第十話



「第十話  桃子覚醒 〜怨念の呪縛〜 」



 序

 純度を増したような真夏の陽光のなかで、生い茂る緑に囲まれたその3階建ての建物は、白
い壁を鮮やかに浮かび上がらせていた。
 国立公園の一角かと錯覚するほどの広い敷地。深い緑の狭間にポツンと存在している真新
しい建物は、まさに孤島を思わせた。外見上はなんの変哲もない、単なるコンクリートの建造
物。だが嵐のように鳴き声を降らせている蝉が、この周辺では一様に沈黙を守っているのが、
この白い建物の異様さを際立たせる。

 五千人以上の生徒数を誇るマンモス校、聖愛学院の片隅。
 校舎とは名ばかりのこの建物は、ある天才生物学者のために造られた、専用の研究施設で
あった。セキュリティシステムが作動しているこの施設に入るには、校長といえども主である女
教師の許可が必要である。常識外れの優遇ぶりは、その生物学者の非凡さ故であったが、学
園の理事を務める久慈家の思惑によるところが大きいというのが専らの噂であった。

 私的な空間と研究室とを兼ねた最上階のワンルームに、この建物の主人・片倉響子はい
た。
 レザーの黒パンツに赤のインナー。パリっと襟の立った白のブラウスが腰のところで縛られて
おり、"できるキャリアウーマン"の外観を見事に演出している。美白が際立つ顔にアクセントを
つけた、深紅のルージュとイヤリング。一歩間違えば派手さがケバさに変わる際どいファッショ
ンセンスも、吐息すら妖艶に香るこの美女にかかれば誘うような色香をほんのわずかに手助
けする材料に過ぎない。
 美しい、女であった。
単に瞳に映るもので美を競うならば、この世界に敵はいないと思われるほど、圧倒的に片倉響
子は美しかった。西洋的な彫刻像を想起させる完璧なパーツとバランスは、神だからこそ造り
得たもの。彼女と敵対している若き乙女たちも揃いも揃って美少女が集まってはいるが、ある
種の雰囲気で可憐さを増大させている少女戦士たちと異なり、響子の美しさには独立独歩の
「美」が存在していた。加えて薔薇のエッセンスが身体中に浸み込んでいるかのように、振り撒
かれる妖艶の芳香。いかなる男であっても、この天才生物学者の肩書きを持つ美女を前にし
て、ざわめく下半身を抑えることは不可能に思われた。

 「久しぶりの再会というのに、随分冷たいな」

 あからさまな不満を含んだ声は、ソファに腰掛けた痩身の男の口から洩れて出た。
 一見ヤサ男風情の、端整な顔立ちの男。
 柔らかそうな髪質と日焼けを感じさせぬ白い肌とが男を軟弱そうなプレイボーイに一瞬、映
す。だが白のシャツから覗く締まった胸筋と黒革のパンツを大胆に開けた横柄な態度が、男が
隠した凶暴性と傲岸さを物語っていた。
 響子をこの学園に呼んだ張本人、久慈仁紀。
 世界制覇を声高に叫ぶ青銅の魔人・メフェレスの正体である男。人類共通の、そして最大の
脅威といっていい悪鬼は、ファントムガールたちを抹殺寸前まで追いやったあの闘い以来、ほ
ぼ一ヶ月ぶりに女教師の前に姿を現していた。失踪の理由も告げず。なんの予告もなしに。表
面上、以前とまるで変わることの無い端整な顔の少年を、響子は無言で研究施設内に招き入
れた。
 野心に猛る傲岸不遜な悪魔と、智謀に富んだ美しき妖女との再邂逅。
 彼らの侵略から人類を守る立場からすれば、最悪と呼ぶのに相応しい緊急事態。だが、ふ
たりの間に流れる微妙な空気が、その関係が一ヶ月前とは変わってきていることを示唆する。

 「別に、冷たくしているつもりはないわ」

 「ならば研究する"フリ"をやめて、オレの方を見たらどうだ?」

 顕微鏡を覗きこんでいた妖艶な美女が、軽く溜め息をつきながらシニカルな笑顔を浮かべた
久慈を見つめる。

 「この一ヶ月、オレがなにをしていたのか、訊かないんだな」

 「興味ないわ」

 ククク、とさも愉快そうに男は笑った。

 「響子」

 笑顔が立ち消え、全ての事柄が己の思い通りになると信じて疑わない男は、鋭い視線を飛
ばしながら言う。

 「やらせろ」

 突拍子もない、それでいて冗談とは思えぬ口調。
 乾いた笑いを響かせたのは、今度は女の方であった。

 「落ちたものね、メフェレス」

 「・・・なに?」

 「私を抱けば、あなたが失った自信は取り戻せるのかしら?」

 魂すら凍らせるような厳しい表情に、響子の美貌は一変していた。真理を見透かしたような
冷たい視線に、思わず久慈は咽喉を鳴らす。

 「あなた、負けたわね」

 「ぐッ・・・!」

 「言い訳もできないほど完膚なきまでに敗れ、私たちの前から姿を消した。自分の敗北を受
け入れられずに。呆れるほどに弱い男ね」

 「・・・黙れ」

 「ようやく現れたと思ったら、また負けたらしいわね。しかも相手は"普通の人間"の西条エリ。
世界征服だなんて冗談、よく言えたものだわ」

 「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッッッ!!!!」

 久慈の右手が背中に隠し持った刀身に届くより早く、グラマラスな女教師の肢体は射程圏外
にある扉にまで移動していた。血走った男の眼光を、神が造り給うた美貌は風のように受け流
す。

 「しばらく距離を置いた方がよさそうね。また会えるのを楽しみにしてるわ」

 低いトーンの捨て台詞を残し、長い髪の肢体は扉の向こうへと姿を消した。

 「おッ・・・おのれェェェッッ・・・どいつもこいつもッッ!!」

 背中から抜いた日本刀の煌きが、大上段から一直線に、かつて情事に使用したダブルベッド
へ振り下ろされる。
 中央から真っ二つに割れたベッドは、重い響きをたてながらM字型に崩れ落ちた。羽毛も木
板も鉄のパイプも、研磨剤で磨かれたが如き美しい断面を見せて両断されている。
 工藤吼介に完敗し、西条エリにすら遅れを取った屈辱。
 挫折に沈む男を癒すのは、女の肢体などではない。そう、片倉響子の言う通りだ。悪鬼がプ
ライドを取り戻せる方法はただひとつ。

 「殺す・・・殺してくれる・・・あの銀色のメスどもを・・・ひとり残らず抹殺せねば、この屈辱は晴
らせぬわッッ!!」

 手始めに、まずは一番弱い者から葬るのが常套――
 狂気を宿した男の脳裏に、一時期は恋人と呼ばれた、茶髪の美少女の姿が蘇った。



 1

 「ゴメン、ゴメン。待ったァ?」

 カラッとした8月の陽射しのなか、駆け寄ってくる小柄な美少女を、霧澤夕子はピンク色の門
扉越しに眺めた。
 『たけのこ園』と書かれた表札が門の隣につけてある。2階建ての建物と砂場やブランコが配
置された敷地は、パッと見て保育園を連想させる。自閉症や知能障害と認定された子供たち
を預かる養育施設には、まだ幼稚園にあがる前の幼子から中学生までが、200坪ほどの敷
地内で一緒に暮らしていた。時折響く甲高い笑い声が、門の横で親友を待つ赤髪の少女にま
で届く。夏休み中の今の時期は将来福祉関係に進もうとする学生らが、アルバイトとして職員
たちを手伝っていた。支払われる報酬の額を考えれば、バイトというよりはボランティアに近い
かもしれないが、学生らから不満の声があがるはずはない。
 渋谷のセンター街でも歩けば、雑誌モデルの誘いなどいくらでもかかってきそうな少女・桜宮
桃子が、あえてバイト先に選んだのがここ、『たけのこ園』。同世代の少女たちが芸能人やモデ
ルを夢見て最高の自分を演出するのを尻目に、当代きってのアイドルでさえ嫉妬するような完
璧なる美少女は、決して華やかな舞台とは言えない福祉の世界を目指しているのだ。
太陽の光に負けない明るい笑顔を浮かべた美少女と夕子は、鉄の扉を挟んで向かい合った。

 「退院おめでと♪ 夕子」

 「・・・ありがとう、桃子」

桃子が夏休みの間中バイトしているこの『たけのこ園』に、夕子が足を運ぶのは今日が初めて
のことだった。バイト先で会う親友の姿は、いつもとは違った魅力を放っているように夕子には
見える。
 可愛らしさと美しさを同居させた桃子の美貌には、同姓であり、尚且つファッションや美に興
味が薄い夕子が見ても惚れ惚れさせられる瞬間があった。二重瞼の下にある漆黒の瞳は、ま
ともに見れば性の区別なく魅了されずにおれまい。高すぎず低すぎず、程よいバランスの鼻
梁。やや厚めのぷるんとした唇はグロスを塗らずとも艶かしく光り、潤んだ紅色が雪のような肌
のなかで鮮やかに映えている。右下の黒子があどけない性格とは裏腹の色香を醸し出し、天
使の愛らしさと娼婦の妖艶を併せ持つ超美少女を完成させている。個々のパーツが魅惑かつ
扇情的であるのに、それらが卵型の輪郭にパーフェクトなバランスで配置されているのだ。七
菜江やユリも間違いなくチャーミングであるが、こと美しさに関しては里美と桃子は頭ひとつ抜
け出ている印象がある。しかも里美の美しさはどちらかというと陰、どこか儚い雰囲気を醸しだ
しているが、桃子の美しさには明るさがあった。一緒にいるだけで幸せにしてもらえそうな、そ
んな優しさいっぱいの可愛らしさ。主に男性の審査員がグランプリを決めるミス藤村に輝いて
いるのも、彼女の男心をくすぐる笑顔を見れば納得がいくというものだ。
 
 制服の時には際どいミニスカートを無用心にはき、遊びにいくときは美貌通りの美しさと可憐
さを強調したファッションに身を包む桃子であるが、今の少女は白地のTシャツに黒のジャージ
という簡素な出で立ち。悪い言葉で「ダサい」と言えるはずの服装も、天使のごとき愛らしい美
少女が着ていると逆説的に可愛らしく見えるから不思議だ。さらにその上から着たピンクのエ
プロンにはアニメのキャラクターがプリントされており、可憐な少女をさらに愛らしく映している。
 新米の保母さんって、こんな感じかしら?
 自分にはまるで無縁と思っていた世界を夕子は思い浮かべる。実際の保育園や幼稚園を見
ることなどもう何年も経験ないが・・・親友の見慣れぬ姿には、どこか安らぐ想いがする。質素
な身なりと、相反する華々しい美貌。本来ならば違和感あるはずの組み合わせが、夕子には
なぜか微笑ましい。

 「意外だったわ」

 「ん? なにがァ?」

 「正直、あなたみたいなカワイイ子が、ジャージ着てエプロンして働いてるイメージが湧かなか
った。雑誌のグラビアに載ったり、アイドルとしてテレビに出るならともかく」

 「あは・・・褒めてんの、けなしてんの、どっちよォ?」

 「でも・・・よく似合ってるわ、エプロン。いつもの桃子もキレイだけど、今日のあなたは輝いて
る」

 「あはははは」

 頬を名前通りに桜色に染めて、少女は屈託なく笑った。
 『エデン』による驚異的な回復力のおかげで、瀕死レベルにまで陥った霧澤夕子は一週間も
満たないうちに退院にまでこぎつけていた。たまには二人だけで、と快気祝いのパーティーなら
ぬ食事会に誘ったのは桃子の方からである。なにやら話したいことがありそうな雰囲気を察知
した天才少女は、決して人付き合いが上手いとは言えぬ彼女には珍しく、二つ返事で桃子の
誘いを受け入れた。『エデン』を宿した仲間たち全員に派手に復帰を祝ってもらうより、ふたり
だけでひっそりと時を過ごす方が夕子にしても性分に合っている。一方で桃子が、同じ守護戦
士の一員として、というよりひとりの親友として自分を見てくれているらしいことが、赤髪の少女
にはなんとなく嬉しかった。

 「あと少しで終わるからサ、ほんのちょっとだけ待っててよ」

 「構わないわ。こうして待ってるのも、悪くないし」

 実験室に篭り、何かに急かされるように絶えず忙しくしている天才少女は、らしくない台詞を
吐く。霧澤夕子からこのような言葉を引き出すのは、ちょっとした勲章といえた。
 
 「私が勝手に早く来ただけなんだから、桃子は気にしないで」

 「う〜ん、一応仕事自体は終わってるんだけど・・・ミーティングが少しあるんだよねェ」

 「ミーティング?」

 「うん。あたし、幼年部の担当やらせてもらってるんだァ。あの子たちの先生みたいな感じ? 
今日一日であった問題点とかを発表したりするんだけど・・・ま、すぐに終わるよ」

 どんなに美貌を讃えられようと決して自慢げな様子を見せることのない桃子が、誇らしげに微
笑む。他人に尽くすことに素直に喜びを見出せる友が、夕子には少し眩しかった。

 「おーい」

 離れた位置から呼びかける声が、門扉越しに会話を進めるふたりの女子高生の耳に飛び込
んでくる。走り寄ってくる浅黒く焼けた男の姿を、クールな少女は視界の隅で認めた。
 やや肩で息をした男は、桃子の隣で立ち止まる。中肉中背の、気の優しそうな顔の男。『たけ
のこ園』と刺繍が入ったジャージを着ているところを見ると、この施設の正職員らしい。

 「さ、桜宮さん。そろそろミーティング、始まるよ」

 「あ、はい。すぐ行きますね」

 「あの・・・こちらは?」

 突然の闖入者にも顔色ひとつ変えることなく佇むツインテールの少女に、男は視線を向け
る。端整な顔立ちは明らかに美人の部類に入るが、ところどころに巻かれた包帯とどこか冷た
い垂れがちな瞳とが、寄せ付けない雰囲気で圧倒してくる。気弱な彼にとって苦手なタイプの
少女であったが、桃子の知り合いらしいというので無視するわけにはいかなかった。

 「えっと、友達の夕子です。聖愛学院の理数科なんですよォ、スゴイでしょ?」

 「あ、初め・・・まして。ここで働いてる木原といいます・・・」

 「・・・どうも」

 素っ気無い初対面の挨拶が終わる。

 「これから夕子と遊びにいくんですよォ。木原さんも一緒に来ますかァ?」

 「え?! ボ、ボクも? い、いやその・・・参ったな・・・」

 「あはははは。やだなァ、冗談ですよォ〜。女のコふたりと一緒じゃ、居ずらいですよねェ?」

 「あ、ま、まあそうだね・・・じょ、冗談か・・・あはは・・・でッ、でも・・・そ、その・・・さ、桜宮さんと
一緒なら・・・行きたい・・・かも・・・」

 懸命に声と勇気を絞り出しているのも虚しく、木原の台詞の後半半分は、明るい笑顔を咲か
せた桃子にはほとんど届いていなかった。代わりに聞き拾った赤髪の少女が、彼が美少女に
寄せている想いに気付く。

 「じゃあ、そろそろ戻りましょうかァ?」

 「そ、そうだね・・・行こうか・・・」

 内気そうな顔を真っ赤にした木原が、夢遊病者のように小さな少女の後を追って歩いていく。
母親の後ろについていく幼児を夕子は連想した。
 なるほど。ベタボレってやつ?
 ひと回りとまではいかないまでも、そこそこ年齢の離れた社会人ですら酔わせてしまう桃子の
美貌と可憐さに、夕子は感嘆にも似た感情を抱く。
 
 「で、あんたもやっぱり桃子を好きなわけ?」

 茶髪の少女の後ろ姿が完全に消えてから数秒後。
 ひとり門扉の前で佇むツインテールの少女は、突然ひときわ大きな声を誰に向けるともなくあ
げる。
 夕子の背後、10mほど後方の電柱の影。
 眼鏡をかけたニキビ面の少年が、ビクリと背中を大きく震わせる。

 「あんたがそこでずっと桃子を見てたのは、知ってるのよ。隠れてないで、男らしく出てきた
ら?」

 くるりと振り返った天才少女の垂れ気味な瞳が、動揺する小柄な少年を真っ直ぐ射抜く。夕
子の瞳には、決して厳しい感情は浮かんでいないのだが、それでもライオンに見詰められれば
小動物は震えあがらずにはいられない。
 細身で小柄、軽く押しただけで倒れてしまいそうな少年が、自分たちと同じ高校生であろうこ
とは夕子にも察しがついた。不意に声を掛けられたことで、神経質そうな少年は、挙動不審と
もいうべき動きで慌てふためいている。

 「コソコソしてるのは気に入らないわね。桃子に用があるなら、ハッキリ言ったらどう?」

 「ボ、ボ、ボクはそッ・・・そのッ・・・」

 「あんた、まさかストーカーってやつ?」

 炎が噴き出そうに顔を赤らめると、少年は一目散に走り去っていく。

 「・・・ったく、どいつもこいつも」

 つまらなそうに溜め息をついた赤髪の少女は、何事もなかったかのように、数分前と同じ姿
勢で親友の帰りを待つのだった。



 コテージを思わせる落ち着いた雰囲気の喫茶店。オシャレな外観とは裏腹に、1000円も出
せば十分満足のいく質と量のディナーを出してくれる穴場スポットは、ここ最近の桃子の一押し
であった。料理、特にスイーツの味が絶品であるのが高ポイントであるが、キャンドルライトを
中心にした光の演出が乙女心をくすぐる。落ち着いた雰囲気のなかで、楽しいディナーを過ご
すには最高の場所だ。最も高校生の身分では、ちょっとした記念日ぐらいにしか足を運べない
が。
 Tシャツを白から黒に替え、同じく黒系のデニムに履き替えた桜宮桃子は、こじゃれた店内の
雰囲気に自然に溶け込んでいた。バイト中にはつけていなかったピアスや銀のチョーカー、
仰々しいベルトのバックルなどのアクセントが、茶髪の少女をぐっと大人びて演出している。キ
ャンドルの光に照らされた天使のごときこの美少女が、福祉関係に進もうとしていることを芸能
プロダクションが知れば、目の色を変えて説得を開始するであろう。「可愛い」という単語を具
現化した少女がそこにはいた。
 反対側の席に座った霧澤夕子も、白のTシャツに紺のスカートという地味めな格好であるが、
欠点のひとつもない端整な美貌の少女ふたりが向かい合っていれば、華やかな雰囲気に包ま
れぬはずがない。男性客の視線がチラチラと向けられるのも仕方のないことだった。

 「あいつが私たちのことに気付いてたのは、意外だったわ」

 メインディッシュのあと運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲み、ポツリと夕子は呟いた。
 各席ごとにゆったりとスペースをとってあるおかげで、少し声をひそめれば他の客に内緒話
を聞かれる心配はない。その事実を認識したうえで、夕子は言葉を繋げる。

 「でも、里美がメフェレスたちに捕まったときや七菜江がハチ女に襲われたときを思い返す
と、あいつ・・・工藤吼介が私たちの正体に気付いていたと考えてもおかしくはないわね」

 「まだ決まったわけじゃないけどねェ。里美さんがそうじゃないかって考えてるだけだし」

 「じゃあ、まず間違いないでしょ」

 南海のリゾート地・天海島で五十嵐里美と工藤吼介の間に交わされた遣り取り。言葉にはな
くとも、最強の格闘獣がファントムガールの正体を悟っていることは、幼馴染でもある里美には
わかった。味方となればこれ以上はない援軍であると同時にもっとも敵に回したくない男が、聖
少女たちの正体を知ることはあまりに重大な意味がある。今後の闘いの様相が決してしまい
かねないほどの。
 島から戻ってきてから一週間が経った今、戦況及び吼介の周辺に目立った変化はまるでな
かった。御庭番の情報網が掴んだところによれば、総大将のメフェレスを欠く敵側は、まとまり
もなく互いに好き勝手に行動しているらしい。これが嵐の前の静けさなのか、悪の崩壊の前兆
なのか・・・守る側の少女戦士たちとすれば、動向を探って待つしかない日々が続いていた。

 「なんかファントムガールだってことバレてると思うと・・・ちょっと吼介と話づらいなァ」

 「そう?」

 「だって・・・普通の人間じゃないって見られるの、イヤじゃん」

 幼き日に受けた仕打ちを、桃子は脳裏に蘇らせる。
 トラックに轢かれそうになっていた子猫を、ちょっと念動力で動かしただけだった。ひとつの命
を救ったはずなのに、その瞬間からいわれなき暴力を少女は小さな身体に受ける羽目になっ
た。少女の身体に刻まれた無数の痣に気付いた両親が、引っ越しの決断を下すまで、桃子の
心と身体はボロボロにすり減らされていった。
 光輝くような美貌に挿した翳りに気付いたサイボーグ少女が、彼女にしては精一杯の明るい
声で言う。

 「私はあんな筋肉男、タイプじゃないから話せなくても平気だけどね。里美も七菜江も、あんな
マッチョバカのどこがいいのか、全くわからないわ」

 「マッチョバカって、酷いこと言うなァ」

 あはは、と真珠のような笑顔を超能力少女は見せる。
 普通の人間とは異なる、という意味では夕子は桃子に近い。いや、程度でいえば、サイボー
グ少女の方が、エスパー以上に異端と言えるだろう。それでいながら常に気丈であり続ける夕
子の姿は、己の能力を何度も恨んだ桃子の心に特別な色彩で輝いて映る。

 「でも、不思議なのは里美さん、なんだか嬉しそうに見えたんだよね」

 「工藤吼介に正体を知られて?」

 「うん。里美さん、吼介に『エデン』を渡したくないって言うじゃない? だからファントムガール
の正体もバレないようにしてたと思うんだけど・・・。それともやっぱりホントは、吼介に仲間にな
って欲しいのかな?」

 「それは・・・・・・逆じゃない?」

 天才少女は少し思考を巡らせたあと、自らの考えを話す。

 「里美が工藤に『エデン』を渡したくないという気持ちは本物だと思うわ。工藤は随分前からフ
ァントムガールの正体を知っていた様子なのよね? じゃあ、何故いままで知らないフリをした
り、もっと積極的に私たちに関わってこなかったのかしら。あいつの性格からすると里美や七
菜江が闘うのを黙って見てるのが平気とは思えないんだけど」

 「うーん・・・確かに自分が闘おうとしそうだね」

 「それをずっと我慢しているということは、あいつはこの闘いに参加しないつもりでいるってこ
とよ。言い換えれば、『エデン』と融合するつもりがないってこと。それがわかったから、里美は
喜んでいるんだと思う」

 「でもサ、なんでそんな我慢するの? そこんところがよくわかんない」

 「わかってるのよ」

 「なにを?」

 「『エデン』と融合したら・・・自分が私たちの敵になるかもしれないことを」

 テーブルに置かれたアイスコーヒーに白い指が伸びる。汗をかいたグラスの表面には水滴が
びっしりとついている。
 同じようにこちらはレモンティーを口に運びながら、一息ついた茶髪の美少女が更なる疑問
を投げかける。

 「ねェ・・・ずっと思ってるんだけどサ・・・吼介ってそんな危険かなァ?」

 「・・・その様子だと、桃子はあいつがファントムガールの仲間になれると思ってるみたいね」

 垂れがちな瞳が、果物の種子の形にも似た魅惑的な瞳を覗き込む。漆黒のなかに慈愛の光
を灯した桃子の瞳は、限りなく美しく深かった。可愛らしい、なのに小悪魔的。優しく温かい、な
のに芯の強さを感じさせる。計り知れない瞳の深さが、可憐な表面に隠された超能力少女の
深みを教える。

 「あたしには悪いヤツには見えないよ。そりゃあキレたらやり過ぎちゃうこともあるみたいだけ
どサ・・・でもそれだって、例えばナナを助けようとしてのことでしょ? 吼介は無闇に暴力を振
るってるわけじゃない、悪いヤツ相手にしか手を出さないじゃん」

 「悪党ならボコボコにしても構わないって? 再起不能にしても問題ないって?」

 「そんなこと言ったら、あたしたちだって・・・あたしたちだって、悪いヤツらを殺しちゃってるじ
ゃん」

 完全な理論武装をしていると思い込んでいた夕子が、責めるような桃子の言葉に思わず詰
まる。

 「そういえば桃子は、結局ウミガメの怪物を殺そうとはしなかったらしいわね・・・『デス』とかい
う、確実に敵を仕留めることができる必殺技を練習していながら。・・・やっぱりあなたには、敵
を殺すなんてことは・・・」

 「それとこれとは別! いざとなったら、あたしにだって覚悟はできてるよ!」

 いつもなら甘く響く声を、珍しく桃子は少し荒げた。

 「もちろんできれば誰も傷つけたくなんてない。誰かを傷つけるくらいなら、あたしが傷つく方
がずっとマシだって思ってるよ・・・でも・・・なにかを守るために闘わなきゃならないなら、あたし
だって闘うよ! 相手を殺さなければならなくなっても、夕子たちだけにイヤなことはさせない。
あたしも・・・手を汚す決心はついてる」

 「・・・ごめん。私が悪かったわ」

 真剣な表情で語る桃子の美貌は、完璧なまでに整っているがために、冷たく映るほど迫力が
あった。もしかすると、一番怒らせると怖いのは、この少女なのかもしれない。天才科学者の父
にも、守護天使のリーダーたる里美にも強情な態度を取る夕子が、謝罪の言葉を素直に吐き
出していた。

 「う、ううん・・・ごめん、あたしの方こそ・・・ちょっと言い方キツかったね」

 「いいのよ、別に。それより、桃子の考えをちゃんと聞けて、よかったと思ってる」

 互いのグラスのなかで、氷が溶けて音をたてる。
 しばらくの沈黙の後、ツインテールの少女は話を本題に戻して喋り始めた。

 「七菜江も、桃子と同じように工藤が仲間になれると思ってるんでしょうね」

 「・・・そりゃあナナは、吼介が悪になるなんて夢にも思ってないもん。一緒に闘えればいいな
って、どっかで思ってるだろうね」

 「確かに桃子の言う通り、必要以上に相手を傷つけたからといって、工藤がミュータントにな
るとは言い切れない。光の戦士になる可能性も十分ある、とは思うわ」

 カラカラと澄んだ音を奏でるグラスの氷を見詰めながら、クールな少女は話を続けた。

 「『エデン』の寄生者が光の戦士になるか、闇側に回るか・・・その分岐点は正負のエネルギ
ー、どちらが多いかに関わるってことだったわよね?」

 「うん」

 「でも、なにが正でなにが負なのか、いまだに私にはわからない。大体、ワガママで自分勝手
なこの私が光の戦士ってことからして不思議なんだもの。多分、里美にしても正と負を分ける
基準についてはわかっていないと思う。あなたの言う通り、悪党とはいえ何人もの敵を殺してし
まっている私たちが、今でも正義の戦士としていられるのだから」

 人類を守るための存在ファントムガールと、欲望を剥き出しにして暴れるミュータント。敵対す
るふたつの勢力は、同じ『エデン』から生まれた巨大生物であり、媒体となったものの精神だけ
が正義と悪とを分けている。だが具体的にどんな精神が光のエネルギーを増大させ、どんな思
想が闇のエネルギーに組すのか、はっきりとわかっているわけではない。人助けをすれば正義
なのか? 殺人は悪なのか? 倫理に従うのが正義なのか? 法を破れば悪なのか? なに
が正義でなにが悪なのか、『エデン』の判定基準を答えられるものはいないのだ。

 「だから、工藤吼介が正義か悪か、誰にもわかるわけはない。実際に『エデン』を寄生させて
みなければ」

 「じゃあどうして」

 「カンよ」

 「カン?」

 「単なる、カン。工藤は光の戦士にはならないって、私のカンがそう言うだけ。多分、里美も同
じなんだと思う」

 理系少女が示した理由は、本来ならまるで合理的ではないものだった。だが、七菜江や夕子
が守護天使になると見抜いたのは、五十嵐里美のカンであったという事実がある以上、その
理由は決して軽視することはできない。

 「夕子がそう思うのも、わからないわけじゃないんだけど」

 細く整えられた眉をわずかにひそませながら、珠玉の美を咲かせる少女は素直な思いを口
にする。

 「でも、吼介がナナや里美さんの敵になるなんて、どうしても思えないんだよなァ・・・」



 化粧直しに席を立ったイマドキの女子高生を、ひとり赤髪の少女は待っていた。
 ボリュームあるディナーのコースもようやく食べ終わり、舌とお腹に満足感が広がっている。
外食など滅多にしない夕子だが、たまには落ち着いた場所で、優雅な時間を楽しむのもいい。
ここに藤木七菜江が入ってくると、たちまちムードもくそもない大騒ぎに発展してしまうのだが、
桃子とふたりだけでゆったりとした時間の流れを満喫できたのが、なによりの今日の収穫であ
った。

 「さて」

 ひとり呟くサイボーグ少女の瞳が細まる。ふたりきりの大切な時間は十分に楽しんだ。これか
らはやるべきことをやらねばならない。
 席を立った赤髪少女がツカツカと後方に位置するテーブルに向かって歩いていく。七時を迎
える時間帯、仕事帰りのOLやカップルなど、数組の客が店内を埋めている。飲食店が忙しくな
るのは、これからが本番だ。

 「あんた、いい加減にしなさいよ」

 俯き加減でナイフとフォークを扱っていた男の胸倉を、華奢に見える少女はムンズと掴んで
いた。突然の出来事に驚いた男が闇雲に暴れるが、シャツを掴んだ細い右腕はビクとも離れ
ない。呆気にとられる周囲の目を気にすることなく、小柄な眼鏡男の身体をツインテールの少
女は強引に立ち上がらせる。
 小刻みに震えるニキビ面の男の正体は、「たけのこ園」の前で出会った、あの少年であった。

 「コソコソするなって、言ったでしょ」

 右腕一本で掴まれているというのに、少年の身体は浮きあがりそうになる。華奢で、しかも包
帯をあちこちに巻いているこの少女のどこにこんな力があるのだろうか。衆目に晒される羞恥
と少女の視線の鋭さに、少年の青白い顔はみるみるうちに赤く染まっていく。

 「こッ・・・ここに来たのは偶然で・・・」

 「じゃあ右手に持っているものは何?」

 ドキリとした少年の右手から、小型のデジタルカメラがこぼれ落ちる。液晶画面に映っている
のは、屈託なく笑う非の打ち所のない美少女。
 突き放された少年の身体がドサリと床に落ちる。ゲホゲホと咳き込むニキビ顔を、周囲の好
奇の視線が遠慮なく貫く。奇異な視線で見詰められるのは、なにも少年に限ったことではない
が、赤髪の少女は威風堂々たる様子で平然と佇んでいる。

 「な、なぜ・・・ことごとくボクの居場所がわかるんですか・・・?!」

 「あんたは知らなくていいことが、世の中にはいろいろあるのよ」

 さりげなく夕子は首に輝く銀の首輪にそっと触れる。今マザーコンピューターの情報は、目の
前の少年が緊張と脅えと恥ずかしさで、激しく興奮して体温を上昇させている事実を教えてくれ
ている。

 「み、見逃して・・・ボクが誰を好きになろうと、あなたには関係ないじゃないですかッ」

 「それはそうだけど、盗撮なんて卑怯なマネするのは許せないわ」

 「こ、これはそのッ・・・美しい桜宮さんをいつでも見ていたいと思っただけで・・・別に彼女に迷
惑かけたわけじゃないでしょう?! むしろ常にボクからの愛情を捧げられるわけで、彼女にと
っても悪い話ではないはずです」

 「なッ・・・?!」

 「ボクは本気で桜宮さんのことが好きなんだ。愛されて嬉しくない女性がいるわけがない。だ
からボクは精一杯ボクなりの形で愛すんですよ! いけませんか? それともあなたは、ボク
が桜宮さんを愛するのを邪魔するつもりなんですか?!」

 普通、高校生ともなれば好きだ嫌いだの話はさんざん友達と繰り返すものだが、恋愛につい
てはまるで疎いこの理系少女は、高等数学の方程式を解くようにはいかず、少年の言葉にパ
ニックに陥っていた。感情は眼鏡少年の勝手な言い分にムカムカしているものの、「恋愛って
そういうものなのかしら?」と思う気持ちが、この手の話題が苦手な夕子を戸惑わせる。

 「ボクは桜宮さんを世界で一番愛しているんだ。ああ、なんて美しいその姿。彼女はボクにな
んか振り向いてくれないかもしれない。でもボクは彼女を愛し続けるんだ。愛して愛して、振り
向く日まで愛し続けるんだ。桜宮さんはボクのものだ。桜宮さんはボクのものになるべきなん
だ。だってボクは、こんなにもあなたのことを愛しているんだから」

 先程まで気弱そうでしかなかった眼鏡少年が見せる、狂気じみた執念に、思わず夕子は圧
倒される。
 違う。恋愛のことは確かによくわからないけれど、こいつの言っていることはなにかが違う。
間違っている。だって、この男の行動は全て自分のためで、決して桃子のためではないんだも
の。
 再び少年の胸倉を右手で掴んだ夕子は、床に座る男を立ち上がらせた。この男を、桃子の
側に近づけるべきではない。少し痛い目を見せてやらないと。左手を振り上げたのは、ケガを
させてはならないという、夕子なりの優しさゆえか。桃子を愛すると口では言いつつも、その実
本当に愛しているのは己自身である眼鏡少年に、サイボーグ少女はお仕置きの一発をお見舞
いしようとする。

 「なッ、なんですか、その手は?! まさかボクを殴るつもりですか?!」

 「くッ! このッ・・・」

 「あなたは暴力でボクの愛を邪魔するつもりなんですかッ?! 桜宮さんを愛しているだけ
で、なぜボクが殴られなきゃいけないんです? ボクは桜宮さんが好きなんです。一体なんの
権利があって、あなたはボクの愛を邪魔できるっていうんですかッ?!」

 「待って夕子!」

 澄み渡る鈴のような声が、緊迫した二人の間に割って入る。胸倉を掴み平手を振り上げた赤
髪の少女と、じっと真正面から少女を睨む少年。激突寸前の状況は、場に戻ってきたばかりの
桃子にも瞬間に理解できる。漆黒の瞳を丸くしたまま、桃子は親友の傍らにまで駆けつけた。

 「ダメだよ夕子ッ、手をだしちゃ!」

 「・・・大丈夫」

 右手を離すと同時に、ヨロヨロと眼鏡少年は数歩下がる。その顔は破裂しそうに真っ赤だ。
涎も垂らしそうにだらしなく開いた口からは、ハッハッと呼吸が慌しく繰り返される。
 桃子が近付くだけで、鼓動が早くなってしまうって? 明らかに挙動不審な動きを見せる少年
よりも、夕子には隣に立つ超絶の美少女の方がそら恐ろしい。透き通るような白肌に、心を鷲
掴みにする魅惑的な瞳と唇。横から眺めた美の最高傑作は、菩薩のごとき光を仄かに放って
いるようにさえ見える。

 「あの・・・藤本くん、だよね?」

 「桃子、こいつのこと知ってるの?!」

 眼鏡少年に呼びかけた桃子に、さすがのクール少女も驚く。

 「ん・・・・・・この前・・・告白してくれたから」

 更なる意外な言葉が、美神の娘ともいうべき少女の口から吐き出される。この藤本という男、
隠れて桃子を追いかけてるだけかと思ったら、とっくに告白まで済ましていたとは。ということ
は、フラれて尚、桃子に纏わりついていることになる。

 「じゃあ、ホントにストーカーってわけ。ここまで開き直られると、逆に感心するわ」

 「好きなんです、桜宮さんのことが!」

 呆気にとられる夕子と、困惑する桃子の前で、藤本は床に額がつく勢いで土下座をする。ざ
わつく周囲など、もはや彼の目には入っていない。

 「ボクにはあなたしかいない。あなた以外、誰も愛せない! 好きで好きで好きで、たまらなく
好きなんです。付き合ってなんて言いません。ボクなんかでは、あなたの相手にふさわしくない
から。ただずっと、あなたのことを愛させてください! あなたを愛することを許してください! 
桜宮さんからなにかしてもらおうなんて思っていません。ただ、あなたを愛してるだけで、それで
十分なんです!」

 これほど傲慢な土下座を、夕子は見たことがなかった。謝意も敬意もない土下座。一見惨め
にすら映る藤本のこの土下座には、ストーカー男の醜い心情が滲み出ている。ここまで頭を下
げているのだから、言うことに従え、と。桃子の立場も迷惑もまるで考えていない、ただ自分の
ためだけの土下座であることが手に取るようにわかる。
口では桃子に全てを捧げるかのようなことを言っているが、この男が本当に大切にしているの
は、己。ただ己の思い通りに物事を運びたいだけなのだ。そこには桃子の居場所はない。桃
子のことを思っての思想も行動も、まるでないのだ。
 やはりこの男、少々痛い目に遭わせてやった方がいい。
 グッと拳を握り締める夕子の前で、花弁のごとき唇を開いた美少女は、意外な台詞を口にし
た。

 「ありがとう、藤本くん。そんなにも、あたしのことを愛してくれて」

 床に平伏していた眼鏡少年が顔をあげる。その目前で美神に愛された少女は、しゃがみこん
で視線の高さを少年に合わせる。

 「ちょッ・・・桃子、こういうタイプには、甘い顔見せない方がいいわ」

 「そんなこと言わないで。好きって言ってくれるのは、やっぱり嬉しいよ」

 舌打ちしたい気分に天才少女は駆られる。
 また・・・桃子の致命的な欠点が顔を出した。優しさとも言い換えられるかもしれない超能力
少女の甘さは、女子高生としてはともかく戦士としては不合格の要素である。それが近い将
来、桃子自身に悲劇的な結末をもたらすであろうことを、夕子は常々憂慮していたのだ。これ
までも、片倉響子との闘いしかり、ウミヌシとの闘いしかり。本気で闘えないエスパー少女は何
度も危機に瀕している。
 もちろん今が戦闘の場でないことは百も承知だ。だが、こういった日常生活においても甘すぎ
る性分は、今後を思えばなんとしても克服してもらいたい桃子の課題であった。

 「あんたなら、腐るほど男から好きって言われてるでしょうに」

 『たけのこ園』であった、木原とかいう気弱そうな青年のことを夕子は思い返す。

 「それは違うよ、夕子」

 「違わないでしょ。私といるときでも、何度ナンパされたことか」

 「そういう意味じゃなくてサ。誰から、何人から好きって言ってもらえても、いつもそれは『特
別』だってこと。だから、こうやって藤本くんに好きって言ってもらえるのは、ものすごく嬉しい
よ。ありがとう」

 完璧なる美貌の少女の言葉に、藤本の表情に喜悦が走る。最愛の天使に微笑んでもらえる
ことが、ストーカー男にとってどれほどの至福であることか。

 「じゃ、じゃあ桜宮さん、ボ、ボクは・・・」

 「でもね」

 トーンとともに美少女の眉がやや下がる。

 「もう、あたしのことは、やめといた方がいいと思う」

 静かな、しかしその内に強い意志を秘めた桃子の言葉。
 土下座までして訴えた己の願いを簡単に棄却され、ニキビ少年は一気に沸点に達した。

 「なッ、なんでッ?! なんでだァッッ!! ボ、ボクのッ・・・ボクの愛が君にはわからないの
かッ?!! こんなにも君を愛している、ボクの気持ちがァッッ!!」

 「藤本くんは、あたしのことを好きなんじゃないと思う」

 泡を飛ばし喚きたてる少年を前に、臆することなく桃子は言った。

 「藤本くんが好きなのは、あたしの姿なんだと思う。だって、あたしがどんな人間か、藤本くん
知らないよね? "桜宮桃子"のことは、好きじゃないと思うよ」

 最後の台詞に潜んだ哀しみを、夕子は聞き逃さなかった。
 エスパー少女・桜宮桃子。己の秘密を守り、誰にも真の自分を見せられなかった少女。
 桃子は知っている。自分の全てを曝け出すわけにはいかないことを。超能力者であることを
知られた瞬間、人類は己の敵と化すことを。
 その美貌ゆえ、幾多の男に愛された超絶の美少女。しかし同時に、本当の自分を誰にも愛さ
れなかった、孤独な16歳。
 愛されるたびに失意と空虚を刻んだ少女。多くの者が彼女の美貌をうらやむだろうが、その
端麗な容姿ゆえに桃子がより多くの傷を受けてきたことに誰が気付こう。ただ似たような境遇
にある夕子だけが、美少女の悲哀を今悟る。

 だが、桃子の容姿に一目惚れしたストーカー男に、超能力少女の言葉の重みが理解できる
はずもなかった。

 「な、なな、なにをッッ?!! わ、わけのわからないこといいやがって・・・結局最初からボク
のことなんかバカにしてるんだろッ!! ちょっとカワイイからって、ちょッ、調子に乗りやがっ
て・・・」

 唾を飛ばして罵る眼鏡少年。真っ赤だった顔が急速に青白くなっていく。明らかな錯乱を見
せる藤本の周りから、ディナーの客が慌てて席を離れる。気弱なストーカー男の気配が一転し
て変化したのを、場にいる誰もが勘付き始めていた。

「バカになんか、してないよ。ただ、好きと言ってくれるのは嬉しいけど、それはホントに愛してく
れてるのとは違う気がするの」

「桃子、まともに話しても無駄よ!」

「こ、ここッ、このッ!・・・ボ、ボクのッ・・・ボクの愛がわからないのかァッ!! ボクのこれほど
の愛がッッ!!」

藤本の瞳に宿る狂気の光。激昂する眼鏡少年の目前で一切動じない茶髪の美少女と、危機
を感じるツインテールの少女。ヤバい雰囲気が修羅場を知る夕子の脳裏にビンビンと伝わっ
てくる。

「ごめんね、あたしは藤本くんに愛されるような人間じゃ、ないんだよ」

「そんな言葉で騙されるかァァッ――ッッ!!!」

小柄な男の右手が懐に入るのを、赤髪の少女の瞳は捉えた。

 ――こいつ、ナイフを持っている?!――

 明滅する銀の首輪。非常時に備えていた夕子の動きは素早かった。盾にならんとサイボーグ
少女の肢体が、佇む桃子と藤本との間に割って入る。

 ゾクリ

 巨大な嫌悪感が、サイボーグ少女の背中を走り抜ける。
 今にも襲いかからんとする目の前の眼鏡少年が、本気であることは十分に承知している。イ
ってしまっている目。精神の未熟な者が見せる、追い詰められたときに何をしでかすかわから
ない、危険な目を藤本はしていた。だが、違う。幾度も死地に立たされた夕子を襲う、氷のよう
な戦慄。脅威すら感じる悪寒は、今、少女たちの背中から発信されている。
 このストーカー男よりも、もっと危険な人物が今背後に―――

 「久慈仁紀ッッッ!!!」

 振り返った霧澤夕子と桜宮桃子の視線の先。
 騒動に巻き込まれぬよう逃げていくディナー客のなか、悠然と立ち尽くしたしなやかな影は、
柳生殺人剣を継承する若き悪魔。
 漆黒のジャケットとパンツで暗黒と同居した死神が、青白き表情で立っている。

 「桃子・・・」

 声が、搾り出された。乾いた声が。

 「そうだ、お前を愛した男は、この世でただひとり・・・このオレだけだ。さあ、オレのもとに来
い。オレがお前を愛してやる」

 囁く悪鬼。誘う死神。
 くっきりとした二重のもとで、美少女の魅惑的な瞳が大きく開く。幾多の男を魅了する瞳が、
今、元恋人の前に逆に魅入られているのか? 潤んだ唇をかすかに動かした桃子の足が一
歩、前に踏み出される。

 「ヒト・・・キ・・・」

 超能力少女の秘密を知り、尚且つ愛した唯一の男・久慈仁紀。
 それが芝居であり、桃子を利用するための策略と知れた今でも、少女の気持ちは揺れ動い
てしまうのだろうか。

 「桃子、あのときは済まなかった・・・だが、本当のオレは今でもお前を愛しているんだ。わか
るだろ? さあ、オレのもとに来い」

 「騙されないでッ、桃子! この悪魔はあなたを裏切ったのよ!」

 「愛を知らぬ女の言葉など聞くな・・・オレの本当の気持ちがお前にはわかるはずだ・・・この
胸に戻って来い、桃子・・・お前のことが好きなんだ」

 「ヒトキ・・・あたし・・・あなたを・・・」

 フラフラと美しき少女の足が歩み出る。
 桃子にもわかっているはずだ、久慈の言葉が嘘であることは。この悪鬼の言葉を信じてはい
けないことは。
 それでも。そうわかっているはずでも。
 歯がゆいまでに甘いエスパー少女の優しさ。孤独に耐えてきた少女が知った水蜜のごとき
日々。かつての恋人をもう一度信じてみようと、断ち切れない想いに流されてしまうのは必然な
のか――

 「桃子ッ!!」

 引き止めようとする赤髪の少女の指をすり抜け、美少女の身体が動く。
 両手を広げ待ち受ける、漆黒の男の胸へと。

 「さあ、飛び込んでこい、桃子」

 「ヒトキ、あたしはあなたを――」

 黒い男が手首を捻る。
 その瞬間、久慈の右手には銀光を跳ね返す日本刀が握られていた。

 「大好きだ・・・たやすく殺せる、貴様が」

 走り来る茶髪のストレート目掛け、大上段から裏切りの凶刃が振り下ろされる。

 ドンッッッッ!!!!

 一陣の風が舞う。
 美少女が頭頂から真っ二つにされると思われた刹那、黒衣の死神の身体は地面と平行に飛
んで、漆喰で固められた店の壁に激突していた。

 「ヒトキ、あたしはあなたを・・・絶対に許さない」

 桜宮桃子のサイコキネシス。
 完璧なる美貌が怒りで朱に染まっている。激しい炎を内に秘めたエスパー少女の顔は、戦慄
するほど美しい。片倉響子と対峙した逡巡も、巨大ガメと闘った困惑も、施設で見せた慈愛と
柔和も、今の桃子の表情には欠片もない。あるのはただ、圧倒的戦意と怒り。聖母のような少
女は、今や闘う戦士に変わっていた。

 「あなただけは、許せない。あたしの・・・みんなの心を踏み躙る、あなただけは。絶対にこの
手で倒してみせる」

 これがあの、闘いに戸惑いを見せていた、心優しき少女なのか。
 かつて見せたことのない、桃子の闘志。激しい憤怒が傍らの夕子にも伝わってくる。
 特別なのだ。
 この久慈仁紀という悪鬼、この男だけは別なのだ。戦士になりきれない桃子が、純粋に倒し
たいと願う敵、それがこの元恋人。
 本当の自分を愛されたと思い、裏切られたからこそ超能力少女の怒りは激しいのだ。

 「ギャハハハハハハ!」

 壁に叩きつけられた男が立ち上がる。笑う。なぜ、これほど高らかに笑う?

 「バカがッ!! 反吐がでるほど甘い貴様がいくら昂ぶろうと、なにができるものかッ!!」

 久慈の手から、愛刀が投げられる。
 緩やかな弧を描いて宙を舞った日本刀は、驚く桃子の手にパスされた。

 「えッ?!!」

 「それでオレを刺してみろッッ!!」

 弾丸の速さで、一直線に久慈の身体が桃子に襲い掛かる。
 チャンス。渡された刃を振るだけで、桃子は憎き敵をこの世から抹殺できる。
 だが・・・できない。
 醜い笑みを刻んだ久慈が目前に迫るのを、桃子はなにもできずに見届ける。振りかぶる右
拳。顔面を狙って放たれるストレートパンチを、動けない美少女は引き攣った表情で見詰める
しかない。

 バチンンンンッッッッ!!!

 愛らしい美貌に吸い込まれる手前。
 久慈の渾身の打撃は、間一髪割って入った霧澤夕子の掌に受け止められていた。

 「く・・・くくく・・・愚かな女だ」

 ブスリ
 軽い音は、一瞬後から聞こえてきた。

 「・・・・・・なにやってんのよ、バカ・・・」

 夕子の脇腹に深々と突き刺さったナイフ。
 隙を見て桃子に襲い掛かったストーカー少年の凶刃は、突如横から入った赤髪の少女を貫
いていた。

 「ヒッ・・・ヒィィィッッ――――ッッッ!!!」

 噴水のようにドクドクと溢れる鮮血を見て、己のしでかした事態に気付いた眼鏡少年が絶叫
する。
 刺すつもりなんてなかったのに・・・突如現れた男の、黒い瘴気に侵されでもしたのか。
 勝気なツインテールの少女の顔が青くなっていくのを見て、叫びながら藤本は脱兎のごとく荒
れた店内を出て行く。

 ―――不覚、だった。
 久慈は最初から狙っていた、藤本が桃子を襲うタイミングを。久慈の攻撃に集中させ無防備
になったところを、平静を失っているストーカー男に襲わせる作戦・・・
 桃子を助けるはずの自分が姦計に嵌るとは、なんてサマにならない話。

 「機械女ッッ!! 貴様から地獄へいけッ!!」

 豹のごとき肉体から放たれる神速のアッパーが、動きの止まった夕子の顎を捉える。
 グシャリという潰れた音を響かせ、サイボーグ少女の小さな身体は垂直に宙を飛んだ。

 「ゆッッ、夕子ォォォッッ―――ッッッ!!!」

 「ウワハハハハハハハ!!」

 ドボオッッッ!!! ズボオオッッッ!!!
 素手での打撃も圧倒的破壊力を備える久慈の拳が、退院間もない天才少女の鳩尾と下腹
部に突き刺さる。ナイフが開けた脇腹の穴から、反動で鮮血がドピュリと噴き出る。
 ゴボリ・・・
 赤黒い血塊を吐いて、ふたつの拳を体内に突き入れられた少女の肢体が、空中でビクビクと
痙攣する。

 「わッ、わあああああッッ―――ッッッ!!」

 刀を振り上げ、闇雲に突進する超能力少女。
 無惨に震え続ける赤髪の少女を、久慈は向かってくる元恋人に無造作に投げつけた。

 「ッッ!!!」

 「ワハハハハハ! 桃子よ、無様なお友達に、しっかり守ってもらうんだな!」

 重なり合って倒れたふたりの少女戦士に、鞭のようにしなる久慈の蹴りが襲い掛かる。
 まるで桃子を守るように。抱き合う形で上になった夕子の身体に、キックの嵐が降り注ぐ。意
識のない少女に、容赦ない悪鬼の攻撃。頭部のみを狙った蹴りが、鈍い音をたててツインテー
ルに叩き込まれる。サッカーボールを蹴るように、側頭部を、後頭部を、顔面を、ぐったりとした
夕子の首から上を、渾身の力で蹴り続ける久慈の足。下敷きになった桃子の目の前で、白目
を剥いた夕子の顔が、頭から噴出した鮮血で深紅に染まっていく。

 「夕子ッッ!! 夕子ォォォッッ〜〜〜ッッッ!!!」

 「・・・チッ、少し派手に騒ぎすぎたか」

 遠くから近付いてくるサイレンの音を、久慈の耳は聞き分けていた。多くの目撃者がいる以
上、ここで巨大化しての闘いを展開するのは望ましくない。

 「桃子、オレの得物、返してもらうぞ」

 己の上にかぶさりピクピクと痙攣する親友を、涙目で見詰める美少女。日本刀を握ったまま
の右手に、悪鬼の手が添えられる。

 「その前に、こいつの使い方を教えてやろう」

 桃子に握らせたままの刀で、残酷に笑う悪魔は夕子の脇腹を刺し貫いた。

 「ぐぶうううッッッ!!!」

 失神していたサイボーグ少女が、大量の血塊を吐き出す。絶叫する桃子の美貌に、バシャバ
シャと吐血の雨が降り注ぐ。

 「ウワハハハハハハハ! 気持ちいいだろう! 友達の肉を貫くのは!」

 紅に染まった刀身を、笑う悪魔が夕子の体内から引き抜く。抉れた肉の穴からオイルのよう
に垂れ流れていく赤い血。奪い返した愛刀を握り、折り重なり深紅に染まった二人の少女を振
り返ることなく漆黒の悪魔は去っていった。
 親友の名を繰り返す桃子の悲痛な叫びが、惨劇の場と化した店内に響き渡った。



 なぜ、こんなことになってしまったのだろう?
 刺すつもりではなかった。ちょっと驚かせるくらいの気持ち。ナイフは護身用として常に持って
いただけだ。
 突然現れた、漆黒の男。端整な顔立ちだが、危険な香り漂う猛獣のような男。あの男の魔気
に吸い寄せられるように、気がつけばあの赤髪の少女を刺していた。

 「はあッ、はあッ、はあッ!!」

 ニキビの少年が夜の街の裏通りを、息を切らせながら疾走する。月灯りのもと目を凝らせ
ば、彼の服のいたるところについた返り血を確認できるはずだ。人目を避けたい心理が、眼鏡
少年を人気の絶えた裏通りへと駆り立てる。
 これから自分はどうなってしまうのか? 悪い憶測が次から次へと脳裏をかすめて飛んでい
く。全てはあの少女のせいだ。桜宮桃子が、きちんとボクの気持ちに応えてくれていたら。彼女
がボクの愛を受け入れてさえいれば、ナイフなど取り出すこともなかったのに。

 「フフフ、大変なことになったな」

 前方の闇より突如沸いた声に、度肝を抜かれた藤本の足が止まる。
 いつの間に、追い越していたのか。暗闇のなかから現れたのは、より一層濃い漆黒を纏った
スレンダーな男。

 「貴様の人生も終わりだな。あの場で霧澤夕子と揉めていたのを、多くの人間に目撃されて
いるのだから」

 泣き出しそうな藤本の顔を見詰めながら、愉快そうに久慈仁紀は言う。

 「ボ、ボクが悪いんじゃないッ!! あれは事故、事故なんだッ!!」

 「小僧、現実を見ろ。貴様はもう、後戻りできない道に立っている。ここから先は破滅か、己
の手で道を切り開くかだ」

 革靴を踏み鳴らして久慈が眼鏡少年に近付いていく。死神と子羊。己の全てが目に見えない
何かに飲み込まれていくのを、藤本は感じた。

 「貴様は桜宮桃子を自分のものにしたいんだろう? なぜあの女が振り向いてくれないのか、
わかるか?」

 「そッ、それは、ボクがカッコ悪くて、なんの取り得もない・・・」

 「“力”がないからだ。貴様に力がないから、女は振り向かぬ。モノにしたい女は、力づくで奪
えばいい」

 ガッシリと久慈の両手が藤本の肩を鷲掴む。

 「与えてやろう、“力”を。あの女を、支配できるほどの、な」

 唇を吊り上げ、漆黒の悪鬼は三日月の笑いを作ってみせた。



 2

 酸素を吸入するための透明なマスクから、シュウシュウという擦過音が洩れ出ている。
 明治よりその名を轟かせる日本有数の名家・五十嵐家の本邸。西洋風の豪奢な建物の地
下に、「集中治療室」と銘打ったその部屋はあった。
 スーパーコンピューターのような巨大な装置に囲まれて、白いベッドが部屋の中央にある。頭
部を包帯で巻かれた霧澤夕子が、そのなかで静かに眠っていた。ピ・・・ピ・・・という心拍をつ
げる機械音が、今は安定したリズムを刻んでいる。

 「ごめん・・・ごめんね、夕子・・・」

 入室禁止の治療室の扉の前で、桜宮桃子はもう2時間以上その場に立ち尽くしていた。大き
な瞳からとめどなく流れる涙が、白い頬をつたって床にボトボトと落ちている。泣き続ける瞳は
真っ赤に充血し、グズグズとなる鼻もふやけそうに濡れている。少女の足元で、涙は水溜りに
なっていた。

 「モモ・・・もう行こ。ね」

 そっと友の両肩を後ろから抱く藤木七菜江が連れようとしても、超能力少女は頑固にその場
を動こうとはしなかった。黒のTシャツにデニム姿の桃子の身体には、夕子の流した血がこびり
ついている。血に染まった究極可憐な美少女は、背徳の化粧を施してゾクゾクするほど美し
い。

 「あたしの・・・あたしのせいで・・・あたしがダメだから・・・・・・」

 桃子の心に元恋人である久慈への未練などまるで皆無であった。あるのは怒りと敵意。超能
力者の自分を道具としてしか見ず、使えぬと知ったら始末しようとした男に、今更愛情などある
わけがない。刺し違えてでも倒さなければならない相手。大切な仲間を、尊い命を平気で傷つ
ける悪魔の使いを、断じて許すわけにはいかない。
 あのとき、真剣を久慈から渡されたとき、斬りつけることができなかったのは、久慈への愛ゆ
えではない。
 戦士としての覚悟。久慈に怒りは覚えても、倒す決意は固めていても、命を奪う覚悟まではで
きていなかったのが、あのとき桃子を金縛りにした。
 もし桃子がいざという気構えを持っていれば、夕子がこんな目に遭うことはなかった。ストーカ
ー男・藤本に刺されたのも、久慈のリンチを一身に浴びたのも、夕子が桃子の盾となってかば
ってくれたからこそ。いわば桃子の身代わりとなって、退院間もない天才少女は悪鬼の嗜虐に
沈んだのだ。

 "あたしの甘さのせいで・・・夕子は傷ついてしまった・・・もっと・・・もっと憎まなきゃ・・・・・・覚
悟をしなきゃ!"

 「ヒトキは・・・あたしが倒す・・・たとえ、殺してしまうことになっても」

 優しき少女のものとは思えぬ台詞を吐いて、エスパー少女は悲しみの内に復讐を決意する。
強い意志を秘めた瞳が、炎の色で輝いた。



 部屋を占拠しているのは、革張りの分厚い本で埋められた本棚と、イタリア製の木の机。テ
レビやオーディオの類もなければ、ぬいぐるみのひとつすらないその部屋が、思春期の最中に
ある女子高生の個室であると誰が気付くであろうか。まるで高名な学者の研究室。揃えられた
家具の一切が高級品であるのは確かだが、全体を茶色やこげ茶で染められた部屋には華や
かさの欠片もない。癒しも余裕も欠落したその部屋に代わりにあるのは、任務を遂行するため
の利便性。その雰囲気はプライベートな個室ではなく、まさしく「職場」に近い。この部屋の主は
ひとりの時間を得ても、己に与えられた任務について片時も忘れることができないのであろう。
ただ部屋の片隅に置かれた古めかしい鏡台だけが、部屋の主の女のコらしさを物語る。
 テニスコート四面分ほどの中庭を防弾ガラス越しに望みながら、五十嵐里美は執事の安藤
が運んできてくれたロイヤルティーを桜色の唇に運んだ。
 かすかな空調の音が、喋る者のない室内を低く流れていく。濃紺のワンピースに身を包んだ
スレンダーな肢体は、本物のみが醸す気品を無言のうちに漂わせる。コクリとかすかに上下す
る白い咽喉。夏の陽光をガラス越しに浴びる美少女の姿は、印象派の絵画のように幻想的で
すらある。

 「霧澤様の様態も随分と安定して参りました。今更ながら『エデン』の授ける回復力には驚嘆
するばかりです。それに男の腕力に抑えられながらも、懸命に急所を外した桜宮様の必死の
抵抗も功を奏したと言えましょう」

 「そう・・・それはよかったわ」

 「・・・里美様、平然を装うのが上達されましたな。藤木様や西条様が取り乱さずにすんだの
は、あなたの堂々とした立ち居振る舞いあってこそです」

 再び唇に近づけたティーカップがカタカタと音をたてる。里美を襲う小刻みな震えが、陶磁の
カップを白い歯に当てさせていた。鮮血に染まった夕子と泣き叫ぶ桃子。ふたりの姿を見たと
きの衝撃が今更のように蘇り、麗しき令嬢を揺さぶる。あのとき顔色ひとつ変えずに冷静に指
示を出したことが、どれほど直情的な七菜江や幼いユリを励ましたことか。束ねる者としての使
命を無事にクリアし、いま里美の胸にはわずかな安堵が広がっていた。

 「夕子なら、大丈夫だって信じられたから。・・・桃子の様子はどう?」

 オールバックの初老の紳士は、ゆっくりと首を横に振る。

 「非を全て背負い込んでしまわれております。桜宮様は優しすぎるがゆえに」

 「・・・安藤、桃子をこのまま闘わせてもいいのかしら?」

 以前からずっと胸に秘めていた疑問を、守護天使のリーダーは信頼する執事に尋ねる。

 「私、時々思うの・・・桃子をこのまま闘いに巻き込んでいいのかって。あのコは優しすぎる。
戦士にとって、それは時に致命的になるわ。あのコのことを思えば、もう私たちに関わらせるべ
きではないんじゃないかしら・・・」

 「里美様がどのように結論を出されたとしても、この老いぼれが口を挟むところではございま
せん」

 落ち着いた、聞き心地の良い声がスーツ姿の執事から流れる。

 「ただ・・・里美様は桜宮様のことを、戦力として必要とお考えですか?」

 「・・・それはもちろん・・・あのコのチカラは他にはない特別なものだもの。戦力としてこれほど
心強いものはないわ」

 「ならば、考える必要などないかと」

 紳士の優しい声は、冷徹ともいえる内容をサラリと吐いた。
 里美にもわかっている。役に立つのなら、戦力として使う。戦闘の指揮官が人事において考
えるのは、いきつくところその一点。桃子が戦力になるならば、迷わず使えばいい。その結果、
彼女が不幸になるかどうかは、考えるべき事案ではない。
 それなのに口に出してしまったのは、結局のところ、里美自身の覚悟の無さ――
 甘いのは、私の方なのかもしれない。執事に言外のうちに叱責された想いに駆られ、里美は
心の背筋を伸ばす。

 「ああ見えても、桜宮様は十分に戦士としての気構えを持っておられます。運命を受け止める
覚悟があの方には見受けられます」

 「・・・そうね。桃子に対して失礼だったわ」

 「それに、あの方の優しさこそが強さだと私は思います」

 飲み干した紅茶のカップを里美は木製の机上に置く。カチャリと音をたてたマイセンの食器
を、老執事は自然な動きで盆に乗せた。

 「他にも、言いたいことがありそうね」

 安藤が見せたわずかな動きの通常との差を、くノ一少女の瞳は見分けていた。紳士の口か
ら数秒の後に言葉がこぼれてくる。

 「工藤様が、ファントムガールの正体に気付いていたそうですね」

 ピクリ、と里美の細い肩がわずかに上下する。

 「片倉響子と接触している以上、工藤様がその気になれば、いくらでも『エデン』と融合するチ
ャンスはあったはず。それでいて、そうしないのは」

 「吼介はこの闘いに関わる気がないってことだわ」

 安藤の台詞に割り込んで里美が言う。

 「彼もわかっている。自分が必ずしも聖なる戦士になれるとは限らないことを。ファントムガー
ルを守るより、敵対する可能性をゼロにする道を選んだのよ」

 「嬉しいですか?」

 「当たり前よ」

 平静を装おうとした意志に反して、里美の語気はわずかに強まる。

 「元々吼介に助けてもらおうなんて思っていないわ。まして最強の男が敵に回る可能性がなく
なれば、嬉しくないわけがない」

 「そうですか。私はてっきり、里美様は心のどこかで彼を仲間に加えたがっているとばかり思
っておりました。そのために未だ最後の『エデン』を使わないのかと」

 切れ長の瞳で、くノ一少女は老執事を見詰める。無言のまま、麗しき聖少女と老練な紳士は
互いの視線を絡ませた。

 「もし万が一、工藤様がミュータントとなって現れたときは・・・」

 「わかっているわ」

 静かに、だがハッキリと里美は言った。

 「私がこの手で、吼介を殺すわ。五十嵐家の使命において」



 霧澤夕子が重傷を負ってから2日が経っていた。
 地肌を直接焼くような凶暴な陽射しは、依然衰えることを知らない。じっとりと湿気を含んだ熱
気が、アスファルトの地面を揺らめかせる。時折吹く風にわずかな涼しさが宿ったように思える
のは気のせいだろうか。8月の空は青く、もくもくと立ち込めた入道雲がどこまでも高く天に積も
っている。
 この地域一帯でもっともファッショナブルで、流行の先端をいく街・谷宿。
 住むというより遊ぶのに適した街には、夏休みということが影響していつもより多くの若者た
ちがあちこちでたむろしている。
 男も女も研ぎ澄ましたセンスを競い、作り上げた美を誇るストリートのファッションショー。垢抜
けた華やかな路地を、飛び抜けた美貌の持ち主がひとり歩いていく。

 肩までの茶髪のストレートは真ん中付近で分けられ、その下の瓜型の顔を程よいバランスで
包んでいる。唇の右下にある黒子以外、シミひとつない輝く絹肌。許されるなら誰もが触りたく
なる美肌の質感に、天女のイメージが自然に重なる。
 果実の種のような形をした大きな瞳は、くっきりとした二重の下で強い光を放っている。すっと
通った鼻梁と、やや厚めの朱鷺色の唇。ルージュを塗っていないのに真珠の輝きを伴って濡
れ光る花弁は、吸い付きたくなるほど魅惑的だ。美の神にしか生み出せない、完璧なる美貌。
可憐さと美しさを兼ね備えたプリティーフェイスが、振り返る視線を振り切って急ぎ足で進んで
いる。
 アイドル顔負けのルックスを引き締めて街を闊歩するのは、エスパー少女・桜宮桃子。
 白地に肩から先がピンクのTシャツに、デニム地のマイクロミニ。ハート型のピアスと揃いの
ネックレスが可憐な少女の愛らしさをさらに引き立てている。おへそやスカートの中身が見えそ
うな際どいカット。愛くるしいマスクといい、小柄な身体つきといい、少女の可愛らしさで溢れて
いるのに、ともすればオトナの色香が仄かに漂う。蕾のイノセントと成熟した艶が絶妙のバラン
スで、完璧な美少女に奥深いスパイスを加えている。

 もし五十嵐里美が谷宿を歩いたら、その異端の美しさは確実にこの街で浮く。だが桃子の場
合は若者の街に溶け込んでいる。馴染んだうえで、頭ふたつ抜け出した美貌が異彩を放つ。こ
と外見の完成度には自信を持つ谷宿の少女たちが、桃子を見た途端に俯いた。そしてその数
瞬後、彼女たちは憧れの眼で、無自覚に美を振り撒く天性の美神を見詰めるのだ。

 「いい度胸だな、桃子」

 目の前の路地から飛び出た金髪の大男が、早足で急ぐ桃子の行く手を阻む。足を止めた茶
髪の美少女は、物怖じもせずに男を見上げて言った。

 「ショウゴ、久しぶりだね」

 「ちりに逆らったらしいじゃねーか。よくこの街に戻ってこれたな」

 よく見れば喧嘩では百戦錬磨で鳴らしたショウゴの巨体が小刻みに震えている。桃子に対し
てではない、これから先、己の主人と桃子の間で起こるであろうことが、ヤクザすら畏れぬ不
良を怯えさせる。

 「なぜ来た? ここに来れば、ちりが黙っていないことくらいわかるだろうに」

 「いいんだよ、それで。だってちりに会いに来たんだから」

 毅然として言い放った桃子の瞳の光に、思わずショウゴは圧倒される。
 今までに見たことのない、強い光。
 単に神懸かった美貌を持つ少女ではない。ショウゴが初めて見る、本気の桜宮桃子。一目見
て喧嘩自慢の不良は、少女が真っ直ぐな決意を秘めてここにやってきたことを見抜いた。

 「来いよ」

 十分後、薄暗い地下のクラブに桃子の姿はあった。
 桃子が久慈仁紀と付き合っていた頃、つまり悪鬼に騙されて、その異端の能力を人類侵略
の手法として利用されようとしていた頃、美少女はよく豹柄の少女と行動を共にしていた。不意
に行われる路地裏での神崎ちゆりのコンサートには毎回顔を出していたし、ふたりだけでカラ
オケに行ったこともある。ハンバーガーショップで時間を潰したことなど、何度あったことだろ
う。「闇豹」の噂は他校の桃子にも届いていたが、実際に会うちゆりは派手な衣装を着ただけ
の普通の少女に思えた。少なくとも桃子の前では。
 親友、ではなかった。友達というのにも、どこか抵抗のある関係。傍目から見れば、仲睦まじ
く並んで歩くふたりの女子高生は、友達以外の何者にも見えなかっただろうが、桃子の心はち
ゆりとの間に見えない壁を感じていた。それは恐らく、ちゆりからしてもそうだろう。一歩踏み込
めない、本心を隠して付き合う間柄。知り合い以上友達未満というのが、ふたりの関係であっ
たように思う。
 それでも、裏世界の金看板である「闇豹」に並んで歩ける者など、滅多にいるものではない。
 ショウゴや他の幹部たちが、笑顔でちゆりと会話する桃子に一目置いていたのは当然のこと
だった。
 だがそれは2ヶ月前までのこと。
 今の桜宮桃子は、「闇豹」を裏切った恐れ知らずの反逆者として不良たちの間で定着してい
る。

 「モモコォ〜〜、お前のその身体、前からメチャクチャにしてやりてェと思ってたんだぜェ」

 「へっへっへっ、ミス藤村さまはどんな声で喘ぐのかねェ?」

 「桃子ッ、ちょっとカワイイからって調子に乗りやがって・・・覚悟はいいかい?」

 「こういう顔をボコボコにするのが、最ッ高なんだァァ〜〜ッ、ヒャハハハ!」

 3mほどの距離を置き、ぐるりと桃子を囲んだ裏側の住人たち。
 喧嘩自慢の不良、とっくにトリップしている麻薬中毒者、少年院帰りの猛者たち・・・あらゆる
犯罪にも躊躇なく手を出せる男と女が、小柄な美少女を10人以上で取り囲んでいる。なかに
は金属バットやナイフを手にしたものまで。凶行に抵抗感の無くなった外道たちが、美しき獲物
を血祭りにあげる瞬間を、舌なめずりしながらいまかと待ち構えている。
 「闇豹」の噂は知っていても、その度重なる悪事を正確に桃子が知ったのは、里美たちと知り
合ってからだ。それまではせいぜいタバコを吸ったり、喧嘩をしたり、暴走行為をするくらいの
ワルだと桃子は思っていた。もし、神崎ちゆりがやっていることを知っていたら、桃子はとても
笑顔で「闇豹」と接するなどできなかっただろう。
 今、桃子が立っているこのクラブのフロアでも、もう何人もの少女たちがレイプと暴力の標的
にされ、涙を流してきたはずだった。男たちに目をつけられた犠牲者は飽きるまで何日も輪姦
され、女たちに歯向かった対抗組織の少女たちは心底服従するまで殴打される。そうして「闇
豹」の一派は、恐怖の帝国をこの谷宿に築き上げたのだ。

 「さあ〜て、どうしたもんかな・・・マワすか・・・切り刻むか・・・」

 「イヒヒヒ・・・桃子をヤれる・・・あのミス藤村を・・・」

 「いつもみたいに倍くらい腫れるまで顔を殴ってよォ〜。ムカつくあの顔をさ」

 下卑た笑い声と凶悪な意志をはらんだ囁きが、孤立する美少女の周囲に渦巻く。
 肉欲の予感に愉悦を刻んだ醜い顔。嫉妬からくる憎悪を剥き出しにした般若の顔。柔らかな
少女の肉体を破壊できる喜びに舌なめずりする顔。ドス黒い悪意に染まった顔、顔、顔・・・そ
れらの邪悪な視線を一身に中央で浴びる桃子。取り囲んだ悪鬼どもをせわしなく見回す桃子
の額に冷たい汗が流れていく。
 聞いているだけで吐き気を催すほどの不良たちの会話。
 だがその会話の内容が真実であることを桃子は悟っている。人格が崩壊するまで輪姦する
のも。人相がわからなくなるまで暴行するのも。神崎ちゆりの配下にとっては日常茶飯事のゲ
ーム。その悪魔の牙が、咲き誇る華すら褪せるほどの美少女を食いちぎろうとしているのだ。

 桃子もわかっている。超能力者であり、「エデン」の力も授かった自分ならこの窮地も脱出で
きるはずだと。事実、度が過ぎたガキ大将など、念動力を使って密かにこらしめてきたことはこ
れまでにも何度もある。
 しかし今彼女を囲んでいる連中はあきらかに住む世界が違う。人殺しすらやりかねない、人
間としての道を半歩踏み出した悪魔ども。10人以上の多数に囲まれ、小柄な、超能力を取った
らまるで戦闘力のない美少女が、無事に済む保障などまるでないのだ。

 "うぅ・・・もしあたし、負けちゃったら・・・どうなっちゃうんだろォ?"

 ガクガクと膝が揺れるのが自分でもわかる。白い頬をつたわる汗が止まることを知らない。
 こうなることも予想していたはずだった。ちゆりと話し合うために訪れた谷宿、だが「闇豹」の
息のかかった配下たちが、そう簡単に女帝との面会を許すとは思えなかった。なにしろ彼らは
裏切り者扱いの自分を血祭りにあげ、陵辱し尽くす日を心待ちにしているのだから。闘いの覚
悟は十分に決めてきたはずだった。
 それでも、怖い。涙がでそうなほど、怖い。
 万が一、不覚を取るようなことになれば・・・桃子の脳裏に、顔面は崩壊し裸に剥かれて無数
の手に嬲られる己の姿が浮かんでくる。

 "あたしのバカ・・・覚悟決めてきたんじゃないの!? こんなヤツらにビビッちゃうなんて・・・
あたしはファントムガール・サクラ、こんな汚いヤツらに負けるわけにいかない!"

 「へっへっへっ・・・どうした、桃子ォ〜、震えてるじゃねえか」

 「は、早くちりに会わせてよ・・・」

 「バカか、てめえ? ちりが来たら、その瞬間死刑の宣告だぜ。今のうちに残された命を楽し
んどけよ」

 美神の娘が白い歯をキリリと噛む。
 そうかもしれない。話をしたいがために、危険を顧みず谷宿へ来た桃子だが、「闇豹」が話を
聞くとは限らない。むしろ会った瞬間、数の有利に頼んで守護天使の化身を抹殺しようと企む
可能性の方が高いだろう。
 だからこそ孤立無援のエスパー戦士と、取り囲んだ非道の群れとは緊張を高めている。いつ
戦闘が開始されてもいいように。そして近付く「その時」への不安が、闘いなどとは無縁の生活
を送ってきた美少女の心を締め付ける。

 "大丈夫・・・ファントムガールのあたしが負けるわけないよ・・・怖がるな・・・怖がっちゃダメだ
ってば、あたし!"

 「ギャハハハハハ! 怖えか、桃子! 気が狂うまで殴られ犯されるのが怖えかよ!」

 「ううぅッ・・・こ、怖がってなんか・・・怖くなんかない!」

 「じゃあその身体の震えはなんだ? ヒャハハハハ!」

 ドキリとした桃子が、すかさず己の両手を見る。
 小さく白いふたつの手は、電気ショックを与えられたようにブルブルと小刻みに震え続けてい
た。

 「ううッッ?!!」

 「アッハッハッハッ、どうやら自分の運命をわかってるみたいだねェ!」

 "バカバカバカ! あたしのバカ! 正義の味方がワルモノに怯えてるなんて・・・しっかりしよ
うよ、あたし! 夕子の仇を取るんじゃなかったの?!"

 心の内でエスパー少女は己を責め続ける。
 里美さんなら、こんなとき平気な顔してる。ナナなら、こんなとき逆に怒りに燃える。夕子なら、
こんなときまるで動じたりしない。あたしより年下のユリちゃんでも、怖がったりなんか絶対しな
い。
 あたしだけだ。あたしだけが、凶悪とはいえ「エデン」ももたない普通の不良なんかにビビっち
ゃってる・・・。
 正義の戦士としてあまりに見劣りする己の弱さが、16歳の女子高生を苦しめる。だが超能力
と類稀な美貌を除けば普通の少女である桃子が、人道から外れた悪党どもに囲まれれば怯え
るのが当たり前なのだ。そういう意味では彼女の仲間4人がむしろ特殊。女のコとしての感性
を普通に持つがゆえ、桃子の小さな胸には劣等感が沸き起こる。

 "こいつら、罪もない女のコたちにヒドいことやってんだよ?! 悪いヤツらなんだよ?! 彼
女たちのためにも、『チカラ』をもらったあたしがビビってどうするの?!"

 ふと桃子の脳裏をかすめる懐かしい人影。優しそうな老婦人の笑顔。己への鼓舞に少しだけ
勇気をもらった美少女が、精一杯の強がりを言う。

 「今のうちに・・・笑ってればいいじゃん・・・」

 「はァ?」

 「あたし、こう見えても・・・けっこう強いんだから」

 ひっくり返したような大爆笑が暗いクラブを埋め尽くす。わざとらしいほどの大声で笑う不良た
ちに、カチンときつつ狼狽する桃子。
 その無防備な背中を、男の足が不意に蹴り飛ばす。
 ガクンと不様に折れた少女の肢体が、2mを前に飛ぶ。ズザザ、と床を滑る小さな身体。Tシ
ャツの背中にくっきりと足跡を残した可憐な少女に更なる笑い声が降り注ぐ。

 「ぐッ・・・! ううッ・・・」

 「ひゃはははは! なに勝手にコケてんだァ? おら、いいもの見せてやるよ」

 うつ伏せに倒れた桃子の目の前に投げられたのは、クリアファイルの冊子だった。その表面
にはマジックで書かれた「藤村コレクション」の汚い字が躍っている。
 よぎる黒い翳りに、すかさず桃子はその中身を手にとって見る。

 「うッ・・・!!」

 「フフフ、あんたが藤村女学園16人目の犠牲者ってわけよ」

 ナンバー1から15までつけられた各ページ、そこに載っていたのは、ある者は乳房を剥き出し
にされ、ある者は男数人に貫かれた、少女たちの陵辱写真であった。
 ひとりの少女につき見開き2ページ。所狭しと並んでいる痴態写真の数々。顔のアップから全
裸、男との結合シーンまで全ての残酷な写真が貼られている。丁寧に名前と住所、携帯番号
までがそのファイルには綴じられていた。そしてその15人の少女たちに共通しているのは。
 全員の制服がチェックのミニスカに赤いネクタイのブレザー。
 桃子の通う藤村女学園の生徒たちが、このファイルの犠牲者たちなのだ。

 「こいつら全員、今じゃオレらの下僕さ。セックス担当のな」

 「てめえがなぜか、ちりのお気に入りだったから、藤村には手ェ出せなかったんだが・・・谷宿
にゴロゴロ転がってるこいつら、最高の獲物だぜェ」

 ファイルを手にしたまま、桃子は無言で立ち上がる。
 偏差値は高くはないが、オシャレには人一倍気を遣う藤村女学園の生徒たちは、この地域
一帯である種のブランドとなっていた。容姿にこだわるタイプの少女たちには、里美たちが通う
聖愛学院よりもむしろ羨望を集めている。男の立場からいうと、藤村女学園の彼女を作ること
はちょっとしたステータスになるほどだ。
 だから、よく狙われる。レイプ犯にもっとも狙われやすい学校として、担任教師からもよく注意
を受けていた。桃子がファントムガールになってから約2ヶ月、その間に谷宿にはびこる悪魔ど
もは、藤村の生徒たちを桃子の知らぬところで毒牙にかけ続けていたのか。

 「いよいよ今日は藤村のナンバーワンをコレクションにできるぜェ・・・なあ、ミス藤村の桃子
さ・・・ブゴオオッッ!!」

 ベラベラと喋るドレッドヘアの顔面が、突然"爆発"する。
 飛び散ったのは火花ではなく、鮮血。鼻が潰れ、クレーターのごとく顔面を窪ませた男がその
ままゆっくりとフロアの床に沈んでいく。
 脳震盪を起こし、ビクビクと痙攣するドレッドヘアの顔は、まるでボーリングの玉を打ち込まれ
たように内側に凹んでいた。

 なにが起こった?!

 ケラケラと笑っていた男の顔が、突然潰れて倒れる怪異。あまりに不可解な現実に、脳の処
理スピードが追いつけない。わかるのはただ、仲間の惨状と恐るべきなにかが起こったという
ことだけ。

 「うがあああッッ!!」

 獣の咆哮は桃子の背後から響いた。クスリでトリップした男には、危険認識能力が欠けてい
た。ナイフをかざして棒立ちの美少女の背中に殺到する。
 
 ボゴオオオオッッッ!!

 顔面の潰れる音が、誰の耳にもはっきりと聞こえてきた。
 ジャンキー男の顔が、内側に丸く窪んでいる。
 二度、痙攣した男の身体が、強張りをなくして床に落ちる。もはや誰の目にも、奇怪な現象の
犯人は明らかだった。
 そしてもうひとつ、悪党どもの目に見えたのは―――

 怒れる美神。
 へそも下着も見えそうなギリギリのファッション、イマドキらしいハートのアクセサリー、華やか
な茶髪にアイドル顔負けのプリティーフェイス・・・外見はオシャレな女子高生のまま、醒めるよ
うな視線で仁王立ちするその姿は。
 ゾッとするほど美しい。
 それが桜宮桃子、戦闘モードの本当の姿。

 「許せない」

 桜色の唇が、ポツリと呟く。
 クリームのように甘く包み込む声。だがエスパー少女の愛らしい声に潜むのは、紛れもない
猛烈な戦意と怒り。

 「あたし、ホントにバカだ・・・実際にヒドイことされた女のコたちの姿見ないとわからないなん
て・・・ちりがどうとか関係なくて、あんたたちみたいなケダモノ、許しちゃいけない。許していい
わけがない!」

 ボゴオオオッッ!! ドゴオオオッッ!! ブキャアアアッッ!!
 続けざまに3人の男の顔が見えないボーリング玉を打ち込まれて潰れる。
 倒れていく仲間を見詰めながら、ひとりの美少女を囲んだ不良たちはガチガチと歯を鳴らす
ことしかできない。細い眉の下で紅蓮の炎を燃やすエスパー天使の瞳が、硬直する不良どもを
次々に射抜いていく。

 「ひッ・・・ヒイイィィッ・・・や、やめろ・・・やめろよ、もう・・・」

 「・・・あたし、こう見えても・・・けっこう冷酷なんだよね・・・」

 何度か桃子に憎しみの言葉をかけていた女の腹部がボコリと凹む。内臓を押し分ける圧迫
感に、白目を剥いて女は倒れた。

 「こッ・・・このバケモノがァァッッ!! 殺せッ! こいつを殺しちまえッッ!!」

 離れた場所から見守っていたショウゴの静止の声を振り切り、8人の男女が一斉に四方から
エスパー少女に襲いかかる。
 バケモノ? そんなの、言われ慣れてる。
 殺す? そんなことに怖がってらんない。
 なんて言われようと、どれだけ辛かろうと、とっくの昔に決意したんじゃん。
 そう、この生命、誰かの役に立てようと。誰かの役に立てて死ねるのなら構わない。それがエ
スパーとして特別な生命を授かった、あたしの生き方。

 ドゴゴゴゴゴゴオオオオオオッッッ!!!!

 連続する打撃音。
 周囲から飛び掛った8個の人間が、一斉に弾き飛ばされるのをショウゴは見た。
 その中心で戦慄するほどの美貌の持ち主は、傷ひとつ負わずに立っている。

 「もうやめなァ〜〜」

 さらに数人が小柄な少女に飛びかかろうとするのを、のんびりとした声は瞬時にして静止させ
た。
 桃子が起こす不可思議な現象に冷や汗を流していたショウゴの汗腺が、一気にどっと全開に
なる。

 「ショウゴォ〜、こいつらみんな外に出しなァ〜。ウサギちゃんはちりと話したいみたいだから
さァ〜」

 「闇豹」神崎ちゆり。
 夏だというのに豹柄のファージャケットを漆黒のワンピースの上から着込んだ裏世界の女帝
は、抑揚のない声で直属の幹部に命令を下した。



 「もうッ、まったくモモったらどこ行っちゃったのよ・・・」

 額に輝く汗を拭おうともせず、藤木七菜江は道中に広がった若者たちの間を縫って疾走す
る。
 夏休み期間中の谷宿は密度が通常の2倍ほどに膨れ上がっていた。そこかしこに中高生の
グループが人波の途中に島を形成している幅狭な歩道。全力としか思えぬ速度でいながら、
誰の肩にも触れることないアスリート少女の動きは、一流のラガーマンですら真っ青なものであ
った。
 
 “絶対里美さんに叱られるよ・・・こんなとこに来るなんて一体何考えてんだろ?!”

 夕子が重傷を負って運ばれた翌日、敬愛する生徒会長に桃子を見張っておくよう言われた
七菜江は、その理由がよくわかっていなかった。非を一身に背負ったようなエスパー少女の落
ち込みぶりは激しく、到底何らかのアクションを起こすようには見えない。といってまさか自殺す
るわけはないし・・・呑気に構えていた己の愚鈍さが、今となっては腹立たしい。あのときすで
に、五十嵐里美には桃子が危うい行動に出ることがわかっていたのだろう。
 桜宮桃子の足取りを辿るのは、比較的容易な作業であった。持って生まれた華やかさ。本人
が望むと望まざるとに関わらず、究極レベルまで達した美貌はどうしても目立ってしまう。どこ
にでもいそうで、しかし飛び抜けて美しい少女がどちらに向かったか・・・寄せられた証言はひと
つやふたつではない。七菜江は桃子が通ってきた道をほぼ正確に追うことができていた。

 しかし・・・よりによって谷宿とは。
 若者の街、と呼ばれるその場所が、5人のファントムガールたちにとっていかに危険な区域で
あるか。無謀の代名詞のごとく思われているアスリート少女にしても、今ではなんの準備もなく
谷宿にくるような愚は犯さない。守護少女たちにとってはブロンクスの無法地帯以上に危険な
街。「闇豹」神崎ちゆりが支配する暗黒のテリトリーに、戦士としてもっとも未完成な桃子は単
独で踏み込んでしまったのだ。

 “お願いだから無事でいてよね・・・せめて極悪ケバケバ豹女に見つかってないといいけど”

 もしこの街で神崎ちゆりに出会ったら・・・考えただけでもゾッとする。尽きることない配下の不
良軍団、どこに仕掛けられているかもわからない罠の数々、周り全てが敵のようなものだ。腕
に多少の自信がある七菜江ですら、ひとり谷宿に足を踏み入れるのは正直怖い。緊張感と焦
りのなか、飛燕の速度でショートカットの少女は親友を探し続けていた。

 偶然か、あるいは運命か。事態が急な展開を見せたのはその時だった。
 雑多な人混みのなか、七菜江は確かに感知した。その異様なオーラを。疾走する少女の顔
がなにげない自然さで横を向く。傍から見ているぶんには特に変わった様子もないメインストリ
ートの一角。引き寄せられるように、誘われるように、猫顔少女の吊り気味の瞳はその人物の
姿を捉えていた。

 「ッ吼介先輩ッッ?!!」

 筋肉の鎧を身に纏った男が、華やかな通りの真ん中で仁王立ちしている。
 あの南の島以来の邂逅。Tシャツもデニムもはちきれそうな張りのある肉体も、浅黒く焼けた
精悍な顔も、立ち昇る圧倒的な熱量も、なんら変わるところはない。最強と呼ばれる高校生
は、唐突に七菜江が良く見知るその姿を現した。ただひとつ、変わったところ。それは、銀色の
女神の秘密が、秘密ではなくなったということのみ。ドキリと心臓を鳴らした少女に、別の緊張
が湧き上がってくる。

 “先輩、どんな顔で話してくれるのかな・・・?”

 なにもなかったように話す? 前みたいに笑いかけてくれる? それとも・・・もう話してはくれ
ないのかな?
 最大の秘密を知られた守護天使と、その秘密を知っていることを悟られた格闘獣。外見上は
数日前とはなにも変わらないふたり、だが置かれた状況は今までとは大きく変わってしまった
ふたりの高校生が、不意な再会を遂げようとしている。
 ショートカットの少女は覚悟をしていた。この日が来るのを。愛する男にファントムガール・ナ
ナの正体を知られる日を。知られたうえで、なにげなく会わねばならない日を。どんな顔をし
て、どんな声を掛ければいいのか、まだ答えは見つかっていなかったのに・・・

 “こんなところで出会っちゃうなんて・・・神サマはひどい、よね・・・”

 気付かないフリをして立ち去るという選択肢も、七菜江にはあった。
 だがグラマラスな少女の足は、しばし親友の捜索を後に回し、闘神の化身に近付いていく。
わかっている。逃げても意味はないことを。今後、工藤吼介との距離を今まで以上に縮めよう
と願うのならば、『エデン』の戦士に選ばれた運命に目を背け続けることはできない。どんな反
応が返るのか、震えるほどに怖くても。どんな態度をすればいいのか、混乱してガチガチにな
っていても。
 七菜江は決めた。ファントムガール・ナナの正体を知る男・工藤吼介に、真正面から会ってや
る―――

 絶えることのない若者たちの波を縫って、Tシャツにホットパンツというラフな格好の少女が頭
ひとつ突き出た巨体に歩み寄る。横から見る工藤吼介の男臭い顔は、いつにもまして引き締
まって見えた。じっと前方を見詰めたまま近付く七菜江に気付いていない様子の筋肉獣に、哀
しげにも見える表情を浮かべた少女が声を掛けんとする。

 「来るな、七菜江」

 予想外の台詞が、岩のごとき男の口から洩れた。
 アスリート少女の存在に気付いていたのも意外だが、毅然とした口調で接近を拒否されたの
が、純粋な乙女の心を揺さぶる。やっぱり・・・ダメなのかな? 闘いに身を置く女なんて。翳り
かけた七菜江の表情が、吼介が一瞬たりともそらさない視線の先を見て一変する。

 飛び込む深紅。
 フェラーリを彷彿とさせる鮮やかなレッド。派手な色遣いのスーツを着こなしたスタイル抜群
の美女は、他者を見下したようないつもの余裕を見せず、緊張した面持ちで吼介の先7mに立
っていた。

 「ッッ?! 片倉ッ・・・響子ッッ!!」

 迂闊。工藤吼介の圧倒的存在感に惑わされて、この悪女の存在に気付かなかったなんて。
 七菜江を敗北に追い込んだ妖艶な天才生物学者が、こんなところで最強の男と対峙している
とは。ただならぬ状況と雰囲気が、守護少女を一気に戦闘モードに切り換えていく。

 「なんであんたがこんなところにッ?!」

 「とんだところで邪魔な子猫が現れたわね」

 ハーフを思わせる美女の瞳は、可憐な女子高生を映してはいなかった。釘付けの目線。向
けられた先に立っているのは、筋肉が合体してできた逆三角形の巨体。

 「藤木七菜江、あなたとは今度遊んであげるから、手は出さないでもらおうかしら? これは
私と工藤くんの問題だから」

 思わず少女の視線が、仁王立つ闘神に向き返る。

 「片倉センセイの言う通りだ、七菜江」

 淡々と語る吼介の表情にも、静かな、そして濃密な緊張が漂っている。
 闘うつもりなのか、工藤吼介と片倉響子。
 メフェレス側の参謀格ともいえるこの妖女が、最強の高校生に接触を図っていたことは七菜
江も知っている。そしてその狙いが、恐らく最強のミュータントを誕生させることにあるのも。『エ
デン』との融合を納得してもらうため、吼介へのアタックは幾度も繰り返されたようだった。
 だが、もし吼介が智謀に富んだ悪女の誘いを、ハッキリと断ったらどうなるか?
 戦力にならなくなった最強の格闘獣は、響子にとって脅威でしかないはず。ならばふたりの激
突は避けられないと考えるのが当然。

 “で、でも、いくら先輩が強くっても、この女はフツウじゃない! あたしが・・・あたしが先輩を
守らないと!”

 異様な空気を感じ始めたのか、行き交う中高生たちがすれ違いざまに奇妙な三角関係を見
ていく。キュートな美少女と、妖艶な美女と、筋肉に包まれた男。ショートカットの女子高生が、
わずかに腰を下ろし身構える。

 「やめろ、七菜江」

 「け、けど・・・」

 「自分のケツは自分でふくさ」

 メキョ・・・メシメシメシィッ・・・ミチミチッッ・・・

 聞き慣れない怪音が逆三角形の肉体から響いてきたのは、その時だった。
 鋼鉄のごとき筋肉の鎧が膨張していく。Tシャツに浮き彫りになった膨大な筋繊維はダイヤモ
ンドのように研ぎ澄まされ、体内で沸騰する熱が男の周囲を陽炎で揺らす。
 最強の名に恥じぬ格闘獣、見参。
 若者の街のメインストリートに、今、破壊の香り立ち込める闘神がその変身を完了させようと
していた。



 「久しぶりねェ〜〜、ウサギちゃん。まさかひとりでここに来るなんて」

 先程まで凶悪な人種に埋め尽くされていた地下クラブは、いまや2人の人影を残して静まり
返っていた。低く唸る冷房の音。夏真っ盛りであることも忘れて肌寒く感じるのは、気のせいで
もないらしい。
 豪華な豹柄のファージャケットに身を包んだ裏世界の女帝と、地域内ナンバー1といって差し
支えないアイドル女子高生。あまりに対照的なふたりが薄暗い地下室で静かに対峙している。
アンバランスでありながら、ふたりがいる光景は、意外なほど違和感を覚えさせなかった。
 巨大なサングラスが邪魔をして、「闇豹」神崎ちゆりの表情は窺い知ることはできなかった。
ゴールドのルージュや青いマニキュアがケバケバしく彩る悪華と異なり、素材自体が完成品に
近い桜宮桃子は、ほとんどメイクをしていない。ハート型のピアスとネックレスが目立つくらい
で、あとはセンスは良くても簡素なファッションのミス藤村は、それでも輝くような華を不良の巣
窟に振り撒いている。

 「久しぶり、だね。さっきはアリガト。おかげで助かったよ」

 「あんたのため、ってわけでもないよォ〜。これ以上ちりの兵隊壊されたら、たまんないから
サァ〜」

 高いヒールを響かせて、豹柄の悪女が佇む美少女に歩み寄っていく。
 数ヶ月前、ふたりは久慈仁紀のもとで、同じ時間をともにした間柄だった。友達というのは躊
躇われるが、確かに仲間といっていい関係。だが今は違う。御曹司の彼女であったエスパー少
女は人類の平和を守る天使となり、本性を露わにした黒世界の女帝とは完全に敵対してい
る。ファントムガール・サクラと豹柄のミュータント・マヴェル。互いの命を奪い、奪われる関係
が今のふたりには横たわっているのだ。

 「なんでここに来たのォ〜? まさか生きて帰れるなんて思ってないよねェ〜」

 金髪の魔豹の右腕がスッとあがる。
 猛毒を塗られた青い爪が長く伸び、桃子の白い咽喉元に突きつけられる。ゴクリという生唾
を飲む音だけが、暗いクラブに響いていく。
 ちゆりの言う台詞がハッタリではないことを誰よりも知るのは桃子自身だった。ここは「闇豹」
の本拠地、悪の巣窟の中枢。仮にちゆりと闘い勝ったとしても、疲れ切った桃子が無事で済む
わけがない。起こした現象と等価の体力を失うエスパー少女の念動力には、限界がある。もし
「闇豹」の気が変わり、外で待つ配下の者たちに指令を下せば、恐らく桃子は何十人もの雑魚
と引き換えに命を落とすことだろう。

 「そういやあんたの友達の機械女、メフェレスに刺されたんだってェ〜? あははは、いいザ
マ♪ ちりにメチャメチャに壊されたくせに、ホント、懲りないメスブタぁ〜・・・」

 ケラケラと笑う悪女の声が、急激に低くなる。

 「サイボーグ女の仇でも取りに来たぁ〜? 桃子ォォ・・・あんたも霧澤夕子みたいにグチャグ
チャにしてやろうかァァァ・・・?」

 青い爪がグイと柔らかな咽喉に突き立てられる。
 透明な汗が白い頬をつたって落ちる。もう一度ゴクリと唾を飲み込んだイマドキの美少女は、
よく通る愛らしい声で言った。

 「ちりに、お願いがあって来たの」

 「お願いィィ〜??」

 サングラスの下で、明らかな動揺を派手なギャルは見せた。

 「桃子ォォ、あんたバカぁ〜? あんたとちりは敵同士、殺し合いしてる仲なのよォ〜。あんた
のお願いなんて、聞くわけないでしょォがぁぁ〜〜!」

 「ううん、ちりはあたしのお願い、聞いてくれると思う。あたしはそう信じてるよ」

 「闇豹」の余った手が、綺麗な形で浮かび上がった桃子の右胸を鷲掴む。
 思わず歪む美貌に目もくれず、荒々しい手つきでちゆりは柔らかな肉の饅頭を揉み潰す。

 「うくッッ!! はアッッ?!」

 「信じてるだってェ?! これだからムカつくんだよォッ、甘ったるいお嬢ちゃんはァッ!! 信
じた挙句に殺されたら、ザマあないねェェッ〜〜!!」
 
 千切り取れそうな勢いで、性戯に長けた掌が激しく美少女のBカップをこね回す。愛撫ではな
く、陵辱。そう言っていい、乱暴な破壊。

 「うあああッッ?! ううゥッ・・・アアアッ・・・」

 「オラァッ、このまま毟り取ってやろうかァッ?! ああッ〜〜?」

 激痛の狭間に仄かに走る悦楽の波動。立ちすくんだ美戦士の足がつま先立つ。反撃するこ
となく甘んじてお仕置きを受け入れるエスパー少女の口から、途切れ途切れに言葉が洩れる。

 「ちッ、ちりに・・・あふうッ?!・・・あく・・・こ、殺される・・・なら・・・・・・はアアンンッ?!・・・・・・
し、仕方ない、よ・・・・・・」

 断続的に3回。乳房の細胞が破裂しそうな強さで、納まりのいい桃子の右胸を、神崎ちゆり
は思い切り揉み潰す。
 悲痛な呻きと悦の入った嬌声をブレンドさせた絶叫が、三度美少女の口から放たれる。よう
やく右胸を解放されたアイドル少女は、くたりとその場にしゃがみこんだ。

 「・・・・・・願いってのを、言ってみなァ〜・・・」

 頭上から降る悪女の声に、数秒の沈黙のあと、右胸を押さえたままの桃子は応えた。

 「この闘いから・・・ちりには手を引いて欲しいんだァ・・・」

 それはあまりに突拍子もない発言であった。
 逆に押し黙った「闇豹」が、しばしの空白を置いて堰を切ったように怒鳴りつける。

 「てっめえッッ!! ホントにバカじゃねえのかアアッッ〜〜ッ?! なにトチ狂ったこと言って
やがんだアアッ??」

 「・・・あたしは、ホンキだよ」

 「ちょっと甘やかしてやったから、勘違いしてるようだねェェッッ!! ちりをいいヒトだとでも思
ってんのォォッ? 『闇豹』をあんまり舐めるんじゃないよォォッ〜〜!!」

 膝立ちになっている桃子の両頬を、激昂したギャルの平手が襲う。
 タイヤが破裂したかのような炸裂音。『エデン』寄生者の超人的力で放たれた往復ビンタは、
世界ランカーのボクサー並の威力があった。真珠のように輝く少女の美貌が高速でブレる。常
人ならば一発で失神していよう。飛び散った鮮血が、点々とフローリングの床を汚す。
 雪のような頬を真っ赤に腫らした桃子の唇から、ススッと朱色の筋が落ちていく。それでも大
きく深い漆黒の瞳は、猛る悪女を静かに見上げた。

 「ちりは、悪いことしてるけど、悪人だとは思ってない。寂しいヒトだって思ってる」

 「このッッ・・・甘ちゃんは死ななきゃ治らないようだねェェッッ〜〜!」

 「そうじゃなきゃ、あんなに哀しい歌は唄えないよ・・・」

 再び振り上げた豹の手が、宝石のような瞳に浮かんだ雫を見て止まる。

 「ちりのやってきた事は、許されない事だとは思うよ・・・確かにあたしたちの敵なのかもしんな
い・・・でもォ・・・世界征服なんて、考えるヒトじゃないよ、ゼッタイ」

 口をつぐんだまま、派手に着飾った少女は反論をしようとしなかった。我が意のままに振舞っ
てきた闇の女帝としては、有り得ない光景であったかもしれない。

 「今、ちりとヒトキとはほとんど接点がないって聞いたんだ・・・。そうかもって。それが自然なの
かもって、思ったの。たまたま利害が一致したから一緒にいるけど、もともとふたりは“違う”っ
て気がする・・・カンだけど。流れでヒトキの手伝いをしてるけど、ホントのちりの願いはもっと別
な気がしてるの・・・」

 「・・・フン・・・カンだけで、よくわかった口利いてくれるじゃなァ〜い」

 金色のルージュを歪めて、谷宿の歌姫は肯定とも否定とも取れぬ口調で言う。
 桃子の咽喉笛に突き立てていた爪を引っ込め、神崎ちゆりはモデルのように腰に手を当て
た。

 「あたしは、今回の闘いでホントに悪いのはヒトキだけだって思ってる。あいつを倒せば、全て
は収まる気がしてるんだ・・・」

 到底闘いには不向きと思える優しい少女の瞳の奥に、ハッキリと炎が立ち昇るのを「闇豹」
は見逃さなかった。
 他者を傷つけるのをためらい、どこまでも甘い考えを捨てられないエスパー少女。死の香り
漂う世界を生き抜いてきたちゆりにとっては、戦士と呼ぶにはあまりに躊躇われる存在だが、
同時に桃子が決して侮れない相手であることも熟知していた。つい先程、凶暴な不良どもを圧
倒した力。いざとなれば桃子は十分闘える戦士。しかも脅威的ともいえる強さを内包した・・・。
因縁浅からぬ久慈仁紀との闘いとなれば、この優しい少女は能力を全開にして立ち向かうこと
だろう。

 「あんたの願いってのはわかったよォ〜。でも聞けないねェ〜。生憎ちりは、メフェレスとは関
係なく、あんたたち銀色のメスブタどもがムカついてしょうがないんだよねェ〜〜。ちりを傷モノ
にしてくれた恨み、忘れちゃいないからァ〜〜」

 「そ、それは・・・」

 「けどォ〜〜、死を覚悟してひとりで乗り込んできたウサギちゃんに、ご褒美をあげるわァ〜
〜♪」

 金のルージュを吊り上げて、闇世界の女王は満面の笑みを浮かべた。

 「闘わせてあげる。ウサギちゃんとメフェレス、1対1で」



 3

 あれは、中学に入った年の今くらいの季節・・・ううん、もうちょっと後、秋口くらいのことだった
かなァ。
 あの日もおばあちゃんの車椅子を押して、日課になってたお散歩にふたりで行ってたっけ。
昔から運動が苦手だったあたしは部活には入らず、学校が終わると同時にいつも施設に遊び
にいってた。制服姿のあたしを、おばあちゃんはホントのお孫さんみたいに迎えてくれた。
 あたしが超能力者だと知っても、おばあちゃんはずっと優しくしてくれたよね。「川の流れのよ
うに」が得意で、ゲートボールがうまくて、みんなからおタカさんって呼ばれてた施設の人気者。
あの頃は膝の調子が悪くなって、ひとりでは歩けなくなってたけど、それでも明るさは出会った
頃のままだった。ふたりでお散歩しながら、よく演歌を教えてもらってたよね。

 今思うと、おばあちゃんも寂しかったのかなァ。二人の息子さんと、一人の娘さん。結局施設
には一度も来なかったみたいだった。自慢話で聞かせてくれた、優しくて勉強がよくできるって
いうお孫さん。一度くらい、会ってみたかったよ。

 でも、ふたりでいるときはいつも楽しかったよね。
 寂しい者同士がくっついたなんて、他のひとからは思われちゃうのかな。けど、あたしはホント
に楽しかったんだよ。おばあちゃんの前だと、自分を隠さなくていいのが嬉しかった。時々してく
れる若いときの話、好きだったなァ。今だから言うとね、ホントはおばあちゃんに憧れてたんだ
よ。プロポーズのときにダンナさまがくれたっていうベッコウの櫛、あたしのなかでは今でもキラ
キラと輝いてるよ。
 いつだったか、あれは一生キレイでいて欲しいっていう、ダンナさまの願いだって教えてくれ
たよね? あたしも素敵な恋愛をしたいって、あのときは本気で思ってたのに。

 あの日、夕暮れのなか、彼はお散歩から戻ってきたあたしたちを待ってた。
 サッカー部のキャプテンだった彼の名前と顔は、1つ年下のあたしでも知ってた。校内でも1、
2を争うほどモテてたから。そんな憧れの先輩が、わざわざあたしに会いに来てくれたってだけ
でも驚きだったのに、いきなり告白されたときは、なにが起きたかわかんなくてパニックになっ
ちゃったよ。
 次の日から毎日毎日夕暮れのなか、先輩は部活の帰りに施設に来てくれて、ふたりで一緒
に帰るようになった。

 「桃ちゃん、彼とはうまくやってるのかい?」

 おばあちゃんに聞かれるたびに、あたしは顔を真っ赤にして、はぐらかしてたよね。

 「う・・・ん・・・よくわかんないよ」

 「わかんないって、お付き合いしてるんだろ?」

 「でもォ、男のひととどう接すればいいか、よくわかんないんだもん」

 そんなこと言いながら、内心あたしはおばあちゃんとそんな話ができるのが楽しかったんだ
よ。

 「桃子、オレたちは付き合ってるんだろ? だったら隠し事はなしにしようよ」

 一ヶ月くらい経ったころから、彼はしきりにあたしの秘密を知りたがるようになった。
 別に深い意味はなかったと思う。ただ、恋人同士だからお互いのことを知りたいっていう純粋
な気持ち。

 「それは・・・できないよ・・・あたしの正体を知ったら・・・先輩はきっと、あたしのこと嫌いになっ
ちゃうよ」

 「そんなわけあるかよ」

 「ホントに? ゼッタイに嫌いにならない? 信じてもいいの?」

 「もちろんだ。なにがあっても、オレは桃子のことを愛し続けるよ」

 まだ中学生だったあたしたちは、やっぱりまだまだ子供だった。
 あたしが超能力者であることを告げると、彼はゲラゲラと笑った。次にあたしがいくつかの空
き缶を浮かせてみせると、彼は白くなって沈黙した。
 別に驚いてない、桃子が超能力者でもオレは構わないよ・・・そう言い残して、彼はひとり帰っ
ていった。

 次の日も、またその次の日も彼の姿は夕暮れのなかに現れることはなかった。

 一週間が経って、あたしはずっと続いていた施設の訪問をサボり、練習が終わるのを待って
からサッカー部の部室を訪れた。
 部室の扉に手を掛けようとした瞬間、内側から洩れ聞こえてきたのは、彼と友人の話す声だ
った。

 「お前、桜宮と別れたの? マジで? カワイイカワイイって自慢してたじゃん」

 「バカ、カワイイのは外見だけだよ。あいつの正体は、とんでもないバケモノだぜ」

 「あれだけカワイけりゃ、バケモノでもいいけどな」

 「お前はあいつのこと知らないから言えるんだ。あいつは人間じゃねえ、本物のバケモノだ。
呪われてもいいなら、付き合ってみるんだな」

 そこから先のことは、よく覚えていない。
 気がつけばあたしは部室のなかに飛び込み、狂ったように叫んでいた。巨大な鎖を想像し、
彼の身体に巻きつけギリギリと締め付ける。空中に浮かんだ彼の顔は見る間に青白くなり、首
や手足に蛇が這ったような絞め跡が浮かび上がる。悶絶の悲鳴をあげてパクパクと開閉する
彼の口が、今でも鮮明に焼きついている。
 あのまま超能力を発動し続けていたら、あたしは人殺しになっていたかもしれない。
 後頭部にガツンという衝撃を受けたあたしは、その場にうつ伏せに倒れ込んだ。ハアハアと
いう彼の友人の荒い息遣いが、背中越しに降り注いでくる。束縛から逃れて自由になった彼
が、呻きながら憎悪の視線をあたしに向けているのがわかる。
 多分、彼らは怖かったんだと思う。超能力なんてもの、目の当たりにすればそれは当然かも
しれない。その恐怖が、必要以上の暴力を彼らに振るわせることになった。

 立ち上がろうとするあたしの顔を、頭を、腕を、背中を、お腹を・・・ありとあらゆるところを彼
らは蹴り上げた。
 意識が朦朧とするあたしの小さな身体を、彼らは無理矢理に引き摺り起こす。
 そのあとふたりがかりで、あたしは気を失うまで殴られ続けた。
 
 意識を取り戻したとき、あたしはひとりボロボロのセーラー服を纏って、夜の校庭の真ん中に
捨てられていた。
 倍に腫れあがった顔も、痣だらけの身体も燃えるように熱い。もしかしたら何箇所かの骨が
折れてしまったのかもしれない・・・そんな錯覚に囚われながら、ズキズキと疼く身体を引き摺っ
て、あたしはよろめき歩いていった。

 「桃ちゃんッ、どうしたの、そのひどい格好は?!」

 とっくに訪問時間が過ぎ、締め切られていた施設に忍び込んだあたしは、おばあちゃんの部
屋に入るなり、冷たい床にバタリと倒れ込んだ。

 「すぐお医者さま呼んであげるから! こっち来て横になりなさい」

 「・・・いい・・・お医者さんなんて・・・いらない・・・・・・」

 「何言ってるのっ?! ひどいケガじゃないの」

 「・・・このまま・・・死にたい・・・・・・」

 瞳から落ちた雫が、ボトボトと床を叩く音が、今でも耳から離れない。

 「・・・あたしは・・・バケモノ・・・死にたい・・・おばあちゃん、もう・・・・・・あたし、死にたい・・・死
にたいよォォ・・・・・・」

 最後は言葉にならなかった叫びが、嗚咽と一緒に溢れてきた。

 「あだじ・・・バケモノォォ・・・幸せにな゛ん゛が・・・なれないよ゛ォォ・・・」

 とめどなく、顔から水がびちゃびちゃと床に落ちていった。涙か涎か鼻水か、もうわけわかん
なかった。わけわかんないままあたしは泣き続けた。泣き疲れて、このまま死んじゃえたらいい
のに、なんて思いながら。
 グシャグシャに濡れたあたしの顔を、いつのまにか隣に来ていたおばあちゃんはそっと胸の
なかに抱きしめた。ちょっとお香の匂いがする着物に、水がどんどん吸い込まれていく。

 「チカラを、見せちゃったのね」

 ひっくひっくとしゃくりあげながら、あたしはおばあちゃんの胸のなかでコクリと頷く。

 「大丈夫よ、桃ちゃん。今は辛くても、いつか必ず幸せになれるから。ね」

 あたしはもう駄々っ子だった。着物のなかで、ブンブンと首を横に振る。

 「ムリだよォォ・・・あだし、バケモノだもん゛〜〜・・・もう死んじゃった方が、いいんだよ゛ォォ〜
〜」

 「そんな、死ぬなんて言わないの」

 あたしの両肩をギュっと掴んだおばあちゃんは、真正面からじっと瞳を覗き込んできた。おば
あちゃんの小さな瞳のなかに、くしゃくしゃになったあたしの顔が映ってる。多分、あたしの黒い
瞳のなかにも、おばあちゃんの姿が映ってるんだろう。いつも優しいおばあちゃんの、ちょっと
厳しい言い方に、内心あたしはビックリしていた。

 「どんなに苦しいことがあってもね、人間はがんばって生きていかなくちゃいけないのよ」

 「で、でもォォ・・・」

 「じゃあね、どうしても死にたくなったら、こう考えなさい」

 静かな、でも力強い声でおばあちゃんは言った。

 「誰かを幸せにするために、桃ちゃんは生きなくちゃいけないの。桃ちゃんはそれができる
子。だから、神様はあなたに特別なチカラを授けてくださったのよ」

 おばあちゃんが亡くなったのは、それから二週間後のことだった。



 「ぼんやりしちゃっていいのォ〜? これから大事な決戦って前にィ」

 揶揄するとも心配するとも取れぬ声が、助手席に座った神崎ちゆりから届いてくる。
 大型ワゴンの広い後部座席を独り占めしていた桜宮桃子は、その言葉で我に返った。

 「ちょっと、昔のこと思い出してただけだよ」

 「ほらァ、もう着いたよォ〜」

 昼下がりの陽光の下、Tシャツにデニムのミニを合わせたラフな格好の美少女と、派手なファ
ージャケットを着込んだコギャルを残して、ショウゴの運転するワゴンは立ち去っていった。詳し
い説明は聞いてなくとも、長年「闇豹」の側にいるショウゴには、これから先起こる出来事が、
己には踏み込むことのできない領域であることがわかる。ワゴンはあっという間に桃子の視界
から消えていった。
 午前中、こっそりと五十嵐のお屋敷を抜け出したときには、まさかこんな事態になろうとは予
想だにしていなかった。
 谷宿で神崎ちゆりに会う、そう決めたときから確かに万が一のことは考えていた。殺されてし
まうかもしれない、嬲り者にされるかもしれない・・・それでも真の敵は久慈仁紀ただひとりと信
じる桃子は、「闇豹」の根城に飛び込んでいった。
 それがまさか、いきなりその真の敵と、一騎打ちのチャンスを迎えることになろうとは。

 「メフェレスはねェ〜、もう終わりだねェ〜・・・」

 ワゴンのなかで行われた、ちゆりとの会話が蘇る。

 「ウサギちゃんの言う通り、ちりとメフェレスは元々仲間なんかじゃないさァ〜。ただ一緒にい
るほうが都合いいってだけェ〜。でも負けちゃってから、メフェレスはすっかり変わっちまったね
ェ〜」

 「変わった?」

 「あいつはもう、クズさァ〜。ぜ〜んぜん使えな〜〜い。あいつに手ェ貸すのはァ〜、ちりはも
うコリゴリ〜〜」

 吐き捨てるように言う「闇豹」のサングラスの奥には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。
 久慈仁紀が工藤吼介に完膚無きまでに敗れたらしいという話は桃子も知っていた。またつい
先日、伊豆の小さな町で西条ユリの姉・エリにも敗れたことも。
 ふたりとも『エデン』を持たぬ一般人であるにも関わらず遅れを取ったのが本当ならば、プラ
イドの高い久慈がどれほど衝撃を受けているか、かつて近くにいた桃子には手に取るようにわ
かる。
 坂道を転げ落ちるように堕ちていった首領に、部下が愛想を尽かすのはよくある話だ。まし
て久慈とちゆり、あるいは片倉響子との関係は元から微妙なものだったように思える。求心力
を失った久慈に、自由奔放な女豹がいつまでも付いている方が不自然かもしれない。

 「ちり・・・あたし、ヒトキを倒す。そんでもう、この闘いを終わりにするよ」

 「あはははは♪ ま〜だそんなこと言ってるのォ〜? ちりはメスブタどもを殺すって・・・」

 「みんなにはあたしが土下座して、ちりと仲直りしてもらうよ。だからちりも謝って、ね」
 
 しばし絶句した豹柄の少女は、舌打ちの音を残してそっぽを向いた。

 「ったくどこまで甘ちゃんなのか・・・今度そんなこと言ったらァ〜、殺すよ〜」

 車内に静寂が訪れ、以降、誰も話さないまま目的地に辿りついたのであった。

 "ヒトキ・・・あたし決着をつけるよ・・・もう誰も悲しませたくなんかない!"

 胸の内で沸騰する想いが今にも爆発しそうになっている。
 あの日、サッカー部の先輩に振られて以来、二度と恋をしないと誓った桃子に安らぎを与え
た男。その安らぎがニセモノだったと知ったときの絶望を、美しき少女は永遠に忘れることはな
いだろう。殺されかけた事実・・・背中に刻まれた侮辱の言葉・・・そんな仕打ちですら霞むほ
ど、男の裏切りはエスパー少女を抉っていた。己のくだらない欲望のために、あたしを、みんな
を踏み躙る男・久慈仁紀。この悪鬼だけは、許しておくわけにはいかない!

 「あたしが、生きてきたのは・・・チカラを授かったのは、多分あいつを倒すため。そのために
あたしは今日まで生きてきたんだって、やっとわかった気がするよ」

 誰に向けられたわけでもない言葉が、潤んだ桜色の唇から洩れて出る。
 美神から生まれたとしか思えぬ少女が口にするには、あまりに哀しい台詞は、そよぐ夏風に
吹かれ、ほどけて消えた。

 「メフェレスはこの中にいるよォ〜。存分に闘ってくるがいいさァ〜」

 顎をしゃくって「闇豹」が、目的の建物を指し示す。

 「・・・え?!」

 ようやく桃子は、自分がどこに連れられてきたのかを理解した。
 車という慣れない移動手段で運ばれたため、気付かなかった。極度の緊張で周囲を見る余
裕もなかったのだろう。
 2階建てのベージュ色の建物。鮮やかなピンクの門扉。幼稚園を連想させるブランコなどの
遊具施設。
 『たけのこ園』―――桃子がバイト先に選んだ、障害を持った子供たちを預かる福祉施設が
目の前には建っていた。

 「こ、これってどういう・・・?」

 「ニッブイねェ〜・・・まァ〜だ、わかんないのォ〜?」

 魅惑的な瞳を大きく開いた美少女の顔が、見る間に青くなっていく。

 「あんたがムカついて仕方なかったようにィ〜〜、メフェレスもまた、あんたのことを始末しよう
と思ってたわけよォ」

 アスファルトを蹴る音が、清閑な街並みに響く。
 デニムのミニがひらりと舞う。軽々とピンクの門扉を飛び越える小柄な身体。ガラス細工のよ
うな輝きを放つ美貌に、怒りの朱色が挿している。見えざる力で推進力をつけたエスパー少女
の身体が、飛燕の速度で建物に向かってダッシュする。

 「アディオ〜ス、ウサギちゃん♪」

 唇を歪め、手を振るちゆりの声は、もはや桃子には届いていなかった。
 運動神経は並の少女の域を出ないはずの美戦士の肢体は、大地の上をロケットで飛んでい
るかのようなスピードで建物内に突入していく。

 汚い。なんて汚い男―――
 見る者を癒す桜のような笑顔が似合う美少女が、氷の表情で疾走する。ゾクリとするほどに
美しい端整なマスク。小さな桃子の身体が、熱くマグマのように内側からたぎっている。

 人質を、取ったのだ。
 
 戦士としては致命的なまでに優しい、エスパー少女。その命を狙うのならば、もっとも効率的
かつ効果的な作戦は、人質を取ること―――。誰もが考えそうでいて、しかしながら実行される
ことはなかった卑劣な方法を、ついに久慈仁紀は発動させたのだ。
 今までにも五十嵐里美が捕まったり、ファントムガールの仲間たちが人質として扱われたこと
は何度かある。だがこの場所に久慈が来ているのならば、悪鬼がしようとしているのは、なに
も関係のない人物を利用することだ。ある意味、紳士的なまでに守護天使と闘ってきたメフェレ
スにとって、それはかつてない蛮行と言える。

 "堕ちたのね、ヒトキッ・・・!!"

 超スピードで駆ける美少女の瞳に涙が浮かぶ。
絶対的な自信に溢れ、強者のプライドで揺るぐことのなかった以前の久慈ならば、有り得ない
作戦。確かに桃子を裏切った悪鬼は、己以外の存在をゴミ扱いする尊大な男であった。傷つ
いた桃子がボロボロに壊されていくのを見て、心底愉快そうに笑う悪党であった。だが畜生以
下の所業に手を出してまで勝利を求めるような、卑劣な男ではなかった。どんなに策を労そうと
も、ある一線を越えることはない、気高さを誇った男であった。
 敗北が、柳生の血を継ぐ男を、地の底まで蹴落とした。
 敗北の痛みに耐え切れなかった男は、自らを狂気に走らせたのだ。痛みから逃れるため
に。他者を踏み躙り、常に痛めつける側にいた御曹司は、痛みを受ける耐性がなかったのか
もしれない。

 "あたしを・・・あたしを殺すために、関係のないひとたちを巻き添えにするなんて・・・許せない
ッ・・・ゼッタイに許さないッッ!!"

 「ヒトキィィィッッッ!!!」

 そこはレクレーション室。わずかな遊具が置いてあるだけの、広い部屋。本来は子供たちが
自由に遊ぶ部屋。
 部屋の壁際に、黒づくめの男はいた。
 麻縄で縛られた少年を、足元に転がして。

 「来たか、桃子」

 「リョウタくんをッ・・・離せェェッッッ!!!」

 ボコボコボコボコッッ!!!

 フローリングの床がへこむ。巨大な鉄球を落とされているように。
 肩をいからせた少女が放つ、サイコのエネルギー。怒りによって暴発した超能力が、桃子の
周囲を円周状に破壊していく。
 エスパー少女の身体が、立ち昇る闘気によって霞むようだった。
 惹き込まれそうな魅惑の瞳は吊り上がり、濡れ光る唇から覗く白い歯はきつく噛み締められ
ている。透明感ある雪肌には、青い血管が透けてみえた。頬を染める憤怒の朱色。完璧なる
美形を燃え盛る情感が覆い、本来持っている色香が隠れ味として増幅している。
戦慄するほど美しく、蕩けるほどに威圧的で、どこか艶かしい破壊の天使。
 今の桃子は心優しい守護天使ではない。神罰に猛る堕天使。許容を超えた怒りが、美しくも
厳格な少女戦士を誕生させていた。

 「クハハハハ! 学習能力のないメスだ! 貴様がいくら怒ろうと無駄なことは、先日証明済
みのッ・・・?!!」

 ドンンンッッッ!!!

 笑う久慈の口が塞ぐより速く、小柄なエスパー少女の肢体が一気に懐に飛び込んでくる。
 人質を使う間など一糸与えぬ速攻。油断しきっていた悪鬼が、慌てて背中に隠し持った日本
刀を取り出す。

 「桃子、いつかあなたも、一般人を人質に取られての闘いを強いられる日が、きっと来ると思
うわ」

 夏休みに入って以来、日課となった五十嵐里美との特訓。
 人質を取られた折の闘いのレクチャーを、桃子はとっくに里美から教えられていた。

 「特に桃子は優しいから・・・大切なひとを囚われて、という場面は多いかもしれないわね」

 「そ、そんなときはどうすればいいんですかァ?」

 里美や七菜江を囚われ、あたふたするしかない己を想像しながら、桃子は動揺も露わに質
問する。

 「一番大事なのは、闘う姿勢を崩さないことよ。人質を取っても無意味だって、敵に思わせな
ければならない。それは今後、二度と被害者を出さないためにも重要なことなの」

 「てことはァ・・・捕虜のひとに構わず闘えってことですかァ?」

 「そういうことになるわね」

 「そんなァ! そんなこと、できないですよ! 誰かを犠牲にするなんて、それじゃあなんのた
めに闘うのかわかんないよ! だったらあたしが代わりにッ・・・」

 「待って、桃子。決して見捨てろ、なんて意味じゃないの。もちろん囚われたひとを助けるのが
最優先よ。ただね、人質を取られたことによって私たちが迷うのがもっともしてはいけないこと
であり、敵の狙いなの。迷わずに闘う、これが一番大切な秘訣なのよ」

 「迷わずに、闘う・・・」

 「そう。人質を取られた時点で、私たちの不利は否めない。ならイチかバチか・・・というと言葉
が適当ではないのだけれど・・・一気に敵を倒しにいく。なるべく速く。一直線に。敵の本来の目
的が私たちにあれば、突っ込んでくる私たちを無視できないものよ」

 「ホントに? そんなもんですかァ?」

 「目の前に凶器を持った敵が襲ってきてるのに、それを無視はできないでしょう? 人間の本
能は己を守ることを最優先させるものなの。ただし、迷ってはダメよ。考える時間や余裕を与え
ず一気に攻めるほど、成功の確率は増えるわ」

 人質を取った優位。桃子との実力差。美戦士はなにもできないだろうという読み。
 油断する材料を山と抱えた魔人が、まさかの急襲に備えられないのは当然であった。可愛が
っているバイト先の子供を人質に取られ、反撃すら不可能だと思っていた桃子が、まるで躊躇
なく飛び掛ってくるなど誰が想像しえよう? しかも、この場に現れてすぐ速攻で――
 光る凶刃は足元の少年に向かうことなく、迫る美少女を迎撃する。

 「刃の錆びとなれッッ!! 桃子ッッ!!」

 構える愛刀。速い。白い美貌が、もう目前にまで。(そうか、念動力で加速をあげているのだ
な)己の中心線を守る。大丈夫。切れ味抜群の真剣。美少女の、憤怒の表情。ハハ。貴様で
は、なにも攻撃できまいよ。真っ二つ。そう、真っ二つにして斬り殺してくれる。構えて。守って。
斬る。斬り刻む。桃子、我が刃に散れ。

 衝撃が、久慈の全身を襲った。
 ダンプカーに轢かれたような、巨大な衝撃。全身、指先から頭頂まで、余すことなく波濤のご
とき叩きつける衝撃波に、大の字のまま漆黒の男が弾き飛んでいく。
 バラエティー番組で見るパイ投げのように。猛スピードで吹き飛ぶ久慈の痩身が、破裂音を
響かせてバチンッッと壁に激突する。真っ赤な血がブシュリと口から噴霧される。

 己を動かした推進力を、そのまま敵にぶつける桃子の念動力。美戦士の脳裏に想像されて
いたのは、スペースシャトルを打ち上げるロケットであった。超能力が生み出した、透明で触れ
ることのできない弾丸ロケット。犠牲者の血を吸い続けた凶刃といえど、防ぎようはない。惨め
に吹き飛んだ久慈の身体が、壁に張り付いたままズルズルと沈んでいく。

 「リョウタくんッ、大丈夫?!」

 足元で呻く少年に、すかさず桃子の手は伸びていた。幼年部の担当を任されるようになった
優しき少女にとって、リョウタは初めてできた生徒のひとりだった。記憶能力に障害を持つ少年
は、3日前ようやく桃子の名前を覚えてくれたばかりなのだ。
 木綿の布できつく縛られた猿轡をほどく。容赦ない拘束に、少女戦士の大きな瞳に涙が浮か
んでくる。預かり養育が基本の『たけのこ園』で、母親の引き取りが遅いリョウタはいつも最後
まで施設に残っていた。そこを久慈に狙われたのだろう。

 「も、モモコせんせい・・・」

 口への戒めを解かれた少年が、たどたどしく話す。そのつぶらな眼にみるみる涙が浮かんで
くるのを見て、美少女の目蓋も再び熱くなってくる。

 「さァ、もう平気だよ。先生が来たからね。先生が、守ってあげるから・・・」

 小さな少年を胸に抱きしめようとした、その刹那であった。
 背中を駆け登る、悪寒。
 間一髪バックに飛び避けた桃子の鼻先を、銀色の刃が掠め過ぎる。一陣の風。風圧を首か
ら顔にかけて受けながら、飛び下がった美戦士は3mの距離を空ける。態勢を立て直したエス
パー少女の右頬に、思い出したかのようにスッと赤い線が走る。
全身に打撲を負ったはずの魔人・久慈仁紀が、何も無かったかのように立っていた。膨大な殺
気を隠すことを忘れていなければ、今ごろ桃子の首は胴体から離れていたかもしれない。どっ
と噴き出した汗が、美少女の白い額を流れていく。ピンクに濡れる厚めの唇からは、無意識の
うちにハアハアと荒い息が洩れる。

 「あ、あれを食らって立つなんて・・・」

 「モ、桃子ッッ、貴様ァァッ・・・どうあっても死にたいようだなァァッッッ〜〜ッ!!」

 呪詛の台詞を吐き出す久慈を、揺るぎない瞳が迎え撃つ。もはや脅しは、数時間前まで普通
の女子高生であった桃子には通用しない。戦士らしからぬ甘さも、期待はできない。
 殺意に燃える悪鬼と、全力で立ち向かう守護天使。
 明らかな正邪の決戦が、養育施設の一室で展開されている。

 「なにも関係のない子供を巻き込むなんてッ・・・もう、許さないッ!! ヒトキッ、あんただけ
は、あたしがゼッタイに倒してみせるッッ!!」

 「奢るなァァッッ、クソメスがああッッ!! 貴様は我が刃の露となって、このメフェレス様復活
の礎となるのだァァッッ!!」

 冷たく光る真剣を突き出し、正眼の構えを柳生殺人剣の後継者は取る。久慈にとって、もっと
も得意な構え。対する小柄なアイドル美少女は、もちろんなにも持ってはいない。その距離3
m、一歩踏み込めば十分届く射程圏内。誰がどう見ても、桃子の命は風前の灯に映る。
 桜宮桃子、絶体絶命―――
 だが、事実は違った。
 
 "勝てる!"

 チャンスの到来を知らせる昂ぶりが、イマドキ美少女の胸に去来する。
 桃子を破壊する欲望と怒りが、久慈の脳裏から足元の少年の存在を消し去っていた。再び
人質を利用されれば、もう先程のような奇襲は仕掛けられない。優しきエスパー天使は反撃の
自由を失い、敵の軍門に下るしかなくなるのだ。しかし、冷静さを欠いた今の久慈は、絶好の
切り札がすぐ近くにあることにまるで気付いていない。
 ならば。人質のいない、純粋な闘いならば。
 勝機は十分に、見た目は愛らしいアイドル少女にある。
 なにしろ彼女はエスパーなのだから。久慈の神速の剣vs桃子の念動力。速さには絶対の自
信を持つ久慈は気付いていない。自分が構えを取っている間に、美戦士のチカラは発動し、そ
の見えない包囲網を悪鬼の周りに完成させつつあることを。

文字通り、網打ち漁で使うような網を、桃子は思念で久慈の周囲に作り上げていた。殺人剣の
使い手が仕掛けた瞬間、サイコの網に引っ掛かり身動きは取れなくなる。桃子にとってもっとも
恐れていた、刃がリョウタ少年に向かう事態を避けられた今、勝利の女神は美神の娘に微笑
みつつある。
 ―――はずであった。

 「おっと、そこまでにしてもらいましょうか、ミス藤村女学園・桜宮桃子くん」

 あるはずのない第3の声が、レクレーション室に入ってくる。
 戦慄、ではない、圧倒的不快感を催す粘った声。思わず振り返った美少女の大きな瞳に、忘
れられない男の姿が飛び込んでくる。

 頭の禿げあがった、小太りの中年男。
 一見優しげにも見えるえびす顔の笑顔が、桃子には吐き気がするほど醜く見える。カッターシ
ャツに綿のパンツ、どこにでもいそうな、くたびれたサラリーマンのオヤジ。だがその好色そうな
顔を、桃子は忘れることができない。忘れられるはずがない。美しき少女を犯すことに悦びを
得る、憎き変態教師の姿を。

 「たッ・・・田所ッッ!!」

 久慈とともに桃子の処女を散らし、陵辱の海に沈めた男・田所学は、悠然と正邪の死闘の場
に足を踏み入れてきた。
 麻縄で縛った、幼き少女を引き連れて。

 「アイちゃんッッ?!」

 「聞きましたよ、桃子くん。あなたはここで先生の真似事をしているらしいですね? この子達
はあなたに初めてできた教え子というわけですか。フフフ、カワイイでしょう、自分の教え子とい
うものは。この子達のためなら、自分がどうなっても構わない、と思うほどにね」

 薄い唇を歪ませて、変態教師がヒュッヒュッと笑う。その丸いふたつの手は、ガクガクと震え
る5歳児にしては小さい幼女の肩を抱き寄せている。睨みつけるどこまでも深く澄んだ美少女
の瞳が、あまりの怒りに血の色に染まっていく。

 「アイちゃんに触らないでッ! その子は自閉症なのよ。あんたみたいな変態に触れられるの
が、どれほど怖いのかわかってるの?!」

 「ほお。この子は自閉症でしたか。道理でなかなか言うことを聞かないと思いました。素直に
従えば、手荒なマネはせずにすんだのに」

 「離してッ! アイちゃんからその汚い手を離してッ!」

 「愚かですね、桜宮桃子くん。自分が置かれた立場が、まだ理解できていないようです」

 衝撃と絶望が、同時にエスパー少女を叩きのめした。
 田所に続けて室内に入ってきたのは、満面の笑みを浮かべた神崎ちゆりであった。

 「あははははは! ようやく自分のバカっぷりに気付いたァ〜、ウサギちゃん♪ ここがあん
たの・・・反吐がでるほど甘ァ〜いファントムガール・サクラの処刑場ってわけよォ〜!」

 「・・・・・・ちり・・・あたしを・・・騙したんだ・・・ね・・・・・・」

 「ちゃんとタイマンでメフェレスと闘わせてあげたじゃなァ〜い。もっともォ〜、タイムオーバー
になっちゃったけどォ〜〜♪」

 「闇豹」の哄笑がケラケラと室内に響き渡る。
 
 「さァ〜て、まずはそこに正座してもらおうかァ〜♪ ウサギちゃんの超能力はけっこう厄介だ
からねえェ。ちょっとでもおかしな動きしたらァ〜〜、お子ちゃまたちの首がスポーンって飛ぶよ
ォ〜〜」

 ギリ・・・白い歯を噛み締める音。
 見えないサイコの網を、桃子は消去する。
 もし久慈の周囲に包囲網が敷かれていたことがわかれば、即座にちゆりは子供たちの首を
刎ねるだろう。闇世界の女帝は一切の躊躇をしない。近くにいた時期があったからこそ、桃子
には「闇豹」の恐ろしさがわかる。
 部屋の中央で立ち尽くしたエスパー戦士は、美貌を固く凍らせたままゆっくりと座り込む。己
に迫る運命を、桃子は悟ってしまっているようだった。

 「手間をかけやがる、メスブタが・・・貴様には勝ち目も、逃げ出すチャンスも皆無だ。ただ屠
殺の瞬間を、恐怖に震えて待つがいい」

 冷静さを取り戻した漆黒の刀鬼は、人質の少年を再びその足元に引き連れていた。正義の
天使にとっては最悪のシナリオ。3人の強敵に、2人の人質。いかに超能力といえど万能ではな
い。絶望的な状況が、3匹の悪魔に囲まれて正座する、美しき戦士を押し潰していく。

 "最初から・・・罠だったのね・・・"

 単独で「闇豹」の根城に乗り込んでいったときから、桃子の悲劇は決まっていた。
 3人の悪魔が罠を仕掛け手ぐすね引いて待っているなか、連れていかれた純粋な守護天使。
エスパー戦士処刑の準備が整った舞台に、ひとり立たされた桃子に勝機はない。ただ悪魔た
ちの、残虐な牙が迫っていく・・・

 「桃子・・・このオレに逆らった罪、たっぷりとその身体で償ってもらおうか」

 ズブリ・・・
 銀光を跳ね返す刀身の切っ先が、正座した少女の太腿に突き刺さる。
 深さにして1cm。デニムのミニから伸びた生足に、深刻なダメージとなる一歩手前まで刀が
埋まる。インクのような真っ赤な血が、あっという間に溢れて流れる。

 「うッ・・・んくッ・・・・・・」

 「痛いか? なら喚けッ、泣き叫んでみろッ!」

 ビリッ・・・ビリビリビリ・・・・・・
 剣先を埋めたまま、日本刀が縦に桃子の太腿を裂いていく。
 皮膚と薄い筋肉を裂く、鋭い痛み。研ぎ澄ました熱さに、仰け反った少女の美貌が引き攣
る。じっくりと健康な肌を切り裂かれていく痛み・・・確実に激痛が走ると予想させられたうえで
斬られていくのは、恐怖とあいまって凄まじい苦痛を美戦士に与えていた。

 「ううッッ!! うぐぐッ!! ・・・くうッッ〜〜ッッ!!」

 「ククク、雪のような太腿が真っ赤になってしまったな。次は逆の足だ」

 もうひとつの足にも、無惨な剣創が刻まれていく。正座するアイドル少女の両脚は、噴き出し
た鮮血で深紅に濡れ光っている。
 灼熱の鉄棒を太腿に埋め込まれたような鋭痛。脳幹に飛び刺さる痛みの信号に、ビクビクと
震える桃子の足を、久慈の土足が踏み躙る。食い縛った白い歯の間から洩れる苦鳴。見上げ
る怒りの瞳を愉快そうに眺めながら、黒い悪魔は柔らかな少女の太腿を踏み潰す。

 「ぐううッッ、うぐうううッッッ〜〜〜ッッッ!!」

 「痛いか? 苦しいか? オレを裏切ったメスブタめ、もっと醜く泣き喚くがいい。この程度で
は許さんぞ」

 「・・・・・・っちだ・・・」

 「あァ?」

 「許さないのは・・・こっちだよッ!」

 激情も露わに美戦士が吼える。睨みながら。歯を食い縛って。
 びっしょりと浮かんだ汗にストレートの茶髪がへばりついている。細い眉の間に刻まれた、苦
悶の皺。確かに憔悴の影を見せながら、それでも桃子は不屈の姿勢を貫いている。
 これが優しさを捨てられず、癒しの笑顔を振り撒くあの桜宮桃子なのか。芳醇な美しさも、薫
る華やかさもそのままに、戦士として闘いをやめぬ少女がそこにはいた。

 「立場もわきまえず・・・生意気な、メスブタがッ!!」

 久慈が刀を鞘に戻す。一瞬、桃子の胸に広がる安堵。だがその緩みが間違いであったこと
を悟るには、わずかな時間も必要なかった。
 鞘に収めた愛刀で、痩身の悪鬼は狂ったように座る美少女を打ち付ける。
 残酷なまでの殴打の嵐。身体の前面も背面も、顔も背中も胸も、木製作りの鞘で殴り打つ。
肉を打つ重い響きが、処刑の部屋を埋め尽くす。

 「壊れろッ! 壊れてしまえッ! フハハハハハ!」

 ベキッ! ドスッ! バキッ! ドボッ! バシッ!

 一撃食らうだけで意識も肉体も吹っ飛んでしまいそうな暴打が、身悶える桃子の小さな肢体
に間断なく叩き込まれる。
 悲鳴すら、でてこなかった。大量の汗を流し、歯を食い縛って歪む美貌が、悪魔の一撃ごと
に仰け反り、震える。鞘が柔らかな少女の肉にめり込むたびに、桃子の命が削り取られていく
のがわかる。

 5人のファントムガールのなかで、圧倒的に肉体的な強靭さで劣っているのが桃子だ。
 里美やユリのように幼少の頃から鍛えたわけでもなく、七菜江のように天性のアスリートでは
なく、夕子のようにサイボーグの身体を持たない、ごく普通の少女。『エデン』に与えられた身体
能力のアップだけでは、この暴虐を耐えるのは過酷にすぎる。
 まさしく肉体を破壊される仕打ちに、美少女の意識は半ば吹き飛んでいる。壮絶な痛みに蹂
躙され、ただピクピクと痙攣するしかない桃子。擦過の跡を全身に黒く残して、被虐の乙女は
正座したままゆらゆらと前のめりに沈んでいく。

 「まだだ。立たせろ」

 半失神の美少女を、両脇から中年男とコギャルが支える。太腿を切り裂かれ、全身に打撲を
負った無惨な肢体を、それぞれ腕を掴んで無理矢理に立ち上がらせる。

 ドボオオオッッッ!!

 全力で放たれた久慈のブローは、桃子の柔らかな腹筋に拳ごと埋まっていた。

 「ハハハハハ! 女の腹とはこうも脆いものか! 脆弱すぎて突き抜けてしまいそうだ」

 「くはふッッ・・・うぇあああ・・・アッ・アア・ア・アッ・・・」

 甘く心地よい桃子の声が、内臓ごと肉体を潰されていく苦悶に震える。
 守護天使の苦しみは痙攣を通じて、両腕を支える変態教師と魔豹にも伝わった。プニプニと
柔らかな美少女の、壮絶なる悶え。さんざん苦しみの波動を悪魔どもに舐め取られたあと、桃
子の肢体はガクリと脱力する。
 ちょうどバンザイをするような格好で、両腕を捕えられたまま、ボロボロのエスパー天使はぶ
らさがった。

 「だらしないねェ〜、ウサギちゃん。他のお仲間はァ〜、この程度じゃあ、くたばんなかったよ
ォ〜〜」

 嘲る「闇豹」の余った左手が、桃子の左乳房に伸びていく。
 Bカップの少女の胸はちゆりの掌にすっぽりと収まった。Tシャツ越しに浮き上がった形のよ
い乳房は、見るからに弾力性と柔軟性を兼ね備えていた。薄笑いを浮かべたコギャルの手
が、容赦なく半失神の美少女の胸を揉みしだく。
 あわせるように、もう片方の乳房が中年教師に握られる。神聖なるものを、汚らわしい手に
触れられたショックで、エスパー少女の両肩がビクリと跳ねる。だが、それ以上の抵抗は今の
桃子にはできない。
 性戯に長けたふたつの手が、反撃不能な美少女戦士の胸を揉み、握りつぶし、こね回す。キ
レイな稜線を描いた桃子のふたつの乳房が、オモチャのように無茶苦茶に玩ばれる。

 「はッ・・・んく・・・んはァッ・・・」

 「んん? ど〜うしたのォ、ウサギちゃん♪ 顔があか〜いようだけどォ〜?」

 神崎ちゆりと田所教諭、性のスペシャリストふたりを前に、ウブな桃子はまさに赤子同然であ
った。
 荒々しいながらも確実に官能の波を立たせるテクニックに、桃子の胸からじっくりと生温かい
波動が体内に広がっていく。熱い疼きは痺れるような感覚で、女子高生の肉体から自由を奪っ
ていった。

 "い、痛い・・・胸が、千切られそう・・・で、でもォ・・・な、なんか・・・くすぐっ・・・たい・・・・・・ビク
ビクしちゃう・・・あたた・・・かい・・・・・・こ、このまま・・・蕩けちゃい・・・そう・・・"

 「その名の通り、桜色に染まってきましたねえ。美しい。そしてこの乳房の柔らかさ、たまりま
せん。まさに極上の素材です」

 「ふはうぅッ・・・は、離せッ・・・離してよォ・・・」

 「おやおや、声に艶が出てきましたね。そら、もっといい声で喘ぎなさい」

 「はくッ! ひゃううううッッ〜〜ッッ!!」

 Tシャツの下で美少女のふたつの隆起が凄まじい勢いで踊り狂う。

 "む、胸がァ! ヘンにッ、あたし、頭おかしくなりそうッ! もうやめて、あたしの胸から手を
離してェェェ!"

 「ア・ア・ア・ア・アッッ・・・アアアッ、あああああああ〜〜〜ッッ!!」

 「フハハハ! くたばれッ桃子ッ!」

 ドボオオオオッッッ!!

 鞘に収まった日本刀が、美戦士の鳩尾に抉り埋まる。
 桃色の快感に悶えていた少女の肢体が一瞬でビクンッと固まり、蕩けた瞳が見開かれる。
 官能の波動に溺れ、無防備状態に陥った桃子を貫く久慈の突き。痛恨と呼ぶにあまりある
一撃は、アイドル戦士が耐えるには強力すぎた。

 「もう一発!」

 ブシュウウウウッッ!!

 1mmたりとてズレぬ追撃の突きが、再度窪んだ突き跡に埋まった瞬間、羽交い絞めにされ
た桃子の口から深紅の霧が噴き出る。虚空を睨む大きな瞳が、絶望に彩られていく。

 「ハハハハ、今度は胸だ!」

 魔豹と変態教師、ふたりの悪魔に片方づつ腕を捕えられ、美戦士の小さな身体がグイと前に
突き出される。人形のような粗末な扱い。エスパー少女の膨らんだバストが、Tシャツを透かし
て浮き上がる。

 ズボオオオオオッッッ!!

 もはや立つことすらやっとというのに・・・ふたりがかりで動きを封じられた桃子の左胸に刀鞘
が突き刺さる。お椀型の柔肉がグニャリと潰れ、半開きの口からブシュリと血塊がこぼれでる。
 悲劇的、といってもいい仕打ちであった。
 女性のシンボルであり弱点でもある柔らかな隆起を破壊され、桃子の全身には猛烈な激痛
が走っていた。苦しみにより途切れそうな意識が、あまりの痛みに現実に引き戻される。『エデ
ン』により身体能力は上がっているものの、普通の女子高生と大差ない桃子にとって、耐久力
の高くない乳房を貫かれるのはのたうち回るほどの激痛。しかし身動きを封じられた今の美少
女には、悶え暴れることすら許されない。ただじっと鈍痛が肉体に染み込んでいくのを、痙攣し
ながら甘受するのみ。

 「くあッッ!・・・あああッッ!・・・ううッ・・・うううッ!」

 「苦し〜いィィ? 痛いのォ〜、ウサギちゃん? こんなにビクビク震えちゃってェ・・・いい悶え
っぷりよォォ〜〜・・・」

 「どうやらもう何も見えず、我々の声も届いていないようですね。苦痛に悶える愛らしい少
女・・・なんと美しいことか! 桃子くん、君にはたっぷりと楽しませてもらえそうです」

 禿げ中年が痙攣する美少女のTシャツを捲り上げる。雪のような肌の眩しさと、キレイなお臍
が眼に飛び込んでくる。
 唇を吊り上げた痩身の男が、愛刀を肩まで引く。またしても、突きの形。勝利を確信した男の
興味はすでに、忌々しい守護天使をいかに処刑するかに移っている。

 ズボオオオオッッッ!!

 一直線に発射された神速の突きは、桃子のお臍に直撃し、抉り込まれていた。

 「んんんうううああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」

 甘く蕩けるような美少女の声が、獣のように絶叫する。
 ビクンッ! ビクンッ! 二度、大きな痙攣。
 ツ・・・とお臍と鞘の間から、赤い血が流れ落ちる。
 ちゆりと田所が手を離した瞬間、濁った瞳をした桃子の肢体は、ゆっくりと、くの字に折れ曲
がったままフロアの床に倒れ込んだ。

 ゴッ・・・
 美貌から沈んでいった小さな身体が、鈍い音を立てる。
 全身を埋め尽くした激痛を癒すように・・・敗北のエスパー戦士が自分自身を抱きしめて冷た
い床に転がる。

 「ふははははは! 無様なメスブタめ、そこで平伏しているのがお似合いだ!」

 血と痣にまみれて悶える哀れな美天使を、土足のまま漆黒の悪鬼が踏み躙る。正と邪、残
酷な決着の構図。心優しき天使は、このまま卑劣な悪の刃に散ってしまうのだろうか――

 「さて、ここからがお楽しみですね。この美しい桃子くんをどう料理するか」

 「メフェレスぅ〜、まさかこのまま殺すなんてわけないよねェ〜? この甘ちゃんにはァ〜、た
〜っぷりと地獄を見せてやらなきゃあ」

 美しき獲物を前にして、狂人たちが現実となりつつある暗黒の妄想に咽び笑う。
 圧倒的戦況の優位、ボロボロに変わり果てた脆き正義の天使、周到に用意された罠…全て
の材料が悪魔たちに勝利を確信させていた。なによりも獲物であるエスパー少女の弱さが、久
慈らに絶対的な勝利を予感させている。憎き5人の守護天使のなかで、もっとも組し易いと思
われるファントムガール・サクラ=桜宮桃子。これほどの暴虐を浴びて、愛らしいアイドル少女
に反撃の可能性などあるはずがない。

 見誤っていた。その部分を。
 肉体的にもっとも劣る、戦士としてもっとも劣る桃子では、もはや闘えるわけがない。その誤
った判断を、あろうことか3人が3人ともしていた。
 いや、間違いではない。確かに桃子の肉体は崩壊寸前であった。鍛えられてはいない彼女
の身体は満足に動ける状態ではない。肉体的にはエスパー少女はとっくに敗北していた。立つ
ことすらおぼつかない美戦士に、命を懸けた闘いなど望めるはずもない。

 誤っていたのは、桃子の精神―――戦士としての心。
 挫けても、逃げ出してもおかしくはない苦痛の嵐を肉体に刻み込まれて尚、桃子の闘争心は
いまだ燃え盛り続けていた。

 ブンッッ

 桃子を踏んでいた足の裏から突如感触が消え、漆黒の悪鬼は狼狽する。

 「なッ?!」

 「テレポー・・・テーション・・・」

 荒い息とともに吐き出された可憐な声は、久慈の背後から。
 瞬間移動した桃子の肢体が、床に転がるリョウタ少年の傍らにあった。
 両腕で幼き子を抱きしめるエスパー少女。美天使の意図を悟った3匹の悪魔が慌てて5mは
ある距離を駆け寄ろうとする。

 "勝てないかも・・・しれない・・・・・・でも・・・子供たちを逃がすことは・・・・・・いまのあたしにも、
きっとできる!"

 子供たちの場所に移動して、ふたりを逃がす。それくらいの体力なら残されていることを、桃
子は悟っていた。その後、己がテレポートする力は残されていまいが。

 "あたしは・・・死んでも・・・いい・・・・・・でも・・・子供たちは、助けるよ!"

 「も、モモコせんせい・・・?」

 「大・・・丈夫だよ、リョウタくん・・・・・・先生が・・・守ってあげるから・・・・・・ね・・・・・・」

 不意を突かれた久慈たちの動きは断然追いついていない。慌てふためく滑稽な姿が、疲弊し
きった桃子の視界に映る。
 イケる。今ならイケる。3人の悪魔どもを出し抜いて、子供たちを逃がすことが。
 世界でもっとも安全な場所へ。五十嵐のお屋敷へ。

 "逃げて、リョウタくん・・・・・・そして・・・・・・先生の分まで・・・・・・幸せになってよね・・・・・・"

 イメージを膨らませ、超能力を発揮せんとする、まさにそのときであった。

 バチンンンンッッッ!!!

 空気が破裂するような音は、アイドルのような美少女の全身から放たれていた。
 電撃? ムチ? いや、なにも見えはしない、ただ激しい衝撃。
 突如として桃子の全身を襲った見えない衝撃が、発動しかけたテレポーテーションを中断さ
せる。

 「な、なに?! いまの一体・・・?・・・・・・うああああッッ?!!」

 再び、衝撃。目に見えないなにかが、桃子の身体に絡みつき、痺れるような刺激を与えてく
る。
 まるで透明な鎖に縛られているような・・・気がつけば桃子の両腕は胴にぴったりとくっつき、
立つのもやっとの身体は無理矢理引っ張り上げられているように立ち上がっている。自分の意
志ではない、何者かの強制が己の肉体に掛けられていることを桃子は自覚した。

 「こ、これはどういう・・・?・・・ぐうッ・・・ぐううううッッ〜〜〜ッッ!!!」

 ギリギリギリ・・・・・・
 錯覚などではない、明らかにきつくなる締め付け。
 桃子の白い腕やTシャツにくっきりと束縛の跡が刻まれていく。

 これはまさか・・・・・・超能力?!

 いや、桃子に匹敵するエスパーなど、そう簡単にいるはずがない。まして久慈があれほど躍
起になって桃子を仲間にしようとしたところから考えれば、メフェレスの配下に超能力者がいた
とは考えにくい。
 だがしかし・・・目に見えないこの攻撃、この感覚は確かに超能力!
 ならば、いるのか? 桃子を抹殺するために用意した、超能力者が。純正なエスパーである
桃子と真っ向から闘える、超能力者のミュータントが?!

 「ク、ククク・・・・・・いいところで役に立ってくれたようだな。オレたちの切り札が」

 緊縛の苦しみに呻く守護少女を、薄ら笑いを浮かべて久慈が見詰める。己の油断で99%手
中にしていた勝利を危うく逃すところだった男は、限りなく100に近い勝率を得て、高慢な笑い
を取り戻している。
 磐石な勝利がさらに磐石になった。
 今度こそ、桜宮桃子処刑の準備は完全に整った。あとはただ、哀れな子羊を葬るの
み・・・・・・ドス黒い快感の予兆に、久慈の顔は凄惨な笑みを刻む。

 「ええ〜〜いッッ!!」

 不可視の鎖が木っ端微塵に砕け散る。
 謎のチカラで作られた鎖を、桃子の超能力がそれ以上のチカラで粉砕したのだ。
 自由を取り戻した。謎のチカラよりも、己の能力が上であることも証明できた。本来ならば、
エスパー少女の逆襲の場面だ。
 だが、桃子は自由と引き換えに、限りなく残り少ない、体力を失ってしまった。
 ガクリと膝から崩れ落ち、四つん這いになる超能力少女に、漆黒の悪鬼が冷笑を浴びせか
ける。

 「わははははは! どうやら処刑の時間が来たようだな、桃子よ!」

 「はぁッ・・・はぁッ・・・はぁッ・・・はぁッ・・・・・・」

 「サクラに変身するがいい。惨めな死に様を、無能な人間どもに見せつけてやるんだな」

 哄笑のなか、久慈の痩身が漆黒の霧に溶け込んでいった―――



 「もう一度聞くわ。『エデン』を飼う気はないのね、工藤くん?」

 トップ・シークレットである宇宙生物の名前が片倉響子の口から洩れ、心臓を高鳴らせるアス
リート少女の前で、筋肉を膨張させた高校生は顔色ひとつ変えずに答えを返す。
 本気モードに入った最強の高校生・工藤吼介と天才的頭脳を誇る悪華・片倉響子。そして傍
観者・藤木七菜江。激突寸前の緊迫した空気が、華やかな谷宿の街に張り詰めている。

 「言ったろ。どんな崇高な思想より、オレには大事なものがある」

 無関心が当たり前の若者の街でも、美女と美少女と野獣、奇妙な三角関係は目を引く。とは
いえ夏休み、中高生らがファッションやゲームに興じるストリートの一角で、人類の未来を左右
しかねぬ対話がされているなど、誰が気付いただろう。

 「あんたの考えはよくわかった。残酷だし、無茶苦茶だが・・・あながち間違いでもないかもし
れない」

 「・・・わかってくれて、嬉しいわ」

 「今のあんたは悪党だが、もしかしたら百年後の未来には、英雄として教科書に載っている
かもしれないな」

 「そこまで理解してくれながら、なぜ私に力を貸してくれないのかしら? あなたもその英雄に
なれるチャンスなのよ」

 「だから、言ってるじゃねえか。オレにはもっと大事なものがあるって」

 いつ闘いが始まってもおかしくない場面で、吼介ははにかむような微笑を浮かべた。

 「オレには人類の未来より、純粋で、真っ直ぐで、バカみたいにころっと騙されて、能天気で、
どんな状況でも諦めることなく明るくて、他の誰かのために闘って、傷ついて、それでもまた立
ち上がってくるような・・・そんな女を守る方が、よっぽど大事なんだよ」

 傍らでキョトンとしながら見守っていた七菜江の顔が、しばらくしてから赤くなっていく。

 「せ、先輩・・・そ、それって・・・・・・」

 「センセイの壮大な計画には、正直すげえと思うところもあるさ。でもな、オレはそんなピンと
こない未来より、今身近にある幸せを守っていきたい」

 「・・・『エデン』と融合すれば、今以上にその幸せを守れるかもしれないのよ?」

 「かもな。だが、そうじゃないかもしれない。巨大な力を手に入れるより、自分が自分じゃなく
なることの方が遥かに怖いんでね」

 グググ・・・
 右足を引いた格闘獣が、ゆっくりと腰を沈めていく。
 不動で佇んでいた男が、ようやく見せる"構え"。わずかな動きだというのに、全筋力を解放し
た吼介は攻撃準備を完了させていた。

 「てことで、どうしてもあんたの願いは聞けないぜ、片倉センセ。それが許せないっていうんな
ら、ケジメをつけないとな」

 深紅のスーツを身に纏った女教師は、無表情のまま押し黙る。
 ふたりの間にかつてどんな遣り取りがされてきたのか、七菜江にはわからない。だが、吼介
の宣言が、響子との決別を意味することだけは理解できた。美貌と知性であらゆるものを手中
にしてきた天才学者の胸には、激しい怒りが渦巻いていることだろう。
 だが、片倉響子が見せた反応は、七菜江が予想したものとは若干趣が異なっていた。

 「許せない、なんて言わないわ」

 首をかすかに横に振る女教師の顔には、怒りよりも困惑が浮き出ていた。

 「だけど、工藤くんには私の思い通りになってもらわねばならない。私にはどうしてもあなたが
必要なのよ。イヤというなら、力づくでも従わせるしかないわね」

 くっきりとした切れ長の瞳が、青い光を放つのを吼介は見逃さなかった。
 ミュータントのなかには、変身後の能力を変身前にも有するものが存在する。例えば、神崎
ちゆりのように。
 この片倉響子も同タイプ。蜘蛛の化身・シヴァに巨大化変身する妖艶な美女は、人間の姿の
ままでも異能の力を発揮できる。最強を冠する男を前に、その超常の能力を解放しつつある
のは確実であった。
 『エデン』寄生者の身体能力を遥かに凌ぐ超肉体vs妖糸を操る蜘蛛女。
 想像不能な"異種"格闘技戦に、さらに事態を混乱させる要素が加わる。

 「な、七菜江ッ?!!」

 逆三角形の筋肉獣をかばうように、大の字で立ち塞がったのは、グラマラスな女子高生であ
った。

 「ジャマよ、おバカな子猫ちゃん。負け犬は引っ込んでいなさい」

 「どいてろ、七菜江。お前には関係ないって言っただろ」

 キッと女教師を睨む少女戦士の脚がガクガクと震える。目の前にいる敵は、ただの敵ではな
い。数ヶ月前、完膚なきまでに惨敗した相手。泣き叫び、命乞いまでさせられた怨敵。おびただ
しい汗が額に浮き出るのは、夏の暑さのせいでも、戦闘の緊張感によるものでもない。
 心臓が、恐怖で張り裂けそうなのに。
 蘇る金色の糸の激痛が、細胞をすくませるのに。
 それでも頑として、ショートカットの少女は、戦闘の場から離れようとはしなかった。

 「関係ないこと、ないよ」

 声が震える。だが、強い意志を秘めた、はっきりと響く声。

 「好きな男のためなら、命を賭けて守るって? カワイイわね、ナナ。けど、相変わらず頭が
悪すぎるわ。工藤くんの足手まといになってるって、なぜ気付かないの? 虫けらは虫けららし
く、黙って這いつくばってなさい!」

 「わかってる・・・わかってるよ、あたしより先輩の方が強いことくらい。でもッ・・・そんなこと、
問題じゃないッ!」

 吊り気味の少女の瞳が強い光を放つ。確固たる闘う視線。恐怖を内に秘めつつ、それでも
真っ直ぐな守護天使は宿敵に向かって吼えた。

 「あたしはッ・・・ナナだからッ!! ファントムガール・ナナだからッ!! ミュータントがひとを
襲うのを、見過ごすわけにはいかないもんッッ!!」

 「・・・七菜江・・・」

 己の正体をはっきりと口にした少女の背中を、男は静かに見詰めた。

 そうだな、いつもお前はそうだ。
 どんなに強い敵でも。絶望的な状況でも。
 正体がバレたとしても。それで大切な何かを失うかもしれなくても。
 いつもお前は真っ直ぐ前を向いて闘う。自分の信じた道を、真っ直ぐにみつめて。
 そんなバカがつくぐらい真っ正直なお前だから。
 オレはお前を―――

 自分より遥かに小さなはずの少女の背中が、吼介にはやけに大きく映る。
 お前に、守ってもらうのもいいかもしれないな。だがやはり。
 盾代わりに間に立ったはずの七菜江の存在が、逆に格闘の化身を燃え上がらせる。互いが
互いを支え、かばいあう男と女。対する深紅の美女の心には、計算外の少女の出現によって
必要以上に感情が昂ぶっていく。
 激突寸前。いつ火花が交錯してもおかしくない、極限の飽和状態。
 その、間隙を縫って―――
 混乱した状況の隙を突くように、甲高い音を発したのは、七菜江の腰にぶら下がった携帯電
話であった。

 『もしもし・・・もしもしナナちゃん、聞こえてるッ?!』

 洗練された空気に染み渡るような琴のごとき響き。声音にすら気品が漂う電話先の相手は、
場にいる3人が3人とも緊張するに十分な相手だった。
 ファントムガールを束ねる少女、五十嵐里美。
 冷静さを失わない彼女には珍しい切迫した声が、無言を貫く3人の間に流れていく。

 『サクラがメフェレスと闘っているわ! すぐに応援に行って。ここからでは遠すぎる、私とユリ
ちゃんが向かっても間に合わないの!』



 昼下がりの夏の陽光を跳ね返して、巨大な魔人が青銅色に輝いている。
 鋭さと、不気味さを併せ持つおぞましい姿であった。
 西洋の騎士が着るような鎧がそのまま身体になったような姿。だが各関節を補強するように
繋がった無数の管が、油圧で動く機械を連想させる。頭頂をはじめ、肩や膝・肘につけられた
鋭利な角。その全てが青銅色なのに、マスクをしたような顔だけが黄金色に輝いている。
 黄金のマスクに浮かぶのは、三日月をイメージさせる笑顔。
 目も口も、三日月のようなカーブを描いて歪んでいる。醜い、おぞましい笑顔。人間の腐った
部分を、抽出して抜き取ったような。

 人類が忘れようにも忘れられない戦慄の魔人・メフェレス。
 世界制覇を声高に叫ぶ、悪魔の申し子が、今再びこの地に戻ってきたのだ。

 そして、青銅の悪魔の前に立つ、もうひとつの巨大な影。
 厳かで、華やかで、この世のものとは思えぬ輝きを放つ銀色の皮膚。眩いばかりの体表に
鮮やかな桃色の模様が描かれている。肩甲骨にまでかかるストレートのロングヘアーも、心安
らぐような桜の色。瞳、そして胸の中央と下腹部に光る青い水晶体とあいまって、春のような優
しさと爽やかさを薫らせた巨大な少女。
 丸みを帯びた肢体が幼さを残す反面、完成された美貌が惹き込むような色香を放つ守護天
使、ファントムガール・サクラが単身、恐るべき魔人に対峙している。
 雑誌グラビアを飾るアイドルと比べてもまるで遜色ない容姿は、巨大化変身した今でも、色濃
くサクラに面影を残していた。真実を見透かすような深い瞳と、ボリュームと柔らかさを誇る厚
めの唇。すっと通った高い鼻とともに、美神の手で並べられたバランスいいルックスは、まさに
神懸かった美の域に達している。

 突如として始まった、残酷な青銅の悪魔と、銀とピンクの美しき天使の闘い。
 だが始まって数分もしないうちに、形勢は一方的に傾き始めた。

 「うあああああッッッ?!!!」

 垂直に振り下ろされたメフェレスの青銅の剣が、サクラの目前で空を切る。
 確かに剣は桃色の戦士に触れてはいない。ただその風圧の衝撃が、縦にサクラを叩くの
み。
 それだけだというのに、次の瞬間、エスパー戦士の両の太腿は縦に切り裂かれ、真っ赤な鮮
血が迸る。
 遠巻きに見守る人々からすれば、それは不思議な光景であった。だが、真実を知る者からす
れば、なんということはない、当たり前の事態。
 なにしろ、この闘いが始まる前から、ファントムガール・サクラ=桜宮桃子は、すでにボロボロ
になっているのだから。

 登場した折の光に満ち溢れた姿は、かりそめの姿に過ぎない。わずかな衝撃を受ければ、
それだけで本来の疲弊し切った肉体が現出してしまう。眩しいばかりの銀の皮膚は痣がつい
たように黒く汚れ、ほのかに盛り上がった乳房や腹部には槍で突かれたような黒い窪みができ
ている。両脚の太腿には縦一文字に切創が走り、裂かれた皮膚からボトボトと深紅の血潮が
溢れていた。
 これは闘いなどではない、事実上の公開処刑。
 とっくに限界を迎えているエスパー少女を、人類の環視のなかで蹂躙する。そのために桃子
はサクラに変身させられたのだ。
 闘いの場となった東区は、特に目立った建物もない、なだらかな平野部。50m近い巨大生
物同士の闘いは、遠目からでもよく見ることができる。無数のギャラリーがいるなかで、魔人メ
フェレスは守護天使が無惨に散る様を見せつけるつもりなのだ。

 「ククク・・・処刑されると知りつつ、よく変身したものだな、サクラよ。正義を名乗る者の、哀し
き宿命というところか。だがその愚かさのせいで、貴様は満天下に惨めな死に様を晒すことに
なるのだ」

 傷だらけの肉体と足に力を込めて、銀とピンクの守護天使が震えながら構えを取る。

 「壮絶に、散れ。そして貴様は、このメフェレス完全復活の贄となるがいい」

 青銅の右腕が、満足に動けそうにない桃色の美戦士に突き出される。
 正義の戦士ファントムガールが光を操るのならば、対となる闇の悪鬼が操るのは、暗黒の光
線。
 号砲が轟くとともに、漆黒の光弾が闇の霞を撒き散らしながら発射される。
 世界に終末を引き寄せるような、恐怖と戦慄が濃縮した暗黒の光弾。

 「フォ、フォース・シールド!」

 咄嗟に両手を広げて突き出したサクラの前に、七色に輝く光の壁が現れる。
 敵の攻撃から身を守る聖なるバリアは、五十嵐里美から教えられた技のひとつであった。あ
らゆる攻撃を跳ね返す、光の盾。エスパーの桃子にとっては、イメージで物質を創造するのは
最も得意とするところだ。超能力戦士・サクラのフォース・シールドは、他の4人のものと比べて
も、その強度は段違いに高い。
 しかし―――

 「あッ!」

 闇王の暗黒弾と桃色天使の光壁が激突した瞬間、果実のごとき唇から小さな叫びが洩れ
る。
 最強の防御力を誇るはずのサクラのフォース・シールドは粉々に砕け散り、光膜を打ち破っ
た黒弾が小柄な女神に直撃する。
 全ての肉を粉砕するような、重々しい響きがこだました。

 「きゃあああアアアぁぁぁぁッッ〜〜〜ッッッ!!!」

 甘みを帯びたサクラの声が、痛切に響き渡る。
 負に満ちた漆黒で胸と腹とを焼け焦がされた肢体が、軽々と後方に吹き飛ばされていく。爆
発のショックで青い瞳を点滅させた銀とピンクの戦士は、守るべき人類が造った家屋の群れに
突っ込んでいった。
 人々が避難した無人の住宅地、瓦礫のなかに埋まった巨大な美少女は、仰向けのままピク
リとも動かない。ただ黒焦げになった胸と腹から生臭い煙が立ち昇り、青く光るエナジー・クリ
スタルから、ヴィーン・・・ヴィーン・・・という切ない点滅音が流れてくる。

 超能力戦士の光の盾が、他の戦士より強度が高いのは確かであった。だが、それは万全の
時に限っての話だ。いくら桃子の念動力が創った盾が強いといっても、リンチにより体力を消
耗した今のサクラでは、満足な光の技を発動すること自体が難しい。屈辱の炎に燃え、聖戦士
たちの破壊を渇望するメフェレスの闇に対するには、あまりに酷な状況なのだ。

 「貴様ごとき弱者がこのオレに歯向かうこと自体が間違いだと悟ったか。だが、弱者を嬲るの
は・・・愉快だな」

 横たわる桃色の戦士に向かって、再び暗黒の光弾が号砲をあげる。
 半失神においやられたサクラに、追撃を避けられるはずはなかった。
 轟音。爆発と、噴煙。

 「うあああああァァァッッ―――ッッッ!!!」

 木の葉のように、銀とピンクの小さな身体が夏の空を舞う。
 全身の傷口から新たな鮮血を迸らせ、輝く銀の肌を黒く焦げ付かせて。
 大地が火花をあげ、粉砕された家屋の破片が八方に飛び散る。噴き上がる黒煙に高々と舞
い上がったサクラの肢体は、深紅と汚泥で塗りつぶされていた。

 「ああァァッ・・・・・・ああァァ〜〜・・・ぁぁぁッッ〜〜ッ・・・・・・」

 キュルキュルと錐揉みしながら落下する美しき天使の口から、悲痛な呻きが振り撒かれる。
 地獄に堕ちていく者の、哀れな訴えのように。
 ろくに受身も取れないまま、血と焦げ跡と泥とにまみれた巨大なアイドル美少女は、頭からグ
シャリと住宅地に墜落していく。
 手足がどこから生えているのかわからないほどに折り潰れた銀の天使と、無惨な美戦士を
見下して哄笑する青銅の悪魔。
 誰がどう見ても・・・この闘いの行く末は明らかだった。

 「こ、殺される・・・あの桃色のファントムガールは殺されるぞ」

 「ダメだ、弱すぎるぜ・・・」

 「桃色のファントムガールじゃ、メフェレスには勝てない。早く他のファントムガールが来ない
と」

 遠巻きに巨大な闘いを見詰める人々の口から、絶望的な呟きが漏れ出す。
 見守るしかない彼らの評価は、生活が懸かっているがゆえに切実であった。情報操作がなさ
れ、一般人にはわずかな事実しか知らされていない守護天使たちの正体が、年端もいかぬ女
子高生であるなどと知らぬ彼らは、ある意味ドライな視線で正邪の決戦を見ている。守護少女
を応援しつつも、戦況の優劣には的確な判断を下していた。
 巨大化変身する前に、卑劣な罠に堕ちたアイドル少女が蹂躙されているとは知らずとも・・・
青銅の悪魔とピンクの天使、両者の間に大きな差が存在するのはハッキリ見えている。
 ファントムガール・サクラはメフェレスには勝てない。
 サクラを待ち受ける運命は・・・敗北、そして死。
 闘いを見守る誰もが、超能力戦士の惨敗を確信していた。
 ただひとりの例外を除いて。

 "チャ、チャンスは・・・必ず・・・ある・・・ゼッタイ・・・諦めるもんかァ・・・"

 サクラ=桜宮桃子、そのひと。
 優しさゆえにもっとも戦士らしくない少女。度重なる残酷な仕打ちに、とっくに心折れ、跪いた
としてもおかしくない普通の女子高生。
 しかし、この絶望的な状況のなかで、圧倒的な戦力の差のなかで、桃子だけはまだ勝利を諦
めてはいなかった。許せない敵。許してはいけない相手を前に、戦士としてはあまりに未熟で
甘すぎるはずの少女は、不屈の闘志をたぎらせて逆転のチャンスを窺っていた。

 "あたしはもう・・・ボロボロ・・・フツウに考えたら・・・勝てっこ、ない・・・・・・でもォ・・・あいつら
は・・・人質を、使えない・・・・・・チャンスは・・・ゼロじゃ、ない・・・・・・"

 桃子が罠に嵌り、蹂躙を甘んじて受けねばならなかった理由。それは3人の強敵に囲まれた
ためではない。
 養育施設の子供たちを、桃子を慕う愛らしい子供たち2人を、人質に取られたために反撃を
封じられたのだ。仁義にもとる卑劣な策略こそが、桃子を窮地に貶めた。
 もちろん現在でも2人の子供たちは悪鬼の仲間の手の内にある。生死の選択を悪魔どもに
握られているのは確かだ。とはいえ、巨大化変身し、やや距離を置いた場所で闘っている現
在、人質としての機能を果たしているかといえば疑問符が付く。久慈たちの狙いが桃子にある
のは言うまでもなく、いくら殺人に躊躇をしない神崎ちゆりであっても無意味に幼児を殺害する
とは考えにくい。「闇豹」は残酷ではあるが快楽主義の殺人者ではないからだ。桃子を脅すこと
ができない現状では、人質はその効力を完全に失っていると言っていい。

 ならば・・・闘う自由がある以上、サクラにも逆転の可能性は残されている。
 無論、たとえここでメフェレスに勝ったとしても、変身を解いた桃子には人質を取られた現実
が再び突きつけられる。そうなれば恐らく、二度と逆襲に転じるチャンスなどなく、変態教師と
女豹の手により、美しきエスパーは地獄の底へと葬られることだろう。

 "それでも・・・・・・いいよ・・・この男・・・メフェレスさえ・・・倒せれば・・・"

 心優しき少女が闘う理由を、敢えてひとつに限定するならば。
 それは目の前で笑う、青銅の悪魔に言及できるはずだった。

 頭から大地に落下し、身体を折り潰した桃色の天使を、嘲笑する悪魔が足蹴にする。
 ぐったりと脱力したサクラの丸みを帯びた肢体は、大の字で仰向けに寝かされた。

 「楽にはさせんぞ。たっぷりと喚き散らすがいい」

 右手から放たれた暗黒光線が、細い一筋の線となって点滅する胸の水晶体を射る。

 「きゃあアアッッッ・・・!!! うああッッ〜〜ッッ!!! ふぇあアアッッ――ッッ!!」

 「ハハハハ、苦しかろう? 最大の弱点を対極の光線で射たれるのは。破壊などせんぞ、ジ
ワジワと焼かれる苦痛に悶え踊るんだな」

 聖なる光のエネルギーを貯蔵する胸の水晶体エナジー・クリスタルは、ファントムガールを動
かす原子炉ともいえる場所。硬い水晶で守られているとはいえ、そこを攻撃されるのは、全細
胞を、全神経を、いや魂自体すらも削られるのと同じ、激しい苦痛を生み出す。

 "ああああッッ―――ッッ!!! か、身体がァァッ〜〜〜ッッ!! あ、熱いィィッッ、と、溶
けちゃうぅぅッ〜〜ッ!! 腐っていくぅぅぅッッ〜〜ッッ!!"

 溶岩を臓腑に流し込まれ、ヘドロを血管に打ち込まれるがごとき苦痛。泥だらけの無数の腕
で、内臓を掻き回される悪夢が桃子を襲う。四肢を、五臓六腑を、食い千切られ、焼き尽くされ
る煉獄。いっそ死ねたらいいのに、地獄の苦痛のみが永遠と続き、意識は解放されることはな
い。

 「あくううッッ!! うぇああああ゛あ゛あ゛ッッ〜〜〜ッッ・・・きゃうううッッ―――ッッッ!!!」

 「悶えよッ! 這いつくばれッ! 聖少女とやらの無様な姿を愚民どもに見せるのだ!」

 瓦礫の海で四肢を暴れさせ、背中を仰け反らせて巨大美少女が悶絶のダンスを踊る。腰を
捻り、指を突っ張らせ、泥にまみれて這い回る美貌の女神。悪に弱点を射抜かれたまま、苦し
みのたうつ天使の姿は、絶句する人類の目にはあまりに衝撃的なシーンであった。

 「ククク、どうした? 貴様を裏切った憎いオレを倒すんじゃなかったのか? 身体を張って守
ってくれた機械女の仇を取るんじゃなかったのか?」

 足元で転がり回る桃色の天使を見下ろし、挑発的に悪鬼が叫ぶ。
 錯乱しそうな苦痛に飲まれているはずのサクラの細い腕が、ブルブルと震えながら三日月に
笑う黄金のマスクに向かって伸びていく。
 その瞬間、勢いを増した漆黒の光線がクリスタルを穿ち、全身をビクンと波打たせたサクラ
の腕は、バタリと力なく茶色の大地に垂れ落ちた。

 「さて、どうトドメを刺してくれるか・・・新しい技の実験台にでもしてやるか」

 銀色の肌はすっかり黒ずみ、鮮血と汚泥とに塗られて、仰向けのまま死んだように転がる守
護少女。
 弱々しく胸の水晶を点滅させ、瞳の青色すら薄くなった正義のアイドル少女に、青銅の悪魔
が歪んだ笑みを見せる。

 「サトミのマネだ。オレの憎悪、怒り、破壊欲・・・全てを凝縮した濃密な一撃で、その柔らかな
肉を爆滅してくれよう」

 くすんだ銀色の表皮から、黒煙を立ち昇らせるサクラ。トドメの瞬間を待つように、弛緩して動
かぬ桃色の天使を見下ろしながら、魔人メフェレスが天高く右手を突き上げる。

 オオオオオオオ・・・・・・

 それは冥界をさ迷う亡者の雄叫びか。現世を漂流する怨念の悲鳴か。
 耳を塞ぎたくなるおぞましい叫び。いや、その音はメフェレスの右手に掻き集められた、暗黒
の波動が共鳴する音だった。ファントムガール・サトミの必殺技「ディサピアード・シャワー」が全
身から集めた光を凝縮するのと同様、青銅の悪鬼もまた己に巣食う闇のエネルギーを集結さ
せているのだ。負のエネルギーが高い者ほど、強力となる闇の技。単なる光線ですら、これま
でに幾度も守護天使たちを苦しめてきたメフェレスが、その闇の力を一点に集中させる・・・恐
るべき技の破壊力と、いかなる悲劇が聖なる戦士を待つかは容易に想像できた。
 決して耐久力の高くはない、しかも度重なる暴虐でボロボロのサクラには、耐えようのない一
撃。全てが終わる一発。
 死刑執行のカウントダウンを楽しむように、いまやブラックホールのようになった右手の闇
が、その濃度と質量をぐんぐんと増大させていく。

 完全な、隙であった。

 消えかけていたサクラの瞳が、カッと青く輝く。動けぬはずの身体が、ガバリと上半身を起こ
す。
 待っていた。必ず訪れるであろう隙を。信じていた。いつか絶好の機会がくると。

 「ブラスターッ!!」

 爆発に包み込まれる、青銅の鎧。突如巻き起こった火花が、メフェレスの全身で弾ける。
 超能力により、爆発それ自体を敵に引き起こすサクラの技、ブラスター。威力こそ低いもの
の、確実に命中し最速で決まるサイコの攻撃に、不意を突かれた魔人の右手から漆黒のブラ
ックホールが靄となって消えていく。

 「ぬううッッ?!! きッ、貴様ァァッッ、まだッッ・・・」

 爆発のショックと巻き上がる噴煙が青銅の魔剣士から視界を奪っていた。通常ならば、柳生
の血をひく暗殺剣の使い手は、視界不良のさなかでも獲物の気配を感じ取れたに違いない。
だが、いまのメフェレスを真に取り乱させているのは、半死人のはずの美戦士の反撃。不測の
事態に青銅の肉体は隙だらけになっていた。

 "や・・・やらな・・・きゃ・・・・・・ここで一気に・・・決めなきゃ・・・・・・"

 「メテオッッ!!」

 サクラの超能力が思い描いたのは、超高密度のボーリングの玉。大きさにしてふた回り、重
さにして数十倍は重いボーリングの玉を、バズーカから発射させた勢いで、青銅の鎧に激突さ
せる。先日、ウミガメの怪物を地中深く沈めた超重量の球体を、今度は弾丸として最大の敵に
炸裂させたのだ。

 ドゴオオオオオオッッッ!!!

 重く、低い衝撃音。
 サイコの硬球と青銅の鎧が激突する響き。魔人の不気味な肉体が、吐血を撒き散らして吹っ
飛んでいく。
 手応えは――あった。間違いなく、効いている、はず。
 だがしかし。わかる、戦闘経験の乏しいサクラにも、わかる。柳生の後継者として幼少より鍛
えられた久慈仁紀は、これしきでは倒れない。しなやかにして強靭な肉体は、この程度では致
命傷たりえない。

 決めねば。もう一撃、ありったけの力を込めて、決めねば。
 千載一遇のチャンス。単純な戦闘力では遥かに上の敵。卑劣な手段を駆使し、さんざん苦し
められた悪魔の男。闘うことが決して得意とはいえない普通の女子高生・桜宮桃子にとって、
勝てる機会など限られているとしか思えない、憎き宿敵。桃子の心を裏切り、弄び、道具として
利用しようとした許せぬ男を、倒せるのは今しかない―――

 残りわずかな体力。知ってるよ、あたしにできる攻撃は・・・せいぜいあと、一回。だったら、最
大の技を使うしか、ない。

 "デス"―――

 ゆっくりと立ち上がったピンクの戦士が、己の右手を見詰める。遥か先、潰れた家屋を下敷
きにして蠢くのは、超重量弾を食らってダメージに沈む悪魔。今なら、食らわせることができ
る。サクラ渾身の必殺技を、人類最大の敵に撃ち込むことができる。

 "・・・・・・・・・くうッ・・・!・・・――――――"

 銀色に輝く女神の美貌が、ギリと歯を噛む音をたてる。
 次の瞬間、両手を突き出したエスパー戦士は、己に残ったありったけのサイコエネルギー
を、重ねたふたつの掌に集中させ始めた。

 「・・・ヒトキッ・・・あたしの全エネルギーを・・・チカラの全てをあなたにぶつけるッ! そしてあ
なたを倒してみせるッ!!」

 キュイイイイイイ・・・ンンンン

 サクラの持つ念動力をそのまま聖なる光線に昇華させた必殺技レインボー。傷だらけの少女
は、全力を放出する一撃に、己の全てを賭ける。掌が虹色に輝きだす。
 ようやく立ち上がりかけるメフェレス。この距離ならば、避けられまい。勝負。あたしの体力が
もつか、あなたの身体が耐え切るか。罪もない人々を虐げるあなたを・・・夕子を血の海に沈め
たあなたを・・・あたしの心を踏み躙ったあなたを・・・許すわけにはいかない。あたしはあなたを
許さないッ!
 
 「ヒトキッ! あなただけはッ・・・許しちゃいけないッ! あたしのこの手でッ! あたしの怒り
でッ! ゼッタイ倒してみせるッ!!」

 ドクンッッッ!!!

 戦慄が、サクラの脳髄を駆け上がる。

 いる。視界の隅に映る影。有り得ないはずの影。
 ふたりしかいない死闘の舞台に、第三者が存在している。

 可憐と美麗を併せ持った銀の美貌が、唐突に現れた3体目の巨大生物に向けられる。左斜
め下。なんの前触れもなく現れた新たな巨人は、大地に直接胡坐をかいている。
 超能力少女の心臓を、凍える手が鷲掴みにする。
 なんという、恐ろしい姿。
 いや、冷静に判断すれば、その姿は確かに不気味ではあったが、サクラがそこまで恐怖する
ほどのものではなかった。ミイラのような姿。深く、大きな眼窩が真っ黒な穴を開けた顔は、シ
ャレコウベそのもの。濃緑のケープを身に纏い、顔以外はすっぽりと隠して微動だにせず地に
坐す姿は、図鑑かなにかで見たことのある、即身成仏とかいう僧侶のミイラ、そのものであっ
た。
 16歳の乙女には確かにゾッとする外見ではあるが、幾多の怪物を見てきたサクラを怯えさ
せるのは、ただ見た目のせいだけではなさそうだった。得体の知れない怯えに襲われるほど
のなにか・・・その何かを明らかにしないまま、新たな巨大生物は不気味なオーラを放ってい
る。

 「あッッ?!!」

 気が付いたときには、時はすでに遅かった。
 サクラの周囲を螺旋で囲むように、いくつもの緑に光る輪が、上から下までびっしりと浮かん
でいる。

 バシュバシュバシュバシュッ!!!

 一瞬、だった。
 必殺光線を放つ間もなく、サクラの全身、頭頂から足首にまで、緑の光輪が一気に縮まり銀
の皮膚に食い込む。ギリギリと美少女の柔肉を締め付ける音。生ハムのように、ちまきのよう
に、全身を一文字に束縛された桃色の天使。輪の間から少女の肉をはみ出させた美戦士が、
輪切りにされそうな全身の鋭痛に、引き攣った悲鳴をあげる。

 「くうううううッッ〜〜〜ッッッ?!! ううああッッ・・・こ、これはァァッ??」

 「ク、ククク・・・またしても、切り札が役にたったようだ・・・」

 吊りあがった黄金の唇から流れる血を拭き取りながら、青銅の悪魔がゆっくりと緑の光輪に
緊縛された桃色天使に近づいていく。余裕があった。まるでこうなることを予期していたように。
いくらサクラが不屈の闘志で立ち上がろうと、絶対に勝つことはできないと知っていたかのよう
に。
 裁断されそうな苦痛のなかで、サクラ=桃子は「たけのこ園」のレクレーション室で味わった
不可思議な力を思い出していた。あの、超能力と思しき見えない力。肉体を強制的に締め付け
る謎の感覚は、まさしくこの光の輪と同じ。あのとき桃子の動きを阻止したのは、このミイラの
ごとき敵だったのだ。

 「フフフ、動けまいサクラ? 超能力者の貴様を葬るため、このオレが用意した同じような能
力を持つ切り札・・・その名も『ジュバク』」

 即身仏を思わせる新たなミュータントは、無言のままサクラを捕らえた光輪の締め付けを強
める。圧搾の苦痛に悲鳴を洩らすアイドル戦士。名前通りの技を操るこの敵は、超能力少女
を抹殺するために生まれた敵なのか。

 "くぅッ、苦しいィィィッ〜〜〜ッッッ!!・・・・・・チ、チカラが・・・使えな・・・いィィ・・・・・・"

 頭から足首まで、全身くまなく食い込んだ締め付けの苦痛が、念動力の発動を邪魔している
だけではない。光輪に宿った、悪意の念。サクラの超能力を封じ込めようとする、不気味なミイ
ラの邪念が、桃色の天使を哀れな虜囚に変えているのだ。

 「ハッハッハッハッ! 無駄だァ、サクラ! 疲れ切った貴様では、ジュバクには勝てん! や
れ、ジュバク。サクラを、桜宮桃子を、思う存分に可愛がってやれ」

 いくつも食い込んだ緑の光輪が、締め付けをさらにきつめながら、ギュルギュルと高速で回
転する。

 「くあああッッ・・・ああッッ・・・きゃあああああッッッ―――ッッッ!!!」

 接点が少ない分、光輪の圧力は高い。しかも全身を無数に、締め付けられた肉が逃げ場が
ないほど緊縛されたうえでの圧搾は、まさしく細胞を丸ごと潰される激痛をサクラに与えた。
 それだけではない、高速回転する輪はカッターのようなもの。摩擦により銀とピンクの皮膚が
擦り切れ、滲み出した血が輪の回転によって飛び散る。肉を潰される圧痛と、皮膚を切り裂か
れる鋭痛を同時に、全身に叩き込まれる拷問は、イマドキの美少女を容赦なく責め立てた。

 「アアアアッッ・アアッッ・アアアッッ〜〜〜ッッ!!! 痛いィィィッッ―――ッッッ!! 苦しい
よォォォッッ〜〜〜ッッ!! あたしッ、バラバラになっちゃうぅぅぅッッ〜〜〜ッッッ!!!」

 「バカめ、これからがジュバクの本領発揮だ。やれッ!」

 緑の光輪が、回転しながら一斉に発光する。
 数瞬の間を置いて、竜巻が天に向かって昇るように、回転する光輪の内部、つまりはサクラ
の身体から、光の帯が弩流となって天に一直線に放出される。

 「きゃああああああああッッッ―――――――ッッッ!!!! ち、力がァァァッッ〜〜〜ッッ
ッ!!! 抜けていくぅぅッッ〜〜〜ッッ!!! 吸い取られてくぅぅッッ―――ッッッ!!!」

 「ハハハハハ! これぞ、ジュバクの真の技。生命を奪われていく気分はどうだ?」

 緊縛の光輪はただ締め付けるだけではない。その獲物の生命力を、抜き去り放出してしまう
のだ。
 聖なる戦士であるファントムガール・サクラの、生命の象徴である光が大量に抜き出され放
出されていく。これまでの闘いで激しく消耗してきた美戦士にとっては死に直結しかねない激し
い苦痛。命そのものを奪われる悪魔の責めに、とうに勝機を失ったアイドル少女は、苦悶と絶
望の叫びを轟かせ続ける。

 ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・

 サクラの命が風前の灯であることを知らせるように、胸の水晶がかすかな点滅を繰り返す。

 「ほう。どうやら、面白い趣向を思いついたようだな。やってやれ」

 無言のジュバクの言葉が、青銅の魔人だけには聞こえるのだろうか。
 光輪の回転が急に止まる。と同時に、桃色の天使から渦を巻いて天に伸びていた、光の放
出も止む。あとに残るのは、破れ裂けた皮膚から血を流し、美貌を死者のように凍らせた瀕死
の少女戦士。
 しかし、逆転の可能性も、闘う力も皆無となったサクラへの暴虐は、これで終わりではなかっ
た。

 「ふぇぐ・・・ふぇあああッッ・・・・・・ひぐッ・・・ぐううッ〜〜・・・」

 魔の光輪がアメーバのように分裂と再生を繰り返し、サクラの肢体に絡みながら変形する!
 一文字に緊縛されていた愛らしい少女は、徐々に大の字に広げられていった。そのか細い
腕にも、締まったウエストにも、プルンとした太腿にも・・・小型化した緑の光輪がビッシリと食い
込み、呪縛をさらに緊密にしていく。
 首から下、余すところなく光輪に締め付けられた桃色の虜囚は、ぐったりと弛緩した肢体を大
の字に広げて、磔状態のまま宙に浮かんでいる。

 「人類め、とくと見るがいい・・・ファントムガール・サクラの、無惨な最期を」

 胡坐をかくミイラが念を込めた瞬間、サクラの手足の部分に食い込んだ光輪だけが、発光し
ながら回転を始める。

 ギリ・・・ギリギリ・・・メチッ・・・・・・

 両手両脚を凄まじい勢いで引っ張られる激痛に、たまらず端整な美貌がビクンと跳ね上が
る。

 「くあああッッ・・・ぐうッ・・・ま、まさ・・・かァァァ・・・・・・」

 半分意識を失っているサクラの脳裏に、凄まじい恐怖が殺到する。千切れそうな四肢の痛
み。まず間違いない、悪魔の思惑。己に近付く悲劇を前に、イマドキ美少女の心がボロボロと
崩れ落ちていく。

 「そ・・・んな・・・や・・・めてェ・・・・・・うああッッ?!!」

 ビチイッ!・・・メチメチメチ・・・ゴキキッ・・・

 肩の腱が悲鳴をあげ、股関節が不気味に鳴る。
 抵抗するのが虚しいほどの、凄まじい力であった。魔の緊縛が、少女戦士の手足をもがんと
強烈に引っ張る。体力、筋力、光の力、サイコのエネルギー、そして精神力・・・全てを奪われ
たファントムガール・サクラにできることは、ただ悲痛な声で泣き叫ぶのみ。

 「ああッ・アアアッッ〜〜〜ッッ・・・う、腕がァァッ〜〜〜ッ! あ、足・・・がアァァッッ〜〜〜
ッ!! ちぎッ・・・れェッッ・・・へぐううッッ!!・・・ひゃッ・・・ひゃめッッ・・・ひゃめてェェェッッ〜
〜〜ッッッ!!!!」

 「ハッハッハッハッハッ! 愚かな蛆虫め、喚けッサクラッ!!」

 ゴキンッ!! ボギッ!! ブチチッ!! ボゴンッ!!

 「いやああああああああアアアッッッ――――ッッッ!!!!」

 サクラの両肩と両脚が、脱臼した。
 手足をバラバラに切り離される、壮大な悶痛。肩関節ひとつ外れるだけでも失神しそうな激
痛が襲うというのに、アイドル少女に執行された破壊劇は一度に4箇所、それも余程のことが
ないと外れない股関節を含めて、無理矢理に引き抜いたのだ。桃色天使の脳髄を直撃する極
大の苦痛は、少女が正気で耐えるには凄惨すぎる。
 それでもまだ、四肢を引っ張る力は止まない。骨格を引っこ抜いただけでは飽き足らず、肉
や皮膚ごと千切りとってしまおうとでもいうのか。

 「やめてええええェェェッッッ――――ッッッ!!!! 痛いィィィッッ―――ッッ!!! ダメェ
ェ〜〜〜ッッ、もうダメッッ!! あたし、もうダメェェェッッ〜〜〜ッッッ!!!!」

 「正義の戦士ともあろうものが、なんとも醜いな、サクラよ! やれジュバク、地獄を見せてや
るのだ」

 緑の光輪が、さらに新たに現れ、サクラの身体に食い込む。
 だが今度の輪は、ぷるぷると柔らかいサクラの肉に食い込んだのではなかった。輪が締め
付けたのは、胸でわずかに点滅している青い水晶体。光の貯蔵庫であるエナジー・クリスタル
を魔の光輪は締め付けたのだ。

 「ひああッッ?!! ひあああッッ・・・ああああァァァッッ〜〜ッ・・・・・・」

 「どんな地獄が待つか・・・わかったようだな」

 悲愴な表情を浮かべたまま、ブルブルとかぶりを振る可憐な美貌。
 絶望的な美戦士の嘆きをBGMにして、ジュバクの光輪が発光しながら回転する。
 光の生命エネルギーを、搾り出し、放出しながら。

 「きゃあああああああうううううううッッッ―――――ッッッ!!!!」

 夏の空にこだまする、永遠とも思える魂切る絶叫が、ファントムガール・サクラの壮絶な惨敗
を地上で見守る人類に知らしめた。



 ヴィ・・・・・・・・・ン・・・・・・・・・

 緑の光輪に全身を締め付けられたまま、大の字で宙に晒された敗北少女の桃色の肢体が、
消え入りそうな水晶の点滅音を発する。
 なだらかに盛り上がったバストに食い込んだふたつの輪。その間に挟まった青色のエナジ
ー・クリスタルは、まだ光を失ってはいなかった。残り火のような頼りない輝き。それはサクラに
敢えて残されている、最後の生命の炎であった。

 「貴様ごとき弱き蛆虫がこのオレを倒すなどと・・・身の程を知ったか、サクラよ?」

 鮮やかなピンクのストレートを青銅の手が鷲掴み、可憐な美貌をグラグラと揺り動かす。苦痛
に歪んだまま硬直した銀色のマスクは、なんの抵抗も示すことなく前後左右に揺れ、半開きに
なった果実のような唇から、吐血の破片がビチャビチャと大地に降っていく。
 ギリギリの生を与えられ、死すら許されないまま責め続けられるファントムガール・サクラは、
もはや被虐の人形に過ぎなかった。

 「トドメだ。震えて声も出ない人間どもに、ありったけ酷い姿を見せてやるがいい」

 反撃の力も満足な生命力もない、とうにトドメなど刺されたも同然のアイドル戦士に、三日月
に笑う魔人が処刑宣告を下す。
 掲げた右手。陽炎のように噴き出した漆黒がみるみる集結し、濃密な闇を形成していく。
 一度は失敗したメフェレスの新たなる必殺技。一点に掻き集めた闇の力を、高出力で放つ暗
黒の破壊弾。身動き不能、されるがままに暴虐を受けるしかない可憐な美少女戦士に、負の
エネルギーを凝縮した強大な暗黒弾を撃ち込もうというのか。その気になれば敗北の虜囚の
命など簡単に奪えるはずなのに、尊大な闇の王は無抵抗の少女戦士を、必要以上に破壊に
かかる。

 オオオオオオオオオオオオ・・・・・・

 亡者の慟哭。怨念の魔弾。
憎悪、憤怒、嫉妬、肉欲、征服欲、嘆き、狂気・・・ありとあらゆる負のエネルギーに溢れた漆
黒の闇が、青銅の右手の上で揺れ踊る。

 「ハッハッハッハッハッ!! 弾け飛べッッ、ファントムガール・サクラッッ!!」

 高密度の暗黒エネルギーが球体となり、至近距離から放たれた闇の砲弾が、唸りをあげて
サクラの腹部に殺到する。
 暴虐の嵐に沈み、呪縛に囚われた桃色の美少女戦士に、脅威を避ける手段など、あるはず
はなかった。

 ズズドボボボオオオオオオオッッッ!!!

 「ごぶうううううううううッッッ―――ッッッ!!!! ぐうううッッッ・・・ウア・・・アアアアアッッ〜
〜〜ッッ!!・・・・・・」

 大量の吐血が、サクラの唇を割って出る。
 暗黒弾を受けたお腹にはクレーターのような真っ黒な窪み。闇によって腐敗した皮膚が、ボト
ボトと膿状になって落ちていく。光の肉体を滅ぼしていく暗黒の瘴気。砲弾の衝撃が銀の皮膚
を、柔らかな肉を吹き飛ばし、侵食する闇が聖なる光を食い尽くしていく。

 「ひッ・・・ヒイイッッ?!」

 固唾を飲んで見守る人々の群れから、大パノラマで繰り広げられる衝撃の映像に悲鳴があ
がる。

 暗黒弾を直撃されたファントムガール・サクラの腹部は、鳩尾からお臍の下辺りにかけて、銀
とピンクの皮膚が弾け飛び、サーモンピンクの内肉がところどころ溶け落ちながら曝け出され
ていた。
 神々しい5人のファントムガールのなかでも、美しさと可憐さを兼ね備え、最も愛らしいと評さ
れる桃色の守護天使が・・・ファントムガール・サクラが、腹部の皮膚を剥ぎ取られ、内肉を闇
によってズルズルと溶かされている。無惨などという言葉では生易しい、あまりに凄惨な地獄の
光景。

 「ひくうッ!! ひぎッッ・・・!! ぎィッ・・・ぎあッ・・・アアアッッ・・・」

 想像するだけでも発狂しそうな苦しみのなかで、哀れな美戦士は声にならぬ悲鳴を喘ぎ続け
ている。
 ファントムガールのなかで、もっとも耐久力の低い少女、サクラ・・・その途絶えそうな意識は、
洪水のごとき激痛に溺れ、埋め尽くされているはずだった。

 「・・・おかしい。もっと破壊力があってもいいはずなのだがな」

 腹部の内肉を剥き出しにした無惨なサクラを前にして、青銅の悪魔は再び右手に闇を凝縮し
始めていた。
 恐るべき悪魔は、痛切に流れる美少女戦士の苦悶の呻きを聞いて尚、その所業に満足して
いない。

 「そういえば、こいつら忌々しいメスどもは、いつも技の名前を叫んでいるが・・・マネしてみる
のも一興か」

 サクラの惨状などまるで気にかけず、新たな技の開発にいそしむ魔人が、ひとつの実験を試
みる。
 技の名前を叫ぶ・・・それは一見無意味に見えて、『エデン』の戦士にとっては重要な意味を
持つ行為。技に名前をつけることで、イメージは強固になり、破壊力は高まる。里美が発見し
たこの法則は、守護天使たちにとってはミュータント側には知られていない、ひとつの優位点で
あった。その秘密が、いま最大の敵に知られようとしている。それも、瀕死のサクラを実験台に
使われて。

 「ダッッ・・・・・・メッッ・・・・・・!!」

 突然、悶絶地獄をさ迷うはずのアイドル少女が、意味のある言葉を発する。

 「来ちゃ・・・ダッ・・・メェッ・・・・・・あたし・・・はッ・・・・・・もうッ・・・・・・」

 「ククク・・・夢のなかでも責められているようだな。惨めなメスだ」

 オオオオオオオオオッッッ・・・・・・

 メフェレスの右手で瘴気のブラックホールが鳴動する。
 ファントムガール・サクラ、処刑、執行。
 容赦は、しなかった。華のように薫る美しき少女戦士に、再び濃密な闇の砲弾が逃げようの
ない距離から発射される―――

 「食らえいッッ!! 『殲滅魔弾ッッ』!!!」

 ドゴオオオオオオオッッッ!!!

 蠢く魔の波動弾が、光輪の呪縛に動けぬサクラの右胸に炸裂する。
 ブッパアアアアンンンッッ・・・・・・
 銀色の胸の薄皮が、乳房の肉の一部とともに、鮮血にまみれて弾け飛ぶ。

 ゴボオオオッッ・・・・・・・

 瞳の光を失ったサクラの厚めの唇から、ヘドロのような血の塊が吐き出される。
 ヒク!ヒクヒクヒクヒクッ・・・ビクビクッッ!!
 小刻みに震える、変わり果てた美少女戦士。
 光輪の締め付けから解放された桃色天使は、右胸と腹部の皮膚を剥がされ、血祭りにあげ
られた無惨な肉体を、ゆっくりと前のめりに傾けていく。
 鮮やかなピンクの模様が乙女っぽさを演出していたサクラの身体は・・・いまや、流れ出る血
と、剥き出しになった内側の肉の色で、ピンクに染め上げられていた。
 大地に激突する寸前、破壊し尽くされた銀とピンクの肉体は、光の粒子となって八月の熱気
に掻き消えた。

 血臭漂う凄惨な処刑場に、勝者の三日月に歪んだ笑いが、いつまでも甲高く響き渡った。

 

   
第十話・続き
第十話・続き



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