第七話


 
 「第七話  七菜江死闘 〜重爆の肉弾〜 」
 
 
 
 序
 
 豪華なソファーだった。
 深く腰掛けると、地底にまで潜っていきそうなほどにスプリングが沈む。柔らかいというより、
滑らかな印象を強く与える表面の皮は、間違いなく本物の獣から取ったもの。実際に野生の動
物を見ることなどなくても、毛並みのいい黄色の体毛を見れば、すぐにそれはわかった。
 
 女がソファーに座っていたのは、ほんのわずかな時間だった。
 ひとしきりこの部屋の主から話を聞いた彼女は、湧きあがる歓喜と、獰猛な復讐心に身を絡
み取られてしまっていた。
 いても立ってもいられない、とはこのことだろう。
 彼女の心に、鉛の棘となって突き刺さっている、あの女。
 あの忌々しく苛立たしい女を、存在そのものから捻り潰せるようなオイシイ話が、目の前に転
がり込んできたのだ。
 
 会話が終わるや否や、女は立ちあがっていた。見下ろす木彫りのテーブル上には、一枚の
写真の中でひまわりのような少女が、眩い笑顔を振り撒いている。
 幸福感で満たされた太陽のような笑顔。幸せ一杯といったその様子が、女の憤怒を極限に
高める。
 
 「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
 
 取り出したナイフで、とり憑かれたようにザクザクと写真を刻む。刻む。刻む。テーブルの木
屑が舞い散るのも構わず、写真の笑顔が原型を留めなくなるまで刻み続ける。
 
 「素晴らしいわ。その怒り、憎しみ。本当の意味で憎悪と呼べる感情を抱いた人間に、ようや
く会えたようね」
 
 常人なら、知らず後退りするような光景を、女を呼び寄せたこの部屋の主は頼もしげに見詰
める。
 薔薇だ。
 寒気がするほどの美しさ。ハーフを思わせるくっきりとした目鼻立ちに、酔いそうな妖艶の香
水と、凍えそうな冷酷の牙とが加えられ、単なる美人では済ませない存在へと押し上げてい
る。はっきりとした二重の瞳や、薄く大きい唇は、ギリシャ神話に登場するヴィーナスの美しさを
想起させるが、この女を女神と呼ぶには、噴霧する雰囲気が悪辣すぎる。
 
 澱のごとき暗黒と、毒々しいピンク。
 極彩色のオーラを放つ妖女は、しばしの潜伏期間を経て、再び壮大な計画に向けて胎動す
る。
 
 「片倉響子、あんたの話、乗ってやるよ」
 
 狂ったように写真にナイフを突き刺していた女が、理性を失った眼光で、天才生物学者を射
る。
 痺れるような視線を風に流しながら、響子は血の色をしたルージュを吊りあがらせてみせた。
 
 「当然ね。私はあなたに力を与える。あなたはその力で、溜まりに溜まった鬱憤を存分に晴ら
す。こんないい話は、二度とあなたの人生に巡ってこないでしょう」
 
 「うふふ・・・アハ、アーッハッハッハッハッハッ!!」
 
 天を見上げ、髪を振り乱し、大口を開けて女は高笑いする。さしもの響子が、一瞬眉をひそ
める狂態。“楽しさ”のまるで欠如した笑い声が、響子のプライベートな研究室に響き渡る。
 
 「殺してやる! 殺してやるよ、藤木七菜江! グチャグチャに磨り潰して、泣き喚かせて、跪
かせて、バラバラに引き裂いてやる! アーッハッハッハッハッハッ!!」
 
 すでに顔の部分が削ぎ剥がれた写真を、テーブルから叩き落し、靴のつま先で焼けるほどに
踏みにじる。物言わぬ写真に対して、女の蹂躙は止むことなく続けられた。
 
 「七菜江、今度の試練、あなたは乗り越えられるかしら?」
 
 哄笑の合間を縫って、片倉響子の囁きは、誰の耳に捕らえられることなく、蒸し暑い夏の闇
夜に溶けていった。
 
 
 
 1
 
 ウオオオオオオオンンン・・・・・
 どよめきが青い空に突きぬけていく。
 ドーム型の体育館。灰色の壁はいかにも地方公共団体の建造物といった風情を醸し出して
いるが、去年塗り替えたばかりという赤い屋根は、夏の陽光を照らして華々しく映えている。温
度計が35の目盛りをさそうかという灼熱の空。外は歩くだけで汗が噴き出す猛暑だが、冷房
設備などない体育館の中は、激闘による若さの放熱で、沸騰寸前に滾っている。
 
 ハンドボール全国高校選手権大会県大会決勝。
 熱戦を勝ち残った四チームによる、準決勝および決勝が、中心都市からやや離れたこの地
方体育館で行われているのだった。
 2面のコートでは、男女それぞれ全国大会の切符を賭けた試合が、午前のうちから繰り広げ
られている。時計の針が12時を回った今は、準決勝の2試合目が男女ともに佳境に入ろうと
していた。
 
 再びどよめきと歓声が沸き起こる。
 簡素なつくりの2階の観覧席、8割ほど埋まった観客たちのほとんどの目は、いまやあるひと
りの選手に釘付けになりつつあった。
 
 「また聖愛の7番だ!」
 「なんだあいつ?! メチャメチャはええぞ!」
 
 赤いユニフォームのチームがゴール前まで迫った刹那、インターセプトした青いユニフォーム
の少女が、一気に逆襲に転じる。ドリブルする背番号7は、敵を振り千切るという表現がピッタ
リくるスピードで、コートを駆け抜ける。稲妻のごとく、敵ゴールに襲いかかる7番。あっという間
に敵ゴール前に迫った少女は、ひとりだけ無重力にいるような跳躍で、上空から躍動感溢れる
シュート姿勢で飛びかかっていく。
 
 「たっけえッッ――ッッ!!」
 「マイケル・ジョーダンかよ?!」
 
 身体を張ってシュートを防ごうとする相手キーパーを見下ろし、ショートカットの7番はジャンプ
したままシュートを放つ。
 背中から手を回して。
 青の7番が打つ豪速シュートに、反応すらできずに幾度もゴールを割られていたキーパー
は、ひとを食ったようなフェイクシュートに、完全に引っ掛かざるを得なかった。
 パス・・・という柔らかな擦過音が、青いユニフォームのチーム、聖愛学院に20点目が入った
ことを知らせる。
 
 「強えな、今年の聖愛は! これで20対11だぜ」
 「あの7番、いままでいたっけ? ズバ抜けてるぜ、あいつ!」
 「見ろよ、決勝で当たる東亜大附属の連中、ずっと7番を睨んでやがるぜ」
 
 ギャラリーたちのざわめきを独り占めしているのは、この大会から聖愛学院のレギュラーを
掴んだ7番の選手だった。
 ショートカットが健康的な爽やかさを演出している。ショートといっても短すぎることはなく、ナ
チュラルなウェーブはアイドル歌手にありそうな可愛らしさを引き立てていた。ホームベース型
の小顔には、やや吊りあがった瞳、小さめの鼻、潤った唇が配備され、キュートという言葉がこ
れほど似合う少女もなかろうというほどの、猫顔タイプの美少女を完成させている。一方で童
顔に反して、鮮やかな青のユニフォームに包まれた肢体は豊満に成熟していた。大きめのユ
ニフォームの上からでも、形のいい双房が確認できる。張り出したヒップラインは、芸術的な弧
を描いて、甘酸っぱい色香で男たちの視線を集めずにはいられない。
 
 選手の名前は藤木七菜江。
 決して大きくはない身体でコートを縦横無人に駆け巡り、発育した肉体と愛らしい美少女ぶり
で、いまや今大会の主役に踊り出た少女は、観衆の驚嘆を呼んでいることにも気付かず、試
合に没頭して頬を紅潮させている。
 
 「動きもいいけど・・・あのオッパイ、凄くねえ?」
 「そうそう! デカイだけじゃなく、なんか形がいいよな!」
 「バカ、それより顔がカワイイじゃんかよ」
 「そうか?」
 「メチャメチャかわいいって! オレ、惚れちゃいそうだ」
 
 観戦中の男たちの話題は、いまや七菜江の驚異的な身体能力に留まらず、彼女自身の魅
力に推移しつつあった。
 
 「凄い凄い! ナナ、やるなあ〜!」
 
 会場の異常な雰囲気の渦に包まれながら、桜宮桃子は盟友の活躍に無邪気な拍手を送る。
 タンクトップに薄手のジャケット。膝までのパンツを着こなした少女は、全ての衣服を白で統
一することで清潔感を醸し出していた。胸元には銀のロザリオが輝き、同じく十字架を模したピ
アスが控えめに両耳に光っている。元々が上品で艶やかな顔立ちをした桃子だけに、今日の
ような落ちついたファッションだと、女子大生かOLに見える。こんな化粧販売員がいたら、女性
客は皆憧れて買ってしまうだろう。その美貌ぶりは、錆びれた地方体育館の2階席ではあまり
に異彩を放っている。
 
 「ホント、さっきまで桃子に夢中だった男たちが、みんな七菜江に集中してるものね」
 
 隣に座る少女の呆れ声に、桃子は思わず照れくさそうに俯く。
 黒のティーシャツにクリーム色のスカート。地味目の格好だが、美しさと可愛らしさが同居した
整った顔には、よくマッチしている。前は分けられ、後ろはツインテールに纏めた髪型。銀色の
首輪が否が応にも視線を集める。
 
 霧澤夕子。
 桃子の隣という、女の子なら誰もが嫌がるポジションにいても、全く遜色ないクールな美少女
は、熱狂する館内でひとり冷静に戦況を見続けていた。
 
 「あのさ、夕子。注目されてるのは私より、むしろ夕子だと思うんだけど」
 
 「ミス藤村って単語が聞こえてくるのは、気のせいって?」
 
 「そういうんじゃないけど・・・その髪・・・」
 
 整えた細い眉を歪ませて、桃子はおずおずと、今朝会った時から気になっていたことをつい
に口にする。
 茶色だったはずの夕子の髪は、鮮やかな赤色に染まっていた。
 
 「やっぱ、似合わない?」
 
 視線をコート上から外した夕子が、桃子の美貌を真正面から見据えながら聞く。その頬は心
なしか赤い。
 
 「ううん、全然カワイイよ。でも、ちょっと目立つかなーって。どうしたの?」
 
 「別に。ただの気分転換よ」
 
 再びコートに向き直りながら夕子は言う。
 
 「あんたも里美も茶髪だからさ。同じは嫌だなと思ってね。どうせ、アリスになった時は赤髪な
んだし」
 
 トップシークレットを何気に漏らしながら、夕子の口調はサラリとしていた。もちろん彼女なり
に、危険はないことを判断した上での漏洩だが。
 
 機械の肉体を備えたサイボーグ少女・霧澤夕子と、超能力の使い手・桜宮桃子。ファントム
ガール・アリスとファントムガール・サクラの正体であるふたりの美少女戦士は、仲間のファント
ムガール・ナナこと藤木七菜江の応援に来ていた。夏休みに入り、宿敵久慈一派も動きを見
せていない今、守護天使たちの生活には、ちょっとしたゆとりが生まれていた。部活の試合の
応援に来れたのも、穏やかな生活の賜物である。
 リーダー的存在の五十嵐里美が、静養のために旅立った今、残り四人のファントムガールた
ちは、本来の活動を中心に毎日を過ごしていた。
 七菜江は学校の部活動に。ユリは道場の稽古に。夕子は機械工学の研究に。
 元々やることのなかった桃子だけは、怪我の療養とファントムガールとしての闘い方を習得
する訓練に専念していたが、巨大生物の現れない平和の中で、少女たちは高校生である自分
を取り戻すような生活を送っていたのだった。
 
 「七菜江に見られたら笑われそうだから、ちょっと嫌だったんだけどね」
 
 あ、笑いそう・・・
 思わず浮んだ明るい少女の爆笑する姿を打ち消して、桃子は必死で戸惑いを隠しつつ言う。
 
 「だ、大丈夫だよォ、多分」
 
 「・・・そう?」
 
 「そ、それよりさ、夕子が来てるの知ったら凄く喜ぶと思うよ、ナナ。研究、忙しそうだから、多
分来れないだろうって昨日ふたりで言ってたの」
 
 七菜江と桃子はともに五十嵐家に居候している。身の危険を考えれば、堅牢な五十嵐家に
住むことはファントムガールにとってベストな選択といえた。しかし、他者の厄介になることを嫌
う夕子は誘いを断り、ひとり暮らしを続けているのだった。
 
 「七菜江が今日のためにがんばってたのは知ってるから。普段、きついこと言っちゃうから、
たまには、ね」
 
 「ふふ・・・夕子は優しいよね〜」
 
 「やめてよ、変なこと言うの」
 
 「そうやって照れちゃうとこがまた、夕子らしいけど」
 
 朱色に染まった顔を背けるようにして、ツインテールの少女はコートに展開される熱闘に視線
を注ぐ。
 天才と呼ばれる頭脳明晰な少女から出てきた言葉は、じっと戦局を見詰めた上での分析結
果だった。
 
 「それにしても・・・相変わらず、七菜江の動きはなってないわね」
 
 「え? そうかな? あたしには一番凄いように見えるけど」
 
 「がんばり過ぎなのよ」
 
 淡々と喋る夕子の口調は、クールそのものだった。
 
 「この点差、残り時間、相手の実力を考えれば、もう十分手を抜いてもいいはずだわ。見て、
あの足」
 
 「あ・・・」
 
 マンツーマンで守備に付いている七菜江の膝が、ガクガクと小刻みに震えているのに、桃子
は気付いた。小さな肩は他の誰よりも激しく上下している。限界が近いのは明らかなのに、鋭
い視線からはボールを本気で奪おうとしていることが如実に伝わってくる。
 
 「決勝の相手は一番の強敵なんでしょ? ならここは体力温存に努めるべきなのに、全力を
出しきってるわ」
 
 「・・・ナナらしいなぁ」
 
 「普段からセーブした闘いのできないコだけど、今日はちょっと張り切りすぎだわ。試合で舞
い上がってるのかしら?」
 
 「張り切ってる理由ならわかるよ」
 
 「なに?」
 
 「あ・れ・よ」
 
 桃子が細長い指で、斜め後方にある体育館の壁を指差す。
 白のティーシャツにデニムのパンツ、ラフな格好に巨体を包んだ肉の塊が支柱にもたれて戦
況を見詰めている。観衆の目を避けるように後方に佇んでいるが、隠しきれない圧倒的肉感
が沁みだし、周囲の席に座る者たちは、思い出したようにチラチラと背後を覗き見している。半
袖から生えた腕は棍棒のように太く、短髪の似合う男臭い顔より首の方が一回りデカイ。どこ
をとっても分厚い筋肉で覆われた鎧武者は、スポーツの薫風漂う会場には、やや不釣合いと
いえた。
 
 「道理でね」
 
 フッとついた夕子の溜め息は、呆れたと言っているようにも聞こえた。
 最強の名を冠した男。
 腕組みをしたまま工藤吼介は、ざわめきを巻き起こしているショートカットの少女に熱い視線
を注ぎ続けて、微動だにせず立っていた。
 
 
 
 熱闘続く地方体育館に、しばしの休息が訪れる。
 ハンドボール県代表を賭けた戦いも、残るは男女ともにひとつづつ。県の頂点を決める試合
の前に、選手たちには休憩を兼ねた最期の調整時間が与えられていた。
 
 ミーティングを終えた聖愛学院女子ハンドボール部の青い集団の中から、ひとりの少女がこ
ちらに気付いてやってくる。
 どうやら本人は走ってきたいようだが、一旦体力を放出し切った彼女は、足取りもどことなく
覚つかず、早歩きが精一杯のようだった。だが、ショートカットを揺らしてやってくる少女のトビ
きりの笑顔は、そんな疲れなど微塵も感じさせない。
 2階の観覧席から降りて、ロビーの入り口で親友を待っていた桜宮桃子と霧澤夕子に、ピン
ク色に顔を上気させたままの藤木七菜江は駆け寄る。
 
 「ナナ、おめでとー♪」
 
 「ありがとう、モモ。・・・夕子来てくれたんだぁ、ありがとね!」
 
 「・・・おめでと。あとひとつね」
 
 七菜江と桃子があまりに眩しい笑顔を見せるので、つられて夕子の薄紅色の唇もほころぶ。
ペース配分についての苦言を呈しようと考えていた天才少女だが、勝利を称えてやることこそ
が、純粋な親友へのなによりの活力源になることを、この時点で悟っていた。
 
 「夕子、髪の色変えたんだね?」
 
 慈しむように互いの腕を触りあいながら、七菜江の瞳は夕子の頭に向く。一瞬、桃子の厚め
の唇が、ヒクリと歪む。
 
 「カワイイ〜〜ッ! 凄くカワイイよ! とっても似合ってる。前よりこっちの方が、ずっといい
よ!」
 
 「そ、そう? ありがと」
 
 ボッと火が着いたように真っ赤に染まる夕子の頬。
 はしゃぐように褒めまくる七菜江の勢いに、普段のクールさも押し込まれ、天才少女は乙女
のように照れまくった。
 
 3人のタイプの違う美少女が、キャイキャイとはしゃぎ笑う光景は、熱気で充満した館内にあ
って、華やかさを放つ。身長でいうと、七菜江158cm、夕子156cm、桃子153cmと皆小柄
だが、桃子の落ちついた服装と色気のある美貌、そして夕子のクールな雰囲気は、少女たち
を年齢以上に大人びて見せていた。逆に一番背の高い七菜江が高校生らしいユニフォーム姿
であるため、童顔とあいまって幼く見える。半袖で開襟型の青いシャツと短パン。膝までの白い
ソックスがむっちりとした肉体に映えている。噂の7番の存在に気付いた観衆たちが、間近で
豊かなバストとヒップラインを確認しつつ、露わになった太股の肉付きの良さに新たな驚嘆を示
すのは、仕方ないことと言えた。
 
 「決勝の相手は東亜大附属なんでしょ。勝てるの?」
 
 「勝つよ。最近はウチと東亜が交互でインターハイに出てる感じだけど、今年は勝つ。だっ
て、あたしがいるもん」
 
 得意のVサインを誇らしげに作る七菜江。
 東亜大附属高校といえば、この近辺では体育会系の名門校として名高い。野球、サッカー、
バレー、バスケ、水泳、陸上、ラグビー・・・あらゆる高校スポーツの大会に、上位の常連として
出てくる全国でも屈指のスポーツ校である。ハンドボール界においてもその名は全国に轟いて
いた。聖愛学院の女子ハンド部にとって、宿命のライバル校といえる存在である。
 
 「あたし、東亜って嫌いだな」
 
 素にしていると、冷たく見られる美貌の持ち主・桃子が、突き放したように言い放つ。美少女
の脳裏には、どうやら苦い記憶が蘇ってきているようだった。
 
 「全国の中学から有望選手を集めるでしょ。でも、生き残りが激しいから、勝つためにはなん
でもやるって噂じゃない。部活間の権力争いも凄いらしいし」
 
 「確かにそういう面はあるかもね。でも、桃子がどうしてそんなに怒ってるの?」
 
 「ウチの学校、奴らに狙われてるのよ」
 
 五十嵐里美に匹敵する美貌なだけに、笑顔が似合う反面、怒りを秘めたときの桃子の表情
は、ゾッとするほどの迫力を滲ませる。脳天気を絵に描いたような七菜江も、普段見せること
が少ない友の怒りに、ただならぬ事態を察していた。
 
 「どういうこと?」
 
 「東亜で競争に負けて、落ちこぼれていった奴らがどうなるか、知ってる?」
 
 フルフルと首を横に振る七菜江に代わり、冷静なままの夕子が答える。
 
 「学校を辞めていくか、目標を失って荒れるか、といったところだろうね」
 
 「そう。東亜って体育会系で有名だけど、不良校としても有名なんだよね。しかも、元々の運
動能力が高いから厄介っていう」
 
 「それと藤村女学園が狙われてるってのは、関係あるわけ?」
 
 「あたしが知ってるだけでも、3人のコが奴らにレイプされてる」
 
 桃子の直球に、ふたりの少女の顔色が変わる。
 
 「奴らにとってウチの学校のコを犯すのは、ステータスみたいなものらしいの。ゲーム感覚で
襲ってるみたい」
 
 「・・・許せないわね」
 
 視線を落とす七菜江とは対照的に、憤りそのままにセリフを吐いた夕子が、緑のユニフォー
ムを着た東亜大附属チームに鋭い視線を飛ばす。
 
 「七菜江、あんた、大丈夫なの?」
 
 「大丈夫だよ。モモの話聞いたら、ますます負けらんないよ!」
 
 「狙われてるよ、あんた」
 
 くるりと振り返り、夕子が見詰める先に、同じように視線を飛ばすスポーツ少女。
 見ている。
 いや、睨んでいる。東亜大附属の連中が。
 特に先頭に立ったふたつの肉塊――100kgを越えていると予想される全く同じ姿をしたふ
たつの巨体が、憤怒を越えた憎悪の眼光で七菜江を睨み続けている。
 
 「なにあの双子・・・ムカつくなぁ〜。ナナ、あいつら知ってるの?」
 
 「渡辺・カズマイヤー・沙理依と美姫依・・・通称サリーとビッキーって言われてる、東亜のエー
スだよ。奴らを抑えないと、勝てないだろうね」
 
 溶けかけたソフトクリームのような巨体の上に、アンパンみたいな丸い顔が乗っている。太っ
ている、とか、デブ、とかそんな可愛らしい表現では追いつけないレベルの巨体。生肉の詰まっ
た風船がそこにはいた。ハーフであることを強調するように髪は金色で、顔のパーツは西洋人
らしくひとつひとつが大きい。見た目以上に醜悪な雰囲気を発する彼女たちが、七菜江たち3
人と同じ高校2年生であることを知ったら、桃子などはさぞ驚くことであろう。
 
 「あっちも七菜江を抑えないと勝てないことは、わかってるみたいよ。さっきの試合見てたら、
誰でもそう思うでしょうね」
 
 「望むところよ。あんな奴らに負けるもんか」
 
 「私も東亜の良くない噂は聞いたことがあるわ。対戦チームの有力選手が、試合前に何者か
に襲撃された、とかね。勝つためならどんな汚い手も平気で使ってくる連中よ。気をつけなさ
い」
 
 「夕子、心配してくれてありがと。でもさ、このあたしがそんな奴らに負けると思う?」
 
 「“普通に戦えば”負けるわけないわね」
 
 絡み合う視線の糸を振り千切るようにして、双子の巨体を筆頭に緑の軍団は振り返る。その
まま、決戦の相手は体育館の屋外へと消えていった。
 3人の美少女が固まったように、見えなくなった背中を眺め続ける。緊張した空気を打ち破っ
たのは、ポン、という軽い音だった。
 
 「あ・・・吼介先輩!」
 
 厳しかった七菜江の表情が、ひまわりの如く一気に開花する。彼女本来の天真爛漫な笑顔
を、この男は一瞬にして取り戻していた。
 小柄な少女たちからすると、壁のように高い男が、男臭い顔をほころばせて笑っている。グロ
ーブのような右手がショートカットに乗せられ、彼なりの祝福が少女に与えられていた。
 圧倒的肉感をティ―シャツとデニムというラフな格好が包んでいる。筋肉の浮びあがった腕
は、鋼鉄でも埋め込まれているかのようだ。観客席に巨体を紛らせていた彼だが、青の7番が
近くにいるのに我慢できなくなったのだろう。少女の友人たちに姿を見られる恥ずかしさを犠牲
にして(実際はとっくにバレていたのだが)、ショートカットの目前に現れたのだった。
 くるりと振り返り、藤木七菜江は工藤吼介と真正面から見詰め合う。少女が見上げ、男が見
下ろす格好に。微笑みあうふたりが、知らず赤くなっていくのを、本人たちだけが気付いていな
い。
 
 「お疲れ。ナイス・ファイトだったぜ」
 
 「あたしの活躍、見ててくれましたか?」
 
 グシャグシャとショートカットが乱れるのも構わず、最強と呼ばれる高校生は小さな少女をナ
デナデする。目をつぶって嫌がる七菜江だが、嬉しそうな表情は誰が見ても明らかだ。
 
 「オレはずっとお前を見てるんだぜ。たっぷりとカッコイイとこ見せてもらったよ」
 
 よく恥ずかしくもなく言えるなぁ・・・
 隣で聞いていた桃子が、思わず赤面するほど吼介の言葉はストレートだった。これだけ互い
にわかりやすい反応をしてるのに、ふたりが付き合っていないというのは、桃子からすれば信
じられないことだった。
 
 撫で続ける固い掌を掴んで、七菜江が手を降ろす。奇しくも互いの手を繋ぎあう形になった
ふたりは、瞳と瞳を見詰め合う。いつのまにか、笑顔は真剣な表情へと変わっていた。頬だけ
ではなく、顔全体が真っ赤に染まっていく。潤んだ瞳で吼介を見詰める少女は、なにかを言い
かけて言えられず、握った両手をプラプラと揺り動かす。
 
 「ラ・・・ラブラブだぁ・・・」
 
 「こんな筋肉男のどこがいいのか、私にはわからないわ」
 
 「ナナ、いつも以上に可愛くなってるよ・・・」
 
 周囲に気付かないようなふたりに圧倒され、夕子と桃子の口から本音が洩れる。どうやら七
菜江には、親友の声すら届いていないらしい。吼介を見ていることに耐えきれなくなったのか、
俯いた彼女は恥ずかしさを紛らすように激しく両手をブラブラと揺り動かしている。
 
 「な・・・七菜江・・・」
 
 「な、なんですか?」
 
 「決勝もガンバレよ」
 
 「ハイ! 勝ちます!」
 
 再び吼介を見上げる少女。その澄んだ瞳には、強い意志が宿っている。そんな七菜江の様
子を見て、夕子は安堵する自分がいることを自覚していた。
 正直な話、夕子にとって試合の勝敗などどうでもいいことであった。もちろん、がんばってきた
七菜江に勝たせてあげたいし、東亜大附属のやり方は気にいらない。だがそれ以上に、七菜
江が恋にうつつを抜かして、戦闘に集中できないようなタイプであったら困るのだ。七菜江と知
り合って、まだ1ヵ月足らず。短い付き合いではあるが、五人のファントムガールのうちで、最も
身体能力が高く、戦闘力に秀でているのは七菜江だと、夕子は分析していた。そして、彼女が
最も精神的に脆いことも。たかが男一人の存在で、闘えなくなるほど弱くはないだろうが・・・ひ
とつの懸念材料が消えたことは、夕子にとって、ファントムチームにとって、大きな収穫だった。
 
 「いい顔してるな。十分やってくれそうだ」
 
 「いい顔なのは、今だけじゃないですよ」
 
 自分で言った冗談に照れる七菜江。そんな美少女に、思わず抱きつきたくなって、吼介は必
死で自制する。
 
 「なんか、オレにできること、あるか? お前の力になれるなら、なんだってやるぞ」
 
 「え、ホント? じゃあね・・・ん――・・・んとね・・・」
 
 “ギュ〜〜ッて、やって欲しいな・・・”
 
 脳裏に浮ぶ希望を、七菜江は打ち消す。力強く抱き締めてくれたら・・・なんとなく物凄い力が
湧いてくるように感じられたのだ。
 ファントムガール・ユリアが敗北し、エネルギーを全て失った時、七菜江ことファントムガール・
ナナはエナジーチャージをして、ユリアを復活させた。あの時と同様に、吼介に抱き締めてもら
えば、その力を分けてもらえそうな気がして仕方がないのだ。もちろん、『エデン』を持たない、
まして変身することもない吼介に対し、こんな想像を描くのは錯乱しているのであろうが。
 だが、その要望はあまりに気恥ずかしいものだった。
 しかも公共の場であるし、隣には夕子と桃子がいる。もし、ここで抱き締めてもらいでもした
ら、桃子は冷やかしまくるだろうし、夕子に至っては、なんとなく滅茶苦茶に叱られそうだった。
 といって、他に要望は思いつかなかった。抱き締めてもらいたい気持ちが強すぎて、否定しよ
うにも打ち消しきれないでいるのだ。思いきってお願いしようか、やめるか・・・迷いの中で時間
だけが過ぎていく。
 
 「あ〜〜ら、ナナ。こんなとこにいたんだ」
 
 迷いの中で困惑する七菜江を救った、というか邪魔したのは、新たな登場人物だった。
 
 「香先輩」
 
 「ナナ、先生から伝言。女子は男子の決勝のあとだから、これから1時間後に集合ね。それ
までは自由時間だって。あなたはいまやウチのエースなんだから、しっかり休んでよね」
 
 「そんな、エースだなんて・・・先輩の指導のおかげですよ」
 
 青いユニフォームを着た髪の長い少女は、くっきりとした大きめの唇を吊り上げる。ウェーブ
のかかった長い髪は、スポーツをやるには相応しくないように思えた。
 
 「みんな、紹介するね。ハンド部の柴崎香先輩。ポジションがあたしと同じセンターだから、い
ろいろとお世話になってるの」
 
 「おかげで私は、レギュラーの座を取られちゃったけどね」
 
 冗談っぽく言った柴崎香が、わざとらしいほどの笑顔を見せる。対する七菜江は気まずそう
な表情を浮かべていた。
 
 「ちょっと、ちょっと、ナナ。冗談だってば。そんなこと気にしないでいいって、ずっと言ってるじ
ゃない。実力世界なんだから。あなたがレギュラーになったから、ウチはここまで強くなれたん
じゃない。チームが勝てるなら、私は嬉しいわよ」
 
 香のことばに、ようやく七菜江の顔から固さが取れる。七菜江自身は、香からレギュラーを奪
ったことを気に病んでいるようだが、奪われた方はさっぱりしているようだった。
 身長はハンド部員としては特に高くないが、それでも七菜江よりは5cmほど高い。華奢な身
体つきをした柴崎香は、キツメだがはっきりとした瞳と、大きな唇が特徴的な美人であった。各
パーツが整っている、絵に描いたような美人なので、女のコが憧れそうな顔といえた。3人のフ
ァントムガールたちが皆、チャーミングな魅力を持っているのに対して、柴崎香は完成されてい
るが、冷たいイメージを与える美人といえるかもしれない。
 
 「香先輩、こっちが友達の夕子と桃子です。夕子は聖愛の理数科なんですよ。桃子は違う学
校なんだけど」
 
 「ああ、ミス藤村でしょ。知ってるわ。確かにカワイイわね」
 
 「そんな、大したことないですよォ。香先輩の方が美人だと思いますよ」
 
 己のことを知られていたことにドキリとしながら、桃子は初対面の相手を褒め上げる。素直な
少女だけに、美人と思っているのは本心だった。
 
 「そうかしら」
 
 「そうですよ。ホントにそう思いますよ」
 
 「工藤くんもそう思う?」
 
 紹介する前から名前を呼ばれ、吼介と七菜江の両方が驚く。
 
 「あれ、香先輩、吼介先輩のこと、知ってるんですか?」
 
 「なに言ってるの、こんな有名人、知らない生徒が聖愛にいるわけないじゃない」
 
 「・・・そりゃどうも」
 
 「で、工藤くんはどう思う? 私のこと、美人だって思ってくれる?」
 
 「そりゃあ、美人だと思うよ」
 
 「ナナより美人かしら?」
 
 ムッとした表情を浮かべたのは、夕子と桃子であった。当の本人は硬直した姿勢で、じっと筋
肉武者を見詰めている。
 工藤吼介の答えは、さらにふたりの少女を苛立たせるものだった。
 
 「まあ、どっちが美人かって言ったら、七菜江より美人なんじゃないかな」
 
 「キャー―、嬉しいッッ!!」
 
 香の細い体が、棒立ちの格闘獣に抱きついていく。
 あっと思う間もなかった。七菜江がしてもらいたかった抱擁を、突然現れた香は半ば力づくで
奪ったのだ。反射的に棍棒のような腕が、飛び込んできた肢体を抱き締める。衝撃的なシーン
に、ショートカットの少女の眼が見開く。
 
 「私、ずっと前から工藤くんのファンだったの! ね、私と付き合わない?」
 
 「さっきから、何やってんのよ!」
 
 抱きつく少女を、力づくで引き剥がしたのは、霧澤夕子だった。
 クールな仮面をかなぐり捨てた機械少女が、熱い本性を露わにする。暴挙とも言える香の行
動に、もはや我慢は限界だった。
 
 「先輩だかなんだか知らないけど、ふざけるのもいい加減にしなさいよ! 七菜江を動揺させ
ることばかりして、それでも先輩なの?!」
 
 小柄な夕子の思わぬ力に目を白黒させながらも、柴崎香は整った美形を不敵に歪ませて笑
う。
 
 「なによ、あなた? 人が誰を好きになろうが自由じゃないの」
 
 「七菜江を傷つけるなって言ってるのよ! 自分の自由のためなら、他人を泣かせてもいい
って言うの?!」
 
 「じゃあなに? 工藤くんとナナは、付き合ってでもいるってわけ?」
 
 思わず右の拳を固めた夕子を、隣の桃子がそっと制す。だが、優しさという点では五人のフ
ァントムガールのうちでも1,2を争う超能力少女の瞳は、戦慄を覚えるほどに冷たい。
 
 「別に、付き合ってなんか、いませんよ」
 
 赤く燃え上がるふたりを鎮めたのは、哀しみを明るさで覆い隠した七菜江の声だった。
 必死で感情を抑えている声。嘘が下手な少女の声に潜んだ本音が、痛いほどに伝わってき
て、ふたりの友の心を揺さぶる。
 
 「ほーらみなさいよ! だったら私が工藤くんと付き合ってもいいじゃない?! それともな
に、工藤くんはナナが好きだっていうの?」
 
 話の矛先が己に向けられ、筋肉獣の顔が強張る。それは彼が、今までに対峙してきた、どん
な格闘技の達人相手にも見せたことがない焦りの表情だった。急展開で迫られた告白に、明
らかな戸惑いが、日焼けした鉱石のような顔に浮んでいる。
 ドクン、ドクン、ドクン・・・
 世界を支配する鼓動の響きに、思わず七菜江は小さな手をギュッと結んでいた。
 夕子は垂れがちな瞳で、鋭く最強の男を射抜いている。
 “言っちゃえ!” 心の中で桃子は、吼介の勇気を応援する。
 数秒後、男の茶色の唇は開いた。
 
 「いや、別に」
 
 どこかでガラスの割れる音が聞こえた。
 
 「あはッ、あはははは! だったらなんの問題もないじゃない! 工藤くん、私と付き合って
よ。今、フリーなんでしょ?」
 
 再び香の細い身体が筋肉の鎧に飛びついていく。今度は霧澤夕子も、止めようとはしなかっ
た。ただ、ピンク色の唇を、ぐっと血が滲むほどに噛んでいる。
 
 「そうなんです! あたしたち、好きでもなんでもないんです。ただ仲がいいってだけなのに、
周りが勝手に勘違いして! ホント、バカみたいでしょ?」
 
 必要以上に明るい声で、ショートカットの美少女が快活に喋る。白い歯を見せた健康的な笑
顔が、青いユニフォームの上で弾けている。
 
 「ホント、バカみたいでしょ?! 勝手に勘違いして・・・舞いあがっちゃって・・・バカみたいな
んですよね。ホントに・・・・・・」
 
 “ナナ・・・もういい・・・やめて・・・・・・”
 
 悲痛な掌に、心臓を鷲掴みにされるのを、桃子は自覚した。
 黒と赤の炎が胸の奥で渦巻き、夕子は立っていられないほどの怒りに焦がれている。
 
 「吼介先輩と香先輩なら、お似合いですよ。じゃあ」
 
 言うなり振りかえったショートカットは、逃げるように駆け出していく。これ以上、笑顔を作って
いるのは限界だと言わんばかりに。
 
 「ナナッッ!!」
 
 「工藤吼介ぇッッ!! あんたとは初対面だけど、言わせてもらうわッッ!!」
 
 慌てて追いかけるふたりの美少女。
 赤髪のツインテールが振り返り、本来可愛らしいはずの美貌を、憤怒の形相に変えて叫ぶ。
 
 「貴様は最ッッッ低の男だッッ!!!」
 
 遅れて振り返る桃子。
 その完成されたマスクには、もはや慈愛に満ちた、彼女本来の魅力は失せている。
 
 「吼介とは谷宿で会って以来の仲だけど・・・マジで見損なったよ」
 
 厚めの唇が怒りで震えている。トドメのひとことを、美少女は躊躇なく吐き捨てた。
 
 「いくじなし」
 
 駆け去っていく美少女たちの背中を、硬直したまま、工藤吼介は見送った。ぶら下がってい
た華奢な女が離れても、逆三角形の肉体は、同じ方向を見続けていた。
 
 「痛てぇ」
 
 最強と呼ばれる男が、そっと胸に手を置くのを、誰も見る者はいなかった。
 
 
 
 体育館の一角で起こった、筋肉の鎧に包まれた男と、四人のタイプの異なる美少女による騒
動から十数分後。
 厳重に閉め切った体育倉庫の中に、人間の気配が湧き立つ。
 
 試合が行われている間は、使用されることのない倉庫は、場所がフロアから離れていること
も手伝って閑散としていた。加えて倉庫の扉の前には、タチの悪そうな3人の不良学生が睨み
を利かせて立っている。坊主頭と金髪とパンチパーマの組み合わせ。全員が殺人のひとつで
も犯してそうな目つきのうえに、坊主頭に至っては山のような巨漢だ。不穏な雰囲気のバリア
によって、体育倉庫の内部は完全に外部と遮断されていた。
 
 その中で蠢いた気配は、長い髪の女のものだった。
 黒の縁取りでもしているのかと、勘違いさせるくらいハッキリとした、力強い瞳を持つ女。美し
い瞳であるのは確かだが、その強すぎる光は見る者を圧倒する迫力がある。高い鼻といい、
赤い大きな唇といい、全てのパーツが強い自己主張をしている顔であった。物凄い美人とも言
えるが、一歩間違えると恐いと言われかねない、そんな容姿の持ち主。肩までに伸びた髪は、
ファッションモデルのようにウェーブがかかっている。
 
 女の名前は、柴崎香といった。
 聖愛学院女子ハンド部の一員である彼女が、自由時間とはいえ、ひとりチームを離れてこん
な場所にいるのも奇妙であったが、彼女と一緒にいる人物たちの正体をしれば、その違和感
はさらにいや増す。
 倉庫にある人影は、香の他にふたつ。
 その両方ともに、風船のように膨らんだ巨体を揺らしている。
 渡辺・カズマイヤー・沙理依と美姫依。通称サリーとビッキーと呼ばれる、東亜大附属高校が
誇るハンド部の双子エースが、どうしてこれから決勝を戦う相手チームの一員といっしょにいる
のか?
 
 「七菜江のヤツ、予想以上に落ち込んだみたいね。いい気味だ」
 
 吐き捨てるように言い放った香の唇は、さも忌々しげに歪んでいる。ショートカットの少女の顔
を思い出すだけで、細身の女の胸底にはドス黒い憤怒が渦巻いていた。
 
 「片倉響子の言った通りだ。藤木七菜江の弱点、その1。七菜江は精神的揺さぶりに弱い。
特に大切に思っている人間を利用されると、尚更ね。工藤吼介があんな対応をするのは意外
だったけど」
 
 七菜江が吼介と普通の間柄にないことは、ハンド部内では誰もが暗黙のうちに了解している
ことだった。ちょっと動揺させるつもりで、吼介にちょっかいを出したのだが、予想外の吼介の
対応のおかげで、七菜江が深く傷付いたのは明白だった。抱きついていった甲斐があったとい
うものね・・・今後、憎き少女に仕掛ける仕打ちを思うと、自然笑みがこぼれる。
 
 「あんだけ動揺させたんだ、あんたら、まさか負けたりしないだろうね?」
 
 横柄な香の言葉に、ややムッとしながらも、巨漢の双子が答える。
 
 「あったりめえだ。そんな小細工なしでも勝てるさ」
 
 「あの7番は、あたしらが試合中に潰してやるよ」
 
 「ふん。ならいいんだけどさ。あんたらも、この試合に負けたら東亜大で居場所がなくなるんだ
ろ? 負けるわけにはいかないよな」
 
 香の口調は、普段学校で見せている姿とは異なる荒っぽさであった。悪意に満ちた復讐心
が、女を残虐な処刑人へと変貌させている。
 
 「あたしからレギュラーを奪ったあの女に、いい思いさせてたまるか! 試合に負けて、打ち
ひしがれているところを、嬲り殺してやるさ。片倉響子からもらった、新しい力でね!」
 
 ゾワワ・・・ウェーブのかかった髪が蠢く。
 香のなかにある別の生命エネルギーが、美女の邪念との相乗効果で、瘴気を纏って猛烈な
勢いで膨張しているのだ。
 
 「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 藤木七菜江、あんただけは泣き喚かせなきゃ
気が済まない! 地獄を見せてやるよ、アーッハッハッハッハッ!」
 
 暗黒の欲望に囚われた美女の哄笑が、閉鎖された倉庫内に響き渡る。
 浅薄にして強大な感情“嫉妬”に狂った魔女の復讐劇が今、無垢な聖少女の身に襲いかか
らんとしていた。悪の包囲網を知らず、傷つけられた幼い心を抱き締めたままの超少女へと―
――
 
 
 
 2
 
 激闘が続く体育館に訪れた、ひとときの休息。
 真昼の矢のような直射日光を浴びながら、Tシャツとデニムに鋼の肉体を包んだ男が、キョロ
キョロと辺りを見回しながら歩いている。
 決勝が始まる前の休憩時間は、関係者や学校の応援団などでざわついていた。どこか浮つ
いた感すらある空気が、男がすれ違うたびに一瞬硬直する。
 
 凄まじい肉体だった。
 見事な逆三角形を描いた上半身は、人間はこれほどまでに筋肉を保持できるのか、と嘆息
するほど膨れ上がっている。単に質量があるだけでなく、露出された腕をみれば、いかに引き
締まっているかは筋肉に縁がない者でもすぐにわかることだ。紺色のデニムは鍛えられた太
股によってパンパンに張っており、厚い生地の上からでも、大腿四頭筋の動きがハッキリ見て
取れた。
 
 こんな肉体の持ち主は、この近辺では工藤吼介を除いて他にはいないであろう。
 その吼介が、額に汗しながら早足で、体育館の周囲を、何かを探しながら歩いている。表情
こそ落ちついているものの、発散する雰囲気に混じる切迫感が周囲の者を圧倒し、彼の前に、
モーゼの十戒のごとく人波を割けて道を作っていた。
 
 ひとけの途絶えた体育館の裏側で、ようやく工藤吼介は探し物を見つけ出した。
 木陰になった体育館の壁のところに、ひとりの少女が体操座りをしてうずくまっている。
 曲げた膝の部分に、顔を埋めた少女の表情は見えない。ただ、時折吹く風が、やわらかなシ
ョートカットを優しく揺らす。
 
 何も言わずに吼介は、少女の右隣に腰を下ろした。
 真夏の太陽によって焼かれた肌に、うっすらと滲む汗を、木陰の涼しい風が乾かしていく。無
言のままで、小さな少女と鎧武者は、ふたりだけの時間を流れていく。
 
 ポン、という軽い音。
 グローブのような左の掌をショートカットに乗せ、男は少女を優しく撫でた。
 
 「泣くな」
 
 しばしの間の後、リスのような声が答える。
 
 「泣いてなんか、ないですよ」
 
 膝に顔を沈めたまま、藤木七菜江は言葉を繋ぐ。
 
 「別に香先輩と吼介先輩が付き合っても自由なんですから。あたしには関係ないことだし、香
先輩はあたしと違って美人だから、吼介先輩も嬉しいんじゃ・・・」
 
 「言えるかよ」
 
 グッと頭を抱えた左手が、身体ごと少女を逆三角形の肉体に引き寄せる。
 七菜江の小さな身体は、最強の肉体の胸に抱かれる形となった。
 
 「あんな形でお前への想いを、言えるわけないだろ」
 
 「・・・」
 
 「お前にオレの気持ちを伝えるのは、こんなところでじゃあ、ない。こんな中途半端なところ
で、オレの気持ちを伝えたくは、ない」
 
 ゆっくりと少女が顔をあげる。
 涙はなかった。ただ、眼が少し赤くなっているだけ。
 純粋な瞳を男臭い顔に向けていた少女の愛らしい顔が、吸い込まれるように分厚い胸板に
埋まっていく。
 疲れきった少女は、安住の地に安らぎを求めるように、深く深く、頑強な肉体に溶け込んでい
く。
 
 “そう言えば、まだあたしの告白の返事、もらってないんだよね”
 
 死を覚悟した数週間前の激闘の前、吼介にした七菜江の告白は、いつのまにか、ふたりの
間でなにもなかったかのように消されてしまっていた。
 吼介は何も言わないし、七菜江も返事を求めはしなかった。求めるのが恐かったし、今はま
だ求めない方がいいことはわかっていた。
 七菜江は悟っていた。
 いくら柴崎香が吼介に迫ろうと、そんなことでは焦らない。
 あたしがホントに気にしているのは・・・あのひと。
 逆立ちしたってあたしでは敵わない、あの美しく、気高く、尊敬するあのひと。
 あのひとが遠くに旅立ったというのに、先輩が応援しに来てくれたから、あたしはこんなにも
張りきってしまっているのだ。
 あのひとへの想いが、先輩にまだ残っていることを知っているから、あたしの胸はこんなにも
苦しいのだ。
 
 “でも、いい・・・いいんだ。今はこれでいいの”
 
 厚い胸板から伝わる熱が、じっくりと少女の肢体に染み込んでいき、張りついた疲れを消し
去っていくようだった。
 できれば・・・もっと強く抱き締めて欲しい。
 仄かな願望が純粋な少女に湧きあがった、その時だった。
 密かに彼女を狙う魔の手が、絶妙なタイミングで再び少女に襲いかかる。
 
 「あーら、こんなところにいたの?」
 
 小馬鹿にした調子を含んだ柴崎香の声が、ふたりだけの甘い世界を破壊する。
 すっと吼介から身を離した七菜江は、子猫のように俯いて発達した身体を小さくする。レギュ
ラーを香から奪ったという罪悪感が、部の先輩に対する苦手意識を七菜江に与えているようだ
った。そんな後輩に、憎悪と侮蔑をこめた視線を、容赦なく香は降り注ぐ。
 
 「悪いが取り込み中だ。消えろ」
 
 「あら、工藤くん。さっきとは随分違って冷たい対応じゃない」
 
 「人前で恥掻かないようにしてやったのは、一応気をつかったつもりなんだがな。ここでは本
音をいえるぜ」
 
 「ふふ、そう恐い顔しないでよ。消えてもいいけど、その前にあなたに伝えておきたいことがあ
ってね」
 
 近付いた香が、そっと吼介の耳元にくっきりとした美貌を寄せる。
 囁く声は、七菜江には届いてこなかった。だが、ピクリと動いた男の濃い眉を、少女は見逃し
はしなかった。
 
 「じゃあ確かに伝えたわよ。後はあなたの好きにすればいいわ。ここでナナとじゃれあってて
もいいし・・・ナナを捨てて“あのひと”に会いにいってもいいし」
 
 嘲りを含んだ一瞥を、俯いたままの七菜江に見せて、長いウェーブを巻いた美女は立ち去
る。
 その姿が完全に見えなくなった時、固まっていた七菜江が不安げな様子でおずおずと隣の男
に顔を向ける。
 
 「・・・ねぇ、なんて言ったの?」
 
 少女の質問には答えず、緊張した口調で吼介は言った。
 
 「悪い、七菜江。ちょっと用事が出来た」
 
 さっと曇る愛らしい少女の顔を振り切るように、格闘獣は立ち上がっていた。怒りはないが、
その雰囲気には彼本来の闘気が蘇っている。遠くを見詰める視線が鋭い。その視界に、もは
や自分は入っていない気がして、七菜江の心に空虚な風が吹き抜ける。
 
 「あッ・・・」
 
 哀しげに細い眉毛を垂らす少女を置き去りにして、最強の肉体は駆け出していた。思わず差
し伸べた右手を、健気な少女は淋しく見詰める。引きとめようとした右手は、何も掴むことがで
きずに、ただ虚ろな空間をさまよっている。その向こうで、逆三角形の背中が振り返ることなく
走り去っていく。
 伸ばした右手は、やがてゆっくりと地面に落ちた。
 四つん這いの格好になった美少女は、垂れるショートヘアで表情を隠したまま、ひとりいつま
でもその場にうな垂れ、切り裂かれた胸の痛みに飲み込まれていった――
 
 
 
 「なるほど、ここなら確かに誰もきそうにないな」
 
 茶色の本棚と、そこにびっしり詰まった黴臭そうな本に囲まれて、工藤吼介はひとり呟く。
 体育館の事務室の隣には、この地域に関連した資料を集めた図書室がある。誰にでも閲覧
可能な、「地域住民のための施設」であるが、過去のスポーツ大会の結果を載せた資料などに
興味あるものは少なく、10坪ほどの広さの部屋は常に閑散としていた。まして、メインフロアの
方から怒涛のような歓声があがったところをみると、つい2,3分前に女子の決勝が始まったら
しい。聖愛学院対東亜大附属という、女子ハンド界きっての好カードが実現している時に、こん
なところにやってくる物好きは、余程の理由でもない限り、いないだろう。
 
 部屋の中には、吼介以外にもうひとり、物好きがいた。
 薔薇のような女だった。
 腰にかかるまでの長い髪がまず目につく。次に、名のある芸術家が作成したと思わせる、端
正で美麗なマスクに惹きつけられる。両耳の赤いピアスのせいでもなかろうが、妖艶の風を激
しく吹き散らす美女。時に瞳に翳る冷酷な光は、嫌悪感を抱かせぬでもなかったが、それでも
この女に吐息を吹きかけられれば、どんな男でもベッドへ連れ込みたくなる衝動を抑えられは
しまい。毒の香水を振り撒いた色香の化身が、いかにも安っぽい資料室の中央に立っている
図は、やや違和感を覚えさせずにはおれない。
 聖愛学院生物科教師・片倉響子。
 いかに自分の勤務する学校が出場しているからといって、身についた高慢を隠しもしないこ
の女教師が、電車で一時間近くもかかる地方体育館に姿を現すなど、誰が想像しえただろう
か。
 
 美女と野獣。
 その言葉を具現化したふたりが、喧騒から離れた個室内に、異空間を創りあげて対峙してい
る。
 
 「このあいだの話の答、そろそろ聞かせてもらおうかしら?」
 
 落ちついた、オトナのトーン。
 桃色の吐息を纏わりつかせて放たれた響子の問い掛けに、数秒の沈黙を経て吼介は応え
る。
 
 「無理だな」
 
 「無理?」
 
 「今は答えることができない」
 
 「それは迷っているということかしら?」
 
 「自分が自分でなくなるとわかっていて、迷わないやつはいないだろ」
 
 「逆に言えば、ノーというわけでもないということね」
 
 響子の言葉に、筋肉の鎧に包まれた男は黙り込む。
 
 「感情的にはノーでも、理論的にはイエスというところかしらね」
 
 「理論的にもイエスというほどじゃないさ。お前がやろうとしていることは、人間の観点からす
れば、とんでもない危険な考えだと思うぜ。危険どころか、抹殺すべき考えだ。普通なら、お前
は間違っているというべきだろうな」
 
 「でしょうね。けど、あなたがここに来てるってことは」
 
 「間違っているとは思うが・・・一理はあると理解している」
 
 深紅のルージュを歪ませて、美女は艶やかに微笑む。
 
 「それで迷っているってわけ?」
 
 「まさか。オレはお前みたいにデカイことなんか、考えてない。ぶっちゃけ、お前の考えが正し
いか間違いかなんて、興味ない。オレが考えられるのは、せいぜい身近のことだけだ」
 
 「それは、あのコたちのこと?」
 
 「あいつらが幸せになるにはどうすればいいか、それがわからない。そこを迷っている」
 
 「あなたの本性は、結論を出しているように見えるけど」
 
 妖艶な笑みに、十分な勝算を確信した光を宿らせて、響子は言う。
 
 「その本性を理性で抑えるのが、“人間”ってやつだろ? 悪いが、今答をだせっていうのな
ら、ノーだ」
 
 くるりと振り返った吼介の足は、ドアに向かって歩き出す。その逆三角形の背中に、美女は
声を投げ掛けた。
 
 「じっくり考えればいいわ。いつまでも待っているから。ただ・・・」
 
 ドアノブにかけたゴツイ手を、吼介は止める。
 
 「くれぐれも、今日これから起こることに、邪魔しないでもらおうかしら。理解力のあるあなたな
ら、わかってくれると思うけど」
 
 “チッ”
 舌打ちの音だけを残して、巨大な背中は資料室をでていく。
 ひとりになった部屋の中で、悪魔に創られた絶世の美女は、ゆっくりと取り出したメンソール
系の煙草に火をつける。
 紫煙立ち昇るなか、遠くをみつめた片倉響子は、今後に想いを駆け巡らせ、搭載された天才
の頭脳をフル回転させるのだった。
 
 
 
 前半終了の笛が鳴り響く。
 ハンドボール女子の県大会決勝戦。まずは折り返し、30分間の激闘を終えて、館内には観
客たちの緊張感が途切れた音と、予想外の展開に対するざわめきが渦巻く。
 
 2階席の前から4列目に、人目を引く美少女ふたりは陣取っていた。
 霧澤夕子と桜宮桃子。
 体育館の裏で、ひとり魂が抜けたようにうずくまっていた藤木七菜江を、半ば無理矢理試合
会場に引っ張ってきたのは、このふたりだった。
 七菜江を探していた間に、なにが彼女の身に起きたかはわからない。だが、傷心して飛び出
した少女は、なんら傷が癒えた様子を見せず、寧ろ親友ふたりの目には、かえって深くなった
ようにさえ映っていた。ショートカットの奥に覗く、憔悴し切った表情が、ふたりの脳裏から離れ
てくれない。
 
 こんな状態で、試合などできるのだろうか?
 恐れていた事態をわかりやすく示したような得点掲示板を、夕子は憮然とした表情で睨み続
けている。
 冷静と噂されながら、その実短気な彼女の心に、油を注ぐような事態が引き起こったのは、
その時だった。
 
 ドカッという響きとともに、空いていた夕子の隣に腰を降ろしたのは、圧倒的筋量を誇る肉体
だった。
 
 「工藤吼介ッッ!! よくもまあぬけぬけとッ!」
 
 「ダメだよ、夕子ッッ!!」
 
 黒のTシャツに身を包んだ美少女の身体が、ビクンと震える。
 右の拳が固く握られている。機械の右手は圧倒的パワーを有し、さすがの筋肉獣でもまとも
に殴られれば、その巨体を吹き飛ばされずにはいられないはずだ。だが、振りかぶろうとした
夕子の右拳は、彼女の意志に反して発射しようとしない。
 ただ、可愛らしい顔も台無しなほど、炎を宿した瞳で男臭い顔を射抜いたまま、夕子の全身
は細かく動き続けている。
 
 「・・・わかったわ。わかったから」
 
 震えの止まった夕子が、吼介と反対側に座る桃子に振り返り、他には聞こえぬ小声で囁く。
 
 「わかったから・・・“力”を止めてよ」
 
 うっすらと額に汗した桃子が、脳内でイメージした鋼鉄の鎖を、夕子から解き放す。機械少女
を拘束していた見えない力は、嘘のように消え去っていた。
 
 「おッ、なんだ」
 
 自分のためにふたりの少女が秘めた力を拮抗させていたというのに、まるで無関心とばかり
に、筋肉獣は得点ボードを見て呟いた。
 14−6。
 ライバル校同士の決勝戦は、前半終了時点で、聖愛学院の大量リードという形になってい
た。
 
 「強いじゃないか。心配する必要なかったかな」
 
 「あんたが心配ッ?! 笑わせないでッ!」
 
 明らかな怒気を孕んで、夕子が吐き捨てる。
 
 「誰のせいでこんなことになったと思ってるのよ?!」
 
 「ま、待てよ。霧澤夕子だっけ? お前はどっちの味方なんだ。聖愛が勝ってんだろ? それ
とも七菜江は活躍してないってことか?」
 
 「14点中11点が七菜江の得点よ! なに考えてんのか、試合開始から全力で動きまくって
七菜江の独壇場。その代償があれよ!」
 
 夕子が指差した先を、吼介は見る。
 聖愛学院のベンチでは、他の選手が立ってミーティングをしているというのに、ひとり背番号
7だけが頭からタオルを被って座っている。うなだれたショートヘア、激しく上下する肩を見れ
ば、すでに体力が底をついているのは明白だった。
 
 「元々体力温存ができないコなのに、あんたが心乱すから、こんな無茶したのよ。あんたのせ
いよ!」
 
 「夕子、そんなに吼介ひとり責めたら可哀想だよ」
 
 「なによ、桃子だってこいつが悪いと思ってるんでしょ?!」
 
 「あんな場所で好きかどうか言えなんて、ちょっとキツイよ」
 
 「好きなら好きって言えばいいじゃない」
 
 「ホントに好きなら、なかなか言えないもんなんだって。恋愛ってそういうもんじゃん。夕子だっ
てわかるでしょ?」
 
 「わからない。第一合理的じゃないわ」
 
 “夕子って、恋したことないのかな?”
 呆気に取られながら、返す言葉をなくした完璧な美少女は、話題をすりかえて言う。
 
 「そりゃあ、あの時の吼介はカッコ悪すぎたけどね。あんだけ男らしくなかったら、ムカつくの
はわかるけどさぁ」
 
 「私が怒ってるのは、七菜江を傷付けたことだけじゃないのよ」
 
 ふたりの美少女を無視するように、コートを見詰めたまま動かない男の横顔を一瞥し、天才
と呼ばれる少女は言った。
 
 「こんな男ひとりに簡単に動揺してしまう七菜江の弱さを、掘り起こされたことが腹立たしいの
よ」
 
 戦士としての欠点を見せつけられた苦渋が、仲間のことを真剣に憂慮する少女の、沈痛な声
には含まれていた。
 そして、本来吼介に向けるべき怒りではないことはわかっているのに、八つ当たりしてしまう
自分への歯がゆさが、夕子の苛立ちをますます加速させているのだった。
 
 
 
 「なんだ、このザマは」
 
 一方的な展開に、常勝を義務づけられた東亜大附属高校のベンチは凍りついていた。
 怒り、屈辱、焦り、憎悪・・・あらゆる負の感情が監督以下選手全員に渦巻いている。敵の7
番、藤木七菜江が要注意であることはわかっていたが・・・そのスピード、実力は予測を完全に
上回っていた。もはや、人間技とは思えぬ動き。二人、いや三人がかりでマークについても、止
めることができない。たったひとりの少女によって、名門の誇りは汚泥と屈辱にまみれ、数多く
の観衆に恥を晒されている。それはあってはならない、非常事態といえた。
 
 「貴様ら、まさかこのままで、東亜にのこのこ帰れると思ってないだろうな」
 
 長年このチームを率いた中年監督の声に、ブルッという震えが、輪になってミーティングを続
ける全員を襲う。
 
 「部の縮小などではすまんぞ。日陰者として学校生活を送っていきたいのか。他の部に侮辱
されながら。それでいいのか」
 
 「い、いやです」
 
 「なら勝て。どんな手を使っても勝て。サリー、ビッキー」
 
 巨大風船のような丸い肉体を揺すって、双子のハーフがずいと一歩、前にでる。
 
 「後半はだいぶ体力がなくなってきたようだが・・・それでも7番は他とは段違いだ。ヤツを止
めろ。わかるな?」
 
 「任せとけ。もうあの野郎に勝手させないさ」
 
 「調子に乗りやがって・・・潰してやるぜ、フジキナナエ」
 
 前半、七菜江のスピードに手も足もでず翻弄された双子が、ドス黒い復讐を誓った時、10分
のハーフタイムが終了したことを知らせるホイッスルが鳴り響いた。
 
 
 
 「あんた、いつまでここにいるのよ。私の視界から消えて欲しいんだけど」
 
 「オレがどこにいようが勝手だろ」
 
 「勝手だけど、そのせいで私のストレスが溜まるのよ。あんたの勝手で他人を不愉快にする
のが楽しいなら、ここにいたら?」
 
 「お〜い、桃子ォ、助けてくれよォ。このコ、やたらとオレを敵視してくるんだけど」
 
 「ん〜、ちょっとは痛い目見といたらぁ? ナナを傷付けたのは確かなんだからさぁ」
 
 「つ、冷たいな・・・」
 
 美少女ふたりと野獣がひとり、微妙なバランスで、一緒になって観戦するなか、女子ハンドボ
ールの県最強を決める試合は、後半戦を迎えていた。
 メンバーは前半と変わっていない。明らかにガス欠の七菜江を交代させる可能性もあったの
だが、体力を失っていても7番の力が必要だというのが、聖愛側の出した結論のようだ。腕組
をして、苛立ちを隠せぬまま、ベンチで待機する柴崎香の顔を見つけ、桃子は溜飲が下がる
想いを否定できなかった。
 
 ウオオオッッッ・・・!!
 後半開始2分で、館内がどよめきに包まれる。
 興奮を引き起こしたヒロインの名は、藤木七菜江。
 一瞬の隙をついてパスカットに成功した7番の青いユニフォームが、一気に速攻をかけて東
亜大ゴールに迫る。
 七菜江のポジション・センターは、本来司令塔の役目を果たすポジションだ。バスケットボー
ルでいうならポイントガード、サッカーでいうならMFに近い。もちろん自らシュートもするが、周
りにパスを回し、ゲームを作るのが大事な役割といえる。
 今日の七菜江は、そんな遠慮など一切しなかった。
 自分でドリブル突破し、一気にゴールを奪い取る。
 それが一番ゴールする確率が高いことを確信し、ズバ抜けた運動神経を駆使して、ひとりの
力で決めてしまっていた。
 この場面でも、当然少女はひとりで決めにいく。アヒルの群れにひとり飛燕が紛れ込んだよう
な圧倒的スピードで、敵も味方も振り千切って一瞬にして敵ゴールを襲う。自陣付近に下がっ
ていた双子姉妹、渡辺・カズマイヤー・沙理依と美姫依が急いで追いかけてくるが、超少女の
アスリート能力に敵うわけがない。
 
 ゴール5m前からの大ジャンプ。
 隼となった肉感的な少女が、上空から剛球シュートを放つ。
 双子姉妹がシュートを止めようと、遅れて七菜江に飛びかかる。
 
 「野郎」
 
 2階席で思わず声を呟いた吼介の声が、超少女に届くわけはなかった。
 
 背後から迫る肉風船を振り切るように、七菜江の右腕が振られる。
 ダイナミックなフォームから繰り出された豪シュートは、キーパーに触られることなく東亜大ゴ
ールのネットを揺らした。
 開く点差。だが、東亜大真の狙いはこの後に待っていた。
 重力に引かれ、落下していく豊満な美少女。
 その上に片方で120kg近い超巨体がふたつ、折り重なるように落ちてくる。
 
 「!!」
 
 ニヤリと笑った双子の笑みが、巨体に絡みつかれ、満足に動けなくなった七菜江の視界に飛
び込んでくる。
 
 ドッシャアアアアッッッ!!!
 
 雪崩れ音とともに、3人の身体がフローリングの床に激突する。
 
 「ナナッッ?!」
 
 桃子の切迫した叫びが、アクシデントにどよめく館内を切り裂く。
 1mほどの高さから合計235kgの肉爆弾を背負って、158cm、48kgの小柄な少女が固い
床に叩き付けられたのだ。
 
 「お、おい、今の・・・ヤベエんじゃねぇの?」
 「モロに体重かけられてたな」
 「下手すりゃ内臓破裂だぜ」
 周囲の観客たちの声が、ますます桃子の不安を高めていく。すっと立ちあがったカズマイヤ
ー姉妹が見下すなか、七菜江だけが立ち上がらない。いかにも試合の流れの中で、もつれあ
って倒れたようなシーンではあったが、床に激突する瞬間、七菜江の肢体が巧みに下敷きにさ
れていたのは果たして偶然だったのか。
 
 「わざとね」
 
 「わざとだな」
 
 先程までの諍いを一瞬忘れて、夕子の意見は隣の格闘獣と合致を見せていた。
 動かない7番に、場内が静寂に包まれるが、数秒後、なにもなかったようにはちきれそうなス
ポーツ少女は立ち上がる。
 自然と湧きあがる拍手。この試合12点目をあげた聖愛学院のエースは、元気な様子で守備
につく。
 だが、守備位置についた七菜江が、右肘に思わず手を添えるのを、夕子と吼介、それに東
亜大附属高校の鋭い視線は見逃さなかった。
 
 “み、右腕が・・・肘の筋をのばされちゃった・・・・・・”
 
 疲れのせいだけではない大量の汗が、チャーミングな顔に流れ落ちる。ズキズキと電流とな
って襲いかかる痛みが、細い眉を時に曇らす。
 
 「ふしゅしゅしゅ・・・どうやらわざと1点くれてやっただけの収穫はあったようだな」
 
 「ぶしゅしゅしゅ・・・まだだよ、ビッキー。あいつを地獄に叩き落すのは、これからが本番さ」
 
 点を取られた東亜大のボールで、試合は再開される。
 なにもなかったようにゆっくりとボールを回しながら、じりじりと聖愛ゴールに迫っていく。
 ハンドボールでは中盤でボールを奪い合う、というようなことは滅多に起こらない。守備側は
ゴール前に布陣を敷いて、壁を作って守るのが普通だ。
 センターの七菜江はゴール前でディフェンスする時、ちょうど中央に位置することになる。17
1cm、117kgのビッキーとマンツーマンでつくことになるが、圧倒的な体格差を豊富な運動量
でカバーして、これまで相手エースを無得点に封じ込んでいた。
 
 「おい、さっきは悪かったな」
 
 場所を奪い合いながら、耳元にビッキーは囁き掛けてきた。
 
 「あたしを潰そうたって、そうはいかないんだから。あんたたちには絶対負けないからね」
 
 荒い息をつきながら、強気な言葉を返す七菜江。スタミナ切れと右肘の痛みが、二重苦とな
って小さな少女を襲うが、苦境がますます気持ちを昂ぶらせている。
 
 「生意気だな、お前。さっきので腕痛めただろ?」
 
 思わず押し黙る超少女。嘘の苦手な少女は、隠すべき秘密を、あっさりと敵に勘付かれてし
まった。
 
 「ふしゅしゅ・・・隠しても無駄だ、手応えがあったからな。監督に言って、素直に代えてもらえ
よ。無茶せずによ」
 
 「お前らなんか、片手で十分だ」
 
 「フフン、そうかい。そりゃあ工藤吼介にフラレて、おまけに試合も負けちゃあ惨めすぎるもん
な」
 
 「なッ、なんでそれをッ?!!」
 
 思わず叫んだ七菜江が、背後を振り返る。
 それは試合中の者としては、あまりに軽率といえる行為だった。
 大きすぎる隙をついて、ボールを持ったサリーが一直線に七菜江に突進する。
 体重118kgあるとは思えぬ猛スピードで迫る肉弾。
 慌てた七菜江が小さな身体を張って突進を食い止めようとする。
 全てが東亜大の計算通りだった。
 
 七菜江にぶつかる直前、サリーは大きくサイドにパスを出す。
 審判の目が、つられて横に向けられる。無法地帯の完成。
 勢いあまったサリーの巨体が、目の前の肉感的な少女に容赦なくぶつかっていく。
 
 グッシャアアアアッッッ・・・!!
 
 前方にサリー、背後にビッキー。
 うかつにも罠に嵌った超少女の肢体を、重爆サンドイッチが圧搾する。
 
 「げほオオォォッッ!!」
 
 ミシミシ・・・ブチブチブチ・・・
 健康的な肉体が潰される音を遠くで聞きながら、脂肪の塊にミンチされた少女は立ちすくむ。
 100kgをゆうに越す肉弾による突進の衝撃を、小柄な肢体に存分に叩き込まれてしまった
のだ。半失神して白目を剥く少女を尻目に、再びボールをもらったサリーの豪シュートが、やす
やすとゴールネットを揺らす。
 
 「ぶしゅしゅしゅ・・・よく気をつけるんだな、おチビさん」
 
 ふらふらとうろつく七菜江に捨て台詞を吐いて、双子姉妹が通り過ぎる。
 
 “く・・・くそォ・・・・・・汚い奴らめ・・・”
 
 「お前らなんかにィ・・・負けるかあッ!!」
 
 聖愛ボールでリスタートした瞬間、意識を完全に取り戻したアスリート少女は、一直線に東亜
大に殺到していく。
 それは無謀としかいようのない行為だった。
 度重なる卑劣な策略と、吼介のことを話題にされたことで、七菜江の幼い心は逆上といえる
ほどに怒り猛っていた。感情のままに動いてしまう性質と、己の身体能力への過信。少女戦士
の精神的弱点を、知り抜いているかのような罠が口を開けて待っているなかに、七菜江は自ら
飛び込んでいってしまう。
 
 切り裂く風となって突っ込む七菜江。
 彼女の目には、ゾーンディフェンスを敷いている東亜大附属の守備に、綻びがあることがよく
見える。
 サリーとビッキーの間、若干広くなったスペースに、ゴールへと繋がる通り道が見える。
 稲妻と化した超少女の身体が、スピードを落とすことなくそのスペースに突入する。七菜江抹
殺の牙が待ちうける顎へと。
 
 肉弾姉妹の間に入った瞬間、待ち構えていた脂肪の門が一気に閉まる。
 それだけではない。さらにふたりが飛びかかってくる。川に落ちた獲物に襲い掛かるピラニア
のように、七菜江の身体に4人が襲いかかって絡みつく。もつれあって倒れこんだ5つのユニフ
ォームに、審判のホイッスルが浴びせ掛けられる。
 
 “くっそー・・・読まれてたか・・・”
 
 4人に囲まれて倒れこむ七菜江に、悪意の手が伸びてきたのは、その時だった。
 
 「んぐッッ?!!」
 
 誰かの手が、下敷きになって動けぬ七菜江の口を塞ぐ。
 不意の出来事に事態が掴めぬ猫顔の美少女を、次の瞬間、激痛が捕らえた。
 
 ベキイッッ!
 
 右手の人差し指が、思いきり逆側に反り曲げられる。
 
 「!! ん―――ッッッ!!!」
 
 5人もの人間が重なって倒れているのだ、一番下の七菜江がどんな状況にあるか、外からで
はまったくわからない。
 言わば、肉の牢獄とでもいうべき処刑場に連れ込んだ七菜江を、外界から遮断して、リンチ
してしまおうというのである。
 
 ベキィッッ!! ボキッッ! ブチイッッ!!
 
 「んんッッ!!! んんん――――ッッッッ!!!! ん―――――ッッッ!!!」
 “指がぁッッ!! ゆッ、指があああッッ―――ッッ!!!”
 
 「君たち、はやく立ちなさい」
 
 「すいません、ちょっと絡まっちゃって・・・もうすぐ解けますから」
 
 らしくない、すまなさそうな声を出しながら、4人の処刑者たちは審判に従順な様子を見せる。
だがその裏では、審判の目を巧みに誤魔化しながら、リンチは着々と豊満な少女の肉体に刻
まれていく。身体をもぞもぞと動かすフリをしながら、肘や膝に全体重を浴びせながら獲物の少
女の後頭部、肋骨、腕といった部分を押し潰す。いくら「エデン」の戦士といえど、合計300kg
以上の重量で潰されていくのだ。激痛に悶絶する七菜江の苦しみを、肌で感じ取りながら、尚
「七菜江潰し」の責め手は激しさを増していく。
 
 ゴリゴリゴリ・・・メシイッ・・・ゴキゴキ・・・ブチブチブチ・・・
 
 「んッッ!! んッッ!! んッッ!! んんん―――ッッッッ!!!」
 “あああ――ッッ!! か、身体が潰されていくぅぅぅッッ―――ッッッ!!! くぅッ、苦しいッ
ッ!!! 潰れちゃうッッッ――ッッッ!!!”
 
 「すいません、今立ちます」
 
 殊勝な顔を見せつつ、絡まった東亜大附属の選手がようやくひとりづつ立ち上がる。肌を伝
わって聞こえてくる七菜江の骨、肉、皮膚が破壊されていく音が、敵のエースを潰した確信を彼
女たちに与えていた。
 ぐったりとうつ伏せに倒れるショートカットの少女。立ち上がりかけるサリーが、最後のトドメを
刺す。
 
 118kgの体重を全て右肘の関節にかけたまま、健康的な少女の小麦色の右腕を、逆に「く
の字」に折り曲げる。
 
 ゴギイイイッッ!!! ブチブチブチッッッ!!!
 
 「ううあああああッッッ―――――ッッッ!!!!」
 
 脱力していた七菜江の肢体が、壮絶な激痛にのたうち回る。
 
 「ああああああッッッ――――ッッッ!!! 腕があああッッッ―――ッッッ!!! 腕がああ
あああッッッ〜〜〜ッッ!!!」
 
 「もう我慢できないッ!」
 
 叫んだ桃子が立ち上がり、観客席を飛び出して階下に降りていく。いてもたってもいられなか
った。といって超能力を使うわけにはいかない。七菜江のためにもそれはできなかった。せめ
て近くで応援してあげたいという、必死の想いが美少女を動かしていた。
 
 「お前は行かないのか?」
 
 淡々とした工藤吼介の問いに、これも冷静な口調の霧澤夕子が答える。
 
 「あんたに答える必要はないわ」
 
 「そうかもしれないが、随分冷たいと思ってな」
 
 「私にはここを離れられない理由がある。冷たいと言われるのは慣れてるから構わないけ
ど、そういうあんたは行かないの?」
 
 「行ってもなにもできないからな。あんだけガンバってるあいつに、これ以上、なんて言ってや
れるってんだ」
 
 「そう。そう本当に思っているなら、私のことを冷たいなんて言って欲しくないわね」
 
 一本取られたことを自覚した吼介は黙り込む。
 じっと見詰めるコート上では、右肘を押さえた青いユニフォームの7番が、固いフローリングの
上をゴロゴロと苦痛に呻きながら転がっていた。
 激しい体力の消耗と、右腕を破壊された痛みにより、遠目にもはっきりわかるほど、七菜江
の全身には汗がビッショリと浮んでいる。歯を食い縛り、両目をキツク閉じた苦悶の表情で、獣
のように唸っている超少女。普通の少女とは比較できないほど我慢強い彼女が、これほどまで
に痛がっているのだ。押さえた右肘、そしてピクピクと痙攣させている右手の指が相当に破壊
されたことは、七菜江をよく知る吼介が察知できないわけがない。それでも最強と噂される男
は、まるで怒りも焦りもなく、平然とした様子で座っている。
 “こいつ、本当に七菜江のこと、好きなのかしら?”
 決して吼介に対して良い印象を持っていない夕子が、訝しげな視線を角張った横顔に向けて
も、その表情はなんら変化を見せなかった。
 
 「君、大丈夫かね?」
 
 「だ、大丈夫です・・・やれます」
 
 明らかに大丈夫でないショートカットの少女に、何度審判が尋ねても、帰ってくる返事は同じ。
ベンチもまるで動こうとはしない。右肘を押さえながら立ち上がった少女を気にしながらも、審
判は試合を再開せざるを得なかった。
 
 「ナナ――ッッ、ガンバッてッッ!!」
 
 フロアまで降りてきた桃子の、鈴のような声援が響き渡る。
 「おお、そうだ、ガンバレ7番!」
 「汚えぞ、東亜!」
 「審判ちゃんと見てろッ、反則じゃねえか!」
 つられたように、観衆が口々に七菜江への応援と東亜大附属への野次を飛ばす。うまく誤魔
化しているとはいえ、立て続けに飛び抜けた能力を持つ選手が「アクシデント」に見舞われたの
だ。偶然でないことは誰もがわかっている。高校生の試合とは思えない、殺伐とした空気が湧
きあがっていた。
 だが、褒めるべきか厭うべきか、東亜大附属高校の選手たちは、この程度で遠慮するよう
な、軟弱な鍛えられ方はしていなかった。
 
 声援に後押しされるように、右肘を押さえながらも全力でプレーする七菜江。
 健気なまでの少女に、これでもかとばかりに、死角をついた制裁が加えられていく。
 ガードするために伸ばされた右腕は捻られ、逆に折られ、密集に取り囲んでは腹部を殴り、
カバーについているフリをしながら、肉弾で圧搾する。
 
 「ううッッ・・・ううッッ―――ッッ!!!」
 
 熱戦のコートに流れる、苦悶の呻き声。
 その度に館内の声援はボルテージをあげるが、本来ひまわりのように元気な少女が、徐々
に崩壊の波に飲み込まれていっているのは、誰の目にも明らかだった。
 そして、七菜江が削られていくのとは反比例するように、両チームの点差はグングンと縮まっ
ていた。
 
 「あんた、ホントに七菜江のこと心配してるの?!」
 
 あからさまに狙われ、コートの中でリンチされ続ける仲間の惨状に、クールが売りの夕子も、
苛立ちを隠せなくなりつつあった。
 今までにも幾多の困難に直面してきた七菜江だ、この程度の苦しみは何度も味わってきたこ
とだろう。それでも精神的ダメージを受け、体力をほとんど使い果たし、じわじわと苦痛を重ね
られているのだ。信頼しつつも、込み上げる怒りと不安は抑え難い。
 夕子にしてそんな状態なのに、七菜江を好きなはずの男は、ずっとコートを見たまま、動かな
い。
 恋愛感情には、とんと疎い夕子でも、疑念を持つのは当然のことといえた。
 周囲の見知らぬ観客たちでさえ、七菜江にエールを送っているというのに、最も身近な存在
であるはずの鎧武者は、夕子の言葉にも答えず、微動だにしない。
 
 メキョ・・・
 
 「・・・?」
 
 メシイッ・・・メシメシメシ・・・ミチミチィッ・・・
 
 突然、どこからか聞こえてくる、奇妙な音。
 虫の鳴き声のような、どこかおぞましくさえあるその音の正体を、夕子が気付くことはなかっ
た。
 コートを見詰める太い眉の下の視線が、凄みを帯びてきていることも。
 
 「しぶとい女だ、まだ歯向かってきやがる」
 
 「フジキナナエめ、とどめを刺してくれる」
 
 取り合いになったボールが、弾かれてライン際へと飛んでいく。
 ワンバウンド、ツーバウンドして、ラインの外へと出ていこうとするボール。右肘を押さえたま
ま、今にも倒れこみそうな身体を支えていた青いユニフォームの7番が、反射的にボールを取
りにダッシュする。
 ボールが飛んだ方向に七菜江がいたのは、偶然だったか、計算通りだったか――
 それまでの疲労ぶりが嘘のような速度で、ボールに七菜江が追いついた瞬間。
 
 ドゴオオオオオッッッ!!!
 
 肉感的な肢体が、ぐにゃりと強烈に反り曲がる。
 同じようにボールを追ってきたサリーとビッキーのダブルのタックルが、無防備な美少女の背
中を粉砕したのだ。
 ダンプカーに撥ねられた衝撃。ベキベキと、背骨が軋む音をこぼしながら、白目を剥いたショ
ートカットのスポーツ少女が、反り返った姿勢のままで吹っ飛んでいく。
 
 観客席のパイプ椅子の海に、けたたましい音ともに突っ込んでいく七菜江の肉体。
 グワッシャアアアアンンン・・・・・・10mの距離を吹っ飛ばされて、壁と激突する派手な破壊音
が鳴り響く。血の飛沫が、あちこちに点々と降っている。
 青い果実を彷彿とさせる肉体は、パイプ椅子の瓦礫に埋まり、唯一覗いている左手だけが、
ピクリとも動かず瓦礫の中から生えている。
 
 ガタン! 2階観覧席で座っていた夕子の身体が、思わず立ちあがる。
 そして聞こえてくる、あの不可思議な音。
 
 メキョオッッ・・・メキメキメキッッ・・・メチメチメリメリメキイッッ!!
 
 それは、虫の鳴き声などではない、肉の摩擦する音。
 正体に気付いた夕子が横を見た時には、すでに工藤吼介の肉体は姿を消していた。
 
 「ナナッッ!!」
 
 崩れたパイプ椅子の山に、桜宮桃子は駆け寄っていた。遅れて聖愛ベンチから、一年生数
人が救護のために走ってくる。
 あちこちで飛んでいた東亜大附属へのブーイングは、あまりに凄惨な事態に消え去ってしま
っていた。静まり返った場内に、桃子たちの駆ける足音だけがこだまする。わざと七菜江を吹
き飛ばしたのは、誰もが理解していた。だが、試合に勝つためにここまでやる東亜大の“真剣
さ”が、観客達を圧倒し、飲み込み、声を奪ってしまったのだ。
 
 親友のもとへ辿りついた桃子が、思わず息を飲む。
 パイプ椅子に沈んだ元気な少女は、ピクリとも動かず、薄く開いた瞳に、無機質な光を灯して
いた。
 どこかで強く打ったのだろう、小さな鼻と桃色の唇からは鮮血が迸り、周囲に深紅の花を咲
かせている。
 静寂に包まれた試合場の隅に、文字通り潰されてしまったスポーツ少女が、積み重なった仕
打ちに限界を迎えて転がっている。つい先程まで、観衆の歓声を集め、ヒロインとして縦横無
尽にコートを駆けていた少女の、無惨な姿。
 
 「選手交代。7番藤木に変えて、11番柴崎」
 
 無情な監督の声が、シンとした館内に、やけに大きく響く。
 ウェーブのかかった長い髪を揺らして、青いユニフォームの11番がコートに向かう。全ての
視線が崩れたまま動かないパイプ椅子の山に集中する中、悠然と歩く柴崎香は口元を大きく
歪ませていた。
 
 今更試合に出られる喜びなどなかった。
 後輩の七菜江にレギュラーの座を奪われ、しかも校内での隠れ人気が自分よりも上であるこ
とを知って、香の嫉妬は頂点を迎えた。ズタズタにされたプライドを治すには、身体だけは発達
した憎い女を、心身ともにボロボロにしなければ気が済まなかった。
 試合に出ればわざと負けることは、カズマイヤー姉妹との間で約束していることだ。香にとっ
て、自分を認めなかったハンド部など、どうでもよかった。それよりも、自分が潰されたことがき
っかけで逆転負けしたとなれば、脆い七菜江の心はどれだけ傷付くことか。
 殺しても殺し足らぬ藤木七菜江抹殺の第一弾作戦が、青写真通りに進んでいることが、香の
大きめの唇を歪ませる。
 
 一年生部員たちが、椅子の山に近付く。身動きひとつしないショートカットの先輩を、救い出さ
なくてはならなかった。憧れていた先輩の惨めな姿に、自然涙が浮んでくる。途中退場しなけ
ればならなくなった七菜江の無念さを思えば、哀しみは少女たちの胸に一層去来した。
 近付こうとする足は、止まっていた。
 不意に横から伸びてきた丸太が、少女たちの足を止めたのだ。いや、それは丸太ではなか
った。少女たちが想像したこともない規格外の太さの腕が、真横に伸びて動きを制したのだ。
 「うッ」という呻きを漏らし、桃子の身体は一歩後退っていた。
 
 工藤吼介。
 筋肉の鎧を纏った肉食獣が、物静かな表情で立っている。
 桃子には精神感応、いわゆるテレパシーの能力はない。あるのは念動力やせいぜい透視、
瞬間移動が少しできるだけで、物理系の超能力に限られている。それでも桃子には、今の吼
介から発散される、怒りでもない、哀しみでもない、ただ圧倒的に熱い感情の波が、戦慄する
までに伝わってくる。
 
 「聞こえるか、七菜江?」
 
 気絶しているとしか思えない少女に、低い口調で男は話す。
 突然現れた巨大な男に混乱しつつも、観衆は静まり返っていた。目の前で起こる出来事に凌
駕され、ただ彼らは見守ることしかできない。応援にきた聖愛学院の生徒たちは、男の正体が
工藤吼介であることはわかったが、言葉が出ないのは一緒のことだった。
 
 「立て」
 
 静かに、しかし力強く吼介は言う。
 
 「立ちあがれ、七菜江。自分の力で」
 
 ふふふ。
 心の奥で柴崎香は嘲笑する。
 立てるわけがないわ、あのタックルを受けて。
 体力を枯らし、右腕を破壊された上で、トドメを食らったのだ。
 明らかに限界を迎えた七菜江が、愛の力などで、それもただ声を掛けられただけで蘇ったな
ら、まるでマンガだ。そんな都合のいい話など、あるわけがない。
 そのまま医務室のベッドで寝てるがいい、起きた時には自分のせいでチームが負けたことを
知り、絶望に打ちひしがれて・・・
 
 ウオオオオオオンンンン!!!
 
 静寂が破裂し、怒号のような歓声が爆発する。
 
 「まッ、まさかッ?!!」
 
 血走った瞳を、パイプ椅子の山に向ける香。
 立っていた。
 右肘を押さえたショートカットの少女が、瓦礫から這い出し立ちあがっていた。
 
 「あ、有り得ない・・・」
 
 茫然とする香の呟きが、沸騰した大歓声に掻き消える。
 ふらふらと覚束ない足取りで数歩進む七菜江。朱色に染まった口元を、左手で拭う。
 幽霊でも見たように丸い目を見開いた巨大な肉団子の姉妹に、敢えて痛めた右手を伸ば
す。背筋をピンと張り、人差し指を突き向けた美少女は、それまでのダメージも消し去ったかの
ように咆哮した。
 
 「卑怯者が・・・あたしを潰せるもんかぁッッ!!」
 
 再び爆発する歓声。
 熱狂する雄叫びが、「7番」コールを、「藤木」コールを、「聖愛」コールを、次々に轟かせてい
く。
 
 「審判、さっきの選手交代は取り消しだ。7番藤木のままで」
 
 どこか興奮した聖愛学院監督の声を、渦巻く歓声のなかで主審はなんとか聞き分けた。
 試合が再開されるべく、選手たちがポジションについていく。コートに戻る青い7番の背中を、
頼もしそうに鎧武者は見送った。
 
 「全く、お前ってやつは」
 
 ホイッスルが鳴り響く。後半残り8分が始まった。
 
 「グッとさせてくれる女だぜ」
 
 
 
 「いつもながら、心配させてくれるわ」
 
 これまでに幾度か七菜江の窮地に立ち会った経験のある霧澤夕子は、実感の篭った口調で
呟くと、ようやく腰を観覧席の粗末な椅子に降ろした。
 周囲の熱狂は凄まじかった。どうやら七菜江は、一般の観客たちの心を虜にしてしまったよう
だ。わかりやすい言葉でいえば、カリスマというものなんだろうが、明るく純粋な少女は、ひとを
惹き付けるなにかを生まれ持っているのだろう。
 
 恐らく大部分の観衆は、七菜江が復活した理由を、吼介の愛のパワーだとか(夕子にすれ
ば、それはおぞましいまでの考えだったが)、不屈の根性のおかげだとか、考えていることだろ
う。だが、闘いには素人でも、天才と呼ばれる少女は合理的で現実的な判断から、七菜江復
活のカラクリをほぼ正確に見抜いていた。
 確かに七菜江は、背後からの強烈なタックルを浴びて失神してしまったのは間違いない。軽
い脳震盪を起こした少女は、いわゆるKO状態だったのだ。薄く開いた眼球の揺れ具合を見
て、格闘の専門家である吼介は、すぐにそのことに気付いたに違いない。体力の限界が来た
わけではないので、時間が経てば復活はできる。七菜江が立ち上がったのは、奇跡でもなん
でもない、当然のことだったのだ。
 もちろん、失神するまでに強い衝撃を受けた人間に、再び試合をさせるなど、安全性の観点
からいえば、実に危険な判断だ。それでも吼介が七菜江を送ったのは、まだ幼さをどこかに残
した少女が、尋常でないタフネスの持ち主であることを知り抜いているからであろう。
 時間が経てば復活する七菜江に、意味ありげにエールを送ったのは、いわば吼介の演出
だ。作戦は見事に決まり、不可思議な力で死の淵から蘇ったかのような七菜江に対し、巨肉の
姉妹をはじめ東亜大附属のメンバーは明らかな動揺を暴露している。
 すでに試合の結果は見えたも同然だった。
 
 「さて・・・あとはあの女が、なぜこんなとこにいるか、ね」
 
 無意識のうちに左足をさすりながら、夕子は観覧席の一角に、鋭い視線を飛ばす。
 彼女が七菜江を気遣いながらも、2階席を離れるわけにはいかなかった理由。
 館内の全体を見渡しやすいこの場所で、監視し続ける必要があった人物が、視線の先には
いた。
 一輪の赤い薔薇。
 場違いな艶やかさを、遠目にもはっきりと噴霧しながら、生物学の権威にして、冷酷魔女シヴ
ァの正体・片倉響子は、じっと若さ溢れる決勝の様子を見物しているのだった。
 
 
 
 3
 
 ライトグリーンの壁に囲まれた控え室には、静寂が訪れていた。
 30個ほどのロッカーと、長椅子が4つ。中央に腰掛けたひとりの少女を除いて、部屋には人
影は見当たらない。
 少女のショートカットは、水滴に濡れて光っていた。隣接したシャワールームで浴びた熱湯の
雫は、少女をどことなくオトナっぽく見せる。首に巻いたピンク色のスポーツタオルでごしごしと
頭を拭いたあとなので、いつもシルクのようにキレイに流れている黒髪は、ボサボサと乱れて
いる。
 
 藤木七菜江は試合が終了したあと、ひとりこの控え室に残っていた。
 右手の指全てに巻かれた包帯が痛々しい。幸い骨折こそしていなかったが、どの指も腱が
伸びてしまっており、曲げるのにも伸ばすのにも激痛を伴うという、哀れな有様であった。右腕
自体白い三角巾で吊られており、肘にはアイシングのための氷のうが巻きつけられている。詳
しいことは病院に行かねばわからないが、どうやら肘の靭帯も伸びているらしい。試合を最後
まで続けられたのは、奇跡といえた。
 
 ふと子猫によく似たチャーミングな顔をあげて、壁にかけられた時計を見る。午後4時を回っ
たところ。他の部員たちが帰ってから、30分ほどが過ぎていた。
 試合終了後、すぐに医務室に運ばれ治療を受けたため、七菜江が控え室に戻ってきた時に
は、すでに全員が着替え終わっていた。全国大会出場の立役者の帰還を待っていた彼女たち
は、ハンド部全員で喜びを分かち合った。辛い練習を乗り越えてきた部員たちは、みな一様に
健闘を称え、己の勝利に酔いしれていた。ただひとりの例外を除いて。
 
 「えへへ・・・見ててくれた? あたしの大活躍」
 
 「バカ。あんな無茶して・・・もうちょっと頭を使ったら? ボロボロにされてるじゃないの」
 
 無邪気に喜ぶ七菜江に対し、夕子の台詞は手厳しい。それが彼女なりの愛情表現であり、
心から自分のことを心配してくれていることがわかるだけに、七菜江としては申し訳ない気分に
なる。
 
 「ご、ごめん・・・だって、ああいう戦い方しかできないんだもん・・・」
 
 「もう! 夕子ったら、そんなキツイ言い方したらダメだよォ! ナナはよくがんばったんだか
ら」
 
 「・・・ありがと、モモ・・・ホントにがんばったって思ってくれる?」
 
 「当たり前じゃん。ナナが一番がんばってたよ。ナナのおかげで勝ったようなもんだよ」
 
 「えへへ・・・そうかなぁ〜。やっぱあたしのおかげかなぁ〜」
 
 シュンとしていた顔が、瞬く間ににこやかに笑い出すのを見て、さすがの桃子も呆気に取られ
る。わかっていても七菜江の単純ぶりは、常に予想を越えてきた。
 
 「ほら、桃子が調子に乗せるから。このコは落ち込ませておくくらいでちょうどいいのよ」
 
 勝利の歓喜に沸き返る控え室に、ふたりのかけがえのない友人が祝いに来てくれたことが、
七菜江にはなによりも嬉しかった。少女の胸に温かい幸せが染み込んでいく。
 そしてその会話中、数m後方で、じっと黙ってこちらを眺める岩のような巨体。
 工藤吼介は直接七菜江に語りかけることなく、ただ優しい瞳を向け続けていた。
 それだけで七菜江には十分だった。
 “おめでとう”
 と
 “ありがとう”
 短い言葉のやり取りは、互いの眼を見れば伝わることだった。
 
 ―――
 
 “早く、夕子や桃子に会いたいな・・・”
 
 誰もいない控え室という現実に戻ってきた七菜江は、正直な気持ちをふと自覚する。シャワ
ーから出てきた彼女が、いつまでもこの部屋に残っているのは理由があった。早く帰りたくて
も、帰れない理由が。
 
 “吼介先輩も一緒にいる・・・よね。勝ったこと、喜んでくれてるかなぁ? ナデナデしてって言
ったら、やってくれるかなぁ?”
 
 桃色の予感に、乙女の胸はときめく。たったひとりで残された不安感を消し去るように、精神
的に幼い少女は、先程の勝利の余韻と、これからの夢のようなひとときに思いを馳せている。
 甘い妄想を打ち砕くように、現実が音をたてて現れたのはその時だった。
 ガチャリ、という音が響き、控え室の扉から、七菜江をひとり残した張本人が現れる。
 
 「待たせたわね〜、ナナ」
 
 「いえ、大丈夫です。それより、話ってなんですか、香先輩?」
 
 大きめの唇を真横に広げ、柴崎香は悪魔も戦慄する微笑を浮かべる。
 
 「あの・・・わざわざ皆が帰ったあとにふたりっきりで話したいってことは、すごく大事な話なん
ですか?」
 
 疑うことを知らぬ無邪気な妖精は、嫉妬に燃える復讐鬼の張った罠に、気付くことなく落ち込
んでいく。
 
 「そうよ、すごーく大事な話。誰にも邪魔されずに、ふたりだけで喋りたいのよ。私のあとにつ
いてきてくれる?」
 
 勝利に沸く聖愛学院の控え室の中で、ただひとり憎悪の視線を天真爛漫な少女に送ってい
た女。
 柴崎香にとって、本当の闘いが、そして藤木七菜江にとって、本当の試練が始まろうとしてい
た。
 
 
 
 「ナナ、遅いねぇ〜・・・」
 
 体育館の入り口ロビー。とっくに両校の選手たちも帰り、静寂を取り戻した館内に居残った桜
宮桃子は、誰に言うわけでもなく呟いた。
 母親からもらったカルティエの腕時計を見る。容姿の美しさから派手なイメージのある桃子だ
が、実際にはブランド品が好きではない。高校入学のプレゼントとしてもらったこの時計だけ
が、唯一の高級品だった。銀色の針は、4時17分を指している。
 
 「どうでもいいけど、なんであんたも一緒なのよ?」
 
 腕組みをした霧澤夕子の鋭い視線は、やや離れた位置で居心地悪そうにうろついている分
厚い肉体に送られていた。
 
 「お前、ホントに冷たいな・・・同じ学校なんだから、一緒に帰ったっていいだろが。電車で1時
間もかかるんだぜ? ひとりじゃ寂しいだろ」
 
 「寂しい想いすればいいのよ。七菜江にさせたんだから」
 
 声自体はどことなく鼻にかかった甘い音色なのに、夕子の言葉は容赦がない。さすがの最強
の男も、たじたじといった様子が明らかだ。
 白のジャケットに身を包んだ美少女が、そっと赤髪のツインテールに寄りそう。困惑しつつも
決してこの場を去ろうとしない工藤吼介に背を向けて、色香を醸す美少女は、夕子の耳元で囁
く。
 
 「ちょっとォ、言い過ぎだってば。ナナだって吼介がいた方が喜ぶに決まってるんだからさぁ」
 
 「違うのよ」
 
 銀の首輪が光る。垂れがちな夕子の瞳は鋭さを増していた。
 
 「違う?」
 
 「あいつに帰って欲しいのは、嫌いだからって理由じゃないの。邪魔になるからよ」
 
 「・・・? どういうこと?」
 
 「片倉響子が来てる」
 
 黒目がちな瞳が大きく開かれる。完成された造形の桃子のマスクが、緊張感に引き締まる。
雪のように白い喉が、かすかに上下に動く。
 
 「な、なんでこんなとこに・・・」
 
 「七菜江を狙って、と考えるのが妥当でしょうね。ここでハンド部の試合があることは、調べれ
ばすぐにわかることだから。予想はしてたけど、やはり生きてたようね」
 
 「・・・・・・」
 
 「今まで消息を絶っていた片倉響子が姿を見せたんだから、なにかあるに違いないわ。け
ど、工藤吼介が一緒では、いざって時にトランスできない」
 
 戦闘に関しては素人同然の夕子だが、天才の頭脳は、現在自分たちが置かれた現状を冷
静に把握済みであった。
 彼女たちが住むこの地方の中枢都市には、ジェットラインを始め、政府が秘密裏に設置した
ファントムガール支援装備がいくつかあるが、今いる町にはそういった地の利がない。仲間の
窮地に駆けつけたり、トランス解除後の睡眠時に身辺確保してもらうことが難しいのだ。例え
ば、もし響子が七菜江を襲撃した場合、静養のため遠く離れた五十嵐里美はもちろんのこと、
実家の道場で合宿中という西条ユリもとてもここに駆けつけることはできないだろう。軍用ヘリ
を飛ばしたところで、トランスのリミット、1時間はとうに越えているはずだ。
 その意味で、夕子と桃子が偶然とはいえ、この場にいたのは大きい。あの用心深い響子が、
ふたりの存在に気付いていないわけがない。なにが目的かはハッキリわからないが、単にひと
りになった時を狙って七菜江を襲おうとしていただけならば、このまますごすごと退散する可能
性もないとは言えない。
 夕子が吼介の存在を疎ましく思う最大の理由は、ここにあった。基本的にファントムガールの
正体を知られてはならないのは、大原則といえた。異端であるファントムガールが、人類の標
的と成り得ることは、『エデン』と融合する前から特殊な存在であった夕子と桃子には、痛いほ
どよく理解できる。吼介が側にいるということは、事実上、ファントムガールへの変身を封じら
れたのと同じことだ。それは響子に七菜江を襲いやすくさせているのと同意。
 
 「とは言っても、強引に帰らせれば、今度は逆に工藤に怪しまれてしまう。知ってるでしょ? 
里美を救ったのが、工藤らしいって話。これ以上、私達とファントムガールを結びつけるような
行動は避けねばならないわ。変身しないまま、片倉響子を倒せればベストなんだけど」
 
 それがいかに困難な作業であるかは、1vs多数という状況とはいえ、機械の左足をもぎ取ら
れた経験があるサイボーグ少女にはよくわかっていた。
 
 「・・・で、今、響子さんはどこに?」
 
 「観客席に紛れ込んでたんだけど、見失ってしまった。あの女は、ちゆりとは違うからあまり
無茶はしてこないと思うけど・・・何を考えているか、わからないだけに厄介だわ」
 
 小声で話し合うふたりの少女の動きが止まる。
 事態は突然に、そして急激に起ころうとしていた。
 端正な顔立ちの美少女ふたり――緊張に眉を曇らせた美貌が険しい。夏のせいにはできな
い額の汗が、次々に浮かんで流れていく。
 ただひとり、呑気そうに壁にもたれかかった頑強な肉体が、ふと視線を通路の奥に飛ばす。
 ロビーの向って右側。七菜江がいる控え室とは正反対の方向の通路。
 30mほどいった突き当たりから、甲高い音色が響いてくる。
 
 カツーン、カツーン
 
 間違いない、ハイヒールが固い床を打つ音。
 興奮が去り、人気の途絶えた体育館に、女性の足音だけがこだまする。
 聞き覚えのある音に、特殊能力を秘めたふたりの美少女が、鋭い視線を通路奥に向ける。
 
 カツーン、カツーン
 
 足音の人物が、通路を通りすぎる。
 一瞬通りすぎる美貌の横顔。赤いハイヒール。腰までの長い黒髪。
 
 「片倉響子!」
 
 反射的に動く夕子の脚。噂の主のタイミングのいい登場に、宿敵を追うべく、駆け出そうとす
る。
 見えない力が、クリーム色のスカートから生えた足をすくった。
 クールがウリの彼女らしからぬ格好で、派手に宙を舞った夕子がしたたかに腰を床に強打す
る。受け身を知らぬ少女は、まともに腰を打った痛みに思わず唸った。
 
 「ごめんね、夕子! ここはあたしに行かせて!」
 
 念動力で友人を転ばせたエスパー少女は、そのままダッシュし、長い髪の女教師を追いかけ
る。
 
 「吼介、夕子のこと頼んだよ! すぐに戻るから!」
 
 キョトンとしたまま、なにが起きたかわからぬ男の眼に、通路に向って走る、落ちついたファッ
ションの白い背中が飛び込む。小さな背中からある種の決意が感じられたのは、吼介の勘違
いであったのか・・・確かめる方法があるはずもなく、男はじっと、走り去る桃子の背中を眺める
のみであった。
 
 
 
 「一体話って、なんなんですか?」
 
 カビの臭いが仄かに漂う倉庫内に、藤木七菜江の透き通る声が響く。
 どうやらそこは、マットや跳び箱、バレー用の支柱やネット、ボールといった、体育用具を保
管するための倉庫らしかった。意外と広い。20畳ほどもありそうな室内には、あらゆる競技で
使用する道具が雑然と並んでいる。
 
 先輩であり、この場所に七菜江を連れて来た案内人でもある柴崎香は、部屋に入って以来、
ずっとショートカットの後輩に背を向けたまま沈黙していた。暗い雰囲気が苦手な七菜江は、つ
いに耐えきれず、自ら言葉を発したのだ。
 それでも香は背を向けたまま、押し黙っている。
 レギュラーの座を先輩から奪ったという負い目がある少女は、ズキズキと疼く痛みを右腕以
外の場所にも感じ始めていた。周囲は気にするなと言うが、頭で理解していても他人を蹴落と
したという事実が、純粋な少女を気に病ませた。普段は優しいが、時折香が嫌悪感を垣間見
せていただけに、七菜江の心は痛んでいた。
 
 青いセーラー服姿のふたりの美少女。
 沈黙だけが、ゆるやかに時を流れていく。
 
 「あ、あの・・・」
 
 再び口を開く小柄な少女。
 
 「ナナ・・・」
 
 今度は返事が返ってきた。振り返る、ウェーブのかかった長い髪。
 明るい少女は絶句した。
 美人という呼び名が似合う美貌は、くしゃくしゃに歪んで泣き崩れていた。
 大粒の涙をこぼす香の姿に、何が起きたかわからぬ純真な少女は戸惑う。掛けることばもわ
からず、動揺する七菜江の耳に飛び込んできたのは、ひとつしかない入り口の扉が開く音だっ
た。
 
 「ッ?! カズマイヤー姉妹?!!」
 
 渡辺・カズマイヤー・沙理依と美姫依。サリーとビッキー、肉弾の巨漢姉妹がふたりの男を従
えて入ってくる。うちひとりは、スキンヘッドの大男。もうひとりの金髪が握っているのは、金属
のバットだ。
 双子姉妹の血走った眼。悪意に満ちた空気が、彼女らの目的を即座に七菜江に教える。動
く左腕をあげ、構えるアスリート少女。試合で体力を使い果たし、右腕を破壊されたというの
に、不安の破片もない強気な台詞で迎え撃つ。
 
 「なんのつもりッ?! あたしに試合で負けた腹いせをしようってんなら、逆に痛い目見せて
やるんだからッ!」
 
 吊り気味の瞳に、熱い炎が燃えあがる。
 東亜大附属の連中、特にカズマイヤー姉妹が七菜江に復讐心を膨れ上がらせているのはわ
かっていた。だが、怒りは七菜江の方にもある。試合中は我慢していたが、リンチまがいの行
為の数々は、とてもスポーツと呼べるものではなかった。愛するハンドボールを冒涜されたよう
で、できるならお灸を据えてやりたいと思っていたのだ。
 しかし、そんな少女の闘争心を削ぐ叫びが、背後から叩きつけられる。
 
 「やめてッナナッ!! その人たちの言う通りにしてッ!」
 
 振り返る七菜江。声の主、香は首にナイフをつきつけられ、立ちすくんでいた。跳び箱の隅に
でも隠れていたのだろう、いつのまにか現れたパンチパーマの男が、香の自由を奪っている。
 
 「ごめんなさい、ナナ・・・このひとたちがあなたを連れて来いって・・・背いたら私を強姦するっ
て・・・私怖くて・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
 
 美しい顔をぐしゃぐしゃにして泣き謝る香。
 怒りに燃えていた七菜江の瞳が哀しげに曇り、細い眉が八の字に垂れる。人質を取られた
無垢な戦士は、あまりに脆かった。どうしようも出来ない悔しさに、唇を噛む音だけが洩れる。
 
 スキンヘッドの巨漢が、棒立ちの少女の青いスカーフを掴む。
 次の瞬間、宙を舞っていたのは、巨漢の方だった。
 工藤吼介に教えられた柔術の技。わずかな期間の特訓で得た技術とはいえ、吼介やユリと
いった、とっておきの師匠を身近に持つ七菜江の上達ぶりは、驚異的といった言葉も色褪せる
ほどであった。
 激しく背を打った坊主頭が、「ぐええッッ!」と悲鳴をあげる。
 
 「どこまで卑怯なのよッッ!! お前たちは絶対に許さないぞォォッッ!!!」
 
 「やめてよッッ!! お願いだからやめてッナナッッ!!」
 
 思わぬ抵抗を見せた七菜江に、人質の身である香が必死で懇願する。全力を解放して、一
気に香を捕らえたパンチパーマを倒すつもりだった七菜江の出足を、その香自身の言葉が止
めてしまう。
 
 「今ここでこのひとたちをやっつけても、仕返しされるのは私なのよ! お願いだからこのひと
たちの言う通りにして!」
 
 「か・・・香先輩・・・」
 
 白い歯が強く噛み締められる。
 悔しさと哀しさで、純粋に澄み切った瞳は細まり、今にも泣き出しそうに垂れる。ブルブルと握
り締められた左拳が、ゆっくりと観念するように降ろされていく。
 美しい顔を崩して泣き叫ぶ先輩の言葉が、七菜江にはよく理解できてしまった。
 『エデン』の力を得たスーパーアスリート藤木七菜江にとって、この状況は決して打開不可能
ではない。試合で体力を失い、右腕を怪我し、人質を取られ、5人の相手に囲まれていようと
も、だ。約3m離れた場所に立つパンチパーマが、ナイフを香の首に突き立てるより速くKOす
る自信はあるし、人質さえいなければ、本気の七菜江をたった5人で抑えられるわけがない。
一般人が闘うには、七菜江という存在はあまりに超越した運動神経の持ち主であった。
 
 だが、この場はそれでいいとして、今後どうなるのか。
 七菜江を狙ってくる分には構わないが、香を狙われればどうしようもない。ファントムガール・
ナナとしての顔を持つ七菜江が、片時も離れず一緒についてずっと香を守れるわけがない。
 もし人質となったのが、桃子や夕子、あるいは里美、ユリだったら・・・恐らく誰ひとりとして、自
分のせいで七菜江が攻撃できない状況を、呼び込みはしないだろう。己の死を省みずに、七
菜江に反撃するよう言うはずだ。
 だが柴崎香は普通の女子高生なのだ。
 我が身可愛さに七菜江が服従することを望むのは、寧ろ当然のことと言えた。それどころ
か、七菜江のせいで巻き込まれたことに、怒りすら覚えていても不思議ではない。
 
 だらりと垂れ下がった拳が、力なく開かれていく。
 それは標的の超少女が抵抗を放棄したことを示していた。
 
 「ぶしゅしゅしゅしゅ・・・わかりゃあいいんだよ、このクソ女が」
 
 岩のような肉塊が、顔を伏せて立ちすくむ少女の前後に挟み立つ。2倍以上の質量を誇る巨
大風船に囲まれ、七菜江の身体はますます小さく見えた。
 
 「てめえのせいでウチらの立場はボロボロだ・・・東亜に戻っても、ずっとカス呼ばわりの日々
が続くんだ。一生ハンドができない身体にしてやるぜ」
 
 「たかが試合に負けたぐらいで・・・甘えるのもいい加減にしろォッ!」
 
 憤怒する吊りあがった瞳が、二重アゴの丸い顔を見上げる。抑えきれない衝動が、七菜江の
沸点を最高潮に高めている。卑怯なやり方の数々も許せないが、その動機もひまわりのような
少女には気に入らなかった。
 
 「甘える・・・だと」
 
 「そうよッ! 誰だって試合に負けたくない。でも負けたからって相手のせいになんかするもん
か! 次に負けないように、歯を食いしばってガンバるんだッ! 相手のせいにして済ませよう
とする、そんな考えだから負けるのよッ」
 
 「・・・この・・・ぬくぬくと部活してる貴様らに、常勝を義務付けられたウチらの気持ちがわかる
か!」
 
 背後に立ったビッキーが、一気に七菜江を羽交い締めにする。右腕を吊っていた三角巾が、
はらはらと宙を舞い落ちる。
 10cm以上の身長差がある相手に吊り上げられ、つま先立ちになった少女の腹筋に、容赦
ないブローが叩き込まれる。
 肉が肉を抉る鈍い音。
 怒りに燃える愛らしい顔が、一瞬苦痛に歪む。
 
 「おらぁッ! さっさと詫びをいれな! そして一生ウチらの奴隷となることを誓うんだ!」
 
 サリーの丸っこい拳が、次々と無抵抗の七菜江の顔面に吸い込まれていく。首が捻じ切れそ
うな勢いで、右に、左に、揺れ動く。頬が見る見る赤く染まり、桃色の唇の端から、鮮血が一筋
流れていく。
 女のものとは思えない、激しい打撃音。だが、チャーミングという点では、現役アイドルも逃げ
出しそうな少女の顔は瞬間歪むだけで、苦痛を露わにすることはない。
 
 「ホントに生意気なヤツだぜッ!」
 
 右拳を七菜江の小さめの鼻に叩き込もうとするサリー。
 殴りかからんとする巨漢に、羽交い締めの少女は口から液体を吐きかける。
 ベチャッとサリーの顔を汚したのは、ツバではなく、血であった。
 
 「きッッ・・・貴様ッッ――ッッ!!!」
 
 殴打の嵐が、小柄な少女を包み込む。
 可愛らしいマスクを、芸術的なバストを、引き締まった腹部を、狂ったように殴り続けるサリ
ー。
 細かい血の霧と肉の打撃音が、黴臭い室内を満たしていく。
 リンチという名に相応しい暴虐。しかし、悲鳴すらあげることなく、被虐の少女は理不尽な仕
打ちを黙って受け続けている。
 
 「どうだおらぁッ! なんとか言ってみろよ! 奴隷になるのか、このまま死ぬかどっちだぁ
ッ?!」
 
 ぐったりと垂れ落ちた顔を、ショートカットを無理矢理掴んで引き起こす。やや赤く腫れた顔に
は、健気なまでに不屈の闘志を宿した瞳が輝いている。
 
 「こんなことで・・・負けるもんか・・・死んでもお前らになんか・・・屈するもんか・・・」
 
 「口の減らないガキめッ! 倉田、やってやりな」
 
 先程七菜江に軽く一蹴されたスキンヘッドの大男が、再び青いセーラーの胸元を掴む。
 今度は、反撃を封じられた七菜江に、惨禍を免れる手段はなかった。
 華麗なまでに宙を舞ったムチムチとした肢体が、大男の体重ごとコンクリートに叩きつけられ
る。
 無抵抗な少女を襲う、巨漢の一本背負い。
 
 「ふしゅしゅしゅしゅ! 倉田は元柔道のインターハイ選手さ。もっとも怪我でリタイアした今
は、暴力に明け暮れる落ちこぼれだけどね。それでも一流の柔道家の投げはよく効くだろ? 
こんな硬い床じゃあ特にさ」
 
 強打した背中を反りあがらせ、息の詰まる痛みに苦悶する七菜江。歯を食い縛り、必死で悲
鳴を堪える少女の胸倉を、またも巨大な手が掴む。
 払い腰。
 大外刈り。
 抵抗しない少女を、まさに破壊するかのように投げ続けるスキンヘッド。
 容赦なく床に叩きつけられるたびに、内臓が破裂しそうな衝撃に悶えながら、背を反りあがら
せた豊満な肉体が惨めにリバウンドする。
 苦痛に顔を歪ませっぱなしとなった美少女を、トドメの内股が襲う。
 まっ逆さまに脳天から落ちていく七菜江。
 
 ゴキイイイッッ・・・
 
 なにかが潰れる音が響き、次の瞬間、青いセーラー服の少女は、全てを開けっ広げるように
大の字に仰向けとなって、ビクリビクリと震えていた。
 
 「ぶしゅしゅしゅ・・・いいザマだ」
 
 横臥してなお崩れない胸の白桃を、肉弾双子がひとつづつ踏み潰す。さらに股間を坊主頭の
巨漢・倉田が踏みつける。自分よりも遥かに大きな3人の虐待者に踏みつけられた超少女の
姿は、敗北を象徴するには無惨すぎた。破壊するというより、弄ぶように、3人はグリグリと少
女の敏感な箇所を足の裏でこね回していく。
 
 「あくぁ・・・あぐぅ・・・・・・うああぁ・・・・・・」
 
 虚ろな視線のアスリート少女から、苦痛のせいだけではない呻きが搾り出される。
 
 「いい声だよ、フジキナナエ。だが、この程度で済むと思ってないだろうね?」
 
 ビッキーの声を合図に、ひっくり返される七菜江の肢体。少女の身体は、もはやオモチャのよ
うにいいように扱われていた。俯けになったダイナマイトボディの持ち主に、巨漢姉妹がふたり
揃ってのヒップドロップを落とす。
 
 「うぐううッッ!!」
 
 引き攣ったような苦鳴が潤った唇を割って出る。思わず海老反った少女のチャーミングな顔
は、圧殺された苦しみに崩れ、汗で濡れ滴っている。
 合計235kgの圧迫に、息も絶え絶えの超少女の右腕を、単純な腕力では遥かに七菜江を
上回った倉田が引き伸ばす。被虐の少女戦士に抵抗する手段はなかった。痛々しく包帯が巻
かれた右腕が、処刑者たちの血走った眼の前に差し出される。
 
 「ううッッ・・・くッッ・・・あああ・・・・・・」
 
 金属バットを手にした金髪が歩み寄ってきた時、七菜江は己に迫る地獄を悟った。必死で身
をよじる少女に、もはや脱出の術はない。たまらず洩れる声に混じる哀願が、復讐に燃える悪
魔たちの心を癒す。
 
 「ぶしゅしゅしゅしゅ! どん臭いあんたでも、ようやく何をされるか、わかったようだね!」
 
 「くッッ・・・ううう・・・や、やめろ・・・・・・」
 
 「このコージは元野球部でね。こいつもドロップアウトしたひとりさ。東亜にはこんなヤツらがう
ようよいるぜ。あんたみたいに幸せそうに青春してるのを、ぶっ殺したがってうずうずしてるの
がね」
 
 「あ・・・あああ・・・や、やめ・・・放せぇぇ・・・」
 
 「やれ、コージ」
 
 処刑執行の合図が下され、金属バットが固定された右腕に振り下ろされる。
 形容しがたい破壊音がこだまし、ガラスも粉砕しそうな七菜江の絶叫が、悪意に満ちた残酷
な体育倉庫に響き渡った。
 復讐に燃える悪魔たちを悦ばせるだけの、哀しき絶叫が。
 
 
 
 つい1時間ほど前には、多くの観衆や学校関係者で埋め尽くされていた地方体育館の敷地
は、今や影ひとつない閑散とした空気に支配されていた。
 ムッとする熱気の中に、涼しい風が混じる。まだ陽は高いが、時折吹く風が、夕暮れが近い
ことを教えてくれる。傾きかけた太陽を背に、白いジャケットの少女は館内を出て庭を駆け抜け
ていく。
 
 桜宮桃子の黒めがちな瞳には、鮮やかな赤いスーツを着込んだ女教師の背中がはっきりと
映っていた。腰までの長い髪は、紛れもなく片倉響子のもの。夏休み前の闘い以来、姿を消し
ていた美貌の悪女が、なんの前触れもなく、片田舎の地方体育館に現れたのだ。追いつけそ
うで追いつけない、桃子をからかうような速度で進みつづける響子に、運動のあまり得意でな
いエスパー少女は、必死で食らいついていく。
 ふと、赤いハイヒールの動きが止まる。
 体育館の裏側、人目につかない死角の空間。
 決闘にはおあつらえの場所であることに、気付いているのかいないのか、躊躇することなく響
子と遜色ない美貌の少女は、誘い込まれた死地に踏み込んでいく。
 
 5mの距離を開けて、桃子は止まった。
 肩で息をする白い少女。真ん中付近で分けられたセミロングの茶髪が、やわらかに揺れてい
る。
 髪の黒とスーツの赤が、毒々しいまでに鮮やかな女教師は、背を向けたまま微動だにしな
い。
 そのまま奇妙な対峙をした正義の少女と悪の美女は、沈黙の時を流れていく。
 
 騒々しい鳴き声を降り注いでいたアブラゼミが、ふたりの美貌の持ち主が発する気配に気圧
されたように飛びだつ。
 ゆっくりと片倉響子は振り返る。
 正面から見詰め合う超能力少女と冷酷な蜘蛛の化身。
 本物の天使はかような可愛らしさと美しさを持つのかと思わせる美少女と、悪魔的な美と色
香を発散する魔女の視線が、複雑な熱を帯びて絡み合う。
 
 「久しぶりね、桃子」
 
 真っ赤なルージュを歪ませた響子が、妖艶のスパイスが効きすぎた笑みを浮かべる。
 
 「いや、ファントムガール・サクラ。私の正体を知りつつ、目の前に立ったということは、それな
りの覚悟ができてると判断していいのかしら?」
 
 「響子さん・・・」
 
 厚めの唇が開く。可愛らしさと色香を同時に持った唇。未熟さと芳醇を併せ持つ吐息が、完
璧なる美少女から放たれる。くるみのように形のいい瞳は、優しさ溢れた彼女本来の光を失
い、厳粛さに満ちて鋭く輝いている。
 真夏の熱気のもとに生まれた異空間で、桜宮桃子が次に放った言葉は、響子にとってはあ
まり意外なものではなかった。
 
 「あたしは響子さんとは闘えません」
 
 正面から薔薇の香漂う悪女を見据え、心優しき天使は断言した。
 
 「あら、なぜ? 私があなたたちファントムガールの敵であることは、五十嵐里美辺りから聞
いてるはずだけど」
 
 「知ってます、シヴァという、恐ろしい敵だって」
 
 「では、なぜ?」
 
 「あたしを助けてくれたのが、響子さんだからです」
 
 じっと見詰める可憐な視線を、瞳以外を綻ばせた笑顔が迎える。
 
 「どういうことかしら?」
 
 「あの時・・・地下室でヒトキに裏切られ、死にかけていたあたしに、誰かが『エデン』を与えて
助けてくれたんです。その誰かが、響子さん、あなたなんです」
 
 「ウフフ・・・面白い子。なぜ、私だって断言できるの? 確かあの時の地下室は、メフェレス
が閉めきって真っ暗になっていたはずよ。瀕死のあなたがどうやって『エデン』を与えた人物を
確認できたのかしらね?」
 
 「音です」
 
 「音?」
 
 「その、ハイヒールの音が聞こえたんです。『エデン』のことを知るひとで、ハイヒールを履いて
いるのは響子さんだけなんです」
 
 口元に手を伸ばし、片倉響子は肩を揺らして笑った。貴婦人のような仕草も、このプライドの
塊のような女がやると、嘲っているかに映る。
 
 「ハイヒールを履く者なんて、掃いて捨てるほどいるでしょうに。ちゆりだって時々履いてるわ」
 
 「それに、里美さんを拷問している時も、響子さんだけは他のひととは違った。憎しみみたい
なものが感じられないんです。あたし、普通と違うから、そういうことにはちょっと敏感なんです」
 
 精神感応力、いわゆるテレパシーを桃子は持たないが、人並み以上の勘の良さには、ある
程度の自信を持っていた。その勘が、響子は敵ではないと囁いてくる。
 桃子が半ば実力行使して響子との接触権を得たのは、そのためだった。夕子なら、確実に
闘おうとするに違いない。そうはさせてはならなかった。響子の真意がなんであるかはわからな
いが、桃子を助けたのが、想像通り響子であるならば、仲間になってくれる可能性もあるの
だ。
 
 「まあ、いいわ。では、私があなたを助けたとしましょう。だとしたら、桃子はどうするつもりな
の?」
 
 「話し合いたいんです。あたしには響子さんを傷付けるなんてできません。ちゃんと話し合え
ば、きっと仲良くできる方法が見つかるはずだと思うんです」
 
 こびりついていた響子の笑みが剥がれ落ちる。
 急に真面目な顔に戻った妖艶な美女は、俯いたまま黙り込んだ。その流れる黒髪を、祈るよ
うな気持ちで桃子は見詰める。
 
 「やっぱり、ね」
 
 鈴のように響く響子の声が、美しい少女の耳朶を打つ。
 ゆっくりと顔をあげた妖かしの薔薇が、無表情で言い放つ。
 
 「恐れていた通り、どうしようもない甘ちゃんね、桃子。ちょっとお仕置きが必要のようね」
 
 不意に右手を突き出す、蜘蛛の化身。
 元より闘うことを放棄した美貌の天使を、いとも容易く妖糸は捕獲した。四肢と首に巻きつい
た透明な糸は、あっという間に桃子を大の字に縛り上げ、空中に吊り上げる。
 
 「ぐううッッ?!! あああああッッ・・・」
 
 「あなたが傷つけられないというなら、私が一方的に痛ぶるだけよ、桃子」
 
 ギュウウウウウウ・・・・・
 何の容赦もなく、囚われの超能力少女を妖糸が締めつける。凄まじい勢いで四肢が引っ張ら
れ、麗しい瞳が恐怖と苦痛に開かれていく。
 
 「あッッ!! あああッッ・・・きょッ、響子・・・さん・・・・・ッッッ!!」
 
 「私と闘えないというのなら、闘えるようにしてあげるわ。ちゃんと憎めるよう、しっかりと破壊
してあげる」
 
 ボキンッッ!! ボコンッッ!! ボゴッッ!! ベキンッッ!!
 
 四つの破壊音が響き、両肩と股関節、四肢を支える関節が脱臼したことを知らせる。
 一斉に骨格を破壊され、炎の槍を4本、突き刺されたごとき激痛に、桃子の可憐な声は、怪
鳥のような絶叫を迸った。
 破れた咽喉から吐き出された血の飛沫が一滴、高校生らしい甘い幻想に散った磔少女の足
元に、ポトリと沁みをつくった。
 
 
 
 「ふへええッッ・・・かはあッッ・・・・・・はびゅううぅぅッッ!!」
 
 すでにその哀れな獲物が嬌声を叫び始めてから、10分が経とうとしていた。
 目には見えない魔の糸に縛り上げられた桜宮桃子は、脱臼した四肢をさらに引っ張られると
いう地獄に落とされながら、妖艶な悪女の手慣れた手淫によって悦楽の魔界に引き摺り込ま
れていた。
 宙吊りで大の字に磔られた身体を、背後から片倉響子が抱き締めている。右手は右の乳房
を、左手は股間の秘裂を。タンクトップとパンツの上から擦られ、引っ張られ、こねられて、いい
ように喘がせられている。執拗な愛撫は、この10分間、ずっと続けられていた。
 
 「ひゃううぅぅ・・・・きょ、響子さん・・・お、お願い・・・・・・もうやめ・・・くはああッッ?! ・・・
あ・・・ああぁ・・・・・・お、おかしくなって・・・・・・ひゃはああッッ?!!」
 
 切ないまでの哀願は、漆黒の髪をなびかせる赤い魔女には届かない。
 凍てつく視線もそのままに、無言で響子は、小ぶりな乳房をふもとから撫で上げていく。くすぐ
るように、からかうように、ソフトタッチで円を描いた刺激が、頂点の蕾めがけて駆け登る。そよ
ぐ夏風にも感じてしまうようになった桃子の青い果実は、執拗で粘着質な愛撫に弄ばれ、狂っ
たような官能のさざなみを無垢な少女に送り続けてくる。頂点まで辿りついた指先は、クリクリ
と屹立した小豆をこね回し、トドメとばかりに桃子を最高潮の刺激で責め苛む。乳首を右に、左
にこねられるたびに、可愛らしさと美しさを兼ね備えた美少女の顔は痛み以外の感覚で歪み、
頬は甘酸っぱく染まり、悶えるような吐息が搾り出される。そして、ひととおり乳房を責め抜い
たあと、細い指先は再びふもとから少女の劣情を吸い上げていく。そんな悦楽地獄が輪廻の
ごとく繰り返されていた。
 
 「響子さッッ・・・・・・お願いッッ、やめッッ・・・あはァッ!! ・・・くああぁぁ・・・・・・なんでこんな
ッッ・・・・・・はああんんッッ!!」
 
 「救いようのないコ。まだ、闘えないというの? これほどの恥辱を味合わされているというの
に」
 
 薔薇の棘に似た目つきで、響子は今にも壊れそうな、大の字に磔された小さな背中を睨む。
 お仕置きとばかりに右の乳房を変形するまで容赦なく握り潰す。悲鳴すら可愛らしい桃子の
声が、「ひぎいッッ!!」と哀れな苦鳴を漏らす。構わず響子の左手が、激しく股間を摩擦する
と、クチュクチュという淫靡な囁きが聞こえ始めた。よく見れば、真っ白なホットパンツには透明
な沁みが広がっている。その濡れ具合を見れば、沁みができたのは随分先であったことはひ
とめで知れる。
 
 「効くでしょう、私の媚薬は? わずか10分の間に3度もイカされて、正義の守護天使さんと
しては、このうえない屈辱よね」
 
 怒涛となって押し寄せるピンクの衝動に脳髄を揺さぶられつつ、陶然とした桃子の視界の隅
には、足もとの空になった注射器が3つ、入ってくる。そのうちのひとつが媚薬であったことはも
はや歴然としていたが、次々と天才生物学者自慢の秘薬を打ち込まれた少女の肉体は、激痛
と悦楽と不快と辛苦で、ヘドロのように汚濁されきっていた。高熱、吐き気、頭痛、脱臼の痛
み・・・あらゆる負の要素が、美少女の肉体を蝕んでいるのに、快楽だけがその隙を突いて襲
ってくる。元々が普通の少女に過ぎない桃子が耐えるには、その拷問は過酷に過ぎた。
 
 「どう桃子?! これでも?! まだ闘えない?!」
 
 愛撫が激しさを増す。小さな胸の隆起がぐにゃりと潰され、秘裂が切られるように擦り上げら
れる。薬でドロドロに溶かされた美少女の身体を、更なる追撃が破壊していく。
 
 「はあうッッ!! ひやあぁッッ!! や、やめッッ・・・ふはあッッ!! ・・・たッ、助けッ・・・く
ふうッッ!!」
 
 「ならば狂い死になさい、桃子」
 
 「はびゃああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ―――ッッッ!!!!」
 
 右胸の頂点と秘裂の上にある蕾。
 ふたつの最も敏感な箇所が、華麗な指先によってめちゃくちゃに弄られまくる。
 
 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッ〜〜〜ッッッ!!!!」
 
 無惨な美少女の悲痛な叫びが夏空に溶けていく。
 もはやその行為は、陵辱というよりは破壊に近かった。
 毒によりドス黒く汚された体を、官能の熱壷に突き落とす。極彩色の黒と桃色に染め上げら
れた美貌の超能力少女が、暗黒の闇に飲み込まれていく。
 
 “うあああああッッッ―――ッッッ、やめてぇぇッッ――ッッ、助けてぇぇッッッ〜〜〜ッッ
ッ!!!”
 
 ぷっしゅうううううッッッ・・・・・・
 磔少女の股間から、液体が噴出する音が響き渡る。
 潮を吹かされてなお、桃子への陵辱は止むことを知らない。
 妖糸に縛られた肢体が反りあがる。ビクビクと震える指先。虚空をみつめる潤んだ瞳。パク
パクと開閉する唇。名前通りに染めあがった柔肌。タンクトップ越しにもわかる硬直した蕾。淫
水を溢れさせる蜜園。全てが美しき天使の惨めな敗北を教えてくる。
 
 「あ゛・あ゛・あ゛・あ゛・あ゛・あ゛・あ゛・あ゛ッッ!!!」
 
 “あたしッッ!! あたしッッ――ッッッ!!!”
 
 「首を引き千切ってあげるわ」
 
 メシイッッ!! ギュウウウウウッッッ!!! メシメシミチッッ!!
 
 細い首に巻きついた魔の糸が、一気に締め上げ上昇する。比類なき美貌が持ち上げられ、
頚骨と首の皮膚とが、ゴキゴキ、ブチブチと不気味な音をたてて、超能力少女の頭を身体から
引き抜いていく。
 
 バチンッッッ!!!!!
 
 破裂音が響き、何かが引き裂かれた。
 ボトリと、乾いた地面が音をあげる。
 
 「桃子・・・・・・」
 
 無意識に呟く、残酷な蜘蛛女の視線の先――
 空中から解き放たれた桃子の肉体が、ごろごろと転がり3m離れた大地で四つん這いに構え
る。
 脱臼した四肢で、懸命に小さな身体を支えた少女の首は・・・繋がっていた。
 ピアノ線より細く、鋼より強い妖糸に絞めつけられ、ボトボトと鮮血を首筋から零しながらも、
桃子の美貌は切り落とされてはいなかった。
 切り落とされたのは、首ではなく、糸の方。
 
 「ようやく“その気”になったようね」
 
 ハーフを思わせる彫りの深い美女が、薄笑いを浮かべる。
 低い位置から響子を見上げる美少女の瞳には、春の陽だまりに似た優しさが消え、冬の荒
波を想起させる厳しさがギラついている。
 怒り。
 いや、正確には、それは怒りとは呼べない代物だった。
 少女の生存本能が導き出した、生き抜くための闘争心。
 遠慮の欠片もない眼光が、敵と認識した響子を必殺の気迫を込めて射抜いている。
 心優しきミス藤村ではない、エスパー戦士・桜宮桃子の覚醒。
 
 「そうそう、それでいいの・・・ぷおッッッ!!!」
 
 狙撃でもされたように、響子の顔面が後方に弾かれる。
 よろよろと後退さる赤いスーツ。両手で押さえた顔が、ブルブルと震えている。
 怒りと痛みに震える両手が、ゆっくりと西洋風の美貌から引き剥がされる。
 片倉響子の顔半分は、噴き出した鼻血で紅に染まっていた。
 
 「今度は・・・首を折りますよ」
 
 残酷な台詞を吐いたのは、間違いなく桜宮桃子の口だった。
 言葉の内容よりも、そこに含まれた本気の闘志に、誰もが戦慄を禁じえないだろうに、相対
する冷酷な女教師はまたもや微笑んでみせた。
 
 「私の顔を傷つけるなんて・・・やるじゃない、桃子」
 
 「響子さん・・・あたしは本気です・・・・・・そんなに闘いたいんなら、全力出しますよ・・・」
 
 「殺されかけて、ようやく本気になったわけね。でも・・・」
 
 自らの血に染まりながら、妖艶な美女は毒々しいまでに笑った。
 
 「少し遅すぎたみたい」
 
 ゴボオオオオオッッッ!!!
 
 バケツをぶちまけたような大量の鮮血が、桃子の唇を割ってでる。
 ベチャベチャと音をたてて地面を叩く、緋色の雨。ぐらりとエスパー少女の身体が傾き、白目
を剥いた惨敗の天使は、自ら臓腑ごと搾り出したような吐血の海に沈んでいく。
 バチャリ・・・純白の衣装を深紅に染め上げ、文字通り血祭りにされた桜宮桃子は、微動だに
することなく女教師の足元にひれ伏した。
 
 「その小さな身体では、私の毒に耐えるのも、もう限界でしょう」
 
 妖糸に捕らえられた桃子が、注射器で毒を注入された時点で、この闘いは終わっていたの
だ。
 赤いハイヒールが、茶髪のセミロングの後頭部をゴツと踏みにじる。俯いたままの少女から
は、なんの反応も返ってこなかった。
 
 「今日の主役はあなたじゃないわ。あなたには、いいエサになってもらいましょう」
 
 返事することのない超能力少女に、するすると極細の妖糸が絡みついていった――
 
 
 
 「ぶしゅしゅしゅしゅッッ――ッッ!! おらアッ、どうしたフジキナナエ! 抵抗してみろよォ
ッ!!」
 
 「奴隷になることを誓って、一生ウチらに跪くんだなァーッ! ふしゅしゅしゅしゅッッ――ッ
ッ!!」
 
 両側の耳元で怒鳴りつけられ、顔をしかませた七菜江は、悔しさに強く唇を噛んだ。
 双子の巨漢姉妹に背後から抱き締められた肉体は、宙に浮きそうなほどに加虐され続けて
いた。
 青のセーラー服が捲り上げられ、一本づつ下から滑り込んできた姉妹の腕が、メロンのよう
な胸の果実を乱暴に揉みしだく。感じさせることなど、全く念頭にない、七菜江を苦しめるのが
目的の愛撫。潰され、捻られ、引っ張られ・・・痛み以上に己の胸をモノのように扱われる屈辱
が、純粋な少女の瞳に涙を浮ばせる。右腕は折れてはいないようだが、痺れる激痛を休みなく
送り続け、ぐったりと垂れたまま動かない。金髪の金属バットは無秩序に腹部を抉り、股間に
潜り込んだ坊主頭は、水色のショーツの上から淡い茂みを一心不乱に舐め上げている。統一
感のない、蹂躙と陵辱。それらは致命的なダメージを七菜江に与えない代わりに、自由に嬲っ
ていることを少女に植え付け、七菜江の屈辱と敗北感を、色濃く自覚させることに成功してい
た。
 
 “こ、こんなヤツら・・・人質さえなきゃイッパツなのに・・・悔しい・・・悔しいよォ・・・”
 
 細まった瞳に涙が溜まる。腸が煮え繰り返るほどに苛立たしい連中にいいように遊ばれる現
実。香という人質を取られ、手も足もでない不甲斐ない自分。死闘に次ぐ死闘で悲鳴をあげ始
めた肉体。『エデン』の力を得て、無敵と思っていた自分のあまりに情けない有様に、悔しくて
切なくて、不覚にも感情が込み上げてきてしまう。
 拘束はされていないのに、反抗することなく敵の蹂躙を黙って受けつづける超少女。
 巨大な男女4人に囲まれ、嬲られるままの七菜江の姿は、野獣に貪り尽くされる小動物のよ
うに哀れに映る。
 
 「どうだ、かなりくたばってきたようだな」
 
 「ふしゅしゅ、身体が熱くなってきたんじゃないか? このままイカせるのも楽しいかもな」
 
 半開きの口から、トロトロと透明な涎が流れ落ちる。
 テクニックもくそもない乱暴な愛撫でも、長時間に渡って股間と胸を責められて、身体の芯が
火照ってきているのは確かだった。試合で体力を消耗し、リンチで肉体を破壊された今、精力
すら搾られる行為は七菜江には効いた。
 
 「好きに・・・しろ・・・・・・でも、香先輩に手を出したら・・・許さない・・・・・・から・・・」
 
 荒い息を吐きながら、それだけの台詞を七菜江は搾り出す。潤んだ瞳に、闘志はまだ失わ
れていない。
 
 「ごめんね、ナナ、ごめんね・・・」
 
 ナイフを首筋に当てられた柴崎香が、泣き崩れながら言う。ウェーブのかかった長い髪の向
こうで、俯く美貌が見え隠れする。
 
 「そろそろトドメといこうかい」
 
 カズマイヤー姉妹の姉サリーの言葉を合図に、柔道家のスキンヘッド倉田と、野球界をドロッ
プアウトした金髪コージが、処刑場と化した体育倉庫内に新たな舞台を作っていく。
 鉄製のバレーの支柱を床に敷き詰め、その隣に跳び箱を積み上げる。その様子を、カズマ
イヤー姉妹にぎゅうぎゅうと豊満な乳房を揉みしだかれながら、呆けた表情で七菜江は見詰め
る。青いセーラーの下で激しく手が蠢くたびに、覚束ない足取りがふらふらと揺れる。反撃を禁
じられた超少女は、己の処刑場ができていくのを、宿敵に弄ばれながら見ることしかできない。
 
 「倉田、思いっきりやってやりな」
 
 獲物を坊主頭に手渡しする巨肉姉妹。
 その瞬間、七菜江の肢体は宙を舞い、一本背負いで叩きつけられた。
 バレーの支柱が敷き詰められた、デコボコの鋼鉄製の床へと。
 
 「ッッッ―――ッッ!!!」
 
 引き攣った呻き声が白い咽喉の奥から洩れる。
 弓なりに反り曲がる少女の背中。高速で背骨から後頭部までを鋼鉄に打ち据えられた七菜
江の苦痛は、察するにあまりある。激痛の海に沈むように、悶絶していたセーラー服が、ぐった
りと支柱の床に落ちていく。
 
 「あああァァ〜〜・・・うあァァ・・・・アアアぁぁ〜〜・・・」
 
 か細い呻きが断続的に少女戦士の唇から洩れる。
 霞む視界の先に、七菜江は跳び箱の最上段に昇った、肉の詰まった巨大風船の姿を確認し
た。
 即座に、超少女は己に降りかかる次なる仕打ちを悟っていた。
 
 「さて、ミンチになる時間が来たみたいだね、ナナエ」
 
 2mはある高さから、120kg近い巨体を浴びせ掛けるというのか。
 しかも、デコボコの鋼鉄の床に寝た、158cmの少女に。
 健気に耐え続けてきた七菜江の顔が歪む。さすがの「エデン」の融合者といえど、無事に済
むわけがない。恐怖に眉が曇るのを、不屈の戦士も抑えることができなかった。
 
 「くッ・・・」
 
 「逃げたいのなら、逃げてもいいんだよ、ナナエ。その代わり、あんたの先輩は・・・」
 
 「ごめんなさい、ごめんなさい、ナナ・・・」
 
 柴崎香の泣きじゃくる声だけが響いてくる。ただ、繰り返し謝るだけのその声は、暗に七菜江
に犠牲になることを強いていた。
 
 「・・・わかった・・・」
 
 「ぶしゅしゅしゅしゅ! どうやら覚悟を決めたようだね!」
 
 「気の済むまで・・・やったらいいよ・・・・・・香先輩、安心してください・・・こいつらのリンチ
は・・・あたしが全部、受けるから・・・・・・」
 
 「いい心掛けだ、ナナエ! 望み通り壊してやるよ!」
 
 高らかな嘲笑とともに、118kgの肉弾が降下する。
 全体重を浴びせた、フライング・ボディプレス。
 暴虐の魔の手に、自ら引き裂かれることを選んだ超少女のたわわな肉体を、重爆と鋼鉄の
サンドイッチが押し潰す。
 
 グワッシャアアアアアア・・・・・・ッッッ!!!
 
 壮絶な、破壊音。
 骨が軋み、若い肉が潰され、柔らかな肌が切り裂かれる。
 サリーの巨体に全て隠れてしまった、下敷きの七菜江。唯一覗く右手が、ビクビクと痙攣し、
圧殺された少女の無惨を教える。
 ゆっくりと立ち上がる、サリー。
 
 ビクビクビクビクビクビクビクビク!!!!!
 
 内臓を、骨格を、筋肉を、細胞を、神経を、皮膚を、あらゆるものを圧搾されてしまった哀れ
な子猫が、いびつに歪んだ全身を震えさせて、そこにはいた。
 開け開いた口と小さな鼻腔から、べっとりとした粘着質な血塊が、ドロドロと流れ落ちていく。
 
 「ぶしゅしゅしゅしゅッッ―――ッッッ!! ざまあないね、ナナエ!」
 
 心底嬉しげな哄笑が、無残に横たわる少女を包み込む。
 健気なまでに犠牲となった少女を、冒涜するように、いつまでも笑いは途切れない。痙攣する
七菜江に、滝のごとく浴びせられる。
 
 「なにがファントムガール・ナナだ! 全く手応えのないヤツだよ」
 
 「正義の味方かなんか知らないが、ウチらに歯向かったら、こういう目に遭うのさ! 二度と
ハンドができないよう、骨をバラバラに砕いてやる!」
 
 妹のビッキーが、跳び箱の最上段に現れる。
 横臥したままのアスリート少女に、更なる爆撃を落とすつもりなのは、誰の目にも明らかだっ
た。
 生来の生命力の高さに加えて、「エデン」によって飛躍的に上がった耐性。藤木七菜江のタフ
さは、5人のファントムガールのうちでも飛び抜けていたが、それでも鋼鉄の上で2発も重爆を
受けてしまえば、骨ごと粉砕されてしまうかもしれない。
 軽やかに宙を舞う巨体。躊躇なく跳び箱を蹴った肉弾が、大の字で降下していく。
 圧殺すべき肢体は、なかった。
 失神していたはずの標的が掻き消え、目標を失った肉爆は、予想外の事態に受け身を取る
ことすらままならず、そのままの姿勢で支柱の山に激突する。凄まじい衝突音が、埃とともに舞
い上がり、肉の塊は鉄棒の山に埋没した。
 
 「なッ?! なんだとッ!!」
 
 肉親の心配より先に、サリーの脳裏を支配したのは、恐怖にも似た驚愕だった。
 瀕死のはずの七菜江が、立っている。
 度重なる拷問の挙句、必殺の重爆さえまともに食らった小柄な少女が、ボロボロの肉体を支
えて立ち上がっている。
 それだけでも十分に驚きだが、とっくに闘うことを放棄したはずの七菜江が、なぜビッキーの
肉弾を避けたのか? しかもその澄んだ視線に、裂帛の気合いを込めながら。
 
 「てッ・・・てめえッ!」
 
 元水泳部のパンチパーマ・ケータが鋭いナイフを香の首に突きつける。水泳部の厳しい練習
から逃げ出して以来、使い始めた愛着のある武器。突然反撃を始めた少女を服従させるべ
く、禍禍しい光が射し込む陽光を撥ね返す。
 だが、自慢の武器を、使うチャンスはなかった。
 一瞬。まさに一瞬。
 5mほどの距離を、一気に縮めた七菜江のダッシュ。
 加速をそのまま力にしたスポーツ少女の左拳が、パンチパーマの顔面にめり込む。その場
に崩れるケータの意識は、七菜江の全力の一撃により吹っ飛んでいた。
 
 「ナッ、ナナエッッ〜〜ッッ!! てめえ、どういうつもりだ! 柴崎香がどうなってもいいのか
よ?!」
 
 吼えるサリーに振り返る超少女。茫然と佇む香を背中でかくまい、色めきたつ残り4人の敵
に、今までの疲労ぶりが嘘のような猛々しさで睨みつける。
 
 「あたしがファントムガール・ナナってことを知ってるなんて・・・お前たち、ミュータントね!」
 
 肩で大きく息をする七菜江。ダメージの深さは誤魔化せないが、全力で闘うことのできる好機
の到来に、最後のひと搾りの力が開放されていく。
 
 「道理で一発一発効くと思った・・・人間だと思ってたから我慢してたけど、ミュータントなら話
は別よ! この場で滅ぼしてやる!」
 
 忌々しい小娘を破壊する喜び、恥辱を味合わされた復讐を晴らす快感に酔いしれた、嗜虐
者たちの慢心が、正義の少女を復活させた。
 なにげに漏らしていた、七菜江=ファントムガール・ナナであることの見識。
 その秘密が知る者が、どういう者か・・・大切なポイントを忘れて、肉弾姉妹は躊躇なく七菜江
をナナと同一視して話した。もはや反撃などありえないと過信して。
 その瞬間、「エデン」を飼う少女は、戦闘者としての全力を解放したのだ。
 
 いくら悪党とはいえ、人間を滅ぼすことは七菜江にはできない。だが、ミュータントなら違う。
今後の香の安全を心配する必要などなくなる、なぜなら、ここで倒してしまえばいいのだから―
――
 むくりと、鋼鉄の支柱に自爆したビッキーが起き上がる。117kgの巨体で、鋼鉄の山に飛び
込んでいったのだ。普通の人間に耐えられる衝撃でないことは、もろに爆撃を浴びた七菜江に
はよくわかる。それがなにごともなかったように立ってくるということは、ビッキーが七菜江と同
じ、「エデン」の寄生者であることを如実に示していた。
 
 「死に損ないが・・・今更なにができるってんだ・・・」
 
 「たとえ身体がボロボロでも・・・体力がなくっても・・・たくさんで襲ってきても・・・お前らみたい
な汚いヤツらに負けるもんかぁ! 正義は負けないッッ!!」
 
 圧倒的不利な状況であることは、誰よりも七菜江自身がよくわかっていた。一歩進むごとに
激痛が全身を襲い、酷使した心肺機能は一呼吸ごとに疼く。だが、それでも少女は滾ってい
た。卑劣な手段を使い続ける相手を、叩きのめさねば気が済まない戦士がそこにはいた。
 4人の悪鬼が半円状に孤独な少女戦士を囲む。血走った眼を向ける巨漢姉妹と、小山のよ
うな柔道家と、金属バットを構えた男。じりじりと迫る敵の包囲に鋭い眼光を飛ばしながら、救
出した香を庇いつつ、七菜江の内側で闘志が燃え上がっていく。
 
 “『エデン』を持っているのは、力の感じでいくとカズマイヤー姉妹だけ・・・多分、あのムカつく
蜘蛛女あたりに、あたしへの恨みを利用されてミュータントになったんだ。世界を守るために
も、下らない欲望に負けたヤツらになんか、負けられない!”
 
 「さぁ、かかってこい! なんならトランスフォームしてもいいんだよ! 幸い、近くにひとは少
ないんだから」
 
 「な、ナナ・・・あなた一体・・・・・・?」
 
 背後から、香の戸惑った声が尋ねてくる。
 
 「香先輩・・・ごめんなさい、巻き添えにしちゃって・・・こいつらの狙いはあたしなんです。あた
しとこいつらは、闘わなきゃいけない運命なんです」
 
 「ど、どういうことなの? それにあなたがファントムガール・ナナって・・・一体なんの話な
の?」
 
 「それは・・・あとでちゃんと話します。今言えるのは、こいつらはもう、普通の人間じゃないっ
てことと、なんとしてでもここで倒さなきゃならないってことです」
 
 「・・・そう、人間じゃないの・・・」
 
 突然変容した香の口調が、七菜江の背筋を凍りつかせる。
 静かな、けれど深い深い激情が染み渡った声。
 それまでの脅えが消え、憎悪と恩讐、そして嫉妬が入り混じった黒い感情をその声に感じ、
思わず七菜江は後ろを振り返った。
 
 ズプ・・・・・・・
 
 “――?!!―――”
 
 右脇腹を襲う、鋭い痛み。
 続けざまに流れてくる、溶岩を注がれたかのような熱さに、豊満な肢体はビクリと仰け反っ
た。
 
 「か・・・香せん・・・ぱい・・・?!!・・・・」
 
 守っているはずの人質の右手が、槍の先みたいに変形し、深深と己の脇腹に突き刺さって
いるのを見ても、七菜江は自分に起こっている出来事を理解することができなかった。
 
 「これ・・・は・・・・・・一体・・・・・・??!・・・・・・」
 
 ぐりぐりと肉を抉りながら埋まっていく右手の槍に、手を伸ばす被虐の少女。ドクンッッと変形
した右手が脈打ち、注入した黄色の毒が、獲物の抵抗を防ぐ。
 
 「人間じゃない、か・・・じゃああんたも同じだね、ファントムガール・ナナ・・・」
 
 俯いたまま、ウェーブのかかった長い髪の向こうで、肩を震わせながら柴崎香は言った。抑
揚のない声。だが、秘められた憤怒と歓喜が、次の瞬間爆発する。
 
 「アハッ、アーッハッハッハッハッハッ!! 騙されやがって、バカな女だよォ、七菜江ッ! て
めえはぐちゃぐちゃにブチ殺してやるからなアッ!!」
 
 哄笑の嵐が、裏切りに自失する超少女を包み込む。香が肩を震わせていたのは、泣いてい
たのではない、笑っていたのだ。泣き崩れるフリをして、ずっとこの女は、七菜江がリンチされ
るのをほくそ笑んで眺めていたのだ。
 この瞬間、ようやく七菜江は、身を挺して守っていた先輩こそが、この処刑の主犯であったこ
とを悟った。
 
 「う、嘘・・・そんな・・・嘘ですよね、香先輩・・・・・・」
 
 ひたむきに信じる後輩の瞳が、一気に苦悶に歪む。
 ひとを疑うことを知らない少女への返答は、灼熱に燃える鉄を流したような毒の注入だった。
 
 「藤木七菜江の弱点その2。簡単に騙される単純さ。片倉響子の言ったことは本当だった
わ。こうもあっさり罠にかかってくれると、楽しいったらありゃしない」
 
 香が出した女の名前が、七菜江にこの現実が本当であることを教えた。
 片倉響子・・・なぜか七菜江を目の敵にしてくるあの女が、バックにいたからこそ、ここまで完
璧な七菜江抹殺計画が実行されたのだろう。恐らく、試合前の吼介に対する香のアプローチ
から、全ては七菜江を倒すための作戦だったに違いない。身も心もズタズタにされた今、よう
やく少女戦士は、己に仕掛けられた恐るべき包囲網の完成に気付く。
 
 「な・・・なんで先輩・・・が・・・・・・?・・・」
 
 「わからねえのかッ?! てめえにレギュラー奪われて、恥掻かされて・・・おまけに校内の人
気投票じゃあ、お前の方が私より上だなんてッ! 許せない・・・殺しても許せないッッ!!」
 
 ドクンッ! ドクンッ!
 さらに毒が二度、怒りに任せて打ち込まれる。その度に、大きく反りかえる肉感的な身体。
 獲物の身体を蹴って、無理矢理埋まった右手を引き抜く香。突き飛ばされた格好の七菜江
が、よろよろと5人に増えた敵の真ん中に突っ伏して倒れる。
 
 「に・・・人気・・・投票?? ・・・そんなつまらないことで・・・・・・」
 
 汗と埃で黒ずんだセーラー服の戦士。
 全身の痛みを抱き締めながら、ゆっくりと傷だらけのヒロインは立ち上がる。
 
 「つまらないだとッ?! この私があんたみたいなガキに負けて、どれだけ傷付いたかわかっ
てんのかッ?!」
 
 狂ったように叫ぶ香。整った美貌は、嫉妬に満ちた本性を剥き出したいまや、般若のごとき
に変貌していた。
 
 「お前は私のプライドを粉々にしたんだ! 殺してやるッ! お前を殺すのが、私の一番の楽
しみなんだよッ!!」
 
 「エデン」に関する説明が、七菜江の脳裏に蘇る。
 寄生した人物の精神状態によって、大きく変身後の姿を変えるという「エデン」。その宇宙生
命体は、融合者の精神をより特化・強調させていくという。
 正義感の強い者は、正義の使者へ。暴力を好む者は、残虐な破壊者へ。
 そして七菜江に恨みを持つ者は、七菜江への復讐鬼へと――
 
 「死ねッ! 七菜江、死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
 
 内股気味に立ち上がった超少女。右腕を押さえ、小刻みに震えながら痛みに耐える小柄な
少女が、ゆっくりと顔をあげる。
 柔らかなショートカットの下。
 憎悪に狂った般若が、真正面からその顔を覗きこみ、思わず息を呑む。
 
 泣いていた。
 ギュッと唇を噛み締め、なにかを覚悟した七菜江の頬を、とめどなく大粒の涙が流れ落ちる。
 凛々しく、儚く、鮮烈―――
 裏切られた哀しみか、あるいは怒りか・・・そのどちらでもない、真っ直ぐな戦士の顔になった
七菜江が、囁くように呟く。
 
 「わかった、香先輩」
 
 次の瞬間、少女は吼えた。
 自分を罠に掛けた卑劣な敵をキッと睨みつけ、溢れる涙を振り千切って、正義の守護者は宣
言した。
 
 「ミュータント、柴崎香ッ!! お前はこのあたしが倒してやるッッ!! たとえこの身が朽ち
果てても、このファントムガール・ナナがッ!!」
 
 背後から、金属バットを振りかぶった金髪と、拳を振り上げたスキンヘッドとが、一斉にボロ
ボロの少女戦士へと殺到した――
 
 
 
 時計の針は、5時を回ろうかとしていた。
 夏の太陽はまだ高く、西の空に傾いていることを除けば、ほとんど昼間と変わらない情景が、
世界に広がっている。だが、あと数十分もすれば、鮮やかなオレンジ色が訪れることを、人々
は経験から知っていた。
 すっかりひとの気配が絶えた物寂しい大地。地方体育館の建物の間を、霧澤夕子の赤髪が
なびいている。
 時々陽光を、銀の首輪が反射する。彼女は10分ほど前からずっと走り続けていた。
 
 “嫌な予感がするわ・・・桃子、あなたもしや・・・”
 
 桃子に先を越されてから、2分と経たないうちに夕子の我慢は限界を迎えた。
 いくら待っても現れない七菜江、片倉響子をひとり追っていった桃子・・・天才と呼ばれる少女
の分析結果は、何度やっても良い答えを出してはくれなかった。同じように落ちつかない様子
の工藤吼介に七菜江を迎えに行かせ、自分は桃子を探しに奔走した。
 二手に分かれるのは、一見すると状況を不利にしそうだが、吼介と別行動になったのは、な
により有り難い幸運だった。必然的に分かれることに成功した夕子にとって、桃子を援護する
と同時に、遠慮なく闘えるチャンスが到来していた。
 
 建物の角を曲がる。裏側といっていい、閑静な空間に突入する夕子。
 曲がった瞬間、その光景は飛び込んできた。
 
 真っ赤な少女が吊るされている。
 頑丈そうな潅木をバックに、白のタンクトップ、ジャケット、パンツを己の血で染めた桜宮桃子
が、5mほどの高さで空中に浮かんでいる。
 長い睫毛を閉じたまま、ぐったりと蓑虫のように吊り下がった美少女が、目に見えない極細の
糸でがんじがらめに縛られているのは、思わず立ち止まった夕子にはすぐにわかった。
 ボトボトと、足元に落ちていく血の雫。
 外傷はほとんどないようだが、深紅に染まった口腔が、流れる血のほとんどが口から吐き出
されたものであることを物語る。
 木から7,8mほど離れた場所に佇む妖艶な美女が、腕組みをしながら、現れた夕子に視線
を送る。
 
 「片倉響子・・・」
 
 ぽつりと呟いたクールな少女は、薔薇の香漂う視線を睨み返しながら、ゆっくりと歩を進め始
めた。
 
 「久しぶりね、聖愛学院が誇る、天才少女さん。こんなところで遊んでいて、研究ははかどっ
ているのかしら?」
 
 「下らない挑発だわ」
 
 顔色ひとつ変えずに、夕子は歩み続ける。
 桃子を吊るした木と、響子と、夕子。ほぼ正三角形になる位置で、Tシャツ姿の少女は止ま
る。
 
 「フフ、凄い眼で睨むのね。そんなに私を倒したいの?」
 
 「あんたに引き抜かれた左足の痛み、忘れていないから」
 
 敢えて桃子の仇を理由にしないのが、照れ屋の夕子らしいといえた。
 真正面から響子を見据えながらも、相対する少女の意識は惨状を晒す友にあることを見抜
いて、頭脳の回転には大きな自信を持つ天才生物学者は言う。
 
 「安心しなさい、殺していないわ。ただ、たっぷりと特製の毒をうってあげたから、一刻も早くお
家に連れて帰るのがいいと思うけど」
 
 赤いルージュをかすかに吊り上げ、余裕を振り撒く妖女の言葉を、夕子は正確に理解してい
た。
 微動だにしない桃子の様子から、毒を打たれているのは間違いない。
 問題は普通なら病院に連れて行くところだが、「エデン」を宿した桃子を普通の医者には診せ
られないということだった。仮に診せても、響子の毒を解毒する方法など持っていないだろう。
 この場合、瀕死の桃子を連れて行く場所、それは彼女が居候している五十嵐家以外には有
り得ない。
 過去、七菜江やユリの毒を取り去ったように、五十嵐家の地下設備でなら、桃子を救うことが
できる。
 桃子を一刻も早く五十嵐家に連れて行く・・・それはつまり、響子との闘いを放棄するのと同
意だった。この深慮遠謀の塊のような女教師は、ふたりの少女戦士を相手どって、悠々と生還
する策を見事に講じていたのだ。
 
 「早く行かないと、お友達が死んじゃうわよ。生きるか死ぬか、ギリギリの量まで毒を注入した
から」
 
 嘲るような、響子の台詞。
 無論、短時間なら闘うこともできる。だが、メフェレスの参謀格として、知略・実力ともに優れ
たこの相手を、その短い時間で倒すのがいかに困難であるかを、夕子は知り抜いていた。彼
女の冷静さは、ここで闇雲に突入してしまう七菜江のような無謀を許さない。
 
 「チッ」
 
 小さく舌打ちするや、鮮烈な赤髪が、稲妻となって潅木にダッシュする。
 毒に侵された優しき天使を、一刻も早く救出し、治療を受けさせる――今すべき最善の行動
を、当たり前のように夕子は取った、と思われた。
 
 黒いTシャツ姿が跳躍する。
 サイボーグ化した左足が、尋常でない踏み切りの力を生み、2m近い大ジャンプを敢行させ
る。
 手刀を振る夕子。
 バサリ、という音とともに落ちたのは、桃子を緊縛する糸ではなく、彼女を吊るしているのと
は、別の枝。
 若若しい緑をいっぱいにつけたその枝が落ちると同時、眼に見えない妖糸が、パラパラと力
無く地面に落ちていったのを、諦めることを知らぬサイボーグ少女はどこまで確認できただろう
か―――
 
 「なんですって?!」
 
 普段の余裕ぶりからは想像できない驚きの声をあげた響子に、三角蹴りの要領で、潅木の
幹を蹴った反動を利用した夕子は一気に突進する。
 機械少女が友を救いにいったように見せかけたのは、フェイントだった。
 長い時間闘えないのは百も承知。だが、一瞬の不意打ちで倒してしまえば問題はないこと
に、合理的な考えを得意とする夕子は、すぐに気付いていた。いくら毒を生死の境目までうった
と主張しようと、響子の言葉は夕子にしてみれば説得力がなかった。なぜなら、ここから桃子を
五十嵐邸に運ぶには、どう急いでも1時間はかかるから。1時間放置しても死なないレベルの
毒ならば、1時間が70分、80分ほどになっても決定的な事態は起こらないはずだ・・・それが
夕子が導き出した答えだった。血まみれの仲間に動揺しない、緻密な観察と沈着な判断、そし
て万が一を恐れない勇気ある決断があってこその答えといえよう。
 
 一回。たった一回。
 攻撃を仕掛けることを決めた夕子は、不意打ちをすることへのなんの抵抗もなく、一気に勝
負を賭けたのだった。
 メフェレスの参謀格である響子は、夕子のこの行動を読んでいた。必ず仕掛けてくると。冷徹
とさえいわれ、物事を合理的に考えられる天才少女ならば、一発勝負に賭けるチャンスがある
ことに気付くだろうと。だから、糸を張り巡らせ、獲物がかかるのを待った。
 だが、夕子はそんな響子の思惑すら気付いていたのだ。
 枝を切り落とされた時、悪の知略家は、己の戦略を天才と呼ばれる小娘が上回ったことを悟
った。蜘蛛の巣のごとく待ち構えていた妖糸は、その瞬間、存在意義を失ったのだ。
 
 端正な美少女の左眼が、強烈な白光を放つ。
 暗闇でストロボをたかれるような刺激。戦略面で後塵を拝し、動揺する悪女の瞳を、サイボー
グ少女の隠し技が直撃する。
 
 仰け反る紅のスーツ。ヴィーナスを彷彿とさせる美貌に、機械の馬力を秘めた右腕が、唸り
をあげて殴りかかる。
 
 バッシイイインンンンンッッッ!!!!
 
 タイヤのパンクにも似た破裂音が、暮れかかる夏空に溶けていく。
 渾身の力をこめて放たれた夕子のパンチは、片倉響子の顔面寸前で止められていた。
 圧倒的筋量を誇る、格闘獣の掌によって。
 
 「工藤吼介ッッッ!!!」
 
 驚愕と怒りに満ちた視線を筋張った顔に向けながら、夕子は悪を倒すはずだった拳を止め
た男の名を叫ぶ。
 
 「なぜ止めるのッッッ?!!」
 
 「先生殴るのはマズイだろうが、霧澤夕子」
 
 人類の未来を決めるかもしれない、正義と悪の闘いの一環に関与しているとは思えない悠長
さで、孤高の格闘者は言った。
 
 「控え室に七菜江がいなかったんで、いろいろ探し回ってたんだが・・・まさかこんな場面に出
くわすとは思ってもみなかったぜ」
 
 予想外の妨害にあい、妖女を仕留める好機を失った夕子が、2m後方に飛んで距離を取
る。
 不意打ちの一発勝負だからこそ価値があった攻撃は、失敗に終わってしまった。
 片倉響子に仕掛けることはもうできない。普通に闘うことになれば、桃子を救う時間はなくな
ってしまう。
 
 「工藤吼介・・・あんたは一体・・・」
 
 どことなく甘ったるい声質だが、この夕子の声を聞いて、可愛らしさを感じる者は皆無であろ
う。
 口調には、圧倒的な戦意が篭っている。
 これまで吼介にさんざん見せてきた、怒りや憤りなどとは、似ていつつも全く別の感情。
 高揚する中にも冷静さを残し、覚悟や緊張や悲しみすらも内包したその感情は、吼介を“敵”
と認識しつつあるからこその発現だった。
 
 「工藤、あんた、この女の仲間なの?」
 
 吼介が夕子の拳を止めたのは、彼の言うような理由であるわけがない。
 工藤吼介は片倉響子を守った―――
 夕子の判断では、それが正解。そして、ならば吼介と響子の関係とは・・・
 
 疾風が、巻き起こる。
 筋肉の鎧武者が突進する。夕子に向かって。
 まさしく肉の弾丸。反応すらできず、機械少女は格闘獣に必殺の間合いに踏み込まれてしま
っていた。
 
 ゾクリ
 
 その瞬間、夕子は死を覚悟した。
 約2mあったふたりの間の距離。それは吼介にとって、夕子をスクラップにするにはあまりに
も余裕がある距離だったのだ。
 ドン!! という地を蹴る轟音を残して、筋肉の塊は一瞬で固まったままのサイボーグ少女
の眼前に現れる。無表情の顔。
 殴るか、蹴るか、打つか、砕くか――?
 いずれの攻撃を吼介が選択しても、オモチャのように破壊される己をフラッシュバックで自覚
する少女。
 身体中の穴から冷たい汗が噴き出るのを、夕子はすぐ横を通り過ぎた吼介が、遥か後方に
走り抜けていってから感じた。
 
 背後を振り返る夕子。やっと身体が動く。
 人間の領域を超越したパワーとスピードを持つ男が突進した相手は、夕子ではなかった。
 若葉を茂らせた巨木。血染めの美少女が、縛糸から解放されて大地に落ちてくる。
 頭からまっ逆さまに落下する桜宮桃子の小さな肉体を、駆け寄った最強者が両腕で抱き止
める。
 ドサッという落下音。毒に侵され、息も絶え絶えのエスパー少女が大地に激突する前に、吼
介は見事にキャッチすることに成功したのだ。
 
 「う・・・」
 
 吼介がダッシュしたのは、桃子を救うためとわかった夕子の口から、自然に呻きが洩れる。
 髪の長い女教師の姿は、忽然と消えていた。桃子を捕らえた妖糸を放すのと同時に、逃げて
いったに違いない。捕虜を囮に使った、見事な脱出法であった。
 
 「工藤・・・あんたは・・・・・・」
 
 敵なの? 味方なの?
 継ぎかけた言葉が、夕子の咽喉の奥で詰まる。
 ぐったりとした桃子を両腕で抱きかかえた吼介の左足。太股の部分が、墨汁でもこぼしたよう
に、みるみるうちに黒い沁みが広がっていく。
 
 そういえば・・・夕子は思い出す、この男が怪我をしていたのを。
 あまりに普通にしているので忘れていたが、五十嵐里美が久慈たちの拷問から救出された
次の日、最強と呼ばれる男は左手と左足に包帯をぐるぐるに巻いて現れたと聞いている。七菜
江によれば、決して傷跡を見せようとはしないのでよくわからないが、どうやら鋭いモノで貫か
れたような怪我らしかった。
 デニムを染める黒い沁みは、間違いなく血によるもの。尋常でない出血量を見るに、恐らく、
その貫かれたという傷が、桃子を受け止めた衝撃で開いてしまったに違いなかった。
 
 「ひどい怪我ね」
 
 「大したことはない。それよりも」
 
 再び、夕子の背を冷たいものが走る。
 それほどまでに吼介の声は、普段の彼が見せない真剣みを帯びていた。
 
 「桃子を早く病院へ連れて行くぞ。一刻も早く、だ」
 
 
 
 後方に身をのけ反らした藤木七菜江の鼻先を、金色のバットがかすり過ぎる。
 金属とコンクリートが激しくぶつかり火花を飛ばす。耳障りな高音を発して、床に思いきり叩き
つけられたバットは、強烈な痺れを金髪の男に送った。
 
 「アーッハッハッハッハッ! どうしたんだい、七菜江?! 防戦一方じゃないか。ここで私を
倒すんじゃなかったのかい?!」
 
 柴崎香の嘲笑が、闘いの輪の外から浴びせ掛けられる。
 ひとけの途絶えた体育倉庫の一室。光の少女と、彼女を抹殺するために集まった六人の処
刑者との激突は続いていた。
 七菜江を囲んでいるのは、柔道家の倉田と元野球部コージ、そして元水泳部のケータの3
人。今回の首謀者である香とカズマイヤー姉妹は、遠巻きに傷だらけの少女と3人の不良学
生との闘いを楽しげに眺めている。
 
 「ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・きッ・・・汚いッ・・・・・・ぞォッ・・・ハアッ、ハアッ!」
 
 左手で胸の青いスカーフを掻き毟りながら、高見の見物を決め込む悪女たちを睨むアスリー
ト少女。だが、その鈴の音のような声は、荒い呼吸によって掠れ、聞く者に息苦しさを与えるほ
ど、引き攣っている。
 
 「あたしを・・・ハアッ、ハアッ・・・殺したいならッ・・・ハアッ、ハアッ・・・自分たちで・・・ゼハア
ッ、ハアッ・・・闘えッ・・・ハアッ、ガハアッ・・・」
 
 「アッハッハッ! あんたの残り少ない体力じゃあ、なるべく無駄はさけたいもんねぇ? 挑発
なんかにゃ乗らないよ! そいつら相手に、全部体力を使いきるがいいッ!」
 
 倉田が警棒を持ち、コージは金属バット、ケータはナイフ・・・喋る間にも次々と襲いかかる凶
器を、七菜江はかわす。その足取りは、泥酔者のようにふらふらだ。
 試合では吹き飛ばされ、踏み潰され、右腕を捻られ・・・人質を取られてのリンチでは殴られ、
硬い床に叩きつけられ、バットで腕を砕かれ、肉爆弾に押し潰されたのだ。さらに救うべき相手
だった先輩に騙されて、毒を打ち込まれた少女戦士。いくら七菜江がファントムガールのなか
でも一番のタフネスといえど、暴虐に継ぐ暴虐は、超少女を確実に破滅の道に追い込んでい
る。それだけではない。試合で一度、全ての体力を使い切ったため、短い休息で得たわずかな
エネルギーは、すでに枯れつきようとしていた。肺中の酸素は欠乏し、心臓が破裂寸前で脈打
っている。呼吸困難に陥った苦しみのなか、七菜江の豊満な肉体は立っているだけで痙攣して
いた。
 
 “くッ、苦しいィィィッッ〜〜ッッ!! 息がアッッ・・・息ができないッッ!! 呼吸をッッ!! 
呼吸をさせてッッ!!!”
 
 「はひゅううッッ――ッッ、ゼハアッッ――ッッ、ガハアッッ――ッッ!!」
 
 「藤木七菜江の弱点その3。七菜江は体力の使い方がわからない。複数で連続して闘えば、
すぐに限界を迎える・・・アッハッハッハッ!」
 
 息苦しさのあまり、踊るように悶絶する制服の少女を、背後からナイフが襲う。
 躊躇もためらいもない凶刃の煌きを、天才と呼んで差し支えない戦闘のカンがよけさせる。
必殺を期した一撃をかわされたパンチパーマが、大きくバランスを崩す。
 ナイフを持った右手の手首を七菜江が掴むや、突風を巻いて男の身体が宙を舞う。
 以前、西条ユリにさんざん投げられまくった、合気道に似た柔術の投げ技。関節を極めた投
げ技で、スポーツ少女はパンチパーマを地面に叩きつける。
 肉体的には普通の少年に過ぎない彼は、その一撃で失神した。
 
 ひとりの敵を倒した七菜江。だが、その代償は小さくなかった。
 一瞬、動きの止まった超少女の脇腹に、金属バットが抉り刺さる。
 重い衝動と、肋骨の軋む音。鈍く響く痛みに、あどけない美少女のマスクが一気に歪む。
 さらに柔道家の両手が、青のカラーを鷲掴む。
 十七歳とは思えぬ美しいボディラインを誇る肢体が、弧を描いてコンクリの床に叩きつけられ
る。
 衝撃でバウンドする小柄な肉体。
 巨大な胸の果実が、ぶるるんと揺れる。
 ゴボリと潤んだ唇を割った血塊が、セーラー服と床とを汚す。
 
 横臥するボロボロの天使の顔面に、高速でバットが振り下ろされる。
 誰もが、キュートなマスクをぐちゃぐちゃに破壊された少女戦士の死骸を想像したその時―

 スーパーアスリート・藤木七菜江の能力が全開した。
 
 バットは止まっていた。
 振り下ろした金属の棍棒は、寝転がる少女があげた足の裏で、止められていたのだ。
 なんという、身体能力。バランスの良さ。
 簡単に見えて、奇跡的に高度な防御法に、元球児のコージが驚愕のあまり動きを止める。
 床とセーラーが擦れる音がするや、瞬時に七菜江は立ちあがっていた。 
 コージの記憶はそこで途切れる。
 立ちあがりざま放った七菜江のハイキックは、何が起きたかわからないまま、コージの側頭
部を捕らえ、残忍な不良生徒の意識を根こそぎ刈り取っていた。
 
 慌てた倉田が警棒を振り上げる。
 遅かった。遅すぎた。超アスリート・藤木七菜江と対峙するには。
 少女の左足の横蹴りが、スキンヘッドのどてッ腹を抉る。
 突き刺さる左足。なんと七菜江は、その腹に埋まった左足を足場にして、空中に飛んだ。
 山のように巨大なハゲ男の顎を、余った右足が横薙ぎに払う。
 キレイな形の廻し蹴りを顎に食らった倉田は、金髪の仲間と同じように、暗い闇に意識を飲
まれて倒れ込んだ。
 これぞまさしく、工藤吼介が教えた奥義のひとつ、『龍尾』。
 驚異的身体能力の持ち主のみに許された、伝説的な大技を、たった十七歳の可憐な少女が
実戦で見事に決めてみせたのだ。
 
 崩れ落ちる巨体を尻目に、軽やかに着地する瑞々しい戦士の肉体。
 だが。
 
 「ゼエエエッッッ・・・ガハアアアッッッ・・・はッッッ・・・はひゅうううッッッ―――ッッッ!!!」
 
 瞬時に3人の暴漢を倒した七菜江に、ついに限界が訪れる。
 左手で胸を掻き毟り、必死で酸素を求めるキュートな少女戦士。ガクガクと崩れそうな身体
を、闘わなければという使命感と、柴崎香に負けたくない意地だけで支える。しかし、引き攣る
呼吸と激痛に震える肉体とが、残忍な笑みを浮かべる3人の悪女たちに、憎き小娘を地獄に
突き堕とす瞬間が近付いていることを知らせる。
 
 「アーッハッハッハッハッ!! これで全て計画通りだ! どうやら、死ぬ時がきたようだね、
七菜江ッ!」
 
 ひゅうひゅうと、咽喉が焼きついているかのような息遣いを繰り返す少女天使。アイドル顔負
けの美少女は、不屈の闘志を秘めた視線を、裏切りの敵に送り続ける。
 
 「こんな暗い場所で死なせはしないよ! 多くのギャラリーの前で、虐めて虐めて、虐め抜い
て殺してあげる! さあ、変身するがいいッ、ファントムガール・ナナにね!」
 
 柴崎香とカズマイヤー姉妹の身体が、黒い靄に包まれる。
 霧のように掻き消えたかと思うと、次の瞬間、天空から隕石が落ちるような轟音が響き、大地
が地響きを奏でる。
 ほどなくして、この近辺に作られた、巨大生物が飛来したことを知らせる警報が、けたたましく
鳴り響く。
 
 “負けらん・・・ない・・・・・・ゼッタイに・・・負けたくないッッ!!”
 
 血の沁みと、埃にまみれた青いセーラー服の少女が、ビクビクと痙攣する肉体に気合いをこ
める。
 
 「ゼエエエッッ――ッッ!! ハアアッッ―――ッッ!! トランスッッ・・・フォームッッ!!」
 
 カビ臭い体育倉庫に、少女の可憐な絶叫が轟く。
 地方の片田舎に、輝く銀の皮膚と、鮮やかな青の模様を持った正義の守護天使が、その巨
大な姿を、光の粒子を纏って現した。
 残酷な地獄絵巻が展開されたのは、それからまもなくのことであった――。
 
 
 
 
第七話・続き
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