Feldenさま作 ファントムガール&Zeal of Ultralady



    序章

 その場所は、見渡す限り炎の海であった。
 東京都江東区有明の一角。
 普段ならば、様々な国際展示施設や会議施設として機能しているはずの巨大建造物。通称
『東京ビッグサイト』。
 東京湾岸に幾棟も展開された、その建物のほぼ全てが、今は劫火に焼かれて周囲の景色を
紅く染めていた。

 無数の死傷者を出したその惨禍は、たった一人の魔人によって引き起こされた物であった。
 展示場から立ち上る炎の壁を背景に、50メートル近い身長を誇る魔人は、周囲を睥睨する
かのごとく立ちつくしていた。
 その姿は、人間と同じヒューマノイドの体型ではあるが、まさに悪魔としか形容できないほど
禍々しい。
 下半身はメタリック調に輝くグレーの金属装甲に覆われ、腰に鋭利なデザインの白い腰巻き
を装着している。材質はやはり金属の繊維でできてるのか、光を微かに反射し、見る角度によ
って赤にも青にも映る不思議な色彩である。
 上半身も人間そのままの体型だが、脇腹や肩といった体の側面には、紫の鱗と思しい物が
生えそろっている。鱗の隙間から見える暗灰色の皮膚と相まって、凄まじいばかりの邪気を感
じさせるほどだ。
 くすんだ灰色の頭髪に覆われた頭部は、側面に二本の銀光りする角を備え、より一層悪魔
的なデザインを際だたせている。
 そして、悪魔の細面な顔面は、端正な作りながらも、やはり見る者に怯えと嫌悪の念を抱か
せずにはおかない。首筋から頬を通ってこめかみに至る部分まで、上半身と同じ紫の鱗がひし
めいていた。
 高い鼻筋はそれほど変わった物ではないが、その下の唇は色も厚みもなく、引き結ばれた
長い線としか見えない。
 何より特徴的なのは切れ長の両眼である。彫りの深い眼窩に、漆黒のレンズが填め込まれ
ており、あまつさえ瞳を備えている。それは、まさに金環食だった。
 一切の光を反射しない黒点となった瞳の周りに、黄金の炎が輪となって燃えていた。

 だが、悪魔は、自ら破壊の限りを尽くした周囲の現状に、喜悦の表情を浮かべながらも、ど
こか警戒の雰囲気を発散している。
 巨大な悪意の権化に緊張を抱かせる存在は、その200メートル前方にあった。

 炎を立ち上らせ、半ば灰燼に帰した建造物の合間。そこで悪魔と正対して屹立するのは、ま
さに女神であった。
 悪魔より少し小柄なものの、その身長は45メートルほどもある。
 周囲の展示場の屋根が、腰にも届かないほどの巨大さである。
 女性としてこれ以上ないほど整ったプロポーションは、しなやかながらも引き締まっており、強
靱な筋力を内包しているのが一目で見て取れた。
 また、神々しく銀色に光る全身には、深く澄んだ群青色の模様が描かれている。
 腰巻きを身に纏った悪魔と対照的に、ごく軽装ではあるが、鈍色の肩当てと胸当てを身につ
けている。
 同じく鈍色のヘッドギアで包まれた頭部からは、流れるような銀髪のストレートヘアが腰の辺
りまでこぼれ落ち、吹き付ける熱波にそよいでいた。
 線の細い卵形の輪郭の中には、目鼻立ちのクッキリした秀麗な美貌が備わっている。
 彫像のように整った眉目、形良く伸びた高い鼻梁、厚みは薄いが文句の付けようのない形の
唇。
 柔和なアイラインの中の目は、澄み渡った海洋を思わせるブルー一色に輝いており、思わず
見とれそうなほど美しい。
 顔面部位のほとんどは体と同じく銀色一色だが、目尻から頬にかけての側面に、青い腺が
走っており、大きなアクセントとなっていた。
 それら全ては、仮面のように無表情を形作ってはいるものの、不思議と見る者の心に安堵感
を湧き起こさせる。

 邪気と闘気を立ち上らせ、対峙する2つの巨大な陰影。
 それは、まさに悪魔と女神の戦いの構図であった。

    1

 人類が地球と名付けた青い水の惑星。
 そこに現れたこの二体の巨大な存在は、元々この星にいた物ではない。
 地球の人類にすれば、遙かな過去の時代から、この悪魔と女神の勢力は幾度と無く激突し
て来たという。
 地球と同じく青く美しい女神の母星で。灼熱を恒星を眺められる宇宙空間で。一切の生が存
在しない砂の衛星の上で。
 それこそ、幾たびも場所を変えて、両者は戦いを繰り広げたのだ。
 しかし。
 奪い尽くし、滅ぼす。それのみを信条とする悪魔たちは、永劫にも思える長い戦いののち、つ
いに女神の勢力に打ち破られた。
 怨嗟の呪詛と共に暗黒の宇宙へ逃れた数少ない悪魔は、膨大な時間の流浪の末、この生
命に満ちた星・地球へと流れ着いたのだ。
 悪魔は歓喜した。
 再び破壊衝動を満たし、殺戮に酔う事ができる。何より、己に流浪の運命を強いた女神たち
へ、復讐するだけの力を育てられる。
 地球の人類は、悪魔にとって何の障害にもならなかった。
 戯れの一撃で人間の抵抗はあっさりと吹き飛び、好きなだけ蹂躙を繰り返せるのだ。
 だが、悪魔の所行を、女神は見のがしてはいなかった。
 悪魔の地球侵攻と時を同じくして、女神もこの星に降り立った。
 空間を操り、次元すら跳躍する力を持って、女神はすぐに悪魔とその配下の巨大生物たちへ
戦いを挑んだのである。
 この星に生きる人間の女性と同化した女神は、幾度と無く悪魔の放った巨大生物を撃退し、
地球の人類を守護し続けた。
 それらは全て、女神らしい慈愛と正義感ゆえの行為であった。
 そして今ここに、ようやく現れた悪魔との直接対決の時を迎えたのである。

『ゼクスノーツ! この地球に、これほどの災禍をもたらしたあなたは、もはや処断の対象でし
かありません。大人しく私にしたがい、この銀河の法の裁きを受けなさい!』
 女神は悪魔を指さし、厳然たる口調で言葉を突きつけた。
 しかし、それは実際の音声ではない。地球では未だ確立されていない精神波、つまりテレパ
シーによる通信であった。
 対する悪魔・ゼクスノーツは、引き結んでいた唇を邪悪な笑みで象った。
『クククク、相も変わらず聞き飽きた口上を。……俺を止める気なら、力を持ってねじ伏せてみ
ろ。上等執行官ジール!』
 女神の名を呼ぶと同時に、ゼクスノーツは虚空から光の槍を生み出し、焦土を蹴って突進し
た。
 対する白銀の戦女神・ジールも、すぐに右手から青い光線剣を発生させ、その場で身構え
た。
 上段から打ち込まれた悪魔の一撃を、ジールは俊敏な動作によって光線剣でいなすと、衝撃
波を巻き起こす程の上段後ろ回し蹴りを繰り出した。
 顔面を直撃をもらってよろめくゼクスノーツに、猛烈な勢いで刺突を送り込む。
 だが、悪魔は上体を蛇のように反らせてその攻撃をかわすと、手にした槍を大地に突き立
て、それを支点として背後に飛びすさる。
 着地したその目前に、瞬時にして迫っているジール。
 疾走する戦女神の連撃に押され、悪魔はなおも後退を余儀なくされた。
 秒間十数撃の猛打を全て受けきられたと察したジールは、その刹那、左手を伸ばして悪魔に
照準を合わせた。
 必殺の威力を誇る、主砲の飛び道具の構えであった。
 膨大な荷電粒子流であるそれは、一瞬のエネルギーの溜め時間と引き替えに、絶大な破壊
力を生み出す。
 とても槍一本で防げるような物ではない。
 しかし、悪魔が待っていたのはまさにその瞬間だったのだ。
 腰に装着した金属布の端を握りしめると、瞬きほどの間も置かずにそれを閃かせる。
 ズパァァァ、と重量物を切断するような音の連なりと共に、戦女神の全身が勢い良く血煙を吹
いていた。
『っくうあぁっ!!』
 幾重もの刃に変化した金属布は、ジールの美しい肢体の端々に裂傷を負わせていた。
 傷は浅いが、唐突な反撃に怯む白銀の戦女神。ゼクスノーツは、続けざまに返す一閃をそ
の全身へ送り込んだ。
 光線剣で切り払おうとしたジールの目前で、またもや金属布は信じがたい変化を遂げる。
 一挙にそれまでの数倍に面積を広げ、光の剣をかいくぐりつつ、あらゆる方向から戦女神の
四肢に巻き付いたのである。
『捕らえたぞ! 貴様が力つきるまで、このまま踊らせてくれるっ!!』
 ゼクスノーツが金属布を握りしめる手首を、僅かに引いた。腰を落として身構えたジールの
抵抗も空しく、銀色の巨体はそれだけで真横に吹っ飛び、今なお炎上する展示場の外壁へ叩
きつけられる。
 巨大な建造物を派手に粉砕し、その残骸に埋もれたジールは、苦しげに上半身をもたげた
『ぐっ!……これしきで私を倒せると思って……ッ!?』
『思わんよ。貴様の踊りは、まだまだこれからだからな!!』
 瓦礫の山から引きずり出され、再び宙を舞う戦女神の肢体。
 より一層勢いを付け、今度は別の建物に激突させられる。
『がふっ!!』
 それが幾度となく繰り返され、その都度ジールは苦悶に満ちた声を上げた。
 だが、十度目の叩きつけを見舞おうとした時である。
 不意に戦女神の左手の指先が輝き、そこから迸った閃光がゼクスノーツの顔面を直撃す
る。
『ぬぐっ!? き、貴様!』
 ほんの僅かに顔を背けた悪魔が、視線を元に戻した時、そこにはジールの突進する姿が視
界いっぱいに広がっていた。
 ズドオッ! と爆発めいた音を発したのは、白銀の戦女神が悪魔のみぞおちに叩き込んだボ
ディブローである。
『……ゲハッ!』
 人間の対戦車ミサイルにも傷一つ突かなかった肉体が、ジールのその一撃のみで口腔から
血をぶちまけつつ、背後にくずおれてゆく。
 ジールはさらに己の体に巻き付いた金属布を手繰り、ふらついたゼクスノーツを引き寄せ、
その首筋を両手で握りしめた。
『これで終わらせます。覚悟ッ!』
 戦女神の体が淡い輝きに包まれたと見えるが早いか、瞬時にして周囲は凄まじい閃光で白
一色に染め上げられていた。
 ジールが全身から迸らせたのは、桁違いエネルギー量を誇る、プラズマジェットの嵐であっ
た。
 主砲の荷電粒子砲と同じく、ただの一撃で巨大生物を消し飛ばす威力を誇っているが、周囲
の人類への被害を考慮して、これまで滅多に使う事はなかった。
 だが、すでに数キロ四方に渡って生物が消え失せた現状では、使用に何の制約もなかった。
 光が収まり、焦土どころか更地と化した大地に立っているのは、二体の巨大な影のみであ
る。
 だが次の瞬間、攻撃を仕掛けたジールの方が、全身から紅い鮮血をまき散らし、大地に片
膝を折ったのである。
『うううああっ、こっ、これは一体……!?』
『フフ、どうにか回避が間に合ったな……。貴様の体に巻き付けておいたこの腰布を、刃として
引き抜き防御に回したのよ』
 辛うじて立ったまま、背後へ二・三歩下がるゼクスノーツ。
 この悪魔が言う通り、ジールの全身の損傷は、決して技の反動ではない。
『クッ……』
『しかし、恐るべき力だ。奴らが警戒するのにも頷ける。貴様の力を直に把握したからには、こ
れ以上リスクを負うつもりはない。……引かせてもらうぞ』
 言うなり、宙に浮かび上がるゼクスノーツ。
『待ちなさない!!』
 どういう原理でか上空へ飛翔した悪魔に、白銀の戦女神は弾丸のごとき勢いで突進し、その
まま空中で組み付いた。
『おのれ、しつこい女め!!』
 航空機など及びもつかない速度で上昇を続ける二体の巨影。その周囲の景色が、不意に揺
らいでゆく。
『あなたのような者を、これ以上野放しにはしない!』
『……ふん、遅かったな! もう時空間転送を発動させた。あと数秒で俺は母船に転移する。
貴様はこのまま、歪んだ空間が復元する際の衝撃で弾け飛ぶがいい!』
『無駄です! 今私が空間干渉を施した以上、正しい目的地に辿り着く事はありえない!転送
を解除なさい!』
『貴様ぁ!』
 この時、常に余裕めいた雰囲気を崩さなかったゼクスノーツが、初めて怒りと焦りのみで顔を
引きつらせていた。
『何をしているのです。早く解除しなければ、どこへ飛ぶのか分からないのですよ!?』
『貴様ごときの思い通りになる物かよ! このまま出力を上げて吹き飛ばしてくれる!』
 女神と悪魔が言い争う間にも、周囲の空間はますます歪みを増し、明らかな異常事態である
事を告げてくる。
 次の瞬間、二体の巨大生物は、硬質物が砕けるような大音量と共に、虚空へと飲み込まれ
ていった。



「でねでね、里美さん。夕子ってば、おっかしーの!!」
 弾けるような明るい少女の声が、小綺麗に整った洋室に響き渡る。
 イタリア製のセミダブルベッド、地味ながら素材と仕上げの良さが光る応接用のテーブルと椅
子、部屋一面に敷き詰められた最高級のペルシャ絨毯。
 並みの家庭には一生施される事のない調度品の数々。
 一見して分かる富豪ならではの洋間の片隅に、声の主の少女はいた。
 幅広なアンティークチェアに腰掛け、目の前のテーブルへ白い陶器のティーカップを戻した声
の主は、一目見れば決して忘れられない程の美少女であった。
 利発そうなクッキリした目鼻立ちに、みずみずしく整った唇。
 それらがホームベース型の小顔の中で、実にバランス良くお互いを引き立て合っており、可
愛らしさと青春の美を思い切り発散していた。
 自然なウェーブのかかったショートカットの髪型も、これ以上ないほど似合っており、どこか猫
のような愛くるしさに溢れている。
 さらに印象的なのは、そのスタイルの良さであった。
 顔立ちは若々しい少女の物であるのに、その肉体は早くも成熟の色を見せている。
 高く盛り上がった豊かなバスト、極めて無駄なく引き締まったウェストのライン、形良く張り出
したヒップ。
 まさにその芸術的な肢体は、椅子に腰を掛けた体勢でも、いささかの魅力も失っていない。
 服装は、デニム地のパンツに、柄物のTシャツ。その上から羽織ったクリーム色のYシャツ
と、全体的にスポーティで健康美に溢れた装いで統一している。
 少女の名は藤木七菜江。
 しかし、この場所とは少々かけ離れた容姿が示す通り、部屋の主ではない。
「この前、モモに教えてもらって、一緒に料理を作ったんだけど、始める前にいきなり素材のカ
ロリー計算とか始めちゃってるんですよ! そんなの、ふつーありえないって」
「ふふ、でもその話なら夕子からも聞いてるわよ、ナナちゃん」
 七菜江の溌剌とした声に応じたのは、テーブルの向かいからの落ち着いた声である。
 しかし、何と淑やかさと優しさに満ちた声色だろうか。
 容姿も、それに相応しく、ただひたすらに美しい少女であった。
 決してキツくはない切れ長の目、少女として理想的な形の高い鼻梁、小振りながら柔らかく潤
った形のよい唇。
 そんな顔立ちを包むのは、シルクですら及びもつかない滑らかなロングヘアだ、
 穏やかな微笑を浮かべるその少女の体型は、七菜江ほどのボリュームはないが、スレンダ
ーながらもメリハリに富んでいる。
 しなやかな全身に纏う服装は、薄いヴァイオレットで統一されたワンピースで、ボーイッシュな
七菜江と好対照の美少女像を具現化していた。
 余りの整った姿のため、醸し出す雰囲気は幻想的ですらある。
 色気づいた年頃の男ならば、一目見た途端に茫然自失し、その姿を目で追い続けてもおか
しくはない。
 彼女こそがこの部屋の主であり、名を五十嵐里美という。

「えーっ、それってどんな事言ってました!?」
 思いもかけない返答をされた七菜江が、目を丸くして里美に尋ねた。
「フライパンの中に入った物を、必ず空中でひっくり返そうとするから、食材が飛び散って、周り
には良い迷惑だとか……」
「むぅ……。夕子めーっ、あたしの失敗だけを里美さんにクローズアップして伝えてるのかっ!」
 口先を尖らせた七菜江を、里美は困ったような笑顔でなだめにかかる。
 窓から差し込む午前の光に包まれた二人は、理想的な美しい姉妹にすら見えるほどだった。
 と、その時。
 コンコン、と乾いた音を立てて部屋のドアがノックされる。
「どうぞ」
 里美の了承を得て開かれたドアから、黒いスーツを纏った初老の男性が姿をのぞかせた。
「おくつろぎの所失礼致します。お嬢様、藤木様」
 慇懃ながらも、その奥に暖かい人柄を感じさせる声色であった。
 姿勢が良く、一部の隙もない佇まいを見せる老紳士は、五十嵐家の執事である安藤である。
「どうしたのかしら? いつもより表情が厳しいけれど」
「は、取り急ぎお伝えせねばならない事態が生じております。お二人とも、司令室までお越しを」
 司令室、という単語を聞いた途端、二人の美少女の雰囲気が一変させた。
 七菜江は溢れんばかりの活気を、裂帛の意志に。
 里美は穏やかな佇まいを、凛然とした緊張感に。
「まさか、ミュータント!?」
「お察しの通りでございます、藤木様。しかし、今回はそれだけではございません」
「どういう事かしら、安藤」
「私めにも確たる事は言いかねます。まずは、司令室で映像をご確認ください」
「わかったわ」
 音もなく立ち上がった二人は、すぐに安藤に続いて部屋を出た。
 黒光りする長い廊下を抜け、その端にあるエレベーターへ、三人は足早に乗り込んでゆく。

 地下三階に到着し、学校の教室程度の広さを誇る部屋に辿り着くと、様子は一変した。
 地上部の上品な内装の装いとは異なり、電子機器やモニター類で埋め尽くされたそこは、軍
事作戦の司令室を思わせる部屋である。
 入って正面に巨大なモニターが三つ配置されている所など、NASAの管制室に通じる機能的
な雰囲気であった。
 しかし、里美と七菜江は表情一つ変える様子はない。すでにお馴染みの景色だからだ。
「今から映像を映し出します。よくご覧になって下さい」
 司令室の奥まった席へ寄った安藤は、立ったままデスクに埋め込まれたキーボードを操作し
た。
 瞬時にメインモニターに映し出される映像。
「こ、これは……!?」
 里美が冷静さを保ったまま、その整った眉を潜めた。七菜江も思わず息を飲んでいる。
 画面に映し出されているのは、二体の巨大な人型生物による戦闘場面であった。
 一体は、メタリック調の下半身と、上半身に紫の鱗を生やした悪魔のような存在。
 もう一体は、しなやかな銀色の肢体に、艶やかなプラチナブロンドの長髪をもった、美しい巨
大な女性。
 周囲の建物に比較すると、二体の身長は50メートル近いのがわかる。
「片方はミュータントで、もう一方は……ファントムガールっ!?」
 二体の巨大生物の姿を確認した七菜江が、素っ頓狂な声をあげた。
「安藤、これはどういう事なの?」
「お嬢様、これはつい先ほど内閣府の映像班から転送されてきた映像でございます。東京江東
区の湾岸地帯に、何の前触れもなく二体の巨大生物が出現した模様です」
「ここからは大分離れてるわね。……それで、現地の被害は?」
 極めて硬質な雰囲気で、里美は短く聞いた。
「ミュータントと思しき存在の活動により、周囲の大規模施設が幾棟か倒壊しております。しか
しながら、もう一方の女性型巨大生物が人命をかばう行動をとっており、建造物に比して人間
への被害は極めて抑えられています」
「やっぱり、ファントムガールなんだ!」
 非常事態を憂慮する雰囲気ながらも、七菜江の声はどこか明るい。
「待ってナナちゃん。少し姿が違うわ」
 里美がモニターを見つめつつ、慎重な様子で言った。
「胸元にエナジークリスタルがあるのはファントムガールと一緒だけど、下腹部にそれらしい物
がないわ。あと、女性型巨大生物は宙に浮いているでしょ」
「ほ、本当だ!」
 モニターの映像では、二体の巨大生物はそれぞれ空中を飛翔しつつ、光線を応酬している。
「基本的にファントムガールには、空中を飛行する能力は備わっていない。一体、どういう事な
の……」
 自分で口にした疑問へ思いを巡らせるかのように、里美は形の良い顎に手を当てた。
「あっ!!」
 短い声を上げた七菜江の視線の先で、モニターに移された巨大生物同士の戦いは転機を迎
えていた。
 不意に悪魔のような巨大生物が、地上の人間が密集した部分を狙って、掌から光弾を放っ
たのである。
 直径5メートル程もある高密度のエネルギーボール。それが逃げまどう群衆に直撃する寸
前、銀色の奔流が合間に割り込んで身を盾にする。
 爆発音が鳴り響き、光が収まった時、両腕を交差させた女性の巨人がそこにはいた。
「人をかばってる……。里美さん、やっぱりあれはファントムガールだよっ!!」
 叫ぶように言った七菜江に、無言で軽く頷いた里美が再び口を開いた。
「ファントムガールかどうかはまだ断定できないけど、彼女が人類の味方なのは間違いないよ
うね。……安藤」
「はい、お嬢様」
 隙のない動作で向き直った老執事に、月光の化身のような美少女は、意志を込めた視線を
送った。
「私は、これからナナちゃんを伴って東京へ向かいます。急ぎ、防衛庁の特殊国家保安部隊に
要請を」
「畏まりました。内容の方は?」
「女性型の巨人に、人間としての姿があるならば、何を置いてもその所在を掴むように、と」
「承知致しました。お二人の移動に関しては、最寄りの空港にチャーター便の手配をしておりま
す。そう時間をかけずに東京に着けるでしょう」
「さっすが。安藤さんってば、相変わらず手回しいい!」
 快活でスポーティ美少女の称賛に、老紳士はニッコリと微笑を浮かべていた。
「あ、でも。あたしたちの留守はどうするの? ユリちゃんは想気流の合宿で、モモはたけのこ
園の遠足に行っちゃってるよ」
「大丈夫。桃子は今日の夕方には戻ってくるし、夕子もいるもの。連絡をつけておけば、メフェ
レスたちの襲撃があっても対処は可能よ」
 微笑して答えた里美の返答に納得がいったのか、七菜江は素直に頷いた。
 普通の生活を送る人間とは、およそ縁のない会話。
 その内容は、この少女たちが、人類を強大な魔の手から守護する使命と力を持った、守護
天使であるがゆえであった。
 二人は、他の三人の仲間と共に、これまで幾度となく人々を巨大生物から守り抜いて来た聖
少女・ファントムガールなのであった。
「お嬢様、決着がついたようでございます」
 落ち着いた安藤の声に、二人がモニターへ視線を戻すと、そこには直立した白銀の戦女神
の姿のみがあった。
 東京湾岸の水面をバックに、その巨大な女神は遙か頭上へと顔を向けていた。
「あ、もう決まっちゃったの? 最期のシーン見たかったぁ〜」
 残念そうな顔の猫顔の少女に、安藤が軽く訂正を入れる。
「残念ながら、トドメを刺すまでには至りませんでしたが、女性の巨人の光線技に押され、ミュ
ータントは逃亡した模様です」
「そっかぁ。でも、勝ちは勝ちだよね、安藤さん?」
「左様でございますな。人類への被害をくい止められたのは、喜ばしい事です」
 孫と祖父の関係にすら見える雰囲気の七菜江と安藤。
 そのやり取りを、しばらく暖かい表情で見守っていた里美が、再び二人に呼びかける。
「じゃあ、行きましょうナナちゃん」
「はい! あたしたちの新しい仲間を迎えに、ですね?」
「ええ、そうよ」
「……じゃあ、行きましょう。東京へ!」


    2


 戦いを終えた白銀の戦女神・ジールは、しばらく様子を周囲の伺っていた、
 そして、現場に敵の気配が感じられない事を悟ると、白く淡い光に包まれ、周囲の景色に溶
けるようにその姿をかき消した。
 間を置かず、比較的破壊規模の小さい展示場の角で、やはり淡い光が生じる。ただし、規模
はずっと小さい。
 人間大の光球の中から現れたのは、まだ若く髪の長い女性であった。
 女性としては相当な長身の持ち主である。p単位にしたら170は下らない。
 無駄なく引き締まった体は、バランスの良い女性らしさに溢れており、強靱さと美しさを兼ね
備えていた。
 完全にシンメトリックな顔立ちも、鮮明な目鼻立ちが印象的で、闊達ながらも大人っぽさを醸
し出している。
 紺色のスラックスに、同色のジャケット。その下には、ダークグレーの薄手のセーターを着用
しており、動きやすくピシっとしたイメージが濃い。
 豊かなブラウンのロングヘアの前髪を掻き上げると、女性はやや面長な輪郭に収まった淡
紅色の唇を開いた。
「ったく、何だったのかしら。あの空間の歪みは……」
 低めながら、澄んだ音色の声であった。
“大丈夫でしたか、洋美さん?”
 その女性の精神に、あの悪魔と戦いを繰り広げた戦女神の声が響き渡る。
 彼女の名は志賀洋美。
 巨大な白銀の戦女神ジールと互いの体を共有し合い、巨大な悪意ある生物に立ち向かう道
を選んだ女性である。
「大丈夫か、というのは私のセリフよ。今度の敵とは、随分派手な戦いになっちゃったじゃない」
“私は大丈夫なのですが、今回は多数の人々に被害及んでしまい、その点が残念でなりませ
ん”
 洋美の心に語りかけるのは、同化したジールの精神である。
「確かにね。でも、あなたが最大限の力を尽くしてくれたのはわかってる。だから、そう悲観せ
ず、次こそあの悪魔を逃がさない意気込みで行きましょう」
“そうですね。いつもながら、励まして頂いてありがとうございます”
「なんの。……でも、周囲の様子が何か変じゃない、ジール?」
“はい。確かに……”
 洋美が辺り一帯を見回すと、所々で建物の倒壊した湾岸の景色が窺えた。
「辺りの建物は、戦いの余波で全部吹っ飛んだのに、途中で空間が歪んだと思ったら復元され
てるし……」
 肩を竦めて歩き出した洋美は、やがて避難する人の流れに合流する。
 思い返せば、所属する組織の休日に、この東京ビッグサイトへ私用で足を伸ばしたのは覚え
ている。
 興味のある分野の展覧会を一通り眺めて回った所で、突如としてあの悪魔が出現。周囲に
侵攻し始めたのだった。
 己に課した使命から、洋美は躊躇せずジールを召還し、人々を守るための戦いに身を投じ
たのであった。

「あれ? おかしいわね……」
“どうしました?”
「携帯が繋がらないわ。衛星回線だから、南極にいたって繋がるはずなのに」
 大げさに眉を潜める現代的美人。
 その手にあるのは、所属する巨大生物対策組織から支給された、衛星電話である。
 地球上どこにいても繋がるはずのそれは、液晶モニターに圏外の文字が浮かんでいる。
“やはり……”
「何か心当たりあるの、ジール?」
“仮定でしかないのですが、どうやら私たちは、生まれ育った次元とは別の並行異次元へ落ち
込んでしまったようです……”
「並行異次元ー!?」
 唐突な驚きの声に、街路を行く周囲の人々の視線が注がれる。
 慌てて早足でその場から離れた洋美は、ジールとの会話を精神内部での物に切り替える。
“並行異次元って言うと……”
“以前ご説明した通り、三次元世界とは、より上位の四次元世界の出来事の投影に過ぎませ
ん。それゆえ、様々な形態の三次元世界がこの世には無数に存在するのです”
 白銀の戦女神の説明の内容は、以前にも洋美は聞いて知っていた。
 その論理は、地球の現行人類より遙かに進んだ文明を持つ、ジールの母星の科学力によっ
て確立された物である。
 彼女らはそれを利用して星間航行を成し遂げ、地球に来訪している事は知っていた。
 しかし、自分がこのような体験をする事など、洋美には想像すらしていない事態であった。
“でも、ここって、ほとんど私たちが元いた場所と変わらないじゃない?”
“余りに似すぎているから、かえって気付くのが後れたのだとも言えます。並行異次元という物
は、それこそ無限に存在しますから”
“じゃあ、こことはまるで別の次元も存在するって事?”
“はい。全く別種の生態系が構築された世界や、ビッグバンが起こらず宇宙自体が始まってい
ない虚無の世界など、その形態は様々ですが”
“参ったわねぇ……”
 都市部へ避難する人の流れは、洋美が元いた世界とまるで変わりのない物に見える。
 艶やかな茶色い長髪を撫でつけながら、しかめっ面をさらに深刻にする現代的美人。
“確認するけど、元の次元にはちゃんと戻れるのよね?”
“次元階層の座標はバックアップを取ってあるので、その点は平気です”
“じゃあ、さっさと帰りましょう”
 自治体の出していると思しい避難用のバスに乗り込んだ洋美は、小さな声で意見を述べた。
“あの、洋美さん。申し訳ないのですが、すぐに戻るのは不可能です。先ほどの戦闘で、消費し
たエネルギーが充填されない限りは……”
“やれやれ、ね。……充填って、いつごろまでかかりそう?”
“かなり消耗してしまったので、地球時間にしておよそ24時間ほどかかります”
“ここが私たちの次元と同じ時間の流れなら、一晩明かさなきゃいけないって訳か”
 大きくため息をついた洋美。
 闊達さと行動力が自慢のこの女性にとっても、全くの異世界へ紛れ込んだ孤独感というのは
重い物のようだった。
 バスの手摺りを掴んだ長身の体は、どこか肩が落ちた雰囲気であった。
「巨大生物を撃退できる力を持ったウルトラレディ・ジールとは言え、こうなると三界に家なし
か。……はぁ、どうやって夜を過ごしたものかしら」
“洋美さん。確認した限りでは、この次元でも言語や通貨は元の世界と同じようですよ。宿泊施
設を利用する事くらいは可能かと”
「現在、所持金は五千円弱。それで泊まれる施設なんてないわよ」
 ボソリと言った洋美の一言に、ジールの声も引きつったような雰囲気になってしまう。
“そ、それは確かに厳しい状況ではありますが、活路は探せば必ずありますよ”
「厳しい、というより情けない状況だわ」
 何度目かのため息をついた洋美を乗せたバスは、その時になってようやく発車した。

 元の世界と全く変わる事のない交通機関を利用し、洋美は地元である品川区大井町に辿り
着いていた。
 別に目的地がある訳ではない。
 何となく、足がここに向かってしまった、というのが正確な所だ。
 駅ビルから歩み出た洋美は、ふと何かに思い当たったように顔を上げた。
「そうだ!」
“どうしました?”
「お金をどうにかできるかもしれない方法を思いついたわ」
“それは、どういう方法で?”
「まあ、見てれば分かるわよ」
 不敵な笑みを浮かべた洋美は、見慣れた、しかし初めての町並みを、足早に進んでゆく。
 幾つかの角を曲がった先に、それはあるはずであった。
「ここを曲がれば、私の口座のある御津崎銀行……っと、あれ?」
 角を曲がった洋美の視線の先に、確かに銀行はあった。
 しかし。
 その看板には『菱井銀行』とある。
“洋美さん、銀行でお金をおろすつもりでしたら無駄ですよ。ここは、全くの別の世界なのです
から”
「う……。そ、そうだった。でもさ、ここまでの京急とか山手線とかの固有名詞は同じだったじゃ
ない? だから、銀行もと思ったんだけどなぁ」
“どうやら、人名の関わる固有名詞だけを、元の世界と差し替えた状況になっているようです
ね。この次元は”
 ジールの分析を聞き流すと、洋美は少しだけ考え込んだ後、何か意を決したような表情にな
った。
 そして、足取りも確かに菱井銀行の店舗に進入し、ATMの前につく。
“ですから、無駄です”
「いいの。ダメ元でやってるんだから」
“洋美さんの口座自体が存在しない以上、預金額も何もないですよ”
 肩をいからせて意気込む洋美を、ジールが穏やかに諭す。だが、効果はないようだった。
 カードを挿入した次の瞬間。
 ATMの画面が暗証番号確認画面へと進んでしまう。
「あ、あれ?」
“ま、まさか……”
 続いて洋美が四桁の暗証番号を入力すると、またもやありえない事が起きる。
 モニターが金額指定の画像を映し出したのだ。
「あらぁ、パスワードまで通っちゃった……」
“通っちゃった、ではありませんよ! これは恐らく他人の口座です。って、何で二万円とか金
額を入力しているのですか!?”
「ジール、一つ聞きたいんだけど」
 諫める声を黙殺した洋美は、一転して生真面目な口調を装い、己の内の戦女神に語りかけ
た。
“何でしょうか?”
「元の世界に戻った後、またこの次元に来る事ってできる?」
“できますよ。座標のデータを保存しましたから……”
「じゃ、決まり」
 ジールが制止の声を上げる暇もあらばこそ。
 洋美の白く長い指が『確認』のタッチパネルを小気味よく押してしまう。
“ああっ!?”
「後日ちゃんとお返しするって事で、借りさせてもらうわ」
“洋美さん! 通貨の無断借用だなんて、窃盗も同じではないですか!! 犯罪を犯すのはや
めて下さい!”
「うるさいなー。後でちゃんと返しに来るんだから、あなたは黙ってて」
 まんまと自分の物ではない二万円を懐に収めた現代的美人は、満面に人の悪い笑みを浮か
べた。
 なおも制止するようなジールの声を片っ端から無視すると、洋美は口座の持ち主を確認した
上で、菱井銀行を後にする。
 オフィスビルの立ち並ぶ一角を進む洋美は、ふと銀行の店舗を省みた。
「ねぇ、ジール」
“もう、言っても無駄ですね……。それで、なんでしょう?”
「私って今まで万引きした事もなかったけど、こうやって自ら進んで悪事を働くのって、案外と楽
しい物なのね」
“なっ、なななな何を言うのです!?”
「冗談よ冗談。でも、実際現金は必要だって。元の次元に戻る前に、またあのゼクスノーツが
出たら、たとえそこが遠隔地だろうと、私たちの責任で処理しなきゃいけないんだし」
“それはそうですが……”
「こっちの次元の人に迷惑かけないための必要経費って奴よ」
“もう、本当仕方ないんですから……”
 今なお不満げなジールに、洋美はカラカラと笑いかける。
 そして、手にしていた紙片に少しだけ申し訳なさそうな視線を向けた。
 そこには、口座の持ち主の名が記されている。
「ま、そういう訳で二万円だけ無断でお借りします。ごめんねー、桜宮桃子さん」
 言ってからスラリとした長身を翻す、栗毛の現代的美人。
 法を犯した正義の使者は、やがて辺りの町並みへ、颯爽たる足取りで消えていった。



「でも、こんな形でまた東京に来る事になるとは思わなかったなぁ」
 首都高速を流れに乗って走る一台の高級セダン。その中で、周囲の景色を懐かしむような
声が、猫顔の美少女の口から漏れた。
 後部座席に腰を掛けている二人の美少女は、五十嵐里美と藤木七菜江である。
 日本有数の大財閥の令嬢にして、ミュータントと呼ばれる有害巨大生物に対抗できる戦士の
里美たちには、当然のごとく各地に活動拠点が用意されている。
 そのため、現地へ到着した二人の少女戦士は、すでに迎えに来ていた五十嵐家の車に乗
り、地元から三時間とかけず都心部へ到着していた。
 聖少女・ファントムガールを支援するのは、ごく一部の政府機関の人間だけではない。
 江戸時代よりこの国を裏から守ってきた、御庭番衆の末裔たち。現代に至るまで脈々と受け
継がれてきた伊賀忍者のネットワークが、彼女たちの背後には控えている。
 そのトップに立つのが、御庭番衆頭領の正統宗家、五十嵐家なのであった。
 古来から情報収集の専門家であった五十嵐家の令嬢として、里美にも闇に暗躍する現代忍
者の技術は叩き込まれている。
 それゆえ、この人間離れした美貌の少女が、凄まじいまでの実力を秘めている事を、七菜江
はよく知っていた。
 加えて、生まれ持った高貴さ、人格の高さ、意志の強さがあり、まさに守護天使のリーダーに
相応しい。

 敬愛する年上の少女の横顔に、七菜江がいつものごとく見とれていると、不意に自分の携帯
が着信音を鳴り響かせた。
 デニム地のパンツのポケットからそれを引っ張り出し、通話ボタンを押した。
「もしもーし?」
『あッ、ナナ? 聞いて聞いて。何かもおサイアクな事態なのよォ……』
 通話相手の声はお馴染みのものであった。
 甘く可愛らしい声の主の名は桜宮桃子。
 人類をミュータントから守護する聖戦士・ファントムガールの一員にして、七菜江と同じく五十
嵐家に居候する親友であった。
「ちょっと、いきなりサイアクとか言われてもさ。何があったの?」
『今日、あたしがたけのこ園の遠足で、他県の観光地に来てるのは知ってるよね?』
 たけのこ園とは、桃子がアルバイト先の事だ。平たく説明するならば、障害を抱えた子供を預
かる養育施設である。
「うん」
『でさ、せっかく観光地に来てるんだから、みんなにもおみやげを買っていこうかと思ったんだ
けどォ……』
 そこで、鈴の音のような桃子の声がトーンダウンする。
『銀行に寄ったら、なんかあたしの口座の預金額が減ってるの』
「それって、ただ単にモモの記憶違いじゃない?」
 困ったような苦笑を浮かべ、七菜江は親友に応じた。
『違うよォ。通帳記入でちゃんと確かめたもん。全く別の支店から、二万円も引き出されちゃっ
てたし……』
「ええー! まさか、カード破産って奴!?」
『それを言うならカード犯罪でしょ』
「あはは、そうとも言うね」
『そうとしか言わないの。でさ、余裕なくなっちゃったから、子供たちにもお菓子とか買ってあげ
られないし。もー、サイアクだよォ』
「と言う事は……」
『当然、みんなへのおみやげもナシ。ごめんねェ』
「そ、そんなァ。……許すまじ、カード破産者め!」
『おみやげナシとかの利己的な理由で怒らないでよォ。それに、カード犯罪者』
「そうだった。で、モモはこれからどーすんのよ?」
『チャーターしたバスで来てるから、帰りの足は平気なんだけど、一応後で警察に届けておくつ
もり……』
 そこまでを桃子から聞いた七菜江は、ある事実がふっと脳裏にひらめいた。
 普段と違う自分の様子を、涼やかな笑顔で伺っている里美。
 確か、この尊敬する先輩の父親は、菱井銀行の頭取であったはずだ。
「ねえねえ、モモ。銀行の名前は?」
『んっと、菱井銀行だけどォ、それがどうかしたの?』
「ビンゴ! 今里美さんに変わるね! 里美さんならなんとかしてくれると思うから」
『あ、ちょっとォ……』
 慌てたような桃子の声を振り切って、七菜江は里美に向き直る。
「里美さん里美さん。今モモからなんだけど、何か困ってるみたいなんですよォ。話聞いてあげ
て貰えます?」
「変わるのは別に構わないけど……」
 要領を得ない調子のまま、里美が怪訝な顔で携帯を受け取った。
 桃子との通話を初めて、一分も経たない内に、その表情が変化してゆく。
 完璧なパーツを揃えた美貌が、必要以上の冷静さで満たされてゆく。
 それは、この守護天使のリーダーが、本気で話に乗り出した事を伺わせた。
「……ええ。菱井銀行の大井町支店ね。時刻は10時52分でいい? ……ええ、わかったわ。
こっちで調べてみる。……心配しないで。すぐ、私が盗まれた金額を立て替えておくようにする
から」
 問題解決に必要な情報を手際よく聞き出した里美は、ごく事務的に桃子との通話をうち切っ
て、七菜江へ携帯を返してくる。
 そしてすぐ、自分の携帯を取り出し、再びどこかへと通話を開始する。
「里美です。安藤へ繋いで」
 どうやら自宅に連絡を取っているようだった。
 すぐに五十嵐家の執務を取り仕切る、あの老紳士が電話口に出たらしい。猫顔のアイドル系
美少女が口を挟む間もなく、高貴さ漂う令嬢はしっかりした口調で言葉を紡ぐ。
「今から私が言う事をお願い。菱井銀行大井町支店で、10時52分に桜宮桃子名義の普通預
金口座から、お金をおろした人物がいるはず。防犯カメラの映像から、人物像の特定を。公安
部への連絡は不要です」
 七菜江は毎度の事ながら、今度も目を剥いてしまう。
 このネットワークを駆使した里美の情報収集力は、それこそ日本国内では右に出る者はない
のではないか? と思わせられる。
「人物像が特定できたら、それを周辺一帯の御庭番衆に送信し、所在を割り出させておいて。
……いえ、警察への通報はまだよ。事を荒立てないように、まずは私が直に接触してみます」
 不法に桃子の金を引き出した人物に対する包囲網を、淀みない口調で的確に構築してゆく
里美。
 その怜悧な一面をかいま見ながら、七菜江はやはりこの人は次元が違う、という思いを新た
にしていた。
「それと、桃子の口座に、私の預金から二万円ほど振り込んでおいて。……ええ。ご苦労様で
す、安藤」
「さ、里美さん……?」
 通話を切った里美の横顔に、七菜江は恐る恐る声をかける。
「ん、どうしたの? ナナちゃん」
 そう応じる声と顔は、穏やかな微笑みをたたえる天使の物に戻っていた。
「あ、いえ、やっぱり里美さんって凄い人なんだなーって……」
「ふふふ、褒めてくれるのは嬉しいけど、今回は何も出ないわよ?」
 二人を乗せた高級車は、ゆっくりと速度を落とし、料金所に向かって首都高速を降りていっ
た。


    3


「ファントムガール、ねえ……」
 喫茶店のオープンカフェで、洋美は一人午後のティータイムに興じていた。
 ブルーマウンテンのブラックで口を湿らせつつ、左手に持った夕刊を眺めている。
 この次元の現状を把握しようと、情報収集の素材に選んだのが、新聞という大衆情報誌であ
った。
 それによると、この次元でも巨大生物が跋扈し、人間社会に多大な被害を与えていた事がわ
かる。
 元の次元でも幾度と無く巨大生物と対峙して来た経験上、さして驚きはしなかった。
 だが、こちら側にも人類を守護する巨大な女神たちがいたと言う事実には、少なからず興味
を引かれていた。
「紫、青、黄、茶、桃色か。五体って事は組織だって動いてるのね。羨ましい物だわ……」
 元いた世界では、ほぼ単独で巨大生物の相手をしなければならなかったため、こちら側の守
護天使たちに対して、少々嫉妬めいた感情を抱いてしまう。
“私たちの記事も掲載されていますね”
 ジールの言葉に、洋美は黙って頷いた。
 隙のない佇まいを見せる美人の視線の先には、『6体目のファントムガール出現か?』との
大見出しと、湾岸一帯で戦いを繰り広げた自分たちの画像が載っている。
 自分たちの事がもう記事になっているのには、口笛を一つ吹き鳴らした物だが、記事を詳しく
読むつもりはなかった。
 新聞を畳んで早々に立ち上がると、会計を済ませて足早に喫茶店を退出する。

 繁華街からJRの線路脇の街路に出た洋美は、さも目的地があるかのような足取りで、次第
に人気のない区画へと進んでゆく。
“洋美さん。気付いているようですね”
“まあね。つけられてるって事でしょ?”
“はい”
“大分前からだよね。オープンカフェで話しかけやすい状況作ってあげたのに、距離保ったまま
って事は、監視目的か。ま、ちょっと誘ってみましょう”
 雑居ビルの角を曲がった洋美は、いきなり走り出した。
 狭い裏路地を駆け抜け、ゴミ収集用のポリ容器を飛び越え、サビの浮いたビルの非常階段
へ身を躍らせた。
 そのまま、二段飛ばしで階段を駆け上がり、一気に地上六階のビルの屋上へ到達する。
 まるでアクション映画の1シーンのようだが、不思議とそれが似合うイメージが洋美にはあっ
た。
 背後をつけていた人物も、尾行から追跡に移ったらしく、階段を洋美に劣らない速度で駆け
上がって来る。
 紺色の服装で統一した栗毛の美女は、屋上の片隅の手摺りにもたれ、追跡者を待った。
 やがて、非常階段から姿を現したのは、自分とはそう歳の変わらないショートカットの女性で
あった。
 迷彩柄のパンツに、縞柄のシャツ、アクセサリとしての弾丸をあしらったチョーカーなど、服装
はまさに男物だ。
 癖のある短めの髪型の下には、それに相応しい気の強そうな表情があった。猫科の野生動
物を連想させるその顔は、よく整った作りであり、まず美人と形容して問題なかった。
 身長は160前後と、洋美よりは大分低い。
「お前、何者だ? 草の者の尾行に気付くなど、並みの素性ではあるまい」
「やっと出てきたと思ったら、いきなり『何者だ?』はないでしょ」
 洋美は肩を竦めて苦笑してみせた。
「まあ、いいわ。私は志賀洋美。あなたは?」
「相楽魅紀」
「で、どんな目的で私をつけていたのか教えてもらえる?」
 ニッコリと笑って洋美は尋ねた。しかし、その目だけは笑っていない。
「答える必要はないな」
「人のプライバシー侵害しようとしておいて、それはないんじゃない?」
「ならばこう言おうか。……仕事だからだ」
 それを聞いて、洋美は軽く顎に手をやり、視線をあさっての方向にやる。
“仕事って事は、どこかの情報組織の尾行要員って所か。だとすると、まともな探偵とかじゃな
いわね”
“わかるのですか?”
“私がこの世界でつけられる理由なんて、あなたと同化してる事だけでしょ?”
“先ほど、窃盗を犯した件かも知れませんよ?”
“だったらもっと相手のリアクション遅いし、普通の刑事が真っ正面から乗り込んでくるわよ”
“なるほど”
“ちょっと荒っぽく聞き出してみるかな。ケガさせない範囲で”
“……この世界に迷い込んでからの洋美さんは、何か好んでトラブルを起こしたがってるような
気がしてならないのですが”
“それは、見解の相違って奴ね。私からしたら、向こうから押し寄せて来るのよ”
 ジールとの会話に区切りをつけると、洋美は魅紀に向き直った。
「さて、どうした物かしらね……。相楽さん、尾行を見破られたあなたとしては、これからどうす
るつもり?」
「新たな指示が出るまで、お前の監視を続ける。……それだけだ」
「そっか。なら、放っておくと後で厄介そうだから、今の内に情報置いて退散してもらいましょう
か」
「オレが素直に応じるとでも思っているのか?」
「まさか。でも、私はこう見えて、力ずくっていうのが嫌いじゃなくてね」
「面白い。任務は監視から確保に変更だな」

 魅紀から5メートルは離れた位置で、ステップを踏み始める洋美。
 次の瞬間、長身の美人の姿は、魅紀の眼前に姿を現していた。
「な……ッ!?」
 烈風のごときジャブ三発を、内心驚愕しつつも徒手の捌きで払い落とすと、魅紀は素早く半
身を引いて間を空けた。
 だが、その速度を上回る踏み込みから、洋美の上段回し蹴りが繰り出される。
「くっ……!」
 敵のフォーム、スピード、パワー。それらを総合して瞬時に魅紀が下した判断は、まともに食
らえば頸骨が折れる、という物であった。
 だが、幼少時から並はずれた体術の訓練を受けて来た、現代くの一の魅紀もただ者ではな
い。
 僅かに踏み込んでヒッティングポイントをずらし、殺人的な威力のハイキックを両腕で防御し
きると、一瞬の動作で洋美の懐に潜り込んでいる。
 水月への掌打を見舞う寸前、それは来た。
 視界の隅に、竜巻の如く身を捻った体と連動した、洋美のショートアッパーが飛び込んで来
る。
 間一髪脇腹を肘でガッチリとガードする事で直撃は免れたものの、長身の現代的美人に叩
き上げられた魅紀の全身は、二メートルほども空中を浮いて背後へ吹っ飛んだ。
 さらに着地した現代くの一の頭部へ襲い来る、暴風のようなハイキック。
 再び防御に移ろうとした瞬間、洋美の蹴りの軌道がほぼ真下に変化し、直撃弾となって左の
太股を襲っていた。
 ズドォ!! と、爆発音にしか聞こえない打撃音を大腿部から響かせ、魅紀はたまらず左の
片膝をついてしまう。
 その目前に迫る、閃光のごときコークスクリューブロー。
 しかし、それは女忍者の顔面1p前で、綺麗に停止していた。
「ここまでにしておくわ」
 ついにトドメの一撃を放たなかった洋美は、膝をついたままの魅紀に背を向け、あっけらかん
とした声で言った。
「貴様……。なぜオレにトドメを刺さん?」
「あなたが本気じゃなかったからね。……本気だったら今頃使ってたんでしょ、服の下のナイフ
みたいなの」
 忍びとして絶対の自信を持つ暗器の存在を、とうに見破られていたと知り、魅紀は舌打ちの
音を漏らした。
「そうそう。その左足、丸一日もすれば平気なはずよ。じゃあ、私はもう行くから」
 軽い調子で言う洋美は、すでに非常階段の手摺りに手をかけている。
「待て、最期に一つ聞かせろ!」
「何よ?」
 面倒そうに首だけを振り向けた洋美へ向かって、魅紀は声を上げた。
「お前は……『エデン』の寄生者なのかッ!?」
 質問を聞いた現代的美人は、一瞬訝った後、肩を竦めて見せた。
「知らないわね、『エデン』なんて単語」
「……そうか」
「納得してくれたなら、もう行くから。左足、お大事に」
 さして急ぐ風もなく階段を下りてゆく洋美の背を、魅紀は渋面のまま長い時間をかけて見送っ
た。
 やがて、ポツリと独り言を漏らす。
「『エデン』を宿さずにあれほどの身体能力を持つとは……。しかし、発信器を仕掛けられた事
に気付かんとなると、どうやら格闘だけに特化しているのか。……里美さまには直にご報告申
し上げるべきだろうな、これは」



 洋美と魅紀の邂逅と同時刻。
 千葉県成田市の新東京国際空港の到着ロビーから、一人の女性が歩み出て来ていた。
 黒いストッキング、濃紺のタイトミニとジャケットと、キャリアウーマンとしては少々華美な服装
ではあるが、それすらもこの女性にとっては美を演出する要素としてしか機能していない。
 毛染めを一切使用していない漆黒のストレートは腰まで届き、顔立ちそのものも造形的には
一切の非の打ち所がない美貌であった。
 惜しいことに、今は面積の大きなサングラスで目元が隠されているが、それでも深紅のルー
ジュとイヤリングに彩られた色香は隠しようもない。
 西洋的な彫刻を思わせる彫りの深い顔立ちをもったその美女は、コツコツとハイヒールの音
を響かせながら、ロビーを進んでゆく。
「フフ、少し日本を開けている間に、随分と面白い事になっているじゃない。これまでとは一味
違う六人目のファントムガール、か」
 片手に持った英字新聞を眺めつつ、女性は妖艶そのものと言った笑みを浮かべた。
「オリジナルどもや久慈家に押さえられる前に、早めに身柄を確保しようと飛んできたはいいけ
ど、さて、どうやって探した物かしらね」
 実に楽しそうに、歌うような口調で言う女性。
 暫くすると、ふと何かに気付いた調子になり、手にした新聞を片手で折り畳む。
「ここは一つ、手駒を使ってみるとするか」
 愛おしそうな視線を、自ら手にしたアタッシュケースに向け、薄く笑って見せた。
 女性の名は、片倉響子。
 里美たちファントムガールの敵でありながら、その宿敵である青銅の魔人メフェレスこと久慈
仁紀と袂を分けた魔女である。
 また、この世界における巨大宇宙生物・ミュータントを生み出した生物学者であった。
 幾度と無くこの国の人々を恐怖のどん底に叩き落としてきた妖艶な魔女が、今再び己の欲望
に従い、策動を始めたのである。



 その日の夕刻。
 関東地方においてファントムガールの活動拠点となるのは、東京都内にある五十嵐家の別
邸であった。
 この23区内に存在する邸宅は、都内でありながら十分以上に広い敷地と、それを彩る緑に
包まれていた。
 里美や七菜江の地元にある本邸とは異なり、その佇まいは純和風の平屋である。だが、建
物の素材、建築様式などはやはり一級品である。
 そんなしっとりと落ち着いた雰囲気の中、里美と七菜江の二人は居間で一人の女性と向き合
っていた。
「里美さま、ご命令にあった人物の情報をお持ち致しました」
 姿勢を正した正座の格好で、聖少女たちの前に佇んでいるのは、五十嵐家に仕える御庭番
衆の一人、相楽魅紀であった。
「ご苦労様です。それで、有栖川博士の警護の際に負われた傷はもう平気なのですか?」
「はい。気にかけて頂くほどの事ではございません」
 里美の気遣いに、魅紀はやんわりと応じていた。
「早速、説明に入りたいと思います」
 そう述べると、魅紀はカラーの画像がプリントされた書類数枚と、携帯型の受信機を目前の
テーブルの上へ差し出した。
「これまでの情報はすべてディスクに入れてありますが、今はこちらを用いてご説明させて頂き
ます」
「お願いします」
 差し出されたプリントに里美と七菜江がザッ目を通すと、そこにはやや癖毛がかったセミロン
グの頭髪を持つ、20代半ばと思しい美人の姿があった。
 言うまでもなく、この次元に落ち込んだ洋美である。
「うわ、まさかこの人が犯人なの、相楽さん?」
「ああ、間違いない」
 反射的に聞いてきた七菜江にむかって、魅紀は固い口調で応じた。もっとも、雰囲気は柔ら
かく、この屈託のないアスリート少女を憎からず思っているのが窺える。
「とてもカード犯罪するような人には見えないんだけどなぁ。せっかく美人なんだから、もっとまと
もな道選べばいいのに」
 残念そうな表情で、素直な感想を口にする七菜江。
 実際、一目見て綺麗な女性だと思えていた。
 単に造形的な美しさであれば、敬愛する先輩の里美や、親友の桃子の方が上だろう。だが、
この女性からは内面からにじみ出る少女のような瑞々しい生気と、溢れんばかりの闊達さが窺
え、その表情を一際輝かしい物に見せている。
「年の頃は20代半ば、身長は170強で、とても引き締まった身体の女性でした。まず、一般人
とは考えられません」
 魅紀は、さらに声のトーンを落として言葉を続けた。
「尾行に気付かれたため、僭越ではありましたが接触を持った所、当該人物は志賀洋美と名
乗りました」
「前科はありませんでしたか?」
「はい。それどころか、内閣府のデータバンクを洗っても、一切合致する個人が出てこないので
す」
 現在、この国を影から守護する御庭番には、警察に登録された前科持ちの危険人物はおろ
か、それに準じる危険分子も纏めたデータバンクを保持している。
 特に治安関係での情報量は膨大な物があり、人を巨大生物たらしめる寄生体『エデン』を宿
しつつも、一般社会に溶け込んでいる存在はほぼ漏れなくチェックされている程だ。
 そこにすら情報のない人物となると、さすがの里美も考え込む様子を見せた。
「それで、接触とはどのような形になりましたか?」
「恥ずかしながら、人気のない場所に誘い出され、互いに探り合いとなりました。また、その過
程で多少の手合わせをする事態にも」
「あれ、だったらこの人の事捕まえちゃえば良かったのに。相楽さん、特殊国家保安部隊の隊
員でしょ? 犯罪者の一人や二人簡単なんじゃ?」
「ナナちゃん、御庭番は独裁国家の秘密警察じゃないのよ?」
 里美が困ったような顔で訂正を入れると、その愛らしい後輩は慌てて畏まった。
 しかし、そこに空かさず魅紀から助け船が出される。
「お言葉ですが、里美さま。尾行に気付かれた段階で、私も仕方なしに身柄の確保を試みたの
ですが、手合わせの結果からそれは叶いませんでした」
「というと、まさか?」
「はい。見事にしてやられました。相手に害意がなかったため、何も傷は負ってはいませんが」
 二人の戦天使の表情が、若干だが確実に変わる。
 現代の忍者にして、非合法処理のエキスパートである特殊国家保安部隊。そのメンバーの
実力は、町の腕自慢程度では当然比較にならない。
 彼女らを越える戦闘能力を生身で発揮できる存在となると、超一流のプロ格闘家か軍の特
殊部隊員、そして宿主の能力を極限まで強化する『エデン』の寄生者くらいしか、里美は思い
浮かべられない。
「まさか、エデンを寄生させていると言うの……」
「私もそう思って問いつめた所、ハッキリ否と回答がなされました」
「だとすると、本人が類い希な実力を備えてる事になるわね」
「事実、恐ろしいまでの手練れでした。武器を使用したとしても、勝てたかどうか」
 苦笑めいた魅紀の表情を、里美は静かな面もちで眺める。
「相楽さん、この志賀さんだっけ? どんな技使ってました?」
 里美とは対照的に、七菜江の顔は明るかった。
 彼女は、ファントムガールとして戦う術を身につける傍ら、最強と称されるに相応しい達人か
ら格闘の手ほどきを受けている。
 その影響からか、この猫顔の超高校級アスリートも、格闘技関連には興味津々といった体で
ある。
 そんな相手に、魅紀は軽く笑いかけると口を開いた。
「一言で言えば、キックボクシングだ。正直、ルールに縛られた格闘ショーだと思っていたのだ
が、極めると容易く人体を破壊できるほどの技だというのを思い知らされたよ」
「極めると、って言う事はプロか何かなのかな、この人?」
「そこまではわからなかった。だが、あの志賀洋美の使う技は、素人が普通に考える『強い、弱
い』の範疇では収まらない物だった」
「え、どういう事?」
「途轍もなく強い精神力をバックに、まさに武器として磨き上げられた技……。そう、オレたち御
庭番の忍術と同じ臭いがした」
 そこまでを聞いた里美は、徐に目前の小型の受信機を手に取った。
「これまでの話の流れからすると、この受信機はその女性の位置を受信するための物です
か?」
「仰る通りです。気付かれないよう着衣に発信器を仕掛ける事ができましたので」
「そうですか。あなたのおかげで、この件は早めに決着がつけられそうです。お礼を言わせて
頂きます、相楽さん」
「お言葉、痛み入ります」
 御庭番衆次期当主である美少女から直々に礼を述べられ、現代の女忍者は控えめに応じて
いた。
 そんな魅紀へ、里美は言葉を続けた。
「もう一つの件について伺いたいのですが、そちらについてめぼしい情報は入手できました
か?」
「誠に申し訳ありませんが、例の女性型巨大生物については、余りに手がかりが少ないため、
現在までほぼ何も分かっていない状態です」
「わかりました。では、引き続き調査の継続をお願いします」
「承知致しました」
 硬質な魅紀の返答が、その場を締めくくる合図となった。
 礼を述べて配下の女忍者を下がらせた里美。
 少しだけ考え込むような間を置くと、穏やかな表情で七菜江を省みた。
「じゃあ、私たちも出ようか。ナナちゃん」
「今からですかぁ!?」
「ええ。このまま放置しておいたら、また桃子の口座からお金が引き出されないとも限らないで
しょ?」
「あ、そっか。じゃ、すぐに行きましょう里美さん!」
 指摘を素直に受け止め、素早く気持ちを切り替える七菜江に、美貌の令嬢はニッコリと微笑
んでいた。


    4


 それから時を置かずして、二人の姿は品川区内のビジネスホテルなどが立ち並ぶ一角にあ
った。
 周りの景色を確認すると、五階程度の中背のビルがひしめく一帯であった。
 中小企業のオフィスやビジネスホテルが立ち並ぶだけあり、表通りのような華やかさには乏
しいが、それだけに騒音なども少なく、落ち着いた雰囲気が漂っている。
 目標の建物を確認すると、里美は臆する様子もなくビジネスホテルの玄関を潜り、フロントへ
と移動した。
「すみません。こちらにチェックインされている宿泊客の呼び出しをお願いしたいのですが」
 カウンターとアクリル板で仕切られたフロントの内部では、度のキツい黒縁眼鏡をかけた受
付の老人が、何かの雑誌を読みつつ暇を潰していた。
「うん、呼び出しかね?」
 と言った所で、老人は半ば惚けたような顔になる。
 雑誌のモデルも霞む里美の美貌の効果だ。
 軽く微笑すると、受付の老人はすぐに管理用パソコンのモニターを立ち上げる。
「お客さんとお嬢ちゃんたちの名前をいいかね?」
「滞在されているのは志賀洋美さんという女性です。私は五十嵐里美。志賀さんには、相楽魅
紀の紹介と言えば通じるはずです」
「わかったよ。ちょっと待っててくれよっと」
 宿帳代わりのパソコンから情報を確認したのか、老人はすぐに手元の受話器を取りだして内
線の呼び出しを始めたらしかった。
 30秒ほど待ってから、老人は受話器を下ろした。
「ダメだ、いないねぇ。外出はしとらんから、今室内で手が離せないのかも知れんよ」
「そうですか。ここで少し待たせて頂いてもいいですか?」
「ああ、そりゃ構わんが」
 了承を得た里美が傍らに寄ろうとした時、今まで背後で手持ちぶさたにしていた猫顔の美少
女が声を上げた。
「里美さん、いたよ! 奥の食堂で食事してる」
 確かに七菜江の言うとおりであった。
 このビジネスホテルのフロントの奥は、小さなビュッフェスタイルの食堂になっていた。そこに
はまばらながら幾人かの人影があり、思い思いに食事を取っている。
 ほとんどは背広やYシャツ姿のビジネスマンだが、その中に一人だけ茶色いセミロングの髪
をした女性の後ろ姿があった。
「行こう、里美さん。モモの盗られたお金……ムムウ!?」
「さ、探していた方みつかりましたので、失礼しますね」
 慌てて後輩の口を押さえて続きを遮ると、里美は作り笑いをカウンターの老人に送りながら、
食堂へと踏み入った。
 やや足早に目標の人物の横まで歩み寄ると、当の志賀洋美は奥に一台だけある大型のテ
レビを何気なく視線を送っていた。
 目の前の食器が空である所を見ると、すでに食事は済ませていたらしい。
 そして、里美は自然な風を装って声を掛けた。
「失礼ですが、志賀洋美さんという方はあなたですね?」

 洋美は背後から真っ直ぐ自分に寄ってきた二人の姿を見上げた。
 その顔を目に留めた時、自覚せずに視線が釘付けになってしまう。
 二人とも掛け値なしに魅力的な姿の少女であった。
 一人は自分と似た茶色がかったロングヘアの少女で、穏やかながら凛とした顔立ちの美少
女である。
 もう一人は、黒いままのショートカットに、猫を彷彿とさせる印象をもった少女である。やや釣
り気味で大きく円らな目が特徴的だ。
 両者に共通しているのは、その目の澄み具合と瞳に宿った強い輝きである。
「ええ、志賀は私だけど。あなたたちは?」
「私は五十嵐里美と言う者です。こちらは藤木七菜江」
「で、その五十嵐さんと藤木さんが一体何の用かしら? 見た所、高校生くらいのようだけど、
こちらには心当たりなんてないわよ」
「菱井銀行大井町支店での事と言えば、お分かりになると思います。少し、人払いをお願いで
きませんか?」
 少なくともこの二人の少女の視線からして、自分に友好的な感情で接しているのではない事
はわかる。里美の怜悧な観察の眼差しと、七菜江の挑みかかるような強い目つき。
 それらを浴びて、洋美はやや顔をしかめた。
“女探偵の次は女子高生? こっちの世界って一体どうなってるのよ。それに、リアクション早
すぎ”
“悪事千里を走る、という言葉通りですね”
“あなたもあなたで、私に都合の悪い諺から覚えて行かなくてもいいのに”
“別にそういうつもりはないのですが。それよりも、お二人に応対しないと怪しまれますよ?”
 己の内の戦女神の言葉に、洋美は我に返る。
「じゃあ、私の部屋にでもいきましょうか」
 カップに半分残っていたブラックのコーヒーを一息であけると、洋美はフローリングの床に立
ち上がった。

 その時である。
 不意に眼前のテレビ画面が切り替わり、見慣れない画像を映し出していた。
 それが、フィクションではない現実の巨大生物速報とわかった時、周囲の気配は一様にどよ
めき始めていた。
 バックの景色から察するに、ここ品川区の品川埠頭である事がわかる。目印の東品川火力
発電所をバックに、その巨大生物は周囲を睥睨する様子を見せていた。
 巨大生物の姿を一言で言い表すのなら、直立した水牛のような姿であった。だが、黒光りす
る鋼のような外皮はともかく、首から下は筋骨隆々たる人間の男の物である。
 もっとも、下半身に当たる部分も、雄牛の物を無理に立たせた外観となっている。
「ミュータント……」
 呆然とした七菜江の口から滑り出た単語を、洋美は聞き逃さなかった。
「まるでギリシャ神話のミノタウロスね」
 気が付けば、そのミュータントは周囲の車両や倉庫街を逃げまどう人々に向かい、巨大な剛
腕を振り下ろし、叩き潰して回っている。
 すでに数十人単位の被害が出ている事を、特報のレポーターが音声で知らせていた。
「許せないわね」
 自分の中で高まっていく内圧を押さえつつ、洋美はジールに聞いた。
“こっちの次元に干渉する事って、当然良くない事なんだろうけど、それを承知であえて聞くわ。
……ジール、あの怪獣を倒しにはいけない?”
“洋美さんならそう言うと思っていました。私たち執行官は、極力別次元への干渉は自重するよ
うに決められていますが、決して絶対の掟ではありません”
“なら、行こう。罪もない人たちが殺されて黙っていられるほど、私は人ができてないわ”
“私も同じです。ただ、エネルギーの充填が完璧でないため、変身していられる時間はいつもよ
り短くなっています。その点は、洋美さんも気に留めておいて下さい”
“了解。行くわよ”
 内心で意を決すると、洋美は自分を捜してきた二人の美少女に向き直った。
「ごめんなさい、二人とも。少しやらなきゃいけない事ががきたの。明日の朝にでもここに来てく
れないかしら」
「やらなきゃいけない事?」
「内容までは言えないわ。それじゃ、失礼」
 言うなり洋美は早足で食堂を抜け、脇の階段を上がってゆく。
「あ、ちょっと」
 引き留める七菜江の声にも構わずに、洋美は急いでチェックインした二階の自室にこもり、
後ろ手に鍵をかけた。
 すぐにドアをノックする音が響くが、それを無視して首に掛けたペンダントを手に取った。
“いこう、ジール”
“はい”
 握りしめたペンダントから光があふれ出し、瞬く間に現代的な美人の姿を覆い尽くす。
 溢れる光の波動はドアによって遮断されていたが、廊下の里美たちも気配によって室内の変
化を感じさせるほどであった。

 忍びの技術によって鍵を解除した里美を先頭に、二人が室内へなだれ込んだ時、すでにそ
こに洋美の姿はなかった。
 開け放たれた大きめの窓から強い風がなだれ込み、部屋の没個性なカーテンをゆらしてい
る。
 まさか、という思いのまま、里美は窓辺に駆け寄り外の路地の景色を見回した。
 地表には何もないが、すでに薄暗くなっている周囲の景色に、上方からやや不自然な光が浴
びせかけられている。
 慌てて駆け寄ってきた七菜江と共に上空を見上げると、そこに想像通りの姿があった。
 淡く銀色に輝く引き締まった巨大な女性の肢体。流れるようなプラチナブロンド。紛れもない
女性形の穏やかな美貌。
「ファントムガール……」
 七菜江が呆然と口にする間に、その麗しい姿をもった女性の巨神は突風を舞い上げつつ、さ
らなる上空へと舞い上がった。
 そのままミュータントの出没しているとされる東品川の方角を見定めると、決意をしたように
超速度で飛び去ってゆく。
「まさか、あの人がファントムガールな訳は……」
「いえ、紛れもなくあの志賀さんが新しいファントムガールね」
 愕然とした様な七菜江に、里美はキッパリと言い放った。
「だって里美さん、あの人はカード犯罪で人のお金盗っちゃうような人だよ!?」
「これを見て」
 差し出された受信機の画面を見て、猫顔のアスリート少女は息を飲んだ。
「信号の発信位置が、あのファントムガールに合わせて遠ざかってる!!」
「ええ。こういう物的証拠がある以上、認めざるをえないわね。逆に言えば、どんな事情から盗
んだにしろ、話をすればお金は返して貰えるはずよ」
「確かに、ファントムガールになるほどの人なら、本質的には善人って事ですしね」
「そうね。でも、今は私たちも現場に急ぎましょう。彼女を一人にしておく訳にはいかないわ」
「そうですね!」
 歯切れのいい返事に頷くと、里美は七菜江に先んじて部屋を小走りに駆け出していった。

 東品川上空に到達した白銀の戦女神・ジールは、即座に破壊活動を行っている水牛型の巨
大生物を補足していた。
“目標を確認しました。早速活動を停止させます”
“わかった。まかせるわよ、ジール”
 洋美の返答を受け、ジールは即座に急降下に移っていた。
 そのまま勢いをつけた跳び蹴りを、水牛型ミュータントの後頭部へと叩き込む。
 唐突な奇襲攻撃を受け、その怪獣は自ら蹂躙してきたコンテナ類の瓦礫にもんどり打った。
 周囲の状況は、巨大倉庫というより、貨物船からの積み荷をコンテナとして揚陸する港の景
色が連なっている。
 襲撃された時に被害の大きくなる発電所は、とりあえず無事なのが窺えた。
 起きあがった牛のミュータントは、ジールを省みるや本物の水牛さながらに荒い鼻息を吹き
出していた。
 そして、あまつさえ体格に相応しい大音量で人語を口にする。
「貴様かぁ……。新しいファントムガール」
 対するジールは答えない。
 正確には、声を発生させる器官が人間より退化しているのだ。その代償として、相手の精神
に直接自分の心を繋げる能力を得ているのだが、容易く人の命を奪った魔獣と同じレベルで
話し合いをしようという気は、ジールにも洋美にもなかった。
「俺の名はタウラス、貴様の名を聞いておこうか」
 その言葉にも、白銀の戦女神は口を開く事はなかった。
 黄道十二星座における牡牛座の名を持つミュータント・タウラス。自らより三回りも巨大な敵
を見据えながら、ジールはどこまでも怜悧に右手から光線剣を発生させていた。
「お高く止まった女神様は、ミュータントなんかにゃ口もきけねえってか。……なら、さっさと突き
殺しておくかぁ!!」
 言うなり、地響きと共に突進を敢行するタウラス。だが、身構えたジールはその直撃の寸前、
体勢を沈ませて敵の足を切り払うような水面蹴りで巨体を転倒させていた。
 すかさず右手の一閃を送り込むものの、黒光りする双角で受け止められてしまう。
 そのまま突進してくる牛型ミュータント。だが、ジールは長大な二本の角を握りしめるや、ヒラ
リとその頭上を飛び越えつつ、勢いを利用して敵を仰向けに地面へ叩きつけていた。
 敵が起きあがるよりも早く、白銀の戦女神は敵の眉間を右の掌で捕らえている。
 最大出力で送り込んだ超振動は、物の見事に水牛型ミュータントの額をかち割り、真っ赤な
血液を噴出させる。
「グガアアアッ!」
 苦痛に耐えかねて周囲を転げ回るタウラスから間を取り、ジールは左腕を伸ばして照準を定
めていた。
 それは、必殺の主砲である荷電粒子砲の構えであった。

 凝縮したエネルギーを放出すると同時に、ジールは勢いよく背後を振り向いた。
 埠頭全域にわたって連なる倉庫街。その合間に、新たな変化が生じるのを感知したのであ
る。
 後方の中空に生じた黒点が、急激に膨張してゆき、瞬く間に巨大な人の形をとったのであ
る。
 光速に近い荷電粒子流に飲み込まれ、炎上して消えてゆくタウラスには目もくれず、ジール
は新たな巨人の人影へ警戒の視線を送った。
 それは、禍々しくも美麗な女性形の姿をしていた。
 全身水色のしなやかでグラマラスな肢体、腰まで届く滑らかな金色のストレートヘア、上腕と
スネに生えそろった茶色の繊毛、そして何よりジールと同化した洋美が思わず息を飲むほど
の美貌。
 血のような赤一色の目、額に六つ横並びとなった蜘蛛のごとき黒い複眼。そして、背から生
えた四本の昆虫の節足。
 今まで相手をしていたタウラスなどとは比較にならない邪気を感じ取り、ジールは無言で身構
えた。
「そのタウラスは、今までのミュータントより大分強化したはずなのに、ほとんど瞬殺だなんて。
なかなか侮れない実力を持ってるわね、あなた」
“その口振りから察するに、あなたがあの巨大生物を生み出し、人々を襲わせた張本人です
ね?”
 静かな確認の問いを、ジールは精神波によってその相手へと伝達した。
 蜘蛛を連想させる容姿の巨人は、直に精神へ情報を伝達される事になれていないのか、一
瞬だけ眉を上下させる。
 だが、驚きの表情は一瞬で収まり、それまでの優雅ささえ感じさせる余裕の雰囲気となって
言葉を綴った。
「なるほど、噂に聞くテレパシーとはこの事かしら。……その質問には、とりあえずイエスと答え
ておきましょうか。私の名はシヴァ、ミュータントの生みの親であり、最も神の座に近しい生物」
 ジールも洋美も息を飲んだように口を閉じた。
 神という概念をダシに、己と他者の順位付けをする相手に、まともな話が通じるとは洋美は
思っていない。
「あなたの名を聞いておきましょうか」
“ジール”
 白銀の戦女神は、短くそう答えた。先ほどと異なり、返事をしたのは、戦士として雄敵に対す
る最低限の礼儀であった。
「その容姿からするに、あなたはファントムガールのようだけど、私と手を組んでみなくて? お
互い選ばれた者同士、新たな生命の可能性を探求してみないかしら?」
“お断りしましょう。あのように人々を平気で蹂躙する生物を放つ者に、手を貸すつもりは一切
ありません”
「……そう。予想通りの返答と言った所だけど、こうまで型どおりだと興ざめね」
 さして残念そうなそぶりも見せず、シヴァは両手をゆっくりと左右に開いてゆく。それにともな
い、背面に備わった四本の節足も照準を定めるかのように、ジールへと向けられる。
「仕方ないわ。こうなった以上、力ずくで私の物になってもらうわよ」
 魂まで凍り付かせるような冷笑を浮かべると、シヴァはジールと正対して身構えた。

 先に襲いかかったのはシヴァの方であった。
 突進から、無数の節足を矢継ぎ早に黒い閃きとして、ジールの白銀の肢体へと送り込んでく
る。
 自らの光線剣をあわせたリーチより、さらに長大な射程を持つその爪撃を、ジールは半分以
上本気で回避していた。
 四本の節足の攻撃は、剣一本で受けきれないほどの密度であり、様々な体術を駆使して避
けるジールの姿を追尾してゆく。
 両者の軌道の周囲にあるコンテナ類や倉庫棟が、シヴァの振り回す節足によって片っ端から
宙に舞い上がり、粉砕されてゆく。
 足下をなぎ払うような一閃を、ジールは紙一重の差で跳んでかわすや、左手から発するレー
ザーをシヴァへと撃ち下ろす。
 それを残りの節足と両腕で防御しきったシヴァは、陰の深い笑みを浮かべていた。
「かかったわね」
 突如としてうなじを這い上がって来るような悪寒を感じ、ジールは直感の命じるまま上方を見
上げていた。
 そこには、途轍もなく巨大な蜘蛛の巣が視界全体に広がっている。
 次の瞬間、それが宙に躍ったジールの白銀の肢体を、あらゆる方向から包み込んでいた。
 全身を拘束された白銀の戦女神は、たまらず横倒しの体勢になって埠頭のアスファルトの上
へと墜落した。
“くうっ!”
「さて、このまま締め落としてあげようかしら。苦痛を与えて意識を奪うのもいいわね」
 サディストの本質を表し、淫らな笑みを浮かべてジールに歩み寄るシヴァ。
 身体の自由を奪われた白銀の戦女神は、無表情ながら明らかに挑むような視線で、水色の
魔女の姿を見上げた。
「そそるわね、その目つき。私の愛しい娘にソックリ。……決めたわ、限界まで虐め抜いてあげ
る」
 シヴァが軽く手首を捻って指先を上向けると、その合間に瞬時にして金色の針が生じた。
 ジールと洋美は知るはずがないものの、一目見て瞬時にその危険度を直感する。
 あの針を打ち込まれてはならない、と。
 金色の針の名は金剛糸。ミュータント・シヴァの生み出す刃の一種で、生物が感じる限界を
超えた激痛をもたらす、最悪の拷問道具であった。
 自らを見下ろす位置までシヴァが寄ってきた瞬間、やにわにジールを幾重にも縛り上げてい
た糸が爆ぜた。
「なっ!?」
 一挙に跳ね置きたジールは、不用意に近づいて来たシヴァの顎を、したたかに後ろ回し蹴り
で跳ね上げていた。
 たまらず弾け飛ぶ水色の魔女を追い、疾走するジール。
“覚悟っ!”
 短く気合いを込めつつ、右手より生じさせた光の刃を叩き込む瞬間、横合いからそれは訪れ
た。


    5


 横手で空間転移に伴う発光が生じると全く同時に、恐ろしい速度で槍状の閃光がジール目が
けて投じられたのである。
 驚くべき反射神経で身を捻り、それ回避する白銀の戦女神であったが、完全には避けられな
かった。
“ぐうっ!”
 光槍の穂先に太股を切り裂かれ、飛び退いた先の地面で片膝をついてしまう。
 自らに不意打ちを見舞ってきた存在の方向へ鋭い視線を飛ばすと、そこにはやはり予想通
りの姿があった。
“ゼクスノーツ……”
「ククク、相も変わらず警戒心の足りない女よ。貴様を打ち倒すのは、この俺だと言っておいた
はずだ」
 歪曲した空間から現れた紫の魔人は、傍らで身を起こしているシヴァには目もくれず、新たな
槍を虚空より生み出し、それを一度旋回させて身構えた。
「あなた、ミュータント……?」
 状況が分からずに訝る水色の魔女へ、ゼクスノーツは一度だけ冷瞥をくれる。次いで、さして
興味もない風情で言葉を放り出す。
「ミュータント? 知らんな。それよりも虫女、貴様はこの女神様と随分楽しそうにしていたよう
だが?」
「シヴァ、よ」
 虫女と呼ばれた一瞬、シヴァは表情を僅かに引きつらせたものの、すぐに普段通り冷酷な微
笑に戻って名乗りを上げる。
「確かに私はそちらのお嬢さんと遊んでいたわ。これほど興味をそそられる相手、そうはお目
にかかれないもの」
「だが、この女は俺の獲物だ。邪魔をすれば潰すぞ」
 危険極まりない三すくみ状態に陥りそうになった時、シヴァはゆっくりと邪悪な笑みを浮かべ
た。
「そういう事ならばご心配なく。見たところ、あなたはそちらのお嬢さんと縁が深いようだけど、
良ければ手を貸すわよ?」
「……貴様、何のつもりだ?」
 狂気に満ちた金環食のような目で、ゼクスノーツは横手のシヴァを睨め付けた。
「手合わせして分かったわ。そのお嬢さんの実力は紛れもない本物。ここはあなたと共闘して、
その分け前に預かるのが確実な手という事よ」
「よかろう……。その柔軟性、気に入った。シヴァと言ったな、俺の名はゼクスノーツ。覚えてお
け」
「フフフ、期待させてもらうわよ。ゼクスノーツ」
 最悪となった戦況に怯む様子も見せず、全身に闘気を漲らせたジールは、再び一部の隙も
ない構えを取ってみせる。
 これまでのように敵の出方を探る事はなく、白銀の戦女神は一挙にその場を飛び出してい
た。
 音速を超えた突進から、一直線に狙うのは、宿敵ゼクスノーツ。
 青い閃光としか見えない光の刃を送り込む寸前、ジールは一転して左腕を真横に奔らせた。
 迸るレーザーの鏃が、身動きを見せたシヴァの肩を弾き、その動きを封殺する。
 刹那、真後ろから襲いかかってくるゼクスノーツの切り下ろしを、ジールは振り向きもせずに
頭上に掲げた光線剣で受け止める。紫の魔人が舌打ちをする間もなく、その顔面に後ろ回し
蹴りが叩き込まれ、巨体を埠頭の端に弾き飛ばしていた。
 再び跳ねるように地を蹴った白銀の戦女神は、レーザーの衝撃から持ち直したシヴァへと間
を詰めている。
 衝撃波を巻き起こす光の刃の乱舞は、先ほどとは逆に無数の足で受けるシヴァを防戦一方
に追い込んでゆく。
 何十撃目かの突きを、シヴァが払いのけた瞬間、その懐に潜り込む白銀の奔流。
 全身を使った強烈なショルダータックルは、完全に水色の肢体を捕らえ、蜘蛛と天才生物学
者のミュータントを200メートルも後方へ弾き飛ばしていた。
 すかさず必殺の荷電粒子砲を射出するべく、ジールは左手を突きだした構えに移行する。
 しかし、砲撃を敢行する寸前、白銀の戦女神は慌てたように左腕を引いた。
 吹き飛んだシヴァのさらに後方、積み重なったコンテナ類の背後に、人間の生命反応を確認
したのである。
 このまま荷電粒子砲を放出すれば、確実にその人々も巻き添えにしてしまう。
 ジールが歯がみした一瞬に形勢は逆転する。
 ズドォ、という音と共に左脇腹に生じる灼熱の激痛。
 唸りをあげて斜め後方から飛来した光の槍が、ジールの美麗な肢体に突き刺さっていた。
“うぐあああっ!”
 光槍が霧散して消え後には、凄惨な傷跡が残っており、血煙が迸る。
 ジールはたまらず傷口を両手で押さえ、仰け反った。
 さらに、その優美な四肢に絡みつく魔女の妖糸。
 刃のような鋭利さで、ギリギリと全身を締め上げる締め上げる繊維に屈し、ジールの四肢は
先ほどと同じように横倒しにされてしまう。
「確かにとんでもない戦闘力ね。一人だったら危なかったかしら」
 起きあがったシヴァが、再び糸を操る手に一捻り加えるや、より一層全身に糸が食い込み、
戦女神を苦痛に仰け反らせた。
“ぐふっ!”
 振り乱され、地面に広がったプラチナブロンドのロングヘア。それが今度は後方から鷲づか
みにされ、無理矢理体を引き起こされる。
「相変わらずのイキの良さだ。少し大人しくさせる必要があるな」
 拘束されたジールの白銀の戦女神の脇腹、つい今し方深々と刻まれた傷口へ、ゼクスノーツ
は無造作に四本の指を突き込んだ。
「うああああっ! ぐっ、ぐああああ!」
 余りの激痛に、今度こそ肉声の悲鳴を漏らすジール。
 己の中にうねくりながら侵入する四本の指に、類を見ない苦痛を与えられ、捕らわれた白銀
の戦女神はガクガクと全身を痙攣させる。
「ホラ、目の前の女も貴様にお礼がしたいそうだぞ?」
「なっ……!?」
 限界に近い痛覚にフラッシュで明滅していた視界が、一瞬鮮明になる。そして、そこを占める
のは、あの金剛糸を両手に携え、淫らで美しい笑みを浮かべる魔女であった。
「この私に随分と無様な姿をさらさせてくれたじゃない。しっかりとお返ししておかないとね。ウフ
フ」
 空かさず右腕の甲に突き立てられる金剛糸。
「!?……ガッ! ああっ、アアアアアッ!!」
 通常の肉体的損傷では決してあり得ない激痛に、戦女神と言えど半ば意識をそぎ取られて
痛覚に翻弄されてしまう。
 先ほど妖糸の束縛を打ち破った力の波が、右手からの物であることを見抜いていたシヴァ
は、まずその機能を殺す事を選んだのであった。
「喜んで貰えてるみたいね。じゃあ、次はここなんかどう!?」
 ブスリ、と擬音が立つほどの強さで、残った金剛糸がジールの身体の中央、人間で言うなら
ば丁度ヘソの部分に突き刺される。
「グッ、うぐううううっ!! あぐあああっ!」
「なかなか良い悲鳴だわ! もっとよ、もっと聞かせて頂戴!! アハハハハハ!!」
 さらに捻りを加えられながら腹部へめり込んでゆく金剛糸。
「ガッ、がふっ……」
 途端にジールの声が途切れ、その美しい姿を挟み込む二体の魔人は訝った。
「ん? 気絶……はしてないわね。どうしたというのかしら」
“も、もう無駄です。その武器の特性を見切り、自身の痛覚を遮断しました。……身体的な損傷
は皆無に近いながら、痛覚だけを際だたせた拷問道具である事はわかっています”
 ジールは苦しげな声で言った。
 洋美と感覚を共有するジールは、金剛糸の余りの痛みに、自分はともかく同化した洋美の精
神が耐えきれない恐れを抱いたのだ。
 確かに肉体の損傷を痛覚によって判断できなくなるデメリットは大きい。だが、それでも、この
魔女と魔人の責め苦に翻弄され、いたずらに洋美を激痛に晒すよりはマシであった。
「自ら無痛症になれると言うの? ……フフフ、ますます興味が湧いたわ!!」
「そんな事は後で究明すれば良かろう。今はどうやってこの女神様の意識を奪い去るか、だ。
諦めの悪さは折り紙付きだぞ」
“その通りです。私は、あなたたちのような者に決して屈しはしない!”
 なおも消えない意思の光を青い目に宿し、白銀の戦女神はキッとした視線をゼクスノーツに
向けた。
 ヴイィィン。
 次の瞬間、その胸元に配置された鉱石が赤く明滅を始め、内在エネルギーの少なさを表し
た。
「ふん、そろそろだと思ったが、やはり時間のようだな」
“くっ!”
 肉体的ダメージより深刻な活動時間の問題が露呈してしまい、さしものジールもその気力に
陰りが差す。
「じゃあ、時間切れまで好きに嬲らせてもらうわよ」
「好きにしろ。ただし、殺すなよ?」
 ゼクスノーツが手を放し、支えを失ったジールを、シヴァは無造作に背後へと突き倒した。
 両手両足を糸に絡め取られ、身動きできないまま埠頭の地面に仰臥したジールへ、シヴァは
ゆっくりとのし掛かってゆく。
 元々動けない白銀の戦女神を、さらに四本の腕で組み伏せ、水色の魔女は月光のように輝
く流麗な肢体を眺め回した。
「あの子たちとは違って成熟したその身体、存分に堪能させて貰うわよ……」
 氷の微笑を浮かべつつ言い放つシヴァ。その股間に、極太の黒い針が生じてゆく。
“あなた、まさか!?”
「そうよ。私を足蹴にしてくれた女神様にトドメを刺してあげるの」
 感極まった悦楽の表情で言ったシヴァは、そのまま腰を落とし、傷ついた白銀の戦女神の股
の間へ、悪魔の針を突き込んだ。
“うああああっ、やっ、やめなさい! こ、このような真似に何の意味がッ……!?”
「私が楽しいのよ」
 人間で言う秘所の部分へ、ズブズブと刺し込まれてゆく凶悪な悪魔の爪。
 そのまま滑らかに腰をグラインドさせ、シヴァは戦女神の体内へ針を抜き差しを繰り返す。
 針の先端から注がれる黄色い毒液は、どうにか体内のデバイスで中和できるものの、それで
も身体を蹂躙される屈辱に、ジールは全身を暴れさせ、必死に脱出を図ろうとする。
 だが、その都度シヴァの強靱な節足に地面へ押し戻され、下腹部へ更なる針のピストン運動
を叩き込まれてゆく。
「アーハッハッハ! あなた、こっちの味もいいじゃない!? 生意気な女をこうして屈服させる
感覚は、いつ味わっても最高だわ!!」
“う、あ……や、やめ……なさい……。うううっ!! くああああっ!!”
 痛覚を遮断しても襲い来る強烈な圧迫感に、ジールはたまらず首筋を仰け反らせた。
 すかさず右腕で戦女神の顔面を固定したシヴァは、自らの唇を白銀のそれへ重ね合わせて
ゆく。
 唇までも無惨に奪われる白銀の戦女神。その胸元では、鉱石が力無く明滅を繰り返してい
る。
 それは、まさに陵辱と言ってよい光景であった。
「フン、所詮やる事は猿か……」
 眼下で展開されている悲劇に、ゼクスノーツはさして興味もなさげに視線を向けていた。
 この紫の魔人からすれば、確かに敵対するジールが力を奪われてゆくのは都合が良い。
 だが、『寿命を超越し、絶対に近い力を得た完全な存在』と自分を定義している魔人は、自身
の繁殖機能を排除しているため、性欲が皆無なのである。
 それゆえ、シヴァのこのような行為は、ほとんど理解の範疇を越えていた。
 だが、侮蔑の言葉を吐きかけたにもかかわらず、シヴァは狂ったようにジールを蹂躙し続け
ている。
 次の瞬間であった。
「ファントム・クラブ!」
「スラム・ショット!」
 横合いから迸って来た光の攻撃に、ゼクスノーツもシヴァも、揃ってその場から弾き飛ばされ
ていた。
 地響きを立てつつ、200メートル以上離れたコンテナの山へ突っ込む二体の悪魔。
「なんだと……!?」
 身を起こしたゼクスノーツの目に、新たな光の巨人が二体存在していた。
 力を失いかけたジールを優しく抱き上げている方は、金色がかった茶色のロングヘアを持つ
白銀の天使であった。スラリとした優美な肢体には、紫の色彩でレオタードのような模様が浮
いている。
 そして、その前に出て二体の悪の巨人を睥睨しているのは、青いショートカットの守護天使で
ある。身体の模様は、セーラー服をモチーフにしたようなブルーのデザインで、抜群のプロポー
ションをさらに引き立て、美しく見せていた。
 その二人に共通するのは、まだあどけなさの残る美しさもそうだが、暖かな陽光を感じさせる
慈愛に満ちた雰囲気であった。
「第二強制進化種どもがさらに二人、だと……!?」
「いえ、あれはファントムガールよ。正義面して自分の力を他人のために使う、奇特で可愛い子
猫ちゃんたち。私は青い方をナナ、紫の方をサトミと呼んでいるわ」
「ファントムガール、か……。フフ、面白い!」
 勢いをつけて立ち上がったゼクスノーツとシヴァ。
 その前に立ちはだかった青い守護天使は、一瞬だけ視線を背後にやる。
 答えるように紫のファントムガールが一度だけ頷き、抱きかかえたジールに命の別状がない
事を伝えた。
 すぐに視線を戻したナナは、僅かに身体を震わせると、力を込めて二体の魔人を指さした。
「お前たちッ! 人々を無惨に殺したり、あの人を辱めたりして、絶対に許さないぞォォォォ
ッ!!」
 純粋な怒りの叫びにも、紫の魔人と水色の魔女が怯む様子はない。
「この東京にあなたたちが出てくるとはねぇ、ナナ。またいつかみたいに、私が直々に愛してあ
げるわよ」
「うるさいっ! 殺された人たちとあの人の無念、あたしが晴らす! これでもくらえ、スラム・シ
ョット!」
 瞬きほどの間もおかずに恐縮された光のエネルギーが投じられ、水色の魔女へと一直線に
向かってゆく。
 まともに食らえば、闇の結晶とも言えるミュータント・シヴァにとって、重大な損傷をもたらす光
の一撃。
 しかし。
 横合いからジャックナイフのごとく伸びた白骨のような手が、それを事も無げに掴み止めてい
た。
 ゼクスノーツである。
 なおも真横に伸ばした左手の中で回転するスラム・ショットを横目に眺めるや、秀麗とも言え
る面貌を邪悪な笑みで象った。
「なんだ、これは?」
 そのまま握りつぶされ、大気に拡散する光のエネルギー。
「怒りにまかせた一撃でこの程度か。……貧弱だな」
「うっ、嘘だ……。いまのはマグレに決まってる! もう一度っ!」
 ファントムガールの中でも単純な威力では随一のナナ。その必殺の攻撃が全く通用しない事
態に、当の青き戦天使の負けん気が燃え上がる。
 そこへすかさず飛ばされる冷静なサトミの声。
「待ってナナちゃん。その男には、物理的な攻撃しか通用しないわ!」
 ファントムガールのリーダーであるサトミは、状況を正確に分析していた。
 東京を舞台として、新たに善悪の戦いを展開したジールとゼクスノーツ。その二人が、エデン
を介して変身するファントムガールやミュータントと明らかに異なる事を、僅かな情報から察し
ていた。
 光や闇のエネルギーはその強弱を問わず、この二人には通用しない。
 ジールが水色の魔女に蹂躙されたのは、二対一というハンデに加え、シヴァが並のミュータ
ントと異なり、より物理的な妖糸や毒を駆使したからである。
 しかし、その事実をより早く気付いていたゼクスノーツは、鼻をならしてその場から間を取っ
た。
「シヴァとやら、ここは退くぞ。その二人、馬鹿ではない分、そう容易い相手でもなさそうだ」
「あらあら、慎重な事……。まぁ、ここは従っておきましょうか」
 自分の変身時間も、後から出現した二人のファントムガールに比べれば、決して長くない事
をシヴァは察していた。
「それでいい。……では、さらばだファントムガールとやら。この世界を去るまでに、いずれ雌雄
を決してやろう」
「待てっ! 逃げるのかっ!?」
 身をしなだれかからせて来るシヴァを抱き留め、ゼクスノーツは嘲るような顔をナナへと向け
る。
「逃げる? ああ、そうだ。俺は不確定要素を強く含んだ戦いはしない主義でな」
「勝てる戦いしかしないのかっ、この卑怯者めっ!」
「下等生物の分際でよくほざく。……まあいい、行くぞシヴァ」
 言うなり、紫の魔人は左腕から白光を凝縮したようなエネルギーボールを生み出し、足下の
地面へと叩きつける。
 瞬時に大爆発が生じ、戦場となっていた埠頭の大半を崩壊させてゆく。
 ジールを抱きかかえたサトミとナナは、間一髪の所で背後の海中に身を躍らせる事で、その
難を避けていた。
 爆発の余波が収まり、海に没してゆく埠頭を遠目に眺められる位置まで泳ぎ着くと、二人は
海面に浮かび上がる。
「大丈夫だった、ナナちゃん?」
「はい、サトミさん。でも、あたし悔しいよ……。どうして何の罪もない人が殺されたり、正義のた
めに命かけた人が酷い目に遭わなきゃいけないんだ……」
 握りしめた拳を震わせながら、ナナはストレートに気持ちを述べていた。
「その気持ちは分かるけど、今は急いで帰りましょう。この人を助けないと」
「そうでしたね。何かあったら大変ですし」
 二人の守護天使に守られた戦女神は、かなり憔悴している物の、どうにか意識を保っている
ようだった。
 人気のない護岸に上陸した女神たちは、やがて各々が変身を解除し、光の粒子となってそ
の姿を霞ませていった。


    6


「う……」
 目を覚ました洋美は、まず第一に周囲の状況を訝った。
 見慣れぬ景色の部屋であった。
 上質な畳から香るイ草の香り、丹念に磨き上げられた黒光りする木製の柱、手入れの行き
届いた白い漆喰による内壁。
 一目で上質な日本家屋の内部である事がわかる。
 広さは八畳ほどもあり、部屋の南側は開け放たれた縁側となっているため、涼やかな風が吹
き込んできている。
 さらにその先に一望できる雅やかな日本庭園の中庭に、思わず表情を綻ばせた。
 日の高さからして、時刻は昼前のいい時間になっているのがよくわかる。
「ジール、起きてる?」
“はい。洋美さんもご無事のようで何よりです”
「無事かどうか聞きたいのは私の方よ。……ったく、あの蜘蛛女、よくも人様の上で猿みたいに
カクカク腰振ってくれたわね」
 考えようによっては強姦も同じ仕打ちをされた訳だが、感覚がほぼ遮断されていたために、
洋美にとっては恥辱より怒りの感情の方が強い。
“私でしたらもう平気です。肉体の修復が終わり、エネルギーの充填段階に入っていますから”
「そう、それは良かった。でも、精神的に辛くない? あんな事されてさ」
 洋美が心配そうに聞いた。
 己と同化した戦女神ジールが、子供のように純粋な魂を持つだけに、あのような辱めに対す
る抵抗力があるのかどうか心配であった。
“体を蹂躙された事に対しては、やはりいい気はしません。ですが、もっと酷い苦痛に苛まれた
経験は幾度もありますからね。これくらいでは”
 特に気負っている風な様子もない以上、それば事実なのだろう。やはり、人間より遙かに長
い時を、戦いの中で過ごしてきた経験は伊達ではなかった。
「ま、その様子なら安心か。それにしても、してやられた形になったわね」
“はい、私の力が至らなかったばかりに……。申し訳ありません”
「仮にさ、あのファントムガールの二人が来なかったら、危なかった?」
“絶望的ではありませんでしたが、危険なのは事実でした。もう少しでリミッター解除に踏み切
る所でしたので”
「そっか。なら、あの二人に感謝しなくちゃかな。……それにしても、ここどこだろう」
 最高級の羽毛布団をどかして上半身を起こすと、洋美は枕元に置いてあった水差しを取り上
げ、勢い良く煽って見せた。
 その様子は、この栗毛の現代的な容姿の美人が、意外なほど物怖じしない性格である事を
表している。
「さて、と。ちょっとこの家の人でも探しましょうかね」
 自分の姿が元の普段着である事を確認した上で、洋美は立ち上がろうとする。
「その必要はありませんよ」
 鈴の鳴るような透き通った声が響き、廊下側の襖が淑やかに開かれる。
 お盆に幾つかの食器を載せて室内に入ってくるのは、以前自分の前に姿を見せた五十嵐里
美という名の少女であった。
「お気づきになられたようですね。志賀洋美さん」
「あなたは、確か五十嵐里美さんだっけ。……ん? 里美、サトミ、か」
「どうしました?」
「いや、あなたがファントムガールの一人だって気付いただけ」
 さり気なく言って驚かせてみようとしたのだが、里美には通用しなかった。
 月下美人のような美貌の令嬢は、やんわりと首肯して軽く微笑んだのみである。
「私たちも知っていますよ。あなたが新しいファントムガールだという事を」
「んー、それはちょっと違うかな」
 洋美の否定に、里美は軽く小首を傾げて見せた。
「まぁ、この世界に長くいる予定はないし、あなたたちも私の同業者っぽいから、全部話しておく
方がいいわね」
 苦笑めいた表情で起きあがった洋美へ、里美はやや慌てたように声をかける。
「身体に異常がないのは確認していますが、もう少し安静にしていないと」
「平気よ。どれくらい寝ていたかは知らないけど、私の事なら心配ないわ」
「では、まずこちらを召し上がってください」
 里美は穏やかに携えた盆を枕元に置いた。
 用意されていた雑炊やその付け合わせを見て、空腹感を覚えていた洋美は、ありがたくその
厚意を受けることにしていた。
「頂く前に聞きたいんだけど、もう一人のファントムガールの藤木さんだっけ? 彼女は今近く
にいるかしら」
「ええ、この屋敷内にいますよ。あなたの事をとても心配していたわ」
「そう……。心配かけていたのならごめんなさい。まあ、あなたと二人揃った所で、私たちの事
を全て説明させてもらうわ」
「よろしくお願いしますね」
 やや淡白ではあるものの、洋美の表裏のない性格を信用した里美は、その場でニッコリと微
笑んだ。

 和風の邸宅らしく、応接室も畳張りの和室であった。
 そこに通されていた洋美は、目の前にいる二人の美麗な少女たちに、自らの素性などを全て
うち明けていた。
「並行、異次元……ですか」
 里美も七菜江も、話を聞いた時、さすがに洋美が自分たちとは根本的に異なる世界から迷
い込んできた存在だと言うのには、驚きを隠せなかった。
 その他にも、元の世界において、同化したジールと共に、巨大生物災害に立ち向かっている
事実などを述べていた。
 話の締めくくりとして、洋美は己の札入れから二万円を取り出し、里美の前に差し出してい
た。
 この一見可憐であどけない人類の守護者たちが、自分の行為を監視していた事や、国を影
から守る使命を帯びている事は、話の始めに伺っている。
「この二万円、お返しするわ。本当、ごめんなさい」
「いいえ、こうしてちゃんと返して頂ければ。その代わり、こちらの世界にいる間は、私たちが生
活を保障させて頂きます」
「助かるわ。ありがとう」
 里美たちの暖かな応対に、洋美は元の世界にいた仲間との事を思い出していた。
“みんな、今頃何してるのかな。別れて丸一日程度しか経ってないけど、もう何年も会ってない
ような気がする……”
“やはり、心細いのですか?”
“あなたと一緒じゃなかったら、寂しかったかもね”
 内面でジールと会話したのはその一瞬だけであった。
「ありがとう、はこっちのセリフですよ!」
 大きな声で語りかけて来るのは、今まで明かされる事実を表情豊かに聞いていた七菜江で
ある。
「この世界のミュータントに対して何の責任もないのに、志賀さんは体張って被害が出るの防い
でくれたもん」
「そうね、私からもお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました」
 丁寧な礼を述べる二人に、洋美は少しだけ苦笑してみせた。
「そう改まって言われると、なんかくすぐったいわね。でも、肝心の被害規模はどうだったのかし
ら」
「東品川の埠頭が壊滅しました。でも、あなたたちのおかげで、初期被害を被られた人以外、
全員避難に成功しています」
「そう。人死にが押さえられたなら、出張った甲斐はあったかな」
 初めて微笑を浮かべ、雰囲気を崩してみせる年上の美人に、里美も七菜江もつられて笑み
を漏らす。
 うち解けた雰囲気になった所で、洋美はこの家の主である少女へと切り出した。
「五十嵐さん、もし良かったら少し運動できる場所を貸して貰えない? 少し汗を流したくてね」
「里美、でいいですよ」
「あたしも七菜江で!」
「了解。じゃあ私の事は洋美で。それで、場所の方はどうかしら?」
「あまり広くはないけど、この家には鍛錬場が併設されています。そこで良ければ」
「ありがたいわ。使わせてもらうわね」
 そう言って立ち上がる長身の美人を見やり、すかさずスポーティ美少女が呼びかける。
「だったらあたしが案内しまーす。実は、あたしもこれから特訓しようと思ってた所なんですよ」
「ナナちゃん、お願いね。私も残った用事を片付けたら顔出すようにするから」
「はーい。早く来てくださいね」
 勢い良く立ち上がった七菜江に続いて、洋美は板張りの廊下に歩み出た。
 跳ねるように先導して歩く年下の少女の後ろ姿を見て、ふと現代的な雰囲気の美人は顔を
綻ばせる。
“気分が良いようですね、洋美さん”
“うん。なんだか嬉しくてね”
“嬉しい、とは?”
“全く別の世界に迷い込んだのに、志の同じ人たちがいる事が、よ”
“言われてみると、確かにその通りだと思いますね”
 いいようのない心の温もりを感じながら、洋美は七菜江と共に廊下の奥へと歩んで行った。



 同時刻、都内の某高級ホテルの最上級スイートに、二人の人物はいた。
 一人は片倉響子。
 昨夜、東品川の埠頭に壊滅的な被害をもたらしたミュータント・シヴァの正体であり、完璧な
美しさを持つ天才生物学者である。
 それが今は、持参したノートパソコンのモニター見ながら、かつてないほど歓喜と興奮の表情
を浮かべている。
「凄いわ! こんな情報、今までに見た事がない」
「当然だ。塩基配列の自律進化機構など、こんな後進惑星の科学力では理論にすらなってい
まい」
 興味もなさげに答えたのは、グレーのソフトスーツに身を包んだ、髪の長い男であった。
 響子がこの男について知ってるいるのは、昨夜一時的な共闘関係を結んだゼクスノーツとい
う魔人の、人間としての姿であるという事だけだ。
 それが今は、窓際の革張りのソファに身を埋め、虚無的な表情で遠くを見つめている。
 鋭利かつ男性的な面貌は、響子のレベルには及ばぬものの、並のモデルなどよりよほど整
った容姿と言える。
 ファントムガールたちとの戦いから逃れた後、続いて共闘関係の継続を申し入れたのは、響
子の方であった。
 その際に、自らの持つ宇宙生物『エデン』の情報を提供した所、男はにわかに興味を示し、
交渉のテーブルにつかせる事に成功したのであった。
 結果として、二体の『エデン』を提供する代わりに、地球では考えられないほどに進んだ科学
力による、生命工学の情報を入手したと言う訳である。
「しかし、あなた一体何者なの? こんな情報を持っているなんて」
「言ったはずだ。俺の名はゼクスノーツ。元々この次元の住人でもなければ、こんな科学的汚
染の進んだ汚らしい星の出身でもない」
「人様の故郷を随分と言ってくれるわね」
「フ……。侮蔑に聞こえるというのなら、自覚はあるのか」
「……別に。ミュータントである私にとって、人間がいくら自分の首を絞めようと関係のない事だ
わ」
 横目に冷たい視線をやって、響子はゼクスノーツへ一瞥をくれた。
「それより、あなたがその姿である時は、どう呼んだらいいのかしら。人としての姿に名前はあ
るのでしょう?」
「ゼクスノーツでかまわん。……確かに俺はこの人間と同化しているが、人格はそのままだか
らな」
「あら、元の人格は?」
「こうして俺が出ている時間以外は、本体の方が表になる」
「そんな事もできるのね。ますます興味深いわ」
 明らかに知識を欲してる魔女の声に、ゼクスノーツは鼻で笑うような態度を見せる。
「取引の条件は人工進化に関する情報だけのはずだ。同化のメカニズムまで教えてやる義理
はない」
 絶世の美女の甘い声にも、ほとんど感情の起伏を表さない。
「第一、教えた所で、人間の寿命では理解する時間などあるまい。俺にした所で、今持つ全て
の理論を修めるのに、地球時間で300年はかけている」
 完全に突き放されたと知った響子は、元の冷静な表情に戻ってラップトップパソコンに向き直
る。
「もっとも、貴様はこの惑星の人類にしては覚えが良い方ではあるがな」
 思いがけないフォローの言葉に、思わず響子は目を剥き、次いでスーツに包まれたグラマラ
スな肢体を立ち上がらせた。
 明確な色香を発散させつつ、艶やかにゼクスノーツへ歩み寄る。
「あなた、魅力的よ。……己の敗北を受け入れられなかったあのボウヤとは違うわね」
 魔人の首筋に腕を回し、甘い吐息とともに囁きかける絶世の美女。
「なんのつもりだ」
 並の男ならたちどころに脳髄がとろけ、理性を失ってその肉体を貪りにかかってもおかしくな
い。
「これから私と楽しまない? 最高の時間を約束するわよ」
 しかし、ゼクスノーツは顔をしかめ、片手で響子を押しのけた。
「よせ。俺は低次元な生殖行為などに興味はない」
 それほど荒げた声ではなかったが、瞳に宿った桁違いの狂気が一瞬だけかいま見え、響子
は鼻白む。
「……フン、思ったよりつまらないのね。進化と引き替えに、生物としての楽しみを捨てているな
んて」
 憎まれ口に全く動じる様子のないゼクスノーツを一瞥すると、響子は身を翻した。
「私はシャワーでも浴びてくるわ。それでは、失礼」
 洗練されたモデルのような歩調でバスルームへ向かう響子の背に、再びゼクスノーツの声が
かけられる。
「おい、女」
「何かしら?」
 半身になって背後へ視線を送ると、ゼクスノーツも視線を合わせてくる。
「貴様は、生物を遺伝子レベルで扱える設備を知っているか?」
「一応使える所は知ってるけど、それがどうかしたの?」
「後で使わせてもらうぞ。……早速、この『エデン』とやらを使い、ファントムガールと第二強制
進化種を捻り潰すための手駒を生み出してやる」
 言った魔人は、この時初めて笑みを浮かべていた。
 それは、まさに比類無き邪悪な笑いであった。


    7


 ドゴォ……ン。
 畳敷きの鍛錬場に、重い打撃音が轟いた。
 今の音は、貸し出された黒地のウェットスーツを纏った洋美による物だ。
 20分もの時間をかけ、念入りに柔軟と基礎運動をこなした長身の美人は、ようやくウォータ
ーバックに対し、自らの技を振るい始めていた。
 その様子を、こちらも白い道衣に着替えた七菜江が、スポーツドリンク入りの水筒を片手にし
たまま呆然と見つめている。
 洋美が基礎運動をこなす間、七菜江が自己鍛錬を行い、今になってその立場を入れ替えた
所であった。
 そして、愛らしい容姿の少女戦士が見る限り、目の前の異世界の女性の身体能力は、常人
と大きく隔絶した物である事が分かっていた。
 洋美が手足を素早く振るう都度、80sはあるウォーターバッグが、爆薬でも仕掛けられたか
のような勢いで弾け飛んでいる。
 ここまでの破壊力を発揮出来る力の持ち主など、七菜江の知る限り『エデン』の寄生者と、自
分のコーチである先輩しかいない。
「吼介先輩ほどじゃないにしても、凄いなぁ……」
 思わず漏れた声に、洋美がゆっくりと振り向いた。
「ちょっと軽すぎるわね、これ。もう少し重いバッグがあればよかったんだけど、人様の施設に
文句は言えないか」
「あ、あのー、洋美さん」
「ん、どうしたの?」
「ちょっと聞きたいんですけどぉ、洋美さんの次元の人って、まさかみんなそれくらい凄い力を
持ってるんですか?」
 おずおずと聞いてくる猫顔の美少女に、洋美は笑いながら応じる。
「まさかまさか。こっちの人たちと何も変わらないわよ」
 続いて、少しだけ得意げな顔になり、補足を加える。
「私、実は向こうの世界でキックのプロライセンス持っててね。試合にこそ出てないものの、世
界ランク6位の後輩よりずっと強いのよ?」
「そ、そっかぁ。それなら納得」
「七菜江ちゃんも良い動きしてたよね。……よかったら、私とスパーリングしてみない?」
「え、いいんですか!?」
 人類の守護者として、一人のアスリートとして、ひたむきに強さの探求を続ける七菜江。思い
がけず訪れた、プロの格闘技者との手合わせの機会に、その純粋な心は躍った。
「いいも何もないわ。こっちの戦士の実力、見せてもらうわよ」
「わかりましたっ。思いっきりいきますね。……あたし、こう見えても意外と強いんですよ?」
 嘘ではない。
 元々超絶的な身体能力を持つ超高校生級アスリートである七菜江の身体能力は、『エデン』
との融合で更に倍加されている。
 生まれ持ったセンスの良さも相まって、単純な格闘能力はまさに脅威のレベルと言えた。
「その手合わせ、私も観戦させて貰うわよ、ナナちゃん」
 七菜江が振り向くと、洋美に貸し出されたのと同じデザインのウェットスーツを着込んだ里美
が、鍛錬場の入り口から入室して来る。
「あ、里美さん。実は、洋美さんって格闘技のプロなんだって。だから、あたしの力がどこまで通
用するか、これから挑戦させてもらうんですよっ!」
「なるほどね。……じゃあ、二人ともケガしないように頑張って」
「ハイ!」
 嬉しそうに応じた七菜江は、すでに部屋の中央で待っていた洋美に向き直る。
「よろしくお願いします!」
 溌剌とした一礼に、洋美も微笑して応じる。
「こちらこそ、よろしく」
 そうして二人は一斉に構えに移行。
 空手の後屈立ちの体勢となる七菜江に対し、洋美はグローブを着けたまま、軽く両拳を顔の
前に持って来ていた。
 双方の体格差は15p近くもある。
 その上、洋美からは完成された格闘家の風格が感じられ、七菜江には実際以上に大きく感
じられるほどだった。
 今までにこやかに微笑んでいた涼やかな大人の視線は、向かい合った途端、宝玉のごとき
冷たい輝きを宿して、アスリート少女に注がれている。
 全てを見透かされている感覚に包まれるが、七菜江はそれを振り払って気力を呼び覚ます。
 瞬きをする間もかけず、その場を飛び出す七菜江。
 凄まじい身体の回転から生み出される、怒濤の連撃。
 ジャブ、ストレート、ローキック、巻き打ち、ミドルキック、上段後ろ回し蹴り。
 どれも抜群の身体能力から繰り出される一級品の攻撃だが、信じられない事に、その全てが
掠りもしない。
 並の格闘技者ならば一瞬でKOされるほどの七菜江のコンビネーションを、洋美はほんの僅
かな身体の捻りと足捌きで完全に見切っている。
 ここまで完璧に攻撃の通じない相手は、七菜江の経験上全くなかった事だった。
 気が付けば、洋美はその顔に穏やかな微笑すら浮かべている。
「クッ、これなら!」
 旋風と化して相手の腿に送り込むローキック。それがミリ単位のスウェーバックでかわされる
瞬間、七菜江は蹴り足を横蹴りに変化させ、洋美の胴体へ放っていた。
 絶妙なフェイントに、さすがに腕を下げて防御するプロの女性格闘家。だが、変化はそれで
終わらなかった。
 払いにかかる洋美の腕を、胴衣に包まれた足は閃くように回避し、スレンダーな首筋へと叩
き込まれる。
「やった!」
 だが、七菜江の浮かべた喜色は、ぬか喜びに終わっていた。
 反対側の右腕で、洋美はアスリート少女のハイキックをガッチリと防いでいる。
「フゥ、危なかったわ。……その年でこんな動きができるなんて、末恐ろしいわね」
 紛れもない感嘆の声。だが、そこに含まれた達観の響きに、七菜江の闘志はさらに燃え上が
った。
「まだだっ!」
 間を取った洋美を追い、疾風の勢いで七菜江は間合いに踏み込んだ。
 再び繰り返される打撃のハリケーン。しかし、初撃のジャブと続くフックの合間に、それは来
ていた。
 赤いレーザーのような閃光に顎を打ち抜かれ、猫顔の美少女は思わずたたらを踏んだ。
「ッ!!」
 自信を持っていたコンビネーションの隙間に、事もなく攻撃を割りこまされ、七菜江は少なか
らず動揺を抱いてしまう。
「今度はこっちから行かせてもらうわ、七菜江ちゃん」
 言った洋美の声は、冷厳なほどであった。
 突如として襲い来る赤の奔流。
 それがグローブに包まれたジャブと知ったのは、五発目をどうにか両腕でブロックした時であ
った。
 そのスピードは、七菜江の常識を明らかに凌駕していた。
 万全を期した防御を施しても、必ずその合間から鋭い衝撃が全身へ刻み付けられてゆく。
 守勢に回ったらいけない!
 本能的にそう感じたスーパーアスリートの美少女は、萎えない闘志の高まりを咆吼として吐き
出した。
「させるかぁっ!」
 あえて一発をもらうのを覚悟の上で、バネを活かした跳躍から全身をフルに回転、顔面への
猛烈なローリングソバットを敢行。
 しかし、虚をついたはずのそれすらも完全に切り替えされた。
 旋回のまっただ中で、健康的な色香に満ちた臀部へ掌底打ちをもらい、あえなく鍛錬場の畳
へ墜落させられてしまう。
「それ、スキが大きすぎ」
 苦笑するように言う洋美が、すかさず七菜江の片足を取って捻りあげる。途端に足首に生じ
る激しい痛み。
「いだだだだっ!」
「勝負あり、ね」
 立ちアキレス腱固めを施していた栗毛の美人は、どこか可愛らしい悲鳴に、笑ってその手を
放した。
「追い込まれたからって大技で博打を打つのは、あんまり関心できないわよ?」
 笑顔で忠告する洋美は、七菜江に向かって手を伸ばしていた。
 明るいウィンクと共に差し出された手を、猫顔の美少女は参ったような、それでいて悔しそう
な表情で握りしめた。
 引き起こされた七菜江は、再び構えを取る。
「あたし、まだまだ行けます。続きをお願いします!」
「いえ、ここまでにしておきましょう。あなたの体力、これ以上磨り減らさせるのは勿体ないし」
「え?」
「今の手合わせでわかったわ、七菜江ちゃんの欠点。ズバリ、よく短時間で体力を使い切っち
ゃう癖がある。……そうじゃない?」
「そ、それはそうですけどぉ。だからこそ、もっと運動してスタミナ付けないといけないんです、あ
たし!」
 コーチを施してくれる先輩や里美たちと共に、日頃から改善に取り組む欠点を改めて指摘さ
れ、七菜江は少しむくれてみせた。
「まぁ、それも一つの方法だけどね。オーバーワークは身体に毒だから、私がちょっと別の方法
で改善のキッカケを教えてあげる」
「キッカケ?」
「そう、キッカケ。私、トレーナーの資格も持ってるのよ。格闘家としての力量より、そっちの方
に自信があるくらい」
 笑顔でそう言った洋美は、背後の里美を省みる。
「里美さん。これから少し七菜江ちゃん借りるわね」
「はい、喜んで。色々教えてあげて下さい」
 月光のごとき美貌の令嬢は、そう言って屈託なく微笑むと、ゆっくり立ち上がった。
「あれ、里美さん行っちゃうんですか?」
「ええ。この場は二人で平気そうだから、私は先に片付けなきゃいけない事を済ませて来るわ」
 元々、戦士として完成の領域に達している里美としては、日々の鍛錬はどちらかと言うと仲間
の能力上昇を監督する側面が強い。
 今日も、実際の所は七菜江へのコーチと、洋美の力量を見極める意味合いの方が大であっ
たのだ。
 その二つが解消された以上、五十嵐家の令嬢として成すべき事を、先に片付けてしまうつも
りであった。
「じゃあ、一休みしたら始めましょうか」
 家の主が鍛錬場を出てゆくのを見送って、洋美は七菜江に呼びかけていた。

「でも、洋美さんちょっと強すぎですよォ。あそこまでいいようにやられるなんて、さすがに思って
なかったです」
「んー、実際の運動能力は私の方が低いわよ。確実に」
 参ったように感想を述べる七菜江へ、洋美は思い返すような口調で応じた。
「まっさか。あんな一方的だったのに?」
「あくまで運動能力の話、よ。手合わせで差が出たのは、さすがに格闘技に対するキャリアが
違うのと、私が最高の武器を最初から使わせてもらったからよ」
「最高の武器って、ただのジャブだけだったじゃないですか」
「それが私の最高の武器なの。……極めれば、主導権は取れる、ノーリスクで相手にコンタクト
できる、何度でも打てる、体力の消耗が少ない、と思いつくだけでこんなにメリットがあるわ」
 表情豊かに口を開く七菜江に対し、洋美は自然な雰囲気の笑みを崩さず応じていた。
 傍目には仲のいい姉妹にも見えかねないほど、和んだ雰囲気である。
「で、でも、相楽さんは殺人的な威力だって言ってたよ。洋美さんの技」
「まぁ、あの人は敏捷性高そうだったから、力でごり押しさせて貰っただけなんだけど」
「相手によって技を使い分けてるんですか。器用だなぁ」
 関心したように呟く年下の美少女に、洋美は薄く笑いかけた。
「そうやって幾つも引き出しを持つと、色々な状況に対処できるようになれるわよ。……こういう
言い方はしたくないけど、いわゆる年の差って奴ね」
「あははっ」
 洋美の苦笑いに、七菜江の笑いが重なった。
「でも、七菜江ちゃんもその年であれだけ動けるのは大した物だわ。……いい師匠に恵まれて
るみたいね」
「ハイ、そうなんですっ!」
 尊敬する格闘の師匠にして、最愛の男性である先輩・工藤吼介が褒められたと知って、七菜
江は自分の事より喜んでいた。
「ホント、吼介先輩って凄いんですよ。強くて優しい空手の超達人なんです!」
「いいわねー、恋してるって」
 いきなり話題を変えた栗毛の美人の言葉に、七菜江は耳まで真っ赤に染まった。
「こここ、恋って言っても、ああああたしが一方的なだけででで……」
「そうでもなさそうよ。私が見た感じ、七菜江ちゃんすっごく大事にされてると思う」
「え!? そ、そうなのかな、やっぱり。だとしたら嬉しいなァ」
 自分だけの世界に没入しかける七菜江。そこに視線を注ぐ洋美の雰囲気は、これまでにな
いほど優しげな物であった。
 今までに逢った事のないタイプの、この屈託のない少女を、洋美はもはや他人とは思ってい
なかった。
 だが、言葉には何も出さず、その場へすっくと立ち上がる。
 敷き詰められた上質な畳、木目の細かい板張りの内壁と、純和風の佇まいを見せる鍛錬
室。
 その様子を眩しげな眼差しで一度だけ見回してから、隣のアスリート少女に呼びかける。
「さあ、再開しようか。……今度はちょっとキツ目で行くわよ?」
「はいっ!」

 東品川の埠頭崩壊後、そこから遁走しているであろうシヴァこと片倉響子の所在を絞り込む
作業に、里美は追われていた。
 東京各地に散らばる御庭番衆に、緻密な指示を逐一送って虱潰しに居所を掴もうとするもの
の、その行方はようとして知れなかった。
 五十嵐家の東京の別邸において、ここだけは西洋的な内装が施された執務室。
 白い漆喰の内壁と、大正時代を彷彿とさせる懐古趣味の調度品が並ぶ室内で、里美は大型
の事務机についてデスクトップパソコンと向き合っていた。
「まいったわね。あんなに隔絶した場所から逃れるのに、手がかり一つ残していないだなんて。
……さすがはシヴァという所かしら」
 生来の品の良さから、舌打ちなどはしないものの、目を閉じて厳しい顔にならざるを得ない。
 あの場から二体の悪魔が姿を消したのは、種を明かせばゼクスノーツの空間転移による物
である。
 だが、神ならぬ美貌の令嬢では、その事実を知り得なくても無理はない。
「もし次に現れるのなら、せめて洋美さんが元の世界に帰った後であってほしいわね」
 呟く声色には陰りの色が濃い。それでも物憂げな幽玄の魅力があるのだから、何とも非の打
ち所のない美少女と言えた。
 今、この場で里美が心を砕いているのは、実は宿敵シヴァの事よりも、異世界の女戦士ジー
ルと志賀洋美についてである。
 一対一であのシヴァを圧倒して見せた実力は、本音を言えば是非とも共に悪と闘ってほしい
ほどだ。
 だが、それはできない。
 洋美とジールは別の世界の守護者であり、それを無理にこの次元に引き留めるのは、利己
的という物であった。
 思案が堂々巡りに陥りかけた所で、里美は席を立つ。
 こういう時は身体を動かすのが一番だ、と結論づけたのだ。
 一門の配下に対する最期の指示をキーボードに打ち込むと、月光のような守護天使のリー
ダーは、その部屋を後にしていた。

 再び鍛錬場に近づくと、その内部から幾つもの音が聞こえて来る。
 パンパンと何かを打つ小気味の良い音、七菜江の鋭い気合い、彼女を誘導しているらしい洋
美のかけ声。
 気を散らさせないように気をつけ、静かに入室すると、案の定七菜江が洋美相手に猛特訓の
最中であった。
「セエェェイッ!」
 踏み込んだ怒濤のハイキックが、受ける洋美の長身をぐらつかせる。
 両者はスパーリング形式で打ち合っているが、先ほどと違うのは、攻める七菜江に対し、洋
美が彼女を導くように受けに回っている事だった。
 里美が一度鍛錬場を出てから一時間以上経っているだけあり、両者は顔に健康的な汗をか
いていた。
 だが、アスリート美少女の様子がいつもと違うのを見て取り、里美は内心驚きを感じてしま
う。
 あの七菜江がバテていない。
 普段、自分との訓練では、色々とアドバイスをしても、比較的早期に体力を使いきってしまう
猫顔の超少女が、今も生き生きと全身を躍動させ続けている。
 休憩したり手を抜いていたのでない事は、両者の流す汗が如実に物語っていた。
 何事にも全力を出しきってしまう七菜江の欠点が、こんな短時間で克服されている事に、里
美はむしろ疑念すら抱いていた。
「あ、里美さん!」
 動きを止めて間を取る、ショートカットの美少女と栗毛の美女。
「邪魔、しちゃったかな?」
「そんな事ないですよォ。でもねでもね、あたし思いっきり動いてるのに、まだまだ体力余ってい
るんです。こんな感じ、初めて!」
 子供のようにはしゃぐ七菜江。
「まぁ、欠点を根本から改善した訳じゃないんだけどね」
 苦笑して語る洋美に、月光のような美少女は問い掛けた。
「一体、どうやってここまでナナちゃんの体力を保たせたんですか?」
「説明するより、見て貰った方が早いわね。……七菜江ちゃん、もう一本行くわよ」
「はい! 里美さん、見ててね!!」
 飛ぶように間を取った二人は、美貌の現代くの一の前で、真剣な訓練を再開する。
「行きます!」
 かけ声と同時に突っ込んだ七菜江と、迎え撃つ洋美の攻撃が交錯する。
 超アスリート少女の凄まじい連撃が波に乗って来たと同時に、美貌のプロ格闘家は手足を閃
光としてその合間へ差し込んだ。
 それだけで流れが変わり、攻守が交代。
 だが、七菜江も今度はやられてばかりいる訳ではなかった。
 ほんの僅かな洋美の攻撃の隙に、天性の反射神経で己の攻撃を割りこませてゆく。
 常人なら何が行われているかもわからない超密度の撃ち合いは、それでも互いにクリーンヒ
ットを許さない。
「なるほど……」
 一部始終を見ていた里美は、納得したように首を縦に振っていた。
 超人的な攻防はそれから10分ほども続き、やがてどちらからともなく下がって距離を置く。
「ここまでにしましょうか」
「ハアッ、ハアッ。はい、ありがとうございましたっ!」
 互いに一礼した二人の天才は、肩の力を抜き、雰囲気を普段の物に戻してゆく。
 そして三人は鍛錬場の片隅へ、向かい合う形になって腰を落とす。
 里美の見る所、七菜江はかなり大きく肩を上下させているものの、普段のように体力を使い
きっている様子はない。
「でも、ナナちゃんの欠点を改善するのに、あんな方法があるとは思いませんでした。洋美さ
ん」
 水筒からストローでスポーツドリンクを吸い上げている長身の美女に、里美は関心した表情
を向ける。
「あれを見て解説なしでもわかるなんて、あなたもただ者じゃないわね」
 呟く洋美の表情は、どこか苦笑めいている。
「え? え?」
 事情が飲み込めずにきょとんとする愛らしい後輩に、里美は優しく話しかけた。
「いつもと違って、ナナちゃんがバテていない理由の事よ」
「それなんですけど、不思議なんですよね。洋美さんと組手してると、身体の底から力が湧いて
くる感じなんです」
「そういう風に相手してたからね」
 何気なく言った洋美の言葉を、絶世の美少女が補足する。
「つまり、ナナちゃんは洋美さんにコントロールされていたのよ」
「え、ウソ!? あたし、良いように動かされてる感じなんてなかったですよ!」
「でも、完全に自分でペースを作れる場面はなかったんじゃないかな?」
「あ、そう言えば……」
 思い返す七菜江の表情が、半ば呆然とする。
 確かに敬愛する先輩の言う通りであった。
 これまでの手合わせの内容は、どうにか撃ち合いに持ち込めるものの、まさに抜き身の真剣
を相手にしているようであった。
 僅かでも油断やスキを見せた途端、抜群の切れ味を持つカウンター攻撃が、思いもかけない
方向から飛んでくるのである。
 その威圧感から、攻め手を素早く鋭い攻撃に絞る事で、七菜江は洋美と互角に撃ち合って
見せたのだった。
 とは言え、一気にラッシュをかけようとすれば、必ずその1テンポ前に銃火のような洋美の攻
撃に見舞われ、大きな動きは封殺されっぱなしであった。
「要するに、洋美さんはナナちゃんに全力を出させないよう立ち回っていたのよ」
「ま、そういう事。七菜江ちゃんは、考えるより先に身体が動くタイプだからね。言って聞かせる
よりも、『本気ではあっても、全力を出さない状態』に体を慣れさせる方が効果的だと思ったの
よ」
 何気なく言う颯爽とした美人に、七菜江は驚愕の表情を向けた。
「まさか洋美さんって、吼介先輩でもできない事してたの!?」
「それはちょっと違うわね」
 再び守護天使のリーダーが言葉を挟む。
「いつもコーチしてる吼介は、ナナちゃんの能力の上限を引き上げる方向で特訓してるけど、
洋美さんは欠点を埋めるための訓練をしてくれたのよ」
「そ、そうなのかぁ。今まで気付いてなかったぁ……。ちょっと勿体ないかも」
 肩を落とすアイドル系の少女に、里美も洋美も揃って微笑を向けた。
「二週間つきっきりで練習できれば、七菜江ちゃんのウィークポイントを完全に改善できると思
うんだけど、そうも行かないのが残念ね」
「でも、貴重な体験ですよ。この感覚は必ず活かして見せます!」
「それは良かった。……あと、もう一つだけ私から言いたい事が」
「なになに、何ですか?」
 興味しんしんといった風な屈託のない美少女に、現代的な容姿を持つ美女は、優しげに目を
細めて語りかける。
「どんなに苦しい時でも、立って前へ進み続けなさい。……あなたには、いつまでもその明るさ
を忘れないでいてほしいから」
 それまでと違い、包み込むような気配になった年上の女性に、七菜江は僅かな間の後、とび
っきりの笑顔になって言った。
「はい! あたし、絶対その言葉を忘れません!!」


    8


 その日、21時を過ぎた時。
 里美と七菜江は、ファントムガールに化身し、因縁の深い水色の魔女・シヴァと向き合ってい
た。
 場所は新宿区新宿御苑。
 周囲の歳の夜景がまるで嘘のように開けた一帯には、ミュータント出現に伴う灯火管制と治
安部隊の赤色非常灯により、赤く不気味な気配を漂わせていた。
 満月に近い煌々たる月明かりに、二体の巨神の姿が美しく照らし出され、まさに悪に立ち向
かう大いなる正義の象徴と化していた。
 周囲からは、住民の避難を促すサイレンの音がけたたましく鳴り響いている。
 ズズウ……ン。
 遠方から重く巨大な音が鳴り響き、サトミは微かにその方角へ視線を飛ばした。
 その方角は、日本有数の高層ビル街が展開される西新宿である。
 そこでは、すでにジールとゼクスノーツの戦いの火ぶたが切って落とされているようであっ
た。
 時を同じくして再び現れた二体の悪魔、シヴァとゼクスノーツ。
 それらは、西新宿と新宿御苑という距離を置いた二カ所に、全く同時に出現したのだ。
「おかしいわ……」
 内心の疑念が呟きとなって、巨大な美神の唇から滑り出る。
 サトミが訝ったのは、シヴァとゼクスノーツの位置関係である。
 本来、蜘蛛の特性を備え、無数の妖糸を駆使して立体的な戦法を見せるシヴァこそ、高層ビ
ル街が得意なはずなのだ。
 さらに、埠頭一つを崩壊に至らしめるほどの砲撃能力を持つゼクスノーツは、遮蔽物の多い
ビル街より、このような見晴らしの良い御苑こそ最適な戦場のはずである。
 二体の悪鬼は、なぜそれぞれが得意なフィールドと正反対の戦場に出現したのか?
 それが聖少女たちのリーダーには腑に落ちなかった。
「ふふふ、私たちが張った罠の雰囲気、感じ取っているようね。ファントムガール」
「シヴァ、一体何を考えていると言うの?」
「……いい加減、あなたたちとケリをつけなければ、と思ってね。聖なる戦天使を屠るのに、最
適な場所へ布陣しただけの事よ」
「ふざけるなッ! お前の悪行、ここで終わりにしてやるッ!!」
 ナナは怒っていた。
 二体の悪魔出現の第一報から、ファントムガールの二人が御苑へ辿り着くまでに、シヴァは
無数の人間を惨殺していた。
 ただ、光の戦士をおびき寄せるためだけに、何の関係もない無数の命をあっけなく奪い去っ
ていたのだ。
 その残虐な行為に、正義と光の使徒が心を乱さない訳はない。
「相変わらず、あなたはわかってないわね」
 青い聖少女の激情をいなすよう、シヴァは婉然と笑いつつ言った。
「以前、二対一でも私に負けた事を忘れたと言うのかしら、おバカなナナちゃんは」
「ハッタリを言うなあッ! あれはサトミさんがケガを負っていたからだっ! あたしだって腕を
上げているッ!」
「そんな事は百も承知よ。それでもなお、私がなぜこんな遮蔽物のない平地を戦場に選んだの
か、理由を今から見せてあげるわ!」
 蜘蛛と天才科学者のミュータントが、全ての腕を勢い良く左右にかき開く。
「出でよ、ミュータント・ザシュカー!!」
 瞬時に周囲の闇が収束したような黒点が、シヴァの真上に生じ、勢いよく膨張してゆく。
 警戒心から、無意識に身構えた二人のファントムガールの視線の先で、闇の集合体はつい
に完全な形を得ていた。
 一目見ても、二人の聖少女にはそれが何を元にしたミュータントか、判然としなかった。
 形状としては、正月にお馴染みである三角形の凧に近いが、より鋭角な形をしている。
 つや消しされたような漆黒の三角形の頂点には、鋭く長大な一本の針が備わっており、そこ
だけが唯一月明かりを反射して鋭く輝いていた。
 だが、特徴的なのはそれだけである。
 他には、一切の感覚器官らしい物が存在しない。僅かに、三角形の底辺にあたる部分に、猛
禽類のような足が備わっているだけであった。
 針を含めた全長が80メートルほどあり、左右に広がった固定翼の部分ですら、幅60メート
ルにもなる。
「こ、これは一体……」
 なんとか敵の正体の糸口を探ろうとするサトミに、シヴァが回答その物を突きつけるように述
べる。
「わからなくても無理はないわ。何しろ、このザシュカーは地球上の生物をミュータント化させた
のではないのだからね!」
「だからと言って、光の力で討ち滅ぼせない訳はない! キャプチャー・エン……!?」
 キュオンッ!!
 闇の生物に対する最強の拘束技を繰り出そうとするファントムガール・サトミは、その瞬間、
異様な音を聞いていた。
 自分と隣のナナの間の空間を突き抜けるような擦過音。次いで……
 ズドオォォォオン!
 航空機の爆音に千倍する衝撃波の轟きと超破壊力の力の波が、見えない鉄塊を叩きつけた
ように、二人の聖少女を打ちのめしていた。
 思いもかけない先制打だが、それはもはや最終攻撃と呼ぶに相応しい破壊力であった。
 木っ端のように舞い上げられた紺と青の戦天使は、受け身も取れずに荒れ果てた御苑の大
地に叩きつけられる。
「……ッ、ガハッ……!」
 仰向けに倒れ込んだナナが、身動きすらできないまま、血塊を口から噴出させていた。
「う、ぐふぅっ……な、何が起こったと……言うのっ……!?」
 横倒しに倒れ込んだサトミも、ナナ同様身を持ち上げる事すらできずにいた。
 常識を越えた超速度から生み出される攻撃に、二人は早くも決定的なダメージを被ってい
た。
「喜んでもらえているようね。このザシュカーは、ゼクスノーツの所持していた異星の飛行生命
体と、エデンを融合させたミュータントなのよ」
 それまで離れた位置で地表スレスレに伏せ、対衝撃姿勢を取っていたシヴァが、滑らかな動
作で立ち上がった。
「異星……ですって……?」
 美しかった全身のあちこちを、血と泥で汚しながら、どうにかサトミは上半身を持ち上げる。
「今までそれほど興味を抱いていなかったのだけれど、宇宙というのは案外面白いものね。あ
の星々の輝きの中には、ロケット推進で飛行し、衝撃波で狩りを行う生物がいるというのだか
ら」
「そんな、バカな……」
 苦しげに立ち上がったナナが、呻くように言った。
「あの男から説明された時は、私もそう思ったわ。でも、現実を見たでしょう?」
「く、くそぉ……。負け…ない……負ける…もんか……」
「あらあら、震える身体で無理しちゃって。でも、サービスだから、もう少しお話しながら待ってて
あげる。二人とも」
 妖艶な笑みを浮かべたシヴァは、上空で旋回に移ったザシュカーを見上げながら、興奮冷め
やらない声色で続ける。
「元々、あの飛行生物は人間と同程度のサイズらしいわ。でも飛行の仕方は随分と変わってい
て、体内で可燃性ガスを精製し、身体後部から放出しつつ電気点火する事で、ロケット推進を
しているのよ。それにより、通常でマッハ1を絞り出すと言われている。……そんな生物とエデ
ンが融合したら、実に面白いと思わない?」
 二人の守護天使はようやく緩慢に起きあがったものの、シヴァの言葉に応える余裕などある
はずもない。
「体格から比較して20倍の速度としても、生み出す衝撃波の威力はそれこそ天文学的に跳ね
上がるわね」
「ハンド・スラッシュ!!」
 舞台女優めいた動作で喋り続ける水色の魔女に、ファントムガール・ナナが持つ最速の光線
技が掌から連続して放たれる。
 だが、絶大なダメージによって本来の速度を欠いた光のエネルギーは、容易くシヴァに避け
られてしまう。
「この私が油断してるとでも思っていたのかしら? 大人しく寝てればいいものを」
 唇の片端を吊り上げたシヴァの、思わせぶりなセリフに悪寒感じるナナ。しかし、気配を感じ
て背後を振り向くより、一瞬早く轟く超破壊力の怒濤。
 ドゴオオォォオン!
 再び純粋かつ絶大な衝撃力に、空中へ叩き上げられる二人のファントムガール。
 ナナは御苑の土の上に、サトミは周囲の住宅地へ叩きつけられ、住人の逃げ去った家屋を
幾棟も倒壊させてしまう。
「ガ……アア……」
 これまでに比類なき桁違いの破壊力を二度も見舞われ、美しき人類の守護者の意識は早く
も途切れ掛けていた。
「意外とあっけなかったわね。……ナナはしぶとく意識を保ってるけど、生徒会長さんの方は気
絶したようねぇ」
 付近の住宅地に墜落した聖少女たちのリーダーの姿が見えなくなっているのは、意識を失っ
てトランスフォームが解除されたためだとシヴァは断定した。
「さて、時間も余った事だし。また愛してあげるわ、ナナ」
 魔的な美貌を欲望に歪ませつつ、水色の魔女は打ちのめされた青い聖少女へと歩み寄って
いった。

 里美は意識を失ってはいなかった。
 現在、守護天使のリーダーたる幽玄の美少女は、自らの意志で人間の姿へ戻っていた。
 ガタガタになった全身を引きずりながら、無人都市と化した新宿区の路上を、幾度も躓きな
がら這うように進んでゆく。
 しなやかな細身の身体を包むワンピースは、戦いのダメージでボロボロになっていた。加え
て、傷ついた皮膚のそこかしこから血を滲ませている姿は、あまりに痛々しい。
 里美が全身を苛む苦痛に耐えつつ向かう先は、戦場となっていた御苑ではない。
 美の女神に愛された少女の視線の先には、西新宿の高層ビル街が遙か遠くにそびえてい
た。
 御庭番衆を統括するだけの判断能力が導き出した結論は、残酷極まりない現実であった。
 このまま戦い続ければ、自分も七菜江も確実に死に至る。
 甘い見通しをもっていた訳ではない。だが、あのシヴァとゼクスノーツの張った罠は、恐ろしく
巧妙かつ確実であった。
 自分たちの想像を絶する、異星の生物を利用した最悪のミュータントを、あの二体の悪魔は
用意していたのだ。
 シヴァがザシュカーと言っていた音速の魔獣に対して、自分たちが手も足も出ない事を里美
は瞬時にして悟っていた。
 ファントムガールの中で最高の反射神経を誇るナナでさえ、反応する事すら許されない超速
度の大破壊。
 メンバーの中に、あのミュータントへ対抗しうる存在がいるとすれば、それは電子の目を持つ
アリスか、戦場の広範囲に影響力を持つ超能力者サクラだけであろう。
 しかし、その二人はこの東京にいない。
 絶望しかけた瞬間、もう一人ザシュカーを倒せる存在が脳裏に浮かんでいた。
 現在、西新宿でもう一体の悪魔に対抗している異次元の女神ジールである。
 ファントムガールには持ちえない飛行能力を有し、あの魔獣と全く同じ条件で戦いに望める
白銀の戦女神だけが、今の希望の綱であった。
 しかし、不安要素も列挙すれば尽きない。
 第一に、ファントムガールに対し、ここまで決定的な切り札を用意していた悪魔どもが、ジー
ルに対しても同様の準備をしていない訳がない。
 急がなければ、異世界の同志である戦女神すら、敵の罠に落ちる事になるのは火を見るよ
り明らかであった。
 しかし、打ちのめされた肉体は言うことをきかず、歩みは遅々として進まない。
 そして、第二の不安がすぐに現実の物となる。
「うっ、うわああああっ! やめてええええっ!! イヤアアアァっ!」
 未だトランスフォームを保っているナナの悲鳴が聞こえ、反射的に背後を振り向かされると、
そこには無惨としか言いようのない光景が展開されていた。
 里美の瞳には、シヴァに捕らえられた青き守護天使の姿が映し出されている。
 ナナは妖糸で両手を後ろ手に、両足を綺麗に揃えて縛り上げられ、荒野に変わり果てた御
苑の大地へ仰向けに寝かされていた。
 そして、その抜群のプロポーションを誇る青い肢体には、すでに一本の金剛糸が差し込まれ
ている。
 戦天使の腰あたりに馬乗りになったシヴァが、歓喜の表情で泣き叫ぶナナの顔を覗き込んで
いた。
「さあ、何本目に壊れてくれるのかしら。ナナ」
 新たな一本をシヴァが突き立てると、巨大な聖少女の身体は、無意識に大きくビクンと跳ね
上がる。
「ぐあああっ、こ、壊れるっ……。壊されるっ!!」
 ナナの苦痛の呻きに、里美は大粒の涙を迸らせながら前へ向き直った。
 できるならの代わってあげたかった。
 しかし、逆の立場になった時、七菜江の性格では、仲間の苦しみを振り切ってでも目的を達
成しろ、と言うのは不可能な注文である。
 この場において、里美が僅かながら唯一逆転できる方法を捨てないためには、ナナの苦しみ
を看過するしかないのである。
「ごめんなさい、ナナちゃん……。本当に、ごめんなさい」
 身が引き裂かれる程の苦悩を抱いた聖少女のリーダーは、全身の力を振り絞ってその場を
駆け出していた。



“ハアァァァ!”
 裂帛の意志と共に繰り出されたジールのパンチが、紫の魔人をビルの谷間に叩きつけてい
た。
 高層ビル街を戦いの場とした二体の異世界の巨人は、それぞれが所持する長大な武器を使
用せず、己の肉体のみを駆使して戦闘を繰り広げていた。
 自分たちよりもずっと背の高い高層ビルが林立する一角において、長過ぎる武器は行動範
囲を制限するデメリットが大きいのだ。
 見事なフォームの連突きを叩き込み、トドメの足刀を見舞うと、ゼクスノーツは再び吹っ飛び
ながら高層ビルの一つに突っ込んだ。
 やはり、敵が特殊能力に特化している分だけ、肉体的な格闘はオールマイティな能力を持つ
ジールに分があるようだった。
 立ち上がった狂気の魔人と白銀の戦女神は、再び突進して激突し、組み合いから互いをね
じ伏せにかかる。
 途轍もない膂力のせめぎ合いに、両者の踏みしめた地面が陥没してゆく。それでも、次第に
ジールの力が悪魔を凌駕し、握り合った敵の腕をジリジリと地面に押し下げてゆく。
 刹那、追いつめられたゼクスノーツは、全く唐突に口腔をかき開きいてエネルギー弾を放出
した。
 戦女神が首を捻って冷静にそれを交わした瞬間、瞬時にして横合いの黒いビルへと叩きつ
けられてしまう。
“くっ!”
「これまで散々手を焼かせてくれたが、それも今日で終わりだ!」
“言ったはずです。私は決して邪な意思には屈しないと!”
「どうかな? 今回は、貴様専用のお相手を用意しているのだ。存分に遊んでもらえ!」
 言うなり、戦女神の腹部を蹴りつけ、反動で跳ぶように間をとる紫の悪魔。
 さらに背後のビルにめり込まされたジールではあるものの、即座に宿敵の姿を追おうと身を
起こしにかかる。
 次の瞬間であった。
 もたれ掛かっていたビルの表面を突き破って、八本の太く長い触手が現れる。
 茶色い触手の群れは、ジールに反応する間も与えず、そのしなやかな白銀の四肢を絡め取
っていた。
“なっ……!?”
「出てこい、ミュータント・ウェルダス!!」
 突如としてビルの外壁を突き破り、姿を現す新たなミュータント。
 その形に、ジールの中の洋美は見覚えがあった。
“これは、ヒドラ!?”
 大学を出て以来、数年間植生調査を生業として来た現代的美人は、ウェルダスと呼ばれたミ
ュータントに類似した生物に関する知識があった。
 新たな魔獣の体は円筒状で、樹木の根のような足を広げて地面に直立していた。そして、胴
体部の上端には口があり、その周囲から八本の長く太い触手が生えている。
 色は茶色であり、全体的な印象としては意思のある植物のようにも見える。
“こんな拘束っ!”
 右手から発生させた光線剣で、四肢に巻き付く触手を切り払おうとするものの、すかさず新
たな触手が右手首に絡みついて、ジールの動きを封じにかかる。
「無駄だ」
 ゼクスノーツはやや離れた高層ビルの外壁にもたれかかり、腕を組んでいた。
「そいつは刺胞動物ではあるが、地球上の物ではない。だが、面白い性質を持つ種類でな、エ
デンとやらの融合で、最高の対執行官用巨大生物と化してくれたぞ」
“対執行官用!?”
「ほら、攻撃が始まるぞ」
 ゼクスノーツが言うより早く、不気味にうねっていたウェルダスが一際大きく蠕動する。
 ドクン。
 瞬時にして、ジールは身体に生じた異常を感じ取った。
“ぐはっ! こ、これはっ!!”
 毒の注入でもなければ、吸血でもなかった。
 体内のエネルギーが直に吸い出されてゆくのである。
“ううあああっ、そんな……バカなっ!”
 瞬く間に戦女神の肢体から力が搾り取られてゆき、猛烈な脱力感と極度の痺れが全身を覆
ってゆく。
「ウェルダスは元々微少な生物でな、あらゆる物理的な運動エネルギーを吸収できる特性を備
えた希少種だ。それが、エデンとの融合で、こんなに都合のいい巨大生物となってくれたという
訳だ」
“くあ……。あうううっ!”
 すでに、全身を暴れさせて足掻く力すら込められない。
 俯いた白銀の戦女神の光り輝く全身を、触手は幾重にも巻き取っており、力無く震える両足
の代わりに、その体重を支えていた。
「宿主の能力を極大化させるエデンの特性で、そいつは『光のエネルギー』とやら言う攻撃以外
をほとんど寄せ付けない。もはや、貴様が何をしようと無駄な事よ」
“ゼ、ゼクス……ノーツ……!”
「貴様ら執行官は、あらゆる局面に対応できる能力を得た代償として、エネルギー依存度が極
端に高くなっている。そこを突けばと思ったが、どうやら正解らしい」
 ウェルダスは美しいラインを描くジールの身体から、なおも激しく蠕動してエネルギーを吸い
上げてゆく。
 良く見れば、触手の内側には何か流体のような物が薄青く輝いており、それが止めどなく本
体の方へ流れ続けていた。
 奪われた戦女神の生命エネルギーである。
“うぐ……あああぁぁっ……”
 白銀の戦女神が必死に力を振り絞ろうとも、すでにそれは緩慢な身じろぎにしかならず、流
れるようなプラチナブロンドを振り乱すだけの結果に終わっていた。
 ヴイィィン。
 本来なら20分は持つエネルギーが、戦闘開始から5分と経たない内に残量稀少の警告音を
発した。
 その音源である胸元の鉱石を、ウェルダスは目ざとく発見し、触手の一本を吸い付かせてゆ
く。
“ぐうあああっ! くうううっ! ち、力がっ! 奪われるっ!! うあああああっ!”
 元々エネルギー供給の受け口である鉱石は、吸い出し口としても効率が良いのか、触手に
吸い付かれた途端、ジールは尋常ではない苦しみ方を見せ、顔を仰け反らせた。
 全身のあらゆる箇所から、途轍もない勢いでウェルダスにエネルギーを抜き取られ、ジール
は美しい四肢をブルブルと震えさせてしまう。
 痛覚とはまるで別の、命そのものを絞り取られてゆく苦しみに、あらゆる反撃の手段が試み
る前から封じられてゆく。
“はあっ、ううううっ……”
 もはや、震えでなく痙攣をおこしながら、絶望の奈落へと沈められてゆく美麗な巨神。
 くぐもった警告音が急激に音量を下げてゆき、深いブルーの双眸すらチカチカと不定期な明
滅を始めてしまう。
「これで終わりか。まったく、今まで手こずったのが阿呆らしくなる呆気なさだな」
“私……は、負け……られ……な……い……”
 薄れゆく意識で、ジールは最期の抵抗を見せるものの、それで何が変わる訳もなかった。
 ついに警告音も両眼の輝きも消え失せ、全身をガクリと弛緩させる白銀の戦女神。
 その様子を楽しげに眺めながら、ゼクスノーツはビルの外壁から身を起こす。
 ついに仕留めたジールを手にしようと、足を踏み出した。
 ジールが倒れ、サトミが姿を消し、ナナが悪鬼の手に落ちた今、東京を蹂躙する魔人たちの
勝利は動かない物であるかのように見えた。


    9


 だが、次の瞬間。
「ディサピアード・シャワー!!」
 横合いから膨大な光の奔流が突き抜け、ウェルダスとゼクスノーツを同時に包み込む。
 巨大な光のエネルギーを浴びた宇宙ヒドラのミュータントは、一瞬で塵と化す。
 ようやく解放されて路上に投げ出されるジール。
 だが、光の砲撃が収束した後には、両腕を交差して防御態勢を取っていた紫の魔人が、全く
の無傷で存在していた。
「ファントムガールか?」
 言ったゼクスノーツが、弾かれたように光の砲撃手がいるであろう方向を省みるものの、そこ
には何もない。
「キャプチャー・エンド!」
 魔人が声のする方向を見上げると、ビルの外壁を蹴って頭上へ迫っていた聖なる守護天使
の姿があった。
 瞬時に魔人の全身を、白く輝くリボンで締め上げると、ファントムガール・サトミは仰臥したジ
ールの傍らへ着地する。
「こんな拘束に、何の意味がある?」
 強烈な圧力ではあるが、送り込まれる光のエネルギーを物ともせず、ゼクスノーツは口を歪
めた。
 それには答えず、サトミはジールの胸の鉱石へ左手を沿えた。
「お願い、効いて! エナジー・チャージ!!」
 かつてナナが、死の淵に落ちたファントムガール・ユリアを救った奇跡の技。
 エデンを介した巨大生物でないジールに、それが通用するかどうかは全くの賭けである。
 だが、今のサトミにはそれしか方法がなかった。
 悪鬼を拘束するリボンを右手のみで操りながら、月光の化身たる正義の天使は、力を失った
戦女神に慈愛を込めた光を送り込んだ。
「こんな物が効くか!」
 紫の魔人が全身へ力を漲らせるや、光の帯は容易く弾け飛んだ。
 そのまま虚空から現出させた光槍を握りしめ、サトミへと突進して来るゼクスノーツ。
「くっ……!」
 ありったけのエネルギーを放出した今のサトミでは、完全に力を保持した魔人に対抗できな
いのは明らかだった。それでも、倒れ伏したままのジールを庇うように前へ踏み出した。
 地響きを立てて走り込んだゼクスノーツが、上段から斬撃を叩き込もうとした瞬間である。
 サトミの背後からまたしても膨大な光の帯が迸り、悪魔の姿を弾き飛ばす。
“ありがとう、サトミさん。……おかげで助かりました”
 没個性ながら、真情のこもった礼が、精神波として守護天使の心に届く。
 振り向くと、そこには完全復活した白銀の戦女神の姿があった。
“ゼクスノーツとは私が決着をつけます。サトミさんは戻ってシヴァを!”
「いいえ、あなたでなければダメなの、ジール。恐ろしく強い飛行型のミュータントがいて、今の
私たちでは……」
“しかし、その状態のあなたをここへ残して行く訳には”
 ジールの言った通りであった。
 ほぼ全てのエネルギーをジールに分け与えた戦天使の少女は、すでに胸のエナジー・クリス
タルが明滅を始めている。
「ナナちゃんが危ないわ。お願い、早く!」
“わかりました”
「行かせんぞ! シヴァの奴がファントムガールの処理をしくじるのは計算外だったが、こうなっ
た以上、俺の手で全てを修正してくれる!」
 瓦礫の合間から、焼けただれた様子を見せつつ紫の魔人が立ち上がる。
「ここは私がくい止めます! 行って、ジール!!」
 切実な叫びであった。
「その必要はないわよ」
 重なるように横手から響く声。
 反射的に振り向いた二人の視線の先には、蜘蛛と天才学者のミュータント・シヴァがいた。
 美貌を誇る水色の魔女は、片手でぐったりとしたファントムガール・ナナを携え、この高層ビ
ル街へ戦場を移動させていたのだ。
「生徒会長さんの姿が見えなくなった時から、女神様を助けるためにここを目指すと思っていた
のよ。……でもね。こちらにはナナという最高の人質ができた事を忘れてない?」
 言いつつ、片手で頭を鷲づかみにした青の聖少女を、高々と掲げてみせる。
「う……あ……。ごめん……なさい……サトミさ……あたし、また……」
 消え入りそうな声で呻くナナに、サトミとジールは悲痛な視線を向けた。
 神の手による最高のスタイルを誇る身体には、5本もの金剛糸が差し込まれており、シヴァ
がナナを精神の限界まで責め抜いた事を伺わせていた。
「クッ……卑怯な!」
 サトミは燃え上がる怒りを宿しつつも、有効な手段を見いだせず、ただその場へ立ちすくん
だ。
「ゼクスノーツ、その二人を始末してしまいなさい。今なら思い通りよ」
 笑うように言った水色の魔女には応じず、ゼクスノーツは左掌から目映い光球を発生させ
る。
 それは、紛れもなく埠頭を崩壊させたあのエネルギー弾であった。
「二人ともその場から一歩でも動いたら、次の金剛糸はナナの額に打ち込むわよ。そのつもり
でいなさい」
 悪鬼の卑劣な所行に、二人の美巨神は為す術もなく動きを封じられる。
 そして、放たれたゼクスノーツの光弾が足下の地面へと着弾し、凄まじい爆発でサトミとジー
ルを別々の高層ビルへ叩きつけていた。
「ぐっ……ううっ!」
“カフッ……くッ!”
 絶大な威力の砲撃に、二人は再び窮地へと叩き落とされていた。
「そろそろトドメにしましょうか。ゼクスノーツ」
「……ああ、そうだな」
 無感情に言った紫の魔人は、金環食のような目を僅かに細めた後、手の中に光の槍を生み
出していた。
「さあ、やってしまいなさい。私はここでジックリ見物させてもらうわ」
「ふっ、そうか。……では、さらばだ。虫ケラ!」
 全力のオーバースローで投じられる悪魔の槍。それをかわす力は、すでにサトミにもジール
にもなかった。
 ズドオォ!!
 大重量の巨体を貫く重低音。次の瞬間、高層ビル街に絶叫が木霊する。
「ぐあああああっ!! ゼッ、ゼクスノーツ!! なぜ私をっ!!」
 光の槍はやや離れた場所にいたシヴァを貫き、その水色の巨体をビルの一つに縫いつけて
いた。
 槍を投じる瞬間、紫の魔人は全身を勢い良く反転させ、それまで味方であったはずの魔女へ
槍撃を叩き込んでいた。
 解放されて地に投げ出される青い聖少女。
 だが、ゼクスノーツはそのナナには目もくれず、シヴァへと向き直った。
「なぜ、だと?」
 表情を歪ませつつ、魔女に反問する。
「て、手元が狂った……などとは、言わせない……わよ!!」
 貫かれ固定されたシヴァは、口から大量に吐血させつつ叫んだ。表情は、当然普段の冷た
い微笑ではなく、憤怒に歪んでいる。
「理由は三つある」
 見下すような嘲笑を浮かべ、紫の魔人は口を開いた。
「第一に、貴様はファントムガールを始末するという役目を果たさなかった。結果がどうあれ、
無能者は切り捨てるのが俺のやり方だ」
「私が、無能者……ですって!?」
 エデンを使い、新たな生命創造を成し遂げ、自身を神とまで定義した天才学者にとって、無
能の烙印を押されるのは死に勝る屈辱であろう。
 離れた場所で地に這った三人の光の戦士たちは、あまりの事に、身動きどころか声一つ出
せずにいた。
「第二に、こんな後進惑星の不完全な科学を修めただけの貴様風情が、俺と対等な立場に立
ったと錯覚する思い上がりが許せん」
 大仰な動作で両腕を開きながら、ゼクスノーツはシヴァへと歩み寄ってゆく。
「第三。執行官とファントムガールの力を削いだ以上、もはや戦力としても貴様は用済みだ」
 シヴァをビルに縫いつけた光槍の柄に手をかけると、紫の魔人は思い切りそれを捻り回す。
 ドシュッ、グジャッ、などという擬音が聞こえ、美貌の魔女は血の噴水と化した。
 次いで大絶叫がその場に響き渡る。
「ギャハアアアッ! アグゥオオォォッ!!」
 これまで、数々の人々に地獄の苦しみを与えてきた魔女が、今度は己が被害者と化してそ
れを受ける羽目に陥っていた。
「貴様は、確か他人を貫くのが好きだと言っていたな。……今度は、自分が貫かれる快感でも
味わっていろ!!」
 さらに数度、槍をしごいて魔女を責めるや、ゼクスノーツは背後に大きく跳んで間を取った。
「お前っ、そいつは仲間じゃなかったのかっ!!」
 思わずナナが叫ぶように聞いた。
「仲間? 知らんな、そんな言葉。……どんな物か教えてくれんか?」
 顔を歪めたゼクスノーツがナナを見下ろす。
「仲間っていうのは、互いに信頼して、想いを同じくする人の事だっ!!」
 ナナの怒りの声に、魔人はあざけりの笑いを飛ばした。
「ハハハ。ならば、俺とその愚かな女の関係は、別の物だな」
「なっ、なんだと!!」
「貴様の言葉によれば、作物を栽培して収穫する者と、実れば刈り取られる植物の関係を、仲
間とは言うまい?……エデンを供出させた以上、後は絞りカスに過ぎんよ」
「こっ、この悪魔めぇッ!!」
 卑劣極まりない魔人に対する怒りを、ナナは絶叫として迸らせた。
「小娘。そこではいつくばりながら、分を弁えぬ愚かな女の最期を見ているがいい」
 再び生み出される新たな光槍。紫の魔人はシヴァに狙いを定めるや、またもやそれを振りか
ぶった。
「最期に第四の理由を思い出したから言っておく。俺は毛深い女が嫌いなのだ。……では、さ
らばだ。虫女!」
「お、おのれ……。ゼクスノーツゥッ!」
 唸りを上げて投じられる第二の槍。
「ウオオォォォォッ!!」
 暗天に轟く気合いの咆吼。それと全く同時に、空中を奔る槍はあらぬ方角へと弾き飛ばされ
ていた。
 跳ね起きた青い聖少女が蹴り足をゆるやかに下ろしつつ、紫の魔人に正対していた。
「あたしはもう完全に怒ったッ! お前だけは、ゼッタイに許さないぞオォォォッ!!」
 怒りに燃えるナナに、ゼクスノーツは感心したような、呆れたような顔を向ける。
「なぜ、その虫ケラを助ける? 貴様にとって敵ではなかったのか?」
「確かに敵だっ!! でも、こんな卑怯なやり口で奪われていい命なんかないんだッ!」
 正義の怒りを燃やす青の戦天使。
 その背に、シヴァの弱々しい憎まれ口がかけられる。
「ホンット、バカな子……。私が……これで感謝を……するとでも?」
「うるさい! あんたが、世界で一番感謝や改心の似合わない女だってのはわかってる。でも、
だからこそあたしがこの手で倒すんだ!! 正面から! 正々堂々と!!」
 突きつけるように言ったナナは、シヴァをビルに縫い止めていた槍を、一息で抜きはなった。
「フン、なら……好きにしなさい」
 解放され、地に落ちた水色の魔女は、投げやりに言葉を吐いていた。
 改めて紫の悪鬼に向き直ったナナは、すでに満身創痍とも言える身体の奥より、最期の力を
振り絞る。
「お前にだけは負けないッ! 行くぞオォォォッ!!」
 ドンッ。
 ゼクスノーツとの間の空間を一気に突き抜け、怒りの拳を炸裂させる。
 単純な突進突き。だが、ファントムガール・ナナの天与の身体能力が、ただの肉体的な打撃
を超絶な威力を誇る必殺技と化す。
 周囲に衝撃波すら巻き上げる正義の拳は、反応する間もなく異次元の魔人へ叩き込まれて
いた。
「グウオォォォ!!」
 150メートルの距離を地面と水平に吹き飛んだゼクスノーツは、一際離れた摩天楼に突っ込
み、瓦礫に身を埋めさせた。
「バッ、バカなぁ!! なぜ、貴様にそこまでの力が残っているっ!!」
「立てッ!! お前のして来た事、こんなもんじゃ済まないぞォッ!!」
「ぬかせ小娘! そこまでこの俺の手で斬り殺されたいか!……などと言って、まともに相手を
してやる必要はないな」
 紫の魔人が吠えたように見えたが、一転して力を抜き様に横へ跳ね、さらに距離を置く。
「えっ!?」
「ナナちゃん、危ない!!」
「阿呆が! 遅いっ!!」
 全く同時に響くサトミとゼクスノーツの声。
 キュンッ!!
 次の刹那、ナナのすぐ背後の空間を擦過音が突き抜け、大破壊力の衝撃波がそれに続く。
 ズドオオオォォ……!
 無傷であったザシュカーの超音速攻撃が再び青の守護天使を襲い、抜群のプロポーションを
誇る肉体を容赦なく宙に跳ね飛ばす。
「がふうぅっ……う……あ……」
 300メートルの距離を置いたビルの、中程の高さへ叩き付けれたナナは、次いでゆっくりと
外壁から剥離し、西新宿の大地に墜落した。
「終わったか? だが、俺は用心深くてな。万が一の反撃もないよう、これでバラバラにしてくれ
る。トドメだ、ファントムガール!!」
 半ば意識を失い、地に伏したナナへ、ゼクスノーツは再びエネルギーボールを生成し、見事
なフォームで投射する。
 飛来する破壊の光球。
 その明かりを確実に感じつつも、青の守護天使の脳裏には別の事が思い浮かべられてい
た。
 あたし、ここで終わっちゃうのかな……
 だが、ナナに破滅をもたらすはずの光は、その直前で一際大きな輝きを発して接近を中断す
る。
 薄れていた意識が完全に覚醒し、必死の思いで上半身を持ち上げると、そこには光弾を両
手で押しとどめている戦女神の後ろ姿があった。
「ジール!」
 次の瞬間、全力を振り絞った白銀の戦女神により、ゼクスノーツの破壊砲は軌道を逸らし、
遙か上空へと消え去った。
 力つきたように片膝を路面に落とすジールへ、ナナは這うようにして寄り添った。
 力無く膝を落とした戦女神の両腕を見て、愛らしいマスクに陰りが差す。
 美しかった白銀の繊手が、無惨に焼けただれていた。
「ジール、大丈夫!? あたしのために」
“私なら平気です。しかし、もう一度あの攻撃を防ぐだけの余裕は……”
 しかし、魔人の追撃は訪れなかった。
 顔を上げたジールの視線の先では、力を振り絞ったサトミが、紫の悪魔へ挑みかかってい
る。まるで、自分たちに希望を託そうとするかのように。
 だが、深手を負って本来の実力を欠いたサトミは、次第に狂気の魔人に追いつめられてゆ
く。
「サ、サトミさん……!」
“ナナさん、私に考えがあります。右手を貸して下さい”
「え!?」
“早く!”
 鋭く言ったジールに気圧され、差し出したナナの右手に、ジールは自分のそれを重ねた。
 次の瞬間、包み込まれた掌に強い振動が生じ、次いで不可思議な力の波を纏っていた。
「こ、これは!?」
“あなたの右腕に、物理的な力場を一時的に付与しました。これでゼクスノーツに有効な打撃
が与えられるはずです”
 普段ならありえないはずの現象に、一瞬だけ目を剥いたナナは、静かにその右拳を握りしめ
た。
「……二人の力、受け取ったよ。あたし、これで決めてくる!」
 立ち上がった青き美少女天使の姿は、意思の力に満ちていた。だが、その美麗な全身には
細かな震えが走っており、体力の限界が近い事を如実に物語っていた。
「キャアアッ!!」
 視線の先では、とうとうゼクスノーツの刃がサトミの胸元を切り裂き、天使たちのリーダーを
地に這わせていた。
 次いで、携えた光の槍を打ち出そうとする魔人に、ナナは声を張り上げた。
「待てッ! もう一度あたしと勝負しろ、ゼクスノーツ!!」
「まだ動けたのか。……貴様ら、ジール以上のしぶとさだな。見上げた物だ」
 奸知に長けた魔人がナナに応じたのは、単純にもっとも危険な相手である事を見抜いたから
である。
 そのまま攻撃すれば、サトミへトドメを刺す事はできただろう。だが、そのスキにこの青い聖
少女が絶大な威力の攻撃を放って来る事は確実である。
 まずナナを正面から撃砕する方が、もっともリスクが少ない。そう踏んだ悪魔は、瞬時にして
標的を変更していた。
 三度生み出されるエネルギーボール。
「同じ相手にこの力を三度も駆使するのは初めてだ。……あの世とやらへの土産に、褒めてや
ろう」
「あたしは……。あたしに託された力は絶対にに負けないっ! これで、決着をつけてやる
ッ!! スラム……ッ!?」
「進歩のない小娘だ」
 吐き捨てるように言って脱力する魔人。その態度の源泉を、直感的に察した超少女は戦慄し
た。
 あの超音速飛行魔が、すぐ横手に迫っている。
 再びあの極大衝撃波を食らえば、完全に反撃の目は絶たれてしまう。
 だが、わかっていても迎撃する手段はない。
「消え失せろ、しぶとい小娘ども」
 状況が逼迫してゆくごとに冷静さを増すゼクスノーツの声。それが聖少女の最期の記憶とな
る寸前、またしても驚愕の光景が展開される。
 周囲に破砕の波を振りまきながら飛翔して来るザシュカーが、いきなり何かに引っかかった
かのごとく動きを止めたのだ。
「何いッ!?」
 その場の全員が凝視すると、ザシュカーの全身には極細の糸が無数に絡みついている。
 糸の出所を辿った先にいるのは、瀕死であるはずのミュータント・シヴァ。
 水色の魔女は、片膝立ちの体勢となりながらも全身を使って糸を操り、超音速ミュータントの
動きを封じている。
「シヴァァァ、貴様アァァッ!!」
「あ、あんたが、なんで!?」
「……私は、借りを作るのが……キライなのよ……。おバカなあなたにも……その裏切り者に
もね!!」
 朱に染まった全身を振るわせる美貌の魔女は、まさに凄惨美と呼ぶに相応しい姿であった。
「早く決めなさい。こっちだって、長くは保たないんだから……」
 宿敵である魔女からさえも助力を得て、ファントムガール・ナナは正真正銘最期の力を爆発さ
せる。
「その足掻きも無駄な事と知らしめてくれる! これで終わりだ!!」
 投じられる破壊の弾丸。それをナナは真っ向から迎え撃つ。
「これ以上、お前の好きにさせるか!! 行っけエェェェ! スラム・バースト!!」
 青い戦天使の右掌から生じた光球は、通常のスラム・ショットとは比較にならない巨大さであ
った。
 ジールと洋美に託された力、そして何より七菜江の絶大な意思の強さが、直径50メートルも
の光球を生み出していた。
 太陽を思わせる目映い輝きを放ちつつ、巨大な光の塊は異次元の魔人へ突き進んだ。
 ゼクスノーツの産んだ破壊光球を一瞬で飲み込んだ光の力は、怒濤の勢いでその本体に肉
薄する。
「ゴアァッ!!」
 紫の魔人はそれでも凄まじい膂力を発揮し、極大光球を両手で押しとどめにかかる。
 だが、魔人の抵抗もほんの数秒で砕け散り、禍々しい肉体を夜空へ打ち上げ、超速度で運
び去ってゆく。
「オ、オノレエェェェェェ!!」
 そして、巻き起こった大爆発は、桁違いの威力でありながらも、なぜか暖かな光を周囲へ降
り注がせていた。
 光の雨が収まった時、すでに魔人の痕跡は一片たりとも残ってはいなかった。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ……。やったよ、あたし……」
 全ての力を出し尽くし、完全なる勝利を得たナナ。だが、膝を屈したその背に、鋭い声が飛ば
される。
「ナナちゃん、危ないっ!!」
 ハッとして振り向く青の戦天使。その眼前に迫り来るのは、魔女の束縛を振り切った超音速
の魔物。
 しかし、瞬きほどの間も置かず、その前へ白銀の疾風が滑り込み、手にした青い光の刃を一
閃させていた。
 白銀の美神による破邪の剣閃は、漆黒の音速魔獣をただの一撃で両断してのけていた。
 空中で二つに別れて消滅するミュータントを見届けると、ジールは地上に降り立って青の聖
少女に肩を貸した。
“どうにか再生が間に合いました。……それにしても、さすがでしたね。七菜江さん”
「……あたしだけの力じゃないよ。里美さんや洋美さん、それにあなたがいたから、あたしは勝
てたんだよ」
「でも、それを活かしたのは紛れもなくあなた自身の力よ、ナナちゃん」
 辛うじて身を起こしたサトミが言う。
「それで、あのゼクスノーツは完全に消滅したのかしら?」
 戦天使のリーダーの問いに、ジールはゆっくりと首を左右に振った。
“残念ですが、あの爆発の中に大規模な空間転移反応を確認しました。己が危機に陥った瞬
間に発動する帰還装置を仕掛けていたようです”
「そんな……。悔しいなぁ」
 残念そうに言ったナナに、ジールは軽く微笑して見せた。
“本来なら、あの者は私が倒さねばならない敵。……元ある場所に返せただけでも、心からお
礼を言わせて頂きます。二人とも”
「仲間なのに、そんな事言うのは水くさいわ。ジール」
「うん。今回も色々大変だったけど、あたしはジールや洋美さんに逢えて、心から良かったと思
ってる」
 サトミの笑声にナナが追従する。
「じゃあ、もう戻りましょう、二人とも。お互い、まだ深手を負っちゃったしね」
 それぞれが命に別状はないのを見抜いているサトミの声は、これまでの戦いに比べてどこと
なく明るい物であった。
 その声にナナとジールが頷き、ファントムガールの東京での戦いは幕を下ろしたのであった。


    終章


 戦いから丸一日を経た翌日の夕方。
 五十嵐家別邸の庭先に、三人はいた。
「これでこの世界が見納めになると思うと、寂しい物があるわね」
 感慨深げな表情になった洋美が、長い栗毛を風にゆらしつつ言った。
「本当に、行っちゃうんですね……」
 向かい合った七菜江は残念そうな顔を隠しもしない。
「仕方ないわよ。私たちは元々この世界ではイレギュラーな存在なんだし」
「それでも、私たちにとってはかけがえのない仲間です」
 七菜江と違って割り切りをしっかりしている里美は、今度の件を良い思い出にする決意が固
まっているようであった。
「お互い、存在する世界は違うけど、志は同じ物だからね。もう逢えなくなるとしても、心は響き
合える。……私はそう思う事にするわ」
 大人らしいサッパリとした表情に戻って、洋美は二人に微笑んでみせた。
「向こうに戻っても、気を付けて下さいね。あの魔人に立ち向かうのは、並大抵の事じゃないは
ずですから」
「ありがとう。でも、それを言ったらあなたたちだって、シヴァやミュータントとの戦いがあるんだ
から、なおさら気を引き締めて」
 洋美の言った通りであった。
 昨日の戦いにおける最期の瞬間に、シヴァはその姿を消していた。
 あの重傷を負っている以上、そう遠くへは行っていないはずだったが、相変わらずの手回し
の良さから、人間体である片倉響子の身柄を押さえられるまでには至らなかったのだ。
「さて、これ以上は名残惜しくなるわ。そろそろ行かせてもらうかな」
 と言って数歩背後に下がる洋美へ、猫顔の美少女が慌てたように声をかける。
「洋美さん。ちょっと待って!」
「どうしたの?」
「これ、昨日の戦いの後から急いで作ったんです。良かったら持っていって下さい」
 ジーンズのポケットから取り出したのは、ビーズを連ねて作った簡単なリストバンドである。
 驚きもせずに受け取った洋美は、そのまま無言でリストバンドをしまうと、代わりに自分の左
手の中指から、銀細工の指輪を抜き取って七菜江に手渡す。
「私が渡せるのはこれしかないわ。でも、銀細工教室に通って自分で作った、世界で唯一のデ
ザインなの。このリストバンドと引き替えるには、丁度いいと思うわ」
「ありがとう、洋美さん。一生大事にします!」
 顔を輝かせるアイドル系美少女に、モデル体型の美女は軽く微笑して見せる。
 ビーズのリストバンドと銀細工の指輪。双方の年齢にとって、かなり不似合いなアクセサリー
ではあるが、そのような事を気にする二人ではない。
「……あたし一人っ子なんですけど、本当にお姉さんができたみたいに思ってました」
「私もよ。姉さんが私をどんな風に見ていたのか、この世界に来てとても良くわかった気がす
る」
 ややトーンの落ちた洋美だが、いきなり目の前の七菜江を抱きしめた。
「もうお別れだけど、元気でね」
「はい……。そういう洋美さんこそ……」
 抱擁を解いた時、七菜江の大きな瞳は涙で濡れていた。
 自分も目頭が熱くなるのを感じるが、それを押しとどめて今度は里美に向き直る。
「里美さん、あなたには本当世話になったわね。重い使命を背負って大変でしょうけど、これか
らも頑張って」
「はい。洋美さんにも幸せが訪れるよう、心から祈っています」
 手を差し出して握手を交わし、次いで軽く抱き合った。
 そうしておいてから、数歩下がった洋美はペンダントを手に取った。
「じゃあ、元気でね」
 笑顔で握りしめた拳から閃光が生じ、目映い光が周囲を照らし出す。
 やがて、それが収まった時、二人の守護天使の頭上には、見慣れた白銀の女神の姿があっ
た。
“お世話になりました。……あなたたちの一生に幸運があらん事を、いつまでも祈っています”
「私たち、二人のことをいつまでも忘れません」
「あたしも。さよなら、ジール!」
 二人の美少女の言葉を受けると、ジールはわずかな微笑みを見せ、すぐにさらなる空の高
みへと上昇する。
 次の瞬間、その姿が光に包まれるや、周囲の空間を歪ませ、瞬く間に次元の彼方へと消え
去っていった。
 しばらくの間、夕暮れの空を見上げていた二人。
「行っちゃったわね……」
 先に口を開いたのは美貌の聖愛学院生徒会長であった。
「あたし、とても寂しいです。今まで仲間と別れた事なんてなかったし」
「そうね。でも、今は笑顔でいましょうよ。その方が、きっと洋美さんも喜んでくれるわ」
「ハイ。本当そうですね!」
 一転して、普段通りの雰囲気に戻った七菜江は、星が輝き始めた空へいつまでも顔を向け
て続けていた。
 異世界から来た美しい年上の女性を、ずっと忘れないでいよう。
 そう、心に誓いながら。


 ファントムガール&Zeal of Ultralady 完



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