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4
東の空が紅に燃え始める。
蒸せるような熱気の日々の中で、唯一清涼感ある風を感じられる時。心地良く頬になびく明
け風を、久慈仁紀は廃墟と化したような街の、メイン道路の中央で受けていた。
ひとけがまるでないのは、早朝だからという理由に依らなかった。
街自体に人がいない。
この地方のベッドタウンという顔を持つ街は、巨大な女神と悪鬼の闘いに巻き込まれ、半壊
滅状態に陥っていた。政府からの退去勧告など受けずとも、人々は我先にと街から逃げ出し た。元より、多くの人が帰るべき家を失っていた。瓦解した多くのマンション群が、この街が担 った役割を無効化していた。
傾いたビル、道に溢れたコンクリの破片と土埃。
朝焼けに浮ぶ街のシルエットは、人々の生活臭という魂を抜かれ、廃墟と呼ぶに似つかわし
い雰囲気を漂わせている。
そして、そのシルエットに浮ぶ、この街の無情感をもっとも象徴した、いびつな影がひとつ。
久慈が今立っているのは、そのいびつな影の真ん前であった。
尖った顎を傾け、上空を見上げながら、ニヒルという言葉がこの世で最も似合う高校三年生
は、ずっとそうして立ち続けていた。
白々と夜が明け始め、彼の周りには、待ち合わせでもしていたように、ひとつ、ふたつと人影
が集まり始める。
合計4つの影が集合したとき、久慈はその薄い唇をおもむろに開けた。
「見つからなかったのか?」
「ムリよォ~~! だってぇどこ行ったかぁ、ぜ~~んぜんわかんないんだもん~~」
咎められてると勘違いした神崎ちゆりは、間髪入れずに反論する。夜間中を走りまわされ
て、気分屋の「闇豹」は、不満げな表情をあからさまに見せている。
桜宮桃子が己を犠牲にして成功させたテレポーテーション。瞬間移動によって飛ばされた五
十嵐里美を、侵略者たちは夜通しかけて捜索したが、発見までには至らなかったのだ。桃子に とって初めての能力、そして衰弱した体力を考えれば、里美の移動先は近くに限定されるのだ が、それでも範囲は広かった。また、正体を隠す必然性がある彼らにとって、里美捜索の特殊 部隊がうろつく街は、堂々と動きにくい場所でもあった。
「幸い、まだ政府の連中も確保できていないようだけど・・・もう陽も昇るわ。どうする? メフェ
レス」
廃墟をバックにした構図にも色気漂う片倉響子の、常に冷静な声が訊く。
「ちゆりと田所センセ、そしてマリー。お前たち3人はファントムガール・ナナを抹殺しろ。人類
どもに見せつけて、たっぷりと嬲り殺してやるんだ。響子は引き続き五十嵐里美の捜索。オレ は万一新戦士が現れた時に備え、待機しておく」
前回、ファントムガールとユリアを倒した磐石の布陣と、ほぼ同様の作戦を久慈は告げる。マ
リーがいる以上、ナナは敵ではない。注意すべきは新しい光の戦士の出現のみ。だが、メフェ レス自ら待機することで、すでに対抗策は完成している。
「あとは貴様を使って、ナナを誘き出すだけだ・・・なあ?」
目の前にそびえる漆黒なビルに久慈は語りかける。
その頂上、エナジーを吸い尽くされたファントムガール・ユリアは、長い手足をぐったりと垂ら
して、惨めな敗北の姿を仇敵の眼前に晒していた。
正義敗北の象徴、漆黒のモニュメントから500mほど離れた地下一階に、その居酒屋はあ
った。
オススメメニューが貼られた階段を降りていくと、そのまま店の入り口に着く。多国籍料理を
謳った店の中は、50席ほどのテーブルが用意されていた。奥にはステージがあり、アンプセッ トやスタンドマイクがきちんと整えられているのが、ちょっとしたウリになっているようだ。
多大な被害を受けたとはいえ、街にはまだ電気・ガス・水道がちゃんと配給されている。店内
の照明が暗いのは、元からなのだろう。
ヒールを甲高く鳴らして、片倉響子はひとり店に入ってきた。
とっくの昔に従業員が逃げた店は、いまや出入り自由となっていた。この店に限らず、この中
央区の建物、ほとんどがそうだ。巨大な闘いが終了後、頃合いをみてそれぞれに己の城に戻 った人々は、大事なモノだけをまとめて仮住居へと移っていった。おかげで中央区には、命知 らずなホームレスたちが次々と集まってきていた。
洋酒のボトルが並んだカウンターをすり抜け、響子は奥へと進む。つきあたり、ふたつの扉
のうちの左が化粧室、右側がスタッフのロッカーになっている。
迷わず、右側を開ける。
六坪の空間に縦長のロッカーが並んでいる。
奥に、いかにも安物といった、3人掛けのビニール製のソファー。
そこに五十嵐里美は横たわっていた。
黄色の毛布が掛けられ、顔だけが覗いている。憔悴しきった寝顔には、うっすらと汗が滲ん
でいる。普段以上に青白い顔色からは、いかに生気を失っているかが思い知れたが、毛布が かすかに上下していることから、その生命が枯れてはいないことを確認できる。
「?!!」
異変に気付いた響子は、突如背後に沸いた圧倒的戦慄に振り返る。
肉の壁。
膨大な熱量を内に含んだ壁に、無意識に響子の身体は飛んでいた。
2mを一度に後方へと飛び、間合いを外して壁と対峙する。
「待たせたわね。でも、そこまで殺気立たなくてもいいんじゃない?」
低めのトーンは落ちついて聞こえたが、妖艶な美女の内心は泡だっていた。すぐに喋り始め
たのは、彼女の本意ではない。そうでもしなければ、一気に襲われそうだったからだ。
「今度こそきちんと説明してもらおうか」
黒のタンクトップに迷彩柄のバギーパンツといった出で立ちで、工藤吼介はそこに立ってい
た。響子の侵入に気付き、ドアの影にでも隠れていたのだろう。先程の戦慄が、消していた闘 気を開放したため起こったものだとは、説明を受けずともわかった。
「あんたがこんなとこに呼び出した理由はわからない」
いつもは男臭い顔に浮んでいる陽気さは、かけらもなく消えていた。
「オレなりに何かあると感じて、黙って待っていたが・・・明け方になってようやく現れたあんた
は、こんな状態の里美を連れてきた。オレもなんだか訳がわからんから、いったん出ていくとい うあんたを見逃したが・・・」
元々獅子のごとき視線が、鋭さを増す。露出の多い衣装だけに、瘤のように膨れ上がった筋
肉は、圧倒的な質量で響子に迫った。ジリ・・・という音とともに、響子の足は一歩後退してい た。
「里美を見たぜ。あれは・・・拷問されてるな」
「早まらないで。私の話を聞きなさい」
「散歩中に偶然見かけた、なんて言うんじゃないよな」
長い黒髪に隠れた耳は、その時奇妙な音を聞いた。
キシキシ・・・ミシミシ・・・
何かが軋む音色。
一瞬動物の鳴き声かと惑わされたそれは、工藤吼介の身体から聞こえてきていた。
露になった胸、肩、腕、背中・・・いや、全身の筋肉が、巨大化している。
音の正体は、本気になった格闘獣の、筋肉が膨張、凝縮、洗練される音だったのだ。
筋繊維の一本一本までが明瞭になり、鋼鉄を思わせるまでにカチカチに固まった肉体。それ
は、岩のような巨体が、ダイヤモンドのサイボーグに変身する様を思わせる。
ヤル気だ。
この男は私をヤル気だ。
危険を察知した響子は、マグマが噴火する前に、大声で叫ぶ。
「待って! 私がそのコの敵なら、こんなところに戻ってこないわ!」
爆発しかけた筋肉が、ピクリと動いて止まる。
吼介の理性と判断力は、まだ十分に残っていた。響子の言葉に説得力を感じた男の身体か
ら、みるみるうちに緊張が解けていく。
自然、女教師の口からは溜め息が洩れていた。
桜宮桃子のテレポートが初めての挑戦であることを知った響子は、必ずその行き先が、桃子
の心に強く残った場所であろうと推理した。響子に超能力などはないが、強く意識することが重 要であることぐらいは知っている。近辺で、強く桃子が意識できる場所・・・必死で街を捜索する 久慈たちの目を盗んで、響子はひとり地下の拷問室へと戻っていった。
里美が宙吊りで拷問を受け、桃子が犯され処女を散らせたあの部屋。桃子が生涯忘れ得な
いであろうあの部屋に、予想通り、里美はいた。意識のない里美を背負って、苦労して運んだ というのに、ここで吼介に暴れられては堪ったものではない。
「あなたが利口な男で良かったわ。これからも、冷静に聞いてもらいたいわね」
落ち着きを幾分取り戻して、片倉響子は取り出したタバコに火を着ける。そうすることで、自
分と相手をリラックスさせる狙いがあった。
「あなたに話したいことがあるわ。いつかは話すつもりだったけど・・・あの男が思った以上に
子供だったために、時期が早まった。覚悟して聞いて。冷静でいないと、最後まで聞くのは難し いわよ――」
AM6:15、中央区。
昇り始めた熱い日差しが、柔らかな朝靄を切り裂く。
静かな朝。だが、平穏は、上空から降った轟音に掻き消される。
黒い流星がふたつ、遥か虚空より暗黒のとぐろを巻いて大地に落ちる。
数日前、ふたりの女神が四体の魔獣に蹂躙され、敗れ去った土地に、今再び黒い稲妻が疾
走する。
ファントムガール・ユリアが放置されたビルを、挟むようにして現れた2体のキメラ・ミュータン
ト。
黄色に黒の斑点、肩や胸、腰、腕や足には銀色の毛がアクセントとしてついている。肉食獣
特有の牙が覗く口。サファイアを埋めこんだような瞳は日の出を反射して輝いている。銀色の 髪はウェーブがかかっているためか、女性が豹柄の着ぐるみと銀色のビキニを重ね着してい るように見える。
邪気を放ちながらも、華麗さも持ち合わせた豹のミュータントに対して、もう一方の濃緑のミュ
ータントはおぞましさに満ちている。吸盤付きの手足はヌメ光り、8本あるのを確認せずともタコ とのキメラであることがわかる。濃緑なのはヘドロのような粘液が全身を覆っているからだ。ふ たつの小さな目だけが、赤く異彩を放っている。
豹とタコの怪物。つい何日か前に現れ、街を破壊し、美しきふたりの少女戦士を血祭りにあ
げたミュータントたちが、再びこの地に参上したのだ。
「んじゃあ~~、早速やっちゃおっかぁ~!」
けだるい夏の朝に合わぬ嬉々とした声。魔豹マヴェルに催促され、タコのミュータント・クトル
が、そのドロドロの身体をモノ言わぬユリアに近付けていく。
濃緑の足が四本、飛ぶ。
ユリアの手首と足首に絡まるや、触手は無惨に変わり果てた天使を一気に引き寄せる。空
中に固定され、ユリアの死体はぶらぶらと垂れ下がる。
「美少女は死して尚、味わい深いものです」
醜悪な容姿に合わぬ、丁寧な口調。
次の瞬間、五本目の触手は下方から、開けられたユリアの股間を突き刺す。
ドズン!!
根元まで男根代わりの触手を突き入れられ、華奢なユリアの身体は大きく揺れる。
さらに2本の触手が、小ぶりな乳房をひとつづつ、トグロを巻いて絡め取る。壊しかねん勢い
で、形のよい果実を搾乳し始める。最後に残った触手は、半開きのままの口に、これも根元ま で突き入り、容赦なくピストン運動を開始する。
「あはははは♪ 小鳥ちゃ~~ん、あんたは死んでも楽にさせないよォ~? 惨めな姿を~
~、みんなに見せてやってねぇ~~!」
「死姦もなかなかよいものです。ユリアくんは締まりがいいので、十分楽しめる。そしてこの儚
げで、脆弱な肉体。弱者を嬲るのは、また格別な嗜虐心をくすぐられます」
地球を守る光の戦士を死姦する。
ただそれを目的に、2匹は現れたのだ。守護天使を嘲り、辱めるためだけに。
胸は潰れて変形し、口と最も大事な箇所は、擦り切れんばかりに触手を出し入れされる。ユ
リアに反応があるわけもなく、震動に細かく動くのみ。
やがて白い汚液が、ゴボゴボと口と股間から溢れ出る。
狂ったように笑う魔豹の嘲りを一身に受け、休む間もなくピストン運動が再開される。
もはや、ユリアはクトルのマスターベーション用の「道具」でしかなかった。
「早い。早すぎる!」
どんな非常時にもペースを崩さない老紳士の声が切迫していた。深謀遠慮を絵に描いたよう
な執事・安藤が見せる動揺。それ自体が事態の深刻さを示していた。
仕掛けるつもりが、逆に仕掛けられた。
今日の午後、準備が揃い次第、藤木七菜江ことファントムガール・ナナにユリア救出計画を
実行させる予定だった。恐らくユリアを晒したビルの近くに、メフェレスらは隠れているだろう。 それでも不意を突くことで、一気にユリアにエナジーを注入して復活させる、というのが作戦だ ったのだ。
それが、どうした気まぐれか、こんな早朝から奴らは現れた。
ユリア死姦は間違いなく、ナナを誘い出す作戦。わかりきった挑発だが、それでも我慢できず
に飛び出してしまうのが、藤木七菜江という少女であることを敵はよく理解している。
本来なら飛び出そうとする七菜江を、安藤は拳銃を使っても制止しなければならない。これま
でにも似たケースはあったが、今回ばかりは危険度が段違いなのだ。確実な敗北が待ち受け る罠に、みすみす少女を行かせるわけにはいかない。
しかし、クトルが行っている挑発は、彼らが思っている以上の効果があった。ユリアにエナジ
ーを注げば蘇る、とはいえ、重傷を負った肉体の限界は近いのだ。だからこそ、今日、勝負を 掛けることにした。掛けざるを得なかった。クトルは単に挑発で死姦しているのだろうが、これ 以上ユリアの肉体を消耗されれば、復活の道は完全に閉ざされてしまう。
「安藤さんッ!!」
朝が苦手なはずの七菜江が、勢い良く扉を開ける。少女の眼には、微塵の揺らぎすらない。
怒りと決意のみが色濃くたぎっている。
「藤木様、昨日お話した通りです。西条様救出に全力を傾けなさい!」
「はいッ!!」
疾風となってジェットラインがある地下へと駆けるショートカットの少女。
やるしか道はなかった。数度の幸運が重ならねば勝てぬ闘いだとわかっていても、人類に残
された選択肢はそれしかなかった。
「あとは・・・彼の能力に賭けるだけです」
ひとり呟いた安藤は、非常時でも繋がる政府特製の緊急回線を使い、ある場所へ連絡を取
り始めた。
死者への凄惨な陵辱現場に、眩い閃光が錯綜する。
朝焼けの白い空が広がる世界。まだ温度が上がる前の、過ごし易い時間帯。住人の多くが
去った崩れかけた街で、人類の希望を背負った最後の天使の闘いが始まろうとしている。
「来た来たあ~♪ 苛めがいのあるメスネコちゃんが」
散乱した光が一箇所に集中し、一際明るく輝きを放つ。
鮮やかな銀に、涼やかな青の模様が施された巨大な少女が、光の化身となって現れる。
健康的な青髪のショートカット、セーラー服を連想させる模様、瑞々しくも抜群のプロポーショ
ン。
蜘蛛のキメラ・ミュータント、シヴァに惨敗を喫して以来、一般の人々には消息不明と伝えら
れていたファントムガール・ナナの、久々の勇姿であった。
「お前らッ・・・ふざけるなアッッ――ッッ!!」
空気が、震撼する。
ナナは吼えていた。勝手にそうしていた。変身の余韻もなく。
登場と同時にナナが放つ、凄まじい怒気。その闘志は、すでに沸点に達していた。
道具となった美少女を嬲るのに、有頂天になっていた二匹の魔物に緊張が走る。圧倒的優
位の中で、彼らは油断していた。ナナが向かってくることすら、どこか懐疑的であった。罠を張 っておびき寄せた相手の、湯気となって立ち昇る闘気に、豹と触手はたじろいだ。
貫いていた触手を抜き、ボロボロの黄色の少女を放り捨てる。
戦闘態勢を整え、迎撃すべき青い少女を見据える。
歪んでいる。
ナナの周囲が陽炎のように歪んで見える。
発する激情で、蜃気楼が発生しているのか?! いや、そんなわけはない。小さな身体には
収まりきれない憤怒が、錯覚を催すほどに発散されているのだ。
「ほほう、この状況で、我々と闘うつもりですか? 可愛らしいお嬢さ――」
ドンッッッ!!!
始まった。
諭すように語る、国語教師の成れの果てに、青い稲妻が突撃する。
「んッッ?!!!」
台詞の途中で、左のストレートがハードヒットする。
恐るべき超少女のダッシュ力。青い弾丸となって懐に跳び込むや、スピードと勢いを拳に乗
せて、クトルの顔面を撃ち抜く。
口の中を切ったのか、血の霧を吹きながら、8本足の巨体が軽がると大地と平行に吹っ飛ん
でいく。
「え?!」
横にたっていた濃緑の巨獣が、瞬時に青い戦士に変わったのを、マヴェルは茫然と見ている
だけだった。
スピードに乗ったナナが、続けざまに放った右の裏拳は、無防備な銀豹の右頬に吸い込まれ
る。
バキャッッ!! という派手な破壊音。
180度回転したマヴェルが、頭から地面に撃墜する。
「許さないッ!! 許さないぞオオッッッ――ッッ!!!」
再度ナナが咆哮する。
ダウンを奪ったぐらいでは晴れない憤怒が、女性らしい全身を駆け巡っている。
ユリアを陵辱の果てに殺し、なおその遺体を辱めるなんて・・・
許せるはずが、ない。
己が最後の希望であることも、勝算がないに等しい苦闘が待っていることも、今のナナには
頭になかった。
ただ、目の前の悪魔たちを、この手でぶちのめさなけりゃ気が済まない。
「こッ、このクソアマぁッッ――ッッ!!!」
這いつくばった地面からすかさず立ち上がり、右頬をひしゃげた女豹が、血で朱色に染まっ
た口を開ける。強烈な一撃にブチ切れたマヴェルは、じっくり嬲れというメフェレスの言葉も忘 れて、必殺の超音波で一気にナナ抹殺を狙う。
いなかった。
破壊のメロディーを聞かせるべき相手は、さっきまでいたはずの場所に立っていなかった。
「後ろだぁッ!!」
振り返った瞬間、マヴェルの視界を紺碧が占め尽くす。
グッシャアアアアッッ・・・!!!
ナナ怒りの一撃は、豹の顔面中央に、見事なまでにめり込んでいた。
ヌチャリ・・・拳を抜く青い天使。
鼻と口からの鮮血で、赤く染まったマヴェルの顔が明らかになる。
2、3歩ヨロヨロと後退った銀豹が、震える両手を顔に持っていく。
グチャリ・・・ベコ・・・ヌチャ・・・
陥没した鼻を、無理矢理に元の位置に戻す。
「よくも・・・・・・よくも、マヴェルの顔をォォ~~・・・殺してやらあッッ――ッックソガキがあああ
ッッッ―――ッッッ!!!」
満開となる狂気。
マヴェルの正体・神崎ちゆりにとって、顔を汚されることは最大の屈辱だった。自称ファッショ
ンリーダーを気取る彼女にとって、自慢の顔に手を出されることは万死に値する。
青い爪が鋭利に光る。ナイフと同等の切れ味を誇る10本のそれで、勝気と可憐を併せ持っ
たナナの容貌を切り刻まねば気が済まない。狂った精神そのままに、しっちゃかめっちゃかに 両手を振るう。
「クソ生意気になに睨んでやがんだアアアッッ―――ッッッ!!! 目玉くりぬいて、顔踏み
潰して、はらわたぶちまけてやらあアアアッッ――ッッッ!!!」
10本のナイフが煌く。風を巻いて殺到する。
本物の豹さながらの野獣性と速度。銀の皮膚が裂け、青い髪が舞い飛ぶ。
だが、ナナが許したのは「かする」までだった。
号砲。
十二分に豹の攻撃を見切った聖少女が、一発のボディーブローでマヴェルの動きを止める。
「ごッッ・・・ぱあッッ!!」
血反吐が牙の狭間から噴き出す。
丸太で胴を貫かれたような衝撃。グラマラスな肉体から繰り出されるナナの突きの威力は、
完全に少女の枠を逸脱していた。
内臓を抉られる苦悶を、殺気に彩られた怒りが凌駕する。一瞬後、マヴェルの爪は、旋風と
なって憎き青い小娘に襲いかかる。
ビュン! ビュン! ビュビュビュン! ビュビュビュビュン!
よける。よける。よける。
爪の射程距離内にいながらにして、ナナは無軌道な刃物の嵐を全て避けきる。
友を辱められた怒りに、全能力を覚醒させたスーパーアスリート・藤木七菜江の本気は、自
堕落に生きてきた「闇豹」の手に負える代物ではなかった。
五十嵐里美に成す術なくやられた時以上の実力差を、焦りの中で魔豹は自覚し始めてい
た。
ドゴンッッッ!!!
ナナの左フックが、脇腹に突き刺さる。
内臓を貫く衝撃に、再びマヴェルの動きが止まる。血塊がこぼれる。
白目を剥いた豹の顎に、青い噴火がアッパーとなって突き上がる。
「くうッッ!」
ヒット直前で、守護天使の肢体はトンボを2回切って後方へ飛び退った。
残像を背後から迫った濃緑の槍が四本、すり抜ける。こめられた濃密な殺気が、少女に危
機を回避させた。
「クトル!!」
「ユリアくんとの闘いを見ていなかったのですか? 骨格も関節もない私に、あの程度の攻撃
は効きませんよ!」
空中の聖少女に残りの触手が殺到する。一撃めを避けることを予見していた魔獣の、充分
な勝算に満ちた追撃。自由の利かない空中で、張りのある肉体が絡め取られる。右手首が、 左足が、首が、腰が。なんとか着地した豊満な肢体を、さらに全ての触手が絡んでいく。
あっという間に両手、両足、胴体までをも封じ込められ、濃緑に包まれた少女戦士が、緊縛
にもがく。
ファースト・コンタクトで握った主導権は、2vs1という不利な状況下で、ナナの手元からするり
と逃げていった。
「くッ・・・ううぅ・・・くうぅッ・・・」
必死で身を捩るナナ。肉の充満したバストやヒップが存在感を示して揺れるが、絡まった触
手は戒めをますます強めてくる。
「ぷ・・・ぐぷぷ・・・・・・おッ、おのれェェェェ~~ッッ・・・クソネコめェェ~~ッッ、ザマアみろ!
コナゴナにしてやるううぅぅあああッッ――ッッ!!!」
吐血で真っ赤に染まった顔面で、サファイアの眼が憎悪に燃えている。身動きできない相手
への躊躇など、「闇豹」にあろうはずがない。あるのは確実に痛ぶれる愉悦。ノックアウト寸前 にまで追い込まれた屈辱が、危険な悪女をさらに獰猛に仕立てていた。
パカリと口が開く。
生え揃った牙が覗く。その奥から、魔豹必殺の破壊音波が顔を見せる。ファントムガール・五
十嵐里美を悶絶させた、恐怖の旋律が。
「うおおおおおおッッッ―――ッッッ!!!」
少女戦士が雄叫びをあげる。触手で締めあげられたボディーラインが小刻みに震える。
ズバ抜けた運動能力の持ち主・藤木七菜江の全力が開放される。
絡め取られた全身を、振るう。
四肢に、胴体にキツく食い込んだ触手は外れることはない。だが。
「なッ?!! ぐうッ・・・ぐおおおッッ?!!」
捕獲しているクトルの巨体が、小さな少女のパワーに振り回される!
触手の縛りは強烈でも、そこから引っ張る力が、ナナの方が上なのだ。それはつまり、藤木
七菜江の腕力が、中年教師田所の筋力を、単純に上回っているという、信じ難い事実を示して いた。
巨大なヘドロの塊が、青い少女を中心に振り回される。ハンマー投げのように。
驚愕に音波発射のタイミングを逸したマヴェルに、自らの意志では制御不能になったタコの
巨獣を激突させる。
弾かれるように吹っ飛ぶ魔豹。
もんどりうって倒れたクトルの触手は、意地を見せるかのごとく、青い天使に絡まったまま。
ナナの右手が強引に引かれる。
再度、少女に引っ張られ、宙を舞う粘液まみれの巨大タコ。
渾身の力をこめた右拳が、白光を帯びて待ち受ける。
「破アアッッ!!!」
ファントムガール・ナナの、全力の右ストレート。
水枕が破裂する音が轟き、魔獣の絶叫が木霊する。
クトルは攻撃が効かないとうそぶいたが・・・骨がなかろうが、関節がなかろうが、ダメージは
受ける。痛いものは痛い。クトルの言葉はまやかしに過ぎない。
ユリアが完膚なきまでに敗れ去ったのは、柔術という技術体系が、軟体生物のキメラ・ミュー
タントとはあまりに相性が悪過ぎたためだ。完勝のイメージを利用して、己を強大に見せようと 目論んだのだが、怒りに駆られ、猪突猛進するナナに対しては無駄な小細工といえた。
超少女の光の一撃に、ズルリと触手から力が抜ける。
「お前はッッ・・・ゼッタイに許さないッッ!!!」
拳を引く。続けて、右の正拳逆突き。
細腕に隠された無限のパワーが、潮流となって色欲に飲み込まれた魔獣を穿つ。
グッチャアアアアッッッ!!!
濃緑の粘液が弾けとぶ。
正義の鉄拳に、爆発したようにヘドロを撒き散らして、巨大タコは遥か虚空を飛んでいく。
長い空の旅を終え、立ち並ぶマンション群に激突したクトルが、土煙に埋もれていく。触手が
のたうち、痙攣する。太陽のような少女戦士の、怒りに燃える炎の拳は、2撃にして魔獣を壊 滅寸前にまで追いこんだのだ。
数日前に正義が屍れ伏した大地で、青い戦士がひとり立つ。今、地に平伏し、痙攣するの
は、聖少女たちに暴虐の限りを尽くした侵略者たち。
「まだだ! ユリちゃんの仇は、あたしが取るッ!!」
立ちあがろうとするマヴェルに、追撃の手を緩めない青い閃光が疾走する。
「いけません! 西条様の救出を優先しないと!」
激情のあまり、本来の使命を見失ったナナに、モニター越しの安藤の叱咤は聞こえるはずも
なかった。
「うああああああああッッッ―――――ッッッ!!!!」
悲鳴とともに、雷に打たれたようにナナの足が止まる。
ビクンと仰け反った肢体が、一瞬後に胸を掻き毟って倒れ込む。殺虫剤を浴びた昆虫のよう
に、アスファルトの地面を転げ回って悶絶するナナ。何軒かの家屋が踏み潰され、倒壊する が、突如襲った激痛は、少女戦士を悶えさせずにはいられない。
「あくうううッッ――ッッ!!! む、胸があああッッッ!!! あがああッッ・・・うわああああ
ああッッッ―――ッッッ!!!」
眉を八の字に寄せ、泣きそうな表情で喚き続ける守護天使。
その向こうに、巨大な黒衣の僧侶姿が浮かび上がる。
「マッ・・・マリーィィィ・・・・・・」
現れた。
現れてしまった。最悪の魔女が。
人間体時に対峙し、人形の呪怨が生み出す煉獄に、七菜江を突き落とした黒魔術師。一矢
すら報いれずに惨敗した天敵が、ついに現れてしまった。
こうなる前に、ユリアにエナジーを与えねばならなかった。なのに、熱くなって本当の使命を忘
れるなんて・・・己の未熟さが、痛切に幼い少女を咎め苛む。
だが、後悔しても始まらない。やるしかないのだ。
灼熱の鉄棒で腹部を貫かれた激痛が、聖少女の身を焦がす。食中毒を起こした時の、失神
しそうなあの痛み。胃腸を捻られたような地獄の苦しみが、何倍にも増幅されてナナを襲って いる。
「はぐううううぅぅぅ~~~~ッッッ・・・かはあああッッッ・・・・・・」
マリーの手にした青い人形に、突き刺さった五寸釘。丁度腹部の中央に刺さったそれを、ぐり
ぐりと魔女はこね回す。その度に天使はジタバタと手足を震わせ、身を捩らせて苦痛に踊る。
「ふ・・・あは・・・あはははは♪ あーはっはっはっはっ! 調子に乗りやがってッ、このクソガ
キめッ!! いい気味だ! ・・・おい、マヴェルをこんな顔にして、覚悟はできてんだろーなあ ッ?!」
形勢逆転。
先程まで痙攣していた魔豹がゆっくりと立ちあがり、猛攻を続けたファントムガール・ナナが
地を這っている。マリーの人形に、手も足も出ず翻弄される守護少女に、あらゆる物質を崩壊 させる悪魔の旋律が、放射される。
「ナナッ、壊れちまいなッ!」
カー――――ッッッ!!!
不気味な咆哮が、牙だらけの口腔の奥から放たれる。
特殊音波による震動で、全ての物質を分子レベルから分解してしまうマヴェル最大の必殺技
は、光の守護膜に覆われたファントムガールですら、まともに食らえば命の保証はない。
不可視な砲弾が、空気中の酸素や窒素を消失させながら、魔呪に囚われた天使を襲う。
避けた。
全身のバネを弾ませ、瞬時に跳びあがったナナは、宙返りを打って死の旋律から逃げてい
た。苦痛に歪む口から、涎が糸を引く。
豹の巨大な眼が、さらに大きく見開かれる。だが、いつまでも驚いているほど、悪女は呑気で
はない。
続けざまの追撃。
当たれば確実に肉体が崩れ落ちる魔の奔流を、ナナは再びかわした。今度は側転で。フラ
フラの肢体は、着地の衝撃に耐えきれず、覚束ない足取りで、前後左右に揺れ続ける。
「はがああッッ!!・・・・・・くうぅぅッッ・・・・・ぐぐぐ・・・・」
「こッ・・・こいつぅぅ~~ッッ・・・なんてしぶとい女! マリー、あんたの術、ホントに効いてんの
ォォッッ?!!」
呪い人形は、十分に効果を発揮していた。
腹部を押さえたナナの顔面は蒼白となり、汗と涎で濡れ光っている。くの字に折れ曲がった
女体は、足元が定まらず、急性アルコール中毒者のようにフラついて、立つのもやっとという有 り様。魔術の痛撃は、青い少女を確実に捉えて蹂躙している。
それでも動けるのが、ファントムガール・ナナの超少女たる所以。
“くッ・・・苦しい・・・よォォッッ・・・・・・お、お腹がッ・・・グチャグチャにこねられてる・・・みた
い・・・・・・・で、でも、あたしがッ! あたしがやらなきゃッ!!”
苦痛に細まる切れ長の瞳が、距離を置いた先の黒衣を睨む。あの人形さえなんとかできれ
ば・・・勝機は充分に見えてくる。
だが、マヴェルに黒魔術の効果を疑われた魔女にとって、それは最大の屈辱だった。周囲に
気味悪がれ、バカにされるなかで、黒魔術の存在を信奉し続けた女。マリーの執念は怨念と呼 べるレベルに達していた。黒い想いが闇のパワーとなって、孤立無援の少女戦士に襲いかか る。
2本目の釘が、渦巻く憎悪をこめて、青い人形の胸のクリスタルを貫く。
「ぎやああああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
命の象徴を責められた、可憐な聖少女の絶叫。
丸まっていた肢体が一気に仰け反り、大の字になって硬直する。あまりに巨大すぎる激痛
は、少女から悶える自由さえ奪い、ただ痛みに服従することのみを強制する。
バラバラに切り刻まれ、尚意識があったなら、こんな苦痛になるのだろう。
最大の弱点エナジークリスタルを、魔呪で責められる地獄は、とても常人に耐えられるもので
はない。
「ナナくん! 楽に死なせなどしませんよ。その豊満な肉壷の味、存分に吸い尽くしてあげま
す!」
瓦礫から、ヘドロと血に濡れたタコの魔獣が立ち上がる。
天使の強烈な打撃も、ミュータントを滅ぼすまでには至らなかったのだ。
失神から覚めたクトルは、復讐に燃える触手の槍を、魔痛に磔られた青の天使に斉射する。
「!! なんと!!」
超少女の精神力と運動能力は、三たび魔物たちを驚愕させる。
壮絶な苦痛に意識すら刈り取られたはずのナナは、ジャンプとともにこの窮地を脱していた。
あと、ほんの数秒早く、クトルが蘇生していたら、青と銀の肢体は穴だらけになっていただろう。 わずかなタイムラグが、最後の守護天使をゲームオーバーから救ったのだ。
「化け物かッ、てめえはッ!!」
銀毛の豹が、凶悪な爪を振りかざして、青の戦士に踊りかかる。
呪いの釘を2本も受けているのだ、ナナが満足に動けるわけはない。初斬はかわしたもの
の、二撃めが右頬に3本の朱線を描く。容赦ない豹の斬撃は、ナナの左肩から右脇腹までを、 一気に袈裟斬りに裂く。
「うくぅッッ!!・・・・・・はッ、はあッ、・・・あああ・・・・・」
グラグラと揺れ動く青の肢体。全身を灼く激痛にダンスし続けるが、それでも致命傷は外して
いる。マヴェルの爪も皮膚を裂いたまでで、噴き出した血ほどのダメージはない。
1vs3となった戦況、呪い人形の魔力。
もはやファントムガール・ナナを取り巻く状況は最悪なものであるはずだった。勝利どころか、
戦闘自体が困難なほどの。それが、苦境であるのは確かなものの、ここまで抵抗してくると は・・・恐るべきポテンシャルの高さが、悪魔たちの背に冷たいものを走らせる。
「・・・・・・この女・・・・・・・」
ほとんど喋ることのないマリーが、黒のフードの奥で呟く。施術者はナナが呪術に屈しない理
由に気付き始めていた。
ファントムガールもミュータントも、『エデン』の融合者が操る光や闇のエネルギーは、元とな
る人間(生物)の、精神力と大きな関連を持っている。簡単に言ってしまえば、美しい心の持ち 主ほど強大な光を使い、悪党ほど強い闇を操れるのだ。
今、藤木七菜江の心に去来するもの、それは人類を救うという使命感もあるが、もっと具体
的な、仲間を救いたいという懸命な気持ち。そして悪を倒したいという純粋な正義。
そのピュアな「正」の心が、光のエネルギーを強化し、ナナを悪魔の術から守っているのだ。
無論、それは絶対的な防御ではない。耐久力を上昇させた程度だ。だから、ナナの窮地は
変わっていない。しかし、生身時にはいいように弄ばれた相手に、2本も呪いの釘を受けてな お、動けるまでになっていた。絶望的な闘いに、わずかな希望を射し込んだのだ。
フラつきながら、豹の猛攻をかわし続ける少女が、不意に掌を魔術師へと向ける。
白光が放たれる。ハンド・スラッシュ。
立ち尽くす魔女に直撃寸前、レーザーはタコの触手に妨害される。バチンッッ! という爆発
音が響き、ヘドロにまみれた足から赤い血が噴き出る。
「こ、こいつッッ・・・反撃するつも・・・」
動揺する女豹の鼻先を、青いグローブがかすめる。壮絶な激痛に悶えているはずのナナが
放ったフック。青息吐息の獲物が、徐々にだが、確実に力を盛り返してきている。
克服しかけている―――。
魔術の苦しみを、たかが女子高生が正体の女神とやらが克服しようとしている。
信じられない、いや、有り得ない。
だが、現実にこの女は・・・小生意気なスポーツ少女は、激痛に震えながらも逆襲に転じよう
としている。
“ユリちゃんを助けるためには、余分な体力は使えない! マリーを倒すには、ハンド・スラッ
シュで充分なはず”
苦痛に耐えながらの闘いは、想像以上に体力を消耗する。常に筋肉を緊張させざるを得な
いからだ。元々ペース配分が苦手なナナは、つま先まで汗ビッショリとなって、相当エネルギー を使ってしまっていた。
しかし、魔女マリーは強力な魔術攻撃の反面、防御に関しては弱い。オカルト少女であるマリ
ーこと黒田真理子は、体力的には一般人より遥かに劣る。簡単に出せるが、威力は軽めのハ ンド・スラッシュで倒せる可能性は十分あり、倒せずとも人形さえ消滅できれば、1vs3でも今 のナナなら勝ち目はある。
敵もそれがわかっているからこそ、身を挺してクトルがマリーを守ったのだ。仲間意識ではな
い、マリーが倒れれば、今度は己が危ういことを察知しているからこそ。
まずい、これはまずい。
圧倒的優位に立っているはずのマヴェルの額を、一筋の汗が流れ落ちる。
「往生際が悪いですよ、ナナくん!」
余裕ある台詞とは裏腹に、焦ったクトルが触手を飛ばす。
青い戦士が消える。違う、凄まじい速度で、一気にバックステップでかわしたのだ。
勢い余った触手が、ナナの計算通り、逃げ遅れた魔豹に絡まっていく。
「バッ・・・バカッ! なにしてんのよオッッ!」
「うおおッッ?! お、おのれッ・・・」
慌てる触手が、ますます絡み合っていく。同士討ちの豹とタコの背後に、両手を高々と掲げた
ファントムガール・ナナ。
スラム・ショット。
ナナ最大の必殺技、ハンドボールをモチーフにした光球が、天使の頭上で神々しく輝く。高密
度の光の小太陽。轟音とともに凄まじい勢いで渦巻くエネルギー体が、ミュータントの一瞬の隙 に完成していた。
「なッ・・・なんだとオオオッッッ―――ッッッ!!!」
叫ぶ魔豹。絡み合った2体の魔獣の延長線上にマリーがいる。一発で3匹を消滅できる、絶
好のポジショニング。
来た。最大のチャンスが来た。
苦痛の海にもがきながら、必ず訪れるであろう、千載一遇の好機を待った。絶望的状況でも
勝利できる、奇跡の一瞬を。ただそれだけを信じて、耐え忍んできた少女戦士に与えられた、 最大最高の好機。
「この一発で・・・キメてやるうぅぅ――ッッ!!!」
膨大な力を消費する必殺技。しかし、このチャンスに、迷うことなくナナは決断していた。
マリーが新たな針を抜き出す。遅い。
それより速く、白い光球を持ったナナが振りかぶる。
「待てッッ!! 五十嵐里美が死んでもいいのかッ?!!」
ナナの動きが、止まった。
間隙を縫って、マリーの針が、人形の下腹部のクリスタルを突く。
ビクンッッと仰け反る青い天使。白い弾丸から、光の粒子が剥がれていく。だが、ナナの気持
ちが乗り移ったような光球は、小さくなっても完全には消失しない。
「人質がいるのを忘れんなよなア~~ッ! これ以上調子こくと、里美を切り刻んで、死体を
街中にバラまくぞ! それでもいいのかよオオ~~ッ?!」
もちろん、マヴェルの言葉はハッタリだ。すでに里美には逃げられているのだから。だが、そ
の事実をナナが知るわけはない。
振りかぶった姿勢のナナが、小刻みに震えている。それは魔呪の痛みゆえか、それとも・・・
“ここで言うことを聞いたら・・・あたしが勝つチャンスはもうない。里美さんはもう死んだの。死
んだのよ、七菜江。諦めて、スラム・ショットを撃たなきゃ・・・”
「・・・あ、あたしが・・・そんな脅しに乗ると・・・」
「あぁ?! メフェレスぅぅ~~、聞こえてるぅ? 里美の内臓、ぶちまけていいみたいよオ?」
瞬時に光球が消える。
それはナナ自らの意志によるものだった。
どしゃり・・・と大地を揺るがせながら、ナナは膝から崩れ落ちる。
膝立ち状態になって俯く聖少女。その両肩が激しく上下する。強く噛んだ唇から血が滲む。積
み重なったダメージではなく、悔しさが少女戦士を脱力させていた。
脅しに屈しちゃいけないのに・・・非情にならなきゃいけないのに・・・里美より人類のことを考
えなきゃいけないのに・・・
「ゴメンなさい・・・やっぱりあたしには、できないみたい・・・」
「フンッ! わかりゃあいいのよォ、このクソガキがッッ!」
涙は流れずとも、泣き崩れる少女を、3体の魔物が囲む。闘いだからとはいえ、あまりにも悲
痛な光景といえた。絶望的な状況を、たったひとり、根性という精神力で覆した少女を、人質、 しかも嘘の人質という、不条理極まりない要素が、敗北に追いやってしまう哀切。
ズバ抜けた運動能力と気力を持つ超少女が、純粋すぎる心を持つが故に、悪に蹂躙されよ
うとしている。
「た~~っぷりお返ししてやるよォ、この発育のいいカラダにねェ~! クトル、準備はいいか
い?」
欲望を剥き出しにした中年教師の声で、タコ魔獣が笑う。
戦闘を放棄した最後の守護天使を、濃緑の触手が捕らえた・・・
巨大なモニターの中で、青い戦士の絶叫が轟く。三体のミュータントによる天使処刑劇を、執
事安藤は目を逸らすことなく凝視していた。
良い誤算と、悪い予感の的中が、ひとつづつあった。
ファントムガール・ナナの頑張り、というか底力は、参謀格である安藤の予想を嬉しい意味で
裏切っていた。呪術にあれほど苦しみながら、勝利目前まで奮闘した少女の気力は、感動すら 覚えるものだった。
だが、ああもあっさりと里美を人質に使われたのは、安藤がシミュレートした幾パターンのう
ちで、最悪の事態であった。メフェレスたちは邪悪に彩られているのは確かだが、どこかしら悪 の美学のようなものを、感じる節もあった。無秩序に殺人を犯したりしないし、ファントムガール の正体を知っても、真っ向勝負を挑む気配もある。それだけに今回も、わずかな期待を寄せて いたのだが・・・ファントムガール抹殺に賭けるメフェレスの想いは、それだけ本気ということらし い。また、ナナの予想外の戦闘力が、里美を人質にせざるを得ないようにした、とも言える。
プラスが1で、マイナスが1。結局予想通りとなった戦況は、ナナの私刑、という終末に向かう
ステージを迎えている。
「藤木様、あなたは大変よく奮闘されておられる。ですが、ここから先は、あの男の力次第と
なりそうです」
里美を捕虜として使われれば、口でなんと言おうと、七菜江が闘えないのは、老執事には予
めわかりきっていることだった。もう、ナナは闘えまい。願うのは、ユリア救出のためのエネル ギーを確保することだけだ。
「我々の頼みは、一刻も早く、あの男が完成させることだけ。藤木様のエナジーが残っている
うちに、なんとか、なんとか間に合ってくれ・・・」
粘液まみれの触手が蠢くたびに、ヌチャヌチャと淫らな響きが早朝の街に木霊する。
ファントムガール・ナナの青いボディ―ラインは、腐臭漂うヘドロに覆われ、濃緑に染め上げ
られていた。
抵抗しなくなった若き戦士を感じさせるのは、熟練した女豹や変態教師には容易い作業だっ
た。荒々しく肉の詰まった胸や尻肉を揉みしだくと、ナナの敏感な箇所は、あっという間に具現 化した。十分に濡れきっていない蜜壷に、強引に触手の槍が挿し込まれると、ナナは最初の絶 叫を甲高くあげた。
パーフェクトといっていいスタイルを持つ美神を前に、悪魔たちの心を暗く塗りつぶすのは、
欲望ではなく憎悪であった。
自慢の顔を汚された女豹。生徒に失神させられた変態教師。黒魔術を否定されかけた魔
女。いずれにとっても著しくプライドを傷つけられていた。一歩間違えば、滅ばされていたかもし れない、憎き小娘・・・抵抗をやめた超少女を前に、ドス黒い炎が燃えあがる。
服従を示したナナの四肢を、触手はがんじがらめに縛りつけた。いつ気が変わるか、わから
ないからだ。それだけでは自由を奪えないのは、先程の闘いで先刻承知のミュータントたち は、マリーが人形のふたつのクリスタルに釘を打つことで、聖少女の反撃を不可能にする。激 痛に絡め取られたナナに、触手の束縛を凌駕する力はもはやない。
マヴェルは、ナナの性感帯が芸術的なラインを誇るバストに集中していることを知っている。
触手で、メロンのごとき双房をひとつづつ巻きつかせ、少女の身体を吊り上げさせる。愛撫とと もに痛みにも敏感な場所に、全体重を掛けられる拷問。豊満なバストが触手に締め潰され、見 る見るうちにドス黒く変色していく。
「うぎゃあああああッッ――――ッッッ!!! いッ、痛ッ、痛アアぁぁ――いィィッッ!!!
あッ、あたしの胸がアアッッ―――ッッ!!!」
密かに自信を持っているバストを破壊される仕打ちは、とても女子高生に耐えられるもので
はない。乳房に全体重をかけて吊るされたナナは、ショックと苦痛に喚いた。
さらに豹のピンク色に光る手が、双丘の先端に現れた小さめの突起を滅茶苦茶に擦り上げ
る。
激痛と官能が混在して押し寄せる怒涛に、あどけなさを留めた天使の脳内は、バチバチとス
パークする。食いしばった白い歯の間から、泡がこぼれていく。
最後の触手は無防備なお尻の秘穴へと進み、容赦なく突き入れられる。下半身に挿入され
た2本の槍は、愛撫などという面倒はしなかった。ドリルで抉るように、MAXパワーで回転させ る。
「うああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
勝気な少女の面影が消え、口を全開にして叫ぶ正義の使者。
憤怒と憎悪に燃える侵略者たちがナナの肉体に刻むのは、陵辱ではなかった。それは破
壊。
性感帯を責める行為も、悦楽を目指してのものではない。ナナを苦しめるためだ。痛みだけ
の単調な刺激よりも、性興奮とブレンドさせることが、まだ蕾の少女戦士の苦痛を倍化させる。
焦らしも緩急もなく、力任せに乱暴に、小さくてもグラマラスな肢体に、クライマックスで刺激を
叩き込む。休みなく肉体を貪り尽くされる煉獄に、ナナの精気は強引に搾り取られていった。そ んな破壊劇が、もう5分以上も続いている。
“気・・・気が・・・おかしくなっちゃ・・・う・・・・・・・も、もう・・・やめ・・・て・・・”
「おらおらアアッ――ッッ、まだまだこんなもんじゃアすまねえぞォォッッ!!」
桃色の津波を送り込んでくる豹の手が、両乳首から外れる。ホッとするのもつかの間、銀毛
に覆われた右手は、無防備に目前に差し出された、下腹部のクリスタルを握る。
「ふああッッ?!! そッ、そこはァァッッ!!」
「あはははは! 天国にイッちゃいなあッ!!」
子宮であり、体組織を司る器官でもあるもうひとつのクリスタル。
剥き出しの性感帯に、悦楽の魔光を照射された青い天使の口から、天をつんざく悲鳴が洩
れる。
喘ぎと呻きがミックスした大音声は、滅びかけた街の朝焼けに鳴り渡っていった。
ドカッ! ・・・・バキッ! ・・・・ドスッ!
肉を打つ音とともに、銀と青の守護天使がフラフラとひとけのない街をよろめく。
そうやって、豹とタコの間を何往復しただろうか。
前のめりに倒れかかるナナを、不敵に笑うマヴェルが抱きとめる。
ぐったりと宿敵にもたれかかる天使の銀色は、あちこちが黒く煤汚れている。何十発と浴び
た殴打が、光の戦士の肌を傷ませていた。明るい笑顔が似合う美少女のマスクは、血が滲 み、腫れあがっている。
暴力的に昇天させられたナナは、休むことなく蘇生させられていた。マヴェルとクトルの拳
が、憎しみのままに叩きこまれる。呪い人形の激痛を受けたまま、光の少女はいいように殴打 のリンチに晒された。
「さっきまでの威勢はどこ行ったんだよォッ!」
満足に立てなくなった少女戦士を、左肩で支えながら、右のボディーブローを嵐のように繰り
出す魔豹。腹筋が痙攣し、可愛らしい唇から血塊がこぼれても、腹部への打撃は止まらない。
「げふううッッ!! あッ・・・あぐああッ・・・・・・ごぼおォッッ!!」
「別にいいんだぜえ、反撃してもォ~? た~だ、大好きな生徒会長さんの内臓がァ~、どっ
かの夕食に出されるだけェ♪」
ピクピクと震えるナナが、そのショートカットを悪女に向ける。陽気な少女の眼光の鋭さに、一
瞬マヴェルはたじろいだ。
「ホンットに可愛げのないガキッ!! 生意気なんだよ、てめえはッ!!」
思いきり振りかぶったパンチは、瑞々しい胸の果実にめり込んだ。
弾けるように吹っ飛ぶ青の戦士。血が糸を引き、大の字のまま、仰向けに倒れていく。
背後から絡みつく触手が、天使に休息を与えない。手首足首を捕縛するや、磔状態で空中
に固定する。大きく手足を広げた抜群のプロポーションが反りあがり、ミシミシと背骨が悲鳴を あげる。
「くあああ・あ・あ・あ・・・・・あああッッ・・・・・・」
「まったく元気のいいお嬢さんだ。私もあなたのひまわりのような明るさに惹かれていました。
しかし、その反抗的な態度は頂けません。お仕置きが必要のようですね、ナナくん」
残りの触手が一斉に少女戦士の背中に踊りかかる。
殴打、殴打、殴打。
ショートカットの後頭部を、くびれた腰を、張り出したヒップを・・・動けないナナの背中を、四本
の触手が暴風雨となって殴りまくる。苦悶に歪む唇から、鮮血の破片が散っていく。
それだけでは許されない。
前方からは魔豹の虐待。狂気に彩られた拳が、愛くるしい顔や、張りのあるバスト、引き締ま
ったウエストに埋まっていく。まるでナナの長所を狙うように、豹のミュータントは打撃の雨を降 らせていく。
「がッ! ぐうッ! あッ?! あうッ! うくッ!・・・ごぶ・・・うッ・・・うああ・・・がはァッ!」
呻き声が、断続的にナナから搾り出されていく。表面上の痛みだけではない、呪い人形によ
る魔術の苦しみも途絶えてはいないのだ。常人離れした体力をもつ超少女・藤木七菜江といえ ど、刻まれていくダメージは、耐えられる範疇のものではない。
“あ・・・たし・・・・・・壊され・・・・・・ちゃ・・・・う・・・・・・・”
銀の皮膚がボコボコに歪み、吐血で前面が朱色に染まるころ、ようやく暴打の嵐は止んだ。
触手が緩む。
全身を腫れあがらせた無惨な天使は、地響きをたてて、ぐったりとその場に座り込む。炎の
ような荒い吐息が、少女の疲労度を明確に伝える。
「さ~~て、本格的なリンチと行こうかしらぁ~~ん♪」
マヴェルの口調に、嘲りのイントネーションが混じる。この悪女が間延びした喋り方をするの
は、敵を見くびっている証拠だ。すでにファントムガール・ナナは、「闇豹」の中では“終わって” いた。
再び触手が獲物を捕らえる。今度は螺旋状に撒きつく。反抗をやめ、魔呪の痛撃に満足に
動けぬ少女だが、それでもクトルは緊縛せずにはいられない。
座った姿勢のまま、触手に締め上げられるナナ。その眼前に、下卑た笑いを浮かべる女豹
が立つ。
「ナナぁ~~、あんた、マヴェルの顔を殴っちゃったんだよねェ~~・・・当然罰は覚悟してる
んだろォ~~なぁ~?」
俯いていたショートカットが、キッと睨み上げる。深紅に染まった歯を食い縛り、こみ上げる怒
りを必死で堪えている。人質という不条理に屈し、悔しさを我慢する健気な表情は、ナナの容 貌に実によく似合った。くくく・・・可愛らしいこと。勝気とあどけなさを併せ持つ美少女を破壊す る快楽が、狂った悪女を心底から歓喜させる。
「あんたのその憎ったらしい顔ォ~~、ぶっ潰してやるよォ♪」
蹴りやすい位置にあるナナの顔面を、振り上げたマヴェルの右足がサッカーボールをシュー
トするように蹴り抜く。
バッキャアアアアッッッ!!!
凄まじい打撃音。思わずクトルが顔を背ける。
逃げることのできない天使の顔に、豹の右足がめりこんでいる。飛び散った血痕が、倒壊し
たビルの瓦礫に付着する。
ヌチャアア・・・
引き抜いた右足と顔の間に、緋色の橋が架かる。ビクビクと引き攣る光の戦士。ドロリとした
血が、美少女のマスクを真っ赤に染めている。
「あーっはっはっはっ! ほらほらほらア――ッッ!!」
全力でナナの顔が蹴り上げられる。乾いた打撃音が、絶望の街に二度、三度と打ち鳴らされ
る。
返り血が、銀毛に覆われた豹の足を深紅に塗りつぶす。
光の防御膜に包まれたファントムガールの肉体は、並の打撃などでは壊れはしない。
しかし、頭部を、最も筋力のある足で、しかも最も蹴りやすい位置において、蹴り続けられた
のだ。
ホームベース型の顔は潰れてはいなかったが、唇は切れ、目蓋は腫れあがっていた。明ら
かに脳震盪を起こした虚ろな視線は、少女戦士の精神的ショックを示すように、宙空をさまよっ ている。
「あく・・・・・・あ・あ・あ・・・・・あああ・・・・・・ああ~~・・・・」
「そうやって呻いてりゃあ、いいのよォ~。でもォ、まだまだァ~~♪」
転がっている、オフィスビルの残骸をひとつ、手に取る魔豹。念を込めると、闇のパワーを注
がれたコンクリートの破片は、漆黒に変色していく。
ただの物質なら、光のエネルギーを増幅して形成されたファントムガールの肉体に、大きな
ダメージを与えることはできない。だが、闇の力を吸収した物体が、光の戦士を傷つけること は、前回漆黒のビルに叩きつけられ粉砕された、ファントムガール・五十嵐里美が証明済み だ。
“そ・・・それで・・・あたしを殴るつもり・・・・?・・・”
グラつく意識でぼんやりとナナは考える。凶器となった残骸で殴られれば、顔に傷がつく程度
では済まないだろう。
が、マヴェルの残虐性は、純情な少女の想像を遥かに超越していた。
顎を掴んで無理矢理にナナの口をこじ開けた豹は、真っ黒な瓦礫の塊を、天使の口腔にね
じ込む。
意図を悟ったナナの瞳が恐怖に見開く。ブルブルと激しくかぶりを振る少女を見下して、ニヤ
リと笑った魔豹が再びシュート態勢に入る。
「んんんッッッ――――ッッッ!!! んんんんッッッ~~~ッッッ!!!」
「あははははは♪ グチャグチャになりなァ――ッッ!!!」
グワッシャアアアアアッッッ!!!
壮絶な破壊の音色が轟き渡る。
ピクン・・・ピクン・・・
痙攣する少女の身体が、触手の戒めが解かれると同時に、ゆっくりと前のめりに倒れてい
く。
地に倒れんとする青いショートカットを、豹の右手が鷲掴む。脱力した肢体が、反動でグラリ
と揺れる。
ゴボリ・・・・・・・
血まみれの残骸が、コナゴナになって聖少女の口からこぼれる。
ボチョボチョボチョッ・・・信じられないほど大量の血の滝が、次から次へとナナの口から流れ
落ちていく。恐らく口腔中が切り裂かれてしまったのは間違いない。
マヴェルが手を放すと同時に、被虐の女子高生は大地に倒れ伏す。小刻みに震える少女を
横目に、悪の華は次々と手ごろな残骸を見つけては、闇のエネルギーを注入していく。
「い~い顔になったじゃなぁ~い。今度はそのエッチなカラダを潰してあげるぅ」
うつ伏せに転がる銀と青の美神。肉感的にして未成熟な芸術的肢体を、マヴェルは足でひっ
くり返す。仰向けになるナナ。半開きの口は深紅に染まり、ドクドクと血が湧き続けている。
ぐったりと大の字のまま動かない少女戦士の身体に、魔豹は漆黒の残骸を置いていく。太股
にひとつづつ、左右の脇腹と乳房にもひとつづつ。
その上から容赦なくクトルの触手が、青い天使を捕縛する。ミイラのごとく、触手でぐるぐる巻
きにされるナナ。気をつけ、の状態で縛り上げられ、無駄な抵抗を示してもがく手首から先と、 苦痛に歪む顔だけを残して、全身が触手に巻きつかれる。強烈な締めつけによる圧迫感と、 残骸が肉に食い込む鋭い痛み。桜の花びらに似た唇から、弱々しい呻き声が洩れる。
生贄を捧げるかのごとく、光の天使が高々と触手に掲げられる。触手の隙間からはみ出した
両手が、痛みに耐えて、グッと強く握られている。
「じゃあぁ~~、これからぁ~~、ナナのジュースを作りま――す♪」
マヴェルの言葉を合図に、タコの魔獣は下半身に絡みついている触手を、一気に全力で締
め上げる。
ギュウウウウウウッッ・・・メリメリメリッ・・・ブチブチッッ・・・
「ああぁッ?!! うわああああああああッッッ――――ッッッ!!!! あッ、足がアアアッ
ッ―――ッッッ!!!」
太股の筋繊維を引き裂きながら、残骸が食い込んでいく激痛にナナは絶叫した。
拳ほどもあった残骸が、完全に大腿部に埋没したことがわかる。握り締めていた両手は、五
指を突っ張って開ききっている。
「いい顔です、ナナくん。ですが脇腹を潰される痛みは、こんなものではすみませんよ」
胴に絡まった触手が、締め上げられる。
「いぎゃああああああッッッ――――ッッッ!!!! うぎぎぎィィッッ、うあぎゃあああああッッ
ッ――――ッッッ!!!! わッ、脇腹がアアッッ・・・つッ、潰れるぅうッッ~~ッッ!!! くぅ ッ、くるし・・・いィィッッ~~ッッ・・・うはぁッ・・・がはッ・・・ぐぷ・・・はひ・・・・・・」
ミシミシミシ・・・ゴキッ・・・ゴリゴリ・・・ベキキッ・・・バキィッ・・・
肋骨が折れる無惨な音が響くたび、ガクガクと少女戦士の顔は前後に揺れた。ビルの破片
がくびれた腰に食い込み、内臓を潰さんばかりにアバラを圧迫する。気絶しそうな苦痛に、触 手が締まるたびに、ナナは悲鳴をあげた。
「今度はその美しい胸です。自慢のバスト、破壊して差し上げましょう」
ギュウウウウウッッ!! ズブブブブッッ、メリメリメリッッ!!!
「わああああああッッッ―――ッッッ!!!! いやああああッッッ―――ッッッ!!!!」
瑞々しい若い果実に、凶器と化した残骸が埋まっていく。ほぼ完全な円を描くはちきれんば
かりの柔肉が、鋭利なビルの破片と圧搾によって潰されていく。
幼い肉体に闇の鉱物を埋め込まれる地獄。埋没した後も、締め上げられる拷問は、とても少
女に耐えられるモノではない。
小さな身体に6つもの残骸を飲み込んだナナが、叫び続ける。激痛に歪んだ顔が、狂ったよ
うに暴れまくる。触手が顔を包まなかったのは、このためだったとは知らず、聖少女は悪魔の シナリオ通りに悶絶した。
ポト・・・ポト・・・ポト・・・
突き破った皮膚から滲んだ血が、突っ張った指から垂れていく。触手の中の天使は、己の流
す血に塗られていた。青のグローブには、網の目状に赤い線が走っている。
“あ・・・あ・・・潰れる・・・潰されちゃう・・・・・・胸もお腹も足も・・・グチャグチャに・・・・・・・・・
こ・・・んな・・・耐えらん・・・・・な・・・い・・・・・”
「ジュースの量が足りないようです。少し、弱ってもらいましょうか」
クトルの宣告は、壮絶な痛みに翻弄される天使には聞こえなかった。
ゴキュウウッ・・・ゴキュウウ・・・ゴキュウウ・・・
張りついた吸盤がグラマラスな肉体から、容赦なく聖なる力を搾り取る。
「ふはああッッ?!! エ、エナジーがああああッッッ―――ッッ!!! す、吸われッッ・・・
吸い取られてッッ・・・やッ、やめェェッッ・・・吸われていくううぅぅぅッッ―――ッッッ!!!!」
悲痛な戦士の叫びがこだまする。
強気に見える細めの瞳が点滅する。急激にエネルギーを奪われるショックが、光の少女を激
しく揺さぶっていた。今のナナにとって、それは最も避けねばならない攻撃だった。最悪の事態 が、聖少女がすがる細い糸をも切断しようとしている。
“ダメ・・・・・・ダメ・・・・・・・・こんなに吸われたら・・・・・ユリ・・・ユリちゃん・・・を・・・・・・・”
切なる願いが途切れたように、青いショートカットがガクンと垂れる。
うな垂れる守護天使を、触手は最大限に伸びて、天空へと差し上げる。ナナの身長の約5
倍、250mほどの上空に捕らえられる、被虐の少女戦士。一直線に伸びた8本の触手が、光 のエネルギーを飲み込むたびに、ボコボコと変形して波打つ。
「はぐうぅぅ・・・・・ふあぁ・・・・・・はああ・・・・・・」
「地獄に堕ちなさい、ナナくん」
タコの足が急激に引かれる。
重力による落下に引き落とす力が加えられ、聖少女は高速で一気に大地へと叩きつけられ
る。青のショートカットが霞む。
「ぐはアアああああああッッッ――――ッッッ!!!」
弾けんばかりに肉の充満した肢体が、叩きつけの衝撃を全身に浴びる。残骸が突き刺す鋭
痛と、柔肉が潰される圧痛は、糸引く悲鳴を搾り出させた。
苦悶に歪む巨大な美少女が、すかさず目一杯高い位置に掲げられる。
二撃め。超スピードで叩きつけられる、肉感的な肢体。
獲物を粉々にする勢いで、濃緑のとぐろが何度も何度も天と大地とを往復する。
全身に巻きつく触手が、衝撃を吸収するかに見えるが、実際は逆だった。触手を伝わって伝
播するため、大地に落とされるたびに、ナナの究極のボディは強烈に締めつけられた。圧迫に 遠くなる意識は、柔肌を穿つ残骸によって呼び戻される。骨が軋み、内臓が潰され、肉の繊維 が削られる。繰り返される三重苦が、最後の少女戦士を破壊していく。
濃緑の隙間からはみでた青い両手が、小刻みに震える。
幾重にも巻かれた触手の間から、じっとりと血が滲み出る。その中身がいかに悲惨な姿にな
っているかは、簡単に想像できた。
虚ろにさまよう視線に、満足そうに笑う女豹が近付いてくるのが映る。
「ど~~う? 生意気なクソ猫ちゃ~~ん。おっきなオッパイ潰されちゃう気分はぁ~~? ず
いぶん大人しくなっちゃったじゃ~~ん」
「・・・ぅく・・・・・・・はふぇ・・・・・・が・あ・あ・・・・・・・」
「そろそろトドメといこっかぁ~♪」
右手に持っていた漆黒の残骸を、キュートという表現が似つかわしい顔の真ん中に置くマヴ
ェル。間髪入れずに触手が、破片ごと頭部を包む。
「ッッッ!!!! ―――ッッッ!!!!」
「あははははは! ミンチになりなあーッ、子猫ちゃん!」
濃緑の包みから、唯一覗くナナの身体=両手が、狂ったように暴れ回る。声すら発すること
のできない聖少女の悲鳴を、知らせるように。
クトルを中心に巨大台風が、絶望の街に出現する。正義の天使を使ったハンマー投げ。触
手を回転させ、凄まじい速度で獲物を振り回す。人間の眼では捉えることが困難な速さ。触手 の先にあるはずの、戦士を包む巨大な濃緑の塊が、かすんでよく見えない。巻き起こる風が、 廃墟化した街の粉塵をあげ、コンクリートの欠片を吹き飛ばす。ギュンギュンと唸る突風は、朝 焼けに色づく夏の雲さえ吹き散らす。加速と遠心力で生まれた破壊的なGにより、ナナの肉体 は悲痛な叫びをあげ、意識は白い世界に溶けていく。
「クトルーッ、“あれ”にぶつけてやりなぁッ~~ッ!」
豹の青い爪が指差したのは、里美を砕き、ユリを晒した、漆黒のビル。
光の戦士にとって、大地とは比べ物にならない硬度を持つ闇の建造物に、爆発的速度を乗
せて、捕縛の天使をぶちかます。
ブッパアアアアアアンンンンッッッ!!!!
ダイナマイトが破裂した音が、朝空に轟き響く。
静寂がしばし世界を覆う。破裂音の余韻だけが、無情な戦地に溶けていく。
触手の塊が、半壊したビルに埋まっている。引き抜くと、ガラガラと崩れた瓦礫が落ちていく。
再びクトルは、獲物を高く掲げる。青の両手は大きく開かれ、全ての指を断末魔に震わして
いる。
触手が全力で締め上げる。
ぶしゅうううううううッッッ・・・・・・・
夥しい量の血飛沫が、触手の隙間から噴霧される。
ビクンと突っ張った青い手が、力を失ってダラリと垂れる。
触手が緩み、獲物が開放される。
胎児が生まれるように、ドロリとした大量の血塊を纏って、グラマラスな肢体が落下する。
受け身も取れずにドシャリと地に落ちた天使。自らの血溜まりに仰向けに沈む少女の肉体に
は、真っ黒な塊が7つ、顔と乳房と脇腹と太股とに埋没している。
三匹の巨大生物が、血まみれの守護者を囲む。マヴェルが腹部の中央を踏みつけると、反
動で7つの残骸が、ズボリと小さな身体からこぼれる。
陥没した窪みから、ドクドクと鮮血が溢れ出ていく。
瞳の青い灯りは消え、ピクリとも動かない戦士のクリスタルが、ゆっくりと点滅し始める。
「あっはっはっはっはっはっ! これでファントムガールは全滅ねぇ~~! 人類の希望とや
らも、マヴェルたちの相手じゃなかったみた~~い♪」
魔豹の勝利宣言が高らかに宣告される。
数日前に正義が惨敗した大地には、薄汚れた黄色の戦士の死体と、無惨な姿で血海に沈む
青い戦士。悪夢の光景が、再び繰り広げられていた。
5
どうやら、今日こそパズルは完成するようだ。
かつてさんざん銀色の少女戦士たちに、世界制覇の計画を邪魔された久慈仁紀は、思い描
いた絵がついに実現する確信を得ていた。
ファントムガール・ナナの並外れた格闘センスを、身をもって知っている久慈は、密かに少女
の底力を危惧していたが、人質を盾にされたナナはあまりに脆かった。単純な嘘にかかる純 朴さは、久慈には愚劣にしか思えなかった。ナナはもう、闘えまい。たとえその気になろうとも、 呪い人形がある限り、全力で動くことも不可能だ。超少女の脅威は、すでにゼロといえた。
唯一の不安であった新戦士の存在も、杞憂に終わりそうだった。もしいるのなら、とっくに現
れているはずだ。新たなファントムガールに備え、念のために待機していたが、その必要はも うないだろう。
ナナの処刑は間もなく終わる。新たな戦士はもういない。となれば、残る心残りはただひと
つ。逃げられた、五十嵐里美の始末のみ。
「チッ、あのクズ女め。どこに飛ばしたのだ、テレポートなど・・・」
元彼女である少女の美貌を思い出しつつ、久慈は忌々しそうにひとりごちた。役立たずのう
え、反抗までされた女に、愛情などすでになかった。いや、最初から愛などなかったのだ。あっ たのは面白い道具を手に入れた喜びだけ。久慈にとっては、桃子はあくまでペット以下の価値 しかなかった。
「初めての能力で、そんなに遠くへ飛ばせているわけがない。必ず、この近くにいるはずだ。
それも恐らく、飛ばしやすい場所へ」
テレポーテーションは物体を移動させる超能力である以上、その移動先の場所を頭に思い
描いているはずだった。以前桃子は、念動力を使うときは、具体的なイメージをすると言ってい た。りんごを宙に浮かすなら、手で持つイメージをする、というように。ならば、瞬間移動をさせ るなら、具体的な場所をイメージしている可能性が高い。
・・・まてよ。
雷光のごとき閃きが、突如久慈の脳を駆け巡る。
初めてこの中央区の隠し地下室に連れられてきた桃子が、近辺で強く思い浮かべられる場
所などあるのか? あるとすれば・・・
「オレとしたことが、ぬかったぜ」
苦々しい表情を一瞬浮かべた後、甘いマスクを吊り上げて魔人は破顔した。
凄惨な屠殺場へと化しつつある戦場に背を向け、しなやかな男の脚は持ちビルの地下室へ
と駆け出した。
「さぁ~~て、どうしよっかぁ?」
ピクリとも動かず、ただヴィーン、ヴィーン、とエナジークリスタルを鳴らし続ける聖少女。青い
身体を赤く染めた戦士を見下ろして、魔豹が愉快そうに言う。
豹とタコと魔女、三体のミュータントに囲まれたナナの肉体は、破壊劇によって無惨に変わり
果てていた。右頬や豊満なバスト、引き締まったウエストや太股には、残骸によって抉られた 肉穴が、痛々しく存在している。普段のナナは、ムチムチと張りつめた胸やヒップから、健康的 で爽やかな色香を発散しているが、血祭りにあげられた凄惨さが加わった今は、逆に艶やかさ を仄かに醸し出していた。
「ホント、ダイナマイトボディーよねぇ~、このオッパイ、噛み千切りたくなっちゃう♪ ズタズタ
に切り裂いてぇ、腸を引き摺りだしてやりたい~~!」
「待ちなさい、マヴェルくん。この豊満な肉体、まずは私に楽しませてください。これで私のコレ
クションは、最高のものになる」
性器としての機能も持つ触手が、無防備に開いた股間へとゆっくりと近付いていく。
呪術にしか興味のないマリーが、人形を手にしたまま、その様子をデスマスクに似た青い眼
で覗く。
青い爪が可愛らしい容貌を切り裂くべく、光を反射して灯りの消えた瞳へと迫る。
取り返しのつかない惨劇が始まらんとする、その時――
「??」
夏の朝空に、場違いな花火があがる。
時期はともかく、時間とタイミングを、あまりに外した打ち上げ花火。
パパパパン・・・と乾いた音を残して、赤や黄色の火花が澄んだ空に消えていく。
「なあにィ~? メフェレスが気の利いたこと、してんのかなあ~?」
人々が避難した街に、あまりに不自然な光景は、悪が凝縮したようなコギャルをも、呑気な気
分にさせる。確かにその一発だけの花火は、悪の勝利を祝福しているようにも見えた。
完全に意識を失っているはずのナナの右足が、なにげに振り上げられたのは、その時だっ
た。
その“なにげなさ”に虚を突かれたマリーの手から、右足は人形だけを蹴り飛ばす。ポーンと
抜けるように、針の刺さった呪い人形は、弧を描いてアスファルトの上に落下していった。
「え?」
ゴオオオオオオオオッッッ!!!
旋風が巻き起こる。血潮を弾き飛ばして、疾風を纏ったファントムガール・ナナの身体が一瞬
で跳ね起きる。
「ウオオオオオッッッ!!!」
聖少女の雄叫び。度重なる暴虐の前に、散ったと思われた少女戦士の全身から、怒涛のご
ときパワーが満ち溢れている。ハリケーンと化した超少女の連続打撃が、見くびって近付きす ぎた3体のミュータントに発射される。
右の回転後ろ回し蹴りがマリーを、続けざまの左の横蹴りがマヴェルに叩き込まれる。爆発
で吹き飛ばされたように、ふたりの悪女は同時に彼方へ飛んだ。
ドドドドドドドド!!
1秒間に12発の連撃。マグナム弾となった左右のパンチをもろに受け、耳を塞ぎたくなる悲
鳴をあげて、クトルの巨体が吹っ飛んでいく。
まさに一瞬の出来事。まばたきする間に3体の魔獣は、復活した守護天使に、ゴムマリのよ
うに弾き飛ばされた。
「バッッ・・・バカなあッッ――ッッ!!! ど、どうして貴様ァ・・・瀕死のはずだろうがアアッッ
―――ッッ!!!」
朱に濡れた牙を尖らせて、魔豹はダウンから立ちあがるや、すかさず叫んだ。とはいえ、そ
の足元はふらついている。先程まで勝ち誇っていた悪魔たちがひれ伏し、逆に、死んだように 倒れていた天使が仁王立ちしている。
「あ、あの程度で・・・あたしが参るわけ・・・ないで・・・しょ・・・」
大きく肩を弾ませながら、ナナは強がる。銀と青の皮膚を破って滲む血は、いまだ止まっては
いない。白桃を思わす右頬は隕石が落ちたように抉られ、ビーナスに似た美乳には巨大な穴 が口を開けている。立っているだけで太股は痺れるように痛み、ヒビの入ったアバラが軋んで 鳴く。大ダメージを被っているのは確実だった。だが・・・
「い、いいのかァッ?! 里美を殺すぞォッ!! 反抗したら大好きな先輩がバラバラになる
のを忘れたのかよォッ~~ッ!!!」
「・・・・・・・・・・・くな・・・」
「あァ?? なに言ってんだァ、聞こえねえよッッ!!」
「嘘・・・つくなアアアッッ―――ッッッ!!! 里美さんは無事だアッッ!! あの花火がその
合図なのよッッ!!!」
政府直轄の特殊部隊により発見された里美は、五十嵐家の特別医務室へと運ばれたばか
りだった。低い男の声で、警察に通報が入ったのを足掛かりにして、里美は無事に保護された のだ。花火は安藤と七菜江が予め決めておいた、「里美無事保護」のサインであった。
リンチによるダメージは確かに深い。息を吸うだけで身体は軋み、疼く痛みが熱病のように
苛んでくる。ボコボコにされた自分の肉体が可哀想で、ナナは涙がでそうなくらいだ。しかし、そ んな肉体の限界を遥かに打ち破る怒りが、少女戦士を衝き動かしている。
騙された怒り、それもある。
リンチを受けた恨み、それもある。
だが、罠を張り、ペテンにかけ、多人数で痛ぶる卑劣なやり方。反撃できない状況に追いこ
み、じわじわと嬲っていく汚い闘い方が、純粋な少女には許せなかった。
こいつら・・・・・・・許さない!!
ゼッタイに、ゼッタイに、ゼッタイに・・・こいつらを倒して、ユリちゃんを復活させてみせる!!
青い戦士に光のエネルギーが瀑布となって溢れていく。その圧倒的潮流は、クトルに聖なる
力を吸収された戦士のものとは思えない。鮮血に濡れる銀の肌が、輝きを増して蘇っていく。
「調子に乗ってんじゃねえッ!! 人形がなかろうが、人質がなかろうが、半死のネコぐらい
楽勝だ! こっちは3人いるんだぜぇぇ~~ッ?!!」
まさかの逆襲を受けたマヴェルだが、その言葉には焦りはない。
ナナが思いきり殴り飛ばしたことにより、ミュータントたちは距離を置いて包囲網を完成する
ことができた。至近距離での戦闘に優れるナナにとって、現在の状況はその利点を打ち消す 事態。三方向に分かれたミュータントは、それぞれの必殺技の態勢に入っている。
マヴェルが破壊音波の準備をし、クトルは触手の狙いを定め、マリーは魔方陣を造り出そう
としている。
「『スラム・ショット』でも撃つのかアッ?! いいぜぇ~、それでもッ! ただ、ひとり死ぬ間
に、こっちは残りふたりでてめえをぶち殺せるがなア!!」
マヴェルはナナの必殺技「スラム・ショット」をよく理解していた。
最高ランク、超弩級の威力を誇る光の弾丸。一発で闇を葬るまさしく必殺技は、自在に操る
ことも可能で、一度に三体を攻撃することも確かにできる。
だが今回のケースは、標的があまりに散らばりすぎていた。対多人数の戦闘では、「スラム・
ショット」は決して有効な技とはいえなかった。
そして、「スラム・ショット」以外に脅威となる技を、ナナは持ってはいない。
人質が救出され、呪い人形が魔女の手から離れた、絶好のチャンス。ようやく全力で闘える
機会を得たというのに、傷つきすぎた天使には逆転の芽はなかった。
そう、今までのナナならば。
宿敵の挑発に耳を貸さず、守護天使は動く。魂の底から搾り出した光のエネルギーを、芸術
的な肢体から発散させる。眩しいほどに、白く輝きを纏うファントムガール・ナナ。それはまさに 天使の姿。充満する光の粒子が、大地を慄かせ、天空を震わせる。
「な、なにをするつもりだァッ?!!」
原子炉のごとき膨大な熱量の発現に、マヴェルの心に警戒が生まれる。やけになって、巨大
な光球でも造るつもりか? 異常な光の集中に圧倒されるが、3人に囲まれたナナに打つ手は ないはずだ。
青い戦士が動く。
大きく開脚し、左の膝を曲げる。豊醇な肢体が沈む。左手を真下に降ろし、ターゲットを定め
るように掌を地面につける。勇猛かつダイナミックなフォーム。精一杯引き絞った右腕が弓の ごとくにしなる。
振りかぶった右の拳が狙うのは―――大地?!!
「あはははは! なにをするかと思えば、八つ当たりかッッ! 死ねえぇぇッッ―――ッッ、ナ
ナッッ!!!」
天使を囲む三匹の悪魔が、一斉に必殺技を放たんとする。瀕死の少女戦士に逃げ場はな
い。
“決まれッッ・・・新必殺技ッッ!!!”
実戦で初めて使う新必殺技。
失敗すれば自分が殺されるだけでなく、ユリアも滅びることになる。一撃で仕留めねば、再度
放つ余力はもうない。
信じろ、流した汗と血を!!
信じろ、拳に走る痛みを!!
信じろ、努力が無駄に終わらぬことを!!
“いっけえええぇぇぇッッ――――ッッッッ!!!!”
「ソニック・シェイキングッッ!!!」
光の奔流が、右拳とともに一気に大地に叩き込まれる。
ドゴゴゴオオオオオオンンンッッッッ・・・・・・・ォォォおおおおオオオオッッッ!!!!
収斂した光が、波紋のように同心円状に広がっていく。白光の炎柱をたてながら!!
GGGGGGWWWWWWWOOOOOOOッッッ!!!!!
「なッッ!!! ・・・・・・なッッッ!!! なッッッ!!!」
マヴェルは見た。小石を投げ入れて起こした水面の波紋が、さざなみから怒涛となって押し
寄せる様を。波紋の中央でナナによって造られた光の衝撃波が、震動を増幅させ、炎柱を 徐々に高くしながら広がっていく。共鳴する震動音が、地獄の番犬・ケルベロスの雄叫びのよう に響き渡る。
ファントムガール・ナナの新必殺技『ソニック・シェイキング』―――
ゲームセンターで見た格闘ゲームを真似て造られたこの技は、見た目こそゲームと同じであ
るが、ただ光の波を同心円状に放っているわけではない。それだけでは、単に正の力を浴び せるだけで、「必殺」足り得ないだろう。
中国拳法の北派と総称される流派には、震動を敵に与えることで大きなダメージを造る技術
があるという。人間の体細胞は約70%の水分で構成されているため、震動が伝わりやすい。 これを利用して、1の打撃を10に増幅させるというのだ。
実際にそんな魔術のような技が存在するのか――それは七菜江にもわからない。ただ、工
藤吼介は衝撃の伝え方を工夫することで、威力があがる打ち方を知っていた。少女が猛特訓 していたのは、その衝撃波を生み出すパンチだったのだ。
「ソニック・シェイキング」とは、光のエネルギーに、衝撃波により生み出された超震動を封じ
込めたもの。闇の生物を細胞レベルから崩壊させ、しかも一撃にして、衝撃波が届く全範囲・ 全方位の魔を一斉に滅殺する、文字通りの「超必殺技」であった。
「ぐぎゃああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
凄絶な魔の咆哮が幾重にも重なる。
白い炎柱が逃げ場をなくした3匹の魔獣を包み込み、光の超震動を注ぐ。
聖なる光が3体のミュータントに網の目状に走り、闇により構成された体細胞を崩壊させてい
く。その威力は、魔に生きる者にとっては木っ端微塵に爆破されたほどのものであった。
広がりきった光の波紋が、効力を無くして霧散する。一瞬、白い靄に覆われた世界は、次の
瞬間には元の夏の朝に戻っていた。
「ハア・・・ハア・・・ハア・・・」
大きく肩で息をする青い少女が立っている。
その周囲にはピクリとも動かない、3つの異形な巨大生物の姿。
ガクリと膝が落ちそうになるのを、ナナは必死で堪えていた。勝利の余韻に浸っている余裕
はない。少女には重大な使命が残されていた。
フラフラと傷だらけの戦士が歩き出す。
その先には、大地に転がる黄色の戦士・ファントムガール・ユリア。
倒れ込むように仲間の側に座り込んだナナが、小さな両手をユリアの胸の中央、今は光を失
った水晶体へと伸ばす。
重なった掌が、ユリアのエナジークリスタルを包む。ゾッとする、冷たい感覚。仲間の死を実
感した少女は、己の体内に残った全ての力を掬い上げる。枯れた井戸の壁を舐め取るよう に、指先から足の爪の先まで。自分の全てを捧げて、ナナは正義のエネルギーを両手に集中 させる!
“チャンスは一度・・・・・・失敗すれば・・・二度はない・・・”
巨大な少女は、己の限界を悟っていた。膨大な光のエネルギーを必要とする蘇生術。たとえ
命を投げ打ったとしても、二度挑戦する余力がないのは、ナナ自身が痛い程理解している。
「あたしの・・・全てをあげる・・・・・・だから・・・蘇って・・・ユリア・・・」
死をも恐れぬ少女の決意。
巨大にして幼く、可憐にして甘美な肢体が、残された光のパワーを、友に捧げんとする――
「ぐあッ??!」
細い首に、濃緑の触手が巻きついたのは、まさにその瞬間だった。
ナナの両手に凝縮されたエナジーが、分散していく。
「効き・・・ましたよ・・・・・・ナナくん・・・・・・・だが・・・少々詰めが、甘かったようです・・・・・・」
ヘドロまみれの魔物が蠢いている。クトルは、死んではいなかった。
いや、クトルだけではない。黒フードの魔女も、銀毛の豹も、全身をビクビクと震わせながら
も、伏した大地から立ちあがろうとしている。
ナナが望みを賭けて放った新必殺技「ソニック・シェイキング」は、敵を滅ぼせなかったのだ。
いや、正確には、滅ぼさなかったというのが正しい。
ユリアを救うためにエネルギーを残す必要があったナナは、全力で波紋の一撃を打たなかっ
たのだ。
そしてもうひとつには、必殺技の態勢に入っていたミュータントたちの必死の抵抗もあった。
打撃が生む超震動は抑えようがないが、魔の技を放つことで、光の威力はある程度相殺でき る。技の破壊力が段違いなため、「ソニック・シェイキング」を封じることなどできなかったが、冥 土にいかずに済んだのは精一杯の魔力を放ったおかげであった。
細胞から崩壊しつつも、闇の生物たちは憤怒に駆られて立ちあがろうとしている。小癪な小
娘に、手負いにされた恨み・・・多勢対一人という図式で押されている事実が、悪の心に火を点 ける。その怒りは、もはや青い少女を嬲り殺しにしなければ、冷めることはない。
シュルシュルと、鎌口をあげた蛇に似て、触手が遠くより、座った姿勢の守護天使に飛ぶ。
類稀な戦闘能力を誇る少女戦士は、背中から迫る危機を察知していた。だが。
ドズウウウッッッ・・・
触手はファントムガール・ナナの右脇腹を貫いていた。
「あぐううッッ――ッッ!!」
柔らかな唇から、悲痛な叫びと吐血が洩れる。腹を破った触手から垂れる血が、仰向けに転
がるユリアの死体にかかっていく。
弓なりに仰け反るナナ。形のいい胸の果実が、天に向かって差し出される。それでも・・・少女
の両手は、ユリアの水晶体から離れない!
「かッ・・・構う・・・もんかアッッ!!」
ナナの両手が白く輝く。再度集中した光のパワーが、今度こそユリアのエナジークリスタルへ
と注ぎ込まれる!
「エナジー・チャージ!!」
眩い光弾が、輝きを失った水晶体に撃ち込まれる。
ドンッッッ!!!
衝撃とともに、ユリアの屍が反動で大きく波打つ。まるで心臓に電気ショックを浴びたように。
残された全ての力を、青い戦士は友に捧げた。だが、エネルギーを与えられたはずのユリア
は、生き返るはずの黄色の戦士は、瞳にもふたつのクリスタルにも光を無くしたまま、ただ横 たわっているのみ。
“ダ・・・ダメ・・・・・・・なの・・・・・・?!・・・・”
ズブリ・・・と腹部から触手が引き抜かれる。開いた穴からブシュウウッッ・・・と鮮血が、黒く汚
れたユリアに降りかかる。赤く染まっていく黄色の戦士を、ナナは絶望的な瞳で眺めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヴィ・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・ッッ!!・・・」
・・・・・・・・・・・・・・ヴィ・・・・ン・・・・・・・・・・・
ユリアの胸のクリスタルが、かすかに瞬く。
・・・・・・・・・ヴィ・・・・・・ン・・・・・・・ヴィ・・・・・ン・・・・・・
見間違いではない、確かな点滅。銀の皮膚は泥に汚れ、華奢な身体はピクリとも動かない
が、ファントムガールの命の象徴、胸の中央のクリスタルが、蛍のように青い光を煌かせたの だ。
「・・・ユ・・・ユリ・・・・・・・」
文字通り身を削った少女戦士の声が掠れる。涙は出ないはずのファントムガールの視界が
霞むなか、点滅はいよいよ明確に輝き出す。
・・・ヴィ・・・ン・・・ヴィ・・・ン・・・ヴィーン・・・ヴィーン・・・
ユリアのつぶらな瞳が、カッと青く光り輝く。
全てのエネルギーを吸い尽くされ、機能を停止していたファントムガール・ユリアが、今、ここ
に復活したのだ!
「てめえらあッッ~~ッッ!! バラバラに切り裂いてやらあアアッッ――ッッッ!!!」
襲撃。
3匹の魔獣が動けぬ天使に飛びかかっていた。
ナナは力を使いきり、ユリアは蘇ったばかり。息をするだけで精一杯の幼い女神たちに、反
撃の力はない。
「間にあった!!」
巨大モニターの前で叫ぶ老執事の声は、遠い戦場にいるミュータントに届いたろうか――
頭上から青い刃を煌かせ、ふたりの聖少女に襲いかかるマヴェル。
その目前に突如として、白い爆発が起こる。
空気中から湧きあがった光の粒子が集中し、凝縮し、巨大な塊となって暴発する。眩い光の
渦が掻き消えた後、白光の中に現れたのは――
「・・・・・んげええッッッ??!!」
踏み潰された猫のような悲鳴をあげて、「闇豹」が吹っ飛ぶ。
渾身の右ストレートを食らったサファイヤの眼が腫れあがり、折れた牙が宙を舞う。
軽く100mは弾き飛ばされ、瓦礫の中でのたうつマヴェルが吼える。
「ファ・・・ファントムガール!! まだいやがったのかあッッ!!」
巨大な影が立っている。
柔らかな曲線を持つ、少女の身体。
銀の肌に幾何学模様。神々しく、一方で儚さ漂わす、幼い天使のその姿。
マヴェルにとって、忘れようにも忘れ得まい正義の少女戦士。白光の中から現れたのは、銀
色の皮膚を夏の陽光に輝かせる巨大な少女。
そう、それは紛れもなく、ファントムガール。
地球最後の希望、第4の守護天使が、その凛々しい姿を非情な戦地に降臨させたのだ。
おおおおおお――ッッッ・・・ンンンンン・・・!!!!
地鳴りのような歓声を、闇の眷属は聞いたろうか。
本来なら聞こえるはずのない、遠く離れた土地での声。
固唾を飲んで政府の衛星から届けられる不明瞭な映像を見守っていた、戦地から遠く避難し
た人々の歓喜の雄叫び。暴虐に晒されるナナを見て、絶望しかけた傍観の民衆が、今、新た に参上した戦士に津波のようなエールを送っているのだ。
「次から次へと湧きやがってぇエエエッッ―――ッッッ!!! てめえは一体誰だアアアッッッ
―――ッッ!!!」
ドボドボと血が噴き出るのも構わず、怒りのままに魔豹は初めてみる正義の戦士を恫喝す
る。
「私は・・・ファントムガール・アリス」
アリスと名乗った新戦士の姿は、一見して他のファントムガールとは異なっていた。
銀の肌に走る幾何学模様はオレンジ色だった。比較的単純な模様は、カジュアルなトレーナ
ーの柄のようにも見える。後頭部の上の方でふたつに纏められたツインテールは赤髪。色種 は違うが、銀を基調としたデザインはいかにもファントムガールらしいものだ。
アリスが特徴的なのは、金色に輝く鎧を身につけているところだった。
ビキニのような胸と腰にセパレートした防具。甲冑の一部分というより、金属製の水着を着て
いるといった方が正確かもしれない。首にも金のリングが嵌り、パッと見、オシャレなアクセサリ ーにも見える。さらに右腕と左足は、肘と膝から先が、完全に精巧な機械で造られたものであ った。やや垂れがちな大きな瞳が目立つ顔は、間違いなく美少女のそれであったが、ビーナス の彫刻の仮面を貼りつけたように無表情だ。
装甲を着けたファントムガール。
いや、機械の身体を持つファントムガール。
それがアリスを一言で表す言葉だった。
「なるほど、ウルトラ第4の戦士が『エース』なら、ファントムガールは『アリス』ですか。ACEと
ALICE、つづりも似ている」
悠長に分析するクトルの触手が、立ち尽くすオレンジの戦士に飛ぶ。二本の足は首と左手に
容易く巻きついた。
ヘドロまみれの触手が締めつける。ぽっちゃりとまではいかないもの、やや肩幅が広い体型
のアリスだが、首や腕は反比例するようにか細い。ギシギシと肉が悲鳴をあげていく。
だが、それは全て赤髪の戦士の思惑通りだった。
自由な右手が触手を掴む。
刹那に走る電撃に、タコの巨獣が白煙をあげて崩れていく。
「まッッ・・・まさかッッ・・・てッてめえはッッ・・・!!!」
戦慄するマヴェルを尻目に、オレンジの少女は地に伏せるふたりの守護天使を見遣る。
光を取り戻したユリアの身体は、白い霧となって消え失せた。
片膝を立ててしゃがんだアリスが、安心したようにぐったりと倒れ込む青い少女を抱き起こ
す。
「手術は・・・成功したんだね・・・・・・博士は・・・間に合ったんだね・・・」
この作戦が賭けていた最後の綱、機械の身体を持つ天使の出現に、心なしか、ナナは微笑
んでみせる。
「生きて会えて・・・嬉しいよ・・・・・」
「あなたのおかげよ。でも、人間じゃなくなったけど」
淡々と言う鼻にかかった甘い声には、怒りではなく、感謝を隠す照れが含まれていた。
「喜ぶのは早いわ。こいつらを倒してからよ」
「あたしも・・・・・・闘う」
「足手まといよ。とっとと変身を解除して」
可愛らしい声に反した冷たい台詞。
だが、装甲の天使はボロボロの青い肢体を強く、強く抱いて言った。
「よくやったわ。この星を救ったのは、確かにあなたよ」
嗚咽が洩れる前に、ファントムガール・ナナの完璧なプロポーションは光の粒子となって夏の
朝に溶けた。
「てッ・・・てめえッ、なんで生きてやがるッッ?!! あの時ぶち殺したはずなのにッッ・・・」
別れの余韻を掻き消すように、銀毛の女豹が吼える。機械と融合した身体、電撃を繰り出す
攻撃・・・いくら否定しようとも浮びあがってくるファントムガール・アリスの正体に、さすがの悪女 が動揺を隠せない。
「生かされたのよ。報われない闘いの犠牲となるためにね。でも、それでもいいわ」
ツカツカとオレンジのボディーラインをくねらせて、機械の少女が進む。一歩ごとに大地が震
え、瓦礫が煙をあげるなか、最終決戦が始まろうとしていた。
「今の私には仲間がいる。神崎ちゆり・・・あんたに受けた仕打ち、まとめて返すわ」
「霧澤夕子ォォッッ――ッッ!!! 地獄に戻ってなァッ!!!」
互いの正体を叫びあったふたりが一気に跳躍し、鋼鉄の右腕と鋭利な爪を交錯させる。
飛び散った火花が、新たな死闘の幕開けの合図となった。
「この短い期間で、よく手術を成功させたものだ・・・あの男、有栖川邦彦の力がなければ、今
ごろ我が国は壊滅を迎えていたでしょうな。が、しかし・・・」
巨大モニターに映る、1vs3の闘いを見つめながら、老執事・安藤はひとり呟き続ける。彼が
考えた作戦は、全てが終了していた。多くの努力と予想外の幸運により、大成功といっていい 結果をもたらして。ただ、最終段階である、敵の撃破という点においては、未知の戦士に頼るし かない。あとは新戦士アリスの勝利を祈るだけであった。
「ミュータントどものダメージは深い。時間にしても奴らが変身していられるのは、残り20分と
いったところだろう。マリーの呪人形もなく、捕虜もいない状況で、戦局はこちらに傾き始めて いる。だが・・・それでも1対3は厳しい」
果敢に攻めこむオレンジの背中を見ながら、参謀格の紳士は冷静な戦力分析を行ってい
た。
霧澤夕子という少女を、安藤はよく知らない。それでもその闘いぶりから、戦闘の素人である
ことはすぐに察知していた。数的不利を覆すだけの実力があるのかどうか・・・カードを全て切っ てしまった安藤は、打つ手なく、指をかんで眺めているしかないのだ。
「奴らに残ったあとふたり・・・あのふたりが出てきたら・・・」
三日月に笑う黄金のマスクと、水色の蜘蛛が脳裏に浮ぶ。
ここまで辿りついた幸運に感謝しつつ、安藤は人類の最後の砦となった装甲の天使を、すが
るような視線で追い続けた。
“な、なにやってんのよォッッ、メフェレス!! 新しい邪魔者が現れたら、抹殺するのがあん
たの役目でしょオがッ!!”
焦るマヴェルの心の内は、作戦が遂行されない苛立ちで満ちていた。
光の戦士にせよ、闇の魔獣にせよ、人間の『エデン』の融合者が巨大化できる時間は、60
分が限度である。新たに出現したアリスと、すでに30分以上闘っているマヴェルたちとでは、 時間的余裕に大きな差があった。そのハンデをなくすために、あえて迎撃人員としてメフェレス が残ったはずなのに、肝心の待ち伏せ者が現れないのでは、作戦は破綻したも同じだ。
「君のような美少女がまだいたとは! アリスくん、是非私のコレクションに入ってもらいます
よ」
ナナの超震動を食らい、高圧の電流まで注がれて、軟体生物の体組織は崩れかけていた
が、そんな大ダメージを醜悪な欲望が吹き消していた。言葉の丁寧さとは裏腹な殺気を含んだ 触手が、ギリシャ彫刻の美女を彷彿とさせる造形のマスクに襲いかかる。
オレンジのグローブが濃緑の槍を払いのける。
本能のままに飛んでくる物体を叩き落すアリス。決して上手な受けではないが、パワーが少
女のものではない。腕の一振りで、まとめて数本の触手を弾き飛ばす。
8本の足の迎撃で手一杯な装甲少女を、魔豹の斬撃が背後から襲う。
前後の攻撃に対応する技術は、アリスの正体霧澤夕子にはない。五十嵐里美のような忍び
の血を引くエリートではなく、藤木七菜江のような天然の超アスリートではなく、西条ユリのよう な伝統を受け継ぐ武道の達人ではなく、ただ独学で機械工学の知識と技術を体得した天才少 女は、格闘においては全くの素人なのだ。
マヴェルの白刃が、少女の背中を切り裂く・・・ことはできなかった。
この窮地を、アリスは素人らしい単純な行動で切り抜けていた。逃げたのだ。
だが、そのスピードが尋常ではない。左足の金色のパーツが機械音を漏らすや、マッハの壁
を破って300mは彼方にオレンジの少女は移動する。ファントムガール一の身体能力を誇る ナナと、遜色ない動き。
標的を見失って狼狽する豹とタコに、アリスの右手が差し向けられる。その金色の上腕に備
えられた、円筒の発射口が、二匹のミュータントを捉える。
パパパパパパ・・・
乾いた連続音が、ひとけのないベッドタウンに木霊する。
火花を散らして発射された炸裂弾が、マシンガンのように女豹とヘドロ獣をハチの巣にしてい
く。
「げえええええッッッ!!」
血飛沫をあげてのたうつ敵を見て尚、冷徹なマスクは表情ひとつ変えない。
だが、処刑人と化した装甲天使は、突如として業火に包まれる。
「ッッッ!!!」
3人目の敵、呪術師マリーの魔法陣。呪いの人形だけが黒魔術ではない。空中に描かれた
ダビデの紋章に似た図形から、紅蓮の猛火が油断したアリスに放たれたのだ。
だが、次の瞬間、驚愕したのは黒魔術師の方だった。
纏わりつく炎を振り千切りながら、オレンジと銀の身体が突進してきたのだ。
サイボーグ戦士にとって、灼熱地獄は、他の守護天使ほどには脅威にならなかった。
赤髪のツインテールに炎をちらめかせ、アリスの右拳が、ダッシュの勢いをそのまま伝えてマ
リーを打つ。
黒衣が紙切れのように宙を舞い、12階建てのマンションに激突する。
振り返る機械少女。虚を突こうと爪を構えたマヴェルが目の前に。
美少女戦士の青い瞳が、緋色の輝きを炸裂する。
単なる閃光ではない、フラッシュビームの要素も備えた一撃に、悪の華が巨大な瞳を押さえ
て悶絶する。
「ちゆり・・・あんたに剥がされた私の眼の威力はどう?」
「ぎゃああああッッ・・・・・・ゆ、ゆるしてぇぇッッ・・・」
もんどりうって苦悶するマヴェルが、土下座するようにアリスの足元にうずくまる。狂気に満ち
た怒号が一変し、悪女の声は哀れみすら帯びた懇願になっていた。
他人を虐げることしか知らなかった「闇豹」が、滅亡寸前にまで追いやられる――全身を蝕
む痛みが、五十嵐里美と同い年の少女に変化をもたらしたとしても、なんらの不思議はなかっ た。
「マ、マヴェルの負けよォ・・・も、もう勘弁してぇぇ・・・」
甘ったるい声に戻った豹少女は、背中を丸めて震えていた。豹どころか子猫のように足元で
怯えるマヴェルに、装甲天使はそっとしゃがんで近付く。
「・・・なんて、言うわけねえだろッッ、バカがッッ!!!」
突如として牙を剥いた豹が、ナイフより鋭い青い爪を、アリスの心臓に突き立てる。
止まっていた。
罠を仕掛けて待ち受けたはずの騙しの一撃は、オレンジの左手に容易く掴まれていた。
「言うわけないわね。見え見えなのよ、あんたの芝居」
鈴のような可愛らしい音色に反した、冷酷な響き。
ゾクッとしたマヴェルが思わず仰け反る。
「ま、待って! マヴェルはこんなにボロボロなのよォ・・・今のは冗談、ホント、もうゆるしてよ
ォ・・・」
懲りもせずに、「闇豹」はシナまでつくって迫る鎧少女に哀願する。たとえ芝居とばれていて
も、手負いの相手に許しを乞われて手を出すことはできないだろう。強者に依りかかって裏世 界を生き延びてきた悪女の計算がそこにはあった。
「ぷぎいいッッッ!!!」
顔面の中央に右ストレートをめり込ませ、血を吐きながら女豹は後方にゴロゴロと転がってい
く。
渾身のパンチを打った装甲少女はそびえるように立っていた。大きな瞳が可憐なマスクが、
無表情のままで言う。
「私はナナみたいに甘くないわよ。二度死んで、二度生き返った女の怒り・・・身に染みて受け
るがいいわ」
大の字でピクピクと痙攣する魔豹に、冷徹ですらあるサイボーグ少女が歩み寄った――
地上の激闘の余波さえ届かぬ地下深く、五十嵐里美をさんざんに蹂躙し尽くした拷問部屋
に、久慈仁紀の痩身はあった。
コンクリートが剥き出された殺風景な部屋には、天井の中央から極太の麻縄が垂れ下がっ
ているのみであった。よく見れば、縄はしっとりと濡れている。わずかに篭る血臭と汗の匂い が、数時間前に繰り広げられた惨劇を思い起こさせる。
桜宮桃子がテレポートさせるのに、もっともイメージしやすい場所。確信をもって、五十嵐里
美が送転されたと踏んでいた場所には、玲瓏とした月のように美しい少女の姿は見当たらなか った。
「ここにいない・・・となると、オレの考えが間違っていたのか? しかし、あの身体で、五十嵐
里美が自力で動いたとも考えられん」
黒の綿パンツとジャケットでコーディネートされた、しなやかな肉体が振り返る。細面を照らす
暗い照明が、陰惨な影を整った容貌につけている。
「・・・いや、君がここにいるということは、やはりボクの推理は正解だったのかな?」
陰鬱であった魔人の声が、垢抜けたプレイボーイのそれへと変わっていた。
眼光のみ鋭さを残して、片隅に固まる密度の濃い闇を凝視する。
気付かなかった。気付けなかった。
仮にも柳生の剣術を修めた自分が、存在を気取らせてもらえなかった。
「一応ここはボクのビルなんだけど。不法侵入は困るなァ、工藤くん」
片膝をたてて座る工藤吼介の巨大な肉体が、部屋の端で闇に溶けこんでいた。
久慈のことばに応えるように、ゆっくりと、しかし、ずいっと音が聞こえてきそうな圧力を伴って
立ちあがる。
「そろそろ、互いに猫かぶるのはやめないか」
落ちついた調子で吼介は言った。
「初めて会った時から、お前からは嫌な匂いを感じていた。軽薄な仮面の下に隠れた悪党の
素顔が、プンプンと匂ってくるぜ」
怒りを見せるでもなく、淡々と話す逆三角形の男。薄笑いを浮かべていたヤサ男から笑みが
消え、ふーッという深い溜め息が洩れる。
「いいだろう。オレも疲れた」
声が暗黒の王のものへと戻る。
「オレも貴様は要注意人物と思っていた。下僕となればこれほどの番犬はいないが、敵に回
った場合のリスクが、あまりに高すぎる男。生かさず殺さず様子を見るつもりだったが・・・やは り五十嵐里美の側に立ったか」
「・・・あいつの名誉のために言うが、オレは里美からは何も聞いてない。いや、実を言え
ば・・・わからん」
「わからん?」
「今の状況もわからなければ、あの女の言うこともわからん。そして、オレ自身、これからどう
すればいいのかも、な。だが、ひとつだけ、ハッキリわかっていることがある」
メキイッッ・・・ビキビキビキッ・・・ミチミチッッ・・・
奇妙な鳴き声とともに、タンクトップの下の筋肉が膨張する。
傍目にわかるほどに工藤吼介の肉体が膨らんでいく。胸板は厚く、腕は太く、筋肉繊維が明
瞭化し、血管が浮びあがる。一本一本の筋繊維が凝縮して鋼鉄となり、瞬発力が装填されて いく。巨大化しすぎた筋肉が皮膚の上からくっきりわかり、人体模型のように筋肉組織を露に する。それはまさに、鋼の筋肉獣。
「里美を傷つけた貴様は許さん、久慈」
ドンッッッッ!!!!
一気に解放され、怒涛となって押し寄せる闘気が、魔人の心臓を鷲掴む。
「フン・・・たかが女一匹のために命を捨てるとは。最強が堕ちたな、工藤吼介」
吹きつく激情に、額から汗を流しながらも、冷酷な魔人はニヤリと笑ってみせた。
超高校級どころか超人間級と呼ばれ、プロ格闘家すらも凌駕すると噂される工藤吼介の強
さ。
それがいかほどのレベルに達しているかは、暴風雨並の殺気を受けているだけでわかる。
もし、久慈仁紀という一個の人間が、工藤吼介と闘えば・・・果たして勝てることができるだろ
うか? しかし、今の久慈は『エデン』の融合者なのだ。そして吼介は知らない、久慈が壊し屋・ 葛原修司を、藤木七菜江や西条ユリでさえも勝てないと断言した、長身のストライカーを、素手 で真正面から叩き潰していることを。
「最強の看板を降ろさせてやろう。そして、我が軍門に下るがいい」
久慈の両拳があがる。ボクサーそっくりの構え。
地上から隔離された地下室で、今、もうひとつの決戦の火蓋が切って落とされた。
黒のフードに包まれたデスマスクの魔女は、頭から分譲マンションに突っ込んだまま、ピクリ
とも動かない。
バルカン砲の嵐に沈んだ変態教師の成れの果ては、血の糸を引きながら、のたうち回ってい
る。
自慢の顔面を機械の力でしたたかに殴られた女豹は、ゴボゴボと血の泉を吹きながら、痙攣
続ける。
3体のミュータントを向こうに回して圧倒した、金色の装甲を身に着けた女神は、トドメを刺す
べく歩を進める。
その足は、躊躇なくマヴェルへと向かっていた。
ファントムガール・アリスが豹の化身をファースト・ターゲットにしたのは、神崎ちゆりが敵の中
枢を担う存在であるから、ではなかった。手足を解体される地獄の中で、懇願を無視されて誰 にも見られたくはなかった機械の素顔を晒された、悲痛と屈辱――霧澤夕子は忘れることはで きなかった。トドメを刺された時の、「闇豹」の哄笑を、夕子は一生忘れ得まい。
「ちゆり・・・あんたのおかげで、私は二度もあの男に助けられたのよ・・・」
かすかな機械音を鳴らして、瓦礫の散らばる大地を踏みしめていく、オレンジの守護天使。
その脳裏にはオールバックの中年男性がちらつく。
実の父親に二度も“改造”された悔しさと悲しみ。しかし、否定できない命の恩人であるという
事実と、それを感謝しなければならない苛立ち。
「あんただけはこの手で倒さないと、気が済まない!」
アーマー仕込みの右手が、豹の胸に生えている銀毛を掴む。脱力したマヴェルの上半身が、
無理矢理に引き起こされる。ガクンと揺れる頭が反動で・・・
「ッッ!!!」
牙だらけの口から、血の水鉄砲が発射される。
油断を誘ったマヴェルの騙まし討ち。無表情なマスクに、べっとりとした血糊が直撃する。
「くッ!・・・うッ・・・め、眼がッ・・・・・・ううぅッ・・・」
狼狽するアリスの手を振り切り、魔豹は一気に距離を取る。ついさっきまでKO状態だったと
は思えぬ、俊敏な動き。
吹きつけた血は毒などもない、普通のもの。つまり、目潰しとしての機能しか果たさないが、
こと戦闘においてはまるっきりの素人である霧澤夕子にとって、視覚を奪われることの不安は 深い。慌てふためき両手で血を拭うアリスは、あまりに無防備であった。
「あひゃひゃひゃひゃ! 今よォォォ、クトルぅぅッッ!!! 串刺しにしてやりなアアッ
ッ!!!」
追撃の指示は、目の見えないアリスの不安を、恐怖に変えた。
バチバチバチバチッッ!!!
内臓されたダイナモをフル回転させて、発電機と化す装甲天使。高圧電流の膜が全身を包
み、オレンジの戦士は青白い電磁の網を空中に発散する。触れるもの全てをショートさせる防 御壁、だが、その大量の発電量を見れば、いかに消耗するかは明らかだ。本来ならば決して 効率のいい技ではない。
視界を奪われた恐怖。
命の遣り取りという非日常の中で、さすがの機械少女も冷静さを欠くのは仕方のないことだっ
た。
「くッッ・・・来るなら来てみろッッ!! 私を貫いた瞬間、道連れにしてやるわ!」
動揺するアリスを嘲笑いながら、マヴェルの結晶体の瞳は、離れた触手の怪物を見る。攻撃
を命じられたクトルは、今、ようやく立ちあがってくるところだった。
目潰し攻撃は、態勢を整える時間をもたらしただけでなく、大量のエネルギー消費という副産
物まで生んだのだ。
“おかしい・・・全く攻撃してこないなんて・・・もしや単なる時間稼ぎでは・・・?”
放電を続けるアリスにも、冷静さが戻ってくる。天才と呼ばれる少女の思考回路は、戦闘とい
う場においても、その回転を鈍らせることはなかった。突然視界を失い慌ててしまったが・・・も っとベストな対応があるのではないか。このままでは、無駄にエナジーを消費するだけだ。
「うわッ!!」
思考がまとまりかけたアリスを、腐臭漂うドロドロの粘液が包む。
復活したクトルの触手の先から噴射されるヘドロ。濃緑のゲルが、8本のホースから勢い良く
噴きかけられる。小さなアリスの全身を粘液が覆い、あっという間に天使の形をしたヘドロの塊 が、廃墟の街に出現する。
「触れたら感電するなら、触れないまでです。さて、その膨大な発電がいつまで続きますか
ね?」
濃緑の体液に鮮血をまぶしたクトルの赤い眼が歪む。これまでの戦闘で負ったダメージは、
決して浅くはないはずだが、美少女を嬲る喜びが、この男を不死身たらしめているかのよう だ。
「・・・・・・」
電磁音が消える。観念したように、アリスは高圧電流の防御膜を取り払っていた。
「あははははは♪ ついに諦めたかアッッ~~ッッ!! ロボット女め、マヴェルの歌でもう一
回解体してやるよォォォ――ッッ!!!」
豹の牙が開く。あらゆる物質を分子レベルから破壊する、必殺の超音波。その照準が完全
に視界を閉ざされたアーマー戦士に向けられる。
危機一髪の新たなファントムガール、アリス。破壊の銃口が狙いを定めているというのに、動
揺して暴れた先程と打って変わって立ち尽くしたまま。
もしや、目の見えない状況で、絶望してしまったのか?
「私は・・・愚かだったわ」
「今ごろ気付いたあ~~ッ?! マヴェルに歯向かうなんて、一億年早いのよォォォ~~ッ
ッ!!!」
「冷静さを失って、自分の能力を忘れるなんてね」
アリスの右手があがる。己の首に装着した、金のリングに触れる。
ピピピピピ・・・・・・
アクセサリーと見えたリングは、電子音を発するや、その真の力を発揮する。
≪正面右10度、距離238m、敵1体、停止中。後方左25度、距離145m、敵1体、約時速
32kmで北東へ移動中。後方右76度、距離322m、敵1体、停止中。3体とも生命反応ア リ・・・≫
ヘドロに包まれたサイボーグ戦士が、大地を踏み潰して跳躍する。
視界を粘液に遮られた鎧少女が、寸分違わずタコの魔獣の正面に突入する!
「んなッッッ?!! げええええッッッ!!!」
光のエネルギーと高圧電流が混ざり合った、電撃拳。
アリス渾身の一撃が、色に狂って魔界へ落ちた、変態教師の異形の姿に叩き込まれる。
8本の足をくねらせながら、電磁網に捕らわれた巨体が集合住宅を薙ぎ倒して飛んでいく。
濃緑の体液と深紅の血液が、土砂降りとなってアスファルトを叩く。
「私は確かに実験体。でも、この身体には人間の叡智が詰まっているのよ。未来に可能性を
託した人たちのね。人工衛星からのナビゲーションシステムが、半径1km以内の敵の存在を 教えてくれる。監視の目はたとえ地下に潜ろうとも逃れられないわ」
霧澤夕子の首に架せられたリング。それは実験体である彼女の体調を、三星重工の特別研
究室へと日夜送信していたが、一方で巨大コンツェルンが誇るマザーコンピューターとも連結し ていたのだ。
敵の居場所を知らせるナビシステム。それは音声で知らせる、といったレベルのものではな
い。質量、速度、熱量などから多角的に探索した敵の存在する地点を、ダイレクトに脳に伝え るのだ。アリスの脳には、敵の数、距離、方向が記された地図が描かれるようなものだった。
「決着を着けるわ、ちゆり」
鋼鉄の右腕を稲光らせながら、ヘドロに顔を覆われた装甲天使がピタリと魔豹の方を向く。
もはや疑問の余地はない。目が見えている相手として、電撃を自在に操り、マシンのパワー
を身につけたサイボーグ戦士と闘う以外、豹柄を愛する悪女に選択肢はなかった。
機械工学の最新鋭を体内に持つ少女と、非道の限りを尽くす少女。
その闘争の行方は―――
弾丸となってアリスが突っ込む。機械の左足が、脅威の速度を生む。
パカリと開く、豹の口。
「カッッ―――ッッッ!!!」
破壊のセレナーデ。万物を崩壊する、超音波のレーザービームが、真空の龍となって迎え撃
つ。
≪正面0度、距離151mより、敵攻撃接近!≫
跳んでいた。濃緑まみれのオレンジの身体。
ジャンプ一番透明な砲撃をかわすや、右の拳を振りかぶる。
「ちゆりッッ!! 闇に戻れッッ!!」
ガッシイイイイィィィィッッッッ・・・!!!
事実上、この闘いの終了を知らせる肉の潰れる音が、朝靄にけむる街に轟き渡る。
口から吐き出された血が、飛沫となって宙を舞う。肉体から搾りとったような大量の血塊。床
にバケツの墨汁をぶちまけたように、バシャバシャと乾いたアスファルトに降っていく。
「ぐあああッッ・・・あ・あ・あ・あ・あッッ・・・がああッッッ!!!」
苦悶の呻きを漏らすのは、ファントムガール・アリスの方だった。
その身体は、片方だけで彼女以上の大きさがある、巨大な漆黒の両手に握り潰されてい
る!
毒々しい暗黒色、凶悪に長い爪・・・まさしく悪魔の手が、装甲天使を締めつける。天を仰い
だ美少女の顔は無表情のまま、小ぶりな唇を割って出た吐血が、網の目を描いてダラダラと 垂れ流れている。
“い・・・一体・・・な、なにがッッ・・・??・・・”
突如起こった圧搾に身を潰されながら、勝利を確信していたアリスの心に疑問の渦が巻き起
こる。その遥か後方。12階建てのビルの傍らで、印を結んで呪文を唱えるマリーの姿。
実体のない黒魔術の悪魔の両手。
人工衛星のレーダーでは感知不能なマリーの召喚獣を、視界を奪われた機械少女が察知で
きるわけはなかった。
ギシギシと機械の身体が悲鳴をあげる。圧迫の拷問に、身を震わせるアリスの耳に、甲高い
豹の哄笑が届いてくる。
「地獄に戻るのはお前だあああ~~ッッッ!!! 三度目の死を味わいなああああ――ッッ
ッ!!!」
パカリと豹の口が開く。
「うああ・あ・あ・あッッ・・・・・・くうッッ・・・ああああッッッ!!!」
「あははははは♪ もがいても無駄無駄ァァッッ――ッッ!! 死ねッッッ、霧澤夕子ッッ
ッ!!!!」
超音波の龍が発射される。
悪魔の掌に掴まったファントムガール・アリスは悶えることしか許されず、破壊の放射は、装
甲をつけた銀とオレンジの戦士を直撃する。
「うぎゃあああああああああッッッ――――ッッッッ!!!!」
可憐な少女の断末魔の絶叫。
爆発音が轟き、無人の街に、金色の鋼鉄の破片と、銀の皮膚がついた肉片、少女戦士の赤
い血潮が降りそぼった――
6
“巨大化だけはできんな・・・問題はこの男がどこまで知っているかだ”
ジリジリと間合いを詰めつつ、久慈仁紀の頭に、闘いにおける注意点が確認される。
工藤吼介。
恐らく久慈が知る人物のうちで、最も高い戦闘力を持つこの男が、宿敵である五十嵐里美に
好意を抱いているのは、とっくに了解事項であった。藤木七菜江に対する想いの方が本物だと いう説もあるが、そんなことは全くもってどうでもいい話だ。いずれにせよ、憎きファントムガー ルどもに非常に近い存在であるのは間違いない。
不思議なのは、なぜそんな切り札を、里美たちが切らないのか?ということだ。
考えられるのは、久慈と同じ理由だ。つまり、工藤吼介が光の戦士になるか、闇の戦士にな
るか、判別がつきにくいという点。強力な力を持つ故に、敵に回った時の脅威を思えば、吼介 に『エデン』を授けるのは、あまりにリスキーな賭けといえた。片倉響子は非常に興味を持って いたようだが、久慈がイマイチ吼介のスカウトに乗り気になれなかった理由は、そこにあった。 もちろん、里美側の人間という先入観も大きいが。
それが急転直下、この場所に現れた。
つまり、ファントムガール側は、ついに「切り札を切った」ということだ。
多分五十嵐家の執事あたりが、追い詰められた状況で、藁をもすがる思いで吼介に最後の
希望を託したのだろう。
大事なのは、一体どこまでのことを話しているか? という点だ。
久慈が里美をリンチしたことは知っていた。両者が敵対する間柄であることは、間違いなく知
ったことになる。
だが、それ以上、どこまでのことを知っているのか?
ファントムガールの正体を知っているのか?
魔人メフェレスの正体を知っているのか?
『エデン』の存在は知っているのか?
いや、まさかすでに『エデン』と融合してはいまいな?
もし吼介がメフェレスの正体を知らないのなら、目の前で変身するのはあまりに愚行であっ
た。『エデン』の寄生者にとって、秘密を知られるのは、世界中から指名手配されるも同然だ。 変身解除後、睡眠をとらざるを得ない彼らは、決して無敵の生物ではない。正体を隠すこと は、寄生者にとって、生きるための最優先事項なのだ。そして、吼介が正体を知らない可能性 は、高いと思われた。恐らく、ファントムガールの正体も聞かされていないのではないか?
なぜなら、前述した通り、光側も闇側も、できればこの男には参戦してもらいたくないからだ。
久慈と里美が敵対していることだけを聞き、その怒りを利用されているだけなのだろう。とな
ると、変身だけは絶対にできない。人間体の力で、筋肉の鎧に包まれた格闘獣に勝利すること を、久慈は義務付けられたのだ。
「ふふふ・・・最強の男か・・・井の中の蛙を、跪かせるのも楽しいかもしれん」
間合いを詰めるしなやかな影が、軽やかなステップを踏み始める。久慈の動きはますますボ
クサーに近付いた。
壊し屋・葛原修司との闘いにおいて、久慈の華麗なフットワークは、超スピードにして射程範
囲の広い巨人の打撃を、かすりもさせずに完封していた。フットワークのエリートであるボクシ ング部を全滅させた打撃を、である。『エデン』により与えられた運動神経があればこその絶技 といってよい。
“磨き上げられたこの巨体・・・確かにパワーで分が悪いことは認めよう。だが、スピードにお
いて、絶望的な差があることを知れ。力と速さ、格闘においてどちらが必要か、結論をオレが 出してやる”
左右に揺れながら距離を詰める久慈。その速度が徐々に上がっていく。対する吼介は、タン
クトップの下の大胸筋を膨れ上がらせて、ただ仁王立ったまま。
久慈の狙いはカウンター。膨大な破壊力を持つ相手に最も効果的な技を、吼介が殴ってくる
ところに合わせるつもりなのだ。そのためには、まず吼介に仕掛けさせねばならない。
「許さない、といった割には静かだな。どうした、怖気づいたか」
安っぽい挑発。不動のまま、逆三角形の男は視線を伏せている。思惑を見透かされている
のか? だが、暗黒の王は、吼介の導火線に確実に火をつける言葉を知っていた。
「貴様は、五十嵐里美を抱いたことがないのだろう?」
ドクンッッ!!
上腕に浮びあがった血管が戦慄く。
「いいぞォ、あの女は。最高の抱き心地だ。肉の弾力、肌の質感、そしてなにより感度が抜群
だ。オレの性技の前に、愛蜜を溢れさせやがったわ。嬲れば嬲るほど味わいの出る、悶える たびにエロティシズムを醸し出す、魔性の女だ。くくく・・・あの苦痛に歪み、潮を吹く惨めな姿の 美しいことといったら・・・・・」
ウオオオオオオオオオオオオ!!!!
野獣の咆哮に、嗜虐の魔人が言葉を詰まらせる。
筋肉獣の叫び、いや、吼介は口を開いてはいない。
鎧武者の筋肉が、さらに膨張したのだ!!
究極にまで密度を高めた肉体が、擦れ合って激情の雄叫びをあげている。
見よ、格闘獣の変貌を。その背中、肩甲骨の辺り・・・大円筋が異常発達し盛り上がる。さら
に広背筋、脊柱起立筋、僧坊筋がもりもりと膨れ、背中にふたつの瘤を背負ったようだ。一種 異様なその姿・・・これこそが工藤吼介全開100%の戦闘モード。異常に巨大化した筋肉が、 全てヒッティング・マッスル、打撃用の筋肉であることを考えれば、いかに危険な変身であるか がわかる。
「所詮、パンプアップ・・・血液を筋肉に送り込んで、膨張しているに過ぎんわ! いささか強度
があがるかもしれんが、見掛け倒しの域は出ぬ」
吼介の瞳が、久慈を捕らえる。
肉体が放つ蜃気楼の奥に、輝く白い眼光を、久慈が忘れる日はやってくるのだろうか。
猛獣の視線に、魔人と呼ばれた男は戦慄した。
「うッッ・・・オオオッッッ!!!」
カウンターを待つはずの久慈が、先に動く。いや、動いてしまっていた。
ネコ科の巨大肉食獣を思わせるしなやかな動きで、一気に棒立ちの鎧武者に飛び込む。右
ストレートを顔面へ。
ボクサーのジャブを上回る速度のストレート。『エデン』の力を得た柳生の後継者が放つ、至
近距離からの弾丸。
バチンッッッ!!!
乾いた音が木霊する。
驚愕が、久慈仁紀を包む。
神速のパンチは、棍棒のような豪腕に軽々と叩き落とされていた。
常人では不可視なはずの高速拳を見切ったというのか――衝撃を受けつつも、一瞬の間隙
もなく久慈の左拳は追撃打を放っていた。ボディーブロー。
吼介の右腕が、下段払いで凶拳を弾く。
「オオッッ・・・オオオオオッッッ!!!」
バチバチバチバチッッッ!!!!
手を、足を、めちゃめちゃになって振るう魔人。嵐のような連撃が、見えない壁に遮られ、こと
ごとく弾かれていく。
バチンッッッッ・・・!!
フックを打った右腕が、肘から先を回転させた吼介の内受けによって、大きく弾き飛ばされ
る。ハリケーンに突っ込んだセスナのように。無防備状態を曝け出す、久慈の肉体。
大砲の発射音。
筋肉獣の右のボディーブローが、しなやかな魔人に突き刺さる。
「ごぼおおおえええええッッッッ!!!!」
嘔吐物が薄い口を割って溢れる。手首まで埋まった豪打に、70kg台の久慈の身体は、宙に
浮いていた。
「お前は・・・粉々に潰す」
耳元で囁く格闘獣の声。その淡々とした言葉に含まれた紅蓮の怒りが、思うがままに育って
きたエリートの心を、震えあがらせた。
「ごッッ・・・ごぼぼ・・・くッ・・・くずがあああッッッ!!! 図に乗るなアアアッッッ―――ッッ
ッ!!!」
ズボリと音をたてて拳が腹から抜かれるのと同時、黄色の胃液を撒き散らして、久慈が殺到
する。光と見紛うような、連打連打連打。
しかし、その全てが、当たらない当たらない当たらない。
吼介の空手流の受けが、超速の打撃をひとつ残らず弾き返す。
「なッッ・・・なぜだアアアッッッ!!!」
「図体がデカい方が、スピードが遅いとでも思っていたか?」
鉄壁の城塞。
工藤吼介は、堅固な肉の防御壁を持っている。極限にまで高められたパワーとスピード、そ
れに古流武術の技術を浸透させた、完璧な受けの技。久慈の前には分厚く、高い、堅牢な城 壁がそびえたっている。
バチンッッッッ!!!!
またも打撃が大きく弾かれる。がら空きになる前体面。己の総毛が逆立つ音を、久慈は聞い
た。
牙。
食いしばった、吼介の歯が眼前に。来る、全力の一撃。
巨大な右拳が、見えた。
轟音。
その時、久慈は知った。
工藤吼介の打撃は、自分よりも遥かに速いことを。
ブオオオオオオッッッッ!!!
風圧で顔の皮が引っ張られる。かすった耳が、千切れたように熱い。
バズーカ砲の爆撃を、剣という、一瞬の合間に生死を分かつ世界に生きる男は、首をわずか
に捻って避けていた。
それは逃げたのではない。
久慈がこの死地に無意識的に使ったのは、最も肉体に染み込んだ、最も信頼できる技術。
ボクシングなどという真似事ではなく、柳生の剣術。フットワークではなく、秘伝の足運び。
ギリギリで豪打を避けつつ、久慈の足は前に出ていた。大砲に突撃する勇気を持つものだけ
に許された動き。
くの一五十嵐里美をも圧倒した神速の足捌きが、カウンターで発動される。突進する格闘獣
の勢いを、そのまま返す直突きが、吼介の眉間にヒットする。
グシャリッッッ・・・!!! という音と、硬い手応えに久慈の唇がニヤリと吊りあがる。攻撃が
強力であればあるほど、カウンターの破壊力は上昇することを考えれば、無比の威力を誇る 打撃を、我が身に食らったような吼介の運命は・・・
ドボボボボボオオオオッッッッ!!!!
鉤突き、フック気味に己の脇腹に突き刺さる左のボディブローを、久慈は見た。
次の瞬間、ビギッベキィッボギイィィッッ・・・という、アバラの粉砕音が、体内に響き渡る。薄い
唇を、胃液と鮮血が逆流してこぼれる。何が起きたか、把握できない魔人の脳に、崩壊する肉 体の痛みが現実を教えてくれる。
一瞬。
一瞬たりとて、久慈のカウンターは、格闘モンスターを止められなかった事実。
ダメージの破片も見せない豪腕が、恐怖と激痛で剥き出された瞳に迫る。
胸の中央に飛んでくる右拳を、反射的にクロスガードで迎え撃ったのは、久慈の非凡ならざ
る所以か。左腕を前にして両腕を交差し、胸の前で構える。ボクシングで、最も防御力が高い と言われるガード態勢を、闇の魔王は本能的に取ったのだ。
委細構わず、渾身の一撃が、両腕の上から爆撃される。
地下室に轟く粉砕音。
ドンッッッ!!! でもグシャアアアッッッ・・・でもない、猛烈な破壊音。
舞った。久慈の痩身が、地面と平行に飛んだ。
激しく背を剥き出しのコンクリートに叩きつけ、吐血の華を咲かせて壁に貼りつく。ダラリとさ
がった左腕の、肘から先が奇妙に曲がっている。折れていた。
「ひゃぎいいッッッ!! ・・・・・・あがッッ・・・ばッッ・・・ばッッ・・・」
薄いが、洗練された大胸筋に、隕石が落ちたような跡が刻まれている。ソフトな顔立ちが苦
痛に崩れ、大きく開いた口からは、涎と鮮血が、ダラダラと朱色の糸を引いて落ちていく。
化け物だ。
パワーもスピードも、そして肉体の耐久力も・・・段違いだ。
工藤吼介の本気が、これほどまでに桁外れに強いとは!!
久慈は己が人間離れした強さを持つことを知っている。幼少から剣を握り、鍛錬を重ねたの
は、五十嵐里美だけではない。無駄な肉が一切ない体は、インターハイクラスの運動能力は発 揮できるし、『エデン』により能力を高められた今では、張り合える者などいないはずだった。ほ ぼ互角に闘うファントムガールの存在すら、信じられないぐらいなのだ。
それが、この工藤吼介という怪物は、確かに『エデン』と融合していないのに、久慈を圧倒し
ている。
大砲のごとき猛打で、左上腕骨、右肋骨3本、胸骨は折られ、恐らく胃も破られた。鉄壁の防
御をくぐり抜けて決めたカウンターだが、無限のタフネスの前に、なんの効果もない。城壁の中 に、頑強な要塞が建てられているようなものだ。
「ごぷッッ・・・ごぼぼッッ・・・ばッッ・・・ばけも・・・」
呻く魔王の霞む視界に、憤然と仁王立つ逆三角形の男が飛び込んでくる。
紅潮した肉厚な巨体。鋼の筋肉のパーツが、最強の名に恥じぬ陰影をつけている。圧倒的
な熱量、闘気を発散させる肉のアーマーに、久慈は怯える己を自覚した。
「まッッ・・・まてッッ!! や、やめてく・・・」
左の豪砲が、両手をあげて懇願する、無防備な久慈の腹を抉る。
腹筋を割いてめり込む、肉の音。突き抜ける衝撃で、背中のコンクリに亀裂が入る。
「ごぼぼえええええッッッ!!!! ぐぼおおおッッッ!!! がぱあッッ!! ・・・・・・や、や
め・・・」
ピクピクと痙攣し、吐瀉物も胃液も枯らしたヤサ男の口から、血糊が塊となってビチャビチャ
と床を叩く。他人を虐げることしか知らなかったエリートが味わう屈辱。本来なら怒り狂うところ だが、恐怖と激痛が遥かに凌駕して迫ってくる。
ズルズルと崩れる久慈。救いを求めるように差し出された腕が、哀れにすら映る。
閃光一閃。
斜め下から跳ねあがるように煌いた、右のハイキック。
スイカの破裂に似た音が響き、顔面を歪ませた久慈の、華奢だが磨かれた筋肉の詰まった
肉体が、ハイキックの軌道延長上に飛んでいく。
天井に叩きつけられ、反動で壁へ。ゴムマリのように、弾け飛んでいく。
ピクンピクンと、うつ伏せに床に転がった魔人が、痙攣する。
これが、あの人類に降伏を迫り、世界を支配しようとした侵略者・メフェレスなのか――
傲岸不遜な態度でファントムガールを悦楽地獄に堕とし、ユリアを死に至らしめた、闇の住
人。他者を踏みつけ、道具としてしか見ず、己の上位意識を常に疑わない自尊心の塊のような 男が、尺度で測れぬ強者に会って、無惨に地面に転がっている。
「久慈、お前は、潰す」
冷淡な声が響く。
同じ台詞を繰り返した格闘獣が、容赦なく伏せる魔人に歩み寄る。
これがリングの上ならば、勝負は終わった。100カウントしても、久慈は立っては来れないだ
ろう。
しかし、ここは邪魔者の入らない、暗い地下室。
吼介の導火線に火を点けたものの末路。その代償は、あまりに大きく、恐ろしい。ダウンや
骨折程度で、工藤吼介の本気の怒りから逃れると思うのは、ムシが良すぎる話だった。
首ねっこを掴むや、猫でも捕まえたように無理矢理引き摺り起こす。
多くの女性から愛されてきた甘いマスクは、蹴りの衝撃で無惨にひしゃげ、血まみれの口が
パクパクと開閉する。ハイキックの威力で脳震盪を起こしたか、視線の焦点は定まっていな い。
ブッシュウウウウウッッッ・・・!!!
激しい噴出音とともに、血飛沫の噴火が起こる。
一瞬後、ふたつの身体が距離を置く。5mの間隔を空けて、格闘獣と闇の魔人は対峙した。
工藤吼介の左大腿部には、鋭く光る50cmほどの日本刀が突き刺さっていた。
「てめえ・・・・・・」
低く唸る筋肉獣の額に、脂汗が浮ぶ。短刀は完全に太股を貫き通し、前後から噴出した鮮
血で、左足全体が真っ赤に染まっている。
「くッ・・・くくく・・・いくら鍛えてようが、こいつの切れ味には、敵わないようだなあ?」
血まみれの悪魔が、残忍に笑う。その右手には、吼介に刺さっているものの倍はあろうかと
いう長さの真剣。どういう仕掛けか、常に身体のどこかに装備している日本刀を、ついに久慈 は抜いたのだ。
「汚いとは言うなよ。オレはこれが本当の得意技なんだ。勝つために全力を尽くして、何が悪
い?」
崩れかけていた自信を取り戻し、久慈は血に濡れた唇を、三日月型に吊り上げて笑う。
肉体のダメージは激しい。普通に刀で斬りかかっても、この男には通用しなかっただろう。だ
が、油断した吼介への不意打ちという、最後の作戦が思い通りに遂行できた喜びで、久慈は 有頂天になっていた。
そう、自分より強い者の存在など、認めていいわけがない。
この危険な男は、なんとしてでもここで殺すのだ。どんな手を使っても。
「オレは勝つためなら、なんでもする。どんな手を使っても、勝たなければ意味はないのだ。
工藤、お前ならオレの言葉が理解できるだろ?」
勢い良く噴き出す血のせいか、筋肉繊維を引き裂かれた激痛故か、吼介の究極の肉体がガ
クガクと震える。額といわず、顔といわず、全身に浮いた汗が、行水後のように伝うが、それで も片膝すらつかないでいるのが、最強者としての自負か。
「正義とは、勝者を指す言葉なのだ。武器を使おうが、人質を取ろうが、勝つことこそが全
て。そうだろ?」
「カッコ悪いことを、平然と喋ってんじゃねえ」
ドボドボと血を噴き出し続ける左足を前にして、最強と呼ばれる男は構えた。構えを取るの
は、これが初めてのことだ。拳を軽く上げた、右半身の姿勢。激痛に耐えるだけでも困難なは ずなのに、筋肉を裂かれて力が入るわけはない。まして、空手に限らず格闘技において、下半 身の使い方はあらゆる技術の基盤である。今の吼介は片翼をもがれた鳥も同じなのに、その 迫力はいささかの衰えも見せなかった。
「カッコ悪い?」
「勝つためになんでもするってのが、カッコ悪いってんだよ」
「フン、綺麗事を。正々堂々と闘っても、負けたらなんの意味もないではないか。現にこうして
貴様は、五十嵐里美の仇を取れずに死ぬのだ」
「汚ねえマネして仇を取っても、あいつは喜ばねえよ。薄汚い勝利でお前は喜べるようだが、
オレはあいにく、プライドが高いんでな。オレはオレ自身を誇りに思えなきゃ、勝った気にはな れねえ。オレが闘うのは、誇れる自分に会いたいからだ。形だけの勝敗にこだわるお前には、 わかんねえだろうがな」
久慈の手の中で、真剣が光る。
吼介の言葉は、久慈には届いていなかった。なんと言われようが、武器を捨てる気はさらさら
ない。手負いといえど、この獅子を葬るには、世界一の殺傷力を誇る日本刀が必要だった。久 慈にとっては、吼介の主張は単なる負け惜しみでしかない。
「今からこいつで斬られる貴様としては、当然そう言うだろうな。だが、いくら挑発されても、こ
いつは捨てん」
くくく・・・血塗られた顔を凄惨に歪めて、魔人は哄笑する。ゆっくりと“こいつ”と呼んだ刀を、
中段に構える。
「やはり、てめえはわかってない。自分が弱い理由をな」
逆三角形の肉体が、小刻みに震え始める。だが、それは太股の傷によるものではなかった。
正確に言えば、“震え”ではなく、“微調整”を、吼介自らの意志で敢行しているのだった。その 行為の意味を、恐ろしさを、久慈はこの時点で気付くことはできなかった。
「刀を使いたきゃ、使えばいい。その代わり、オレも武器を使わせてもらうだけだ」
その言葉に、何を感じたか、ビクリと久慈の背が凍える。
「見せてやるぜ、“真実の瞬間”を」
激闘の影響で、ほとんどの建造物が崩れ落ちた街並み。
爽やかな夏の朝に似合わぬ巨大な漆黒の手が、銀色の少女戦士を捕獲する。
銀の皮膚にオレンジの紋様、金色のアーマーを装着した戦士、ファントムガール・アリス。そ
の小さな身体は、両腕を左右から悪魔の手に引っ張られ、ちょうどY字型になって、宙に吊り下 げられていた。
つい数分前には光り輝いていたボディーは、見る影もなく無惨に変わり果てていた。
ビキニの水着にも似た胸と腰の装甲は、亀裂が入り、右胸の部分は完全に崩壊してオレン
ジの乳房を露出している。悪魔の歌姫・マヴェル必殺の破壊音波を直撃された、機械天使の 損傷は激しい。生身部分は細胞レベルで分離しかけたため、網の目状に全身から鮮血を噴き 出している。右腕や左足といった機械部分は、衝撃波に耐えきれず、あちこちから火花を散ら し、ショートした回路が白煙を昇らせていた。
全身から煙を昇らせ、血を滴らせるアリスの姿は、まさしくスクラップされたという表現が相応
しい。
ピクリとも動かず、アリスの身体からはシュウシュウという、破壊された機械の悲鳴が洩れる
だけだった。
「あーはっはっはっはっはっ! マヴェルの必殺技を食らっても死なないゴキブリ並みのしぶ
とさはほめてあげるぅ~~! でもねぇ~~、もォ~っと苦しむだけよォ~♪」
見た目通りの豹らしい軽やかな動きで、マヴェルは沈黙するアリスに歩み寄る。その手は、
全体に亀裂が入った、無表情な顔へと伸びた。
ガシッと音がするや、豹の手は、アリスの顔を鷲掴んでいた。
アリスの顔面が毟り取られていく。いや、そうではない。無表情なアリスの顔の下に、もうひと
つの顔が覗いている!
マヴェルが機械少女の顔面を引き剥がす。
ヒビだらけの顔は、豹の手から滑り落ちるや、大地をズシンと揺るがせ、粉々に砕けた。
アリスの無表情な顔は、彼女本来のものではなかった。マスクだったのだ。
アリスの正体である霧澤夕子は、サイボーグ手術によって左眼も機械化されていた。普段の
彼女は人工皮膚を貼りつけることで、左眼周囲を隠しているのだ。その人工皮膚の部分が、ア リスとしてトランスフォームするさい、仮面として現れたのだ。
砕けたマスクの下から出現したアリスの素顔は、基本的なデッサンは仮面とほとんど同じで
あった。やや垂れ気味な大きな瞳、整った鼻立ち、小ぶりな唇。美少女という魅惑な言葉に、 なんらの負い目もない完成された美形。違うのは、素顔のアリスには表情があった。哀しげに 眉を八の字に垂らし、口で苦悶に喘ぐ少女の表情は、彼女が致命的なダメージを負ったことを 的確に示していた。
そして、もうひとつの違い。右目が青く光っているのに対して、左目は赤く輝き、その周囲は
鉛色の機械のパーツでできていた。
「醜い素顔をまた晒しちゃったねぇ~~? でもォ、悲しまなくていいよォ? あんたはここで
死んじゃうから♪」
ミシミシと両腕が悲鳴をあげる。強大な悪魔の手が、左右から引き裂かんばかりに引っ張り
始める。襲い来る激痛に、失神していた装甲天使が蘇生する。
「うああ・・・?! あッ・・・あ・あ・あ・・・??!」
「これ以上変身してたら、マヴェルもヤバイからぁ~~、消えるわ。マリー、クトル、あとお願い
ィ。こいつはバラバラにして殺してねぇ♪」
銀毛の豹が、黒い靄となって消えていく。
追いかける力が、希望を託した守護天使・アリスにあるわけはなかった。迫りくる死の苦痛
に、耐えることだけが今の少女戦士にできることだった。
“うああッッ!! く、苦しい・・・・・・こ、このままでは・・・バラバラにされ・・・る・・・・・・”
アリス最大の武器である電流を放つ。サイボーグ戦士アリスは、銃火器を体内に隠しもつ
他、電撃を操るという、彼女ならではの攻撃技を持っていた。だが、実体のない悪魔の手に、 効果があるわけはなかった。逆に、無理をした半壊の身体が、バシュンバシュンと火花を散ら して爆発する。
「きゃあああッッッ!!! うああ・・・・ああ・・・・・あぐぁ・・・・・」
「そんな攻撃など・・・・・・黒魔術の前では・・・・・無に等しい・・・・」
デスマスクの魔女が、嘲りを含んで淡々と呟く。
人類が新戦士の登場に胸躍らせたのも束の間、早朝の中央区は、惨劇の舞台へと早代わ
りしていた。シュウウウウウ・・・と白煙を立ち昇らせる向こうで、青と赤の瞳がぼんやりと光って いる。金のアーマーが破壊されたため、剥き出しになった胸中央と下腹部のクリスタルが、ヴィ ーンヴィーンと点滅を始める。
「く、黒魔術なんて・・・そんなありもしないもの・・・信じてるとは・・・わ、笑わせる、わ・・・」
攻撃が無駄に終わったことを知り、確実な死を実感しつつも、あえてマリーを挑発したのは、
霧澤夕子らしい選択だった。だが、その行為は単に自らを地獄に堕とすだけであった。
「黒魔術をバカにする者は・・・死あるのみ!!」
オカルト少女、黒田真理子に対して、黒魔術の否定はもっともしてはならない行為。愚者への
容赦ない魔術責めが、ボロボロのアリスに襲いかかる。
巨大な悪魔の手が、アリスの上半身と下半身を握りなおすや、雑巾をしぼるように捻ってい
く。圧倒的なパワーの前に、機械で強化された身体も無抵抗だった。ベキベキと凄惨な破壊音 を響かせながら、ウエストのくびれにねじりが入り、腰から下が180度逆方向を向きかける。
「ぐあああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
気の強い夕子が、鈴のような可憐な声を嗄らして泣き叫んでいた。正視に耐えない、あまりに
酷い仕打ち。なまじ機械部分があるために、可動範囲を越えた関節攻撃は、アリスに激しい苦 痛を与える。腰を捻じ切られる拷問に、青と赤の瞳が点滅する。
「ぐふぅッ・・・アアアッッ~~ッッ・・・・・・がああ・あ・あ・・・・」
「黒魔術の恐ろしさ・・・・・・わかったか・・・?・・・」
「・・・そ・・・そんな・・・・・非科学的なもの・・・・・・あるわけ・・・ない・・・」
デスマスクに光る青い眼が、鈍く色を変える。
悪魔の両手は恐るべきスピードで囚われの戦士を持ち替えていた。一方が両手を、もう片方
が両足を掴むや、上下に引き伸ばす。手足がもげそうな苦しみに、悶え震えるアリスの、曝け 出されたエナジークリスタルに、漆黒の闇光線が照射される。
「ぐああああああああッッッ――――ッッッッ!!!! くッ、苦しいィィィッッ―――ッッ
ッ!!!! 」
クールでいながら、どこか少女らしい儚さと、落ち着いた美女の香り漂わせる美貌が、弱点を
灼かれる地獄の苦痛に歪む。マスクの無表情ぶりとは、あまりに異なった苦しみぶり。泣きそ うに眉を寄せ、涎を垂らしながら、アリスは悶絶する。
「まだ・・・言うか! ・・・・・・まだ・・・魔術をバカにするか!」
「があああああッッッ――――ッッッ!!!! うああああッッッ―――ッッッ!!!!」
「これでもか!・・・・・・・これでもか!・・・・」
ファントムガールの生命の象徴・エナジークリスタルに、相反する闇の光線を撃たれる苦痛
は、剥き出しの神経をヤスリで砥がれるようなものだった。壮絶な痛みに翻弄され、マリーの言 葉などすでに届いていないアリスを、黒衣の魔女は憤怒に任せて嬲り続ける。
「アリスくん、恩師を傷つけた罪は重いですよ! とくと罰を受けなさい!」
さらに蘇生したクトルが、悪魔の手に拘束された美少女戦士に触手を飛ばす。
苦もなく機械戦士に突き刺さった8本の触手は、アリスの胸、腹、足、腕の中で蠢き、生身と
機械の混ぜ合った身体を貪っていく。
「ひゃうううッッッ!!!! あッ!! あッ!! あッ!! あッ!!・・・」
銀とオレンジの肌の下で、触手が肉を抉りながら這いずる。その度に桜の花びらに似た唇か
ら悲鳴が洩れ、小さな女神の身体は痙攣した。
“わ、たし・・・・・・壊される・・・・・・も・・・う・・・ダ・・・・・・”
アリスの両目から、光が消える。
ツインテールを揺らしながら、美少女の顔がうなだれ落ち、ついに装甲の天使はピクリとも動
かなくなった。
魔女の暗黒光線が止む。
黒煙が立ち込めるなか、8本の触手を生やした銀色の少女は、一直線に身体を伸ばされた
姿勢で、悪魔の手にぶら下がっていた。力なく垂れ下がった、ふたつに纏められた赤髪が風に 揺れる。胸の中央に輝くクリスタルだけが、ヴィーン、ヴィーンと弱々しく鳴り響き、まだ少女が 生きていることを教えていた。
ズボッという音とともに、8つの触手が一斉に引き抜かれる。
オイルみたいなドロリとした血が、8個の穴から零れ落ちる。銀の肌も、金のプロテクターも、
濃い緋色に汚れていく。二度も死の淵から蘇った少女に、神が与えた試練は苛烈に過ぎた。 魔豹の破壊音波を正面から浴びせられ、巨大な悪魔の手に捻り潰され、魔獣の触手に貫か れる。次々と襲いかかる闇の処刑に、アリスはその新たに得た命を、早くも枯らそうとしてい る。のみならず、魔の暴虐の手は、まだ追撃を止めようとはしなかった。
アーマーが砕け、剥き出しになった右胸に、触手が3本突き刺さる。
開いていた穴がさらに広がり、血飛沫が舞う。痛みに意識を取り戻したアリスが呻くのも構わ
ず、触手はサイボーグ少女のふっくらとした乳房を内部から掻き乱す。
「はぐううッッッ!!! ぐががッッ・・・がああッッ・・・」
「苦しいでしょう、アリスくん。なにしろ、君の内部回路を破壊しているのだからね。人間でいえ
ば、内臓を直接こねられるようなものです。・・・おや、この部品はもげそうですね? 引き千切 ってあげましょう」
「や、やめッッッ・・・・・ぎゃああああああああッッッッ――――ッッッ!!!!」
アリスの右胸に開いた穴から、3本の触手が抜け出てくる。魂切る絶叫も無視して触手が引
きずり出したのは、鋼鉄製の四角いボックス。それがサイボーグ少女にどんな作用をもたらす かはわからないが、火花を散らしながら、切断したコードを数本、右胸から露出しているアリス に、致命的ともいえるダメージを与えたのは確かだった。
「へぐッ・・・へげえッ・・・ぐぶぶ・・・・・・ガッ・・・アガガ・・・」
「だいぶクリスタルの点滅が早まったようですね。我々が変身している時間もあとわずか。身
体中のコードを引き摺り出して、処分してあげますよ、アリスくん」
「ひゃぐ・・・ぐええ・・・・・・こ・・・ころ・・・・・せ・・・・・・・」
「もちろん、殺します。ただ、じっくりと、薄皮を剥ぐように、ね」
壮絶な苦痛の海に溺れ、もはや生きることすら諦めかけた装甲天使に、破壊の触手が乱れ
飛ぶ。
ファントムガール・アリスの最期。
「無念」
巨大モニターいっぱいに広がる殺戮劇を、微動だにせず見ていた老執事から、かすかな呟
きが洩れた、その時―――
誰もが予想だにせぬ事態が、起きた。
白い光が、爆発する。
太陽よりも眩しい、光の氾濫。その現象は、つい数十分前にこの場で起きた現象と同じだ。
だが、ファントムガールもナナもユリアも、そしてアリスですらも悪の手に堕ちた今、参謀である 安藤にも、新たな守護天使の心当たりなど、ない。
光が凝縮し、ひとつの巨大な人影になる。
輝く光の粒子が消失したあと、出現したのは銀の少女。
銀の肌に、ピンクの模様と髪を持つ、巨大な少女。
ファントムガール。
また、新たなファントムガールが、絶望の街に降臨したのだ。
「なッッ・・・??!」
驚愕するタコの巨獣は、次の瞬間には巨大なバットで打たれたように、軟らかな肉体をひしゃ
げながら遥か虚空に吹っ飛んでいた。
「だ、誰だ・・・?」
沈着冷静を売りとする執事の口から、おもわず驚きの声があがっていた。彼のシナリオにも
ない登場人物。アリス、霧澤夕子が敗北した時点で、安藤の作戦は終わりを告げようとしてい たのだ。久慈仁紀が見物者のいない決闘の最中であることを知らぬ老紳士は、メフェレスとシ ヴァ、二人の強敵を残した侵略者たちに、人類が支配されることを半ば諦めかけていた。絶望 に心が暗く塗りつぶされていくなかでの、予想外な光明。驚愕とともに、希望の明かりが湧きあ がってくるのを抑えられない。
新たな登場人物に戸惑ったのは、戦場に居合わせる者たちの方が強い。マリーも、そして仲
間であろうはずのアリスですらも、突然の事態に動揺する。
「なに・・・もの・・・??」
マリーの呟きに、ピンクの戦士は答える。
「ファントムガール・・・・・・・サクラ」
その名の通り、鮮やかなピンク色が描かれた少女戦士。
同じ色の髪は、肩までの長さで真ん中から分けられている。比較的シンプルな模様は、どこ
かのOLの制服らしくも見える。くっきりとした目鼻立ち、厚めの色香漂う唇は、美少女揃いのフ ァントムガールにあっても、完成度の高い美しさを誇っている。カワイイというより、綺麗という 言葉が似合う、それでいて少女の可憐さもきちんと併せ持った美少女。
「なぜ君が生きているのですッ!! 桜宮桃子くん!!」
鮮血を降り飛ばして、クトルが瓦礫の山から立ちあがる。相当なダメージを積み重ねながら
も、しぶとく生き続ける濃緑の魔獣は、先程の攻撃が超能力によるものであることを、身をもっ て実感していた。
「小ぶりながら形のいいバスト、張りのあるヒップライン・・・さんざん遊ばせてもらったその身
体、忘れることはありませんよ。しかし、君はメフェレスに殺されたはずだ!」
ピンクの新戦士、ファントムガール・サクラの正体は、超能力者にして、久慈仁紀の元恋人で
ある桜宮桃子!
だが、桃子は久慈を裏切ったことで、地下室で凶刃に切り刻まれたのだ。腹を貫かれ、大量
の血の海に沈む美少女の姿を、クトルの正体である田所も、マリーも見ていた。その後地下に 放置したため、死を確認はしていないが、あの出血量と傷で生きていられるわけがない。
そして、それ以上に不思議なのは、なぜ『エデン』と融合しているのかということだ。
五十嵐里美が密かに渡したのか? いや、拷問前にあらゆる場所を調べ尽くしたのだ、『エ
デン』を隠せたはずがない。となると、一体誰が、なんの目的で桜宮桃子に『エデン』を与えた のか・・・?
「あんたたちに・・・借りを返すわ」
スラリと伸びたピンク色の手を、タコの魔獣に向ける。
白い光弾が数発放たれ、俊敏な動きができなくなったクトルに着弾する。ナナ、アリスと続け
ざまに闘ってきた変態教師は、並みのミュータントならとっくに死んでいてもおかしくないダメー ジを受けていた。美少女への歪んだ愛情と、充満した性欲。ねじまがった闇の精神の強大さ が、クトルをいまだ動かし続けているのだ。トドメを刺すのは決して難しい作業ではない。
だが。
超能力を操る桃子にとって、光の戦士として光線技を使うのは、実に慣れた行為だった。精
神を集中し、イメージを膨らませて開放する・・・超能力の発動と光の技の発射は、よく似てい た。誰にもレクチャーされずに、ごく自然にファントムガール・サクラは光弾を射ったのだ。
しかし、その反動、たったそれだけのことで、小さなピンクの新戦士は腹部を押さえてうずくま
ってしまった。
両手で押さえた腹部から、ドクドクと滝のように深紅の血が噴き出す。痛みのせいか、意識が
遠のいているのか、地に這いつくばってしまったサクラは、そのまま瀕死の重病人のように痙 攣し始める。
ファントムガールとして受けた傷は、生身では何分の一かに軽減される。だが、生身でのダメ
ージは、ファントムガールになってもそのまま、いや、それ以上になって引きずるのだ。
登場時、颯爽と現れたサクラだったが、その真実は瀕死の重傷だった。桜宮桃子は背を突
き抜けるまでに、日本刀で腹部を貫かれているのだ。本来なら闘うどころではない。生きている のが奇跡なのだ。
“力が・・・でない・・よ・・・・眼がかすんで・・・・・・痛・・・い・・・・・あたし・・・バカだ・・・・・どうし
て・・・出てきちゃったんだ・・・ろ・・・・で・・・も・・・・助けずに・・・いられなかった・・・・・・”
「マリー、アリスくんの処刑は任せましたよ! こちらの死に損ないは、私がトドメを刺します」
濃緑の触手が、ピンクの戦士めがけて殺到する。
あっという間に四肢を絡めとリ、超能力少女を大の字に固定する。虚ろな視線をさまよわせ
た美貌が天を仰ぐ。
「もう一度、あなたのような美少女を堪能できるとはね。時間いっぱいまで犯し尽くして衰弱死
させてあげますよ、ファントムガール・サクラくん」
「ヒト・・・いや、メフェレスと・・・お前だけは、絶対にあたしの手で倒す!」
苦痛に失神寸前だったはずのサクラの美貌が、キッと目の前のクトルを睨みつける。
処女を奪った憎き変態教師。そのうえ、さんざん陵辱された恨みを、サクラ、桜宮桃子が忘
れるわけはなかった。
サイコパワーを集中する。あと一撃、強烈な一撃を与えれば、性欲に支配された悪魔を葬る
ことができるはずだ。
だが、全エネルギーを結集するより早く、クトルの触手が腹部の傷口を貫く。
「あああッッ!!! ふあああああッッッ――――ッッッ!!!!」
壮絶な激痛にサイコの力は分散した。大の字の姿勢のまま反り返るサクラに、淫欲に燃える
触手が襲いかかり、少女戦士の秘所を、肛門を、口を、濃緑の液体を滴らせて抉り刺す。
「んぐうううッッッッ――――ッッッ!!!! ぐううッッ・・・ぐううううッッッ―――ッッッ!!!」
「惨めなり、ファントムガール・サクラ! このまま我が慰み者として、短い一生を終えるがい
いです!」
泣き叫びながら、青臭い白濁液を満身に浴びた屈辱が、桃子の脳裏に蘇る。破瓜の痛み
も、性の喜びも、繰り返される陵辱による、圧倒的な屈辱の前には、微々たる感覚でしかなか った。その悪夢が、今再び可憐な少女戦士に襲いかかろうとしている。
一方のアリスにも、トドメが刺されようとしていた。
悪魔の手が、装甲天使を握り直す。一瞬の隙を突いて逃げようとしたアリスの努力も虚しく、
小さな身体は巨大な手に鷲掴まれていた。ただ、右腕だけが拘束を逃れ、苦しげに宙を舞って いる。
サイボーグ少女と超能力少女。
人類が最後の望みをかけた、ふたりの異能な新戦士は、共に血祭りにあげられ、悪に囚わ
れて惨殺されようとしている。運命に弄ばれた悲痛な少女たちに、神は最期まで仕打ちを与え るというのか。
濃緑の触手が、回転しながらピストン運動を始める。
傷口をさらに抉られる烈痛のなか、超能力を発動することすらできずに、サクラの肉体が汚
されていく。もはや戦士ではない、普通の女子高生に戻った哀切な悲鳴をあげながら、桃子は 崩壊していく己を感じていた。
“あたしは・・・・・ここで・・・惨めに・・・・殺され・・・・る・・・・・・・ごめん・・・・・・せっかく・・・助けて
くれたのに・・・・あたし・・・もうダメみたい・・・・・・”
あの時。
地下室で自らの血の海に染まりながら、静かな死を受け入れようとしていた時。
「あなたのその力、失ってしまうのは勿体無いわ」
大量の失血と苦痛で朦朧とする意識のなか、低く澄み渡る女の声を、コンクリートの床にうつ
伏せに這いながら桃子は聞いた。
痙攣するだけで、あとは死を待つ少女の身体を、暗闇のなかで女はまさぐる。すでに全身が
麻痺した桃子は、自分が何をされているか、よくわからなかったが、女はどうやら桃子の下半 身になにかをしているようだった。
「生きなさい。ファントムガールになるにしろ、ミュータントになるにしろ」
どこかで聞いたことがあるようなその声を、暗い世界に飲み込まれかけた意識では、判別す
ることはできなかった。
ただ遠のいていく、高いヒールの響きを聞きながら、桃子はついに気絶した。
死に瀕した少女が、己が生き延びたことを知るのは、全く別の場所で目覚めた時であった。
何者かの手により運ばれたらしいその場所は、戦地からやや離れたデパートの一階。『エデ ン』による生命力のアップが、自分を延命したことなど、桃子が知るわけはなかった。
そのまま眠り続けていれば、少なくとも桃子は生き延びることができただろう。だが、金色の
装甲を着けたファントムガールが、惨殺されかけるのを目撃した桃子の身体は、下半身に熱 い滾りを感じるや、気がつけば白い光に包まれていた。
“くや・・・しい・・・・・あたし、また・・・こんな奴に・・・・・・でも・・・・・・”
デコボコした触手に突き上げられながら、ピンクと銀の身体がピクピクと反応する。それは快
感と、苦痛とによるものだった。正義の心に促されるまま、変身した優しい心の持ち主は、悪の 性欲の捌け口となって、死滅せんとしていた。
「あの女は・・・・・・おしまい・・・・・・あとは・・・・・・お前の番・・・・・・」
黒衣に包まれた魔女が、目の前のアリスに宣告する。
巨大な漆黒の手に胸を握り潰され、ゴリゴリと不快な音をたてる肋骨の痛みにうち震えなが
ら、アリスは空を仰ぎ続けている。救いを求めるように天に伸びた右手が、ブルブルと痙攣す る。サクラ同様、闇の眷属たちに暴虐に曝されたこの天使も、死の河を渡ろうとしているのか。
小ぶりな唇がパクパクと開閉する。喘ぎの合間にアリスは何事かを呟いているようだった。フ
ードをかぶった魔女が歩を進め、機械少女の口元に耳を寄せる。
「あぐ・・・・・・こ・・・んな・・・・・・ぐふぅッッ・・・・・・ニセモノの技・・・・・・ごぶッッ・・・ぐううぅぅッ
ッ・・・・・・・き、効かない・・・・・・わ・・・・・」
この期に及んで、まだ挑発を繰り返すというのか。
魔女のデスマスクに憤怒が彩られる。表面上の変化はまったくないのに、確かにマリーの怒
りは頂点に達していることがわかる。
惨殺。この不愉快で愚かな女は、見るも無惨に殺す必要がある。黒魔術の恐怖を、世間に
知らしめるためにも。
悪魔の巨大な手のひとつが、さまよう機械少女の右腕を握り締める。金色の機械仕掛けの
腕を、悪魔の手は上方に引っ張り、もぎとらんとする。
「ぐあああッッ??! うああああッッッ―――ッッッ!!! う、腕があああッッッ―――ッッ
ッ?!!」
ベキベキッッ・・・バチッ、バシュンバシュンッッ、ブチチッブチッ・・・
機械といえど、神経が通う部分を引き千切られる酷痛に、アリスが叫ぶ。四肢をもぎとり、機
械部分を徹底的に引き剥がし、回路を引き摺り出す。マリーは文字通り、バラバラに破壊し て、サイボーグ戦士を晒すつもりだった。
「スクラップになれ・・・・・・愚かな女め・・・・・」
カチン、という金属音。
かすかに聞こえたその音色は、天才と呼ばれる少女の、最後の望みを賭けた作戦が成功し
た合図だった。
悪魔の手が引っ張る。ベキイッッ・・・と大きな音が木霊して、アリスの右腕がもぎとられる。
いや、違う。もぎ取られたのでは、ない。
アリス自身が、右腕を切り離したのだ!
肘から先が、キレイな断面を見せて、アリスの本体から分離したのだ。そして、その肘から生
えているのは―――
黄色の稲妻を纏った、電磁ソード。
虚を突かれて自失する魔女に、電撃剣が大上段から振り落とされる。
アリスの言葉を聞くために近寄りすぎたマリーの、頭頂から股先までを、一気に稲妻剣が疾
走する。
グラリ、と揺れた黒衣の魔女は、中心から真っ二つになって左右に分かれていった。
黒い爆発。ふたつに分かれたマリーの身体が黒い靄となって消える瞬間、巨大な悪魔の両
手も幻となって消滅していた。
「!!!ッッなッッ!!!」
突如起こった仲間の死。そして、己の窮地に、触手獣が動きを止める。動揺するクトルが再
度動き始めるより早く、アリスのありったけの電磁砲が、巨大タコに命中する。
「ぐぎゃああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
電気の網に捕獲され、8本の足をのたうち回らせて、魔獣が咆哮する。灼きつくされる激痛
に、全ての足は制御を失い、巨獣は軽々と宙を舞った。
「今よ! トドメを刺して!」
ドシャリと地面に崩れ落ちながら、装甲天使が叫ぶ。残った全てのエネルギーを電撃に使っ
た少女に、もう追撃する余力はない。
アリスの声に、触手の戒めから解放されたサクラが我に返る。互いに初めて会う相手なの
に、光の意志で結ばれたふたりには信頼までの時間は必要なかった。
サクラのピンクのグローブが前に突き出される。重なった両手に、あらん限りのサイコパワー
が集中していく。
「クトル! あなたに嬲られた借り・・・今返すよ!!」
七色の光弾が、サクラの手の中で奔流となって渦を巻く。桜宮桃子が持つ超能力のパワーを
具現化した、最大の光線技。気合いとともに放たれた、虹色に輝く光線が、空中の魔獣を撃 つ!
「ぎゃあああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
断末魔を轟かせて、クトルの巨体はビル群が崩壊した、瓦礫のなかへと落下する。
地響きと、土煙。
一瞬、黒い閃光が走ったかと思うと、次の瞬間、もうもうとたち込める黒煙の中に、濃緑のヘ
ドロの塊は一片すらも残っていなかった。
「勝っ・・・た・・・・・・・」
大地を揺るがす大咆哮。それは、固唾を飲んで、政府が映す遠景の映像を見守っていた人
類たちの、歓喜の叫びであった。遥か彼方に避難しているはずの彼らの喜びが、こんな離れ た位置にまで響いてくる。人間は無責任にファントムガールの闘いを見ているだけ・・・そんな ふうに思っていたアリス、霧澤夕子の心にも、その咆哮は心地よく響いた。
「ありがとう・・・おかげで・・・助かったよ・・・」
鮮血が噴き出し続ける腹部を押さえつつ、ふらふらとピンク色の戦士が装甲天使に歩み寄
る。歩を進めるのは、アリスも同じだった。こちらもふらつきながら、サクラに近付いていく。や がてふたりは、どちらからともなく抱き締めあった。
「お礼を言うのは私の方よ・・・あなたが現れてくれなきゃ、私は間違いなく殺されていた」
ともに抱き合いながら、互いのダメージがあまりに深いことを、ふたりは悟っていた。ユリアは
復活し、ナナを助けだし、恐るべき力を持つミュータント2体を倒した。結果は大勝利であるも のの、代償は決して軽くはない。
「じゃあ、帰りましょう。まずはお互い自己紹介しなくちゃね。ファントムチームの新メンバーと
して」
クールと呼ばれるアリスの口調に、珍しく軽妙な響きが入る。何度も死を覚悟した戦地を、く
ぐり抜けた安堵感がさすがの夕子にもあったのだろう。
少女たちの緊張の緩和。
その油断を突くように、漆黒の隕石が、突如上空から舞い落ちる。
「えッッッ!!!」
赤い髪と桃色の髪が、同時に背後を振り返る。
ボロボロの少女戦士たちの後方に、天を裂く轟音とともに現れたのは、青銅の魔人であっ
た。
黄金のマスクが三日月に笑っている。残酷さを内包した笑みが、ふたりの少女を戦慄させ
る。
ミュータントの首領・メフェレス。
最悪の暴虐者が、ついにその姿を現したのだ。
「ヒトキ・・・いや、メフェレス・・・・・・」
呟いたサクラが、ファイティングポーズを取る。その胸中に渦巻く心境はいかなるものか。だ
が、湧きあがる怒りを確かに感じながらも、桃子は恐怖に震えてしまう己を自覚せずにはいら れなかった。
勝てるわけがない。
全てのエネルギーを使い果たした今、魔人メフェレスに対抗できる手段など、サクラにあるは
ずがない。成す術なく切り刻まれる自分の姿が、自然に浮んできてしまう。
アリスにしろ、メフェレスへの恐怖は同様だった。右手を切断された恨みは、忘れてはいな
い。だが、今の状態で闘って勝てる相手でないこともよく承知している。
「く・・・そ・・・・・・」
血みどろになりながら得た勝利は、束の間のものだったというのか。疲弊しきったふたりの少
女戦士は、ただ蛇の前の蛙のように、恐怖に震えていることしかできないのか。
そして、ふたりは知らないが、ここにメフェレスが現れたということは、工藤吼介の運命は―
―??!
「・・・・・・え・・・・・・???」
驚きの声をあげたのは、ふたり同時であった。
青銅の魔人の禍禍しい姿は、掻き消すように消えてしまったのだ。
あとに残るのは、澄み渡った夏の朝空。血臭を忘れさせるように、突きぬけた紺青が広がっ
ている。
「一体・・・・・・??」
謎を残したまま、正義逆襲の舞台となった闘いは、その幕を降ろしたのだった。
ファントムガール・アリス、霧澤夕子と、ファントムガール・サクラ、桜宮桃子が、苦しみながら
も初陣を飾った、数分前。
久慈仁紀が所有するビルの地下で、もうひとつの死闘が決着をみようとしていた。
通常よりも筋肉の鎧を膨張させ、究極の肉体を曝け出した工藤吼介と、顎、左手、肋骨と折
られながらも、必殺の日本刀を手にした久慈仁紀。
常人の領域を遥かに超越した魔人ふたりが、その雌雄を決しようとしていた。
吼介の左足には、短刀が貫き刺さっている。ダメージには差があるものの、踏ん張りの効か
なくなった格闘家は、圧倒的ハンデを背負っているようなものだ。
「“真実の瞬間”、だと」
吼介が言った謎の言葉に、久慈は反応した。
「オレの必殺技の名前だ。一撃でどんな相手も倒せる」
「く、くくく・・・ご大層な名前だな。だが、いいのか? そんな予告をしても?」
「放てば避けることはできん。もっと言ってやろう。実はその正体は、単なる正拳突きだ」
話す間にも、筋肉獣の肉体は小刻みに揺れ続ける。そこに隠された脅威を感じつつも、久慈
は攻撃を仕掛けることができなかった。弾丸を込めている途中のスナイパーを襲うのと、その 感覚は似ていた。全ての弾を装填されれば、敗北は確実だとわかっているのに、無闇に襲い かかれば、撃ち殺されてしまう。最高の状態に相手がなっていくのを、わかっていながらどうに もできない恐怖。真剣を握る手に汗が浮ぶ。
「剣が強いのは、一太刀で勝負が決まるからだ。一撃必殺・・・打撃系格闘技が究極とする形
を持つオレは、真剣を持っているのと同じ。お前があくまで刀に頼ろうというのなら、オレも真剣 を抜くまでだ」
「ふ・・・ふふふ・・・・たかが正拳突き一発で、本当にこのオレを倒せると?」
「普通の突きじゃない。重心、構え、拳の握り、体重移動、関節の回転、骨格の移動、筋肉の
使い方、角度、タイミング、力の抜き加減・・・全ての要素を完璧にした、至高の一撃だ。パワ ー、スピード、インパクト・・・極限に高めた威力に、耐えられる奴なんかいない。オレ自身です らな。そして・・・」
それまであらゆる箇所を完璧にするために行っていた“微調整”が終了する。
「弾は、こめられた」
ビタリと動きが止まる。
それまでの小刻みな震えが嘘のようになくなり、千年前からそこにいるような、古代遺跡を想
起させる不動の構え。1ミリとて揺るぎもせずに凝固した肉体は、息すらしているようには思え ない。
美しい。
不覚にも久慈仁紀が抱いた感情は、理想をも遥かに超越した、完璧な戦闘態勢への賛辞で
あった。
もはや闘神のレベルに達したと思われる、工藤吼介至高の構えを前にして胸の奥からわき
あがってきたのは、、恐怖でもなく、威圧感でもなく、惚れ惚れするような感嘆だった。
気がつけば、久慈の身体は真剣を中段に構えて、武芸者のように立ちすくんでいた。
エリートと呼ばれ、好き放題に生きてきたボンボンではあるが、その身に流れる柳生の血は
嘘ではない。吼介の“最高”を前にして、久慈もまた、ニヒルな仮面を脱ぎ捨てて、“最高”の己 を無意識に出していたのだ。
「いい構えだ」
格闘獣の言葉が響く。
武道家と剣術家が向かいあって構えたまま、悠久を思わせる時が過ぎていく。実際には2分
の時が流れる間、久慈と吼介の魂は、百年の空間を旅していた。
ポトポトという血の雫が落ちる音だけが、この世界に時を刻む。
空気が鳴る。
ドンッッッッ!!! という号砲を残して、闘神の遺跡が踏み込む。仕掛けたのは、吼介。
弾丸より速く久慈の懐へ。速すぎるッッ!!!
動いていた。久慈の身体は。
肉眼では捉えきれない猛獣の突進を、若き達人は感知したのだ。
日本刀での突き。
ミサイルよりも、レーザーよりも速い、光速の刃。真っ直ぐ突っ込んでくる猛獣の喉元へ、必
殺のカウンターが飛ぶ。
掌。
刃は突き出された吼介の左手を貫通していた。朱色が散る。
左手ひとつを犠牲にして、格闘獣は斬撃を回避したのだ。
中央を貫かれた格闘家の左手が、日本刀を握り掴む。
ゴキンッッッ!!!
鈍い音が久慈の耳に届く。
一気に刀ごと捻った吼介の柔術により、魔人の手首の関節は外されていた。
「ッッッ―――ッッ!!!!」
声にならない闇王の悲鳴。
捻り! 体重移動! 拳! 握り! 腰! 回転! 力! 引き手! 速度! 脱力! 気合
い! バランス! うねり! タイミング! 連結! ポイント! インパクト!
最高最強最大の、究極の正拳が空気を裂いて放たれる!
ドゴオオオンンンンッッッ!!!!
落雷に似た轟音が響くや、一瞬のうちに久慈の肉体は10mを飛んで灰色の壁面に叩きつけ
られていた。
その左胸には、拳の形をした陥没。
ゴボリ・・・と血塊が薄い唇を割って出る。魔人のアバラは、打撃の衝撃で粉々に砕けてい
た。
「マッハを超えるパンチは、痛えだろ?」
左手に根元まで刺さった日本刀を見ながら、覇王は呟く。
あげた視線の先に、久慈の姿はなかった。
幻のような出来事に、滴る血も忘れて、吼介はキョロキョロと周囲を見渡した。椅子ひとつな
い、殺風景な地下室を。
甘いマスクを持った細身の姿は、ついに発見されることはなかった。
青銅の魔人・メフェレスが、突如、アリスとサクラ、ふたりのファントムガールの前に現れたの
は、ちょうどこの時であった。
「やっ~と、夏休みですねぇ!」
照りつける太陽の下で、藤木七菜江は大きく背伸びをする。
放課後の聖愛学園。芝生の生い茂る校庭の隅に、少女は座っていた。
人類が侵略の危機を乗り越えてから、1週間ばかりが過ぎていた。ようやく平常を取り戻しつ
つある地上では、巨大生物の出現により遅れていた授業日程が、無事修了しようとしていた。 夏がよく似合う少女の顔にも、高校生らしい喜びが滲み出ていた。
ミュータントの総攻撃を耐えきった、五人の少女戦士たち。深刻なダメージを負った彼女たち
も、回復の兆しを見せていた。比較的軽い負傷で済んだ七菜江に至っては、数日前から何事 もなかったように学校に通っていた。
少女の隣には、左手と左足に包帯を巻いた、肉厚な男が座っている。人間離れした強さを誇
る格闘王も、こと回復力に関しては、さすがに『エデン』の寄生者の後塵を拝していた。
「ねえ? その怪我・・・ホントはどうしたんですか?」
何度か繰り返した質問を、天真爛漫な少女は執拗に訊いた。
「あれだけのパニック状態なんだから、怪我くらい・・・」
「誰かと闘ったりしてません?」
じっと純粋な瞳を向ける少女の直感は、意外なまでに鋭かった。
「さてね」
そっぽを向いて芝生に寝転がる吼介。その口からは七菜江をドキリとさせる人物の名が出て
くる。
「七菜江は久慈のこと、知ってるか?」
嘘の苦手な少女は、あたふたとジェスチャーを入れながら、懸命に答える。
「せ、生徒会副会長の? 知ってるっていうか、まあ、そんな・・・ねぇ?」
「あいつ、里美のストーカーだったんだぜ」
真剣に話す吼介の言葉に、少女はキョトンと眼を丸くする。
「しかも妙な奴らを金で雇って、里美を自分のものにしようとしたらしい。許せねえよ、なあ」
「・・・うん、そうね、許せない」
そこだけ強く同調した少女は、突然、寝転ぶ逆三角形の身体に飛び乗っていく。
「うお?! なにしやがる?!!」
「えへへ・・・マウントポジション、取ったあ~~!」
ゆるやかに流れる時間の中で、甲高いセミの鳴き声が、青い空に染み渡っていった。
《ファントムガール 第五話 -完- 》
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