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「第九話 夕子抹殺 〜復讐の機龍〜 」
序
容赦なく照りつける太陽が、アスファルトの地面を焦がす。
空間がこころなしか歪んで見えるのは、盛大に突き刺す日光が空気すら燃やしているためと
思われた。シャワーとなって降り注ぐ蝉の鳴き声。その行間に聞こえるジリジリという音は、ア スファルトが溶けている音でもあっただろうか。眩しいというより、痛いまでの強烈な太陽の光 が、世界を白く包んでいる。
こんな日に外を歩くのは自殺行為かも。
噴き出す汗の不快感を、焼け付く素肌の痛みを、街行く誰もが噛み締めながら通り過ぎる、
八月の昼下がり――
この地方で、もっとも多くの企業と人口とが集まり、政治・経済の中枢を担っている地区、栄
が丘。
ショッピングに最適の場所であり、夜となればネオン輝く繁華街へと顔を変えるこの街には、
エリートと呼ばれるサラリーマンから有閑マダム、無職のティーンからヤクザまで、ありとあらゆ る人種が集まってきている。それは宇宙生物と称されている、巨大な怪物たちの襲撃により、 幾度も再生と破壊を繰り返した今に至っても変わらない光景であった。飛びぬけて多く巨大生 物と光の女神が現れるこの地方の中心都市は、いまや日本全国で一番タフな街であると言い 換えられるかもしれない。
その栄が丘の窓口、二本の私鉄とJRとが出入りする総合駅のコンコースに、一団の目立つ
集団が集まり始めたのは、およそ10分ほどくらい前からのことだった。
改札を抜けてきたネクタイ姿の中年が、ダボダボのズボンを履いた茶色い髪の少年が、一
様に視線を奪われては凝視する。男たちの、いや、女たちであっても注意を惹かずにおれぬ 美しき少女たちの集まりは、ファッションへの気配りが強要されるような華やかな街にあっても 際立っている。
「ねえ、ホントに夕子はいかないの?」
細く整えた眉根を寄せて、藤木七菜江は心配そうな顔を赤髪の少女に近付けた。
「何度も言ってるでしょ。私にはやらなくちゃいけない研究があるの。私のことなんか気にしな
いで、しっかり楽しんでくればいいわ」
「ん〜〜、そうは言われてもなぁ・・・」
ミニスカートが似合う活発な少女は、口を尖らせて困惑した表情を見せる。今回海にいく計画
を持ち出したのは彼女だけに、仲間と呼べる5人全員が揃わないことに寂しさに似た感情が渦 巻いているようだった。合宿先の伊豆で闘いに巻き込まれ、自宅療養中の西条ユリはともか く、特に断る理由があるとは思えない霧澤夕子まで一緒にいけないのは、夏休み最大のイベン トとして楽しみにしていた七菜江にとっては少なからぬ無念の思いがあった。
「私にとっては海にいくより、研究を進める方が価値があると思った、それだけのことよ」
秀才揃いとされる聖愛学院の理数科にあっても、一際レベルの違いを見せつける天才少女
は、数学の証明でも答えるかのようにさらりと話す。緑系統のTシャツにスカートという簡素な服 装だが、整った顔立ちと赤髪のツインテール、そして首に巻かれた銀色のアクセサリーが地味 な衣装に合わぬ鮮やかさを醸し出している。
「でもさ、研究はいつでもできるじゃん。海にみんなで行けるのは、夏休みのこの時期しかな
いんだから・・・」
「ナナちゃん、夕子には夕子のペースがあるのよ。そこは尊重してあげないと」
七菜江の不満が長引く予感を察した五十嵐里美が、落ち着いた声で割って入る。黒と紫を基
調としたワンピース姿には、目も眩む幻想的な美しさが溢れていた。例えば、胡蝶蘭が漂わせ るような自然に身に付けた優雅さ、高貴さ。長い髪の少女には、生まれつき纏った美麗な風が 吹いている。
なによりも感情を優先して動いてしまうショートカットの純粋少女も、この敬愛する生徒会長に
だけは逆らうことができない。以前からわかっていたことでもあり、夕子への未練は里美の一 言で断ち切らざるを得なくなった。
「・・・ハイ・・・じゃあ、お土産買ってくるから、楽しみに待っててね」
「お土産なんて、あんなところにあるの?」
「え? エヘヘ、サザエの壷焼きとか、焼きとうもろこしとか? よく海で売ってるよね?」
「・・・バカ」
手厳しい赤髪の少女の言葉に、思わず肩をいからせる七菜江を、慌てて美しき令嬢が抱き
抑える。熱血少女とクールな少女の小競り合いは毎度のことではあったが、人通り激しい駅構 内でやられてはたまったものではない。ただでさえ歴然とした敵が存在する今は、いかなる行 動を取るときもなるべく隠密裏にすませるのが大原則だった。忍びの末裔たる里美以外のメン バーに、その想いは薄いようだったが。
無理矢理に夕子との距離を引き離し、七菜江をズルズルと引っ張っていった里美が何事か
をショートカットの耳元で囁き続ける。声が聞こえなくともリーダー格の少女が元気少女をなだ めて――というか、説教して――いるのは、原因を作った張本人にも関わらず冷静に眺めてい る夕子には手に取るようにわかる。
みるみるシュンとしおれていく七菜江から、やや垂れ気味の天才少女の瞳は、ニコニコと白
い歯を浮かべて一部始終を眺めていた桜宮桃子へと移った。
ピンク色のキャミソールに白のマイクロミニ。落ち着いたファッションを好む桃子だが、時にい
かにも女子高生といった服を着こなすことがある。色香と若さ、そのどちらも演出しきってしまう のが、類まれな美貌を誇るミス藤村女学園であった。どんな雑誌モデルやテレビタレントの隣 に立っても遜色ない、完成された美少女。五十嵐里美とはまた別種の美神に愛された少女の 笑顔は、同姓の夕子が見てもキュンとするほど可愛らしい。
「桃子、あとは頼んだわよ」
「ん? 大丈夫だよォ、たった三泊四日でしょ」
低く囁いた夕子の声が緊張感を含んでいたのに対し、微笑みながら答えた桃子の声は拍子
抜けするほど明るかった。超能力少女の戦闘力を低めに見積もっている赤髪の少女にすれ ば、その根拠ない自信がどこから湧いてくるのか、不思議でならない。ガクリと膝から力が抜け そうになるのを堪えながら、努めて冷静にサイボーグ少女はリスのような笑顔を浮かべる美少 女に言う。
「平然として見せてるけど、里美の体調が万全でないらしいことは桃子もわかってるでしょ?
七菜江も前の闘いの怪我が治っていないし。もし敵が襲ってきたら、あんたが先頭に立って闘 わなきゃいけないのよ。ちゃんと覚悟してる?」
「わかってるってばァ。ふたりのことはあたしがきちんと守るって、この前約束したじゃん。夕
子は安心して、留守番しててよ」
「・・・そのお気楽さが不安なんだけど」
ふぅ、と思わずつくため息を、白い歯を浮かべたキュートなマスクが受け流す。
傷だらけで合宿から帰ってきた西条ユリの証言により、宿敵メフェレス=久慈仁紀が生存し
ていることがわかった以上、光の女神に変身する5人の少女は、常に己の身と世界の安全を 視野にいれての行動を義務付けられたようなものだった。
バカンス気分いっぱいで提案された七菜江の臨海計画など、慎重派の夕子からすれば「なに
を考えてるんだか」わからない暴論であったが、もっとも慎重であるはずの五十嵐里美があっ さりと同意したのは意外であった。確かに、(どこまで本気かわからないが)世界征服を目論む 久慈にとって、現在の目標は邪魔者であるファントムガールの抹殺であり、その後支配するつ もりの世界自体を破壊することには頓着していないようにみえる。5人が街を離れた隙を狙っ て攻撃を仕掛ける可能性は薄く、むしろ少女戦士たちがバラバラになることの方が危険度は 高いように思われた。そう考えれば、"5人揃っての海旅行"は、あながち無謀な提案でもない かもしれない。
とはいえ、世界を守るべき女神たち全員が街を離れてしまうのは、現実派の理系少女にとっ
てはどうしても危険に思われて仕方がなかった。
久慈らが世界を無闇に破壊することはないにせよ、ミュータントは彼らだけではない。蟹や蝙
蝠のミュータントが以前出現したように、自然のミュータントともいうべき存在もなかにはいる。 西条ユリのように偶然『エデン』と融合してしまった者が、闇側に転ばないとも断言できない。な により自宅療養中のユリを狙って久慈たちが攻めてくる可能性を無視することは、到底できな かった。
したい研究がある、というのは嘘偽りない事実であったが、執拗な海への誘いを霧澤夕子が
断ったのは、それ以上に街とユリとを守る決心を固めたが故であった。
その一方で気になったのは、海へ行くメンバーたちのことである。
五十嵐里美はなにも言わないが、心身のリフレッシュといって出掛けた療養から帰ってきた
彼女には、どこか体調の不良が感じられた。まるで新たな敵とひとり闘ってきたような。随分包 帯の取れた七菜江もまだ万全とは言い難く、本当に五体満足といえるのは、片倉響子の襲撃 によるダメージの癒えた、桃子ひとりといってよい。その桃子とふたりだけの話し合いを進めた 結果、今回の旅行を決行させるに至ったわけだが・・・
「私、桃子については気になってることがあるのよね・・・」
「なによォ、その言い方。まるであたしがダメダメみたいじゃん。一応これでもファントムガー
ルの一員なんだからね」
「ていうか桃子・・・・・・あんた、闘うの、嫌いでしょ?」
細く切り上がった眉がピクリと動き、整った美貌が魔法にかかったように強張る。
「もちろん私も好きで闘ってるわけじゃない。里美も七菜江もユリも、みんなそうでしょうね。で
も、あんたの場合は、闘う覚悟がまるでできていないように見えるんだけど。違う?」
くっきりとした二重の下にある瞳で、まっすぐに見詰める機械少女。
ヒクヒクと潤んだ唇を引き攣らせた美少女は、動揺もあらわに漆黒の瞳を泳がせながら言い
返す。
「あ、あはは。覚悟がないだなんて失礼だなァ。あたしだって、やるときはやるんだからね。と
ッ、とにかく、なんかあったらあたしがふたりを守るからさ、夕子はしっかりユリちゃんを守って よね」
男は美女に弱いと聞くが、女でも一緒なのだろうか。
不安と頼りなさを存分に感じながらも、夕子はそれ以上の詰問ができなかった。輝くような桃
子の笑顔を前にしては、その美しさに翳りを射すような真似はどうしても自然に避けてしまう。 どれだけ厳しい言葉を浴びせても平気そうな七菜江とは、好対照といえるかもしれない。
笑顔に誤魔化されていることを十分に自覚しつつ、夕子はあとの運命を心密かに天に祈る。
"あとはあいつがいることが、プラスに働けばいいけど"
「それにしても、なんであいつが一緒なのよ」
少し離れた場所で、白い柱に背もたれながら途方を眺めている巨大な塊に、夕子はやや垂
れた瞳で鋭い視線を飛ばす。Tシャツがはちきれそうなぶ厚い肉塊。天才少女の眼光に気付 かぬふりをして、筋肉の鎧を纏った男は、じっとあらぬ方向を見詰め続けている。
「だってしょうがないじゃん、夕子がキャンセルした分、チケットが余っちゃったんだからさぁ」
「だからって、よりによってあいつを選ぶことはないでしょ」
毒づく胸のうちで、天才少女は頼りない超能力少女の代わりの役目を、最強と呼ばれる逆三
角形の男に密かに託していた。
3人のファントムガールたちと工藤吼介、可憐な守護天使と無敵の格闘獣を乗せる特急列車
の出発時間は、刻一刻と迫ってきていた。
1
その少年は高校に入るまで、己が世界で一番強く、危険な存在であることを信じて疑わなか
った。
ショウゴという名の彼は、中学時代の2回の補導暦がちょっとした勲章であった。一度目は担
任の頭を給食に出た牛乳瓶で割ったことから、二度目はスピードと呼ばれるクスリを売りさば いていたのがばれて、数週間単位の少年院通いをした。すでに180cm近い長身を誇ってい た彼は、喧嘩で負けたことがなく、中2にしてヤバイといわれるものには全て手を出していた。 恐喝、万引きなどは子供の遊び。クスリ、レイプ、リンチは日常茶飯事で、殺人以外のことなら なんでもやった。殺人にしても、たまたまやる機会がなかっただけのことで、罪という概念自体 が彼の頭からはすっぽりと抜けていた。
その彼が高校に入り、大海を知った。
入学して3日目、昔でいうところの番長的存在、不良たちのリーダーから呼び出しを受けた彼
は、タイマンの喧嘩で死を意識するまでにボコボコにされる。土下座して相手の靴を舐めなが ら、彼は初めて敗北と恐怖の味を知った。
それから半年後、不良のリーダーに認められた彼が連れてこられた場所―――それがこ
こ、谷宿。
若者の街と呼ばれ、最先端をいくアパレルメーカーが軒並み集うこの地区は、その日以来、
彼にとって恐怖の魔窟へと変貌した。
今でも忘れることができない。あの恐ろしく強かったリーダーが、この谷宿に来るたびにブル
ブルと全身を震わせていたのを。そして今、その震えは、彼自身の身に襲ってきていた。
「ショウゴ〜、例の写真、こっちに持ってきなよ〜」
鼻にかかった間延びした声が彼の名を呼び、思わずピンと背筋が伸びる。鼓動の高まりと吹
き出る額の汗を自覚しながら、彼は早足で声の主に歩み寄った。
真昼だというのに薄暗いそこは、谷宿でも有名なクラブのひとつ。夜の営業を基本とするた
め、この時間帯には閉まっているはずであったが、店内には無数の若い男女がたむろしてい る。ピンクと紫のライトが暗く照りだした室内の片隅では、白い粉と注射器を持ち出した連中 が、破滅の道へとトリップしている真っ最中のようだ。反対の隅では2組の男女が長いソファー を利用しておっ始めてしまっている。
ショウゴが中学時代から慣れ親しんできたものと、表面的には大きく変わることはない不良
の巣窟。
ただひとつ、決定的に違うもの。この場を統べる、今彼を呼びつけた女リーダーの存在が、
不良たちから一目置かれる存在となったショウゴを心底から恐怖させている。
「ちり、これでいいか?」
タメ口を利けるのは、表面上だけのこと。
クラブの一番奥、豪奢な黒革張りのソファーに女王然として腰掛けた金髪の女子高生に、シ
ョウゴは緊迫の視線を投げた。
神崎ちゆり―――
コギャルファッションに身を包んだ華奢なこの少女が、百戦錬磨の喧嘩自慢を沈黙させる巨
悪の根源。
数日前まで巻いていた全身の包帯は取れていた。黒のチューブトップに豹柄のミニスカート、
胸元と5本の指に派手な装飾品をつけた煌びやかな「闇豹」は、優雅ともいえる手つきでショウ ゴの差し出したケータイを受け取る。青のマニキュアを施した長い爪が、ピンクの照明を反射し て妖しく光る。
谷宿の裏を支配する女帝の恐ろしさを、ここに集まる連中の大部分は知らない。むしろ「谷
宿の歌姫」の顔も持つちゆりのカリスマ性に惹かれて、憧れと尊敬の眼差しを向けるだけだ。 「闇豹」の素性を知るものは、ショウゴのように実力を認められ、幹部となった一部の取り巻き のみ。彼らだけが、不良のリーダーなどというちゃちな器に収まらない、神崎ちゆりの本当の狂 気を知っている―――
ケータイを写真モードに切り替え、ちゆりは目当てのデジタル画像を探す。まるで自分のもの
のような慣れた手つきだ。
「あったぁ〜♪ これこれ! ったく、いつ見てもムカつくヤツらぁ・・・」
ある少女が大写しになった写真を探し当てるや、豹柄の魔女は隣に座る短髪の男にケータ
イを渡す。
「あ? これがちりがヤリたいっていう女か? なんだあ?! 普通の女じゃねえか」
「五十嵐里美っていうのォ。顔みるだけでイライラするわぁ」
サングラスに口髭、縦じまのスーツ・・・ひとめでそれとわかる格好をした男は、最近ちゆりが
よく連れてくる情夫のひとりであった。30代と思われる男は、組のなかでは中堅くらいになるの だろう。本物のヤクザを前に緊張したのは昔のこと、とっかえひっかえ現れる裏社会の人間 に、いつしかショウゴは慣れてしまっていた。大体、ちゆりが相手にするのは、組長や幹部とい った大物連中が基本だ。時々つまみ食い程度に遊ぶこのレベルのチンピラなら、今ではショウ ゴから見ても小者に映る。
現在ちゆりが何人の男たちを囲っているかわからないが、レベルの割りにこの男がよく現れ
るのは、余程役立ちそうな特技があるか、SEXのウマが合うのだろう。「闇豹」は自分の利益 にならない者を相手にすることはない。
左手にケータイを持ち、肩に回した右手でちゆりの小ぶりな乳房を揉みしだく。黒のチューブ
トップの下でぐにゃぐにゃと柔らかなお椀が形を変えているのに、不良の女帝は顔色ひとつ変 えなかった。右手で柔肉の感触を味わいながら、ヤクザは食い入るようにケータイの画像を凝 視している。
「なかなかイケてるじゃねーか。ヤっちまいてーな」
「そいつはゆくゆくじっくり嬲り殺すつもりなんだけどねェ〜。でもサ、今一番ムカツクのはぁ
〜・・・こいつ!」
ヤクザの手にあるケータイを操作し、大きな瞳を血走らせた狂女が別の写真を浮かび上がら
せる。
「ふ〜〜ん・・・こいつはまた勝気そうだな・・・」
赤い髪のツインテールの下に覗く、冷たい瞳。
聖愛学院の青いカラーにエリートであることを示す赤いラインが入っている。白い肌にバラン
スよく配置された目鼻立ちは確かに美形だが、二次元画像を通じてさえ、少女の放つ冷めた オーラは伝わってきた。
「この醜いくそブタだけは・・・内臓引きずりだしてェ・・・目ぇくり抜いてェ・・・さんざん泣き喚か
せて殺してやらなきゃ気が済まないわぁ・・・」
ゾクゾクと黒い悪寒がショウゴの背中を疾走する。
しばらく姿を消していた「闇豹」が、包帯だらけになって現れたのは、夏休みに入ってしばらく
のことだった。傷の理由をきいた少女が、その場で顔をズタズタに切り裂かれて以来、豹柄の 女帝にその話題を持ち出す者はいなくなった。
ただ、以前ショウゴに隠し撮りさせた写真を時々覗いては、狂ったコギャルは呪詛の言葉を
口の裏で呟いた。「闇豹」の正体が過日この地方を襲った巨大な女豹であることなど、知るわ けもない取り巻きたちは、命乞いさせられた屈辱をちゆりが蘇らせているとも気付かずに、赤 髪の少女がどうやらこの魔女を激怒させている張本人だとだけ勘付いていた。
「土下座なんかじゃ許さないわぁ〜・・・ちりのションベン飲ませて・・・ひぃひぃ泣かせて・・・生
涯奴隷となるよう誓わせてやる! こいつだけは身体も心もズッタズタにしてやんなきゃあ・・・」
ヤクザの右手が、固く尖り立った女豹の胸の頂点をコリコリとこね回す。
素直に反応する肉体とは裏腹に、狂気の炎を灯らせた感情は、赤髪の少女への憎悪でいっ
ぱいになっていた。濃いマスカラの下にある丸い黒目が、血の色に滾っている。
「へへへ・・・たかが小娘ひとりに、そんなに熱くなるんじゃねーよ。居場所はわかってんだ
ろ? 拉致ってきてマワそうがバラそうが、好きにやればいいじゃねーか」
「・・・そんな簡単にいかないのよォ」
「なんならオレがやってやろうか? ちりのためなら、ひと肌脱ぐぜえ」
口髭の下で、ニヤリと男は薄い唇を吊り上げる。
極道の中堅どころに位置する男が、10人ほどの舎弟を抱えることをちゆりは知っていた。準
構成員を含めればその3倍ほどは命令ひとつで動くだろうか。フフ・・・と粘度の高い笑みを浮 かべた「闇豹」が、シャネルの香り漂う顔をヤクザの口に近付けていく。くねくねと挑発するよう に指を踊らせて、青いマニキュアも妖しい両手を、愛しげに男の顔に絡みつかせる。広めの額 から、こけた頬へと―――愛撫するかのように、白い指がねっとりと這っていく。
「てめえごときにィィィ・・・なにができるってんだよオッ! このチンピラがああッッッ!!!」
ザクンッッッ!!
尖った爪が顔を貫く音と血飛沫が、暗く翳った店内の天井に跳ね返る。
ナイフと化した合計10本の爪。顔中を串刺しにされ、奇妙なウニを首から上に乗せたヤクザ
の身体が断末魔にビクビクと震える。
頬や鼻、あるいは眼球の肉を裂くビリビリという残酷な調べをたてながら、悪逆の女豹が爪を
強引に引き剥がす。ベチャリと血漿とともに床を汚したのは、引き千切られた皮膚の肉。「ひい ィィッ?!」という誰かの悲鳴のあとに、ヤクザの奏でる身の毛もよだつ絶叫が轟く。
「機械女はァ・・・ちりの獲物だよォ・・・てめえみたいな薄汚いクズにィィィ〜あの女の相手がで
きるかッッッ!!!」
豹柄のパンプスの尖ったヒールで、転げ回るヤクザの顔面を、押さえた両手越しに踏みつけ
る「闇豹」。
泣き叫ぶヤクザの悲鳴と、びちゃびちゃと撥ね飛ぶ血潮がクラブの一角を修羅場に変える。
静寂のなかで、肉を抉る足の踏み音と、痛みに悶える悲痛な叫び、そしてグジョ・・・グジュ・・・ という正体不明の液体をこねる音のみがこだまする。
「ショウゴォ〜、こいつ、裏から捨てときなァ〜。二度と戻ってこれないよう、手足全部折っとく
んだよォ」
残酷なショーに金縛りになっていたショウゴの身体を、悪女の命令が解放する。ヤクザの報
復など、ちゆりの怒りを買うことに比べれば屁でもない。かつて何度もやってきたように、「闇 豹」から烙印を押された追放者を、再起不能に追い込むことがショウゴたち幹部の役目のひと つなのだ。
他の数人とともに、転げ回り悶絶するヤクザをショウゴは取り押さえる。返り血が服を汚すの
も構わずに、激痛に跳ね返るチンピラを力で押さえてズルズルと引っ張っていく。できる限り狂 ったコギャルから離れたい心理が奥底で働き、ショウゴたちの動きは自然機敏になっていた。
「醜いサイボーグめェ・・・ちりの受けた屈辱、百倍にして返してやるからねェ・・・」
ヤクザを引きずっていくショウゴの耳に、独白する「闇豹」の呟きが届く。
「せっかくあの女教師の隙を見て、盗み出してきたっていうのに・・・なかなか、これってのはい
ないもんだわァ〜。あのメカ女をメチャメチャにできる悪魔を探さないとねェ〜」
血飛沫の飛んだ黒革のソファーに何事もなかったように腰掛けた派手な魔女は、傍らに置い
てあったエルメスのハンドバックに手を伸ばす。
パカリと開いた鞄のなかに、ペットボトルサイズの透明な円筒がひとつ。
液体が満ちた金属の筒のなかで、白い鶏卵ほどの球体が蠢きながら漂っているのを、「闇
豹」は満足げな表情で確認した。
壁面に並んだ巨大なスクリーンが、不規則な幾何模様を映し出している。
機械工学の勉強を独学で進めた霧澤夕子をして、その複雑な図面は半分ほどしか理解でき
ていなかった。学校では天才と呼ばれ、その独自の研究はすでにプロレベルとさえ噂されてい る夕子ではあったが、現実にはこの国のトップのレベルとはそれだけの開きがあるということ だ。そしてそのレベル差は、そのまま父・有栖川邦彦と夕子との実力差と言ってしまってもよか った。
国内に数多ある重化学工場のなかでも、一目置かれている存在、それが旧財閥系の系譜を
ひく三星重工である。その理由は歴史や資本力には留まらない。表面的には軍事力を封じら れた日本にあって、密かに核に変わる切り札を研究していると噂され、政府と裏で繋がってい ると言われている巨大企業なだけに、その動向は海外からも注目されていた。
ノーベル賞を狙える優秀な人材を、数多く抱えているとされる機械工学の中枢で、なかでも中
心的な立場にあるのが有栖川邦彦博士、そのひとであった。
夕子の明晰な頭脳は彼からの遺伝によるものが大きかったが、離婚により父と娘の苗字は
異なるものになっていた。中学時代の旧友たちは、夕子のことを有栖川さん、と呼ぶかもしれ ないが、故郷を離れひとり暮らしを始めた彼女がそう呼ばれることはもうない。母を残してひと りこの街に来たのは、その苗字で呼ばれるのが嫌だったのも一因であった。
研究中心で家に帰ることはほとんどない父を、昔から娘は好きではなかった。
好きや嫌いという感情ではない、ただ「父親である」という事実がふたりの間に横たわってい
るだけ、と夕子は感じていた。もしかしたら愛されていないかもしれない。邦彦の本心を知るの が怖くて、いつしか合理的な少女は、父と娘という関係を、扶養者と被扶養者という、ひどく乾 いた間柄として認識しようとするようになっていた。
交通事故に遭い、瀕死の重傷に陥った彼女に、研究中の機械化手術を邦彦が施したのが2
年前。
以来、ふたりの関係は変わった。数ヶ月に一回会っていたのが、一週間に一回へと。
ただ、その関係は、研究者と実験体の間柄。
そして、娘に芽生えた父への感情は、恨みと怒り。
「早く終わらせてくれない? 私もこう見えて忙しいんだけど」
モスグリーンの半袖Tシャツに、膝近くまであるブラウンのスカート。落ち着いたファッションに
身を包み、部屋の中央付近で腕組みをして突っ立った霧澤夕子は、目前の白衣の男に冷や やかな視線を突き刺す。突き放した物言いはいつも通りではあるが、尖った語尾には不機嫌 な顔が覗いている。
栄が丘で里美たち一行を見送ったあと、夕子が向かったのは、三星重工の極秘研究室であ
った。全面ガラス張りの近未来的な建造物に、彼女は顔パスで入ることができる。もちろん密 かに瞳孔の模様や声紋などのチェックを受けているのだが、いかつい警備員が彼女を留める ことはない。機械化された身体の手入れとデータの採集のため、夕子は週に一度、必ずこの 現代科学の粋を集めたビルにやってきていた。
地下5階にある有栖川邦彦専用の研究室は、このビルが抱える多くの極秘研究のなかでも
特上のトップシークレットを扱っている。三星重工の社員でも地下5階にいくことはおろか、その 存在すら知らされていないものも多い。諸外国のスパイが数十億単位の金を積んでも入りたい と願っている部屋に、女子高生である夕子が毎週簡単に訪れているのは、奇妙な感覚ではあ った。
壁際にビッシリと計器類やコードが伸びている部屋は、ちょうど学校の教室くらいの広さであ
ろうか。
中央にドンと置かれているのは、拘束具付きの手術台。真上にはテレビドラマに出てくるよう
な、巨大な照明が設置してある。このふたつを見るたびに、夕子の端整なマスクには、不愉快 そうな皺が寄ってしまう。
邦彦の助手を務めるふたりの研究員が、忙しそうにコンピューターのボードを叩いている。名
前も知らないこの男女は、夕子が初めて手術を受けたとき、つまり機械の肉体と同化したとき 以来、ずっと同じ顔ぶれで変わっていなかった。邦彦の研究内容が洩れぬよう、極力関与する メンバーを限定しているためらしい。日本の軍事力を根底から変えるといわれ、実際に夕子と いう媒体を通じて、巨大生物との闘いにおいて効力を発揮する結果となった邦彦の研究は、わ ずか3名の手によって進められているのだ。一説には、研究員の若い男女の体内には、研究 内容を話そうとした瞬間に爆発するよう設定された、超小型爆弾が埋め込まれているといわれ ている。
無言の研究員と、気まずい雰囲気の父と娘。毎度ながら室内には、息苦しい空気が漂ってい
た。
「そう簡単に言うな。お前が途中で抜け出したりしなければ、メンテナンスはもっと早くに終わ
っていた。自業自得を不機嫌で誤魔化すのはいかがなものかと思うが?」
冷淡ともいえる口調は、娘にそっくり・・・いや、娘がそっくりと言うべきだろうか。
オールバックに日焼けした肌。精悍な顔立ちは白衣よりも革のツナギの方が似合いそうな有
栖川邦彦は、娘の苛立ちに臆することなく反論する。思い返せば、父が夕子に謝ったり、弱気 な姿勢を見せたことなど一度もない。許可なくサイボーグ手術を施したときでも、それは同じで あった。
白い手術台の前で向かいあう、父と娘。
赤髪の下で飛ばす鋭い視線を、渋み溢れる精悍なマスクが受け流す。会うたびに夕子は毒
づき、邦彦は軽くあしらった。毎度繰り返される光景に頓着することなく、ふたりの研究員は 黙々と夕子の体内のメンテナンス準備を進めている。
「私が言っているのはそういうことじゃない、今日の準備の遅さについてよ。私が来る時間は
わかっていたのに、どうしてそれまでに準備ができていないのかってこと」
「過剰な電撃を浴びたお前には適切な処置が必要だったというのに、前回お前は警告も聞か
ずに途中で抜け出してしまった。おかげでメンテナンス箇所が増えたので、今日の準備に手間 取っているのだ。ツケが回ってきたのをこちらのせいにされては困る」
藤木七菜江が憎悪を抱いた連中に捕まった折、助けに向かった夕子は、敵の姦計に嵌って
スタンガンによる電撃を体内に流し込まれていた。
ただちにこの場に運び込まれ、緊急メンテを受けた彼女は、修理が完成する前に研究室を
飛び出していた。そのときのことを、邦彦は的確につついているのだ。
「くッ・・・! それだってあんたの電流対策が万全でなかったからでしょ?! 機械が苦手と
する電気攻撃への耐性は完璧、とか言ってたくせに。大体勝手にサイボーグにした割りに、痛 みはしっかり感じるよう設計されてるのがおかしいわ。私の身体で遊んでいる、と思われても仕 方ないんじゃない?」
「スタンガンを直接当てられるような想定はしていない。そこまでの窮地に陥った、お前の甘さ
こそが問題であって、寧ろ普通の人間に比べれば、電流への耐性が高いことが実証されたと いえるだろう。それと何度も言っていることだが、お前はただ機械の部品を取り付けられた、単 純な機械人間などではない。神経や血管、体組織を人工物質によって機械器官と接合され た、人間と機械との融合者なのだ。本当の意味で機械と一体化したお前は、まさにサイボーグ の名にふさわしい。痛みを感じるということは、お前が人類の新たな1ページを開かんとしてい る存在なのだという、なによりの証拠だと肝に銘じて欲しい」
怒りで卒倒しそうになる台詞を、次々と澱みなく邦彦は吐いた。
噛み締めた奥歯が鳴りそうになるのを、必死で堪えた夕子は燃えるような瞳で父親を睨みつ
ける。
甘さこそが問題? サイボーグにふさわしい? なんなのよ!
だが怒りに任せてぶちまけたところで、なんの解決にもならないことを理系少女はよく理解し
ていた。せいぜい目の前の男に、"やれやれ"といった表情で呆れられるだけだ。
「・・・もういいわ。あんたと話してもなんの利益にもならないことはわかってるんだった。早く終
わらせて、この不愉快な部屋から一刻も早く出させて」
「今日は新しい装置をつけるので、いつもより少々時間がかかるぞ」
「新しい装置?」
垂れがちな瞳が、そのことばに反応する。
「現在のお前に備わっている機能だけでは、あのミュータントとかいう巨大生物たちに対抗で
きるか心許ない。より殺傷力の高い武器をお前には取り付けようと思っている」
秘密裏に行われている有栖川邦彦の軍事研究。それは人間と機械とを融合させた、機械兵
士の開発であった。
鋼鉄と科学がもたらす攻撃力と防御力は、どの国においても国家軍事力の要である。その
技術の粋を集結させ、歩兵レベルに応用する。近現代の戦争において、主役が長距離ミサイ ルにあることは確かだろうが、結局のところ最後は一兵士と兵士の戦いに委ねられる側面は 否定できまい。その大切な根幹に、一騎当千の戦力を大量に注ぎ込むことを可能にするの が、邦彦の機械兵士構想であった。ただの軍事マシンを作るわけではない、人間というもっと も状況判断に優れたコンピューターを搭載することで、最高の兵器が生まれるというのが彼の 主張である。核を持てない日本という国で、いざという危機に切り札となるはずの研究は、ひと りの少女が事故による瀕死を迎えたことで、予定外の人体実験の局面に突入している最中な のだ。
とはいえ、夕子は決して、兵士として蘇らせられたわけではない。
許可なくサイボーグにされた悲運の少女は、あくまでひとりの女子高生として新たな身体を得
ていた。確かに目が光る、並外れた力を持つ、電流を放てる、普通というには憚れる戦闘力を 与えられてはいる。しかしそれは、万一他国のスパイなどに夕子が狙われた場合の自衛が理 由であり、敵を屠ることを前提にしたものではないのだ。
その事実を知っているからこそ、サイボーグ少女は開発者の台詞に、少なからぬ反感を覚え
た。
ひとりの女子高生として蘇生させられたことが、邦彦の最後の父らしさだと信じていただけ
に。
「どういうこと? 私はそんな話、聞いてないわ」
「お前が銀色の巨人となって闘う映像を見させてもらった。いまのままでは、とてもじゃないが
生き抜けるとは思えない」
取材規制のため、政府組織にしか映せないというファントムガールの戦闘映像を、邦彦は会
社のルートを使って手に入れていた。
もちろん、いくら有栖川博士が国にとって重要な頭脳であるからといって、総理大臣ですら正
体を知らぬ守護天使の映像を、簡単に見られるわけはない。聡明な夕子は、直感的に五十嵐 家の介入を悟っていた。邦彦が夕子の父であるからこその特例であり、五十嵐家と政府、政 府と三星重工が裏で繋がっているからこそ固さでは定評のある政府機関が動いたのだ。
五十嵐里美が闘いに巻き込んだ少女たちの親族に対し、できうる限りの配慮を施しているの
は夕子も知っていたが、今回ばかりは逆恨みに近い苛立ちを覚えずにはいられない。
「何を根拠に言っているのか知らないけど、このままで私は十分闘えるわ。現にこうして生き
ている」
「あの豹の魔物と闘って生き延びられたのは単なる運だ。次にあいまみえれば、お前は死
ぬ」
夕子が初めて、そしていまのところ唯一ファントムガール・アリスになった闘いは、 ギリギリ
の死線をかいくぐった、凄惨な内容のものだった。
黒魔術の使い手・マリーはなんとか倒したものの、邪悪の塊のような女豹は結局劣勢のまま
逃がしてしまっていた。もしあのとき、時間切れでマヴェルが変身を解かなかったら、果たして 夕子はこの場にいることができただろうか?
「そんなの、やってみなければわからないわ! 大体あのときは、1vs2だったから苦戦した
だけよ」
「ということはつまり、1vs2の状況に陥れば勝つことが難しくなるわけだ。その程度の力しか
お前にはないわけだな」
「なッ・・・!」
ギン! という音が聞こえてくるほどに、茶色の瞳のなかで光芒が鋭く輝く。
めくれあがったピンクの唇から、ギリギリと噛み締める白い歯が覗く。やや濃いめの眉を鋭角
に吊りあがらせた美少女は、いまにも飛び掛らん勢いで、広めの肩をいからせている。
沸騰した血が頭に昇っていくのを、脳内のもうひとりの夕子が冷静に見詰めている。
怒りが全身を貫く一方で、回転の速い彼女の頭は、どちらの言い分が正解に近いかを理解
してしまっていた。闘いが1vs1になるとは限らないことを、現実的な少女はよくわかっていた し、幼少のころからの訓練や天性の才能を持たない己が、戦闘力の面で不安を抱えているこ とも悟っている。
娘の憤怒を正面から浴びせられて身じろぎもしない父の前で、高くなったTシャツの肩口が、
ゆっくりと下がっていく。
「どうしても、私に新しい武器を取り付けたいっていうの?」
睨み付けたまま、幾分冷静さを取り戻した声で夕子は言う。
甘ったるさのある可愛らしい声は、トーンを下げるとやや哀しげな響きを伴って聞こえた。
「どうしても、だ」
「私を・・・軍事兵器の実験に利用するつもり?」
浅黒い咽喉元が、ごくりと上下する。
常に表情を変えない有栖川博士が、初めて見せた動揺だった。
「お前を、守るためだ。結果として研究中の装置を使うことになったに過ぎない」
無言で少女はTシャツとスカートとを脱ぎ始める。
純白のブラとショーツをもためらうことなく脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になった少女は、白い手術
台に大の字になって横たわる。
勝気で聡明な天才少女が生まれたままの姿で寝転ぶと、156cmしかない小柄な体躯は、ひ
どく儚く頼りなげに見えた。機械の部品が埋め込まれているとは見えぬ小さな少女。キレイな 形で浮かび上がった胸と、照明を反射した白い膝が、やけに艶かしく端整な美少女に色香の スパイスを織り交ぜる。
「少しでも・・・あんたを信じようとした、私がバカだったわ」
曝け出すように四肢を突っ張った赤髪の少女は、じっと天井の照明を眺めたまま呟いた。
「所詮私はあんたにイジられる身。拒否しようがしまいが、機械部分をメンテしてもらう以上、
あんたの思うがままだった。メンテ中に私はなにもできないのだから」
しばしの沈黙の後、有栖川邦彦は、首輪だけした全裸の娘を拘束具で手術台に固定してい
く。
カチャリ・・・カチャリ・・・金属の無情な摩擦音が4回こだまし、夕子の手足は完全に自由を失
った。毎度のことながら、他人に己の存在を盗まれていくような感覚は、クールな少女を不愉 快にさせる。普段でも遠距離から拘束している銀の首輪だけはついたままなのが、余計に煩 わしく苛立たしい。
だが、ささくれだった夕子の心を逆撫でるのは、それだけには留まらなかった。
「よし・・・彼らを連れて来い」
顎で指図を受けた男の研究員が早足で部屋をでていく。驚く夕子の目の前で、ほどなくして
帰ってきた彼の後ろから、3人の初めて見る顔が極秘研究室に入ってきた。
「どッ・・・どういうことよッ?!」
新顔の3人がいずれも白衣であることから、邦彦と同じような立場であることは夕子にもすぐ
にわかった。問題は、極秘である夕子の存在を、部外者ともいうべき人間に見せてしまってい いのかという点だ。ましてこれから行われようとしているのは、日本で一人しかいないサイボー グ少女の体内メンテと新兵器の装填である。この国の軍事力を左右するトップシークレットを、 どういうつもりでこの3人に見せるのだろうか。夕子が持つ秘密の重要性を、あれほど口酸っ ぱく言い続けてきたのは、邦彦自身だというのに。
「私に万一のことがあった場合、誰かにこの研究を引き継いでもらわなければならない。彼ら
3人はその候補者たちだ。紹介しよう、こちらから谷くん、桐生くん、相楽くんだ」
小太りの中年男を谷、色白の眼鏡男を桐生、まだ若いショートヘアの女性を相楽と、邦彦は
順番に呼んでいく。
紹介された順にペコペコと頭を下げる新顔の研究者たち。彼らの目に、銀の首輪をして大の
字に拘束された全裸の少女はどのように映っているのだろうか。彼らの必要以上に丁寧な挨 拶が、そして弾力ある若い全身を曝け出していることが、勝気とはいえ16歳の少女を傷つけ ていく。
"なによ、その目は・・・私を・・・哀れんでいるの・・・?・・・"
「今日は彼らにも手術に立ち会ってもらう。いいな?」
娘の裸を他人の視線に晒されながら、有栖川邦彦は冷淡ともいえる口調で言い放つ。
「好きに・・・すれば」
ツ・・・と顔を背けた少女は、大の字に固定された姿のまま、感情を押し殺した声で囁いた。
鮮やかな赤いツインテールの後頭部の向こうで、誰にも彼女の表情を、確認することはでき
なかった。
手術の開始から一時間が経とうとしていた。
通常の体内メンテならそろそろ終わっている時間。機械部分と人間の生体が結合した部分
に異常がみられないかどうか、週に一度のチェックではその点が重点的に検査されるのだが、 手慣れた邦彦の研究メンバーはテキパキと小一時間ほどで終わらせてしまうのが普通だ。
今日時間がかかっているのは、言うまでもなく、新たな兵器を夕子の身体に取り付けている
からであった。
部分麻酔のせいで首から下の感覚を失ったサイボーグ少女は、端整なマスクをじっと凍りつ
かせたまま、氷のような視線で眩い照明を射抜き続けていた。
全てを拒否するかのような、研ぎ澄まされた瞳。
冷酷にすら映るその表情は、一方で、元々の造型がいい少女の容貌をより美しく際立たせて
いる。クールビューティーという成人女性向けの言葉を、夕子はこの年齢にして己のものにしよ うとしていた。内に怒りを秘めれば秘めるほど、美しくなる少女。だが同年代の男子が声を掛 けるには、今の夕子の胸の炎は激しすぎる。
横臥した夕子の傍らで、医療用具と機械工具を持った白衣の男が、カチャカチャと作業を続
けている。
機械工学が専門の有栖川邦彦だが、医学についても精通していた。そうでなければ機械兵
士などという発想は生まれてこない。
拘束され、身体が麻痺した夕子には、己がどんな手術を受けているか、見ることはできない。
ただ、ぼーっとしながらも覚醒している脳は、父である存在に己の体内をイジられていることを 雰囲気で感じ取ってしまっている。痛みも苦しみもない、ただ、いいように肉体を扱われる不快 感が、動けぬ夕子を押し潰す。
手術台に乗るたびに感じる屈辱は毎度のことではあったが、今日に限っては3人の見知らぬ
男女が、好奇心いっぱいの目で邦彦のすぐ後ろから並んで見詰めていた。いつにも増した激 情が少女の胸で湧きあがっているが、どうすることもできない己の立場を卑下する気持ちも横 たわる。
"見たければ・・・好きなだけ見ればいい・・・どうせ私は・・・あんたたちのモルモットよ・・・"
「新しい武器は右腕に付ける。作動方法は、いつも通りお前の意志ひとつで可動するようにし
ておこう」
白いマスクの下でくぐもったダンディーな工学博士の台詞に、手術台の少女はまるで反応し
なかった。構う素振りも見せずに、邦彦は黙々と作業を続けていく。
サイボーグ少女・霧澤夕子の肉体は、人工心臓や人工肛門などを埋め込むように、ただ機
械の部品が取り付けてあるわけではない。機械と人体との接合部分は特殊な生体組織が使 用されており、機械の刺激を人体が、人体の命令を機械が、ダイレクトに受け取れるよう設計 されていた。元々神経とは電流を伝えているのであり、置換さえうまくいけば、機械との交流を 図ることができる。夕子が機械部分が傷ついた折に痛みを感じるのは、この互換があまりにう まくいきすぎているためであった。
直接機械と繋がっているだけに、その動きは常人と変わらぬ滑らかさを誇った。普通に身体
を動かす感覚で、機械の腕や足を動かすことができるのだ。その驚異的なシンクロ率の高さの おかげで、夕子は時に自分がサイボーグであることを忘れてしまうほどだった。
様々取り付けられた機能についても、その利便性は変わることはない。
例えば瞳から放つ炸裂光なども、夕子が思っただけで作動することができる。命令から発動
までのタイムラグが無いことが、いかに兵士として見た場合、優秀であることか。今更語るまで もないだろう。
取り付けられる新兵器が、どんなものかの説明もないままに、鋼鉄の守護天使である霧澤夕
子に、今新たな力が与えられようとしている。
例えば藤木七菜江が文字通り血の滲む努力の末にソニック・シェイキングを手に入れたのと
は対照的な、あまりにあっさりとした新必殺技の誕生はもうすぐだった。だが、氷のような夕子 の瞳を見れば、その道が決して愉快なものではないことは、簡単に理解できることだろう。
「君たちにも彼女に付ける新しい兵器を見せておこう。順番に見てみるがいい」
背後を振り返った邦彦が、3人の新顔に傍らの電子顕微鏡を指し示す。横になった夕子から
はよくわからないが、どうやら新しい装置の構造を見ることができるようになっているらしい。こ れから体内の一部になるものを、隅々まで好奇の目に晒されるなんて――苛立つ姿を隠さな かったことで、罰を与えられているのだろうか。赤髪の少女には、邦彦がわざとじっくり焦らして いるようにさえ思えてくる。
ややオドオドした様子で、一人目の谷が遠慮がちに顕微鏡を覗く。彼ら機械工学の世界に身
を置くものにとって、邦彦の存在は神にも近いものだ。神の造型をまみえる恍惚が、小太りの 男のテカテカ光った頬に、照れ笑いの形で現れている。
時間にして10秒くらい。レンズから目を離した中年男は、半笑いを浮かべながら元の場所へ
と戻っていく。頼りなげな背中を見ていると、装置を理解したのかも疑わしい。邦彦と接すること で、明らかに浮き足だっているようだった。
入れ替わって色白の男が顕微鏡に近づいていく。新顔の3人のなかでもっとも学者然とした
桐生は、滑らかな動きで眼鏡をかけたまま細い目をレンズに寄せる。
「ぐわッ?!!」
「?」
驚く夕子の目の前で、痩せた眼鏡男は顕微鏡を覗いた途端、叫びをあげて仰け反った。
レンズにつけた右目を両手で押さえ、片膝をついてしゃがみこむ。一体、なにが起こったとい
うのか? 谷博士のときには、なんの異常もなかったというのに。
「ようやく、化けの皮が剥がれたようだな。産業スパイめ」
冷淡を極めた有栖川邦彦の声。
胸の内から取り出した拳銃の銃口を、クールな男は膝立ちになった桐生のこめかみにピタリ
とつけていた。
「どッ、どういうことよッ?!」
唖然とする周囲の人間を代表し、拘束状態の夕子が声を枯らす。
「この男はお前の秘密を盗むためにここに送り込まれたネズミだ。セキュリティーシステムの
網膜判定を潜り抜けるところを見ると、普段は巧妙に隠しているようだが、新兵器の秘密とも なれば記録せずにはおられまい」
空いた左手で、邦彦は黙ったままの眼鏡男の顔面を掻き毟る。
ビリリ・・・という化学合成樹脂を引き裂く音がするや、右目周りの色白の肌が眼鏡とともに引
き剥がされる。
桐生の顔の下から現れたのは、金属の頬と赤く発光した丸い義眼レンズ――
「機械ッ・・・人間ッ・・・!!」
「このレンズで見たものを撮影、記録できるようになっているようだな。使用時以外は人間の
網膜で覆われるため、薄汚いネズミの特定に苦労したが、顕微鏡にレンズだけが刺激を受け るよう細工をしておいた。太陽の100倍の光源は、痛むほどに眩しかっただろう? さて、貴様 の所属する企業はどこか、ゆっくり聞かせてもらおうか」
ゴリ・・・という鋼鉄がこめかみを擦る冷たい音が、研究室に響く。
3人もの新参者に重要な秘密である体内メンテの様子を見せるなんて、最初からおかしいと
は思っていたが、邦彦の本当の目的はスパイのあぶり出しにあったのだ。
「私を・・・利用したのねッ!!」
手術台の夕子が悲痛な叫びをあげる。
有栖川邦彦の研究がいかに重要なものであり、諸外国や三星重工以外の企業から狙われ
ているかは知っている。スパイがすでに潜り込んでいるかもしれない危険性も。そのスパイを 見つけ出すために、邦彦はわざと夕子という最高の餌を目の前にぶら下げて、尻尾を出すチ ャンスを待っていたのだ。サイボーグ少女の肉体、そして新兵器という情報は、リスクを承知し てもおいしすぎる。十分な勝算をもって、邦彦はこの罠を張っていたことだろう。
だが、そうは理解していても、たまらない。
誰にも見せたくはない機械の身体を晒され、研究を守るために利用された夕子には、たまら
なかった。
娘の叫びが、非情な父の胸に届いたのか。
じっと拳銃を突きつけていた有栖川邦彦の視線が、一瞬横たわる少女に移る。
ほんの、一瞬。羽毛ほどの時間。だが緊迫した場面において、それは致命的な時間――
桐生の右腕が撥ね上がり、邦彦が手にしたカートリッジ式の拳銃を弾き飛ばす。
壁際のコンピューターに当たった鋼鉄の塊が、ガチャリと音をたてる。思わず追った邦彦の
視線が産業スパイへと戻ったとき、片膝をついていた色白の機械人間は、すでに完全に立ち 上がっていた。
くぐもった呻きと肉を打つ重い音。
真正面で向かいあった桐生が邦彦の腹に右足を突き刺す。喧嘩慣れしていない、不恰好な
前蹴り。だが細身の男の一撃で、60kgを越える邦彦の身体が2mは吹き飛ぶ。
「死んでもらうぞ! 有栖川邦彦ッ!」
赤い機械の眼を光らせて、色白男が神経質そうな高音で吼える。
突き出した左手がガチャンと音を立てる。全ての指の第二関節からが折れ、その断面が鋼
鉄の銃口と化した。マシンガンの本性を現した、桐生の左手。正体がバレてやけになったの か、最初からのシナリオ通りか。研究者に化けた産業スパイは、邪魔者を消そうとする暗殺マ シンへとなった。
「くうッッ!!」
麻酔で動かないはずの、夕子の身体が撥ね動く。
ガチン!! という拘束具の軋む音。チタン製の合成金属は、サイボーグ少女の四肢を抑え
留めた。
「お父さんッッ!!」
銀色の光が三条の線を描く。
暗殺の弾丸が飛び出るよりはやく、鋭利な三片の鋼鉄が桐生の左手を刺し貫く。
痛みを感じることのできない機械人間は、違和感に気付くより早くマシンガンを発動させてし
まっていた。塞がれた銃口と分断された電気系統により、銃火器と化した左手が暴発を起こ す。
「ぐおおおッッッ?!!」
炸裂する光と煙。轟音とともに弾け飛んだ左手が金属の破片を撒き散らし、衝撃で機械人間
自体を吹き飛ばす。
「・・・まったく、世話の焼ける・・・」
ふてぶてしい口調が研究室に流れる。
霧澤夕子の声、ではない。キョロキョロとせわしなく室内を見回す赤い眼球に、左手を破壊し
たと思しき人物の正体がやがて映る。
驚愕の表情を凍らせた谷博士の横、ずいと前にでてくる人影。
相楽と紹介された白衣の女が、ショートヘアを掻きながら不敵な視線でねめつけている。
「お、お前は・・・」
「特殊国家保安部隊、相楽魅紀。実の娘を実験に使う野郎なんて、助けたくなんかないんだ
が・・・仕事だから仕方ないな」
「この・・・ッ!」
暗殺機械が無事な右手を、防衛庁が誇るエリート兵士に向ける。
ドス! ドス! ドス! ドス! ドス!
桐生がなにかを仕掛ける前に、魅紀の放った無数の銀光が機械人間の全身に突き刺さる。
白衣から生えたいくつもの刃。夕子はそれが手裏剣であったことを確認する。
「機械人間だかなんだか知らないが、貴様は動きに無駄がありすぎる。悪いが仕留めさせて
もらうぞ」
毅然とした魅紀の言葉になにを感じたのか。
突如方向を変えた桐生の身体が、出口となる扉へ向かってダッシュする。
機械人間が肩からぶつかるや、閉鎖したとタカをくくっていた邦彦の予想を裏切り、鋼鉄の扉
は無惨にひしゃげて吹き飛んだ。
ドス! ドス! ドス! ドス! ドス!
逃げ去ろうとする白衣の背中に、またもや夥しい手裏剣が突き刺さる。
一瞬仰け反った痩身が、すかさず生を求めて駆け逃げる。廊下へと走り去るスパイを追うべ
く、邦彦が鋭い声で研究員の男女に追撃を命じる。
「機械人間ということは、生身の部分もあるのか?」
拳銃を手に飛び出していった研究員にはついていかず、ひとり残ったショートヘアの女は、い
ましがた命を狙われたとは思えぬ冷静さを保った天才学者に尋ねる。
「恐らくな。夕子の出来損ない、といったところだ」
「ならば、始末はついたようなものだ。オレの手裏剣にはひと細工がしてある」
細かく聞かなくても、その細工が毒によるものであることは邦彦にも想像はついた。
「この娘は・・・どうするつもりだ?」
手術台の少女をチラリと一瞥した女兵士は、父である男に再び質問をする。
「どうする、とは?」
「なッ・・・貴様はこの娘の父親だろう? どう言い訳しようと、この娘を利用したことに変わり
はない。少しは謝ったらどうなんだ?」
「言い訳など、するつもりはない。そして謝るつもりも、必要もない」
カチンときた相楽魅紀が言葉を発する前に、置き去りにされていたような拘束の少女は叫ん
だ。
「もういいわッ!・・・早く・・・メンテを終わらせて・・・」
大の字で手術台に固定された全裸の少女は、やけに小さく魅紀の瞳には映った。
スパイが紛れ込んだ騒乱の最中、何もできずにただ横臥していたサイボーグ少女は、じっと
氷のような瞳で再び天井を睨み続けていた。
噛み締めた表情に、なにかの感情を読み取ることはできなかった。
電車をふたつ乗り継ぎ、フェリーに揺られること、一時間。
3人の美少女とひとりの男は、太陽が水平線に近づくころに目的の島へと辿り着いた。
南海の諸島に浮かぶ小島のひとつ、「天海島」。
緯度でいえば九州は種子島あたりに相当するというこの島は、スキューバダイビングの隠れ
スポット的名所であった。里美たちがいる地方とは温度自体はさほど変わらないが、乾いた風 と潮の香が、訪れた人々を一気に亜熱帯のムードへと誘う。カラッとした日光が肌を射すの は、心が解き放たれるような開放感があり、島全体に敷き詰められた白い砂は、さらさらと足 の裏をくすぐって心地よい。
リゾート気分を満喫できる南の島は、遠距離にあるのと、あまり名が知られていないために、
環境の割りには訪問客が少なかった。ダイバーや海水浴客が適度にいるだけなのも、この島 の長所のひとつといえるかもしれない。
「わぁ〜〜! すっごォ〜〜いッッ!!」
海岸に着くなりショートカットの元気少女と、茶髪のイマドキ美少女とは波打ち際目掛けて駆
け出していた。弾ける笑顔とはこのことを言うのだろう。キュートな美少女とチャーミングな美少 女が海水をかけあってキャイキャイ喜んでいるのは、夏の絵としてはあまりにサマになりすぎ る。少し離れた場所で見守る、ひとつ学年が上の少女と男も、自然微笑が広がった。
「よく見つけたな、こんな場所」
工藤吼介の問い掛けに、五十嵐里美は無言で、潮風に乱された長い髪を撫でる。
こういったイベントの仕切りを一番得意とするのは本来桃子なのだが、今回の海旅行の場所
を決めたのは里美であった。行く先と宿泊先は里美が予め決めており、あとは電車などの移 動手段を桃子が手配したのだ。遊び慣れた藤村女学園の友達と一緒にいるうちに、桃子も交 通手段や予約の方法に精通するようになっていた。
「どうした? なんだか浮かない顔じゃねえか」
「・・・別に。さあ、そろそろ宿にいきましょう」
木造の古風漂う旅館に一行が着いたのは、それから30分ほど後のことだった。
この辺りでは一番歴史がありそうな宿は、里美の趣味らしいと言えば言えた。3階建ての建
物は一階が大浴場と宴会の間になっている、昔ながらの作り。広い敷地を誇る宿のなかで、一 行は一番見晴らしのいい部屋へと案内された。
「お〜い、オレもなかへ入れてくれよォ」
「ダ〜メです。ここは女のコの部屋だから、先輩は立ち入り禁止です♪」
「んなこと言うなよ〜。ひとりじゃあまりに寂しいじゃねえか」
入り口のドアを挟んで、先程から遊び始めた七菜江と吼介を尻目に、案内をしてくれた宿の
女将がコポコポとお茶を淹れ始める。和風の部屋には畳の匂いがプンと薫った。6畳間がふ たつと、テーブルと椅子が備えられた窓際の空間。全面ガラス張りの窓には、夕陽を反射しは じめたセルリアンブルーの海が、地球の奥まで広がっている。高校生の身には十分すぎるほ どの部屋だ。
「お部屋からの眺めは気に入っていただけましたか?」
50代と思しき女将が優しげな声を掛ける。質問の相手は、部屋に来て以来、ガラス窓の前
でずっと景色に魅了されている桃子であった。
「うん・・・すごくキレイ・・・」
両手をガラスにピタリとつけ、ショウウインドゥのなかのオモチャを欲しがる子供のように立ち
尽くした美少女は、ため息にも似た声を発した。モデルのような美貌を持つ桃子の、少女らし い一面が里美には可愛らしい。ピンと背筋を伸ばし、一輪の花のごとく凛とした正座姿の令嬢 は、淹れ立ての緑茶を口に運びながら優しい瞳を桃子に向ける。
「里美さん」
「なに、桃子?」
「こっちって、島の裏側ですよねェ? なんでわざわざこっちにしたんですかァ?」
黙ったまま、長い髪の少女はコクリと熱いお茶を飲む。普通の緑茶も、里美にかかれば茶道
にでてくるような上品さに溢れた。
くるりと振り返ったイマドキの美少女は続けざまに質問を繰り出す。思いついた疑問を、その
まま口にしているようだった。
「こんなにキレイな海なのに、なんで誰もいないのかなァ? これじゃあたしたちの貸切みた
い。この旅館もあたしたちしかお客さん、いないみたいだし」
女将を前にして、桃子はいいにくいことも平然と言った。残念ながら、そういうところに気が回
る少女ではない。
案の定というべきか、桃子の台詞を受けて、みるみるうちに女将の顔が曇る。しかしそれは
不機嫌が理由ではなかった。困ったように眉をひそめて、傍らの里美に救いを求めた視線を 向ける。
「良いですよ。どうせ話すつもりでいましたから」
不思議な光を湛えた切れ長の瞳が見詰める。自分よりずっと年下の少女に、なぜか圧倒さ
れる想いがする女将は、促されるがままに事の真相を話し始めた。
「実は・・・今この島の裏側は、自主的にお客様を迎え入れないようにしておりまして・・・皆様
におかれましても最初はお断り申し上げたのですが、こちらのお客様が是非にと仰られるもの ですから・・・」
桃子の瞳が里美を映す。当の張本人は、しれっとした表情で再びお茶を口に運んでいる。
「でもなんで断ってるの? 今が一番、お客さんが多いときなんじゃないですかァ?」
しばしの沈黙の後、葛藤の末に女将は女子高生の当然の疑問に答えた。
「ウミヌシさまが、現れたからです」
「『ウミヌシ』?」
「この島に伝わる古きいい伝え・・・五百年に一度現れるというウミヌシさまが、沖で発見され
たというのです。ウミヌシさまは必ずこの土地を訪れると言われています。少しでも犠牲者を減 らすため、またウミヌシさまの存在を島民以外の者に知らせぬため、お客様をお断りしていた のですが・・・こちらの方はウミヌシさまのことをご存知だったものですから・・・それにウミヌシさ まを眠らせる方法を知っていると仰られるので、今回宿を無料で提供する代わりにお願いする ことになったのです・・・」
2
ヴオオオオオオオオオ・・・
低い唸りが闇の奥から湧いてくる。
高層ビルの黒い影が、倒れ掛かってくるかのような迫力で空を覆い尽くしている。隙間から洩
れる月明かりが、灰色の壁面と路地裏の雑多な風景を薄墨に溶かしたように浮き出す。充満 する、ムワッとした空気。程なくして低い唸りの正体は、冷房器の屋外モーターが生温かい風 を吐き出している音だと知れた。
夜とはいえまだ暑さの残るなか、狭い空間に熱風が堆積していくのは気分のいいものではな
い。うんざりする暑さのなかで、自分が暑いぶん、建築物の内部にいる人々が涼しい想いをし ていることに、やっかみに似た感情を抑えられない相楽魅紀は、ひとり小さく舌打ちをする。
栄が丘の一角にある三星重工の研究ビルから、彼女は今、同じ北区内にある谷宿の裏通り
へと移動していた。
着慣れない白衣を脱ぎ捨てた彼女は、迷彩模様のパンツにゼブラ模様のTシャツ、インナー
として黒のタンクトップを重ねたラフな格好に着替えていた。鎖骨まで大きく襟首の開いたTシャ ツから下着を思わすタンクトップが覗くのは、25歳の年齢に相応しい色気があり、見る者を少 しドキリとさせる。弾丸をあしらったチョーカーと癖のあるウェーブがかかったショートヘアとが、 女戦士と呼ぶのにピッタリな容姿を形作っており、ネコ型の野生動物を思わせる顔は、キツイ 印象を与える一方で可愛らしくもあった。身長160cmは決して大柄な部類ではないが、丸く膨 らんだボリュームのある胸が、全体のイメージを大きく見せている。
洗練されている、とは言えないが、己の雰囲気にマッチしたファッションを選択している魅紀
の姿は、谷宿の街においても違和感はない。だが今彼女がいる場所は、華やかな表舞台では なく、その裏に存在する汚れた世界であった。
50mも歩けば高校生から二十歳台半ばまでのファッションリーダーたちが闊歩する表通りに
出られるというのに、人気の途絶えた暗い路地には隔絶された静けさが訪れている。華やかな ネオンとは対照的な、モノクロの世界。谷宿という繁華街が持つもうひとつの顔を、並べられた ビール瓶のケースや生ゴミの袋が象徴している。
遠く聞こえるざわめきと、反吐とションベンの臭気。ビルの谷間から照らす満月の光を浴びな
がら、魅紀は己が"裏"の世界に足を踏み入れていることを悟っていた。
そして、その世界に安らぎに似た居心地の良さを感じている自分も―――
ジャリ
革の靴がアスファルトを踏みしめる音を、魅紀は聞き逃しはしなかった。
背後に湧いた気配を存分に察知しながらも、ショートヘアの女は振り返りなどしない。右斜め
後方5時の方向。距離約7m。"気配"が攻撃を仕掛けてこないのは、わざわざ見るまでもなく わかる。
「ひい、ふう、みい・・・合計5人か」
呟きにしては、やや大きめなひとりごと。
数秒の沈黙の後、ゾワリと路地裏の闇が動く。月明かりの下で、闇は次々と人影を吐き出
す。
魅紀を取り囲むように現れた人影は、最初に出現した背後のひとつを合わせて、全部で5つ
に膨らんだ。
「どうやら全員未成年のようだな」
月の光しか頼れない青い世界で、魅紀はたるんだTシャツに身を包んだ少年たちの、肌つや
に現れた活力を見抜いていた。
「オレらのシマに足踏み入れるとは、いい度胸してんな、ねーさん」
正面に立った少年が、魅紀の台詞に答えることなく低い声を出す。
180cmを越える長身に、金色の短髪。特に鍛えている様子はないが、バネのあるいい筋肉
をしている。ナチュラルなパワーに溢れた筋力を持つこの少年が、この5人のリーダー格であ り、もっとも腕っ節に自信を持っていることは、そっち方面に詳しい魅紀にはすぐにわかった。
「谷宿にはヤクザ気取りの小僧どもが巣食っていると聞くが・・・お前たちのことか?」
「おほー! 怖えー、怖えー! そうイキリたつんじゃねーよ。あんま、反抗的な態度取られる
と、ついマワしたくなっちまうじゃねーか」
唇を尖らせて笑う少年の顔からは、邪悪な薫りが漂ってくる。他人を泣かせることに、慣れた
人間がする笑いであった。高校生くらいと思しき少年は、この地に迷い込んだ女性たちを、こ れまでに何人もその毒牙にかけてきたのであろう。
「たまには痛い目を見るのもよし、か」
「あ? なにブツブツ言ってんだ? いっとくが叫んだところでだ〜れも助けになんか来ない
ぜ。この街はオレらの街なんだからよ」
クチャクチャとガムを噛み鳴らす男が、取り囲んだ輪から一歩近づき、無造作に魅紀の肩に
手をかける。
ザクン!
少年が魅紀の肌のぬくもりを感じるより早く、その手の甲には、漆黒の手裏剣が突き刺さっ
ていた。
神経が集中する掌のど真ん中に、鋼鉄の刃が貫通している。一瞬なにが起きたか理解でき
ていなかった不良の脳天に、衝撃と激痛とは、一足遅れでやってきた。
「ギッ・・・ギャアアアアアアアッッ―――ッッッ!!!!」
「こッ、このアマッ!」
悲鳴とガムとを吐き出す仲間の姿に、リーダー格の少年が明らかな動揺を見せる。どんな生
物か勘繰りたくなるような甲高い叫びと、勢いよく宙に舞う血潮。瞬時に舞い降りた非日常の光 景が、暴力の世界に馴染んでいるはずの不良少年の心に隙を作る。
アスファルトを踏みしめる音だけが、聞こえた。
5mはあった距離を、女闘士は一直線に突き進んでいた。金髪の少年がカウンターのパンチ
を狙おうとした時、勝気そうに映る魅紀の顔は、すでに長身の彼の真下にあった。ピタリと首筋 に張り付く金属の冷たさ。手裏剣の鋭利な刃が、少年の首の皮をいまにも剥ぎそうにあてられ ている。
「貴様、名前は?」
表情に宿る冷酷さ同様、夏であることを忘れさせる冷たい声が問う。
「シ・・・ショウゴ・・・」
「この街に半死の機械人間が隠れているはずだ。知っているな?」
「・・・さ、さあ? オレはなにも知らねェぜ」
冷たい汗が金色の短髪から流れ落ちる。潜り抜けた修羅場の経験の数々が、首に当てられ
た刃の本気度をショウゴに教えてくる。
「とぼけるな。桐生という、半分機械の体を持った男が、この谷宿に逃げ込んだのはわかって
いるんだ。街を仕切る貴様らが知らぬわけがない。それとも桐生は、貴様らの仲間なのか?」
「ま、まさか・・・知らないものは、知らねェぜ・・・」
「どうしてもしらばっくれるつもりなら、首と体が永遠に別れることになるが・・・」
脅しを含んだ魅紀の声が、そこで途切れる。
猛烈な、悪意。
隠そうともせずに放たれる黒い敵意が、路地裏の奥、闇の向こうから濁流となって放射され
てくる。リーダーの首を取られて凍りついた不良少年たちとはまるでレベルの違う、濃密な悪の 情念。特別な訓練を幼少より受け、並外れて感性の鋭くなった魅紀が真正面から受けるには、 あまりに激しい負のオーラが、弓矢となって漆黒の闇奥から突き刺してくる。
"な、なんて激しい憎悪・・・"
死と隣り合わせの世界に生きている魅紀が、生死の観念すら越えたような悪の放射に、思わ
ず注意を惹きつけられる。
ビルの谷間、闇が幾重にも重なったような絶対の暗黒空間。
爛々と黄色に輝くふたつの眼光が、肉食獣の獰猛さを血走らせて、暗闇の中で宙空に浮い
ている。
「貴様・・・何者だッ?!」
鋭い叫びが無意識のうちに、女闘士の口を割って出る。
「ぷ」
黄金の眼光が、何事かの音を発する。
「ククク・・・あーっはっはっはっはっはっ! アハハハハハハハハハハ♪」
けたたましい笑い声が、廃墟のような路地裏の壁にぶつかって散乱する。闇の奥で金色の
眼が放ったのは、思わず吹き出した音だったのだ。捩れんばかりに腹を抱えながら、ズイと進 み出た悪意の放出者が、月光の下にその姿を明らかにする。
鮮やかな豹柄のミニスカートが魅紀の瞳に痛いほど焼きつく。
黒のチューブトップに銀色のアクセサリー。ほとんどの指につけられた色とりどりの宝石が
毒々しいまでにキラキラと輝き、ウェーブの掛かった金髪と同色のルージュが妖気のエッセン スを全身に振りまいている。派手という単語に収まらぬ、特異な容姿と雰囲気。コギャル然とし て見えなくもないが、闇を纏ったようなオーラが、常人の尺度で捉えることを強烈に否定してく る。
特殊国家保安部隊員であり、常識外れな存在と接してきた魅紀だからこそ、わかる。
この少女は・・・危険だと。
「なにが・・・おかしい?!」
ニンマリと金色のルージュが吊りあがる。獲物に食らいつかんとする、肉食獣の唇。マスカラ
の濃い丸い瞳が、まるで笑わずに冷たく射抜いてくる。
「あんたさァ〜、足が震えてるよォ〜♪ それにィ、すっごい汗ぇ〜。ビビッてんならとっとと帰
ればぁ〜?」
手裏剣を握る右手がネトリと汗で滑るのを、魅紀はようやく自覚した。濡れたタンクトップがピ
ッタリと胸にまで吸い付き、尖った乳首に纏わりついている。指摘されるまで気付かなかった事 実が、闇から生まれてきた豹柄の少女に気圧されている己を教える。
「どうやら貴様が、『闇豹』のようだな」
「あら〜、ちりのこと、知ってんだぁ〜? ちりも有名になったもんねぇ〜」
「神崎ちゆり、通称『闇豹』・・・貴様の極悪非道ぶりは、里美様からお聞きしている」
血走った眼光がクワッと見開かれる。
魅紀のみならず、その場にいた不良どもを含めた全員が戦慄する、狂気の眼差し――
「てんめぇぇぇ〜〜ッッッ・・・あのクソ女の知り合いかァァァッ〜〜〜ッッッ・・・」
グ・・・グググ・・・・・・
そのときショートヘアの女闘士は見た。ブルブルと肩を揺らす豹柄の悪女の青い爪が、50c
mほどの長さにまで伸びていくのを・・・
つい先程まで溢れていた余裕が、露ほどにも派手なコギャルからは失せている。魅紀の台詞
のどこかに含まれていたNGワードが、一気に魔豹の本性を暴いたのだ。憎悪から、殺意へ― ――闘士としての本能が、魅紀に己に向けられた意志の変移を喚き教える。
気をつけろ―――
この女は、本気でオレを殺すつもりだ―――
「死にやがれええぇぇぇぇッッッ――――ッッッ!!!」
ナイフと化した青い爪が5本、ひけらかして狂った「闇豹」が殺到する。
ショウゴの首に刃が当てられていることなど、お構いない狂気の突進。ちゆりにしてみれば元
より取り巻きの連中は、利用できる持ち駒に過ぎない。人質にまるで頓着しない、躊躇ゼロの 襲撃が、百戦錬磨の魅紀をして反応を鈍らせる。
"ま、マズイッ!"
骨ごと断裂しそうな爪が、ショートヘアの頭上で煌く。
ガキンッッッ!!!
金属の摩擦する音がこだまして、悪魔の刃は女闘士に触れる寸前で止められていた。
「霧澤夕子ッ!」
「こいつはあんたの手に負える相手じゃないわ!」
すんでのところで飛び入り、神崎ちゆりの魔爪を右腕で受け止めた赤髪の少女が、鋭い声を
放つ。
「てんんめええええええええええええッッッッ――――――ッッッッッ!!!!!」
「闇豹」が絶叫する。咆哮する。
突如眼前に現れた邪魔者、その正体が臓腑から沸騰してくるような憎悪の対象者と知って、
二重、三重の怒りに激昂は頂点を迎えた。
カパリと金のルージュに彩られた唇が開く。
超音波。拳を交えた経験のある夕子は知っている。『谷宿の歌姫』が奏でるメロディーは、文
字通りの死の旋律。
ガツンッッ!
握ったサイボーグ少女の左拳が、大きく開かれた豹の口へと真っ直ぐ叩き込まれる。ショート
レンジからの、速く重く直線的な打撃。
「ぷぎょオッッ!」
虫が踏み潰されたような奇妙な叫びをあげて、顔面を殴られた「闇豹」が数歩ヨロヨロと後退
する。フォロースルーの小さい、槍を突くようなパンチは破壊力こそ大きくはないが、真正面か ら顔面を殴られて、残酷な女豹の脳には軽い地震が起きていた。灼熱に燃える憎悪とは裏腹 に、顔を押さえた弱々しい姿でフラつく派手なコギャルに、夕子の追撃が襲い掛かる。
マシンのパワーが宿った右足での、痛烈なミドルキック。
打ち方自体は素人同然の、しかしショベルカー並みの馬力を秘めた超キックが、か細い「闇
豹」の脇腹に向かって飛んでいく。
咄嗟に両腕をクロスさせて、サイボーグ少女の蹴りを受け止める残虐の女帝。
ガス爆発でも起こったように、神崎ちゆりの肉体は5mほどの宙を駆け飛んだ。
「ぎいいいッッッ・・・!!! ぐぎいいいいッッッ・・・!!!」
「久しぶりね、神崎ちゆり」
怒りの視線と憎悪の視線―――交錯するふたつの視線。火花飛び散る壮絶な視殺戦のな
か、ツインテールの少女は冷静を装った口調で話す。暗い路地の間に着地した「闇豹」は、痺 れる腕で灰色の壁をつたいながらジリジリと立ち上がっていく。
「ビチグソ女がああァァァッッ〜〜〜ッッッ!!!! よくもその醜い機械の身体をちりの前に
現せたなああァァァッッ―――ッッッ!!!!」
「醜いのはあんたのケバい格好も同じよ」
剥き出した歯を噛み締める悪女と、整った容貌を凍らせた聖少女。対照的な外観ではある
が、その胸に焼け付く炎は、いずれ劣らぬ業火となって渦巻いている。
ちゆりの爪によって機械の顔を曝け出された夕子と、ファントムガール・アリスの前で跪かさ
れたマヴェル。両者にとってもっとも屈辱的な仕打ちを受けた相手が、今、互いの目の前にい るのだ。
「グチャグチャだァァァッッ〜〜〜ッッッ!!! てめえだけは八つ裂きにしなきゃ気がすまね
ええェェェッッッ〜〜ッッ・・・」
「随分恨んでくれてるみたいだけど、それはあんただけじゃないわ」
「ボケがあああッッッ!!!! 調子に乗るなアアッッ、クズ鉄女ッッッ!!! お前らッッ、こ
の女をメチャメチャにしてやりなッッ!!」
切り裂くような魔豹の叫びが、悪意の余波を受けて硬直していた不良少年たちを動かす。
ショートヘアの女闘士に赤髪の少女。"強者"の雰囲気を醸し出す者が次々と現れようと、彼
らの心に巣食った恐怖は根強い。勝てるかどうか考える間もなく、「闇豹」への畏怖に動かされ て、Tシャツ姿の美少女に一斉に襲いかかっていく。
重い打撃音が響くや、真っ先に殴りかかった少年が、特急列車に撥ねられたように地面に平
行に吹き飛んだ。
右のボディーブロー、一閃。
加圧式のチューブが埋め込まれた右腕は、そのか細さに似合わぬ剛力を発揮していた。遥
か10m近くの距離を飛んだ緑髪の少年は、そのままアスファルトに崩れ落ちて眠りにつく。
「ちゆり、あんたが直接闘ったらどう?」
クイックイッと右手の人差し指を折り曲げて誘う夕子。
明らかな挑発は、我侭放題の悪女の激昂に油を注がないはずはなかったが、尖った牙を剥
き出した魔豹は飛びかかろうとはしなかった。
ギギ・・・ギギギッッ・・・・・・ギギギ・・・ギギッッ・・・・・・・
青い魔爪がコンクリートの壁を掻き毟る。
チョコのように抉られた壁に5本の縦線が刻まれていく。黒板を爪で引っ掻くような不快な音
は、不良少年のうちのふたりにたまらず耳を塞がせた。
"来ないの?!"
「闇豹」の襲撃を確実に予測していた夕子にとって、闘争の欲望を抑えるように留まった金髪
魔女の行動は意外であった。
咽喉元に輝く銀色の首輪。夕子の体調を送信すると同時に、人工衛星からの情報をマザー
コンピューターを通じて受信できる装置により、ちゆりの体温すら赤髪の少女は把握していた。 異常に上昇した体温は、豹柄を愛する悪女が間違いなく興奮していることを教える。私を殺し たくて殺したくて仕方ないはず・・・そんな「闇豹」が、敢えて戦闘を我慢しているような姿は、天 才少女の胸に疑問を投げかける。
もしや、いまだ以前の傷が癒えていないの?
「危ないッ、霧澤ッ!」
切迫した相楽魅紀の声に、風切る速度で振り返る夕子。
頭部を狙った鉄パイプの一撃を、かろうじて鋼鉄を潜ませた右腕で受け止める。
「ぐはあッ?!」
ふたりめの少年が繰り出した前蹴りが、無防備になった美少女の腹部にめり込む。サイボー
グなどとはとても思えぬ、柔らかな肉の感触が少年のつま先に伝わる。
思考に走ってしまった天才少女の隙を、暴力に慣れた魔豹の配下たちは見逃しはしなかっ
た。前屈みになった整った顔に、喧嘩自慢のヤンキーの拳が発射される。
「うあッ?!」
呻いたのは、今度はチンピラ少年の方。
高い鼻を拳が潰すと思われた瞬間、夕子の垂れがちな瞳が眩い閃光を爆発させたのだ。
「エデン」を宿らせた聖なる戦士といえど、霧澤夕子は戦闘に関しては特別な訓練を積んでき
たわけではない。ファントムガール・アリスとなったいまでさえ、五十嵐里美との特訓をさぼって 自らの実験を優先させてしまうことも多々あった。ドサクサに紛れて魅紀と闘い始めたショウゴ と失神した緑髪以外の3人の襲撃を受け、いくつかの攻撃をもらってしまうのは、基本的には 女子高生である夕子にとっては致し方ない面がある。それでも機械の宿った馬力と仕掛けられ た装置によって、腕っ節の強い不良3人程度なら、ものの数分で大地に転がすことは難しいこ とではなかった。
気がつけば肩で息をする小柄な少女の周りには、谷宿界隈では名の知れた喧嘩自慢4人が
気を失って倒れていた。
悪意に燃える眼光を光らせていた豹柄の悪魔の姿は、闇に溶けたようになくなっている。
「怪我はなかったか?」
乱れたショートヘアを手で掻き撫でながら、相楽魅紀がひとり立ち尽くす夕子の元へと駆け寄
る。奥の闇にはショウゴの長身が静かに横たわっていた。恐らく一番の強敵であったショウゴ ではあるが、1対1ならば魅紀とはレベルに差がある。その点では3人を相手にした夕子の方 が苦戦を強いられたようだった。
「あんた・・・相楽魅紀って言ったっけ? 魅紀は里美の知り合いなのね」
唇の端を伝う鮮血をグイと拭き取り、クールな少女は質問を無視して応える。先程まで燃え
上がっていた内なる炎は、嘘のように沈静したのが女特殊部隊員にもわかった。
「防衛庁の特殊国家保安部隊はほとんどが元御庭番で構成されてるからな。もっとも里美さ
まと直接お会いできたのは、ごく最近になってからだが」
現代忍者の次期総帥・里美は、表向きは五十嵐家の令嬢である。政府と深く関与していると
はいえ、裏でこの国を守っている御庭番の末裔たちとの面識は直接的にはあまりなかった。
「里美に命令されて、あの男を守っているの?」
「いや、もともと有栖川邦彦をガードするのはオレの仕事のひとつだった。それを知った里美
さまが、わざわざ会いに来てくれたのだ」
「・・・で、なんて言ったの?」
「よろしくお願いします、と。敬語でな。それだけだ」
沈黙が、訪れる。
満月に照らされた路地裏で、女子高生と自衛隊員は青い闇のなかで押し黙っていた。ややう
なだれたように佇むツインテールの少女は、やけに小さく女闘士の眼には映った。過酷な運命 を背負った少女のことは、最低限の範囲で里美から教えられている。勝気で強気で冷静な天 才少女に、時に16という年齢に相応しい儚さを感じるのは、果たして魅紀の思い過ごしであっ ただろうか。
「・・・そう。里美らしいわね」
「それが聞きたくて、オレのあとを追ってきたのか?」
再び夕子は、魅紀の質問を聞き流した。
グリーンのTシャツについた汚れをはたき、スタスタと表通りへ通じる路地へと足を向ける。谷
宿という街は、神崎ちゆりの存在に関わらずもとからあまり馴染まない。煩雑な雰囲気を好ま ない理系少女は、暑さと闘いで浮かんだ汗を、一刻も早くシャワーで洗い流したい気分に駆ら れ始めていた。
「お・・・おい」
「ひとつだけ言わせて。現代くノ一の実力がどれほどのものかは知らないけど、『エデン』寄生
者との闘いには顔を突っ込まない方がいいわ。長生きしたければね」
「お前こそ、もっと自分を大切にしたらどうなんだ?」
去り行く赤髪のツインテールがピタリと止まる。父・邦彦とのやりとりから先の闘い方まで・・・
どこか自棄になったような仕草が垣間見えるのを、くノ一ならではの観察力で魅紀は見破って いた。
美しいとも可愛いともいえる綺麗なマスクを振り返し、真夏の熱気を切り裂くように、冷淡な口
調で夕子は言った。
「長生きなんて・・・しようと思っていないわ」
ネオン輝く喧騒のなかに溶け込んでいく天才少女は、二度と振り返ることはなかった。
キラキラと夏の陽光を照り返す波間が、光の絨毯となって広大な海いっぱいに敷き詰められ
ている。
太平洋の穏やかな波に揺られて、刻々と変化する光の万華鏡・・・開放感たっぷりの南国の
太陽を浴びながら、桜宮桃子は飽きることない大海の美しさに心奪われていた。
ずっと視界の先に、空の水色と海の群青とを隔てる水平線が、一直線に右から左へと神の
手によって描かれている。ごくわずかにしなった曲線が、この星が球体であることを小さな少女 に教えてくれる。自分が今立っているのは、地球という乗り物なのだ―――改めて知らされる 事実は、アイドル顔負けの美少女にその星を守らねばならない使命をも自覚させる。
底が見えるような透き通った海と、染み入る青さの大空、輝く太陽と、シルクのような肌触り
の白い砂―――貸切り状態となった南の島の海岸で、桃子の心は無邪気に弾け飛んでいた。 最近起こった嫌な事件の数々・・・生涯忘れられないであろう、試練の記憶も、爽やかな太陽と 風とが洗い流していく。
「ん―――・・・きっもちいいッッ――ッッ・・・」
伸びをしながらひとり呟いた美少女には、女子高生らしい天真爛漫な笑顔が満開に咲き誇っ
ていた。
南海に浮かぶリゾートアイランド「天海島」。山を隔てた表側には、ダイバーや観光客が押し
寄せているのだろうが、島の裏側には白い砂浜が一面広がるのみで、人の影はまるで見えな い。美しい海岸を独占するなど、何人の人間が生涯に体験することができるだろうか。このま まずっとここに住めたらな・・・贅沢な時間に身を任せながら、アイドル少女はそんな夢をふと見 る。
空も海もすっごくキレイ・・・こんな美しい自然のなかで暮らせたら幸せだろうな・・・朝は小鳥
のさえずりで起きて、夜は星空を見ながら寝て・・・隣には素敵なダンナさまがいて・・・ううん、 別に顔とかはどうでもいいんだ・・・優しくて、一生懸命で、夢を追いかけてるような・・・それであ たしのことをきちんと理解してくれてるひと・・・あ、そうだ、『たけのこ園』のみんなもここに連れ てきてあげよ・・・みんなで楽しく笑顔で暮らすの・・・でも、あんまり海ではしゃいだりしてたら注 意しよっと・・・こら、そんなに水飛沫をあげたら、せっかくの景色が台無しでしょ、なーんて ね・・・
ザッバアアアアッッッ―――ッッッ・・・・・・
高々と飛沫を撒き散らし、海中からロケットのごとく荒々しく飛び出した物体が、夢見る乙女を
現実に引き戻す。
潜水から一気に浮上し、白波から1mは飛び上がった"それ"は、浜辺で呆気に取られる桃
子に気付いて大きく手を振った。
「やっほ――ッ、モモッ! 一緒に泳がないッ――ッ?!」
「んもうッ! なんて登場するのよッ、ナナはッ!」
上空で照りつける太陽に、負けず劣らぬ輝きを放つ元気少女の笑顔が、波の狭間に漂って
いる。
情景の美しさに囚われたエスパー少女を残し、藤木七菜江はこの一時間ほどをずっと泳ぎ
続けていたようだ。はしゃぎすぎ、というには凄すぎる体力は、とても先日の闘いで瀕死に追い 込まれた少女のものとは思えない。同じ「エデン」の戦士として、桃子は時に七菜江の超人ぶり に愕然とせざるを得なかった。
潮水で濡れそぼったショートカットを掻き揚げながら、白のビキニ姿の少女は海からあがって
くる。真ん中付近からセパレートになった黒髪は、ギラつく陽光を反射して瑞々しく輝いた。
南国のバカンス、2日目の昼下がり。
3人の少女と1人の男は、「天海島」の裏側、他に人がいなくなった海岸を独占して、紺碧の
海と薫る潮風とを満喫していた。
伝説の『ウミヌシ』さまの来襲に備え、避難していった島の人々・・・宿の女将も里美の説得に
応じて今朝がた島の表へと脱出した今、この土地にいるのは正真正銘観光に来た4人の高校 生だけになっていた。
普通に考えれば明らかに異常事態であるはずなのに、事情を知らない工藤吼介が平然とし
ているのはともかく、いずれ可憐な外見をした女子高生たちも、伝説の怪物など忘れて夏のバ カンスを楽しんでいるように見える。『ウミヌシ』の出現が真夜中らしい、ということを差し引いて も、見た目に合わぬ少女たちの肝の据わり具合は大したものであった。
ポトポトと水滴を垂らしながら、藤木七菜江は砂浜に突っ立った親友の側にまで歩いていく。
見事なプロポーションであった。
白いビキニに包まれた胸のふたつの果肉は、メロンと呼ぶに相応しい大きさと曲線を誇り、
はちきれん若さを発散して甘い芳香を醸し出している。キュッと締まった腰のくびれ。そこから また急カーブを描いたヒップラインが、弾ける皮膚の艶と相まって、健康的なエロスを爆発させ ている。お尻に食い込んだ白い布がやけに眩しい。ピチピチと割れそうな小麦色の肌は、引き 締まっていながら柔らかい、絶妙な質感を視覚を通じて教えてくれる。正面から見ても、真横か ら見ても、Sの字が浮かんでくる究極のボディライン。17歳の若さと色香がブレンドされた奇跡 の肉体は、同姓の桃子が見ても陶然としてしまう。
どうしたら、こんなカラダになれるんだろ?
憧れと軽い嫉妬が混ざった感情は、バストの大きさにちょっとコンプレックスを持っている桃
子に小さなショックを与える。黒と茶のワンピース水着のうえに、白のTシャツをエスパー少女 が着ているのは単なる偶然でもないかもしれない。
「ふーッ、疲れた! もう肌がふやけそうだよ」
「てか、泳ぎすぎだよ・・・」
「エヘヘ・・・熱帯魚と追いかけっこしてたら、つい夢中になっちゃった」
キレイに並んだ白い歯の間から、赤い舌をペロリと出すアスリート少女を、イマドキの美少女
は呆れた瞳で眺める。
「あれ? 先輩と里美さんは?」
キョロキョロと周囲を見回す七菜江に、タレントとして食っていけそうな美少女は、30mほど
後方にポツンと立っているパラソルを指差して言った。
「ふたりともずっとあそこにいるよ。子供みたいに泳ぎまくってるのは、ナナくらいなもんだよ」
「・・・ふーん・・・・・・」
奥二重の下にある吊り気味の瞳が、パラソルの下で座りこんだ細身の美少女と、その横で
寝転んだ筋肉の鎧とを映し出す。ふたりが特になにかをしているようには見えなかった。その まましばらくの間、元気少女はじっとその方向を見詰め続ける。
「・・・どうしたの?」
「え? べ、べつに、なんでもないよ。 あ、そうだ! ねえ、モモも一緒に泳ごうよ! せっかく
海に来たんだからさ」
「あ、あたしはいいよォ・・・」
「いいから、いいから! さ、いこッ!」
「ちょッ・・・ちょっとォ、ナナ・・・あたし、25mしか泳げないんだけど・・・とてもナナと一緒にな
んてムリだってばァ・・・」
「大丈夫だよ、ちょっと待ってて」
半ば強引に誘った猫顔系統の美少女は、スタスタとパラソルの元へと歩いていく。その下に
は彼女たち4人の荷物がまとめて置いてあるはずだった。
下を向きながら、奇跡的なダイナマイトボディの持ち主は、一直線に足を進めていく。直接見
なくても、五十嵐里美がこちらを見詰めていることは、感覚的にわかった。それがわかるからこ そ、七菜江は下を向き続けていた。
白い砂浜を見続けていたアスリート少女の視界に、パラソルの下に敷かれたビニールシート
が映りこむ。いつの間にか七菜江の足は、目的地へと着いていた。ふと視線をあげる。
それまで七菜江を見続けていた切れ長の瞳が、入れ替わるようにすっと地面に向けられた。
「・・・失礼します」
青色とピンクの浮き輪をそれぞれ拾うや、肉感的なボディはくるりときびすを返していた。そ
のまま去ろうとする背中に、慌てたように美しき令嬢が声を掛ける。
「ナナちゃん、まだ泳ぐの?」
染みとおるような優しい声に、七菜江の細い首だけが振り返る。
活発そうなショートカットが良く似合うひまわりの少女は、爽やかな夏の光のなかでニコリと微
笑んでみせる。
「もうちょっと、プカプカしてきますね。モモと一緒にあの島くらいまでいってきます」
スポーツ少女が指差した先には、小さな黒い岩が海の真ん中に浮かんでいた。
「気をつけていってこいよ、七菜江」
寝転んだまま声だけ放った肉厚の身体に、無言でVサインを見せつけ、ショートカットの少女
は素早い足取りで海に向かって歩いていった。
「よかったの?」
傍らで己の腕を枕にして横になっている筋肉獣に、五十嵐里美は言葉を投げ下ろす。
「なにがだ?」
眼をつむったまま、南国の直射を全身で浴びる工藤吼介の返答は、予想以上に落ち着いた
ものだった。
アロハ模様の海パン一丁で曝け出した肉体は、人間のものとしては考えにくいほどの豊富な
筋量で埋め尽くされている。仰向けになってもくっきりと浮かび上がった大胸筋と8つに割れた 腹筋。里美の胴くらいあるのではないかという腕に、その倍の太さはあろう太腿。リラックスして いるはずなのに、全力で踏ん張っているように浮かんだ筋が、解剖図で見たような筋肉の影を 形作っている。この身体でダッシュをしたら、音速を超えるのではないか? 休息してても伝わ る野性の瞬発力が、くノ一少女に有り得ない幻想を抱かせる。
「私とあなたが一緒にいると、あのコは心配するわ」
聞くだけで安らぐような里美の声は、いつもよりやや沈んで響く。
淑やかな少女には珍しい、Tシャツにホットパンツという出で立ち。だがそれは彼女が海には
入らないことをも意味していた。水泳部より速いと噂される里美が泳ぐのが嫌いなわけはなか ったが、心地よい環境のなかで、少しでも休養を望んでいるようだった。
パラソルの作る日陰のなかで休む里美と、日光浴を楽しむ吼介が隣にいたのは、当たり前と
いえば当たり前。だがそこに互いの意志を探るのもまた、不自然な行為ではない。
「あいつはオレとお前との関係を知ってるんだろ? だったら心配なんかしないさ」
「ホントにそう思ってる?」
間髪入れぬ令嬢の問いに、最強の冠を持つ男は沈黙した。
里美の脳裏にはいつぞやの七菜江との会話が蘇っていた。里美と吼介が父を同じに持つ姉
弟であることを告白したとき、純粋な少女は正面から闘いましょうと"宣戦"したのだ。少なくとも 藤木七菜江のなかでは、里美が恋のライバルとして認識されているのは間違いないことだっ た。
「あいつがどう思おうと、オレの父親が"あのひと"だってことは変わらない。母親が違っても、
オレと里美の血が繋がっているのは確かなんだ」
重いトーンが他に人影のない白浜に流れていく。
「いくら心配したって、それが誰にも、どうしようもない現実だ。誰にも、な」
夏の爽快な陽射しに似合わない、暗い沈黙が再びふたりの間に訪れる。
止まったような時のなかで、定期的に寄せる波音だけがいつまでも飽きることなく繰り返され
る。
澄み切った青空にモクモクと湧いた白い雲が、ふたりには不必要なまでに美しく見えた。
「おばさんは、元気?」
話題を変えた里美の一言が、ふたりの間に横たわっていた沈黙を打ち破る。
「ああ、田舎で楽しくやってるよ。ひとりは自由で伸び伸びできる、ってさ」
元々は五十嵐家の近隣に住んでいた吼介とその母だが、彼の聖愛学院入学を機に、母親
の弓実子はひとり里美も知らぬどこかに引っ越していた。元の家を売り払い、吼介もアパート で一人暮らし始めたことで、親子は月に一度、会うか会わないかの関係となったが、互いに現 状を楽しんでいる様子だった。
工藤弓実子が急に行く先も告げずに引っ越したのは、五十嵐家の誰かの思惑が関与してい
るという噂もあったが、里美自身には真実はわからない。ただ、父の蓮城にしろ、執事の安藤 にしろ、弓実子がいないことを好都合に取ることは予測ができた。
「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
南国の開放感が、人の気配のない安心感が、慎重なくノ一少女を大胆にさせたのか。
普段ならば聞けないような際どい質問を、玲瓏な美貌の持ち主は鋼の格闘獣に投げかけ
る。
「父のこと・・・恨んでる?」
「まさか。あのひとには感謝の気持ちしかないぜ。オレや母さんがこうして暮らしていけるの
は、あのひとのおかげなんだ。恨んだことなんて一度もないよ」
「その割には、家に来なくなったわね・・・昔はあんなに遊んだのに。意識して避けてるのは、
私の気のせいかしら?」
追憶を辿る美麗な令嬢の瞳は、心なしか曇ってみえた。
「そりゃそうだ。こっちがよくても、行きにくいだろ。お前ん家にとっちゃ、オレはいない方がい
い存在なんだから」
「そういう言い方はやめて」
ピシャリと言う里美の言葉は、怒りより哀しみに彩られて吼介には届く。
「悪りい」
短い謝罪。押し黙る、美神と野獣。口を開いた筋肉の塊が、ボツボツと言葉を紡ぎだす。
「オレはあのひとや安藤さんには嫌われてるからな。そういうのって、言葉に出さなくてもなん
となくわかっちまうだろ? オレは今でもあのひとには感謝してるし、安藤さんのことも好きだけ ど、互いのためには距離を置いた方がいいんだろうな」
返す言葉を失い、優しき生徒会長は切れ長の瞳を落とす。
父の蓮城とは普段会わないのでその心意は測れないが、執事・安藤の振る舞いには、最強
の高校生を必要以上に警戒している節が時に見受けられた。吼介に『エデン』を授けること に、もっとも強く反対したのは老執事であった。その警戒が菱井銀行頭取の五十嵐蓮城の名 誉を守るためか、吼介の正邪の資質に疑問を抱いているためか、真意のほどは明らかではな いが。
「もし」
不意に浮かんだ恐ろしい疑問が、里美の潤んだ唇を思わず割ってでていた。
それは本来、あってはならない事態。してはいけない質問。
だが今後を考えたときに、どうしても一度は聞いておきたい質問―――
「もし、何らかの理由でお父様や安藤と闘わなければならなくなったら・・・吼介は闘える?」
寝転びながら、逆三角形の肉体を誇る男は、フッと鼻で笑ってみせる。
「なんだよ、それ? 質問自体矛盾してるんじゃねーか? 大体そんな、闘わなくちゃいけな
い理由なんて、ねえだろ」
「お父様や安藤があなたを殺そうとしたら・・・闘える?」
歪んでいた男の顔が、一気に引き締まった。
何時間にも感じられた数秒後、低く重いトーンで吼介は言った。
「闘うだろうな、たぶん」
「私があなたを殺そうとしても?」
波の砕ける音が、陽光に照らされた世界を包んだ。
宇宙の深遠を覗くような切れ長の瞳と、硬直したように閉じたままの野獣の眼。
笑って誤魔化しても、適当に茶化しても良かったはずの繊細な質問に、工藤吼介は現段階で
もっとも考え抜いた答えを出した。
「闘いたくはない。だが・・・闘ってしまうかもしれない」
その答えの意味を知り抜いているように、格闘の化身は言葉を続けた。
「里美に殺されるのは幸せだろうが・・・殺してしまうのは不幸だろうな」
掻き消すような波の音が、繰り返しふたりだけの浜辺にこだました。
海岸から1kmほど離れた沖に、青い浮き輪とピンクの浮き輪が浮かんでいる。
周囲を取り巻く青い海原は、穏やかで静かだった。太平洋の波は低く、浮き輪にもたれてプ
カプカと漂っているのは、ゆりかごにいるような心地よさだ。偶然にも巨大な女神となったとき のイメージカラーと同じ色の浮き輪にそれぞれ?まった少女たちは、時折ピチャピチャと海水を 掻きながらここまで来ていた。
「ねぇ、あのふたりって、実際どうなってるの?」
Tシャツのまま海に入っている桜宮桃子が、デリケートな疑問をサラリと投げつけてみせる。
紺碧に囲まれた波音だけの静寂の世界は、秘密の話をするにはもってこいの場所なのかも
しれない。同じ屋敷の屋根の下に暮らす七菜江と桃子といえど、普段は話しにくい会話もあ る。そして5人のファントムガールのうちで、もっとも乙女の要素が濃い桃子にとっては、一番 気になる内容はやはり恋愛の話ということになった。
無邪気にはしゃいでいた藤木七菜江が、生徒会長と最強の男とのツーショットを見て以来静
かになったのを間近で見れば、この三角関係とは無縁の桃子でも関心を寄せずにはいられな い。華やかな容姿とは対照的な、聖母のごとき優しさを持つエスパー少女ではあるが、タブー に触れぬよう気を遣うタイプではなかった。
「え?・・・そんなの・・・あたしが知るわけないじゃん」
俯き加減のショートカットの少女は、パシャパシャと海を悪戯に叩く。
「里美さんと吼介ってホントは姉弟なんでしょォ?」
「・・・そうだよ」
「でも、なんかそんな感じじゃないよネ。どっちかっていうと、恋人っていうほうがしっくりくるも
んねェ」
「・・・そだね」
視線を落としたまま、南国に似合わぬ口調で七菜江は答えた。相変わらず感情の起伏が、
すぐに表にでてくる少女である。
「ナナは吼介とはどこまでいったの?」
「ん?・・・うん・・・」
「あれ? まさかキスもしてないのォ?!」
「うるさいなあ。なんであたしが先輩とキスしてなきゃいけないのよ」
耳たぶまで真っ赤にして、照れたような怒ったような困ったような表情を元気少女は浮かべ
る。
「だって、吼介のこと、好きなんでしょ?」
拍子抜けするほど平然と、タレント顔負けの美少女はズバリと核心を突いてくる。
絵の具で塗ったように深紅に染まったスポーツ少女は、コクリと頷いたあと、花びらのような
唇を尖らせて反論する。
「でもさ、あたしが好きでも先輩がなんとも思ってなかったら、どうしようもないじゃん」
「えええッッ?!! ナナ、それ、本気で言ってるのォ?!」
静かな海原に、桃子の甘ったるい驚愕の叫びが響き渡る。
「そんなわけないじゃんッ! 吼介はゼッッッタイにナナのこと好きだってばァ!」
「じゃあ、里美さんのことは?」
「え?」
「モモは学校の友達からもよく恋愛相談されるんでしょ? だったらこういうこと詳しいと思うけ
ど、モモから見て、先輩は里美さんのことどう思ってると思う?」
拗ねたような瞳で見詰めてくる親友に、嘘の苦手なエスパー少女は正直な感想を洩らす。
「・・・好き、なんじゃないかな・・・やっぱり」
「ほらね」
浮き輪の上に両腕を重ねた七菜江は、唇を突き出したままの顔をため息とともにその上に
乗せる。
いくら恋に鈍感なアスリート少女といえど、これまでの反応を見ていれば最強の格闘獣が自
分に好意を抱いてくれてるくらいはわかる。
それでも工藤吼介が今一歩踏み込んでこないのは、そして結局以前の七菜江の告白を無視
したままにしているのは、ある女性の影がいまだに色濃く残っていることを薄々感じさせた。
美しく、気高く、優しく、理性のある、最高の女性・・・七菜江自ら憧れてしまう、長い髪をなび
かせた流麗な生徒会長を・・・
「うーん、ナナもとんでもない強敵をライバルにしちゃったね・・・」
プカプカと漂いながら、茶髪の女子高生は同情の台詞を寄せる。
「ま、でもさ、がんばりなよ。あたしはナナの味方だからね」
「それ、ゼッタイ里美さんにも言ってるでしょ・・・」
「あはは」
屈託なく笑う桃子の白い歯が、光る波のなかで輝く。里美の美しさはどこか幻想じみている
が、このミス藤村の端整な造型も神がかっていた。透き通るような白い肌、優しくも芯の強さを 残す魅惑的な瞳、高い鼻梁と瑞々しい色気ある唇・・・男の好みは十人十色というものの、桃 子の前ではまるで通用しそうにない。完璧な美貌に何人の男がこれまで虜になったことだろ う・・・親友のちょっとオトナびた雰囲気もある可憐さが、七菜江には眩しかった。
「いいよね」
「うん?」
「モモは凄くカワイイから羨ましいよ。あたしがモモみたいだったらな・・・」
「あのねェ〜・・・」
ふう、と深くため息をついたエスパー少女が、チョイチョイとショートカットの少女を手招きす
る。誘われるがままにピチャピチャと泳いで、七菜江は桃子の目の前に移動した。
小さな両手をポンとアスリート少女の両肩に乗せた美少女は、魅惑の瞳で真っ直ぐ吊り気味
の眼を見詰めながら、耳のなかで転がるような甘い声で囁いた。
「ナナはとっっってもカワイイよ。だから、もっと自信を持って・・・」
いうなり桃子はバラ色の唇を、魅入られたように硬直した七菜江のピンクの唇に重ねた。
「ッッ〜〜〜ッッッ?!!」
プチュッという空気の吸着する音がして、ゆっくりと桃子は唇を離す。
卵型の輪郭のなかで、ほんのり咲いた桜色が柔らかそうな頬を染めている。
「・・・モ・・・モ・・・・・・」
蕩けるような己の声を、七菜江はどこか遠くで聞いた。
顔全体が真っ赤に紅潮し、半開きになった瞳が潤んでいるのが自分でもよくわかる。突然の
出来事に、直感的な思考を好む頭はなにをどうしてよいやらわからず、パニック状態に陥って いた。ただわかっているのは、マシュマロのような桃子の唇の柔らかさと、甘い蜜のような吐 息・・・・・・
「あたしはナナはすごォ〜〜くチャーミングだと思うよ・・・もっと自分を信じてあげなよ・・・ね」
上目遣いで眺めてくる茶髪の美少女の瞳もまた、蕩けるように潤んでいることに七菜江は気
付いた。囁きかけてくる声が、くすぐるように全身を包んで転がっていく。この感覚は一体・・・戸 惑いながらも、ジュンとした熱い疼きが下腹部に走るのを、スポーツ少女は確かに自覚した。
名前通り、桜色に染まったキレイな少女がかすかに首を傾ける。
ス・・・と柔らかな唇は、陶然とした七菜江の唇に、再度音もなく近付いていく。
甘いふたつの唇が、今にも触れ合おうとした瞬間―――
グオオオオオオオッッッ―――ッッッ・・・・・・
沖から響いてくる奇怪な咆哮が、ふたりの少女の動きを止める。
「な、なに・・・この音・・・・・・」
「もしかして・・・これが・・・『ウミヌシ』・・・・・・・・・」
紺碧の海を渡っていく甲高い怪音―――
南国の海域全体を震わせる大音響がした沖の方向には、ただ真っ直ぐの水平線が広がる
ばかりであった。透明な空に余韻が溶けるまで、ふたりの少女はじっと波の間に漂っていた。
暗い、部屋であった。
外気には容赦ない日光が、アスファルトを溶かす勢いで猛烈に地表を熱しているというのに、
暗く閉ざされたこの部屋には、まるで光が届いてこない。
陰鬱な室内には瘴気が澱のようによどみ、カビ臭い匂いが部屋中に染み付いているようだっ
た。
谷宿という、昼夜問わず活発な人だかりで賑わう繁華街にあって、隔離されたようなその場
所は、若者の街の裏側に潜む腐汁を全て掻き集めたように、陰惨な雰囲気のなかに沈んでい た。
太陽の代わりにこの部屋を青白く照りだしているもの―――
それは、2台のプラズマテレビが、それぞれ別の記録映像を流している明かりであった。
「それにしても・・・い〜い拾い物をしたわぁ〜♪」
ケラケラと愉快げに笑う魔女の声が、陰鬱な部屋に響く。
黒のインナーに豹柄のTシャツ。スパンコールのミニスカから生えた足は黒のストッキングを
履いており、いつもより落ち着いた感じもしなくはない。谷宿を牛耳る若き女独裁者は、昨夜サ イボーグ少女と対峙した折に見せていた憤怒の表情とは打って変わった、心底からの歓喜に 満ちた笑顔を露わにしていた。
「目には目を・・・歯には歯を・・・機械女をぶっ壊すには、や〜〜っぱり機械人間よねェ〜♪」
2台のテレビの、ちょうど真ん中。2つの画面を同時に見られる場所。
革張りの椅子に座った、眼鏡を掛けた細身の男に、「闇豹」神崎ちゆりは後ろから抱きつい
ていく。
有栖川邦彦博士の研究を盗むのに失敗し、三星重工の研究室から脱出した産業スパイ・桐
生。
始末されかけたはずの男は、やはりこの谷宿に逃げ伸び、生き永らえていたのだ。
ボロボロに破れた白衣から覗く色白の地肌、そしてさらに皮膚すら破れた箇所から覗く、銀
色の金属光沢。赤や黒の無数のコードが身体中から出入りしており、そのうちの何本かが2台 のテレビとも繋がっている。ピピ・・・ピ・・・という電子音。剥き出しになった右眼には赤いレンズ が不気味に光り、爆発で失った左肘から先には、桐生自身が造り直した新たな機械の腕が取 り付けられている。
機械人間の本性を曝け出した、桐生本来の姿。
その赤い義眼のレンズに映る映像を、死の淵から舞い戻ったサイボーグは、じっと脳内のコ
ンピューターに記憶する作業を続けている。
「有栖川邦彦・・・アノ男ダケハ、地獄ニ落トサネバ気ガ済マナイ・・・」
無機質な声が、神経質そうな外観を持った男の口から流れる。
機械工学に熱中するあまり、己の肉体をも実験材料に使ってしまった男。邦彦への敵愾心
が、完全なる敵意にいつの間にか変化していた男は、その敵視する相手に殺されかけた屈辱 と恐怖とを思い返しながら、呪詛の言葉を迸らせる。
「タダ殺シハシナイ・・・発狂スルホドノ苦シミノナカデ、息ノ根ヲ止メテクレル・・・」
「あはははは♪ 期待してるわよォ〜〜! 命と引き換えに、最高の力を与えてあげたんだ
からぁ!」
ピ・・・ピピ・・・・・・カチャカチャ・・・カチャカチャカチャ・・・・・・
赤く光る右眼が画像を記録する音と、悪魔のコンピューターが解析する音。
2つのテレビ画面に映された映像・・・それはファントムガール・アリスが魔豹マヴェルと黒魔
術師のマリーと激突したあの闘いと、昨夜裏通りで繰り広げられた、霧澤夕子と不良少年たち との格闘の場面であった。
「マズハ霧澤夕子・・・イヤ、ファントムガール・アリス・・・・・・貴様カラ地獄ヲ見セテヤル・・・今
夜ガ貴様ノ最期ノ日ダ」
眼鏡の奥の左目で、桐生は暗く翳った己の足元を見下ろす。
皮膚という皮膚を切り刻まれ、穴という穴から白濁液を垂れ流した相楽魅紀が、己の血と生
臭い汚液にまみれた無惨な姿で、桐生の足に踏みつけられたままそこに転がっていた―――
3
吊りあがった闘士の瞳が、数m先に佇む細い影を射抜く。
黒のインナーにゼブラ模様のTシャツ、迷彩模様のパンツにホーキンズのブーツを合わせた
ラフな格好が、女闘士のシャープな雰囲気をより際立たせている。クセのあるショートヘアは、 静止していても躍動感を与えるしなやかな肉体を持った女によく似合っていた。キレのある雰 囲気を醸し出す女刑事や特捜官をよく豹に喩えることがあるが、そういう意味での「女豹」とは まさに彼女のことであろう。
特殊国家保安部隊・相楽魅紀。
霧澤夕子と別れた後、昨夜から一睡もせずに逃走した機械人間の行方を追っていた現代くノ
一は、谷宿の一角にある50畳ほどのショウパブに姿を現していた。
全て黒で統一された椅子とテーブル。店の3分の一ほどは、ドラムやギターアンプなど、簡単
な演奏器具と照明設備の整った小さな舞台で占められている。ハリウッド映画に出てきそうな オシャレな内装の店内には、魅紀以外にはふたつの影しかいない。
極悪な笑みで顔を歪ませたもうひとりの「女豹」と。
眼鏡の奥で無機質な光を灯らせた、白衣の痩せ男。
昨夜、手裏剣による攻撃で瀕死においやったはずの産業スパイ・桐生は、着ている白衣こそ
ボロボロであるものの、爆発した左腕も剥ぎ取った顔面の皮膚も元通りに、何食わぬ表情で蘇 っていた。科学者特有とでもいうべき陰湿な雰囲気に、怨念の青白いオーラがブレンドされた 佇まい。同じ外見でありながら、24時間前とはまるで違う敵が出現したことを、魅紀の闘争本 能が教えてくる。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・」
両手に十字型の手裏剣を3枚づつ挟み、構えを取ったままの魅紀の肩が激しく上下してい
る。吐き出す荒い息に血の味が混ざっていることは、女兵士自身がよく理解していた。
「アハハハハ♪ どうしたのォ〜、秘密部隊の隊員さん! こいつを始末しにぃ〜、来たんじ
ゃなかったっけぇ〜? さっきからやられっぱなしじゃなぁ〜〜い♪」
血のような色の口腔を大きく広げて、神崎ちゆりがケタケタと哄笑する。
「『闇豹』貴様・・・この男に何をした?」
言葉を発するたびに、ズキンとくる稲妻が体内を駆け巡り、美女と呼べる魅紀の顔を苦痛に
歪ませる。服に隠れた腕も足も胸も腹も・・・夥しい量の内出血でドス黒く変色してしまってい る。三星重工の研究室では手玉に取ったはずの眼鏡男は、一夜にして、恐るべきパワーアッ プを果たしていた。
「わずかな期間でのこの身体能力の向上・・・オレの手裏剣を受けて尚息絶えぬ生命力・・・」
湧き上がる恐るべき想像に、女兵士の奥歯がギリギリと鳴る。
「まさかこいつに・・・『エデン』を与えたのか?・・・」
「あっらぁ〜〜? あんた、そんなことまで知ってんのォ〜〜? こりゃあ、しっか〜〜りとオシ
オキしとかなきゃあねぇ〜」
くどいほどに濃いマスカラの下で、豹の眼光が一瞬鋭く細まる。
一般人には知らされていない「エデン」の存在を知っていることは、即ちファントムガールとの繋
がりが強いことを意味する。ちゆりにとっては、それは憎悪すべき対象という意味でもあった。
「く・・・貴様らは元々仲間ではないはずだ・・・・・・偶然知り合ったこの男になぜ・・・」
「きゃははははは! そんなこともわかんないのォ〜〜! 目的が同じだからに決まってるで
しょオ〜〜!」
狂ったような笑い声が、暗い室内に響き渡る。
血走った眼光がショートヘアの女闘士を射抜いたとき、哄笑は怒号へと変化した。
「あのクズ鉄女とそのオヤジを殺すためだアアアッッッ!!!! まずはてめえぇからハラワ
タぶッちまけやがれェェェッッッ〜〜ッッ!!!!」
「闇豹」の甲高い咆哮が、青白い機械人間に攻撃再開させる合図となった。
ガチャン!という無機質な音が響くや、魅紀に向けて突き出した左手の指が、第二関節から
全て折れて銃口を見せる。
マシンガンを搭載した桐生の左手が火を噴くと同時に、女兵士の肢体は獣の速度で横に飛
んでいた。
薄暗い部屋が弾丸が発射されるたびに白く発光する。連続して起こる炸裂音。反応が一歩で
も遅れていたら、魅紀の肉体はミンチにされていただろう。凶弾がホーキンズのつま先をかす めるのを感知しつつ、政府の誇るエリート戦士は横っ飛びに走りながら反撃への態勢を整えん とする。
ドドドドドド!!
幼少より鍛えられた忍者の感覚が、疾駆する魅紀の身体を急停止させた。
鼻先を通り過ぎていった弾丸が、壁に当たってコンクリートを蜂の巣にする。もしそのまま駆
け続けていたら、ショートヘアの似合う小さな顔は、ざくろのように破裂していたところであった。
全力でダッシュしていた身体を瞬時に停止させ、尚且つ逆方向に走らせる芸当を、戦士の筋
力が可能にする。コンマの停滞すらない反転。研ぎ澄まされたくノ一の肢体が、弾かれたよう に逆方向に加速する。
再度噴いたマシンガンの火が、隼の速度を誇る女兵士の足を止めていた。
ボロボロの白衣を纏った不気味な男の弾丸は、まるで魅紀がそこにくることがわかっていた
かのように、駆け飛ぶ秘密部隊員の目の前を撃ち抜いていた。砕ける壁と破裂するウイスキ ーの瓶の音が魅紀の耳に届く。眼前を過ぎていく現実的な「死」、そこに潜んだ悪魔の余裕― ―
「くッ!」
「きゃはははははは!」
優秀な戦士は思考より早く肉体を動かしていた。「闇豹」の嗤い声を切り裂いて、十字手裏剣
が佇む白衣向かって乱れ飛ぶ。忍び仲間内でも自信がある、相楽魅紀必殺の鋼鉄の暗器。
「なッ?!」
無常な女兵士の叫びが赤い唇を割って出る。
昨夜は面白いように突き刺さった白い刃を、復活した桐生は全てかわしきっていた。
"なぜだッ?! いくら『エデン』を寄生させたからといって、銃弾より速いオレの手裏剣をこう
も容易くかわすなんて・・・いや、それだけではない。徒手での格闘でも、まったく歯が立たない とは。まるでこいつはオレの動きを・・・"
猫型の肉食獣を思わせる美貌に大粒の汗が流れ落ちる。戦闘において遅れを取った経験な
どほとんどないエリート戦士の動揺の隙を、冷酷な機械人間は逃しはしなかった。
「死ネ」
炸裂するマシンガンの炎。
動きの止まった女特務官に向けられた左手から、秒間12連発の凶弾が乾いた音とともに弾
き出される。
黒い穴で埋められていくTシャツ、千切れ飛ぶ布繊維。
硝煙と発砲音のなかで、相楽魅紀の張り詰めた肉体が、原型も留めぬほどに穴だらけにさ
れていく。
「?!」
たちこめる黒煙のなか、言葉を失ったのは桐生。
ボロ布と化したゼブラ模様のTシャツ、そして迷彩パンツが、煤焦げてヒラヒラと空中を舞って
いる。だがそこにあるはずの相楽魅紀の肉片が、ただの一滴の血痕すら残さず消失してしま っている――
呆然とする眼鏡男の頭上、背後の上空。
薄暗い闇の間から掻き現れたのは、黒いインナー姿の相楽魅紀。
「うぐッッ?!!」
だがしかし、くぐもった悲鳴を洩らしたのは、忍術を駆使して逆転したと思われた女兵士の唇
だった。
「バカメ。貴様ノ動キハスデニ学習済ミダ」
振り返りもせずに後方上空に伸ばされた桐生の右手が、魅紀の白い咽喉を鷲掴んでいる。
ピアニストのような白く細い指は、柔らかな肉を突き破って、女兵士の咽喉に深々と食い込ん
でいた。機械のパワーが内蔵された右手。潰れた咽喉から噴き出した鮮血が、半開きになっ た赤い唇から勢いよくゴボゴボと溢れる。ジタバタと暴れる手足が男の痩身を殴り蹴ろうとも、く ノ一を支えた右腕はビクとも揺るぎはしない。
「ごぶうッッ!! ゴホオオッッッ!!! ぐううッッ・・・グググ・・・・・・」
「服ダケ残シテ脱出スルトハ、大シタモノダナ。コレガ噂ニ聞ク変ワリ身ノ術カ。ダガ貴様ノ戦
闘パターンハトックニ解析シテイル。万ニ一ツモ勝利ノ可能性ハナイト知レ」
バリバリバリバリッッッ!!!
機械の右手から高圧電流が、囚われの女戦士に流し込まれる。
咽喉から注入された焼け付く刃が、指先へ、つま先へ、頭頂へ・・・張りのある現代くノ一の肉
体を、五体バラバラにせん勢いで、細胞を切り裂きながら疾走していく。
「うぎゃあああああああ〜〜〜ッッッ!!!」
「アーッハッハッハッハッハッ! バイバ〜イ、目障りな女忍者さん♪ すぐにお仲間も、あの
世に送ってあげるからねェ〜〜!」
空中に捕らえられた女戦士の肢体が大の字に反り上がる。ピクピクと痙攣する指先。激しい
電流処刑に耐えかね、ナイロン生地のインナーがビリビリと破れて地肌を露出させていく。
人里知れぬ伊賀の聖地で、修行という名も霞むほどの苦行鍛錬を乗り越え、人並み外れた
苦痛への耐性を身に付けた魅紀が、かつて味わったことのない電撃地獄。
己の絶叫すら遠くに聞こえる、白い世界に飲み込まれていくくノ一戦士に、更なる追撃の魔の
手が下される。
ズボリ!という音も残酷に、大きく広げられた魅紀の股間に、桐生の左手が抜き手となって
突き刺さる。
右手と左手。咽喉元と女性の一番大切なクレヴァス。ふたつを結ぶ極太の電流の橋が、魅
紀の内臓を、骨格を、ズタズタに焼き焦がしながら一直線に美女の体内で架かる。
ズババババババババッッッ!!!!
「ハアアギャアアアアアアアアアアアアアッッッ―――――ッッッ!!!!」
まるで地獄の蛍光灯。落雷にも近い巨大な電流は、魅紀の肉体を透かし、外部からでもその
筋道がわかるほどに発光している。壮絶な機械人間のトドメの一撃の前に、いくら現代くノ一と いえど、もはや肉体的にも精神的にも立ち向かえるはずはなかった。
30秒ほどの悪魔のショータイムが終わり、ようやく電流が止んだとき、ブスブスと黒煙をあげ
る女特務官の肢体は、ドシャリと機械人間の足元にくず折れた。
「あーっはっはっはっはっ! 一匹、始末終了ォ〜〜〜! でもねェ〜〜、あんたの役目はこ
れからだからねェ〜〜」
ヒクヒクと小刻みに震える女兵士の丸い双乳を、無機質な光を眼に宿した痩せ男が背後から
鷲掴む。シャープな動きとはややアンバランスに感じられるほど、魅紀のバストはボリュームが あった。Dカップは確実にある柔らかな球形が、容赦ない機械の指に潰されてグニャグニャと 変形している。そのまま胸を握り潰したまま、脱力したくノ一の肢体を桐生は無理矢理に立ち 上がらせる。
酸の海にでも落とされたような、ボロボロに破れたインナーを纏った美女が、気の強そうな顔
を歪ませながら、苦痛に喘ぐ声を間断なく吐露し続けている。敵対する女戦士の無様な敗北の 姿が、「闇豹」の歪んだ心を、幸福感で満たしていく。
「高圧電流でェェ〜〜、ココを焼かれちゃうのはぁぁ〜〜、気持ちよかったでしょオ〜〜?」
破れ落ちた黒のショーツから露わになった魅紀の陰部に、ニヤニヤと獰猛な笑みを浮かべ
て正面に立ったちゆりが右手を伸ばす。ケバい化粧とは対照的な白い指先は、赤く腫れた女 陰の入り口の肉襞をそっと撫で上げる。股間から突き上がる漣に、女兵士の肩がピクリと跳ね 上がる。
戯れに尖った爪を踊らせる「闇豹」。だが、それはまるで魔術だった。秘裂の頭頂にある突起
から背後の菊穴まで、じりじりとなぞっていく悦虐の豹女の指は、魅紀の感じる箇所を的確に 射抜いていた。断続的に駆け上ってくる官能の刺激。右手だけで弄んでいるはずなのに、数十 本もの繊毛で撫でられているような絶妙な摩擦が、敗北の屈辱で塗りつぶされた意識をトロト ロに溶かしていく。股間部に巨大なイソギンチャクが張り付いたような魔豹の性戯に、闘うこと すらできなくなった豊満な肢体がビクビクと痙攣する。
「あくッッ・・・ふッ・・・・・・やッ・・・やめ・・・ろッ・・・・・・」
「面白〜〜い! この女、眼がイッちゃってるのにィ〜〜、まだまだ虚勢、張れるんだァ〜
〜! きゃははははは! 桐生ゥゥ〜〜、あんたもやっちゃいなァ!」
ジジジジジジジジ・・・
掌に余る乳肉をガッシリと掴んでいる眼鏡男の両手が、微弱な電流に包まれる。
魅紀を痛めつけるためではなく、悦ばせるための電撃刑。乳房全体に張り巡らされた電磁の
愛撫が、細胞レベルからの震動を与え、バチバチと弾ける刺激を内部にまで浸透させていく。 どんな男に抱かれたときにも味わったことのない、官能の嵐。百人に揉みしだかれるどころで はない、胸そのものがバイブになったような極上の刺激に、脱力したはずの肉体がビクンビク ンと大きく波打つ。
「ひゃぶううッッ!!・・・・・・ぶふッッ・・・あ゛あ゛あ゛ッッッ・・・・・・!!」
「きったなァ〜〜〜い! ヨダレでベトベトじゃなァァ〜〜い。やっぱりィィ〜〜、女忍者さんは
欲求不満なのォ〜〜? ほらァ〜〜、見ろよォ〜」
女のクレヴァスから抜いた右手を、「闇豹」は曇った魅紀の目の前に突き出す。ピースサイン
をした二本の指にかかる愛蜜が、キラキラと透明に光る橋を架ける。
「下のお口もヨダレダラダラぁ〜〜♪ って、もう聞こえてないかァ〜〜」
バリバリバリバリッッッ・・・・・・!!
豊乳を包んだ電撃が、急激にその電圧を高める。
柔らかな球体を弾き飛ばされそうな激痛、間隙を縫って女芯を貫く陰悦。いっそ乳房を切り
取ってほしいという密かな願いを裏切って流し続けられる電撃処刑に、敗北の女兵士が四肢を 振り乱して暴れ苦しむ。
ぷしゅッ・・・・・・
胸への悦虐のみで絶頂に達し、擦過音とともに白い噴水を吐き出した魅紀の秘裂に、電流
を纏ったままの機械人間の左手が突き刺さったのは、「闇豹」の長く伸びた10本の青い爪が ズブズブと腹部を抉るのと同時であった。
「ト・ド・メ♪」
本当の愉悦が魅紀を襲ったのは、絶頂に達した直後。
ズババババババッッッ―――ッッッ!!!!
「ふうぎゃああああああああッッッ―――――ッッッ!!!! ぎゅうああああああぎゃあああ
ッッッ――――ッッッッ!!!!」
子宮にまで到達した電磁の剣が、くノ一の陰芯を破壊していく。
魔豹の爪が己の腹部を切り裂いていく音を、魅紀は絶望の淵で聞き取っていた。
ボトボトと血と愛液が降り注ぐ音と、全身の皮膚を切り裂いていく音、そして成す術なく敗れ去
った女戦士の悲鳴だけが、暗いパブの店内に流れていった。
《クズ鉄女ちゃ〜〜ん、よ〜〜く見えてるゥ〜〜?》
聖愛学院、物理実験室の一角。
ひとり実験のためにやってきた霧澤夕子は、備え付けられたデスクトップのパソコンに映し出
された画像に釘付けになっていた。ネットから強制的に送られてきた映像。四角い箱のなか で、夕子の見知った3人の男女が濃厚な絡みを展開している。
主演は昨夜知り合ったばかりの、ショートヘアの女兵士。
胸のトップも下腹部も露出した、ボロボロのインナーとショーツ姿の相楽魅紀を、白衣の眼鏡
男と豹柄のTシャツを着た少女が責め続けていた。体躯同様、細く長いイチモツが、下半身裸 になった男の股間からそそりたっている。30cmほどもありそうな生々しい肉棒は、魅紀の口 腔内で、生暖かい股間の肉襞のなかで、ボリュームある双乳の間で白い欲望を爆発させ、い ままた再びくノ一の口を汚している最中だった。
血の色を失うほどに握り締められた夕子のふたつの拳が、突き上がる激情にブルブルと震
えている。そのまま感情に流されれば、デスクトップを殴って悪魔の映像を終了させることもで きたのに、合理的な少女の思考がこの先に潜む敵のメッセージを感知して、直情的な行動を 許さなかった。
《この女もあんたたちと関わらなければァ〜、こんな目に遭わなかったのにねェ〜〜。バカな
女ァ〜〜》
獣のように這いつくばった魅紀の身体中に、浴びせられた劣情の迸りがこびりついている。
白眼を剥いたまま、長いペニスを赤い唇で頬張る敗北の戦士。咽喉奥にまで突き当たる激し い肉棒の挿入に、半失神のまま勝気そうな美貌が歪む。ショートヘアを鷲掴みにしたちゆりの 青い爪が、魅紀の小さな顔を前後に揺り動かして、桐生の昂ぶりの手伝いを買って出ている。 御庭番の血をひく、政府が誇るエリート戦士は、いまや無惨なフェラチオマシンへと堕ちてい た。
ビクビクッ、と眼鏡男の腰が震える。
それは放出の合図。グイと魅紀の顔を前方に突き出した魔豹の手が、生臭い放射を一滴残
さず口の中で受け取るようにコントロールする。
4度目の絶頂というのに弱まることのない劣情の噴出。
ゴブゴブと泡立つ音とともに、くノ一の唇の端から、鼻の穴から、白濁の粘液がドロドロと溢れ
出てくる。
口腔と鼻腔内を白い汚液でいっぱいに満たした魅紀の顔を、ケラケラと笑う極彩色の魔女が
ネットの画面に大写しにする。半濁した瞳から、ツ・・・と透明な雫が流れ落ちる。
《夕子さぁ〜ん、たちゅけてくだちゃい・・・・・・》
右手でショートヘアを掴み、左手で魅紀の顎をガクガクと揺らしながら、「闇豹」が甘ったるい
声をあげて悪趣味な腹話術を開始した。
《わたち、このままだと死んじゃいまちゅうゥ〜〜・・・夕子さんひとりでェ〜、今日の夕方6時
にィィ〜〜、港区の"希望の島"まで来てくだちゃい〜〜》
小さな唇が開閉するたびに、クチャクチャと不愉快な音が流れ、白く汚された魅紀の口腔内
が映し出される。顎が揺れるのにあわせて、溢れた粘液が白い糸を引きながら垂れ流れてい く。
台詞が終わると同時に役目を終えた女戦士の"オモチャ"は無造作に投げ捨てられ、グチャ
リと己の血と愛液、そして機械人間の精子の海へと、その身を沈める。
すべてのメッセージを受け取ったサイボーグ少女の右ストレートがデスクトップの画面を粉砕
し、狂ったように笑い続ける豹女の姿は、暗闇と破片のなかに消え失せていた。
東京湾に「夢の島」があるのならば、この地方の湾口には「希望の島」があった。
随分ストレートな名前だわ、夕子は思う。ゴミ処理を利用した巨大な埋立地には、高層マンシ
ョン群はもちろんのこと、空港や重化学工場群、プレイランドなど、未来に向けての壮大な建設 プランが進められ、地方文化の活性拠点となるだけでなく、未来都市としての可能性を模索す る空間が完成するはずであった。
バブルが弾ける以前までは。
実態の伴わない経済に後押しされ、今となっては無謀としかいいようのない計画にそって進
められた「希望の島」には、多額の借金と建設途中の施設だけが夢の跡とともに残った。バブ ルが生んだ負の財産である。計画は頓挫し、買い取り手も現れない今となっては、希望破れた 現実を象徴するように、造りかけの建造物が広大な敷地のなかで静かに佇むだけであった。
決闘の場所としては、申し分ないところよね
中心地から離れた港区にある「希望の島」には、ファントムガールの本拠地ともいえる五十嵐
邸からは一時間近くを要する。海で隔たれた埋立地には訪れる者もおらず、50mに迫る巨大 な生物の闘いといえど、第三者に気付かれずに行うことができた。しかも廃墟と化した工場跡 や高層ビル群などが点在しているため、地形を臨機応変に利用する実戦ならではの醍醐味も 味わうことができる・・・シニカルに感心してみせながら、ツインテールの天才少女は、果たし状 を送ってきた豹柄の悪女のことを思う。
神崎ちゆり・・・どうしても、私を殺したいようね
でも、あんたは私のことを、きちんと理解しているのかしら?
罠が待ち構えているとわかり切った場所に、ノコノコやってくるような女だと? 昨日初めて会
った女を人質に取られて、無謀な闘いに身を投げるようなバカだと・・・
「あはははははは! 待ってたわよォ〜〜、油臭い機械女ァ〜〜ッ!」
錆びた鉄骨が山となって積み重ねられた、廃工場の敷地内。
水平線に近づいた西日が放つ、オレンジ色の世界のなかで、豹柄のTシャツを着た悪女が、
金色のルージュを大きく開いて甲高く笑う。
隣に無言で佇むのは、三星重工の実験室で見たことのある白衣の痩せ男。10mほどの距
離をあけて対峙する霧澤夕子は、薄ピンクの半袖ブラウスに膝までの長さの白のパンツという 出で立ち。
潮騒と海鳥の鳴き声が、これから起こる巨大な嵐を嗅ぎ分けたように、騒々しく飛び交う。建
設途中の建造物が点在する、製鉄工場の広大な跡地には、激しい視殺戦を繰り広げる両陣 営以外に人影はない。
鉄骨だけがビルの形を作っている工場、赤錆びに覆われた巨大なクレーン、鉄屑がうずたか
く積もった残骸の山。機械人間とサイボーグ少女が闘うには、あまりに似合いすぎた鋼鉄の墓 場が、ひっそりと敗者の訪れを待ち構えている。
「相変わらず、吐き気をもよおすほどの外道ね、ちゆり」
ちらりとクレーンの先に吊り下げられた赤黒い物体に視線を飛ばして、夕子は苛立ちも露わ
に吐き捨てた。乳房も陰部も露出させ、己の血と桐生の精液とでどす黒く汚れた肢体を晒した 相楽魅紀が、死肉のごとくぶら下がっている。悪に敗れた者の末路を具現化したくノ一戦士 は、両手を錆びた鎖で縛られて地上から30mほどの高さに宙吊りになっていた。
「望み通り、ひとりで来たやったわ。もう魅紀は用無しでしょ。返してもらう」
「ふ〜ん、正直こいつをエサにしてもォ〜〜、来るかどうかぁ、半信半疑だったんだけどねェ
〜〜。天才とか呼ばれてるみたいだけどォ、けっこうバカだよねェ〜〜」
「別に。あんたたち二人なら、十分勝てると判断しただけよ」
赤いツインテールの下で、垂れがちな瞳が鋭く光る。侮辱を投げられた狂女の瞳もまた、怒
りの炎に燃え上がらぬわけはなかった。
「いちいちムカツク女ぁ〜〜! なんならぁ〜、てめえが歯向かった瞬間、こいつの内臓を引
きずりだしてもいいんだぜェェ〜〜〜!」
「好きにすればいいわ。でも、壊れたオモチャに興味はないでしょ、『闇豹』? そんな無駄を
するより、早く私を殺しにくればいい」
右手に握ったケイタイを、夕子は正面の敵に見せつけるよう、真っ直ぐ前に突き出す。
仲間たちとの連絡手段。五十嵐家のマザーコンピューターと直結した守護天使専用のホット
ラインを、赤髪の少女は派手に握り潰した。
「邪魔は入らないわ。決闘の準備は、整っている」
軽い舌打ちの音を響かせるや、懐に隠していたリモコンのスイッチを魔豹の青い爪が押す。
ガクンと巨大クレーンが震えると、宙吊りの魅紀の肢体が投げ捨てられ、地球の重力に引か
れて自然の速度で落下していく。
激突すれば確実な死が待ち受ける地上に届く1m前。血まみれの女戦士の肉体は、左足に
秘められたダッシュ力を全開にした、サイボーグ少女の腕の中に受け止められていた。
「だから、関わるなと言ったのに」
ぐったりと四肢を投げ出したショートヘアのエリート戦士を、クールな少女は淡々とした口調と
は裏腹な視線で見下ろした。
乾いたたんぱく質が口周りにこびりつき、服とともに切り裂かれた皮膚が全身に網目を描い
ている。かすかな呼吸と腕を通じて伝わる温もり。生存を確認した女戦士の肢体を、夕子はゆ っくりと地面に寝かせる。
「ちょーしに乗ったポンコツ女がアアッッ!! 望み通りィィィ、スクラップにしてやらあッ
ッ!!」
「それはこっちの台詞よ。ふたりまとめて決着をつけてやるわ」
濃いマスカラの下で血走っていた丸い眼が急に細まるや、腹を抱えて『闇豹』は笑い出す。夕
空を突き抜ける大笑は、『希望の島』全土に響き渡るかのようだった。
「キャハハハハハハ!! ふたりまとめてェ? てめえごときポンコツはァァァ〜〜こいつひと
りで十分なんだよッッッ!!!」
ピ・・・ピピピ・・・ピピッ・・・ピピピピピ・・・・・・
眼鏡の奥で、色白の痩せ男の目が赤い光を灯らせる。
「やってやりな『キリュー』ッッ!! この不良品にあんたとの出来の差を教えてやりなァ
ッ!!」
白衣の男が漆黒の靄に包まれる。黒い粒子が渦を巻いて天に昇ったとき、呼応した霧澤夕
子の唇から裂帛の気合とともに変身コードが放たれる。
「トランスフォームッッ!!」
眩い光が赤髪の天才少女を白く照らす。
廃工場に散乱する、黒と白の粒子。夕暮れの紅色の空を震わせて、轟音を伴った暗黒隕石
が落ちるのと、聖なる光が人型に集結するのとは同時であった。
「アーッハッハッハッハッハッ!!! 霧澤夕子ッッ!! てめえの処刑準備はもう整ってん
だよォォッッ!!! このゴミ島がスクラップ女には相応しい死に場所だぜェェェッッッ!!!」
狂ったように笑う魔豹の声が届くはずもなく、無人の埋立地に現れた鎧を纏った銀色の女神
と巨大な人型ロボットは、オレンジ色の光のなかで互いの敵意を剥き出しにして対峙していた。
ただひとり邪悪なコギャル以外見守るもののない、正邪のサイボーグの激突が今、始まる―
――
物心ついたときには、すでに父親は遠く離れた存在として認識されていた。
抱いてもらったことなど、いや、手を触れたことすら記憶にはない。家に帰っても眉間に皺を
寄せて書斎にはいり、研究を続けるのが彼女の父親であった。夕子にとってはそれが当たり 前の父親像であったから、運動会にビデオカメラ片手にやってくる友達のパパたちが不思議で ならなかった。ただ母親の説明で、父が尊敬すべき優秀な学者で、未来のために誇れる研究 をしていることだけはわかっていた。
父親は偉大な存在で誇れる存在。
だが、好きではなかった。嫌いでもなかったのだけれど。
"誰が、生かしてくれって頼んだのよ"
ベッドの上で機械の右手を見詰めながら、夕子は呻くように毒づいた。
トラックに撥ねられてから、一週間がたったころ。生への感謝より、肉体の半分を失った悲し
みが大きくて、少女は偉大な父に怒りをぶつけた。鏡を見れば、左眼に包帯を巻きつけた痛々 しい顔が、絶望に打ちひしがれて沈んでいる。
"オレが生かしたんだ"
白衣姿の父親は、傍らで突っ立ったまま冷淡ともいえる口調で答えた。
"お前に生きて欲しいから"
"私を実験モルモットにするために?"
娘の言葉は間髪入れずに繰り出された。
"あんたの研究は軍事に応用されるんでしょ?! 私の身体を、ひとを殺すための実験に使
うのッ?!"
くるりと背を向けた父親は、無言で病室を出ようとする。
"一生、あんたを・・・恨んでやる"
"好きにしろ。オレを恨むことで生きてくれるなら、歓迎だ"
バタンと閉めた扉の音が、今でも夕子の胸をギュッと締め付ける。
あのとき握り締めた、機械の右腕。
その腕のなかには、殺傷力を高められた、新たな武器が昨夜から取り付けられている。
"あいつの命を狙う奴と、闘うことになるなんて・・・皮肉なものね"
夏の夕闇。海に浮かんだ無人の埋立地。建設途中の建物が並ぶ廃工場の跡地。
金色の鎧を装着した銀色の女神・ファントムガール・アリスと、機械の肉体を持つミュータン
ト・キリューとが、100mほどの距離を空けて向かい合っている。
女性らしい曲線を描いた銀色の肌が、夕陽の朱色を反射して気圧されるほどの美しさで輝い
ている。比較的単純な幾何学模様はオレンジ色。人間体の折は身体のラインを強調するよう な服を選ばないので知られていないが、意外に豊満なプロポーションが裸に近い状態になった ことで露呈されている。黄金に輝くプロテクターはバストと腰部を守り、パッと見はセパレートの 水着のようだ。同じ色の首輪と、紅に燃えるツインテールは霧澤夕子の面影を色濃く残し、端 整な銀のマスクはギリシャ彫刻を彷彿とさせるバランスの良さで少女の美しさを際立たせてい る。このマスクが実は仮面であることは、あまりにも表情がないことでかすかに偲ばれるが、そ の下には美仮面と全く同じアリスの素顔が隠されている。機械の肉体を持つ、夕子の変身した 姿であるからこその特異点。右腕の肘から先と、左足の膝から先が完全に精巧な機械で作ら れているのは、天才少女がまさしくサイボーグであることを如実に物語っていた。
鋼鉄の天使。鎧の女神。
他のファントムガールたちとは一線を画したアリスの姿には、そんな言葉がよく似合う。
一方のキリューは、全身が完全に鋼鉄で作られており、人間型のロボットというに相応しい姿
をしていた。
細長い痩せた体躯が、変身前の眼鏡男を想起させるが、ハリウッド映画のなんとかネーター
さながらの外観には、元研究者である産業スパイの面影は薄い。左手の5本の指の先はマシ ンガンの銃口となっており、右手の指は細長く尖っている。赤く光ったふたつの義眼レンズは、 人体模型の眼球をそのまま使ったようでもあり、透明なケースになった頭頂部には、これだけ は人間のものと思われる脳がヒクヒクと蠢きながら収まっている。
アリスが機械の持つ精巧なデザインを美しく表現しているのに対して、キリューの外見は金属
が持つ無機質な光を、殺伐とした雰囲気とともに漂わせていた。その見た目からでも、両者は 同じサイボーグという立場にありながら、対照的な印象を見る者に与える。
「有栖川博士ノ娘ヨ。貴様ヲ破壊スルコトデ、奴ヨリ私ノ研究ガ優レテイルコトヲ証明シテミセ
ヨウ」
機械兵士が角ばった声を出す。「エデン」の力を得て変身した姿は、より機械としての本性が
前面にでてきているようだった。
「あんたを見てると、気分が悪いわ」
巨大な銀の女神が冷たく吐き捨てる。やや垂れがちな大きな瞳と形のいい鼻と唇。無表情で
あればあるほどに、装甲の天使の美しさは際立つ。
「ククク・・・普段ハ強ガッテモ、ヤハリ父親ノ敵ハ自分ノ敵カ」
「まさか。サイボーグが、大ッ嫌いなだけよ」
言うなりアリスの右腕が、正面の人型マシンに向かって伸ばされる。
鋼鉄で作られた右腕の手首部分。備え付けられた円筒から、火花を噴いてバルカン砲が発
射される。
挨拶代わりの先制攻撃。パラパラパラ・・・と軽やかな音をあげて飛び散る火花が、突っ立っ
たままのキリューの胴体に直撃する。
もし鋼鉄の悪魔の近くで聞き耳を立てている者がいたら、カカカンン、という弾丸が弾かれる
小気味良いテンポを聞き分けたことだろう。各国に装備された戦車の類なら、2,3発も浴びせ れば大破する攻撃を、灰色のミュータントは傷ひとつ受けることなく何十発と流していく。
「クダランナ」
胴体に火花を散らせながら、機械兵士の左手が、黄金の鎧を着た女神に向かって5本の指
を伸ばす。
ダダダダダッッッ・・・!! アリスのバルカン砲を遥かにしのぐ炸裂音。
巨大なロボット兵士の放った凶弾は、針の穴を通す正確さで装甲天使の右腕に着弾した。
「ぐああッッ?!」
鋼鉄のへし折れる音色が夕暮れの世界にこだまする。
地響きと轟音を伴って、バルカン砲の銃口が大地に落下する。廃工場の敷地に、破砕した鋼
鉄の破片がドスドスと突き刺さる。
装着していた銃口を弾き飛ばされ、集中砲火を浴びてヒビの入った右腕を、オレンジに輝く
天使はたまらず押さえてよろめいた。
バルカン砲でダメージを与えられなかったのは、ショックではない。破壊力が高くないのはわ
かりきっていたことだし、いわば相手の動向を探るための攻撃だったからだ。
だが、同じような敵の攻撃が、想像以上に強力であったことはアリスを少なからず動揺させ
た。黄金の鎧は胸と下腹部とだけをガードしているように映るが、実際には薄いヴェールが装 甲天使を包んでいるため、アリスの耐久力はファントムガールの間でも高い。幼少より身体を 鍛えてきた里美やユリよりも、純粋な耐久力なら上回っていよう。その頑丈さに頼って戦闘経 験の少なさを補うのがサイボーグ少女の闘い方だが、キリューのマシンガンが十分脅威である ことが判明した以上、無闇な戦法は封じられたも同然だ。
「今度ハコチラカライクゾ」
死刑を宣告するような冷酷な響きに、ハッと銀のマスクをあげたアリスの瞳に、突きつけられ
たマシンガンの銃口が映る。
ダダダダダダッッッ・・・!!
指が火を噴いた瞬間、銀とオレンジ色の女神は右に飛んでダッシュしていた。ジェット機能を
隠した左足が炎を吐き出す。超アスリート戦士・ナナ並みのスピードが、今鋼鉄の天使に宿 る。マッハを凌駕する速度が、目視不能な世界に一気に連れて行く。
ダダダダダダッッッ・・・!!
「きゃあああああああッッッ――ッッ?!!」
着弾。
アリスのスピードが機械兵士を置き去りにしたと思えた瞬間、傍目からは当てずっぽうに向け
たとしか思えぬキリューの指先から放たれた弾丸が、まるでそこにアリスが来ることがわかっ ていたかのように全弾命中する。鎧を装着した銀色の肢体が、数十発もの弾丸に弾かれて踊 る。
"ぐううッッ・・・そッ・・・そんなッッ・・・??"
サイボーグ少女の超速度を、機械のレンズは捉えていたというのか? だが、それにしては
赤く光る眼球が、疾走するアリスの姿を追尾していたようには思われない。慌しく回転する天才 少女の頭脳に結論を出す暇を与えず、悪魔ロボットのマシンガンが再び火を噴く。
「あああああああッッッ―――ッッ?!!」
凶弾を避けようと飛びよける鎧の戦士。しかし、30mほどをジャンプして着地した瞬間、待ち
構えていたように無数の弾丸が黄金の鎧と銀色の肌とを抉り撃つ。鎧のヴェール越しに撃ち 込まれる鉛の塊。全身を包む鋭い痛み。フルスイングしたゴルフボールを何十発も撃ち込まれ る苦痛に、グラリと揺らぐ肢体を無理矢理に反応させて、アリスは逆方向に飛び退く。
ダダダダダダダッッッ!!!
逃げるように背を向けたオレンジの戦士に、数え切れない弾丸が直撃する。
アリスの移動した場所にマシンガンを撃ったというより、凶弾を放った場所にアリスが吸い込
まれていくかのようだった。面白いように弾丸を受けた装甲天使の身体が、甲高い悲鳴を迸ら せながら大の字になってピクリと止まる。
一瞬の後、逆反りになった背中から白い煙をあげながら、身体の前面も背面も煤汚れた弾
痕を残した少女戦士は、四つん這いになって廃工場の敷地に倒れこんだ。
"バ・・・カな・・・・・・まるで・・・私の動き・・・・・・を・・・・・・"
「愚カナ小娘メ。ヨウヤク理解シテキタカ」
背後から降った無機質な声に、赤髪のツインテールが光速で振り返る。
揃って突き出された殺人機械の両手が、振り向いた銀のマスクの鼻先で黄色に輝いていた。
バチンッという電気の弾ける音が耳朶を打つ。
ジュババババババッッッ――――ッッッ!!!
暗黒サイボーグ必殺の電磁ビーム。
超高圧電流の束が、黄色の帯となって廃工場の跡地に描かれる。夕闇の埋立地を黄色の
真っ直ぐな直線が白く浮かび上がらせる。
落雷をまとめたような電撃光線は、鋼鉄少女をすり抜け大地を叩き、廃工場の地面をドロリ
と溶かした。
「くッ!」
ファントムガール・アリスの女性らしい肢体は、空中にあった。
両腕を使ってのジャンプ。機械のパワーを誇る右腕が、巨大戦士のなかでは小柄な部類に
入るアリスをあわやの瞬間に飛び出させたのだ。見上げるキリューの両腕の兵器が照準を合 わせるより早く、聖なるアーマー戦士はヒビの入った右腕を突き出す。
目には目を。電撃には電撃を。
通電防止の対策が取られてはいるだろうが、機械人間の弱点が電流にあることは疑いの余
地がない。それは夕子自身の体験からも明らかだった。内蔵コンピューターを確実に故障させ る高圧電流を流すことができれば、一撃にして戦闘不能に追い込むこともできるのだ。一夜に して大幅なパワーアップを遂げた機械兵士に、アリスはありったけの聖なる光をブレンドさせた 稲妻を放射する。
キリューの電撃光線が極太の槍であるなら、アリスの電磁波は広範囲に広がる網。
破壊力こそ劣るものの、大樹のごとく枝分かれしていく稲妻は、空間全体の敵を捉えんとす
る。残虐サイボーグが逃げる隙を与えず、逆襲の電磁波が機械の身体を包んでいく。
「ッッなにッ??!」
信じられない光景が、装甲天使の青い瞳に映った。
バリバリと音をたてながら、広がった電磁の網が一点に、キリューの胸の辺りに、収斂してい
く。枝分かれした稲妻が急に角度を変え、暗黒サイボーグの胸の中央から生えた、一見マイク のようにも見える青色の突起物に吸い込まれていくのだ。その突起物が電磁波を引き寄せる アンテナのようなものであることは、聡明な天才少女にはすぐに看破できた。
「そんなッッ・・・バカなッッ!!」
「無駄ダ。貴様ノ攻撃モ防御モ、全テ分析済ミナノダ。私ヲ傷ツケルコトハオロカ、逃ゲルコト
スラ貴様ニハデキナイ」
人間の眼球に似た赤いレンズが、ギラリと光る。
左手のマシンガンが火花を散らす。反射的にアリスの肢体が右に飛ぶ。
その場所に装甲天使が来ることは、今までの闘いのデータを解析したキリューには予想通り
のことだった。先程より威力を増した電磁ビームの矛先に、己から飛び込んでいくかのように 被弾するファントムガール・アリス。
バチバチバチッッ!! バリバリバリバリバリッッ!!!
「きゃああああああああああッッッ―――――ッッッ!!!!」
可憐な声がかすれるほどの絶叫をアリスはあげた。オレンジの少女戦士が黄金に発光す
る。自然界では有り得ない高圧電流がサイボーグ天使を包んだ証明。瞬間夕子の視界がブラ ックアウトし、あらゆる部位がエラーを起こす。
"・・・そッ・・・そんなッ・・・・・・こいつは・・・私の動きを・・・・・・読みきって・・・"
機械兵士キリューの恐るべき実力の秘密。
霧澤夕子およびファントムガール・アリスの戦闘データを分析した悪魔は、その闘いにおける
動きを全て予測してしまっていた。スピードで上回っているはずのアリスが逆に翻弄される不思 議。その謎の答えがキリューの正確なデータ解析にあるのなら、装甲天使の勝利は限りなく0 に等しい。
「敗北ヲ悟ッタカ、哀レナ小娘ヨ」
鋼鉄の人体模型がビクビクと震えるアリスに近付く。立ち上る白煙。パチパチとなる電磁音。
内部を高圧電流の蛇に這い回られたサイボーグ少女のダメージはあまりに深い。表情を変え ぬまま電磁の余韻に苦しむアリスにとって、先の一撃は致命傷であったのか。
"・・・私の攻撃も・・・防御も・・・全て読まれているなんて・・・・・・"
「有り得ないわッ!」
キリューの歩みが射程距離に入った瞬間、銀の女神の右拳が唸った。
冷酷マシンの細長い顎へ。人類の守護者を侮った鋼鉄の悪魔に、逆襲のストレートが迫る。
バチンッッ!!
破裂音が広大な廃工場に響き渡る。読んでいた。アリスの体力を確実に把握しているキリュ
ーにとって、少女戦士の反撃は予測通りの行動――オレンジのグローブをはめた右手を金属 の指が握り掴む。油断をついた天才少女の企みを軽く打破し、いよいよ破壊のショータイムへ と・・・
カチャリ
かすかな音色はアリスの右肘の内側から。
鎧女神の右腕が肘部分で分離する。日本刀を抜くかのごとく現れる電磁の剣。違った。右ス
トレートは、偽者。クールな女神の真の狙いは、コレ。肘から先に生えた稲妻ソードが、大上段 から機械兵士に振り下ろされる。
「ッッ?!! なッッ・・・・・・!!!」
信じられない光景をアリスは見た。
かつて黒魔術師マリーを両断した必殺の電磁剣。隠し技にして最強のアリスの切り札が、キ
リューの胸中央に生えた青い突起に吸収されていく。電撃を吸い取っていく悪魔の装置・・・ほ どなくしてアリスの右肘から先は消失し、灰色の断面が剥き出しになる。
サイボーグ天使を分析し尽した鋼鉄のミュータントにとって、電磁ソードは脅威足り得る武器
ではなかったのだ。
逆転を賭けた最大の必殺技をいともたやすく破られたアリスに、待ち受ける結末はただひと
つ――
「ナゼ私ガ"キリュー"ト呼バレルカ、ワカルカ?」
機械兵士の尖った右手が、動きを止めたアリスの美仮面を鷲掴む。メシメシと悲鳴をあげる
端整なマスク。小柄な天使の肉体が空中に浮かびあがる。
「"キリュー"ハ桐生ニアラズ・・・機龍ニアラズ・・・」
「はくッッ?!・・・あがッ!・・・・・・くはあッ!・・・」
「"キリュー"はKILL・ユー、KILL・夕子・・・ツマリ貴様ヲ殺スタメニ私ハ存在スルノダ」
"・・・私・・・を・・・殺す・・・・・・ため・・・の・・・そんざ・・・・・・い・・・・・・"
「処刑ノ時間ダ。有栖川邦彦ノ失敗作ヨ」
破壊の電撃が顔面からアリスの肢体を貫き刺す。
「うぎゃあああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
あられもない絶叫。クールな少女が許容を遥かに超えた高圧電流の注入に悶絶する。それ
は半分機械の肉体にとって、全身をなます切りにされるような壮絶苦。オレンジの戦士がビク ビクと痙攣し、激痛の奔流に飲み込まれていく。仮面の表情は変わらぬまま、甘ったるい夕子 の声が、獣のごとき悲鳴を天も割れる勢いで叫び続ける。
「ポンコツノ貴様ニハ、コノ電流地獄ハ大層堪エルヨウダナ?」
「フェアアッッ!!・・・ハアッッ!!・・・クア・ア・アッッ・・・・・・ハアッッ!!」
「貴様カラ借リテイタ電撃モ、マトメテ返シテヤルヨ」
顔面を鷲掴みにされたまま、右腕一本で空中に吊り上げられていたアリスの銀色の腹部に、
キリューの胸から生えた青い突起が突き当てられる。
装甲天使からさんざん吸収した電撃が、一気にまとめて元の持ち主であるツインテールの女
神に放出される。
バリバリバリバリッッ!!! バチンッッ!! バシュンッッ!!
「ああアアあああああああァァッッ〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」
オレンジの肢体が黄色に発光する。回路の千切れる音が響き、輝く銀の肌のあちこちが弾
け飛ぶ。発狂しそうな苦痛のなかで、アリスは己の身体が爆破されていく音を聞いた。
"・・・・・・私・・・を・・・・・・殺す・・・・・・ため・・・に・・・・・・生まれ・・・・・・た・・・・・・"
キリューの右手がゆっくりと開かれる。
ドシャリ・・・糸が切れた操り人形のように鎧の女神が崩れ落ちる。瞳の光を失ったマスクの
継ぎ目からはゴボゴボと白泡が溢れ出し、関節や弾けた皮膚からはシュウシュウと白煙が立 ち昇る。天才と呼ばれる孤高の少女戦士にとって、その姿はあまりに無惨なものだった。
高圧電流に焼かれて昇天した装甲天使の脇腹に、ドリルと化したキリューの右手が突き刺さ
る。
ビクンと跳ね上がる、銀色の優雅な曲線。
弄ぶように・・・いや、実際にアリスを苦しませることだけが目的の破壊電流が、少女戦士の
柔らかな肉の内に放電され、オレンジの女神は狂ったようにのたうちまわる。廃墟と化した無 人の埋立地に、もんどりうつ女神の地響きと鈴のような絶叫がこだまする。
"・・・勝て・・・ないッ・・・・・・こいつには・・・私・・・は・・・・・・勝てないッ・・・・・・"
「苦シメ、苦シメ。コノ悶絶ブリヲ、アトデ父親ニタップリト見セテクレルワ」
綿密にデータを収集し、闘い方を研究し尽くした悪魔の機械兵士の前に、ファントムガール・
アリスの攻撃も防御もまるで通用しなかった。電磁ソードすら容易く破られたサイボーグ少女 に、もはや逆転の手段は残されていない。
ただひとつを除いては。
"・・・・・・あいつに・・・あの男に付けられた・・・・・・右腕の武器・・・を・・・・・・"
昨日、手術によって実の父より授けられた、新たな力。
機械兵士が、いや、アリス自身ですらいまだ知らぬ、右腕に仕込まれた新必殺技ならば、デ
ータを持たぬキリューに必ずや通用するはずであった。今までと同様の戦力では勝ち目がない ことが明らかになった以上、サイボーグ少女が逆転を賭けるにはそこにしかない――
明晰な頭脳をフル回転させるアリス。だが天才少女が最後の作戦を企むのを阻むように、鋼
鉄マシンの空いた左手が鎧女神のか細い首を鷲掴む。
「うぐッッ?!!」
「貴様ガコノ程度デクタバラヌ事ハワカッテイル。死ンダ振リナドサセンゾ」
右手のドリルが脇腹から抜かれ、無防備に広げられたアリスの股間を一気に突く。
カキーン・・・という金属音。貞操帯にも似た黄金のプロテクターが、装甲天使を最悪の危機
から救う。だが、首と股間とを握り掴んだキリューには次なるアリス抹殺の一手が、十分な予想 のもとにすでに準備されていた。
ズバババババババッッッ・・・!!!
機械人間・桐生がくノ一・相楽魅紀にトドメを刺した人体蛍光灯、再び。
サイボーグ少女の首から股間にかけて、極太の電磁の帯が橋を架ける。
食道を、胃を、肺を、肝臓を、小腸を、大腸を、子宮を、肛門を・・・灼熱の竜がとぐろを巻い
て突き進み、容赦なくズタズタに焼け荒らしていく。埋め込まれた無数の精密な機械がエラーを 起こし、激痛信号となって夕子の脳の扉をドンドンと激しく叩き打つ。
大地に押さえつけられた小柄な戦士が悶絶の痙攣で埋立地を揺らす。銀とオレンジの女性
らしい肢体が、ビカビカと電撃の帯をその体内に透かして発光し続ける。
10分以上に渡る、放電と痙攣の時間。
やがて焦げ臭い煙を全身から立ち昇らせて、黄金のプロテクターを纏った女神はついにピク
リとも動かなくなった。
海に沈みかけた夕陽が、大の字で横たわる銀色の守護天使を照らす。輝きを失ったツイン
テールの巨大少女は、オレンジと漆黒との陰影に塗りつぶされ、無言の世界に埋没していった ―――。
湾口の埋立地にて、巨大な正邪の機械戦士が激突した数時間後――
遥か南方のリゾート地・天海島には夜のとばりが訪れていた。見上げれば頭上には宝石の
ごとき幾千もの星の煌き。頬を撫でる風は涼しく、繰り返す潮騒は穏やかに胸内に染み入る。 美しき空と海に愛された島は、夜になってもいささかもその魅力に翳りを知らない。壮観な蒼の 景観に代わって、安らかな静寂が人々の心を癒してくれる。
白い砂浜を踏む、サクサクという足音が三種類。
青白い満月に照らされた海岸を歩くのは、それぞれタイプの異なる3人の美少女たちであっ
た。
「都合よく、吼介が寝てくれてラッキーだったよねェ」
彼女たちがこれから行おうとすることとは対照的な、おっとりとした口調で桜宮桃子は言う。
「どうやってバレないようにトランスフォームするつもりなんだろ? って思ってたんだァ。タイミ
ングよく寝てくれたから、助かったよねェ」
「偶然じゃないわ。彼の食事に薬を混ぜたの」
「え?!」
先頭を歩く五十嵐里美の言葉に、桃子ばかりか藤木七菜江も思わず瞳を丸くする。
「通常の3倍以上の量だったのに、なかなか眠らないから少し焦ったけれど。これで島のなか
で動けるのは私たちだけ。心置きなく闘えるわ」
慈愛の塊のような生徒会長が時に見せる、目的遂行のための容赦の無さに、5人の守護天
使のなかでもっとも甘さが抜けないふたりは驚きの表情を隠せない。
「薬って、睡眠薬ですか? なにもそこまでしなくても・・・」
「ナナちゃん・・・私たちがこの島に来た目的を、忘れたわけじゃないでしょうね?」
元気を絵に描いたような少女の猫顔がグッと引き締まる。
3人がこの時間に砂浜をゆくのは・・・もっと言えば、この島にやってきたのは、伝説の怪物『ウ
ミヌシ』を倒すためであった。
そのために"一般人"である工藤吼介を眠らせ、島の住民を避難させたのだ。躊躇なく巨大
な姿に変身できるように。昼間、沖で七菜江と桃子が天に轟く叫びを聞いている以上、五百年 に一度現れるという怪物が今宵出現する可能性は極めて高い。
「里美さん」
「なに? 桃子」
「あの・・・体調は、その・・・いいんですか?」
平然とした素振りをしてはいるが、リーダーである五十嵐里美の肉体がいまだ万全でないこ
とは、彼女を気遣う少女たちには事実として認識されていた。
保養と称して訪れた伊賀の里で、反逆の邪忍に襲撃されたことは知らぬものの、戦闘のダメ
ージが深く刻まれていることはともに死地を潜り抜けてきた少女たちにはすぐわかる。里美だ けではない。つい先日まで藤木七菜江の身体は、怨念に燃える蜂女の拷問により瀕死の状態 に陥っていたのだ。いざ戦闘となったとき、最前線で闘わねばならないのは誰であるか、イマド キの美少女はハッキリと自覚していた。そしてそれは、今は遠く離れた場所にいる、霧澤夕子 との約束でもある。
「心配?」
「そ、そりゃあもちろんそうですよォ・・・」
「ううん、私の身体のことではなくて、これから闘わねばならないことが、よ」
魅惑的な二重の瞳がピクリと動く。
5人いる『エデン』の少女戦士たちのなかで、もっとも闘いに慣れていないもの・・・それは誰
が見ても明らかであった。天から才能を与えられたアスリート少女や、己の身体の機密を守る 必要があるサイボーグ少女と違い、エスパー少女はその能力を戦闘に向けたことがほとんど ない。彼女本来の優しさを知る美しき令嬢は、桃子が望んで闘いに赴く少女ではないことを知 っていた。
「・・・覚悟は、とっくに決めてます・・・」
星を宿した大きな瞳が満月を浴びて強く光る。
キュッと朱鷺色の唇が締まるのを見届け、無言のまま先頭の生徒会長は歩を先に進めた。
潮騒が遠く、近く、唸る。
心地よい湿気を含んだ夜の海風と、心和ませる穏やかな潮の音。靴底から伝わる柔らかな
砂の感触も手伝って、少女たちは闘いとは掛け離れた趣へと誘われていく。無言のまま歩き続 ける美少女3人。去来する多種多様な想いを秘めながら、本来の目的すら忘れたかのような 面持ちで足を運ぶ。
行く手に現れた2mほどの高さの岩を、お転婆ぶりでは他の追随を許さない七菜江がタンと
軽やかに駆け上がる。
「わあ!」
感嘆の声が、マシュマロのような唇を割ってでた。里美が、やや遅れて桃子が、同じように岩
の頂上に駆け上がる。
青い波と白い砂が交錯する波打ち際。
満月の光の下で、こんもりと盛り上がった岩のような生物が蠢いている。一匹や二匹ではな
かった。波際を占領するように、ずらりと連なった小山が青黒い山脈のように一直線に続いて いる。
それは直径1m近くにもなろうかという、巨大なウミガメの群れであった。
この天海島はウミガメたちの産卵場所としても有名なのだ。
「すご・・・い・・・・・・」
神秘的な光景を目の当たりにし、陶然とした呟きを桃子は洩らす。
ニュースなどでウミガメの産卵は見たことがある。涙を流して新しい命を生み出す彼女たちの
姿は感動的ですらあった。だが、実際に見る光景の、なんと壮大で神々しいことか。
青い月の光を反射して、ウミガメたちの目元はキラキラと輝いていた。痛みゆえか、仔を産む
大作業が全てを解放させているのか、彼女たちが涙を流すのは事実であったのだ。遠巻きに 見ているため、生まれてくる卵の形は確認できないが、新たな命の営みが行われていることは 間違いない。それが何匹も、何匹も・・・ずっと連なっているのだ。過去から現在に連綿と受け 継がれている自然の奇跡が、見る者の本能に訴えかけてくる。見た目はイマドキでも優しい心 を持つ少女の小さな胸に、激しい感動が巻き起こっていた。
「・・・カメさんたち、子供産んでるんだね・・・」
呆けた口調で七菜江が誰にともなく囁く。『エデン』を子宮に巣食わせた守護天使たちは、人
間の女性としての機能を失い、子孫を残せない身体になっていた。産卵の現場に立会い、ショ ートカットの少女はなにをその光景にダブらせているのだろう。
茶髪の少女の足が、一歩自然に踏み出す。
瞬きすらせず、じっと神秘の光景を眺める桃子の瞳から、すっと一粒の涙が頬を伝い落ち
た。
ただひとり秀麗なる美貌の令嬢のみが、自然に魅入られたふたりの後輩を厳しい視線で見
詰めている。
グオオオオオオオオオッッッ―――ッッッ・・・!!
南海の星空を響かせる咆哮が、3人の少女戦士たちの耳朶を叩いたのはそのときだった。
「!! こッ・・・これはッ?!!」
「お昼の・・・あのときの叫び声ッ?!」
海面が盛り上がり、水柱が高々と舞い上がる。
割れる海。砂浜からわずか100mほどの位置で、波間に亀裂が入り裂けていく。その間から
浮上する赤黒い島。いや、それは島ではなかった。
光る眼がある。獣の牙がある。轟く咆哮。荒れ狂う波飛沫。紛れも無い巨大な生物がそこには
いた。疑う余地もない、この島にも似た巨獣こそが伝説の怪物「ウミヌシ」の正体。
「やはり・・・!! 『ウミヌシ』の正体とは、『エデン』と融合したウミガメ・・・」
レンガ色の分厚い甲羅に、深緑の肉体。
鋭く尖った牙と黄色く濁った眼が凶暴な獣性を感じさせるものの、その姿は誰が見ても明ら
かな、巨大なウミガメであった。
偶然にも『エデン』に寄生されたウミガメが、産卵期のこの時期に天海島の海浜に上陸す
る・・・それが伝説のタネだったのだ。仔を産むという生涯を賭けた大作業に全力を捧げるた め、普段は普通のウミガメとして暮らしていても、このときばかりは変身を遂げてしまうのだろ う。産卵場所である天海島に常に『ウミヌシ』が現れるのも、タネを知れば当たり前のことであ った。
伝説がある以上、五百年前、あるいはそれよりもっと以前から、『エデン』はこの地のウミガメ
に何度か寄生していた、と考えるのが自然だ。確かな物証はなにもないが、遥か昔より『エデ ン』が地球上に存在していた、という考えは里美のなかでますます大きなものになっていた。
「正体がハッキリした以上、あとは退治するのみ・・・」
里美のスレンダーな肢体が身構える。ウミヌシの目的が産卵にある以上、この砂浜に巨大獣
が上陸しようとするのは確実だ。
ぐっと力を込めるくノ一少女が巨大化せんとした瞬間、その右手に軽い拘束がかかる。
振り返る里美の視線の先に、彼女の右腕をしっかりと握った超能力少女の美貌があった。
「た、闘うんですか?」
魅惑的な瞳が明らかな困惑に揺れている。
「そのために、この島に来たのよ」
「で、でも・・・ウミヌシは卵を産むために、ここに来たんですよねェ? 特に悪いことしてない
のに、やっつけるんですか? 島のひとたちも避難してるし・・・」
「ウミヌシは実際には卵を産めないわ。私たちと同じ、『エデン』を寄生させてるんだから。本
能が産卵したいと思わせているだけよ」
五十嵐里美の淡々とした台詞に、ふたりの少女の表情が凍る。
「産卵できないウミヌシは焦りと怒りで暴れ出し、この島を破滅に追いやるでしょうね。五百年
前の伝説ではそうなっているわ。それと、避難していない人間もひとりいるのを忘れないで」
あ! と小さく叫んだのは藤木七菜江であった。
宿舎でいまごろ大イビキを掻いているであろう、逆三角形の男。筋肉の鎧に包まれた最強の
高校生といえ、巨大生物に踏み潰されればひとたまりもないのは言うまでもない。
「人間に被害を与える可能性がある以上、巨大生物は倒さなければならないわ。それが私た
ちの使命よ」
「わかんないじゃないですかァ、ホントに暴れるかどうかなんて!」
桃子の声に苛立ちが混ざる。
普段は滅多に感情を荒立てることのないアイドル美少女の真剣な怒り。朗らかで優しい性格
を知るだけに、親友である七菜江は冷たくさえ映る美貌に傍目からでも気圧される。圧倒的な 存在感を誇る高貴な令嬢戦士を、大きな瞳は逸らすことなく真正面から見据えている。
「暴れてから闘えばいいじゃないですか。吼介は安全な場所に移動させて・・・他にひとはいな
いんだし」
「島の自然や島民たちの家が壊れるのは構わないっていうの? ウミヌシが上陸して産卵活
動をしようとするだけで、被害は出てしまうのよ」
熱くなる桃子とは対照的に、里美の口調はあくまで冷静であった。人類を守る戦士としての差
を、わざと見せつけるように。美しいふたりの瞳が絡み合う。風のごとき里美の視線に、華のよ うな少女は真っ向から渡り合う。
「情けないわね、桃子」
「なッ!!」
超能力少女の白桃の頬が、さっと赤く燃え上がる。非情なまでの里美の台詞に、聞いている
七菜江までがドキリとする。
「ウミガメの産卵を見て、心揺り動かされるなんて。その程度で闘えなくなるひとが、とても使
命を果たせるとは思えないわ」
「さ、里美さん! その言い方はちょっと・・・」
「使命なんて知らないよ!」
七菜江の仲介も空しく、美貌のアイドル少女は叫んでいた。
「なにも悪くないウミガメを殺すなんて、あたしにはできない! したくない!」
「・・・そう。じゃあ桃子は、そこで私たちが闘うのを黙ってみていればいいわ」
「そんなこと、させない」
両手で掴んだくノ一少女の右腕を、桃子は強く握り締める。切れ上がった眉毛の下で、長い
睫毛がピクピクと震えている。心優しき少女はそれがゆえに、本来の仲間に対して真っ直ぐな 怒りをぶつけ始めていた。
「変身なんか、させない。あたしがウミヌシを守ってやるんだから」
「・・・なら、ウミヌシの前に、まずはあなたから倒さなければいけないようね」
正義の守護天使としてあるまじき台詞をはく桃子と、そんな仲間を倒す宣言を躊躇なくし
てしまう里美。
とても正気の沙汰とは思えない両者だが、どちらも互いの素直な感情に身を委ねた結果であ
った。無実の生物を傷つけるなんて桃子にはできないし、使命を守るために生まれた里美に は人類の不利益になることを看過できない。
冷静な令嬢戦士の口調に、表面上の迷いは欠片もない。対する超能力少女の瞳の炎も、いま
だ衰えを知らぬ。
「ふたりとも! なにバカなことやってんのッ!」
切迫したアスリート少女の叫びが、睨みあうふたりの美少女を現実に連れ戻す。赤茶色の甲
羅を背負った巨大カメは、波打ち際まで押し寄せ、もう数歩で上陸するところまで来ていた。体 長約70m。銀色の女神よりもひと回り大きな体躯が歩を進めるたびに高波がうねり、産卵途 中のウミガメたちが海に飲み込まれていく。同類の惨状などまるで頓着せず、純粋な動物のミ ュータントは、本能に従って前進する。
「桃子、悪いけど、あたしは吼介先輩を守りたい!」
眩い光のなかで、変身コードを叫ぶ七菜江の声は響いた。
真夜中の海浜に白い光の粒子が集まっていく。突然の出来事に動揺するウミヌシの目前に、
銀と青色のボディを持った、巨大な女神は参上した。
「ナナ! そんな、あなたはまだ闘える身体じゃないじゃん!」
予想外の事態に、イマドキの美少女が悲鳴にも似た声をあげる。光り輝く銀の肌に醒めるよ
うなブルー。球に近いバストとヒップが描く芸術を越えたボディライン。健康的な色香を発散させ た少女戦士の肢体が、桃子の声を振り切るようにダッシュする。巨大なウミガメへと。
連打。連打。連打。
打撃の嵐がレンガ色の甲羅に叩き込まれていく。ガンガンという重い音。手足、首を引っ込
めた巨獣に、飛燕の速度で青い天使の攻撃が襲う。
「里美さん! もしかして、ナナを闘わせるために、吼介を眠らせたんじゃ・・・」
押し黙ってしまった里美の細い肩を、桃子は両手で掴んでいた。問い詰める、くるみのような
瞳が切れ上がる。真っ直ぐに見詰めてくる桃子の視線を、美麗なくノ一は思わず逸らしてしまっ ていた。
「やっぱり・・・最初から計画通りだったんだね! この島に来るのも・・・吼介を連れてきたの
も・・・卑怯だよ、里美さん!」
使命を守ることには一歩も引かなかった里美が、ことナナを闘わせていることにはなんの反
論もしない。無表情を装っているものの、漆黒の瞳に浮かんだ翳りは色濃く滲んでいる。
「キャアアアアッッッ―――ッッッ!!!」
甲高い絶叫が響き、小競り合いを続ける美少女ふたりは、思わず巨大な闘いへと視線を移
す。
優勢であったはずのファントムガール・ナナの肢体が大地に横臥している。
引き締まった銀の腹部が、赤黒く焼け爛れている。ウミヌシの口腔から放たれた、深紅の光
線。攻撃に夢中になり、無防備に晒したナナの腹に直撃した光線は、高熱による重度の火傷 を少女戦士にもたらしていた。
「私ひとりじゃ・・・勝てないからよ」
すっと桃子の手を払いのけた里美の声が、暗く、響く。
美しき令嬢の瞳の底に、常に渦巻く憂い。その哀しげな光にも似た口調に、御庭番頭領とし
ての重荷を背負った少女の深さを見誤っていた桃子は、雷に打たれたように固まる。
「お願いだから、私を闘いにいかせて」
そう、この秀麗な女神たちのリーダーは、常に誰よりも己が傷つこうとしていた。
その里美が万全でないと知っている七菜江を頼ることが、いかなる意味を持っているの
か・・・使命のために闘いを選ばねばならぬくノ一少女が、満足に動けるような体調にないこと は十分わかっていたはずなのに。
"里美さんは・・・あたしが闘おうとしないことを、はじめからわかってたんだ・・・"
「トランスフォーム!」
凛とした美麗少女の掛け声がこだまする。
ついに砂浜に上陸したウミヌシに対峙して、紫の模様も鮮やかな銀の女神が、南海の孤島に
降臨した。
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