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ミュータントが襲撃する、少し前の谷宿―――
きらびやかでファッショナブルな表通りを、少し横道に外れていくと、灰色の壁に囲まれた裏
通りに、ほんの数十秒で迷いこむことになる。スラムを知りたい者がいれば、ここに来ればい い。クスリ、売春、強奪、殺人・・・ありとあらゆる犯罪を、剥き出しのコンクリートたちは記憶し ている。壁や道が無機質に見えるのは、決して気のせいなどではない。
整然とした表の顔と違い、無計画に雑居ビルを建てこんだ皺寄せは、人目につかない裏側
に現れていた。ネズミが通るにも苦労する隙間から、突如そびえる袋小路まで、あらゆるタイプ の路地が、品評会を催している。そのほとんどが、息苦しさを感じさせる窮屈さであったが、時 に無意味なほどに広大な空き地を、奇跡的に創り出すこともあった。
人ひとりがようやく通れるビルの隙間を、50mも閉所の恐怖に打ち克って進むと、そういう開
け広がった敷地のひとつに出ることができる。
8m四方もあろうか、灰色の壁に仕切られた、勿体無いほどの空白地は、谷宿を根城とする
若者が集まるには、持ってこいの場所と言えた。しかし、その形が最も直接的にインスピレー ションさせるものは――
コンクリートのデスマッチ用リング。
言いかえれば、ストリートファイトの決闘場。
死臭漂う、モノクロの舞台に、役者はすでに整っていた。
「ちりのことを嗅ぎ回ってる二人組って、あんたたちのことかぁ~。ふ~~ん。よくみりゃあ、里
美と一緒にいた、お嬢ちゃんじゃな~い♪」
猛獣の青い爪を口に当てて、コロコロと軽快に笑う「闇豹」神崎ちゆりを、点対称に挟むの
は、同じ顔を持つ姉妹だった。黒髪を左右ふたつに分けた、少女っぽいヘアースタイルにして いる方には、顎に小さな黒子がある。纏めずに、そのままセミロングに垂らしている方が妹らし く、どことなくオドオドした様子だ。
立っているのは、女子三名だが、その場には男たちも多数いる。ただし、『想気流柔術』の嫡
子・西条エリとユリの流れるような技により、ある者は頭頂から硬い地面に落ち、ある者は関節 を外されてうめいていた。谷宿において絶大な支配力を誇るちゆりの兵隊は、どう見てもひ弱 そうな双子の美少女によって、壊滅状態に追いやられたのだ。
もちろん、当然のようにちゆりは微塵も動じていない。
挑発的な豹柄のチューブトップとミニスカートは、ティ―シャツ姿のエリ、パーカーを着たユリと
は、あまりにも対照的すぎる。何も施していない瑞々しい素肌が、真珠の輝きを放つ姉妹と、 毒々しいまでに化粧を塗りたくったコギャルとでは、互いが互いを引き立たせている。身も心 も、天を衝き抜ける初夏の風と、ドブ板に巣食うヘドロほどの違いが、両者には隔たっている。
「やっぱさあ~、あんたが新ファントムガールと考えて、いいんだねぇ?」
「・・・私は、『想気流』の看板を背負った者として、傷の借りを返しにきただけです」
言い放つエリの表情は、あどけない素顔に似合わぬ鋭いもの。はにかみ屋の15歳ではな
く、武道家の娘としての顔だ。右手を前に軽く広げて出した構えは、力を入れているようには見 えないのに、一分の隙もない。
「あはは。この前より、随分勇ましいじゃ~~ん♪ あん時は、突然でぇ、ビビッちゃってた
ぁ? でもさぁ、こいつらとちりとを、一緒にしない方が、いいと思うんだよねぇ~~」
「ユリ、あなたは手を出さないでいいよ」
「ぷッ! カッコイイ~~! あははははは、ひとりで勝つつもりなんだ? でも、正解かもォ
~、妹ちゃんは、ビビってるようだしィ~~」
グルリと後を振り返り、マスカラの濃い大きな眼が、鏡合わせのように構えたユリを射る。狼
狽が、素直に瞳に表れる。同じように見えて、姉とは違う内向の差が、ちゆりには把握済みだ った。10人以上の悪どもを、優雅とさえ言える動きで叩き伏せていった姉妹だが、容赦のない エリと違い、ユリには最小限のダメージで倒そうとする、甘さが見えたのだ。
妹の抱えた爆弾を見透かされて、エリの心が焦る。
派手な衣装に身を包んだ「闇豹」が、どれだけの実力を持つかは計り知れないが、並の人間
ではないことは、太股の傷が知っていた。今のユリでは、普通の者ならともかく、ちゆりに狙わ れたら、太刀打ちできないかも知れない。ユリの心の「城門」を、エリしか持たない「鍵」で開け ようとする。
「ユッ・・・」
「ぶっちゃけて聞きたいんだけどさあッ!」
開きかけたエリの口を、ケバケバしい悪魔がタイミングよく塞ぐ。偶然の賜物だが、危険に生
きる女の本能が、エリの行動を止めさせたのかもしれない。
「『新ファントムガール』って、どっちィ? あんた? それともこっちの小鳥ちゃん?」
金のルージュが吊りあがる。鼻にかかる掠れ声は、その裏に、脅迫めいた力強さがあった。
「・・・・・・私です。私が『新ファントムガール』。・・・だから、妹は気にせず、私と闘ってください」
「あは♪ やっぱそうよねぇ~。じゃあ、葛原ぁ~、あとお願いねぇ~」
ちゆりがあの、黒い壊し屋の名を呼んだ瞬間、エリの眼前に2m近い長身の痩せ男が降って
湧く。まさに一瞬の出来事。黒い槍が、天空から落ちてきたようだ。
“え? なに? 飛んで。・・・どこから? 屋上? 嘘。まさか。敵。強い。狂気。た、闘わ・・・”
素直に生まれてしまった西条姉妹共通の欠点、それは虚をついた攻撃への対応が、鈍いこ
とだった。
突如現れた、S級ランクの危険人物、壊し屋・葛原修司の猛攻が、身を固くした華奢な少女
を襲う。
黒いミサイルの前蹴りが、くびれた腹を射抜く。
ふたつに折れ曲がるエリの白い身体。唾液が霧となって飛び散る。突き出された無防備な顎
に、ボクシング部員を一撃でノックアウトしたアッパーカットが吸いこまれる。
グシャリ・・・
何かが潰れる音を残して、エリの細い体は5mを宙に舞い、洋食店が出した青いポリバケツ
のマットに墜落する。
破壊音と生ゴミが、散りばら撒かれるハーモニー。
「エ・・・エリィッッ!!」
「おっとォ、小鳥ちゃんの相手は、ちりだよォ~」
姉に駆けつけようとする妹を阻む、「闇豹」。
その素早い移動と、単純な恐怖が、幼いユリを強張らせる。
五本の爪が、透明感ある童顔に発射される。
身を捻ってよけるユリ。長年の修行で養った力が、身を助ける。よけると同時に、白鳥の左
手は、女豹の右手首を捕まえていた。
「ハッッ!!」
気合い一閃。
グラサンをかけたままのコギャルが、宙を旋回して激しく地面に叩きつけられる。コンクリート
と激突した細身が、耐えられるとは思えぬ勢いで。
ズブリ・・・・・
「きゃあああッッ?!!」
甲高い悲鳴をあげ、熱線の痛みに仰け反ったのは、西条ユリの方だった。白いカモシカの太
股に、五本の青い棘が埋まっている。寒気のする笑顔で、悠然と立ちあがったちゆりが爪を引 きぬくと、かつてない辛さに恥も外聞もなく地面を転がり回る。
「あはははははは! やっぱ、小鳥ちゃんは甘いねぇ! どうしても手加減しちゃうみたい
ね。・・・けど、意外とあんたがファントムガールじゃないかって、ちりは睨んでるんだけどなぁ~ ~」
ガラガラとゴミの山から立ちあがってきたのは、姉のエリの方だった。
マシュマロの唇の端からは、朱色の糸が引いている。濡れ光る唇には、まだ子供っぽさが残
るだけに、悲哀が濃く漂う。
鼻先には、黒い塔が、獲物が起きるのを待っていた。幅の狭い肩が、小刻みに上下してい
る。笑っているのだ。
「キヒィッ・・・キヒヒヒヒヒッッ・・・なぜ立ってこれたか、わかるか?」
葛原の問いには答えず、エリは自然体の構えを取る。一撃のダメージはあるが、程よい渇と
なって、普段の自分を取り戻すことに成功していた。
「楽しむためだよ・・・お前の肉を断ち、骨を折り、苦痛の海に沈めて、あられもない悲鳴を聞
くために、わざと仕留めなかったのだ」
壊し屋の構えは、ムエタイ戦士のそれに近い。
女のコにしては背が高いとはいえ、30cm以上の身長差がエリにのしかかってくる。むせぶ
ような死臭が、壁となって踏みこみにくくさせている。
『想気流柔術』は組み技が主体のため、打撃系の相手には待つのが基本だ。当て身を見切
り、関節に捕える。エリはプロボクサー世界王者のジャブでも、捕える自信があった。つまりそ れは、世界一早いパンチを見切れるのと同意。
壊し屋のスピードか、武道家の見切りか。
ビリビリと痺れるような緊迫感が、濃厚な空間を巨人と少女の間に出現させる。
バチンッッッ・・・
乾いた炸裂音がコンクリートのリングに響き、血霞みを吐いたエリの白い喉が晒される。
“あッ・・・・・・?”
白桃の頬がみるみる腫れあがる。黒いストレートが突き刺さったとわかったのは、追撃を食
らった時だった。
がら空きの右脇腹に、ミドルキック。空き缶がトラックに轢かれる音がして、横にくの字になっ
て吹き飛ぶエリを、すぐに逆のミドルが襲撃し、細いアバラを粉々に砕く。
ベキベキベキィッッ・・・・
崩れ落ちるエリに、安息は訪れない。大陸間弾道ミサイルとなった黒い拳が、小さな顎を潰
す。2度のアッパーに耐え得るほど、少女の骨は丈夫ではない。折れた顎骨が吹き上げる血 潮が、一直線に天に伸びる。
宙に舞うエリは、もはや格好の的でしかない。
右ボディが刺さる。ローが足を折る。パンチがあどけない顔を潰す。止むことのない打撃が、
未完成な身体を暴風雨に巻き込む。
これが人間の壊れる音なのか。耳を覆いたくなる、肉と骨がミンチにされる曲が、エリという
楽器から流れる。白い肌は血と痣に覆われ、片方のゴムが千切れて、束ねた髪がザンバラに 垂れる。
「あがアッ!・・・ぐぶッ!・・・ゴボオッ!・・・げぶうッ・・・がはッ・・・あぐうッ・・・アアッッ・・・がふ
ッがぶぶぶぶッッッ!!」
アニメ声と揶揄される高音ボイスが、激痛にむせんで嗄れ声となる。数分前まで白百合のよ
うに可憐だった姿は、無惨な肉片に変わりつつあった。
“み・・・・見え・・・・・・・ない・・・・・・・・か、らだ・・・・が・・・・・・壊れて・・・・・い・・・・・く・・・・・・・”
「エリッッッ! エリいいいィィッッ―――ッッ!!!」
泥で茶色に汚れたパーカー姿が、激痛を忘れて立ち上がる。しかし、嘲り笑う女豹が、絶叫
する妹に襲いかかる。
右、左。
愛くるしい顔を切り裂こうと、猛獣の爪が空を切る。最小限の動作で捌くユリ。しかし、下から
の攻撃が狙ったのは、顔面ではなかった。
チェックのミニがめくられ、純白のパンティが露になる。
予想だにせぬ攻撃目標に、捌きの達人のスカートは、ものの見事にまくられた。「キャ
ッ?!」という少女らしい叫びをあげ、電光石火でスカートを抑えるユリ。
「あんたってさあ~~、ホントに闘いに向いてないよねぇ~~」
女豹の口調には、嘲りよりも呆れの翳が濃い。その十本の爪は、発展途上の膨らみを、揉
み包むように突き刺さっていた。じっとりとした紅色が、白のパーカーに沁みを作っていく。
「あ・・・・・・あ・・・・・・・」
「パンツ見られたぐらいで慌てんならさあ、もう、ブドウなんてやめちゃえよ。ちり、なんだか、
イライラしてきたなア~」
鋭い爪が、縦横無尽にユリの身体を切り裂く。
お気に入りのパーカーが、布切れとなって乱れ飛ぶ。象牙の肌が、「闇豹」の苛立ちを反映し
て、ヤスリで砥がれたように切り傷で覆われる。鮮血がユリの前面を朱に染めていく。
見た目無惨なユリだが、実際のダメージは姉とは比較にならない。ちゆりはわざと、浅く切り
刻んでいたのだ。血こそ出るが、表面上の傷でしかない。服を切られることで露出を増す、精 神的なショックが、ユリを揺さぶっているに過ぎないのだ。
「キャアアアッッ―――ッッ!! もうやめてぇぇぇッッッ!!」
泣き叫ぶ声は闘士のものではない。レイプにあった、女子高生の声だ。
ちゆりの平手が頬を打つと、弾けるようによろけ倒れる。
赤く染まった胸を、高いヒールで踏みつけると、降参したようにポロポロと涙が丸い瞳から零
れ落ちた。
「弱いなぁ・・・弱すぎだね・・・おかげでどっちがファントムガールか、確信したよ」
仮にも『エデン』の宿り主なら、こんなに脆い精神のわけがない。
『エデン』は寄生者の思想を助長する働きがある。レイプ願望の持ち主なら、確実にレイプ魔
に変えてしまうだろう。ファントムガールになるほどの正義感の持ち主なら、それ相応の強い精 神力をもたらさないわけがない。
だが、この西条ユリは・・・弱すぎる。技術ではなく、精神がだ。
一方、姉のエリは、殴打の嵐に壊れかけているというのに、その瞳には強い光が消えていな
い。うりふたつの見た目からは想像できないほど、精神力の差があるのだ。
殴られ続けるエリの両手が消える。
凄まじい速さで動いた両手は、ついに壊し屋の左手首を捕らえたのだ。
葛原の尋常ならざる速度の打撃は、エリには見ることさえできなかった。しかし、その打撃の
リズムを、百発以上の殴打を刻まれた身体が覚えたのだ。
壊し屋の異常な破壊欲が、逆転の一手を少女に授ける。
一撃で、この黒い巨人を沈めることは・・・可能だ。
命綱の手首を、一気にねじ上げる!
「??!ッッッ」
極まったはずの関節技が、極まらない!?
ズルリとぬめる感覚がするや、手首のポイントがずれる。
確実に手首を捕えているのに、拳の先が伸びる! 二本指の貫き手が、くっきりとした二重
瞼を抉り刺す。
「ぐわああッッ――ッッッ!! うわああああッッ―――ッッッ!!!」
命綱を手放したエリが、右目を押さえて絶叫する。赤い涙が頬を伝う。両膝立ちになって天を
仰ぐ少女武道家は、まるでトドメを刺してくれるよう、懇願しているようだった。
壊し屋の右の貫き手が、防御できない少女の鳩尾に埋まる。
「ごぶうううッッッ?!!」
ドロリとした血塊が薄ピンクの唇を割る。そのまま貫き手は、折れた肋骨に、握った内臓を叩
きつける。
「ごぼおおおおおッッッッ―――――ッッッ!!!!!」
純真な少女の口腔から、溶岩のように大量の血塊が吐き出される。ビチャビチャと派手な音
をたて、潰れたトマトのような物体が、コンクリの大地に落ちる。
「エリいいィィッッッ!! エリいィィッッッ―――ッッッ!! 目を覚ましてッ! お姉ちゃんッッ
――ッッッ!!」
神崎ちゆりの足元で、ユリが姉の惨状に泣き叫ぶ。その声も届かず、胡桃に似たエリの瞳
は、白目を剥いたままだった。
「キヒヒヒヒヒ! キヒヒヒヒヒ! さて、そろそろトドメをさしてやるか」
誰の目にも明らかな敗北者に、恐怖の宣告が下される。
妹の懇願も無視し、もはや腕に垂れ下がるだけの、西条エリの儚げな身体に、黒い巨人が
絡みつく。コブラツイスト。だが、細く長く、柔軟な壊し屋は、通常よりもさらに一回転多く、エリ に螺旋状に絡みついたのだ。
「よく見とけ。オレの『スネークツイスト』の恐怖をな」
葛原の螺旋に絡んだ長身が、ねじったゴムが戻る勢いで、一息に元に戻る!
普通、コブラツイストという技は、相手の脇腹を捻って痛めつける技だ。だが、それより一回
転、余分に捻られるということはつまり・・・脇腹を、丸々一回転捻り上げられるということ!!
ブチブチブチブチブチイイイィィィッッッ!!!
肉と骨の断ち切られる、壮絶な絶叫ッッ!!
「お姉ちゃんッッッ!!! お姉ちゃ―――ッッんんんッッッ!!!」
コンクリートの決闘場に、ユリの叫ぶが哀しく響く。
言葉の通り、破壊されたエリの骸が、黒い巨人に手首を掴まれ吊り下げられる。ブラーンブ
ラーンと、脱力した細い足が揺れる。伝統ある武道の血統者が、街の乱暴者に完膚なきまで に制圧された瞬間だった。
捨てられるエリ。大の字になって、天を仰ぐ。血まみれの唇が、微かに震えている。エリは生
きていた。
「『新ファントムガール』って言ってもォ~、正体がわかれば、こんなもんよ。他愛な~~い」
「確か、ファントムガールについては、殺してもいいって話だったな」
葛原が恐ろしい台詞を吐く。この先さらに、まだ瀕死のエリを嬲り尽くそうと言うのか。
「いいけど、ちょっと待ってぇ~。一応さ、調べてみるから」
ヒールを響かせ、ちゆりが壊れたエリのもとにいく。姉の悲惨な敗北の様に、激昂するかと危
惧したユリは、ただメソメソと泣き崩れるだけだった。どうやら心底から、戦士ではないらしい。 敵ながら呆れたちゆりは、もはや興味もなかった。
壊し屋に両脚を持たせて開かせる。股間の間に座った女豹が爪をたてると、分厚いデニム
の生地が、画用紙みたいに容易く切り裂け、大事な部分が外気に触れる。
幼さの残る風貌に合わせるように、少女の恥毛は淡かった。風にそよぐ海藻の奥に、誰にも
触られたことのない、聖なる亀裂がある。
なんの前触れもなく、無造作に鋭い爪が侵入する。
ちゆりの趣味から言えば、処女をイカせるのは嫌いではない。寧ろ、嫌がる少女を悦楽の虜
にする作業は、征服欲を満たしてくれるごちそうのひとつだ。だが、今は目的が違う。まずはエ リがファントムガールであることを、確認するのが優先だ。
穴がキツイのも遠慮せず、五本の指が全て膣内に差し込まれる。破瓜のヌルリとした感触
も、ちゆりには気にならない。極度の激痛が麻酔がわりになっているエリは、破瓜の苦痛も感 じなかったことだろう。そればかりか、愛液が分泌されてないにも関わらず、膣を掻き乱される 痛みすら、感じてないようだ。ただ、異物の挿入感が、もぞもぞと腰を小刻みに震わせる。
「・・・・・・ユ・・・・・・リ・・・・・・・・・」
乱暴な扱いが刺激し、エリの意識を呼び戻したようだ。しかし、掠れた瞳が、まだ半濁した意
識であることを教える。作業に没頭するちゆりは、委細構わず膣内を、あるモノを求めて探し 続ける。
「・・・・・・ユリ・・・・・・・・ごめ・・・・ん・・・・・私・・・・じゃ・・・・・ダメ・・・・だっ・・・・た・・・・・・・・」
「あれぇ~~、おかしいなあ~~? 『エデン』が見つからないなんて」
涙に揺れる瞳を、息も絶え絶えな姉に向けるユリ。蚊の鳴くような声は、血を分けた妹には、
ハッキリと聞こえた。
「・・・・ユリ・・・・・こいつら・・・・・・を・・・・・・・」
「こいつの中に、『エデン』がいないってのは、ど~ゆ~こと? ・・・まさか」
ラインの濃い目立つ瞳が、背後の妹をするどく射抜く。
「こいつら・・・を・・・・・・・・やっつけ・・・・て・・・・・私が・・・・・ゆる・・・・す・・・・・・・」
ブオオオオオオッッッ!!!
旋風が、唸る。
泣き崩れていた妹の身体が、全身のバネ運動で、瞬時に起きあがったのだ。
般若の形相。
可愛らしい顔立ちは同じなのに、噴き出す闘気の種類がまるで違う。ズタズタになった服から
は、小ぶりな乳房が見え隠れしているというのに、今は気にする素振りがない。初めて見せる 鋭い目つきは、西条姉妹には考えられない獰猛さだ。
誰もが美少女と認める内気な女のコは、いまや勇ましい闘士となったのだ。
その雰囲気が、十二分に確証となった。
「闇豹」も壊し屋も、姉への興味はすでにない。ふたり並んで、本当の敵と対峙する。
「あんたがファントムガールだったかぁ~。まさか、ジキルとハイドとはねぇ~」
「お姉ちゃんを酷い目に遭わせて・・・覚悟はできてますよね?」
可愛いトーンはそのままだが、モジモジとした引っ込み思案な様子が消えている。とはいえ、
その口調からは、野蛮な様子や無秩序な感じは受けない。今までのユリと、基本的には変わら ないのだ。
ただ、闘志が大幅に上がった。と、解釈すればいいだろう。
「い~い~ねぇ~! そうこなくっちゃねぇ~~。けど、やる気になったからって、勝てるとは限
んないよォ。あんたの双子の姉貴は、手も足も出なかったんだからぁ~」
ゆらり・・・と影が前に出る。
獲物を一匹、血祭りにあげた細長い壊し屋は、さらなるご馳走を求めて、餓えた破壊欲を満
たしにかかる。
黒い体躯に溢れる、黒い瘴気。壊し屋・葛原修司の望みは、肉体を破滅することが、泣き叫
ぶ悲鳴を聞くことが、全て。それ以外にも、それ以上にも、何も要らないのだ。
「キヒ・・・キヒヒヒヒヒ・・・・・・・また、一匹、壊せるか・・・今日は大猟だな」
一歩、また一歩。
黒い槍が、童顔の少女ににじり寄る。その後ろでルージュの端を歪ませて、コギャルが死闘
の観戦を決めこむ。
左手を軽く前に出すユリ。その指は自然な様子で開いている。力の感じさせぬ、それでいて
無駄のない、最高の構え。
だが、同じ構えで姉のエリは敗れ去ったのだ――
タイ式キックボクシングの構えを取る壊し屋が、徐々に距離を詰める。密度を増す空間。交
錯する緊張感が、熱い火花を飛ばす。
近付く。近付く。近付く。
射程距離に、入る。
黒い拳が、消える。
エリには見えなかった、右ストレートが顔面へ、当たる。
その瞬間、吹っ飛んだのは、壊し屋の黒い身体。
ブンッッッ!! ・・・・・という空気の摩擦音が、ちゆりの耳をかするや、2mの長身は地響き
とともに、灰色の壁に激突していた。雑居ビルが震度2ほどで揺れる。
「へ?? ・・・・・・・・な、なに??」
「・・・『想気流柔術・気砲』・・・・・・」
何が起きたかわからぬ「闇豹」のつぶやきに応えるように、ユリが巨人を弾いた技名を告げ
る。それは、『新ファントムガール』、『黄色のファントムガール』がコウモリのミュータントを吹き 飛ばした技を彷彿とさせる技だった。
「・・・キヒッ・・・双子とはいえ、妹の方が断然強いってオチかよ・・・」
コンクリートに埋まったまま、壊し屋がうなる。ボサボサの髪の向こうで、無慈悲な眼光が青
白い炎を吐く。
「ならば・・・オレも久慈様から授かった力を、全開にさせてもらうぞ」
黒い霧が細長い全身から噴射され、嵐のような勢いで壊し屋を包んでいく。黒い龍となった乱
気流は天に昇り、猛烈な悪寒を周辺に撒き散らす。
天が揺らぐ。地が震える。分子が怯えて、空が戦慄する。
闇からの使者の誕生に、この地の生きとし生ける者全てが、恐れおののき固唾を飲む。
そして、空に湧いた黒点がひとつ―――
轟音に乗せて、壊し屋を媒介としたミュータントが、若者の街の降り立った―――
「エリ・・・・・・ちょっと待ってて・・・行ってくるよ・・・・・・」
姉を一瞥し、奥義を極めた武道家の娘が、瞳を閉じて仁王立つ。
やがて、白く発光した少女の身体は、光の粒子となって散乱して消えていった。
「お、おい! 『新ファントムガール』が出てきたぞ!」
日曜の午後を切り裂く、巨大な二体の戦士の出現に、若者の街・谷宿は、パニック状態に陥
っていた。いくら巨大生物が現れても、慣れることのないこの恐慌。無秩序な街は、“逃亡”とい う共通意識が芽生えることで、寧ろ統率された感がある。
我先にと駆け抜けていく津波の中に、しっかりと手を握った七菜江と吼介の姿があった。運
動神経に自信があるふたりは、混乱する群れを離れて、車道の真ん中に立っていた。宇宙生 物が襲ったときに、車を乗り捨てるのは、基本的なルールのひとつだ。無人の車が形成した小 道を、疾風となって走っていた足を、吼介が止めて振り返る。
光の粒子が合体して、銀と黄色の皮膚を持った、神々しい戦士を生み出していた。胸と下腹
部の水晶体が輝く。鮮やかなライトグリーンの髪は、後でふたつに束ねられている。スマートな モデル体型に合わぬ、幼い表情が、不思議な魅力を醸し出す。
「頼むぜ、黄色のファントムガール! さすがのオレも、宇宙生物には敵わないからな」
吼介のような“一般人”にも、マスコミを通じて『新ファントムガール』の呼称は浸透しつつあ
る。あるいは黄色のファントムガールというのが、定着しつつある名前だった。
だが、よもやその『新ファントムガール』の正体が、吼介もよく知る人物であることは、考えて
もいないようだ。
“な、なんで里美さんがあれほど注意したのに、ひとりで闘いを挑むのよ!・・・今度の敵は、
今までとは違うのよ!”
現れた巨大生物を一目見て、七菜江はこのミュータントの危険性を見抜いていた。
なぜなら、その姿は人間に近かったから。
しとどに濡れて黒光りする全身は、びっしりと細かい鱗に覆われている。頭頂に付いたボサ
ボサの黒髪の奥で光る、鋭い眼。大きく裂けた、真っ赤な口には上と下に、二本づつの青龍刀 を思わせる牙が生えている。その冷酷・無情な顔は、まさに蛇。だが、異様に長くとも、ハッキ リとした四肢がついた体は、どう見ても人間のそれだ。
蛇と人間の、キメラ・ミュータント。
苦闘を強いられた七菜江だからこそ、その正体を看破していた。
それだけではない。その人間体にも、おおよその見当がついていた。
長く細い身体と、寒気のする眼光。つい先程拳を交えた壊し屋以外に、誰が該当しよう。
鈍感であることに加え、宇宙生物と呼ばれているモノが、地球上の生命体が変化したものだ
と知らない吼介は、黒い魔獣の正体に気付いていない。緊迫した中にも、やや気を許したとこ ろがあるのは、ファントムガールが宇宙生物を倒すと信じているからだ。
よもや、自分が勝てないと断言した組み合わせだとは、思いもよるまい。
“先輩の言葉を信じれば、黄色のファントムガールはあの敵に勝てない! でも、私がトラン
スするわけにはいかないし・・・”
七菜江は変身することを、里美から禁じられているのだ。
それ以上に、吼介と一緒にいるこの状態では、トランスフォームしたくても出来るわけがな
い。師匠でもある男を守るには、離れたくはないが、それは逆に行動を限定することでもある。
「おや、奇遇ですなあ、藤木様! こんなところで何を?」
上品さを損なわない、低いトーンの大声が、七菜江を呼び止める。あまりにもタイミングのい
い登場をした、声の持ち主は、30m先からパリッとした黒のスーツ姿で駆け寄ってくる。
しかし、緊急事態の最中にしては、その間の抜けた挨拶は、あまりに不自然といえば言え
た。あざといまでのわざとらしさだ。
「あ、安藤さんッッ!? な、なんでここにいるのッッ!??」
若者の街には、あまりに不釣合いな登場人物は、そ知らぬ顔で唖然とするカップルの側に立
つ。
「いやあ、こんな偶然もあるものですなあ。さ、早く逃げましょう。大切な身を預かっている者と
して、藤木様を守る義務が、この老人にはございますゆえ」
空いている七菜江の手を五十嵐家の執事が握ると、反対側の手が同時に開放された。
その手の離し方が気になって、心配そうな瞳を、一歳違いの先輩に向ける。
「こ、吼介先輩?」
「よかったな、七菜江。あとは安藤さんと逃げろよ」
「え? せ、先輩も一緒に逃げようよ!?」
「オレはひとりで逃げるよ。里美から聞いてないか? オレは五十嵐の家とは、接触しない方
がいいんだ」
里美と吼介が姉弟―――
その驚愕の事実が、記憶の底から蘇る。その場その場の楽しさで、忘れたい事象に蓋をして
きたのだが・・・。背けられない現実が、七菜江の正面で冷笑している。
怪我した七菜江を送った時も、見舞いに来た時も、常に吼介がどこか遠慮がちだったのは、
決して思い過ごしではなかったのだ。どんな詳しい事情があるかはわからないが、吼介と五十 嵐家の間になにかがあるのは確実だった。台詞がそのことを暗示している。
「工藤様、あとは私にお任せを。ここまでお世話になりましたな」
安藤の言葉は丁寧だが、要するに「去れ」ということだ。
一瞬、なんともいえぬ複雑な表情を浮かべた男は、深深と一礼するや、猛獣の速度で駆け去
っていった。
「どうしました? そんな恐い顔で睨まれると、ジジイの心臓にはこたえるのですが?」
「・・・別にッ!! なんとなく、ムカムカしてるだけだよッ!」
「ですが、あの方が一緒ですと、何かとやりにくいのではありませんか?」
「わかってるよ、そんなことッ! でも、なんでこんなにタイミングよく現れるのよ!? さては
安藤さん、私達をツケてたんでしょッ!?」
口笛を吹きやがった・・・・・・
まるで挑発するかのような空々しさに、苛立ちが募るが、どこかトボけた老紳士の味に、心底
から怒ることが出来ない。そこまで読みきった、安藤の勝利だった。
「そんなことより、藤木様、早く行きますぞ」
「い、行くってどこへ・・・?」
答えず、柔らかな手を握ったまま、老紳士は人波とは逆方向に疾走する。
スーツに常に包まれているため、その肉体にどれほどの張りがあるかを、七菜江は知らなか
ったのだが、安藤の身体能力は老人の枠を遥かに超越していた。いや、現役の陸上選手と比 べても、遜色ないのではないか? あの七菜江がついていくのに精一杯な速さで、風を切って 走る。
不意に狭い路地に入る。谷宿に、こんな無機質な裏通りがあるのを、明るい世界で生きてき
た七菜江は初めて知った。迷路並の複雑な道を、ナビでもついているかのように、くねくねと曲 がって先導する安藤。
光が眼を射す。急に敷地が開けたのだ。
灰色のコンクリートに囲まれた空き地にでる。ほぼ正方形で、ボクシングなどで見た、四角い
リングを想起させる。その想像をさらに補完する匂い・・・・・血臭。
ひとりの少女が大の字で倒れている。鼻腔を覆う粘着質な匂いは、そこから噴出していた。
「エ、エリッッッ!!! こんな・・・こんなッッ!!」
3日前、圧倒的な強さを見せた可憐な少女は、あまりにも無惨な姿に変わり果てていた。
青黒く腫れあがった顔は、原型を留めぬほどに変形している。重ね着したティーシャツには、
大量の吐血がエプロン状に描かれている。左足が奇妙な方向に曲がっているのは、折れてい る証拠。
そして、最も残酷なのは、仰向けに倒れるエリのお尻が、完全に上を向いていることだった。
上半身と下半身が、180度、完全にひねられている。
ウエストには、アメのような、吐き気を催す捻り。
内臓が無事であるわけはなかった。
「な・・・なんでッ・・・・なんでこんな・・・・・・だから、ひとりで闘うなって・・・」
ボロボロと涙が止まらない。
崩れるようにエリの側に座った七菜江が、白い手を強く握る。奇しくも以前とは、全く逆の姿
だった。
「安藤さんッッ!! 早く救急車をッ!!」
「いま、緊急治療班がこちらに急行しています」
「・・・・・・ナ・・・・ナエ・・・さん・・・・・・ご・・・めん・・・・・・・なさい・・・・・」
意識はまだあったようだ。ゴボリと血の泡を吐きながら、か細い声がエリの薄桃色の唇を割
って出る。
「いいッッ!! 喋んなくていいッッ!!」
「おね・・・・がい・・・・・聞いて・・・欲しいこと・・・・・が・・・・・・・」
力一杯手を握り、頷く七菜江。水底に沈んだエリの顔は、もうよくわからない。
「ファントムガールは、ユリの方だったんだね・・・」
「15歳の誕生日・・・・私達は・・・闘い・・・ました・・・・継承者を決める・・・・闘い・・・・・・」
息をするだけでエリの五体に電撃が走っているはずだった。それでも少女は、必死の想いで
語り続ける。
「私は・・・ユリの肋骨を折り・・・・・ユリは私の・・・腕と足を破壊し・・ました・・・・勝ったのはユ
リだけど・・・・・その時の私の・・・・悲鳴と・・・・骨の折れる・・・音・・が・・・・・・忘れられず に・・・・・・本気で人と・・・闘えなくなって・・・・しまった・・・・んです・・・・」
ユリが神崎ちゆりに見せた弱さは、生来の気質以外の理由があったのだ。
道場の稽古や、ちょっとしたいざこざ程度ならいいが、命の遣り取りに近い攻防となると、トラ
ウマにより、ユリは闘えなくなってしまう身体になっていた。
万が一にも正体がバレないよう、姉妹で髪型を変えていたのはそのためだ。敵に急襲された
時、ユリでは闘えないまま、殺されてしまうかもしれない。また、里美たちの仲間となるのを拒ん だ、最大の理由もそれだった。ユリ自身、危うくなるだけでなく、里美や七菜江の足手まといと なる可能性も高いのだ。ユリにやる気があっても、事情を知るエリには到底許可できなかっ た。実際に命を狙われたエリだけに、ユリの楽観的な考えに腹が立つこともあった。
「ユリが・・・・・・本気を出せるのは・・・・・・私が許可したときだけ・・・・そんな・・・ふたりでひと
つの・・・・・・中途半端な・・・・・ファントムガール・・・・・」
ドカドカと迷彩服姿の男たちが雪崩れこんでくる。
政府が派遣した、特殊部隊のレスキュー隊が、手際良く無残な少女の身体を運んでいく。恐
らく、全ては知らされず、駒として忠実に任務を果たすよう、仕込まれているのだろう。跪く七菜 江には眼もくれず、瀕死のエリを担架に乗せる。
「だったら尚更・・・仲間になって欲しいよ・・・」
霞む泣き声は、エリに届いたのだろうか。
一雫の美しい結晶を残して、重体の少女は連れられていった。
銀と黄色の輝く戦士と、黒く長い蛇男。
『新ファントムガール』とキメラ・ミュータントが、対峙したまま睨み合いを続けている。
構えは共に、人間体の時と同じ。開手の自然な型と、ムエタイの型。
「破壊劇の前に、名を名乗っておこう。『サーペント』と呼んでもらおうか。さて、そちらはどう呼
べばいいかな? 『新ファントムガール』といった適当な名でよければオレは構わんが、名もな く死ぬのも嫌だろう」
無垢な少女の面影を、強く残した光の戦士は、しばらく考えた後、父性をくすぐる子猫のよう
な声で、つぶやく。
「・・・ユリア。『ファントムガール・ユリア』が私の名前です。あなたを倒す者として、覚えておい
てください」
「キヒヒヒィィッッ!! 笑わせる小娘だ! これは壊し甲斐があるな」
言うなり、右の前蹴りが、美少女の形容に相応しいマスクに飛ぶ。
元々異常に長い四肢が、蛇との融合を果たして、今までの倍以上に伸びる。まさしく黒い槍。
その神速の一撃を、しかし天才武道少女が変身した、ファントムガール・ユリアは捕えることに 成功する。
蹴りの勢いをそのまま利用し、足首を支点に恐ろしいまでに長い魔獣を、一本背負いのよう
なダイナミックさで投げ捨てる。
企業名を書いた看板が吹き飛ぶ。乗り捨てられたタクシーが引っ繰り返る。粉塵吹きすさぶ
旋風が起こる。
華奢な体格に似合わぬ、豪快な投げを披露したファントムガール・ユリアだが、銀のマスクは
涼しい顔をしていた。
西条ユリの駆使する『想気流柔術』は、合気道に実によく似た技術体系である。力に頼るの
ではなく、関節を極め、その激痛によって敵をコントロールする。投げるというより、“自ら投げ られる”ように仕向けるのが、その技の真髄だ。女性としても、非力な部類に入るユリが、超人 的な力を発揮できるのも、そういった武術の特徴からだ。
いかにスムーズに技を掛けるか、繰り返される反復練習のみが、強さを造る。そして、最終
的に行き着く先は、“気の流れ”ということになる。
次期『想気流柔術』の継承者でもある西条ユリのレベルは、達人と呼んで差し支えないまで
に昇華されていた。姉のエリにはできない“気の流れ”を掴むことが、ユリには可能だ。壊し屋・ 葛原の打撃を眼で捉えることは、ユリにもできなかったが、“気”を掴むことで技を掛けられた のだ。
「やっぱり、ユリちゃんは凄い! 吼介先輩、あんなこと言ってたけど、全然強いじゃんッ!」
「全然」の使い方を誤った七菜江が、危険地帯からやや離れた場所で激闘を見守る。どんな
に胆の座った人物でもとっくに逃げ去ったこの街で、オールバックの初老の紳士と、小麦色の 肌が白の上着越しに透けた女子高生だけが、巨大な死闘の観戦者だ。
「しかし、『ユリア』とは、西条様も危うい名前をつけなさいますな」
「けど、新~とか、黄色の~よりはいいよ。多分、ユリアンっていう女ウルトラマンから、名をと
ったんだね」
「なるほど。藤木様は、よくそんなことをご存知ですな?」
視線を銀の戦士の合わせたまま、七菜江は呟いた。
「ウルトラマンのこと、研究したからね。ユリちゃんも、きっと同じだと思う」
そのユリは、黒い蛇人間と二撃めを交わすところだった。
大きく円を描くブーメランフックが銀の頬に直撃する寸前、魔獣は大砲で撃たれたように弾き
飛ぶ。10階建てぐらいの雑居ビルの群れに、雪崩れこんでいく、黒く長い影。
掌を見せて両手を突き出すユリアの格好は、『気砲』を放った証だ。
合気道にはズバリ『合気』という名の奥義があるという。敵の気の流れをそのまま敵に返して
吹き飛ばすという、文字通りの離れ業だ。『想気流柔術』でいうところの『気砲』が、どうやら『合 気』のことであるらしかった。
無論、普通の人間はおろか、50年修行しても、会得できる保障のない究極の奥義である。
それをわずか15にしてマスターした、西条ユリという内気な少女が、いかに天に愛されている か、雄弁に語られた技といえた。
ガラガラと瓦礫を崩して、魔獣サーペントが立ち上がる。蛇の柔軟性を身につけた怪物にと
って、打撃技は致命傷たり得ないのだ。銀の戦士は敵の態勢が整うまで、自然な構えのまま 待っていた。
「キヒヒヒヒ・・・甘いねぇ・・・なぜ倒れている時に、襲ってこない?」
黄色の聖なる少女は、黙ったまま応えない。今のユリアは本気であるが、それでも倒れた者
に追い討ちを掛けるという発想は、天才武道少女にはなかったのだ。
「大したもんだ、小娘。だが、お前では、オレには勝てん」
ゆらり・・・と黒い影が揺らぐ。愛くるしい少女戦士との距離が縮まっていく。
ムチとなってしなった右足が、ハイキックを放つ。左腕をあげてガードするファントムガール・
ユリア。
「あッッ!!」 藤木七菜江が叫ぶ。
切迫した七菜江の声が届くはずもなく、次の瞬間には、脳震盪を起こして崩れ落ちる、銀と黄
色の戦士の姿があった。
長く、柔らかい魔獣の足は、ガードした腕を回り込むようにして、ふたつに結んだ緑髪の後頭
部を強打したのだ。延髄を激しく叩かれ、昏倒するユリアの姿が、つい先程の自分とかぶる七 菜江。
地に落ちようとする美少女の顔面を、サーペントの長い腕が、アッパーカットとなって吸いこま
れる。七菜江が間一髪で食わずにすんだ攻撃。
グシャアアアアッッッ・・・
ユリアの顔左半分が潰れる。倒れかけた身体が、もう一度元に戻る。
ふっくらとした頬は腫瘍のようになり、薄めの唇からは血が滴る。いったん消えた瞳の青色
は、再び点灯している。衝撃により失神から覚めたのだ。
その瞳を潰さんと、二本貫き手の両腕が、迫る。速い。それでも手首を捕えるユリア。
「!!」
関節を極めたはずの腕が、両方ともズルリと伸びる。
蛇と融合したサーペントの腕は、皮膚がヌメるだけでなく、伸縮が可能なのだ。対人間用とし
て想定されているユリアの柔術は、この魔獣相手には、通用しない。
「かかったな、小娘。いままでわざと投げられた甲斐があった」
伸びた腕が、聖少女の細い腕に螺旋に絡みつく。力の差をまざまざと示して、簡単に広げら
れるユリアの腕。黄色の守護天使が、大の字に囚われる。
「うくッッ!!・・・うッッ!!・・・・・・ううぅッ!・・・・・」
スマートに伸びた肢体を、必死でくねらせるユリア。おとなしい彼女の口から、脱出を試みる
苦しげな呻き声が洩れる。しかし、己の非力さをただ思い知らされる結果に、焦りが募るばか り。
「キヒヒ・・・・カワイイ顔じゃないか、ユリアとやら・・・。さて、双子の姉と同じ悲鳴かどうか、確
かめてやるか」
真っ赤な口腔が囚われの少女の眼前で開かれる。
巨大な二本の牙から、緑の毒液がピシュッと噴射される。動けぬユリアの小さな顔を、毒液
が撃つ。
「きゃああああッッ―――ッッ!! め、眼がアアぁぁッッ――ッッ!! 眼が痛いィィいッッ―
――ッッッ!!!」
狂ったように顔を振り、暴れ回る銀の戦士。幼少のころよりの修行により、滅多な苦痛では
声をあげぬユリが、あられもなく叫ぶ。だが、サーペントの細い体躯に秘められた怪力が、少 女戦士に一分の自由も許しはしない。
苦痛に溺れる少女の悶えを、両手から伝わる振動で舐め取りながら、魔獣の追撃が、幼い
少女戦士を破壊に追いやる。
今度の攻撃は、前蹴り。だが、狙った場所は、華奢なユリアが耐えるにはあまりに辛い、身
体中がバラバラになりそうな大ダメージを受ける箇所。
ファントムガール最大の弱点・胸の水晶体エナジークリスタルに、巨大な銛で射抜く衝撃が襲
う。
「ふあわあああああッッッ――――ッッッ!!!!」
絶叫を撒き散らして、宙を浮遊する黄色の戦士。かつてこれほどまでに、痛みによって叫ん
でしまうことが、この生まれついての武道少女にあっただろうか。全身を放電しているかのよう に稲妻が走るのは、エネルギー庫への攻撃を受けたことで、光のパワーが洩れ出てしまって いるためだ。ろくに受け身も取れずに、ビルの谷間の道路へ落ちる。
「あく・・・・あはぁッ・・・ああ・・・・・はぁぁ・・・・・」
自らを抱き締め、細い肩が震える。うずくまったまま、ユリアは立てないでいた。
かつて、味わったことのない、壮絶なる激痛。エナジークリスタルが弱点だとは、なんとなくわ
かっていたが、まさかここまでの苦痛を与えるものだとは・・・。全身の筋肉・神経・細胞・骨・血 管・皮膚が、分断されていくようだ。クリスタル自体は固い水晶体であるため、壊れるどころか 傷ひとつないが、もし壊されたら、間違いなく死ぬのは容易に想像できる。
背後に気配が湧く。壊し屋が、その本領を発揮して、破壊活動を始めようとしていた。視界を
失っても、圧倒的な瘴気によって、魔獣がこれからやろうとしていることが手に取るようにわか る。
わかっていても今のユリアは、どうにもできなかった。全身を縛る破壊の残滓。エナジークリ
スタルへの攻撃は、いまだに少女戦士を激痛に捕えていたのだ。
黒い魔獣が銀の少女に覆い被さってくる。助けを乞うような少女の表情は、まさにレイプされ
かけた女子高生のものだ。黄色の戦士が、黒いうねりに飲まれていく。
ヌメッた体皮が股間をすり、小ぶりな膨らみを包む。ねっとりと動く感触が、巨大な処女を刺
激するが、開発されていないユリアにとって、官能に溺れるようなものではない。あどけないマ スクは、時折襲う電流に歪むが、屈服までには到底余裕が有り余っていた。
「キヒヒヒ・・・なんと脆く、細く・・・そして清らかな身体だ・・・存分に味わい尽くしてくれるぞ、ユ
リア・・・」
「こんなことで・・・・屈すると思ってるんですか?・・・」
おぼろげに視界が戻りつつあった。寝技は『想気流柔術』の得意とする分野ではなかった
が、超速度の打撃を相手にするよりは与しやすい。反撃を試みようとする、華奢な少女。だ が。
グルリと肢体が仰向けにされる。身体の下には、黒い魔獣。その両手両足は、それぞれ蛇
のように螺旋状にサーペントの四肢に絡みとられている。大の字に磔にされたファントムガー ル・ユリアを、処刑の声が嘲笑う。
「キヒヒヒヒ! お前のような小娘なぞ、犯し飽きとるわ! お前は破壊し尽くすと言ってるだろ
う」
性感を責めるように思われた、蛇の動きはフェイクだった。少女の四肢を狙いに定め、破壊
への準備を着々と進めていたのだ。
「あッッ!・・・・ううッッ!・・・・・あああッッ!!」
「ムダだ、ムダだ。技は切れるが、貴様の腕力は普通の女どもとほとんど変わらん。こうなっ
ては、実に脆い操り人形」
少女らしい顔が歪む。歯を食いしばり、必死で脱出を試みるユリアだが、首と腰が微かに動く
だけで、その非力さがより強調されるのみ。
「いい声で鳴け、ユリア」
ブチイッブチブチブチブチブチブチイイッッッッ!!!!!
黄色の少女戦士の四肢が、一斉に引き伸ばされる。
関節が外れ、筋繊維や皮膚が千切れる音が、処刑場と化した若者の街にこだまする。鈴の
音のような悲鳴が、それに続いて鳴り響く。
ファントムガール・ユリアの体長が約53mほどなのに対して、魔獣サーペントは全長80mく
らいもあるのではないか。その差を埋めるまで、ユリアの四肢は強引に伸ばされたのだ。いか に悲劇的状況に陥ってしまったかは、想像できよう。
「ア・アアアア・・・・・・があああッッ・・・・・・あふはあッッ・・・・・ア・ア・・・あくがッッ・・・・」
虚ろな瞳の聖戦士が、背中を反り上げて身悶える。どんな痛みにも、辛い表情をしないよう、
訓練されてきたはずだったのに・・・壊し屋の嗜虐は、そんなユリの培った努力を、嘲笑うように 蝕んでいく。可憐な少女の面影を、色濃く残した守護天使だけに、その苦痛に喘ぐ姿は哀れを 誘う。
事実上、四肢を失ったユリアに逆転の目はない。いや、動くことすらままならないのが、現状
だ。
黒い壊し屋にとって、それは最高の状態といえた。
「キヒヒヒヒ! 姉以上に酷い姿にしてくれよう、ファントムガール・ユリア! 嬲り殺しだあッ
ッ!!」
肩と股関節を脱臼し、這うことすら叶わぬ少女に、馬乗りになる黒蛇。
腕が銀色の二の腕に迫る。だが、その腕は普通の腕ではない。
ガブリッッッ・・・
「ひやあああああッッッ――――ッッッ!!!」
たまらず絶叫する声は、正統派アイドルらしいルックスに合わぬ、のっぴきならないものだっ
た。
サーペントの腕は、手首から先が蛇の頭になっていた。爪は緑の毒に塗れ光った牙。手の甲
だったところには、赤く小さな眼まである。その蛇が、少女戦士の腕の柔肌に噛みついたの だ。
サーペントは、その手足まで蛇に変化することができる、特殊なトランスフォームをするのだ。
四匹の蛇は、二の腕と太股の内側の柔らかい部分に長い牙を突き通し、動けぬ美少女を更な る痛苦の海に沈める。
「ふわあああッッ・・・ひぎやああああッッッ―――ッッッ!! わあああッッ・・・わあああッッ―
――ッッッ!!!」
「キヒヒヒ! キヒヒヒヒ! どうだ、オレの毒の味は? これほど痙攣するとは、相当気に入
ってくれたようだな。キヒヒヒヒ!」
ビクビクビクビクビクビクビクビクビクビク・・・
注入される毒液が、細胞を腐らせる絶苦に、聖少女のモデル体型が拒絶反応を起こしての
たうつ。襟足でふたつにまとめた緑の髪が、弱々しく震える。ユリアは、首を起こして、自分を 苦しめる魔獣を、なんとかその瞳に焼きつけようとしていた。意味はなかった。単なる意地だっ た。
「さて、トドメはどこを噛まれたい?」
ボサボサの髪の下で、真っ赤な口がガチガチと噛み合わされる。その真意を悟ったユリアの
銀のマスクが、心なしか、青ざめていく。
「やはり、一番の弱点を噛み砕いてやるか。キヒヒヒ・・・」
「や・・・・やめ・・・・・・・・」
かぶりを振るユリア。その銀色の表情が、少女が泣いて懇願していることを告げる。
西条ユリはいくら鍛えられているとはいえ、生来が内向的な少女だ。度重なる黒い魔獣の嗜
虐に、闘う気持ちは折れかけていた。
そんな心情を見破ったかのように、黒蛇は青く光る水晶体に、その尖った牙を突き立てる。
「キャアアアアアアッッッッ――――ッッッ!!!!!」
エナジークリスタルの硬度は、他のどの部分よりも硬い。最大の弱点を晒しているのだから、
その分防御力が高くなっているのは当然だ。蛇の牙ごときでは、実際にはヒビひとつ入りはし ない。
だが、鋭利な刃で強く圧搾されるのは、とんでもない痛みとなって、百合のごとき少女に斬り
かかる。ふ菓子に群がる鯉のように、猛獣の牙が守護天使の銀の肌を食い破る。そんな幻覚 に囚われるほど、激しい痛みがユリアを襲う。
「あッあひゅうッッ・・・・うぎゅッッ・・・・ぐひゃあああッッッ・・・・・・・」
もはや悲鳴とすら呼べない喘ぎ。洩れ出る苦悶は、とどまることを知らない。身体を滅ぼされ
る激痛に、内気な少女が屈していく。
「も、もう我慢できないッッ!! あたしが・・・あたしがッッ!!」
「あなたが何をするおつもりですか? 藤木様」
駆けだそうとする、七菜江の腕を掴んだのは、落ち着いた口調の老紳士だった。
「離してッ、安藤さん! 助けにいくに決まってるでしょッ!」
「お嬢様との約束を、お忘れではありませんでしょうな」
「・・・だ、だけどッ!」
エナジークリスタルを責められる地獄は、体験した者にしかわからない。七菜江には、西条ユ
リがいかなる業火に焼かれているか、細胞が怯えるまでに身に沁みてわかった。このままで は、ユリア、いや西条ユリの精神が肉体より先に壊れてしまう。
怒りと悲しみで、頬を真っ赤に染めた少女にとって、確かに尊敬する里美のことばは絶対
だ。だが、だからといって目の前で、“仲間”が殺されかけているのを、見過ごすわけにはいか ない。いや、できない。己を犠牲にしてでも仲間を救いたがるのは、五十嵐里美の専売特許で はない。
そんな七菜江の耳に届いてきたのは、カチャリという、乾いた音だった。
「あ、安藤さんッ! なに、この手錠はぁッッ!?」
「これでトランスフォームできませんな。『エデン』はこれでも拘束されていると判断するでしょう
から」
捕まっている状態では、『エデン』はトランスフォームを許さないのだ。実際に巨大化すれば、
こんな手錠の拘束など、簡単に振りほどけるはずだったが、そういった理論は『エデン』には無 効だった。
「鍵は屋敷に置いときました。これでしばらく、藤木様とジジイは一蓮托生ですな。あなたがこ
ういう時に、じっとできない性格であることぐらいは、私は知ってるつもりでございます」
「だッ・・・でッ、でも、このままじゃあ、ユリちゃんが死んじゃうよッ! そうなっちゃったら、遅
いんだよ!」
「そうなれば、そこまでの運命です」
執事のことばはあまりに平然と言い放たれた。取りようによっては、冷酷と映るほどの淡々と
した口調。直情型の七菜江がカッとしたのも無理はない。
「なんでそんな簡単に運命だなんて言えるのッ!? 安藤さんがそんなに冷たい人だなんて、
思わなかったよ!」
肩をいからせて激昂する少女のショートカットを、ポンと優しく執事の細い指が叩く。
――なぜだろう?
七菜江の脳裏には、会ったことのない父親に、褒めてもらった記憶が蘇る。あれは2才か3
才だった。夕陽の中で、お帰りの挨拶をする父親。腰を下ろして小さな七菜江に視線を合わ せ、頭を撫でてくれた。あの時と同じ感覚が、不意に思い出されたのはなぜ――? 執事の紳 士は、七菜江の父親に似ていたのだろうか。それとも、少女は、この老紳士に父親像をダブら せていたのか。
わからない。ただ言えるのは、執事の指は、少女を冷静にさせたということだった。
「私は確かに冷たい人間です。ですが、今回はちょっと違うのですよ」
「ど、どういうことですか?」
ニコリと微笑む皺のある顔は、凄惨な光景が目前で広がっていることを考えれば、不釣合い
だったかもしれない。
「信じているのです。西条様が我々の仲間になる方ならば、必ずやこの苦境から救われるは
ずだと。藤木様も信じてあげなさい。西条様と、運命を」
ハッとした七菜江は、老執事の目線を追って、再び巨大な死闘に眼をやる。
そこには冷酷な現実が待っていた。
銀と黄色の少女戦士は、5箇所を噛みつかれ、さらに毒を注入されて、断末魔に震えてい
た。
毒といっても、死に至ることはない。ただ。猛烈な痛みが襲うだけだ。しかし、ユリアはその激
痛の海に沈みかけているようだった。泥に汚れた銀の皮膚が、少女の悶絶ぶりを物語ってい る。
「あ・・・・ああ・・・・・・あ・・・・・・・」
「キヒヒヒヒ・・・どうやら己の死が、理解できてきたようだな・・・」
捨て台詞を残すや、腕や太股の柔肉に噛みついていた蛇が、一斉にその肉を食い千切る。
紅い華が4つ、銀の肢体を彩る。噛み跡から噴射した血が、灰色の地面に流れていく。
「キャアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!!」
「キヒヒヒヒ! こりゃあ美味い! ファントムガールを食い殺すってのも、いいかもしれんな
あ!」
笑うサーペントの腕の蛇が咀嚼している。銀色の肉片を。牙の隙間から覗いているのは、紛
れもない銀の戦士の光輝く皮膚。
食われている。食われているのだ、ファントムガールが。人類の希望・ファントムガールが、
卑しき蛇の魔獣に食われているのだ。
ショッキングな映像に誰よりも打ちのめされたのは、当の本人であった。グッタリとした幼さの
ある少女は、ビクともせずに魔獣の足元に平伏している。その曝け出した黄色の腹部を、本物 の口も含めた、5つの蛇が噛み付く。
「イヤアアアアアッッッ――――ッッッ!!! もう、やめてェェェッッ―――ッッ!! お願い
ですッッ!! もうやめてくださいィィッッッ!!!」
腹部を走る激痛。返り血を浴びた蛇に、泣き喚くという表現がピッタリくる様子で、懇願するユ
リア。銀の肌は血でドス黒く染まり、哀れさが一層強調される。
だが、破壊欲だけが、行動原理の全てといって良い魔獣に対して、その言葉は寧ろ逆効果
だった。
すぐに噛み千切らず、腹部の肉を、何度も何度も噛み砕く。5つの口で、集中的に。泉のよう
に血が溢れても、構わずに柔らかな肉を貪り、嬲り続ける。
「くはあああッッッ・・・・・があああッッッ・・・・・ぎゃああああ・・あ・・・あ・・・アアッッ・・・」
「姉の仇だなんだと言っても、所詮弱者は弱者。文字通り、肉となれ、ファントムガール・ユリ
ア」
噛み千切られる、銀と黄色の肉片。
ユリアの腹部が朱色の肉に覆われる。わざと見せびらかすように、口腔内の銀の皮膚を、動
けぬ少女戦士に見せる魔獣。しかし、関節を脱臼し手足を破壊されたユリアには、なんの反撃 もできない。
「お願い・・・ですッ・・・もう、やめて・・・・・・ください・・・・・」
ヒクヒクと痙攣する聖少女が、必死で助けを乞う。つい数分前には、生意気に立ち向かってき
た少女の、残酷なる末路に、黒い壊し屋の胸が躍る。さて、どう始末するか? このまま食い 尽くすのが、最も惨めな正義のヒロインの敗北になるかもしれない。
「せめて・・・・顔だけは・・・もう、殴らないで・・・・・・お願いです・・・・私も女のコだから・・・・・・
キレイに・・・・・・死にたい・・・・・・」
その言葉が、ユリアの処刑方法を決定づけた。
左の腕が、緑色の髪を鷲掴み、スタイルのよい銀戦士を吊り上げる。髪が引きぬけそうな痛
みに、整った顔立ちが歪む。髪の毛を押さえたいところだが、肩を脱臼しているため、ただぶら 下がることしかできない。
「あッ・・・あッ・・・な、なにを・・・・・・・顔は・・・顔はやめて・・・・・・」
「キヒヒヒヒ! とことん甘いお嬢ちゃんだぜ!」
泣き叫ぶ獲物の悲鳴こそが、壊し屋・葛原修司の空腹を満たす。
やめて、と言われれば、そこを攻撃するのが魔獣サーペントの習性なのだ。相手の嫌がるも
のを与えることが、この狂った暴虐者の基本姿勢であることから考えれば、純朴な少女の言葉 がなにをもたらすかは、わかりきったことであった。
ジェットコースターの速さで、風を裂いて黒いアッパーカットが銀のマスクを打ち抜く。
芋虫と成り果てたユリアに、よける手段はない。酷いまでに顔面にめりこんだ拳が、笑顔の
似合う少女らしい美形を潰し、細い身体を宙に舞わせる。泥まみれの顔から血を吐きつつ、弓 なりに反った聖戦士の肢体は、真っ逆様にアスファルトに落ちていく。
肩から落ちた少女戦士の身体が、「ボキリッッ」と鳴る。
土煙の中、微かに動く銀と黄色の皮膚。ユリアはまだKOされてはいなかった。苦しげな背中
には、しかしまだまだ諦めの文字は浮んでいない。再び「ゴキリッッ」という、鈍い音が響く。
顔は殴らないでと言えば、顔を殴ってくる壊し屋の性分は、武道少女には読めていた。だか
らこそ、わざと殴らせた。細長い身体に秘めた力からすれば、ユリアの肢体は確実に宙を舞う ことになる。そうなれば。
「き、貴様、もしや・・・」
ユリアの目論みに勘付いた魔獣が、小刻みに震える銀の背中に殺到する。この小娘、弱気
そうに見えて、勝負を捨てていなかった――
グルリと反転する黄色の天使。今までの瀕死ぶりが、嘘のようなスピードで。その両手が、動
いている。
落下を利用して、脱臼した肩をユリアは入れたのだ。顔の右半分腫らすのと引き換えに。腕
一本が正常になれば、もう片方は自力で入れられる。伴う激痛は半端でないが、その程度の 克服が出来ぬほど、西条ユリは弱くはない。
無防備に突進してくる黒蛇を、両手が迎える。関節技は、この特殊生物には効かない。奥義
『気砲』は、下半身が使えねば発射不能だ。十分な勝算を持って、勢いを止めぬ魔獣に、ユリ アの迎撃方法はあるのか?
左手を地面と水平に曲げ、身体の前面へ。その手首部分に、右手を地面と垂直に曲げて、
上から重ねる。
クロスを描いた、両手のその形は、巨大戦士に詳しい者なら、誰もが知る“あの技”の形。
「スペシウム光線ッッ!!」
ファントムガール・ユリアの腕から、“あの”必殺光線が、全く同じ様子で放たれる。
白い迸りが、黒い魔獣を撃つや、閃光とともに爆発して弾き飛ばす。
己がファントムガールになったことを知った西条ユリは、姉のエリとともに、「ウルトラマン」の
ビデオを見て、闘いのヒントを探ったのだ。見よう見真似で放った技だけに、本物と同じ効果は 期待できないが、戦闘の幅を広げるには十分な威力だ。
白煙をあげる蛇が、立ちあがってくるまでに、股関節を入れなければならない。幼きころから
脱臼・骨折など当たり前だったユリにとって、股関節という難しい箇所の脱臼も、入れるのはひ とりで可能なのだ。膝を両手で持って、力をこめる。
できなかった。
光の放射に苦しんでいるはずの魔獣は、平然と立ちあがり、尻餅をついた格好の銀の戦士
を睥睨していた。
「なッ・・・ス、スペシウム光線ッ!!」
再度両腕をクロスし、伝説の光線を放つファントムガール・ユリア。
魔獣・サーペントの顔と両手にある、3つの蛇の口から吐き出された漆黒の光線が、正義の
白光を迎え撃つ。
光線技はよりイメージが強いほど、強力になる。それが互角ならば、正・負のパワーを多く秘
めた方。それも互角ならば、体力の差が光線の力の差になる。
ユリアとサーペント、両者の受けたダメージの差が、勝敗を決定付けた。
幾多の怪獣を葬ってきた、伝説の光線は弾け散り、名も無き暗黒の光線が、真っ向勝負に
敗れた光の戦士を直撃する。
「ッッッッ―――ッッッ!!!!」
光と闇は相反する力。暗黒の光線は、光の戦士にとって、最も脅威となる破壊をもたらす。
魂を握り潰される激痛と、完全に力負けしたショックで、心を暗く塗りつぶされていくユリア。
無言で悶える少女戦士に、容赦ないトドメの黒光が浴びせられる。
「うわああああああッッッ―――――ッッッ!!!!」
溶岩に沈められた罪人が、苦しみもがくように、自由になった両腕を宙にさ迷わせるファント
ムガール・ユリア。五指が開ききり、折れ曲がった指が、地獄の猛火に灼かれる辛さに空間を 掻き毟る。
苦痛を表現する両腕の形のまま、少女戦士はゆっくりと、大地に沈んでいった。その胸のクリ
スタルが、ヴィーンヴィーン・・・と切なげに鳴り始める。
闘いが始まって、15分も経たぬうちに、華奢な銀の新戦士が、そのエネルギーを枯らして死
に絶えようとしている証拠だった。
“エ・・・リ・・・・・・ごめ・・・ん・・・・・・勝てなかっ・・・・・・た・・・・・・”
銀と黄色のボディは、噛み千切られた跡から流れる血と、這いずり回って付いた泥とで、ドス
黒く覆われていた。青い瞳に灯火が揺れ、力尽きたその身体は、ビルの谷間の道路に、敗北 した姿を横たえている。仰向けに倒れた聖なる戦士の前に、残酷な処刑者が、抑えきれぬ破 壊衝動を眼光に宿して立つ。
「キヒヒヒ・・・食い殺されるか、クリスタルを破壊されるか、どちらがいい?」
ヴィーン、ヴィーンという、水晶体が点滅する響きだけが、哀しく届く。ユリアに答える言葉は
なかった。いずれにせよ、激しい苦痛の牙に食い破られる定めであることは、悲壮な少女はよ く悟っていた。
「よし、食い殺してやろう、ファントムガール・ユリア」
死を受け入れるかのように、身じろぎひとつない銀の戦士に、黒蛇の凶悪な牙が襲う。その
仄かな胸の双丘をめがけて――
光が爆発する。
虹色の乱反射から涌き出る、聖なるエネルギーの突風に煽られて、巨大な蛇が吹き飛ばさ
れる。倒れた光の戦士を守るように現れた、輝く粒子が結集し、眩い後光の中、美しい女神の 像となって凝固する。
銀色の皮膚、紫の文様、陽光を跳ね返す艶やかな茶色の髪。横から見た、腰から背中にか
けて反りあがったラインと、正面から見た、くびれた脇腹から急角度で膨れ上がる腰骨へのラ インが、絶妙に美しい抜群のスタイル。胸の中央と、下腹部に光る青の水晶体が、瑞々しく輝 いている。
静かな青い瞳に、魔獣の所業への怒りをたたえ、五十嵐里美=ファントムガールが、佇んで
いた。
5
「里美さんッ、お願い、こいつをやっつけて!」
右手に掛けられた手錠を、引き千切らんばかりの勢いで吼える七菜江の願いは聞こえずと
も、里美にはそれに応える覚悟が十分あった。
新戦士・ユリアを蹂躙し、破壊欲に餓えた魔獣を、なんとしてでも倒さねばならない。藤木七
菜江に変身を封印させた以上、里美がやらねば誰がこの星を救えるのか。
「ファント・・・・ム・・・ガー・・・ル・・・・・・・」
消え入りそうに呟くユリアの上半身を起こすファントムガール。サーペントの恐るべき技によっ
て、無理矢理伸ばされた体は、あちこちの関節が外れており、下半身に至っては股関節・膝関 節・足首と全て脱臼して、完全に破壊されていた。人形を思わせる美形は潰され、手足と腹は 食い破られて、3人のファントムガール中でも、もっとも可憐な少女は、あまりに惨めな姿に変 わり果てていた。
「ごめん・・・・・・な・・・・・さい・・・・・」
呼気のような微かな言葉。それは、敗れたことに対してか、ひとりで闘ったことに対してか。恐
らく後者であることを察した里美は、ミルクのように温かく、優しいことばをかける。
「いいのよ・・・こんな酷い目に遭って、よく頑張ったね」
銀の唇が小刻みに揺れる。胡桃に似た瞳からは、見えない涙がこぼれていることを、里美は
知っていた。
「あとは私に任せて。ユリアは早く変身を解いて、休んで・・・」
ふたつに髪をまとめた戦士の瞳が、大きく見開かれる。
ファントムガールの後蹴り。不意をついて襲おうとした黒蛇のどてっ腹に、紫のブーツが突き
刺さる。ユリアの瞳の変化で、危険を察知した守護天使の、見掛けに寄らぬ力に、長大な魔獣 がもんどりうってビル群に雪崩れる。
「ファントム・リングッ!」
紫のグローブに現れた光のフープが、一気に決着をつけるべく、うねる鱗へと飛んでいく。邪
悪を切断する正義の光輪が、魔獣に向かって死を運ぶ。
信じられない光景が、ファントムガールの青い視界に刻まれる。
しなったサーペントの右足が、リングを廻し蹴りの要領でサイドから叩いたのだ。その打撃力
で、聖なるリングが木っ端微塵に粉砕される。
「!!」
「キヒヒヒヒ・・・遠距離からの攻撃なら、勝てるとでも思っていたのか?」
ユリアと魔獣との死闘は、ここに向かう途中で見ていた。壊し屋・葛原修司が媒体となったサ
ーペントの打撃は、あまりに早く強烈で、里美の手に余るというのが、冷静な判断の結果だっ た。倒すには、あの長い手足が届かぬ距離からの、光線技か、ファントム・リングと考えていた のだが・・・
魔獣の力量は、予想の範疇を遥かに凌駕していた。
葛原はきちんとした格闘技は習っていないというが、壊し屋として死と隣り合わせの修羅場を
くぐった男の経験は、並ではなかった。ナイフなどの得物を持った命知らずとやりあうことなど、 日常茶飯事だった。危険な武器を破壊する技術は、本物の武術家を上回っているかもしれな い。
にじり寄る魔獣。それに合わせて、ファントムガールの長い足が下がる。両者には相当な距
離が開いているが、黒蛇の射程距離に入れば、勝ち目がほとんど無くなるのは、里美自身が よく理解している。素手での闘いなら、自分より遥かに強いユリが、ほぼ何もできずに破壊され たのだ。距離を詰められれば、それは即ち敗北への階段を転げ落ちることに繋がる。
簾のような髪の奥で、蛇の真っ赤な口が、ニヤリと笑う。
長い足を器用に畳むや、渦を巻いて細い長身を折りたたんでいく。見上げる高さの黒い槍
は、三層に積み重なった小山となった。とぐろを巻いたのだ。
「うッ!」
それが襲撃用の姿勢であることは、ファントムガールには一目瞭然だった。
反発力を溜めに溜めこんだスプリングが、充満したエネルギーを一気に開放する。
黒い稲妻が、銀の戦士との距離を飛び越え、空を裂く。横転してかわすファントムガール。
間合いに気を取られすぎた里美は、魔獣の真の狙いに気付いていなかった。
波打つ蛇腹が捕えたのは、下半身を破壊されて横臥したままの、脆い黄色の少女戦士。
「し、しまった!」
逃げるよう指示した里美に従わなかったのは、自分だけ助かろうとすることが、どうしても出
来なかったためだ。恐るべき敵を前に、自分だけ変身を解くわけにはいかない。なんとかファ ントムガールを手伝いたい。そんなユリアの純粋な正義の心は、最悪の展開を招いてしまう。
腹筋がうっすらと見える細い胴に、蛇の螺旋が一周する。右腕を四重に、サーペントの腕が
変形した蛇が縛り上げ、残った左腕の蛇は、西洋人並の長さの首に絡みつく。満足に指一本 動かせぬユリアは、アッと思う間もなく、魔獣の虜囚と成り果ててしまった。壊し屋が狙っていた のは、いまだ逃げずにいた、ファントムガール・ユリアだったのだ。
「ユ、ユリアッッ!!」
ミシミシミシ・・・・・・
「ぐうわあああああッッ――――ッッッ!!!」
一歩、長い髪のファントムガールが黄色の戦士に近付こうとした瞬間、急激な圧搾がゆるや
かな曲線の肢体を捻り千切らんとする。身も世もない絶叫に、銀の戦士の足は止まった。
「キヒヒヒヒ! お前達にとって、2対1という状況は、決して有利にはならないということだな。
さて、どうするファントムガール? この足手まといを見捨てるか? それとも、オレ様の言う通 りにするか? 言っておくが、死に損ないのこいつをミンチにするのには、一瞬あれば十分だ からな」
絡めとった捕虜ごと立ち上がる黒い毒蛇。関節がバラバラになっている下半身は、元より抑
える必要がない。黄色の縦のラインが入った両足は、干し肉のごとくダラリと吊り下がってい る。唇の両端からは朱色の糸が引く。先の締め上げで、内臓がどれほどか潰れてしまったよう だ。瞳が点滅しているのは、半失神状態であることを示している。恐らく、苦痛に悶える様を味 わうために、わざと起こしているのだろう。
「・・・わ、私・・・・に・・・・・・かま・・・・わ・・・ず・・・・・・たたか・・・って・・・・・・・くだ・・・・さ
い・・・・・・・」
「余計なことは言わずに、貴様は人質らしく、泣き喚いてろ。そら、お仕置きだ」
天に向けて差し上げられた右腕が、絡まる蛇によって、布を絞るように捻られる。子供が昆
虫の手足をもぎ取るような勢いで、肘から先がギュルギュルと、血を撒き散らして回転する。
ベキンッッ!!ゴキイイッッッ!!・・・ブチブチブチイイッッッ・・・・
「ウギャアアアアアアアアアアア―――ッッッッッ!!!!!」
「ユ、ユリアッッ―――ッッッ!!! やめ、やめてェェッッ―――ッッ!!」
天をつんざく少女の悲鳴。骨も筋繊維も血管も神経も皮膚も、右腕の肘から先全てを捻り切
られ、ユリアの悲劇は最高潮に達した。もげそうな腕が桃色の内肉を、二重に捻りの入った切 断面から覗かせる。いくらファントムガールでの負傷が軽減されるとはいえ、この怪我では骨 折は免れそうになかった。
「キヒヒヒヒ! 痛いか、ユリア? おーおー、こんなに震えちまってまぁ・・・痙攣するほど痛か
ったようだな。では、今度は、首を捻じ切ってやるか」
「もうやめてェッッ!! あなたの言う通りにするわ! だから、もう、ユリアを傷付けない
で!」
両手を下げ、怒りの表情を隠すことなく、ファントムガールが魔獣に歩み寄る。切れ長の瞳に
は卑怯な敵への憤怒とともに、どうすることもできない無力さへの、無念と悔しさが溢れてい る。
射程距離に入ってもさらに近寄った聖戦士は、自らを生贄に捧げるように、反撃の意志がな
いことを示して、破壊を生き甲斐とする狂獣の前に立つ。
「・・・さ・・・・さとみ・・・・・・・さん・・・・・・・・・」
泣き顔のユリアが、か細く呟く。くっきりとした二重が哀しげに垂れている。こうしている間にも
かかる圧力で、スレンダーな肢体は徐々に潰されているのだろう。胸のクリスタルは、ヴィーン ヴィーンという点滅を続け、ユリアの苦境を知らせる。
「・・・・・な・・・んで・・・・・・・・・」
「あなたたちは、私が守るって言ったはずよ。もうすぐ助けてあげるからね」
「バカがッ! これから処刑される者が、どうやって助けるというのだ!? ファントムガー
ル、両手を広げて、大の字になるがいい」
鋭い視線は、聖愛学院の生徒会長として、誰からも愛される学園の華には、有り得ない怒り
に燃えていた。だが、銀の守護天使は、悪の言いつけ通り、両手両足を広げて、大の字にな る。
Dカップはある、形の良いバストと、くびれた腰からのラインが艶かしいヒップが、若い肉体か
ら色香を醸す。紫の模様はレオタードや競泳水着を着ているかのようなデザインのため、股間 のVゾーンがいやらしく映る。スラリと伸びた手足は、まさに美神を思わせた。
その中央、深い青色を鮮やかに輝かせた水晶体に、容赦ない黒い魔光が射撃たれる。
「うわあああああッッッ――――ッッッ!!!」
あまりのショックに銀の肢体全体が明滅する。青く、黒く、白く、光り、ファントムガールの体内
エネルギーが、発散されていく。
エナジークリスタルを押さえた銀の少女戦士は、たまらず大地にうずくまる。
「うううぅぅ・・・・・・ああッ・・・あああぁぁ・・・・・・・」
「おいおい、ファントムガール。オレは大の字で立ってろと言ったんだ。約束を守れないような
ら、こいつには死んでもらうしかないかぁ」
メキイッ・・・メキメキメキメキッッ・・・・・・・・
「ひぎやああああああ~~~ッッッッッ!!!!!」
ブンブンと首を振るユリアの口から、大量の血塊がぶちまけられる。締め上げる胴体の圧力
で、内臓のダメージが深まっていた。虚ろな瞳は相変わらず点滅を繰り返し、危険を告げるク リスタルのアラームは、段々と早くなっていた。
ブルブルと痙攣する体をなんとか起こし、再び大の字でその身を魔獣に晒すファントムガー
ル。弱点を灼かれる激痛に、肩は激しく上下し、長い足は崩れそうになるが、必死に耐えて、 ユリアへの拷問をやめるよう説く。
「やめ・・・て・・・・・・はぁ、はぁ・・・・あなたの・・・・・言う通りに・・・・する・・・・」
「そうだ。そうやって、オレの言葉に従って死んでいけ、ファントムガール。キヒヒヒヒ!」
闇の光線が、再び青いエネルギー庫を抉り撃つ。
地獄の炎に灼かれる激痛に、悶絶するファントムガールだが、倒れそうになる肉体を、必死
の想いで立たせる。倒れれば、黄色の戦士が壊されてしまう。ユリアを救うには、この責め苦 をファントムガールが受けつづけるしかなかった。たとえ、死滅しそうな苦しみであっても。
「ふわああああああ~~~~ッッッッッ!!!! うあああッッ・・・ぐうわああああああッッッ
―――――ッッッ!!!!!」
赤く熱した焼きゴテを、四方八方から押しつけられる拷問。少し身を捻れば、簡単に脱出でき
るその責め苦を、美しき女神は敢えて自ら受け入れる。かするだけで全身が痺れる魔の奔流 に、己の命そのものと言っていい水晶体を、晒さねばならないのだ。それが続けば、死が待つ ことを知りつつも。つま先立ちになった脚はガクガクと震え、今にも崩れそうなのに、ファントム ガールは立ち続ける。突っ張った長い指が、少女戦士の苦闘を教える。
自らの意志で、自由を放棄した銀の戦士に、サーペントの右足が飛ぶ。ファントムガールが
立ち尽くす場所は、長く、しかも伸びる魔獣の足が、蹴りを打つには絶好の間合いにあった。
逃げない獲物の脇腹に突き刺さる、壊し屋のミドルキック。
闇の光線に耐えるだけで精一杯のファントムガールに、魔獣の打撃に備える余裕はない。
ボギイイイィィッッッ・・・!!
聖少女の肋骨が、2本、折れた。
くの字に曲がる、ファントムガール。それでも大の字を保ち続ける。ただ、自分より2才下の
少女を守るために。一瞬とて止まぬ魔光を、浴び続ける。
すかさず左のハイキックが、気高い戦士の頭部を狙う。
ファントムガールによける術は、ない。
黒い稲妻が、美少女の尖った顎を、斜め下から打ち抜く。激しくぶれる小さな銀のマスク。脳
をシェイクされた守護天使の、瞳の光が消える。
昏倒したファントムガールが、ゆっくりと大地に倒れていく。いくら身を張って、囚われた仲間
を救おうとしても、完全にKOされた少女には無理な話だ。意志とは無関係に闇の光線から逃 れた女神は、地響きをたてて洋服店が建ち並ぶ大通りに横になった。
「また約束を破ったな! ではユリアはこうだ! ファントムガールよ、きちんとオレの言う通り
にしない、貴様が悪いんだからな」
真っ赤な口が、嘲笑う。
楽しんでいた。ふたりの美少女戦士を嬲れる喜びに、恍惚していた。苦しむために立ち上が
る紫の戦士と、自分のために死ぬ仲間を見せつけられる黄色の戦士。すぐにでも殺せるの に、じわりじわりと苦しめる。これほど楽しい遊びはない。
すっかり脱力したユリアの胴を、90度ほど捻ってやる。
メキイッッ・・・・・・メシメシメシッッ・・・ギリリ・・・・
「はくふううぅぅッッッ!!! ふぎやあああああッッッ~~~~ッッッ!!!」
こぼれる血塊が、黒の鱗を濡らしていく。柔術の遣い手と聞いていたが、所詮は女。それもま
だ、少女。裏の世界で幅を利かせた壊し屋とは、圧倒的な力の差があった。蛇の柔軟性も、大 きな勝因のひとつだ。
(全く、他愛ないことだ・・・ユリア、いや西条ユリ。貴様はどうやらお終いのようだな)
感覚からして、ユリアの肋骨には全体的にヒビが入っているはずだった。苦痛に喘ぐ声に
は、諦めの色が濃い。唯一まともな左手は、首に巻きつく蛇を取ろうともがくが、すでに力は感 じられない。心技体、その全てが魔獣に屈しようとしている。
「キヒヒヒ・・・ユリアよ、我慢弱いファントムガールを怨むんだな。もう少し大の字でいれば、お
前の処刑も・・・!!」
黒い邪蛇が、ことばに詰まる。
その冷酷な双眸には、銀の少女の勇姿が映っていた。
失神から覚醒したファントムガールが、大の字になって魔獣の目前に立つ。水平に上げられ
なくなった両手は、ハチの字に垂れ下がり、おぼつかない足取りでダンスを踊る。激しく肩で呼 吸しているが、紛れもなく少女戦士の意識は戻っていた。
「・・・・・やめ・・・・・て・・・・・・・・まず・・・は・・・・・私・・・・・・・を・・・・・」
「まさか、立ってくるとはな。だが、バカな女だ。お前を待つのは絶望だけだ。お望み通り、地
獄へ逝け、ファントムガール!」
耳まで裂けた口から、闇の邪光がドリルとなって、よろめく女神の水晶体に発射される。力な
く立ちすくむファントムガールは、三たび襲いくる脅威を、胸を張って受けとめる。
「あああああああッッッ―――――ッッッ!!!! うううああああああッッッ――――ッッッ
ッ!!!!」
魂切る絶叫。叫べば少しは激痛が和らぐと、信じているかのように、気品溢れる声を無様に
あげる里美。無情な現実は、手加減ない蹂躙を、少女戦士に与え続ける。
崩壊しそうな肉体を、必死で里美の精神が支える。だが、くすんだ銀のボディが、天使の限界
が近いことを知らせていた。
「安藤さんッ! このままじゃ、このままじゃ・・・ふたりとも死んじゃうよォッ!! なんとかして
よッ、安藤さんッッ!!」
笑顔の似合う瞳いっぱいに涙を浮かべ、藤木七菜江が手錠で繋がった白髪混じりの紳士の
腕にしがみつく。おねだりするように、黒のスーツをグイグイと引っ張る。こぼれる雫が紫のキ ャミソールに沁みをつくる。
「里美さんが死んだら、安藤さんが一番辛いんでしょッ!? お願いだから、この手錠を外し
て!! 私に闘わせてッ!!」
「先ほど申しあげた通り、ここに鍵は御座いません。信じるのです。あのおふたりの力を」
悶え苦しむファントムガールを凝視したまま、里美の幸せこそが一番の望みと断言した執事
は、動こうとはしなかった。その年輪の刻まれた頬を、一粒の汗が流れる。
ショートカットの美少女と老紳士の想いを踏みにじるように、ファントムガール死滅へのカウン
トダウンは進む。瞳は点滅を繰り返し、光を侵食され続ける全身からは、白煙が昇り始める。 それは、蜘蛛の化身・シヴァに魔の光線で灼かれ、敗北したときの状況に似ていた。
“身体が・・・燃える・・・・・・・くる・・しい・・・・・・・私は・・・・ここまで・・・なの・・・・・・?・・・”
人質を取られたファントムガールに、反撃の手段はない。
人類を守り、地球を守り、この国を守るために、幾多の試練と苦闘を切り抜けてきた里美の
心が、絶望的な状況の中で折れかけた、その時。
ぐったりとサーペントの手中に囚われていたユリアの左手が、首に巻きつく蛇の鎌首を掴む。
電流が、黒蛇の全身を駆け巡る。
ブオオオッッッ・・・
風切る轟音の後に、頭から道路に叩きつけられる、巨体の落下音が続く。
それはまさに一瞬の出来事だった。二重・三重に巻きついていたはずの、蛇の螺旋はすり抜
けたように外され、キレイな円を描いて武道家の娘に投げられたのだ。
魔光の放射に夢中だった壊し屋は、虜囚の不穏な動きまで気が回らなかった。まして、死に
体で、自慢の柔術も通用せずに、屈服しかかった小娘が相手ならば、反撃がある可能性すら 考えていなかった。
その油断が、正義の戦士に勝機を与えた。
「骨が・・・あれば・・・・・・技は・・・・・できます・・・・・・・・・」
これが『想気流柔術』だった。
指一本捕えれば、関節を極めることで、激痛により手全体を自在に操ることができる。それ
によって、今度は手首の関節を極める。次は肘。次は肩。そしてついには身体全体を掌握し、 痛みに絡め取られた敵は、自ら地面に投げられざるを得なくなる。
『傀儡舞(くぐつまい)』と呼ばれる奥義。西条ユリの思うがままに、敵は操り人形のごとく舞
い、落ちていく。
蛇とのキメラ・ミュータントであるサーペントは、柔軟性と、変形した骨格によって、西条姉妹
の攻撃を無効にした。だが、里美を救いたい一心が、ついに蛇と人間が混ざった体組織の、 関節の把握に成功させる。左手首にあたる部分を極められ、鱗の跡が残るほど食いこんだ螺 旋は、呆気なく外れた。激痛に硬直した魔獣を投げるのは、造作もないことだった。
ぐらり・・・とふたつに束ねた髪の少女が揺れる。
損傷の激しい肉体では、反撃はそこまでだった。分断された下半身では立っていられるわけ
もなく、セパレートの水着を思わす黄色のデザインは、仰向けに倒れていく。
「オレとしたことが、気を抜いたようだ。まさか、その身体でまだ闘えたとは・・・」
ヒクヒクと銀の肢体を揺らすユリアに、長い影がかかる。何事もなかったように、黒い魔獣は
立ちあがっていた。
蛇の柔軟性は、必殺の投げを必殺たり得なくしていた。そしてなによりも、一撃で屠るには、
黄色の少女戦士はあまりに傷つきすぎていた。
「・・・あ・・・・・・あく・・・・・・かッ・・・・・・」
エナジークリスタルの点滅が、さらに早まっていく。残忍なサーペントの眼に浮ぶのは、命の
残り火が燃え尽きかけ、ただ呻くだけの弱々しい少女の姿。黒い塔が、スレンダーな黄色の戦 士を睥睨する。
ドスドスドスッッ!!
光の手裏剣が、黒の鱗に突き刺さる。「ギエエッッ!!」呻くサーペントが振り返ると、片膝立
ちのファントムガールが、光線技ハンド・スラッシュを放った姿勢で青い瞳に魔獣を捉えてい た。
「私が・・・相手よ」
両手を突き出す銀の女神。人差し指と親指で、正三角形を型造る。ファントムガール最大の
必殺光線「ディサピアード・シャワー」の態勢。
だが、発射までに四秒を必要とするエネルギー充填時間は、神速の打撃を誇る魔獣には、
あくびがでるほど長い。一息に距離を詰めるや、膝をついたファントムガールを蹴り飛ばす。
宙に浮遊する聖戦士。明らかに、里美はミスをした。クリスタルを重点的に責められた苦しみ
が、安易な勝利を望ませ、一気に勝負をかける愚を行わせたのだ。
くノ一として修行したとはいえ、里美も完璧な戦士ではない。壮絶な辛さを恐れて、冷静な判
断を失ったのだ。そのミスは、里美自身に過酷な試練となって降りかかる。
腕の蛇が伸び、ファントムガールの両腕を封じる。身動きできぬ銀の戦士に、格闘家としても
相当な実力者である壊し屋の蹴りが飛ぶ。右、左、右、左と・・・速射砲で襲う黒の木刀は、的 確に急所を抉る。
狙いはひとつ。脇腹だ。
すでに折れている肋骨も含め、サーペントは、光の女神の脇腹をグチャグチャに潰すつもり
だった。折れた骨が、内臓を破り、想像できない絶苦の中で、狂い死にさせる。壊し屋の描い た最高の処刑が、ファントムガールの美しき肢体に課せられようとしている。
「あぎゅッッ・・・・がはあッッ・・・・あぐがッ・・・・・・がア・ア・ア・・・・」
「キヒヒヒヒ――ッッ!! 捕まえてしまえば、貴様など敵ではない! 壊してやるぞ、ファント
ムガール!」
アバラを黒い棒が叩くたび、骨の軋む悲鳴が響く。ドスンドスンと叩きこまれる足は、打撃が
一切容赦ないことを教える。痛撃を食うたび開く銀の口が、潰れていく腹の惨状を伝える。
サーペントの言葉は嘘ではなかった。誰よりも里美自身が知っていた。捕まった里美には、
脱出の方法も、反撃の方法も思いつかない。速く、重い打撃に対して、ただ敵が飽きるのを待 つしかない。里美が忍者の末裔であっても、所詮は女のコなのだ。暴力の世界で名を馳せ、ワ ルども相手に君臨する壊し屋と素手で闘うのは、あまりに無謀といえた。しかし、今、両手を封 じられ、武器を出せないファントムガールは、まさにその状況に追いこまれていた。
“クリスタルを攻撃されすぎて・・・・・・力が・・・でない・・・・・・ユリアが死力を尽くして・・・・・・よ
うやく作ったチャンスなのに・・・・・・私は・・・・・私は・・・・・・”
情けなかった。年下で、自分より遥かに重傷だというのに、西条ユリは自力で戒めから逃れ
たのだ。そして里美が勝つことを願っただろうに・・・期待に応えられず、されるがままの無力な 自分が悔しい。
だが、なんともならない現実が、冷たくファントムガールを破壊していく。恐らくヒビだらけの肋
骨は、鉛板を体内に埋めこんだような鈍痛となって、銀の女神を苛む。満足に呼吸すらできな い圧迫感が、抜群のプロポーションを捕らえる。
“ダメ・・・・・・なの・・・?・・・・・・私・・・・・ダメ・・・なの・・・??・・・”
途絶えることのない激痛が、凛々しい少女を絶望させていく。遠い昔に檻の中に閉じ込めた
はずの、屈服という名の魔物が、気高い令嬢戦士の心を食い破らんとする。
ドズウウウッッッ!!!
瞬間、何が起きたか、わからなかった。
ファントムガールを蹂躙する黒蛇の、腹のど真ん中。びっしりと鱗で覆われた、その腹の真ん
中から、光の棒が生えている。
いや、棒ではない。それは、矢だった。
「はじゃ・・・・・こう・・・・し・・・・・・」
地に伏せたまま、蚊の鳴くような声で、ファントムガール・ユリアはつい先程放った己の技を
呼ぶ。
日本古来より伝わる柔術の多くは、そのルーツを探れば戦国時代の格闘術に行き当たる場
合が多い。素手での格闘も想定しているが、武器を持った闘いも、そのカリキュラムには含ま れている。寧ろ、本来はそちらが主流であったかもしれない。
例えば、剣術。棒術。そして杖術。さらに、『想気流』が含んでいるのが、弓術。
一般の道場生では知らない、隠れた西条ユリの得意技が、破壊に餓えた魔獣を射る。
ゴボリ・・・と赤い泡が口から逆流する。キメラ・ミュータントの血も赤い。腹から流れる濁流を
見るサーペントの手から、銀の戦士がずるりと落ちる。
あの、死にかけの小娘が、この矢を射たのか?
肘から先が千切れかけた右手で、弓を引けたとでもいうのか? 信じられない、だが、先程も
この小娘は信じられない脱出をしてみせた。
いや、そんなことは、どうでもいい。
「殺してやるわああ~~ッッッ!!! このアマぁッッッ!!!」
台詞はセンスがないが、それがこの魔獣の地。本物の怒りが、なりふり構わぬ壊し屋の全力
を呼び起こす。
ユリアに巻きつき、捻り千切って、肉片に分断する。嬲るのではなく、単純に屠殺を目的とし
て、黒蛇が倒れたままの黄色の戦士に飛びかかる。
その足にしがみついて阻止したのは、アバラの疼きが冷めぬファントムガール。
「貴様アアぁぁ~~ッッ!! 忌々しいわッ、メスブタがアッッ!!」
大地に平伏したまま、両足を掴んだファントムガールを、メチャクチャに殴りつける壊し屋。怒
り狂ったパンチは、一撃ごとに聖戦士を昏倒させかけるが、冷静さを失った拳は、痛くはある が的確性に欠ける。
「離せッ! 離せ、このクソがッッ!!」
腕が拳から蛇になって、銀のボディの肩甲骨の辺りに噛みつく。瞬時に皮膚が噛み千切ら
れ、ファントムガールの背中に、朱色の円がふたつデザインされる。
「ぐあああッッッ!!」
それでもファントムガールは、掴んだ足を離そうとはしない。
「秘技・・・・・桜・・・・霞み・・・・・・・・・・」
ファントムガールの手元から、ピンク色の霧が発生する。不意に湧いた薄桃色の靄は、凄ま
じい勢いで広がり、巨大な魔獣を包まんとする。
以前、シヴァとの闘いで、反撃の糸口を掴んだこの秘術が、忍術でいうところの「霧隠れの
術」の亜流であることは、おおよその者が見当をつけるだろう。深い特殊な霧は、視界だけで なく、嗅覚や聴覚をも遮る効果を持つ。血を利用するこの技は、サーペントの腹から垂れてい る流血があってこそだ。
慌てた魔獣が、足元の少女戦士に腕を飛ばす。そこにはすでに、何の手応えもない。
気付いた時には、黒い大蛇は赤い霧によって、全身を包まれていた。
「こざかしいメスめェェ~~ッッ・・・どこだあッ! どこに逃げたアッ!」
ファントムガール・里美は、黒蛇とユリアの間に立っていた。万が一、蛇が無闇な攻撃をして
きたときに、壁となるようにだ。
決着を、つけねばならない。背後のユリアは傷つきすぎているし、里美自身もダメージは深
い。
両手を突き出す。開いた五本の指のうち、人差し指と親指を合わせて三角形を造る。再度、
「ディサピアード・シャワー」の態勢へ。
四秒。あと四秒時間があれば、勝てる。
「キヒヒヒ・・・なるほど、こうして逃げるつもりか・・・正しい判断だが、この程度でオレを出しぬ
けるつもりか」
(・・・1・・・・2・・・・・・)
聖なる光が、指で造った三角形に集中していく。眩い白光が密度を増して輝き、破邪の力が
満ちていく。
突如、サーペントがシャドー・ボクシングを始める。この男は、本当に格闘技をやったことがな
いのか? 凄まじい速さの回転力で、黒い拳が空間を切り裂く。その尋常ならざる風圧に、視 界を覆ったピンクの霧が吹き飛ばされていく。
(・・・・3・・・・)
光のエネルギーが三角形に集結していく。高密度の聖光が、指の中でビリビリと震え出す。
だが、ファントムガールを打ちのめす衝撃。
血の量が少ないのも災いしたが、まさか瞬時に桜霞みを吹き飛ばすとは。壊し屋の規格外
のスピードが、正義の女神を窮地に追い込む。遮るもののなくなった空間で、銀の少女と魔獣 の眼が合う。
終わった。
あと1秒。だが、サーペントのパンチは、その間に50発はファントムガールを殴打できるだろ
う。
里美の策を瞬時に見破った壊し屋が、右腕を動かす。
なるほど、そういう作戦か。ご苦労さん。お前は――撲殺だ。
が。
サーペントの瞳孔が開がる。
ファントムガールの後ろ、地に倒れこんだ、黄色の戦士。
左手を突き出し、口で光の弓矢を引く、その姿。
“口で・・・引いてやがったッッッ!!!”
“破邪嚆矢ッッ!!”
正義の彗星が、魔獣の右腕を貫く。
肩口から千切れ取れ、咆哮をバックに宙を飛ぶ蛇の右腕。
(・・・4ッッ!!)
「ディサピアード・シャワーッッ!!!」
白い激流が、巨大な魔獣に放射される。
散弾。散弾。散弾。
無数の光の銃弾を浴び、肉片を抉られ、細胞を消滅させられて、大蛇が火花と白煙の中に
散る。大きく弾け飛んだ長大な螺旋は、聖なる力に闇の肉体を溶かされながら、ピクリとも動 かなくなった。
「勝っ・・・た・・・」
へたへたと崩れるようにユリアの側に、座り込むファントムガール。
セパレート水着に似たデザインの、黄色の戦士を抱きかかえる。苦痛に歪むあどけないマス
クに、かすかな微笑みが蘇る。
「ユリア・・・ありがとう・・・・・あなたのおかげで・・・・・なんとか勝てたわ・・・・・・」
ゆっくりとかぶりを振るユリア。それが自分に対する感謝の意であることを、里美は悟ってい
た。互いが互いを助けた闘い。ふたりだからこそ勝てた闘いであることを、誰よりも当人たちが 知っていた。それを卑怯と言われても、仕方ないと里美は思う。実際に、私は、私たちは、弱い 存在なのだから。
「改めて、あなたを仲間に誘うわ・・・・・・・ユリア、私たちの仲間になって・・・・」
ブシュウウウウッッッ――ッッ!!!
頷こうとした黄色の戦士の顔に、噴き出した鮮血が降りかかる。
「キヒ・・・・英語では、騙まし討ちのことを、スネークアタックと言うそうだな」
ビクビクと小刻みに震えるファントムガールの細い首に、サーペントの巨大な牙が食い込んで
いる。
魔獣は生きていた。身体の大部分が溶解しつつも、破壊への執念が、この邪生物を動かし
ていた。恐らく、放っておいてもやがて死ぬだろう。だが、残り少ない命で、聖戦士を道連れに するつもりなのだ。
「逃げ・・て・・・・ユリア、早く・・・・・・変身を解いて・・・・・・逃げて・・・・・」
牙が首の肉を食い千切る。
「はあうッッ!」という悲鳴を残し、首を押さえた女神が倒れこむ。流れる血が、首から下を赤
く染めていく。
残忍な蛇の眼光が、黄色の戦士を捕える。憎きこの小娘を、逃がすわけにはいかない。巨
大な口が、獲物に迫る。
だが、その前に、倒れたはずのファントムガールが立ちはだかる。
ズブリッッッ・・・・・・・
合計四本の牙は、果実のように突き出した、柔らかな双丘に食いこむ。声にならない悲鳴を
あげるファントムガール。男子生徒全員が憧れる形のいい膨らみが、下衆な蛇によって噛みき られようとしている。
「はや・・・く・・・・・・・・逃げて・・・・・・・お願い・・・・・・はや・・く・・・・・」
「キヒヒヒヒ! 邪魔をするな、メスブタがあッッ!! 邪魔をすればコロス! コロス!」
牙を抜くサーペント。胸を抱き締める女神をすり抜けて、クリスタルの点滅が激しいユリアを
狙う。牙が黄色の身体を貫かんとする。だが、すんででユリアの盾になったファントムガール が、身代わりとなって大蛇の餌食となってしまう。
左脇腹を四本の牙が貫く。
「うああううぅぅッッ!! ぐあああああッッッ~~~~~ッッッ!!!」
「まだ邪魔をスルカッッ!! コロス! コロス! コロス! ふぁんとむがーる、ナブリコロ
ス!」
脇腹を噛んだまま、天空に銀の少女を掲げる。垂れ落ちる血潮が、口の端から黒い鱗に流
れていく。もはや闘いではない。獲物と捕食者の関係だ。身を張ってユリアを守った代償は、あ まりにも大きかった。
「・・・にげ・・・・・て・・・・・・おねが・・・・い・・・・・・・・私・・・が・・・・・・もちこたえる・・・・・・・ま・・・
で・・・・・・・・はや・・・・・く・・・・・・・」
ユリアの瞳から、こぼれるはずのない涙が、落ちたような気がした。
光の粒子となって黄色の戦士の身体は弾け、空中に霧散して消失した。
残されたのは、復讐に狂った魔獣と、脇腹を殴打され、身体中を噛まれた、無惨な女神。
「お願いッッ!! 安藤さんッ! 私に行かせてッッ!! 里美さんが・・・里美さんが本当に
死んじゃうッッ!!」
「無理で御座います。今は我々が出来ることをやりましょう。西条様を保護するのです」
「だってッ! だって里美さんがぁッッ!! 嫌だよッ、こんなの嫌だよオッッ!!」
ボロボロと泣き喚く七菜江を、深謀遠慮の輝きを保ったままの執事の瞳が見る。一旦は我慢
して死闘を見守っていた七菜江だが、銀の皮膚を滴る血の多さに、ついに耐え切れなくなっ た。あれだけの打撃を受けた里美のアバラが、無事ですんでいるわけがない。復讐に狂った 蛇の暴虐に、破壊されるのは火を見るより明らかだ。
なだめるように、丸い両肩に、老紳士の意外にゴツイ手が添えられる。
「よく見るのです、藤木様。お嬢様の、五十嵐里美の闘いを。あの方の真実が曝け出されよう
と、その眼でよく見るのです」
サーペントが巨大な鎌首を振る。勢いで、脇腹の肉を削ぎ取られたファントムガールの肢体
が、百貨店の高層ビルに叩きつけられる。轟音を響かせ、上半身をビルに突っ込んだ銀色の 天使。ぐったりとした下半身が、そそる曲線を描いて、コンクリートの壁から突き出る。紫の模 様が、ハイレグ水着に似ているため、グラビアアイドルの挑発的ポーズを思わせる。
叩きつけられた衝撃で、里美の意識は半失神に追い込まれている。迫る危険から逃れる方
法は、ない。
魔獣の両足が、くびれた胴体を挟みこむ。
蛇と化した足が、それぞれ二重に巻かれる。合計四重の螺旋。
ビルから引き抜かれるファントムガールの身体。足がふらつき、ペタンと大地に腰を下ろす。
背後から大蛇に絞められているため、反撃が出来ない。手が届くのは、脇腹に巻きついた黒 い足だけだ。
光の棍棒、ファントム・クラブを出現させようとする聖少女。
しかし、それより早く、サーペント必殺の攻撃がファントムガールを襲う。
「スネークスクイーズ」
蛇の両足が銀のボディを絞めつける。ただ、それだけの技。
だが、ファントムガールにもたらした効果は・・・
「ぎいやああああああッッッ―――――ッッッッ!!!!」
およそ、里美が正体とは思えぬ、地獄から聞こえるような雄叫び。
クラブを出そうとしていたことも忘れ、全身を硬直させて叫び続けるファントムガール。激しい
殴打で軋んだ肋骨を、一気に握り潰される拷問。想像を絶する圧迫感は、手負いの少女戦士 が耐えるには、あまりに強烈すぎた。
「あなこんだハ・・・馬デモ絞メ殺セルラシイナ・・・貴様ゴトキハ・・・タヤスイコトダ・・・」
「うあああああッッッ――――ッッッ!!!! ぐあああああッッッ――――ッッッ!!!」
メシイッッ・・・メキメキ・・・ゴキボキッ・・・ベキイッ・・・
容赦ない魔獣の圧搾が、銀の少女を破壊していく。骨の折れる音が、内臓の潰れる音が、体
内から恐ろしいまでの大きさで聞こえてくる。自分が壊される音が、異様な響きで伝わってく る。
“苦しいッッ!! 潰されるッ、潰されてしまうッ!! た、助けて・・・誰か、助けてッ!!”
一定の速度で螺旋は締まってくる。ファントムガールの悶えなど、まるで意に介せず、処刑は
着々と進んでいく。圧迫感で呼吸すらままならず、酸素は搾り出されるのみで、窒息の苦痛が 加わってくる。
“ユリアは・・・もう闘えない・・・・・ナナちゃんは・・・私が闘えないようにした・・・・・・私が、私が
やらなくてはッ!”
一際強く、戒めが締まる。
「はきゅううッッ!!?」 ビクリと震えたファントムガールが、撲殺された鰻のような声をあげ
る。
“・・・・・・肋骨が・・・内臓に・・・刺さっ・・・た・・・・・・・”
厚めの唇から、一筋の朱色の線が引かれる。
メキメキイッッ・・・ズブウッ・・・ズブズブ・・・ベキイッニチャアッ・・・
「ひぎやああああああッッッ――――ッッッ!!!! ぶげええッッ!! ぐぎゃああッッ・・ガ
アア・・・いやあああああッッ――――ッッ!!!」
折れた肋骨が内臓に刺さる。それでもさらに絞められる。本物の地獄さながらの煉獄。
“痛いッ~~ッッ!! 苦しいィッッ~~ッッ!! ダメェェッ~~ッ! 私、もうダメえェェッ~
~ッッ!! こんな・・・こんな・・・内臓があッ~~ッッ! 肋骨があッ~~ッ!! 息が、息がで きないィィ~~ッッ!”
狂ったように頭を振るファントムガール。もし里美のままなら、とっくにショック死していたろう。
なまじ、ファントムガールになったばかりに、発狂しそうな激痛が、美少女を捕えて離さない。
ゴボゴボゴボ・・・・
赤い血塊と、白い泡が混ざった粘着質な液体が、ファントムガールの口から溢れる。銀のボ
ディが、みるみるうちに朱に染まっていく。
“私・・・私・・・・・もう・・・もう・・・・・・ダメェェ・・・・もうダメ・・・・・・狂いそう・・・・・死にそ
う・・・・・・・もう・・・・耐えられ・・・・・ない・・・・・”
ビクンッ! ビクンッ! ビクンッ!
大きく痙攣する聖戦士。その胴は、誰の目にも明らかに、潰されていた。蛇の螺旋の間か
ら、ファントムガールのモノと思われる血が滲んでいる。全身を突っ張らせた少女戦士にできる のは、ただ悶絶するだけ。
“ナナ・・・・ユリ・・・・・私・・・・・・・・ダメェ・・・・・・私・・・・・・・・弱い・・・・の・・・・・・・”
トドメとばかりに、限界まで締め上げる魔獣。
喉の奥から噴き出した血が宙を飛び、瞳に灯る青い光がブンッと消える。代わりに点滅し始
める、胸の水晶体。
硬直していた肢体がぐったりと弛緩し・・・・・・脱力した女神が、大地に崩れていく。
サーペントが技を解く。
半分ほどの細さになってしまったファントムガールの腹部は、折れた骨が皮膚を突き破り、血
で真っ赤に塗れていた。
美しく、気高い少女戦士の惨状は、とても正視に耐えられないものだった。
だが、サーペントの処刑執行はまだ終わっていなかった。
ピクリとも動かない銀の女神に絡まっていく。蛇となった四肢が、それぞれ右足は右足、左腕
は左腕、というようにファントムガールを磔にする。ユリアが全身を引き伸ばされた、あの技の 態勢だった。骨を砕かれ、内臓を潰された今のファントムガールがやられれば・・・・・・腹部か ら真っ二つにされるのは確実だ。
一直線に磔られる里美。魔獣の右腕は、矢で千切り取られているため、ファントムガールの
右腕だけは自由なのだが、深いダメージと折れかけた心によって、少女戦士は逆襲に出る様 子がない。
事実、里美の心は、暗黒に飲まれようとしていた。
魔獣がその長大な全身を伸ばしかかる。
里美の身長はユリより低い。トランスフォームしてもその関係は変わらない。80mはある大
蛇と同じ長さに伸ばされる技は、当然ユリ以上の苦痛を里美に与えることになる。
ミシミシミシ・・・・
ファントムガール崩壊の序曲が、肩関節と股関節の辺りから聞こえ始める。
「はひいィィィッッ!! ふわあ・あ・あ・あ・・・・くふうぅぅッッ・・・!!」
新たな激痛が、死の淵から女神を呼び戻す。
だが・・・・・・苛烈な嗜虐を受け続けたファントムガール、五十嵐里美の精神は、屈服の野獣
に食い尽くされんとしていた。
「・・・た・・・・助け・・・・・て・・・・・・・・・もう・・・・・ダメ・・・・・許し・・・・・て・・・・・」
死滅しようとする魔獣には、聖なる戦士の嘆願は、届かなかった。ただ、破壊衝動のみで動く
マシーンとなって、銀色の肉体を引き千切ろうとする。
「私・・・・・弱いの・・・・・・・・いつも・・・・・泣いてた・・・・ひとりで・・・・修行・・・・・嫌だっ
た・・・・・・・・・辛くて・・・・・・泣いてた・・・・・・・もう・・・・・闘いたく・・・ない・・・・・・ダメ・・・・・もうダ メ・・・私・・・・・・」
壮絶な激痛によって、里美の意識は混沌状態にあった。無意識に語られる、里美の本音。
度を越した魔獣の虐待が、奥底に隠した少女の弱い部分を白日の元に晒す。
構わず、サーペントの身体が伸びる。ゴキンッ! と響くのは、肩が脱臼する音。すぐに股関
節が外れる音が続く。その度、血を吐き、悶えるファントムガール。クリスタルの非常音が、だ んだんと早くなっていく。
「私では・・・・・何もできない・・・・・・落ちこぼれ・・・・・・・・お父様・・・・ごめんな・・さい・・・・・里
美は・・・・・・・弱い子・・・・です・・・・・・・この国を・・・・守れそうに・・・・・ありま・・・せん・・・・・・・」
ファントムガールの、五十嵐里美の独白は続く。サーペントが促しているわけでもないのに、
喋り続けることが、里美が隠していた弱さ・トラウマの根深さを教えた。許容範囲を超えた煉獄 を食らって、屈服してしまった里美の心が、地獄から助かりたい一心で、全ての弱い部分を曝 け出させようとしているのだ。
破壊マシーンとなった大蛇に、そんなことは無意味だった。手足の関節が外れ、皮膚が裂
け、いよいよ使い物にならなくなった後は、すでにグチャグチャの脇腹を引き裂くだけだ。上下 に強烈に伸ばされる銀の肢体が、腹部でブチブチと音を立て始める。クリスタルの点滅が、ま すます早くなる。
「はああッッ! ぐああッッ!? はひゅううッッ!! あ・・あ・・・あ・・・ナナ・・・・・・ユ
リ・・・・・・・ごめ・・・ん・・・・・・・私・・・・・・・弱いの・・・・・・弱いの・・・・・・・・ごめん・・・・・ゆる・・・・ して・・・・・・・」
銀の唇から、大きな血の塊がこぼれる。
若者の街で、美しき少女戦士が、その残酷な運命に飲まれようとしている。
激しい睡魔が、西条ユリの細い身体を襲っていた。
ダメージを受けると、変身を解除した後、『エデン』が強制的な眠りにつかせることは知らなか
った。どちらにせよ、身体は動かすことはできない。右腕は折れており、両足の関節は、巨大 化時と同様、外れたままだった。ファントムガールで受けた怪我は、生身では随分軽くなるとい うのに、それでもこれだけの大怪我をしているところに、今回の死闘でのダメージが窺い知れ る。
細胞全体が休息を求めるような眠気に耐えるのは、無理なことはよくわかっていた。意識が
白濁した世界に吸いこまれていく。
身体を抱かれる感覚が起こる。
温かく、力強い感覚。家族ぐらいにしか、気を許したことのないユリにとって、その感覚は新
鮮だった。
視界に映るのは、藤木七菜江の顔。
泣いていた。グシャグシャに泣いていた。汗と涙と涎と鼻水で、チャーミングな造りの顔は、べ
っとりと濡れていた。
“なんて・・・・・・・キレイな・・・・・泣き顔・・・・・・・”
その映像を最期に、西条ユリの意識は暗闇に飲まれていった。
七菜江は眠りに落ちたユリを、きつく抱き締める。治療班が無理矢理引き剥がすまで、七菜
江はユリに抱き付いていた。ユリが連れられると、膝をついて大地にボタボタと体液を撒き散ら した。爪が剥がれるのも構わず、アスファルトを掻き毟って、泣いた。
無人となった街に、七菜江の慟哭がこだまする。
何をどうすればいいか、わからなかった。貫く悲しみに突き動かされ、ただ号泣するしかなか
った。
五十嵐里美の真実は、七菜江にとって、辛く、悲しすぎた。
いつも明るい里美。冷静な里美。気高い里美。屈しない里美。気丈な里美。頼れる里美。優
等生な里美。
そのどこにもいなかった、弱い里美。
自分を弱いと思いこみ、落ちこぼれだと蔑む里美がいることを、初めて七菜江は知ったの
だ。
「里美お嬢様は、よく父上にしごかれて泣いておりましたな・・・。女性として御庭番宗家に生ま
れたお嬢様を、容赦なく育てましたから。性別を言い訳にさせぬ父上に、落ちこぼれ扱いされ、 より厳しい修行を課せられても、挫けませんでした。でも、その陰で、誰にも見られぬよう、ひと りでいつも、こっそりと泣いていたものです」
学校では何でもできるスーパースターの里美が、落ちこぼれ扱いされていたなんて。いつもひ
とりで泣いていたなんて。
そんな苦しみを、誰にも見せずに、強く見せかけて、里美は生きてきたのか。
辛すぎる。悲しすぎる。
激痛に屈し、真実の姿を晒した里美を、誰が弱いと言えるものか。
「里美さん・・・さとみ・・さん・・・・」
「藤木様、よく見るのです。いくら辛くても、これも五十嵐里美の真実の一面。受けとめてやっ
て下さい。弱い五十嵐里美を、あなたが正面から受けとめてあげるのです」
ぐっしょり濡れた顔をあげ、黒い魔獣に囚われた、銀色の戦士を見る。脇腹からは血が滴
り、その肢体が半分に裂かれるのは、時間の問題だった。
「でも・・・でもオ・・・・」
「藤木様、あなたはまだ、五十嵐里美をよくわかっておりませんな」
粉砕された肋骨が、体内で暴れ回る。傷ついた内臓が、裂かれそうな激痛にパニックを起こ
している。
「ひぐうううッッッ!! はがあああッッ・・・うあああああッッッ・・・!!」
“千切れる・・・・・・私・・・・・・・・いよいよ・・・・・・死・・・・・・・・”
ヴィーンヴィーンとけたたましく鳴るサイレンを、どこか遠くにファントムガールは聞いていた。
狂いそうな痛撃の中で、死を間近にして、意識の冷静な部分が、醒めた視線を自らに向ける。
“ナナちゃん・・・ユリちゃん・・・ごめんね・・・・・私のために、傷ついたのに・・・・・・・私が弱い
せいで・・・・・・ごめんね・・・・・・”
里美が思い描いたのは、同じファントムガールの仲間であり、自分を信じてくれている、ふた
りの少女のことだった。
“ナナちゃん・・・私がトランス封印したこと・・・・・怒るだろうな・・・・・結局後悔させちゃう
な・・・・・・私が不甲斐ないから・・・・・・・ユリちゃん・・・悲しむだろうな・・・・・・自分のせいで、私 が死んだと思わないかな・・・・”
死を目前にして、里美の心は随分と落ち着いていた。自分が死んだらどうなるか、自然に頭
に浮んでくる。
“ナナちゃん・・・私がこんなんじゃ・・・安心して休めない・・・・・・ユリちゃん・・・・・私が死んだ
ら・・・・・責任を感じてしまう・・・・・・・”
私が死んだら・・・・・・あのふたりは、どうなってしまうの?
ビクンッッ!!
それまで一切反撃しようとしなかった、囚われの聖少女が突如力を湧きあがらせる。消えて
いた瞳に、青い光が蘇る。
死ねない。死んではいけないッ!
あのふたりのためにも、今、自分が死ぬわけにはいかないのだ!
だが、四肢を蛇に絡まれた身体で、どう反撃できるというのか。強烈な力で引かれた胴体
は、間もなく分断されるというのに。
ある。自由なところが。
右腕だけは無事。ユリアの破邪嚆矢で、魔獣は右腕を失っていたのだ。ファントムガール・ユ
リアの置き土産が、最期の最期で、銀の女神に味方する。
全身に残った光のパワーを、右手の上に集中する。ソフトボールくらいの光球が、最期の望
みを託して、白くうねって輝く。
「ファントム・・・・・・バレット!」
光の弾丸が、一直線に、背後に隠れた蛇の頭を、的確に捕える。
咆哮する魔獣。それでも螺旋を解かない。すかさず、弾丸が二撃めを鎌首に与える。
ドガアッッ!!
三撃め、四撃め・・・・ピンボールのように連続して魔獣を貫く弾丸。蛇の衛星となった光球
は、縦横無尽に黒い巨体を貫き射す。
ドガドガドガドガドガドガドガッッッ!!!
ファントムガールの思うままに操れる光の砲弾が、半分ほど溶けた魔獣にトドメを刺す。
ファントム・バレット…弾丸と名付けられてはいるが、元は新体操の「ボール」であるこの技
は、威力こそ小さいものの、自在に操ることが可能という利点があった。
まるで、演技をする里美が、自由自在にボールを操る様子に似て。
吼える魔獣の頭部に、白い弾丸が吸い込まれる。
「きひ・・・」
爆発して、四散する黒い魔獣。
それとほぼ同時、横臥した状態のファントムガールの銀の肢体は、光の粒子となって、死闘
の終わった街に消えていった。
「やったああッッ!! 勝った! 里美さんが勝ったよオオッッ!!」
さっきまでの泣き顔はどこへやら、弾けるように笑顔になった七菜江が、隣の執事に抱きつ
く。スーツが液体で汚れるのも構わず、ぐいぐいと顔を紳士の胸に押しつけてくる。どうやら、今 度は嬉し涙を流しているようだった。
「やったあッ、やったよォぉ・・・安藤さん、里美さんが勝ったよぉぉ・・・」
「おお、よしよし、良かったですなあ」
再び泣き顔となった少女のショートカットを、孫の頭でも撫でるようにいたわる。
(泣いたり、笑ったり・・・忙しい方です。まあ、そこが魅力ですが)
手間のかかる娘をひとり得た気分になって、微笑みながら執事は七菜江を撫で続けた。
「なんで・・・里美さん、急に復活できたんですか?」
胸に顔を埋めながら、聞いてきた七菜江の質問に、老紳士は温かい笑顔で答えた。
「だから、言ってるではありませんか。それが、五十嵐里美ですよ。さあ、お嬢様を保護しに
いきましょう」
ポケットから取り出した鍵で、手錠を外し、執事は光の粒子が移動したと思われるポイントに
向けて、歩き出した。
冷たいアスファルトの上に、五十嵐里美は寝ていた。
青いセーラー服は、ところどころがナイフで切られたように、裂かれていた。衣服にまで影響
がでるのは、ダメージが大きかった証拠だ。外傷はこれといったものはなかったが、めくれたセ ーラーの下、脇腹の部分が血で滲んでいる。腹筋がなんとなく崩れた形になっているのは、肋 骨が折れているせいのようだ。桜の花の形をした唇から、網目のように広がった吐血の多さ が、内臓の損傷を予想させる。
当然のように、里美の意識はなかった。「エデン」による強制睡眠だけでなく、激闘による失
神が、美少女を襲っていた。
その足元に立つのは、豹柄のチューブトップとミニスカートに身を包んだコギャル。凶凶しい
瞳が、気絶した美貌を映している。
「里美・・・あんたって、ホントにしぶといよねぇ~~? でもォ、ちりがこの手で始末したげる
から~~♪」
「闇豹」神崎ちゆり。その猛獣の爪が、残酷に光る。今の里美は、まさしくまな板の上の鯉。
「さあて・・・顔から股まで、一気に切り裂いちゃおう~~っと」
眠る里美の美しい顔に、青い刃が突き刺さる。
「待った! その人には、指一本触れさせないよ」
すんでのところで、爪は止められた。
声の主を豹が見る。
実に整った顔立ちの美少女だった。首に金属製の輪をつけている。鮮やかな茶髪は前髪の
半分だけが上げられ、後ろはツインテールで纏められている。
普通の人間なら、足を踏み入れるのもためらわれる裏通りに、緊急時とはいえ、容易に現れ
るところを見ると、タダモノではないらしい。いや、今の殺意溢れるちゆりの前に立つだけでも、 相当度胸がすわっていないとできないが。
「ふ~~ん・・・あんた、誰よ~?」
「その人の・・・・・・・・・友達よ」
「あっそ。じゃあ~~・・・殺しとくかあ~」
豹が口調とは裏腹の、素早い動きで突如現れた少女に殺到する。
対する少女は・・・驚くことに向かってきた。しかも、速い。
左のフックをちゆりに放つ。どんな不良でも、目をまともに見れないという「闇豹」を恐れてい
ない。
力強いパンチは、しかし、隙が大きすぎる素人のものだった。難なくよけたちゆりが、反撃を
する。
首を狙って爪が飛ぶ。殺すつもりの攻撃。鋭い刃が、美少女に襲いかかる。
ガキイ――ン・・・・・・
確かな金属音が、裏通りに響き渡る。
豹の爪は、美少女の右腕によって受け止められていた。
その瞬間、豹柄のコギャルは猫の身軽さで飛んでいた。10m近い距離を置いて、己の左の
爪を見る。
青い刃は、わずかにだが、欠けていた。
「ふう~~ん・・・あんた、面白いねぇ~~・・・なんて名前ぇ~~?」
「霧澤…夕子」
「覚えとくかな~~。今日は、あんたに免じて帰ろ~~っと」
そのまま、派手な格好のコギャルの姿は、コンクリートの角に消えていった。
数分後、七菜江たちが駆けつけた時には、もうひとりの少女の影もなく、ただ里美が、傷つい
た身体を横たえていただけだった。
「壊し屋だなんて、強がりながらも大したことなかったわね。寧ろ、ファントムガールの陣営を
強力にしただけだったわ」
淡々とした口調で話すのは、ゾッとするような美貌の持ち主・片倉響子だった。その素振りか
らすると、悔しい気持ちはあまりないらしい。敵が増えていくことが、嬉しいようにも感じられる。
「ふふふ・・・まあそう言うな。奴はよくやったよ。少なくとも、ファントムガールとユリア、このふ
たりが重傷を負ったのは確かだ。ここで一気に波状攻撃をかければ・・・奴らを壊滅できるだろ う」
愉快そうに笑うのは、メフェレス・久慈仁紀だった。こちらも、サ―ペントの死を、いかほどに
も悲しんでいる様子はない。彼の頭には、駒としての計算しかないようだった。
「それはそうだけど・・・波状攻撃なんて、できるの?」
「ククク・・・それがいるのだ。とっておきの悪魔がな。何人いるか知らんが、これでファントム
ガールは終わりだ。」
久慈の瞳が残虐に燃える。そこには勝利を確信した色が浮んでいる。
「わはははは! ファントムガールどもよ、次に現れるときが、貴様らの命日だ! 里美か?
ナナか? ユリアか? 誰でもいい、悪魔が貴様らの命を食いたがっている。今のうちに、せ いぜい喜んでおくんだな。ワハハハハ!」
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