昼下がりのふぁんとむがーる 〜クリスマス編〜




 12月24日。一年で一度しかない、クリスマス・イブ。
 2学期の終業日でもあるその日、五十嵐家の洋館に5人の女子高生が集合していた。
 人類の守護天使。ファントムガールと呼ばれる銀色の巨大な女神たち。
 その正体である可憐な乙女たちは、学校が終わったその足で、直接この場にやってきてい
た。とはいえこの家の主人である五十嵐里美だけでなく、藤木七菜江や桜宮桃子といった面々
もこの屋敷に居候しているので、実際には霧澤夕子と西条ユリのふたりだけが訪問した態にな
る。
 
 冬休み突入とクリスマス・イブ、両方を記念したパーティーを開こうと企画を持ち出したのは、
こういったイベントが大好きな七菜江であった。
 無事に2学期を終えられた、という意味では、リーダーである里美にとっても感慨深いものが
ある。話はとんとん拍子に進み、かくして少女戦士オンリー、女だらけのクリスマス・パーティー
は開催の日を迎えたのであった。
 ただ、このパーティーには少し変わった点が2つあった。
 
「あの・・・夜になったら・・・早めに終わるというのでも・・・いいですか?」

 企画段階でおずおずとお願いをしてきたのは、最年少で内気なユリであった。
 
「それは構わないけれど・・・ユリちゃん、なにか夜は予定でもあるの?」

「はい。実は・・・クリスマスは・・・毎年家族で過ごすのが、恒例になってて・・・」

「いいことじゃない。皆も他に用事があるだろうから、午後から始めて早めにお開きにしましょう
か」

「すいません、里美さん・・・」

 パーティーといえば夜が普通だが、今回は昼が中心になる。それが特徴のひとつめであっ
た。他のメンバーも聖夜はプライベートで用事があるだろう、という里美なりの配慮がそこには
あった。
 そして、もうひとつの変わった点、それは桃子のちょっとした思い付きがきっかけとなった。
 
「みんなでクリスマスケーキ作りませんかァ?」

 唐突な提案にすかさず夕子が突っ込みを入れる。
 
「普通ケーキは前もって作るものでしょ。それにそんなにたくさん作っても食べ切れないじゃな
い」

「そこで食べるんじゃないよォ。プレゼントとして持って帰るの。みんなで一緒に作ったら、楽し
いと思うんだけどナ」

「一緒にって、私、ケーキなんて作れないわよ」

「だからァ。里美さんに教えてもらうんじゃない」

 傍らで会話の流れを見守っていた生徒会長が、突然の指名に柳眉をあげる。
 
「え、私が教えるの?」

「里美さんなら作り方知ってますよねェ? こう見えてもあたし、特技はケーキ作りってことにな
ってるんですけど・・・安藤さんが里美さんはお料理上手って言ってたから。一度、ちゃんと教え
てもらいたくてェ」

「それはまあ、一応は知ってるけれど・・・」

「里美さんが教えてくれるんですか?! なら、あたしもやってみたいな! お料理とかお菓子
作りとか、ほとんどやったことないから・・・」

「どこからどう見ても、七菜江は料理ヘタそうよね」

「ム! なによ、夕子だってヘタクソそうじゃん! 包丁握ったことすらないんじゃないの?!」

「言ってくれるじゃない。こう見えても私、自炊してるの忘れないでね。運動しかできないぶきっ
ちょ娘のくせにケンカ売ろうってつもり?」

「ちょっとォ〜、ふたりともやめなよォ。どうしてなんでも闘いたがるのかなァ?」

「ふたりとも、そこまでにしておいたら。・・・本当にケーキ作りをみんなでやるということでいい
の?」

 誰からも異論はなかった。想像しただけでも、女のコ5人で集まってケーキを作るのは、楽し
そうな光景ではある。昼にパーティーを開くため、そのケーキがすぐにでも役立つというのも魅
力があった。作りたての、それも五十嵐里美という誰もが憧れるマドンナに指導してもらったケ
ーキをイブに振舞えるというのは、ちょっとした心地よさがある。
 
「では、当日はケーキ作りパーティーに決定ね」

「はァい。愛を込めてクリスマスケーキ作ってェ、その後は大事なひとにプレゼント♪ すっごく
素敵なイブになりそう」

 言ってしまったあとで、思わず桃子は我が口を抑える。
 垂れ気味の瞳をさらに垂れさせ、唇を吊り上がらせた赤髪ツインテールの理系少女が、令嬢
と元気娘を交互に見詰めている。対する視線の先のふたりの美少女は、素知らぬ顔で何事も
ないように押し黙ったままだ。
 
(わ・・・ワル夕子の顔になってるよォ・・・)

 立てなくともいい波風を起こしてしまったことを、茶髪の美乙女が反省した折は時すでに遅か
った。
 ちょっとした波乱の予感を帯びながら、5人の守護天使によるイブのパーティーは開催のとき
を迎えたのであった。
 
 
 
 五十嵐家の厨房には、ケーキ作りの準備を整い終えた制服姿の女子高生5人が勢揃いして
いた。
 普段は執事の安藤がただひとりで里美や居候ふたりの食事を調理しているが、厨房の設備
は帝国ホテル並みに揃っている。日本を代表するセレブとして頻繁に賓客を招いたパーティー
を開くだけに、この程度の設備は当然のように必要であった。厨房に初めて入った夕子とユリ
は、業務用の巨大な冷蔵庫にまず圧倒され、続いてあらゆる国、あらゆる季節の食材がその
なかに揃っているのに度肝を抜かれた。キャビア・トリュフ・フォアグラの世界三大珍味が一堂
に会しているのを見るなんて、無論初めての経験だ。
 数人のシェフが一度に利用できる、大きな長方形の調理台に少女たちは陣取る。講師役の
里美の右手に夕子とユリ、左手に七菜江と桃子。台の高さの都合上、立ったまま向かい合う。
 全員が三角巾に純白のエプロン、という出で立ちであるが、元々がタイプは違ってもいずれも
美少女の名に相応しい容姿の持ち主だけに、可愛らしさはこのうえない。この手のコスプレ好
きなマニアには、堪らない光景であっただろう。ただ惜しむらくは、男子不在のこの場にあって
は、お宝映像の価値に気付く者はいなかった。
 
「いくらケーキ作りが今回のテーマといっても、皆も少しは食べたいでしょう? とりあえず、見
本代わりにちょっと作ってみたんだけど・・・」

 作業開始の前に、こう切り出したのは里美であった。
 
「えッ、里美さんのケーキ食べれるんですか? やったァ! もちろん、あたし食べます! 作る
のは苦手だけど、食べるのは得意なんです♪」

「確かに七菜江には食べる方がお似合いよね」

「なによ、じゃあ夕子は食べないっての? なんならあたしが夕子の分もらっちゃってもいいん
だからね」

「た、食べないわけじゃないけど・・・せっかくの里美の好意をムゲにするわけにいかないでし
ょ?」

「結局自分も食べるんじゃんか。ホント、素直じゃないんだから・・・」

「ナナちゃん、そんな言い方しちゃダメよ。夕子もイブの日くらい、もうちょっと肩肘の力を抜い
てもいいんじゃない?」

「わ、私はいつも素直よ」

「でも良かったんですかァ、見本まで作ってもらって・・・里美さん、忙しいのに手間かけさせちゃ
ったナ」

「うふふ、そんなこと気にしなくていいのよ、桃子。正直に告白すると、初めて作る子が多いって
言うから、パパッと簡単に仕上げちゃったの。本当は見本というほど大したものじゃないのよ」

 そう微笑みながら里美は、イチゴ、キウイ、マンゴーなど数種類の果物がゴージャスに散りば
められたフルーツケーキを取り出す。煩雑そうでいて実は計算され尽くしたフルーツの配置
が、食欲だけでなく美的意識にも訴えてくる。周囲に描かれた、宮殿装飾を思わせる生クリー
ムのデコレートはもはや芸術の域に達していた。
 
「パティ・・・シエ・・・?・・・」

 呆然としたユリの呟きが、残る少女たちの想い全てを代弁していた。
 
「ムリムリムリ! あたしにケーキ作りなんかできっこないよ! どうせあたしは食べる専門だも
ん。ぶきっちょ娘だもん」

「ごめんなさい・・・もうケーキ作りが特技だなんて言わないですゥ・・・あたしのは所詮、カステラ
でしたァ・・・」

「別にいいのよ。私にケーキなんて似合わないことはわかってたんだから。ケーキが作れなくて
も、私という人間の価値が下がるわけじゃない。ただ変わらないだけよ。別になにも気にしてな
いわ」

「ど、どうしたの、みんな? なんだか急に雰囲気が暗くなってない? なにかマズかったか
な・・・??」

 心の機微を捉えることには長けたくノ一少女であるが、仲間たちの劣等感を自分自身が引き
出していることには最後まで気付くことはなかった。
 
 
 
 土台となるスポンジケーキ作りに取り掛かった一同は、お湯につけたボウルのなかの卵をか
き混ぜる作業に没頭する。泡だて器でシャカシャカとかき混ぜていくのは、いかにもケーキ作り
といった趣があり心地よい。持ち込んだオーディオから流れるBGMにも乗って、七菜江などは
フンフンと鼻唄を鳴らしながらご機嫌で初めてのケーキ作りを楽しんでいる。
 
「どうでもいいけど、なんでBGMが『キューピー3分間クッキング』なのよ?」

 夕子の突っ込みに早速反応したのは、ライバル関係にある七菜江であった。
 
「なに言ってんの、お料理作りにはこの曲が定番じゃんか」

「このテケテッテッテ♪っていうリズムが微妙に合わせにくいんだけど・・・ははあ、さてはこの選
曲はアホ七菜江ね?」

「アホとか言うなァ! アホっていうひとがアホなんだから」

「あ、あの・・・これ選んだの、私です・・・」

 おずおずと白く長い腕が上がる。小さくなった西条ユリが、申し訳なさそうな顔で年長者の夕
子を見詰めていた。
 
「(よ、予想外の一面見せてくれるじゃない)なんだ、ユリだったの」

「ごめんなさい・・・夕子さんがこんなにも『キューピー3分間クッキング』嫌いだなんて・・・知らな
かったんです・・・」

 じっと見詰める大きな丸い瞳に、心なしかじわりと涙が浮かび上がる。
 
「いや、あの・・・別に嫌いとかじゃなくて・・・」

「ちょっと夕子ォ! ユリちゃん泣かしたら、このあたしがしょーちしないんだからね!」

 涙ぐむ武道少女と正義感に燃えるアスリート少女の前に、冷静さが売りの夕子も明らかな動
揺を見せていた。
 
「里美、助けてよ。私が『キューピー3分間クッキング』嫌いなわけじゃないって、ユリにわかりや
すく説明してくれない?」

「・・・どうしてみんな、そんなに『キューピー3分間クッキング』にこだわるのかしら?」

 完璧と謳われる令嬢も、苦笑いを浮かべるしかなかった。
 
 かき混ぜた卵がある程度温まったところでお湯から外し、今度はバニラオイルを加えてさら
に高速でかき混ぜていく。泡立ての音はさらに大きくなった。手を動かしながらも、年頃の少女
5人が集まればお喋りが途絶えることはない。

「わざわざ手でやらなくても、そこにあるハンドミキサー使えば楽じゃないの?」

 合理的思考を得意とする理系少女が、垂れ気味の瞳を調理台の上にある電動器具に移す。
 
「それはそうだけれど、こうして手で混ぜる方が温もりが伝わる気がしない?」

「温もりねえ・・・」

「そうだよォ。こうやって混ぜながら、ケーキ渡すひとに想いを込めていくの♪」

「ふーん。で、桃子は誰にケーキ渡すの?」

「あたしは子供たちにだよォ。夜は『たけのこ園』でクリスマスパーティーあるからね」

「男たちからいくらでも誘いあるんでしょ? クリスマスくらい遊べばいいのに」

「男のひとはいいよォ・・・それならあたしはこっちの方が」

 隣りの七菜江に顔を寄せた桃子の動きを、里美の声が止める。
 
「だ、ダメよ桃子。ナナちゃんにキスしちゃダメっていつも言ってるでしょう?!」

 注意する里美の顔は、どことなく照れて赤くなっていた。居候として七菜江と桃子の身を預か
っている里美としては、ふたりを健全な道に指導する義務があった。ふと自分がふたりの母親
代わりに思えるような時があるのは、決して錯覚ではないだろう。
 
「あははは。ごめんなさ〜い、ナナの唇、とっても柔らかいからつい・・・」

 ボッと真っ赤に染まった七菜江が俯きながら、シャカシャカと混ぜる速度を猛然と上げる。
 
「・・・あなたたちってもしかして、百合?」

「え?・・・私、ですか??・・・夕子さん」

「(もしや天然? 油断ならないわね、西条ユリ15歳)いや、そうじゃなくて・・・お願いだから、そ
の澄んだ瞳で『なぜ私が呼ばれたんだろう?』ってじっと見詰めるのはやめてもらえるかしら。
えーと、で、ユリは誰にケーキあげるの?」

「わ、私は・・・お父さんに、です・・・」

「そういや道場でパーティーと言ってたわね。父親にケーキをあげる気持ちがわからないけど」

「ユリちゃんはふたつケーキ作るのね?」

 ユリだけ量が多いことに気付いていた里美が、タイミングを見計らって声を掛ける。
 
「こ、これは・・・その・・・」

「エリちゃんにでもあげるの?」

「え、えっと・・・そ、そんなところです・・・」

「そう。ユリちゃんもケーキ作りは初めてなんでしょう? ふたりともとっても喜ぶんじゃないか
な。夕子は誰へのプレゼント?」

「私は自分で食べるのよ」

 場の雰囲気が一瞬にして凍りつく。
 
「ダメなの?」

「う、ううん、別にダメじゃないけれど・・・」

「ごめんね、夕子。あたしが悪かった・・・もう夕子にひどいこと言わないからね」

「七菜江みたいに同情されるのってなんか腹立つんだけど・・・そういうあなたは想いを込めて
だ・れ・に・ケーキあげるのかしら?」

 今度は七菜江ひとりが凍りつく番であった。
 内心を誤魔化すように、泡だて器を持つ手を凄まじい速さでかき回す。
 
「あ、あたしも自分で食べるんだよ」

「なんてわかりやすい嘘を・・・あんたもう、里美のケーキ1ホール近く食べてるじゃない」

「ぷ、ぷらいべーと! プライベートです! 黙秘権です! 別に言う必要なんかないんだもん。
夕子なんかに言わないよーだ」

 首まで真っ赤に染まった七菜江は、俯いたままひたすら卵をかき混ぜる。
 誰へのプレゼントかはすでに明白なのだが、当の七菜江自身は恋心がバレてしまっているこ
とにまるで気付いていないようであった。
 
「ナナちゃんは吼介にプレゼントするのよね?」

 核心を突いた台詞は、この話題をもっとも避けたがるはずの里美の口から飛び出していた。
 
「ッッ!!」

「好きなひとにイブにケーキを贈るのはとても素敵なことよ。隠す必要なんてないんじゃないか
な」

「・・・そ、そういう里美は誰にケーキ贈るのよ?」

 誰もが聞きたくて聞けなかった質問を敢行した勇者は夕子であった。
 
「私? 私は・・・とても大切なひとよ」

 シャカシャカと泡立てる音だけがやけに大きく厨房に響いた。
 
 
 
 混ぜ終わった生地をオーブンで焼き上げると、あとは仕上げの段階にはいる。
 用意された生クリームやフルーツでの盛り付けは、それぞれの個性が滲み出る部分でもあっ
た。
 これでもかと山盛りに多種のフルーツを乗せる七菜江、生クリームで描かれた模様が可愛ら
しいユリ、見た目にはシンプルだが程よくバランスの取れた夕子、これぞ王道イチゴケーキとい
った桃子・・・そしてアンバランスのなかにバランスが取れた里美のケーキはもはや作品と呼ぶ
のが妥当に思われた。
 
「ねえ、さっきの里美さんの言葉って、やっぱり宣戦布告かなァ?」

 部屋の片隅で夕子を捕まえた桃子は、魅惑的な瞳をキラキラと輝かせながら声を潜めて言
う。
 
「この私も正直度肝を抜かれたわ。まさかああハッキリ言うとはね」

「うわァ、直接対決だよォ。どうしよ、あたしまでドキドキしてきちゃったァ・・・」

「どうするもこうするも見守るしかないでしょ。一年に一度のイブなんだから、里美も正直になっ
てもいいんじゃない」

 コソコソと話題にされているのを知ってか知らずか、令嬢とショートカットの少女とはケーキ作
りの仕上げに入り、互いに笑顔で語り合っていた。
 ケーキ作りを無事に終えた守護天使たちのパーティーはその後、夕陽が沈みきるまで続き、
夜を迎えたころに名残惜しみつつ散会を迎えたのであった。
 
 
 
「桃子先生も、一緒にトランプしよーよー」

 手をグイグイと引っ張られ、子供たちの輪のなかに桜宮桃子は割って入る。『たけのこ園』で
のクリスマスパーティーは盛り上がりのピークを迎えていた。子供たちのとびきりの笑顔を見て
いると、心が温かくなってくるのを桃子は感じる。ケーキも好評だったし良かった♪ パーティー
の掛け持ちなんて初めての経験であったが、濃密なイブを過ごせている幸せに、密かに桃子
は感謝した。
 
(ナナはうまく・・・やってるかなァ・・・)

 ふと窓の外に向けた瞳には、舞い降り始めた白い雪が映っていた。
 
 
 
「ちらつき始めたわね」

 遥か上空から降りてくる白い花びらに、思わず霧澤夕子はコートの下にある己の身体を抱き
締める。吐く息はすっかり白くなっていた。肉体の半分は機械といえど、感じる寒さは生身の頃
とほとんど変わることはない。こういうところは改造しちゃってもいいってのに・・・この肉体の研
究責任者でもある天才科学者の顔を思い浮かべながら、夕子はひとり愚痴た。
 イルミネーションの煌く街頭には、カップルを中心とした人々で溢れている。本格的に降り始
めた雪のなか、夜の街に幻想的な光と笑顔が咲いている。こういう聖夜はときにドライと評され
る夕子にしても決して嫌いではない。サンタ姿の客引きの横を、マフラーに顔をうずめて夕子
は歩いていく。
 
 近代的なデザインの高層ビルに、赤髪ツインテールの少女の足は進んでいった。すでに顔馴
染みとなったふたりの守衛が、夕子の姿を認めて軽く会釈する。サイボーグ少女の正体など無
論聞かされてはいなかったが、かつてショートカットの少女に背負われて来た夕子の腕が、機
械で出来ているのは見たことがあった。定期的にこの三星重工の研究ビルに訪れる少女と、
その秘密を垣間見た男たち。それ以降も、以前と同じように振舞うふたりの守衛の横を、止め
られることなくいつものように夕子は通り過ぎる。
 
「メリークリスマス」

 そっと囁く少女の声に、男たちはわずかに表情を緩めてやり過ごす。
 ハイテクビル内に入った夕子は、いつもの研究室ではなく、受付の案内嬢のもとに向かって
いた。
 
「あの、これを運動機械工学室の有栖川邦彦に届けてもらいたいんですけど」

 包装された四角い箱を、夕子はそっと柔らかな雰囲気の女性に手渡す。
 
「お名前を頂戴してもよろしいですか?」

 少し黙り込んだツインテールの少女は、やがてピンク色の唇をそっと開いた。
 
「有栖川夕子」

 一年に一度、聖夜くらいは素直になってもいいんじゃないの?
 ケーキを渡し終えた赤髪の少女は、振り返ることなく雪降る街に溶け込んでいった。
 
 
 
「もう・・・お父さん、ベロベロじゃない・・・」

 道場に戻った西条ユリを待っていたのは、強烈な酒気の匂いであった。
 毎年のことではあるが、どうして年甲斐もなくこんなにハメ外しちゃうんだろう? 我が父なが
ら、時々ユリは情けなくなることがある。里美たちとのパーティーを早めにお開きにしてもらった
のは、西条家での宴があるのは嘘ではなかったが、本当はもっと他に理由があった。どうして
もユリが道場に戻らなければならない理由。それは双子の姉エリのたっての懇願でもある。
 
「よかった、ユリ・・・なんとか間に合ったね。ホントもう、ギリギリってところよ・・・」

「お姉ちゃん・・・状況はどうなの?・・・」

「今年の参加者は厳選された10人だったんだけど・・・あの通りよ」

 エリが指差した先には、9人の男たち、道場生や懇意にしている他流派の武道家がひとまと
めになって転がっている。どうやら全員が気を失っているようだった。
 
「いつになったら辞めるのかな・・・毎年恒例の『剛史チャレンジ』」

「お父さん、お酒入ると暴れたくなるみたいだもんね・・・クリスマスのたびにパーティー参加者と
闘って・・・いつの間にかこのチャンスにお父さんに勝とうって人たちがどんどん参加するように
なったけど・・・毎年返り討ち・・・」

「でも、ここ数年・・・いつも問題は最後のひとりよね、お姉ちゃん」

 道場の畳のうえ、仁王立ちする想気流柔術現師範、西条剛史。
 向かい合って立つのは、筋肉の鎧を身に纏った、最強を冠する高校生であった。
 
「さァ〜て、ようやく勝負つける時が来たようだなぁ、おっちゃんよォ〜!」

 グキグキと首の筋を鳴らしながら、工藤吼介は真っ赤な顔で言い放った。
 
「あ、あれ?・・・工藤さん、酔ってるの?・・・」

「去年はお父さんだけ飲んでたから・・・対等じゃないって。・・・同じ条件で勝ちたいからって、私
が止めるのも振り切って・・・」

「高校生なのに・・・ふたりともメチャクチャね・・・」

 酔っていようが無類の強さを誇る剛史に、唯一肉薄する最強の格闘獣。
 吼介がまだ中学生の頃は善戦程度で終わっていたが、去年はついに決着がつかなくなるま
でになっていた。壁に開いた穴の数、3つ。近所の通報でパトカーは2台やってきた。最終的に
エリユリ姉妹が割って入ることで強引に闘いを終わらせたが、巻き込まれた柔術姉妹は冬休
みのほとんどを通院するハメになったのだ。
 エリの必死の努力も虚しく、両巨獣の激突は今年も避けられそうにない。この怪物たちを止
められるのは、地方一帯を探してもエリユリ姉妹以外には考えられなかった。
 
「フッフッフッ、小僧ォ〜〜、図に乗るなよ〜! 這いつくばった地の味を思い知らせてくれる
わ」

「棺桶片足つっこんだ老いぼれが言うじゃねえかァ〜・・・あの世で時代が変わったことを痛感
しなァ!」

「よ、酔ってるから、ふたりとも凶暴化してるじゃない・・・」

「最初が勝負よ、ユリ! 失敗したら道場が潰されちゃうかも・・・」

 ドンッッ!! 畳を踏みしめる轟音とともに、ふたりの最強格闘家が互いに向かって同時に
踏み出す。
 激突の瞬間、男たちの身体は横から割って入った、少女武道家ふたりに捉えられていた。
 前方の敵に意識が集中していたガタイのいい中年男と逆三角形の高校生は、虚を突かれい
とも容易く宙を一回転する。
 したたかに脳天から畳に落とされる怪物二匹。ダメージもなんのその、酔いに足をふらつか
せながらもすぐさま全身を跳ね起きかける。
 
「はい、お父さん」

 畳に転がった剛史の目の前に、漫画のような美少女の笑顔を浮かべた中腰姿勢のユリがい
た。
 反対側、同じような体勢の吼介の前にも、姉のエリが愛くるしいまでの笑顔を浮かべている。
 
「クリスマスケーキ。・・・ふたりの分作ってきたから、もうケンカしなくていいでしょ?」

 ハートマークの描かれた白いケーキを前にして、酔っ払った二匹の獣は猫のように大人しくな
るしかなかった。
 
 
 
「あれ? いないのかな・・・」

 二階建てアパートの一室。藤木七菜江はノックしても反応のない扉の前で、ひとり佇む。
 突然押しかけるのはどうかと思ったけど・・・多分、きっと、喜んでくれるよね?
 以前、怪我をした七菜江が数日世話になった部屋に、宿主である逆三角形の男は不在であ
るらしかった。
 クリスマス・イブなのにどこに出掛けてるんだろう? 突然のケーキのプレゼントというサプラ
イズ演出のために、デートの誘いを敢えて断ったことを七菜江は後悔する。やっぱりちゃんと
待ち合わせするべきだったかもしれない。そうすれば、寒空の下で震えることなどなかったの
に。コートを羽織った上半身とは裏腹に、ミニスカートから伸びた足は生足であった。這い登る
寒さに、さしもの元気娘も背筋を震わす。
 
「・・・雪だ・・・」

 粉雪がクリスマス・イブに浮かれる街並みを白く染めていく様子を、七菜江はじっと閉ざされ
たアパートの扉の前で眺めていた。徐々に顔を変えていく景色。音が途絶え、静かになっていく
のがわかる。ブルっとくる寒さに少女は己の身体を思わず抱き締めていた。
 時計の針は彼女がこの場所に来てから2時間以上が経ったことを示している。
 
「デート断ったから・・・怒っちゃったのかな・・・」

 ドッキリのためとはいえ、嘘でも誘いを断るのは、凄く辛かったのに。
 そんな七菜江の気持ちを、鈍感な男は多分気付いていないだろう。男臭い顔が一瞬曇った
ように見えたのは、七菜江の気のせいだっただろうか?
 もしかしたら他の女のひとと会ってるのかも。
 有り得ない、と一笑に付す自分がいる一方で、長い髪の美少女の面影がちらついては消え
る。あるわけない。里美さんと一緒だなんて。尊敬する令嬢の見事な出来栄えのクリスマスケ
ーキが、やけに頭にこびりついて離れない。
 
「さむ・・・」

 街はすっかり白く塗り替えられていた。
 10時を過ぎても部屋の主人は帰ってくる気配も見せなかった。
 ドッキリ企画なんて、バカなこと考えたから罰が当たったのかもしれない。
 箱のなかのフルーツたっぷりのケーキが、なんだかひどくマズそうなものに見えてきて、七菜
江はちょっと涙がでそうになる。
 
 もう、いいや。
 
 降り止まぬ白い結晶のなか、少女は突然走り始めた。冷え切った身体がギシギシと音をたて
そうだ。降り積もった雪に足をくるぶしまで埋めながら、抜群の運動神経を持つ少女はなにか
を振り切るように疾走する。
 
 ドシャアッ・・・
 
 滑る道路に足を取られた少女は、雪の上に激しく転倒していた。
 かっこわる・・・打ち付けた膝と肘の痛みに耐えながら、コートを雪まみれにした少女は右手
に持ったケーキの箱に視線を飛ばす。
 箱の中身は、数m離れた雪道のうえに逆さになって落ちていた。
 生足の膝小僧が赤くなるのも構わず、少女はケーキに這い寄っていた。
 拾い上げたケーキは泥と雪とで汚れ、山盛りにしたフルーツはそのほとんどが潰れていた。
 
「・・・ま、いっか・・どうせ出番なくなったんだし・・・」

 口に出した瞬間、言葉とは裏腹に少女の瞳からぶわりと涙が溢れ出す。
 生まれて初めての、手作りケーキだったのに・・・
 雪道にへたりこんだ少女の肩が震え、地面にボトボトと雫が落ちていく。
 
「・・・なにやってんだ?」

 目の前に差し出された大きなゴツイ掌を、七菜江は霞む視界のなかで見た。
 そっと右手を出して掌を握る。ふわりと浮くような感覚がして、少女の肢体は起こされていた。
 
「こんなとこいると風邪ひくぞ」

「・・・・・・先輩・・・お酒飲んでるんですか?・・・」

「んーと、あれだ、ユリんとこの親父さんに飲まされたんだよ」

 俯いたまま少女は、握った拳を真っ直ぐ工藤吼介に向かって突き出す。
 分厚い胸の中央に、ポスっと音をたてて小さな拳は当たった。
 
「痛えな。なにすんだよ」

「別に深い意味はないです」

「お、そっちの手に持ってるの、クリスマスケーキか。今年まだ食ってないんだよなー。オレにも
食わせてくれよ」

「こ、これは落ちちゃったから・・・」

 七菜江が持ったケーキに顔を近づけるや、吼介はバクリと崩れたケーキの一部を呑み込ん
だ。

「うん、七菜江が作ったにしちゃ、うめえじゃないか」

「・・・当たり前です。教えてくれた先生がいいんだもん」

 再び熱い雫がこみ上げてくるのを、少女は必死で抑えた。
 
「あの・・・先輩、ヘンなこと聞いてもいいですか?」

「なんだよ?」

「・・・・・・・・・里美さんからは、ケーキもらわなかったんですか?」

「なんでオレがあいつからケーキもらうんだ?」

 じゃあ一体、里美さんは誰にケーキあげるんだろう?
 見上げれば降り止まぬ粉雪が、聖夜の空に舞い続けていた。
 
 
 
 コンコン
 
 ドアをノックする軽やかな音が静かな邸内に響く。
 
「どうぞ」

 落ち着いた声が応えるのを待って、五十嵐里美はノブを回す。
 部屋のなかで執事の安藤は、イタリア製の椅子に座りパイプと読書を愉しんでいるところであ
った。
 初老の域に入った男性のひとり部屋にしては、驚くほどキレイに室内は整頓されている。簡
素でありながら重厚感も漂う室内。オレンジ色の照明に満たされた空間は、時がゆっくりと流
れているかの印象を受けた。
 里美がドアを閉めるのにあわせるように、普段はしていない黒縁の眼鏡をそっと机の上に置
く。パタリと音をたてて、読みかけの本が閉じられた。
 
「どうかなさいましたか?」

「今日は気を遣わせてしまったわね。あなたがパーティーにでても、本当は喜ぶような子たちば
かりなんだけれど」

「いいえ、皆さんお年頃のお嬢様ばかりですから、老いぼれが顔を見せるだけでも遠慮される
でしょう。普段過酷な運命と闘っておいでなれば、こんな時くらいは心底より楽しんでいただき
たいのです」

「おかげでみんな、楽しんでもらえたみたい」

「そうですか。それはよかった」

 白髪混じりのオールバックの下、渋みのある顔がニコリと相好を崩す。親子以上に年の離れ
た守護少女たちを、この執事が実の娘のように愛していることは、里美にはよくわかっていた。
 
「口にあうか、わからないけれども」

 リボンで包装された白い箱を、里美はそっと安藤に差し出す。
 
「よろしいのですか? 私などに」

「いつもお世話になっている安藤に、こんなときでないとお礼がいえないもの」

「里美お嬢様からクリスマスのプレゼントを頂く日が来るとは、思いも寄りませんでした」

 緩やかな微笑を口元に刻んで、老執事は手作りケーキを受け取った。
 
「私にとっては、本物よりも嬉しいサンタクロースですな」

「私こそ、子供のころ枕元にオモチャを置いていってくれたサンタさんに、お返しが出来て嬉し
いわ」

 悪戯っぽく微笑む里美に、安藤はなんのことやら、ととぼけた表情で応えてみせた。
 
「外は雪ね」

「はい。素敵なホワイトクリスマスになりそうです」

「みんな、イブの夜を楽しんでいるかな・・・」

 窓の外に広がる銀色の世界。里美と仲間たちが守ってきた世界は、当たり前の幸せを当た
り前に受け取っているようだった。イルミネーションのひとつひとつが、笑顔のひとつひとつが、
きっと今の里美に贈られたサンタからのプレゼント。
 雪降る白い街に向かって、里美はひとり囁きかけた。
 
「メリークリスマス」



                                〜了〜


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