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閑静な住宅地が広がる地方都市に、巨大な人間型の生物が4体出現する。
山地に囲まれた人口10万ほどの小さな町には、目立つ建造物はほとんどない。せいぜいが
3階建てのビルがある程度で、50m近い女神と邪悪神の存在は突出して天にそびえている。
この町で最大の建物といっていい体育館の周囲に現れた4つの巨神。そのうちの3つは異形
な怪物の姿をしており、残る1つは銀色に輝く肌と、紺碧の模様を持つ巨大美少女。耳障りな サイレンにせかされ、逃げ惑う人々は、生まれて初めて生で見る聖少女ファントムガールの姿 に、畏怖と希望と感動を覚えながら疾駆する。
テレビのニュースなどで遠巻きの姿は何度も見ていたが・・・これほどまでに美しいものと
は!
暮れかけた夏の陽射しを反射する銀のボディは神のごとく荘厳ですらあり、描かれた幾何学
模様は聖少女の純粋さを示すかのような澄んだブルー。同じ色の髪は、活発さを連想させる 柔らかなショートカットだ。正邪の闘いに巻き込まれた人々は、目の前の守護天使が、2番目 に現れた、“青いファントムガール”であることを即座に理解していた。
政府から配信されている画像では、ぼんやりとしか巨大少女たちは映っていないため、顔な
どはわからなかったが、近くで見る聖少女のマスクはなんとも愛らしい。勝気そうでいて、あど けなく、そして純粋。この星を守るために壮絶な死闘を繰り広げてきた守護者が、どこかか弱 さすら覚えさせる美少女であることも驚きだが、凛として立ちすくんだボディラインの美しさとい ったら、芸術の域に到達している。メロンでもくっついたかのような胸の肉球は、大きさ、形、質 感ともに究極の一品であり、くびれたウエストから繋がるヒップラインは、引き締まりつつ張り出 している。胸とお尻に瑞々しい果実が埋まったような肢体は、前から見ても横から見ても腰の 部分だけがキュッと締まり、健康的で爽やかな色香を八方に発散していた。身体に浮んだ青い ラインは、セーラー服を思わせるデザインだった。容姿のあどけなさといい、ファントムガール が聖少女とあだ名されることを、自ずと納得できてしまう。
一方、青い少女と対峙する3匹の巨大生物は、いずれも戦慄を禁じえない異様な姿をしてい
る。
真ん中に立った黄色と黒で色分けされた怪物は、一目である動物を想起させる。手足は先
の方にふわふわとした白い毛がついていること以外は人間のそれと大差ない。ただ右手だけ が、瓢箪のような形状になっており、その先に極太の銀針が光っている。胴部分は胸・腹・腰で 分けられており、背中には茶色の薄い羽。そして顔は、強靭そうな巨大な顎と、茶色いふたつ の複眼によってほとんど埋め尽くされている。頭にはご丁寧に触角らしきものまでふたつ付い ている。
蜂だ。巨大な蜂人間。
人間の手足を持った蜂が、ギラギラと複眼を煌かせて、じっと青いファントムガールを見据え
ている。
蜂人間の両側に立った2体の巨大生物は、ほぼ同じ姿形をしていた。
まるで巨大な肉団子。ボーリング玉のように真ん丸い肉塊が、蜂の侍従のように両脇を固め
ている。短い手足がちょこんと生え、てっぺんには首のない頭が。海藻のような黒い髪がわず かばかり生えており、その下に、落ち窪んだ黒い瞳がふたつ、憎悪に燃える視線を飛ばしてい る。全く同じ格好のふたつの肉塊は、体表の色だけがグレーとブラウンとで異なっているのみ。
醜悪な3匹の怪物と、清廉な天使がひとり――
外見で判断するだけで、圧倒的不利な状況であることを理解しつつも、初めて本格的な巨大
生物の襲撃を受けたこの町の人々は、肉感的な肢体を誇る美少女戦士に、勝利と平和を願っ て避難場所へと疾走していく。
「フフ・・・よく現れたわね、ファントムガール・ナナ。もっとも、人間を守るためには変身せざる
を得ないのが、正義の味方さんの辛いとこだけどねえ」
蜂が喋る。嘲りが存分に含まれたその声は、明らかに女のものだった。
人間体時の美しさとは似ても似つかぬ恐ろしい姿に変わった柴崎香の挑発を、こちらは変身
前の可憐さをきちんと残した青い天使は無視した。
「ナナ、体力を使い果たしたあんたは、もうおしまいさ。たくさんのギャラリーの前で、ズタズタ
に潰してブチ殺してやる」
「・・・お前なんかに・・・ハアッ、ハアッ・・・負けるもんかッ・・・」
見た目元気そうな聖少女の呼吸は、早くも荒くなっていた。
誰も知らない、体育倉庫での惨事。試合を通じて潰され、散々リンチを受けた藤木七菜江の
肉体は、とっくに限界を迎えていた。それはファントムガール・ナナにトランスフォームした今も 変わることはない。集中的に狙われた右腕は力なく垂れ下がり、絞りに絞り尽くされた体力 は、光のエネルギーを存分に使える今でも戻りはしない。フルマラソンを往復させられたよう に、心臓は早鐘を打ち、肺に血の味が滲む。
一見、唐突に始まったような正邪の闘い。すでにその大勢は決していることを、逃げ惑う人類
は知る由もない。
「お前を処刑する者の名前、教えといてあげるよ。私はクインビー、そしてこっちの灰色がサ
リエル、茶色の方がビキエルだ。正体については、今更言うまでもないよねえ」
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・」
肩を上下するナナの口元から、ギリギリと悔しげな歯軋りが洩れる。
己の置かれた状況が、いかに過酷なものであるか・・・明るい性分の女子高生といえど、気持
ちとは相反する肉体の消耗具合を自覚せずにはいられない。
「ぶしゅしゅしゅしゅ・・・ファントムガール・ナナァァァ・・・今日がてめえの命日だァッッ!」
「ふしゅしゅしゅしゅ・・・そしてここがてめえの死に場所だあッッ!」
高らかに蒼天に笑い声を轟かせ、ナナを遥かに上回る巨大肉弾がふたつ、悲壮な闘志を剥
き出しにしたアスリート戦士に突進した――
“くうッ・・・なんてことッ!”
響き渡る、特別警戒区域に入ったことを知らせるサイレン。取るものも取り合えず、指定の避
難場所に逃げていく人々の波の中で、霧澤夕子は心の内で歯噛みする。
この町の広報がマイク越しに伝えてきた情報では、つい先程までいた体育館周辺に3体の宇
宙生物(『エデン』の存在を知らない人々の間では、ミュータントはまだ宇宙からの飛来者、とい うのが一般的な認識だった)が現れ、青いファントムガールが応戦している、ということだった。 すぐに特殊回線を使ったケータイで五十嵐家の執事・安藤と連絡を取った夕子は、その情報 が事実であることを確認した。
“やはり、七菜江を狙っていたのね・・・”
3体のミュータントの中に、冷酷な蜘蛛女シヴァがいなかったのは意外であったが、マザーコ
ンピュターが送信してきた画像で敵を見た夕子は、すぐに東亜大附属高校の肉弾姉妹が敵の 正体であることを見破っていた。天才少女でなくとも、巨大な肉の鞠を見れば、変身前の姿を 推理するのは容易い。もうひとりの蜂女の正体こそ確信を持てなかったが、この戦闘が七菜江 を狙ったものと判断するのは、当然の帰結といえた。
“試合からすでに七菜江を倒す作戦は始まっていた。恐らく片倉響子が先頭にたって、七菜
江に恨みを持つ者を集めたに違いない。試合に勝っても負けても、ダメージを受けることは確 実な七菜江を、ここで抹殺するつもりだったのね”
赤いスーツの女教師が、こんな片田舎にまでやってきた理由を、喧騒のさなか夕子は思い知
る。そして、その術中通りに嵌ってしまっている、己の不甲斐なさも。
「くそッ、これじゃあ、町の病院にはいけやしねえ。電車も止まっちまってるし・・・」
苛立ちを隠せない工藤吼介の声が、すぐ隣から聞こえてくる。
血まみれの桜宮桃子を体育館から失敬してきた毛布でくるみ、広い背中におぶったまま、最
強と呼ばれる男は逃げ惑う人波の中で立ち往生している。いくら吼介が強靭な肉体を誇ろう と、この非常事態においてはなんの意味も成さなかった。一刻も早く桃子を病院へ連れ込もう とする彼の焦りは、どうしようもない周囲の混乱の前に、ただただ空回りするばかりだった。
桃子を救うためには、政府直属の組織に連れて行くしかない。響子に襲われたエスパー少女
を救った直後、夕子は即座に安藤に連絡をいれ、緊急ヘリを飛ばしてもらうよう依頼した。
だが、事態はあまりに急なため、さすがの五十嵐家でもヘリコプターの調達には時間がかか
る。さらに最悪なことは、吼介が一緒にいることだった。桃子を救うために、航空自衛隊のヘリ が出動したとなれば、いくらなんでも吼介に見せるのはマズすぎる。しかも吼介自身怪我をして おり、冷酷と噂される夕子でも見捨てることなどできるわけはなかった。
八方塞がりの窮地で夕子が達した結論、それは一旦普通の病院にいき、吼介を収容するこ
とだった。同時に桃子も入院させたように思わせ、その実、屋上に呼んだヘリで五十嵐家まで 一気に運ぶ――計画を練った夕子は、早速吼介とともに移動を開始した。その途中で、ミュー タントの出現を知ったのだ。
“マズイ・・・マズイわ・・・今の七菜江では、満足に闘えるわけがない。すぐに助けにいかない
と・・・けど、まずは桃子を救わなければ・・・”
片倉響子が桃子を血祭りにあげた理由、それはやはり七菜江を孤立させるためだったの
だ。
殺せるはずの桃子を生かしておいたのは、桃子だけでなく、夕子をも戦闘の地から離すため
であろう。ひとりを瀕死に追い込むことで、実質的にはふたりの戦力を奪う・・・片倉響子の策 略は見事だった。そうして仲間を遠ざけてから、多数でナナを襲い、嬲り殺す算段なのだ。結 果的に、響子の思惑に完全に嵌ってしまっている自分が、夕子にはどうしようもなく腹立たし い。
「ちくしょう・・・こんな時に現れやがって、化け物め」
建物全体が低いため、体育館から遠く離れた場所からでも、巨大なモンスターと銀の女神の
姿は見える。遥か彼方を睨みながら、吼介は憤りを含んだ重々しい口調で呟いた。
「泣き言を言わないで。最強の名が聞いて呆れるわ」
「だがどうする?! こんなんじゃあ、とても病院がやってるわけねえぞ」
「移動するわ。隣の市までいけば、大きめの市民病院があったはず。あそこなら特別警戒時
にも開いている」
「何キロあると思ってんだ? 着く前に桃子が死んじまうぞ!」
「死なせないわ」
言うなり夕子は、乗り捨ててあったグレーのセダンカーに歩み寄る。
躊躇なく運転席に乗り込むツインテールの女子高生。災害時に車の鍵をつけたままにしてお
くのは、巨大生物が現れた時も同様だ。規定通りキーを差し込んだままの車に、エンジンをか けて命を吹き込む。
「お、おい・・・」
「機械を扱うのは慣れている。さ、早く乗って」
動揺の破片も見せない夕子の仕草は、まさしくクールという表現がよく似合った。
本来なら戦闘地から遠く離れたくはなかった。サイボーグ少女にはファントムガール・ナナを
助ける使命もあるからだ。だが、ヘリを待つだけならこの場で構わないが、吼介の目をかいくぐ り、尚且つ吼介自身を治療させるためには、病院に行くという行為は必要不可欠であった。響 子の高らかな笑い声が聞こえてくるようで、心の内で夕子は舌打ちをする。
一瞬戸惑った吼介が、後部座席にうなされ続ける桃子を乗せる。そしてそのまま、車のドアを
バタリと閉めた。
「なにしてるの? あんたも早く乗って」
「あとは任せた。桃子を頼んだぞ」
「なに言ってるの?」
「オレは七菜江を助けに行く」
佇む男の口調は、静かに、しかし厳然として夕子の耳朶を打った。
「あいつはまだあの体育館にいる。オレにはわかる。オレはあいつを助けに行かなきゃなら
ない」
一体、この男は敵なのか、味方なのか??
全てを悟っているようで、全く何も気付いていないようにも見える。
片倉響子を助けたかと思えば、桃子を救い、かといって一緒にいることで夕子が七菜江を助
けにいくのを邪魔しているようにも取れる。しかし、そう訝っていたら、自ら分かれることを望 み、しかも七菜江を助けると言い始めた。
敵として、七菜江が窮地に追い込まれていくのを手助けしているようにも見える。
味方として、七菜江や桃子を救うのに必死なようにも見える。
天才と呼ばれて久しい夕子だが、この格闘獣に対する評価だけは、いまだに判断できずに
いた。
ただ、この願ってもない吼介からの申し出に対し、彼女がすべき答えはひとつだった。
「バカなこと言わないで。あんたみたいな怪我人、放っておけるわけないじゃない」
吼介と別れれば、ナナを援護しやすくなる。
わざわざ隣町までいかずとも、この場で救護ヘリを待って、すぐにナナを助けに向かえる。
そんなメリットは百も承知、それでも夕子は、一般人である吼介が怪我していて、尚危険な戦
闘地に向かうのを放っておくことなどできなかった。
たとえ、己より遥かに強いかもしれない男でも。
たとえ、自分たちの強大な敵になるかもしれない男でも。
“七菜江、ごめん。少しの間、がんばって”
「急いで。愚図愚図している暇はないわ」
議論となれば、知能より筋肉を信奉する格闘武者が、天才科学者の血を引いたエリート理数
科生に敵う道理はなかった。
反論が無駄であることを自覚した吼介は、静かに車内に巨体を滑り込ませる。全てを決定し
たような冷静なサイボーグ少女の声を後に残し、3人の高校生を乗せた車は、隣接市に向け て急発進した。
灰色と茶色の巨大風船。
ファントムガール・ナナの目前で、その二匹の巨獣は変化を始める。
短い手足と突起物のような頭が体内に潜りこむ。まるで亀のように。
ナナに恨みの炎を燃やす双子姉妹の変身態は、完全な球体となって、盆地にできた地方の
町にその姿を現す。色といい形といい、それは巨大な岩を思わせた。
ギュル・・・グレーとブラウンの肉弾が回転する。そして。
転がる。ふたつの巨大岩が。
GGGGGGGWWWWWOOOOO・・・!!!
家屋を破壊し、アスファルトの道路を踏み潰し、巨大ボーリングが聖なる少女に向かって、一
直線に轟音を引き連れ加速していく。
速い。凄まじい速さ。
コンクリートと鉄骨でできた建造物が、発泡スチロールでできているかのように破砕されてい
く。粉塵が嵐のように巻き起こる。向かってくる巨大球の速度、質量、回転力・・・その脅威がナ ナに自ずと伝わってくる。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、くそオッ!」
一撃目の灰色の弾丸・サリエルの突進を、辛うじて側転でかわす青い戦士。
体力の限界を迎えている少女が、猛スピードで突っ込んできた肉弾をよけただけでも賞賛さ
れよう。
だが、追撃の茶色の巨岩は、聖天使が動いたその瞬間を狙っていた。
鮮やかに側転を決め着地した場所に、土煙を纏ったビキエルが健康的なエロスを振り撒く肢
体に突撃する。
交通事故を回避できないタイミングというのがある。あ、これは事故になる、と。ブレーキを踏
んでも間に合わない、このあと必ず事故になる、マズイ、というタイミングが。傍目から見ていれ ば、目を覆いたくなるタイミング、そのタイミングで茶色の巨岩は、可憐な少女戦士に突っ込ん だのだ。
逃げながら巨大な闘いを見守っていた人々は、青いファントムガールが弾き飛ばされる映像
を予見した。
そして、次の瞬間、彼らは驚愕のシーンを目撃することになる。
かわしていた。
銀と青に彩られた抜群のプロポーションを持つボディは、二撃目の弾丸すら身を飛ばしてか
わしていたのだ。
身のこなし、反射速度、ボディバランス・・・ナナの身体能力は人類の想像すらも凌駕してい
た。人間がその動きをするのでも信じられないというのに、50m近い巨大な女神が奇跡的な 俊敏さで動くのだ。童顔な天使の体術は、もはや神懸り的といえた。
「チッ、素早いヤツめ! サリエル、ビキエル、手を休めるんじゃないよ!」
やや離れた位置から、蜂の姿をした女王が指示を飛ばす。
灰色と茶色の球体は、すぐさま必殺の速度で、再び肉感的な少女戦士に襲いかかっていく。
巨大ボーリングの脅威は、ただ破壊力だけにあるのではない。その大きさ自体が相当に厄
介であった。
真っ直ぐに向かってくるものをよけるのは、想像以上に難しいものだ。それも自分の身体より
縦も横も大きいとなれば、その難易度たるや。しかも敵はふたり、一撃目をよけるのにバラン スでも崩したら、直後に二撃目を直撃されるのは必至。
”ま、まともに食らったら・・・コナゴナになっちゃう・・・・・・に、逃げなきゃ・・・でも・・・”
「ゼハアーッ、ゼエエーッッ、ゼエエーッッ、クハアアーッッ、ハアアッーッッ!」
左手が自然、桃のようなバストに伸びている。
酸素を求めて、潤んだ銀色の唇がパクパクと開閉する。心臓が爆発しそうに脈打ち、愛らし
い少女を苦しめる。単に呼吸という問題だけではない、疲労と破壊によって積み重ねられたダ メージは、ナナの全身に張りついていた。膝がガクガクと笑っている。被虐の天使の体力はと っくに尽き果てているのだ。ただ、不屈の闘志と負けん気、そして正義の心だけが、真っ直ぐな 聖少女を支えている。
“このままじゃ・・・・・・やられる・・・・・・一発・・・逆転の一発に・・・賭けるしかない・・・”
己にこめられた弾丸は、たった一発しかないことを、ナナは自覚していた。
だが、その一度、たった一度の攻撃で彼女は3人の復讐鬼を殲滅させ得ることも知ってい
る。ファントムガール・ナナ究極の必殺技を使えば・・・
轟音が背後に迫る。
ふたつの巨岩が横並びになって、ナナを圧殺せんと転がってくる。
その勢い、迫力に普通の女のコならば立ちすくむだけだろう。いや、男でも同じこと、成す術
なく轢死され、肉片を撒き散らして果てるのみ。
人間体時の感覚ならば、時速100キロでダンプカーが突っ込んでくる感覚、その恐怖を前
に、ナナは飛んだ。
真横に向かってダイブする。間一髪で死のボーリングをさけた青い戦士は、飛んだ勢いでご
ろごろと前転しながら態勢を立て直そうとする。
ジュッッ!
肉が焼ける音。
ふたつの岩をよけた少女戦士の背に降りかけられたのは、蜂女の右手の針から噴き出され
た、黄色の液体だった。
「うああッッ!」
仰け反って呻くファントムガール・ナナ。
毒液のかかった背中の皮膚が焼け爛れ、銀色の肌から黄色の煙が立ち昇る。
肩を揺らして笑う蜂女クインビーを、キッと睨みすえながら立ちあがる青い天使。ハンドボー
ルで締まった足が、ブルブルと震えている。
背後に沸く殺気と轟音に、振り返るナナ。
唸りをあげる巨大肉弾が、目の前にいた。
跳躍して逃げようとするアスリート戦士。
だが。
「――ッ!!」
ガクンと膝から崩れる可憐な守護天使に、回転する巨岩が衝突する。
ドッキャアアアアアッッッ!!!!
凄まじい、破壊音がした。
木の葉のように青い肢体が吹っ飛ぶ。遥か天空を飛んでいく。
口から血を撒き散らしながら、破壊衝撃を小さな身体に叩き込まれた少女戦士が、半失神の
まま地方の町を飛んでいく。
ズドオオオオオオオンンンンンン・・・
壊れたオモチャのように大地に落下するファントムガール・ナナ。
青い肢体がバウンドして30mほど浮きあがり、そのまままた大地に落ちて、守るべき人間の
住居を押し潰す。弾き飛ばされた勢いでゴロゴロと転がっていくダイナマイトボディは、200m は吹き飛ばされてようやくその肢体の回転を止めた。
ゴボリッッ・・・
血塊が半開きの口から溢れる。
仰向けに横臥した肉感的な身体が、ビクビクと痙攣し続ける。青い瞳が暗くなり、胸のエナジ
ークリスタルは哀しげな音を奏でて点滅し始めた。
ヴィーン・・・ヴィーン・・・ヴィーン・・・
戦闘開始からわずか数分にして、ナナは限界を迎えていた。いや、そうではない。戦闘前か
らすでに勝負は決まっていたのだ。
「アハッ、アーッハッハッハッハッ! いいザマだ、ナナッ! 全身の骨をコナゴナにされる気
分はどうだい?」
狂ったようなクインビーの笑い声が、暮れかかった夏空にこだまする。心底嬉しげな怪物の
嘲笑が、顔色を失った人類に重々しく響き渡る。
グ・・・
グググ・・・
危険の及ばぬ地域まで逃げ延び、女神と怪物の聖戦を見守る人々は、またもや信じられな
い光景を目の当たりにする。
明らかに致命的ダメージを受けたはずの青いファントムガールが、立ちあがってきていた。
身体の痙攣は止まっていない、体力が枯れ果てているのは素人目にもわかる、なのに・・・う
っとりするようなプロポーションを誇る幼い天使は、絶望的な闘いをなお挑もうとしている。
立つな。立たないでくれ。
憐れみ誘う姿に送られる願いを無視し、諦めを知らない健気な超少女は、高らかに笑う蜂女
を見ながら立ち上がる。
その背後から叩きつけられる、茶色の巨岩ビキエルの突進。
ボギイイイイイイッッッ!!!!
反り返るナナの肢体。背骨の軋む音を残して、ぬいぐるみのように軽やかに、銀と青の身体
が廃墟と化した街並みを、横滑りに飛んでいく。土にまみれ、薄汚れた銀色の天使は、処刑の 大地を転がり続ける。
うつ伏せに倒れ、助けを求めるように手を差し伸ばした姿勢で、ナナの肢体は緩慢に揺れて
いる。動かぬ身体で、必死に抵抗しようとしているのか――憐れな超少女を、3匹の復讐鬼が 嘲笑う。
「アーッハッハッハッハッ! 正義の味方がなんてザマだい! まだまだだよ、ナナッッ!!
こんな程度じゃ許さないからね!」
グググ・・・再び立ちあがろうとする青い戦士。
それは敢えて蹂躙されることを望んでいるかのような姿だった。誰が見ても、ナナに勝機はな
い。いや、立ち上がることが、すでに奇跡。絶望的な状況で、憎悪の炎を燃やす処刑者たちの 前に立つことが、なんの意味があるというのか。
“・・・・・・い・・・・・・ま・・・が・・・・・・チャン・・・ス・・・・・・ッッ!!”
心のどこかで、青いファントムガールが苦しまず、静かに殺されることを願っていた人類は、
愛らしいマスクの守護天使が、決して闘いを諦めていなかったことを知る。
ボロボロの肉体、1vs3という状況、トドメの肉弾を浴びたダメージ・・・もはや虐殺されるのみ
と思われたファントムガール・ナナに訪れた、油断という名の一瞬の好機。
高笑いする蜂女と肉団子姉妹が、ナナの企みに気付いて絶句する。
右手が、光る。
立ちあがった青い少女が狙う標的は、廃墟の大地。
拳に集まる光のエネルギー。身体の隅々から残らず集結した力が、渾身の一撃にこめられ
る。
ファントムガール・ナナの超必殺技「ソニック・シェイキング」――
震動を与える打撃と聖なる波動とを複合させた、究極の必殺技。周囲に広がる光の波紋と
正義の炎柱が、四方の敵を一斉に殲滅する、絶対不可避の最終奥義。
絶体絶命の窮地から、大逆転を賭けた最後にして最大の一撃が大地に叩き込まれる。
ブッッッシュウウウウウウウウッッッ!!!
「きゃあああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
クインビーの巨大な顎が歪む。
光の波動は、生まれなかった。
代わりに戦場に繰り広げられた光景は、右肘から噴出する鮮血を押さえ、ガクリと両膝をつ
いてうなだれる、深紅に染まったナナの姿。
「アーッハッハッハッハッハッハッ!! アーッハッハッハッ!!」
高らかな勝利の歌声が、全てを失った無惨な天使に降り注ぐ。
「バカな女だよ、お前はッ!! ナナ抹殺計画、弱点その4。ナナの必殺技はいずれも右手
から放たれる。右腕を集中攻撃した意味がようやくわかったかい? もう手遅れだけどねぇ!」
ファントムガール・ナナが誇る二大必殺技「ソニック・シェイキング」と「スラム・ショット」。その
どちらも、威力はファントムガール中でも最強であろうが、利き腕である右手からしか放てない ことを、片倉響子は気付いていた。ハンドボールの試合から続く右腕への集中砲火は、全てこ の時のための布石であったのだ。
ファントムガールの闘いをほとんど知らされない一般人では、この弱点に気付くことはない。
ナナを異常なまでにつけねらう響子ならではのナナ殺しといえた。超威力を持つソニック・シェ イキングの反動に耐えれるだけの右腕を、ナナはすでに持っていない。それはつまり、少女戦 士の勝機が、完全に潰えたことを意味していた。
「お前は終わりだよッ、ナナッ! ここからが楽しいショーの始まりさ! やれッ、サリエル、ビ
キエル!!」
勝負を賭けた一撃に失敗し、反撃の術を失って打ちひしがれる守護天使に、前後から双子
の巨岩が殺到する。
“・・・そ・・・ん・・・・・・な・・・・・・”
動けなかった。
逃げようとする意志を裏切り、身体はピクリとも動くことはなかった。
ファントムガール・ナナ、敗北の瞬間。そして、地獄の宴が始まろうとしている。
グワッシャアアアアアアアアアッッッ――ッッッ!!!!
「ギャアアアアアアアアアッッッ〜〜〜〜ッッッッ!!!!」
巨大ボーリングが青い戦士の豊満な肉体を圧殺する。
聖少女の何十倍もの質量が、サンドイッチにして天使を挟み潰す。肋骨が砕け、内臓が破裂
し、細胞が潰される。ナナは己の肉体が、コナゴナに粉砕されたことを悟った。骨格の悲鳴が 体内に響き渡っている。天高く吹き上げられた血反吐が、雨となってバシャバシャと絶望の大 地を叩いている。
「アッハッハッハッ! どうナナッ?! ミンチにされる気分は?!」
ガクンと垂れた頭を、青いショートカットを掴んで起こす蜂女。点滅する瞳が、ぼんやりと凶悪
な昆虫の顔を映す。
「あがあッッ・・・かふううッッ・・・・ぐうううぅぅッッ〜〜ッッ・・・」
“ろ・・・肋骨がぁ・・・折れた・・・・・あちこちに・・・ヒビ・・・が・・・”
「ナナ、私の奴隷になりな。そうすれば命だけは助けてやる。もっとも、永久に拷問漬けだけ
どねぇ」
「あが・・・・・・くあ・・・・・」
「はぁ? なんだって? よく聞こえないよ」
唇を震わせる聖少女に、耳を近づけた途端、赤いツバがクインビーの頬に吐きかけられた。
「ハアッ・・・ハアッ・・・お前に・・・・・は・・・・がはッ・・・ハアッ・・・負けな・・・い・・・・・・」
肉弾の合間から、手足と首だけを覗かせて苦悶する超少女の、必死の抵抗。
複眼をギラつかせた巨大蜂が、逆上して咆哮する。
「潰せええッッ〜ッッ、サリエル、ビキエル!! このムカつく女を泣き喚かせてくれるッ
ッ!!」
サンドイッチしたまま、巨岩がギュルギュルと高速で回転する。
ベキッ! ベキベキベキッッ!! ミシミシ! ミチチミチミチ!!
「うああああああッッッ〜〜〜ッッッ!!! ああああッッ―――ッッッ!!!」
「泣けッ! 喚けッナナ!! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
「いやああああッッ〜〜〜ッッッ!!! む、胸があああッッ――ッッ!! 潰れるッッ!!
バ、バラバラになっちゃうぅぅッッ――ッッ!!!」
「アーッハッハッハッハッ!! 苦しいだろオ、ナナッッ! 骨ごと砕かれていくのはよオ!
グチャグチャになりな!」
ゴボオッッ!! ゴボオッッ!! ゴボオッッ!!
巨大ローラーに挟まれ、芸術的な肉体を擦り潰されていくナナ。丸く膨らんだ胸が押し潰され
変形し、脇腹が砕かれていく。鍛えられた筋肉もなんの意味ももたない。圧搾により筋繊維ごと 千切り潰され、損傷した内臓をさらに圧迫される。まさしく地獄の苦痛。まとまった血塊が、リズ ミカルに桜の花びらに似た唇を割って、ゴボゴボとこぼれ落ちていく。
ギュルルルルルルルルル――ッッッ!!!
「うあああああッッッ〜〜〜ッッッ!!!! ひぎゃああああッッッ〜〜〜ッッッ!!!! や
めッッ・・・てえええッッッ〜〜〜ッッッ!!! 苦しいッッッ―――ッッッ!!!!」
たまらず懇願するナナ。それは屈服というより、条件反射的に叫んだものだった。
肉弾の回転が止まる。自ら吐いた血の塊を周囲に咲かせ、ぐったりと敗北の天使が肉のロ
ーラーに挟まれて脱力する。
「ゴボッッ・・・うああッッ・・・・・くあああッッ・・・・・」
「フフフ、いい気味だ。さあ、ナナ、奴隷になるならいまのうちだ。どうするんだい?」
「が・・・がふッッ・・・ぐぶぶ・・・し、死んでも・・・なるもん・・・か・・・」
「アーッハッハッハッ、バカなヤツだよ! サリエル、ビキエル、本当の地獄を教えてやりな」
今までの圧搾は、まだ序の口とでいうのか。
青ざめるナナに、恐るべき拷問地獄が襲いかかろうとしている。
「ナナ、いいことを教えてやるよ。こいつら双子も実はキメラ・ミュータントなのさ。なんの動物
と合体してると思う?」
「・・・・・・ぐぅぅ・・・・・・くうッッ・・・・・・・」
「フフフ・・・正解は・・・ハリネズミさ」
青い肢体を挟み潰す巨大肉弾ふたつ、灰色と茶色の球体が、身の毛もよだつような変態を
始めたのは、その時だった。
無数の極細の針が、全身から伸びる。
ウニか、栗を思い起こさせるような禍禍しい姿。岩に似た球体に、血を連想させずにはいら
れない鋭利な棘が、ビッシリと全体を覆い尽くして生えてくる。
ボロボロの聖少女を挟んだまま。
ブスブスブスブスブスブスブスブス!!!!
「いやああああああああああ〜〜〜〜ッッッッ!!!!」
眼を覆わずにはいられない、残酷な処刑ショーが、地方の町に大パノラマで繰り広げられ
る。
可憐で、肉感的で、健気で、純粋な青い守護天使が、首から下を数え切れない量の針で突き
刺されて、空中に浮んでいる。まるで標本のように。だが、突き刺さった針は一本ではなく、前 からも後ろからも刺されていることが、標本とは異なっていた。
針のむしろとは、まさしくこのこと。
全身を襲う激痛は、ショック死を引き起こして妥当なものであろうが、ナナの並外れた体力
と、針が糸のように細いことが、聖少女に地獄の苦痛を刻み続ける。
「あぎゅえッッ・・・ふぐあああッッ・・・ぎッ・・・はぎゅあああッッ・・・」
ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・・ヴィーン・・・・・・・
弱々しいエナジー・クリスタルの点滅と、苦悶に震える悲痛な喘ぎが、凄惨な地獄絵図のBG
Mとして流れていく。
「アーッハッハッハッハッ!! お前のこんな姿を、どれだけ待っていたことか! 痛いか?
苦しいかい、ナナッ?!」
「はぎゅッッ・・・あうううッッ・・・・・・くあああッッッ・・・!!」
瞳が細く垂れ、食い縛った歯の間から悶絶の苦鳴が洩れ出る。憎き美少女の、激痛と絶望
に歪んだ顔を愉快そうに眺めながら、怨念鬼となった蜂は、更なる暴虐を指示した。
「やってやりな。サリエル、ビキエル。もっと泣き喚かせるんだ」
それは、正視に耐えない残酷な拷問だった。
前から突き刺した灰色の針玉が、針先から赤い液体を迸らせる。
大地に落ちたその液体は、アスファルトを溶解させ、ジュウジュウと白煙をあげる。粘着質な
その赤い液体は、溶岩だった。
さらに背後のビキエルも、針先から攻撃を放つ。こちらが放ったのは、人間なら一瞬にして黒
焦げにする高圧電流。
体力が尽き、肉体を破壊され、針で固定されて身動きひとつできない瀕死のファントムガー
ル・ナナの体内に、高温の溶岩と、高圧の電流が直接流し込まれる。全身にブスブスと刺さっ た、無数の針を通じて。
「ヒギャアアアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!! キャアアアアアアッッッ――――ッッ
ッ!!!!」
ジュウウウウウ・・・・・シュウウウウウウ・・・・・・・
ビビビビビビビッッ!! ババババババッッ!!!
少女の肉が焼ける悪魔の調べと、電撃が全身を駆け巡る音。
銀色の皮膚の内部があちこちで泡立ち、稲妻の破片がそこらじゅうから洩れ出る。灼熱と電
撃の煉獄が、ナナの心を、身体を蹂躙し尽くしていく。
「ダメエエエエェェェッッッ――――ッッッ!!!! あたしもうダメエエエエェェェッッ〜〜〜〜
ッッッ!!!! 死ぬうううッッッ―――ッッッ!!! やめてええエエエッッッ―――ッッ ッ!!!!」
絶叫。
ガクガクと震えるナナの頭。
青い瞳が点滅し、胸の水晶体が、消え入らんばかりに色を失っていく。針で埋め尽くされた小
さな肢体が、断末魔の痙攣に揺れている。
もはやナナの死は時間の問題だった。
逆転の可能性はゼロだった。助けにくるべき仲間は、周到な作戦によって排除済みだ。あと
は精神が狂死するか、肉体が破滅するか、どちらが先か・・・
不意に溶岩と電流が止む。
それでも事態は変わらない。ナナの究極のボディラインは、針に埋め尽くされて宙に浮んでい
る。
ヴィ・・・・・・・ン・・・・・・・・ヴィ・・・・・・ン・・・・・・・
かすかにクリスタルを点灯させ、白煙の中ぐったりと脱力する敗北の天使を、憎悪と愉悦の
混ざった複眼でクインビーは見る。
「ミンチにしな」
美貌の女子高生・柴崎香の変身体は、次なる嗜虐を指示した。
ふたつの巨岩が回転する。極細の針を生やしたまま。
棘だらけの巨大ローラーが、細身の少女を削りながら潰していく。
ザクザクザクザクザクッッッ!!! ギュルルルルルッッッ!!!
「うぎゃあああああああああああッッッ――――――ッッッ!!!! アアアッッ!!! アア
ッッ!! ウアアアアアアッッッ―――ッッッ!!!」
ビチャアッ!! ブシュブシュブシュッ! ビチッ! ビチャッ!!
血煙が、夕闇迫る町に立ち込める。
肉片が、血の塊が、無惨な聖少女の周囲を深紅に染めていく。人が逃げた後の民家に、天
使の残骸がこびりついていく。ローラーの中心にあるナナの身体から、細かい物質が撒き散ら かされていく。
削られていく。
人類を守ってきた可憐な少女戦士が、凶悪な怪物たちの手によって、成す術なく切り刻まれ
て、泣き叫んでいる。
ようやく巨岩の回転が止まる。
ズボッという音を残し、前後をサンドイッチしていた大量の針が、豊満な肉体から抜かれる。
ドス黒い、赤色。
土に汚れた己の血で、真っ赤に染まった瀕死の超少女がそこにいた。
グラアアア・・・・・・
スローモーションのように、ゆっくりと前のめりに倒れていくファントムガール・ナナ。
轟音を響かせ、はちきれんばかりの肢体を緋色に染めた天使は、惨敗の大地に倒れ伏し
た。
「アーッハッハッハッハッ! アハッ、アーッハッハッハハッ! やったわ! ナナは私に負け
たのよ! 死ね! 苦しみ抜いて死ね、ナナ! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
ピクッ・・・・・・ピクピク・・・・・・
瞳の青色を完全に消した正義の少女が、左手を前に差し出した格好で大地に沈んでいる。
救いを求めるように伸ばしたその手が哀れを誘う。
完全な計画でナナを追い詰め、思いつく限りの残虐行為をその身に刻んだ復讐鬼の罵倒
が、無惨な背中に浴びせられる。
「アッハッハッ、どうしたの、ナナ?! 私から逃げようとしているの?!」
かすかに、かすかにだが、ズルズルと這いつくばった少女戦士の身体が、前方に動いてい
る。意識は半濁し、肉体はいうことを聞かなくなった状態で、諦めを知らない真っ直ぐな聖少女 は、必死に生を求めてあがいていたのだ。
「アーッハッハッハッ! ナナが私を恐れて逃げてるわ! 情けない女! さ、早く逃げなさい
よ?! そんなに遅いと殺されちゃうわよォ」
あまりに不利な状況下にも逃げ出さず、健気に闘い敗れ去った正義の戦士を、卑劣な罠に
かけて嬲り尽くした悪魔が嘲笑う。勝者と敗者の残酷な現実が、巨大な戦場に浮き彫りにな る。正義は勝つ、空虚な言葉が絶望の陰に飲まれていく人々の胸に去来する。
左手でショートカットを鷲掴み、虫のように這う超少女を捕らえるクインビー。
グイッと頭を起こされ、反り曲がったナナが、打ちのめされて悲しみに歪む容貌を晒す。
「つ〜〜かまえた♪」
「・・・う・・・・・あ・・・・・・・アア・・・・・」
「ほらァ、お前は泣き叫んでりゃいいんだよッ!」
ひょうたんの形をした蜂女の右手が、動けぬナナの背中に突き刺さる。
蜂の毒針から流れる黄色の液が、発狂しそうな激痛を無惨な天使に送り込んだ。
「ひぎゃあああああああああああッッッ―――ッッッ!!!!」
宿敵の思惑通り、泣き叫ばされたナナの悲鳴がオレンジの空を駆け巡る。
ブルブルと小刻みに震える左手が、嬲り殺される苦痛を知らしめるように、救いのない虚空
に高く高く差し伸ばされた―――
ババババババババ
ヘリコプターの旋回音が、猛々しいまでに耳に叩きつけられる。
この周囲では一番といっていい敷地面積と設備を持つ市民病院。その屋上に黒塗りの特別
機は緊急着地していた。総理大臣の名で、病院の責任者にはすでに了承は得ている。
プロペラが作り出す強風に、柔らかなツインテールが乱れるのも厭わず、霧澤夕子は毒に冒
された親友を、ヘリに運ぶ作業を手伝っていた。操縦士以外に、もうひとりいる隊員と、五十嵐 家の執事安藤が、担架に乗せた桜宮桃子を手際良くヘリの中に運んでいる。
工藤吼介を診察室に預け、すぐに屋上に向かった時には、すでに政府直属の特別機は待機
していた。ここから片倉響子によって、毒を注射された桃子を救うため、一気に五十嵐家に飛 ぶ計画だ。
これで桃子は助かるはず。あとは・・・
整った容姿を崩すことなく、夕子の表情には緊張感が漂ったままだった。サイボーグ少女の
脳裏には、次なるすべきことが順序立てて並べられていた。
「安藤さん、桃子のことは頼んだわ」
「かしこまりました。霧澤様もお乗りください」
強風と騒音のため、大声で会話するふたりだが、老紳士のトーンはこんな状況でも落ち着い
て聞こえる。
「私にはまだやらなきゃいけないことがある。七菜江を助けにいかないと」
嫌な予感が夕子の胸に湧き上がったのは、その時だった。
表面上、なんらの変化も見せない安藤の顔に、確かな翳りが浮んだのを、冷静な少女は見
逃さなかった。
「どういうこと?」
暗い予感に、不安が口をついて出る。傍目から見ている者には、突然台詞を発した夕子の
行動が、さぞ奇妙に映ったことだろう。
鋭い視線を投げ掛ける少女に、参謀的存在の執事は同じ言葉を繰り返す。
「霧澤様もお乗りください。あなたが近くにおられた方が、桜宮様もお心強いでしょう」
「七菜江になにかあったのね?」
夕子の質問に、安藤は黙秘を続けた。
「片倉響子が現れたのは、七菜江を倒すのが目的だったのは明らかだわ。今、七菜江を助
けられるのは私しかいない。すぐにでもアリスになって、七菜江のもとに行かなければならない のは、当然安藤さんもわかっているでしょ」
「いえ、行ってはなりません」
「なぜ? 私では役に立たないということ?」
「そうではありません」
「じゃあ・・・七菜江は、負けたのね」
淡々とした口調で、答えは返ってきた。
「はい。藤木様は敗れました。今から急行したところで、残念ながら間に合いません。ここは
一旦引いて、態勢を立て直すのが先決かと思われます」
巻き起こった強風が、ツインテールを激しく乱す。
纏わりつく赤髪が、顔の表情を隠すなか、夕子は数秒の沈黙の後に口を開いた。
「わかったわ。じゃあ、私も乗せてもらうことにする」
ヘリコプターの後部座席に、軽やかにスカート姿の美少女は飛び乗る。桃子のことを思え
ば、全ての行動に迅速さが求められるのは、当然のことだった。
ババババババババババ
旋回するプロペラの轟音の中、「ブチ」というなにかを噛み切る音は、誰が聞き分けられただ
ろうか。
夕子を乗せたヘリコプターは、あっという間に夕闇が忍び寄る空に上昇する。ひとり一番後方
の座席に納まったサイボーグ少女は、巨大な聖戦が行われていた方向に、垂れがちな瞳を向 ける。
「ホントに・・・不器用なんだから・・・」
届くはずもない友への声は、ヘリの爆音に掻き消された。
窓ガラスに反射する整った顔立ち。その薄紅色の唇の端から、鮮やかな朱線が一本、すっと
流れ落ちていった。
血まみれの少女戦士が、蹴り転がされている。
圧搾され、蜂の巣にされ、体内から焼かれ、削られ、毒を打ち込まれて・・・闘う前から限界を
迎えていた正義の女神を、ありとあらゆる方法で嬲り尽くした後も、3匹の処刑者たちは、ファ ントムガール・ナナをいたぶり続けた。
蹴る、殴る、刺す、潰す。
腕一本満足に動かせないナナを、やりたい放題、苦しげな叫びをあげさせる目的のためだけ
に、リンチし続ける。
銀と青でデザインされた美しき肢体は、醜悪な怪物たちのオモチャであった。
ピクピクと痙攣するだけで、脱力しきった哀れな守護天使は、血と泥で真っ黒に汚され、永遠
とも思われる蹂躙の波に、踊らされるだけであった。
両脇に立ったサリエルとビキエルが、ショートカットを掴んで力任せに被虐少女を立たせる。
つま先立ちの状態で、ナナは首も腕もダラリと垂れ下げて、惨めな姿を人類に晒す。髪で体
重を支えることになった痛みは、相当なものがあるはずだったが、抵抗するだけの力はもはや 彼女には残っていなかった。
「そろそろ時間だね。トドメを刺してやるよ、ナナ」
手ごろな民家をふたつ見つけた肉弾姉妹が、ひとつづつ足を強引に突き入れる。ボロボロの
天使は、人間が造った建物によって、足場を固定され、両足を広げた姿勢で拘束されることに なった。
血祭りにあげられた聖少女を中心に、恨み深い3匹の復讐者が三方向に散る。
クインビー、サリエル、ビキエル。それぞれが力をこめ、右手に漆黒の光球を生み出す。
負の感情がこもった、光の戦士最大の天敵エネルギー。闇の破壊光球が3つ、リンチの嵐に
沈没した超少女を狙って膨張していく。もっといえば、ナナへの怨念と憎悪が作り出した闇のエ ネルギーは、彼女に凄まじい崩壊をもたらすはずであった。
「ナナ、あんたが私からレギュラーを奪えたのは、『エデン』のおかげさ。立場が同じなら、こう
いう結果になるんだ。わかったかいッ!!」
ヴィ・・・・・・・・・・ン・・・・・・・・・・・ヴィ・・・・・・・・・・
蹂躙され尽くした少女戦士から、返事はない。
ただ、か細い生命のクリスタルが、儚げな光を灯すのみ。
「卑怯な女めッ!! 食らいなッッ!!!」
ハンドボール部による、闇のスラム・ショットとでもいうべき漆黒の弾丸が、三方向から一斉に
唸りをあげて、無抵抗の青い少女に襲いかかる。
ナナに、よけることができるはずはなかった。
直撃―――
「ウワアアアアアアアアアアアアッッッッ――――ッッッッ!!!! アアアアアッッ―――ッッ
ッ!!!! アアアアッッ――ッッ、アアッ・ア・ア・ア・ア・ア・ア・・・・・・・」
爆発音に敗北の絶叫が重なる。
闇の光弾の威力に、宙空高く舞いあがる銀色の肢体。
ビリビリに破れた皮膚と、飛び散る血潮とが、正義惨敗の大地に雨となって降り注ぐ。
肉体を爆破され、わずか残った光のエネルギーを吹き消され・・・自らの必殺技を三倍受ける
には、あまりにナナのダメージは深すぎた。
ギュルギュルと錐揉みしながら、脳天から大地に落下する守護天使。
グシャアアアアアアア・・・・・・
落下の衝撃に、肉体が潰れる凄惨な音が、正義が完膚なきまで叩き潰された、最期の証明
だった。
穴だらけにされ、身体の前面も背面も切り削られ、肩と腹と脇腹、三箇所も肉片を弾き飛ば
され、血ダルマにされた損傷の激しい身体が、仰向けに転がる。
フッ・・・・・・
胸の中央に位置する水晶体が、その点滅を消すのと同時に、ファントムガール・ナナの惨敗
の肉体は、廃墟の街並みに霧のように掻き消えていった。
飛び散った血痕と肉片、そして、咽るような血の香だけが、人口少ない穏やかな町に、深い
虚無感とともに残されていた。
目的を達成した三匹の怪物たちは、光の少女の後を追うように、黒い靄となって血臭漂う戦
場から姿を消した。
「アハッ、アーッハッハッハッハッ!! アーッハッハッハッハッハッ!!」
狂ったような蜂女の笑い声が、夏の夕空にいつまでもこだましていた。
バシャアアアアッッ!!
浴びせ掛けられた冷水に、七菜江の意識は覚醒する。
もう何度、失神と蘇生を繰り返したか、わからない。
激しい苦痛に気を失っては、すぐに冷水で強制的に起こされる。時には、より壮絶な痛みに
よって、無理矢理起こされることもあった。現実に呼び戻されるたびに、七菜江は己がまだ生 きていることを呪い、無力な自分に泣きたくなった。
周到に張り巡らされた罠に嵌り、死は確実と思われるほどの蹂躙に晒されたファントムガー
ル・ナナは、それでもまだ死んではいなかった。
いかにファントムガールでのダメージは、元の姿ではぐっと軽減されるとはいえ、積み重ねら
れた虐待は、七菜江を瀕死の重体に追い込んでいた。青いセーラー服姿に戻った七菜江の身 体は、針で刺された穴が無数にあり、全身にカッターナイフで切られたような跡が刻まれ、肩や 腹部は皮膚が破れていた。穴からは血が滲むと同時に、その周囲は焼け爛れており、肋骨に はヒビがはいり、内臓も損傷しているのがわかる。野犬の群れに襲われたようにセーラーはビ リビリに破れ、あちこちで血が滲んでいる。ズタボロという表現が、まさしくピッタリの惨状。それ でも七菜江が生きているのは、ひとえに彼女のタフネスが、並外れているからであった。もし、 ユリや桃子が同じ目に遭えば・・・生存の可能性は薄いと言わざるを得ない。
だが、七菜江が生きていることに気付いた時、彼女を包んだのは、生の喜びではなく、襲いく
る更なる破壊への恐怖であった。
藤木七菜江は捕らえられていた。
倉田、コージ、ユータといった、3人の不良たち。彼らの存在は、ただ七菜江の体力を減らす
ためだけではなかった。闘いのあと、トランスフォームを解除した七菜江を捕獲する目的もあっ たのだ。同時に柴崎香らを保護する目的もあるだろう。瀕死の重傷を負った七菜江は、たやす く敵の手に落ち、長い失神から目覚めた後、再び拷問の餌食となっていた。
そこは学校のプールらしかった。
激しいダメージの残る七菜江には、視界はほとんど見えていなかった。まして、すっかり夜の
帳が落ちた闇の中、証明灯のわずかな光では、七菜江にはそこがプールとわかるのが精一 杯だった。壁代わりの金網に、彼女は大の字で、縛り付けられている。浴びせられた水滴が、 ポトポトとコンクリートの床に落ちる音が聞こえてくる。
「ちょうど今、この辺の水泳部は県大会中でな。試合に出掛けている間、留守番させてもらお
うってのさ」
元水泳部というユータの声が、ぐったりと金網に身を預ける少女の耳に届いてくる。
ボロボロのセーラーを着たままで、七菜江への暴力は止むことなく続けられていた。
「どうだい、七菜江。そろそろ私の奴隷になる気になったかい?」
首を垂らし、流れ落ちた柔らかなショートヘアーで顔を隠した囚われの少女に、柴崎香は最
高の笑顔で語りかける。強い光を放つ瞳は歪んだ欲望に吊りあがり、大きめの唇は憎き後輩 の無惨な姿に喜び震えている。
無造作に前髪を掴み、グイと顔を仰け反らせる。
細い眉を苦悶に歪ませた、チャーミングなマスクが暗い照明のもとに晒される。半開きになっ
た口腔の内部は深紅に染まり、浴びせられた水滴が、背徳の美しさを醸し出している。
「ホントにムカツク女だよ・・・『エデン』の力を借りて、私からレギュラーを奪った卑怯者め。し
かもそのくせ私より人気があるなんて・・・許せない。殺しても殺したりない!」
お腹の中央、闇のスラム・ショットにより、皮膚を破られてしまったそこは、セーラー服に血が
滲むほどに深い傷ができている。
その場所に、変形して瓢箪型になった右手の毒針を、香は押し当てた。
抉る。セーラーの上から、朱色の内肉が覗いているであろうその傷を。ガリガリと擦り、鋭い
針先で柔らかな肉を刻んでいく。
「あぎィィッッ・・・・・・ひぎいいィィッッ・・・・・・ぎッッ・・・ぎぎぎッッ・・・」
夏の夜空を仰ぎ見る愛らしい顔が、神経を削るような鋭い痛みにぐしゃぐしゃに歪む。瞳も口
も強く閉じられ、食い縛った歯の隙間から、苦悶の鳴き声が、処刑場と化したプールサイドに 流れていく。
「サリー、ビッキー、やってやんな」
顎で合図する香。ずい、と磔の超少女の前に立った肉弾姉妹は、丸い拳を握る。
容赦のない、殴打。
肋骨にヒビが入り、内臓は損傷し、切り傷が無数に描かれ、皮膚の破れた無惨な腹部。内も
外も、皮膚から筋肉、骨格まで、ありとあらゆる破壊を受けたボロボロの腹部を、男性並みの 腕力を誇るパンチが殴りつける。
ドボッッ!
引き締まったボディに、巨大な拳が埋まる。
磔にされ、仰け反らされた少女戦士の無防備な肢体に、『エデン』の力を得た怪物のパンチ
が打ち込まれる。
「うぐッッ!! ・・・・・・・・がッ・・・・・・・はぁッ・・・・・・」
一撃で、無垢な少女の表情は、鉛を撃ち込まれたような痛みに引き攣った。
髪を掴まれ、仰け反らされているために、腹筋が伸びた状態になっている。そのままで、打撃
を受けることは、衝撃を内臓まで食らう事態を引き起こしていた。まるで拳が内臓まで突き入っ ているかのような鈍痛。重い一撃が、小柄な少女にバラバラになりそうな錯覚を起こさせる。
「そら、もういっちょう!」
ドスッッ!!
間髪いれずに続くボディーブロー。
七菜江の食い縛った歯の間から、ドロリとした血糊が泡立ちながらこぼれ出る。
「ぐうッッ・・・・・・ふッッ・・・・・・ううううぅぅッッ・・・・・」
「さあ〜、七菜江。負けを認めて、奴隷になるんだ。そうすりゃ、命だけは助けてやるから」
苦しむ美少女の切なげな顔を愉快そうに眺めながら、柴崎香は甘い口調で囁く。
だが、人を疑うことの苦手な純粋な少女が、この時ばかりは香の嘘を見破っていた。香の目
的は、あくまで七菜江に跪かせることなのだ。今の彼女を突き動かしているのは、『エデン』に よって肥大化した、七菜江への嫉妬。七菜江を痛めつけることだけが、香の目的といってもよ い。
もし、七菜江が屈服したら・・・目的を達成した香は、間違いなく七菜江を殺す。生かしておく
必要などないのだ。
たとえどんな拷問を受けようとも、七菜江は屈するわけにはいかなかった。元より、少女戦士
に香に屈するつもりは毛頭ない。
「ホントにしぶとい女だよ! サリー、ビッキー、こいつの腹をぐちゃぐちゃにしてやりな」
ドスッッ! ドボッッ! ガスッッ! ボコッッ! ドボッッ! ゴボッッ!
重い打撃が、絶えることなく断続的に磔少女の腹部を抉る。
「がはッッ!!・・・あぐッッ!!・・・ぐはァッッ!!・・・うああッッ!!・・・がッッ!!・・・くあ
あ・・・」
ゴボリ・・・ボゴ・・・ゴボゴボ・・・・・・・・
血塊が、歯の隙間から次々にこぼれていく。
ボロ雑巾のようになったセーラー服を、己の血で赤く染め、ヒュウヒュウと苦悶の呻き声を漏
らして、金網に縛り付けられた可憐な美少女。この星と人々とを守るために、命と身体を張って 守ってきた健気な少女戦士が、見るも無惨な姿に変わり果て、凄惨なリンチ地獄に沈もうとし ている。
“・・・も・・・う・・・・・・おなか・・・が・・・・・・・ぐちゃ・・・ぐちゃ・・・・・・・あ・・・たし・・・・・・・・も
う・・・・・・ダメ・・・・・・・・・”
グルリと白目を剥いて、アイドル顔負けの美少女が失神する。
削られた肌を叩く鋭い痛み、刻まれた筋繊維を抉る熱い痛み、砕かれた肋骨に響く痺れる痛
み、潰された内臓を穿つ重い痛み・・・様々な種類の激痛が一体となって、虜囚の少女に襲い かかる。永遠に続くかと思われた壮絶な苦痛の連続に、ついに七菜江は気絶してしまったの だ。
香が掴んだ髪を放す。
小さな顔が、ガクンと前のめりに倒れる。
ポト。ポトポトポト・・・
開きっぱなしになった唇を伝い、緋色の水滴が七菜江の足元に血溜まりを作っていく。
「バカな女。素直に謝ったら、早く楽にしてあげるのに」
大の字に磔られた敗北者に、香は嘲りと憎悪を含んだ口調で吐き捨てる。
元柔道部の倉田と元野球部のコージが、消防車が使うような太いホースをふたつ、持ってく
る。それは火災時に使うためのものだった。プールの水を発射する消火用のホース。あとは先 についたレバーを軽くひねるだけで、凄まじい勢いで放水するそれを、ニヤニヤと不敵に笑い 続ける肉弾姉妹に手渡す。
「ぶしゅしゅしゅしゅ・・・フジキナナエ、もうお前の身体はボロボロだ」
「ふしゅしゅしゅしゅ・・・今度はその生意気な心を壊してやるよ」
カズマイヤー姉妹の丸っこい拳が、一斉にホースのレバーを全開にする。
鉄砲水のように激しく噴き出された冷水が、一直線に磔少女の肢体に叩きつけられる。二本
の液体の砲撃は、セーラー服を盛り上げた胸のふたつの膨らみを抉り撃つ。
轟音。
水流が出しているとは思えぬ、凄まじい轟音が夜のプールに響いていく。まるでレーザービー
ムの大砲。野球の硬球をぶつけられているかのような衝撃が、七菜江の胸骨を軋ませ、肺を 圧迫する。
「へぐえッッ!! ぐぶッッ!! はぐああッッ!!」
人の手には余りそうな、豊かな胸の球体が水流に押し潰されグニャグニャと変形する。跳ね
返った飛沫が霧となってたちこめる。セーラー服の白いシャツが透け、柔肉を包んだ純白のブ ラジャーとその下の突起とを浮かび上がらせる。うねくる水撃は、張り出した果実を弄ぶように かき乱す。
巨肉姉妹の重爆により、散々圧殺処断され続けた七菜江にとって、水流の圧力によるボディ
ーブローは確かに効いた。だが、処刑者たちの真意が圧迫の苦痛にはないことを、美肉の持 ち主はすぐに悟ることになる。
こねまわされる。
柔らかく、張りのある胸の双房が、怒涛となって撃ち込まれる水流におもちゃのようにこねま
わされる。
制服に浮かぶ小さな頂点。七菜江の肉体の中で、もっとも敏感な箇所のひとつが、弾き飛ば
されんばかりにぐるぐると回転し、踊り狂う。
ランダムな水の威力が、叩きつける放射のパワーバランスを一瞬ごとに変え、絶妙な緩急が
ついた刺激の波を、少女の下腹部へ送りつづけていた。しかもびっしょりと濡れて、桃色の乳 首を包み込むように纏わりついたセーラーが、くすぐったく痺れるようなその刺激を倍化させて いる。
それは水の愛撫だった。
二本のホースが放射する激しい冷水の波動、少女の柔肉をこね潰す水流のキャノンが生み
出すのは、死に体の少女の奥底に眠る、官能の漣だったのだ。
「あくぅッ!・・・・・・ふへあッッ!・・・・・・うくああぁぁッッ・・・!」
苦悶に歪んでいた美少女のマスクに、恍惚の影がよぎる。食い縛った白い歯の狭間から漏
れるのは、苦痛の呻きとは別種のモノになりつつあった。
「アーッハッハッハッ! いいねぇ、七菜江! あんたの弱点その5。女としての経験に乏し
く、性攻撃に脆い。痛みへの耐性は相当あるみたいだけど、こういうのはてんでダメみたいだ ね」
「くううぅッ・・・・・・ひゃはあッッ!・・・・・・あふッ! ふああぁぁッ!・・・」
「サリー、ビッキー、もっと身体のすみずみまで嬲ってやるんだ。女の身体っていうのは、ずっ
と一部分を責められるより感じちまうものなのさ」
青い肢体の全身を、淫靡な使命にうねくる水蛇が抉り撃つ。
大の字に磔された、はちきれそうな若い美肉を、つま先から掌まで存分に貪り穿つ。首から
下の、ありとあらゆる部分を七菜江はこねまわされる。アットランダムに襲いくる水の愛撫。い つ、どの部分に衝撃が加えられるかわからない、ある種の焦らしは過剰に少女の感度を高め た。緊張していれば拍子抜けするような刺激しか来ず、気を緩めれば股間や乳房など、敏感な 場所を責められる。変化に富んだ水責めは、あどけなさの残る少女の精神的なガードを呆気 なく崩壊させた。間を置いて浴びせられる胸の突起への蹂躙は、香の言葉通り、一点集中攻 撃以上の快感を七菜江に引き起こさせた。ぴったり吸いつく制服が乙女のピチピチの柔肌を 官能のセンサーに変え、濡れそぼる全身が、舐め尽くされたかのような錯覚を呼び起こす。
「あふッッ・・・・・・へああッッ・・・・・・んあああッッ〜〜!」
積み重なった拷問の呵責に、半分意識を吹き飛ばされた被虐の天使は、本能が命じるまま
に喘ぎ出していた。悪辣な敵の思うがままにされてしまう悔しさを、過酷な陵辱が遥かに凌駕し ていく。
食い縛っていた口元が緩み、半開きになった唇から透明な涎がとろとろと溢れる。蕩けそうな
表情を浮かべた瞬間、可憐さに満ちた七菜江の顔面に、水流の大砲が叩きつけられる。
「がふッッ!! ごぼッ! ごぼぼぼッッ!!」
肺にまで到達する水の勢いに、咽かえる磔少女。溺れる苦しみに、咳込む身体が激しく捻
れ、手首足首に絡みついた鎖をガチャガチャと鳴らす。拘束された肢体は、窒息の苦しみに も、虚しく悶えることしかできない。
「げほおッッ!! ゴボオッッ!! グハッッ! グボボボボッッ!!」
凄まじい水の威力に、呼吸を封じられる七菜江。二条の水流は愛らしい顔から一時たりとて
外されず、放水のヴェールがショートカットの下を完全に覆い尽くす。咽かえり、肺に入った水 を吐き出そうとする少女に、さらに強引に水を送り込む拷問。壮絶な水責めに、ビクビクと痙攣 する七菜江の心に、くっきりと死の苦痛が刻み込まれていく。
ようやく放射が顔から離される。
吐きそうな勢いで、激しく咳込む囚われの超少女。痙攣するほどの苦しさに、美少女の心の
鎧は剥ぎ取られてしまっていた。我慢し、抵抗しようとする意地を吹き飛ばされ、無防備に明か された青い果実に、再び水流の愛撫が噴射される。
「ふべええッッ〜〜・・・んはああッッ〜〜〜・・・・・・ふはああッッ〜〜・・・!!」
壊れたオモチャのように。
呆けた表情を浮かべたまま、ぐったりと首を傾げて金網に張りついた美少女が、堕落の喘ぎ
を漏らし続ける。様々な体液がいろいろな場所から沁みだし、びしょ濡れの超少女の足元にポ トポトと水溜りをつくっていく。この永遠に続く拷問は、もはや“遊び”の領域に突入しようとして いた。巨大風船の姿をした姉妹が、軽い気持ちで放つ水流の前に、正義の少女はいとも容易 く喘がされてしまっている。
レバーを締める音が、半失神に追い込まれた磔少女の耳に届いてくる。
胸の乳房を散々こね回した放射は、ようやく止まっていた。しかし、次なる悦楽の波動が、す
かさず身動きできぬ天使の延髄に送り込まれる。
白いシャツに浮びあがったふたつの突起。小豆ほどの大きさのそれを、カズマイヤー姉妹が
ひとつづつ口に含む。
冷たい水に浸された乳首を、生温かい粘液が包み込む。敏感な突起を痺れさす甘い官能の
疼き。下腹部を直撃する桃色の電撃に、七菜江の唇からたまらず悲鳴が迸る。
「うはあッッ?! ふわああああッッ〜〜〜!!」
熱い舌先で、豊満な膨らみの頂点がコロコロと転がされる。纏いつく粘液の微妙な震動。醜
悪な姉妹の、見た目に反した舌の柔らかさと優しい愛撫に、固くなった蕾がビリビリと震える。 ゾクゾクと背筋を駆ける官能の電流に、身も蓋もなく少女は絶叫する。
「いやあああああッッ〜〜〜ッッ!! んはあああッッッ――ッッ!!! んあッ! んあああ
ああッッッ―――ッッ!!!」
陵辱の恐怖と悪寒が、華凛な少女を叫ばせる。誰もがうらやむ豊満な美肉の持ち主は、一
方で穢れを知らない純粋な少女なのだ。卑劣な罠に嵌め、凄惨な蹂躙を加える悪敵に、いい ように遊ばれる屈辱と、快感の悦び。堕ちていく己の不甲斐なさに、七菜江は泣き叫ぶしかで きない。
チュプッッ・・・
乳首を舐めまわしていた口が、ふたつ同時に離れる。制服の突起と分厚い唇の間に涎の橋
が、キラキラと濡れ光る。ほっとしたのも束の間、メロンのような豊かなバストを、双子の丸い 指が、鷲掴みにして握り潰す。
「いぎゃあああああああッッッ――――ッッッ!!!」
壮絶な激痛に、またもや七菜江は絶叫した。
たっぷりと重みのある乳房が、破裂せんばかりの勢いで揉みしだかれる。肉を潰され、千切
り取られそうな痛みに、ブンブンとかぶりを振って悶える聖少女。気絶しそうな激痛にまざる、 かすかな桃色の疼きが、真っ直ぐな少女に混乱を引き起こす。七菜江の張り出したバストを揉 み潰しながら、先端の膨らみをカズマイヤー姉妹は再び口に含む。激痛と官能の二重奏を津 波のように浴びせられ、七菜江の心は狂わんばかりの刺激に飲み込まれていく。
「うあああああッッ〜〜〜ッッ!!! はふうううッッッ〜〜〜ッッ!!! あうッッ、うああああ
ッッ〜〜〜ッッ!!!」
ズブリ
開いた股間の中央に突き刺さる指。
憎き復讐の相手の無惨な姿に、気違いじみた笑顔を刻んだ柴崎香が、七菜江の秘裂に二
本の指を深く刺し入れていた。そのままぐりぐりと、熱く潤んだ洞穴を、掻き回す。
「アハッ、アーッハッハッハッ! 感じてる! 感じちゃってるのね、七菜江! どうよ、気分
は? 憎い敵にイカされる気分はどうなのよォッ?!」
「ふへううッッ!! ひゃうッッ! ふひゃああッッ〜〜〜ッッ!!」
紺青のプリーツスカートをめくりあげ、真っ白な下着を露わにして、香は聖少女の股間に吸い
つく。秘裂の上、最も敏感な突起を探り当てた復讐者は、少女の固い蕾を丹念に舐め回し始 める。
胸と股間、3つの敏感な蕾を一度に舐め上げられ、尚且つ柔肉と蜜壷を同時に責められる
複合愛撫に、もはや七菜江は嬌声をあげるのみ。背中を反らせながら、天空を仰いだ童顔は 桜色に上気し、潤んだ唇からは、とめどなく透明な涎が垂れ流れる。ピクピクと痙攣する身体 は、愉悦の波状攻撃によって、少女戦士が官能の渦に溺れていくことを教えている。
“・・・あ・・たし・・・・・・・・狂う・・・・・・・狂い・・・・死ぬ・・・・・・・・・”
劣情の波にさらわれ、虚無の世界に落ちようとする七菜江を、香は許しはしなかった。
ビッキーから受け取った消火用のホースを、真下から股間にめがけるや、弩流となった噴水
のキャノンを、少女の秘裂に撃ちつける。
ドドドドドドドドドドドドド!!!
「きゃああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
甲高い絶叫が、プールの水面を駆け走る。
溢れ出した蜜を吹き飛ばす、水流の陵辱。
脳天まで響く重い衝撃に、健気な天使の意識が刈り取られる。
ガクガクガク・・・
愛らしいマスクを数度、縦に痙攣させながら、七菜江は再び深い闇の中に堕ちていった。
「アーッハッハッハッハッ!! 苦しめ! もっと苦しませてやるよ、七菜江! 苦しんで苦し
んで、苦しみ抜いた挙句に死んでいくがいいよッ!」
高らかな哄笑が轟くプールサイド。金網に磔にされた少女に、スキンヘッドの大男と金髪の男
とが近寄る。
太陽のように明るい少女が、ポトポトと水滴を垂らしながら、執拗な陵辱に沈んだ姿からは、
普段の彼女らしからぬ、淫猥なエロスが漂ってくる。四肢を縛りつけた鎖に全体重を預けた少 女は、ピクリとも動かず、白い顔を晒している。
元柔道部の倉田と元野球部のコージが、超少女を捕らえた枷を外す。
ドシャリ
丸い両膝がすとんと落下する。
優雅な曲線を描いた美肉は、ゆっくりと前のめりに倒れていき、凄惨な蹂躙と残酷な陵辱の
果てに気絶した少女戦士は、うつ伏せにプールサイドに沈んで、固いコンクリートにキスをし た。
全身を濡らした水と体液が、じっとりと床に広がっていく。
「アーッハッハッハッハッ!! なにが正義の味方だ、情けない! まだまだ許さないからね
ぇ、七菜江。たっぷりと地獄の苦しみを味わってから死んでもらうよ!」
美貌の女子高生とふたりの醜悪な肉弾姉妹、そして3人の凶悪な不良学生。六人の嗜虐者
に囲まれ、嘲笑を浴びせられるなか、聖少女は敗北した肢体を横臥させている。勝者と敗者の あまりに残酷なコントラストが、夜のプールに描かれる。
“・・・・・・せ・・・・・・ん・・・・・・・・・ぱ・・・・・・い・・・・・・・”
「ぶしゅしゅしゅしゅ・・・こいつはもう終わりだね。これからどうする?」
「ふしゅしゅしゅしゅ・・・全身の骨でも砕いちゃう?」
「フフフ・・・もっと面白い趣向があるわ。この女を、もっとも苦しませる方法が」
“・・・・・・せ・・・ん・・・・・・・・・ぱ・・・い・・・・・・”
それは夢か、死にゆく者が見るという走馬灯か。
怨念に燃える女たちが、ドス黒い処刑の手段を話し合うなか、途絶えたはずの意識で、七菜
江はある記憶を蘇らせていた。
新必殺技を生み出すため、里美の命令で工藤吼介のもと、格闘の特訓を受けていたあのこ
ろ。
『もし自分より強い相手とか、多数に襲われたりした場合、七菜江ならどうする?』
稽古が終わり、ふたりで道場の板間に座り込んでいた時、唐突といった感じで格闘技では師
匠にあたる筋肉獣が聞いた。
しばらくはう〜んと唸って悩んでいたアスリート少女は、やがてちょこんと舌をだすと、照れくさ
そうに笑った。
『わかんない。とりあえず、負けてもいいから全力で闘う、かなぁ』
『ったく、お前らしいな』
呆れた口調の格闘士だが、その視線はどことなく嬉しそうだった。
『そういうときは、逃げろ。敵わないと思った相手とは闘わずに、とにかく逃げるんだ』
『そうなんですか? え〜、なんかヤだなぁ〜』
『格闘技ってのは、身を守るのが基本なんだ。お前みたいな考えしてたら、命がいくつあって
も足りねえぞ。嫌でもいいから、とにかく逃げるんだ。わかったか?』
『は〜い』
“・・・せ・・・ん・・・ぱ・・・い・・・・・・”
無邪気に笑っていた弾ける笑顔が消え、陰惨な夜のプールへと意識は連れ戻される。
冷たいコンクリートの床に、うつ伏せに倒れたままの七菜江の脳に、ドクドクと血流が注ぎ込
まれる。
破壊された身体、踏み躙られたプライド、汚された純潔・・・幾重にも幾重にも繰り返された七
菜江殺しの暴虐の数々。誰がどう見ても瀕死に追い込まれ、反撃など望めるはずもない被虐 天使の奥底から、最後のエネルギーが湧いてきているのを、勝利の余韻に浸る傲慢な処刑者 たちが、気付くわけはなかった。
「こいつをもっとも苦しめる方法?」
「そう。工藤吼介とキスしたことすらないっていうこの女の、貫通式をしてあげようじゃないの。
盛大にね」
「ぶしゅしゅしゅ! それはおもしろそうだ!」
風が舞う。
その、あまりに予想外の出来事に、柴崎香は一体なにが起こっているのか、目の前で目視し
ながらも理解できなかった。
―――ッッッ?!!!
立っている。
藤木七菜江が立っている。
身も心も食らいつくし、二度と立ちあがれるはずのない少女が、ガクガクと足を震わせながら
も立ち上がっている。
しかも、ボロボロにされ、破壊の限りを尽くされた少女戦士は、立ちあがりざまに見事な回し
蹴りを放っていた。それも3発。
親衛隊ともいうべき、3人の不良が顔を押さえて後方に吹き飛ぶ。
「なッッッ?!! なんだとォォ――ッッッ?!!」
驚愕の叫びをあげる香に、最後の一撃に賭ける少女は搾り出すように声をだした。
“せん・・・ぱい・・・・・・やっぱあたしには・・・・・・逃げるなんて・・・できない・・・・・・よ・・・・・・”
「・・・か・・おり・・・・・・お前・・・は・・・・・・あたしの・・・・・・命と・・・・・・引き換えに・・・・・・た
お・・・す・・・・・・・・・」
七菜江にはわかっていた。己に残された力を。あまりに少ない、その量を。
残りの力全てを使って、無垢な少女戦士は、逃亡ではなく、己への復讐に燃える悪鬼と、刺し
違える覚悟を決めたのだった。
東亜大附属高校の正門前―――
夜の帳がすっかり落ち、周囲には不気味な雰囲気が醸し出されている。
この地方随一のスポーツ優秀校は、一方でドロップアウトした連中を中心とした、凶悪な不良
校の一面ももつ。数年前に改築すいたばかりという白い瀟洒な壁を見る限り、そんな野蛮な素 顔は露ほどにもわからないが、渦巻く瘴気が、この敷地内に入ることがいかに危険な行為であ るかを教えてくる。
開け放された門の前で、ひとり仁王立つツインテールの美少女。
「七菜江、かなり待たせちゃったわね」
ファントムガール・ナナと闘った巨岩怪獣の正体が、カズマイヤー姉妹と見破った天才少女・
霧澤夕子は、暴力と腐敗渦巻く校庭に、躊躇することなく足を踏み入れていった―――
5
虫の鳴き声が聞こえてくる。
東京などの都市部と違い、まだ周囲に自然が多く残っているこの地方では、この季節にはち
ょっとした草むらなどから騒々しくも涼しげなコーラスが流れてくるのは当たり前の光景だった。
夜の校庭。この地方随一のスポーツ校であり、不良校でもある大東亜附属高校の正門をくぐ
った霧澤夕子は、広大な黒土の上でひとり風に吹かれている。
滝のように浴びせられる虫の合唱は、喧騒と呼んでも差し支えない程度のものだったが、夕
子には今立っている場所が、不気味なまでに静まり返って感じられた。理由は簡単、他に誰も いないからだ。昼の賑やかさとは打って変わった表情を見せる夜の学校に、戸惑いともいうべ き警戒心が高まっていることを夕子は自覚する。
静かだ。そして暗い。吸い込まれそうなほど。
だが、この闇のヴェールに覆い隠されたような敷地のどこかに、傷付き倒れた藤木七菜江の
姿があるのは、間違いないことなのだ。
遠目ではあるが肉眼で灰色と茶色の肉鞠を目撃し、無事に桃子を運び終わったあとで見た
五十嵐家のモニターで、サリエルとビキエルの姿をじっくりと確認した夕子は、ファントムガー ル・ナナを葬った敵の正体が、大東亜附属高校ハンド部のエース、カズマイヤー姉妹であるこ とを確信していた。トランスフォームを解除した七菜江を、3人の男たちが連れ去ったまでを政 府が管理する衛星は捉えている。彼らのアジトともいうべき場所で、瀕死の七菜江が拷問を受 けていることは想像に難くない。一体、どこに連れていかれたのか・・・? 久慈のような金持ち の子息でもない限り、ひとりの少女を監禁できる空間を確保するのは、決して容易い作業では ない。さらに、敵は複数であることを考えれば、相当広い場所に連れていかれ、多勢によるリ ンチを受けている可能性が高かった。カズマイヤー姉妹が用意できる広い場所・・・明晰な頭 脳を持つ少女が出した答えはひとつだった。
鮮やかな赤髪の少女は、銀色に輝く首輪にそっと手を添える。
彼女の体調を送信すると同時に、マザーコンピューターからのデータを受信できる小型発信
機は、ちょっとオシャレなアクセサリーに見えなくもなかった。その存在は激しく癪に障るもので ありながら、いざという時に頼りになるのが、サイボーグ少女にとってはジレンマだった。
政府が極秘裏に飛ばした情報衛星は、遥か上空からにも関わらず、人物の判別ができるま
でに詳細な地上の様子を捉えることができる。ただ、夕子に送られてくるものは、データ容量の 都合上、せいぜい人物の存在が確認できる程度のものまでが限界だった。また、一度に確認 できる範囲は狭いため、今回や以前里美が捕まったときのように、探索をする場合には必ずし も有効ではないのも、夕子にとっては歯痒いところだった。
ピピ・・・
かすかな電子音が、銀の首輪の内側で鳴る。
コンピューターにアクセスしてから約2分、ようやく大東亜附属高校、全ての敷地の調査が終
わる。
「ここは・・・プールね」
夕子の脳内に浮びあがった、デジタル的な平面地図。
プールと思しき場所に、この時期、この時間に、あまりに不自然な数の人間が集合している
ことを、機械少女は突きとめた。
黒土がめり込む。
黒の半袖Tシャツにクリーム色のスカートを合わせた格好のサイボーグ少女は、グラウンドの
土を蹴って、闇に沈んだスポーツ校のプールへと走り出していた。
「こいつ・・・なんてシブトイんだ・・・」
茫然とした呟きが口から洩れ出ていることに、巨肉姉妹の姉・サリーは気付いていなかった。
視線の先にあるびしょ濡れの美少女。
ところどころに血を滲ませ、グラグラと揺れるスポーツ少女が、破壊の嵐に晒され、精魂尽き
たはずの肉体を立ち上がらせている。
開きっぱなしの唇は吐血で朱色に艶かしく光り、透けた制服の上に屹立した乳首がふたつ浮
きあがっている。ムッチリと引き締まった脚はガクガクと震え、内股で50kgに満たない体重を 支えるのがやっとだった。性の蹂躙により、このあどけなさが残る少女の官能の炎が燃え盛っ ているのは確実だった。一方で丸みを帯びた芸術的な肢体は完膚なきまでに叩き潰され、指 一本で押すだけで瓦解するほど弱っているはずだった。
肉体も精神も、崩壊寸前まで嬲られ尽くした、敗北の少女戦士・藤木七菜江。
惨めで、哀れですらあるはずの目障りな宿敵は、サリーの認知し得ない不思議な力で、奇跡
的な現象を起こして立ち上がっている。
なぜだ? どうして?
不屈の闘志なのか、アスリートの底力なのか、本当に奇跡なのか・・・これほどの凄惨なリン
チを受けながら、尚屈しない小柄な少女に対し、サリーは恐怖に似た感情が芽生えてきたこと をほのかに感じていた。そしてもうひとつ、尊敬ともいうべき感情も。双子の妹の胸にも、それ は去来しているであろう。恐らくは無自覚のまま、ふるふるとかぶりを振っているビッキーの丸 い顔は、暑さのせいではない汗でびっしょりと覆われているが、ぎょろりとした双眸には幼女の ような輝きがわずかながら灯っている。
「ここは私ひとりでいいわ。サリー、ビッキー、下がってなさい」
高慢を音にしたような口調で、柴崎香が命じる。
七菜江にプライドを踏み躙られた、美しき容貌を持つ女子高生には、憎悪の視線しか窺えな
かった。あくまで抵抗してくる後輩の姿が、復讐鬼と化した彼女の苛立ちを倍増させる。立って いるだけでやっとの七菜江を、真正面から打ち破り生意気な心を砕け散らせる・・・少女戦士の 徹底的な破壊を目指す般若は、この場合もっとも効果的な“七菜江殺し”を悟っていた。
このガキを殺すのは簡単だ。
だが、もはや嬲り殺す必要はない。いま、一番やるべきことは、この私には敵わないというこ
とを叩きこむこと。どこか心の奥で、正々堂々と闘えば勝てると勘違いしてるのに違いない小 娘を、決して私には勝てないことを教えて、奈落の底に突き落としてやること。
そのときこそ、ひまわりのような天使は絶望に打ちひしがれ、真の敗北を迎えるのだ。
年不相応の色香を纏う、魅惑の鬼女の右手が奇妙な形に変形する。肘から先が瓢箪のよう
になり、鋭い銀の針が飛び出る。己の勝利を寸分も疑わぬ香の美貌は、戦慄するほど禍禍し く歪んだ。完璧なる美の造形と、恩讐に満ちた悪意とが混同して生み出された悪の華が、必殺 の暴風を撒き散らす。
くる。
壮絶な笑顔を刻んだまま、復讐の悪鬼が一歩を踏みだす。
右足、左足、右足・・・
その一歩、一歩を見詰めながら、ガクガクと震える身体を抱きしめ、七菜江は己に迫る殺意
を待ち受ける。
待つしかなかった。自らの命と引き換えにしてでも、香を倒す覚悟を決めた無垢なる天使。だ
が、死を賭してまで手に入れた反撃の力は、たった一撃分しかない。歩くことすらままならぬ美 少女は、敵が近付いてくるのを待つしかないのだ。
“も・・・う・・・・・・どうなっても・・・・・・い・・・い・・・・・・た・・・だ・・・・・・一発でも・・・・・・”
己の運命を悟った七菜江は、悲壮な決意を固めて、人生最期の敵となるであろう先輩に、渾
身の一撃を狙っていた。今の七菜江に許されたのは、それが限度だ。
たった一発・・・一撃で敵を倒すには。
満足な思考も許されぬまでに蹂躙された被虐天使の脳裏に、それだけ鮮やかに工藤吼介と
の会話が蘇ってくる。
“顔面しかねえな”
常に泰然とした男臭い顔は言った。
“オレくらいの打撃力があるならともかく、普通は一撃で倒すには、顔を狙うしかない。警戒さ
れてても、な”
狂った笑顔が、立ちすくんだ天使の目前に立つ。
一瞬の、静寂。
プールサイドに涼しい風が吹き通る。
ゴクリ、と生唾を飲む双子。
瓢箪の先に生えた針が、暗い照明灯を反射して動くのが見える。
動けないはずの少女戦士の右足が、霞む。
風が唸る。命を賭けて放ったハイキックが、凶悪な笑みを浮かべた美貌へと襲いかかる。
なんのフェイントもない、単調な一撃。
しかしながら、抜群の運動能力を誇る少女の、全力の一撃。
当たればK.O.は免れない神速の上段蹴りが、聖少女の全てを乗せて、復讐鬼の顔面に
迫る。
「ッッ!!」
よけた。
柴崎香はよけていた。
高い鼻梁の先をかすめた右足が、わずかに上半身を反らした香の顔面を通りすぎていく。
蹂躙により、真の力を封じられた七菜江。
『エデン』により、身体能力をあげた香。
十分に顔を狙ってくることが予想できた状況。
それら全ての要因が重なり合って、正義のヒロイン命懸けの一打を、卑劣な悪の華がよける
無慈悲を生む。
「アーッハッハッ! 死ねッッ!! 七菜江ッッ!!!」
ハイキックの勢い余って背中を見せるショートカットに、右腕の針を光らせた般若が踏み込
む。
完全に振り返ってしまった無防備な少女の背中が、香の破壊欲を滾らせる。
その柔らかな肉に、毒針を突き立ててやる――
血走った瞳が、暗黒の嗜虐心に輝く。
生意気で忌々しい後輩の最期。毒を存分に打ち込み、血を吐き散らしながら苦痛に絶命す
る七菜江の無惨な姿を看取る・・・夢見たシーンを間近に控え、香の心は歓喜する。
その時、見た。
視界の隅、下方から“なにか”が撥ねあがってくるのを、香は見た。
左足。
七菜江の左足。
後ろ廻し蹴りというより、ソバット。ローリング・ソバットの要領で、回転する超少女の左足が
撥ねあがってくる。
フェイント。右のハイキックはフェイント。
瀕死のアスリート少女が仕掛けた罠に嵌ったことに気付き、乗り出した体を後退させようとす
る香。だが、一度前に向かった肉体を、慣性の法則を無視して動かすには、七菜江の追撃は あまりに速すぎた。
「〜〜〜ッッッ!!!」
ドボオオオンンンッッッ!!!
砲撃のごとき炸裂音が、プールサイドを駆け巡る。
垂直に浮きあがった香の華奢な肉体は、海老のように丸まった姿勢のまま硬い大地に落下
する。
七菜江の命を賭けた一撃は、ものの見事に悪鬼と化した女子高生の鳩尾に突き刺さってい
た。
足の動きで、最も力を出せる動きはなにか?
蹴りあげる動きでも、振り回す動きでもない。常に立ち、歩く人間の足が、もっとも自然に鍛え
られている動き、それは“踏む”という動きに他ならない。
その“踏む”力を最大限に生かした打撃技、それがソバットである。
回転力を利用して振り回すのではない。回転力を加えつつ、“踏む”ように足を突き出すの
だ。
顔面以外の場所でも、一撃で敵を倒せる必殺技。非力な女子供でも、強大な相手に力で対
抗できる、唯一といっていい技を、七菜江は最期の技に選んだのだ。
健気な少女は、自らがこの地で処刑されることを悟っていた。
どんなにがんばっても・・・どう足掻いても・・・この窮地を脱出できる力も方法も皆無であっ
た。
たとえ香を倒したところで、残り5人を相手にどうすることもできない。そして、その香ですら、
KOできても素手で滅することなどできはしない。
己の死をも省みず、最期の抵抗を試みた七菜江だが、その結末が犬死であることも悟って
いたのだ。
ただせめて・・・せめて一矢を報いたい。
正義の使者としてか、ひとりの少女としてか、儚い意地だけで立ちあがってきた守護天使は、
己を陥れた悪女への一撃に、もっとも苦痛を与える技を選んだのだ。
意識を刈り取る頭部への打撃と違い、地獄の悶痛を与え続ける腹部への打撃は、被爆者を
数日間に渡って壮絶な苦しみに沈める。吐き気、悪寒、内臓の軋む苦痛・・・呼吸すら満足に できぬ生き地獄が、全身を絡め取るのだ。
「あたし・・・・・・・の・・・・・・・何十分の・・・・・・1かの・・・痛み・・・・・・少しは・・・・・・思い・・・知
れ・・・・・・・・・・」
とっくに腹部を破壊され、さらにこね回されていた七菜江が、ガクリと両膝を折る。
限界は、来た。
全身を脱力させ、ぐったりとその場にしゃがみこんだ超少女に、もはや一片の体力も残され
てはいなかった。
背中を丸め、腕も頭も垂れ下がらせた、無垢なる天使。
ぼんやりと灯る虚ろな瞳には、目の前で倒れ伏す、ウェーブのかかった長い髪を映してい
る。
倒れこむふたりの美少女に気圧されたのか。
周囲を囲む5人の傍観者たちは、声を発することなく茫然とこの光景を眺めて立ち尽くしてい
る。だが、まもなく正気に戻った彼女らは、処刑すべき相手である七菜江を捕らえて、最後のト ドメを刺すだろう。正義の少女には、それがわかっていた。今はただ、静かに“その時”を待つ だけだった。
「・・・・・・ッッ!!!」
空気がざわめく。
このプールサイドに、驚愕を飛び越えた衝撃が走るのは、何度目のことだろうか。
だが、今度ショックに声を失ったのは、先程奇跡の復活を見せた、七菜江の方だった。
柴崎香が立ち上がっている。
口元から深紅の粘液を垂れ流し、腹部を左手で押さえながらも、狂った笑顔を咲き乱して、
復讐の女子高生は立ち上がっていた。
その美貌は真っ青に変色し、夥しい汗が胸元まで濡れ光っている。明らかに、七菜江の一撃
は効いていた。それなのに香は、笑みを浮かべて動けぬ七菜江を見下ろしている。
「・・・あ・・・・・・アア・・・・・・」
半濁した瞳を、超少女は見開いていた。
香の肉体を打ち抜いた一打、その確かな足応えが、少女にソバットの威力を教えていた。内
臓は間違いなく潰れているはず。それなのに、地獄の悶痛に耐えて香が立ちあがってくるの は・・・
“あたし・・・への・・・・・・・恨み・・・・・・・”
巨大で、深遠な、七菜江への憎悪。
尋常ならざる憎しみの怒涛をまともに浴び、身も心も疲弊しきった純粋少女の闘志が吹き消
されていく。
“あ・・・たし・・・・・・こんなに・・・・・・憎まれて・・・たんだ・・・・・・・・この・・・ひとに・・・・・・・勝て
るわけ・・・・・・・ない・・・・・・・・”
絶望する少女の顔面に、立ち上がった般若の下段蹴りが吸い込まれる。
グシャリ! という肉の潰れる音を残して、失神した七菜江の肢体は大の字に仰向けにな
る。
「アーッハッハッハッハッ!! アーッハッハッハッハッ!!」
復讐者の狂った哄笑が、プールサイドに響き渡る。
仰向けに倒れる敗北天使を、踏む、踏む、踏む。
顔面を踏み、豊かな胸の丘陵を踏み、潰れた腹部を踏み・・・しっちゃかめっちゃかに、全て
の肉片を踏み潰す勢いで踏みまくる。
顔面を染めた血飛沫が、少女の肢体を、コンクリートの床を、香の足の裏を、鮮やかな赤で
汚していく。
悲鳴をあげることすらなくなった幼き天使の指先が、ビクビクと痙攣して、少女の破滅を知ら
せる。
「どうだアッッ、七菜江ッッ!!! どうだアアッッッ!!!」
ピクリとも動かなくなった少女のショートカットを鷲掴み、鼻血と吐血とで真っ赤に染まった可
憐な顔を、復讐の悪鬼は引き摺り起こす。
ヌラヌラと、己の血で濡れ光る、キュートな容貌。
眉をひそめ、形のいい唇をパクパクと開閉させる七菜江の顔は・・・・・・
勝気で純粋な少女戦士の顔ではなく、許しを乞う敗北者のそれであった。
柴崎香の「七菜江抹殺計画」は、こうして完成の時を迎えた―――
真夜中の校庭を走り抜けてきた霧澤夕子の前に、ようやくプールへと続く更衣室の入り口が
見えてくる。
この更衣室を抜ければ、そこはすぐにプールサイドだ。慣れない他校の地理と、東亜大附属
高校の広い敷地とに手間取って、予想以上に時間を取られたが、マザーコンピューターから送 られてくる情報では、まだプールにいる数人の人物たちは大きな動きを見せていないようだ。
“七菜江・・・生きていて!”
プールへ続く更衣室の出口を蹴破って、Tシャツ姿の夕子の身体はプールサイドに踊り出
る。
「??!」
「お! 来やがったぞ!」
ひとめでそれとわかる、学生服姿の不良が3人。
いわゆるヤンキー座りをしていた彼らが、一斉に立ち上がるのを見ながら、夕子の脳裏に疑
問符が浮ぶ。
そこにいるはずの七菜江が・・・いない!
「きゃあッ?!!」
予想外の展開に困惑する夕子を、頭上からの冷水が更なる混乱に陥れる。
更衣室の屋根に登って待機していた新たな不良の、明らかな待ち伏せ。まるで夕子がここに
くることを予見していたような手際良い動きに、機械少女の脳裏に赤いランプが激しく鳴り響く。
“こ・・・これは・・・罠?!!”
動揺を示すクールな少女の首に、鉄製の鎖が絡みつく。
胴に、太股に、合計3本の鎖は、あっという間に夕子の小さな身体を拘束した。まさしく一瞬
の出来事。計算され尽くした包囲網に、天才と呼ばれる少女は成す術なく翻弄される。
「よし、やれッ!」
物陰に隠れ、鎖で夕子を捕獲した3人の不良たちは、一斉にあるものを取り出した。
「なッッ!!」
バチバチと、青白い炎を飛び散らせるそれは、スタンガン。
体の半分近くに機械が埋め込まれている夕子にとって、もっとも苦手である電撃を放つ機械
が、3人の手に握られている。
水に濡れ、夕子に絡みついた3本の鎖に、一斉にスタンガンが押しつけられる。
「うぎゃあああああああ―――ッッッ!!!」
バチバチバチバチッッ
全身を焼く電撃の音に、罠に落ちたサイボーグ少女の絶叫が重なった――
♪チャラリ〜ララ〜チャラチャラリラ〜ラ〜
最近街角でよく耳にする、流行りのメロディーが電子音に乗って流れる。
胸元に忍ばせておいたケータイを、柴崎香は優雅な手つきで取り出した。
「もしもし? どう、やっぱり来たかしら?」
ジャラジャラと3種類のストラップが鳴るピンク色のケータイの向こうから、いかにもイキがっ
た様子の若い男の声が聞こえてくる。
『ああ、あんたの予想通りだぜ! 赤髪の生意気そうな女が来やがった』
「で、首尾の方は?」
『ヘヘヘ・・・これを聞けば、わかるだろうがよ』
男の声が遠ざかり、代わりに別の音がケータイから流れてくる。
バチバチという、火花の弾ける音と、断続的に洩れる「あくッ・・・うくッ・・・」という引き攣る声。
どうやら香が指示した通り、東亜大附属のプールに現れた霧澤夕子を捕らえ、その身体中に
スタンガンを押し当てて拷問している最中のようだった。
「よくやったわ。けど、くれぐれも油断するんじゃないよ」
『おいおい、こっちは7人いるんだぜ? こんな女ひとりに、油断もクソもねーだろーがよ!
首とオッパイとアソコに電気流されて、ビクビク痙攣しちまってるぜ! ・・・で、ホントにこいつ、 なにしてもいいんだな?』
「いいわ。殺そうが、犯そうが、あんたたちの好きにしなよ」
『マジかよ?! ヘヘヘ・・・ヤっちまって欲しい女がいるっていうから、どんなヤツかと思え
ば、けっこうイケテるじゃねーか! あんたの望み通り、たっぷり輪姦して、オレらの肉奴隷に でもしてやるぜ』
電話から届いてくる下卑た声に美貌をしかめながら、香は数m先の人の集まりに視線を飛ば
す。
そこでは、血に染まった見事な肢体をさらけだし、虚ろな瞳をさ迷わせる敗北の天使が、5人
の男女に滅茶苦茶に揉みしだかれていた。
饅頭のように膨れあがった豊かな丘陵が、ひとりがひとつづつ担当して揉みくちゃにされてい
る。青いプリーツスカートはずり降ろされ、濡れて透き通ったショーツに浮ぶ淡い茂みは、激しく 擦られている。肉の詰まった太股も、うっすらと筋肉が浮んだ腹部も、あらゆる部分が10本の 手によってまさぐられ、弄ばれている。
泣き叫ぶ表情のまま、固まってしまったアイドル顔負けの美少女のマスクは、白目を剥いた
まま、ピクリとも反応していない。
顔中深紅に染まり、ダラダラと涎を垂らし続ける口からは、甘い官能の吐息が、時折微かに
洩れるのみ。
意識は吹き飛ばされても、暴風雨のような蹂躙に、若い肉体は素直に反応してしまうのだろ
う、断続的に指先が震え、時に大きく背を仰け反らすことで、少女がまだ生きていることはわか った。
殺しても殺し足りぬ憎き女・・・藤木七菜江は、いまや完全に香の軍門に下っていた。
その口からは、ついに香への哀願を搾り出すことはできなかった。
七菜江に残る最後の意地が、屈服の口上を留めたに違いない。だが、その必要は、もはや
あまりなかった。なぜなら、七菜江の表情は、少女戦士の敗北を、雄弁に物語っていたのだか ら。
あとは・・・殺すだけだ。
七菜江の仲間、つまり他のファントムガールが救出にくるであろうことを予測したのは、香に
七菜江抹殺の手引きをしてくれた片倉響子であった。東亜大附属に罠を張り、スタンガンを用 意するよう忠告された時には半信半疑であったが・・・いざ、こうして全てが響子の思惑通りに 進んでいることを思うと、女教師の策略に脱帽せざるを得ない。
霧澤夕子か・・・
ハンドの試合場で出会った、ツインテールの少女の鋭い視線を香は思い返す。
彼女がファントムガールのひとりであることは、響子から聞かされている。聖愛学院の理数科
に通い、天才と名高いことも。もし、今回の七菜江抹殺計画を邪魔する者がいるとすれば、一 番可能性が高い人物であることも。
しかし、天才少女の推理は天才生物学者の罠に敗れ去った。
香には夕子への興味はない。七菜江の友人であるからには、痛めつけるに越したことはない
が、生かそうが、殺そうがどうでもいい。金で雇った東亜大附属の落ちこぼれたちの好きにす ればいい。ただ、計画の邪魔さえさせなければ、それでいいのだ。
そして、夕子は七菜江の救出に失敗した。
当の七菜江は、ピクピクと痙攣するしかない惨敗者に変わり果てた。
もはや、香の邪魔をする者はいない。
あとはただ、線香花火のようにちらついた七菜江の命の灯火を吹き消し、未来永劫に葬り去
るだけ。
『なッ・・・なんだッッ?!!』
本懐の達成を目前にして、恍惚の世界に飛んでいた香を、受話器から流れる切迫した声が
現実に連れ戻す。
「?? ・・・・・・どうしたの?」
『このアマッッ・・・まだ動けたのかよ! ・・・やれッ! なにやってんだッ?!』
ケータイの向こうで気配が遠ざかる。つんざくガチャッ、という音が、不良のリーダー格の手か
ら、ケータイが投げ捨てられたことが伝わってくる。明らかな動揺と、騒乱の波。かすかに聞こ えてくる肉を穿つ音と、複数の怒声とが、向こうの世界で闘いが始められたことを香に教える。
な、なに? 霧澤夕子が歯向かっているとでもいうの?
彼女が機械を内蔵されたサイボーグであることは、響子に教えてもらっている。スタンガンを
用意したのは、電撃を苦手とする夕子を倒すためにだ。普通の人間でもスタンガンの一撃を浴 びれば失神は免れないというのに、3つも食らわされて、サイボーグが立てるわけがない。しか し、ケータイが伝える緊張の空気と昂ぶった咆哮は、戦闘が繰り広げられていることを如実に 示している。
いつのまにか、静寂が訪れていた。
どうやら騒動は、決着を迎えたらしい。
カチャ・・・ケータイを拾う音が、聴覚に意識を集中させた香の耳朶を打つ。
『あんたが・・・・・・・黒幕・・・ね・・・・・・』
鼻にかかった、甘い声。
脳裏に蘇る赤髪の少女の声が、香の背筋を這い上がる。
『ハア・・・ハア・・・七菜江は・・・・・・返してもらう・・・わ・・・・・・』
プツリ
香の指は、無意識のうちにケータイを切っていた。
電撃地獄に嵌ったはずなのに・・・屈しなかったというのか、霧澤夕子。
シブトイ。七菜江もそうだが、こいつらはシブトイ。
夕子が今いるこの場所を察知しているのか、それはわからない。たとえわかっていても、東
亜大附属から移動するのでは、もう間に合うわけがない。
理屈では、夕子が七菜江の救出が不可能であることはよく理解している。それでも守護天使
と謳われる少女たちの粘り強さは、邪鬼と化した香には脅威となって迫ってくる。
「おい、サリー、ビッキー」
ケータイでの遣り取りを知らぬ肉弾姉妹は、敗北天使の豊満な肢体を貪るのに夢中になって
いた。棘のある命令口調が、嗜虐の愉悦に浸っていた巨体に突き刺さる。
「遊びは終わりだ。その女・・・殺しな」
ポトリ・・・
指の間からずり落ちていくケータイの感触が、夕子の神経に届いてくる。
白く細い指は、軽量化された通信機を掴もうとはしなかった。コンクリートに落ちたケータイ
が、乾いた音を奏でる。
東亜大附属高校のプールサイド。
闇に閉ざされた灰色の床には、7つの男たちの肉体が倒れこんでいる。
元はアスリートであった東亜大附属の不良たちは、恵まれた運動能力を生かし、他校の落ち
こぼれたちとは一線を画した実力を持っていた。並外れた機械の力を全開にした『エデン』の 融合者夕子といえど、7人全員を倒した代償は、決して軽くはない。
左腕を押さえ、プールの金網に寄りかかるサイボーグ少女の黒いTシャツは、ところどころが
破れていた。
桜色の唇の端からは、血が滲んでいる。うっすらと腫れあがった頬や目蓋が、夕子の整った
顔面を捉えた殴打が、一発や二発ではないことを物語る。
広めの肩幅に比べ、ずいぶんとか細い足は、今にも崩れ落ちそうに震えていた。身を屈めて
いるのは、さんざん蹴りあげられた肋骨と内臓がギリギリと悲鳴をあげているからだ。
「くッ・・・・・・我ながら・・・・・・情けないわ・・・・・・」
ブスブスと黒煙を昇らせている肉体を、一歩前に進める夕子。
白い咽喉元や、Tシャツが破れた胸の先には、黒い焦げ跡がついている。スタンガンによる
電撃責め。時間にして、10分近く浴びせられた拷問は、サイボーグ少女の体力を大きく奪って いた。
「あの男・・・電気対策は・・・万全だなんて・・・・・・けっこう効いたじゃない・・・・・・」
フラフラと歩を進める夕子の脳裏には、褐色に焼けたオールバックの男の顔が浮かぶ。ダン
ディズムを絵に描いたような、白衣の中年男・・・父である有栖川邦彦の顔が。
電気が苦手な機械少女には、当然の対策が備わっていた。絶縁体の特殊ゴムにより、通常
の人間以上に電流の流れにくい身体になっているはずだったが・・・許容量以上の電撃には耐 えきれないらしい。瞬間、死をも覚悟した壮絶な体験も、銀色の首輪により、研究者である父 には単なるデータとして送られていることを思うと、夕子は激しい憤りに駆られざるを得ない。
だが、今の彼女を衝き動かしているのは、それより遥かに大きな感情だった。
「ナ・・・ナエ・・・・・・どこに・・・いる・・・の?・・・・・・」
電撃地獄に絶叫し、7人の不良との闘いに辛うじて勝利した半壊の身体が、よろめきながら
夜の校庭を歩いていく。
死地に陥っているはずの、仲間の姿を求めて。
その頼りない足取りは、哀しいまでに行く先を、わかってはいなかった――
「なにしてんのよ。早く、そいつを殺すんだよ!」
苛立ちを隠せない柴崎香の怒声が、穏やかなプールの水面を渡っていく。
声が向けられた先は、横臥する敗北天使の側に突っ立った巨肉姉妹だった。台詞の内容に
か、命令する口調の激しさにか、圧倒された3人の“普通の”男たちは、血祭りにあげられた肉 感的な少女の周囲からジリジリと離れ、今や完全に傍観者を決め込んでいる。まだ理性が残 っている彼らは、命令に従うにせよ、背くにせよ、悲劇的な事態が己に降りかかることをよく理 解していた。
「お、おい・・・殺せって・・・マジで言ってんのか?!」
姉のサリーが丸い瞳をさらに丸くして言葉を返す。
「当たり前でしょ。私とあんたたちが手を組んだのは、そのムカツク女を殺すためでしょうが」
香の口調には、一切の躊躇もない。「殺す」という言葉の重みを知りつつ、尚かつ平気で口に
している言い方であった。
「確かにウチらは、こいつがジャマさ。生意気なこの女を、ボロボロにして服従させるっていう
から、あんたと手を組んだんだ。けど・・・見ろよ」
妹のビッキーが、白目を剥いたままのあどけない顔を蹴る。
なんの抵抗も示さず、憐れを誘う敗北者の顔は、ゴロリと反対側を向いた。
「こいつはもう、終わってる。この顔は、完全に負け犬の顔さ。ウチらに二度と歯向かうことは
ないだろうよ。なにも・・・殺す必要はないだろ?」
ギリギリと、奇妙な虫の鳴き声がプールサイドを漂う。
耳障りなその音が、虫の音ではなく、香の歯軋りであることは、まもなくその場の全員に判明
した。
美しくも妖しい、魔性の瞳が血走っている。
狂気の怒り・・・紅蓮の炎を宿した瞳の光に、思わず肉弾姉妹は後退っていた。
「ブタが・・・臆病風に吹かれやがって・・・」
本来なら許さずにはおけぬ暴言。だが、決して自分たちより強いとは思えぬ華奢な女に、巨
肉の双子は怒るどころか、逆らうことすらできなかった。
圧倒的な憎悪。
藤木七菜江に対する感情は、カズマイヤー姉妹と柴崎香とでは、全く異質であることを、とう
に双子は勘付いていた。狂っている。七菜江への逆恨みともいえる憎しみは、悪党の側に立 つ姉妹から見ても、尋常ではない。正気の沙汰とは思えぬ香の巨大な復讐心に、仲間ながら 肉弾姉妹は戦慄を覚えずにはいられない。
「お前らがやれないっていうなら、私がやってやるよッッ!」
内臓を抉られ、苦痛に囚われているはずの身体が、凄まじい勢いで大の字に倒れる血染め
の天使に歩み寄る。脅えるように、巨大風船が飛び退き、道を開ける。
黒髪のショートカットをムンズと掴むや、そのままズルズルと、一気に無抵抗の身体をプール
に運ぶ香。
仰向けの姿勢で、七菜江の首から先が水中に沈められる。
「アーッハッハッハッ!! 死ね! 七菜江! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
大の字の豊満な肢体がブルブルと震えている。
ゴボゴボと浮きあがってくる気泡。だが、水中の頭は、一向に上がってきそうにない。
絶体絶命の窮地に立たされているというのに、少女の肉体はもはや満足な抵抗すらできな
かった。沈められた顔を、起こす力すらない。復讐の般若に抗うことなく、ただ苦しみ悶える、 惨めな痙攣をしてみせるだけ。
ザバアーッ
水飛沫を飛ばして、沈められた顔が、水上に戻される。処刑を見詰める者たちは、それが香
のためらいでも、慈悲でもないことをきちんと理解していた。すでに意識のない少女の肉体が、 ゲボゲボと咳込んで飲んだ水を吐き出す。悲痛に歪んだ美少女の瞳には、虚ろな光が灯るば かり。
「苦しいかいッ?! 七菜江ッ!! 苦しいだろッ!! さあッ、ついに死ぬ時だよッ!!」
再び、キュートなマスクが水中に沈められる。
ピクピクと断末魔に震える究極のボディライン。
ゴボゴボと激しい気泡が、緑色の水面を波立てる。
大きな泡が、やがて小さくなり・・・ついに気泡はなくなった。
壮絶な苦しみを教えていた全身の震えが、嘘のように静まっていく。
死ぬ。
藤木七菜江は、死ぬ。
目の前に繰り広げられる「殺人」ショーに、傍観者の背筋が凍っていく。
「アーッハッハッハッ!! これで・・・終わりだー――ッッッ!!!」
ドゴオオオオオオオオンンンンンッッッ!!!!!
地球の爆発する轟音に、その場の全員の心臓は飛びあがった。
いや、違う。地球が爆発したのではない。
あまりに猛々しく、あまりに豪快で、あまりに荘厳なその破壊音は、母なる地球が爆発したの
ではなく、プールと更衣室とを繋ぐ出入り口の扉が吹き飛ばされた音だった。
砕け散った木片が闇夜を裂いて飛んでいく。あるものはプールに落ちて水音を発し、そしてあ
るものは・・・50mプールの反対側にある金網に当たって、ガチャリと鳴った。
「ッッッ!!!!」
メキョ
いる。
無くなった扉の向こうに、誰かいる。
完成間近のこの処刑場に、侵入しようとする誰かがいる。
メキョッ! メキメキメキッ! ミシミシッ! ミチミチビキビキビキッッ!!
「な・・・んだ・・・・・・この音・・・は・・・?・・・」
誰かが呟く。
誰でもよかった。関係なかった。ただ、大事なことは――
“闇の向こうに、最悪の事態が待っている”
「なんだア――ッッ、てめえはァァ――ッッ!!!」
元野球部のコージが、金髪を振り乱して特攻する。金属バットを振り上げ、必殺の意志を込
めて、闇に佇む何者かに襲いかかる。勇気ある突撃――いや、そうではない。強大な闘気に 飲み込まれた臆病者が、恐怖に克てずに動いてしまったのだ。
ゴオオオオッッッ!!!
突風が、駆け抜ける。
金網の「潰れ死ぬ」音に、一同は振り返った。
ひしゃげた金網に、金色の頭と二本の足の裏とが生えていた。
腹から真っ二つに折れ曲がったコージの身体が、杭のようにロケットとなって金網に突き刺さ
っていると知れるには、しばしの時間を必要とした。
「〜〜〜ッッッ!!!!」
戦慄が、処刑者たちを包む。
コージの惨状が原因ではなかった。どうでもよかった。関係なかった。それより、大事なこと
は――
今の一瞬で、10mは距離を詰めた侵入者が、その正体を月夜の下に現したことだった。
「工藤・・・吼介・・・・・・」
白のTシャツに、デニムのパンツ。
ラフな格好に身を包んだ、最強の筋肉獣が、蹂躙の限りが尽くされた処刑場に降臨したの
だ。
「ひいィィッッ?!!」
憐れですらある悲鳴を漏らしたのは、狂気に飲まれたはずの柴崎香であった。
視線が、合ってしまった。
その瞬間、あれほど嬉々として水中に沈めていた聖少女の顔を、無意識に香はあげてしまっ
ていた。なにかを言われたわけでも、睨みつけられたわけでもないのに。あげなければ殺され る、そう思ったわけですらない。香の無意識下の意識が、必死の救いを求めて自然に行ったと しか思えぬ動き。
デカイ。
巨体であることも、凄まじい筋肉の持ち主であることも知っていたが、これほどまでに巨大
で、研ぎ澄まされた肉体であったろうか?
違う。いつもとは違う。
この男は、「変身」している。
Tシャツの上からハッキリわかる筋量、瘤が膨れ上がったような背中、筋繊維が一本一本見
える腕。ダイヤモンドで造られた、超合金のようなこの肉体は、明らかに普段見せる肉体では ない。言うなれば・・・
ひとを、瞬殺できる肉体
「ひいィッッ・・・ひッ・・・ひッ・・・・・・」
美貌を歪ませた復讐鬼が後退する。ぐったりと横たわる被虐の天使すら、その意識の外であ
った。
表面上、角張った男臭い顔は、淡々として見える。
だが、香にはわかる。
その瞳に燃える、獰猛な怒りの炎が。
触れただけで焼滅される、猛け狂う地獄の業火が。
「柴崎香・・・お前でよかった」
「なッ・・・?!!・・・・・・」
「七菜江を襲った相手が、お前でよかった」
「ひいィッッ?!! な、なにを言って・・・」
「七菜江を泣かせた時点で、お前は滅ぼされる運命だった」
―――コ・ワ・サ・レ・ル―――
「こいつを倒せェェ――ッッ!!! お前ら、この男を殺すんだァァッッ――ッッ!!!」
気違いじみた香の絶叫が、すくみあがった男たちを突進させる。
元水泳部のユータが、自慢のナイフを月光に光らせる。
コージや、元柔道部の倉田が東亜大附属の生徒であるのに対し、このユータだけは聖愛学
院の生徒であった。
今回、県大会に出掛けている水泳部の留守中に、この聖愛学院のプールに忍び込めたの
は、彼による功績が大きい。七菜江の仲間が東亜大に向かうことを予測し、裏をかいたこの作 戦に、霧澤夕子は見事に引っ掛かったわけだが、よもやこの男が登場してくるとは・・・
なぜ、この男はこの場所に七菜江がいることを知っていたのか?
そんな疑問を思う暇なく、圧倒的な強者の風が叩きつけてくる。
内通者がいたのでは・・・頭の片隅に、そんな思いがわずかにこびりついている。
「ウオオオオオオ――ッッッ!!!」
雄叫びが、自然にパンチパーマから溢れ出た。
ユータはこの中で、もっとも実力的に劣っていた。だからこそ、工藤吼介の真の恐怖を測れ
ずにいた。無謀な突撃者は、煌かせたナイフを、筋肉獣の左足に突き立てる。
ズブリ
いともたやすく、ナイフは突っ立った鎧武者の左足に突き刺さった。
鮮血が噴き出る。そう、依然として包帯が巻かれたままの負傷箇所を、パンチパーマの元水
泳部は、躊躇することなく狙ったのだ。敵の弱点を責めるのは、当然のこと――そう教えられ て育った彼は、当たり前のことを当たり前にやったにすぎない。
「え・・・?!」
かつて経験したことのない感情が、ユータの全身を覆い包む。
ナイフが、抜けない。
その驚愕の事実より、身に迫った破滅の予感こそが、不可思議な感情の正体だとは、彼は
気付くことができなかった。
ボンッッッ!!!
その音は、ドラム缶が破裂したとでも形容するのが、一番適切であるかのような音だった。
真上から振り落とされた鉄拳により、ユータの頭部は胴体に埋まっていた。
首が生えるべき場所に、パンチパーマを生やした奇妙な人間は、ビクビクと震えながらゆっく
りと倒れていった。
「せええええいいいッッッ!!!」
一瞬の刹那の後に、倉田の巨体はナイフが刺さったままの破壊神の懐に飛び込んでいた。
なぜそんな無謀ができたのか、倉田自身にもわからない。
ただ、確実に言えるのは、倉田が吼介を倒すチャンスがあるとするならば、間違いなくここし
かない、というベストのタイミングで彼が突っ込んだことだった。
元柔道部のスキンヘッドがここぞで頼った技、それはやはり柔道の技で、彼が最も得意とし
た内股であった。
股間に右足が滑り込む。技がかかればこちらのものだった。上向きの力に対抗するのは、
人間の身体の構造上難しい。浮きあがる衝動に、どんな怪力の持ち主も、堪えることなどでき はしない。
・・・そんな倉田の常識は、この時点をもって、木っ端微塵に粉砕された。
技は完璧に決まっているのに。
1cm、いや、もしかすると、1mmとして、最強の鎧武者は揺るぎもしていない。
「ばッッッ・・・」
化け物だ。
この男は人間ではない、化け物だ。
恐怖に駆られた倉田の視界が、グルリと大回転する。
傍目から見ていると、それはまるで魔術だった。
必死の形相を浮べて全力を振り絞っている大男とは対照的に、倉田の襟首を右手で掴んだ
格闘獣は、ビニル人形でも投げるような軽やかさで、2m近い巨体を宙に舞わせた。まるでそ こに重力は存在しないかのように。氷に滑った人間が、勢いよく転ぶような感じ。まっ逆さまに なった巨体は、脳天から大地に落ちていく。一瞬なにが起きたかわからなかった倉田が、柔術 の技によって投げ飛ばされたと悟った瞬間、スキンヘッドはコンクリートのプールサイドに激突 した。
脳が揺れる。視界が歪む。
「ゆ、許して・・・許してくださいィィ・・・」
これが闘いであるならば、事実上その一撃で勝負は決していた。
100kgを越える全体重が、頭と首にかかったのだ。いくら倉田が柔道で受け身に慣れてい
るといえ、ほとんど垂直に落とされたのではたまらない。軽い脳震盪を起こした身体以上に、心 は震えあがっていた。恐怖を隠せないふたつの眼、そこに映るグニャリと曲がった世界に、逆 三角形の鋼の肉体を持つ男が立っている。淡々とした表情の奥に隠された修羅の形相に、倉 田は心底からの嘆願をしていた。
「あいつの痛みは、こんなものじゃすまない」
ベッギイイイイイッッ!!
ふらつく足にローキックが飛んだとは、倉田にわかるはずもなかった。
わかったのは、己の足が無くなったということ。
筋肉の薄い関節の部分、ちょうど膝の曲がるところに、ナタよりも鋭く、ハンマーよりも重く、
鋼鉄よりも硬い右のローキックが打ち込まれ、骨も靭帯もまとめて裁断したのだ。そのあまりに 強大な威力は、二本の足をまるごと折った。吼介の右の一撃で、両足の膝を粉砕された禿げ 頭の巨体は、その場に崩れ落ちて膝立ちになる。
「ぎゃあああああッッ――ッッ!!! 痛ええええッッ――ッッッ!!! 痛ええよォォォッッ
ッ!!!」
激痛と恐怖に、七菜江をさんざん蹂躙して楽しんでいた大男は、幼児のように泣き叫ぶ。修
羅と化した戦闘士に、慈悲の心などあろうわけがなかった。
喚く顎を鷲掴む。
右の拳を引いた破壊神は、バズーカの照準を、泣き崩れたスキンヘッドの顔に合わせる。
この至近距離から、骨ごと粉砕されるのは確実な豪打を、よりによって顔面に撃ち込もうとい
うのか。
「ひえええええッッ〜〜〜ッッ!!! やめてぐでえええッッ!!! た、たずげでぐれえええ
えッッッ!!!」
膝立ち状態の倉田の股間が、みるみるうちに濡れそぼっていく。大男は失禁していた。
工藤吼介のパンチを顔面にもらう。そこから連想されるのは、「死」以外に有り得ない。
ただ、鼻が潰れるか、顔に穴が開くか、脳みそをぶちまけるか、首が千切れ飛ぶか・・・どの
程度の損傷ですむかが変わるだけだ。
「殺しは、しない。てめえには、それ以上の恐怖を味わってもらう」
ゴオオオオオッッッ!!!!
台詞の終了と同時に、迫撃砲並の右ストレートが、固定された倉田の顔面にへと飛ぶ。
豪風が涙と涎でグショグショになった顔を打つ。
パン! 甲高い炸裂音が、夜のプールにこだまする。
「あひぇッッ・・・ひゅえええ・・・ぎひいいッッ・・・・・・」
硬質化して黒光りする拳は、泣き崩れた顔面の鼻先で止まっていた。
寸止め。
先の破音は、猛打により巻き起こった風が叩きつけられた音だった。
「あひッ、あひいいいッッ・・・ヒイイッッ・・・ヒイイイッッ〜〜・・・」
ガクガクとスキンヘッドが縦に揺れる。
防波堤が壊れたように、涙と鼻水が凄まじい勢いで溢れ出る。見開いた眼は、なにも映して
はいない。剥き出した黄色い歯の間からは、蟹を思わせるアブクが、留まることなくゴボゴボと 噴き出す。足元にできた水溜りからは、夏の夜風に乗って、アンモニアの異臭が漂い始めた。
倉田は発狂していた。
「夢の中で、永遠に死の恐怖に脅えてろ。それがてめえへの罰だ」
濁った倉田の網膜に刻み込まれた映像。
迫る死神の右拳。
確実な死に際し細胞も意識も震えあがり凍えあがる、人生最悪最期の経験を、倉田は記憶
の中で繰り返し繰り返し・・・未来永劫繰り返し・・・その50年以上の余生を、恐怖と絶望のみに 取り憑かれて生きることを、余儀なくされたのであった。
人間一体を“破壊”した究極の肉体が周囲を見遣る。
狂気に縁取られた美貌の復讐者と、巨大風船のごときハーフの双子は、幻のように忽然と姿
を消していた。
闇に閉ざされたマンモス校、聖愛学院の巨大な正門を、ひょこひょこと左足を引き摺りなが
ら、ひとつの人影が潜り抜ける。
月の光に浮びあがる、極厚の肉の壁。女性の脚より太い腕には、ズタズタに破れた制服に
血を滲ませた、憔悴しきった少女の肢体が抱えられている。ダラリと垂れ落ちた傷だらけの腕 が、死んだように眠る少女が受けた、過酷な拷問の凄まじさを物語る。
夏の熱気を裂いて、一陣の夜風が頬を打つ。
血臭を漂わせながら、瀕死の少女を抱いた筋肉の小山が、ひとけのない夜道を歩いていく。
「あれほど言ったのに、手を出したわね」
行く先を遮るように、ひとりの女が道路の真ん中に立っている。
夜目にも鮮やかな赤いスーツ。腰までの長い黒髪。天才彫刻家が生み出した、美神のマス
ク。闇の瘴気を我が物とし、色香のテイストを付け加えたような妖艶な魔女・片倉響子は、欠点 ひとつない完璧なる美貌を凍りつかせ、無感情な声を投げ掛けた。両手を腰に当てて佇む姿 は、高慢であり、不満げであり、どこかエロティックであった。
「よく、言う。じゃあ、ここを教えたのはなぜだ?」
足を止めた工藤吼介は、落ちついた口調で問い返した。
「試したのよ」
「試す?」
「あなたがそのコを、どれだけ大切に想っているかをね」
「こいつが死んだら、困るのはお前も同じだろ?」
涼しげな風が吹き抜ける。
妖艶な魔女と、究極の魔人の間に、静かな時が流れていく。
「けど、さすがのタフなそのコも、今回ばかりはダメかもね」
「・・・」
「見たでしょ、どれだけ痛めつけられたか? あそこまで徹底的にやられて、果たして復活で
きるやら・・・」
「消えろ」
瞬時にして、緊張の空気が世界を覆った。
「今すぐ消えろ。警告は、以上だ」
ゴクリ、という生唾を嚥下する音が、やけに大きく蒸し暑い夜に響く。
冷酷ともいうべき無表情だった女教師の額には、暑さのせいではない汗が、生々しく浮び上
がる。
数歩、後ろに下がった深紅のスーツは、くるりと踵を返すと、無言のまま、闇の奥に溶けこん
でいった。
妖艶にして危険な薔薇の気配が、完全に消え去ったことを確認して、吼介は胸で眠る、血の
こびりついた美少女の顔を覗き込む。
「蘇れ、七菜江」
少女離れした肉感的な肢体を抱く腕に、力を込める。若い弾力が、セーラーの上から伝わっ
てくる。
意識を失っている少女に、囁くように男は独白を続けた。
「知っていたさ。お前が青いファントムガールであることは。初めて現れた時から。あの女に
教えられなくても」
返事をするわけがない少女の柔らかな頬に、男は硬い頬を摺り寄せた。
「だってオレは・・・ずっとお前を見てたんだぜ」
6
熱い。
身体が燃えるように熱い。
指先から足首まで、痺れるような熱い疼きが、全身を覆っている。天も地もわからない、浮遊
する感覚の中、藤木七菜江の意識は現実と夢の狭間をさまよっていた。眼を開けているのか どうかすらわからない。真っ暗闇に塗りつぶされた少女の意識は、複雑に絡み合った激痛の 渦に飲み込まれ、苦しみの海を漂流するのみだった。
百本・・・いや、二百本もの針が体中に突き刺さっているのではないか。ズキズキと脈打つ激
痛の隙間で、七菜江はそんな錯覚を起こしていた。右腕は溶岩にでも突っ込まれているように 滾り、肋骨は巨大な手に潰されているように圧迫されている。どこが痛いということはなかっ た。どこもが痛かった。痛いという生易しい刺激ではない、悶痛と呼ぶに相応しい地獄の刃が、 リンチに散った敗北少女に襲いかかっていた。傷だらけの肉体を眠らせる少女は、遠く聞こえ る獣の唸り声が、己の苦悶の呻きであることに、ようやく気付き始めていた。
苦し・・・い・・・・・・
抉られた無数の傷により、七菜江の全身は熱を帯びていた。失神しそうな激痛の嵐に加え
て、高熱の重荷が小さな少女にのしかかっている。死の影がチラチラとよぎるのを自覚しつ つ、血に汚された天使は、苦痛の宇宙を漂っていく。
100kgを越える肉弾姉妹の重爆により、肋骨と内臓が激しく損傷しているのはよくわかっ
た。アバラの数本は確実にヒビが入り、重く響いてくる内臓の痛みは、腐食しているかの錯覚 を起こす。呼吸のたびに激痛が走るのは、主にこれらのダメージのせいだ。
集中的に攻撃された右腕は、まるで力が入らない。正確にいえば、間違いなく襲うであろう鋭
痛が怖くて、力を入れることができない。半濁した意識の中、七菜江は肘から先が千切り取ら れた己の右腕を想像していた。
無数の針に突き刺された地獄の苦痛は、変身が解けたあとでも少女の柔肌に刻み込まれて
いた。体内に直接注がれた、灼熱と電撃の責め苦が蘇る。隙間もないほど全身を覆った、発 狂しそうな苦痛の嵐に、アスリート少女の精神は死の淵を彷徨する。
あ・・・たし・・・・・・・・・ダ・・・メ・・・・・・
あた・・・し・・・・・・・・も・・・う・・・・・・ダ・・・・・・メ・・・・・・・・
ヒュウヒュウという悲痛な吐息。
死者の産声が己の口から洩れ出ているのを自覚しつつ、純粋な少女戦士は、破壊され尽くし
た肉体に憐憫の想いを寄せる。
ボロボロにされちゃったね、あたし・・・
里美さん・・・みんな・・・あたし、ここで死ぬみたい・・・・・・
「死なせないぞ」
ドクンッッ!
その声は、幻覚にしては鮮烈に七菜江の耳朶を打った。
忘れられないその声は、暗黒に呑まれかけた少女の心に光明を突き刺す。淡々と、だけども
力強いその声。有り得ない、いや、でもあたしの心に染み込んでくるこの声は。ああ、願わく ば・・・願わくば神様、この声があたしの都合のいい願望が生み出した、幻聴でありませんよう に。死に逝くあたしへの、手向けの幻などでありませんように。
「蘇れ、七菜江。蘇れ」
ああ・・・この声は・・・・・・耳元で転がるこの低く、優しい呟きは・・・
神様、確かですよね? 夢なんかじゃないですよね?
この時、薄れゆく意識の中、手負いの少女は気がついた。
身体の奥底に流れ込んでくるような、暖かく、激しい生命の濁流を。
凍えきった肉体に注がれる、沸騰したエネルギーの放射を。
以前、敗死したファントムガール・ユリアを救うため、聖なるエネルギーを与えたあの感覚。
あの逆の立場、エネルギーを与えられる側に今なっているというのか。
そんなわけはない、今は人間体だし、なによりあれは、ファントムガール同士だからこそでき
る芸当・・・
疑問と不可思議に包まれた少女の意識は、刻まれたダメージにより、再び暗黒へと引き摺り
こまれていった。
その疑念を、深い闇の意識へ閉ざしながら。
なんの障害もなく、目蓋は開いていた。
投げられたボールを受け取る自然さで、苦痛と疲労のために縫いつけられたような瞳は、す
うっと滑らかに開けられる。
霞みがかった視界には、見慣れない白い天井。
藤木七菜江の蘇生は、静かに、そしてゆったりと行われた。
「こ・・・ここ・・・・・・は・・・?・・・」
洩れる吐息が火照っている。
一体どれくらいの間、眠っていたのだろう。全身にいまだ留まる痺れる疼きは、倦怠感のヴェ
ールによって、若干その鋭さを抑えられているようだった。筋肉が固まってしまったかのように 重い。完全には起きていない身体は、七菜江の意識とは隔離されて浮遊している。少女は、今 自分がどういう態勢にあるかを理解できていなかった。
「あ・・・たし・・・・・・」
生きてたんだ。
プールサイドで受けた恥辱と苦悶の数々。朦朧とした意識の中、七菜江は確実な死の覚悟
をどこかで決めていた。柴崎香に水中へ沈められた後の記憶はまるでない。失神する最後の 瞬間、少女は濃厚な死の臭いを嗅ぎ取っていた。
助かったのだ。
なにがどうなったかはわからないが、神様はまだ、生かしておいてくれたらしい。
本来なら感謝すべきところだが、生憎少女の脳は、まだウォームアップ中であった。ぼんやり
と、ひとつづつ記憶と現状を整理していく。
初めて七菜江は、奇妙なことに気が付いた。
身体は毛布で包まれている。それは不思議ではない。
おかしなのは、どうやら布団の上に寝ているわけではない、ということだった。
微妙に身体全体が斜めに浮いている。
かすかに感じる拘束感。そして温度。
少女はもうひとつ、毛布の上から自分を包んでいるものを見た。
抱き締められていた。
大切なものを守るように、愛しげに、力強く。
太く、頼もしい両腕の中に、復活の天使は包まれていた。
抱いている人間の上半身が、崩れ落ちて前屈みになっているため、気付くのが遅れた。どう
やら眠っているらしい。抱きかかえた七菜江のお腹に折り重なって、上半身を倒している。憔 悴の影が濃い男臭い横顔からは、かすかな寝息すら届いてくるのに、七菜江を支えた両腕は 手術台のごとく安定している。
神様―――
不意に襲った衝動に、少女のチャーミングなマスクがヒクヒクと引き攣る。次の瞬間、ふたつ
の瞳からは、熱い泉が噴水のように溢れ出した。
あたし、一番じゃないかもしれない。でも・・・でも・・・
たぶん、このひとに、すっごく愛されてます―――
温かな波紋が、本調子でない全身に広がっていくのを少女は感じた。
沁みいる波動が、損壊した細胞を活性化させていく。
完膚なきまでに破壊されたはずの天使は、驚くべきスピードで奇跡的な復活を完成させつつ
あった。
「どう? ナナ、見つかった?」
瀟洒な彫刻が施してあるベッドに寝る少女は、霧澤夕子が部屋に入ってくるのと同時に声を
かけた。もう何度繰り返されたかわからない質問に、いままでと同じく首を横に振って赤髪の少 女は答える。沈鬱な空気が室内を覆うのも、いつもと同じことだった。
薄ピンクのパジャマ姿の桜宮桃子は、やや美貌をしかめながら上半身を起こす。いてもたっ
てもいられない様子が、芯の強そうな黒い瞳に映る。
「無理しちゃダメよ。毒は抜けたとはいえ、3日は安静にって安藤さんに言われたでしょ?」
「それはそうだけど・・・やっぱじっとしてられないよ」
ファントムガール・ナナが3体のミュータントに敗れてから4日が経っていた。行方不明になっ
た藤木七菜江の消息はいまだに掴めてはいない。政府の特別部隊が、捜索を続けてくれては いるが、以前里美が敵側に捕らえられた折、回収保護担当の数人の隊員たちが悲惨な死を 遂げた教訓から、捜索はより慎重に進められていた。基本的には、「エデン」寄生者相手には 「エデン」寄生者が当たるのがベストなのだ。しかし、肝心の寄生者である自分たちが、ほとん ど捜索に協力できていない現実が、夕子、桃子ともに歯痒かった。
リーダーであり、窮地にもっとも頼りとなる里美は静養のため、完全に連絡が途絶えてしまっ
ている。道場の合宿に行った西条ユリを、合宿地の伊豆から呼び出すわけにはいかない。残 ったふたりで頑張らねばいけないのだが、桃子は片倉響子に注入された毒の影響で、一命は 取りとめたものの闘えるわけがなく、結局は夕子ひとりに任せざるを得なかった。
その夕子とて決して万全な状態ではない。東亜大附属高校のプールで襲撃された彼女は、
その後路上で昏倒していたところを、銀の首輪からの情報で救出に向かった隊員たちに助け 出されていた。彼女が嫌う忌々しい首枷が、夕子の危機を救ったのだ。父親の元に運ばれ、 緊急メンテを受けたサイボーグ少女だが、その途中で脱け出してひとり七菜江探しを続けてい た。しかし、黒幕の正体は依然掴めず、捜索は困難を極めていた。
「あたしがこんなことにならなければ、ナナを助けにいけたんだもん・・・あたしのせいだよ。あ
たしが響子さんと闘ってたら・・・」
「自分を責めるのはやめて。桃子のせいじゃないわ。敵は七菜江を倒すために綿密に計画
を練ってきたんだから」
重苦しい空気がふたりの美少女の間に流れる。どちらの美貌にも焦燥と不安が色濃く張りつ
いていた。七菜江への敵愾心を剥き出しにした敵は、すでに処刑を済ませている可能性もあっ た。壊滅的ともいえる状況のさなか、里美の代役を務めざるを得なくなった夕子は、さすがに 強気も天才的頭脳も影を潜め、状況打開に苦慮していた。
「幸い毒は大したことがなかったといっても、どれだけの血を失ったと思ってるの? とにかく
桃子はしっかり休んで。それがいまのあなたに一番必要なことよ」
「けど、今あいつらが街を襲ってきたら、どうするの? 夕子ひとりで守るつもり?」
「私しかいない以上、私ひとりで闘うわ」
「ダメだよ、そんなの。ナナの二の舞になっちゃうよ」
「大丈夫、恐らくやつらは現れないわ」
「どうして?」
「あいつらは七菜江を倒すことが目的だったのよ。試合中から七菜江を狙い、痛めつけ、孤
立させて倒した。目的を達成した以上、もう現れることはない。ファントムガール・ナナが再び現 れない限り」
「そんなのわからないじゃん。気が変わるかもしれないし・・・」
男ならドキリとせずにはいられない綺麗な瞳を桃子は向ける。政府の組織が残した、闘いの
記録映像。後半わずかしか映せなかった、ナナと3匹のミュータントの闘いは、蜂女とふたつの 巨岩ハリネズミが、青い天使を無惨に蹂躙するシーンに終始していた。3つの暗黒スラム・ショ ットに、鮮血を飛び散らせてトドメを刺される守護天使。その血祭りにあげられた悲惨な姿が、 桃子の脳裏から離れない。
「あんな奴らと1vs3で闘ったら・・・勝てるわけないよ。いくら怪我してたからって、ナナがあれ
だけ一方的に負けるなんて・・・」
「違うわ、桃子。七菜江だから負けたのよ」
毅然として言い放つ夕子に、桃子は驚きを隠せない口調で訊く。
「どういうこと? だってナナ、強いよ。普通に闘ったら、もしかしてファントムガールのなかで
も一番強いかもしれない」
「それは私もわかってるわ。けれど、今度の敵は七菜江にとって、最悪の敵なのよ」
夕子の言葉の真意を量りかねて、思わず病床の美少女は首を傾げていた。
「あいつらをミュータントたらしめている負のエネルギーは、七菜江への憎しみがほとんどな
のよ。『エデン』と融合する者は、その時の精神が融合した後に増幅されるのを思い出して。正 義の心を持つ人間はその想いが強まるけど、破壊欲に溢れた人間は、破壊のみに魅入られ た悪魔になるということを」
「あ・・・そっか・・・ってことは・・・!!」
「そう、あいつらはもう、七菜江を倒すことしか興味のない復讐鬼。そしてその負の感情が強
いほど、闇のパワーはあがるわ。あいつらが強力な暗黒の力を発揮できるのは、七菜江を相 手にしたときだけなのよ。いってみれば、対七菜江専用の悪魔・・・たとえば私が闘うことになっ ても、あそこまで苦戦することはないはず」
「ナナを倒すためだけのミュータント・・・」
「そう。だから、あまり恐れる必要はないわ。ただ、逆にいえば」
脳裏に蘇る先の戦闘の映像が、一旦クールな少女の口を閉じさせる。一瞬の躊躇のあと、
夕子はできれば断言したくはなかった己の分析結果を言葉に乗せた。
「七菜江にとっては最強の敵よ。たとえ万全な体調で闘ったとしても、絶対に勝つことのでき
ない・・・」
眠りこむ獅子の目蓋がピクピクと震える。
あ、起きる・・・
もう何分か、じっと男の横顔を眺めていた七菜江の胸に、急激に照れ臭さが沸きあがる。
起きたらなんて言えばいいんだろう? 適切な言葉が見つからず、ますます少女は恥らっ
た。男の部屋にふたりっきり、しかも抱き締められた姿勢でいる・・・男女の仲については、純 情を通り越して愚直なまでに鈍感な七菜江であるが、このシチュエーションが意味する事態は 理解していた。しかも、とても日常生活には有り得ないレベルの、ボロボロの身体を見られてい るのだ。嘘の苦手な少女にとって、秘密を守るという意味でもうまい台詞は思い浮かばない。
感謝の言葉? 傷だらけの身体の言い訳? それとも、なぜここにいるのかの疑問? 初め
に口にすべき内容がわからず、羞恥に頬を赤く染めた少女は、小動物のように動揺する。
男の眼が開く。
ゆっくりと首が動く。正面から、慌てる少女と男臭い顔が向き合う。
「おはよう」
工藤吼介の口からでた言葉、それはあまりに当たり前な挨拶だった。
「・・・おはよう・・・ございます、先輩」
抱きかかえられたままの姿勢で、少女は挨拶を返す。自分でも驚くくらいの弾んだ声で。
ひまわりの少女に、陽光が射し込むように笑顔が広がり、この地上で他に見ることのできな
いチャーミングな表情は、殺風景なひとり暮しの部屋に、眩いばかりに輝きを放った。
最強と畏怖される格闘獣と、天性の運動神経を誇るアスリート少女。自然に沸き上がる衝動
に、互いにしか見せぬ微笑を向け合って、ふたりだけの時間は、そのまま悠然と時を重ねてい った。
「あたし、先輩の家に来るの、初めてです」
毛布を被ったまま、布団の上に移動した少女が、興味津々といった様子で明るい声を出す。
上半身を起こして座る七菜江の姿は、もうすっかり元気を取り戻しているように見えた。実際
のところ、「エデン」による超人的な回復力により、瀕死に陥った七菜江の肉体は、普通に生活 するには差し支えない程度にまで治癒していた。吼介によれば、3日間、ずっと少女は眠り続 けていたそうだ。体力はすっかり戻り、靭帯を痛めた右腕と、ヒビが入っている可能性が高い 肋骨以外は、我慢できない痛みではなくなっていた。
先程から3畳ほどの狭いキッチンで、なにかを調理している逆三角形の肉体が、背中越しに
語りかけてくる。
「そりゃそうだ。最近引越したばかりだからな」
「じゃあ、もしかして、あたしが最初の訪問者ですか?」
「そういうことになるな」
胸の内でガッツポーズをした七菜江だが、次の瞬間には、それがあまり意味のないことに気
付く。だからどうしたといわれれば、それまでのことだ。それでも喜びたい自分がいるのを、少 女は抑えることができなかった。
聖愛学院の生徒の何割かは、他県からの入学者のため、寮に入ったり、七菜江のように居
候したり、夕子のようにアパートを借りて自活している。吼介は里美同様、学院からは近いの だが、親の都合でひとり暮らしをしていた。6畳間に小さなキッチン、バス、トイレ付き。五十嵐 家の広い敷地に慣れた七菜江にとってはやや手狭に感じる空間も、じっと座っていると親近感 が募ってくる。
柴崎香らに捕まっていた七菜江を、なぜ吼介が救えたのか? 筋肉に包まれた男は“偶然”
という言葉で説明した。少しでも真実っぽく聞こえるように、いかにもなエピソードを付け加え て。純粋な少女は、見事なまでに信じていた。恐ろしいまでの素直さも、時には役立つことを吼 介は知った。
「ねえ、ねえ、さっきから、なに作ってるんですか?」
「3日もなにも食ってねえんだ、腹へったろ?」
やがてグツグツと煮えたぎった土鍋を、可愛らしい花柄の鍋持ちを両手につけた吼介が運ん
でくる。白い湯気がもうもうとたちこめ、目の前の台に置かれただけで、熱さが伝わってくる。
「特製粥だ。沖縄特産の黒麹菌から作られたもろみ酢をかけてある」
プラスチック製のスプーンでひと掬いした七菜江が、口に入れようとして柳眉をしかめる。白
いスープは近付けるだけで熱気を伝えてきた。
「ん〜〜、熱いよォ〜」
「さすが猫。やっぱり舌も猫さんなのか?」
ニヤリと笑う吼介に、唇を尖らせた少女は、ついと匙を目の前に差し出す。
「? なんだよ?」
「フーフーして」
「アホか」
ボッと頬を炎上させる格闘士に悪戯っぽい微笑の視線を送り、ちょっとしたリベンジに成功し
た七菜江は小匙に乗せた米粒を、ピンク色の唇の間に一気に運ぶ。途端に少女のキュートな マスクは、くしゃくしゃに崩れた。
「んにゃ〜〜、酸っぱいィィ〜〜!」
「我慢しろ、アミノ酸とクエン酸たっぷりの、オリジナルもろみ酢なんだぜ。疲労回復と新陳代
謝アップにはもってこいだ」
うんちくを続けようとした格闘者の口がつぐむ。
少女の可憐さを残したまま大人への階段を昇ろうとする奇跡的な瞬間を捉えた、蕾の魅力を
凝縮したマスク。その愛らしい七菜江の顔を、ポロポロと伝う無数の涙が彩っている。
「どうした? そんなに酸っぱかったか?」
フルフルと横に首を振るあどけない少女は、澄みきった瞳で日焼けした男を見詰める。
「なんで・・・ケガのこと、訊かないんですか?」
吸い込まれそうな青い瞳に、最強の男はたじろぐ。彼にそんな対応をさせるのは、恐らく世界
にふたりしかいまい。
「あたし、負けました。卑怯な奴らと闘って、負けました」
「そうか」
ポン、と節くれだった右手を、分厚い男は少女のショートカットに乗せる。自分を罠に嵌めた
相手に、惨めなまでに敗れ去ったことを思い返させないようにしたのは、吼介なりの優しさのつ もりだった。だが、あどけなさを残した少女は、彼が思うより強かったらしい。敗北の天使は現 実を正面から見据えていた。透明な結晶をこぼしながら、まばたきもせずに真っ直ぐに潤んだ 視線で射抜いてくる。
「悔しいです。あたし、悔しいです」
「誰だって、負けることはあるさ」
「ううん、違うの。負けたことじゃないんです。そのひとたちは、あたしのことを憎んでる。その
気持ちに立ち向かえなかったことが悔しいんです。あたしが倒すしかない相手なのに・・・」
そっと空気が凪ぐ。
羽毛のように巨体を動かした究極闘士は、涙に濡れる天使を、真正面から抱き締めていた。
抱くというより、包む感覚。動物が寒さで身体を擦り合わせているような、愛しく、優しい抱
擁。
頬を擦り合わせ、ショートカットに隠れた耳元で、筋肉獣は囁いた。
「一度負けた相手にか?」
「はい。あのひとは・・・あいつらは、あたしが倒さなきゃならないんです。たとえどんなに無謀
だってわかってても」
「そうか」
セミの鳴き声が、窓の外から洩れてくる。
空調の効いた部屋の中、互いの体温と鼓動の響きだけが、ふたりにとって世界の全てだっ
た。
「七菜江、魔法の呪文を教えてやろう。苦しいときは、この呪文を唱えるんだ」
ボソ・・・と、ショートカットに向かって、吼介は何事かの言葉を呟いた。
「うん、わかった・・・ありがと、先輩・・・」
ファントムガール・ナナであることをバレてないと思っている七菜江と、七菜江の正体を知らな
いフリをしている吼介。
だが、男は知っている。この会話が、再び可憐な天使を、凄惨な死地に送り込む最後の言葉
になることを。少女は知っている。この会話が、男との最後の想い出になるかもしれないこと を。
だからこそ、ふたりはなにげない言葉の遣り取りに、万感の想いを込めて伝えていた。
「先輩、もう1コだけ、お願いしてもいいですか?」
「ああ」
「ギューッって、してください」
頬寄せ合ったふたりは、互いの顔が燃えあがるように赤く染まったことを知らない。
ただ、それ以上の関係には、今はならないことを知りながら、筋肉の鎧と豊満な果実は、きつ
く、きつく抱き締めあった。
セミの声だけが、遠く、高い空に響き渡った。
「5日、か」
藤木七菜江が消息不明になってからの日数を、霧澤夕子は指折り確認する。
依然としてその足取りは掴めてはいなかった。あの二匹の巨大ハリネズミが、東亜大附属の
カズマイヤー姉妹であることはわかっている。だが、双子の巨漢の行方も、七菜江同様判明し ておらず、捜索は暗礁に乗り上げたというのが、率直な意見だった。
もし、七菜江が生きているとすれば。
そのケガは相当に回復しているはずだった。「エデン」による回復力の向上は、夕子自身が
身をもって承知していた。加えて、七菜江の超人的な体力は、5人の守護少女の中でも群を抜 いていた。特にそのタフネスぶりは、単に「エデン」のおかげというには済まないレベルにある。 人間体で集中的に攻撃を受けた右腕はともかく、削り取られた肉や、破れた皮膚などはほとん ど治っているのではないだろうか。
となれば、なぜ連絡を入れてこないかがわからない。
“周囲の状況など、まるで見えないタイプだから、どれだけ私たちが心配してるか、気付いて
ないかもしれない。でも、それにしたって、助けぐらい求めてくるはずだわ”
では、殺されたか。
あるいは、いまだ捕虜のままなのか。
それにしても、なんらのアクションも敵側から起こっていないのが、夕子には解せなかった。
少なくとも、片倉響子が関わっているのが確実な以上、七菜江を仕留めただけで終わるわけ がない。処刑したにせよ、捕虜にしたにせよ、次なる作戦のために、利用しないわけがないの だ。
“七菜江、どこにいるのよ・・・”
いまだ体力の戻りきらぬ桃子が、すやすやと寝入るベッドの傍らで、窓の外に広がる入道雲
を、夕子は遠く見詰めていた。
軽くドアをノックする音が聞こえてきたのは、その時だった。
「霧澤様。藤木様が見つかりました」
執事・安藤の知らせに、垂れ気味の瞳を開く夕子。
「ホントに?! どこにいたの?!」
「闘っております」
「え・・・?!」
「ここから30分はかかる山間の海辺にて、先日の3匹を相手に闘っております。今、映像が
届きました」
安藤の台詞が終わるより早く、ツインテールの少女はモニタールームへと駆け出していた。
吐き捨てられた言葉が、糸になって流れていく。
「ホンットに・・・バカなんだからッッ!!」
なぜ、生きていた七菜江が、連絡を寄越さなかったのか?
天才少女は理解した。忘れていたわけではない。わざとだ。自分を抹殺しようとする敵に、た
だひとりで決着をつける気なのだ。
無理だ。無謀だ。無茶だ。
せっかく助かった命を、自ら散らすようなものだ。バカげた決断だ。
けれど・・・そう、夕子はわかっていた。
それが藤木七菜江という少女だと。
そして、たったひとりで全てを背負い込み、全てを解決しようとする友の勇姿を、ただ見守る
ことだけが自分にできる精一杯であることを、クールで、熱い少女は把握していた。
その姿を、一瞬たりとも逃さず凝視することが、青い天使の勝利を祈ることだと信じて――
「七菜江ッッ!!」
聞こえるはずもない叫びを、地下の作戦室に入った瞬間、巨大モニターに向って夕子は挙げ
ていた。
二次元スクリーンいっぱいに映る、はるか彼方の修羅場。
友の生還を祈る茶色の瞳に飛び込んできたのは――
両脇の巨岩怪獣に青いショートカットを鷲掴まれ、血まみれの肢体をぐったりとぶら下げた、
瀕死の守護天使の映像だった―――
三方を山に囲まれた砂の海岸。
ゴツゴツと岩が点在し、とても海水浴場にはなり得ない静かな海辺が、藤木七菜江が選んだ
決戦の場所だった。
干物など、海からの恵みで細々と生計をたてている村の人々は、突然現れた4体の巨大生
物に逃げ惑った。うちひとりの神々しい銀色のボディは、ニュースなどで見知ったもの。巨大な モノへの恐怖と同時に、輝く肌と見事なボディラインに、非常事態だというのに感動が沸き起こ る。
わずか数戸の家屋があるだけのこの場所ならば、罪もない人々を巻き込む危険性はなかっ
た。巨大な正邪が対峙する海岸は、人どころか鳥すら近寄らず、ただ夏の直射が照りつける のみ。また、山間を潜り抜けた先にあるこのさびれた海岸は、五十嵐家からいかような交通手 段を使おうとも3時間はかかる陸地の孤島で、仮にヘリを飛ばしたところで相当な時間が必要 なはずだった。七菜江がここを選んだのは、以上の2つの理由からだ。
「メールで『挑戦状』とは・・・相変わらずふざけた女だよ、てめえは」
青い守護天使の前に立った巨大蜂が、憎憎しげに吐き捨てる。ファントムガール・ナナの背
後には海が広がり、左右には、灰色と茶色の巨大な鞠が挟んでいる。登場と同時に銀の天使 は窮地に立たされた格好となっていた。狭い砂地で3体の敵と闘うのは、どう転んでも追い詰 められた態勢にならざるを得なかった。
「けど、みすみす殺されに来るなんてね。おかげでこっちは助かったよ。今日こそ地獄に堕と
してやる」
クインビーが柴崎香の声でクックッと笑う。偽りない心境だった。工藤吼介の影に脅えた香と
カズマイヤー姉妹は、格闘獣の追跡から逃れるため、身を潜めて過ごしていたのだ。その一 方で、香は殺しそこなった七菜江の存在を気にかけていたのだが、まさか向こうからやってくる とは・・・
「それはこっちの台詞だ・・・クインビー、あんただけは許さない。心の傷も、身体の痛みも、ま
とめて返してやる!」
「その生意気な態度が気に入らないんだよ! 『エデン』の力で私からレギュラーを奪った卑
怯者が」
「あたしがレギュラーになったのは実力だ! 逆恨みの挙句に化け物になっちゃったあんた
を、あたしは倒す。倒すよ、香先輩」
宣言するファントムガール・ナナの口調に、悲しい響きが含まれていることが、逆に少女戦士
の本気を教えた。
己への膨大な憎悪の前に、前回のナナは屈してしまった。
だが、今の聖少女には、闘いの決意が大木のごとく根付いている。揺るぎ無く、切り倒れない
大木が。
「死ね! 七菜江ッ、死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
逆上した蜂の突撃を合図に、サリエルとビキエルの巨体が動く。僻地での巨大な死闘は、始
まりの鐘を鳴らした。
毒針を光らせ突っ込んでくる復讐鬼と、左右から迫る肉の津波。一撃で勝負を決しかねない
迫力。殺意に囲まれた美少女戦士はどう切り抜けるというのか。
飛び膝蹴り、一閃。
突っ込むクインビーの顎に、カウンターの青い膝が突き刺さる。
鋭い針の煌きを恐れぬ、勇敢な踏み込みがあって初めて可能な体術だった。グラリと仰け反
る醜悪な昆虫に眼もくれず、着地した女神は怒りに赤眼を燃えあがらせた、グレーの肉団子を 振り返る。
「オオオオオオオッッ!!!」
左ストレートと両足のキックの乱れ打ち。
速い。マシンガンの連打。これがつい数日前まで、死の淵を徘徊していた少女のものなの
か。
瞬間に8発の打撃を灰色の肉塊にたたき込み、仕上げのハイキックで己の5倍近い質量を
誇る巨体を吹き飛ばす。
ボギイイイイッッッ!!!
背骨の軋む嫌な音が、白い砂地を駆けていく。
アスリート少女の奮闘も2体相手までが限界だった。残るビキエルの背後からの回転肉弾攻
撃は、豪快に無防備な背中を打ち叩く。
超人的な運動能力がもたらした闘いの主導権は、たった一撃の体当たりでするりとスポーツ
少女の元を去っていった。
トラックに轢かれたような衝撃。
反りあがった豊満な肢体が、大の字の姿勢のまま飛んでいく。吐血が細い糸を引く。
吹き飛ばされた勢いのまま、ごろごろと大地を転がる青い戦士。全身の骨格にヒビがはいっ
たような鈍痛が、超少女から勢いを奪い取る。
「うぅぅ・・・」
膝立ちになったナナに、茶色の巨岩は追撃の手を緩めない。青い瞳に轟音を伴って迫る肉
弾が映る。
ギリギリまで引きつけて、跳躍するナナ。
飛び越えて危機を回避しようとした青いブーツのつま先を、高速回転する巨岩がかする。そ
れだけで、軽量の聖少女は竜巻に飛び込んだ木の葉のように、くるくると回転して弾き飛ばさ れる。
「うあァッ!」
バランスを崩して、砂浜に叩きつけられる少女戦士。一撃目の衝撃が、蘇るように疼く。
「ふしゅしゅしゅしゅ! 今度こそミンチにしてやるぜ!」
余裕に満ちたビキエルの処刑宣告が海岸にこだまする。球体となった肉弾は、必殺の速度
で三度グラマラスな天使に殺到する。
「・・・よし!」
劣勢のはずの少女戦士が発した、自信に溢れた呟きは、回転するビキエルには届かなかっ
た。
立ちあがるナナ。迫る巨大ボーリングに、真っ向から構えて立つ。
質量と速度と回転を掛け合わせた破壊エネルギーの塊に、正面から立ち向かおうというの
か。
「ギャハハハハ! バカが、スクラップになりな!」
「てえいッッ!!」
突撃する巨岩と超少女の左拳とが激突する。
右腕に続き、ナナの左腕は壊れる・・・誰もがそう予想した時。
鈍い激突音が、波間を駆ける。
肉弾の回転は止まっていた。
ナナの放ったストレートは、亀のように潜りこんだビキエルの頭部、その穴に狙いすまして打
ち込まれていた。
「ぐぎゃああああッッ――ッッ!!」
脳天を砕かれる激痛に、絶叫を轟かせた茶色の肉団子が、よろよろと後退って倒れこむ。
幾度となく殺到する肉弾に、辛酸をなめさせられたナナであるが、ただやられているだけでは
なかったのだ。彼女は測っていた。回転する巨獣の、手足や頭部が埋まった穴が見える、角 度やタイミングを。その動体視力も、立ち向かう勇気も、衝撃に耐える打撃も、正確に実行でき る運動神経も、全てが揃わなければできぬ、究極のカウンター。スーパーアスリート・七菜江 の、面目躍如たる一打が、一気に勝利を正義の名のもとに手繰り寄せる。
「いっけえええッッ――ッッ!! ソニック・シェイキングッッ!!!」
ガバアッと天高く右拳を振り上げたナナが、足元の大地に向かって狙いを定める。
これしかなかった。
圧倒的不利な状況で、七菜江が勝利を願える技。一撃で周囲の敵を一度に殲滅できる究極
奥義に、全てを賭ける以外、聖少女に方法はなかったのだ。
元々体力の消耗が激しい「ソニック・シェイキング」は、何度も放てる技ではない。一度の変身
に、せいぜい2回が限度であろう。右肘を痛めている今のナナでは、一回しか放つことはでき まい。
その一回、勝利を狙うたった一発の弾丸を撃つチャンスが、今巡ってきたのだ。
3体の敵が倒れこんでいる今・・・この千載一遇の好機を、圧倒的不利にあるナナが、逃すわ
けにはいかないのだ。
呼気を整える。正のエネルギーを集中する。様々な思いを右拳に乗せて、究極の一撃を今
放つ。
「―――ッッ!!」
電撃が、振り下ろす右肘を襲った。
激痛。靭帯を痛めたナナに、恐怖心が蘇る。右腕を捻られ、曲げられ、潰され・・・執拗に破
壊された右肘が、急激な運動に悲鳴をあげている。高まった聖なるエネルギーが、分散してい くのを少女戦士は自覚した。
ボスッッッ!!
乾いた音をたて、砂埃を舞わせるナナの打撃は、単なる大地への右ストレートに過ぎなかっ
た。
“あたしの・・・バカッ!!”
恐怖してしまった。
長時間に渡って激痛を刻み込まれた右肘の記憶が、大地への突きを減速させていた。普通
の少女なら当たり前の反応。いや、本来この死地にたっているだけで、七菜江の闘志は賞賛 されるべきなのだ。だが、よりによって勝負を賭けたこの瞬間、ここまで気丈に奮いたたせてき た少女の気持ちが、負傷箇所の痛みで一瞬崩れてしまったのだ。
だが、その一瞬は七菜江にとって、あまりに代償の高いものとなってしまった。
「殺せえええッッ――ッッ!! この女、殺すんだアアッッ――ッッ!!」
ビビらされたことと、顎を打ち抜かれた怒りが、クインビーの狂気を濃厚にする。
瓢箪型をした右腕を突き出す。針先から飛び出た緑色の毒液を、慌てて飛び避けるナナ。た
わわな胸が波打つ。
バランスを崩した華奢な肢体を待っていたのは、サリエルの肉弾突進だった。
ベゴオオッッ!! という骨が軋む音。
左横から巨大弾丸をまともに受け、ひしゃげた若い肉体が風を巻いて吹き飛ぶ。
「ぐうぅぅ・・・く・・・くそォ・・・」
左脇を押さえながら、鮮やかな銀色の肌を砂にまみれさせたナナが呟く。痛めた肋骨がビリ
ビリと痺れる。直りかけていた負傷箇所が、ミシミシと騒ぎ始めていた。できればうずくまってい たい。だが、今休息を取ることは、即、死を意味することを知る幼い女神は、力を振り絞って立 ち上がる。
目の前に、転がる肉塊。
カウンターを狙いに構える美少女戦士。一度成功した技を決めるのは、さして難しいことでは
ない。
だが、襲い来る灰色の巨岩は、直前で急激に巨大化する。
「!!」
瞬時に直撃を避けて右に飛び退いたのは、超少女ならではの反応だったか。
キメラ・ミュータントであるサリエルの、ハリネズミの能力。
無数に針を伸ばした球体は、もはや触れることすら不可能な、危険な圧搾機と化していた。
砂地に転がる青い戦士が、左のふくらはぎを押さえて悶絶する。指の間から滲む鮮血。完全
には逃げられなかった針の体毛は、ナナの柔らかい足の肉を三条、切り裂いていた。
「ナナあああッッ〜〜〜ッッッ!!! ぶち殺してやるあああッッ――ッッ!!!」
背後からの怒号に振り向く、ショートカット。復活したビキエルが、鋼の体毛を尖らせて憤怒に
震えている。
転がる。血に餓えた、巨大な針玉が。緊張の視線を慌しく飛ばす、正義の天使を挟み撃ちに
すべく、両サイドから巨岩姉妹が転がり迫る。
“こ、これを食らっちゃったら・・・とても勝てない!”
身の毛もよだつ絶痛地獄の記憶が、鮮明にナナの脳裏に蘇る。何十本もの針を文字通り全
身に突き刺され、しかも体内に直接溶岩と電流を流されたこの世の地獄。生きたまま焼かれる 苦痛は、狂い死んでしまうのではないかと思うぐらいに、聖少女を責め苛んでいた。二度と味 わいたくはない痛苦。味わえば、再び耐える自信はない責め苦。焦りの色が、可憐な童顔に滲 み出る。
「バラバラになるがいいよ! ファントムガール・ナナッ!!」
狂った絶叫にハッとする青い瞳に、漆黒の弾丸が映る。
クインビー・柴崎香の放った、闇のスラム・ショット。
前回トドメを刺された暗黒の必殺技が、窮地のナナを奈落に突き落とすように、唸りをあげて
向かってくる。
そう、ファントムガール・ナナの敵は、3体なのだ。
「くうううッッ!!」
引き攣ったマスクのまま、可憐な天使は跳躍する。瞳を垂らし、歯を食い縛って。左足からの
出血が、縦に糸を引く。スラリと伸びた足の下を、漆黒の砲弾が通り過ぎていく。
蜂の顎が、わずかに開く。
落下するナナ。飛行能力を持たないファントムガールが、自然の摂理通りにどうすることもで
きずに落ちてくる先に、巨大な棘鞠のサンドイッチは待っていた。
グッシャアアアアアアアアアッッッ・・・・・・・
正義敗北の調べにしては、あまりに酷い破壊音。
弾力ある肉を潰され、艶のある肌をハチの巣にされる壮絶な仕置きの光景が、寒々しい浜
辺に繰り広げられる。
「・・・あ・・・・・・あく・・・・・・くああ・・・ぁぁ・・・・・・・・・」
ポト。ポトポトポト。ボタタタタ。
針を伝う血の雫。
深紅の華が、白い砂浜に鮮烈な水彩画を描いていく。みるみるうちに増えていく真っ赤な血
飛沫。足元で鳴る凄惨なリズムを、ナナは悲しい瞳で聞いていた。
心臓の弱い者が見たら、ショック死しそうな地獄絵図が、海辺の死地に展開されている。
正義の守護天使・ファントムガール・ナナが、遥か巨大な肉塊に挟み潰され、隙間もないほど
びっしりと、極細の針に貫かれている。
針は内臓までは届かないため、致命傷にはならないことは知っている。だが、全身を刺され
る激痛たるや。唯一無事な銀のマスクはブルブルと震え、溢れ出る鮮血で、ナナのボリューム ある胸も、引き締まった腹部も、くびれた腰も、張り出した臀部も、若々しい太股も・・・鮮やか な銀と青のデザインは、血のシャワーを浴びたように、赤く濡れ光っている。
“あ・・・たし・・・ズタズタ・・・に・・・され・・・て・・・・・・”
「アーッハッハッハッハッ! キレイになったじゃない、七菜江ッッ!! 何度やってもあんたじ
ゃ私に勝てないのさ! じっくり嬲り殺してやるよ!」
哄笑が痙攣するナナの顔面に叩きつけられる。
厳しい闘いになることはわかっていた。右腕はほとんど使えず、数的な不利は大きい。どうポ
ジティブに考えようとしても、勝ち目の薄い闘いだと。しかし、体力が戻ったならば、なんとかで きるのではないか。ソニック・シェイキングが一発でも打てるのなら、勝てるのでは。七菜江の どこかに、そんな考えがあったのも事実だ。
甘かった。
甘すぎた。万全でない体調で、3体を相手にするのは所詮無理があったのだ。
そして、なにより七菜江憎しの怨念で、負のエネルギーを充満させた復讐鬼の攻撃は強烈す
ぎた。
「サリエル! ビキエル! 内側から焼いてやりな」
芸術的なラインを誇る瑞々しい肉体の前面に、灼熱の溶岩が注ぎ込まれる。
同時に、腰に向かって緩やかに細くなっていく魅惑の背中に、高圧電流が流される。高熱と
電撃のハーモニーが、血に堕ちた天使を責め尽くす。
ジュウウウ・・・ジュウウウ・・・ジュウウウ・・・・・・
バチバチッ! バリバリバリ! バチバチッッ!
「うああああああああッッッ―――――ッッッッ!!!! があああああああッッッ――――
―ッッッ!!!!」
恥も外聞もなく、ファントムガール・ナナは泣き叫んだ。
細胞が、燃やされていく。ブクブクと皮膚の下で泡立つ体表が、ナナのショックを増幅させる。
背中が弾け飛んでしまいそうな電撃に、無垢な戦士は己の身体が内側から爆発する感覚に支 配される。
「アーッハッハッハッ! どうだい、ナナ、苦しいかい?」
いつのまにか隣りに立ったクインビーが、ブルブルと震えるショートカットを鷲掴む。グイっと
引っ張られ、ナナは苦痛に歪む惨めな顔を、宿敵の眼前に晒す羽目になった。ヴィーン・・・ヴ ィーン・・・鳴り始めたエナジー・クリスタルの悲鳴が、一層天使の悲哀を際立たせる。
「苦しいィィッッ〜〜ッッ!! やめてぇぇッッ――ッッ!! もうやめてエエエッッッ〜〜〜ッッ
ッ!!!」
壮絶な苦しみの中で、超少女は本能のままに叫んでいた。もっとも負けたくない敵にかしずく
屈辱を、激痛の洗礼を嵐のように浴びせられる天使は、受け入れざるを得ないのだ。
「フフフ・・・よし、やめな」
意外な女王蜂の台詞。ナナの懇願を、クインビーはすんなりと受け入れる。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ!」
涎を垂れ流しながら、血まみれの戦士が荒い息をつく。残酷な仕打ちに耐えるだけで、超少
女の体力はかなり消耗させられていた。ここまでの虐待を耐えきっただけでも、七菜江には超 戦士と呼ばれる資格があるだろう。
「苦しかったかい、七菜江?」
同じ質問を、嫉妬に狂った処刑者は耳元で囁く。
コクリと頷く銀色のマスク。もはや、反抗する気力さえ奪われたのか、素直な少女はあっさり
と認めてしまっている。
「もう一回、焼いてやろうか?」
ゆっくりと首が横に振られる。少女戦士の可愛らしい顔は、泣きそうに歪んでいた。
ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・
聖戦士の危機を知らせるクリスタルの音色が、ナナの泣き声となって哀しく響き渡る。
“あたしじゃ・・・勝てない・・・・・・・こいつらには・・・勝てない・・・”
「こ・・・殺・・・せ・・・・・・はや・・・く・・・殺せ・・・・・・」
「アッハッハッ! 早く楽になりたいようだね! そうだねぇ、『香さま、お願いですから助けてく
ださい。私は卑怯で醜い虫けらです』と言うんだ。そうすればすぐに殺してやるよ」
前回の闘いで事実上、七菜江に敗北を認めさせた香にとって、残る望みは、七菜江自らの
口で敗北宣言させることと、本当に処刑することのみだった。そのふたつを一度に叶え、怨念 に満ちた抹殺計画を完成させるつもりなのだ。
右腕の毒針を、恐怖か、痛みか、悔しさか、プルプルと震える柔らかな頬にピタリとつける。
己の血で下顎付近まで真っ赤に染まった聖少女は、消え逝く生命の灯火ゆえか、妖艶ですら あった。
「アナフィラキシーショックって知ってるかい? スズメバチに刺された人間は、体内に抗体が
できたあとに再びスズメバチに刺されると、ショック死してしまうのさ。この前毒をたっぷり注入 してやったあんたは、今度私の毒を打たれれば、確実に死ぬってことだよ。この場で負けを認 めれば、いますぐ首筋に、毒針を打ってやろうじゃないか」
掴んでいたショートカットを離した途端に、ぐったりと猫系のアイドル顔はうなだれる。
巨大で醜悪な怪物3体に囲まれ、穴だらけにされ血祭りにあげられた少女戦士。体内から焼
かれて、シュウシュウと白煙をあげながら、尚責められている姿は、あまりに無惨な光景だっ た。
「さあ、言うんだ。言わなければ、また溶岩と電流を流し込むよ? どうするんだい?!」
ショートカットに隠れた顔が、絶望に曇るのを知りつつ、クインビーは最後まで七菜江を虐め
続ける。
“うう・・・ダメ・・・あんなの・・・とても耐え切れない・・・・・・こんな・・・穴だらけにされて・・・・・・焼
き焦がされて・・・・・・もう・・・あたしには・・・”
「・・・・・・か・・・・・・かお・・・」
「はぁ? なんだって? もっと大きな声でいいな!」
「・・・か・・・・・・かお・・・り・・・・・・さ・・・・・・」
被虐の天使がボソボソと言葉を紡ぎ出し、己の死と敗北を受け入れようとする。理不尽な仕
打ちに懸命に耐えてきた正義が、悪に屈する不条理の瞬間。
その時だった。
天啓のごとく、ある言葉が七菜江の脳裏に浮かぶ。
魔法の言葉。
工藤吼介が教えてくれた、魔法の言葉。
容赦ない呵責に飲み込まれかけていた聖少女を、格闘獣がかけた魔法が、すんでのところ
で敗死から救う。
“あたし・・・また自分に・・・・・・負けるところだった・・・・・・”
銀色の唇をぎゅっと噛む。
服従の約束を交わしかけていたナナの口から、違う内容の台詞が搾り出される。
「・・・負け・・・・・・るもん・・・か・・・・・・お前は・・・ゼッタイ・・・・・・倒す・・・んだ・・・・・・」
「・・・貴様・・・やれッッ! サリエル、ビキエル、こいつを地獄に連れていってやれッ!!」
狂気の絶叫に呼応した巨獣姉妹が、ありったけの灼熱と電撃を、身をよじらせることすら封じ
られた超少女に注ぎ込む。
ジュウウウウ・・・・ジュシュウウッッ・・・ジュジュジュッッ・・・・
バリバリバリッッ!! バシュンッ! バチバチバチバチッッ!!
「ふぎゃはあああああああッッッ――――ッッッ!!!! あぎゃあああああああッッッ――
――ッッッ!!!! ひゅぎえええええッッッ――――ッッッ!!!!」
「アーッハッハッハッ!! いい顔だよ、ナナッッ!! そんなに苦しいのかい?!! さあ、
この私に跪くんだ! 謝るんだよッ!」
「はがあああああッッッ――――ッッッ!!!! 負けないッッ!! あたしは負けないッ
ッ!! いぎゃあああああッッッ――――ッッッ!!!!」
しゅうしゅうと白い煙が、青い戦士の全身から立ち昇っていく。
焼かれていく。焼かれているのだ、無垢な正義の使者は。
掌から足のつま先まで、ブスブスと突き刺された無数の針から、溶岩と高圧電流を流される
痛みとは、いかなる地獄であるのか。想像するだけで身の毛がよだつ激痛地獄を、聖なる少 女は耐え続けている。内肉を直接焼かれ、神経を切り裂かれながら。己が焦げていく悪臭を、 小さな鼻腔で嗅ぎながら、ナナはそれでも屈しようとはしなかった。
“・・・先パ・・・イ・・・・・・魔法・・・・・・けっこう・・・・・・キク・・・よ・・・”
フッと瞳の青色が消える。
絶叫し続けていた愛らしい顔が、一気に脱力しガクンと垂れる。
精神は必死の応戦を試みても、肉体には限界があった。灼熱と電撃と鋭痛、一度に三重苦
を重ねられる嗜虐に、超少女の意識は弾け飛ぶ。
留まることを知らぬ凄惨な拷問の前に、ついに少女戦士は気絶していた。
「チッ!! ホントに生意気な女だ」
ズボズボズボ・・・
弾力ある若い肉体から、極細の針が抜かれる音が連続する。
全ての針が抜かれた時、ゆっくりと、深紅に染まった豊満なボディラインは、血飛沫を飛ばし
ながら岩の点在する砂浜に崩れ落ちる。
地響きと、舞い降る砂。
暗くなった瞳には、輝きは戻らない。ただ、丸っこい指先がピクピクと震えているのみ。
ファントムガール・ナナ、惨敗す―――
同じ相手に二度続けて、ナナは勝てなかった。それも完敗といっていい、完膚なき負け方で。
誰がみても勝敗は明らかだった。事実、正義の少女は、瑞々しさの充満した芸術的な肉体を
砂地に這わせ、失神して邪悪の足元にひれ伏している。血祭りにあげられた肢体から、黒煙と 肉の焼ける臭いを漂わせて。
闘いは終わった。そのはずだった。
だが、壮絶な激痛に沈んだ純粋な少女を、まだ許せない人間がいたのだ。
「サリエル、ビキエル、立たせるんだ」
うつ伏せに横たわる女神を複眼で見下ろしながら、復讐の蜂は冷淡な口調で命令を下した。
「・・・な・・・?・・・」
「なに、ボーッとしてるんだよ。この女を立たせるんだ」
「立たせるって、もうこいつは終わってるぜ?!」
口篭もる姉に代わって、茶色の巨岩が叫ぶ。心なしか、凶悪な怪獣たちの顔は、青ざめて見
える。
「なに言ってんのよ。まだ生きてる。このクソは、殺すっていってるでしょうが!」
巨大な肉弾姉妹は、沈黙のまま、身動きひとつしない。
サリエル、ビキエルの正体であるカズマイヤー姉妹は、間違いなく藤木七菜江に憎しみを抱
いていたはずだった。いや、その気持ちは今でもある。邪魔者である七菜江を疎ましく思う感 情は、他の誰よりも強い自負はあった。二度とハンドができないよう、徹底的に破壊してやりた い。
だが、その一方で、自分らより遥かに小さな少女が、やっている方がゾッとする凄まじい虐待
を浴び続けて、尚不屈の闘志を燃やす姿を見ていると、胸の奥から不可思議な感情が沸いて くるのも否めないのだ。
その感情が、「殺す」という単語を拒絶する。
徹底的な七菜江の排除を目指すクインビーと違い、肉弾姉妹はすでに憎き少女に完勝した
充実感があった。そのズレが、鉄壁の連係を結んできた3体の間に忍び寄っていた。
「いいから立たせるんだよ! 臆病なブタどもが!」
3体の間に生まれた温度差。しかし、その違いは、決定的な破綻をもたらすには至らなかっ
た。
柴崎香の発する憎悪は、カズマイヤー姉妹を完全に飲み込んでしまっていた。
違和感を覚えることはあっても、肉弾姉妹が香を裏切ることはない。恐怖による支配や、まし
て友情などがあるからではない。存在自体の大きさが、ハーフの双子を覆ってしまっているの だ。「エデン」という感情を増幅させる生命体により、復讐鬼・香は巨大な存在と化していたの だ。
両脇に立った姉妹が、反応のない青い肉体を抱え起こす。
ショートカットをむんずと掴み、2体の巨獣は一直線に伸びた豊かな肢体を空中に吊り下げ
た。ポトポトと鮮血が落ちる。瞳が真っ暗になったままのナナは、ただ胸と下腹部の水晶体を、 弱々しく点滅させているだけだった。ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・儚い命の灯火が、無人の海 岸に鳴っている。
「私の毒針をそいつの目障りな胸にブッ刺して注ぎ込んでやれば、あっという間に御陀仏さ。
ビビることなんてないんだよ。さ、しっかり支えてるんだ」
意識を失った守護天使に、殺人蜂が砂浜を揺らして近付く。
前に伸ばした瓢箪型の右腕が、照りつける陽光を撥ね返して、鋭く光る。クインビーが言った
ことは、嘘ではなかった。大量に注ぎ込む必要はない、わずかでも構わない。緑色の毒をナナ に打ち込めば、桁外れのタフネスも、不屈の精神力も一切関係なく、憎き少女を本当の意味で 処刑できるのだ。邪魔が入ることはない、寂れた海岸で、当たり前のようにクインビーは、正義 の天使を殺そうとしている。
躊躇なく距離を詰めた、狂気の女王蜂。
死の毒針が、ぶらぶらと吊り下がる、青き戦士の胸の果実に伸びる。
ベキイイイッッッ!!
血霧が夏の空に吹きあがる。
蜂の黄色い顎は、撥ねあがったアスリート戦士の前蹴りによって砕かれていた。
輝く青い瞳。躍動する、肉感的な銀色の肢体。
セーラー服をデザインしたような、青と銀色の守護天使が、それまでの瀕死ぶりが嘘のように
復活している。
「まだッッ・・・負けてないッッ!!」
死の針が刺さる直前に蘇生したのは、単なる偶然だった。だが、これほどの重傷にあって闘
えるのは、偶然でも奇跡でもない。
巨大ネズミに、肉を抉られたまま焼かれたり。
蜘蛛の化身に、触るだけで激痛が走る針を、乳房に埋め込まれたり。
タコの魔物に、体中に岩が埋まるまで叩き付けられたり。
発狂しそうな嗜虐の数々と、それに耐えてきた少女戦士の精神力。戦士として、幾多の修羅
場をくぐってきたナナの底力を、理不尽な嫉妬に狂ってただ指を噛んでいただけの香が、知る わけはない。
「ごぶうッッ!! ・・・うご・ごッ・・・」
顔面を押さえた蜂の手の間から、鮮血が滴り落ちる。鋏を思わせる頑丈そうな顎を叩き割ら
れた痛みに、クインビーは仰け反り悶えている。
一気に動く青い戦士。
ブチブチとショートカットが引き千切れるのも構わず、戒めから脱したアスリート少女は、不意
を突かれて佇む巨岩姉妹の足元を、地を這う蹴りで刈り取る。
巨大風船が宙を舞う。ふたつ。
超重量のダルマ落とし。無様に尻から落ちる姉妹によって、砂浜が震度6に襲われる。
「くっらええええェェェッッ―――ッッ!!!」
大きく右腕を振り上げるナナ。狙う拳の先は―――足元の大地。
一撃必殺、ソニック・シェイキング。
体中を串刺しにされ、内側から焼かれた拷問が、守護天使の痛覚を麻痺させていた。痛撃
の魔獣に全身を噛み付かれているナナにとって、もはや右腕の負傷は恐れの対象にはならな い。クインビーの狂気じみた虐待が、逆にナナに光明を射し込ませたのだ。
だが、全身全霊を込めて放つ究極のブローは、凄まじい威力と引き換えに、大きな隙も生ま
れる技であった。
ドボオオオオッッッ!!!
その音は、柔らかな肉に鉄塊がめり込む音に似ていた。
クインビーの放った、暗黒スラム・ショット。
普通のスラム・ショットがハンドボール大であるのに比べ、ソフトボールほどしかない小型では
あるが、守護天使の必殺技を封じるには十分だったそれは、はちきれそうな右胸に直撃してい た。
「がッッ!! ・・・ぐあッ・・・があ・あ・・・あ・・・がふッッ!!」
ガクリと右膝をついたナナの潤んだ唇から、濃密な血塊が噴出する。
胸骨が折れたのか。果実のごとき丸みを帯びたバストを押さえながら、少女戦士の身体が崩
れ落ちていく。両膝が落ち、前のめりになって・・・ついに四つん這いになった青い戦士は、窪ん だ右胸の痛みに堪え、砂地を両手で掻き毟る。
“む、胸・・・がぁぁ・・・く、苦しい・・・つ、潰れ・・・・・・・・・”
「ナァ〜ナア〜〜ッッ!! キサマあああッッ〜〜〜ッッ!!! 殺すッ! 殺してやるッ!
死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
顔を蹴られた痛みと屈辱が、女王蜂の復讐の炎を熱く燃えあがらせていた。慈悲など始めか
らなかった昆虫の顔に、狂気の光が輝き出す。
「ま、負けるもんかァッッ!! 来いッッ!! 香ッッ!!!」
深紅に染まった青の戦士が絶叫する。立ち上がる。
どこにそんな力があるのか。脅威のタフネス。いや、それがファントムガール・ナナ。
漆黒の弾丸が、ブルブルと震える少女戦士に殺到する。
灰色の巨岩、サリエルの撃った闇のスラム・ショット。
立ちあがってきたナナに対して、条件反射的に巨漢女は攻撃を仕掛けていた。そこに容赦は
まるでない。
唸りをあげて迫る、暗黒のバズーカ砲。
「フォース・シールド!!」
両手を突き出し、光の防御壁を作り出す正義の戦士。
闇の砲弾が当たった瞬間、光のバリアは粉々に砕け散る。
「なッ?!!」
「死にな! フジキナナエッッ!」
爆発の威力で吹き飛ぶ肉感的な少女に、追撃の弾丸が飛ぶ。
妹ビキエルが放った、闇のスラム・ショット、第2撃。
「きゃああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
被弾。
高々と宙空を舞う、孤独な戦士。パラパラと、血飛沫と銀色の皮膚の雨が降る。
ドシャリと砂地に背中から落下したナナ。その皮膚は、全体が黒ずみ、焼け焦げている。じっ
とりと赤い沁みが、横たわる背中から広がっていく。
“・・・あ・・・あアア・・・・・・ま・・・だ・・・負・・・け・・・・・・・・・・・・”
「あかッッ!!・・・・・・がはッッ!!・・・・・・ア・・・アアア・・・」
「いいザマだあああッッッ!!! ナナッッ!! 死ね! 死ぬんだ!!」
銀色の皮膚をズタズタに破られ、血にまみれて悶絶するしかないナナの身体を、再び巨漢姉
妹が両脇から捕らえる。
小柄な少女戦士の両脇を抱え込みながら、サリエルとビキエルはファントムガールが最も苦
手とする暗黒エネルギーを、ナナの体内に送った。
「はきゅううッッ?!! ひゃぐううッッ・・・!!・・・・ふぎゅはああッッ!!」
「もう、さっきみたいに逃がさないよ」
「ウチらの暗黒エネルギーを注入されるのは苦しいだろ? さすがのあんたも脱出は不可能
さ」
もはや反撃できるとは思えない。できるはずがない。だが、そう思うたびに、不屈の超少女は
蘇ってきた。腕力だけではふたりがかりでも抑えつけるのが難しいことを悟った姉妹は、闇の パワーをも利用することにしたのだ。
片腕でナナの脇を抱え、余った手でメロンでもくっついているような胸の果肉を鷲掴む。
そのまま空中に捕獲した守護天使に、負の感情が凝縮した腐敗のエネルギーを、容赦する
ことなく浴びせていく。
「うああああああああッッッ――――ッッッッ!!!! くッッ苦しいィィィッッッ――――ッッ
ッ!!!! んんんああああああッッッ〜〜〜ッッ!!!!」
生命を毟り取っていく暗黒エネルギーを注入される苦痛は、腐敗したヘドロがひとつひとつの
細胞を侵食していく痛みとでも表現すればいいいだろうか。
圧倒的嫌悪感を抱く物質に、肉体を“食われ”ていく恐怖と苦しみ。
全身を突っ張らせた青い天使は、ただ闇の注入に耐えるしかない。光の戦士を滅殺する漆
黒の業火の前に、ナナは絶叫することしか許されなかった。
「うううううッッッ――――ッッッ!!!! んはあうッッ!! ふはああッッ!! ふくううううう
ッッッ〜〜〜ッッ!!!」
“ダメ!・・・・・・ダメ!・・・・・・この・・・ままじゃ・・・死んじゃ・・・う・・・反撃・・・・・・できな・・・
い・・・・・・”
ヴィーン・・・ヴィーン・・・ヴィーン・・・
「アーッハッハッハッハッ!! ムダムダムダ! その態勢からあんたができるのは、悶える
ことだけさ! くらうがいいッッ!!」
巨大な肉団子に挟まれ、腐敗の炎に包まれて絶叫する聖少女を見ながら、歓喜に震えるク
インビーは、暗黒の光球を作り出す。
先程とは比べ物にならない、巨大な黒色の球体。
ハンドボール大になった弾丸は、紛れもなく闇のスラム・ショット。
「ううぅッッ!!・・・・・・くうッッ!!・・・・・うぐぐ・・・・・・」
“に、逃げな・・・きゃ・・・・・・でも・・・身体・・・がぁぁ・・・・・・”
青い瞳を見開いた美少女のマスクが、懸命に顔を振る。しかし、その瑞々しい肉体のうちで、
ナナの自由になるのは、そこまでが限界であった。
「ぶしゅしゅしゅしゅ、無駄だ。逃げられないよ」
「ふしゅしゅしゅしゅ、タフなあんたもこれで終わりさ」
「くああ・ア・ア・ア・ア・・・・・・やめッッ・・・苦しッッ・・・いィィッッ・・・カラダッッ・・・とけ・・・燃える
ッッ・・・・・・やッッ・・・やめェェ・・・へあああああッッッ―――ッッッ!!!」
「アーッハッハッハッハッ!! 死ね! ナナッッ!!」
ドオオンンンッッッ!!!
空中に拘束された少女戦士に、怨念詰まった闇のスラム・ショットが放たれる。
唸りをあげて迫る漆黒の弾丸。
“・・・・・・ダ・・・メ・・・・・・逃げれ・・・な・・・い・・・・・・・・”
ドゴオオオッッパアアアアンンンンッッッ!!!!
暗黒の砲弾は、捕われの天使の腹部に直撃し、花火のような鮮血の爆発とともに弾け飛ば
した。
砂地に降る、ファントムガール・ナナの抉られた腹筋の肉片と、銀色の皮膚。
「きゃあああああああああッッッ―――ッッッ!!!!・・・・・・あああッッ・・・あッ・・・ア
ア・・・・・・・あ・・・・・・・・・・」
少女の悲鳴が白波を渡っていく。
水平線の向こうに敗北の叫びが消えていき、合わせるように青い天使の瞳は消えた。
ガクンンン・・・・・・
ショートカットが垂れる。
岩のような巨獣2体に捕獲されたまま、小柄な少女戦士はぐったりと脱力して、その張ちきれ
んばかりの肢体を預ける。
ほとんど光を失った胸のクリスタルの下、腹部の中央には、クレーターのごとき巨大な窪み
ができ、ドクドクと夥しい量の血が流れ落ちている。
「・・・終わった。終わったわ」
黄色と黒の昆虫が血染めの女神に歩み寄る。砕かれた顎からは、陶然とした口調の台詞。
「クソ生意気な女に、私は勝ったのよ。アハ・・・アーッハッハッハッ!」
笑う。笑う。笑う。
永遠と思われる長さで、クインビーは笑い続ける。ボロボロの聖少女の目前で。
狂ってしまったのではないか? 戦慄に襲われながら、蜂の化け物に堕ちてしまった美女に
脅えを抱いた巨漢姉妹は、まだかすかに息がある青い獲物に、暗黒エネルギーを送り続け る。
「そうか・・・フジキナナエ、負けたのか」
誰にいうでもない呟きは、灰色の巨岩から漏れた。
「アーッハッハッハッハッ! よーし、お前ら、ずっと暗黒エネルギーを送ってやるんだ。こい
つは死ぬ間際まで苦しめ抜いてやる!」
指令を下した女王蜂は、右腕の毒針を、死んだように動かないナナの腹部に突き刺す。
漆黒のスラム・ショットに抉られ、赤い肉を曝け出しているそこに、鋭い針はズブリと埋まる。
「ぎッッ?!!」
「目覚めたかい? 安心しな、ナナ。毒なんか打たないさ。じっくり苦しめ抜いた後に、嬲り殺
してやる」
ズブ! ズブ! ズブ! ズブ! ズブ!
「いぎッッ?!!・・・ぎイッッ!・・・ひぐッッ!・・・あぎいッッ!!・・・ぎゃあッッ?!」
ナナがひとけのない海岸を、闘いの場に選んだのは正解だった。
繰り返し繰り返し・・・どう見ても死に体としか思えぬ青い少女の腹部を、怨念蜂は刺し続け
た。心臓の弱い者ならば、ショック死しそうな残酷な光景。やがてクインビーは、毒針を突き刺 したまま、血塗れの腹部をグリグリと掻き回し始めた。
「ギャアアアアアッッッ〜〜〜ッッッ!!! ぎああッッ・・・うわああああああッッッ―――ッッ
ッ!!!!」
「七菜江、ラスト・チャンスだ。今、奴隷になることを誓えば、命だけは助けてやってもいいよ」
“・・・せ・・・・・・ん・・・・・・・ぱ・・・・・・・い・・・・・・”
「・・・・・・・・る・・・か・・・」
「? あ? なんだって?」
「・・・だれ・・・・・が・・・・・す・・・る・・・か・・・・・・・」
「・・・そうかい。なら、真っ二つにしてやるよ」
ズボッ・・・という音を残し、毒針を抜いたクインビーは距離を取る。
集まっていく負のエネルギー。
再び、漆黒の弾丸を作り出し、身動きできぬナナを爆死させるつもりなのだ。
ファントムガールはエナジー・クリスタルという弱点を持つ反面、肉体の耐久度はミュータント
より強い。暗黒スラム・ショットを食らって、ナナが生きていたのはそのためだ。
だが、もう一発食らえば・・・
木っ端微塵になるか、腹部から半分に分かれるか、内臓をぶちまけるか。いずれにせよ、即
死は免れない。
――・・・・・・・・エ・・・・・・・・・・・・れ・・・――
「・・・くぁッッ・・・・・・・うぅぅッ・・・・・・んくッ・・・・」
必死で身を捩るナナ。暗黒の炎を浴びせられる拷問の中で、少女戦士は無謀としか思えな
い反抗を試みている。
「アーッハッハッハッ!! ホントにバカな女ッ! あがいても惨めなだけなんだよッ!」
ドオオンンンッッ!!
漆黒の光球が完成する。
できあがったハンドボール大の砲弾を、蜂女が振りかぶる。人間体であったときに、一番自
信があった動き。文字通りの殺人シュートを、瀕死の後輩に照準を絞って、今、放つ。
――・・・ナ・・・・・・・エ・・・・・・・ば・・・れ・・・・・――
「うくうッッ!! くううッッ!! うあああ・あ・あ・あッッ!!!」
全身を針で無数に刺され、溶岩と電流を流し込まれ、必殺技をまともに受けて・・・生きている
のが不思議な少女戦士に、噴火のごとく光のエネルギーが沸きあがったのは、その時だった。
それは一瞬。
一瞬しか起こせない、奇跡。
あらゆる場所からかき集めた、最後のエネルギー。最後の反撃のために、ファントムガール・
ナナの全身に正義の力が充満する。
「うあああああああッッ―――ッッッ!!!!」
ブチン
闇のパワーを注いでくる、巨岩姉妹の拘束を、超少女は力づくで振りほどく。
暗黒エネルギーの注入に悶絶するしかないはずの少女戦士が、ふたりがかりで抑えている
拘束を脱する。その奇跡を目の当たりにした巨肉双生児は、信じられない事実を茫然と見送 るしかなかった。
奇跡を導いたのは、魔法の言葉。
あのとき、抱き締めながら耳元で囁いてくれた、工藤吼介の魔法が、瀕死の少女戦士に絶大
な力を与えている。
――七菜江、がんばれ――
“先輩、魔法の言葉、すっごく効きますッッ!!”
「てええええいいいッッッ!!!」
ドドドドドドドドッッ!!
あり得ない、ナナの戒めからの脱出に自失した巨岩姉妹に、数え切れない連打が吸い込ま
れる。吹っ飛ぶ巨大風船。信じられない展開に、集中力を乱されたクインビーの暗黒球が、潮 風に吹かれてバラけていく。
「なッッ・・・ばッ、バカなあああッッ――ッッ?!!」
「香イイッッ!! 決着つけてやるッッ!!」
ナナの右腕が、光る。
光のエナジーが高く掲げた右拳に集中していく。狙うは、足元の大地。突然の出来事に錯乱
する敵の虚を突いて、少女戦士は一気に決着をつけにいく。
超必殺技。チャンス。右腕。痛い。気にするもんか。一撃で。いけ。やれ。この一発に。壊れ
てもいい。思い切り。全てを。倒す。ラスト。決める。いけ。いけ。倒せ。倒せ。倒せ!!!
「ソニックッッ!! シェイキングッッ!!!!!」
ドオオオオオオオオオオンンンンンンッッッ!!!!!
超少女の一撃が、大地を揺るがす。
・・・・・・ゥゥゥウウウウオオオオオオオオッッッ!!!!!
同心円状に広がっていく、破壊と衝撃の火柱。
究極の必殺技が、憎悪の蜂と重爆の肉弾姉妹を飲み込んでいく。
「ギャアアアアアアアッッッ―――ッッッ!!!!」
天を切り裂く、悪滅亡の調べがこだました。
「やはり、来ていたのね」
海岸での死闘を、十分な距離を置いた山の中腹から観戦していた男に、ジーンズ姿の妖艶
な美女は声をかける。
振り返る顔を見るまでもなく、Tシャツに包まれた逆三角形の筋肉を持つ男の正体は、工藤
吼介であった。
「よく見つけたな」
格闘獣の視線の先には、キャリアウーマンの香りを漂わせる白シャツに、デニムを合わせた
格好の片倉響子。
山道を歩くために、随分とラフな衣装に身を固めた美女の足元は、いつもの赤いハイヒール
ではなく、ナイキのスニーカーに変わっている。それでも、緑の周囲をバックにして立つ西洋風 の美女からは、毒気を帯びた色香が甘酸っぱく放出されているのはさすがだった。
「探し回ったのよ。この周辺一帯をね。必ず来ていると確信してたから」
「ご苦労なことだ」
「最強と呼ばれている男が、ひとりの少女を心配して、こっそり見守っている姿なんて、なかな
か見られないものね」
愉快そうに真っ赤なルージュを吊り上げる響子に、筋肉で構成された男は、口をへの字に曲
げてみせる。
「フン。なんとでも言え」
「フフ・・・けれど、残念だわ。本当をいうと、これをあなたに渡そうと思って、探してたのよ。ま
さか、あのコが勝つなんて思ってなかったから。あそこまで嫉妬と憎悪を燃やしていた柴崎香 を、倒してしまうとはね」
背負っていたリュックから、水筒状の物体を取り出した響子を尻目に、くるりと反転した吼介
は歩き始めた。筒の中身は、見るまでもなく予想がついていた。今の彼にとって、これ以上こ の場にいる必要はなかった。
「どうやら、今回の私の本当の目的は、果たせなかったようね」
去りゆく巨大な背中に、艶やかな声を投げかける。足を止めた格闘士は、ゆっくりと振り返っ
て、最後のことばを残した。
「前に、女の最大の感情は嫉妬だって言ってたな? 嫉妬に狂った柴崎香に、七菜江は勝て
ない、と」
「ええ、そのはずだったんだけどね」
「嫉妬より、もっと強い感情を教えてやろうか?」
再び反転した吼介は、顔色を見せないまま、背中で言った。
「愛だ」
生い茂る緑の奥に、首筋まで赤く染まった究極の肉体は、二度と振り返ることなく消えていっ
た。
漣の音色が、静まり返った砂浜に響いている。
ところどころに血溜まりが、小さな池を作っている死闘の跡地。
そのほとんどを作った青い守護天使が、己の血がこびりつき、あちこちに焼け焦げた痕を残
した、黒ずんだ姿でひとり立ち尽くしている。
右肘を押さえていた。
プシュ――ッ、という音とともに、鮮血が押さえた指の間から噴き出している。
ソニック・シェイキングの衝撃に、負傷したままの右肘は耐えきれなかった。刻まれたダメー
ジを具現化するように、必殺ブローを放った瞬間、肘は破裂していた。
だが、いまとなっては、どうでもいいことだった。
よろよろとズタボロの聖少女は歩いていく。
全身に亀裂が入り、血を噴き出しながらビクビクと断末魔に震える、双子の巨岩獣の元へ
と。
「え゛え゛え゛・・・・・・ぐお・・・ぐぶぶ・・・」
「ハア・・・ハア・・・・・・・お前たちは・・・・・・殺さない・・・よ・・・」
ナナは、全力でソニック・シェイキングを放ってはいなかった。それは右腕を庇ったからでは
ない。
「・・・ぐぶ・・・・・・・な・・・なぜ・・・・・・?・・・」
「お前たちは・・・・・・ハア・・・ハア・・・悪い・・・奴じゃない・・・・・・ハア・・・ハア・・・・・さっき・・・
わかった・・・から・・・・・・」
ふたりがかりで捕らえられたナナが、脱出できた理由。それは、ただナナの爆発的な底力に
だけよるものではなかった。
さんざん暗黒エネルギーを、過去の闘いを通じて幾度も食らい続けてきた、ファントムガー
ル・ナナだからこそわかった真実。
サリエルとビキエルが放射してくる負のパワーは、決して強力なものではなかったのだ。
だからこそ、ナナは脱出不可能と思われた、闇の緊縛から逃れ反撃に転じることができたの
だ。もし、巨岩姉妹がクインビー並の憎悪の持ち主であったなら・・・恐らく、アスリート少女はこ の世にいまい。
「・・・ッ!!」
細胞の崩れる激痛にうめくサリエルの赤い瞳が見開かれたのは、その時だった。
反射的に背後を振り返る、青き肉感的少女。
ズブッッ・・・
瓢箪の形をした腕から先に生えた毒針が、くびれた腹部に根元まで埋まる。
「ナああァァナあああァァッッ〜〜〜ッッッ!!! 死ぬええええェェッッ――ッッッ!!!!」
踏み潰されたような、崩れかけた巨大蜂がそこにはいた。
巨岩姉妹同様、クインビーも死んではいなかった。血に染まった復讐の昆虫が、突き刺した
毒針から、緑色の毒液を注射する。
不屈の闘志も、桁外れのタフネスも通用しない、確実なショック死をもたらす、蜂の毒液。
ベッキイイイイッッッ!!
折った。
スーパーアスリート・藤木七菜江の運動能力が、怨念鬼が毒を打つより速く、左のフックパン
チで右腕を外側から砕け折る。
「ウギャアアアアアアアッッッ〜〜〜ッッッ!!!」
たまらず肘を押さえて後退する復讐蜂。耳を塞ぎたくなる狂気の絶叫が、夏の海を渡ってい
く。
「死ィィィねええええェェェッッッ―――ッッッ!!!」
狂っていた。
嫉妬に駆られた美しき女子高生は、その本来の姿とはかけ離れた醜い昆虫に変わり果て、
ただ理不尽な復讐に燃えるだけの、悪魔に堕ちていた。
「エデン」により増幅された憎悪に、人間としての心を失い、七菜江を殺すことだけに執着す
る姿は、戦慄を通り越して哀れですらあった。
漆黒の弾丸が、三度復讐昆虫の右手に完成する。
全ての憎悪を凝縮した、巨大な暗黒球。
無言のナナの右手にも、白い光が収斂していく。
聖なる白球。正義の光球。
合わせ鏡のように、クインビーの動きに合わせて、青い女神は右腕を振りかざし、シュート態
勢に入る。
光のスラム・ショットvs闇のスラム・ショット。
利き腕を負傷した同条件で、ハンド部の先輩後輩が、己のもっとも得意とする必殺技で、真
正面からぶつかりあう。
その勝敗を分けるのは、七菜江の正義の心vs柴崎香の暗黒の憎悪。
そして、ハンド部員としての、正当な実力。
ドオオオンンンンンッッッ!!!!
同じタイミングで、白と黒の光球は、発射された。
砂を舞いあがらせ、夏の熱気を歪ませ突き進む、ふたつの砲弾。
正面から、光と闇の塊は衝突した。
「ッッッ!!!!」
轟音が響き、暗黒の弾丸は、木っ端微塵に霧散した。
絶句する復讐蜂の目前に、全く勢いの衰えない聖なる白球が、唸りをあげて殺到する。
己を滅ぼす光の剛球を複眼に映しながら、柴崎香は悟った。
「エデン」のせいと思っていた、藤木七菜江と自分とのハンドの実力差が、実は正当な運動能
力の差であったことを。
そして己の復讐心が、単なる逆恨みであったことを。
ドゴオオオオオオンンンンッッッ!!!・・・・・
鳴り響く破壊音の中、光のスラム・ショットに包まれた黄色と黒の悪魔は、霧となって消滅し
た。
憎悪に狂った復讐鬼の最期。
消え入りそうなクリスタルの点滅音を残して、倒れこんでいく青い天使が消えていったのは、
そのすぐあとのことだった。
押し寄せる波の音だけが、血風漂う死闘の跡地に、静かにそして悠然と、いつまでも永遠を
刻むように続いていた。
山間の海岸に、ヘリコプターの爆音が響き渡る。
プロペラが創り出す突風が焼けた砂を巻き上げ、青波を渡っていく。人気のない夏の海岸
は、血の香と肉の焦げる悪臭とが充満し、点在する池のような血溜まりが、つい先程まで壮絶 な闘いが繰り広げられていたことを教える。
「・・・・・・・・・あ・・・」
ボロボロに破れたセーラー服に身を包んだ少女が、ゆっくりと瞳をあける。
半袖の制服から見える素肌のところどころには、血と火傷の跡が覗いていた。ダラリと垂れ
下がった右手は、応急処置によって包帯でグルグル巻きにされている。傷だらけの少女は、し かし、確かに生きていた。
夏の陽射しのもと、ぼんやりと霞む視界のなかで、藤木七菜エが見たのは、同じ聖愛学院の
セーラーを着た、赤髪の少女であった。
死闘を生き延びた少女は、己の身体がツインテールの少女の腕のなかにあることを知る。
「・・・・・・ゆ・・・う・・・・・・」
「喋らないで。あんたは怪我人なのよ」
機械の身体を持つ少女・霧澤夕子は、両腕で親友を抱きかかえ、政府の用意した緊急ヘリ
コプターへと連れ込むところだった。同乗した隊員は渋い顔をしたが、どうしても七菜江の身体 は、彼女自らが運んでやりたかった。
「文句はいっぱい言いたいけど・・・元気になってから、たっぷり説教してあげる。今は・・・よく
がんばったわ」
ツンと澄ました表情を取り繕うシャイな少女に、猫顔の美少女は柔らかな微笑を浮かべる。
「敵意を剥き出しにしたあの女に、よく勝つことができたわ」
「・・・うん・・・・・・」
「あの敵は・・・柴崎香ね」
七菜江の桃色の唇がつぐむ。
「私は、あなたは勝てないと思っていた。敵があなたへの憎しみを動機にしてミュータントにな
っているというのが、一番大きい理由だけど・・・あなたにはハンド部の先輩である柴崎香を倒 せないと思っていた」
「・・・夕・・・子・・・・・・教えて・・・・・・」
胸の中で、ショートカットの少女の声は震える。
「悪いのは・・・あたし、だよね・・・・・・あたしがハンドやめれば・・・『エデン』と融合した時に、
やめてれば・・・香先輩はあんなふうにならなかったのに・・・あたしが・・・悪いんだよね、夕子? ・・・ねェ、教えてよ・・・頭のいい夕子なら、わかるでしょ・・・?」
グシャグシャに顔を歪ませ、七菜江は泣いた。
とめどなく溢れる涙が、夕子の制服を濡らすのも構わず、ボロボロ泣いた。
「・・・・・・そう・・・ね。だからこそ、もう憎悪に満ちた復讐鬼から戻れなくなった彼女を、責任を
持って七菜江が倒したんでしょ」
真っ直ぐ前方を向いたまま、クールな少女は純粋な少女の問いに答える。腕のなかで、ヒッ
クヒックという激しい嗚咽だけが、夕子の心にまで響いてくる。
「七菜江、あなたは・・・正しいわ」
ヘリの爆音が、友の胸で号泣する少女の慟哭を掻き消す。
その場所に、赤髪の少女はいつまでも立ち続けていた。
「そして、彼女のために泣くことも」
お互いを支え合うように、ボーリング玉のような巨体を背負った姉妹が、険しい山道を引き摺
り歩いている。
あの死闘から、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
変身が解け、眠りに落ちていたカズマイヤー姉妹が、雑草の茂みの中で目覚めた時、周囲
は暗闇に閉ざされていた。住民からの巨大生物出現の報を聞き、駆けつけた政府の秘密組織 が、傷だらけの姿で眠りこける藤木七菜江を回収し、すでに去ったあとであることなど知るわけ もない。巨漢の双子は肩を貸し合って、山を降りる最中だった。柴崎香の姿は見当たらなかっ たが・・・どこかでホッとしているのを、ふたりは自覚していた。
「クソ・・・フジキナナエめ・・・なんて奴だ・・・」
妹のビッキーが呟く。それは怒りや恨みというより、感嘆の響きに似ていた。
「この借りは・・・返さないとな、サリー」
足がふらつく。巨大化時のダメージは、何十分の一かに軽減されるとはいえ、ファントムガー
ル・ナナのソニック・シェイキングの威力は、凄まじい爪跡をふたりに残していた。電気ショック を与えられたようでもあり、何倍もの重力をかけられたようでもあり、ビルの屋上から叩きつけ られたようでもある。超震動で細胞全てを破壊される威力に、姉妹の体力は根こそぎ奪われて いた。
「ああ、必ず返すよ。来年の夏に」
「そうだな。今度は正々堂々と・・・コートのうえで決着をつけよう。東亜大の代表として」
「なんだか・・・あいつと試合できるのが、少し楽しみになってきたよ」
常勝を義務付けられたチームに立ちはだかった、ズバ抜けた運動能力の少女。
勝つために、なんでもやるのが当たり前と教えられてきた彼女たちにとって、藤木七菜江は
どうしても倒さなくてはならない相手だった。その気持ちはいまでもある。だが、超少女の不屈 の精神力を見せつけられた姉妹には、以前とは違う感情が生まれていた。敵としての七菜江 は、ライバルとしての七菜江に生まれ変わっていた。
「残念ながら、来年の夏には闘えないわ」
ゾクリ
不意に木陰から現れた妖艶な美女の声が、巨大な姉妹を戦慄させた。
腰までの長い黒髪。氷のような美貌と、薔薇の芳香。
待ち伏せをしていた女教師の登場に、姉のサリーの声が上擦る。
「か、片倉・・・響子・・・」
「我々の存在を知る者は、ひとりでも少ない方が好都合なのよね。用無しの『エデン』寄生者
に、来年など、ないわ」
闇夜に、妖糸の煌きが、踊る。
軽やかな切断音が、人里離れた森林に流れ、丸い首がふたつ、宙を舞った。
激しく噴き出す血の音をバックに、冷酷な魔女は何事もなかったように、処刑の林を後にし
た。
100kgを越える巨体が倒れる響きがふたつ、その妖艶な背中を追った。
あとには、夏の虫の鳴き声だけが、静かな世界を覆うのみであった。
五十嵐家の2階、8畳の部屋。
居候として居ついた桜宮桃子の部屋に、モデル顔負けの現代的美少女と、活発そうなショー
トが似合う猫顔の美少女が揃っていた。
桜宮桃子と、藤木七菜江。
ベッドに腰を降ろした桃子と、傍らの木椅子に座って、組んだ両肘に顔を乗せている七菜江
は、とりとめもない会話に夢中になっていた。ランチの後に互いの部屋でお喋りを楽しむのは、 いつのまにか、ふたりの日課になっている。
「あれだけの怪我したのに、もう元気になってるなんて・・・ナナってやっぱ凄いね」
驚嘆を漏らす桃子の台詞は、心底からのものだった。
Tシャツにホットパンツといった夏らしい格好の七菜江であるが、その下は包帯でグルグルに
巻かれている。あの死闘の後、変身解除後も傷だらけになっていた少女の身体は、文字通り ボロボロであったのだが、3日も経てば、普段と同じような元気を取り戻していた。
「あたしは完全に治るまで、けっこうかかったんだけどな。ナナの生命力って、あたしたちの中
でも人間離れしてるよねェ」
「・・・それって、褒めてないよね?」
無邪気にじゃれあうふたりの美少女。死線を突破した喜びが、そこには溢れていた。
「でもさ、ひとりで3人相手に勝つナナはカッコ良かったよ」
フルフルと首を横に振るショートカットの少女。
単純な少女は嬉しさをこらえきれずに白い歯を見せながらも、心底困ったように、細い眉を曇
らせている。
「ん〜ん。もう二度とあんな闘いはイヤだよ。夕子には、めちゃめちゃ怒られるしさ」
思わずクスクスと桃子は笑う。
危険な状態を脱し、元気を取り戻した七菜江を待っていたのは、さんざん心配させられた、霧
澤夕子のお叱りだった。宿題を忘れた小学生のように、小さくなって夕子から叱られる七菜江 を、桃子は笑いをこらえきれずに、後方から眺めていたのだった。
「ムッカ。なに笑ってんのよ〜。モモ、助けてくんないんだもん」
「だってさ、あれはナナが悪いよ。夕子が怒るのは当然」
「あ〜あ・・・ねえ、ねえ。里美さんには、今回のこと、内緒にしててね」
「なんで?」
「心配させたくないじゃん。それに、また怒られそうだし・・・」
「アハハ。ナナらしいなぁ」
秘密の約束を交わすふたりが、窓の外にスーツケースを片手にした純白のワンピース姿を
見つけたのは、その時だった。
「あッッ?!!」
優雅とさえ言うべき立ち姿を確認した元気少女は、弾丸のように部屋を飛び出していく。待ち
望んでいた、その麗しき存在。あまりの速度に呆気に取られた桃子が、おっとり刀で七菜江の あとを追いかける。
「おかえりィ〜〜ッ、里美さん!」
桜宮桃子が五十嵐家の門前で見た光景は、夏の陽射しの下、純白のワンピースに包んだ五
十嵐里美の胸に飛び込む、藤木七菜江の姿であった。
輝くような満面の笑みが、超少女の気持ちを雄弁に物語っていた。
《 ファントムガール 第七話 −完−》
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