 慌てて周囲に視線を巡らすと、並んで歩いていたはずの四方堂亜梨沙が、いつのまにか5m
も先に進んで振りかえっている。片頬を膨らませて口を尖らせた表情は、小生意気そうでいて
あどけなさも残した亜梨沙を、よりチャーミングに見せていた。
 
 「なによォ、ボーっとして! せっかくアリサが名所案内してあげてんのに・・・ホントはアリサだ
って忙しいんだからね!」
 
 部活帰りという少女は、赤いリボンとグリーンのスカートが特徴的な制服に今日も身を包んで
いた。里美がこの少女と河原で出会ってから3日、亜梨沙は毎日里美のもとに顔を出してい
た。一緒にいた友人たちは呆れたのか、もう姿を見せてはいない。なにをそんなに気に入った
のか、元気一杯のこの少女だけが、いろんな理由を見つけては、里美のもとへと訪ねてくる。
 チェックのスカートは極端に短く、白い太股が惜しげもなくさらけだされている。組んだ腕の上
にある胸の隆起は、まだ発展途上であることを窺わせるが、その蕾のような青さが全体を覆
い、無防備さとあいまって、この年代ならではの魅力を発散している。スポーツバッグから覗く
ケータイストラップが、魔術で使う飾りのようにチャラチャラと鳴る。四方堂亜梨沙はいかにも今
時の女子高生らしい女子高生だった。明るい性格は七菜江、コギャルらしい見た目は桃子に
似ているが、ふたりと違うのは、生意気というか勝気な性分である点だ。そのあたりは夕子の
エッセンスが混じっているかもしれない。
 
 「ほら、早く来なよ・・・里美って意外とトロイよねぇ?」
 
 「ご、ごめん、ちょっと体調が優れないものだから・・・」
 
 「知ってる。病気の療養も兼ねてここに来た、って話でしょ? それは知ってんだけどさぁ、な
んかアリサの方が運動神経いいんじゃないかなーって。普段の動きみてると、なんとなくそう思
えちゃうんだよね」
 
 元とはいえ新体操のオリンピック強化選手に対して、ゾッとするような暴言を吐く亜梨沙だ
が、屈託なく言われると、ムッとしたものも湧いてこない。里美は苦笑いしてみせるしかなかっ
た。
 
 「ねぇ、やっぱ忍者屋敷なんて、子供っぽくてつまんない? けど、この町はこれしか売りがな
いんだよねー」
 
 ふたりは伊賀町が観光の目玉にしている、忍者屋敷に来ていたのだった。
 くノ一姿の案内人に連れられて、隠し扉や抜け穴の説明を受けながら、旧来の日本家屋を進
んでいく。忍者の故郷、伊賀ならではの超小型テーマパークは、この町に住むひとがまず初め
に旅行者に勧める観光スポットだ。
 ドンデン返しの壁、床板に隠された刀、など一見普通の家屋に仕掛けられたからくりの数々
は、忍者に興味あるものなら、なかなかに楽しませてくれる。だが、他に静養の候補地はいくら
でもあったというのに、わざわざ伊賀を選んだというお嬢様の顔色には、退屈とまではいかな
いまでも、到底関心を寄せているとは思えない表情が、地元巡りのガイドを己から買って出た
女子高生には手に取るようにわかった。
 
 「そんな、つまらなくはないけれど・・・」
 
 「ウッソだー! なんかあきれたような顔してるじゃん。まあさ、忍者屋敷っても、仕掛け扉な
んか見ても面白くなんかないだろーけど。せめてバーチャル体験できる分身の術とか、それぐ
らいビックリするような催しがないとね。里美も分身の術とか、やってみたくない?」
 
 再び現代のくノ一は、苦笑してみせる。
 忍者といえば分身の術だが、実際には伝説の技、というか実現不可能な技、といえた。分身
の術についての秘伝書を、里美は読んだことがあるが、全てを読み終えた彼女は、その術が
とても己の手に負えない代物であることを悟るのみだった。秘伝によれば、気を練り上げること
で分身を生む、というのだが、もはや小説かマンガの世界に近い神業に、里美は早々に断念
せざるを得なかった。
 忍びとして、挫折を味あわされた術の名を聞き、思わず里美の顔は渋くならずにいられなか
ったのだが、里美の正体を知らぬ亜梨沙は、苦い表情を別の意味に受け取った。
 
 「ほーらやっぱり。つまんなさそうな顔してるじゃん」
 
 「ううん、そんなことないってば」
 
 「無理しなくていいって、とても興味ある顔には見えないけどォ?」
 
 「それはその・・・昔幼い時にも、ここには来たことがあるのよ。まだ5歳くらいだったけれど。
だから、なんとなく覚えてるから驚けないだけで、つまらないとは思っていないわ」
 
 里美の言葉は真実だった。忍者の頭領になろうとする少女が、その原点である伊賀を訪ね
ていないわけはない。当然、忍者屋敷にも足を伸ばしている。ただ、里美が驚けないのは、も
っと他に大きな理由があった。
 
 “・・・でも、まさか家に同じような仕掛けがいくつもあるなんて、言えないわよね”
 
 見世物と化した忍者屋敷は、古来のものに最新科学を組み合わせ、遥かにスケールアップ
した現代の忍者屋敷・五十嵐邸に住む里美にとって、ラスベガスでイリュージョンを見た後に、
宴会芸の手品を見るようなものだった。簡易化された忍び衣装に身を包むガイドの女性を見な
がら、里美は、芸能人が自分のモノマネを見る気持ちはこんなものかな、と思う。
 
 「なーんだ、だったらわざわざ連れてくるんじゃなかったよ」
 
 頼んでもいないのに、勝手に名所巡りを申し出て、半ば強引に里美を連れ出した亜梨沙は、
思いっきり不服そうな表情になる。キツめの視線が、物怖じもせずに10cm以上も高い位置に
向けられるのを見ていると、まさに小型爆弾とでもいいたくなるような少女だ。
 
 「じゃあ、どうしよ? 他に観光するとこなんてあったかなー? 伊賀牛は高すぎて、とてもアリ
サの手に負えないし・・・」
 
 「別に無理しなくていいのよ? 私は観光のためにここに来てるんじゃないから。それに、誰
の手も借りずに、ひとりでやってみたい気持ちもあるの。亜梨沙の好意は嬉しいんだけれど、
できれば・・・」
 
 「あ、そうだ!」
 
 里美の言葉を遮るように、制服姿の少女は大声をあげる。
 
 「この前、縄文時代の化石が発掘されたっていう洞窟があるのよ。特に大きな発見はなかっ
たから、あんまり話題になってないけど、この辺のひとたちの間じゃ有名だよ! 貝とか、いろ
んな生物の化石がけっこうはっきり見えるみたい。そこ行ってみようよ!」
 
 遠まわしにガイドを断ろうとしていた里美の気持ちを断ち切るように、ギュッと手をつないだ亜
梨沙は猛スピードで駆け出した。困惑した顔のまま、長い髪の美少女が強引に連れられてい
く。
 夏休みを利用して来ていた、他の家族連れの列から離れ、ふたりの美少女は伊賀自慢の忍
者屋敷を後にした。
 
 
 
 「あづい〜〜〜、ちょっと休憩しようよ〜〜」
 
 いわゆる女のコ座りをしていた藤木七菜江は、そのまま上半身を倒して畳みの上に仰向け
に転がる。
 机の上に乗っているのは、夏休みの課題である英語のテキスト。机の真向かいに座った桜
宮桃子が、間髪いれずにツッコミをいれる。
 
 「もう! ナナったら、さっきから全然進んでないじゃん! 宿題やろうって誘ったのは自分な
のに・・・そんなダラダラやってたら、いつまでたっても終わんないよ? 部活の試合前に終わら
せたいんでしょ?」
 
 天井を向いた七菜江は、たわわな果実の裂け目もくっきりと見える、タンクトップの胸元にパ
タパタと手団扇で風を送っている。いくつもある五十嵐家のリビングのひとつを緊急の勉強部
屋に仕立てて、ふたりは今いるのだが、主人の考えを反映して冷房は効き過ぎないように設定
されていた。仰向けに寝ても、全く形の崩れない見事なバストの表面に、うっすらと汗が滲んで
いる。芸術的ともいえる双丘の形の美しさと巨大さに、AもしくはBカップという桃子は、やや嫉
妬した視線を送る。
 
 「んなこといったって、全然わかんないだもん〜〜。あたし、英語苦手・・・」
 
 「そんな難しいの? サボる言い訳にしたらダメだよ」
 
 手を伸ばした桃子は、聖愛学院支給のテキストに目を通す。学校が違うため、桃子にとって
は見慣れないテキストである。
 
 「どう? モモ、わかる?」
 
 「あは、あははは。宿題って、自力で解かないと意味ないと思うのよね。だから、ナナ、がんば
って」
 
 「あ〜〜ッ! モモ、わかんないんだ! なによォ、えらそうに言ってぇ」
 
 「あたしは大学受験なんてしないからいいの! 卒業したら専門学校行って、介護士になるん
だから」
 
 「暑いなか、お二人ともお元気ですな」
 
 カチャリと音をたてて、汗をかいたアイスティーのグラスをふたつ、お盆に乗せたオールバッ
クの執事が扉から入ってくる。
 
 「やったあ! 安藤さん、ナイス・タイミングぅ!」
 
 休憩の口実が出来た七菜江の身体がガバリと起き上がる。眩しいばかりの笑顔に、桃子の
厚めの唇からは、降参したような、ふぅ、という溜め息が洩れるばかりだった。
 
 「里美さんはいいなぁ〜、いまごろどっかの避暑地で、ゆっくり休んでるんだろうなぁ」
 
 琥珀の液体に浮ぶ透明な塊を、コロコロとストローで転がしながら、藤木七菜江はポツリと呟
く。キュートという表現が抜群に似合うあどけない少女は、うらやましがっているようでもあり、さ
みしがっているようでもある。
 
 「でも、あんな身体で里美さんをひとりにしちゃって良かったんですか? あたしだってまだこ
んな状態なのに・・・」
 
 襟元や袖口にリボンをあしらった、可愛らしいレモンイエローの洋服の下には、白い包帯がぐ
るぐると何重にも巻かれている。元恋人である久慈仁紀に刀で刺し貫かれた桜宮桃子の肉体
は、いまだに痛々しい。『エデン』による超回復によって、常人の何倍もの早さで治癒してきて
いるファントムガール・サクラの正体である少女だが、激しい運動はとてもできないのが現実
だ。日常生活はともかく、闘いに巻き込まれでもしたら・・・自分に身を置き換えて、桃子はゾッ
とする。
 
 「お嬢様はおひとりになりたかったようです。前回の闘いで苦境に追い込まれた責任を、自分
ひとりで背負われているようでして・・・」
 
 「あんな多人数で、しかもこっちの弱点を狙って襲われたら、誰だって勝てるわけないよ!」
 
 興奮した口調で七菜江が叫ぶ。里美の責任感の強さを、誰よりもいやという程知らされてき
たのは、彼女だった。
 
 「しかし、それが五十嵐里美であるのも確かです。いまは心身ともにリラックスできる時間が
必要なのでしょう。見知った者のいない環境で、ゆっくりするのがいいのかもしれません」
 
 重い空気が室内を支配する。沈黙を打ち破ったのは、桃子であった。
 
 「ヒトキの・・・敵側の情報はなにか入ってきましたか?」
 
 「いえ、久慈や片倉響子、それに神崎ちゆりらの居場所は、依然つかめておりません。なにし
ろ防衛庁でもわずかなものしか彼らの存在は知らされておりませんからな。限られた人員で
は、探索も容易ではありません。・・・防衛庁といえば、ひとつ気になることがありますが」
 
 「なんですか?」
 
 「防衛庁に、特殊国家保安部隊というものがあるのですが、そこに所属していた伊達宗元と
いう男が、谷宿にて不審な動きを見せていたという噂が流れております」
 
 「ふーん」
 
 話の飲み込めない七菜江が、気のない返事をする。
 
 「この特殊国家保安部隊というものは、いわば政府直属の諜報組織、昔でいうところの隠密
組織になるわけですが、実は彼らのほとんどが、実際に御庭番の血を引いた、忍びの後継者
たちで構成されています。伊達もそのひとり」
 
 「え?! てことは、里美さんの部下ってこと?」
 
 ショートカットの少女の瞳が、突然輝き出す。
 
 「五十嵐家は表立って政府と組んでいるわけではありませんから、彼らとの面識は全くといっ
ていいほどありませんが、厳密にはそうなります。お嬢様の一言が、彼らにとって絶対の掟に
なることは、今も昔も変わりません。それが頭領たる五十嵐家と、御庭番衆との関係です」
 
 「谷宿っていうと・・・ちりの本拠地ですよね」
 
 以前は親友の間柄だった桃子は、恐るべき“闇豹”の名を口にした。
 
 「伊達という男は、相当な野心家のようで、世界を牛耳る、ような大言を吐いて特殊部隊を退
部しています。それはつまりは忍びを抜けることも意味しているのですが・・・隠密としての掟に
縛られるのを、相当に嫌がっていたようです」
 
 「じゃ、じゃあ、もしかして里美さんを襲うかも・・・」
 
 七菜江の口調に緊張の色が走る。野心家の元忍者と、悪意に満ちたコギャルが交錯する地
点には、恐ろしい予感が渦巻いていた。
 
 「わかりません。ですが、可能性は否定できないでしょう」
 
 緊張と焦りを浮べるふたりの少女に対して、老紳士はあくまで冷静だった。
 
 「もし襲ってくるならば、なんらかの連絡が入るはずです。それまでは我々はじっと静観するし
かないでしょう。ただ・・・」
 
 「ただ・・・?」
 
 「ただ、この伊達という男、相当な忍術の使い手であるようです。万全な状態でお嬢様が立ち
向かったところで、勝てるかどうか――。今の状態で立ち合うことにでもなれば、勝算はゼロに
等しいと言わざるを得ません。万が一に備えるお心づもりは、お二人とも用意しておいてくださ
い」
 
 
 
 五十嵐里美がひとりで伊賀を訪れたのは、いくつかの理由があった。
 一番の理由としては、肉体のダメージを取るための静養があった。魔人メフェレスの姦計の
前に敗れ、凄惨な拷問を受けた里美の肉体は、根本からの休息を必要としていた。
 また、ひとつには仲間に頼らないよう、己を強くするという意味も込められていた。自分さえし
っかりしていれば、他の4人の少女たちを、あれほどに苦しませることはなかったはずなのだ。
西条ユリには庇われた挙句仮死状態にまでさせてしまったし、里美が捕われなければ、藤木
七菜江が無抵抗に痛めつけられることもなかった。霧澤夕子も結局ファントムガールにさせて
しまったし、桜宮桃子には守るどころか逆に
助けられてしまった。自他ともに里美がファントムガールのリーダーであることは認めていた
が、その自分が足を引っ張っている現実が辛い。あえてひとりになることを選んだのはそのた
めだった。
 そしてもうひとつ、伊賀を選んだ理由がある。
 原点回帰である。
 忍びである自分を見つめ直すことで、自己向上につながるのではないか。脈々と受け継がれ
てきた血を思えば、忍者の故郷である伊賀に足が向かったのは、当然の流れかもしれない。
 この地に伝わる忍び伝承に直接触れることで、戦士としてのレベルアップを里美は密かに期
待していた。だが、淡い期待は見事に外れていた。忍者の聖地で仕入れる情報は、里美がず
っと以前から知っているものばかりだった。予め予想していたとはいえ、少なからぬ落胆が里
美を襲いつつある、この数日であったのだ。
 
 そんな矢先の、想像だにしなかった衝撃―――
 町の中心部から外れた山奥の洞窟から戻る里美の美貌は、蝋のように真っ白になってい
た。
 
 「どしたの、里美? さっきから随分静かになっちゃったけど。化石なんて面白くなかった?」
 
 「ううん、とても面白かったわ。とても・・・。ありがとう、亜梨沙。感謝してる」
 
 「そ、そんなに褒められると照れるなぁ・・・でも、そこまで言うほど良かったっけ? いろいろ
化石は見れたけどさ」
 
 十数分前、奥行き10mばかりの洞窟内で、最近発掘されたという多くの化石群の前に、ふ
たりの少女は立っていた。
 思った以上にくっきりと浮びあがった化石たちは、ほとんどが貝や魚、どんぐりのような木の
実などであった。恐らく当時のゴミ捨て場、貝塚の跡地ででもあったのだろう。別段物珍しい化
石はないが、数が多いのと、見事に浮びあがっているため、巨大壁画のように壮観な趣があ
る。
 おおはしゃぎしている亜梨沙を尻目に、里美が「それ」に気付いたのは、洞窟に来てから10
分ほど経ってのことだった。
 
 初め、その化石は動物の卵かと思われた。
 大きさとしては鶏の卵程度、形もそれに近い。
 しかし、よく見てみると、卵の表面には回虫が這ったような、無数の皺が刻み込まれている。
 里美は、体内の血が逆流していくのを感じた。
 忘れたくとも忘れられないその形状、他の者が見ても、気付くこともなく通りすぎてしまうであ
ろう未知なるその生物―――
 
 『エデン』
 
 “間違いない、あれは確かに『エデン』だったわ。しかし、なぜ縄文時代の化石の中に『エデ
ン』が・・・? もしかすると、『エデン』ははるか以前からこの地球上に飛来していたというの?”
 
 執事である安藤の話によれば、宇宙生命体である『エデン』は、彼らが住む惑星の爆発とと
もに、大量に地球に舞い降りた、という説がもっとも有力視されているということだった。だが、
広大な宇宙を考えれば、爆発と同時に散らばったはずの『エデン』でも、そこで生じたわずかな
タイムラグが、地球に届くころには何百、何千年といった差になっていることは十分に考えられ
そうだった。恐らく『エデン』がいた星というのは、光の速さで何万年とかかるような、気の遠くな
るような距離の彼方にあったことだろう。悠久の時を刻んでやってきた彼らにとって、千年とい
う年月はほんの一瞬に違いない。
 そう考えれば、『エデン』が昔から地球にあったとしても決しておかしくはないのだ。洋の東西
を問わず、奇跡を起こすような超人的人物の伝承は各地に伝わっているが、もしかすると彼ら
の正体は・・・いや、もっといえば人々が見たという“神”の正体とは―――
 
 「なーによォ! ずっと考え込んじゃってさ! 一体どうしたってのよ?!」
 
 「あ・・・ご、ごめん。ちょっと気になることがあってね・・・!!」
 
 元気のいい少女の声で、里美の思考は止められる。だが、現実に引き戻されたことで、美貌
の少女はあることに気付くことができた。
 
 「謝りついでにもうひとつ謝りたいことがあるんだけど、いいかな?」
 
 しなやかでいて、あるべきところは張り出したスタイルの持ち主が、両手を合わせて頭を下げ
る。あらゆる面で完璧な里美であるが、それでいて年下に対しても決して高慢な態度をとらな
いのが、彼女の魅力のひとつだ。
 
 「なに?」
 
 「さっきの洞窟でお財布落としてきちゃったみたい。ホントに申し訳ないのだけれど、取ってき
てもらえないかしら?」
 
 「え〜〜! こっからめっちゃ遠いじゃん! じゃあふたりで行こうよ」
 
 「そうしたいけれど・・・まだ身体の調子が良くないみたい。ここで休んで待ってるから、行って
きてくれないかな?」
 
 腰で腕を組んだ亜梨沙は、露骨に不機嫌な顔をしてみせるが、やがて踵を返すと、緑の生い
茂った山道を引き返して行った。
 ひとり残された里美は、夏の陽射しが洩れる緑の天井を見上げる。樹々の先には濃い緑の
葉が連なり、午後から夕暮れにかけての太陽の光を隙間から地上に落としている。
 土と草と落ちた葉が埋めた山道。傾斜はほとんどないが、細く、周囲を樹木と野草で囲まれ
た自然の道に、黒のティーシャツとロングスカート姿の美少女は、ひとり立ち尽くしている。胸元
の銀のロザリオが時々風に揺れている。
 
 「お望み通り、ひとりになったわ。そろそろ出てきたら?」
 
 自然が広がるばかりで、人影のない景色に美貌の少女は声を掛ける。
 
 「フフン、気付いていたか。五十嵐家の娘というのは本当らしいな」
 
 不意に湧いた低いトーンは、里美の背後から届いてきた。
 こちらも全身を黒で固めた、中年の男。
 さっきまでなにもなかったはずの空間に、男は忽然と現れていた。
 オールバックと口髭が特徴的な男は、ニヒルな雰囲気のなかにも近寄りがたい空気を発散し
ていた。腐敗臭というより、それは闇の匂いに近い。黒いシャツの下には、鋼のように無駄の
ない肉体が隠されていることがわかる。
 
 「私の命が狙い、のようね」
 
 ゆっくりと振りかえった里美が、黒い男と正対する。距離約8m。隠す必要のなくなった闘気と
殺気を、美少女と黒い男は全開にしていく。
 
 「伊賀に来てから、ずっと私を監視していたのはあなたね」
 
 ピクリと男の眉が動く。
 すかさず冷静さを取り戻し、不敵な光を瞳にたたえて男は言った。
 
 「面白いハッタリだな。まるでオレの尾行に勘付いていたかのような――」
 
 「家に入ってこなかったのは正解ね。張り巡らせたトラップは、忍者屋敷の比ではないわ。で
も、3日も同じケヤキの上で監視を続けるのは、あまり利口とは言えないわね。それとも私を甘
くみたのかしら?」
 
 男の唇の端が吊り上がる。
 里美が現在住む別荘の敷地内、南側に立ったケヤキの木の上で、彼は3日間里美を見張り
続けていた。
 
 「その若さで大したものだ、五十嵐の次期頭領よ。名を名乗ることにしよう。御庭番衆の末
裔、伊達宗元だ。お前を殺して、現代忍者の頂点に立つ男の名、よく覚えておくがいい」
 
 「・・・自信たっぷりなのね」
 
 里美の姿勢が低くなる。その額には珠のような汗が浮びあがっている。
 
 ”この男・・・強い”
 
 強さを判断する材料はなんであるか? 
 肉体を見ればある程度わかる、というのは言えるだろう。筋肉のつき具合、皮膚の張り・ツ
ヤ、拳ダコ、潰れた耳・・・様々な情報が強さの断片を教えてくれる。また、歩き方や骨格の動
かし方など、仕草などからわかる情報もある。
 だが、もっとも判断材料にするのは、里美の場合、雰囲気だ。
 強者はそういう匂いを放っている。オーラと言い換えてもいいかもしれない。蛙が蛇に出遭っ
たとき、ガゼルがライオンに遭遇したとき、学んでいるわけでもないのに、彼らが死を覚悟する
のは同じような理由からなのではないか。
 
 その雰囲気が、伊達宗元という男は圧倒的に、強い。
 負けることなど可能性すら考えていない、自信と自負に満ち溢れた空気が、暴風のように噴
き出している。
 闘争に対する、絶対的な自信がこの男にはあるのだ。
 
 「しかし、オレの存在に気付いていながら、あのやかましい小娘を追っ払ったのは失敗だった
な。みすみす墓穴を掘ったようなものだ」
 
 「関係ない彼女を、巻き込むわけにはいかないわ」
 
 「クク・・・さすが、ファントムガール。正義感の強さは本物のようだな」
 
 切れ長の里美の瞳が、カッと見開かれる。
 額から頬に流れた汗が3条、透明な跡を残して白い皮膚を這う。尖った顎から落ちる雫が、
ポタポタと、静寂に包まれた森に音を奏でる。
 
 「どうしてそれを?」
 
 「派手な小娘に教えてもらった。大層お前のことを憎んでいるぞ。お前を殺すのは、そいつの
願いでもある」
 
 金のルージュを歪ませた、闇豹の哄笑が、里美には聞こえてくるようだった。
 神崎ちゆりを知っているということは、まず間違いなく伊達宗元はミュータントであろう。
 となると、安易にトランスフォームはできない。単なる殺し屋相手なら、いざとなったら卑怯か
もしれないが巨大化して退散させることができる。だが、相手も『エデン』の寄生者となるとそう
はいかない。ファントムガールになれば、敵もミュータントになる。戦闘が目立つだけでなく、被
害の拡大は避けられない。
 
 “く・・・ここは、なるべくトランスしないで闘わないと・・・でも、今の私がこの男に勝てるのかし
ら・・・?”
 
 「おしゃべりはもうよかろう。そろそろ始めるぞ」
 
 あえて戦闘開始の合図を行ったのは、伊達宗元の余裕が成せる技だったか。
 だが、次の瞬間、一気に距離を詰め、突風のごとく懐に潜り込んだのは、華奢な少女の方だ
った。
 
 「おおおお?!!」
 
 眼前に現れた憂いなる美貌に、伊達の全身が総毛立つ。驚愕の叫びは自然に口を割ってい
た。
 里美の手が煌き、縦横無尽に黒ずくめの男に襲いかかる。いつのまにか、白魚のような両手
には鋭く光る苦無が握られている。重傷が癒えていないはずの少女の動きはあまりに速く、休
むことなく斬りかかる太刀筋の確かさに、野望の忍者は戦慄した。
 
 「ふッ!」
 
 伊達が口を尖らせる。奥の手として使うはずだった含み針が、迫る里美に光速で放たれる。
 よけた。
 予期せぬ攻撃。不意をついたはずの毒針は、しかし、あっさりと首を振ってかわされていた。
 一瞬、苦無の嵐が止む。その隙に、伊達は大きくバックステップで飛び、距離を置いた。
 深窓の令嬢とよぶに相応しい容姿の少女の攻撃は、伊達が知る防衛庁の精鋭たちを、遥か
に上回るスピードと正確さで彩られていた。決して動きやすいはずがないロングスカート姿は、
舞飛ぶアゲハ蝶に似て、華麗で優雅。なのに、素早い。ようやく暗殺者は、彼が葬ろうとしてい
る水仙のような美少女の、外見にそぐわぬ実力を実感する。
 
 “なんというスピード!! 一瞬たりとも気が抜けぬ”
 
 飛びのいた伊達が着地するする地点に、銀色の閃光が疾走する。
 3つの苦無がくノ一の優雅な指先を離れ、黒い男に殺到する。手にした短刀で、身体の中心
線めがけて飛来した暗器を、伊達は弾き落とす。
 
 「やるな! 五十嵐の娘!!」
 
 木立の間を稲妻となって駆けながら、伊達が十字手裏剣を放つ。ピストルの弾丸よりも信頼
する、暗殺者のエモノは、適度に散らばりながら女忍者を襲撃する。
 
 ブオオオオオッッッ!!!
 
 五十嵐里美の優雅な肢体が、風車のように連続で後方宙返りを切る。新体操で鍛えた、抜
群の平行感覚と技のキレが、光速で襲いくる銀光を凌駕する。ザクザクと土に刺さる手裏剣を
振りきり、潅木に捕まった里美の身体は、重力を無視するように、枝から枝へと飛んでいく。そ
の身軽さはまるで森の生物だ。あまりの高速に里美の姿は見えず、葉のざわめきだけが次々
に移動していく。
 
 「そこだ!」
 
 飛行位置を予測した、伊達の左手が大きく振られる。放たれた無数の手裏剣の嵐が、空中
で身動きの取れないくノ一に殺到する。
 
 銀の条線に全身を撃たれ、ハリネズミと化した里美の姿。
 伊達がイメージした光景は、現実にはならなかった。
 直撃の寸前、凶器はバリアを張られたように弾き飛ばされていた。
 驚愕に目を剥く伊達を、諭すかのように蕭然と着地する令嬢戦士。
 その手には、普段は太股に巻いて隠してある、新体操用の白いリボンが渦を巻いて踊ってい
る。スクッと立ち構える美少女の姿は、眩暈を覚えるほどに凛々しい。
 
 「そんなもので手裏剣を弾いたというのか・・・速さ、技術、気構え、どれもが超一流の域に達
している。五十嵐の名に恥じぬ強さだ」
 
 「あなたこそ、これほどの腕をもっていながら、欲望に負けてしまったなんて・・・惜しいわね」
 
 “なんという小娘だ。体術だけならこのオレと互角・・・いや、万全の状態ならば恐らく上をいっ
ている。この若さで、一体どんな修行をしてきたのだ?”
 
 日本を代表するセレブとして、上層階級の令嬢を完璧に演じる一方、忍びとしての英才教育
を徹底的に叩きこまれてきた少女の奥深さが、同じく厳しい環境で生き抜いてきた伊達ゆえに
思い知らされる。
 
 「素晴らしいな。よく鍛えられている。全力を出さねばならないようだ」
 
 リボンをいつでも戦闘用に使えるよう準備しながら、里美は思慮深い紺青の視線を送る。美
の神に愛された顔に、珠の汗が浮んでいる。
 全力を出す、という言葉はハッタリではない。先の攻防は確かに伊達の全力ではあったが、
本領ではなかった。隠し持っている老練な術こそが、真に恐るべき、この男の実力―――修羅
場をくぐり抜けてきた里美の嗅覚が、そう教えてくれている。
 
 「惜しむらくは、オレと相対するには、もう少しマシな体調であるべきだったな、五十嵐里美」
 
 伊達の両手がエックス字に振られる。空間を切り裂き、数え切れない鋭利な刃が、一直線に
黒の天使に向かっていく。
 高速回転するリボンが、白い盾となって手裏剣の嵐を防ぎきる。全ての銀光を弾き飛ばした
とき、オールバックの暗殺者の姿は、里美の視界から消えていた。
 
 《どうだ、オレの土遁を破れるかな・・・?》
 
 どこからともなく伊達の声だけが聞こえてくる。切れ長の瞳を凝らす里美だが、黒い姿は見つ
けられない。土に潜ったか、樹に擬態したか・・・己を隠す伊達の術は、現代忍者の次期総帥
たる少女をしても、看破できないものだった。
 ボトボトと額を流れる汗が、大量に足元に滴っていく。
 里美に異常な汗をかかせるのは、見えない敵の恐怖だけではなかった。
 
 “う・・・か、身体が・・・・・・・軋む・・・・・・・目が・・・霞んできた・・・・”
 
 傷んだ肉体に無理をさせたツケは、早くも限界となって現れてきた。
 さらに、麗しき少女戦士を不測の事態が襲う。
 
 RRRRRRR・・・
 
 前後左右上下、全方位から飛んでくるかもしれぬ襲撃に備え、集中力を高める里美の腰に
つけた携帯電話が、甲高い着信音を奏でる。
 自然の森にいつまでも機械の呼び出し音が響く。里美の顎から、雫が落ちる。
 やがて音がやんだ携帯は、メッセージを録音し始めた。あどけない少女の声が、死闘の森に
こだまする。
 
 (もしもし、里美さん? ナナエです、元気にやってますか? えと、ですね・・・今安藤さんに聞
いたんですけど、なんか伊達とかって男が里美さんを狙ってるかもしれないんですよ。御庭番
の子孫なんだって。大丈夫とは思うけど、もしなんかあったら、すぐに連絡してくださいね! じ
ゃあ、早く帰ってきてくれるの、待ってます)
 
 ピーという録音終了の合図。
 
 《くくく・・・なるほど。その携帯が、仲間との通信手段ということか》
 
 悪意に満ちた低い声が、暗い森に流れていく。長年の修行が体得させた、伊達の隠れ身の
術により、里美は敵を完全に見失っていた。全感覚を張り巡らせたアンテナが、伊達の技の前
に通用していない。携帯の存在を知られた焦りが、少女忍者に一瞬の隙を生ませる。
 
 左斜め後方。
 茶色の土の中から、漆黒の鎖が一直線に里美に迫る。
 爆発した殺気が、里美に危機を教えた。アスリートであることを示す速度で振り向いた令嬢
が、リボンで鎖を迎撃する。
 絡み合う鎖とリボン。黒と白が螺旋を描いて空中で固まる。
 その一瞬の静止が里美にとって、致命的となった。
 
 それはいかなる忍術なのか、土に潜っているはずの伊達とは、全く掛け離れた場所から、別
の黒い鎖が里美を襲う。
 上空の緑生い茂る葉の中から飛んだ鎖は、美少女の細く白い首に絡みつき、一気に引っ張
りあげていく。
 
 「うッッ!! くううッッ・・・・・・うぐぅッッ!!」
 
 食い込む鎖を解こうと、反射的に里美の指が首にいく。首から下が無防備になったくノ一を、
土中から飛んだ追撃の鎖が捕らえ、あっという間に背後の杉の樹に縛りつけていく。
 
 「くはははは! 勝負あったな、五十嵐里美!」
 
 土煙を撒き散らし、鎖が飛んできた土中から、黒い男が姿を現した。顔に張りついたのは、
勝利を確信した笑顔。ぐるぐるに鎖に巻きつかれ、杉の樹に縫いつけられた哀れな女子高生
に、悠然とした歩みで近付いていく。
 
 メシ・・・メリメリメリッ・・・・・・ミチミチミチ・・・・・・
 
 「げほオッッ!! げほげほッッ・・・あぐぐぐ・・・ごぼオッッ!!」
 
 首に何重にも巻きついたもうひとつの鎖が、容赦なく束縛された美少女の首を吊り上げてい
る。窒息と、首の骨が軋む苦しさに、白い肌を真っ赤にして、里美は喘ぎ続ける。潤んだ唇の
端から、涎がすうっと垂れていく。両腕を封じられた里美が出来るのは、首を絞められる拷問
に、ただビクビクと震えることのみ。
 絞首刑に処された少女の傍らに立った男は、腰に付けられた携帯電話を容易く奪い取った。
 
 「さて、こういう厄介なものは始末しないとな」
 
 天高く真珠色の通信機を投げると、右手を振る。
 パキャッ、という音を残して、槍となった鎖がケータイのど真ん中を貫く。緑に光っていた液晶
画面が消える。
 
 「これで万が一にも助けを呼ぶことはできなくなったな。抵抗できないその身体、じっくりと切り
刻んでやろう」
 
 首吊り責めに顔を朱に染めて悶える里美に、鋭く光る短刀が当てられる。すっ、すっ、すっと
三度動く刃。三条の線が腹部に描かれるのを、里美はただ霞む視線で見下ろすしかなかっ
た。ティ―シャツが裂けたところから、じっとりと鮮血が滲んでくる。
 忍刀が動く。トドメとばかりに振り上げられた凶刃が、聖天使の心臓めがけて振り下ろされ
る。
 
 ズバッッ! という音とともに刀が裂いたのは、黒い布地と少女の皮膚までだった。
 束縛されていたはずのくノ一が、戒めを解いて絞首刑を脱出している。風となった里美の身
体が、瞬時に10mを跳んで暗殺者から離れる。
 
 「なんだとッ?!」
 
 関節を自在に外せる極意と、新体操で鍛えた柔軟性が、縄抜けの術を成功させていた。忍
術では遅れを取っていた感のある里美が、傲慢な影の鼻を明かしてみせる。
 だが―――
 
 「ハアッ! ハアッ! ハアッ! ううう・・・ゴホゴホオッッ!! う・・・くううぅ・・・・・・・あ・・・カハ
アッッ!!」
 
 すでに限界を迎えていた少女にできる反抗は、そこまでであった。
 四つん這いになった里美の華奢な身体が、ビクビクと震え続けている。紅潮し、汗で濡れ光
った頬に、べっとりと長い髪が纏わりつく。いまだ闘志を失わない眼光は、しかし、悔しさに歪
み、襲いくる疲労と激痛の渦に、ただ睨んでみせるのが精一杯であった。長い睫毛が哀しげに
揺れる。
 
 “身体・・・が・・・・・・・うごか・・・ない・・・・・・・・・こ、これまで・・・・なの・・・・?・・・・・”
 
 「見事な縄抜けだった! しかし、どうやら限界のようだ!」
 
 大地に這いつくばる少女戦士に、野心に捕らわれた暗殺者が殺到する。その手に光るの
は、血に餓えた忍刀。
 里美の瞳に、煌く刃と、伊達の吊りあがった笑みが映る。
 
 “殺られる・・・・・・”
 
 痙攣するしかない次期総帥に、反乱忍者の死の手が振り下ろされる。
 
 カキーンンン・・・・・
 
 金属と金属が打ち合わされる高音が響く。
 刃渡り60cmほどの短刀は、それよりさらに短い、15cmほどの苦無によって、見事に受け
止められていた。
 這いつくばったままの姿勢で、一瞬何が起きたか、理解できなかった里美が茫然と視線を送
る。
 見上げた先にあったのは―――
 
 「ふぅ〜〜、危ない、危ない。ちょっとォ、我らが次期頭領、こんなとこで殺られたら、シャレに
なんないじゃん」
 
 四方堂亜梨沙。
 まさしく疾風のように、迫る伊達と里美の間に割り込み、必殺の凶刃を受け切っていたのは、
いかにも今時の女子高生といった様子の、制服姿の少女だった。
 
 愕然とする黒い男の前で、小柄な少女が独楽のように回転する。
 140cmほどの小さな身体のどこにそんな力があるのか、回転力と脚力を十分に乗せた回
転後ろ回し蹴りが、最高のタイミングで叩き込まれる。その威力は、ヘビー級プロボクサーの
ボディーブローを思わせた。鳩尾に突き刺さった右足の破壊力に、伊達の顔が苦悶に爆発す
る。
 
 「ぐ・オオオッッ!!・・・オ・オ・オ・・・」
 
 亜梨沙の右手が袈裟切りに振られる。間一髪、よろめきながら追い打ちの斬撃をよけた伊
達の胸に、深紅の斜線が刻み込まれる。
 
 「ぐうううッッ・・・きッ、貴様ッッ!! 何者だッッ?!」
 
 「あんたと一緒よ、伊達宗元さん。こう見えても伊賀忍者の末裔、四方堂亜梨沙を舐めないで
よね!」
 
 小柄な少女が無数の手裏剣を放つ。抜群のコントロールで投げられた鉄の凶器が、動揺す
る暗殺者の急所を狙う。
 受け切るのが無理と判断した伊達の身体は、瞬時に5mほどの高さの枝へと跳んでいた。外
れた手裏剣が、固い広葉樹の幹に刺さる。
 
 「くッッ・・・おのれ、小娘・・・五十嵐里美、命拾いしたな! 今日はいったん引き上げるとしよ
う。次に会うときが、新たな御庭番頭領の誕生と知れ」
 
 枝を蹴った影の姿が見えなくなる。葉のざわめきとともに、黒い殺気は山林の奥へと消えて
いった。
 
 「ホントは里美“様”って呼ばなきゃいけないんだけどさ、別に里美でいいよね?」
 
 驚いた表情のまま固まった里美を、亜梨沙は肩を貸して抱え起こす。常に冷静な里美に珍し
く、危機が去ったいまでも、彼女の美しい顔は唖然としたままだった。
 
 「あ、亜梨沙、あなた一体・・・」
 
 「あのねぇ、財布落としたなんて、わかりやすいウソ言わないでよ。騙されたフリすんの、難し
いんだからね。私たちの頂点に立つ人間の腕を見せてもらおうと思ってたんだけど、マジで殺
られそうになっちゃうんだもん、焦ったわよ」
 
 悪戯っぽい微笑みを、小さな少女は浮かべてみせる。
 
 「『長老』からあんたを守るように言われてるからね。さ、まずは家に帰ろ。態勢を整えないと
ね」
 
 
 
 「やっぱりダメだ・・・携帯も普通の電話も通じない。どうやらこの辺りの電話線は、みんな切ら
れちゃったようだね。完全に孤立しちゃったみたい」
 
 クリーム色の受話器を、四方堂亜梨沙はそっと置く。五十嵐家の別荘内。すっかり夕闇に包
まれた応接間で、ふたりの少女に緊張の色が翳る。
 
 「あいつ、どうしても里美を倒したいみたいだね。そんなに忍者の頭領なんてなりたいのか
な? そんな無茶苦茶なことしても、アリサたちが認めるわけないのに」
 
 「けれど、実際に私が殺されたら、周囲は五十嵐の名についてこなくなるわ。掟は絶対とはい
え、忍びの世界も実力社会。伊達が頭領になるというのも、決して夢物語ではない。圧倒的な
実力差を見せられたら・・・いくら気持ちで反感を抱いていても、従ってしまうものよ」
 
 伊達宗元の野望を、里美はよく理解していた。
 里美自身はほとんど感じないが、政・財・官界だけでなく、裏社会にも大きな影響をもつ御庭
番の宗家になるということは、野心を持つ者にとって、実に魅力あるポストに違いなかった。だ
が、普通はそんな大それた考えは持たない。宗家に牙を向けることは、命を落とすリスクを伴
うからだ。実際に伊達も、防衛庁を辞めたあと、野望を秘めながらも五十嵐に歯向かう発想は
持っていなかったのだ。
 だが、あの人物との出遭いが、あの生物との出遭いが、彼を凶行に駆り立てたのだ。
 
 「『エデン』か・・・そんなにパワーアップするものなの? アリサ、勝てそうな気がするんだけ
ど」
 
 「ダメよ、伊達は危険な相手だわ」
 
 琴を奏でるような里美の声は、落ちついていながら強く響いた。勝気な少女は、やや不満そう
な表情を露にする。
 
 「確かに武器を使った戦闘では、亜梨沙は十分渡り合えると思うわ。けれど、伊達の姿を消
す技術、それに全くの別方向から攻撃してくる不思議な術は脅威だわ。しかも、奴の忍術には
まだ奥があるような気がするの」
 
 「それは里美がヤラれそうになったからじゃないの? こう言っちゃなんだけどさぁ、アリサ、
里美より強いと思うんだよね。ミュータントかなんか知らないけど、里美が勝ってきた奴らなら、
アリサにも勝てると思うんだけど」
 
 亜梨沙には、里美がファントムガールであることも、『エデン』のことについても、ほとんど全て
のことが伝わっていた。
 仮にも命を懸けて、強敵から人類を守ってきた里美だが、亜梨沙の発言を否定することはな
かった。
 
 「・・・亜梨沙は自分に自信があるのね」
 
 「まあね♪ 一応これでも、大事な大事な宗家さまを守るよう、『長老』から直接使命を受けて
るからね。里の中じゃあ、1、2を争う腕は持ってるつもりだよ。里美んとこの執事さんから、た
〜っぷりと頼まれちゃってるもん、『お嬢様をよろしく』ってね!」
 
 里美が伊賀に向かう前から、五十嵐家の執事・安藤は、里美が現れた時に護衛をつけるよ
う、伊賀の里に連絡をいれていたのだった。長年里美の面倒を見てきた彼にすれば、里美の
行く場所を予想するのは、さしたる困難ではなかっただろう。
 忍者の故郷・伊賀といえど、その住民の多くは忍者とは関係ないものがほとんどである。祖
先はともかく、今は単なる農家、という家も多い。しかし、脈々と血を受け継ぎ、草の者としての
裏の顔を持ち続けている一族も存在しているのである。
 亜梨沙の言う『長老』とは、そんな忍者の血を伝える者たちの、長というべき存在であった。
現代忍者の頂点は五十嵐家とはいえ、通常時での関与はほとんどない。伊賀の里での実質
的リーダーは、『長老』が代々務めてきたのだ。その『長老』に、安藤から里美を守るよう依頼
があり、護衛役として四方堂亜梨沙が選ばれたのだった。役目を全うするために、彼女には里
美の全てが語られていた。ファントムガールであることや、『エデン』のことも含めて。
 
 影たる存在である伊賀の者たちが、表舞台に出ることはない。宗家に対しても正体を明かす
ことを嫌った彼らは、亜梨沙ひとりに任せる形で、他の者は影に徹することを決めていた。『長
老』を始め、現在の窮地に誰も助けを名乗り出ないのは、そのためだ。里美もその真意は十
分に理解している。恐らく、里美自身か、亜梨沙が救いを求めない限り、彼らが姿を見せること
はないだろう。それは里美にとって、好都合なことであったが。
 
 「じゃあ、これからどうすんの? アリサに闘うなっていうけどさ、仲間を呼ぼうにも、特別回線
のケータイは壊されちゃったじゃん。普通の回線は伊達に切断されたみたいだし。ここを出て、
家に帰る? そうすれば仲間のファントムガールに助けてもらえるもんね」
 
 「いえ、伊達の狙いは御庭番宗家の血を引く私だけよ。私以外のファントムガールには興味
はないはず。あのコたちを危険な目に遭わせないためには、伊達はここで倒さなければならな
い」
 
 決意に満ちた瞳が揺れる。
 伊賀を離れ、五十嵐の家に帰れば、当然伊達は追ってくるだろう。あの野心に燃える男が、
どんな手段を取ってくるか。みすみす愛すべき仲間たちを危険に晒すようなものだ。
 里美がひとりになることを選んだ理由、それは仲間に頼ることなく、独力で苦境を乗り切る力
を養いたいためであった。ただでさえ、七菜江たちに頼りたくないのに、個人的な闘いで、迷惑
をかけるわけにはどうしてもいかない。
 絶対に、絶対に、伊達は私ひとりで倒してみせる。
 強い気持ちが、月のような美少女に燃えあがっている。
 
 「んなこと言ったってさぁ、里美の今の体力じゃあ、あいつには勝てないよ。意地張らないで、
素直に助けに来てもらったら? 多分『長老』なら、秘密の回線とか知ってて、執事さんと連絡
取れると思うよ。アリサが頼んできてあげよっか」
 
 「いいわ。気持ちは嬉しいけど、仲間の力は借りたくないの。私ひとりで伊達は倒すわ」
 
 「強情だなー。見掛けによらず、里美って結構わがままなんだね! わかった、助けは呼ばな
い。じゃあさ、その代わり、アリサが付き合ってあげるよ」
 
 小柄な少女のことばには、熱がこもっている。だが、里美は冷淡といわれても仕方ないほど
あっさりと、少女の申し出を断った。
 
 「亜梨沙も私には構わないで。助けてもらったことは感謝してる。でも、これ以上、誰の手も借
りたくないの」
 
 「ちょっとオ!! あんた、いい加減にしなさいよ!!」
 
 ついに“キレ”た亜梨沙が、整えた細い眉毛を吊り上げる。キツめの瞳には、怒りが炎となっ
て渦巻いていた。
 
 「さっきから、なにわがまま言ってんのよ!! あんた、自分の立場わかってんの?!! 宗
家なのよ! あんたが忍者の頭領になるのよ! 簡単に死なれたりしたら困るのよ!! あた
しだって、あんたを守るのが使命なのッ!! あんたがよくてもこっちが困るのッ!!」
 
 「私だってわがまま言いたい時はあるわ! もう嫌なの、私のために誰かが傷ついたり、苦し
むのは。自分のことくらい、自分で処理できるわ!」
 
 「あんたねぇ、守ってる人間の気持ち、わかってんのッ?!!」
 
 「わかるわよ! だから嫌なのよ! 皆、私のことを一生懸命守ってくれるわ。でも、だからこ
そ嫌なのよ! 私のことで傷ついて欲しくないの!」
 
 乾いた音が応接間にこだまする。
 小さな掌を思いっきり振った亜梨沙の平手打ちが、里美の白い頬を激しく叩いていた。
 みるみる紅潮する頬に、里美はそっと指を添える。
 
 「そういうのに耐えるのが、リーダーってもんでしょオがッッ!! 
なに甘えてんのよッッ!!!」
 
 激昂する亜梨沙の言葉に、麗しき少女は口を噤んだ。
 
 「あんたのために死んでいったり、傷ついたりしていく人間たちの、想いを背負って生きていく
のがあんたの使命でしょオがッッ!!! なに逃げてんのよッッ!!」
 
 激しい口調で、小さな少女は己の主たる美少女を責めたてる。俯く里美は左頬に指を当てた
まま、じっと動かない。じんじんと頬が痺れ、やけに熱く疼く。今までのどんな敵の攻撃より、亜
梨沙の張り手は効いた。
 
 「もういいッッ!! こんな情けないやつ、守るのバカらしくなったッ! 勝手にすればいいじゃ
ん。そんな身体で勝てるわけないのにわがまま言って・・・ホント、バカみたい!! 皆の想い
踏みにじって、ひとりでわがまま言って! 勝手にしろオッッ!!」
 
 駆け出した亜梨沙が、応接間の扉を力一杯閉めて飛び出ていく。バタン! という大音響
が、立ち尽くした令嬢の全身を叩く。
 廊下をバタバタと駆ける音が遠ざかっていき、玄関の扉を閉める大きな音が、もう一度響き
渡る。
 
 「里美のバ〜カッ!!」
 
 わずかに届いた少女の叫びは、里美にはそう聞こえた。
 飛び出ていく少女を止めることすら出来ず、ただ立ったまま動かない里美を、夜の帳が包ん
でいく。忍者の少女が遠く、別荘を離れたあとも、里美の身体は動かなかった。
 完全に夜が世界を支配するころ、それでもまだ、赤くなった頬は、痺れたままだった。指先に
触れる感覚が、里美にはいつまでもいつまでも熱く響いていた。
 
 
 
 3
 
 ―――どうしてナナちゃんは、もっと闘いに徹しられないの?!
 
 五十嵐里美の口調には、厳しい響きが含まれていた。注意する、という明確な意思が、誰に
でもハッキリとわかるぐらいに。
 闘いのあとの反省会。五十嵐家の地下にある作戦室で、巨大なモニターを見ながら5人の少
女は、先日の苦闘を振り返っていた。場面はファントムガール・ナナが、豹の化身マヴェルと、
タコのキメラ・ミュータント、クトルと対峙している時のもの。攻勢に出ていたナナは、マヴェルの
口から里美が人質であることを告げられた瞬間、動きを止めてしまっていた。
 
 「だって、里美さんを殺すっていうんだもん」
 
 「ここはもっと冷酷にならなきゃダメよ。敵の脅しに屈して、あなたまで殺されたらどうする
の? 捕まった私が悪いんだから、見捨てるくらいでいいのよ」
 
 「そんなこと、できないよ」
 
 他の少女たちも見詰めるなか、藤木七菜江は、里美の注意をはっきりと拒絶した。
 
 「できないって・・・」
 
 「里美さんが殺されるなんて、ダメだよ。あたし、ファントムガールになった時から、里美さんを
守るって決めてる。大事な人を守るためにファントムガールになったんだもん。里美さんはあた
しが守るよ」
 
 普段陽気な少女の視線が、里美にはやけに眩しかった。
 
 
 
 ―――四体のミュータントが、ファントムガールになった里美の四方を囲んでいる。
 闇の魔力が高まっているのがわかる。光と対を成す闇の攻撃を一斉に浴びせ尽くし、ファント
ムガールを抹殺するつもりなのだ。圧倒的な力の差、状況の不利を思い知った里美の心を、
敗北の暗い影が飲み込んでいく。
 
 「ファントムガールッッ!! まだですッ! まだ終わっていませんッ! いま助けますからッ
ッ!!」
 
 窮地を救ったのは、先に魔獣どもの総攻撃を浴び、瀕死に陥っていたはずのファントムガー
ル・ユリアだった。結果的に里美を二度も救った少女は、代わりとなって悪魔の蹂躙にあい、
敗死した惨めな姿を晒すことになったのだった。
 
 「ユリちゃん、あなたにはいつも助けられてるわよね」
 
 一度は死に追いやられた黄色い戦士が復活してから、しばらくたったある日、ふたりきりにな
った里美は、常日頃から思っていた感謝の言葉を西条ユリに告げた。
 
 「・・・そんな・・・・・・助けられているのは・・・・・・私の方です・・・」
 
 「ううん、ありがとう。あなたをこんな闘いに巻き込んだのは、私なのにね」
 
 白い制服に身を包んだスレンダーな少女は、恥じらいに頬を染めて、俯きながら言った。
 
 「・・・里美さん・・・そんなこと、気にしないでください・・・私・・・・・・里美さんのために闘えるの、
嬉しいんです・・・・・・」
 
 
 
 ―――聖愛学院の第二物理実験室。
 夏休みの間、学生に開放されている空間は、半ば霧澤夕子の所有物になっていた。連日研
究のために通う夕子にとって、長い休暇はこれとないチャンスでもある。
 ほとんど他人を入れたことがない実験の場に、珍しく夕子以外の人影があった。
 
 「ナナちゃんも、ユリちゃんも、そういうこと言うのよ」
 
 実験室の丸い椅子に腰掛けた五十嵐里美が、夕子が淹れてくれたコーヒーに口をつける。
芳香を放つ液体は、実験室備え付けのガスバーナーで温めたインスタントだ。自分用の黄色
いマグカップで、同じものを口に運ぶ夕子が言う。
 
 「で、里美はどう思うの?」
 
 学年はひとつ下だが、夕子だけは里美に敬語を使わない。そんな関係の方が、ふたりにとっ
ては自然なようだ。当人たちはもちろん、周りの者も気にしていないのが、その関係が妥当で
あることを示している。
 
 「そりゃあ嬉しいわよ。ふたりとも、私のために闘ってくれるって言うんだもの。でも・・・」
 
 「でも・・・リーダーとしては辛いって?」
 
 「本来なら、私があのコたちを守ってやるべきじゃない。それが逆になってるなんて・・・」
 
 「里美はよくやってるよ。ふたりだけじゃない、私も桃子も守ってもらってる。それに」
 
 不意に立ちあがった夕子は背中を見せる。ツインテールの肩越しに、冷徹とさえ噂される少
女は言った。
 
 「それだけ魅力があるのよ、里美には。あんたのために命を賭けてもいいって思ってるの
は・・・七菜江やユリだけじゃないわよ」
 
 照れくさそうに話す夕子の赤く染まった頬が、里美には愛しかった。
 
 
 
 ―――びっしょりと濡れた髪を額に張りつかせて、桜宮桃子は仰向けに横臥していた。荒い
息を吐くたびに、小さな肩が激しく上下する。
 
 「今日はこの辺にしようか。かなりバテちゃったようだし」
 
 「・・・・・・疲れ・・・ましたぁ〜〜・・・・・・」
 
 整った顔立ちに珠のような汗が浮んでいる。全力を出し切った後の爽やかさが、桃子の笑顔
に滲んでいた。
 
 「リハビリがてらの特訓って・・・・・・ちょっとキツクないですかぁ〜〜?」
 
 「そうかもしれないけど、大切なことよ。これからどんな敵が襲ってくるか、わからないんだか
ら。ちゃんと超能力をコントロールできるようにしとかないとね。あと、ファントムガールとしての
闘い方も、ある程度身につけないと。必殺技もつくらないとダメかな」
 
 「ひえ〜〜ッ、里美さん、厳しいですよォ〜〜・・・」
 
 世界で唯一のファントムガール専属コーチは、基本的には普通の女のコである桃子を鍛え
始めていた。七菜江もユリも夕子も・・・みんな同じように光のエネルギーの使い方と、戦闘の
基礎を、里美から学んだのだ。
 ようやく桃子の呼吸が整い始めたころ、里美は長い間、心に巣食っていたことを質問した。
 
 「どうしてあの時、里美さんを助けたかってことですか?」
 
 それは二人が初めて会った日、久慈の秘密基地から脱出する時の話だった。
 
 「テレポートできるなら、自分が逃げればいいじゃない。どうして私を助けたの?」
 
 「だって、自分が助かるより、ひとを助けたいじゃないですか」
 
 サラリという桃子だが、その志は遥かに高い。しかも少女はそれを実践しているだけに尚更
だ。夢は介護士という桃子らしい発想ね、里美は思う。
 
 「あと、あたしより、里美さんが助かった方がいいじゃないですか。人類のためにも」
 
 「・・・桃子もそんなこと言うのね」
 
 何気に複雑な表情を浮かべた里美に、桃子は仄かに色気漂う美貌を、ニッコリと綻ばせた。
 
 「そうですよ、言いますよ。だって、あたし、里美さんのこと好きだから」
 
 
 
 ―――目の前で小学校低学年ぐらいの男の子が泣いている。
 後にあれほどの肉体を誇る格闘獣になるとは思えない、小さな身体。溢れる涙を止めようと
もしない、くしゃくしゃになった顔には、確かにあの男の面影が残っていた。
 
 「コースケが、泣くことないでしょ」
 
 幼いころの姿に戻った里美が言う。顔には泥がこびりつき、口元にはうっすらと血が滲んでい
る。紺色のワンピースは、ところどころが破れていた。
 そういえば、昔はよくイジメられたな・・・お金持ちの令嬢という理由だけで、近所の子供達
は、イジメの標的に里美を選んだ。すでに御庭番宗家たる修行を開始していた里美にすれば、
数人の児童を撃退するのは容易いことであったが、親代わりとなって育ててくれた執事のきつ
い厳命により、手だしをすることは固く禁じられていた。
 
 「私は平気なんだから、コースケは泣かなくていいの」
 
 泥まみれになった少女は、顔を真っ赤にして泣きじゃくる少年の頭を優しく撫でる。そう、あの
ころは、私の方が背が高かったのよね。六年生の男子5人が無抵抗の里美を殴るのを、小さ
な少年は、ただ泣き喚きながら、遠巻きに見ているしかなかった。
 
 「オレ、強ぐな゛る゛〜〜〜ッッッ!!!」
 
 流れる涙を拭きもしないで、少年は叫んだ。
 
 「絶対にづよ゛ぐな゛っで、里美を守っでや゛る゛ッッ〜〜ッッ!!!」
 
 天に向かって咆哮するようなその言葉が、本気であったと知ったのは、二日後、少年が空手
道場に通い始めたと聞いた時だった。
 
 
 
 「わがまま言うな、か」
 
 頭の中で繰り返される四方堂亜梨沙の言葉を、里美は知らず呟いていた。
 亜梨沙がいう意味は、よくわかっているつもりだった。仲間の力を借りず、ひとりで闘いたいと
いうのは、どう理由付けしようとしたところで、わがままであることには違いない。まして、万全
には程遠い体調であるのだから、護衛役の亜梨沙としては堪ったものではないだろう。
 だが、ここで誰かに頼ってしまったら、なんのためにここに来たのかがわからくなる。頼りたく
はなかった。頼ってはいけなかった。誰にも。ひとりで闘い切る、強い自分にならなければなら
なかった。
 
 左頬が、まだヒリヒリと痛む。もっと痛むところが胸のあたりにある。
 なぜこんな気持ちにならなければいけないのだろう?
 なぜ亜梨沙に叱られねばならなかったのだろう?
 なぜこんな辛い想いをしなければならないのだろう?
 私は間違っているの? 間違ってても、皆が幸せになれるんならいいんじゃないの? このや
り方じゃ幸せになれないの? どうすればいいの? 頼って生きていくの? わがままじゃダメ
なの? みんなの気持ちを背負わなくちゃいけないの? 逃げちゃダメなの? ひとりで闘っち
ゃいけないの? どうすればいいの? どうすればいいの!
 
 「貴様・・・」
 
 「要は・・・私が強ければいいのよ! 亜梨沙を、みんなを、心配させないように。守ってもら
わなくてもいいように!」
 
 凛とした美少女の声が、暗黒の森に響き渡る。
 人が通る道の絶えた山奥の、さらに奥。地図にさえ載ってないような大自然の中で、焚き火
の炎が、対峙するふたつの影法師を照らし出す。夏とはいえ、冷え込みはじめた真夜中に浮
ぶ、ふたつの影。
 
 五十嵐里美と伊達宗元。
 
 つい数時間前に刃を交えたふたりが、再び殺気を全開にして向き合っている。先と同じように
黒づくめの服で身を固めた伊達に対し、里美の格好は完全な戦闘モード。細かい網目の鎖か
たびらの上に、忍び衣装を着込んだ姿は、まさしくくノ一。ポニーテールに結んだ白いリボンと、
現代風にいうならホットパンツというべき忍び服から生えた細い足が、夜目にも鮮やかに浮ん
でいる。動きやすさ抜群の衣装は、コスプレ紛いの艶やかさであったが、里美が己の姿を恥ず
かしがることはなかった。なぜなら、この姿の里美を、一般人が見ることなど、有り得ないのだ
から。
 
 「まさか貴様から仕掛けてくるとはな・・・それもついさっき、死の間際まで追い詰められたとい
うのに。体力が回復するまで逃げ回ると思っていたのだが・・・」
 
 口髭を歪ませて、男が笑う。
 額に汗が浮いているのは、里美の襲撃があまりに意外だったためだ。明らかな体調不良に
加え、身をもって知ったはずの、忍術の脅威。闘いを仕掛けてくることはおろか、ちゃんと里美
が闘おうとするかどうかさえ、伊達には疑問だった。もし、伊達が里美の立場なら、間違いなく
しばらく身を潜めるだろう。せめて、きちんと闘える身体に戻るまでは。それがまさか、わずか
数時間後に逆襲を狙うとは・・・油断し切っていた伊達が、焚き火の光を見つけられて、里美に
居場所を知られたのも、無理からぬことだった。
 
 「一体、なにを考えている? 今、その身体で闘うことは、貴様にとってなんの有利にもならん
はずだが?」
 
 「なにも考えてないわ。一刻も早く、あなたを倒したいだけよ」
 
 「嫌われたものだな。だが、貴様からやってきてくれるとは好都合だ。あのやかましい小娘は
どうした? 宗家のボディーガードじゃないのか?」
 
 「亜梨沙は関係ないわ! これは私の闘いよ!」
 
 普段は湖の水面のように沈着な里美の声に、荒々しい高波が立っている。伊達の耳は、そ
の変化を逃さなかった。
 
 「おや、どうした? さては仲間割れか? ふはは、五十嵐の血を引くといえど、所詮は年端
もいかぬ小娘。くだらない感情をぶつけあって、愛想をつかされた、というところかな。そして、
感情の昂ぶりを抑えるために、オレのところに来た、というわけか」
 
 伊達の推理は里美の急所を突いていた。
 痛いところを当てられ、ますます少女の血が沸騰する。切れ長の瞳を吊り上げ、白い歯を食
い縛った里美の表情は、怒りに彩られていた。
 
 「黙れッッ!! あなたは私が倒す! それで全てが収まるのよ!」
 
 「ふふん、これはどうやら、絶好のチャンス到来のようだ」
 
 激昂する少女と、余裕の暗殺者。
 だが、次の瞬間、両者の立場はあっという間に逆転していた。
 
 くノ一が動く。バネと化した全身が、霞みとともに伊達の前に。
 里美の瞬発力は、昼間にすでに学習済みだ。確固たる自信が、伊達の薄い唇を吊りあがら
せる。しかし、そんな余裕は女忍者の一振りで消滅した。
 里美が眼前に出現したと同時、伊達の顔面が千切れそうに弾き飛ばされる。視線で捉えるこ
とができなかった、横殴りの一閃。鼻と口から血風を撒き散らし、5mを飛んだ伊達の身体は、
樫の幹にぶつかってようやく止まった。
 
 「ごぶッッ・・・おごごごごッッ・・・ぐぷうッ!」
 
 もし伊達があの豹女と出遭わず、悪魔の能力を授かっていなければ、この時点で勝敗は決
まっただろう。
 緑生い茂る雑草の海で這いつくばった伊達が、ひしゃげた顔の左半面を押さえている。ドロリ
という感触に、たまらず口腔内に溜まった粘液を吐き出す。血反吐の中に2つ3つ混じる白い
欠片は・・・歯だ。
 
 反応できなかった。
 里美の身体能力はよく理解していたはずなのに、今の動きは先の対戦時より一段と速くなっ
ている!
 
 垂れ下がった二重の瞳に殺意を込めて、伊達が聖少女を睨みあげる。森林をバックに玲瓏
と立つ令嬢戦士の右手には、伊達を殴った白いクラブ。そして左手には、一見飴玉に見える黒
い丸薬。
 
 「きッッ・・・貴様ッッ・・・それは『万能丸』かッ!!」
 
 「あなたも元伊賀者なら、秘薬『万能丸』のことは知っているでしょう? あらゆる毒を打ち消
し、奇跡の回復力をもたらすと言われる『万能丸』。代謝を高めるビタミン群や、疲労を回復さ
せるクエン酸を、ふんだんに含んだ最強のドーピング薬。大麻樹脂も入っているため、よほど
の緊急時でないと使用が許されない禁断のアイテム。本当の五十嵐里美を取り戻すため・・・
使わせてもらったわ」
 
 伊達宗元の身体を、暗黒の靄が包んでいく。次の瞬間、黒い稲妻が真夜中の天空を駆ける
や、人里離れた山間に巨大生物が出現する。
 
 「トランスフォームッッ!!」
 
 里美の反応は早かった。生身での闘いが不利であると考えた伊達の思考を悟り、呼応して
光の力を解放する。白く輝く子宮内の『エデン』。光の粒子が闇夜に渦を巻き、意志を持ったよ
うに収斂していく。人型になった光が爆発し、周囲を一瞬昼にしたあと、なだらかな起伏が続く
森林には銀の女神が現れていた。
 
 白銀の皮膚にレオタードを彷彿とさせる紫の模様。金色の髪が肩甲骨にまで伸び、切れ長
の瞳と、胸中央と下腹部に輝くクリスタルは、この星と同じ色に光る。樹林をはるか下に見下ろ
す巨大さと、鮮やかな色彩の容姿は、間違いなく人間とは異質なものだが、漂う神秘的なまで
の美しさは、女神ということばを自然に連想させる。
 
 対する伊達の変態形は、漆黒の甲冑を装備していた。同色の小手と脛当ては、硬度を保ち
ながらも軽量化されていることがわかるデザイン。頭からすっぽりと被った頭巾からは深紅の
眼光だけが覗き、闇に溶け込みそうな全身の中で、ふたつの火の玉のように異彩を放ってい
る。腕や足から見える素肌は、爬虫類に似た茶色で、ザラザラとした表皮もトカゲのそれを思
わせる。
 ファントムガールや久慈、ちゆりらと同じく、キメラではない純粋人間体のミュータント。しか
し、その姿は伊達の精神を反映して、不気味な怪物のものになっていた。
 
 「この姿での名は、クサカゲとでも呼んでもらおうか」
 
 トカゲの肌を持つ武装忍者、クサカゲと、銀色の女神が山林地帯で向かい合う。傾斜が続く
山間は決して闘いやすい場所ではないが、命の遣り取りを賭けたふたりからは、微塵の動揺
も感じられない。
 
 「クサカゲ、御庭番頭領の血を引く者として、あなたは私が滅ぼすわ。宗家に弓引くことがい
かなる重罪か、その身をもって知りなさい」
 
 ファントムガールの銀色の唇から、夏を忘れさせる冷酷な響きが浴びせられる。五十嵐里美
に燃える炎。血の宿命と、己への憤りを断ち切るために、この闘いは是が非でも勝たねばなら
なかった。
 
 “守ってもらわなくても、庇ってもらわなくても、私一人の力で勝てる! 勝ってみせる!”
 
 「ファントム・クラブッッ!!」
 
 紫のグローブに白銀の棍棒がふたつ、出現する。
 里美が服用した『万能丸』は、短期間で高い効果を得られるタイプのものだった。万全に近い
身体能力を戻せるが、持続性は薄い。せいぜい2、30分というところだろう。通常よりさらに短
い時間内で、不可思議な術の使い手に勝たねばならないプレッシャーが、里美の心に焦りを
生じさせたのも仕方のないことだった。
 
 女神が一気に間合いを詰め、光のエネルギーに満ちたクラブを振るう。
 漆黒の甲冑がバックステップでかわす。だが、シャープにして優雅、無駄のない怒涛の攻め
に、反撃の糸口すら見つけられずに追い詰められる。
 
 ヒット。
 棍棒が暗黒の甲冑を叩き潰す。破壊の調べが夜の森林にこだまする。
 衝撃の軽さが、ファントムガールに“ニセモノ”であることを教える。
 
 「くッ、変り身の術!」
 
 隼の速度で四方を見渡す光の女神。だが、紙のように薄い甲冑の残骸が転がる以外、クサ
カゲの存在を示すものはなにひとつ見当たらない。
 
 《ふふふ・・・確かに素晴らしいスピードだが・・・太刀筋は先程より乱れているのではないか?
 仲間割れしたことを、そんなに気に病んでいるのかな?》
 
 挑発に乗ってはいけないわ。
 昂ぶる心を懸命に抑え、くノ一戦士は集中力を研ぎ澄ませる。いくら伊達が隠れ身のエキス
パートであっても、里美も18年間を無駄に過ごしてきたわけではない。冷静に集中すれば、洩
れ出る殺気、滲む熱量、揺らぐ吐息・・・なにかしらのヒントを、過酷な鍛錬によって得たアンテ
ナが感知するはずなのだ。
 身構えたまま、銀の女神が動きを静止する。全感覚をアンテナに集中させていく。
 
 どこにいるの・・・あそこ? ・・・いや、違う・・・
 そこかしら? ・・・いる・・・ような・・・・・・いない・・・ような・・・いえ、あちらの方が・・・・・・やっ
ぱり向こうの方? ・・・・
 戸惑う己れがいることを、里美は自覚する。
 クサカゲの“気”は陽炎のように乏しかった。あやふやなうえに、急に湧いたり、と思えば別方
向から気配がしたり、また全く違う場所から突然噴き上がったり・・・撹乱するように瞬時に湧い
たり消失したりを繰り返している。まさか桃子と同じ能力者?! 瞬間移動でもしているような
気配の移り変わりに、銀色の皮膚を珠の汗が流れていく。
 
 《どうした? それが本当の五十嵐里美か?》
 
 山腹の間から、甲冑を着たトカゲが飛び出す。ファントムガールの背後、右斜め後ろ。
 
 「ファントム・リボンッッ!!」
 
 知っていた。
 襲撃を感知した女神が、振り返りざまに純白のリボンを放つ。レーザーとなって伸びたリボン
が暗黒忍者に螺旋に絡まり、動きを封じる。
 
 「キャプチャー・エンドッッ!!」
 
 リボンに沿って光の奔流が走る。闇を滅殺する正義のエネルギーが、最大限で捕らえた獲物
に注ぎ込まれる。
 灼けつく熱さに暗黒の皮膚が溶け、黒煙をあげる・・・通常ならばそうなるはずの光景が、た
だリボンが輝くだけで変化しない。
 ニセモノ。空蝉の術。
 人形相手に光を浴びせ、再び無駄な攻撃をさせられたことに気付いた守護天使が、稲妻の
速さで左を向く。湧きたつ気配。
 闇より暗い漆黒が、帯をひいて、樹林の大地に溶け消える。
 
 「ハンド・スラッシュッ!」
 
 5つの光の手裏剣が緑の大地に突き刺さる。ファントムガールの追撃は緩まない。掌にソフト
ボール大の光球を作り上げる。
 
 「ファントム・バレットッ!」
 
 自在に操ることのできる光弾が、少女戦士の手を離れ、影が消えたと思しき地帯に撃ち込ま
れる。バスケのドリブルのように跳ねかえっては撃ち込み、撃ち込んでは跳ね返り・・・ドドドドド
と光の重爆が、樹木をへし折り、大地を抉る。
 
 「ここだ、ファントムガール」
 
 低いトーンは真後ろからだった。
 確かにそこに逃げたと思えた暗黒忍者の姿が、予想だにしない逆方向から現れた衝撃。
 だが、驚愕にたじろぐほど、里美の心身は穏やかではなかった。戦闘の染みついた肢体が、
条件反射で背後を向く。
 
 「ディサピアード・シャワーッ!!」
 
 両手の人差し指と親指で形成した三角形から、高密度の聖なるエネルギーが溢れる。ファン
トムガール最大の必殺技。ありったけの正義の力が、飛礫の嵐となって山陰に隠れた漆黒の
甲冑に照射される。まるで消防車の放水。闇を貫く光弾の瀑布が、山ごと消し去らん勢いで、
真夜中に一直線の橋を架ける。
 
 ザクザクザク!
 
 左腕を灼く痛みが、必殺技の放射を中断させた。
 黒い手裏剣が3つ、銀と紫の腕に刺さっている。ツツ・・・と線を描く朱色。血が噴き出るのも
構わず手裏剣を抜くファントムガールの左方向に、真正面の山陰に逃げたはずの暗黒忍者が
肩を揺らして笑っている。
 
 「ハアッ、ハアッ、な・・・なぜ・・・・・・?!!」
 
 「ふはははは、せっかく『万能丸』で得た体力も、すっかり出し尽くしてしまったようだな! 今
度はこちらからいくぞ」
 
 紫の丸い肩が、小刻みに揺れている。ビッショリと汗で濡れ光った守護天使に、クサカゲの
右手から真っ黒な鎖がうねり飛ぶ。
 鍛え込まれた肉体のバネで、跳躍してかわすファントムガール。その顔面に、反対方向から
別の鎖が襲いくる。
 クサカゲ得意の不可思議な術を、瞬時に取り出したクラブで、辛うじて弾き飛ばす銀の女神。
 だが、さらに続けざまに飛来した三本目の鎖は、くノ一にして五輪強化選手の里美といえど、
かわすことは不可能だった。
 左足に絡まった黒い鎖が、麗しき美戦士を地面に叩き落す。桜の花びらに似た唇から、「う
ッ!」という呻きが洩れる。
 
 地に堕ちた天使に、暗黒忍者の二撃目が飛ぶ。
 うつ伏せ状態のファントムガールが両腕の力を利用して一気に立ち上がる。新体操を極めた
里美ならではの身のこなし。左足を封じられた不自由さの中で、美しい銀色のプロポーション
は優美なまでの軽やかさで身を起こしていた。地面を叩いた鎖が無機質に鳴る。
 
 樹林の奥から伸びた鎖が、左足首に絡まったままジリジリと引きつけていく。視線を正面の
黒い甲冑に縫いつけつつ、左足を引く力に抗いながら、ファントムガールは構え立つ。バランス
を保つ平行感覚は驚異以外の何モノでもない。態勢の不利をものともせず、麗しき女神の闘
争心にはいささかの翳りも見受けられなかった。
 
 「しぶとい女だ! よかろう、このクサカゲ最大の忍術を見せてやる」
 
 暗黒忍者の両手が複雑な形に組み合わされる。里美も初めて見る印の形。声に含まれた絶
対の自信と悪意が、銀の少女の背に、凍えた巨大ヒルを這わせる。
 
 「戦慄せよ、ファントムガール。これが分身の術だ!」
 
 漆黒の甲冑が高速度で震動する。
 地に沈む。一瞬にして。守護天使の顎を噴き出す汗が垂れる。
 怒号とともに、暗黒忍者が沈んだ大地の穴から影が吐き出される。
 3つの影が。
 
 「そッッ・・・そんなバカなぁッッ?!!」
 
 悲痛にも似た叫びが、銀の女神から発せられた。
 3体に増殖したクサカゲが、衝撃に揺り動かされる少女戦士を囲んで立つ。包囲網の真ん中
で、美貌の天使は心の乱れも露に、ぐるぐると3つの甲冑をせわしく見比べる。外見、気配、存
在感・・・幻影のようなまやかしではない、全く同じ3体の「クサカゲ」が、哀れな獲物を前にして
笑っている。
 
 信じられなかった。
 分身の術など、実現不可能だと思っていた。少なくとも自分には手の届かぬ技だと。血と汗と
涙に彩られた18年間、その鍛錬を何年積み重ねようと辿りつけぬ境地だと。
 それを目の前の敵は実現させている。
 しかも完璧といえる完成度で。本物がどれか、探す気さえ失せる程、3つの存在は同一のも
のだった。
 
 この男は・・・
 この男は、私の遥か、上にいる・・・・・・
 
 取り囲んだ3人の暗黒忍者が、一斉に漆黒の鎖を飛ばす。
 打ちひしがれた女神に、暗黒の蛇が絡まっていく。腕に、足に、首に、腰に・・・これまでに何
人もの標的をそうして葬ってきたのか、予め計画を練っていたように、それぞれの箇所に二本
づつが絡み、計12本の鎖が計算高くファントムガールを縛り上げる。幻の術を目の当たりに
し、自失する少女に、狡猾な暗殺者の技を避けることは不可能だった。ひとつの箇所を2本の
鎖が別方向から締めつける。緊縛の圧迫感が、銀の女神の心と身体を苦しめていく。
 
 メシイッッ・・・メキメキ・・・ミリミリミリ・・・
 
 「はくッッ・・・かふッ!! ・・・・・・・・くううう・・・・・うッ・・・くく・・・」
 
 『はははは! いかがかな、ファントムガール? 我が鎖の妙味は?』
 
 3人のクサカゲは一斉に喋る。声量、声質、イントネーション、当然といえばそうだが、全く同
質の3体の声。嘲りの笑いが、悪夢のように里美の頭でこだまする。
 暗黒忍者が、3方向から束縛の女神に手裏剣を飛ばす。
 
 ザクザクザク!
 
 右脇腹に、左の太股に、背中の中央に。
 容赦なく突き刺さる刃の鋭痛に、憂いを帯びた美貌が歪む。
 
 『楽しいな、ファントムガール! 五十嵐の娘が、文字通り手も足も出ないとは!』
 
 嗜虐と勝利の愉悦に、反逆者は震えた。
 タイミングを計って、一定周期で手裏剣を打ち込む。数秒ごとにファントムガールの輝く皮膚
に3本づつ、黒い凶器がドスドスと刺さっていく。身をよじることすら許されず、刃を享受する艶
やかな銀の皮膚。
 
 『さすがだ、21本もの手裏剣を浴びて、泣き言ひとつ言わぬとは。もう刺す場所がなくなって
きた』
 
 2本の鎖が巻きついた腰以外、胸から太股にかけての大部分に、びっしりと黒い手裏剣が刺
さっている。スタイルのいいファントムガールの肢体に、針山のごとく刃が埋まった酷い光景。
『エデン』により飛躍的に耐久力があがっているとはいえ、全身を針のムシロにされる激痛に、
歪んだままの美貌がひくひくと痙攣する。
 
 白銀の皮膚を、残酷な刃で穴だらけにされた無惨な女神に、反逆の影が歩み寄る。3体の
甲冑忍者は、元は上役に当たる少女の優雅な曲線から、ひとつづつ手裏剣を抜き取っていく。
そのたびに噴き出す鮮血が、守護天使の肌を深紅に染めあげていく。
 
 『ふふ、美しい肌がズタズタになってしまったな。どうだ、もはや勝負あったようだな?』
 
 令嬢戦士は無言で応える。哀しみを潜めた瞳に、不屈の闘志を燃やしたままで。
 3人のクサカゲが新たな武器を取り出す。
 それは鎖との相性が抜群な、鎌だった。
 
 『貴様をただ殺しただけでは、オレは反逆者のままだ。貴様自身が、オレが宗家の後継者と
なることを認めるんだ。そうすればいくら他の者が喚こうが、誰も反対することができなくなる』
 
 鎌がファントムガールの肉体に当てられる。
 右足の太股と、左の二の腕と、左脇腹に。次に訪れる展開が、あまりに恐ろしい、あからさま
な脅迫。聖戦士といえど、激痛に耐える保証をしかねる拷問が、ファントムガールの身に迫る。
 
 「・・・私は・・・屈しない・・・野心に捕らわれた者になど・・・負けないわ・・・」
 
 『そうか、ならばこうだ』
 
 容赦なく、3つの鎌が緊縛の女神を切り裂く。
 ズブブブブ・・・
 肉を裂く、不快な調べが人のいない深夜の山中を駆け巡る。
 
 「うあああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
 
 太股を裂き通し、腕を貫通し、脇腹を抉り刺す。拷問と呼ぶには、あまりに苛烈な残虐行為
に、令嬢くノ一は絶叫した。
 
 『これほどの破壊を受けて、尚息があるとは便利な生き物よな、ファントムガール。もっと過酷
な責めを受ける前に、早く認めてしまう方が利口ではないのか?』
 
 呼吸もぴったりに抉り刺さった鎌を、3体の暗黒忍者がぐりぐりと掻き回す。灼熱の激痛に少
女戦士は喚いた。
 
 「うぐうッッ!! ぐッッ!! あううッッ!!・・・くうう・う・う・・・あ・・・ああ・・・負けない・・・
わ・・・・・・たとえこの身を滅ぼされても・・・認めなど・・・しない・・・・・・」
 
 『愚かな。ならば死ぬがいい』
 
 闇のエネルギーが、鎖を伝って最大限で聖なる女神に注ぎ込まれる。いわばファントムガー
ルの必殺技のひとつ、キャプチャー・エンドの闇バージョン。ファントムガールにとって、最も忌
むべき闇のエネルギーを、衰弱した肉体に3人分も注ぎ込まれたら、五十嵐里美の運命は・・・
 
 「きゃあああああああッッッ―――――ッッッ!!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜ッッ
ッ!!!」
 
 バババババババッッッ!!!!
 
 暗黒光線が、正義の使者を焼き尽くす、無惨な音響が夏の夜空に流れていく。
 圧倒的な闇の注入に、ファントムガールが、光の女神が破壊されていく。黒い亀裂が銀の皮
膚を走り、聖なる少女を暗黒が飲み込んでいく。ヴィーンヴィーンと点滅するエナジークリスタ
ル。火箸で全身を掻き回されてる絶痛が、里美の精神を崩壊寸前に追い込む。ぶくぶくと口か
ら溢れる泡。溶解した皮膚がドロドロになって大地に落ち、死滅した細胞があげる黒煙が、漆
黒の闇に昇っていく。
 誰もいない山間で、3体の暗黒忍者に囲まれて、光の女神、人類の希望、ファントムガール
が処刑されていく。
 
 『ははははは! 苦しかろう! 辛かろう! オレには敵わぬことは、貴様自身よく理解して
おるだろうが、五十嵐里美! さあ、宗家の座をこのオレに譲るのだ!』
 
 硫酸の海で溺れる地獄の中で、それでも長い髪の少女戦士は半濁した意識で、ゆっくりと首
を横に振った。
 
 ババババババババッッッ!!!
 
 「はあああああああッッッッ――――ッッッ!!!! う゛う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ――――
ッッッ!!!!」
 
 魂を噛み千切られる極痛に、麗しき戦士は恥も外聞もなく泣き叫ぶ。
 
 バシュンッッ!! バシュンッッ、バシュンッッ!!!
 
 光沢輝く銀の皮膚が爆発する。許容範囲を越えた負のエナジーを浴びせられ、ついに女神
の肉体が崩壊し始めたのだ。幾度も死線を乗り越え、苦闘を制してきたファントムガールの死
が、すぐそこにまで近付いている。
 
 バチュンンンッッッ!!!
 
 一際大きな破裂音。守護天使の腹部の中央が裂け、暗黒のエネルギーが弾け出る。同時
に、弱々しく灯っていた瞳の青色が、ヒューズがとんだ電球のように、バチンと消滅した。
 
 暗黒のエネルギー放射が止む。
 シューシューと立ち昇る黒煙の中で、ピクリとも動かず、鎖に絡まれたまま立ち尽くす被虐の
天使。無数に裂けた皮膚から鮮血と瘴気がこぼれ、鎖の巻きついた場所はドロドロに溶けて
オレンジの液体が滲み出ている。ボサボサに乾燥した金色の髪が美しく憂いのあるマスクにか
かり、半開きの口からは涎と泡が絶え間なくあふれ出ている。
 ただ、胸のクリスタルだけが、少女戦士の生存を示して、ヴィ・・・・・・ン・・・・・・・とかすかに点
滅を繰り返している。
 
 12本の鎖が変わり果てた聖少女を解放する。
 ゆっくりとスローモーションを見るように、ファントムガールの肢体は前のめりに倒れていっ
た。
 地響きをたて、大地に横臥するボロボロの女神。
 ビクンッ、ビクンッと血まみれの身体が、惨劇の余韻に痙攣する。
 
 『これほどの苦痛を受けて、尚屈しないとはな。痛みへの耐性が並ではないようだ』
 
 大地に倒れ伏す守護天使を、3体の悪鬼が見下ろす。物を扱う手つきで、甲冑忍者は亀裂
の入った銀の女神を、がっしりと掴み抱える。
 
 『ならば悦楽を加えた最高の地獄を味わわせてやるまで。幾多のくノ一を屈服させてきた我
が奥義・・・五十嵐の嫡子よ、その美しき肉体に存分に食らうがいいわ』
 
 2体の忍者が脱力した女神を、両脇で抱えて立ちあがらせる。ぐったりとした芸術的な曲線。
その股下、ダラリと垂れ下がった両足の付け根、女として最も大事な秘裂と、後ろにある狭門
に、残りひとりの暗黒忍者の手が挿入される。
 
 『昇天するがいいッ、ファントムガール! いや、五十嵐里美よ! 秘儀・曼珠紗華ッ
ッ!!!』
 
 股下の前後、ふたつのクレバスに貫き手を突き刺したまま、1体のクサカゲが、ファントムガ
ールの肉体を高々と天空に差し上げる。
 己の全体重を股間の2本の槍に預けねばならない、串刺し刑。
 ズブズブと暗黒忍者の茶色の指に貫かれていく、銀色の少女。一気に頭頂まで駆けていく裂
痛と圧迫感、性器と禁断の後ろ穴を抉られるおぞましさが、里美を魔獄に突き落とす。気を抜
けば、どこまでも貫かれそうな恐怖と激痛。しかし、締めつけて落下を防ごうとすればするほ
ど、秘所内の性感は刺激され、狭穴の圧迫は増大される、悦楽と破壊の輪廻地獄。貫き手の
侵略を止め、かつ快楽に身を崩さずにすむ、ギリギリのバランスで下半身を締めつけることを
強要された天使の全身は、大の字で硬直し、暗黒エネルギーで破裂し、溶解したボロボロの姿
を天高い夜空に浮びあがらせる。
 
 その異様な光景こそ、まさしく曼珠紗華。
 夏の終わりに川岸などに咲く、別名彼岸花、地獄花とも呼ばれるこの花は、すっと長く伸びた
緑の茎の上に、反りあがった真っ赤な花びらをいくつもつける。鮮やかにして、毒々しいまでの
その姿が、今、人影のない山奥に展開されたのだ。黒い甲冑の茎の上に、血にまみれた銀の
少女を狂おしく咲かせて。
 
 串刺し死を免れようと、懸命に下腹部に力をこめるファントムガールの身体が、大の字に固
まったままぶるぶると震える。だが、真の「曼珠紗華」完成はこれからだった。
 
 『ワハハハハ! もはや脱出はできんぞ! お前は終わりだ、身も心も焼き尽くしてくれる!』
 
 突き刺さった手刀の槍が、膣内を、肛門内を、貪るように掻き回す。
 荒々しい手淫と肛虐の嵐。性感を激しく摩擦され、熱い衝動が里美の脳髄を蕩かしていく。
後ろの穴からは吐き気を催す異物感。だが、確かに混ざる快感が、強烈な麻薬となって聖少
女の細胞に浸み渡る。陵辱の津波にさらされ、頭上で自由を奪われた均整のとれたプロポー
ションが、官能に踊らされるがままに波打つ。
 
 「ひゃぶううッッッ!! あぐえええッッッ・・・あふうッッ!! ううッ、ううッ!!」
 
 『そーら。闇の破壊光線を体内に直接注入してやろう!』
 
 絶望に彩られる銀のマスク。喘ぐ唇がなにかを発しようとした瞬間、甲冑忍者の槍となった両
手が、暗黒色に輝いた。
 
 「ふびゃああああああああッッッ――――ッッッッ!!!! ひぎゃあああああああああッッッ
――――ッッッ!!!!」
 
 地の果てまで届くような絶叫。
 胃の腑を燃やされる地獄。2本の炎の杭が下半身を貫き、激痛の怒涛の狭間に快感の電波
が脳を灼く。容赦ない責めが里美の、戦士としての闘志を誇りを削り取っていく。四肢を突っ張
らせ、大の字のまま魔力を浴び続ける女神。妖かしの深紅の華が、真夏の夜空に狂い咲く。
 
 『認めろ、このクサカゲが忍者の頂点となることを。貴様より遥かに強いこのオレこそ、次期
頭領に相応しいのだ』
 
 ごぼごぼごぼごぼごぼごぼ・・・・・・・
 
 血と汗の滝が、薄汚れた美少女戦士の全身を流れる。口から溢れた白泡が、恐ろしいほど
の勢いで顎を垂れ、胸を流れ、腹を伝い・・・濁流となって暗黒忍者に降り注ぐ。
 瞳とクリスタルの青色が、儚い蛍火のようにちらつく。苛烈な拷問に、とっくに意識は混濁して
いるであろうに、正義の少女は甲冑の悪魔に抵抗してみせた。
 
 ブンブンブンッッ・・・
 汗と涎の飛沫を撒き散らして、金色の混じった長い茶髪が、横にはげしく振られる。
 
 クサカゲは予想していた。この宗家の血を引く美しい少女が、己の必殺奥義を浴びながら
も、容易に屈服しないであろうことを。
 万一に備えていた残り2体のクサカゲは肩車をして、硬直して悶える少女の目前に待機して
いた。
 半濁した意識で、ファントムガールが野望の影の命令を拒絶した瞬間、上のクサカゲが胸の
クリスタルに、下のクサカゲが下腹部のクリスタルに、それぞれ両手を重ねる。
 
 ドンッッッ!!!
 3体一斉の暗黒光線が、ファントムガール最大の弱点を、容赦なく照射する。
 
 「アアアアアアアアアアッッッ―――――ッッッ!!!!!」
 
 ビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクッッッッ!!!
 
 かすかに残っていた守護天使の闘志は、暗黒の業火によって吹き飛ばされた。
 
 『五十嵐里美よ、このオレを御庭番頭領と認めるか?』
 
 破滅の黒煙が、被虐の女神を包み込む。
 敗北の痙攣に揺れながら、銀の美貌は、ゆっくりコクリと頷いた。
 
 『ハーッハッハッハッ!! これで次期頭領の座はオレのものだ! あとは現頭首を殺せば、
御庭番はオレのものになる! ハッハッハッハッハッ!』
 
 3体の暗黒忍者の哄笑が、漆黒の夜空に消えていく。
 天高く差し上げていた少女戦士を投げ捨てる。山林をバキバキと切り倒しながら、巨大な少
女が山間の傾斜に身を沈ませていく。
 一身に哄笑を浴びながら、かすかに胸のクリスタルを点滅させた敗北の天使は、断末魔に
震えながら、光の粒子となって掻き消える。
 
 ファントムガールの消えた跡には、ボロボロの忍び衣装を着た美少女が、股間と口から透明
な液体を垂れ流しながら、惨敗の緑地に横臥していた。
 長い睫毛を閉じた瞳から、スッ・・・と一筋の雫が、大地にむかって零れ落ちた。
 
 
 
 4
 
 オレンジ色の陽光が、緑の傾斜を走っていく。
 朝靄に包まれた山間。樹々が吐き出した生命の息吹が、朝の低温に結晶化し、白いヴェー
ルとなって雑木林を縫っている。樹木の緑と、朝日の橙色と、靄の白色と。絵画のような景色
が、伊賀の山里に出現する。
 
 地元の者も来ることがない山奥。
 けもの道すら絶えた自然の秘境に、切り立った崖がある。茶色の地肌を現した崖の上には、
背の高い樹木がこぞって生えている。
 爽やかなはずの朝を、暗く翳らせる要因がそこにはあった。
 緑のキャンバスに、染みのように黒色が張りついている。
 崖の先端、惨めな姿を満天下に晒すように、五十嵐里美の肉体は漆黒の鎖で縛りつけられ
ていた。
 
 十数本の鎖が、四肢はもちろん全身に巻きついて、周囲の樹から伸びている。空中に十字
架に架けられたように固定された里美の姿は、暗黒の蜘蛛の巣にかかった、美しき蝶さながら
であった。
 
 「証文があるとはいえ、実際に目に焼き付かせる方が効果的だろう。宗家が惨敗した姿を、
じっくりと伊賀の里の奴らに見せてやるんだな」
 
 ひとりに戻った伊達宗元が、垂れ下がった瞳に笑みを刻んで、目の前の囚われの美少女に
語りかける。その手には黄色の巻紙。次期御庭番頭領の座を、自分ではなく伊達に引き渡す
よう、記された巻紙の最後には、里美自身の血による拇印がしっかりと刻み込まれていた。鎖
に緊縛され、うつ伏せのまま、半濁した視線を地に落とし続ける敗北のくノ一は、ピクリとも動く
ことなく、反逆者の嘲りを甘受している。
 
 「鎖に吊るされたまま、というのはなかなか効くだろう? 今の貴様の体力では2日ともつこと
はあるまい。2日間たっぷりと、五十嵐の娘が死んでいくところを、身を隠して覗き見している
伊賀者どもに見せつけるがいい」
 
 エビ反りのまま、激しい拷問を受けた苦い記憶が、里美の中に蘇る。まだ完治していない肉
体が、再度の緊縛吊りに崩壊の悲鳴をあげていることは、誰よりも里美自身が理解していた。
 
 「忍耐力は素晴らしかったが、所詮オレの敵ではなかった。もはや貴様に用はない。せいぜ
い惨めに死んで、オレの恐ろしさを知らしめることだな」
 
 首にかかった鎖のひとつを持ち、里美の肢体を引っ張りあげる。
 全身の緊縛がさらに締めつけを増し、無数の裂傷と火傷を刻んだ令嬢くノ一を、バラバラに
せんばかりに捻りあげていく。
 紫に変色した唇がパクパクと開閉し、声にならない苦悶の響きを、囚われの天使から搾り取
る。
 
 「さらばだ、五十嵐里美。オレは現頭領である貴様の父を追わせてもらう。貴様の名は、永遠
にオレの胸に残しておこう」
 
 漆黒の鎖に絡まれた美少女を残し、黒づくめの男はその場を去った。
 ギシギシと鎖が食い込む痛撃に悶えながら、暗黒の蜘蛛の巣にかかったくノ一は、もはや涙
も枯れ果てた濁った視線を虚空に漂わせる。
 ボサボサになった長い髪が、風に吹かれて舞う。
 完膚なきまでに敗れ去った、守護天使を哀悼するかのように。
 
 
 
 真夏の太陽が、ジリジリと処刑者を照りつける。
 高い日光が、午後を迎えたことを知らせていた。緊縛処刑に架せられてから、数時間、里美
の意識は蘇生と失神を繰り返しながら、着実な死へと向かっていた。
 熱を吸収した黒い鎖が、巻きついた里美の白い肌を焼く。火傷の跡が鎖状に刻まれていく
が、激しいダメージを抱えた令嬢は、ただ黙って新たな苦痛を受け入れていくしかない。里美に
は、叫ぶ力さえ残されていなかった。深刻な死への歩みが、幾多の死地を乗り越えてきた彼女
にはよくわかっていた。
 
 “・・・あの時・・・・・・亜梨沙の言葉を聞いていれば・・・・・・・こんな目に遭わずにすんだの
に・・・・・・・・”
 
 伊達は里美の手に負える相手ではなかった。分身の術を披露された時点で、里美は己の敗
北を悟ってしまった。
 仲間に助けに来てもらえれば、こんな無惨な姿を晒さずにすんだだろう。同じ忍者である小
柄な少女の言葉が、正統性をもって里美の脳裏に蘇る。
 
 “・・・でも・・・これでいい・・・・・・あの男をナナちゃんたちに会わすわけには・・・いかな
い・・・・・・・・”
 
 霞む意識の中で、ぐるぐると思考が巡る。青い夏空が痛いほど眩しい。
 
 “・・・悪いのは・・・・・・・弱かった私・・・・・・・・・・全ては・・・・そのせい・・・・・・”
 
 ぐらりと大地が反転する。青空が黒い靄に包まれていき、視界が閉ざされていく。苦しい、と
いう以外、感覚はなにもなかった。
 
 どうやら、終わりが近付いているようね。
 差し迫ってきた死神に対し、不思議なほど透明な気持ちを持った己がいることを、里美は知
った。
 
 “・・・・・・・亜梨沙・・・・・最期に・・・・・・・謝りたか・・・・・・”
 
 「里美ッッ!! 勝手に死なせたりしないんだからねッ!!」
 
 あどけなさを残した少女の顔が、白い意識を打ち破って、眼前に現れる。
 四肢を千切りとらんばかりに緊縛していた鎖の力が消失している。
 自らを苦しめていた50キロに満たない体重が、今は背中側に感じられる。
 ジリジリと柔肌を焼いていた灼熱の絡みが解け、染み入るような温かさが華奢な身体を包ん
でいる。
 
 「・・・あ・・・・・りさ・・・・?・・・・・」
 
 気絶から覚醒した里美は漆黒の緊縛をほどかれ、横たえた肢体を小柄な少女にしっかりと
抱きかかえられていた。
 死を覚悟しながら失神していった瀕死の美少女を、一晩中山林を探し歩いていた四方堂亜
梨沙は、すんでのところで救出することに成功したのだ。
 
 「里美のバカぁ、だから言ったでしょッ、そんな身体で勝てるわけないって! なのに無茶し
て・・・バカ! バカバカ!」
 
 鼻先で見詰める小生意気そうな瞳が揺れている。溢れ出した雫が、ボトボトとダメージの深い
白磁の美貌に雨を降らす。惨敗を喫した女神にとって、その雨は震えるほどに熱かった。
 
 「・・・・・・どう・・・して・・・・・・ここ・・・・・・・に・・・?・・・・・・」
 
 「当たり前でしょッ、アリサは里美の護衛だもん! 勝手にうろちょろするから、探すのに疲れ
たじゃんか!」
 
 吊り気味の瞳が赤いのは、涙のせいだけではないことを里美は知る。
 よく見れば、亜梨沙自慢のセーラー服は、あちこちがほつれ、破けていた。星の光のみを頼
りに、徹夜で道のない樹海を走り回るのは、くノ一として鍛えられた亜梨沙とて、骨の折れる作
業であったことだろう。
 
 初めて里美は、ひとりで伊達との闘いを選んだことを悔いた。
 周りに迷惑をかけないはずの闘いが、こんなにもこの小さな少女を苦しめてしまっていたの
だ。
 理屈では理解していた事実を、実感として悟った里美の心には、恥ずかしさよりも、詫びの気
持ちよりも、胸につまるような温かいものが流れこんできていた。
 
 「亜梨・・・沙・・・・・・ごめ・・・」
 
 「いい。謝んなくていい。そんなことする余裕があったら、里美は自分が生き残ることを考え
て」
 
 ビリビリに破けた忍び衣装を着、腕や太股から白い肌を露出させた聖少女を、四方堂亜梨
沙は背負う。小さな身体のどこにそんな力があるのか、自分より大きな里美を担いでいなが
ら、亜梨沙の動きに重さはない。
 
 「かなり体力を削られちゃってる・・・早く治療しないと」
 
 「オレの獲物を断りもなく、どこに連れて行く気だ?」
 
 突然湧いた声に振り返るより早く、里美を背負ったセーラー服は跳躍していた。
 残像をすり抜けた鋼の手裏剣が、潅木の幹に刺さって乾いた音をたてる。
 
 「伊達宗元ッ!!」
 
 「待っていたぞ、小娘! 必ず救出に来ると思っていた!」
 
 笑いを含んだ雄叫びをあげるその者の名は、伊達宗元。
 黒の長袖シャツに黒のスラックス。手袋から靴に至るまで、黒で統一された漆黒の暗殺者
が、薄い笑みを刻みこんだまま、一気に重なり合った美少女に襲いかかる。
 場を去ったはずの伊達の唯一の気掛かり、それが四方堂亜梨沙の存在だった。敢えて里美
を目につく場所に晒したのは、見せしめのためだけではない。待ち伏せの罠に、見事に少女忍
者は引っ掛かってくれたのだ。
 
 刃渡り60cmほどの忍刀が、重荷を背負った少女に踊りかかる。煌く斬撃を、太股から抜き
出した苦無で防ぎきっただけでも、亜梨沙の戦闘力は賞賛されるべきだろう。
 不意を突いて放った少女の蹴りが、伊達の腹に吸い込まれる。
 “打つ”というより“押す”打撃により、2組の忍者の間には、距離ができた。
 すかさずポケットから取り出した、うずらの卵のような球体をふたつ、亜梨沙は地面に叩きつ
ける。
 
 「む?! 煙玉かッ」
 
 もうもうと立ち込める黒煙が、風に吹き消された時、獲物である少女忍者たちの姿は、煙と同
様掻き消えていた。
 
 「くくく・・・味なマネを・・・だが、逃がしはせんぞ。ふたりとも血の海に沈めてくれよう」
 
 反逆の影が霞む。深緑の山奥に一陣の風が舞った。
 
 
 
 「はぁッ、はぁッ、里美、大丈夫ッ?!」
 
 「私なら・・・平気よ。亜梨沙、奴の狙いは私よ。このままではふたりともやられてしまう。あな
ただけでも逃げて」
 
 「んなことできるわけないって言ってるでしょッ!!」
 
 道のない山林を、黒の忍び衣装と、白のカッターシャツが木々の間を縫って駆け抜ける。ダメ
ージの深い里美に肩を貸し、半ば抱きかかえるように引き連れて行く亜梨沙の額には、珠の
汗が無数に輝いている。険しい山道を、ほぼふたり分の体重を抱えて走る疲労は、確実に小
さな少女の体力を蝕んできていた。
 強気な表情を崩さない亜梨沙だが、心の内は苦渋に満ちていた。
 
 (なんとか逃げているように見えるけど・・・確実に追い込まれてる。このまま先に行くと・・・)
 
 この数日のうちで、伊達はこの付近の地理を完全に把握したようだった。
 逃げては追いつかれ、追いつかれては逃げ・・・生死を賭けた鬼ごっこを、辛うじてかわしきっ
ているように見えるが、伊達が計算づくでトドメを刺さないでいることに、亜梨沙は気付いてい
た。うまく誘導されている。この先にある切り立った断崖に、徐々にふたりは追い詰められてい
るのだ。
 
 やるしかない。
 いちかばちかの賭けに出ざるを得ないことを、年端もいかぬ女子高生は悟る。
 腹を括った亜梨沙は、より強い光を瞳に宿して、青白い里美の顔を覗き込む。
 
 「里美、これから言う、ふたつのことを約束してよ」
 
 「・・・なに?」
 
 「ひとつは、必ず生き延びること。あんたを守るのがアリサの役目なんだから、絶対に生きて
もらわなきゃ」
 
 「わかったわ。約束する」
 
 「もうひとつ。アリサが死んでも、泣かないこと」
 
 「・・・・・・」
 
 「約束できる? できない? どっち?」
 
 「・・・いいわ。約束する。たとえあなたが死んでも、絶対に泣かないわ。その代わり、亜梨沙も
約束して」
 
 「なに?」
 
 「死んではダメよ。必ずふたりで生き延びましょう」
 
 哀しみを秘めた瞳に見詰められ、小柄な少女はニッコリと微笑んだ。女子高生らしい無邪気
さで。
 
 「もっちろん。あの陰気なオッサンに、なぜアリサが里美の護衛に選ばれたのか、しっかり教
えてやるんだから」
 
 幾多もいる伊賀忍者の中で、まだ少女の亜梨沙が大事な宗家の護衛を任された理由。
 その大部分を占める秘術、四方堂亜梨沙にしかできぬ秘術の発動を、小さな胸の内で少女
忍者は固めていった。
 
 
 
 足元に流れる瀑布の震動が、地を伝って崖の上にまで届いてくる。
 断崖絶壁という言葉のためにあるような光景。茶色の地肌を剥き出しにした崖の上に、ふた
りの少女忍者は立ち尽くしていた。
 眼下に見詰める渓流までは、30mほどの高さがあろうか。鍛えられたくノ一にとっては、飛び
込むには決して不可能という高さではないが、その先にさらに滝が待っていることを思えば、万
一の事態に備える心構えが必要といえる。
 
 「どう、里美。やれそう?」
 
 亜梨沙が作戦の最終確認を行う。作戦の成功には、強い心が必要であることを、ふたりとも
によく理解していた。
 
 「『万能丸』の効果が出てきてるみたい。なんとかやってみせるわ」
 
 里美が亜梨沙が持ってきた万能丸を服用したのは、10分ほど前のことだった。ボロボロの
肉体が、なんとか言うことを聞くようになってきたのを、里美は自覚していた。
 全ての準備は整った。あとは――
 崖っ淵に立たされたふたりの少女の背に、低く、暗い、暗殺者の声が掛けられたのはその時
だった。
 
 「ふふふ・・・追い詰められたようだな。さて、どうする子ネズミども?」
 
 予定通り、獲物を追い詰めた狩人は、その黒づくめの姿を少女たちの背後に現していた。
 その声は殺意に彩られ、目的達成の歓喜に揺れている。だが、必殺の確信に満ちたトーン
が、次の瞬間、咄嗟の出来事に思わず詰まる。
 煙玉。
 猛然と立ち込める煙幕が、二匹の獲物の姿を完全に隠してしまう。
 だが、逃げ道の限られた窮地において、わずかな間、身を隠すことに、なんの意味があると
いうのか?
 やけくそとしか思えぬ反撃に戸惑う伊達の耳朶を、水流に物体が飛び込む音が叩く。
 同時に黒い影が、生い茂る草葉の海に飛び込む。影は葉の擦れるざわめきを伴って、崖と
は反対方向に疾走していく。
 
 「ちッ! 二手に分かれたか!」
 
 すかさず遥か眼下の渓流を覗き込む伊達。はっきりとは見えないが、確かに青い水の下に、
なにかの物体が流されていくのがわかる。
 伊達にとって、五十嵐里美の始末は最優先事項だ。ふたりが分かれたということは、里美を
守る護衛がいなくなったことを意味するが、2分の1の選択を迫られることでもある。思いきっ
た作戦に伊達の心は揺らぐが、決断を急がねばふたりとも逃がしてしまうだけだ。
 
 “五十嵐里美はどっちだ? あの深手を思えば、断崖に飛び込むとは考えにくいが、裏をか
いている可能性も十分ある・・・”
 
 渓流の真ん中で泡立つ物体が、どんどん流されていく。垂れがちな眼を凝らすが、里美か亜
梨沙か、判断はつきそうにない。
 
 「ええいッ!! こしゃくな奴らめッ!!」
 
 憤りに溢れたセリフを吐き捨て、野望の影は崖に沿って走り出す。急な傾斜を巧みにバラン
スを取りながら駆け下りていく伊達が選んだのは、断崖に飛び込んだ少女の方だった。
 
 
 
 河を見下ろしていた角度が、随分平坦になってきた。
 30mほどあった高さは5m近くに低くなり、飛沫を飛ばす渓流の冷たさが、肌で感じられるま
でになった。幅20mほどの河の流れは、この先の奈落に向かって勢いを増しているように見
える。
 激流の真ん中に浮き沈みする物体。その輪郭を、伊達の肉眼はいまや明瞭に捕らえてい
た。
 徐々に距離を縮めていく暗黒忍者の唇は、吊りあがっていた。
 早い段階から、水の流れに抗って、もがき泳ぐ物体の姿は確認していた。傀儡などではな
い、明らかな人間であることは間違い無い。あとはどちらの少女であるかだが・・・
 流される少女が着ているものは、黒の忍び衣装。
 水流に濡れそぼった衣服を、はっきりと認識した伊達の脳裏に、歓喜の電流が流れる。
 
 “この先の滝までにはまだ距離がある。トドメを刺すには十分な時間と距離だ”
 
 伊達の手に漆黒の鎖が握られる。捕獲の蛇が届くまで、あと少し。河岸の崖を疾駆する伊達
の足に力がこもる。
 
 「どうやら、賭けはオレの勝ちのようだな」
 
 勝利の愉悦に溢れた低い呟き。
 息継ぎのために、溺れる少女が水面に顔を出したのは、その時だった。
 
 ――――!!
 
 獣の速度で樹林を縫っていた、暗殺者の足が止まる。
 次の瞬間、踵を返した野望の影は、凄まじい勢いで元来た道を引き返していた。
 
 「おのれぇッ!! たばかりおってぇぇッ!!」
 
 忍び衣装を着た水中の少女が見せた顔は、四方堂亜梨沙のものだった。
 
 
 
 “向こうに行ったか・・・でも多分、亜梨沙の姿に気付いたら、すぐに引き返してくるはず。少し
でも時間を稼がないと・・・”
 
 一旦は崖の反対方向に逃げ出した少女忍者は、元の崖の上に戻って、伊達宗元が走り去っ
ていった方向を眺めていた。
 どこまで伊達がいったかはわからないが、戻ってくるまでには相当な時間がかかるはずだ。
美しい少女はゆっくりと歩を進めることにして、振り返る。
 
 「うッ?!!」
 
 桜の花びらに似た唇から、引き攣るような呻きが洩れる。
 
 「くくく・・・五十嵐里美よ、逃がしはせんぞ」
 
 憂いを帯びた絶世の美少女の前に現れたのは、確かに渓流に飛び込んだ少女を追いかけ
ていったはずの、黒づくめの暗殺者だった。
 
 「そッ・・・そんなバカなッ?!! なぜあなたがここにッ?!」
 
 「わざわざ服を着替えての偽装、ご苦労だったな。だが、所詮このオレには通用しないという
ことだ」
 
 蒼白になった美少女が思わず後ずさる。その衣装は、赤いリボンを胸につけた白のカッター
シャツに、緑のチェック柄のミニスカートという四方堂亜梨沙のもの。五十嵐里美の顔には馴
染まない制服は、少女を可愛らしく見せると同時に、ひどく頼りなさげに見せた。
 
 ジャキン、という音とともに、両方の細長い指に苦無を絡ませ、少女戦士が構える。
 駆け去ったはずの伊達が、予想外の速さで現れたのには驚愕したが、闘う覚悟はとっくにで
きている。
 恐怖を振り払うように、少女忍者は一直線に、悠然と仁王立つ野心の忍者に突進する。
 つい数十分前には、散々嬲られた挙句、処刑寸前にまで追い込まれた少女とは思えない速
度。
 だが、五十嵐里美の本気の攻撃を受けている伊達にとって、今の攻撃は脅威とはならなかっ
た。
 
 「フッ、どうした五十嵐里美? もはやこの程度の動きしかできんのか?!」
 
 「だまれッ!!」
 
 苦無を握った右手を、袈裟切りに振るう。
 ピンと張った鎖が、斬撃を受け止める。一瞬の静止。伊達の口が尖ったのは、そのわずかな
隙をついてのことだった。
 
 吐き出された毒吹き矢が、深深と切れ長の左眼に突き刺さる。
 
 「ぐああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
 
 のけぞるくノ一戦士。左眼を押さえながら、もんどりうって漆黒の忍者から距離を取る。
 
 「あああああッッ―――ッッッ!!! 眼がアッッ!! 眼があああッッッ―――ッッ!!!」
 
 吹き矢というより串。3分の1ほど埋まった竹製の棘を一気に引き抜く。押さえた指の間か
ら、ドクドクと真っ赤な血の糸が垂れ流れる。
 
 「フハハハハ! 光を失ったか、五十嵐里美!」
 
 激痛に悶絶する少女に、休む間もなく追撃が加えられる。うねりをあげて飛来する暗黒の
鎖。捕獲せんとする邪悪な蛇を、それでも少女忍者は身を捻ってかわし続ける。
 
 “きょ、距離感が掴めないッ!!”
 
 片目を失ったハンデが、小さな背中に重くのしかかる。射程距離を外そうと、制服姿のくノ一
は、大きくジャンプした。
 その白い首に、背後から飛んできた、漆黒の鎖が巻きつく。
 
 「ぐえええッッ?!!」
 “なッ、なんでこんな方向から鎖が?!!”
 
 伊達の不可思議な術に、翻弄される少女忍者。
 鎖が完全に動きを封じてしまう前に、縄抜けの術で黒い束縛から逃れる。咳込む美少女は、
片膝をついて大地に着地した。
 憂いを含んだ切れ長の右眼に、忍刀をギラつかせて突進してくる黒い影が映る。
 
 左眼を灼く痛みも忘れ、苦無を構えるくノ一戦士。
 衝撃が、少女を奈落に突き落としたのは、その時だった。
 不意に背後に湧いた気配。
 羽交い締めに捕らえられた少女が、バンザイの格好で無防備な姿を晒す。
 
 ドズウウウウウッッッ!!!
 
 鋭い刀が、少女の鳩尾中央を貫き刺す。
 ゴボリッッ・・・桜色の唇から吐かれた鮮血が、ニヤつく伊達の顔にビチャビチャと降りかか
る。
 ビクビクと震えながら、五十嵐里美の美しい顔が、ゆっくりと背後の拘束者を振り返る。
 
 「なッッ?!!!」
 
 「くくく・・・そろそろ我々の秘密に気付いてきたかな?」
 
 背後から羽交い締めにした男、彼の顔もまた、伊達宗元のものだった。
 目を見開く少女を突き飛ばす。ふらふらとつんのめるくノ一を、前方にいた暗殺者が、抱き締
めて捕獲する。
 
 「はくううううッッッ!!!」
 
 ズブリ、という生々しい刺突音。
 2本目の忍刀が、白いカッターの背中から腹部に向かって突き抜けている。
 滝となって溢れる血潮が、少女の下半身を真っ赤に染め上げていく。ガクガクと揺れる華奢
な身体が、両膝をついて崩れる。
 
 「お・・・お・・・お前たち・・・は・・・・・・」
 
 「ハハハハハ! ようやくわかったようだな! だがもう遅い」
 
 ふたりの伊達宗元が、2本の刀を埋めたままの美少女を、両側から抱え起こす。
 瀕死の少女の白く濁った視界の中で、茂みを割って新たな人影が崖の上に現れた。
 
 「こっちが正解だったか、五十嵐里美」
 
 かすかに肩を上下させて、3人目の伊達宗元は、下流から戻ってきたところだった。
 
 「ご苦労だったな、宗次、宗三」
 
 「なあに。護衛のいない半死人など、敵ではなかったわ」
 
 黒に覆われた野望の忍者が、忍刀を右手に歩を進める。左眼を失い、血の華を咲かせた哀
れなくノ一が、怒りを込めた右眼で睨む中、暗黒忍者は瀕死の少女の鼻先に立った。
 
 「そういうことだ。我らは三つ子の3兄弟」
 
 「これが分身の術のからくりよ」
 
 「だが、我らの秘密を知った者は」
 
 女性らしい肢体を貫通していた2本の刀が、それぞれの主によって引き抜かれる。
 赤い噴水が、少女戦士の腹部から2条、勢い良く放出される。
 大きく仰け反る血まみれの美少女。
 
 「死あるのみ」
 
 ドスウウウッッッ!! ブシュウウウウッッッ!! バシュウウウッッッ!!
 
 3本の刀が、制服の左胸を、右胸を、鳩尾を、貫き刺す。
 少女を捕らえていた拘束が、解き放たれる。
 
 「さらばだ、五十嵐里美」
 
 刀を生やした深紅の美少女が、グラグラとふらつきながら後退していく。
 それはくノ一の最期の意地だったのか。
 血の糸を引きながら、少女の肢体は崖下へと落ちていった。
 
 伊達3兄弟が遥か下の渓流を覗き込んだとき、すでに里美の姿はなかった。
 ただ、絵の具を落としたように、水流に引かれた朱線が一本。
 
 「手間どらせおって」
 
 「これで五十嵐里美の始末はついた」
 
 「よし、行くぞ。あとは現頭領の首をもらうだけだ」
 
 なんの感慨も感じられぬセリフを残して、三人の暗黒忍者が消え去る。
 そのまま二度と、彼らの血の染みついた身体が、忍者の故郷に現れることはなかった。
 伊賀の山奥には、なにもなかったようにトンビの鳴き声だけが、のどかにこだましていた。
 
 
 
 “私・・・なんとか生きてるみたい・・・”
 
 ボロボロの忍び衣装に身を包んだ少女が目を覚ましたのは、白い岩が無数に転がる川岸で
あった。
 河の流れが急激なカーブを描いているため、運良くそこに打ち上げられたのだろう。滝に落
下して以降の記憶が途絶えていた少女の胸に、生還の実感がじっくりと湧きあがってくる。
 
 あの追い詰められた崖の上で、ふたりの少女が話した通りの展開だった。
 伊達宗元が途中まで追ってきていることには気付いていたが、四方堂亜梨沙の姿を認める
や、元の崖に戻っていったようだった。暗殺者の追っ手がなくなったあとは、自然との闘いだっ
たが・・・神は少女に、まだ生きることを許可したらしい。
 
 疲弊しきった身体を、河原の岩に横臥して休める。照りつける夏の太陽と、水面を横切る涼
しい風が、少女に生命の息吹を吹き込むようだ。
 
 その瞬間、全身を巡る血はざわめいた。
 上流から、物体が流れてきている。
 チラチラと見える白や緑が、亜梨沙の学校の制服であると悟った時、少女の身体は渓流の
中に飛び込んでいた。
 物体には違和感があった。あってはならない違和感。だが、どう見てもそうとしか思えない違
和感に、体力を枯らしたはずの少女の身体は無我夢中で動いていた。
 物体を抱える。それは人間だった。
 違和感を与えていたものの正体を確認し、悪夢の的中に激しく揺れながらも、元の川岸にま
で泳ぎつく。
 ハア、ハアと荒い息が続く。
 ようやく息が整ったとき、少女の胸に渦巻くあらゆる感情の嵐が、マグマとなって爆発した。
 
 「いやああああああああッッッ―――――ッッッッ!!!!」
 
 渓流を流れてきた四方堂亜梨沙の身体には、3本の忍刀が突き刺さっていた。
 いや、突き刺さるという表現は正確ではないかもしれない。切っ先は背中を突き抜け、完全
に貫通してしまっているのだから。
 激流に流される間に、五十嵐里美に偽装したメイクはすっかり取れてしまい、勝気な亜梨沙
の素顔に戻っている。だが、血の気を失った顔は死人のごとく蒼白で、唇は紫色に変色してい
る。
 黒の忍び衣装に身を包んだ少女も、同じように里美の素顔に戻っていた。小柄の少女を強く
抱き締めながら、狂ったように里美は絶叫した。
 
 「亜梨沙アアアッッ―――ッッ!!!! しっかりしてえェェッッッ!!! 亜梨沙アアアッッ〜
〜〜ッッ!!!!」
 
 紫の唇が震える。
 うっすらと開く右目。閉じたままの左目からは、朱色の混じった液体が垂れ流れている。長い
睫毛の奥に光る右目には、まだ生命の光芒が蛍火のように宿っている。
 かすかに動く口が、吐息のようなか細い声を絞り出す。
 
 「・・・・・・だ・・・・・・だて・・・・・・は・・・・・・3・・・・きょう・・・・・・・だい・・・・・・」
 
 「わかった! わかったからもうしゃべらないで!」
 
 恐らく、この作戦を考えた時から、亜梨沙は死を覚悟していたのだろう。
 四方堂亜梨沙が、宗家の護衛という重大な任務をひとりで任された理由。その理由を裏付け
る彼女独自の秘術、それは類稀な偽装忍術だった。
 特殊なメーキャップ技術で、自分はもちろん、他人の顔も全くの別人に変えてしまう。
 亜梨沙本人に限っていえば、若干の体格すらも、骨格をいじることで変化させ得るほど、変
装技術は極まっていた。
 
 すでに瀕死状態の里美を、激流に飛び込ませるのは大きな賭けであったが、「万能丸」の効
果と里美自身の底力に託したいちかばちかの勝負だった。一方で、伊達宗元の追撃は、自ら
囮になることで阻止しようとしたのだ。
 
 結果的に亜梨沙の作戦は成功したといえるのだろう。だが、その代償に彼女は己の命を、こ
の山河に囲まれた地で枯らそうとしている。
 
 「・・・な・・・・・・な・・・ななな・・・泣か・・・ない・・・・・・や・・・・・・やく・・・・・・そ・・・・・・く・・・・・・・」
 
 「わかってる、泣かない! だから亜梨沙も、約束通り死んだらダメよ!」
 
 覗き込む里美の瞳から、みるみる透明な雫が溢れ、真っ白な少女の頬に降り落ちる。
 命の灯火を振り絞り、見事役目を果たした小柄なくノ一が、想いの丈を、掠れゆく最期の言
葉に乗せる。
 
 「・・・・・・こ・・・ここ・・・れ・・・・・・・が・・・・・・・・ア・・・アア・・・アリ・・・・・・サ・・・・・・の・・・・・・・・
し・・・しし・・・・・・ししし・・・・しめ・・・・・い・・・・・・」
 
 腕にかかる少女の重さが急に増す。
 ついに吐息は音が出なくなり、少女忍者最期の言葉を、唇の形が物語る。
 
 「あ」・・・・・・「な」・・・・・・「た」・・・・・・「で」・・・・・・
 
 「いやああああああッッッ〜〜〜〜ッッッ!!!! 亜梨沙アアアアッッッッ〜〜〜〜〜〜ッッ
ッ!!!!」
 
 「よ」
 「か」
 「っ」
 「た」
 
 ガクンと、少女の頭が垂れる。
 右目に浮ぶ光芒は、虚無に包まれていた。
 
 「〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!」
 
 人里離れた山河の地に、五十嵐里美の慟哭が、轟いた。
 
 
 
 5
 
 黒塗りのセダンカーが、高速道路を降りてから20分が経っている。
 時刻はすでに11時を回っていた。都会では宵の口といえる時間帯も、地方都市ではほとんど
の店が灯りを消す、真夜中に分類される。日中はそれなりに賑やかなはずの通りも、今ではコ
ンビニか牛丼やの看板が目につくぐらいのものだ。
 東京から休むことなく走り続けている車の中は、静まり返っていた。それは別段、珍しいこと
ではない。必要がないから喋らない。ただそれだけのことだった。
 運転手以外に、後部座席にふたり。
 40代半ばと思しき眼鏡の男と、一回りほど若い逞しい体つきの男。
 目的地に向かって、3人の男を乗せた車は、夜道を滑るように走っていく。
 
 何度か目的地に行ったことがある運転手は、近道を通るため、中心地を離れるコースを選
択する。
 店の明かりがさらにぐっと減少する。
 機械の部品を作っているという、この付近で一番大きな敷地を持つ工場を横に見ながら、震
動の少なさが自慢の車は進んでいく。
 
 パン! かすかな破裂音が聞こえる。
 水の上を滑るように走っていた車が、急にバランスを失う。
 慌ててブレーキを踏む運転手。長年の経験で培ったハンドル捌きで、車は事故を起こすこと
なく停車していた。
 
 「すいません。パンクしたみたいです」
 
 頭部が禿げあがった運転手は、そそくさと車を降りる。後部座席に座る彼の雇い主が、多忙
を極めるのはいつものことだったが、今日は突然こんなところまで行くよう命令されたため、早
く任務を終わらせたい気持ちは、通常以上だった。まったくついてない・・・口の中でごちなが
ら、操縦が不自由になった左の前輪を調べる。
 工場の白い壁が、ずっと続く長い道。
 ポツンポツンと立っている街灯のほかには、光も人影もない淋しい光景の中で、夏の虫たち
の鳴き声だけが騒々しい。この辺りにはまだ自然が残っているようだ。
 
 「遅いですね」
 
 若い男が呟く。隣の男の秘書という立場である彼は、目的地まで迫りながら、遅々として進ま
ぬ作業に苛立ちを感じているようだった。車を降りた彼は、タイヤの近くでうずくまったまま動か
ぬ運転手の元に近寄る。
 
 「おい、直せないのか?」
 
 ポンと肩を叩く。
 硬直した運転手の身体が、そのままゴロリと横に転がる。
 禿げた頭の半分を抉り取られていた運転手は、絶命していた。
 
 「――こッ! これは・・・」
 
 ボンッッ! という爆発音。
 セダンカーの窓に、大量の鮮血がぶちまけられる。
 闇から飛来した凶器によって、秘書の頭部は粉砕され、車を汚す結果となった。
 首から上を無くした死体が断末魔に震え、数秒後仰向けに倒れていく。
 目撃者のいない路地で、あっという間に行われた惨劇。
 ひとり残された眼鏡の男が、険しい表情を刻んだまま、後部座席で微動だにしない。
 
 コンコンと、車の窓をノックする音。
 低いトーンの男の声が、車中に語りかけてくる。
 
 「出てきてもらおうか」
 
 眼鏡の男は、黙って指示に従った。
 銀縁の眼鏡と七三に分けた髪は、生真面目な印象を与えるが、眼光の鋭さと尖った顎は鷹
のようだ。180cm近い身長も、この年代ならかなりの高さといえる。痩せてはいるが、スーツ
の上からでも引き締まった肉体が包まれているのがわかるほど、精悍さが溢れ出ている。
 
 「菱井銀行頭取、五十嵐蓮城で間違いないな」
 
 車を降りた経済界の大物は、襲撃者と顔を会わせる。
 意外なことに、ふたりの部下を殺した賊は、口髭が印象的な顔を隠すことすらせずに、堂々
と目の前に姿を現していた。あるいはそれは自信の表れなのかもしれない。
 
 「ひとつ忠告をしておく」
 
 蓮城の声は、威厳に溢れたものだった。並みの財界人ではない、生まれ持った強者の資質
ともいうべき力感が、風貌から、佇まいから、豪風となって叩きつけてくる。対峙する黒づくめの
賊の背に、冷たいものが落ちてゆく。
 (なるほど、これがあの里美の父親、五十嵐蓮城か)
 一方で賊の中で、歓喜にも近い感情が沸きたってもいた。
 
 「金目当てなら、全くの徒労だ。我が社員の内に、私の命と引き換えに金を出す者など皆無
だ。そう教育してあるからな。人質が私以外の者でも同様だ」
 
 「誘拐など、面倒なことはせん。オレが興味あるのは、頭取ではなく、御庭番頭領である五十
嵐蓮城だ」
 
 黒い襲撃者が、黄色の巻紙を開いて鷹の眼光を持つ男に見せつける。
 そこには里美が次期頭領の座を譲る内容と、彼女の血で押された拇印が刻まれていた。
 
 「伊達宗元というのか」
 
 「そうだ」
 
 「五十嵐に代わって現代忍者の頂点に立つのが望みか」
 
 「貴様を殺してな」
 
 「里美を殺したというのもお前だな」
 
 「そう言えば、必ず貴様はここに戻ってくると思っていた。今は里美が主人になっている、五
十嵐家の本宅があるこの街にな。だが、殺したのは嘘ではないぞ」
 
 「そうか」
 
 「哀しまないのか」
 
 「草の者が、随分甘いことをいう」
 
 蓮城の声に澱みはまるで感じられない。
 娘を惨殺した怨敵が、目の前にいるというのに、怒りも哀しみも微塵も感じさせない。忍者の
頂点に立つ男の精神力に気圧されると同時に、“本物”と会えた喜びが伊達宗元の細胞に溢
れていく。
 
 この男を。
 この男を殺せば、オレが忍者の頂点だ。
 
 つい数日前まで、夢にさえ見なかった大いなる野望が、あの「闇豹」と出会ったことをきっか
けに叶えられようとしている。
 3つの『エデン』をくれるよう頼んだ時は、さすがに嫌な顔をされたが、契約通り五十嵐里美を
葬ったのだから、満足してくれるに違いない。
 五十嵐蓮城がどれほどの実力を持っているかは知らないが、『エデン』の寄生者である里美
を、あれほど容易く始末できたのだ。普通の人間である蓮城が、今の伊達より強いとは思えな
い。
 
 「愚かな男だ、伊達宗元」
 
 黒い妄想にふける暗殺者の脳を、冷ややかな声が現実に戻す。
 
 「くくく・・・ほざけ」
 
 「第一に、お前は致命的なミスを犯している」
 
 「なんだと?」
 
 「現五十嵐家の当主は、私ではない」
 
 衝撃が、反逆の忍者の意識を反転させる。
 
 「そしてあともうひとつ、まだ気付かないのか?」
 
 「な、なにィッ?!」
 
 「里美が本気ならば、お前はもう3度は死んでいるぞ」
 
 ドクンッッッ!!!
 
 氷の手に心臓を鷲掴まれる心地に、伊達宗元は振り返る。
 工場の建物、その屋上。
 黄金に輝く満月を背後に、優雅な風を纏った芸術的なシルエットが浮ぶ。
 広がる絹の髪、彫像のようなプロポーション、波打つ青いセーラー服。そして・・・神秘的なま
での超美貌。
 
 「い、五十嵐・・・里美」
 
 哀愁か憤怒か。
 いや、そういった単純な言葉では説明できない感情を、瞳に宿した令嬢戦士が、神々しいま
での月をバックに反逆者を睥睨している。
 蒼い炎。
 戦慄するまでに美しい里美の、瞳に燃える蒼き炎が、少女を抹殺したと思い込んでいる伊達
を圧倒している。
 
 「相変わらず甘いな、里美。不意を打てば、お前の存在に気付かぬこの男を、死すら気付か
せぬまま葬れたろうに。敵に情けをかけるとは」
 
 「それは違います、お父様」
 
 いつもなら、虫の音よりも心安らぐ里美の声に、伊達は冷たい意志を聞き取っていた。
 
 「反逆者、伊達宗元には恐怖と屈辱の中で死を与えることで、罪を償わせます。宗家に歯向
かった、愚かな罪を」
 
 「き、貴様ッッ!! なぜ生きているのだアッッ?!!」
 
 咆哮する暗黒忍者。四方堂亜梨沙が、里美の身代わりとなって死んでいった事実を知らない
彼は、始末したはずの美少女くノ一の復活に激しく動揺する。確かに八つ裂きにしたのに・・・
あれだけ切り刻んでも死ななかったというのか? いや、そんなわけはない。『エデン』の保有
者であろうが、あの傷で生きていけるわけがない。何人もの人間を闇に葬ってきた伊達には、
少女を貫き刺した忍刀の手応えがはっきりと残っている。
 
 「里美よ、安藤からはお前が死んだという報告を受けたが」
 
 「敵を欺く前に、味方を欺きました」
 
 「だが、この男に遅れを取ったのは事実のようだな」
 
 「申し訳ありません。仕置きを受ける覚悟はできています」
 
 「この男に勝てるか」
 
 「勝ちます」
 
 まばたきひとつせず、父は風の中の娘を見詰める。生きていた娘への喜びも、闘いに赴こう
とする心配も、頼もしい佇まいへの感心も、表面にまるで現すことなく。
 
 「ならば、子供のケンカに親はしゃしゃり出ぬようにしよう」
 
 黒い雷鳴と、白い竜巻が同時に天地を揺るがす。
 郊外の機械部品工場に、巨大な女神と暗黒忍者は現れた。
 銀色の守護天使・ファントムガールと、茶色の肌に黒い甲冑を装着したトカゲ忍者・クサカゲ
の死闘、第2ラウンドのゴングが、住宅もまばらな街の外れで高らかに鳴らされたのだ。
 
 「なめるなッ、ファントムガール! 生きていたなら、また地獄に落とすまでよ!」
 
 黒い頭巾の中で、深紅の双眸が不気味に輝く。
 前回の闘いで圧勝している相手。最終奥義・曼朱紗華により、ファントムガールは自ら敗北を
認めてしまったほど、完膚なきまでクサカゲに叩きのめされている。なのに、暗黒忍者の心に
は、勝者の余裕が露ほどにもなかった。むしろあるのは不安。
 
 “なぜだ、なぜ生きている・・・? しかもあれほど痛めつけられたというのに、なぜまた闘いを
挑む?”
 
 崖の上での場面を、知らず思い返す野望の忍者。
 刀の感覚、絶望した里美の顔。崖下に落ちていった少女の死体を見たわけではないが、あ
の傷で生きられるわけがないのだ。だが、ファントムガールに変身した以上、目の前にいるの
は間違いなく本物の五十嵐里美。
 
 「むッ?!」
 
 ファントムガールが、いない。
 思考に気を取られたクサカゲの虚を突いて、銀色の天使が動いたのだ。ただでさえ、そのス
ピードは反逆者を凌駕している。一瞬の隙を突かれ、完全に敵の姿を見失ったクサカゲは、慌
しくキョロキョロと周囲を見回す。
 
 いない。
 見えない。
 存在の残滓はそこかしこに残っている。逃げたり、巨大化を解除したわけではない。確かに
近くにいるのはわかる。
 だが、“気”を消失させたくノ一戦士の居場所を、動揺する暗黒忍者は捕らえることができな
い。それはむしろ、クサカゲが得意とする戦法だった。
 
 「お、おのれッ!! どこだッ?! どこにいるファントムガールッ?!!」
 
 己の得意技を仕掛けられ、甲冑忍者の動揺はますます大きくなる。みっともないまでに慌て
ふためくクサカゲ。興奮するほど集中力は失い、気配を探ろうと焦るほど敵を見失っていく。そ
んな精神構造など、とっくに承知しているはずなのに、闘う前から動転していた暗黒忍者は、自
らの手でどんどん深みに嵌っていく。
 
 「そこかッ?!」
 
 漆黒の鎖を、工場建物のひとつに飛ばすクサカゲ。
 紙細工のように容易く砕けるコンクリートのビルは、そこに何者も隠れていなかったことを甲
冑をした巨大トカゲに教える。
 ギリ・・・頭巾の奥で歯を噛む音が洩れる。
 その背後に立つのは、白銀の棍棒を構えた銀の女神。
 
 「うッ!」
 
 突然聞こえた呻き声に、甲冑忍者は振り返る。
 漆黒の鎖を首に巻きつけたファントムガールが、予想だにしない別方向から飛んできた鎖の
呪縛に、もがき苦しんでいる。
 
 宗次に助けられたか。
 全くファントムガールを見失っていたクサカゲ・伊達宗元は、同じ姿をした弟の援護を密かに
思う。
 今、里美と対峙している長兄の宗元は、確かに動揺しているが、常に近くに身を潜め、影とな
って援護するふたりの弟宗次と宗三は、直接里美と相対していないため、冷静さを保ってい
た。背後を取られた宗元を救ったのは、死角から飛ばした弟の鎖だ。
 
 これこそが、伊達宗元の強さの秘密。
 ひとりに見せながら、身を隠しつつ3人で標的を葬る。気配を消すことに長けた伊達3兄弟に
とって、この戦法は実に効果的といえた。
 分身の術のからくりも、そうと知れば子供だましのような単純さだが、動揺する敵にはまず気
付かれない。気付くころには、息の根は止まっていた。
 
 そう、現実には3vs1の闘い。
 いくら里美が謎の復活を遂げようと、何度闘いを挑もうと、このオレたちに勝てるわけがない
のだ。
 だが・・・弟の助けがなければ、間違いなくファントム・クラブで頭を粉砕されていたことを思う
と、戦慄が背筋を駆け登る。
 
 「貴様ッ!!」
 
 背後を取られていた怒りと恐怖が、クサカゲを反射的に攻撃させる。振り返ると同時に、黒い
鎖を胸のエナジークリスタルに飛ばす暗黒忍者。
 
 重々しい打撃音を響かせ、鎖はクラブに弾き飛ばされていた。
 攻撃が未遂に終わるや、首に巻きついた鎖が外れ、戻っていく。
 
 「ハチの巣にしてくれるわ!」
 
 両手を振る甲冑忍者。無数の手裏剣が銀の女神に迫る。
 さらに、手裏剣の嵐が背後から。
 左の側面からも。
 ファントムガールの肉体が、ミンチになると思われるほどの大量の手裏剣が、三方向からう
ねりをあげて飛来する。
 
 避難場所は、ない。
 凶器のシャワーに囲まれた女神の手には、クラブではなく、白い帯が握られていた。
 
 「ファントム・リボン!」
 
 右腕を上空に伸ばし、自分を軸にして聖なるリボンを高速回転させる。白い螺旋が少女戦士
を包み、光のヴェールが一瞬にして完成する。
 
 カカカカカカカカカカカンンンンン・・・
 
 高速回転する防護壁が、必殺の意志を乗せた飛び道具を全て弾き飛ばしていく。手裏剣程
度の攻撃力では、リボンのバリアを突破するのは百発、二百発浴びせたところで到底無理だ。
 手裏剣の雨が止む。
 リボンの端を左手で掴んだファントムガールが、回転を止めて身構える。
 
 甲冑の忍者の姿はなかった。
 
 《くくく・・・今度はオレが隠れる番だな》
 
 低いトーンの声だけが流れる。天から聞こえるようであり、地から響くようであり・・・居場所を
悟らせぬ声が、嘲笑うように守護天使の鼓膜で渦巻く。
 青い瞳を右に振り、左に振るファントムガール。
 いつでもリボンを飛ばせるように構えながら、全感覚のアンテナを四方八方に伸ばしていく。
 
 《無駄だ。貴様程度の腕では、オレの気配は探れん。貴様とオレでは忍術の実力に大きな差
があるのを忘れたか》
 
 クサカゲの声には、先程までとは違い、圧倒的な余裕の響きが含まれている。己の勝利のパ
ターンに入ったことを、確信する響き。過去の闘いでは、体術は里美に劣るものの、忍術争い
でいいように弄んできた。勝利の実績が、ファントムガールに対する脅威を、今や薄れさせて
いる。
 
 《くくく・・・さあ、どこにいるかわかるか? 間違えば隙を突かれてしまうぞ》
 
 ネチネチと言葉によりプレッシャーを与えていく。猫がネズミをいたぶるように、ジワジワと女
神の精神を追い詰めていく暗黒忍者。ただ気配を消すだけでなく、時にわざと少しだけ“気”を
もらし、3人で交互に存在を匂わせることで、少女戦士を混乱させる。三つ子ならではの息の
合ったコンビネーションは、標的のレーダーを疑心暗鬼に追いやる。
 
 「そこッ!」
 
 白いリボンが工場の一角に飛ぶ。
 コンクリートの塊が、爆発して破片を宙に舞わせる。ファントムガールの足が、一歩踏み出
る。
 瞬間、別の場所であからさまな殺気が湧く。
 襲撃を受けた者は、気配を絶っている。突如全く別方向から湧きあがった気配に、銀の天使
は怯え慌てる。
 ――はずだった。
 
 「もうそんなトリックは通用しないわ!」
 
 ファントムガールの足は止まらなかった。
 猛然とダッシュし、ニ撃目のリボンを、崩れた工場の瓦礫に飛ばす。
 グオオッ!! 驚愕と脅えの混ざった叫びとともに、瓦礫の山が黒い影を吐き出す。
 甲冑を着た暗黒忍者が、宙を舞って大きく後方に飛んでいく。
 
 「逃がさない!」
 
 反逆者が鎖を投げるより早く、聖なるリボンが甲冑を絡め取る。自らを抱き締めるような形で
捕縛される、暗黒忍者の次兄。
 
 「宗次!」
 
 非常事態に、隠れていた残り二体のクサカゲは飛び出していた。我々が3人であることを知
っていた?! 必殺の戦法を破られ、冷静さを失った二人の忍者は、咄嗟に無数の手裏剣
を、ファントムガールの背に飛ばす。
 
 ドスドスドスドス!!
 
 「あッ!」
 
 全ては予想の範囲だったのか。
 まるで背中に目がついているように、大きく跳躍した銀の女神をすり抜け、鋭利な刃物は兄
弟の胸に突き刺さる。
 
 「あなたたちも、仲間を失う哀しみを知りなさい」
 
 冷酷に言い放つ美の女神の声は、天空から降り落ちた。
 
 「キャプチャー・エンドッ!!」
 
 上空の天使から、白い光の稲妻が、真下の暗黒忍者にリボンを沿って放たれる。
 甲冑に絡みついた螺旋が、聖なる光を爆発させる。
 
 「たッ・・・助けッッ!!」
 
 兄弟に向けられた救いの言葉が、白光の渦に消えていく。
 一際眩い光が夜を裂き、聖なる奔流が宙空を駆け昇る。
 轟音を残して、甲冑の欠片も残さず、暗黒忍者は消滅していた。
 
 「まず・・・ひとり」
 
 光のエネルギーを絡みついたリボンを通じて注ぎ込み、反逆者を滅殺した銀色の少女が、光
の残滓の中で厳かなまでに優美に立つ。美しいが・・・恐ろしさも秘めた勇姿。敵一体を滅ぼし
て、尚その表情に喜びも安堵も油断もない。敢えてあるというならば・・・哀しみ。
 
 「貴様・・・我々が3人であると知っていたのか・・・」
 
 思わず飛び出した二人のクサカゲは、もはや姿を隠そうとはしなかった。
 ファントムガール・五十嵐里美は、伊達が3兄弟であることをわかっていたのだ。だからこそ、
気配を敢えて交互に出すという小細工に騙されず、確信を持って一直線に兄弟のひとりを襲
撃できた。
 
 「もう・・・分身の術などと、芝居を打つ必要はなさそうだな」
 
 暗黒忍者・クサカゲの忍術のカラクリは、全てバレてしまっている。
 別方向から来る攻撃も、分身の術も、クサカゲがひとりだと思っている相手の、精神的死角
を突いた戦術だ。元々3人いると知られれば、なんということはない攻撃なのだ。
 己の秘術のからくりを、見破られていることを知らぬクサカゲが、呆気なく倒されたのも当然
といえた。
 だが。
 
 「忍術を破られ、2兄弟になった今、追い風は貴様に吹いているように見えるが」
 
 「2vs1という数的有利は我らにある。さらに、貴様の体調は今だ万全ではないはずだ」
 
 リボンを構えたまま、ファントムガールは動かない。その丸い肩は、細かく上下していた。
 暗黒忍者の言葉は真実を突いていた。
 五十嵐里美の肉体は、深いダメージを背負ったままなのだ。伊賀の里での死闘からまだ数
日しか経っておらず、元々疲労していた里美の身体は、伊達による更なる苛烈な加虐によっ
て、ボロボロにされてしまっていた。あっさりとクサカゲのひとりを倒せたのは、油断によるとこ
ろが大きい。今のファントムガールならば、普通に3vs1で闘われていたら、恐らく勝てなかっ
ただろう。
 それは2人に敵が減った、現在でも同じことだ。開き直って2人一斉に攻めこまれたら・・・わ
ずかな時間しか、全力を出せない里美にとって、実に厳しい闘いといえた。
 
 「よくも我が兄弟を殺してくれたな。仇は取らせてもらうぞ」
 
 「・・・仇なら、私にもあるわ」
 
 「なに?」
 
 「亜梨沙の仇・・・私のために死んでいったあのコのためにも、お前たちは倒す」
 
 亜梨沙・・・伊賀の里であった、小柄な少女の姿を思い出した時、伊達宗元は、里美が生きて
いた秘密を悟る。
 
 「そうか・・・影武者か。どういう忍術かわからんが、どうやらあの時殺した五十嵐里美は、あ
の小娘だったようだな」
 
 「なるほど。それでそんな身体で、懲りもせずに我らの前に現れたのか。正義の味方が復讐
とはな」
 
 里美が現れた時から張っていた疑問の網がようやくほどけ、クサカゲの口調に余裕が戻る。
3兄弟の秘密を知っていたのも、それならば納得だ。復活したファントムガールの謎が氷解し
た今、もはや暗黒忍者を躊躇させる脅威は、ボロボロの少女戦士にはない。
 
 「自分が正義だなんて思わないわ。でも、私には背負っている想いがある。たとえ間違いだと
しても、その想いのために私はあなたを倒さずにはいられない」
 
 銀色の守護天使が突進する。何度も崩壊の危機を迎えた肉体が、長い時間の戦闘に耐えら
れないことを、里美はよく理解していた。
 
 リボンを飛ばす。白い帯が、まるで光線のように一直線に一匹のクサカゲに伸びていく。
 呼応するかのように、漆黒の鎖が迎え撃つ。空中で絡み合った白と黒は、力任せに引っ張っ
た暗黒忍者の方に、複雑に絡み合ったまま飛んでいく。
 急激にリボンを引かれた女神は、身体ごと持っていかれる前にリボンを手放していた。バラ
ンスを崩すファントムガールに、鎌を握ったもう一匹のクサカゲが殺到する。
 瞬時に紫のグローブに、白銀のクラブが出現する。
 交錯する刃と鋼。火花を散らし、斬りかかる暗殺者の襲撃を、聖少女は受け流していた。
 
 両手にファントム・クラブを握った守護天使が、左右に視線を飛ばす。
 気が付けば、令嬢くノ一は、2人の暗黒忍者に挟み撃ちされる形になっていた。
 
 「その身体でよく動くことだ。だが、そろそろ限界は近いのではないか」
 
 頭巾の下から繰り出される挑発を、麗しき美戦士は無言で返す。
 しかし、その艶やかに発光する肩は、先程よりも大きく上下し、深く刻まれた疲労を、誰の目
にも明らかに晒してしまっていた。
 
 漆黒の鎖が銀色の首をめがけて飛ぶ。
 威力はあるが、単調な軌道。右手のクラブが、叩き落さんと振られる。
 
 「ッッ!!」
 
 予め、そうなることを知っていたのか。
 鎖はクラブごとファントムガールの右手に巻きつき、その手首を拘束する。
 同時に、反対方向から同じように鎖が襲う。
 反射的に左手のクラブで迎撃するファントムガール。
 嘲笑うように、意志を持ったような鎖が、左手首に巻きつく。
 姦計に嵌ったことを里美が悟った時、銀の女神は両腕を封じられていた。
 
 「あッ・・・くッ・・・」
 
 『フハハハ! 貴様は終わりだ』
 
 一斉に無数の鎖が、ファントムガールの両サイドから殺到する。
 首に、腰に、腕に、胸に、太股に、足首に。
 あらゆる部位に絡みつく鎖が、銀色の肌を漆黒で覆っていく。
 
 ババババババッッッ!!!
 
 情け容赦ない闇エネルギーの放射が、最大限で光の女神に注がれる。
 
 「うあああああああああッッッ―――――ッッッ!!!!」
 
 並みの状態ならば、まだファントムガールも、最大の苦手である闇光線のシャワーといえど、
少しの時間は耐えられるだろう。
 だが、今の里美は半病人といっていい状態だ。
 本来なら闘いなど有り得ない少女への蹂躙に、身も世もなく正義の女神は泣き叫ぶ。
 
 「はぐううううううううッッッ―――――ッッッ!!!! あああああッッ―――ッッッ!!! う
ああああああッッッ―――ッッッ!!!」
 
 輝く銀の肌が溶け落ち、黒煙が凄まじい勢いで全身を包む。
 胸のクリスタルと、瞳の青色が点滅を始める。まだ闘いが始まって間もないというのに、すで
にファントムガールは瀕死に追い込まれているのだ。二人の敵に挟み撃ちされ、弄ぶように破
壊光線を流し込まれる美少女戦士の姿は、突然始まった巨大な闘いを見守る人々の目には、
哀れにしか映らない。バババババ! と暗黒光線を浴び続け、正義の使者と呼ぶには、みっと
もないまでにピクピクと悶え震えるファントムガール。嘲笑う甲冑忍者の声が、愉悦に揺れてい
る。
 
 「どうした、どうした? 手も足も出ないか!」
 
 「仇を討つのではないのか? さっきから泣き叫んでいるだけだぞ」
 
 「もはや逃げることもできまい」
 
 「そうやって震え苦しみながら、死んでいくがいい」
 
 ヴィーン、ヴィーン、ヴィーン・・・暗黒光線が聖少女を死滅させていくのに合わせるように、け
たたましく胸のクリスタルが点滅を繰り返し、鳴り響く。
 死んでしまう。
 このまま闇のエネルギーを浴び続ければ、守護天使は聖なる力を食い破られて、死んでしま
う。
 誰の目にも銀の女神の敗死がはっきりと想像できた時、彼らの想像を確信に変える鐘の音
が夜空を駆ける。
 
 ガラン・・・・・
 白銀のクラブが指から離れ、大地に哀しげな落下音を響かせる。
 己の武器を手放してしまったファントムガール。もはや彼女に、武器を持つエネルギーさえ残
されていないというのか?
 
 違う。
 クラブは落ちたのではない。落としたのだ。
 素手になった掌から、白い光線が発射される。左右から挟み撃ちするふたりの忍者の顔面
に、同時に直撃する。
 悲鳴をあげる甲冑トカゲが、たまらず鎖の呪縛を手放す。
 
 闇光線の集中砲火を、ようやく逃れたファントムガール。だが、長い間火炙りに架せられてい
たのと同じ、残虐な仕打ちのダメージで、身体中に鎖を巻きつけたまま両膝から崩れ落ちてし
まう。
 力を振り絞るように、震える右手を勢いよく天に伸ばす。
 紫のグローブに握られたのは、直径が身体の半分ほどもある光のリング。
 自分の身体に向かって、輝くリングをひと振るいすると、巻き付いていた暗黒の鎖が断裂し、
ドシャドシャと地を揺るがせて落ちていく。
 
 「しぶとい女め、トドメを刺してくれるわ!」
 
 暗黒忍者のひとりが、跪いたままの女神に一直線に突進してくる。
 
 「ファントム・リングッッ!!」
 
 必殺の意志を乗せ、大きく振りかぶった右手を力強く振る聖少女。
 闇を切り裂き、聖なる光の輪が、甲冑忍者を迎え撃つ。
 跳んだ。
 凄まじい跳躍力を見せつけたクサカゲの足下を、うねりをあげるリングが通り過ぎる。
 遥か上空に跳びあがった黒い甲冑を見上げるファントムガール。その背後に、気配を絶った
もうひとりの暗黒忍者が迫る。
 
 「はあうッッ?!!」
 
 下腹部を貫く灼熱の激痛に、ビクンッッと背を仰け反らせた守護天使が呻く。
 クサカゲの手刀が、股間の蜜園と後ろの狭門に突き刺さっている。
 
 「ふはははは! 曼珠紗華の妙味に、息絶えるがいいッ、ファントムガール!」
 
 ふたつの穴に両手を突き入れたまま、一気にスレンダーな肢体を、頭上高々と差し上げる暗
黒忍者。
 華麗な花弁のように、手足を突っ張らせてビクビクと震える聖少女の身体が、串刺した2本
の貫き手に埋まっていく。激痛と悦楽の串刺し刑。身を抉られる地獄に、銀色の唇から、細く長
い絶叫が迸る。
 
 「トドメだッッ!」
 
 豆粒ほどに小さくなった上空のクサカゲが、みるみる落下し、魔忍者の秘儀に捕らえられた
若き女神の頭上に落ちてくる。
 全体重に加速度を加え、甲冑忍者は逆立ちの姿勢で銀の少女の両肩に着地した。
 
 ズブズブズブズブッッッ!!!
 
 「ひゅぎィィゅあああああアアああッッッ――――ッッッッ!!!!」
 
 銀色の地獄花が狂い咲く。
 すべての指を大きく広げ、反りかえったまま硬直した正義の少女の股間から、白濁した液体
が滝となって噴出する。
 開いたままの口からは、ファントムガールの水分を搾り取るように、大量の涎と泡が垂れ落
ちる。胸を伝い、腹を流れ、少女を支える暗黒忍者を、ビショビショに濡らしていく。
 もはや、ファントムガール・五十嵐里美にできることは、悲鳴をあげることと、悶え苦しむこと
だけだった。
 脱出は不可能。
 人類最期の希望と謳われ、現代忍者の次期頭領と呼ばれる少女が、怨敵の秘儀の前に、
二度も成す術なく屈してしまうのか。
 
 一点の光が、煌きを放つ。
 勝利の確信に、頭巾の奥で歪んでいたクサカゲの顔が、一瞬にして引き攣る。
 光は形を伴って、どんどんと暗黒忍者に迫ってくる。
 ファントム・リング。
 空を切ったはずの守護天使の武器が、今、大きく迂回して舞い戻ってきたのだ。
 慌てる暗黒忍者。しかし、頭上でふたり分の体重を支えた身体は容易に動くことができない。
引き抜こうとする両手は、食い込んだ聖少女の秘裂と菊門にきつく締めつけられ、封じられて
しまっている。
 
 「ッッ!!」
 
 銀色の天使が自らを囮に、「曼珠紗華」を敢行させたことに気付いた時、光のリングは漆黒
の甲冑をすり抜けた。
 一瞬の静寂。
 頭頂から股間まで赤い切断面を覗かせ、絶命した暗黒忍者がちょうど真ん中から真っ二つ
に分かれて倒れていく。
 
 「そ、宗三・・・」
 
 弟ふたりを葬られ、残った伊達3兄弟の長兄が立ちすくむ。
 曼珠紗華でトドメを刺しにくることを、五十嵐里美は読んでいたのだ。ファントム・リングの標
的は初めから、曼珠紗華を仕掛けているであろう、数分後の敵だった。新体操で、オリンピック
の強化選手にまで選ばれた里美の実力からすれば、リングを自在に操ることなど難しいことで
はない。
 
 これで1vs1。
 ヴィーン、ヴィーン、と胸のクリスタルを点滅させながら、銀色の女神が立ち上がる。
 元々のダメージに加え、対極の闇光線を存分に浴びた聖少女。一度は身も心も敗れ去った
必殺の曼珠紗華を再び食らい、先程まで断末魔の苦鳴を叫び続けていた瀕死の女神。
 立っているのもやっとの正義の天使と、全くダメージを受けていない暗黒忍者の生き残りが
対峙する。
 
 “五十嵐里美・・・・・・”
 
 銀色の小さな肩が激しく波打っている。
 小刻みに震える全身。ほとんどのエネルギーを枯らした女神が、伏し目がちに構えも取らず
に立っている。
 
 “この女は強い。オレより遥かに”
 
 野望の炎を燃やし、暗い欲望に身を委ねていた反逆者は、この時、五十嵐の家に生まれた
少女の実力を感じ取った。
 恐怖と戦慄が湧きあがる。伊達にはわかった。この少女と闘って、勝てるわけがないことを。
弟たちの無念の死も忘れて、甲冑忍者の足が逃走に向かう。
 
 ズブリ
 
 両足の甲に、2本の忍刀が突き刺さる。
 
 「忘れ物よ」
 
 大地に縫いつけられた巨大トカゲが、甲高い悲鳴を轟かせる。
 四方堂亜梨沙を惨殺した忍刀。少女忍者の身体に突き刺した凶器が、今、里美の手から持
ち主に戻されたのだ。
 守護天使の紫の指が、正三角形を形作る。
 女神に残った正エネルギーが白く発光しながら三角形に充満していく。必殺の光線が放たれ
るまでには、四秒。死へのカウントダウンが、残忍な暗殺者を追い詰めていく。
 
 「やッッ・・・やめろォォッッ―――ッッ!!! やめてくれえェェッッ!!」
 
 身体を捻り、必死で懇願するクサカゲ。死の恐怖が過信に満ちた反逆者の心を完全に飲み
込んでしまっていた。自らの刃で動きを封じられ、逃げることのできない黒い甲冑に向かい、三
角形が白く輝いていく。
 
 「お願いだあッッ――ッ!! 許してくれッッ!! なあ、頼むッッ!!」
 
 反逆の忍者の口調には哀れみが篭る。その言葉が演技ではないことは、里美にもわかっ
た。
 
 「2」
 
 だが、現代忍者の宗家に生まれた娘は、反逆者の懇願を無視した。
 
 「うわああああッッ〜〜〜ッッッ!!」
 
 泣き叫ばん勢いで、暗黒忍者が狂ったように攻撃を繰り出す。手裏剣を投げ、鎖を飛ばし、
鎌を放って、破壊光線を撃つ。
 
 「3」
 
 手裏剣が胸に突き刺さる。鎖が首に巻きつき、鎌は腹筋を抉り、暗黒のビームは美しいマス
クを直撃する。グラリと仰け反る守護天使。血風を撒き散らしながらも、その指に集まる聖なる
光は勢いを止めない。
 
 「ヒイイイイッッ〜〜〜ッッッ!!!」
 
 死の実感に、引き攣った悲鳴が黒頭巾の奥から奏でられる。
 
 「4」
 
 聖なる光のシャワーが、暗黒忍者を包み込む。
 眩い奔流が闇夜を裂いて天を駆ける。光の散弾銃が、野望に囚われた暗黒の甲冑を砕き飛
ばす。
 獣の絶叫が夏の夜空に響き、正のエネルギーを具現化した白い放射に溶け込んでいく。
 
 ファントムガールの必殺技「ディサピアード・シャワー」の照射が止んだ時、反逆の暗黒忍者
はひと破片も残すことなく消え去り、後にはヴィーン、ヴィーンというクリスタルの点滅音だけ
が、夜の街外れに流れていった。
 闇に浮びあがる銀色の肢体は、死闘に薄汚れた肌を露にしながら、ただじっと佇んでいる。
 まるでなにかを夢想するように、闘いの終わった戦地を、令嬢戦士は立ちすくんでいる。
 意を決したように、哀愁を帯びた美貌は月の輝く天を見上げた。
 金のかかった茶色の長い髪を、風がそっと撫でていった。
 
 
 
 「おかえりィ〜〜ッ、里美さん!」
 
 弾丸となって飛び出してきたショートカットの少女が、スーツケース片手の里美に抱きついてく
る。
 清潔な純白のワンピースに身を包んだ里美の帰還を、誰よりも待ち望んでいた藤木七菜江
は、五十嵐家の門をくぐって現れた尊敬する先輩の胸に、ペットのように飛び込んでいった。あ
まりの勢いに、思わず里美は倒れそうになる。重なる死闘で刻まれた傷が、苦痛を美少女に
送り込んでくるが、何も知らない七菜江に悟らせないよう、里美は笑顔を崩さないでいた。
 
 「もう身体の方は大丈夫なんですか?」
 
 後からトコトコと歩いてきた桜宮桃子が、完璧といっていい笑顔で語りかける。七菜江のよう
な弾け方は、普通の女の子に最も近い桃子には到底できないが、彼女が里美に再会できたこ
とを最大限で喜んでいるのは、その笑顔を見ればすぐにわかった。
 
 「ええ。完全にではないけれど、8割方は戻ったかな」
 
 遠くで見守る白髪混じりの執事をちらちらと見ながら、里美は優しい嘘をついた。
 同居するふたりに気付かれず、来るべき決戦に備えて里美が体調を整えられたのは、安藤
の力が無ければ不可能なことであった。個人的ともいえる今回の闘いに、他のファントムガー
ルたちを巻き込むことだけはできなかった。恐らく父・蓮城の命を狙っているはずの伊達を誘
い出すため、東京で生活している父を、偽の情報でこの街に呼び出したのも、安藤のおかげで
ある。
 こうして無邪気に七菜江や桃子と再会を喜べるのは、今回の騒動を全て悟らせないようにし
た、老執事の尽力の賜物であった。
 
 「里美さん、ちっとも連絡してくれないんだもん。心配しましたよォ」
 
 「ごめんね。すっかりバカンスを楽しんでたものだから」
 
 口を尖らせて、猫顔の美少女は膨れてみせる。
 
 「どこ行ってたんですか?」
 
 代わりとばかりに質問する、ミス藤村女学園の美少女。
 
 「それは内緒」
 
 「ええ〜〜ッ」
 
 不満げにブーイングを合唱する美少女ふたりに、微笑みながら里美は言う。
 
 「でも、私が五十嵐里美であることが、五十嵐里美をやらなくちゃいけいことが、よくわかった
わ」
 
 言葉の真意が飲み込めないナナモモコンビは、互いに顔を見合わせクエスチョンを頭上に浮
べる。
 
 「ところで、ナナちゃんこそどうしたの? ひどい格好じゃない」
 
 ティーシャツにホットパンツという夏らしいファッションの七菜江だが、その下は身体中に包帯
が巻きつけられている。彼女が戦士であることを知る者なら、激闘の後を想起せずにはいられ
ない姿だ。
 
 「こッ・・・これはそのッ・・・あのッ・・・えと・・・」
 
 「ああ、これはですねぇ」
 
 口篭もるショートカットの少女を尻目に、隣の桃子が滑らかに喋り出す。持ち前の運動神経
で、七菜江は咄嗟に桃子の口を塞いだ。
 
 「ふがふが・・・ふぁふぃひゅうのッ?!」
 
 「これはですねッ・・・あのッ・・・湿疹! そう、湿疹なんです! 全身に湿疹ができちゃって。
それで包帯で隠してるんですよ。あはは。別に闘いでケガしたとか、そんなんじゃ全然ないです
からッ! ホントに。ね、モモ、ねッ!」
 
 最後の「ねッ!」に必要以上に力を込めて、同意を求める七菜江。年の割りに色香漂う厚め
の唇を尖らせつつも、桃子は仕方ないとばかりに首を縦に振る。
 
 「・・・わかったわ。湿疹ね」
 
 相変わらずの七菜江の不器用さに呆れながらも、里美は頷くことにした。仲間に心配かけた
くない、という気持ちは、里美だけのものではないということなのだろう。ただ、リーダーとしての
役割として、釘を刺すことも忘れなかった。
 
 「今回は無事に済んだみたいだけれど、あまり単独で無茶してはダメよ」
 
 「あはは」
 
 顔を赤らめた七菜江の視線は、思わず天を見上げていた。
 
 「あれ、リボン白から変えたんですか?」
 
 何気に里美を見ていた桃子が、茶色のかかった長い髪に付けられたリボンが、いつもと違う
ことに気付いたのはその時だった。
 
 「ええ、たまには、ね。大切なことを、忘れないように」
 
 優美と華麗と純潔を現したような、白いリボンの代わりに付けられているのは、可憐な印象を
与える赤いリボンだった。蝶々の形を模したリボンは、髪に飾るものとしてはやや大きい感じが
する。胸元につけるのがちょうどいいくらいの、制服のリボンのような大きさだった。
 
 「大切なこと?」
 
 五十嵐里美の憂いを秘めた視線は、遠く緑の山林を見詰めているようだった。
 
 「私が五十嵐里美である以上、私は生きていかなきゃならないってこと。・・・たとえ、誰かを犠
牲にすることがあっても。それが死ぬより辛いことでも」
 
 赤いリボンが風に揺れる。
 里美の言葉は、まだ精神年齢的には幼いふたりの少女に、重く響いてきた。だが、少女たち
が怯むことはなかった。それは西条ユリや霧澤夕子がこの場にいても、同じ表情を見せたであ
ろう。なぜなら、彼女たちはすでに、五十嵐里美のために、命を捨てる覚悟ができていたのだ
から。
 強い眼差しを浴びながら、里美は口の中で、呟いた。
 
 「でもやっぱり・・・・・・もう誰も犠牲になんかしない。させないわ」
 
 美しき少女戦士の強い決意が、夏の風に溶けていった。
 
 
 
                 《 ファントムガール 第六話  −完ー 》
 
 
 
 

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