第十一話  7章


 
 7
 
 深夜の東京湾に突如降臨したツインテールの聖戦士、ファントムガール・アリス。
 星明りさえ途絶えた暗闇のなかで、銀光を輝かせた守護天使が戦闘を開始してから、すでに
40分近くが経過しようとしていた。
 明治神宮に現れたという数匹の巨大生物、そして品川近郊の湾口を舞台に始まったこの聖
戦で、首都に住む多くの人々が移動を開始していた。初めて目の当たりにする守護天使の美
しさ、神々しさ。巨大生物の禍々しさと恐怖。正と邪の究極戦を前にしては、自分たちの命が木
の葉のごとく軽くなるのを自覚した人類には、ただ舞台から離れることと祈ることしか許されな
い。
 黄金の装甲を身につけた戦乙女アリスの敵が、二匹の触手獣たちから疵面の凶獣に変わっ
たことを知るのは、ごくわずかな者しかいなかった。
 肉食恐竜を想起させる頑強な肉体と、尖ったマンモスの牙が取り付けられたような腕。
 暗黒の瘴気に当てられるのか、見るだけで震えが止まらなくなる凶獣と、クラゲの怪物を一
撃で仕留めた鎧のファントムガールとの闘いが始まったのはつい数瞬前のこと――
 逃げ遅れ、図らずもこの聖戦の観覧者となった人々の視界に飛び込んできたのは、衝撃的
な光景であった。
 
「ぐッ・・・うぐうッ・・・あがッ・・・!!」

 ギャンジョーの頭上で、腹部を貫かれ串刺しにされたファントムガール・アリス。
 天を仰ぐ少女戦士の肢体が、高々と上げた右腕の凶槍に刺し貫かれている。アリスのお腹
から生える、真紅に濡れた槍腕。モズの贄を思わせる残酷な光景に、東京湾全体が静まり返
ったようだった。
 
「致命傷は免れやがったかァッ!! いいぜェッ、赤髪のねーちゃんッ! 少しは愉しませても
らわねえとなァッ!!」

 凶刃が貫いたのは、アリスの右の脇腹であった。
 背から表へ突き抜けた杭の激痛が、灼熱と麻痺とを伴ってクール少女を苦しめる。内臓の損
傷は少ないものの、極太の槍で乙女の肉を裂き分けられる苦痛に、本来なら失神は免れない
ところだろう。『エデン』が与えた生命力と最新科学で強化された肉体、そして数多の悶絶地獄
を潜り抜けてきた精神力を持つアリスだからこそ、意識を繋ぎとめられている。
 
“抜け出さ・・・なきゃッ・・・”

 思考を呑み込まんと押し寄せる激痛の津波。闘いの運命を受け入れた戦乙女の闘志が、そ
れを打ち破る。
 痛みに悶えるより先に、アリスの脳裏を埋め尽くしたのはこの危地からの脱出であった。仰
向けで高々と掲げられたこの体勢からは、反撃の手段は皆無。腹部を貫いた白槍は、引き抜
くどころかアリス自身の重みでズブズブと徐々に深く埋まっていく。ギャンジョーからすれば、今
のアリスはトドメを待つ絶好の標的でしかなかった。一刻も早い脱出、それが装甲天使がすべ
き最優先事項。
 天才少女の脳裏を瞬時に駆け巡った考察は、正しかった。
 腹部を貫かれつつ懸命にもがく天使を嘲笑うように、疵面獣の追撃が間髪入れずに放たれ
る。
 余ったもう一本の腕槍。白く尖った杭が、串刺し天使の後頭部へ――
 
 ズバアアアッッッ!!!
 
「へェ〜〜・・・」

 アリスの端整な美形に、巨大な風穴を開けるつもりであったのか。
 想像するのさえおぞましい一撃は、しかし、強引に串刺しから抜け出た装甲天使にかわされ
ていた。
 水飛沫と地響きをあげて海中に着地するツインテールの戦士。
 ほとんど同時にギャンジョーの傍らで、ぼちゃりと何かが海面に落ちる。
 
「てめえで脇腹引き千切って、逃げやがったか。小娘にしちゃあ、いい度胸してるじゃねえか
ッ・・・」

 ゆっくりと海底に沈んでいく銀と朱色の物体は、己の脇腹ごと串刺し刑から引き剥がれた、ア
リスの肉片であった。
 ファイティングポーズを取りながらも、肩で荒い息を吐く守護少女。右脇腹に添えられた左手
の下から、ドクドクと大量の鮮血が、腰を覆うプロテクターとオレンジ模様が描かれた太腿を染
めていく。
 
「面白いな、てめえ。そうするのが一番手っ取り早いとわかってても、自分の身体傷つけるのは
恐くてなかなかできねえもんだ。遊ぶ前から瀕死だったナナより、殺し甲斐がありそうだぜェッ」

「こうするしか方法がなかった、だけよ」

 肩で呼吸しているとは思えぬ冷静な声で、アリスは応えた。
 一瞬でも脱出方法を躊躇っていたら、顔面を貫かれてすでに絶命していたかもしれない。
 実感として押し迫る“殺人者”の徹底ぶり。もちろん今までの闘いも死を賭したものではあっ
た。だからこそ瀕死に追いやられたこと数知れず、また逆に敵を葬ってきたのだ。しかし殺人
の専門家であるギャンジョーの攻撃は、その質がまるで違う。容赦の欠片もなく、戦慄するほど
エゲツない。かつて闘いのなかで、「敗北」ではなく「死」をこれほどまでに濃厚に嗅ぎ分けたこ
とがあっただろうか。
 持ち得る全ての力を使って、闘わねばならぬ。
 様子見はもちろんのこと、わずかでも気を緩めた瞬間、死の顎が乙女の生肌を食い破る。
 元々アリスには、残された時間は限られている。20分弱を切った変身時間内で強敵を倒すに
は、力の温存など有り得なかった。ナナとの一戦を経験済みのギャンジョーにしても、条件は
同じであろう。一日に2度目の巨大化は少なからぬ負担があるはず。早い決着は、凶獣にして
も望むところだ。
 
 全力を解放しての、早期決戦。
 思惑が一致した聖少女と凶獣の間で、ピリピリと闘気の気圧が高まっていく。
 
“ヒート・キャノンを撃つにはまだ時間が必要・・・ならば!”

 電子レンジの原理を応用したヒート・キャノンだけに、熱を造り出すのには時間が掛かる。高
熱であればあるほど時間は必要であった。
 右腕を真っ直ぐに突き出すアリス。サイボーグの腕に装着されたマシンガンが、一斉に火を
噴く。
 
「ボケがッッ・・・!!」

 巨体に似合わぬ超速度で、再びギャンジョーの肉体は突進していた。
 着弾。弾丸のほとんどが茶褐色の体表を捉え、跳ね返される。強固を誇る凶獣の前に、マシ
ンガンの攻撃はまるで効果はなかった。愚かとも言うべき天使の戦術に、暗殺者の心に呆れ
たような怒りが沸く。
 慢心にも似た凶獣の怒りは、刹那に消えることになる。
 突撃するギャンジョーの鼻先、整った美形のマスクが、赤髪のツインテールを揺らして現れ
る。
 このガキッッ・・・てめえも突っ込んでやがったのかァッッ?!!
 
 ぐしゃあああッッッ・・・!!
 
 アリス渾身のアッパーブローが、疵面獣の硬い顎を下から上へと跳ね上げる。
 マシンガンは弾幕であった。銃弾を囮にしてアリスが採った作戦は、至近距離での肉弾戦。
ギャンジョーが恐らくもっとも得意とするフィールドで、敢えてクール少女は闘いを挑んだのだ。
 
“逃げ回っても勝ち目はないッ・・・むしろ・・・懐に飛び込んでこそ勝機は見えるはず!”

 距離を置いての闘いは、一見安全策であるように見える。
 だが逆だ。それは逆。敵を恐れ逃げ腰になるのは、ギャンジョーの思う壷だ。
 必殺技のヒート・キャノンを除けば、アリスに有効的な遠距離からの技はない。距離を空ける
ことは、攻撃を放棄するのも同じことだ。
 そして凶獣のあのスピードを思えば、いかに距離を取ろうと仕留められるのは時間の問題。
 活路を見出すには、いかに危険と解っていても敵の領域に飛び込むのがベストの選択であっ
た。攻撃を繰り出し、ダメージを与える。何倍ものダメージを受ける恐怖に打ち克ち、死と隣り
合わせの虎穴に入らねば、必殺技充填の時間など稼げるはずがない。
 
「ハァッ!!」

 左のミドルキックがゴツゴツとした凶獣の体表、脇腹に叩き込まれる。
 機械化された左足のパワーは、霧澤夕子の姿時でもプロのキックボクサーを上回る。格闘技
においては素人のアリスであるが、この左ミドルのフォームは練習の跡を色濃く残した流麗さ
であった。脛に伝わってくる、硬い感触と肉にダメージを打ち込む重み。
 
「ナナに教えてもらった技よッ・・・借りは返すわ」

 茶褐色の肉体がわずかに屈む。女子高生の細腕から放たれた打撃ならば、確かにこの生
身の鎧を着込んだような怪物には通用しないかもしれない。だが、マシンを宿したアリスの攻
撃は、パワーだけならファントムガール内においても群を抜いている。アッパーもミドルも手応
えは十分、決して無傷とは思えない。
 この機を逃してはならない。一気に、決める。
 フルパワーを開放した右腕が、一直線の軌道を描いてギャンジョーの顔面に放たれる。

 ガキンッッ!!
 
 とても拳と腕とが激突したとは思えぬ固い響き。
 アリスのストレートパンチは、凶悪な白い槍腕によって受け止められていた。
 
「小娘ェェッ〜〜ッッ・・・この程度でオレ様にッ・・・ッ!!」

 喋りかけた疵面の口を蹴り潰す、シルバーのブーツ。
 空手でいうところの前蹴り。真っ直ぐ正面に蹴り上げたアリスの左足が、ギャンジョーの顔面
に埋没している。
 単なる蹴りではない、機械の足に仕込まれたジェット装置。通常装甲天使が敵との間合いを
詰めるために使用する噴射を、キックの瞬発に応用したのだ。その威力たるや、先の二発の
比ではない。
 にも関わらず。
 
「なッッ?!」

 驚愕の声を挙げたのは美しき女神の方であった。
 拳を握ったままの右腕が、ガッシリと捕獲されている。ギャンジョーの腕に。
 杭先の如く尖った凶獣の腕が、何かを掴むことなど有り得ない。アリスの頭脳に入力された
データは、この瞬間粉塵となって消し飛んだ。
 変形している。ギャンジョーの腕が。
 象牙を思わす長い槍はその先を更に長く伸ばし、美乙女の右腕に螺旋状になって絡み付い
ている。
 杭のような極太の槍は、わずかな時間で一本の鞭へと変わっていたのだ。
 
「グハハハハアッッ!! バカな女だァッッ!! わざとやられてたとも知らずによォッ!!」

「・・・バカは、あんたよ」

 破れたような怒声と、愛らしくも冷静な声が交錯する。
 時が進むことを忘れたかのような一瞬の間。
 カチャリという何かが外れる音は、サイボーグ少女の右肘付近で起きた。
 
 稲妻迸る、電磁ソード。
 
 避け得ぬ距離から疵面獣の頭頂目掛け、アリス必殺の電撃剣は、一気に振り落とされた。
 
 キィィィィ・・・ンンンッッ!!
 
 澄んだ調べは殺意と闘気渦巻く空間に、美しさすら伴って響いた。
 振り下ろされた銀色の右腕。跳ね返る、稲妻のソード。
 全てを断ち切るはずの電撃剣が、根元からポキリと折れて旋回しながら宙を舞う。
 
「うッッ?!!」

 ギャンジョーのもう片方の腕。鞭に変形していない、右の角槍。
 象牙の剣と言うべき白い腕は、迫る電磁ソードを頭上で受け止めていた。
 激突の刹那。折れるアリスの剣、傷ひとつつかぬギャンジョーの腕。
 必殺の武器とともに胸のなかで砕けた何かが、それまで途切れることなかった戦乙女の攻撃
に空白の時を与える。
 
 有り得ない。
 鋼で出来た電磁ソードが腕で折られるなんて、有るわけがない!
 
 ニヤァ・・・
 
 天使の青い瞳に映る、醜く吊り上がるスカーフェイス。
 肘から先を失った右腕。無防備な体勢。圧倒的不利に陥った守護天使が見たものは、己の
顔面に殺到する白く鋭利な槍先―――

 ドシュッッ!!
 
「クックックッ・・・」

 鋭利な腕槍の切っ先は、端整な美少女の顔面、眉間の中央に突き刺さっていた。
 ピシッ・・・銀色のマスクに亀裂が走る。こぼれ落ちる細かな欠片。
 アリスの美貌を貫かんとした凶刃の刺突は、必死に掴んだ左手によって止められていた。
 
「仮面かぶってやがったとはなァ。命拾いしたじゃねえか」

「くッ!!・・・ううッ・・・」

 黒い亀裂が蜘蛛の巣のごとく広がったマスクの奥から洩れる声は、焦燥と混乱に揺れてい
た。
 必殺の武器である電磁ソードが敗れた。いとも容易く。
 しかもサイボーグ天使の攻撃の中核を担う右腕は、折れた刃を肘先に残して失ってしまっ
た。攻守両面での損失は計り知れない。死に直結するギャンジョーの一撃はなんとか防げたも
のの、はるかにパワーの劣る左腕のみでどこまで対応しきれるというのか。
 安堵することを許さぬ凶獣の追撃は、すぐに襲い掛かってきた。
 
「ぐうッ?! ぐぐ・・・ッ?!」

「なんだァ、それで力入れてるつもりかァ?! 弱ェ、弱ェ!! このまま潰してやるぜェッ」

 巨大なビルが顔面に落ちてきたかのようだった。
 凄まじい圧力。なんというパワー。
 槍腕をアリスに掴まれているのも構わず、ギャンジョーの尖突が更なる進軍を開始する。右
腕一本の力で、全身を使って対抗する守護天使に圧し掛かっていく。
 ピキッ・・・ピシッ・・・亀裂の広がる音が、本当の顔のすぐ上から響いてくる。踏みつけられて
いるかのような圧力に、首ごともげてしまいそう。背を反らせ、脚を開いて全パワーをフル回転
させるアリス。体内に響くモーター音を嘲笑うように、背骨が軋み、筋肉が震え、足裏はズブズ
ブと東京湾の底に埋まっていく。
 
「どうしたどうしたッ?! ファントムガールってのはこんなもんかァッ?! ああッ!」

「ぐッ・・・ぐううッ・・・くッ・・・」

「クックックッ・・・どこまで我慢できるのか、試してやるぜェェ〜」

 胸を張った体勢で迫る槍先に耐えるしかないアリスの目の前に、鞭に変形した左の腕が突き
つけられる。
 何が起こるか悟った瞬間、少女戦士の腹部に灼熱の痛みが沸きあがった。
 
「守護天使サマのSMショーだぜェェ!! ぎゃはははは!!」

 鞭が肉を叩く破裂音が、動けぬアリスの全身で炸裂する。
 顔を、胸を、背中を、太腿を・・・生肉を抉られるような激痛と火箸で擦られたような熱さに、哀
願の叫びがアリスの咽喉元までこみあげる。銀色の肌に浮かび上がるミミズの這った跡は、数
十秒と置かぬうちに全身を埋め尽くした。
 並の少女なら一発目で絶叫を迸らせ、十発と待たぬ間にショック死は免れまい。
 そんな激痛の嵐を、狂ったように凶獣は浴びせ続ける。少女戦士が回避不能なのをいいこと
に。人類の希望とされる美少女の命を剥いでいく快感、愉悦。ピクピクと引き攣りながらも、な
んら槍腕への抵抗に翳りがない聖少女に、スカーフェイスの歪んだ感情が喜色に満たされて
いく。
 悲鳴を噛み締める奥歯のなかに、鉄の味が混ざり始める。
 痛い。失神しかけるほどの痛撃。いや、気を失うことすら許されぬ激痛。意地だけが支えるア
リスの心に、しかしこのまま鞭打ちが続けば死は避けられない絶望が広がっていく。顔面への
串刺しか、鞭によるショック死か。反撃不能な状況に、ただ戦乙女は生命の薄皮を剥がされて
いくしかない。
 
「・・・・・・ッ??」

 不意に、打鞭の嵐は過ぎ去っていった。
 束の間訪れる安堵。しかし、アリスの視界に飛び込んできたのは、更なる悲劇的な事態であ
った。
 
「面白えもん、見せてやるぜェェ」

「なッ?!! ううッッ・・・ま、まさかッ・・・?!」

「ヒャハハハハ!! そうだァ、オレ様のこの腕は、いろいろと変形できるスグレモノってわけよ
ォッ!!」

 目の前に突き出された左腕、鞭だった白い肘先がゴワゴワと形を変えていく。
 二本に分かれた鋼鉄のアーム。ギザギザの刃がついたそれは、巨大なペンチの先であっ
た。
 あっと思う間もなく、むっちりとした女神の柔肉に食いつく。細く締まったウエストへ。
 変形した巨大ペンチが挟み込んだのは、先程引き千切った傷跡も痛々しい、アリスの右脇腹
であった。
 
「ぐあああッ?! うあああッッ―――ッッ!!!」

 ペキ。ベキベキッ、ボキイッッ!!
 女神の肋骨が砕ける乾いた音色が、夜の湾岸に渡っていく。
 アリスの脇腹に食い込んだペンチの牙は、躊躇なくその顎を閉じていた。骨の粉砕される響
きに続いたのは、グシャリという脇腹の肉が潰れる音。小さな爆破が起こったように、天使の
側面で鮮血が激しく飛び散る。
 
「うがあああッッ〜〜ッッッ!!! アアアアアッッ―――ッッ!!!」

「当然、こっちの腕も変形可能だぜェ」

 ギュイ―――ンンンン・・・
 
 銀色のマスクに突き立てられていた右の槍腕が、突如として回転を始める。
 もはや槍ではなく、ドリル。
 ビキビキと整った美貌に広がる亀裂が一気に増える。必死に抑えんとする掌の皮膚は無惨
なまでに削られ、女神の血が白い凶器を紅に染める。ツインテール美少女の顔面に、突き立
てられた回転ドリル・・・正視に堪えられぬ酷い地獄絵図が、東京湾を舞台に展開されている。
 
 バキバキッ・・・バキィッンンッ! ズリュリュリュリュッ!!
 
「うぎゃああああああああッッッ――――ッッッ!!!!」

 ブシュッッ!! 鮮血の噴水が、遥か上空に噴き上がる。
 その瞬間、粉々に砕けた銀色のマスクが、膝上まで浸かった周囲の海水に飛び散った。
 
 絶叫。生肉を削る音。噴出する鮮血。無機質なドリルの回転。
 
 マスクを砕いてなお、ギャンジョーの腕ドリルは暴虐を止めなかった。美女の名を捧げて恥じ
ない麗しきアリスの美貌、その中央の眉間に鋭利なドリルが突き刺さる。回転する。頭蓋を抉
る。凄まじい勢いで噴き出す血の量と、瞳を見開き恐怖に引き攣る表情。真に迫ったそれらの
光景が、女神の顔面に穴を開けられていく悪夢が現実のものであることを教える。
 
“死ぬッ!・・・死ッ!・・・死死死・・・殺されッ・・・!!”

 グシャリッ・・・という鈍い音。
 折れた刃を肘先に残したままの右腕で、アリスは渾身の力で疵跡に歪んだ顔面を殴ってい
た。
 無我夢中。必死の抵抗。鋼鉄製の刃が微塵となって砕け散る。
 だがサイボーグのフルパワーを込めた一撃は、巌のごとき凶獣をかすかにではあるがぐらつ
かせた。
 わずかな緩み。窮地に陥りなりふり構わぬ戦乙女が、その隙を突く。
 ドリルとペンチの破壊二重奏から脱したツインテールの戦士は、一気に後方へと飛んで破壊
獣から距離を置いた。
 
「ハアッ、ハアッ、うぐ・・・ううゥッ・・・」

 眉間と脇腹から噴き出す血で、オレンジの女神は無惨なまでに紅に染まっていた。
 右脇腹を抑え、細かく震えるファントムガール・アリス。顔面を朱で塗り潰された姿は凄惨で
はあるものの、ダメージの度合い自体は、少し抉られただけで済んだ顔よりも完全に潰された
脇腹の方が断然深い。破壊されたマスクの下からは、サイボーグ天使本来の素顔が露わにな
っている。
 美の黄金率で測ったような整った顔立ちは仮面と同じ、しかし鋼鉄に囲まれた機械製の左眼
は、アリスが異端の女神であることを証明するように赤々と光を放っている。苦痛と狼狽と恐怖
とで歪んだ美貌。勝ち気でクールな霧澤夕子が、そんな表情を浮かべるとは誰が想像したろ
う。身をもって体感した圧倒的暴力と、おぞましいまでの苦悶の予感。かつてない脅威を目の
前にして、アリスは心の奥底が足元から凍えていくのを感じていた。
 
“な、なんて・・・奴・・・なの・・・・・・”

 塊となった血が咽喉奥にまで駆け登ってくる。
 たまらず海面に吐き捨てるアリス。銀のリングを嵌めた咽喉が、ゴブゴブと鳴っては上下に動
く。尋常でない吐血の量が、巨大ペンチで潰された肉体の破損度を教える。
 
“ど、どうすればいい? どうすればこんな怪物に勝てるの?! 電磁ソードも、サイボーグの
パワーも通用しない。力、スピード、耐久力・・・全てが私の遥か上をいくのがわかる。しかもこ
いつの残虐性はこれまでとは桁が違う。あのマヴェルさえ可愛く思えるほどの・・・。私が勝てる
可能性なんて1%あるかどうか・・・”

 暗雲に呑み込まれていく装甲天使の瞳に、再び形を変えていく凶獣の角槍が映る。
 己の能力を愉しむかのような疵面獣。ドリルだった右手は、巨大な球体へとなっていた。光沢
を持ったそれらが、鋼鉄のごとき硬度を誇るのは目にするだけでも計り知れる。
 ボーリング玉をグローブとして付けたヘビー級ボクサー。左手のペンチはそのままに、新たな
変形を遂げたギャンジョーの姿もまた、破壊神とでも呼ぶべき禍々しさであった。両腕をいかな
る形に変化させても、常に脅威と恐怖を孕んだ悪魔。仄見える疵面獣の意図が、アリスの脳裏
に戦慄を渦巻かせる。
 
 わ、私を・・・解体するつもりなのッ?!!
 
 突撃してくる。一直線に。
 鋼鉄グローブを嵌めてからコンマの猶予も許さず、ギャンジョーが手負いの天使に一気に襲
い掛かる。水飛沫が瀑布となって天を衝く。
 迎撃するアリスは、圧倒的力の差に動揺しつつも準備を怠ってはいなかった。
 左足の前蹴り。ギャンジョーという肉の戦車相手に、通常の攻撃はまるで無意味。右腕を失
ったサイボーグ戦士が強力な打撃を放つには、このマシンの埋まった左足しかない。今できる
最高の技を、カウンターとなって疵だらけの顔面に発射する。
 
 グシャリッッ!!
 
 突撃と迎撃が織り成す衝突音。
 銀のブーツがスカーフェイスにめり込む。巨体に似合わぬ猛スピードとサイボーグのパワー
が掛け合わさった衝撃が、まともにギャンジョーの顔面を貫く。
 
「ッッなッッ?!!」

 揺らぎすらしない茶褐色の凶獣。
 ニタリと吊り上がるスカーフェイス。その瞬間、アリスに残された反撃の手段は消滅した。
 
 カシュッッ!!
 
 鋼鉄の球体が顎を砕く音は、想いの外に軽かった。
 衝き上がるギャンジョーのアッパー。細い顎を打ち抜かれた端整な美貌が、一瞬縦に潰れ
る。霧となった鮮血が顔のあちこちから一斉に噴き出す。
 破壊神の一撃をまともに浴びた無惨な天使。
 銀とオレンジの肢体がギュルギュルと回転しながら天高く舞う。血染めのファントムガール・ア
リス。瞳の青と赤を消した女神が、成す術なく舌なめずりする凶獣の下へ落ちていく。
 鉄球の豪腕ブローは、アリスの腰から背骨にかけてを打ち砕いた。
 下半身のプロテクターが粉々に飛び散る。軋む背骨。再び空を舞う戦乙女の軌道に沿って、
濃厚な吐血が糸を引いて描かれる。極道世界で恐れられる怪物。残虐非道の悪魔の打撃を
耐えるには、アリスの身体は小柄に過ぎた。暴虐に晒された哀れな天使は、受け身を取ること
なく頭から東京湾の浅瀬に落ちる。
 守護天使の幕引きを象徴するように、巨大な水飛沫が立ち起こった。
 
 沈んでいく、ファントムガール・アリスが。
 うつ伏せで海面に没した銀の肢体から、じっくりと朱色が滲んでいく。ゆらゆらと漂う赤髪のツ
インテール。取り外した右腕、折られた電磁ソード、破壊されたマスクに、砕かれたプロテクタ
ー・・・アリスの苦悶を証明する跡が、戦地となった海にばら撒かれている。
 ブクブクと気泡がツインテールの周囲に沸き始めたのは、しばらく後のことだった。
 
「おっと、もっとゆっくりしてな。たらふく水飲みながらよォ〜」

 巨大ペンチがツインテールの後頭部をガッチリと挟む。アリスの美貌を海底に押し付ける。
 酸欠の苦しみに狂ったように暴れる銀とオレンジの手足。跳ね飛ぶ水も必死の抵抗も、ギャ
ンジョーはなんら意に介していなかった。まるで次元の違う腕力の差。溺死させられる苦しさ
に、クールな天使は殺虫剤を浴びた虫のように悶え暴れるしかない。
 緩慢になっていく、アリスの全身。
 5分間、水中に没し続けた女神の身体はついに動かなくなる。
 見計らったように左腕を引き上げたギャンジョーは、一気に守護天使を空中に吊り上げてい
た。
 
「うめえだろォ? 東京湾の海の味は」

「・・・ゴボオッ!! ゲホゲホッッ・・・ゴブウッッ!!」

「視線が虚ろだぜェ〜、正義のヒロインさんよォ! 目ェ、覚まさせてやる」

 ズルズルとアリスを引き摺った凶獣は、船の波止場、湾岸に近付く。為すがままのアリス。ギ
ザギザのペンチの刃が、こめかみを締め付ける痛み。少女戦士に抵抗する術などない。
 コンクリートの大地に、アリスの顔面は叩きつけられていた。
 衝撃に再び意識が遠のきかける。新たな鮮血が顔を染めていくのがわかる。だが、本当の
悲劇がアリスを襲うのはこの後。
 巨大鉄球のパンチが、女神の後頭部に振り落とされる。
 コンクリの潰れる音と、肉の潰れる音。そして、花火のごとく飛び散る血潮。
 ビクンッ! ビクンッ!と大きく痙攣したアリスの手足が、ぐったりと脱力していく。
 ギャリッ! ギャギャギャギャギャッッ!!
 力の欠片すら残していない戦乙女の顔面を、岸の大地に埋没させたまま凶獣が滑らせる。
擦り付ける。
 天使の血で描かれた、紅い一直線。
 戦女神と怪獣との闘いであったものは、もはやヤクザによる女子高生へのリンチと化してい
た。
 
「わかってるんだぜェ〜?! てめえらファントムガールのゴキブリ並みの生命力はよォ。この
程度じゃくたばらねえってなァッ!!」

 ツインテールをペンチに挟まれたまま、宙吊りになるオレンジの女神。一分の力すらなく、だ
らりと垂れ下がった四肢。
 鉄球ブローが瑞々しい乙女のボディを滅茶苦茶に殴りつける。
 
 ドボオッッ!! ゴスッッ!! ボギイッッ!! グシャアッッ!! グボオッッ!!・・・
 
「へぶうッッ!! あぐッッ!! ィィぐぐッッ・・・ガハアァァ――ッッ!!!」

“た、助けッッ・・・死ッ・・・潰されェッッ・・・ぐふッッ・・・壊されッッ・・・るッッ・・・”

 ヴィーン・・・ヴィーン・・・ヴィーン・・・
 辛うじて残された胸のプロテクター。黄金の鎧の奥から、エナジー・クリスタルの点滅音が洩
れ流れる。触手怪物たちとの死闘、そして疵面獣によるリンチ・・・消耗し切ったアリスの生命
に、限界の時が刻々と迫っている。 
「ギャハハハ! そろそろ終わりみてえだなァ?! この程度で守護天使とは呆れたもんだぜ
ェッ!」

「ゴブッッ・・・くああッ・・・くッ・・・ううゥ・・・」

「あの女忍者の方が、まだ歯応えあったってもんだ」

 口調に含まれたドス黒い嘲り、それはアリスの背筋に強烈な悪寒を走らせるものであった。
 感じる、途方も無い嫌悪の予感を。
 忍者・・・五十嵐里美の身にでも、何かあったというのか? 苦悶の最中、やけに冴えた頭が
純粋な疑問を口にさせていた。
 
「お、女忍者・・・?・・・な、なにを・・・した・・・」

「相楽魅紀とかいうネズミを一匹、バラしただけだ。首と手足を切り取ってやったら、いいダルマ
のオブジェになりやがったぜェッ! ギャハハハハハ!」

 相楽魅紀――特殊国家保安部隊の隊員にして、里美同様伊賀の忍びの血を引く末裔。
 以前ともに闘ったこともある野生的な女性は、使命に忠実で危険すら省みない純粋な戦士で
あった。年下の里美に対する、眩しいまでの忠誠。『エデン』とは融合していなくても、同士のよ
うな存在であった彼女をこの疵面獣は死に至らしめたというのか。
 鳩尾の付近で、青い炎が燃え上がる。
 ファントムガールとしての運命を受け入れて以来、いつかこんな日が来るのはわかっていた。
誰かが犠牲者になる日。その誰かが自分であるかもしれない日。とっくに覚悟は決めていたの
に、現実はこんなにも辛いなんて。こんなにも悔しいなんて――。
 
「きッ・・・貴様ッ・・・ッッ!!」

 迸る、怒りの叫び。アリスの四肢に反撃の力が蘇る。
 だが。
 
 グチャアアアッッ!!!
 
「それがどうしたァッ〜、ああァッ?!!」

 鉄球グローブのストレートパンチが、装甲天使の顔面を打ち砕いていた。
 
「わかるかッ、クソアマ!! てめえが怒ろうが叫ぼうが、このギャンジョー様の足元にも及ば
ねえッ!! ここがファントムガール・アリスの墓場になるんじゃッッ!!」

 右腕が引かれる。鉄球と血塗れの顔面との間に、ねっとりとした紅の糸が幾条も橋を架け
る。ビクビクと断末魔に震えるアリス。朱色の墨汁を塗りたくったような無惨な顔のなかで、青と
赤の瞳だけが強く光を放っている。もうどれだけの破壊をその身に受けてきたか。端整な容貌
を潰されての死、美少女の死に様としてこれ以上ない残酷なトドメが、孤立無援の天使に迫
る。
 放たれる、鋼鉄の顔面ストレート。
 鈍く硬質な響きとともに、女神の聖なる血がドバッと咲き乱れる。
 
 ハンマーのごとき凶獣の一撃を、アリスは己の額で受け切っていた。
 噴き出す鮮血でツインテールがさらに真紅に染まる。衝撃であらゆる体内の傷が開く。ダメー
ジは決して軽くは無い、しかしアリスは生きていた。人間の前頭部は想像以上に固いもの。そ
れでも霧澤夕子ならば頭蓋を割られていただろうが、ファントムガール・アリスであるが故、戦
乙女は無謀な方法で凶撃を耐え切ってみせたのだ。
 
 間が空く。両者ともに動けぬ時間が。
 脳震盪を起こした女神と、事態を呑み込めぬ凶獣。覚悟を決めていた分、先に動けたのは
正義の側――
 
「ヒート・キャノンッッッ!!!」

 ソードの破片を残した右肘がポロリと外れる。奥から現れたのは、灼熱にたぎる砲弾を装填
済みの砲口。
 抉られ、潰され、折られ、砕かれ・・・ありとあらゆる破壊の暴虐に削られつつ、アリスは最期
の望みを決して諦めはしなかった。超高温の砲弾、ヒート・キャノン。ファントムガール・アリス最
大の必殺技。発熱までの長き時間、恐らく唯一ギャンジョーに通用するこの技が完成するま
で、装甲天使は凄惨なリンチを耐え忍び続けてきた。
 実力は明らかに敵が上。
 アリスが勝つ1%、かすかな勝機はこの方法でしか得ることはできまい。ズタボロにやられた
挙句の、油断を突いた至高の一撃。危険な肉弾戦を挑んだのも、全てはこの時のためであっ
た。冷静な分析と我が身を犠牲にする精神力の結集が、逆転の灼熱弾となって今放たれる。
 
 囚われた七菜江、壮絶に散った魅紀。
 無念の何分の一かを、私が晴らしてみせる――。
 
 夜の東京湾に輝く、灼熱の小太陽再び。
 至近距離から発射されたオレンジの砲弾が、激しい爆音と熱風とを炸裂させた。
 
 ボシュンッッボシュッボシュッボシュンッッ!!!
 
 飛び散る高熱の余波で、海面が瞬時に蒸発して煙をあげる。
 破壊の衝撃音と空間の歪曲する悲鳴。深夜に轟く大音声のさなか、湧き上がる蒸気の白煙
が辛うじて胸のプロテクターだけ残った装甲天使を包む。
 
 決まった、か?!!
 
 手応えはあった。接近戦からの砲撃、一瞬の隙。避け切れぬ灼熱の砲弾がギャンジョーに
着弾したのは間違いない。
 だが。
 
“いない・・・ッ!!”
 
 薄れゆく煙の彼方、アリスの紅い瞳に茶褐色の肉体は破片ですらも認めることはできなかっ
た。
 やはり、というべきか。
 周囲に渦巻く大量の蒸気が、戦乙女に悪寒を覚えさせていた。仮にヒート・キャノンが直撃し
ていれば、その超高熱は敵の肉体を恐らく貫く。足元の海水を蒸発させるほど熱が散らばって
いるのは、ヒート・キャノンがその一部でも弾き返されたが故ではないか。巻き起こった爆音と
熱風は、灼熱弾の威力を示すものではない。アリス最大の必殺技が疵面獣に通じなかった悪
夢を示す。
 
 “奴のあの腕・・・変形する槍は、腕なんかじゃない! 恐らくギャンジョーの人間体が普段か
ら扱っている道具・・・武器や凶器が同体化したもの。だから何種類にも形を変えることができ
るんだわ。・・・そして、だからこそ、電磁剣やヒート・キャノンさえ防ぐ強度を誇る・・・”
 
 ギャンジョーの両腕が鋼鉄のごとく硬く、凶器のように鋭いのも当然。
 なぜなら、まさに「本物」なのだから。
 ギャンジョーの白き腕先、象牙の槍の正体は、暗殺者・城誠が愛用する匕首であった。
 殺しのプロが込めた絶対の自信と幾多の血と命を吸ってきた事実。元々、弾丸すら斬る強度
を誇る短刀が、『エデン』の力で更に強化されたのだ。凶器のなかの、凶器。人を殺すためだ
けに存在する武器が、ギャンジョーの腕先には付いているのだ。その脅威は、あるいはメフェ
レスの青銅剣すら凌ぐかもしれぬ。
 鞭、鉄球、ペンチ、ドリル・・・にしても同様だ。戯れに拷問用としてスカーフェイスのジョーが
操る道具たち。悪意に満ちた本物の凶器が、次々と姿を変えて現れる。それが白き槍腕のカ
ラクリであった。
 
“どこ・・・? どこにいるッ?! ・・・あるいは海の中に?!”

 総身の汗腺が開く音をアリスは聞いた。
 下から上へ。背筋の硬直する感覚が悪寒となって這い上がっていく。せわしなく周囲を見回
す青と赤の瞳にギャンジョーの姿は映らない。吹き付けていた暴風のごとく殺意が、今は静寂
のなかで凪いでいる。
 
 逆転を賭けた一撃は、破られた。
 来る。確実に。これからは奴の時間。トドメを刺すべく猛撃が、闇のどこかから私を狙って待
っている。
 
 手詰まりになった、血染めの装甲天使。
 あらゆる攻撃はギャンジョーには通じなかった。必殺の電磁剣は折られ、切り札のヒート・キ
ャノンすら防がれた。変幻自在の凶器責めに絶叫を搾り取られ、己の流す血で言葉通りに血
祭りにあげられた。意識は霞みがかり、激痛が全身に絡みつく。命の残り火を数えるように、
胸の水晶体が弱々しい点滅の音色を奏でている・・・。
 
 もう、私に勝機はない。
 
 この敵は強すぎる。危険すぎる。ファントムガール・アリスが敵う相手ではない。1%の勝率な
ど、99%の敗北に押し潰された。
 たかが女子高生が、本物の悪魔に勝てるわけがないのだ。
 相楽魅紀は殺された。ファントムガール・ナナも倒された。そして今、アリスも・・・いや、恐らく
ファントムガール全員が、この悪魔たちに蹂躙され散っていくことだろう。守護天使終焉の幕
が、人類の絶望とともに迫っている・・・
 天才と呼ばれる少女の頭脳は、全ての回答を出していた。
 逃げろ。逃げるしか、ない。
 この場を切り抜け、他の守護少女たちと、里美たちと合流する。ファントムガールの力を結集
させねば、この強大すぎる敵に対処することはできない。
 
 ヴィーン・・・ヴィーン・・・ヴィーン・・・・・・
 ボト・・・ボト・・・ボト・・・・・・
 
 波間に流れる命の呻きと滴る鮮血。
 ギャンジョーが姿を見せぬ今は、脱出にはおあつらえの好機かもしれない。
 海底に沈みかけた機械製の右腕を見つけたアリスが、素早く動いて拾い取る。攻撃は、来な
い。姿も気配も消したギャンジョーからは、なんの反応も伝わらぬ。
 もしや、仕掛けてはこないのか?!
 不気味なほど静まり返った海のなか、アリスは右手をそっと首筋のリングに添える。
 
 ピ・・・ピピ・・・
 
 遥か上空、大気圏外の人工衛星から送信された情報が、マザーコンピューターを通じてアリ
スの脳に流れ込んでくる。
 最新科学の粋を極めたサイボーグだからこその能力。地上を歩く人物の顔さえ捉えられる衛
星のレンズが、アリスの周囲100mの情報を克明に教える。温度変化、分子レベルでの三次元
解析を伴う豊富なデータは、たとえ海中に隠れた敵であろうと容易にその姿を割り出すことが
可能なのだ。
 究極の索敵能力は、数秒と経たぬうちにデータから導かれた結果をサイボーグ少女に送る。
 
『敵アリ。距離0m。方向、後方180度――』

 私のッ・・・真後ろにッッ!!
 
 水飛沫が、舞う。
 身を捻ると同時に血染めの天使は、ありったけの力で前方へと大きく飛翔していた。
 灼熱が背中を斬りつける。やられた。深い裂傷。いつの間に後ろに?! 新たな血糊を付着
させた槍腕を振り下ろした姿勢で、ギャンジョーの疵面が禍々しく歪んでいる。
 ずっといたのか。すぐ後ろに。真後ろに。
 生臭い吐息が首筋にかかるほどの距離で。心臓の鼓動が図らずも届きそうな距離で。産毛
の先が触れるか触れないかの距離で、ずっと背後に潜んでいたのか。
 
「グハハハ! 暗殺の基本は気配を殺すことだぜェェ〜〜ッッ!!」

 バケツをぶちまけたように大量の朱色が海面に散らばる。
 ガクリと脱力しかかる脚でツインテールの戦乙女が懸命に距離を空ける。霞む視界。痛みで
全身が軋む。逃げろ。少しでも遠くへ! バシャバシャと巨大な水柱が後ずさる女神の脚を追
いかける。
 ケロイド状に引き攣った凶獣の顔面は、アリスのすぐ目の前にあった。
 逃げる聖戦士をピタリと追って、ギャンジョーの巨体は少女の懐に飛び込んでいた。
 
「だがたとえ気配に気付いても、オレ様からは逃れられねえ。なぜなら」

 白き槍の切っ先が闇の中で鋭く光る。
 暗殺ヤクザ必殺のドス。来る、右腕の凶器が。装着したアリスの右腕に力が入る。鋼鉄製の
腕を拾ったのはこの時のためだった。サイボーグのこの腕なら、凶獣の一撃も防ぎきれる。本
物の殺人道具であろうと、受けることが可能だ。
 
「気付いた時にゃあ、死んでるからなァ」

 ドスウウウウッッッ!!!!
 
 尖った極太の腕杭は、アリスの腹部に深々と突き刺さっていた。
 
「あッッ・・・!!」

 腸を破られる壮絶な苦痛が、聖少女の脳裏を稲妻と化して駆け巡る。
 薄めの唇からゴプリとかたまった血がこぼれ出る。発作のように丸みを帯びた肢体が二度痙
攣する。
 少女戦士に穴を開けた凶獣の槍が、生々しい音を引き摺ってアリスの腹部から抜かれる。
 
“み・・・見えな・・・かっ・・・・・・た・・・”

 殺人狂の哄笑が装甲天使の耳朶を叩く。紅のツインテール。青白く映る端整な美貌。
 更なる斬撃に脅え、必死で構えるサイボーグの右腕。
 
 ドシュウウウウッッッ!!!!
 
 装甲天使の防御を嘲笑うようにすり抜け、ギャンジョーの左腕の巨杭はアリスの右乳房を鎧
ごと貫き刺していた。
 
「へぶうううッッッ―――ッッッ!!! ゴパアアッッッ!!!」

 オレンジ天使の顔と胸から真っ赤な鮮血の花火が激しく飛び散る。ビチャビチャと降り注ぐ血
雨が疵面獣を汚していく。
 腹部と右胸を抉られた巨大なツインテールの少女は、全身を紅く染めたその肢体を崩れん
ばかりにビクビクと震わせた。
 
 ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・ヴィ・・・ッン・・・・・ヴィッ・・・・・・
 
“あぐッッ!! ひッ、グブッ!! ごぶッ・・・ア゛・・・ア゛・ア゛ッ・・・む、胸ェ・・・お腹ッ・・・がァ
ッ・・・わ、私ッ・・・も、もう・・・グブッ・・・見えな・・・い・・・・・・ダ・・・メ・・・こいつ、のッ・・・攻撃ッ
は・・・・・・避けられ・・・ない・・・・・・”

 剥がれた皮膚から覗く機械の左眼から、赤い光が消え入りそうに弱まっていく。
 無表情のマスクを破壊され、アリスの素顔は真実を吐露していた。勝ち気な霧澤夕子と同じ
顔立ちが浮かべるその表情は、絶望と苦痛、そして悲嘆に呑み込まれた弱々しき少女のもの
であった。
 
“こいつ・・・の・・・本気・・・・私ッでは・・・ゴフッ・・・どうする・・・ことも・・・・・・敵わ、ない・・・・敵う
わけ・・・・・・ない・・・・・・”

 方程式は解けた。あらゆる材料が示す答えはただひとつしかない。
 ひとつ、ファントムガール・アリスの攻撃はまるでギャンジョーには通用しない。
 ひとつ、圧倒的殺意で迫るギャンジョーはそれでも本気など出していなかった。虫を潰すのに
全力で闘う人間などいない。つまりはそういうことだったのだろう。疵面ヤクザにとって天才女
子高生は、所詮その程度の相手であった。
 ひとつ、本気のギャンジョー、そのスピードとパワーはアリスの手に負える代物ではない。単
純な身体能力の差は天と地ほどに開いている。腕槍のあまりの速さにアリスは見えなかった。
見えないものは防げない。150kmの剛球を女子高生が打てないのと同様に。防げない以上、
刺される。気力や技術など虚しいまでに、なんの抵抗もできず滅多刺しにされる。
 ―――結論。
 
“・・・私・・・は・・・ここ、で・・・・・・死ぬわ・・・”

 濃密な、数ヶ月間だった。
 『エデン』と融合してから・・・里美たちと出会い、ファントムガールとして生きる道を選んでか
ら、わずか4ヶ月。地獄のような想いも味わってきたけど、仲間たちと歩んできたこの道は驚く
ほどに濃密だった。
 事故に遭い、人間としての肉体を失ってからの2年間。苦悩を振り切るように研究に没頭し、
固く閉ざしたあの時間を取り戻すには十分であった。モノクロがかった私の世界を、色鮮やか
に再生してくれたのは、紛れもなくあなたたちのおかげだ。
 
 里美。七菜江。ユリ。桃子。
 面と向かっては言えないから、今心の内で告白させてもらうわ。ありがとう。私が好きなひと
を、大切なひとを迷うことなく挙げられるのはあなたたちがいるからよ。素敵な想い出をありが
とう。こんな私を受け入れてくれて、ありがとう。
 里美、修学旅行に送り出してくれて、ありがとう。こんな結果になっちゃったけど、最期にクラ
スメイトと少しでも打ち解けることができてよかった。皆には随分素っ気ない態度を取ってきた
から、これでほんのちょっとでも罪滅ぼしができたかな。神様なんて信じてないけど、もしいたと
したら、こんな私にでも最期にプレゼントをくれたのかもね。ファントムガールとして、少しは認
めてもらえたのかな。
 
「ゴボオッッ・・・ゲホッ、ゲホッ・・・あ゛ッ・・・アアッ・・・ぐぶッッ・・・」

 ヴィッ・・・・・・ンッ・・・・・・ヴィ、ヴィッ・・・・・・ン・・・・・・
 
「ギャハハハハハアアッッ――ッッ!!! 穴開けられてゴブゴブ血ィ吐いて断末魔に震えなが
らもまだ死なねえかァッッ!! つくづくファントムガールってヤツはシブトイぜェェ〜〜ッッ!!
 やっぱ胸のガラス玉砕かなきゃおっ死なねえかァッ?!!」

 槍から伝わる戦乙女の苦痛の震えが、殺人狂に至福の悦楽をもたらす。本来なら致命傷の
刺突を受けてなお、獲物が生きていることはギャンジョーにとっては夢のような喜びであった。
何度でも何度でも“殺人”を愉しめる。苦痛に踊り悶える様をじっとりと舐め取ることができる。
高い生命力を持つ光の少女戦士は、まさしく極上のご馳走であった。
 だが、今にも消えそうなエナジー・クリスタルの青色と警告音、そして痙攣する美少女の肢体
とが、間もなくこの愉しい遊戯の時間が終わることを教えてくる。
 ファントムガール・アリスの死が、近いことを。
 
「この姿でいられるのもあとわずかだしなァ〜〜。そろそろ・・・殺すか」

 返り血で濡れ光る尖った右腕の杭槍が、かすかな光を灯す女神の瞳に突きつけられる。
 
 さよなら。みんな。
 せめて・・・こいつだけでも、道連れにして逝くわ。
 
 カチャリ
 心臓の近く、アリスの胸の内深くで、スイッチの入る機械音が響く。
 これまではあれば使いたくなるのがわかっていたから、敢えて取り付けはしなかった。機械の
メンテナンスを担当する父・邦彦も絶対に付けることはしなかった。
 夕子の機械工学の技術が上昇したこと。そして幾多の死闘を乗り越えた自信が、かえってこ
の装置を自身の手で付けさせることになった。使うことはない、使ってはならない装置。しかし、
いざに備えて取り付けたこの装置が、早速役に立つことになるなんて・・・
 
 半径100mを爆発に巻き込む、自爆装置。
 サイボーグ天使最期の切り札が、静かに爆破へのカウントダウンを数え始める。
 
 カチッ・・・・・・
 
 蘇る様々な記憶。ファントムガール・アリスとして疾走してきた苦闘の数々。同士と呼ぶべき
かけがえのない者たちとの、安らぎにも似た平穏な日常。
 そう、あの日トラックと衝突した日もそうだった。久慈仁紀の襲撃を受け、瀕死に陥ったときも
そうだった。
 死の直前、走馬灯のように駆け巡るという思い出たち。巷で言われる現象は事実であった。
死が近付くたびに、夕子の天才と呼ばれる頭脳には幾層もの記憶が重なりあってフラッシュバ
ックする。これまでも、そして今回も・・・。17年という歴史を紡いだ膨大な過去に埋め尽くされ、
夕子はついにその時が来たことを覚悟した。
 
「てめえ」

 剥き出したままのギャンジョーの白眼に、怒調とも焦燥ともつかぬ色が走る。
 カチッ・・・カチッ・・・アリスの内部に響く時限の音色に気付いたか。だがもう遅い。次の一秒
で、ツインテールの守護天使も、スカーフェイスの凶獣も、跡形もなく吹き飛ぶのだから・・・
 
 カチッ!!
 
 自爆装置最期のカウントが、異様なまでに大きく、東京湾に鳴り響く。
 
 終わりッッ・・・よッッッ!!!
 
 ブッシュウウウウウウッッ―――ッッッ!!!!
 
 滝のような鮮血が、死闘の海に降り注ぐ。
 深紅が塗り潰す。オレンジの戦乙女と、茶褐色の残虐恐竜を。
 かろうじて胸にへばりついていたプロテクターの残骸が、粉々に砕けて足元の海中にバラバ
ラと落下していく。
 
「・・・・・・・・・な・・・なん・・・・・・で?・・・・・・」

 アリスの最終兵器、自爆装置は作動していなかった。
 ピクピクと哀れなまでに震えるツインテールの美貌が、ゆっくりと己の胸、装置が埋まった箇
所に視線を移す。
 黄金の鎧はわずかな破片を残すのみ。剥き出しにされたエナジー・クリスタルが今にも消え
入りそうに瞬く。その奥、美少女の乳房の内部で爆破装置は破壊されていた。
 ドリルと化したギャンジョーの左腕。
 アリスの右乳房から中央まで、強引に、一気に抉り進んだ悪魔のドリルは、むっちりと張り出
した聖少女の豊胸と同時に体内の装置を貫いていた。
 
「アッッ?!・・・あぐッ・・・グブッ・・・そッ・・・そんッ・・・・・・なッ・・・ゴブウッッ!!・・・そん・・・な
ッッ・・・・・・」

 ギュイイイイイ―――ッッンンン!!!! ブチブチブチッッ!!! バリバリィッッ!!!
 
 凄惨な地獄の調べがサイボーグ天使の内側で共鳴する。回転し続けるドリル。引き裂かれる
乙女の肉。コードの切断音と金属の摩擦の響き。バキバキと何かがアリスの体内で削られて
いる。
 ツインテールの美少女が、神々しき光の女神が、人類の希望を背負った聖戦士が、乳房の
肉を抉られている。体内の器官を丸ごと破壊されている。致命的ともいえる斬撃を休む間もな
く浴び続けている。
 絶望の呟きも、悲壮な表情も、狂ったような痙攣も・・・滅びゆくアリスの全ては、いまや凶悪
な殺人快楽者の極上の馳走でしかなかった。
 
 ヴィッ・・・・・・ンッ・・・ヴィッ・・・・・・・・・ヴィ、ヴィッ・・・・・・ンッ・・・
 
「アアアッッ・・・あがあッッ・・・・・・ビクッ・・・ビクビクビクッッ・・・・・・ビグンッッ・・・」

 咲き乱れた血の華は、全てアリスの胸の孔と口腔から噴き出したもの。
 グジョリ・・・生々しい響きとともにドリルが柔肉から抜かれた瞬間、全てを失った血染めの天
使と、傷ひとつない凶獣の、残酷な地獄絵巻は完成を迎えた。
 
「ギャハハハハハッッ―――ッッ!!!! ゲラゲラゲラゲラ!!!」

 抜き出したドリルの先で、金属の部品がバチバチと火花をあげている。
 いまだアリスが立ち続けているのは奇跡のような光景であった。ガクガクと膝から崩れそうに
なる少女は、見えない糸で吊られているようにその度に身を起こした。銀の美貌が蒼白に映
る。絶望に凍った、その表情。多量の失血と全身の激痛で止まらなくなった、悶絶のダンス。ド
クドクとおびただしい血を垂れ流す右胸の孔からは、千切れ導線の切れ端が数本頭を覗かせ
ている。
 スクラップにされた、サイボーグ戦士。
 嗜虐に散った、ツインテールの聖少女。
 ギャンジョーの圧倒的暴力の前に、死相を浮かべた敗北天使がグラグラとふらつき舞い踊
る。
 
「へぶうッッ!!! ひッ、ひィぐッッ・・・グバアアッッ!!!」

「トドメだ。ファントムガール・アリス」

 霞みゆく意識のなかで、霧澤夕子は死の宣告を受け取った。
 
 もう、ダメ。
 全ては、終わったのだ。
 
 己の死を捧げた最期の攻撃も、この恐るべき凶獣には通用しなかった。
 もはや、ただ、殺される、のみ。
 象牙に似た右腕の白い槍が、悠然と引かれていくのが暗い視界の隅でわかる。
 心臓を貫くのか。いや、ヤツはそんなに甘くはない。必殺足るべく、エナジー・クリスタルを狙
ってくるだろう。硬い水晶体がそう易々と壊れることはないかもしれないが。
 いずれ一緒だ。心臓でも。クリスタルでも。私の身体はもう、ヤツの凶撃に耐えることなどでき
ない。
 あの見えない超速の刺突は、私には避けることができない。
 終わる。全て、終わる。
 次の一撃がファントムガール・アリスを・・・霧澤夕子を処刑する、最期の一撃となる。
 
 クラスメイトたち。
 里美。七菜江。ユリ。桃子。
 ・・・お父さん。
 溢れる記憶が天才少女の脳裏を万華鏡となって覆い尽くす。
 
「死ね」

 ドンンンンンッッッッ!!!!
 
 最凶暗殺者、必殺の槍撃が胸の中央の水晶体に放たれる。
 
「・・・・・・・・・・・・え・・・?!・・・・・・・・・」

 避けていた。
 かすかに灯る、青い光。生命の象徴であるクリスタルに神速のスピードで撃たれた象牙の腕
は、アリスの右腕によって弾かれていた。
 よろよろと後ずさる戦乙女が、不可思議な瞳でそっと己の右腕を見遣る。
 ライブ・メタルと呼ばれる特殊金属で出来た右腕は、『エデン』の助力を得て地球上のあらゆ
る鉱物に劣らぬ硬度を誇る。凶器が変態したギャンジョーの槍腕を受けきろうとなんらおかしく
はない。
 不思議なのは、なぜギャンジョー本気の一撃を避けられたのか?
 先程まではまるで見えなかった。超速度についていけなかった。
 それがこの身体で、この期に及んで避けられたというのは、単なる偶然の産物なのか?
 
「・・・ジタバタすんじゃ・・・ねえッッ!!」

 呆気に取られたかのように立ちすくんでいた疵面獣が、一息にアリスの懐に飛び込む。
 偶然を振り払うような、再度の一撃。
 聖少女の悪運に別れを告げるべく、必殺の刺突が天使の串刺しを狙って唸り飛ぶ。
 
 カキィィィ――――ッッンンンッッ!!!
 
 裏をかいて左胸、心臓に向かって放たれた槍撃は、またもやアリスの右腕に払い落とされて
いた。
 
“・・・み、・・・・・・見える・・・ッッ!!”

 偶然などでは、ない。
 まして奇跡などでも、ない。アリスには見えた。身体能力を遥か凌駕するはずの悪魔の凶刃
を、アリスの瞳は紛れもなく捉えていたのだ。
 
「ッッッ・・・このアマァッッ!!!」

 よもやの事態、瀕死の少女に渾身の一撃を二度もかわされた羞恥に、昇りやすい頭の血は
瞬時に沸き立つ。ギャンジョーからみても、アリスの動きは特に早いとは映らなかった。あくま
でも緩慢。それでいて確実に凶撃は破られていた。偶然ではないとわかるだけに、その猛りは
激しい。
 真下から突き上げられた槍の穂先が、少女戦士の顎に迫る。
 顔面を剥ぎ取るつもり。暴虐に過ぎる惨撃。それゆえ憤怒に駆られたギャンジョーの攻撃
は、あまりに隙の多いものであった。
 スッと身を引いたアリスの顎を、腕槍の強襲は掠め取って過ぎていく。
 空中に伸び上がった茶褐色の巨体が無防備な態勢を、身構える守護天使の眼前にさらけ出
す。
 
 死の直前、人は生まれ落ちてからの生涯の記憶を一斉に思い出す、と言われる。
 一瞬の間に数十年の旅路を振り返る、凝縮したひとコマ。その間脳の中では、何万、何億倍
という速度で時を遡っているともいえよう。
 超高速回転する脳は、時の壁を乗り越える。
 凄まじい勢いで脳が活性化されたとき、ひとは一瞬を数十年にも感じる奇跡を体感できる。
夕子自身にも経験がある、トラック事故に遭った、あの時。撥ねられて宙を舞う少女の瞳に、
周囲の光景はスローモーションのごとく映ったものだ。
 
“・・・幾度も死を・・・味わったことが・・・・・・そして・・・私の運命を変えたトラック事故が・・・・・・
こんな、ところで・・・・・・私を、助ける・・・なんて・・・・・・”

 天才と呼ばれる少女、脳を幾度も高速回転させてきた少女は、全ての謎を解いていた。
 活性化した頭脳、超高速で回転する研ぎ澄まされた脳が、見えなかった超スピードの槍を見
極めさせた。凶獣の一撃を認識させることに成功したのだ。
 一瞬を何十倍にも捉えることのできる今のアリスには、ギャンジョーの攻撃がハッキリ認識で
きる。
 
 グシャアアアアッッ!!!
 
 カウンターで叩き込まれる、サイボーグ少女渾身の右ストレート。
 スカーフェイスをぐにゃりと歪ませた凶獣が、炎の出る勢いで海面を滑り湾口の倉庫群へと
激突する。
 
「グウッッ・・・グオオオオオオオオッッッ―――ッッッ!!!!」

 建築物の残骸と土埃とを撒き散らし、口腔を真っ赤に染めた凶獣は、東京中を震撼させる咆
哮を轟かせて立ち上がった。
 怒りにたぎる白目に飛び込んできたのは、ただ静かに波打つ深夜の海面。
 聖なる血が沁みのように広がった東京湾に、ツインテールの瀕死の女神は、もはやその姿を
留めてはいなかった。
 
 
 
 ざわめきがうねりとなって街を包んでいた。
 通り一帯を埋め尽くした人の群れ。毒々しいまでの光の洪水と絶えることない喧騒に満たさ
れた街、その名は渋谷。
 中高生が氾濫するイメージの強い土地は、深夜に近い時間帯ともなれば、その表情に昼間
とはやや異なった趣きを見え隠れさせていた。酒と暴力と闇色の匂い。日本最大のプレイスポ
ットのひとつと言える繁華街は、あらゆる雑多な人種をその懐に抱いて眠らない夜を眠る。週
末を迎えたこの日、泣き出しそうな空を鼻であしらうように、様々な人々の様々なパーティーが
朝まで繰り広げられるはずであった。
 
 この日の喧騒は、普段渋谷の街が迎えるものとは種類が異なっていた。
 奏でる音の大きさは変わらないでも、含まれた緊迫感が街全体を重くする。サラリーマン、中
高生、夜の世界の住人たち、海外からの訪問者・・・等しく帯びた高揚と緊張。意志を持った流
れのように一定の方向に歩を進めていく彼らの頬を、ビリビリとした空気が叩く。一様に浮かべ
た表情には、今にも叫びたい、今にも駆け出したい想いを必死で留める懸命な跡が刻まれて
いる。
 
 山手線でわずか一駅。目と鼻の先といえる明治神宮において、巨大生物と銀色の守護天使
との激戦が開始されたという情報は、瞬く間に渋谷全体を覆っていた。
 ニュースを見た者。警報を聞いた者。直接その目で、彼方で繰り広げられる聖戦を目撃した
者。ウイルスのごとく広まった噂は、確固とした現実として渋谷に受け入れられる。恐れ知らず
を自称する少年らも含め、人々は我先にと逃避の道を進んだ。
 東京全体を包んだパニックのなかでも、特に渋谷はその距離の近さから動揺は顕著であっ
た。
 怒声と絶叫、まだ現れてもいない巨大生物の影に街は怯えた。車はおろか人の群れですし
詰めとなった道路を、ノロノロと人々が歩いていく。大都会が収蔵した数十万に昇る人の群れ
は、徒歩での渋滞を引き起こしたのだ。歩くという、最も基本的な移動すら自由に許されない現
実。いつゴールが見えるともわからぬ牛歩の逃避行に、渦巻く不安は積乱雲の如く天を覆い
尽くさんとしている。
 
 もし巨大生物が、侵攻の牙をこちらに向けてきたらどうなるのか?
 予想するだけで恐ろしい事態であった。50mの体長を誇るという巨大生物ならば明治神宮か
ら渋谷までは1分と経たずに襲撃可能であるだろう。怪物の気まぐれがこちらに向いた時点
で、渋谷に集った人々の運命は決まる。死を感じる、すぐ後ろに。それでいて、動くことすらま
まならぬ。今や、最先端の文化を発信する絢爛な街には、ただ巨大生物がこちらに来ないこと
を願う原始的な祈りだけが、鬱積していた。
 
「はァ・・・はァ・・・はァ・・・」

 雑居ビルの隙間で切なげな吐息を洩らし続ける美乙女の姿に、特別な視線が集まらなかっ
たのも、そんな戒厳下の情勢にあればこそであっただろう。
 惹き寄せられずにはいられない、美少女であった。
 大胆に鎖骨を覗かせたピンクのニットセーターに、純潔を象徴するかのようなオフホワイトの
マイクロミニ。露出の多いファッションに関わらず、清潔な可憐さを感じさせるのは、愛くるしい
までの美貌によるものだろうか。卵型の輪郭に魅惑的な瞳と厚めの唇を納めた面容は、世の
全ての男性を蕩けさせずにいられぬほどチャーミングであった。綺麗であり、可愛くもある。小
柄ながらどこか艶のある色香を醸す少女は、ロリータから妖艶まで、あらゆる男の好みを満た
してしまいそうだった。
 
 肩までかかったストレートの茶髪には土埃がこびり、セーターのところどころはホツれている。
この危急事態の最中、少女がなんらかのトラブルに巻き込まれたことは容易に想像できる。ア
イドル顔負けの美少女が見せる苦境に、本来なら通りがかる男たちの大部分が救いの手を何
十と差し延べたことだろう。
 だが幸か不幸か、懸命に生を求めて逃げ惑う渋谷の住人に、苦しむ美少女の姿は映らなか
った。
 一刻も早く、逃げねばならぬ。正義の使者である青い色のファントムガールが、敗北したとの
噂も錯綜している。具合の悪そうな女子高生ひとり見かけたところで、助けようなどと余裕のあ
る者は、今宵の渋谷にはいるはずもなかった。
 
「なんとか・・・逃げられた、みたい・・・」

 安堵のためか、煮えるような痛みのためか、桜宮桃子は慈しむように両手で我が身を抱き締
める。
 パニックに陥った渋谷の情景は己の無力さを痛感させるが・・・こと目立たないで済む、という
面では都合のいい部分もあった。どう見ても可憐な美少女と不自然なまでの負傷。守護天使
の正体を隠したい乙女にとっては、騒然とした雰囲気はある種の隠れ蓑にもなる。目前を続々
と過ぎ去っていく人々の流れを見詰めながら、桃子の本心はホッとしたものを感じているのが
事実であった。
 
 そして、初めて体験する巨大生物の襲撃に緊迫する街に比べ、事情をよく知る桃子の内心
にはわずかな余裕があるのもまた事実であった。
 巨大生物の正体が『エデン』の力を手に入れた人間であることすら知らぬ人々にわかるわけ
もないが・・・明治神宮に現れたミュータントが、この渋谷の地に現れる可能性は極めて低い。
同じ『エデン』を体内に飼う桃子だからこそわかる。
 なぜなら神宮の森に現れた4体のミュータントは、すでに変身を解除済みであるからだ。
 満足な休息を取らずに連続で巨大変身するのは不可能ではない。しかし、肉体にかかる負
担は決して少ないとはいえぬ。連続変身を体験した桃子には、その疲労の蓄積度と危険性が
身に沁みて理解できるのだ。明治神宮でファントムガール・ナナとの闘いを終えたばかりの悪
漢どもが、特に理由なく近隣の土地を襲うとは到底考えられなかった。
 
 事実上、ナナにトドメを刺した新手の二怪獣。サングラスをかけた白スーツ姿と、顔面傷だら
けの男、桃子をさんざんに痛めつけたふたりの兇悪ヤクザがその正体であることは決定的で
あった。確か、海堂とジョーと呼ばれていたふたり。ナナを一方的に屠り、変身解除直後とは思
えぬ動きで桃子を苦しめたあの強さは、戦慄を覚えずにはいられない。冷静に考えて、ファント
ムガール・サクラである桃子との実力差は相当な開きがあるだろう。
 とはいえ。
 負担の激しい連続変身をしてまで街を襲うかと問われれば、その身を蹂躙されたエスパー少
女からしてもNOと言いたくなる。明治神宮にミュータントが現れたことに渋谷は怯えているが、
実はその逆。今現在は安全な時間帯なのだ。その真実を知るからこそ、窮地を脱出したイマド
キ美少女は、傷ついた身体を休めるため宿泊地である若者の街へと逃げ延びていた。
 
 住民たちが脱出し、もぬけの空となった渋谷で体力を回復しよう。
 桃子に課せられたすべきことはいくつもあったが・・・最優先にすべきは「生き延びること」に
あるのは疑いようがなかった。
 だからこそ、瀕死の朋友を見捨て危地を脱したエスパー姫は必死で走り続けた。力の限り。
追跡を逃れて。
 仕切り直しさえすれば、きっと逆襲のチャンスは来るはずだ。
 そう信じることで、桃子は背後を気にしながら明治神宮から渋谷までの距離を走破したので
あった。
 
「里美さんに・・・連絡、しなきゃ・・・」

 取り出したピンクのケータイで五十嵐里美の番号を探す。一刻も速く連絡をと思いながらも、
敵の息遣いが感じられる間は行動に移すことができなかった。ようやくの一息を入れられた
今、リーダーである令嬢戦士に伝えねばならぬことは山ほどある。
 
「ナナが、あのひとたちに捕まったことと・・・あたしが・・・・・・逃げてきたことを、話さなきゃ・・・」

 朱鷺色に輝く下唇を、白い前歯がついと噛む。
 『通話』のボタンに伸びた指先が、その動きをピタリと止めた。
 
「ゴメン。ゴメンね、ナナァ・・・・・・ゴメンね・・・」

 友を、戦友を、見捨てて逃げた。
 桃子の小さな胸に去来する想いは、悔恨よりも屈辱よりも悲痛であった。助けられなかった。
生命の危機に陥った、かけがえのない親友を。助けるために神宮の森に向ったはずのエスパ
ー少女は、むざむざと逃げ帰るのが精一杯だった。
 
 死ねるのなら、死にたかった。
 藤木七菜江を救うのと引き換えに、己の命を差し出せたのならどんなに嬉しかったことか。救
出に全てを傾け玉砕できたのならどんなに気楽だったか。我が身を守って遁走する選択肢
は、心優しき美少女にとって最も苦しみを伴う答え――
 
 それでも逃げたのは、五十嵐里美の言葉を決して忘れてはいなかったからだ。
 
「死にたがってはダメよ、桃子」

「え?!」

 ふたりきりの鍛錬道場。特訓終了後、へたりこんで座る茶髪の美少女に、麗しき令嬢は視線
を同じにして語りかけた。
 
「ううん、ゴメンね、変なことを言ってしまって。けれどあなたを見ていると、時々犠牲になること
を自ら望んでいるんじゃないかって思えることがあるの。天から与えられたその力は、誰かの
ために使うものだって・・・」

「そ、そんなこと、考えてないですよォ」

 言いながらドキリとしたのは何故だったんだろう?
 
「犠牲になるという行為は尊いようにも思われるけど、最善を尽くすとは必ずしも一致しないと
思うの。あなたがその身を捧げれば問題が解決するとは限らない。場合によっては生き延びる
ことが、いいえ、もっと厳しく言えば、他の誰かを犠牲にする方が正解だということもあるかもし
れない」

「で、でもォ・・・あたしは他の人を犠牲にしてまで、自分が生き残るのはなんか・・・」

「嫌でしょうね。けれど、その感情を押し殺してでも、事態を解決するためにベストと思われる行
動を取る。そんな決断が、いつか桃子にも迫られる日が来るんじゃないかな」

 あくまで優しい里美の声音は、全く表面化させない裏に、どこか諭す含みが隠されているよう
に思われた。
 
「感情を殺してでも・・・ベストと思われる行動・・・あ、あたしにそんなこと、できるかなァ?・・・」

 ふっくらとした白い頬を紅く染め上げたイマドキ美少女に、包み込むような声が掛けられる。
 
「無理にしろ、なんて言わないわ。でもね、安易に身を投げ出そうとだけは、桃子には考えて欲
しくないな」

「さ、里美さん、あたしはそんな、簡単に死のうだなんて思ってませんってばァ」

「あのね、桃子」

 閑とした鍛錬場内に、柔らかな春風が舞い込んだと思えたのはその時であった。
 
「あなた自身が幸せになっても、いいのよ?」



 もしあくまで七菜江救出にこだわり、4人の敵を相手に神宮の森で闘いを続けていたなら、桃
子は間違いなく無惨に処刑されていた。
 狙いが七菜江の奪還にあると知られている以上、その達成は困難であった。あの場におい
て、エスパー戦士はほとんど無力と言ってもよかった。
 逃げるのが最上の策。
 犬死を避け、情報を持ち帰る。それが桃子にできる最高の選択肢。たとえどんなに辛くても
苦しくても、次の機会に七菜江を救出するために、桃子が導き出した答えであった。
 
 潤む視界でケータイの液晶画面が歪む。だが涙は流さなかった。まだ七菜江に詫びるのは
早い。逆襲のチャンスはまだいくらでもあるはずだった。まずはリーダーの里美と連絡を取るこ
と。里美さんならきっとなんとかしてくれる。あたしにはどうすることもできなかったこの苦境を、
きっと切り開いてみせてくれる・・・
 再び少女の白い指先が、『通話』のボタンへと伸びていく。
 
 圧倒的な戦慄が身を貫いたのは、その瞬間であった。
 ストレートの茶髪が揺れる。振り返る。叩きつけられた悪意に心臓も凍える錯覚。可憐な美
貌を青白く引き攣らせた桃子の瞳には、ビルの隙間の暗闇が無言で広がっているのみ。
 ・・・気のせい?
 ニットセーターに包まれた丸い両肩が、ゆっくりと深い息を吐く。
 
「かくれんぼは終わりだ。桜宮桃子」

 背後から伸びた右手がピンクのケータイを掴むのと、瞳を見開いた美貌が振り向くのとは同
時であった。
 
 バキャ
 
 反射的に一気に十mを飛びずさるエスパー少女。開いたままの瞳のなかで、空のテトラパッ
クを潰すように、お気に入りのケータイが男の右手のなかで無惨に砕け散る。
 三つ揃いの白のスーツに、真一文字のサングラス。
 ひと目でそれとわかる裏世界の住人は、桜宮桃子の前に再びその禍々しき姿を現していた。
 
「自己紹介はまだだったな。海堂一美。またの名をゲドゥー。ファントムガール・サクラが最期に
闘う者だ」

 驕りでも、脅迫でもなく――
 桃子の死を婉曲に宣言する海堂一美の声は、無機質な響きのなかにただ現実を突きつける
ような冷徹さが込められていた。
 ゴクリ、細く白い咽喉が鳴る。冷たく濡れた己の掌と尖った顎を伝う汗の感覚を、エスパー少
女はどこか霞みがかった意識のなかで自覚していた。
 
 強い―――
 超能力者ならではの鋭い嗅覚が語りかけてくる。このひと・・・海堂一美と名乗ったこのひと
は、途轍もなく強い。本来ならば、桃子が相手をしてはならないほどの。
 正確に言えば、恐ろしい―――
 外見が示す彼の職業、真正のヤクザ者であることが恐ろしいのではない。海堂という人間の
存在、そのものが桃子に畏怖を与えている。
 
 身長は180cmを越えるくらいか。ソフトモヒカンの髪型が細長い顔をより鋭利に見せている。
高く尖った鼻梁と薄い唇。全身のあらゆるパーツが鋭く研ぎ澄まされたような印象。長方形の
サングラスで表情は読み取れないにも関わらず、海堂の放つナイフの如き殺意が、桃子には
明確に伝わってくる。
 恐らく100人が100人、この白ずくめの凶魔と遭遇した者は、触れれば切れそうな殺意を感じ
取ることだろう。
 だが天から念動力を授けられた美少女は、その類稀な直感で海堂一美の本質にまで迫って
いた。
 
「明治神宮で話した通り、藤木七菜江という餌がすでにある以上、お前を生かしておく必要はな
い。見せしめの意味も含めて盛大に死んでもらおう」

「・・・あたしを殺したくて・・・たまらないって感じだね・・・」

「人類の守護天使を屠る。殺しを生業とする者として、これ以上の名誉もないだろうな」

「許せないってひとたちはいっぱい見てきたけどォ・・・人の仮面を被った悪魔は初めて見た
よ・・・」

 存在そのものが悪であり、邪。
 環境とか教育とかまるで関係ない、生れ落ちての生粋の悪党。魂自体が邪悪で出来ている
存在。
 赤ん坊が事故に遭いかけていたら助ける。理由もなくひとを傷つけることには躊躇する。それ
が人間の性というもの。海堂は違う。他者が傷つくことに、傷つけることにまるで抵抗感のない
男。殺人という人類最大の罪に対してすら罪悪感を露ほどにも持たぬ。思考から発想まで、全
ての根本が常人とは違う存在なのだ。
 悪事に喜びを見出すのが悪魔ならば、悪魔はこの世に実在する。目の前に。海堂一美こ
そ、本物の悪魔。
 
「さすがは超能力者。この海堂一美をよく理解している」

 否定するどころかやや感心したような口調でサングラスの極道が応える。
 むろん、自身のことはよく悟っている。スカーフェイスのジョーは殺人快楽者、人殺しに快感を
覚える異常者だが、“最凶の右手”は少し異なる。殺人が当然のことなのだ。食事を摂るのと、
同じ。通常では有り得ない感覚。 『エデン』が邪の資質に合わせて闇のエネルギーを授けると
いうのであれば・・・邪そのものである海堂が秘める暗黒エナジーはいかなる巨大さになるとい
うのだ。
 危険すぎる。この闘いは。
 誇張ではない、死の薫りが濃厚に漂う闘い。現に十数分前、桃子はわずかな激突で、常人な
らば死は免れぬ破壊を“最凶の右手”から受けている。
 
 逃げるしか、ない。
 
 エスパーの勘と海堂に潰された柔肉の痛みが教えてくれる。勝ち目はないと。逃亡こそが唯
一の対抗手段。
 
「また逃げる気か?」

 青白い桃子の表情を読み取ったようにサングラスの凶魔が訊く。
 
「無駄だ。お前は逃げることはできない」

 暗黒の空から漆黒の稲妻が迸ったのは次の瞬間であった。
 真夜中の渋谷駅前に、ひとつ目の巨大生物が降誕していた。
 ダイヤを思わす菱形の頭部に濃紺に光る一文字の眼。誰が見ても明らかな人型のミュータ
ントは、鋭利な印象のある白き甲冑を身に着けている。肩・胸・腰のプロテクターの間から覗く
肉体は漆黒の縄で編まれたか如く形状。仰ぎ見る桃子の脳裏に、呪術で使われるという藁人
形の姿が重なる。
 地鳴りにも似た悲鳴が、若者集う歓楽街に轟いた。
 突如出現した巨大生物への恐怖、絶望、驚愕。
 海堂一美、いや、凶魔ゲドゥーが振り撒く瘴気に汚染されるかのように、退避中であった渋谷
の街をパニックが猛烈な勢いで飲み込んでいく。
 
「さて、どうする? 正義の使者ファントムガール・サクラ」

 口も鼻もない細長いゲドゥーの顔が、不敵に歪んだようであった。
 
「何万という犠牲を残して逃げるつもりか? それとも、お前ひとりが犠牲になるか?」

 悲鳴轟く真夜中の渋谷に、光の奔流が渦を巻いて立ち昇る。
 こだまする叫喚に挿し入る、歓喜とどよめき。死を覚悟した人々の、藁にしがみついた迸りで
あったか。
 女神が、降臨していた。
 漆黒の凶魔を追うように続けざまに現れた、銀とピンクの守護天使。歓楽街を塗り潰す絶望
に、希望の光が切り込みを入れる。巨大生物の目の前に対峙する桃色のファントムガールの
姿は、逃避すらままならぬ人々には、まさに美麗なる神の遣いとして映った。
 
 噂には聞いていたが、なんと神々しき姿か。
 50mに迫る身長は巨大生物と遜色ないものの、抱かせる心象はまるで違う。恐怖と威圧感の
代わりに感じるものは、どこか慈しみの和やかさと尊きものへの畏怖。全身銀色の体表に浮
かんだシンメトリーの模様は、シンプルでありながら可憐さを強調するような趣があった。模様
と同じピンクの髪は、肩にかかるストレート。街角でよく見かける髪形は、人気モデルさながら
の美貌に驚くほどマッチしている。
 女神の形容に決して位負けしない容姿であった。
 瓜実の輪郭に可憐と美麗を備えた魅惑的な瞳。色香ほのめく高い鼻梁と厚めの唇。全ての
パーツが完璧にしつらえられた美少女。まだ発達段階と見受ける小柄な肢体は洗練されてる
とは言い難いが、小ぶりでも形のいい乳房とキュッと吊り上がった大きめのヒップは少女のそ
れとは思えぬほどに艶かしい。
 その美貌といいスタイルといい・・・蕾の愛くるしさと成熟した芳香を兼ね備えた美乙女。
 たんなる巨大な存在ではなく、守護天使と呼称されるべき説得力を、ファントムガール・サク
ラの雄姿は物語っていた。
 
 圧倒的悪の化身と、美しき守護少女。
 前もっての知識などなくても、巨大な存在の本当の正体など知らなくても、場にいる全ての傍
観者は悟っていた。両者が何者かを。漂う臭気が教えてくれる。本能のアンテナが感じてくれ
る。ひとつ目の怪物が恐るべき脅威であり、絵に描いたような巨大な美少女が唯一対抗出来
得る戦士だと。
 今、日本有数のカジュアル都市は、正邪の聖戦の舞台となった。
 
「死ぬと知りつつ躊躇なく変身したか。守護天使の異名に恥じぬ決断だ」

「ナナのときとは・・・違うよ」

 皮肉でもなく賞賛を含むような低い声に、ファントムガール・サクラの応えは凛として響いた。
 
「ナナは・・・ううん、あたしたちは、『エデン』を受け入れた時からいざって覚悟はできてる。さっ
きは逃げるのが一番いい方法だと思ったから逃げた。でも・・・この場にいる人たちを見捨てる
なんて、ゼッタイにできっこない」

「不便なものだな。逃げたくても逃げられぬとは」

「不便なんかじゃない。あたしひとり助かるためにファントムガールになったんじゃないもん、ひ
とりでも多くのひとを助けるためにファントムガールに選ばれたんだって思ってる。ここで逃げる
なんて有り得ないよ」

「正義の名の下に犠牲になるか。まさか生存できるなどと思っていないだろうな?」

「勝てるとは思ってない。だからって犠牲になるわけじゃない」

 ピンクに輝くストレートの奥で、美麗なる令嬢と交わした会話と、瀕死のアスリート少女を置い
て逃げた記憶とが混濁して蘇る。
 
「理由も勝算もないよ。闘わなきゃいけないから闘うの! もう、逃げたくなんかない!」

 銀のグローブをはめた両手が真っ直ぐに突き出される。
 決戦の火蓋を切って落としたのは、生来闘いを好まぬ優しきエスパー戦士の光線であった。
 掌から射出される、ピンク色の光。銀色の女神たちが基本技として使うハンド・スラッシュが、
佇むゲドゥーへと放たれる。
 比較的容易く放つことができるハンド・スラッシュは、ファントムガール全員が扱える初歩的光
線であった。ジャブという意味では適格ではあるが、威力に乏しい欠点は否めない。
 
「つまらんな」

 キャッチボールでもするかの如く。
 バチイッッ! という炸裂音を響かせて、聖なる光の帯は漆黒の縄で編まれた右手に受け止
められていた。
 致命傷を負わせる技ではないことは確かにしても、ミュータントにとって最も災いを為す光の
攻撃を、こうも易々とあしらうというのか。
 だが生身の身体にて手合わせ済みのサクラは、ショックであるはずの事態にまるで動じず、
次なる追撃を仕掛けていた。
 
「“ショット”ォッ!!」

 差し出した両手が強く瞬いたと見えたのは、一瞬。
 一直線だった光線が無数にその数を増殖させる。ハンド・スラッシュの乱れ打ち。豪雨のごと
き光線の乱射は、まさにショットガンの命名に相応しい。
 エスパーである、サクラならではのハンド・スラッシュの進化形。
 数え切れぬ大量の光線を一度に放つなど、この技をオリジナルとするサトミにしてもできるか
どうか。身体能力では他戦士に一歩譲るサクラであるが、思念を元に技を発動する光線技は
種類にしろ威力にしろ得意とするところであった。散弾となった光の飛礫が、佇む凶魔に襲い
掛かる。
 
 バババババババンンッッッ!!!
 
 爆ぜる音色が断続して渋谷の夜空に奏でられる。
 全身に殺到したピンクの連撃を、ゲドゥーの右手は全て小蠅を叩き落すが如く弾いていた。
 
「“バースト”ォッッ!!」

 昼のような明るさが深夜の街を支配したのは、数瞬の間も置かぬ時であった。
 連続の光線技。更なる進化を遂げたハンド・スラッシュ。
 いやもう、同一系の技とは到底見ることはできない、通常の20倍はあろうかという巨大な光の
砲撃が、渾身の力とともにサクラの両手から放たれる。
 ゴオオオオオウウウッッ!!!
 桃色の弩流が大地を揺るがす。空気を焼くツンとくる異臭が鼻腔をくすぐる。
 闇の眷属を十分に一撃で葬る強大な光の波動が、刃のような鋭利な凶魔に突き進んでいく。
 
「フン」

 真一文字の眼しか持たぬ菱形の頭部は、塵ほどの動揺も示すことはなかった。
 右手を握る。振りかぶる。
 必殺の域に達しているはずの、サクラ渾身の光線に向かい―――“最凶の右手”が拳を振る
う。
 
 ―――信じられぬ、光景であった。
 美乙女と、いみじくも聖戦の観覧者となった渋谷の住人たち。蒼白となった彼女らの瞳に映っ
たものは。
 怒涛となって押し寄せる光線が、拳ひとつで微塵となって吹き飛ばされる姿。
 力の限り威力を高めた光線技“バースト”・・・ゲドゥーの大振りの一撃によって、サクラの必
殺光線は霞となって消え去ってしまっていた。
 
「う、うそ・・・そん・・・なァ・・・」

「やはりつまらんな。桃色の戦士サクラはファントムガール内でも最弱とは聞いていたが・・・弱
すぎる」

 眩暈が、エスパー天使の足元をグラグラと揺るがす。
 眩暈ではなかった。一歩、一歩と向かってくるゲドゥーの前進。地響きが局地的な地震となっ
て、サクラと恐怖に打ちのめされた人類を襲う。漂う惨劇の予感。かつてない悪魔の脅威に、
何かこれから途轍もない、想像するだに恐ろしい悪夢の予兆が・・・暗鬱な空と重なって覆って
くる。
 
 近づけては、ならない。
 
 予想は確信に変わっていた。あのゲドゥーの右手。脅威を通り越し、畏怖すら覚えるあの右
手はあまりにも危険すぎる。海堂一美の右手にさんざん蹂躙された経験が、サクラの脳裏に
警鐘を鳴らし続けていた。あの右手の届く範囲に近づいてはいけない。接近戦になった時点
で・・・終わりだ。
 念動力で作った、鉄の壁。海堂の右ブローは信じられぬことに、サイコのシールドを破った。
あらゆる防御が無意味であることだろう。接近は即ち、死を意味する。勝機があるとすれば、
右手の届かぬ遠距離戦。同時にそれはサクラの得意フィールドである光線の攻防も意味して
いた。
 
「“レインボー”!!」

 サイコの力、念動力を実体のあるエネルギーに変えてふたつの掌に集中させていく。
 最大出力の超能力を、七色の光線と化して照射するサクラの必殺技“レインボー”
 唐突に最高の技をこの場面で出すことが、決して褒められた策でないことは、戦闘に本来無
縁のサクラとて理解している。
 だが・・・通常の攻撃がゲドゥーの前ではほとんど無意味であることが明らかとなった今、その
前進を食い止めるのは最高威力のこの技しか思いつかない。
 
“お願いィ、効いて! あたしの力の・・・超能力の全てを!”

 桜宮桃子が、人類の守護者である理由を。常人とは一線を画す、選ばれた戦士であるべき
源泉を。
 心優しきイマドキ美少女が、戦士として闘わなければいけなかった全て・・・天から授かったサ
イコのエネルギーが、強烈な正義の刃となって迫る凶魔を迎撃する。
 
 光り輝く、一直線の虹。
 エスパー天使から撃たれた七色の光の奔流が、死の化身である漆黒の凶魔に呑み込みか
かる。
 
 ドンッッ!!
 
 逃げていた。
 それまでの悠然とした足取りが一転、日本刀の妖気を纏ったひとつ目の藁人形が、地を蹴り
凄まじい速度で一気に可憐な少女戦士に殺到する。
 
「は、速いッッ!!」

 虚しく宙を過ぎる虹色光線。予想を遥か上回るゲドゥーの身体能力。刹那に訪れた、絶体の
窮地。
 危険領域に躊躇なく踏み込んでくる菱形の凶魔。
 必殺光線を避けられた桃色の女神の身に、終末の息遣いが一気に吹きかけられる。
 
「“ブラスター”ッッ!!」

 突如火花に包まれる、白甲冑の悪魔。
 爆発という現象自体を、超能力によって直接敵の肉体に引き起こす異能技。通常の光線で
は猛スピードで迫るゲドゥーに的中させるのは、サクラにはできない。だが“ブラスター”である
なら、気配さえ掴めばいかなる速度の持ち主であろうと攻撃は可能だ。
 
「効かねえな。こんなものは」

 サクラの懐の内に、煙を立ち昇らせたひとつ目の凶魔はいた。
 手を伸ばせば確実に届く距離。絶対不可避である反面、与えるダメージには劣る“ブラスタ
ー”では、進撃をわずかに留まらせるので精一杯であった。
 菱形の頭部がニヤリと笑う愉悦の響きを、美貌を汗に濡らした可憐な少女戦士は聞いた。
 
「この至近距離で攻撃をかわすのは、無理ってもんだ」

「普通に闘ったら勝てるわけないって・・・あたしだってよくわかってる」

「超能力者ってやつは、突拍子もない技仕掛けてきやがる。“ブラスター”か? 愉しめた攻撃
だった」

「通用するなんて思ってないよ。ただ、ちょっとの間、動きを止められれば良かった」

 絶対の死を招くはずの接近戦。圧倒的劣勢に立たされた、窮地の守護天使。
 だが。
 違った。
 サクラの目前に迫ったゲドゥーの周囲には、ピンクに輝く巨大なダイヤモンドがその身を閉じ
込め包囲している。サイコが作り出した桃色の結晶の内部に、恐るべき凶魔は拘束されてい
た。
 
「“プリズン”、フォース・シールドで作った光の牢屋よ。あなたを拘束できるのはわずかな間だ
ろうけどォ、この距離だったら今度は外さないよ」

 両手を突き出したサクラの掌に、再び七色の光が集結する。
 
「光のエナジーで作った結晶の壁は闇の力で壊すのは難しいけど・・・同じ光なら簡単に通すこ
とができる。あたしがあなたに勝てるのなんて、多分、このチャンスだけだろうから・・・」

 容赦は、しない。
 ナナを血の海に沈め、殺意をばら撒く恐るべき敵。情けをかけるべき相手ではないことは、
少女にも百も承知であった。人類のために、滅ぼさなければならない悪魔。考え得る最強の技
を、エスパー天使が放つ。
 
「“レインボー”!!」

 全サイコエネルギーを集約した聖なる光線が、手を伸ばせば届く距離で虹色の橋を架ける。
 ギュララララララララッッ!!!
 サクラ最大の光線が桃色の結晶をすり抜け、身動きできぬ凶魔の白甲冑、その胸の中央に
激突した。
 しのぎあう、光と闇のエネルギー。漆黒に漆黒を重ねた殺人鬼の暗黒は、吐き気を催すほど
の濃密さで凝り固まっていた。肉体の強さのみではない。いや、寧ろゲドゥーの本質的脅威
は、純粋とまで言えるその圧倒的邪悪。底知れぬ負のエナジーが、全放出する美乙女の最強
光線を黄金色に跳ね散らす。
 
「無駄だ。お前ごときがこのゲドゥーに通用すると思ったか」

「そんなこと、わかってる!」

 銀のマスクに光る青き瞳。
 ゾクリとする美しさとキュンとくる愛しさを同居させた魅惑の瞳が、強い決意を伴って凛と輝い
た。
 
 気付いては、いた。
 最強の光線であるはずの“レインボー”が真の強敵に対し、必殺足りえないことに。
 殊更メフェレスとの闘いにおいて、真正面から七色の光線が打ち破られたショックは、争いを
好まぬ桃子にしても改良の必要性を余儀なく思わせた。今のままでは通用しない。桃子が秘
める超能力、そのサイコエネルギーを掻き集めて放つ“レインボー”は最大出力を誇るはずな
のに、その威力がナナのスラム・ショットやアリスのヒート・キャノンに比べ見劣りするのは何か
理由がある。
 疑問はほどなく解けた。
 超能力を結集する“レインボー”、その光のエネルギー自体は、決してナナやアリスに劣って
いるわけではない。
 問題なのは、そのエネルギーをそのまま光線として撃つ、その方法。
 “プリズン”がダイヤモンドをイメージするように、あるいは超巨大質量の球体で押し潰す“メテ
オ”がボーリングの玉を想像するように。
 具体的なイメージを創ることで、サイコパワーはその威力を増幅させる。
 
「“レインボー”ムーヴ・・・“スパイラル”ッッ!!」

 ぐにゃあああああ・・・
 捻じ曲がる。サイコの虹が。意志を持った動物のように、その真っ直ぐな七色の帯を、自ら回
転して変形していく。
 サクラが脳裏に思い描いたものは、錐揉み回転して進むドリルであった。
 単に思念の力をぶつけていた虹色の光に新たな力が加えられる。回転力と推進力。そしてな
により、穴を穿つという、凶暴ですらある意志。エネルギーの集合体であった七色光線が、今、
具体的な破壊の力を得て進化した必殺技として生まれ変わる。
 
 ギュリュリュッッ!! ギュル、ギュルルルルルルッッ!!!
 
「ぐうッッ・・・ぬぐッ・・・ぐおおおおッッ?!!」

 漆黒の凶魔が思わず洩らす叫びは、確かな驚愕に彩られていた。
 弾け飛ぶ白プロテクターの残骸と、壮絶なる破壊音。
 凶魔ゲドゥーの胸襟を抉る七色の光が、暗雲重なる渋谷の夜空に迸った。
 
 地を揺るがす衆人のどよめきが、若者の街に立ち昇る。
 どよめき、としか表現できない唸りであった。とんでもないものを見た、という動物の咆哮。そ
の瞬間人々の胸を塗り潰したのは、歓喜よりも先に驚愕であった。
 見ただけで、いや、感じるだけで理解できる。漆黒の凶魔の恐るべき強さ。裏付けるように、
ピンク色のファントムガールが仕掛ける光線を片手で容易く跳ね返す。花咲くような光の女神
に、勝利の可能性など微塵も感じられはしなかった。
 今。明らかに。守護天使最強の光線は、鋭利な悪魔の中央に直撃していた。
 逃げられはしなかった。最大放出の聖なる光がまともに胸を抉る。渋谷に降る白甲冑の破片
がそれを証明している。もし正義の勝利する確率が1%であったのならば、その100分の1の
奇跡が起きたのではないか?!
 本能から迸った叫びが凱歌の歓声へと変わる、その時であった。
 
「・・・そ・・・・・・んな・・・・・・」

 呆然とした呟きは、荒々しく肩を上下させる桃色天使の口から洩れていた。
 凶魔ゲドゥーは無傷であった。
 白煙を昇らせた縄目の如き黒の胸は、ただその表面をわずかに削らせたのみで、出血すら
認められなかった。
 胸のプロテクターは破壊した。だがサクラの新必殺技ができたのはそこまでだった。邪悪の
化身ゲドゥー。そのコールタールに浸かったような幾重もの暗黒の前に、少女戦士の正義はダ
メージひとつ与えることが出来なかったのだ。
 
「甘いな。キャンディのごとく、だ。ここを狙っていれば、お前にも勝つ可能性があったというの
に」

 藁人形にも似た漆黒の肉体が膨らむ。力を込めた、と見えた瞬間であった。
 ダイヤモンドを想像して創られたサクラの光の結晶は、乾いた音色を伴って粉々に弾け飛ん
だ。
 サイコの防御壁が?! あのウミヌシを束縛した堅固な牢獄すらもこの凶魔には数秒しかも
たないのか?!
 最強の光線は通じなかった。
 最硬の障壁は容易く破られた。
 引いていく全身の血に代わってサクラに押し寄せたのは、悪寒と戦慄。グラリと揺れる視界
のなかで、ゲドゥーの右手はゆっくりと濃紺に光るひとつ目を指差した。
 
「狙うべきは、ここだろう? 非情になれず千載一遇のチャンスを逃すとは、所詮惨めな小娘だ
な」

 必殺を決意し、思念の力を凶悪なドリルへと変形させたことですら、サクラには英断であっ
た。
 それを顔面になど。まして眼を狙うなどと。
 心優しきエスパー少女に気付けというのが無理な注文。いや、たとえ気付いていようと、誰か
に教えてもらおうと、女子高生桜宮桃子に無慈悲な攻撃が出来得るわけもない。
 
「では」

 銀色の可憐なマスクに瞬間走る、恐怖。
 来る。凶魔ゲドゥーの攻撃が。
 鋭身に纏う瘴気のもやが、濃度を増して澱みへと移る様をサクラは見た。
 
「引き裂いてくれる」

 ゴオウウウッッ!!!
 
 突き出した“最凶の右手”から放たれる、暗黒の光線。
 遠距離戦は己のフィールドと信ずる超能力戦士を嘲笑う弩流が、大気すら死滅させて桃色の
天使に殺到する。
 
「フ、フォース・シールド!!」

 ありったけのサイコエネルギーを、光のパワーを結集して聖なる防御盾を出現させるサクラ。
 バリィィッッ!! 悪魔の死光線は薄紙のように光の盾を突き破った。
 
 ババババババッッッ!!! バチバチッッ!! バチイィッッッ!!!
 
「きゃはァううぅッッ?!!!」

 邪悪なる具現者の放った殺戮の光線は、ファントムガールの生命の象徴、胸中央のエナジ
ークリスタルを穿っていた。
 ヒクヒクと痙攣する美少女の銀面が、ゆっくりと己の小ぶりな胸を見下ろす。
 黒く焦げ爛れた胸の真ん中で、青く輝いていた水晶体は、弱々しい点滅を開始していた。
 
「あッ・・・あァァ・・・・・・ああッ・・・」

 ヴィーン・・・ヴィーン・・・ヴィーン・・・
 
 命の危機を知らせる警告の音を、サクラは遠い霞の向こうで聞いていた。
 肉体が、八つ裂きにされたようであった。
 薄皮の一枚一枚、筋繊維のひとつひとつを引き剥がされたような、激痛。己の身体がまだひ
との形を取っているのがサクラには不思議であった。魂を短冊のように細断された時、このよ
うな煉獄の苦痛に身を堕とすのだろう。左手は愛しいように我が身を抱き、右手は救いを求め
るように宙空をさ迷わせ・・・銀とピンクの女神がよろめきながら悶絶に揺れ踊る。
 
 カラダ・・・が・・・・・・壊れ・・・るぅ・・・・・・
 
 ゲドゥーの一撃で、サクラは死を実感していた。
 肺腑が爛れる。乙女の柔肉が細切れになる。灼熱に燃える玉石を腹腔に埋め込まれたか如
き苦しみ。邪悪に生まれ殺人に手を染めてきた凶魔の光線は、正体は女子高生に過ぎぬ美
少女を戦闘不能にするのに十分であった。ただの一撃で、勝負は決まったようなものだった。
 動く。感情のない、菱形の頭部を持った悪魔が。
 一歩、一歩と苦痛に揺れる美乙女に近付いていく。小刻みに震えるピンクのストレート。魅惑
的な青い瞳に、無言で迫る鋭利な凶魔が映っている。
 
 殺される。
 逃げなきゃ。でも・・・逃げられない。
 蝋のように白い顔で絶句したまま見守り続ける多くの人々がいる以上、ファントムガール・サ
クラに延命の逃避は許されてはいないのだから。
 
 条件反射のように右腕があがる。それが超能力戦士にできた精一杯の抵抗であった。
 棒立ちといっていい巨大な美少女の鳩尾に、斜め下方から撃ち込まれたゲドゥーの右ブロー
が極太の杭となって突き埋まる。
 
「ッッ!!! はあァぐううッッ!!!」

「フン。女子高生の肉体は豆腐のように脆いな。これが胃か?」

 ぐしゃああああッッ!!!
 
 銀色の天使の内部でなにかが潰れる悲愴な音色が、声を失った暗黒の空に轟く。
 苦悶に歪む厚めの唇を割って噴射する、黄色の吐瀉粘液。
 それとともに耳を覆う痛哭の呻きが、ギクシャクと身を折れ曲がらせた美天使の口から発せ
られる。
 
「ッッッ〜〜〜〜〜〜ッッ!!!」

「この右手の脅威、お前の身体で人間どもと残る守護天使どもにたっぷりと教えてやろう」

 “最凶の右手”がサクラの鳩尾から引き抜かれる。美少女の銀色の腹部に、抉られた漆黒の
孔が洞窟のように残る。
 失神すら許されず、ただ貫く痛みにビクビクと痙攣するしかない美少女戦士に、更なる加虐を
避ける術などなかった。
 肉体ごと回転させた凶魔の右フックは、爪先立ちでくの字に折れたままのサクラの左脇腹
に、弾丸となって突き刺さった。
 
 ボギイイッッ!! ゴキゴキッッ、グジュウッ!!
 
「ひゅうああアアッッ!!!・・・あくうゥッッ!! ああアアッッ・あッ・アアッ・・・」

「肋骨3本。続けてトドメだ」

 右手で左のアバラを、左手で腹部の中央を、押さえながら反り返った桃色の天使は、もはや
格好の的でしかなかった。
 再び突き上げられる“最凶の右手”のボディブロー。
 だが今度の標的は鳩尾ではなかった。その斜め上方。まだ発達段階にある思春期の少女の
肢体にとって、急所のひとつである左の乳房―――
 柔らかな肉を抉る重々しい響きが、残酷な処刑場に居合わせた渋谷の住人の耳朶を打っ
た。
 
 ごぶううううッッッ・・・!!!
 
 綺麗であり可憐であり・・・アイドル顔負けの巨大な美少女が大地に吐き出したのは、泥のご
とき大量の血塊であった。
 一気に天高くまで掲げられた右腕のブロー。その手首にまで、容姿の造形だけならその辺り
の女子高生と変哲のない銀と桃色の天使が埋まっている。
 地獄としか形容できぬ、無惨な光景であった。
 鳩尾と左脇腹、二箇所に孔を穿たれた守護天使が、発展途上ながら形のいい乳房を抉られ
て、朱にまみれた瀕死の姿を悪魔によって掲げられている。
 苦悶を通り越し、ただ絶望に彩られたサクラの美貌。
 四肢を垂れ落し、ヒクヒクと痙攣するだけの哀れな少女戦士。喜びすら表さぬまま右手を突
き上げた無傷の凶魔との対比は、残酷な現実をまざまざと満天下に示していた。
 
「ファントムガール・サクラ。女子高生など元々このゲドゥーの相手になるわけがない。メフェレ
スとの契約通り、その命を貰うぞ」

 グボリ・・・乙女の肉体から拳を引き抜く凄惨な音色が、言葉を失った人類の頭上に降りかか
る。
 投げ捨てられた銀色の少女が、巨大な百貨店の一棟を崩壊させていく。地鳴りと轟音。雪崩
れ落ちる建造物の瓦礫。そこにあるのが当たり前だった建物が破壊される光景よりも、手足を
投げ出し力なく倒れていく守護天使の姿は衝撃的であった。病床に眠る患者のように、半壊し
たビルの瓦礫に銀とピンクの女神が横たわる。
 洞窟のようにポカリと窪んだ、3つの拳の跡。
 無惨に変形した、丸みを帯びた少女の肢体。己の吐血と倒壊ビルの土砂とで薄汚れたサク
ラの身体に、容赦ない凶魔の右手が伸びる。
 ピンクのストレートを鷲掴みにされた聖天使は、脱力した肢体を強引に吊り上げられていた。
 ハンターに仕留められた獲物のように・・・右手一本でゲドゥーに捕獲され、空中に持ち上げ
られる光の女神。だらしなく垂れ下がった腕が、脚が、すでに事切れたようにブラブラと漂って
いる。
 
「ただ殺すだけでは済まさん。ファントムガールがいかに無力な存在かを、見せ付けてお前は
死ぬのだ」

 縄で編まれたような漆黒の左手が、小ぶりながら形のいいサクラの右乳房を包み込む。
 パカリと開く、美少女の厚めの唇。思春期の喘ぎが思わず迸るかと期待したゲドゥーの耳
に、思いもかけぬ台詞は飛び込んできた。
 
「女子・・・高生でも・・・・・・闘う・・・もん・・・・・・」

「・・・予想以上に、いい女だ」」

 濃紺に光るひとつ目が、わずかにその視線を下げたようであった。
 普通の少女ならば“最凶の右手”の一撃を食らって戦意を保つことなどできぬだろう。懇願
し、従属する。生命の危機を知った細胞が、凶魔への全面服従を採択させる。歯向かうなど有
り得ぬことだ。
 カワイイ顔をしてこの小娘・・・守護天使に選ばれるだけはある。
 ゲドゥーの左胸、心臓の真上にピタリと当てられたサクラの右手。
 この一撃に全てを賭けていたことを、白甲冑の凶魔はその一瞬で悟っていた。
 
「・・・『デス』」

 暗黒の光が、サクラの右手を包み込む。
 正義に似合わぬ禍々しき光。しかしそれこそが、超能力少女が全身全霊で『必殺』の意志を
込めて創り上げた、絶対なる技たる証明。
 『デス』。ファントムガール・サクラ、最強の切り札。エスパーならではの究極の技。念動力で
敵の心臓を直接握り潰す、悪魔も青ざめる文字通りの必殺技。
 いかなる強靭な肉体の持ち主も、圧倒的闇エネルギーの支配者も、思念そのもので創られ
たこの技を防ぐ術など存在しない。
 “最凶の右手”を持ち、かつてない暗黒の力に満ちた邪悪の化身ゲドゥーであっても、例外な
く『デス』の死からは逃れることなどできぬ―――
 
 だが。
 
「不発のようだな」

 サクラの右手に纏った暗黒の光は、放たれることはなかった。
 撃てなかった。いや、エスパー少女は懸命に死の光を発射しようとしている。決して悪魔に情
けをかけているのではない。
 発動しないのだ。『デス』が。いくら表面上、必死に念を込めたところで、絶対不可避の死の
技はサクラの意志通りに作動してくれないのだ。
 実は。予想はしていた。『デス』は撃てないのではないかと。己の能力については誰よりもエ
スパー少女自身が一番知っている。超能力でひとを殺すという行為。本来許されざるその想い
を本気で抱くことがいかに難しいか。心の底から死を願うことがいかに残酷なことか。人並み
以上に心優しき桜宮桃子にとって、『デス』は対極に位置するとも言える技なのだ。
 
 以前に『デス』が撃てたのは、相手がメフェレスであったからだ。裏切られ、処女を散らされ、
蹂躙され、虫けらのように殺されかけた敵であるからこそ、桃子は『デス』を放てた。
 ゲドゥーがメフェレスと同等以上の悪鬼であることは理解している。誇張なしでファントムガー
ルを抹殺するつもりであることもわかっている。この凶魔を生かしてはならない。自分ひとりで
はない、仲間全員が死を迎え、何万、何十万という単位で無辜の人々が犠牲となることだろ
う。正義というのが何かはわからないけど、今刺し違えてでもこの男を葬ることは絶対に必要な
ことだ。
 頭ではわかっているのに、それ程度ではダメなのだ。
 メフェレスに対する憎悪とでも呼ぶべき感情。桃子が世界中で唯一久慈仁紀にだけ持つ感
情を、このゲドゥーにも抱くことができない以上、『デス』が発動することはない。
 
 終わった。
 もう、ファントムガール・サクラにできることは何もない。
 あとはただ、凶魔による処刑を待つのみ―――
 
「ファントムガールのなかで最も弱い、超能力戦士サクラか」

 左胸に当てられていたピンクのグローブをゲドゥーの左手が引き剥がす。すでに暗黒の光は
サクラの右腕から消え失せていた。ストレートヘアーを放した“最凶の右手”が銀色に輝く少女
の丸い右肩に掛けられる。
 
「だがオレが最も警戒したのはサトミでもナナでもない。お前だ、サクラ。超能力という予測不
能な能力。事実お前は、甘ささえ捨てていればオレを殺すチャンスもあった。お前さえ始末す
れば、忍者もアスリートも武道家もサイボーグも、まるで脅威の欠片すら感じん」

 ゴキイッ!! グキンッ!! ボゴンッッ!!
 
 右肩の砕ける濁った響きと、悲痛な少女の絶叫が暗黒の空にこだまする。
 
「ひとりノコノコと明治神宮にお前が現れたのはラッキーだった。この好機を逃すかと追いかけ
たのだ。お前は他の連中のために犠牲になろうと考えているようだが・・・愚かな。オレからす
ればお前こそが真っ先に始末したいターゲットだった」

 ぬいぐるみでも、扱うかのようだった。
 右腕一本でサクラの肢体が空中高く舞い上がる。ギュルギュルと回転する銀色の乙女の肉
体は、暗雲のなかにも美しくすらあった。
 やや敷地の開けたスクランブル交差点の中央に、受け身も取れずにサクラの肢体が地響き
とともに落下する。背中を叩く衝撃に、反り返って悶え揺れる巨大美少女。
 魅惑の瞳を歪め、悲鳴を懸命に噛み殺すサクラの無防備な右脚を、ゲドゥーは易々とその
両手に掴んでいた。
 
 ゴギイイッッ!!・・・
 
「うああああああッッ〜〜〜ッッッ!!! アアアッッ―――ッッッ!!!」

 爪先と踵を掴まれたサクラの右足首から先は、180度その方向を逆にねじ折られていた。
 可憐な声音が痛撃に咽ぶ。救いを求めるような、悲痛な叫び。足首を食い千切られたような
激痛に、ひとりの乙女に戻った哀切の悲鳴が、絶望の街に響き渡る。ゴロゴロと転がり狂う銀
と桃色の天使。やがて突っ伏したまま、爪先を逆方向に向けた聖なる戦士の動きが止まる。た
だ投げ出された右手の指が震え、いびつに変形した肩がブルブルと痙攣するのみ。
 肩までかかるピンクのストレートに表情を隠された女神の左脚。ムッチリと張りのある太腿の
裏側に、凶魔の右手が食い込む。
 引き攣るような衆人の悲鳴と、反り上がった超能力天使の絶叫は同時にあがった。
 
 ブチイッッ・・・ブチブチイッッ・・・ビチイッ・・・
 
 銀色の皮膚に包まれたサクラの肉片が、筋組織とともに凶魔の右手に強引に毟り取られて
いた。
 生々しい内肉の色と糸を引く鮮血。
 絵に描いたような美少女が。モデルと遜色ない美貌を誇るアイドル戦士が。
 猟奇的ですらある嗜虐に血祭りにされ、痛哭に身を焼いている。
 
「助けてくださいと、このオレに命乞いするがいい」

 仰向けに蹴り転がした美乙女の可憐な顔を、漆黒の足が踏み躙る。
 額に頬に、薄皮を通じてねじ込まれる摩擦の痛み。大の字で横臥した桃色の聖天使は時折
思い出したようにビクビクと痙攣するだけで、四肢を投げ出したまま動かない。
 かざした右手から暗黒の闇光線が、地に倒れるファントムガール・サクラの水晶体に照射さ
れる。
 
「んんんあああああああッッッ――――ッッ!!!!・・・あくうぅッッ・・・あがァッ・・・アアア・あァ
ッ・・・」

「哀願しようがお前は殺す。だが命を乞え。苦痛から解放されたければ、オレに服従するの
だ。殺されると知りつつお前は助けを乞い、希望虚しく惨めに処刑される。守護天使にあるまじ
き最期を、全人類に見せ付けろ」

 サクラの細い首を凶魔の右手が鷲掴む。
 邪に染まった暗黒光線を光の象徴に直撃された美戦士の苦悶は激しかった。小さな身体の
全身に痙攣が広がっている。脱力した四肢。鳴り止まぬエナジークリスタル。銀色の皮膚から
は輝きが消え、乾燥したように細かなヒビが入っている。胸の水晶体同様、点滅を繰り返す青
い瞳は暗黒の空をさ迷い、だらしなく半開きになった唇からは、とろとろと朱色混じりの唾液が
顎を伝って、細首を絞めるゲドゥーの右手を濡らしていく。
 もはや、守護天使の勝利を願う声など聞こえてはこなかった。
 もう、楽にしてあげて欲しい。ただ、安らかに眠らせてあげたい。
 悪の勝利を悟った人類の胸に、せめて女神がこれ以上苦しむことのない死を願う気持ちだ
けが募っていく。
 
“うぇあああッッ・・・んああッッ・・・腕がァ〜〜ッ・・・脚ィ・・・があァ〜〜ッ・・・ダ・・・めェ・・・あ、あ
たしィ・・・・・・もォ・・・ダメえェッ・・・・・・も・・・う・・・・・・”

 再び暗黒光線が宙吊りの天使に注ぎ込まれる。
 溶け爛れ、腐敗し、焼き尽くされる煉獄に、壊れたはずの手足が狂ったように暴れる。苦痛
に泣き叫ぶ少女の悲鳴と、徐々に間隔を空けていくクリスタルの警告音。渋谷駅前の交差点、
今、人類のためにその身を捧げた愛らしき超能力天使が、その命を刻一刻と削られ死に向か
っていく・・・
 
「アッ・・・アアッああァッッ・・・た、助けェ・・・てェ〜〜ッッ・・・・・・」

 夢遊病者の如く。
 引き攣る苦悶の絶叫の狭間、ファントムガール・サクラの潤いある唇から、哀切の台詞は紡
ぎ出された。
 
「ゆッ、ゆるぅッ・・・してえェェ・・・・・・も、もォッ・・・・・・ゆるし・・・てえェェ・・・くだ・・・・・・さ・・・い
ィ・・・・・・」

 大きな瞳に灯っていた、青い光が消える。
 “最凶の右手”から解放された銀と桃色の美乙女の肢体は、どしゃりと膝元から崩れ落ち、ス
クランブル交差点の中央に敗北の姿を晒して座り込んだ。
 濃紺のひとつ目が見下ろす先で、黒い煙を全身から立ち昇らせたサクラの小さな肢体は、も
はやピクリとも動きはしなかった。
 
「見ているか、人間ども。苦しさに耐え切れず、救いを求めるファントムガールの姿を」

 天を衝く巨大な凶魔の投げ掛けに、道路に溢れ出た人波から答えが返るはずもなかった。
 通い慣れた、見慣れたはずのJR渋谷駅前の交差点。
 広い車道が交差する中央に、銀色の肌を黒煤で汚した美しき女神がしゃがみこんでいる。ぐ
ったりと、ストレートのピンクの髪を前方に垂らして。鳩尾と、左の脇腹と乳房。未完成の女体
にぽっかりと開いた黒孔。ただゆっくりと点滅する胸中央の青い光のみが、悪魔にサクラと呼
ばれている桃色のファントムガールがいまだ絶命していないことを教える。
 周囲の建物の8割は爆撃を受けた戦地のように倒壊していた。ファーストフードやショップ群
がみっちりと凝縮して立ち並んだ若者の街は、10分に満たない戦闘の間に随分と開けた土地
に様変わりした。暗鬱な夜の雲が、広く空を覆っている。難を逃れた忠犬ハチ公の像が、瓦礫
の海のなかでポツンと孤島のように立っている。
 道玄坂へと向う西の方面には、細長い円筒型の高層ビル――通称シブヤ109。その足元に
はどうせ巨大生物なんて現れない、とタカを括っていた少女たちのグループが、無用な反発心
を発揮して逃げなかったことを後悔しながら戦場を見詰める。数十分前の元気が嘘のように、
少女たちは震えながら両手を合わせていた。天からの使いでもあるような巨大な銀と桃色の女
神は、彼女らとなんら変わらない少女のようにも映った。見守るしかない。極上の観戦席とも言
えるこの場所で、ただ正義の勝利を信じるしかない。渋谷を代表するファッションビルは、通夜
のような暗鬱のさなかに沈んでいた。
 
 ゲドゥーという悪魔の爪が、首都を、いや日本を代表する街・渋谷を抉っていた。
 駅を背景に君臨する漆黒の藁人形と、その眼下に跪いた銀色の守護天使。
 悪に正義が敗れた―――あってはならない不条理な光景が現実として見せ付けられてい
る。初めて直視するファントムガールの雄姿は本物の女神としか思えぬほどに輝かしく、愛くる
しいまでの顔立ちはこの街に集う全ての少女たちよりも抜きん出ていた。陶酔するまでの、存
在。その美神が、オモチャのように破壊され凶魔の足元に崩れ落ちているなんて・・・
 少年や少女を含んだ群衆の心には、もはや死の恐怖すら忘れ去られていた。
 何かが胸の内でガラガラと崩れていく音を聞きながら、突きつけられた残酷な現実を見詰め
るしかなかった。言葉もない。希望もない。ただ、仄かに祈る。奇跡を起こしてくれと。幾多の苦
難を乗り越えてきたその正義の力で、死地に光を取り戻してくれと。
 
「この女を殺すのはいつでもできる。だが」

 崩れ落ちたサクラの背後に、両手を広げたゲドゥーが迫る。
 昏倒した少女に、危機を回避する力などあるわけもなかった。
 
「オレを雇ったメフェレスはできる限り酷く、ひとりでも多くの目の前でファントムガールを処理す
るのが望みなのでな」

 真後ろから抱きついたゲドゥーの掌が、丸く盛り上がった天使のふたつの乳房を握り包む。
 潰してしまいそうな、野獣が食い千切るような、強烈な圧搾。
 柔らかな膨らみを突如襲った乖離の激痛に、消えていた瞳の青が古くなった電球のごとく再
点灯する。
 
「アッッ・・・がアアッッ・・・んあアッッ・アッ・アッ・・・・・・」

「女子高生の未熟な果肉も、たまにはいい」

 もがれそうな乳房の痛みに堪らず蘇生したサクラに、次なる刺激は間を置かずに刷り込まれ
た。
 苦痛に反り返った少女。突き出すような格好となった乙女の胸の双丘をダイヤのような悪魔
が揉みしだく。嗜虐と呼んで差し支えない、粗暴な激しさ。だがお椀のようなバストに添えられ
た掌が、時に見る者がそれとわかるほど明らかに優しく撫で回す。乳房の頂点を、欲情を引き
出すがごとくさわさわと弄ぶ。痛撃に引き攣った美少女のマスクが、瞬間ヒクリと悩ましげに呆
ける。
 
「あッ・・・うくぅッッ・・・や、やめェ・・・・・・は、放しィ・・・」

「ウブだな、サクラ。見ろ、早くも屹立してきた。女神の本当の裸身、よく拝んでもらうがいい」

 ピンクの模様が描かれた胸の頂上に、粒状の突起がみるみるうちに浮かび上がる。
 ファントムガールの身体は、少女の肉体が『エデン』を通じて変形した姿である。媒体が持つ
光の素質や闇の素質により外見の変化は様々に富むが、要因のひとつにはその者が持つ精
神の状態も大きく影響すると言えた。例えば腕力に自信がある者ならば、巨大化した折に太い
腕を持つ傾向が強い。単に容姿がそのまま大きくなるのではなく、精神の資質や状態が関与し
てくるのが『エデン』を融合した変身体の特徴であった。
 通常ファントムガールに乳首や秘部の存在が認められないのは、ある意味で当然であった。
彼女たちが巨大化するのは戦闘時。本来ならば性的な昂ぶりとは無縁の緊張下で、それらの
存在は具現化されるわけがなかった。だが性的刺激を受けることで、肉体は思い出す。本当
の、己の姿を。欲情の火照りとともに、淫らな本身をさらけ出す。
 
 グイと搾り出すように鷲掴みにされた、乙女の柔らかな膨らみ。
 小ぶりなふたつの饅頭の頂点には、艶かしい小豆がぷっくりと存在を主張している。
 
「あッ・・・ああぁ・・・・・・」

 背後から悪魔に両胸を揉み抱かれた美少女は、銀のマスクを思わず横に逸らした。
 恥ずかしい裸を。バストのトップを、何万という人々に見られている。
 サクラにとって、いや桜宮桃子にとって自殺したくなる羞恥であった。
 だが、可憐な美乙女の醜態はこれからが本番であった。
 
「さて、女子高生に耐えられるかどうか。幾千の女を昇天させたオレの淫戯」

 ゲドゥーの右手が右の乳房を持ち上げる。ふたつの指がこりこりに硬直した蕾を摘む。
 充血した敏感な突起を擦り、転がし、撫でて・・・眉根を寄せた美少女がビクビクと2回仰け反
った瞬間、右手とともにお椀型の乳房がピンクの光に包まれる。
 
「ィィッッ―――ッッッ・・・んんんんあああああッッッ〜〜〜〜ァッッ!!!」

「“最嬌の右手”の妙味・・・経験の乏しい小娘には苛烈過ぎたか」

 雌獣の轟く鳴き声が、首都の暗天を覆い尽くす。
 壊されたはずの手足が狂ったように虚空を掻き毟る。ピンクのストレートを振り乱し、汗で濡
れ光る美貌が上下左右に揺れ動く。
 未熟な少女の胸の果実に、無数に点在する敏感なスポット。ほとんど経験のない純真な桃子
の淫情を掘り起こすように、桃色の稲妻が数百という単位で滑らかな膨らみを刺し貫く。生温
かな巧みな舌に、舐め包まれるが如く。纏わりつく粘感と弾ける刺激。甘く蕩けるような電撃が
美乙女の右乳房をズタズタに切り裂きながら、一本の弩流となって下腹部の子宮を直撃する。
 右胸の果肉が、壊れてしまったかのようであった。
 官能の虫がもぞもぞと絶えずサクラの内側で蠢く。柔らかな乳房を食い散らしながら。あまり
に強大すぎた胸への刺激で、全身を愛撫される錯覚がウブな少女を呑み込む。
 
 魔人メフェレスが操る官能の淫靡光線。
 飽くことなく女体を喰らい続けた極道ゲドゥーもまた、桃色魔悦の使い手であったのだ。
 ただ容姿と家柄の良さで巧みに女性たちをベッドに誘いこむ久慈仁紀とは違い、同業者すら
恐れる海堂一美の場合は半ば強姦にも近い所業がほとんどであった。嫌がる女体を強引に
快楽に堕とす。性を貪り、淫欲をしゃぶり尽くすが如き色責め。粗暴に破壊しながら的確に甘
美な刺激を打ち込む嬲りの前に、若芽のような乙女の肉体はあまりに脆すぎた。
 
「へああはふはあァァああッッ〜〜〜ッッ!!! むぅッ、胸へェェェッッ――ッッ!!! ひゃ
めェッ、ひゃめえへええェッッ・・・ゆるひィィッ〜〜ッ、ゆるひィてへェェッッ―――ッッ!!!!」

 涎を垂れ流し、淫欲に昂ぶった絶叫を迸らせる守護天使を、右手ひとつで高々と頭上に掲げ
る鋭利な凶魔。
 柔肌に食い込んだ指のひとつが、尖り立った乳首の窪みに根元まで突き刺さったと同時、ピ
ンクの魔悦光はその輝きを一段と増した。
 
「んんはあああァァァッッ〜〜〜ッッ!!! 胸ええェェッッ!!! むねえへェェッッ〜〜ッッ
ッ!!!」

 ぷッっ!! ぶっしゅうううううッッ〜〜ッッ・・・!!!
 
 上空高く、ヒクヒクと腰を振る無惨な美少女の股間から、透明な噴水がバシャバシャと菱形の
頭部に降りかかる。
 胸への愛撫のみで。ファントムガール・サクラは絶頂をあえなく迎え、女潮の洪水をだらしなく
噴射させていた。
 人類の守護者にあるまじき痴態を晒して尚、サクラを襲う淫悦地獄は留まることはなかった。
官能のピンクが右乳房を包み続ける。搾り尽くされる少女の嬌声。媚びるような悶悦の絶叫。
ボトボトと垂れ流れる、愛液と潮の残滓。
 
「ひゃぶへえェェッッ・・・狂ッッ・・・ふうッッ・・・壊れええェェ・・・ひゃふうぅッッ・・・」

「水晶体の警告音がかなり弱くなってきたな。このままイキ続けて死ぬか?」

「むぅッ、むねェェッッ〜〜ッッ・・・胸がァァッ〜〜・・・おかひィッ、おかひくふぅッ・・・」

「そら、もう一撃」

「ひィやあああああアアァァッッ〜〜〜〜ッッッ!!!」

 小刻みに震えるしかなくなったサクラの肢体が、己が作った愛汁の海にドシャリと捨てられ
る。
 都心の交差点。自らの恥液で艶かしく濡れ光った正義の女神が、四肢を緩慢に動かしても
がき這う。
 ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・
 守護天使としてあまりに無惨なその姿に、枯渇したエネルギーを知らせるクリスタルの響き
が、哀痛を伴ったBGMとして流れていく。
 
“こ・・・んなァァ・・・・・・こんなァ・・・姿ァァ・・・・・・”

 解放されてすら終わらない右胸の疼きと全身を包む燃えるような激痛。津波となって押し寄
せる快楽と痛撃の狭間で、美乙女の脳裏を焦げるような羞恥が走る。思春期の女子高生、そ
れも校内はおろか地域内でもナンバー1と讃えられる美少女が、絶頂の挙句に愛汁を噴霧し
たのだ。何万という同世代が見る前で。その後には己の垂らした恥潮で我が身を濡らしさえし
て。純真で穢れに染まらぬ桜宮桃子にとって、それは生き地獄ともいうべき拷問であった。
 
「あァ・・・あぐああッ・・・・・・あふうッ〜〜ッ・・・・・・」

 這う。
 逃げる。桃色のファントムガールが這いつくばる。佇む凶魔を背後に。のろのろと四つん這い
になった手足を動かして、無言のゲドゥーから一歩でも遠くに逃げようとする。
 肩を破壊された右腕と足首を折られた右脚とは満足に動かなかった。前に進むたび、抉り取
られた左の太腿裏から鮮血がシュウシュウと迸る。開けっ放しになった唇から透明な涎を垂ら
し続ける銀のマスクは、ゾッとするほど美しかった。
 
 ゆっくりと伸ばした漆黒の右手が、容易くピンクのストレートを鷲掴む。逃げるサクラの上体を
グイと引き起こすや否や、凶魔の右手は一気に華奢な少女を強引に立ち上がらせていた。
 呻き声が震えたように掠れる。泣き出しそうに歪んだ愛らしい美貌。
 爪先立った姿勢でぐったりと四肢を投げ出した守護天使の姿は、ハントされたウサギのよう
であった。
 
「醜態を晒し、ついに抵抗することも諦めたか」

 菱形の頭部に問われても、美少女のマスクから答えが返ることはなかった。
 ひとつ目の下、口に当たる部分から赤い突起がぐにゃりと飛び出る。マイナス記号のような
眼以外になにもなかったゲドゥーの顔で、そのヒルのごとき柔軟な物体はやけに異様に映っ
た。波打ちながら長く伸びていくそれが、凶魔の舌であると悟るのに時間はさほどかからなか
った。
 乳首や性器が具現化するのと同様、それまでになかった舌が具現化されたとしても不思議な
話ではない。
 もちろんこの場合、ゲドゥーは意図的に舌を創り出したと言える。目的は説明の必要もない
ほど明白であった。
 
「小娘とはいえお前ほどの極上品は滅多にない。その麗肉をたっぷりと愉しむのも一興だな」

 赤いヒルが触角となって一気に伸びる。
 硬く尖った少女の乳首に凶魔の舌が絡みつく。とぐろを巻いた蛇であった。柔らかな果実の
ふもとから頂上の突起まで。細胞の芯まで官能の光線に染め抜かれた右胸を、別種の滑らか
な快感が包む。温かで、もぞ痒い。息を吹きかけられるだけで狂ったように感じてしまう乳房
を、怒涛のような快楽が飲み込んでいく。すでに極限まで昂ぶった官能のアンテナに、更なる
官能を刷り込む悦楽地獄。絶妙な舌戯が壊れたサクラの右胸を飽きることなく嬲り責める。
 
「んんはあああああぅぅッッ―――ッッッ?!!! ひゅうああああええァァァッッ〜〜〜ッ
ッ!!!」

 反り返った桃色天使の肢体は、後頭部とかかとが付いてしまいそうであった。
 またしても右胸。ゲドゥーの責めは執拗を極めた。飛び出んばかりに右の突起は尖り立って
いるというのに、左には手を下さない。粘着で圧倒的愛撫に右胸は欲情にたぎり、左胸は焦ら
される。乳房への責めひとつで、サクラの理性は桃色の泥沼にトロトロに溶かされていた。
 衆目の事実を忘れて守護天使の両脚がもぞもぞと艶かしく動く。股間を、太腿を無意識のう
ちにサクラは擦り合わせていた。都会の夜光に、内腿を伝う粘液のヌメリが光る。娼婦のごと
き、媚態。淫靡な音色がやがて絶望の街に洩れ流れていく。
 
 くちゅ・・・くちゅぷちゅ・・・くちゃあ・・・・・・
 
「いい音だ。聞こえるか? 卑猥なお前の正体を、下の口が奏でているぞ」

 にゅるりと赤いヒルが唾液にまみれた柔肉から離れる。
 痺れるような快感が止んだのは一瞬のことであった。
 ピンクに輝く流れるようなストレートを掻き分け、槍のごとく尖った舌がサクラの左耳に挿入さ
れる。
 
「ひィいふうぅぅッッ?!!」

「知っているか? 耳は女の性器に通じる場所。複雑な凹凸を嬲るのは子宮の妙悦を愛撫す
るも同じだが・・・お前はどうやら殊更に感度がいいようだな」

 ずりゅうッ、ぐちゅああァ、くちゅ、ぐちゅりゅうぅッ・・・
 
 耳奥まで進んだ軟体がダイレクトに鼓膜を舐めあげる。ゲドゥーの台詞は真実であった。戦
慄にも似た快感がゾクゾクと少女の下腹部から駆け上がる。女性の秘部を蠢く触手で埋めら
れたような、いやそれ以上の甘美な刺激がサクラの脳髄に突き刺さる。大音声でこだまする淫
靡な響き。秘裂から洩れた愛液が奏でる音色など、比べ物にならぬ卑猥な淫音が耳の中から
叩き込まれる。
 耳元で息を吹きかけられた折のくすぐったい感覚。あの数十倍になろうかという快感が大音
響という錯覚を伴って少女の肢体に注がれるのだ。
 ぐちゅくちゅと耳元に絡まる淫音に、サクラは脳髄をそのまま姦通されたかのようであった。
 
「ふぃひゅうッッ?!! へはああァァッッ・・・みッ、耳ィィ・・・ひゃめへェッ・・・ひゃへえェッ・・・
お、おかひくふぅッッ・・・・・・なるぅぅッ〜〜ッッ・・・」

 ボロボロに疲弊し、悪魔の右手に頭部を拘束された少女に、公開陵辱を食い止めることなど
できなかった。
 点滅する瞳を暗雲の空に向け、ただ惨めな嬌声を放ちながら立ち尽くすしかないファントム
ガール・サクラ。
 半開きになった厚めの唇から、唾液まみれの小さな舌がポロリとこぼれ出る。
 ズボリ・・・糸を引いて耳から抜かれた赤い舌は、間髪入れずに今度は美少女の口腔に突き
入れられていた。
 
「おぶううッッ?!! おごぼぼぼッ・・・お゛お゛お゛ッッ・・・」

 咽喉奥までを貫いた凶魔のディープキス。
 守護天使の舌を絡め取り、歯の裏も上蓋も喉頭までも・・・サクラの口腔いっぱいから咽喉に
至るまでを埋め尽くした赤いヒルが激しく少女戦士を吸引する。
 
 ずぼぼぼぼぼぼッッッ!!! ズズズッッ!! ぎゅじゅるるるるッッ!!!
 
 貪られている。
 銀色に輝く正義の使者が、漆黒の悪魔に貞節ごと貪り喰らわれている。
 ヒクヒクと引き攣るアイドル並みのマスクが、泣き顔を象っていることはもはや誰の眼にも明
らかであった。
 ぶしゅうッッ・・・
 股間から噴霧された白濁の飛沫が、二度目の果てが美乙女に訪れたことを知らせる。
 引き抜かれる口姦の舌と頭部の固定を解く右手。支えを失った桃色の肢体が、ゆっくりと前
に傾いていく。
 受け身を取ることなく、アスファルトの飛礫と土煙を巻き起こしながら被虐の天使は大地に沈
んだ。震度5の揺れが崩壊寸前の渋谷を襲う。
 
 ヴィッ・・・ヴィッ、ヴィーン・・・・・・・・・ヴィーン・・・・・・
 
 泥と鮮血と愛液にまみれて・・・ピクリとも動かないファントムガール・サクラが変わり果てた姿
で横たわる。光り輝く銀色の皮膚は赤黒く汚れ、あらゆる箇所に爛れた火傷跡が浮かぶ。
 静寂を破る、不規則な水晶体の響き。明確な異常がその音色には現れていた。生命の象徴
エナジークリスタルが超能力天使の最期が近いことを全ての目撃者に伝えてくる。
 暗黒の光線に灼かれ。肋骨を折られ。肉を抉られ。右肩を壊され。足首を捻られ。光のエネ
ルギーを滅殺され。乳房を嬲られ。悦楽に溺れ。耳も口も姦通され。絶頂の末に果てて。
 もはや、奇跡を願うことすら叶わなかった。
 全ての者が悟る。覚悟を決める。
 この渋谷が・・・ファントムガール・サクラ、最期の場所になると。
 
「よく焼き付けておけ。ファントムガールの・・・姦通ショーだ」

 腰を覆った白のプロテクター。その中央から、長剣のごときシロモノはそそり立っていた。
 丸く、太くなった先端に人間であった時の男根の面影は見えていた。だがなんというおぞまし
い造形であることか。まさに漆黒のドス。肘から先の腕の長さほどあるゲドゥーの生殖器は、細
身の経口には釣り合わぬ異常なまでの全長を誇っていた。股間に生えた剣か槍か。その途轍
もない長さはそれだけで見る者を戦慄させるに十分であった。
 その長さで、気を失った守護天使を貫こうというのか。臓腑をも破る勢いで。
 悲鳴があがる。絶叫にも似た。言葉を失った少女たちに再び叫ばせるほどの残酷な予感
が、濃密に空間を支配する。うつ伏せに倒れた無言の少女の腋に、縄目状のふたつの手が差
し込まれる。サクラはもはや物体でしかなかった。赤ん坊を高い高いとあやすように、脱力した
美少女戦士の肢体がゲドゥーの頭上に掲げられる。
 瞳の青色は消え失せ、流れるピンクの髪に隠されたサクラの表情は虚無のごとく凍えてい
た。
 男根の切っ先が、溢れる愛蜜で濡れそぼった秘裂の割れ目に当てられる。
 
 ズブッ・・・・・・
 先端の瘤が少女の内側に埋まった瞬間、迫る惨劇に、夢から醒めたサクラは悪夢の現実に
連れ戻された。
 
「ひいィィいッッッ・・・!!」

 ズブウウッッ!!! ズブブブブブブブブッッッ!!!
 
 上空から加速度をつけて一息に降ろされたサクラの肢体は、己の腕ほどもある剣魔羅に根
元まで貫かれていた。
 
「いびゃああああああああああッッッ――――――ッッッ!!!!」

 陰唇が裂け襞が抉れる。本物の剣で串刺しにされるように。子宮の奥底まで一気に、ゲドゥ
ーの肉棒が少女戦士を姦通する。
 陵辱というよりも、処刑。
 股間から下腹部までを一気に貫かれて・・・男根に串刺しにされた哀れな少女は、手も足も突
っ張らせたまま大の字で断末魔の痙攣に震えていた。
 下腹部に光る水晶体が、バイブレーターのごとく激しく震動している。
 限界を遥か凌駕する性嗜虐に、聖天使ふたつめのクリスタルもまた変調を来たし始めてい
た。
 
「お前らファントムガールの『エデン』は子宮にて融合している、か。どうやら下の水晶体がお前
らの子宮、ひいては『エデン』と密接な繋がりがあるらしいという話は本当のようだな」

 子宮すらも貫こうとするゲドゥーの非業が、第二のクリスタルの正体をも白日の下に晒そうと
していた。
 下腹部のクリスタル、それは子宮と融合した『エデン』が硬い水晶に護られて表出した姿であ
った。つまりは子宮そのものでもあり、『エデン』でもあるもの。性感の中枢でもありファントムガ
ールの根幹でもあるこのクリスタルは、胸のエナジークリスタル以上に強度に守られているが、
万が一破壊されれば存在そのものの消滅を招くと考えられていた。これまでその弱点をあまり
着目されずに済んできたのは、通常攻撃に対する耐性が胸のものより強く、弱みと気付かれ
にくかったためだろう。
 だが一方で、性の象徴そのものであるこのクリスタルは性的刺激に弱いという欠点があっ
た。
 それも表面からただ責められただけならば、硬質の水晶が本体を幾分か守ってくれる。しか
し今のサクラのように散々執拗な嬲りを受け、昂ぶりに火照った身体では、性感の本質が否応
なしに顔を覗かせてしまうのだ。しかも蜜壷の奥底、内部から直接に子宮を嬲られたとあって
は、クリスタルのガードなどまるで無意味であった。
 
 性感の中枢を貫かれたサクラを襲うのは、猛烈な圧迫感と抉り刺された苦痛。そしてなによ
りも、発狂しそうな膨大な悦楽の波動。
 下腹部から脳天に衝き上がる官能の弩流に少女戦士の身が崩壊寸前であることを、震える
子宮のクリスタルは教えているのであった。
 
「えぐぅぅッッ・・・んくうッ・・・えああアアァッ・アッ・アッ・・・・・・」

「果てるがいい、ファントムガール・サクラ」

 ズボオオッッ!! ぶちゅちゅちゅ・・・ズボオオッッ!! くちゅッ、ちゅぶぐちゅちゅ・・・
 
 悪魔の儀式と呼ぶにも、凄惨に過ぎる光景が首都の街に繰り広げられる。
 大の字に突っ張ったまま硬直した銀光の守護天使が、槍のごとき男根に貫かれたまま、両
脇を抱えられ上昇と急降下を繰り返す。少女の秘部に埋まっては抜かれ、抜かれては挿入さ
れる凶魔の肉棒。蜜壷が奏でる卑猥な粘着音は、ファントムガール・サクラ半狂乱の悲鳴にも
聞こえた。
 小柄な美乙女の乱降下は留まることがなかった。肉剣が埋まっても、抜かれても、サクラの
絶叫は轟いた。貫かれる苦痛に混在する、紛れもない背信の悦楽。犯されながら美乙女は、
己の女芯が桃色に染まっていくのを自覚していた。
 ヴィヴィイッ・・・ヴィヴィヴィィィ―――ッ・・・
 細動する下腹部のクリスタルのあまりの速さに、金切る虫の如く奇妙な音色が流れ始める。
 破滅へのプレリュード。サクラの小さな肢体が受け入れるには、剣で臓腑を幾度も幾度も掻
き乱すが如き暴虐の愉悦は巨大すぎた。
 だらりと垂れた愛らしい舌から、絶頂に向う聖少女の淫らな涎が駅前のアスファルトに降り注
ぐ。
 
“・・・・・・も・・・おォ・・・・・・ダ・・・めえェェ・・・・・・”

 ぶっしゅううううッッ―――ッッ!!!・・・・・・
 
 一際高いサクラの絶叫に合わせるように、漆黒の剣を飲み込んだ秘裂から、白濁の汚液が
爆発の飛沫を噴いて吐き出される。
 天使の股間から滝のようにバシャバシャと溢れ流れる、凶魔のザーメン。
 瞬間立ち込める饐えた悪臭が、凶魔による淫辱が美乙女の中枢に注ぎ込まれた事実を知ら
せていた。
 悪夢としか形容の仕様がなかった。これが現実であるならば、なんと酷い世界であることか。
守護天使の陵辱強姦ショーが、彼女が守るべき何十万という人々の前で公開されたのだ。
 あらゆる体内の液体を垂れ流した桃色の天使。弛緩した肉塊がどしゃりと大地にずり落ち
る。
 胸のクリスタルを不規則に点滅させ、下腹部のクリスタルを対照的に激しく震動させたサクラ
の姿は、レイプされた無力な女子高生そのものであった。
 
「まだだ、サクラ」

 ピンクのストレートを掴んだ凶魔が、無理矢理にエスパー少女の上体を引き起こす。うつ伏
せに倒れたサクラの身体が、ほぼ直角に反り返る。胸と下腹部。消え入りそうな点滅の警告音
と、壊れたモーターの如き高音を鳴らし続ける瀕死の少女を、まだ残酷な極道は嬲ろうという
のか。
 女子高生とは思えぬ色香を漂わせた厚めの唇に、突き出されたものは劣情を放出したばか
りの剣魔羅であった。
 
「舐めろ。雌犬のように。ギャラリーどもにファントムガールが奉仕する姿を見せつけろ」

 漆黒の亀頭が半開きになった銀色の口にグイと押し付けられる。ぷっくりと柔らかに膨らんだ
唇がぐにゃりと変形するほどに。
 ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・
 ヴィヴィヴィッ・・・ヴィッ、ヴィヴィヴィィッ――ッッ・・・
 瀕死と悦楽を知らせる音色だけを響かせた守護天使は、黙り込んだまま、小刻みに震えるマ
スクをゆっくりと横に逸らした。
 
「はあァうぅッ?!! ふはあああああッッッ――――んんんッッッ!!!」

 反抗を示した美少女に、容赦のない黒と桃色の光線が浴びせられる。
 絶叫を残したまま大地に卒倒するサクラ。駆け巡る苦痛と快楽に踊らされるがまま、横臥し
た巨大な銀色の肢体がビクンビクンと仰け反り痙攣する。
 再び髪を鷲掴みにされ、強引に上体を引き起こされたエスパー天使の美貌は、もはや明白
な懇願に彩られていた。
 
「あふぅッ・・・ふはァッ・・・・・ああッ・・・も、もォ・・・もうぅ・・・・・・」

「舐めろ。ファントムガール・サクラ」

 繰り返された同じ台詞は、女神の処刑宣告であったか。
 死以上に過酷な光景が、次の瞬間、渋谷を背景に現実となる。
 
 ・・・ペロ・・・・・・ペロ・・・・・・
 
 鼻先に突き出された凶魔の剣魔羅を、美少女の小さな舌が舐め上げる。
 ブルブルと揺れる銀色の身体。積極的とは到底言えぬ、緩慢な舌の動き。それでも確かに、
正義の少女は悪魔のイチモツを舐め取っている。暴虐で肉体を破壊され、愉悦の果てに絶頂
を迎えて、散々に蹂躙され尽くした天使が、凶魔の足元に平伏し奉仕している。
 誰もが認める。認めねばならぬ。
 ファントムガールが、完全なる敗北を喫した事実を。
 
 ズボオオオオオッッッ・・・!!
 
 不慣れな少女の奉仕に苛立ったように、ゲドゥーは己の男根を一息にサクラの口腔に突き入
れた。
 咽喉奥まで一気に貫く槍の肉棒。窒息の苦しみと恥辱のショックとで、女神の瞳から青い光
が消え失せる。
 無言のフェラチオ器具と化した銀の美乙女のマスクを、『最凶の右手』がピンクの髪を掴んで
激しく前後させる。ぐぼおッ、ぐぼおッとサクラの濡れた唇から陰惨な陵辱音が洩れ流れる。
 やがて、ゆっくりと引き抜かれる長大な剣魔羅。
 湯気を立ち昇らせる漆黒の肉棒と乙女の唇の間に、白く濁った唾液の橋が糸を垂らして架
けられる。
 
 バチャアアアッッ!!
 
 凶魔劣情の迸り。弾丸のごとき射出の第一撃は、イマドキ美少女の顔面中央に炸裂した。
 右手がストレートの髪を放す。美貌を白く染めた女神が、スローモーションのごとく前のめりに
倒れていく。
 意識のない少女戦士は助けを求めるように前方に右腕を差し出し、そのまま地鳴りを残して
アスファルトの地面に沈んでいった。
 
 ドピュッ、ドピュッ、バチャッ、バシャアッ・・・
 
 尽きることない凶魔の射精が、倒れ伏せた桃色天使の背中に降り注ぐ。乙女の美肉の全て
が、姦欲の餌食と成り果てたとでも言うのか。小柄な銀色の肢体が、白濁の汚汁に染められて
いく。
 全ての放出を終えたゲドゥーは、指ひとつ動くことのないサクラの肢体を汚物でも触れるかご
とくに蹴り転がした。
 
「終わったか。よく見ておけ。このザーメンまみれの物体が、守護天使ファントムガールの行き
着く姿だ」

 濃紺のひとつ眼が天下を睥睨する。声もなく、顔の色もない、渋谷の住人を。死の恐怖に勝
るショックに打ちのめされ、思考すら失ってしまった人類たちを。
 そうか。どいつもこいつも感じているようだな。このゲドゥーとサクラとの圧倒的戦力差を。奇
跡など起こるはずもないことを。
 そうだ。お前たちが薄々感づいている通り、これからファントムガール・サクラの処刑を執行
するのだ。見せしめは十分に済んだからな。なにより二度目の変身とあって、オレ自身がそろ
そろ遊ぶ余裕がなくなってきた。終わってやろう。どこかでかすかに抱き続けている淡い期待。
サクラを殺し、塵ほどに吹き消してくれる。
 じっくりと周囲を見回すゲドゥーの視界に、見覚えのある円筒型のビルの姿が飛び込んでく
る。
 シブヤ109―――
 その足元で逃げることを諦め祈り続けていた少女たちのグループが、凶魔のひとつ眼が確
実にこちら側に向けられたことを悟って慄然する。
 
「いいものがあるな」

 ムンズとピンクの髪を鷲掴んだ白甲冑の悪魔が、白濁まみれの肢体を引き摺りながら西に
向かって歩を進める。
 109に連れて行くつもりか?! 激しい悪寒の予兆に身を震わせる人々を嘲笑うように、脱
力した美少女戦士をズルズルと凶魔が引っ張っていく。血と泥と精液の跡が、糸を引いて銀の
肢体から流れていく。
 
「・・・ほう」

 突如、ピタリと足を止めたゲドゥーはゆっくりと菱形の頭部を振り返った。
 『最凶の右手』が掴んでいたはずの、桃色の天使がそこにはいない。
 瞳に青色を取り戻したファントムガール・サクラは、ゲドゥーの背後でファイティング・ポーズを
取った姿勢で立ち上がっていた。
 
「はあァッ、はあッッ、はあッッ、はあッッ!!」

「なるほど。そういうわけか」

 激しく肩を上下させる少女に掛けられた極道者の言葉は、どこか感嘆の響きにも似て聞こえ
た。
 テレポートで逃れた、程度のことは右手に掛かる負荷が消滅した瞬間に悟っていた。今、ゲド
ゥーが知る、サクラの真実。エスパー天使の本当の戦術は、サクラの身に現れた変化が教え
てくれていた。
 超能力戦士の右腕は、闇よりも濃い漆黒によって塗り潰されていた。
 
「しぶとさだけは眼を見張るファントムガールにしては、やけにあっさり屈したと思ったのだ。命
乞いもフェラチオも、全ては逆転の一撃に賭けてのことか」

「・・・あなた・・・に・・・・・・勝つ・・・にはァ・・・はあッ、はあッ・・・・・・コレしか、ない・・・から
ァ・・・・・・はァッ、はァッ・・・・・・踏み躙られるだけェ・・・踏み躙られよう、ってェ・・・・・・思っ
た・・・」

 敵を憎めないのなら。
 必殺の光線をどうしても出す気になれない、というのなら。
 憎めるようになるまで、心身ともボロボロに擦り切れるまで捧げる。蹂躙される。嬲られる。己
の身を犠牲に差し出すことでしか、サクラには本当の殺意を抱く方法が思いつかなかったの
だ。
 
 『あなた自身が幸せになっても、いいのよ』
 
 春の木漏れ日のようにあたたかな、美しい令嬢の言葉が蘇る。
 里美さん、あたしにはやっぱァ・・・こういうやり方しか、浮かばなかったよォ・・・
 
「・・・『デス』ッッッ!!!」

 ドンンンンンッッッ!!!
 
 飛ぶ。暗黒色で出来た、右腕の形をした光線が。
 超能力で心臓を握り潰す、ファントムガール・サクラ文字通りの必殺技。発動することすらま
まならなかった光線を、煉獄の苦悶と悲愴なまでの恥辱とを引き換えに少女戦士は得たのだ。
 だが―――
 
 ゴオオオオオウウウウッッッ!!!
 
「無駄だ」

 『最凶の右手』がサイコの右腕光線を迎え撃つ。
 闇と暗黒が激突した瞬間、サクラが全てと引き換えに創り出した「デス」は、漆黒の霞と化し
て深夜の渋谷に溶けていった。
 
「・・・・・・そ・・・・・・んなァ・・・・・・」

 どしゃああッッ・・・
 なにかが大地に崩れ落ちる響きが、夜の首都を揺るがす。
 それが己の両膝だと気付くより早く、凶魔の冷酷な宣告がサクラの耳朶を叩いた。
 
「最期の時間だ。死ね、ファントムガール・サクラ」

 闇よりも濃い紺色のひとつ眼が、跪いた桃色の少女戦士を睥睨する。
 その『最凶の右手』に凝縮されていく漆黒。聖少女にとって最悪の、破滅を呼ぶ闇エネルギー
が刻一刻と濃度を増して集結していく。
 
「あァ・・・ああァァ〜〜・・・・・・アアァ・・・」

 地鳴りが響く。腰砕けとなってアスファルトの道路に尻餅をついたエスパー天使が、じりじりと
脅えを隠しもしないで擦り下がっていく。洩れ出た呻き声には、懇願にも似た含みが隠されて
いた。圧倒的な恐怖と猛烈な死の臭いが、希望を絶たれた孤独な少女を押し潰そうとしてい
る。
 身体能力も正邪のエネルギーも遠く及ばぬゲドゥーを相手に、サクラが勝利するには「デス」
に賭けるしかなかった。その必殺技を破られた今、少女戦士に残された手段はない。
 映像では漆黒の腕の形をとるものの、思念そのもので創られた「デス」は本来触れることの
できるシロモノではない。他を超越した闇の持ち主ゲドゥーであってもそれは同じだ。「デス」を
消滅させることなど物理的に有り得ない事態なのだ。
 それが掻き消された、ということは「デス」は完成していなかった、という意味になる。
 瀕死に陥るまで肉体を破壊され、屈辱に狂ってしまいそうなほど陵辱に身を捧げたというの
に・・・それでもサクラは「デス」を創れなかった。敵を憎めなかったのだ。恐らく命を絶たれて
も、ゲドゥーを心底から憎むことなどできないのだろう。
 己の命を差し出してすら「デス」を創れなかったサクラは、もはや残酷な処刑を待ち受ける哀
れな犠牲者でしかなかった。
 
「ああァ・・・や、やめェ・・・・・・アア・アァ・・・・・・」

 暗黒に染まった凶魔の右手が、尻ごむ少女戦士にゆっくりと向けられていく。いつ発射される
ともわからぬ破滅の闇光線。その照準が己の胸中央に定められていることを悟り、ピンクのグ
ローブを嵌めた両手が懸命に胸の水晶をガードする。
 次にゲドゥー渾身の光線を浴びれば、もはやクリスタルは耐えることはできまい。
 いや、わざわざ肉体の破滅を想像するまでなかった。極大の魔光線の苦しみは、サクラの肉
体に細胞レベルから刷り込まれている。すでに恐怖は少女の芯にどっかりと根付いてしまって
いた。
 掌を大きく広げた両腕が必死に胸の前で踊る。イヤイヤと言わんばかりに。恐怖に駆られた
エスパー少女を、冷酷なひとつ目の死神は無言で見下ろし続けている。
 暗黒の魔光が放たれた瞬間、凶魔の右腕はわずかに下に向けられた。
 胸の弱点をガードするサクラを嘲笑うように、殲滅の死光線は戦乙女の柔らかな腹部に着弾
した。
 
「うああああァァあううゥゥッッ―――ッッッ!!! アアアッッ、アアッッ!!!」

 立ち昇る黒煙と蛋白質の焦げる悪臭。転げ悶える天使の悲鳴が、絶望の街に轟き渡る。
 銀の皮膚を爆発させた少女の腹部は、赤黒く焼け爛れた内肉をさらけ出してしまっていた。
可憐な声を苦悶に歪ませ、お腹を押さえたままのサクラがアスファルトの大地を転がり回る。
 何の感情も示さぬ凶魔の右手は、這いずる聖天使に再び照準を合わせた。
 引き攣る悲鳴がサクラの歪んだ唇から洩れる。胸とお腹を抱えた桃色天使は、反射的に亀
のように丸まった。
 嬲り殺す意図を明確に示した暗黒光線は、隠しきれないサクラの頭部、愛くるしい美貌の中
央に照射された。
 
「きゃあああああアアァァううううッッッ――――ッッッ!!!」

 顔面を両手で抑えた美少女が、丸まった体勢から一気に仰け反る。背骨が折れてしまいそう
なまでに反り上がる。後頭部と爪先だけで支えた弓なりの肢体がビクビクと痙攣を続ける。
 やがて二度大きく全身を振るわせたピンク色の守護天使は、糸の切れた人形のごとく崩壊
寸前の肉体を大地に崩れさせた。
 どこか蕾を思わす肢体を鮮血と汚濁と黒煤で汚した可憐なる巨大少女。
 美乙女の胸で奏でられる消え入りそうな点滅音と、下腹部で鳴るサイレンの音色だけが、ま
だファントムガール・サクラにわずかな生命が残されていることを教えていた。
 
「もはや全力で撃つまでもないか」

 ゲドゥーの独り言はサクラの耳に届いていそうもなかった。
 戯れに放つ闇光線のみで、超能力戦士の命が確実に削がれていくのがわかる。未だゲドゥ
ーはサクラに対して本気の一撃を浴びせてはいなかった。『エデン』を保持する者の闘いでは、
名を付けることで光線技は威力を増す。ファントムガール・ナナを事実上戦闘不能に追い込ん
だファントム破壊光線・・・露骨な名称のそれを瀕死のサクラに浴びせれば、驚異的な生命力
を誇る守護天使とて終焉は免れ得まい。
 大の字で横たわる桃色の美乙女。胸の中央でかすかな輝きを残すクリスタル。
 三度向けられた漆黒の右腕が、今度こそ生命の象徴に照準を合わせる。
 
 絶望的なまでの戦力差。
 逆転を賭けた『デス』を発動すらできぬ無力。
 一縷の希望もない暗闇の底で、サクラは惨めな己を噛み締めながら最期の瞬間を覚悟し
た。
 
「・・・ただ殺すだけではつまらんな」

 見下ろす濃紺のひとつ眼に異質な光が宿るとみるや、鋭利な凶魔の肉体がサクラとは反対
方向に振り返る。
 伸ばした右腕が定める照準の先――円筒型の高層ビル、渋谷109。
 無慈悲な悪魔の意図を悟って、109に寄り添っていた少女たちの一団から、引き攣った悲
鳴が闇夜に迸る。
 109が崩壊すれば、降り注ぐ瓦礫で自分たちの命もまた露と消えるのはわかり過ぎるほど
明白であった。不意に訪れた死の宣告。祈りも願いも、少女たちにできることはなにひとつ通じ
はしない。
 
「なにもできない無様な己を悔やめ、サクラ。小娘どもの死に様を眺めながら、な」

 守護天使を徹底的に破滅に追いやるには、死すら生温い。
 守れない、弱さを思い知らせる。誇りと使命をズタズタに切り裂き、精神から壊滅させる。
 なんの躊躇いもない暗黒の光線が、渋谷を象徴する建築物へと一直線に放たれる。
 
 バシャアアアアアッッッ!!!
 
 直撃。跳ね返る、闇エネルギーの飛沫。
 死を覚悟した少女たちの絶叫が、その瞬間、沈黙へと変化した。
 
「・・・ほう」

 純粋な感嘆の呟きが、ダイヤモンドを思わす顔から洩れ出ていた。
 大の字で立ち塞がる、ファントムガール・サクラ。
 漆黒の魔光線が着弾したのは高層ビルではなく、聖女神の胸の中央、青いクリスタル。
 テレポートで瞬間移動したエスパー天使は、庇い続けた自身最大の弱点を晒してまでゲドゥ
ーの凶行をその身で受け止めていた。
 
「・・・あッ・・・かふッ・・・・・・んァッ・・・・・・」

 手足を大きく広げたままのサクラが、ゆっくりと己の生命の象徴を見下ろす。
 ・・・ヴぃッ・・・・・・ヴィヴッ・・・・・・ンヴィッ・・・・・・
 もはやまともに点滅できなくなったエナジー・クリスタルが悲鳴にも似た不規則な音色を奏で
るのを、桃色天使はただ呆然と眺めているかのようだった。
 
 見事。死の一歩手前まで追い詰められながら、それでも見も知らぬ少女たちを救うために身
を盾にした気力のなんと見事なことか。
 しかし、結果的に生命エネルギーが集中したクリスタルに直撃を喰らうとは、あまりにも愚
か。
 致命的、ともいえる一撃を浴びたサクラに、終焉以外の選択肢は残されていそうになかっ
た。
 
「まだ力を残していたとはな。だがそのしぶとさもいよいよ」

 最期―――
 言い掛けた、ゲドゥーの台詞が凍える。
 
 ・・・・・・ドクン・・・―――
 
 ・・・里美、さん・・・・・・
 あたし、やっぱ、どっかで勘違いしてたかもォ・・・
 ごめんなさい。やっぱり・・・やっぱり、自分が犠牲になればって・・・多分、思ってた。
 超能力なんておかしなチカラ持った人間は・・・そんな運命だなんて、自分で決めちゃってた。
 違うんだよね。このひとにムチャクチャにやられてもォ・・・『デス』出来なかったもん。
 あたしが死んだって・・・このひとからみんなを守れないんだもん。
 ベストを尽くすのが、自分の身を捧げることだって、ずっと間違えたままだった。
 
『カワイイあなたに怒りは似合わない! サクラが闘う理由を思い返して!』

 夕子ォ、あのときあなたに言われた言葉、あたしをずっと支えているよ。
 でも、ダメだよね、あたし。カンジンなときに忘れちゃってたよ。
 怒りだったり・・・憎しみだったり・・・じゃ、ダメなんだよね。
 
 みんなを守りたい。
 だから、あたし、闘ってるんだった。
 神様がくれた超能力を、そのために使ってるんだった。
 
 憎いからじゃない。
 みんなを、あの女のコたちを守りたいから・・・・・・
 あたしはこのひとを、倒す。
 
 ・・・・・・ドクンッ・・・ドクンッ・・・ドクンッ・・・―――
 
 凶魔のひとつ眼に灯る、驚愕と脅威。
 腕の形をした暗黒色の光が、白の甲冑を擦り抜け、縄状に編まれた胸筋を擦り抜け、ゲドゥ
ーの心臓をむんずと鷲掴みにしている。
 『最凶の右手』を戦慄させる、死を呼ぶサイコの右腕―――
 
 この小娘ッッ・・・この期に及んで、最強の必殺技を発動させやがったッッ!!!
 
「・・・“デス”ッッッ!!!」

 ぐっしゃああああああッッッ!!!!
 
 衝撃波が、闇に眠る渋谷の街を揺さぶった。
 血飛沫が、舞う。紅の霧雨が巨大な女神と凶魔の周囲に蕭蕭と降り注ぐ。
 魂ごと削がれる暴虐を受けても、踏み躙られるような姦辱に晒されても、殺意を抱けなかった
優しき戦乙女がついに炸裂させた偽りなき必殺技。
 『デス』の漆黒の右腕は、凶魔ゲドゥーの心臓を握り潰していた。
 
 ・・・ごぶゥッッ・・・!!
 
 菱形の頭部にないはずの口から、逆流した鮮血が霧となって噴き出る。
 邪悪な極道の化身が、初めて流す赤い血潮であった。
 
「・・・やはり・・・超能力を操るお前は・・・・・・もっとも警戒すべき獲物、だったようだ」

 じっと真正面から、可憐と綺麗を兼ね備えた美少女のマスクがひとつ眼を見詰める。
 魅惑的な瞳に凛と輝く玲瓏たる光は、アイドル戦士の範疇を逸脱した厳しさと美しさであっ
た。
 
「褒めてやろう、ファントムガール・サクラ。このオレをここまで追い込んだのは・・・お前が、初
めてだ」

 小刻みに震える美貌が、ゆっくりと視線を己の、少女らしい丸みを帯びた肢体へと下ろす。
 一息にサクラの懐に飛び込んだ凶魔の右腕は、桃色天使の鳩尾を貫き、真紅に染まって背
中から突き抜けていた。
 
「・・・・・・ッんハァッ・・・んくッ・・・・・・ひゅゥッ・・・・・・」

「切り札を切るには、お前は消耗し過ぎた。もう少し力が残っていれば、このゲドゥーの心臓を
止められたかも知れんな」

 白甲冑を纏った藁人形が走る。愛らしい銀の女神を、右腕に串刺したまま。
 渋谷109の最上部へ――コンクリートの鉄柱と化したファッションビルに、加速をつけたサク
ラの背中と後頭部が鈍い響きを伴って容赦なく叩きつけられる。
 ブンッッ・・・身体の中央から下を紅に濡らした女神の視界は、その瞬間から三重にぼやけ
た。
 
 あとコンマ数秒。あとひと欠片のエネルギーがあれば。
 サクラの『デス』は殺意の権化とも言うべき凶魔を倒していたかもしれない。絶望的な闘いに
勝利することができたかもしれない。
 ゲドゥーの心臓に致命的ダメージを与えるより一瞬速く、『最凶の右手』は哀れな聖天使を貫
いた。
 ファントムガール・サクラ最期の反撃が、潰えた瞬間であった。
 
「改めて言おう! いい女だった、サクラ! お前のような強者を葬るこの喜びッ!! この快
感ッッ!! 感謝するぞッ、ファントムガールッ!!」

 ゴキンッッ!! ボギイッッ!!
 半ばまで109に埋まった少女戦士、その右腕を無造作に掴んだ凶魔が二度逆にへし折る。
 有り得ない方向に折れ曲がった華奢な少女の腕は、背後の円筒ビルの側面に深々と突き入
れられた。
 左の腕も。ふたつの脚も。
 砕かれ、折られた無惨な四肢が、渋谷109に差し込まれ、エスパー天使の肢体を後ろ手後
ろ足に拘束する。
 流行の先端を象徴し、若き乙女たちで賑わう華やかなビルは、現代を代表するようなイマド
キ美少女をくくりつけた、残酷な処刑台へと変わり果てた。
 
「フハハハハハ! よく脳に刻んでおけ、ファントムガールの死に様をッ! 無力な小娘の哀れ
な末路を、未来永劫語り継ぐがいい」

 円筒ビルの背後に凶魔が回る。伸びた2本の腕が、無防備な乙女の胸の膨らみを圧搾して
握り潰す。
 ビクンッッと硬直する清純な少女のバストに、もはや苦痛でしかない悦楽の桃色光線が乳房
も蕩けろとばかりに注ぎ込まれる。
 
「げえふううぅゥッッ!!! あふうううッッ〜〜〜ッッ!! へぶああああッッ―――ッッ
ッ!!!」

「生命力の枯渇した肉体に強引に刷り込まれる官能の暴威・・・快感のセンサーを直接摩擦さ
れているようだろう? すでに破壊され尽くした未熟な乳房への、トドメの一撃。お前の性の中
枢は完全に崩壊した」

 ヴィヴィヴィッッ、ヴィヴィッッ、ヴィヴィヴィヴィヴィヴィッッッ―――ッッ!!!!
 
 狂ったように金切り音を放つ、下腹部のクリスタル。
 巨大ビルに固定された女神が、なんの抵抗もできずに悪魔の愛撫を甘受する。揉みしだか
れる小ぶりな果肉。歪み、蕩けた美貌と雌獣のごとき嬌声。瀕死の少女が、人類を守る守護
天使が、菱形の悪魔に嬲られ絶句する人々の面前でよがり狂う。
 コチコチに尖り切ったふたつの胸の頂点を摘み折られた瞬間、大股開きに固体された股間
のクレヴァスから滝のような愛蜜が、白痴の表情で惨劇を見守るしかない少女たちの頭上に
降り注いだ。
 
「闘う力は失ったくせに、欲情に溺れ悶え踊るか! なんとも無様な色情狂だな、サクラ!」

 昂ぶりの滴りを放出し終えた美少女のマスクが、なにかの糸が途切れたようにガクリとうな垂
れる。
 巨大な暴虐に屈服したようなその姿が、ファントムガール・サクラ処刑執行の合図となった。
 
 風を巻いたゲドゥーの鋭利な姿は、瞬く間に磔少女の目の前に現れていた。
 虚空を見詰める桃色天使の胸の中央。生命の象徴エナジー・クリスタル。
 『最凶の右手』がなだらかな丘陵の谷間に埋まった水晶体を、抉り取るように鷲掴む。
 
「ファントム破壊光線・・・クリスタル・クラッシュッ!!」

 ドギャギャギャギャギャギャッッッ!!!!
 
 光のエナジーを吹き蹴散らす、超高密度な暗黒の砲撃。
 サクラの全身を包んで余りある膨大な死滅の闇が、右手一本に凝縮されて女神の命の象徴
を抉り穿つ。
 
「きゃはあアうッッッ!!!!」

 ヴィンッッッ!!!
 ピッシィィッッ・・・!!!
 
 一際大きな警告音と、クリスタルに亀裂が走る響きとが重なる。
 五体も臓腑もバラバラにされるような煉獄のなかで、サクラ=桜宮桃子の脳裏によぎったの
は、心底から超能力少女を迎えてくれた仲間たちの顔だった。
 
「終わりだ、サクラ」

 ギャギャギャッッッ!!!! ババババババババッッッ―――ッッッ!!!!
 
 シュウシュウと青い光が洩れ出る水晶体、その亀裂が入った内部に、光を滅ぼす邪悪光線
が弩流となって撃ち込まれる。
 
「アアァァアアアアァアッッッ―――――ッッッ!!!!・・・・・・」

 渋谷109に固定された女神の肢体が、爆発したかのようだった。
 漆黒の闇が、内側から銀と桃色の皮膚を突き破って暴発する。腕で、胸で、背中で、腹部
で。あらゆる箇所で。
 それは、巨大すぎる地獄の魔獣が、聖なる少女を食い破っている姿であった。
 
 ・・・・・・み、んなァァ・・・・・・あ、あたしィ・・・・・・・・・
 
「おっと。キレイな死に方などさせんぞ」

 絶命の間際、ゲドゥーの暗黒光線はその照射を途絶えていた。
 もはや助かりはしないのに。放置しておいても、超能力少女は死を迎えるしかないというの
に。
 ただサクラの尊厳をグチャグチャに踏み潰すためだけに、事実上守護天使を屠った処刑光
線は中断された。
 
「お前は惨めに、雌犬のように無様に死ぬのだ。戦士としての死など許さん。娼婦のごとく愉悦
に溺れ、よがり狂って死ぬがいい」
 
 ヒビだらけの水晶体から離れた『最凶の右手』が、いまだビリビリと鳴り続ける下腹部のクリ
スタルに当てられる。
 執拗に胸に浴び続けた愉悦光線によって、すでに少女の子宮の昂ぶりは臨界点を遥かに越
えてしまっていた。
 水晶のガードなどまるで無意味なまでに、性感の局地たる本性を露わにした、子宮クリスタ
ル。
 撫でられるだけで昇天しそうな敏感な聖地に、女芯を蕩けさせるピンクの魔光が照射され
る。
 
「ッッんんああああアアアアァァアアァアアアッッッ―――ッッッッ!!!!」

 ・・・ビクンッッッッ!!!!
 
 美少女戦士の肢体が大きく仰け反る。一度。
 ケモノの絶叫を轟かせ、硬直したサクラの秘裂から、鮮血混じりの愛液が迸る。
 それはまさに、優しき超能力天使にこびりついていた、最期の命の残滓であった。
 
 ・・・・・・みんな・・・・・・ごめん・・・・・・ね・・・・・・
 ・・・・・・あ・・・たし・・・・・・は・・・・・・虫けら・・・みたい、に・・・・・・
 ・・・・・・殺・・・・・・さ・・・・・・れ・・・・・・たァ・・・・・・・・・
 
「トドメだ」

 死人同然の聖天使は、強制的に絶頂に導かれ、残る全ての生命エネルギーを搾り尽くされ
た。
 ゲドゥーが用意したファントムガール・サクラの処刑法。
 それは陵辱の果て、魔悦に溺れながらの悶絶死。
 
「ふぇぶううゥッッッ!!!!・・・・・・・――――」

 強さを増したピンクの魔光が再度下腹部のクリスタルを穿った瞬間、断末魔の喘ぎとともに
大量の涎が美少女の唇から溢れ出る。
 全ての糸が途切れたように。
 渋谷109に掲げられた桃色天使の全身から、あらゆる力は抜け落ちた。
 
 ヴィィィィッッ―――ッッ・・・・・・ッッ・・・・・・ッ・・・・・・
 
 鳴り響く下腹部のクリスタルの音色と震動が徐々に小さく、消えていく。
 沈黙が瓦礫と化した街に訪れた時、巨大な杭のごとき円筒ビルに磔にされたものは、残酷な
処刑に散った愛らしき守護天使の屍であった。
 
「絶命したか。だが念には念を入れておこう」

 瞳にもエナジー・クリスタルにも、サクラに灯る光は皆無であった。
 血と泥と精液で赤黒く汚れた、美乙女の惨死体。
 確実に死滅した少女戦士の無防備な肉体に、ゲドゥーの右手は更なる蹂躙を加えた。
 
 ドシュッッ!! ズボオオッッ!! ドボオオッッ!!
 
 右胸を抉る。左乳房を突き刺す。臍の中央を穿つ。
 109に晒された孔だらけの天使の亡骸は、ピクリとも反応することはなかった。
 
「さらばだ、ファントムガール・サクラ」

 感情のこもらぬ台詞を残し、凶魔ゲドゥーが天使処刑の大地から消え失せる。
 暗雲垂れ込む闇の空、染み渡るように広がったすすり泣きの渋谷に残されたものは、悪魔
の処刑に惨殺された哀れな聖少女と、正義の敗北を知らせる109のオブジェであった。
 
 凶魔ゲドゥーの一方的な嗜虐の前に。
 超能力少女・桜宮桃子=銀と桃色の守護天使ファントムガール・サクラは、首都東京の地に
て―――
 惨死した。
 
 
 
    【ファントムガール第十一話 東京決死線 〜凶魔の右手〜  了 】



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