第十二話


「第十二話  東京黙示録  〜疵面の凶獣〜 」


 序
 
 朝を迎えても、天は光を取り戻しはしなかった。
 九月の秋雨前線がこの国全体を厚い暗雲で覆い包む。灰色の空に遮られた夜明けの陽光
は、ただ鈍い影を大地に落とすのみであった。じっとりと湿った空気が薄暗い早朝をさらに澱
みへと沈め、世界は色を失ったようにモノトーンの景色に没している。
 ポツン、ポツン。
 耐え切れぬように泣き出した空が、大粒の水滴をアスファルトの地面に落とす。
 日本全国、今日はどの地方においても雨の一日となりそうであった。
 
「どこ行くつもりだ?」

 その都市最大の総合病院から飛び出した細身の少女に、抑揚のない男の声は掛けられた。
 白のプリーツスカートから伸びた長い脚が止まる。
 声の主を振り向いたセーラー服の少女は、漆黒の丸い瞳が愛くるしいまでの美少女であっ
た。
 
「・・・工藤・・・さん・・・」

 白鳳女子高校1年生・西条ユリにその名を呼ばれた男は、ズイと一歩を踏み出し肉厚の巨
体をさらけ出した。
 デニムのジーンズにTシャツという、ラフな格好。
 旧知の仲であるユリに普段見せる人懐っこい微笑は、暗鬱な世界にあわせたように消え失
せていた。
 
「昨夜からニュースを見続けてるヤツも、朝起きてから現実を知ったヤツも、どいつもこいつも
何も手につかずあたふたするばかりだ。学校は休み。会社もどこも休業。ついにこの日を迎え
ちまった無力なオレたちにできることは、ただ祈ることしかない」

 淡々と話す工藤吼介の声は、敢えていうなら諭すと表現するのに近かった。
 今日。正確に言えば、昨日の夜から今朝未明にかけて。
 人類、特に日本の領土に住む人々に、破滅の瞬間は急速に形を伴って押し寄せた。もし神
が人類に対して審判を下すという日があるのならば、恐らくそれは今日のことを言うのだろう。
生か死か。自分たちがどう努力しようと変えることのできない運命が、遅くとも数日のうちに決
定する。大洪水を前に祈るしかない人類にとって、ノアの方舟の代わりに託すのは、巨大な少
女の姿をした銀の女神しかなかった。
 
 ついに、と言うべきか。首都東京が、巨大生物に襲撃された。悪魔の中枢、魔人メフェレスを
筆頭に。戦略立てられたが如く大挙して。
 破壊と逃走する住民によって、1000万人を越える大都市は混乱に陥った。時間が経つにつ
れ増え続けていく犠牲者の発表数は、状況がまるで把握されていない実態を仄めかす。もは
や報道機関自体が、国営放送を除き全て撤退してしまっていた。地方の人々が他に頼る情報
源は、臨時で開業されたラジオ放送とネットにしかない有様であった。
 数ヶ月前、初めて確固たる意志を表明した青銅の悪魔メフェレスは人類に降服を迫った。突
如出現し始めた巨大な生物たちが、人類の敵であることを明確に示した瞬間であった。あの時
から人類は、侵略の恐怖と常に背中合わせの毎日を強いられてきたと言えよう。以来、科学
兵器の通用しない怪物どもを、人々の盾となって倒し続けてきたのはファントムガールと呼ば
れる守護天使たちだった。
 ファントムガールの敗北は即ち、人類の敗北を意味する。
 そして昨夜、首都の地において、聖なる守護少女たちは敗北した。
 
「・・・私は・・・祈ってるだけには・・・・・・いかないんです・・・」

 気恥ずかしそうな声の調子とは裏腹に、人形のような少女の童顔には強い決意が浮かんで
いる。
 
「工藤さんも・・・知ってるはずです。私の・・・・・・正体を・・・」

「エリがああなった以上、お前は本気がだせない。いいのか? オレの勘じゃ、エリをまるで相
手にしなかったヤクザ、あいつが今度の敵だ」

「だからこそ、お姉ちゃんの仇を・・・・・・でも、それ以上に・・・・・・」

 グッと薄い唇を噛み締めたユリの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
 小刻みに肩を震わせた華奢な少女が言葉を発する前に、そっと近付いた筋肉獣がふたつに
束ねたおさげ髪をポンと撫でた。
 
「わかってる。オレも・・・あのファントムガールが誰なのかってことはな」

 銀色の女神や巨大生物に関する情報は規制が掛かるのが常であったが、未曾有の混乱と
深刻な危機とが、情報管制の綻びを生んだのは皮肉であった。
 次々とテレビ画面に映し出される崩壊の傷跡、遠巻きに撮影された激戦の様子、女神と邪神
の朧気な姿。
 そのなかのひとつ、はっきりと映り込んでしまった、衝撃の映像。
 処刑台に見立てた渋谷109に、絶命したファントムガールの亡骸が、鮮血に濡れたまま磔に
されて晒されていた。
 胸の水晶体に生命を表す光は皆無であった。四肢を折られ、あらゆる箇所に杭にでも抉ら
れたような傷跡を残す遺体。血と泥と汚濁液で黒ずんだ桃色の少女戦士は、死してなお可憐さ
をその現代的美貌に留めていた。
 守護天使のひとりファントムガール・サクラは、邪悪に処刑された無惨な姿を、渋谷の地にて
満天下の人々の眼に晒しているのであった。
 正義が悪に敗れた雄弁な象徴。
 わずかな間とはいえ、悪夢の光景が全国に放映された衝撃は、人々の心に絶望の翳を挿す
のに十分であった。
 
「あいつには笑顔しか似合わない、ってのにな」

 地元の繁華街・谷宿の街角で初めて出会ったとき、少女は久慈仁紀の彼女だと教えられた。
 気がつけば五十嵐里美の家に居候するようになったミス藤村女学園の美少女は、名前の通
り花のようなあたたかさを常に振り撒いていた。七菜江ともすぐに親友になった少女。小柄で
頼りなげな彼女に、恋の相談をいつもしているのは七菜江の方であった。
 桃子。死ぬのなら、オレの方が先だと思ってたぜ。
 香るような微笑が似合う美少女は、桜のように舞い散った。苦悶と無念の表情を刻んだま
ま。
 誰よりも優しき少女は、誰よりも残酷な死を迎えて雨の渋谷に野晒しにされているのであっ
た。
 
「今の私は・・・足手まといになるだけかも・・・しれません。・・・でも・・・・・・」

「行かざるを得ない。だろうな」

 筋肉の鎧を着込んだ男が停めてあった白のカローラに歩み寄る。
 キーレスエントリーのスイッチをいれるや、工藤吼介は助手席のドアを戸惑いなく開けた。
 
「倒すべきヤツがいる。守るべきひとがいる。闘うのにこれ以上の理由があるかってんだよ。な
あ?」

「工藤さん・・・」

「乗れよ。東京行きの電車は全部ストップ。里美ん家からちょっと拝借してきてやった。この前
霧澤夕子が運転するのを見てたからな。免許なくても大体わかるぜ」

「私は・・・彼らミュータントたちと・・・闘う義務があります。・・・・・・でも、一般人の工藤さんに
は・・・」

「義務とか、寂しいこというなよ。ユリ」

 そぼ降る秋雨の向こうで、最強を冠する格闘獣の姿はやけに小さくユリには見えた。
 なんという、澄んだ瞳の色。
 そしてそこに灯る、純粋すぎる怒りと哀しみ。
 
「・・・・・・ごめんなさい、工藤さん・・・・・・」

 恐らく、ユリと吼介が参上するのを、里美は極度に嫌がるであろう。
 足手まといの戦士と、もっとも戦闘から遠ざけたい男。
 里美の優しさがふたりを闘いに巻き込みたくないと願うなら、我儘を貫いてでも、その優しき
里美を守りたい――
 
「立場は違っても・・・・・・私たちは・・・・・・同志・・・です・・・・・・」

「行くぞ。東京、へ」

 力を封じられたままの武道少女と危険と背中合わせの最強の高校生。
 ふたりを乗せたセダンカーは早朝の国道を、未だ薄暗い東に向かって走り出した。
 
 
 
 1
 
 蕭々と降る雨の音色が五十嵐里美の耳朶を叩く。
 東の窓から流れ込む光は淡く、緩く、大地が本当に朝を迎えたのか訝しがらせる。暗い、夜
明け。だが紛れもなく時は新たな一日を刻み始めている。いかなる暗鬱が胸に積み重なろうと
も、冷淡なる時の支配者はあらゆる出来事を過去の“事実”と認定するのを、決して止めはし
ない。
 
 気高き切れ長の瞳は、血の色に染まっていた。
 
 傍目にはどこにでもある集合住宅の一軒家。東京都にいくつか分布する五十嵐家の別宅の
ひとつで、里美は悪夢のような夜を明かしていた。平凡すぎる二階建ての洋風家屋は、風景に
溶け込むという点で忍びの隠れ家としての条件を満たしている。一般住人の避難が進むなか、
周囲四方にもはやほとんど人影はない。襲撃を受けた首都に未だ残るのは、逃げる手段のな
い者か空き巣を狙う不届き者、その他には闘いを決意した者たちぐらいであった。
 
「一睡もしていないようね」

 膝を抱えて座る令嬢の背中に、冷ややかな女の声が浴びせられる。
 寝起きのシャワーで濡れた長髪をコットン生地のタオルで拭きながら、片倉響子はバスロー
ブ一枚の妖艶な姿を現した。立ち昇る湯気とせっけんの香り。上気した肌が桃色に染まってい
る。同姓から見ても扇情的な天才生物学者を、制服の美少女は視線のみで振り返った。
 
「体力を温存すべき、と提案したのは誰だったかしら? 彼らが姿を消した以上、闇雲に動き
回るのは得策ではない。情報の収集こそベストな選択、だったはずだけど」

 呆れたような口調に仄かに含まれた毒を聞き取りつつ、里美は旧敵である女教師に無言を
貫いていた。ただ唇の内側をぐっと血が滲むほどに噛み締める。
 
「ま、あんなことが起こった直後では、寝られるわけもないか。お友達が惨殺されたあとじゃあ、
ね」

「黙れ」

 時すら澱んでいたような静寂の空間に、突如疾風が流れ込む。
 一瞬前まで膝を抱えて座り込んでいた少女は、肩をいからせ正対して立ち上がっていた。
 風呂上りの肌がピリピリと震える。漆黒の瞳が放つ刺すような光は、日頃の慈愛の欠片も感
じさせない。
 
「あら? 気に障ったのかしら?」

「言ったはずだわ。仲間を冒涜するならば、容赦はしないと」

「フフ、さっきまでしょぼくれてた人が随分と勇ましいこと」

「あなたはただの実験材料としか見ていないでしょうね。けれど桃子は・・・あのコは私のッ」

「失望させるわッッ!! 五十嵐里美ィィッッ!!」

 稲妻のごとき女教師の一喝に、内圧を高めていた青セーラーの肢体がビクリと硬直する。
 
「この程度の挑発に動揺するとはね。現実をよく見詰めなさい。ファントムガール・サクラは・・・
桜宮桃子はよく闘ったわ。予想以上に奮闘した、といっていいでしょう。それでも結果はあの通
りよ。全力でぶつかっても手も足も出ない、それが奴らゲドゥーとギャンジョー。出来得る限りの
全てを尽くさねば、とても太刀打ちできる相手ではない」

 数時間前、執事安藤の操る車に再び同乗したふたりは、夜も深い更にこの別宅に転がり込
んだ。
 明治神宮に向ったふたりとすれ違うように起こった、原宿での死闘。混乱する情報。徒歩で
の移動。短期決戦となった超能力天使の処刑ショー・・・掛け違えた歯車のように、後手に回っ
た里美らの行動は最後までズレ続けた。ファントムガールのリーダーに全ては終わったことが
伝えられたのは、原宿に向かい疾駆する途上であった。
 なにげない二階建て家屋の地下に広がる、情報センター。平凡な外観を裏切る最新鋭のネ
ットワークシステムとコンピューター群が、12畳の空間に所狭しと並んでいる。御庭番の血を引
く4名のオペレーターが懸命に集めた資料を、里美はこの秘密基地に到着するなり眼を通し
た。
 隠し撮りされた動画映像が映し出したのは、疵面獣の猛攻に血祭りにあげられるツインテー
ルの鎧戦士と、シブヤ109に磔にされるまでの桃色天使の克明な死の記録であった。
 
「哀しんでる暇も、八つ当たりしてる余裕もあなたにはないのよ。ファントムガール・サトミ」

「・・・わかっているわ・・・そんなことは・・・」

 制服の青いカラーがゆっくりと降りていく。
 秀麗な柳眉に苦悩と悲痛がよぎったのは、『エデン』と融合した響子ですら見逃しそうなほど
の刹那であった。
 
「敢えて憎まれ口を叩くあなたが、私に奮起を促すためだということも。・・・御礼は言わないわ
よ」

「結構。今あなたに腑抜けになられたら、手を組んだ私が困るのよね。あくまで自分のため。勘
違いしないことね」

 冷淡を通り越し、突き放すような響子の物言いが守護少女には逆に有難かった。
 そう、片倉響子の言う通り。現実を見れば、里美に立ち止まっている余裕はなかった。目的
のためには妥協を許さぬ女教師の合理主義は、有無を言わさず現実を突きつけてくる。
 もし立ち止まってしまえば、桃子を失った哀しみで里美は二度と立ち上がれなかったことだろ
う。
 振り返ってはならない。今は。この絶望の窮地から、光を取り戻せるのはファントムガール・
サトミしか・・・己ただひとりしかいないのだ。
 
「通信手段を奪われそれぞれ分断された私たちは、圧倒的不利な状況にあるわ。単純な戦力
での比較に留まらず」

 深紅のスーツに着替え始める長髪の美女に投げかけられる少女の声は、表面上平静を戻し
ているように聞こえた。
 
「トランスフォーム解除後の強制休養を考えれば、戦闘後の身体を保護するサポート隊がいか
に重要かがわかる。孤立すればこの点でまず大きな危険となるわ。まして今回は不意を突か
れたことで、ナナちゃんも夕子も現状把握すらできないまま戦闘に巻き込まれてしまった」

「あの状況では変身解除した藤木七菜江はメフェレスらの手に確実に堕ちているでしょうね。
囚われたか、最悪始末されたことも覚悟しておきなさい。アリスにしても生き延びたところで瀕
死の状態のはず。恐らくもう闘うことはできないでしょう」

 着替えながら天才女学者は、確率的に高いと思われるシチュエーションを優先して話し続け
る。
 
「つまりファントムガールは最悪3名の死亡あるいは2名の死亡と1人の捕虜。希望を含めて推
測しても3名が戦闘不能状態にあることは避けられない。さらにファントムガール・ユリアも戦力
になれず。結局満足に闘えるのはサトミあなたひとりだけということになる」

「ナナちゃんは生きてるわ。夕子も・・・必ず」

「壊滅、ね」

 彫りの深い二重の瞳が、真っ直ぐに令嬢戦士を見詰める。憂いを秘めた切れ長の瞳は、美
妖女の視線を正面から受け止めた。
 
「あれだけしぶとかったあなたたちも、終わる時は呆気ないものね。敵の質と量を見れば、残
念だけど勝負はすでに決まったようなものよ。事実上、ファントムガールは終わったのよ」

「まず夕子の居場所を探し出し保護する。体勢を整えてからナナちゃんを救出するわ。あなた
を加えればこれでこちらも4人が揃う。決して闘えないことはないわ」

「強がりはやめなさい、五十嵐里美。あなたにもわかってるはずよ。もうあなたたちの力ではこ
の苦境を脱することはできないと。最後の希望を・・・“あの男”に賭けてみるしかないと」

 美少女の桜色の唇が、不意にピタリと閉じられた。
 
「あなたが持つ最後の『エデン』・・・通称『第六エデン』。使うべきときは、今この時のはずよ」

「・・・あなたが共闘を持ちかけたときから、気付いてはいたわ」

 美麗なる令嬢の漆黒の瞳から、凛とした気配が立ち昇っていく。
 先程見せた闘気とはやや趣の異なる類のもの。敢えて言えばそれは、真剣に触れるかのご
とき緊迫感であった。
 
「どうしても、吼介に『エデン』を寄生させたいようね」

「それがベストの選択でしょ? 冷静に考えれば答えはそこしかないはずだわ。この国を悪魔
どもから守りたいならね」

「どうやら、あなたの本当の目的はそこらしいわね」

 真紅のルージュがニンマリと吊り上がる。
 恐ろしいまでに妖艶な微笑を片倉響子は創り上げた。
 
「あら、それだけってわけでもないのよ。奴らにこの星と人類を潰されては堪らないって気持ち
は本音だしね。ただ本来の狙いを見抜いたことは褒めてあげるわ」

「吼介に『エデン』は渡さない。これだけは何があっても阻止するわ」

 淡々と呟く裏に渦巻く、炎のごとき決意。
 そう、初めからわかっていた。『エデン』を手元から失った片倉響子が里美に接触してきたの
は、残るひとつの『エデン』を工藤吼介に融合させるためなのだ。再三説得しても吼介は『エデ
ン』を拒み続けたが、五十嵐里美が懇願するならばきっと格闘獣は禁断の兵器を受け入れ
る。そう響子は踏んでいるのだ。
 もっともメフェレスをはじめ凶獣二匹を野放しにできないという想いにもまた嘘はないだろう。
生物学者である響子はひとりひとりの人間をひとつの“モノ”としか見ない一方、人類という種全
体には大きな興味があるのは間違いない。人類を滅ばされてたまるかという感情は、隠しよう
もない真実。計略が骨の髄まで染み付いたような妖女ではあるが、チンケな小細工のために
長く敵対した相手と手を組むような安っぽさは決してない。
 最凶の悪魔どもの出現は脅威に違いはないが・・・この窮地を、最強獣誕生のきっかけにし
ようと目論んでいるのだ。
 
「あなたはわかっていない」

 怒りでも、闘志でもない。
 ただ真摯な光を宿らせ、里美は深く静かな湖のごとき瞳で見詰めた。
 
「私が吼介に『エデン』を渡さないのは・・・彼が敵になるのを恐れているからじゃない」

「工藤くんがミュータントとなればゲドゥー・ギャンジョーに劣らぬ脅威となる。でもあなたは最強
の敵が生まれるのが恐いんじゃない。最愛の男と敵対関係になるのが恐い・・・そうでしょ?」

「違うわ」

 雨音と淡い朝の光のなかで、令嬢戦士の静かな口調はやけに強く響子の心に響いた。
 
「確かに『エデン』と融合した彼がどうなってしまうのか・・・私にはわからない。強さは桁外れに
なるでしょうし、彼と闘わなきゃいけなくなるのも・・・嫌よ。否定はしないわ。けれど、それよりな
によりそれ以前に・・・“使命”なのよ」

「“使命”?」

「吼介に『エデン』を渡してはならない。これは『エデン』が発見された時以来、私に課せられた
“使命”。私の意志ではどうにもならない、与えられた“使命”だからこそ吼介に『エデン』を渡す
可能性はゼロよ」

「五十嵐家が・・・国を守護する御庭番衆が工藤吼介に『エデン』を寄生させるのを禁じていると
いうの?」

「吼介と『エデン』が融合した瞬間、私は彼を殺さなければならない。ミュータントになるかどうか
など・・・関係なく」

 この国を守る使命を帯びて生まれ、使命のために生き抜いてきた美しき少女戦士。
 使命を絶対とする五十嵐里美にとって、その決定は己の意志より遥かに重い。
 
「だからこそ、私が吼介に『エデン』を渡すことは有り得ないわ。絶対にね」

 なるほどね。
 かつて幾度も迎えた絶体絶命の窮地。もっとも工藤吼介に頼りたいはずの里美が、その意
志を曲げずに『エデン』を渡すのを拒んできたのは奇妙にすら思っていたが・・・そういう事情が
あったのか。
 “使命”として吼介に『エデン』を渡さぬよう命じられているのならば、必ずそれを遵守する。現
代のくノ一はそういう少女だ。ならば確かに、いくら煽動したところで『第六エデン』を吼介に与
えさせるのは無理かもしれない。
 当てが外れたわね。でも。
 
 計略の一端が崩れたはずの片倉響子の内心は、落ち込むどころか密かな笑みを浮かべて
いた。
 
 政府、いや御庭番衆が工藤吼介をマークしていたのは、これで確実になったわね。
 私の推論を裏付ける、決定的な証拠と言ってもいいわ。
 
「しかしその割にはあっさりと藤木七菜江には『エデン』を渡したものね?」

 唐突な響子の質問に、思わず里美の眉根はえ?と言わんばかりに不思議そうに寄ってしま
っていた。
 なぜ不意に七菜江がでてくる? 話の流れからすれば、里美が見せた反応は至極当然のも
のであった。
 だが天才学者からすれば、くノ一少女のわずかな反応だけで欲しかった情報は十二分に得
られていた。
 
 フフフ。そう。やっぱりそうね。
 政府のボンクラたちでは気付けやしないわ。だからこそ藤木七菜江は『エデン』を得た。工藤
くんを危険視していながら、なんという迂闊。まあ、私にとっては大いなる幸運ということになる
かしら・・・
 
「・・・なにを探っているの?」

「別に。ただどうして工藤くんだけを特別扱いするのかが不思議でね」

「答えるつもりはないわ」

「そう、なら話題を変えましょう。工藤くんを戦力にするつもりがないのはわかったわ。では現実
問題としてどう闘うつもり? 実際にサクラは殺され、ナナは捕まり、アリスは行方不明。楽観
的な見方が通用しないのはあなたもよく理解しているでしょ?」

「・・・サクラは、死んではいないわ」

「例のエナジー・チャージのことね」

 過去にファントムガール・ナナがユリアに対して起こした奇跡を思い返しながら響子が言う。
 
「ファントムガールとミュータント、同じ『エデン』が創った巨大生物でも両者は外見からして大き
な違いがある。なかでも特筆すべき差異は、生命活動力のコアである、エナジークリスタルの
有無。明確な弱点にもなる代わりに、ファントムガールの生命力はミュータントよりも遥かに高く
なっているわ。そしてその極致とも言えるのが、生命活動を停止した者を蘇らせる奇跡、エナ
ジー・チャージ」

 『エデン』の研究を進め、ミュータントの生体については他の追随を許さぬ知識を持つ響子だ
が、光の戦士ファントムガールについては推測でしか語れない部分も数多い。あまりに特徴的
な、胸と下腹部、ふたつの水晶体。胸中央で輝くエナジークリスタルが聖少女たちの生命エネ
ルギーの象徴であることはまず間違いなかった。破壊すれば、死に至る。あるいはクリスタル
の輝きが途絶えれば、即ち生命は消滅したことを意味する。
 シブヤ109に磔にされたサクラの胸のクリスタルは、完全にその光を失ってしまっていた。生
物科学の観点からすれば、超能力天使は100%の死を迎えている。あらゆる身体機能は停止
していた。このまま放置が続けば、やがて腐敗し塵となって散り去るのみだろう。
 だが守護天使たちには、死者にすら生命エネルギーを捧げ蘇生させる、驚異の能力があ
る。それがエナジー・チャージ。
 ゲドゥーとの闘いに敗れ非業の死を遂げたファントムガール・サクラだが、クリスタルにエネ
ルギーを注ぎ込むことで再び命の灯を燃やす可能性は十分にあるのだ。
 
「でも、ムリね」

 全ての希望を打ち砕くかのような、明瞭な言葉であった。
 断言する女教師に、麗しき少女は冷静な口調でその言葉を肯定した。
 
「わかっている。今の状況ではエナジー・チャージは使えない」

「さすがによく理解しているようね。もし私なら、109の周囲で待ち伏せをする。蘇生したばかり
でなにもできないサクラと、エナジーを分け与えて疲弊し切ったあなたをまとめて始末するため
にね」

 エナジー・チャージはいわば生命力を分割する技だ。死んだ者に再びの生を。奇跡の代償は
エナジーを与えた者に大きく降りかかる。恐らくは立っていられないほどの脱力感に一気に襲
われることだろう。
 サトミがサクラにエナジー・チャージを敢行すれば、死者が蘇る代わりに戦闘不能の守護天
使が2名になる。
 結果としてファントムガールの屍は二体に増えるだけだろう。
 
「蘇生の後、すぐに変身解除が可能な場合。つまり万全のサポート態勢が整っている前提でな
ければ、自らをかえって死地に追い込む愚かな行為ね。前回成功したのはその条件が整って
いたのと・・・」

「ナナちゃんだったから、よ」

 天才科学者が言い掛けた台詞を、先に里美が口にする。
 
「膨大な生命力を持っているナナちゃんだったから、厳しい状況でもユリアを復活させることが
できた。私より遥かに高い生命力を持つナナちゃんだから・・・そう言いたいのでしょう?」

「フフ、よくわかってるじゃない」

「敵の足取りが掴めない、まして数的に絶対不利な状況にある今、エナジー・チャージはあまり
に危険すぎる。それだけじゃないわ。基本的に私たちは奴らより先にトランスフォームするのを
避けなければならない。いたずらに変身して体力を失うわけにはいかないもの。たとえサクラを
救出することができたとしても、その後の強制睡眠中に東京の街を破壊されるようなことは絶
対にあってはならないわ」

「まったく、正義のミカタってやつはくだらないわね」

「あなたが何を思おうとこれだけは従ってもらうわ。ミュータントが出現したのなら、それを迎撃
するのがファントムガールの絶対の存在意義よ。私ひとりしかいないのならば、ファントムガー
ル・サトミはミュータントの襲撃に備えなければならない。たとえ仲間の救出が遅れようと」

「ご立派な心がけね。溜め息がでちゃうほどだわ。で、実際にどう闘うつもりなのかしら? まさ
かただ藤木七菜江や霧澤夕子の居場所がわかるまで待ってるだけ、とは言わないわよね」

「今は情報が集まるのを待つしかない。けれど、奴らの動向が掴めれば、隙を突いてサクラを
救出することも・・・」

 続く句を紡ぎ出そうとした里美の唇が、突如部屋に飛び込んできた乱入者によって閉じられ
る。
 
「失礼します、お嬢様」

 白いものが混じった頭を深々と下げながら、執事の老紳士は冷静なうちにも彼らしからぬ慌
しさを漂わせ、里美の目前に立った。
 屋敷の地下、4人のオペレーターを中心に忍びの血を引く諜報員を指揮して戒厳下の東京
のデータを掻き集めているのがこの執事安藤である。彼が疾風のごとく現れたということは、な
にか大きな変化が起きたに違いなかった。
 
「どうしたの?!」

「とりあえずテレビを。実際に見ていただくのが一番です」



「ハアッ・・・ハアッ・・・ハアッ・・・・・・」

 暗い闇の底であった。
 瞳を開けているのか、瞑っているのかすら定かではない。窒息しそうな濃密な闇が天から押
し迫ってくる。黒。漆黒の綿菓子が少女の身を幾重にもグルグルと包み込んでいる。すぐそば
に投げ出されているはずの手すら視界に映り込みはしない。そもそも今の己に腕が、指が、存
在しているのかさえ疑わしかった。
 たぎる灼熱と疼く激痛。
 骨の髄までキリキリと絡みついてくる烈しき感覚だけがリアルであった。
 ドクドクと脈打つ鼓動は生あることを知らせると同時に、その都度うち震える肉体の損傷の酷
さを教える。仮にどこの部分が欠けていようとも・・・おかしくはない。何十本もの竹槍に貫かれ
たかのごとき錯覚。その中央、胸の真ん中でどっかりと根を張った沸騰する極痛。ドロドロに溶
けたマグマを、切り裂かれた胸の内部に注ぎ込まれているかのような。悲鳴すら満足にあげら
れぬ少女は、ただ地獄の苦しみの海を溺れ漂う。
 
 やがて少女は気付く。
 ずっと続く耳障りな息も絶え絶えの荒い吐息が、実は己の唇から洩れ出ていたという事実
に。
 苦しげで、切なげで、今にも途絶えそうな。
 陰で冷淡と罵られようと他者に弱さを見せることを拒否してきた自分が、こんなにも憐憫に満
ちた呻き声を垂れ流し続けているなんて。
 
「・・・フ・・・・・・」

 無様な己がやけに滑稽に思えて、霧澤夕子は真っ白な顔面をわずかに綻ばせた。
 さぞ、おかしいでしょうね。
 いつも済ましてる私が、子供みたいに泣いているんだもの。
 弱々しい自分の弱々しい声が、あまりにらしくなさすぎて、不意に夕子は可笑しくなってきた。
 
“・・・ざまあない、わね・・・・・・研究を優先するあまり・・・私は・・・・・・周囲に優しくなかっ
た。・・・・・・こんな、ボロボロにされて・・・当然・・・・・・かもね・・・”

 ブルブルと震える指が、我が身を包んだ青いセーラー服の上辺を撫でる。
 じっとりと湿った感触と、鼻孔をつく磯の香り。ツインテールに結んだ赤髪から革製のローファ
ーまで、制服姿の少女の全身は、東京湾の海で濡れそぼっていた。
 
“・・・指・・・動く・・・・・・感覚・・・戻って・・・きた・・・・・・”

 仄かな朝の雨空の光が部屋に挿し込んでいるのを、ようやく夕子の瞳は理解し始めようとし
ていた。漆黒に染め抜かれた瞳に、かすかに光が取り戻されていく。
 疵面の凶獣ギャンジョーとの、東京湾での死闘。
 死を覚悟した刹那、ファントムガール・アリスに開かれた新たなステージの扉。超高速で回転
する脳が認識する光景は、通常の何分の一かで進むスローモーな世界であった。見切ること
すら不可能だった腕槍の凶撃を、能力に覚醒したアリスは避け得る。反撃すら、成る。九死に
一生を得て死地を脱したアリスは、霧澤夕子の姿に戻って九月の海に飛び込んだ。
 そのまま湾岸に泳ぎ着くのは危険であった。獲物を逃し怒り狂った疵面獣が、待ち構えるの
は確実であった。他に仲間がいる可能性も十分に考えられる。
 逃げるなら、反対方向へ。
 港湾内の海を渡りきり、反対の岸辺へ。
 肉体の組成の半分がライブ・メタルと呼ばれる特殊金属でできた夕子にとって、水泳は決し
て得意ではない。まして続けざまの戦闘で受けた深いダメージ。変身解除に伴う、強制睡眠。
 それでも生き残るためには、少女は暗く冷たい九月の海を泳ぎきらねばならなかった。半失
神状態で。襲い来る絶望と苦痛と虚無とを、際限なく振り払いながら。
 ボタボタと血と海水の入り混じった雫を垂らしながら、対岸に上陸した赤髪の美少女は、フラ
つく足取りで住民が避難済みの民家に飛び込んだのであった。
 
 東京湾埋立13号地北部――通称、お台場。
 黒船来襲に備える砲台の設置場所としたことからその名が由来され、民放テレビ局が移転し
たことやレインボーブリッジの建設などで有名となったこの地に、霧澤夕子は逃げ隠れてい
た。
 玄関先で倒れこみ、気を失ってから何時間が経ったのだろうか。
 繰り返す、蘇生と失神。燃えるような激痛に目を覚まし、押し潰されるような疲労感に意識が
途絶える。もはや夢と現実の区別も定かではなかった。ただ、己が生き延びたらしいことだけ
はうっすらとわかる。とりあえず、死の淵から還ってきたことだけは確かなようであった。
 
「アァッ!・・・・・・んくふッ・・・ゥんッ・・・ッッ・・・」

 業火で焼かれるような全身の痛みが波のように襲ってくる。
 たまらず洩れる弱々しい呻き声を聞きながら、夕子は己の肉体がいかなる惨状にあるかを
確認していた。
 ファントムガールに変身時の負傷は人間体に戻れば何十分の一かに軽減される。夕子自身
が何度も経験してきた事実だ。だからこそ、通常ならば死を免れないダメージを負っても守護
天使は生き永らえてきた。
 クトル、ヒドラ、そしてギャンジョー・・・今回の連戦による肉体の損傷は、『エデン』の力を持っ
てしても回復できないほどに深刻なものであった。
 セーラー服を縦横に走る破れ目と、その間から覗くミミズ腫れの素肌。マスクを破壊されたサ
イボーグ少女の左眼は、機械でできた赤いレンズを剥き出しにしていた。血の滲む右脇腹の
肋骨は、数本は完全に折れているだろう。顎や背骨、その他人工骨格に入ったヒビや亀裂は
数知れず。塞ぎかかってはいるものの、右乳房と腹部には明らかな刃傷が白い乙女の皮膚を
抉って窪んでいる。
 見るからに痛々しい悲愴な姿。しかし、夕子を瀕死に至らしめる決定的な負傷は目に見えな
い部分にあった。
 
“・・・我・・・ながら・・・・・・ひどい・・・やられよう、ね・・・・・・”

 最も重大なダメージに夕子は気付いていた。
 胸に仕込んだ自爆装置を引き剥がされた時。ドリルと化したギャンジョーの槍腕で、サイボー
グ少女の胸内部はズタズタに破壊されてしまっていた。
 生身の肉体としての損傷はもちろん、パーツをもぎ取られ、配線を引き裂かれた機械部分
は、絶望的なまでに修復不能であった。『エデン』は肉体を回復させてくれるが、壊れた機材を
修理する能力などない。サイボーグの故障を直すには人間の手が必要であった。だが、お台
場の民家に現代最高レベルの機械設備などあるわけもなく、そしてなにより第一に――。
 
“・・・私では・・・直せ・・・ない・・・・・・あのひとで・・・・・・なければ・・・・・・”

 世界唯一の傑作サイボーグ・霧澤夕子をメンテナンス可能なのは、その父有栖川邦彦ただ
ひとり。
 
“・・・皮肉、ね・・・こんなふうにした・・・・・・あいつに・・・私は・・・・・・生かされてる・・・・・・で
も・・・この身体でなければ・・・・・・死んでいた・・・・・・”

 機械の身体を持つファントムガール・アリスだからこそ、胸をドリルで抉られて尚、絶命せず
に済んだ。しかしその反面、完全な復活を遂げるには有栖川博士の手による修復が不可欠な
のだ。
 連絡を、取らなければ。
 通信手段が途絶えたことで、いかなる状況がこの首都東京を、銀色の守護女神ファントムガ
ールを襲っているのか、夕子には把握できていない。だがかつてない巨大な危機が世界を包
んでいるのは、街に漂う退廃的な気配から察せられる。周到な罠と怒涛の襲撃。メフェレスら
による本格的なファントムガール抹殺計画が動いているのは間違いないだろう。
 地元に残った里美とユリはどうしているのだろう? 同じ東京の地にいる七菜江は無事なの
か? そして桃子は・・・?
 
 震える指を、そっと自らの首に嵌められたシルバーのリングに触れる。被検体・霧澤夕子の
体温、脈拍、血圧、電圧、制御機能情報など、様々な情報を三星重工の研究室に絶え間なく
送っている発信機は、いまや一切の活動を停止し単なるアクセサリーと化していた。激闘のさ
なか、なんらかの要因で――恐らくは、クラゲのキメラ・ミュータント=ヒドラを倒す際に実行し
た、全身のヒート現象であろう――故障を来たしたシルバーリングは、本来の役割を完全に放
棄してしまっていた。ツインテール少女の居場所を邦彦が突きとめるのは、現実的には奇跡を
待つようなものだ。
 何度も試しては何度も落胆させられたというのに。小さな舌打ちの音が、紫に変色した唇の
狭間から洩れる。
 普段はプライベートもおかまいなくデータを採取し続けているくせに・・・肝心なときに役に立た
ないなんて。
 諦めきれない己を言い聞かせるように、細く白い指がリングからツッと離される。
 
 このまま死ぬのも・・・いいかもね。
 
 かろうじて、凶獣の猛攻から逃れ、生き永らえたこの身体。
 だが、ダメージが軽減されるとはいえ、ファントムガール・アリスの肉体からライブ・メタルの一
部が引き抜かれ、抉り取られた事実は変わらない。内臓の一部を抜き取られた人間が、きち
んとした手術を受けずに生きていけるものかどうか。夕子の身体に戻った今も、惨劇の爪痕は
刻一刻とその身に迫っているはずだった。
 邦彦に会わねば。仲間と合流しなければ。
 夕子に終末の時間が訪れるのは、さほど先ではない未来になる。
 
“もともと・・・私はあのとき・・・・・・ヤツを道連れに・・・自爆して、死ぬつもりだった・・・・・・い
え・・・もっと言うなら・・・・・・トラックに轢かれたときには・・・・・・本当なら死んでいた・・・”

 思えば、長く生き過ぎたのかもしれない。
 父親が天才的な機械工学の権威でなければ。機械兵士の開発というろくでもない研究が、実
用段階レベルにまで進んでいなければ。アンモラルな人体実験を、政府が秘密裏に認めてい
なければ。霧澤夕子という存在はとっくの昔に墓石の下で眠っているはずであった。
 醜い身体に「造りかえられた」怒り。
 だがその怒りすら、生きているからこそ感じることができるという、真実。
 実の父親を憎悪しながらも、与えられた生命を確かに娘は享受してきたのだ。
 
 生きていたから、かけがえのない仲間たちに出会うことが出来た。
 生きていたから、その身を張って人々の命と大地を、いくらかは守ることが出来た。
 生きていたから、すれ違っていたクラスメイトたちとも一緒に笑える日が来た。
 
 “延長戦”にしては、恵まれすぎるほど恵まれていた、我が人生――。
 
 ずるずると、血の滲んだセーラー服の少女が、住人が抜けたあとの一軒家を這いずり回る。
 人の気配は皆無であった。すぐそこに見える東京湾の対岸で、ツインテールの女神と巨獣ど
もとが激闘を繰り広げたのだ。お台場に残された人間はひとりとしていないことだろう。
 期待を託した電話は、回線が切れて繋がらなかった。
 運よく見つけた救急箱で、応急処置を施した。
 咽喉の渇きに耐え切れず、冷蔵庫のなかから野菜ジュースを拝借した。
 昏倒しそうな痛みと虚脱感を堪えながら、ボロボロに擦り切れた少女は希望を求めて邸内を
這いずった。
 
 リモコンでテレビを着ける。
 砂嵐。映像は映らない。もはや未曾有の危機に直面した東京が、戒厳令下にあることは疑
いようがない。マスメディアからの情報収拾を半ば夕子が諦めかけたその時。
 唐突に、画像が映し出された。
 
「なッッ?!!」

 驚愕の叫びが口を衝いて出る。
 長方形の液晶画面の向こう、日本全国に流されているであろう映像の中央に、映し出された
ものは。
 鎖と枷とで拘束され、天井から吊り下げられた、藤木七菜江の姿であった。
 
 
 
 覚醒した七菜江を待っていたものは、全身を蛇のように這い回る官能の疼きであった。
 あらゆる筋肉が石化してしまったかのようだった。重い。内臓のあちこちに、鉛玉を埋め込ま
れたが如き感覚。己の一部であったものが確実に物体に変化していくのを少女は感じていた。
肉の裂ける激痛が余すことなく覆っているはずなのに、それすら満足に感じられぬほど乙女の
肉体は疲弊し切っていた。
 そうだ。あたしは・・・負けたのだ。
 命そのものを握り潰されるような、壮絶な敗北。
 度重なる陵辱と痛撃。自らの心臓を爆発させた、玉砕覚悟の大暴走。圧倒的な暗黒の力
で、生命の象徴に受けたトドメの破壊劇。完膚なきまでに、ファントムガール・ナナは悪鬼ども
の毒牙に喰い散らされた。
 生きているのが不思議であった。いや、生かされているだけなのだろう。
 闘い敗れ、虜囚と堕ちた少女戦士は、かろうじて心臓が動いているだけの無惨な有り様であ
った。
 
 だが、力は全て奪いつくされ、体組織は擦り切れ、細胞は崩壊の悲鳴をあげているというの
に・・・ショートカットの美少女を今包むのは、紛れもない淫欲の芽吹き。
 グラマラスな若き肢体が瀕死に陥っているのは、七菜江自身が悟っている。健康的な美肉は
抉りこむような苦痛に蝕まれていた。それでも囚われ少女の脳裏は、霞がかった桃色のさざ波
に占められている。
 
“・・・あ・・・へぅあッ・・・ど・・・どうし・・・・・・て・・・・・・?・・・あ、あた・・・し・・・”

「よッッッくも、ビビらせてくれたじゃなぁ〜〜いッ、子猫ちゃ〜〜ん♪ たッ〜〜ぷりと遊んでや
るからァ〜〜、覚悟しろよォ〜〜!」

 焦点の合わぬ七菜江の視界に、歪んだ笑みを刻んだ派手メイクなギャルの顔が至近距離で
飛び込んでくる。
 真っ赤な舌でペロリと少女の鼻先を舐めた「闇豹」神崎ちゆりは、昨夜のこととなった戦闘を
思い返しながら、ヒクヒクと引き攣る半開きの桃色の唇を見下ろした。
 
「・・・・・・ァ・・・ァがッ・・・・・・ち・・・・・・ちゆ・・・・・・」

「あははははは♪ い〜いザマぁ〜〜! もうアンタ、な〜〜んにもできないって感じィ〜〜♪ 
そのままブザマにィ〜、あへ顔晒してなァ〜〜!!」

 「闇豹」の赤い舌が、涎で溢れたアイドル顔少女の口腔に突き入れられる。
 接吻というより、「喰らう」と表現すべき陵辱のディープキス。
 豹が猫を喰らう。くちゅくちゅと派手な淫音をたてながら、七菜江の唇から咽喉奥まで無造作
に穢されていく。
 
「んんッッ!・・・ングッッ・・・ンンッッ!!」

「ぷっはアッ――ッ!! キャハハハ、キスだけでヘロヘロになってんじゃねえ〜〜よォッ、カス
がァッ!!」

「どけ、ちゆり。てめえひとりで楽しんでんじゃねえ」

 金色のルージュを吊り上げて笑うギャルを押しのけ、明らかにその筋とわかる、刃傷で顔面
が崩れかかった極道者が現れる。
 暴力に飢えた、獣の顔。
 角刈りに三白眼。縦横に走るケロイド状の疵。一度見たら忘れられそうにないその顔は、駅
前での工藤吼介とのデート中に遭遇していたものだった。
 そしてこの顔の面影を色濃く残した凶獣こそが、ファントムガール・ナナを虜囚へと陥らせた
張本人であった。
 
「ガキには勿体ねえいやらしいカラダだぜェ! たっぷり食い尽くしてやるぜ、女神さま?! ギ
ャハハハハ!」

 台座に横臥する七菜江の胴に、外見を裏切る速度で肉厚なヤクザ者が跨る。掌に余る豊満
な左右の乳房を、両手でそれぞれ乱暴に揉みしだく。
 思わず反応し腕を動かせようとして、七菜江は気付いた。鎖で四肢を拘束されていることに。
金属の台座に大の字で縛り付けられていることに。纏ったセーラー服が、戦闘のダメージでほ
とんどボロキレと化していることに。 そしてさらに気付く。全身余すところなく、ヌラヌラと濡れ
光っていることに。
 間違いなく特殊効果を施してあるだろうローションに、グラマラスな肢体はどっぷりと漬けられ
ていた。裸同然に剥かれた素肌は桃色に火照り、胸の頂点の突起はコチコチに尖り立ってい
る。腰をわずかにずらせば、ヌチャヌチャと淫靡に鳴る股間。顔や胸にこびりついた、明らかな
スペルマの残滓からは、生臭い悪臭が漂っている。
 
 失神している間、すでに七菜江の肉体は数え切れない陵辱を受けて、汚されきっていた。
 気は失いつつも、快楽に溺れ、染まっていく肢体。意識のないまま若き乙女の細胞は、愛撫
の限りを尽くされ昇天と絶頂を繰り返していたのだ。
 虜囚少女が覚醒した時点ですでに、その健康的な美肉は官能の虜と堕していた。
 
「・・・んくッ・・・・・・グッ・・・・・・んはァうッ?・・・」

「ゲハハハハ! 感じちまってんのかァ〜ッ、ファントムガールさんよォッ?! オラ、てめえは
正義の天使さまなんじゃねえのかァッ?!! なに腰振ってよがってんだぁッ、淫乱がァッ
ッ!!」

 メロンのごとき充満した見事なバストが、引き千切れんばかりにムチャクチャにこね回され
る。疲弊し切った少女の眉根が、あまりの激痛に苦しげに寄る。
 そんな最中にあってさえ、感じてしまう官能の刺激。胸への愛撫は七菜江がもっとも苦手とす
る箇所であった。敏感な突起に触れられるだけでも、うずうずとした電撃が脳幹を刺してくる。
半開きになった唇から、ペロリと小さな舌がだらしなく垂れ下がる。
 
「うぶうううッッッ?!!」

 槍のごとき細長い男根が、呆けた少女の口腔を一瞬にして貫いた。
 サングラスをかけた、全身が刃でできたような男。
 初見にして七菜江は、戦慄すら覚えるこの殺戮者・海堂一美が己を破った凶魔ゲドゥーの正
体であると見抜いていた。
 
「んぶッッ・・・ンンッッ・・・おぶうッッ・・・!!」

「きゃはははは♪ 子猫ちゃんったらァ〜〜、嬉しすぎてオチンチン飲み込んだままビクビクし
ちゃってるゥゥ〜〜!」

「ヘッ、小娘の分際で海堂さんのイチモツに貫かれるんだ、よ〜く感謝しねえとなァ?!」

「騒ぐな、ジョー。こんなものは・・・死なない程度に壊すだけだ」

 ブブ・・・ズブ・・・ブブブッ・・・・・・
 
 口腔を埋め尽くした異形の魔羅が、容赦なく咽喉奥へと挿し入れられていく。窒息の苦しみに
ヒクヒクと痙攣する、濡れ光る豊かな肢体。
 ゴブゴブと奇怪な音色が響くのにも構わず、海堂の槍魔羅が聖少女を貫いたままグラインド
を開始する。合わせるように続く、スカーフェイスの胸愛撫と「闇豹」のソフトタッチ。ガチャガチ
ャと無情に鳴り響く鎖の音色をバックに、猫顔美少女の口淫陵辱ショーが開始される。
 
“いッ、息ッ・・・できなッ・・・く、くるし・・・・・・ひぐうッ?!・・・む、胸へェェッ〜・・・ひゃふッ・・・
も、もうッ・・・さ、触らないでェッ・・・へふうッッ・・・ぎィッ・・・か、感じちゃァッ・・・”

 実感できる。己が、犯されていることを。
 いいように嬲られ、感じてしまっている肉体。気道を塞ぐ長大な肉棒に苦しみながらも、痺れ
るような快楽の波状攻撃に少女の内なる色熱は哀れなまでに高まっていく。
 無表情で口を犯す海堂一美と、哄笑をあげながら弾けそうな媚肉を嬲るスカーフェイスのジョ
ー。からかうように全身を舐め上げる神崎ちゆりと相まって、三匹のケダモノが差し出された生
贄の乙女を貪っていく。
 
「ゴブッッ・・・ンンッッ!!・・・ングッッ・・・ンンンッ〜〜!!」

「グハハッ、気持ち良すぎて声が洩れ出ちまうかッ・・・よッ!」

 陰茎を咥えた小さな唇からこぼれる、明らかな嬌声。
 聖少女の脳裏が桃色に霞んでいることを確信したうえで、トドメとばかりに疵面ヤクザの両手
が質・量ともに申し分ない双房を握り潰す。
 
「ングウッッ?!!」

 胸の柔肉をもぎ取られそうな激痛に、濡れ光る健康的な肢体が大きく痙攣する。
 女性のシンボルを破壊する掌の感触を愉しみながら、スカーフェイスのジョーは拘束されて動
けぬアスリート少女を鷲掴んだまま強引に引き上げる。無惨に伸びる豊満なバスト。大の字の
まま突っ張る四肢。全体重を己の乳房に掛けられる凄惨な仕打ちは、まさしくファントムガー
ル・ナナが凶魔ゲドゥーに敗北した折と同じものであった。
 
 ぶっしゅううううッッ〜〜〜ッッ!!!
 
 くぐもった絶叫が轟くと同時に、開いた股間から絶頂を知らせる潮の噴水が激しく降りしき
る。
 ズボリと口腔から槍魔羅が抜かれ、苦悶と羞恥を刻んだアイドル顔がコトリと傾く。強制的に
蘇る、敗北の苦痛と屈辱にまみれながら・・・怒涛となって押し寄せる官能に貫かれ、少女は果
てた。
 
「壮絶な痛みよりも、敗北の恥辱よりも快感が勝ってイッたか。無様だな」

 サングラスの奥で表情ひとつ変えない“最凶の右手”の嘲りのなか、七菜江は引き攣るような
余韻に、ただ身を震わせるしかなかった。
 そう、あたしは負けたのだ。闘い敗れ囚われた女戦士の運命がいかなるものかは、とっくに
理解しているつもりだった。
 恐らく、人質として利用するためにあたしは生かされているに過ぎない。
 それまでは、憎悪と復讐と性欲の対象として、過酷な責め苦を甘受する以外にないのだ。
 
『いい姿だな、藤木七菜江』

 聞き覚えのある、いや、忘れようにも怒りとともに脳裏にこびりついてしまった声が、トロトロと
透明な涎を垂れ流す少女の鼓膜を響かせる。
 久慈仁紀――許すまじ、悪辣なる魔人・メフェレス。
 だが虚脱感と強制昇天に意識を半ば失いながらも、七菜江はその声の違和感を的確に感じ
取っていた。
 久慈はここには、いない。これは・・・スピーカーからの音?!
 
『殺す。縊り殺してくれるぞ、ファントムガール・ナナ。だがいま少し猶予をくれてやる。さんざん
煮え湯を飲まされた貴様への罰は、死では生温い。骨の髄まで絶望と苦悶で染め抜いてくれ
るわ』

 憎しみにも似た怒りとわずかに芽吹く恐怖が、混沌とした脳内を覚醒へと導いた。
 ようやく七菜江は認識する。己が置かれた状況と、悪鬼どもが仕組んだ天使蹂躙の舞台に。
 異様に高い天井と広いフロア。我が身を拘束した金属製の台座は、ほぼその中央に位置し
ている。
 取り囲んだ数台のテレビカメラと、機材の山。天井には無数のライト。カメラの反対側にはど
こかで見覚えのあるニュース番組のスタジオセット。
 囚われの守護少女はテレビ局のスタジオにその身を幽閉されているのであった。
 
『性奴隷となった事実をメスブタに見せてやれ』

 誰に命令したのか? 久慈の声がアナウンスされると同時に、スタジオ内のモニターが一斉
に映像を映し出す。
 引き千切れたセーラー服を纏ったショートカットの美少女が、鋼鉄のベッドに大の字で四肢を
束縛されている。長い睫毛は閉じられていた。藤木七菜江、そのひと自身。いや正確には少し
前、意識を戻す前の七菜江の姿。
 1、2、3・・・合計6台のモニターのなかで、気絶した健康的なグラマー少女は次々とヤクザふ
たりに陵辱されていった。舐められ、揉みしだかれ、貫かれ・・・ある時はそのまま中に、ある時
は波打つお腹のうえに、ある時はキュートさ溢れる顔面に、衰えることない白濁液がドピュドピ
ュと注がれていく。なにもできない正義の少女。ただ苦悩とオルガスムを八の字に寄った細眉
に示しながら、ケダモノの汚辱を浴び続ける。
 あらゆる角度から撮影された、聖少女の強姦AVショー。
 その無惨な一部始終を、非道な悪鬼は純真な女子高生本人に見せ付けているのだ。
 
『わかるか、藤木七菜江。貴様の肉体はすっかり穢れ切った。ヤクザに貫かれ、媚熱の虜と化
したのだ。あの男ではない。工藤吼介ではないぞ。敵である殺人鬼に貴様は嬲られ、幾度も幾
度も絶頂を迎えたのだ。そらよく見ろ、悦びに自ずと腰を振る淫乱な己を。そら、またもや中に
出されおったわ』

 ブジュウッッと白濁の飛沫が、ジョーの巨大肉棒と淡い繁みに隠れた結合部から噴き出す。
串刺しにされた股間をビクビクと痙攣させる映像内の己の姿に、たまらず七菜江は顔を背け
た。
 
『よく見ろッ、クズがァッ!! 映像を変えろ。ファントムガール・ナナはもはや肉人形に過ぎん
ことを教えてやれ』

 疵面ヤクザがショートカットを鷲掴む。強引に視線をモニターへと注がせる。
 恐らく久慈は別室にてスタジオの様子を覗き見つつ、映像類の指示を出しているのだろう。
その脅迫のもとに、テレビ局のスタッフが捕らわれているのは確実だった。
 脅かされるがまま、モニターに映し出された画像は、つい先程愛撫と強制フェラチオで昇天を
果たした七菜江の、潮吹きシーンであった。アップで映される、形もハッキリとした陰部と恍惚
の表情。唇を噛み締めるアスリート少女が、強く瞳を閉じる。
 
 バリッ!! バリバリバリッッ!!
 
「へぶうッッ?!! あふうッッ・・・ひゃあハッ!! へああああッッ〜〜〜ッッッ!!!」

 突如、拘束台から流し込まれる、大量の電流。
 不意打ちに近い高圧電流の刺激に、獣の咆哮にも似た悲鳴が薄ピンクの唇を割って出る。
 
「きゃはははは♪ 苦しいのォ〜、子猫ちゃん♪ ていうかさァ〜〜、気持ちよくって狂いそうで
しょォ〜〜、ホントのとこさァ〜?」

 語りかけながら「闇豹」神崎ちゆりは、金属台についているダイアルを躊躇なくMAXにまで引
き上げた。
 悲鳴が絶叫に代わり、拘束されたグラマラスな肢体が弾けんばかりに踊る。全身を包む電撃
拷問。しかし、この電流刑が単なる苦痛に終わらぬことを、少女の霞む意識は悟っていた。
 
『その拘束台の名はキラー・ファントム。貴様らを処刑・蹂躙するためだけに作らせた特製の拷
問器具だ。改良を重ねた機器の実験台に、色香の蜜を豊満に含んだ貴様のカラダは相応し
い』

 謳うような久慈の言葉も、電撃に這い擦り回られる七菜江には届いていなかった。
 全身を、極上の粘液で舐め尽されているかのようだった。
 エクスタシーに達する折の、頂点の刺激。甘く尖った痺れるような昂ぶりが、髪の先から足の
指まで余すとこなく少女を包んでいる。
 刺激とは元をただせば電気信号。キラー・ファントムが放つ電流は、単に細胞を灼くだけに留
まらない。それ自体が絶頂に導く快感なのだ。子宮を直撃する官能の刺激を、全身に直接流
し込む。愛撫と呼ぶには生易しい悦楽の波動は、女子高生の、それも瀕死に陥った聖少女の
身には過酷すぎた。
 
「へげえああああああッッ―――ッッッ!!! えぶうッ?!! ひぎゅうッッ?!! えあああ
ああアアアッッ〜〜〜ッッッ!!!」

 踊る。四肢を拘束され、身動きを封じられた少女が踊る。あまりの気持ちよさに、暴れ狂う。
叫ばなければ、跳ね回らねば、正気を保っていられなかった。頭がヘンになりそうな、激しすぎ
る快感。悪魔どもが冷ややかに見下ろすのも構わず、七菜江は踊り続けた。
 伊豆の地で西条ユリを悦楽地獄に堕とした拷問具キラー・ファントムは更なる進化を遂げて
いた。守護天使にとって悪化の方向へ。七菜江の細胞が快楽を感じているのではない。それ
自体が脳に刷り込まれるのだ。しかも全身から怒涛のように。いまや純粋な少女の脳は、淫猥
なローションの海に漬けられているも同じ。
 
「くうッッ・・・くるうゥゥッッ――ッッッ!!! 狂っひゃハアアッッッ・・・はバアアッッ〜〜ッ
ッ!!! あああ・ア・ア・アアアアッッッ―――ッッッ!!!」

「頑丈なのも考えもんねェ〜〜? とっくに発狂死できるトコを死ねないんだからァ〜〜」

 絶叫をあげるショートカットを、青のマニキュアも毒々しい指が掴んで固定する。もう片方の手
に握ったキラー・ファントムから伸びたホース状の吸引機を、禍々しい笑みとともに「闇豹」が見
せる。
 
「お高くとまったウゼー女教師もいいトコあってさァ〜〜、あいつ消え際にウケルもん、いっぱい
残してったんだよねェ〜〜。コレ、何かわかるゥ〜? まるでタコの吸盤みたいでしょォ? そ
う、ご名答ォ♪ クトルの淫乱触手をこのサイズで実現化しちゃったってわけェ♪ こいつから
出る粘液ったら、そりゃあもうどんな媚薬より気持ちよくって、しかも吸引なんか始めちゃった
ら・・・」

「講釈なげーよ、『闇豹』」

 横から触手型吸引ホースを奪い取ったスカーフェイスが、容赦なく粘液に濡れた吸引口を股
間の中央に突き当てる。
 
「ッッッ?!!! ッッ〜〜〜〜んんハアアッッ――ッッ!!!」

「なんだか知らねえがこいつが苦しみゃいいんだよッッ!! オラッ、狂えッ!! ヒイヒイ泣き
叫べやッ、ファントムガールさんよォッッ!!」

 グチュ・・・クチュ、プチュ・・・ドプ・・・
 
 アワビにも似た吸引口から大量の粘液が吐き出され、少女の聖窟内いっぱいを埋め尽くす。
繊細で生温かな舌が幾本も侵入してきた錯覚。Gスポットを浸し、クリトリスに絡みつく催淫の
媚液。悦楽電流で高揚し切った肉体に、更なる愉悦が雪崩となって襲い掛かる。
 
「あひゅいイィィッッ?!! ひゅばあアアッッ!!! ひィッ、ひィやああッッ・・・やめえェェッ
ッ!!! やめェッ、やめえェッッ〜〜ッッ!!! とッ、とっれェッ・・・はッ、ハズしてェェッッ〜
〜ッッ!!!」

「あはははは♪ どうしたのォ〜〜、ナナちゃァ〜〜ん? 気持ちいいのォ〜〜? たまんない
のォ〜〜? でもダァ〜〜メッッ!!」

 膣を満たした淫靡粘液が意志を伴ったように暴れ出す。聖少女の陰部を貪るように。敏感な
箇所を一斉に摩擦され、数百の桃色刺激が激流となって少女の子宮を貫く。
 
「ひいいィィッッ―――ッッ!!! 死ィッッ、死んッッ・・・ひんひゃああッッ!!!」

 ギュボオオオオオオッッッ!!!
 
 達した七菜江が愛液を迸らせた瞬間、タコ触手は満杯の粘液ごと少女の蜜壷を内臓も引き
出す勢いで吸い上げた。
 
「ひぎゃあアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!! あぎゃあああああ・あ・あ・アアッッ
ッ・・・」

 吸われる。飲まれていく。七菜江の恥汁も愛蜜も。分泌物の全てを。性の迸りを。
 食われている。正義の少女戦士が、悪逆な凶魔どもに。その性を、正真正銘、文字通りに吸
い尽くされていく。
 放出と吸引。その繰り返し。
 粘液が満ちては絶頂に達し、性を開放しては奪い取られる。性奴を乗せた悦楽のゆりかご
が色欲の波間に戯れる。虜と呼ぶにも生易しいほど、藤木七菜江はエロスの神の極彩色の腕
に絡めとられていった。
 
『そろそろ頃合いか』

 ギュポリという音色を残して、さんざん美少女の膣腔を吸い上げた触手口が切り離される。蕩
けきった放心状態の猫顔と、荒々しく息を吐く薄ピンクに染まった肢体。悦楽拷問に溺れ、崩
れかけた哀れな少女のショートカットを、疵面獣が再び鷲掴んでモニターに顔を向ける。
 
「ぁはァッ・・・・・・んぶッ・・・・・・アァ・・・・・・」

『どうした、藤木七菜江? オレが憎くはないのか? よがり踊り、叫び狂う。憎き敵の前でなん
とも無様な醜態を晒すものだ』

 まるで人形のように嬲られる。人類の守護者として、死よりも恥ずべき姿であることは七菜江
自身もよく悟っている。だがおおよそ人中の範囲を越えた色責めは、本来ならここまで耐えて
いるだけでも賞賛されるべきであった。
 ギリ、と奥歯を噛み締める。吊り気味の瞳に灯る、確かな反抗の光。
 囚われ、犯され、貪られた今の七菜江にできる、それが精一杯の抵抗。いや、瀕死の身体に
破壊にも近い陵辱を受けて、未だ闘志を完全には失わぬ少女は、紛れもなく戦士の称号に恥
じなかった。
 追い詰められて、虐げられて、なお挫けない強き心。
 少女戦士の限界を引き出したうえで、その強い心を砕く。
 征服欲に占められた悪鬼・久慈仁紀の狙いはまさにそこにあった。
 
『例の映像を映せ』

 テレビ局のスタッフに下される命令。モニター内の映像が拘束台の少女から切り換わる。
 朝靄のなか、破壊の跡も激しい東京の街が映る。そぼ降る雨。ライブ映像であることを直感
的に七菜江は理解した。東京は初めて来訪した七菜江だが、なぜか倒壊したビル群も生々し
いその街並みにはどこか見覚えがあった。

 疑問はすぐに解決した。
 真正面に見える、特徴的な円筒型のビル。
 渋谷109。
 今回の修学旅行で行ってみたかった場所のひとつ。女子中高生なら一度は興味を持つファ
ッションビル。
 憧れにも似た感情を抱くビルには、有り得ないはずのオブジェが添えられていた。
 
 光を失った、ファントムガール・サクラ。
 瞳にも、胸のエナジー・クリスタルにも青い光は欠片も灯ってはいなかった。
 銀と桃色の肢体にいくつも穿たれた漆黒の穴。こびりついたおびただしい血潮。無惨に逆方
向に折られた腕と脚。
 
 死んでいた。
 あの美しきエスパー天使が、愛らしく優しさに満ちた乙女が、残酷すぎる結末を若者の街に
晒している。
 折り重なり蘇る、桜宮桃子の可憐なる笑顔。
 華のように艶やかだった。陽だまりのように温かかった。水蜜のように優しかった。
 誰からも愛された美しき少女は、今、血に染まった物体と化して渋谷109の磔に架けられて
いた。
 
「・・・・・・も・・・も・・・・・・?・・・・・・」

「いい女だった、ファントムガール・サクラは」

 ダイヤを思わす鋭利な男が語る。海堂一美。サングラスの向こうの素顔は見えない。
 
「希望は持つな。オレがこの手で殺した。あれはもはや、単なる死骸だ」

 血が、沸騰する。
 闘い敗れ擦り切れた肉体。汚辱の果てに狂いよがった痴態の数々。悪魔どもに対抗する力
など、虜囚の戦士に残されたはずがない。
 それでも。それでも燃え上がる、七菜江の内なる炎。
 官能の海に蕩けたはずの肉体が、意志を持って再び立ち上がらんとする。
 
 ブスウウウッッッ!!!
 
「久慈ィィィッッ・・・回りくでえんだよォッ、てめえのやり方はァッッ!!」

 刃傷で崩れたジョーの顔面がさらに狂気に歪んでいた。
 金剛糸。天才学者・片倉響子の置き土産のひとつ。猛毒により痛みのみを何十倍にも膨れ
上がらせる、残酷なる糸針。
 触れるだけで麻痺し、切っ先が当たるだけで泣き叫ばすにいられない毒針を、疵面ヤクザは
七菜江の臍に突き刺していた。
 
「ウギャアアアアアアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!!」

「オラッ!! オラァッッ!! こんなモンはなァッ、ムチャクチャに踏み潰してやりゃあいいんだ
よオッッ!!」

 血を吐き絶叫するアイドル顔の美少女に構わず、5cmほど埋まった金剛糸をグリグリとお臍
内部で掻き回す。
 無言のまま海堂一美が己の分の金剛糸を右手に握る。
 仁侠界でもっとも残酷と噂される男は、無造作に金色の切っ先を少女の滑らかな腋の下に
突き埋めていた。
 
「いぎいいいッッッ―――ッッ?!!! ギャアアアアウウウウウッッッ―――ッッッ!!!!」

 獣の絶叫とともに飛び散る、涙と吐血。
 そこから先は地獄であった。
 乳房を、肋骨の狭間を、太腿を、首筋を、爪の隙間を・・・ありとあらゆる箇所を、毒針が突き
刺す。ただ、正義を名乗った少女を苦しめるためだけに。
 刺す深さはせいぜい数cm。ブツブツと鮮血の粒が浮かぶ程度で、決して外傷は深くはない。
だがその激痛の苛烈さたるや。恐らく本当の地獄であっても、これほど残酷な仕打ちはないだ
ろう。
 過去に金剛糸の恐怖と痛撃を刻み込まれた七菜江にとって、死よりも辛い永遠の煉獄が続
く。
 
「アガアアアアッッッ―――ッッッ!!!! やッ、やめえッッ・・・やめへええェェッッッ―――ッ
ッ!!! おッ、おおおッッ、お願いィィィッッ〜〜ッッ・・・も、もうッ・・・・」

 ブスブスブスブスブスブスブスブスブスブスブス!!!!
 
 ちゆりは気付く。思わず己が、後ずさっていたことに。
 鋭利な凶魔と肉厚な凶獣。仁侠の世界からすら外れた悪魔二匹は、狂ったように金剛糸を
七菜江の肉体に突き刺していた。泣き叫べば叫ぶほど、懇願すればするほど楽しむように。
 耳を塞ぎたくなる非業の叫びが、この二匹には気持ちよくって仕方ないのだ。
 本物の、悪魔だ。
 愉悦している。天使と称される少女を嬲り殺すことに。人質として利用するため踏みとどまっ
ているが、破壊する愉しさに酔いしれている。
 
「ガキのくせにいいものを持っている。形、弾力、サイズ、艶。どれも一級の絶品だ」

 果実のごとく丸みを帯びたバストをからかうように“最凶の右手”が撫で回す。奇跡のような乳
房であった。掌に収まらぬボリュームも、横臥して一切も崩れぬ肉の充満具合も17の乙女のそ
れではない。輝くようなキメと艶。桃色の乳輪も尖り立った突起も恥らうような奥ゆかしさ。大胆
でありながら繊細な蕾の儚さも併せ持つ。極上の肉果をさも愛しげに海堂は撫で続けた。
 
 ズブリ
 
 乳首の窪みに毒針の先端が埋まる。
 焦らしなどしない。一気に激痛を呼ぶ金剛糸が、七菜江の右乳房に突き入れられていく。
 
「ハギュアアアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!! ギャアアアッッ!!! やめええッッ
ッ!!! ヤメエエエエッッッ―――ッッッ!!!!」

「ぎゃははははは! 死にてえかッッ、ファントムガール・ナナッ?!! だが無理だぜェッ、死
ぬほど苦しいくせにダメージはねえんだからよォッ!! 発狂しそうにも、『エデン』もってちゃそ
うもいかないってか!」

 陰部の繁みに手を伸ばしたジョーが敏感な突起を摘む。
 激痛地獄に落ちた七菜江にわかるわけはない、次なる悲劇など。
 赤く腫れ上がった萌芽を剥き出しにするや、もう一本の金剛糸は粒のようなクリトリスを貫い
ていた。
 
「フギャアアアアアアアアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!! うぎゃああああッッッ――
―ッッ!!!」

「ギャハハハハハ!! ヒャーッハッハッハアアァッッ!!!」

 ブジュッ!!・・・グシュッ!!・・・ザクンッッ!!・・・
 乳房を、クリトリスを抉る残酷な音色が広いスタジオに響く。
 咽喉から噴き出た鮮血を撒き散らし、途切れることなく続く虜囚少女の悲鳴は正義の終焉を
知らせる鐘の音のようだった。
 
「どうしたああァッ、守護天使さまァァッ?! さっきから喚いてばっかじゃあねえかッッ!! 仲
間バラされても反撃もできねえかァッ、あァッ?!」

 反撃など、できるわけがない。
 極大の苦痛と無限の悦楽でもはや少女の理性は砂の楼閣の如しであった。
 金剛糸が引き抜かれる。無数に刺された穴からプツプツと浮かぶ紅の点描。
 ヒクヒクと痙攣する猫顔のアイドルフェイスは、苦悶を刻んだまま硬直していた。
 完全に白く裏返った瞳と、だらしなく開けた口からゴブゴブと溢れる大量の泡。
 天真爛漫を絵に描いたようなひまわりの美少女は、非道なる殺人鬼の責め苦に引き裂か
れ、散っていた。
 
「・・・・・・ゆ・・・・・・る・・・し・・・てェ・・・・・・も・・・う・・・・・・許し・・・・・・てェ・・・・・・くだ・・・・・・さ
い・・・・・・」

 完全なる敗北の宣言が、可憐な少女の唇からこぼれる。
 不可抗力の一切ない、敗北。
 苛烈な拷問の苦しみに耐え切れず、藤木七菜江は本心から悪魔に許しを請うた。
 
 ブチュウウウ・・・
 
 なにが起きたかわからない少女戦士の瞳が、己の左胸に吸い付いた、ホース先のタコ吸盤
を見詰める。
 先程七菜江を悦楽地獄に落とした、クトルと同等の触手吸引機。
 陰部に吸い付いた吸盤の口が、今度はメロンのごとき左の乳房を丸呑みにして覆っている。
 
「あァッ?!・・・ア・アアア・・・な、なん・・・・・・でェ・・・・・・??・・・」

「バカが。言ったろうが、てめえは壊すだけってよォ! 許しを請おうが屈服しようが、んなモン
はどーでもいいんだよォッッ!!」

 生温かな粘液が感度の高い肉饅頭全体を包む。
 絶妙な舌触りにも似た愛撫に、瞬時に頂点は屹立した。絡みつく淫液による嬲りと吸引によ
る性の略奪。膣内を責められたのと同じであった。今度は左胸を咀嚼され、狂わされるのだ。
確信的な絶望が崩壊間近の少女の理性を暗黒に閉ざしていく。
 
「所詮、女子高生。オレたちに狙われた時点で、運命は決まっている」

 海堂一美が握ったものはキラー・ファントムから伸びているが、吸引ホースとは違う種類のコ
ードであった。
 先端に1cmほど飛び出た金属の棘が付いている。
 直径1mmにも満たぬ棘の内部には、さらに細かい6本の金属針。その正体を知る由もない
七菜江の空いた右乳首に、キラー・ファントム新たな装備はブスリと突き立てられた。
 
「ひぐううッッ?!!」

「楽しみはこれからだ、ファントムガール・ナナ」

 コードに設置されたボタンを海堂が操った瞬間、悲劇は起こった。
 
 ズブ・・・ブブ・・・ブブ・・・ズブブ・・・・・・
 
 乳房の内部を極細の金属針が這い進む。肉を抉りながら。
 寄生した6匹の蛇か。6本の指を持つ悪魔が魅惑のバストを揉みしだかんとするのか。
 まるで蜘蛛の巣のように、蠢く針が丸い乳房を包みながら広がっていく。
 
「ぎいいィィッッ?!! いぎゃああああああッッッ―――ッッッ!!!」

「死んでしまえば人質として使えないが・・・生きながら、廃人になれ」

 新たなスイッチを躊躇いなく凶魔の右手が押す。
 七菜江の乳房を皮膚の内側で掴んだ金属の網から、灼熱の電撃が放たれる。
 
「キャアアアアアッッッ―――ッッッ!!!! イヤアアアアアッッッ―――ッッッ!!!」

「ギャハハハハハッ――ッ!! こっちも全開だぜェェッッ!!」

 バチッバチッ!! バリバリバリッッ!!!
 ギュプ・・・グチュ・・・ズボオオオオオオッッッ!!!
 
 電撃に焼かれる右胸と粘液に溶かされる左胸。
 壊されていく、グラマラスな少女の極上のバストが。
 そして戦士としての精神が。
 
「はぐうッッ!! へぐああッッ!! やめええッッ、やめへえええッッ――ッッ!!! アアアッ
ッ!! ゆ、ゆるしィッ・・・てェェェ〜〜ッッ!!! お、お願いィィッ〜〜ッッ!!! 許してえッ
ッ・・・ゆるして・・・くださいィィ――ッッ!!! へぶうッッ?!! ぎああ・ア・・・おねがッ・・・い
ィッ?!・・・しま・・・・・・す・・・・・・」

『なにをボサッとしている、ちゆり。惨めなメスブタにトドメを刺してやれ』

 抑揚のないアナウンスの声が、慟哭の満ちた室内に響き渡る。
 我に返った「闇豹」がスタジオの隅から衝き動かされたように拘束台へと駆け寄る。キラー・フ
ァントムに備えられた拷問具はこれだけに留まらなかった。パッと見、長いマイクにも見える漆
黒の鋼鉄棒を取り出す。男性器を模した、金属製のディルドゥ。先端に付いた電極の端子が、
やけに冷たく光ってみえる。導線に繋がったこの器具が、『エデン』と融合した少女に恐るべき
威力を発揮するであろうことをちゆりはよく理解していた。
 
「きッ、キヒヒヒヒ! い、い〜い顔してんじゃなァ〜い、子猫ちゃん・・・しぶといあんたもどうやら
完全にイッちゃったみたいねえ〜〜・・・」

 涙も涎も鼻水も。
 全ての分泌物を垂れ流し、絶望と苦悶と懇願の表情を浮かべた哀れな少女は、グショグショ
に濡れた空虚な瞳を「闇豹」に向けた。
 生気の失せた、肉奴隷の表情。
 兇悪ヤクザの残酷なる拷問の果て、人類の盾となって闘うことを決意した少女は、その精神
をビリビリに引き裂かれて吹き消されていた。
 
「あは♪ アーッハッハッハッ!! ザマアミロ、このビチグソがァッ!! 終わった!! ファ
ントムガール・ナナは終わった!! アハハハハハ、もうサイッコォ――ッッ!!!」

 手にした漆黒の鉄棒を一息に秘部の裂け目に突き刺す。
 胸への破壊愛撫で涅槃間際の少女の肢体が、更なる被虐の予感にビクビクと震える。
 
「ト・ド・メだあああッッ〜〜〜ッ!! アーッハッハッハッ♪」

 子宮の最深部にまで到達した金属のディルドゥの先端が、ある物体にピタリと密着する。
 『エデン』――銀の守護女神を形成し得る力の根源。
 その瞬間、快楽と苦痛を同時にもたらす催淫電流は、聖少女の源泉たる物体に直接照射さ
れた。
 
「ウアアアアアアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!!」

 数分に渡り、藤木七菜江の痛哭の絶叫は轟き続けた。
 ブシュッッ・・・全身の穴という穴からあらゆる体液が降り迸る。
 許容範囲を遥かに越えた壮絶な責め苦に、少女の精神は崩れ去った。
 魂切る悲鳴がようやく途絶えたとき、拘束台に横たわるのは、見開いた瞳に虚空を映すだけ
の、廃人同然の女子高生であった。
 
 
 
 ギシ・・・ギシ・・・
 
 用意した木枷は首と両手首を同時に拘束するものだった。
 枠に嵌め、固定する。顔と両手を長板に嵌められた少女の姿は、ギロチン刑を待つ罪人にも
似ていた。必然両腕を軽くあげる形となる姿は、拳銃を突きつけられハンズアップした様子に
も見える。
 苦痛と愉悦に責め抜かれ、許しすら請い願った哀れな虜囚の表情は、片時も変わることがな
かった。
 虚ろな瞳と垂れ流し放題の涎。
 守護天使と謳われ、銀の女神として希望を集めた少女の末路としては、それはあまりに悲痛
な姿であった。
 
 鎖が木枷に掛けられる。
 カチャカチャと引き上げられていく鎖。
 首と両手首を絞められる状態で、藤木七菜江の肢体は天井から吊り下げられた。
 
「・・・・・・・・・ぁッ・・・・・・・ぁが・・・・・・」

「はッ、まだ声を出せるたァ、なかなかしぶといじゃねえかッ!」

「大丈夫なのォ〜? こいつ、ホントに死んじゃわなァ〜〜い? それでなくても死に掛けてん
のにさァ〜〜」

『「エデン」の持ち主はそう簡単にくたばらん。もっとも時間の問題ではあるがな』

 感情の篭もらぬ久慈の声が、スピーカーを通じて流れる。
 続けて下された命令は、別室で隣りにいるであろうテレビ局員に向かってのものであった。
 
『先に話した通りだ。今よりこの映像を全国に流せ。映すのはあのファントムガールの女だけ
だ。間違っても他の面子を映すな。同僚たちの待つ地獄に逝きたくなければな』

「ちょッ、ちょっと待ってよォ、メフェレス! こいつこのまま映すのォ?!」

 慌てた口調で異議を唱えたのは「闇豹」であった。
 久慈が七菜江の素顔を晒すのに抵抗がないのはわかる。もはや未来を見ていないからだ。
はぐれヤクザである海堂とジョーもファントムガール・ナナの正体が明らかにされたところで特
別な問題などないだろう。
 だがちゆりは困るのだ。聖愛学院の2年生、藤木七菜江がファントムガールであったと知られ
れば、必ず同じ学校に通う自身にもなんらかの影響がでる。根城である谷宿においても、今ま
でのように優雅に暮らすことは許されまい。
 裏世界といえど、今のちゆりには帰るホームがあった。
 いいコ面した小娘どもをいたぶるのは何にも勝って心地いいが、といってようやく手に入れた
拠り所と引き換えにはできない。残る連中、五十嵐里美や西条ユリを誘き出すには顔まで見
せなくとも十分だ。メフェレスの嗜虐心につきあって、居心地いい我が家を失ってはたまらぬ。
 
 答えが返る前に金髪のコギャルは動いていた。準備していた黒のゴミ袋を七菜江の頭部に
被せる。ボロ布同然の制服をわざわざ剥いでおいたのもこのためなのだ。ファントムガール・
ナナの正体が聖愛学院の生徒である痕跡は、可能な限り消しておかねばならぬ。
 
『フン・・・クズが守りに入りおって・・・所詮女は使えぬわ』

 あからさまに見下した侮蔑を、「闇豹」は眉を吊り上げるのみで聞き流した。
 
『まあいい。流せ。ファントムガールが我らに敗れ、性奴隷と化した事実を全国の無知なる者ど
もに報せてやるのだ』

 テレビカメラの赤いランプが点灯する。その瞬間、守護天使の正体である少女の全裸と敗北
の事実が、日本中に流され始めた。
 
『ククク・・・喜ぶといい。ファントムガールの無修正動画、独占生中継だ。これで視聴率もフジ
テレビの独り勝ちだなッ・・・』

 揶揄するような口調は、協力者に仕立てられたテレビ局員へのものだったか。
 東京湾岸、お台場に浮かぶキーテレビ局、フジテレビ。
 民放放送界の雄たる局を乗っ取った悪鬼の王は、着実に進む天使滅殺のプレリュードに甲
高く哄笑を放った。
 吊るされた虜囚に被せられたゴミ袋の隙間から、混ざり合った涎と泡とが、ゴボゴボと不気味
な音をたてながらフロアの床に落ちていった。
 
 

  2
 
 その“特別放送”はなんの前触れもなく唐突に、フジテレビにて流され始めた。
 初め画面に映されたのは、そぼ降る驟雨に霞む、朝の渋谷駅前。
 映画でも観ているような破壊の爪痕は、逆に偶然チャンネルを合わせていた人々の心に造り
物っぽい印象すら与えた。精巧すぎて、嘘っぽい。だが、わかっている。この映像が、虚構など
ではないことを。紛れもない現実。現在の渋谷の生々しいライブの映像が、今届けられている
のだ。
 抉られたアスファルトの道路も、崩れ倒れたビルの瓦礫も、半壊して剥き出しになった百貨店
の壁面も、全ては真実。
 そして、画面中央。
 渋谷109に折れ曲がった四肢を突き込まれ、無惨に晒されたピンクのファントムガールの死
体もまた、否定の許されない真実であった。
 
 時間にして5分。敗北した天使の姿が、ただただ映し出される。なんの説明もないままに。
 食い入るように画面を見詰める人々の胸に、じっとりと広がっていく認識と暗黒の翳。
 人類を守るはずのファントムガールは殺されたのだ。巨大な悪魔の手によって。
 可憐な美少女の面影も濃い天使は、悪魔どもに陵辱の限りを尽くされたのだろう。薄黒く汚
れた肢体に残る、残酷な嬲り殺しの儀式痕。
 規制を無視したショッキングなこの映像は、ほぼ確実に“敵”の意図によって流されている。
 つまりフジテレビはいまや・・・侵略者たちに乗っ取られたのだ。
 
 画面が切り換わる。名刺代わりの映像はもういいだろう? と言わんばかりに。
 暗い照明と見慣れたセットは、同テレビ局の深夜のニューススタジオのものだった。
 光の加減もセットに描かれた番組名のロゴも全て同じ。ただ決定的に違うものは。
 木枷で首と両手首を拘束され、鎖で中央に吊り下げられた全裸の乙女の姿であった。
 
『無能なる人類どもへ布告する。我が名は魔人・メフェレス』

 低く暗い、けれどもはっきりとした若い男の声が、電波に乗ってテレビのスピーカーから流さ
れる。
 巨大生物として幾多の犠牲者を生み出し、人類に脅威を与え続ける悪鬼の声が、明確な意
図を持って全国の一般市民に伝えられた瞬間であった。
 
『貴様らが守護天使と称し、希望を寄せるファントムガールは我らが葬った。ピンクのファント
ムガールは絶命し、青のファントムガールは今ここに我らの手に堕ちている』

 画面の枠外から右手を伸ばした海堂一美が、握った金色の毒針を拘束少女の腋の下に突
き刺す。
 ズブリ、と肉に埋まる生音の後、獣のごとき絶叫が頭部に被せられた黒いゴミ袋の内側から
轟き響く。
 
『聞こえるか? ファントムガールの鳴き声が。我ら選ばれし存在は近い将来、貴様らの上に
君臨しよう。だが、今我らが望むのは憎きファントムガールどもの殲滅。残る全員を処刑したと
き、我らの時代は始まる』

 針が抜かれると同時に虜囚の全身が弛緩する。
 ゴボゴボとゴミ袋の隙間から垂れ流れる泡と、どっと噴き出す珠の汗。
 一糸纏わぬ濡れ光る肢体は、拷問の凄惨さとともに弾けるようなエロスをも醸し出していた。
形もボリュームも申し分ないメロン乳に、鍛えられ引き締まった腹筋とウエスト。張り出したヒッ
プラインと合わせて、見事なSラインを描いている。うっすら筋肉の浮き出た太腿は水を弾くほ
どの張りと健康的な色香の宝庫。滝のような汗もこびりついた鮮血の痕も、ヴィーナスのごとき
完璧なプロポーションを彩る華にしか映らない。
 ファントムガールが、あるいは巨大生物が人間の正体を持つことは、事情を知らない一般人
には初めて知らされることである。
 それでも一目で説得力があるほど、藤木七菜江の素の肉体は美しかった。女神の名に恥じ
ぬ、完璧な造形と蕾の放つ芳醇さ。溌剌とした色香とのコラボレーションは、もはや奇跡と呼ぶ
のに近い。
 その女神が、ゴミ袋を被され鎖で干し肉のように吊り下げられている。
 忍び寄る絶望の時代の足音が、誰の耳にも聞こえないわけがなかった。
 
『見ているな、ファントムガールども? ここがどこかもわかるだろう? 疲弊し切ったこやつが
窒息死するのはもはや時間の問題。仲間が苦しみもがき、糞便を垂れ流して死んでいく様を
ゆっくりと眺めておるがいいわ』

 高慢に満ちた哄笑が、画面の向こうから悪夢を見続ける視聴者の耳に飛び込んでくる。
 公開処刑。
 このまま公共電波を利用して、守護天使の正体である少女が死に至るまでの一部始終を全
国に見せつけようというのか。
 正義の敗北を報せる、これ以上はないリアリティ。髪の毛ほどの疑問を挟む余地すら与え
ず、聖天使が悪に滅ぼされる事実を何千万もの瞳に焼き付けるつもりなのだ。懸命に闘い抜
いてきた少女戦士に用意された、残酷な最期の舞台。人類の希望であった女神は、苦悶の末
に訪れる死によって、絶望の象徴と変わり果てるだろう。
 
 ブラブラと揺れる美しき裸体からは、反抗の意志すら感じられなかった。脱出が不可能であ
ることは、誰の眼にも明らかだった。
 ただ黒袋から漏れる泡混じりの唾液と途絶え途絶えの呻きのみが、壊れかけの少女がまだ
息絶える寸前であることを教える全てであった。
 
『・・・フン・・・まあ、好きにすればいい』

 卑下の笑いが急速に縮まり、声だけの若い男はそれまでとは異なったトーンで思わず呟く。
 悪の頭領に訪れた、明らかな変化。なにかが起こったのか?
 変調の原因は画面を見詰める人々もすぐにわかったことだろう。
 フレームインするひとりの男。
 この国のテレビ史上、最も凄惨な画面に登場してきた男は、迷うことなく首吊り虜少女の背後
に立つ。小道具部屋からでも見つけてきたのだろう、その顔は子供番組で使うようなクマのか
ぶりもので隠されていた。
 顔が見えずとも男とわかった理由はごく簡単であった。
 鋼線を束ねたような引き締まった細身の肉体は、少女と同じく全裸。
 長身痩躯。タダモノであるわけがない筋肉の質。
 股間の中央から禍々しく天に向かって突き上げた肉刀を見れば、男の目的は語ることなく明
白に理解できる。
 
『せっかくの機会だ、ファントムガールの絶頂シーンもよく見ておけ。出来得るならば妊娠ショー
も見せたかったのだがな』

 クマの着ぐるみを被った海堂一美の心を代弁するように、どこか殺伐とした久慈の声が響く。
 段取りを無視した独断の行動が雇い主である悪鬼には気に障る。だが冷酷な最凶ヤクザの
思惑は、守護少女たちの蹂躙しか頭にない久慈にとっても賛同できるものだった。
 女神と謳われる少女が犯される。それも敵である男に。これほど明確な敗北もあるまい。
 究極を言えば紛れもない性交の証が創出される妊娠こそ、敗北の極限と言えるのだろう。だ
がファントムガールが、いや『エデン』を寄生させた生物が身篭ることは不可能であることは久
慈自身の体験から確実であった。片倉響子と明け暮れた情交の日々。夜毎の房事で何リット
ルの精液を響子の内部に注ぎ込んだか測り知れないが、ついぞ着床の兆候は微塵もなかっ
た。
 『エデン』融合者同士の交合に限った話ではない。避妊具の装着を嫌う久慈が、金と権力に
モノを言わせ中絶を強要したのは中学に上がった頃から幾度もあった。時には、どうしても納
得しない少女を恐怖が植え付くまで殴り続け、堕胎と同時に口を封じたことも二度や三度では
済まなかった。それが『エデン』を寄生させてから、どれだけ相手を変えようとこの種のトラブル
に巻き込まれることがなくなったのだ。
 響子にしても戯れるように毎夜のごとく違う男を掴まえては、ベッドを共にしていたことは知っ
ている。それでも、ない。『エデン』の持ち主が絡んだ性交で懐妊に至るケースは皆無であった
のだ。
 
 画面のなかでは無言の男が背後からたわわなバストに両手を伸ばす。
 水滴を弾くような張りと理想を具体化したような芸術的丸み。健康的なエロスを発散する肉球
に鷲のごとき五本の指が荒々しく食い込む。
 天使と称される少女が穢されるのは、実に容易いことであった。
 遊び道具と化した聖戦士の乳房がグニャグニャと変形する。いいように弄ばれる。桃色の突
起をからかうように転がされ、摘まれ、なにも出来ない事実を証明するように揉みしだかれる。
電流が走ったように、時折ピクピクと痙攣する肢体こそが少女の敗北を物語っていた。陵辱す
る悪と嬲られる天使。漆黒と桃色が交錯する空間のなかで、微笑んだままのクマの顔のみが
悪夢のように浮き上がっている。
 
 乳房を離れた男の手が、刀身のごとくそそり立った己のイチモツと宙吊り虜囚の腰とを掴
む。
 挿入する気か、その禍々しき凶器を。
 小柄な美神の肉体に。股間の秘裂に。30cmを遥かに越えた槍剛直で貫くというのか。
 もはやそれはSEXなどと生易しいものではない。天使の解体だ。
 淡い繁みの奥、クレヴァスに定められる照準。切っ先が赤く腫れた裂け目にズブリと埋まる。
すでにさんざん受けた辱めで、少女の内部は濡れ切っている。
 視線を離すことのできない全国の衆目の前で、弾けんばかりの極上のボディは肉の凶器で
一息に串刺しにされた。
 
『クアアアッッ?!! ウグウアアアアアアァァェェエエエアアアッッッ―――ッッッ!!!』

 ヒトとは思えぬ切り裂く絶叫は、壊れた弦楽器の暴走にも似ていた。
 肉棒を下腹部で咥え込んだ宙吊りの肢体がわずかに浮き上がる。窒息と串刺し。己の体重
が課す二重の煉獄。突っ張った乙女の指が悶絶を示して奇妙に折れ曲がる。
 性への抗えぬ快感と、深く突き入れられることでの圧迫と苦痛・・・のみでは済まない。
 長すぎる海堂一美の剛直は垂直方向への荷重が加わることで虜囚・藤木七菜江の子宮にま
で到達していたのだ。
 そこにあるのは子宮と一体化し、いまや少女戦士の生命と官能を局地的に象徴した『エデ
ン』――
 キラー・ファントムによる執拗な電撃で疲弊し切った生と性の根源に、直接刺激を与えられる
地獄の責め苦。
 
『アアァグウウウッッ!!! ふぇあああッッ?!! アアアアウウウウウゥゥッッ―――ッッ
ッ!!!』
 
 グチュ、プチュ・・・生々しい挿入の響きとともに、聖少女へのグラインドが続く。槍魔羅に貫か
れるまま、抜群のプロポーションは泣き叫ぶたび浮き、沈んだ。
 
『見ろ。そして聞け。ファントムガールの断末魔を。このメフェレスに逆らったメスブタの惨めな
死に様を焼き付けろ。よがり、悶え、泣き喚くこの姿こそがファントムガールの末路だ』

 途切れることない悲痛な乙女の叫びのみを残して、勝ち誇る男の声は消えていった。
 
「・・・さて」

 手元の電源をOFFにし、マイクから離れた久慈仁紀はゆっくりと己がいる部屋の風景を見回
した。
 無数のモニターとおびただしい電子機器。主調整室と呼ばれるこの部屋に陣取り、悪の王は
守護天使の公開処刑を全国に放映することに成功したのだ。本来ならば厳重なガードで守ら
れているはずの部屋のセキュリティも、『エデン』を宿した魔人の力には無に等しいものであっ
た。退去勧告に従って最低人数を残したフジテレビの局内は、いまや崩れた壁面と渦巻く血臭
とで占められている。
 局に残っていた全員が、すでに冷たい肉片と化していた。
 狩りと呼ぶのも過ぎるほど、逃げ惑う凡人を殺戮していくのは簡単な作業であった。虫を虱潰
しにするのはもはや久慈にとって闘争本能をなんら高めるものでもない。ただ殺す。邪魔だか
ら、殺す。日本刀のサビを落とす感覚で、視界に飛び込む全てを悪鬼は切り刻んでいった。
 殺人に躊躇いをなくした悪の王と、根っからの殺人鬼2名。猛烈な勢いで侵食していく死の香
り。
 いまや血と臓物の海だけが、静まり返った局内を満たしている。
 
「あ、あの・・・この後どうすれば・・・」

 冷たい視線の先で、ただひとり生き残った、いや生き残らされた口髭の男が震える声を搾り
出す。
 潮にも似た匂い漂う室内には、プロデューサーの男の他には3つの生首が転がっているだけ
であった。
 久慈の切れ上がった眼がチラリとモニターを流し見る。
 虜囚の公開陵辱を別角度から映す画面が5つと、渋谷109に磔にされたファントムガール・
サクラの亡骸を撮り続けるカメラが一台。
 口髭男から操作方法を聞き出しただけの即席“特派員”にしては、晒された超能力天使を捉
えた映像は鮮やかさにしろ構図にしろなかなかのものであった。
 
「そうだな・・・これまでの貴様の動きを見ていれば、大体の操作方法は理解できた」

 腕がブレた、と見えたのは一瞬のことであった。
 いつ日本刀を抜いたのか、納めたのかすらわからぬまま、竹を割ったような爽快な音色を残
して、口髭男の跳ね飛ばされた頭部は主調整室の宙を舞った。
 
「もう用はない。残るファントムガールどもが処刑されていく様子を、そこで眺めていろ」

 つまらなそうな口調を残して、上下を漆黒で固めた魔人は機材に囲まれた部屋を後にした。
 
 
 
「あからさまな、挑発ですな」

 モニターと機材が所狭しと並べられた地下室に、静かな初老紳士の声が響く。
 意図的に低く抑えられた声質。
 緊迫した空気が根を張ったような部屋のなかで、執事安藤は硬直を取り除こうとするかのよ
うに主人である少女に言葉を掛けた。
 
 誰もが口を閉ざした時間がどれほど過ぎ去ったことだろう。
 静まり返った朝の空間に流れるのは、テレビ画像に繋がった巨大モニターの音のみであっ
た。
 ケモノの鳴き声。
 いや、画像を見れば、その悲痛な喘ぎ声がヒトの口から発せられたものだとわかる。
 黒いゴミ袋を頭から被せられ、全裸で吊り下げられたグラマラスな少女。
 
 藤木七菜江。
 
 闘い敗れた少女は、拘束具を嵌められ、首を吊られ、乳房を愛撫されながら槍のような兇悪
ペニスで貫かれていた。
 全国に放送される、ファントムガールの公開レイプショー。
 衝撃の光景に、妖女片倉響子ですら、言葉を放つのを忘れていた。
 耳を塞ぎたくなる絶叫、淫靡に濡れ光りながら何度も出し入れされる長大な男性器、首と両
手首に食い込む拘束の木枷・・・全てが雄弁に語りかけてくる。正義が悪に敗れたのだと。
 人類を守るため身を捧げて闘ってきた少女が、まもなく死を迎えるのだと。
 
 乾き切った五十嵐里美の唇が動いたのは、クマの着ぐるみで顔を隠した凶魔がさんざんの
放出を終え、精液の残滓をこぼしながら虜囚少女から離れた後であった。
 
「フジテレビに来い、と言いたいみたいね。罠を仕掛けて待ち受けている、と」

 思わず響子が表情を覗き込むほど、里美の声は穏やかであった。
 穏やかなわけが、ない。血液が沸騰するほど内心燃え盛っているのは、月のごとく冷たい瞳
が物語る。
 抑えているのだ。必死に。冷静に活路を見出さんと。
 崩れかける気持ちを懸命にこらえ、仲間の惨状を見せ付けられて尚、リーダーたる少女は感
情を殺して逆襲へのベストな選択を突き止めようとしていた。
 
「あまりにも、見え透いているわ。わかりやすすぎる、と言ってもいい」

「とはいえ、効果は絶大でしょ? このままだとあのコ・・・死ぬわよ」

 敵か味方か断定しかねる女の声は、まるで敢えて苦しめているかのように聞こえた。
 
「『エデン』を飼っていようと基本は人間。死んだら終わり、よ。エナジー・チャージのような奇跡
は望めるわけもない」

「わかっているわ」

「大切なお仲間が殺されるのを見過ごすなんて、五十嵐里美にできるのかしらねえ?」

「ナナちゃんを守るためならば、私の命なんていらないわ。桃子も、夕子も、ユリも・・・みんな私
より大切よ。この闘いに彼女たちを巻き込んだ私は、誰よりも先に死ななくてはならない」

 感情を抑えたその声が、美少女の言葉に嘘も誇張もないことを教えていた。
 傍らで耳を傾けていた老執事の眼が思わず見開く。
 己の生命を軽んじるかにも聞こえる台詞。リーダーとして先頭に立つべき者が口にするに
は、決して妥当とは言えまい。
 たしなめの忠言が飛んで来るより先に、麗しき令嬢は言葉を継いでいた。
 
「私にとっては、ナナちゃんの命は私の命より重いのよ」

「じゃあ・・・」

「けれども、この世界に住む人々の命は、ナナちゃんひとりの命より、重いの」

 凛と光る切れ長の瞳は、真っ直ぐに妖艶な美貌を見詰めた。
 
「私と引き換えにナナちゃんが助かるというのなら迷いはないわ。でも、今ヤツらを止められる
のは私しかいない。今度はあなたが質問に答える番よ、片倉響子。罠の待ち受けるフジテレ
ビ、ファントムガール・サトミがあの悪魔たちに勝利する確率は何パーセントあるというの?」

「・・・勝算はゼロ、ね」

「今の私は勝ち目のない闘いには臨めない。私が負ければ、全ては終わるのだから・・・確率
が1%でも高まる方法を選ぶ。それが私のすべきことよ」

 見捨てるつもりか。ファントムガール・ナナを。
 躊躇いのない里美の言葉は、感情に委ねた判断を愚かと断ずる女教師にしても意外であっ
た。確かに美麗少女の考えは正しい。藤木七菜江を救出するためテレビ局に乗り込むのは、
無駄死にするようなものだ。だができるのか? 理性ではわかっていても、冷徹を貫いて仲間
を見捨てることができるのか?
 
「悪くない判断ね。あのコが死んで、あなたが後悔しなけりゃいいけど」

 響子の口調は、意地悪く試すかのようなものだった。
 
「そんな都合のいいことは考えていないわ。一生後悔するでしょう。自分が憎くて耐えられない
ほど。ナナちゃんを見捨てた私自身を、恨み続けることでしょうね。それで構わない。私には、
自分が後悔しないために死ぬような甘えは許されない。私の感情などはどうでもいいの、どん
なに嫌な自分になってもこの世界の人々を守らなければならない。それが五十嵐家に生まれ
た者の宿命よ」

 澱みない澄んだ声音が、令嬢戦士の覚悟を伝えた。
 本気を受け取った赤スーツの美女が、満足そうにかすかに口元を綻ばす。
 
「あなたがどうしてもあのコを助けに行く、というならここで手を切るつもりだったんだけどね」

「打算的なあなたが勝ち目のない闘いに臨むわけがない。その点も織り込み済みよ」

「フフ・・・では勝ち目のある策というものがあるのかしら?」

「現時点でいくつか判明していることがあるわ。ひとつは久慈とゲドゥ・・・海堂一美がフジテレビ
にいるということ。そしてもうひとつ、渋谷には109の映像を撮影していた“誰か”がいたという
こと」

 真紅のルージュがにんまりと吊り上がる。
 天才生物学者は己の構想と近い戦略に、里美が辿り着いたことを感じ取っていた。
 
「片倉響子、あなたは109の映像が“敢えて”流された理由をどう捉えている?」

「ファントムガールのひとりが殺された事実を広めるため、というのは当然ね。それとあの現場
に“奴ら”がいる、というアピールでもある」

「そう。あの映像はただ力を誇示するためのものではないわ。光を失ったサクラの周辺に、待
ち伏せが配置されることは当然誰もが予想する。そこにダメを押すような、潜伏者の存在を仄
めかすあの映像。渋谷には奴らの手が回っているという・・・私たちへの牽制も込められている
と考えられるでしょう。けれども、それこそが逆に」

「不安バレバレ、てわけね」

 茶色の少し入った長い髪を揺らして、美少女はコクリと肯いた。
 
「戦闘力と頭のキレ、両面で注意すべきは久慈と海堂、このふたりに限定されるわ。他の誰が
渋谷に陣取っていようと・・・隙はある。一見サクラの周りに迎撃態勢は万全であると見せ掛け
るようでいて、実は」

「そこにこそ奴らの懸念がはっきりと見える、わね」

 凛と佇む美麗少女と、不敵な笑みを浮かべる妖艶美女。
 全ての言葉は交わさずとも、ふたりの意見が一致を迎えたのはお互いが悟っていた。
 
「サクラを蘇らせる絶好のチャンスは・・・今よ」



 宙吊り虜囚から漏れる呻き声が、途絶え途絶えに薄暗いスタジオの地を這い流れる。
 爪先をピンと伸ばし、枷に拘束された両手の指を苦しげに折れ曲がらせた全裸の少女。
 衰弱し切った肉体を発汗で濡れ光らせた藤木七菜江は、一秒ごとに迫る死を実感しながら、
窒息の苦しみに悶えていた。
 
「ピクピクと筋肉が引き攣ってきたね〜〜・・・ガンジョーな子猫ちゃんも、あとどれくらい生きて
られるかなァ〜〜??」

 「闇豹」のからかいも、体力の底をついたアスリート少女には届いていなかった。
 敗北と拷問と陵辱。精神も肉体もすり減らされた七菜江に残された命は、貯蔵庫の壁にへば
りついた残りカスくらいなものであった。もはやほとんどの感覚は失われている。細首にかかる
圧迫と酸欠の苦痛。そして絶望。完全なる敗北を喫した事実のみを噛み締めながら、ひまわり
のような少女は踏み潰された花を散らそうとしていた。
 
 音声のみをOFFにしたまま、青いファントムガールの正体とされる少女の絞首刑は、フジテ
レビの生中継を通じて放映され続けていた。
 そこにテロリストが居座っているとわかっても、警察も自衛隊もなんらの策も打てはしない。巨
大生物が出現した途端、彼らの武力はまるで無意味と化し、いたずらに被害を増やすだけな
のだから。
 ファントムガールという希望が存在する限り、彼女らに全てを託すのが最善の選択であるは
ずであった。
 待機する。銀色の守護天使が、この危機を突破してくれることを信じて。巨大生物と対等に
闘える存在は彼女たちしかいないのだから。
 囚われの少女への酷い仕打ちをライブ映像で見せ付けられながらも、誰も何もできないま
ま、時間のみが刻まれていく。
 
「小僧よォ! てめェのやり方はヌルいんだよォッ! こんなんじゃいつまで経っても死なねえだ
ろうがッ!」

 黒ずくめの衣装で固めた痩身の高校生がスタジオに姿を現すや否や、三白眼の疵面ヤクザ
は腰かけていたパイプ椅子を全力で投げつけた。
 唸る椅子が久慈の眼前、空中でピタリと止まる。
 真っ二つに両断されたパイプ椅子は、甲高い音色をあげて尊大な悪鬼の足元に力なく落ち
た。
 
「バカが。簡単に殺してしまったら罠の意味がない」

「その罠ってのがそもそもタリィんだよォッ!! こんな小娘どもになにビビッてやがんだァッ、
あぁ?! 負けっぱなしのてめェじゃともかく、このオレと海堂さんにとっちゃ上玉のレイプ相手
以外の何モンでもねえぜッ」

「みすみすアリスに逃げられたとは思えん台詞だな」

「ッッ・・・てめェッ・・・」

 紫のスーツの内部で、恐竜にも似た分厚い肉体が膨らむ。
 スカーフェイスのジョーが開放した全力の殺気に、5mは離れていた「闇豹」のルージュから
思わず悲鳴が漏れかける。
 
「やめろ、ジョー。久慈、お前も刀の柄から手を離せ」

 マルボロの煙を揺らしていた海堂一美の口から、低く重い制止の声が緊迫の場に割り込ん
でくる。
 三白眼から血の色が引いていくのと、黒シャツの長袖からカチャリと刀身が納まる音が響くの
はほとんど同時であった。
 
「ファントムガールがオレたちに敵うわけはない。だが侮れない相手であるのも事実だ。お前も
もう、わかってるだろう?」

 紫煙を漂わせながら、心臓に確かに感じた超能力の一撃を海堂は思い返していた。
 始末したとはいえ、天晴れな闘いぶり。
 これまでに何人の命をこの手に掛けてきたかわからないが、抵抗と呼ぶには十分すぎる感
覚を最凶の侠客は味わっていた。逃げもしない。怯えもしない。力の差を悟りつつも、真正面
から向かってくる戦少女。その必死さは美しくすらあった。
 この手のタイプが、もっとも厄介なのだ。
 油断などもってのほか。全力で仕留めねばならない。実力差が天と地ほどあっても、気を抜
いてはいけない。
 そしてこの手の獲物ほど、始末した折の快感が飛び抜けて素晴らしいものはない。
 
「けどよォッ、海堂さん。このアマどもがしぶてェってんなら、ますますヌリィってもんだぜッ! 
確かにこいつは死に掛けてるが、こんなのんびり殺してちゃア、残る連中焦りもしねえッ! と
っととおびき寄せるために、もっとグチャグチャに責め抜けって言ってんだよッ、あァッ?!」

「焦らせる必要はない。冷静な判断をさせるため、わざわざ猶予ある処刑を選んだのだから
な」

 刃創で崩れた醜い顔が、不審を示してさらに歪む。
 久慈が口にした台詞は、ジョーにはまるで罠に嵌るのを望まぬようにさえ聞こえた。
 
「てめえ、何言ってやがんだ?!」

「五十嵐里美が冷静に判断を下したならば、十中八九ここには来まい。無謀な勝負に挑むよ
り、ヤツはこちらの裏を掻こうとするはずだ」

「何ぬかしてんのか、わかんねえってんだろがァッ!!」

「ここにオレたちが集合してる隙をつく、か。・・・ファントムガール・サクラの蘇生、だな」

 煙草をくゆらすサングラスの男の声は、心なしか楽しげであった。
 想定以上の速さで正解に辿り着いた海堂に一瞥をくれながら、久慈は薄い唇をゆるやかに
吊り上げる。
 
「裏を掻いたつもりのヤツの裏を掻く。これほど愉快な趣向もあるまい」

「エナジー・チャージと言ったか? 生命力を分け、死者を蘇らせた直後を襲えば、勝負あった
も同然だろうな。サクラを二度殺すというのも楽しそうじゃないか」

 黒装束の御曹司と白スーツの極道者。
 対照的な衣服と立場のふたりの悪魔が、肩を揺らして陰惨な妄夢に笑う。思い描くは鮮血に
まみれた銀光の聖乙女たち。
 
「ちょい待てやァッ! ヤツらがここに来ねえだとッ?! てめえになんでそんなことがわかる
ッ?!」

「見え透いた罠に掛かるほど五十嵐里美は愚かではない。“特派員”からの109の映像を流し
たことで、我らの戦力が渋谷では手薄になっていることを確信していよう。このオレと、結果的
に“最凶の右手”もフジテレビにいることがわかったのも、奴らをサクラの元へ急がせるだろう
な」

「んなてめえの思い通りに都合よくいくかァッ?! この死に掛けを無視できんのかよ? こっ
ちに来ねえとどうして言い切れんだッ、あァ?!」

「断言はできん。だからこそ、二手に分かれる」

 いくら己に言い聞かせていても、五十嵐里美が藤木七菜江の救出を諦めることはないだろ
う。その命が続く限り。今はただ、感情を抑えつける理性が機能しているに過ぎない。
 暴発したくノ一戦士が、死を恐れず謀略の地に飛び込んでくる可能性はないとは言えぬ。
 久慈の策は万が一の事態をも、想定したものであった。
 
「スカーフェイス、『闇豹』。貴様らはここに残れ。こやつが死に絶えるまで見届けてやるがい
い。オレと海堂とは渋谷に向かい、残るファントムガールどもを殲滅する」



 昨夜未明から続く大渋滞が、黒々と奇怪な大蛇のごとく高速を埋め尽くしている。
 首都に近付くにつれ、隙間なく混み合った車列は遅々として動かなくなっていった。疲れ切っ
た家族連れ、重い目蓋をこする若者たち。色濃く浮かんだ焦燥と不安とが、この国が戦時下レ
ベルの緊迫した状況を迎えていることを教える。
 東京から伸びた未曾有の大渋滞で、東名高速道路は明らかにその機能を停止させていた。
 この混雑がいつ解除されるのか、わからない。首都圏の住人が一斉に避難を開始すれば、
交通網がパンクすることなどわかりすぎた結果であった。
 それでも命の危険を悟った人類は、逃亡をせざるを得なかった。
 明治神宮のある原宿、そして渋谷近郊では、何万という単位で犠牲者がでていることがすで
にラジオにて報道されている。
 ファントムガールという未知の存在に、知らぬ間に依存し切っていた人類は、続々と流れてく
る守護天使敗北の噂に青ざめるしかなかった。
 
 1mmとして進まぬ車両の波とは対照的に、反対車線を猛スピードで一台のセダンカーが疾
駆していく。
 白のカローラ。アクセルを全開にした自家用車は、通行禁止になっているはずの道路を独り
占めして飛ばしていく。
 東京へ向かっているのか? 戦場と化した首都へ?!
 奇異を覚えた者が車内の人物を見たならば、驚きはさらに深まったことだろう。
 筋骨隆々の高校生と、白いセーラー服の似合う人形のような美少女。
 いろいろな意味で止める必要があると思われる暴走車は、朝靄の残る雨の高速を限界のス
ピードで突き進んでいく。
 
「・・・工藤さん・・・」

 スピーカーから流れるラジオの音声を切った西条ユリは、搾り出すようにか細い声をあげた。
 車内に沈黙が訪れる。飛沫をとばすタイヤの音だけが、狭い空間を包んだ。
 
「・・・フジテレビに・・・・・・七菜江さん、が・・・・・・」

 その先の言葉を、ユリは続けることができなかった。
 魔人メフェレスを名乗る男が電波ジャックした事実は、繰り返されるラジオの報道で確認でき
た。
 伝えられたのは、青いファントムガールの正体とされる人物が捕虜となったことと、その映像
が公開されたことの2点。混乱するメディア規制のなかで、情報が通常以上に漏れ出している
様子が窺えつつも、刺激の強い内容は控えられているのは手に取るようにわかる。
 映像が公開されたのならば、即ち意図があるということ。
 誘っているのだ。七菜江を餌にして。人質としての利用を臆面もなく仕掛けてきた。
 いかなる凄惨な映像が流されたのか、希望的な楽観はあまりにも難しい。
 
「・・・私たちは・・・どうすれば・・・」

 顔をあげることもできずに、ふたつ縛りのおさげの少女は迷いのままに呟いた。
 車内での移動中、戦地に赴く格闘獣と武道少女は己たちがすべきことを確認済みであった。
 無類の強さを誇るといえども、人間・工藤吼介が巨大生物と闘えるわけもなく、姉エリの力添
えがないユリに本気の闘いを求めることはできない。このまま首都に辿り着いたとしても、ふた
りの存在は援軍よりむしろ足手まといとなる公算すら高い。
 しかし、そんなユリが、いやファントムガール・ユリアが確実に役立てることがひとつある。
 
 殉死したサクラを、エナジー・チャージで復活させる。
 
 サクラが斃れ、ナナが囚われ、アリスの安否が確認できない今、戦力となる銀色の女神はサ
トミひとりしかいないという惨状では、エネルギーを大量消費するリスクを冒させるわけにはい
かない。サクラに生命力を分け与えるのは、戦力として不安定なユリアの役目であるはずだ。
 東京へ着いたら渋谷に向かう。サクラを蘇らせたなら、すぐに巨大化を解除する。サポート役
には、等身大の戦闘ならば『エデン』持ちですら凌駕する、最強を冠する男がいる。
 
 決して安全な策ではない。エナジー・チャージ直後の疲弊を、当然敵も狙っていよう。『エデ
ン』の変身能力を持たない吼介を巻き込むこと自体が、作戦としては下も下策であることはユ
リもよく理解している。
 だが、この圧倒的苦境のなかでは、もはや安全な策などというものがあるとは到底思えなか
った。
 死ぬかもしれない。自分も。工藤吼介も。
 それでもギャンブルに打って出る。覚悟を決めたからこそ、戦禍の東京に向かっている。
 揺るぎない決意を抱いたふたりが目指すべきは、巨大処刑台と化した109、のはずであっ
た。
 
「・・・肉体が完全に崩壊する前ならば・・・サクラの命を蘇らせることは可能、のはずです。で
も・・・捕らえられた、七菜江さんが・・・その・・・」

「殺されたら、終わる」

 口篭もる白い少女の代わりに、ハンドルを握る男が言葉を紡ぐ。
 ようやく口を開いた筋肉獣の声は、淡々としたものであった。
 
「当たり前のことだ。人は死んだら、生き返らない」

「私たちは・・・先にお台場に向かうべきかも、しれません。・・・でも・・・・・・」

「完璧な罠だな」

 薄ピンクの唇を噛んだ童顔の少女は、再び黙り込んだ。
 わかりやすい。だが、それでも飛び込まざるを得ない罠。
 メフェレス。ゲドゥー。ギャンジョー。マヴェル。クトル。
 まともにぶつかっても、生き残ることが至難と思われる強敵が、五体。しかもこちらは100%
の力を出すことすら封じられた状態。
 死にに行くような、ものだ。
 せめて。せめて、工藤吼介が『エデン』と融合していたならば。
 あるいは絶望的な状況のなかにも、活路を見出すことができていたのかもしれない。
 
 里美さんと、連絡を取りたい。里美さんなら、こんなとき、どんな手段を選ぶのだろうか?
 刻々と首都に迫りつつも、ユリは守護天使のリーダーに連絡を取っていなかった。里美が知
れば、多少強引な手を使ってでもユリたちを上京させないに決まっているからだ。
 本気で闘えないから、という理由だけではない。
 恐らく・・・自分たち全員が戦死しても、ユリひとりだけでも生き残らせようと、里美は考えてい
る。
 侵略者が支配する絶望の時代に、「希望」の芽を遺す。地元に残ることを強く命じた令嬢の
言葉の端々には、この闘いで正義が滅びる最悪の事態を想定した覚悟が滲んでいたのだ。
 ここで全滅するよりは、未来に希望を託す。
 現実的すぎるその発想は、里美が感じている暗雲の巨大さを、図らずもユリに伝えてしまっ
ていた。
 
 そしてもうひとり。工藤吼介が決戦の地に近付くのを、里美は決して許しはしまい。
 窮地であるからこそ。最強の男に、頼りたくなるからこそ、余計に。
 里美の側でともに闘うには、既成事実を先に作って強引に巻き込まれるしかない。信頼する
リーダーに迷いを相談するわけにはいかなかった。
 渋谷か? お台場か?
 決断のつかぬままに、アクセルを踏み切ったセダンカーが高速を突き進む。
 
「ユリ」

 沈黙を破ったのは感情を抑えた男の声であった。
 
「悪いが、東京に入ったら車を降りてくれないか」

「ッッ・・・工藤さん、それはどういう・・・」

「オレは七菜江を助けにいく。桃子を・・・ファントムガール・サクラを蘇らせなきゃいけないお前
の手助けはできない。すまない」

「そんなッ・・・いくら工藤さんでも、『エデン』を持った相手と闘うなんてッ・・・」

「意味ないんだよ」

 淡々と。やけに低い声であった。
 
「ごめんな、ユリ。オレはあいつがいなきゃ、ダメなんだ。生きてる意味がないんだよ。今のオレ
はもう、あいつのために生きてるんだ。罠だろうが関係ない。オレは七菜江を助けにいく」

「・・・工藤さん・・・」

「ユリ、そのままの姿勢で聞いてくれないか。もしかしたら、最期になるかもしれないから」

 ドキリとする台詞に強張りながら、ユリは猛速度で進む車の前方に視線を固定した。
 表情の窺えぬ男の声だけが、硬直した少女の耳に流れてくる。
 
「物心ついたときには、オレはすでに里美に惚れていた」

 唐突の告白に、無関係のはずの少女の頬は染まった。
 
「好きだった。全てが。このひとのために、このひとを守るために生きていこうと決めたんだ。ガ
キの頃の誓いなのに、全然錆びることがなくてなあ。誰よりも強くなって、生涯このひとを守ろう
って勝手に決め込んでいた。だが・・・知ってるだろ?」

「・・・・・・姉弟だって話なら・・・」

「オレは五十嵐の家にとっては、いちゃ困る存在でな。荒れたな、最初は。事情を知ってたオト
ナの連中も、運命ってやつを操る神サマも、みんな壊してやりたかった。けど気付いちまってな
あ。オレが諦めることが、里美を守ることだって。でもな、できないんだ。頭ではわかってるの
に、気持ちのやつが女々しくぶらさがりやがる」

「・・・それは・・・」

「七菜江が助けてくれた」

 時の流れが止まるような、強い口調であった。
 
「生きる意味をなくしてたオレを、あいつが救ってくれたんだ。途絶えた道にいつまでも座り込ん
でるオレに、あいつが手を差し延べてくれた。諦めの悪いクソみてえなオレを、あいつはいつで
も真っ直ぐに見続けてくれた」

 純粋なショートカットの少女の明るい笑顔が、ユリの胸にも鮮やかに蘇る。
 
「好きなんだ、七菜江のことが」

 工藤吼介の告白は、当人のいない車内の空間で行なわれた。
 
「オレはあいつのために死ぬ。お前をオレのわがままに付き合わせるわけにはいかない。ユ
リ、お前はファントムガールの一員として・・・なんとしても生き残らなきゃいけない。生きてくれ。
頼むから、生き残ってくれ。そして・・・今のオレの言葉、あいつに伝えてくれないか」

「・・・・・・嫌です」

 内気なはずの柔術少女の丸い瞳が、鋭い光を放って運転席の男に向けられる。
 意外な返事に動揺する吼介のTシャツの裾を、感情を伝えるようにユリは強く握った。
 
「その言葉は・・・七菜江さんに直接言ってあげてください」

「ユリ、お前・・・」

「生きてください。七菜江さんのために、そして里美さんのために。・・・自分ひとりカッコよく死の
うなんて、そんなの・・・そんなのダメです! 私が工藤さんを守ります」

「待てよッ! わかってんのか?! お前にはサクラを助けるっていう、重要な役目があるんだ
ぞ! オレみたいに好き勝手に死に場所選べるような、気楽な立場じゃないんだ。エネルギー
の消耗を考えたら、変身することだってできる限り避けなきゃならない」

「変身は・・・しません。隙を突いて一気に、七菜江さんを助けます。・・・桃子さんの復活は、そ
れからでも間に合います」

「そんな思惑が通じる相手じゃないのは、お前もよくわかってるだろ?」

「工藤さん」

 じっと見詰める漆黒の瞳は、可憐な女子高生ではなく伝統ある武芸を受け継ぐ者のそれだっ
た。
 
「想気流柔術において・・・死は敗北では、ありません。逃げることこそが、敗北です」

「・・・だがお前の肩には、何千万という人類の」

「大切なひと、ひとりすら助けられない武道なら・・・存在する必要なんて、ありません」

 返す言葉を失った吼介は、西条ユリの本質を見誤った己を恥じた。
 そうだった。
 可憐で細身で、脆そうにすら映る白磁の美少女は、闘うために生まれてきた武道家なのだっ
た。
 自分のわがままが結果的に少女戦士の本質を引き出してしまったのは、吉と出るか凶と出
るか。だが己の本分を思い出したユリは、もはや留まりはしないだろう。どんな強敵が塞がろう
と。いかに勝算が少なかろうと。迫る仲間の窮地に敢然と立ち向かうはずであった。
 
「里美に知られたら、多分オレはすげえ叱られるんだろうな」

「工藤さん、今は・・・七菜江さんを救出することだけを、考えましょう」

 毅然とした少女の言葉を聞いて、不覚にも最強と呼ばれる男の胸に熱いものがこみあげる。
 
「ありがとう。ユリ」



 人口一千万の巨大都市から、人影が途絶えていた。
 遥かに望む高層ビルの遠景と、車道を埋め尽くした主なき自動車たち。雑多な人種の息吹
をそこかしこに残しながら、首都東京はモノクロの世界に沈んでいた。ただ、そぼ降る雨のアス
ファルトを叩く音のみが、動くモノのない街の景色に流れていく。
 よく眼を凝らせば・・・新宿・副都心方面から立ち昇る、緩やかな黒煙が確認できる。
 原宿、そして渋谷にて起こった連続の惨劇は紛れもない事実であることを、天も認めてしまっ
たかのように驟雨は降り続けた。
 
 静寂を切り裂く、二条の弾丸。
 人間が走るスピードにしては、それは速すぎた。跳ねる飛沫が通った道程を示して直線で描
かれる。降り注ぐ雨粒が、疾走が生む風に蹴散らされ霧と化す。放たれた二匹の魔獣は一瞬
も休むことなく、目的地に向けて捨てられた都会を走り続けていた。
 
 黒衣痩身の男と、白スーツの鋭利な男。
 久慈仁紀と海堂一美。日本国民を、全人類を恐怖の底に叩き落とした魔人と凶魔が、制圧
の総仕上げに入るべく無人の街を駆け抜けていく。
 
 車などの文明の利器を使わず、敢えて徒歩での移動を選択したのは、万全のなかにも万全
を期したためであった。
 裏をかいたつもりでいる五十嵐里美の虚を突くためには、移動の事実を悟られてはならな
い。いるはずのない敵に囲まれた瞬間、守護天使のリーダーは仲間を見捨ててでも得ようとし
たチャンスが消失した事実に、絶望と後悔を滲ませて死に逝くことだろう。
 戒厳令下の首都には、お決まりの自衛隊や警察の姿さえ見当たらなかった。
 異様なまでに静まり返った街。だが表面上の動きは皆無といえ、油断はならなかった。政
府、および防衛省と繋がりを持つ元御庭番衆のネットワークが、いまだ首都に根を張っている
のは確実であった。彼奴らは必ずこちらの動向を懸命に探っている。徒歩で目立たぬ道を通
るのは、久慈にとっては必然の選択と言ってもよかった。国という巨大組織を相手にしている
事実を、悪の首謀者は冷静に見極めていた。
 
「奇妙な道を通るものだな」

 久慈の俊足にピタリと並走するサングラスの男が、低い声で呟く。
 左右に広がる光景は、つい数十秒前まで市街地だったとは思えぬ景色に変貌していた。
 
 鬱蒼と茂る樹々と静謐な空気。その一区画のみが切り取られたように、都会の街並みに突
如として緑の敷地が広がっている。
 異空間に紛れ込んだと錯覚してもおかしくはない。いや、事実、この26万平方メートルもの広
大な区域は異空間と呼ぶのが相応しいのかもしれぬ。
 土の茶色と樹木の緑に狭間見える灰色は、コンクリートでもアスファルトでもなかった。
 墓石。
 和洋折衷。御影石で作られた日本式のものから、オブジェを思わすデザインのものまで。永
遠の眠りの象徴が、前後左右見渡す限りに広がっている。墓地という概念が引き起こす不気
味さすらが、整然と並ぶ石列のあまりの数に、荘厳な想いへと変化してしまう。
 
 東京都港区南青山、青山霊園。
 大都会の一角に現れた安らかな眠りの場は、次元の狭間に飛び込んだかのような違和感と
染み入る静寂とを、訪れる者全ての心に均等に与えていた。
 広い。霊園という区切られた空間を意識させる言葉を拒否したくなるほど、広い。
 車道をまたいで縦横に広がるその敷地は、ひとつの地域と呼ぶのが妥当なものであった。い
けどもいけども、墓地。樹木が広げた枝葉の緑で、雨雲の空はほとんどふさがってしまってい
る。地に連なる無数の墓石と森林の天井は、ここが都会の真ん中であることを忘れさせるのに
十分であった。
 
 久慈と海堂、二匹の魔獣は並走する一般道ではなく、敢えて霊園のなかの小路を走り抜けて
いた。
 ただでさえ近寄り難い空間に加え、遮断物に囲まれた道は身を隠して移動するには申し分な
い。
 常人なら遠慮したくなるルートを、恐れを知らぬ悪魔は我が物顔で、目指す場所へと突き進
んでいた。
 
「まさか、人殺しが墓地を恐れるとは言うまいな」

 息ひとつ切らさぬ久慈の言葉を、海堂は薄い唇を歪めて答えてみせる。
 お台場からこの青山まで、短距離ランナー顔負けのスピードで走り続けながら呼吸をわずか
にも乱さないとは、両者ともに驚異的な身体能力であった。
 
「青山といえば、百人町の敷地だったかと思ってな」

「・・・ほう。知っていたのか」

 ヤクザ者とは思えぬ見識の広さに、今度は久慈が薄笑いを浮かべる番であった。
 確かに海堂の言う通り、青山は江戸時代に防備にあたった百人の精鋭、通称百人組が配置
された場所のひとつである。4つあったとされる百人組は青山の25騎組の他に伊賀組、甲賀
組、根来組からなり、その名が示す通り忍びの里と深い繋がりを窺わせる組織であった。
 五十嵐里美が伊賀忍者の末裔であることは、当然海堂にも知らせてある。元御庭番衆として
現在でも政府と密接な関係にあることも説明はした。
 久慈のように長きに渡る宿敵として里美を捉える者ならこの程度の知識は得ていて不思議で
はないが、裏世界ですら敬遠する非道者がターゲットの情報をここまで密かに収集していたと
は少なからぬ驚きであった。いや、もしかすると里美抹殺のために調べたわけではなく、以前
から知識として備えていたのかもしれぬが、それならそれでたいしたものと言わざるを得ない。
 
「だが伊賀組が居を構えたとされるのは、新宿区の大久保界隈と言われている。恐らく五十嵐
里美が身を潜めているのもその周辺だろう」

 山手線の駅でいえば、新宿からさらに北上したところに大久保は位置する。今では関東一の
コリアタウンとしての顔が通り、韓国料理の名店やハングル文字の看板で溢れているが、江戸
時代から継承する百人町の名はいまだ大久保を象徴するもののひとつだ。
 
「彼奴はまず間違いなく大久保から新宿、原宿を通って渋谷へと向うはず。何もわざわざサク
ラの屍に会わせてやる必要もないわ。隙あれば、その途上を狙う」

「フン。確かにこのまま先にいけば、表参道から明治神宮へと通じるな」

 昨夜の激闘で荒れ野と化した原宿の街とその先の明治神宮とは、青山から直線でいける近
距離であった。
 真っ直ぐに東から西へと進む二匹の魔獣と、五十嵐里美が北から南へと向うルートとはおお
よそ明治神宮付近で交差する・・・それが久慈の描いた令嬢戦士急襲の青写真。覇者たること
を望む魔人にとっても、下僕である人類をやたらに殺生したり、叡智の結晶である建造物を破
壊するのは本来の主旨とは異なる。闘いやすい「神宮の森」でファントムガールの公開処刑を
執行するのは、選択としてはベストと呼べるものだった。
 
「簡単にお前の計算通りにいくものかな?」

「先に渋谷に到着され、サクラを復活させたとしても問題はない。エネルギーの枯渇した雌二
匹、海堂一美ともあろう者がこのオレと組んで仕留められないとは言うまいな」

「いや、それよりも」

 雨の風景に溶け込む墓石と樹木とに眼を配りながら、サングラスの男は低い声で呟いた。
 
「この青山にも、奴らの手が伸びてるんじゃないのか?」

 瑞々しく濡れた葉っぱが跳ねたのは、その時であった。
 湿った空気を切り裂く音色。3つ。いや、4つ。
 
 ギギギギンンンッッッ!!!
 
 疾走する魔獣に迫る、銀の閃光。飛来する鋼鉄の刃を、黒衣の男が薙ぎ払った右腕で弾き
飛ばす。
 久慈の右腕にはいつ取り出したのか、血の滴りを求めるような抜き身の日本刀が音無き飢
えの咆哮を放っている。
 地に転がる刃の正体を確かめるまでもなかった。
 苦無(クナイ)。忍びが主に暗殺などに使用する、棒状の手裏剣。
 
「ッッ〜〜〜五十嵐ィッッ・・・サトミィィィッッ―――ッッッ!!!」

 爆発する。怨念と、殺意が。
 瞬間、沸点に達する久慈仁紀。冷酷な悪魔の仮面が剥ぎ取られ、憤怒噴き出す復讐鬼の素
顔がさらけ出る。
 完全に死を奪いに来た不意打ちの飛び道具を、かわし切っただけでも賞賛すべき。
 剣の達人、そして「エデン」から授かった超感覚を我が身に成し得ている者、だからこその奇
跡であろう。柳生暗殺剣の凄味。常人を遥か超越した魔人の戦闘能力。スナイパーの狙撃と
同列の襲撃を、この男だからこそ避けることができた。
 だがそれでも。虚を突かれた代償は、そんな久慈ですら無にはできぬ。
 裏を掻いたつもりが、掻かれていたとは。屈辱。憎悪。焦燥。血走る眼光が飛ぶ先に、求め
る長髪の美少女の姿はない。
 
「舐めるなッ、下郎がッ!!」

 背後に沸く気配より速く、黒衣に包まれたしなやかな肉体は振り返っていた。
 不意の襲撃に動転していなければ、この程度のまやかしに欺かれる魔剣の使い手ではなか
っただろう。
 袈裟切りに閃いた刀身が真っ二つにしたものは、名も無き花崗岩の墓石のひとつであった。
 
 上かッッ―――
 
 くノ一の確たる気配と首に掛かる圧迫とを感じたのは同時。
 リボンが巻きつく。新体操で使う純白のリボンが、旋回して久慈の頸部へ。
 窒息の苦しみに、くぐもった呻きが漏れたのは一瞬だった。
 樹上の隙間から飛び出したセーラー服が地に降り立つのと引き換えに、白いリボンで繋がっ
た魔人の肉体が、絞首される罪人のごとく一気に宙空に浮き上がる。
 
「ぐええッッ?!! ッッおぶッッ・・・!!」

 食い込むリボンを掻き毟り暴れもがく魔人の眼下で、処刑人となった少女は水仙のごとく立
ち尽くす。
 紛れもない、五十嵐里美。
 立ったか。ついに闘いの舞台へ。死地の先頭へ。ファントムガールの中心的存在、いや、お
前こそがファントムガールそのもの。お前の五体が砕ける時こそ、守護天使の真なる終焉。
 
 だが。違う。何かが違う。闇討ちするかの卑劣な戦法。残酷ですらある容赦ない闘い方。里
美でありながら、目の前の里美はかつて見知った里美ではない。
 ゾクリと背筋を駆け登る、この感覚。
 青のカラーとプリーツスカートも鮮やかなセーラー服。柔らかな絹にも似た黒髪。清廉を象徴
する白き透明な肌。ほのかに朱の挿した唇。高く通った鼻梁。知性と決意とどこまでも深い憂
いをたたえた、切れ長の漆黒の瞳。
 そうか。
 美しき少女よ、お前は死神に愛されたのか。
 慈愛の温もりを一糸まとわずかなぐり捨てた五十嵐里美の姿は、戦慄するほど美しかった。
 
 わかる。周囲の空気が凍り付いていくのが。
 冷酷などという言葉では到底及ばぬ。絶対の死を望む、瞳と雰囲気。
 美貌の悪魔か、堕ちた天使か。聖なる光と背徳の闇。純白と漆黒とを併せ持つ者のみが許
された禁断の美を、今まさに里美は体現していた。
 
「殺しにきたか。五十嵐里美」

 これ以上はないというほど、サングラスの下で海堂一美の唇が吊り上がる。
 「殺す」つもりと「倒す」つもり。甘さの残る少女戦士に違いを教えたのは、誰あろう海堂自
身。
 仲間を処刑され。陵辱の様を全国に放映され。頂点に達した怒りに、「こちらの世界」に渡っ
てきたというのか。

「染み付いた甘さが簡単に取れるかは疑問だがな」

 言葉の代わりに青セーラーの少女が左腕を振って返す。
 乱れ飛ぶクナイの雨。白スーツのヤクザがたまらず飛び避け、墓石の影へと身を隠す。
 右手のリボンで魔人を捕らえ、鋭い視線で凶魔を捕捉する麗しき美戦士。霊園に仁王立つ
五十嵐里美の姿は、邪鬼を制する天女の如しであった。
 もがく久慈が魔剣でリボンに斬りかかる。引き締まった肉体は完全に樹上から吊り下げられ
ていた。
 切れない。世界一鋭い日本刀が、見た目シルクで織られたリボンを切断できない。
 忍術と科学の粋を極めた特殊繊維が、暗殺剣の技術を上回った証明。里美が右手首を軽く
捻る。首を折りに掛かったリボンが、締め付けの圧迫を急激に高める。
 
「うぐうッッ?! オオオッッ・オ゛・オ゛・オ゛ッッ・・・!!」

 一気に殺るつもりかッ?!!
 墓石から飛び出した海堂の右手には懐から取り出した改造コルトが握られていた。立ち尽く
して微動だにせぬ美貌の女子高生に照準を合わせる。
 
「心構えは悪くない。だが、敵の人数もわかっていないとは迂闊だな」

「それはあなたの方じゃないかしら?」

 応えたアルトの声は、里美が発したものではなかった。
 改造拳銃がバラバラと細切れになって落ちていく。見えない刃で切られたように。
 
「糸、か」

「はじめまして、海堂一美さん。そこで首吊られてる男の元同僚、片倉響子よ。以後お見知りお
きを」

 緑と灰色の景色にそぐわぬ猛烈な真紅が、サングラスの視界に飛び込んでくる。
 彫りの深い西洋風の美貌と腰までの長い髪。スーツからルージュ、ハイヒールまで全てバー
ミリオンレッドで統一した美女は、生々しいまでの妖艶の風を最凶ヤクザに吹き当てた。
 
「もっとも、あなたに『以後』があればの話でしょうけど」

「なるほど。話に聞いていた通りのいい女だ。ヤリ甲斐のある、な」

 潤んだ真紅の唇と、乾いた土気色の唇が同時に歪む。
 ズン、と鈍い音色が雨音に混ざる。
 吊られていたはずの黒衣の男が地上に降り立つのと、輪切りにされた樫の木が倒れるのと
はほぼ同時であった。特殊なリボンを切るのを諦めた剣客は、支えている樹木を切ることで絞
首刑からの脱出に成功したのだ。
 
「ゲボオッッ!! げえほッッ、ゴボォッ!! きィッッ・・・貴様アアァァッ〜〜ッ・・・」

「ナナちゃんの苦しみは、この程度ではないわ」

 怨嗟満つる血色の眼光を、霊魂すら痺れるような幽玄の美少女は受け流して言った。
 
「私たちがサクラの蘇生に向かうと予測するのはわかっていたわ。渋谷の守備が薄いこと、そ
してナナちゃんを囮に使った罠はあまりにもわかりやす過ぎた。フジテレビで待ち構えると見せ
かけて、必ず渋谷に移動する・・・監視網を強化して、備えさせてもらったわ」

「裏を掻くつもりが、さらにその裏を掻かれたか。屈辱だな、久慈よ」

 愉快そうに言う海堂の言葉に、ギリと響く歯軋りが重なる。
 罠を待ち受けるフジテレビと、一方で警戒の薄い渋谷。今がサクラを復活させる絶好のチャ
ンスであることは、冷静になれば誰もが至る結論だろう。恐らく久慈の真の狙いは、その結論
に導くことだ。処刑というにはのんびりすぎる感すらある七菜江への責めが、当初から里美に
あった疑念を確信に変えた。
 ならばその策謀を逆用する。
 万が一ということも考慮すれば、フジテレビを無防備にするわけにはいかない。敵陣営が戦
力を分散させるのは確実であった。圧倒的人数の不利にある里美にとって、この好機を逃す
わけにはいかなかった。不意を突き、仕掛ける。備えが万全であろうお台場に向かうよりは、
移動中の敵を襲うのが最良の方法であるはずだった。
 
 ほぼ目論み通り。しかし誤算がひとつ。
 もっとも厄介と思われる久慈と海堂。まさかこのふたりが組んで来ようとは。
 
「メスブタどもの頭領をこうして目の前に引っ張り出せたのだ。些細なミスは問題ではない。だ
がッ!」

 誤算は守護天使だけにではない。悪の側にも発生していた。
 
「響子ォ・・・どうやら裏切りは死をもって償ってもらわねばならんようだな!」

 時代がかった久慈の台詞に、元同僚の女教師はクスリと笑って卑下してみせた。
 極端に言ってしまえば、久慈の策略では里美が渋谷に現れようとお台場に現れようと問題で
はなかった。どちらにせよ、殺せるのだから。その根底には、闘いの場に立てるファントムガー
ルはもはやサトミただひとりという認識があった。
 参謀格であった天才学者が、よもや敵に回るとは。
 狡猾な女蜘蛛が牙を剥くというなら話は変わる。余裕の持てる相手ではないことを、かつて側
近にはべらせた男はよく理解している。三行半を突きつけられて以来、いつか始末をつけねば
と思っていたが、これほどあからさまに敵対してくるとは。
 
 突然ゲラゲラと、黒衣の男は笑い出した。
 
「これはいい! 憎き積年の邪魔者と愚かな裏切り者とを一度に葬れるとはな! フハハハ
ハ!」

 張り詰めた空気が雨の霊園を支配した。
 来る。人類を脅かす悪の枢軸、その頂点にある二名の反撃が。
 守護天使にとっても、里美と響子は現時点で考えられる最強の布陣。ここでの敗退は、世界
の崩壊を意味している。
 
「海堂よ、ひとつ提案をさせてもらうぞ」

「なんだ?」

「ここではミュータントにはならずにおこう。広大な敷地と自然の障害物。死者が見守る絶好の
ロケーションだ。このままの姿で大いに楽しもうじゃないか」

「不要な巨大化はできる限り避けたい、か?」

「クク・・・なあに、単なる・・・気まぐれだ」

 真剣を振りかざした男が一直線に駆ける。―――真紅の美女へと向かって。
 狙いは五十嵐里美ではないのか?! だが深謀の妖女に油断はない。距離にして20m。十
分な間合いを予め取っていた響子が、10本の指を一斉に動かす。
 青山霊園で襲撃を決行したのは、ただ久慈らの動向がキャッチできたからだけではない。忍
者の末裔である里美と斬糸を操る響子。ふたりにとって身を隠せる自然と仕掛けに適した障害
物に溢れたこの場所は、地の利を最大限に生かせるフィールドだった。
 準備はすでにできている。青山霊園全体が、すでに美しき蜘蛛の巣のなか。
 突き進む久慈の黒シャツに、妖糸に触れた切り口がパクリと縦横無尽に開く。
 
 ブチブチブチブチブチブチッッッ!!!
 
 銀光が閃いた瞬間、墓石の間に張られた斬糸は全て斬り落とされていた。
 計算内。斬られた糸が次なる仕掛けの起動スイッチになる。肉眼で捉えられない極細の糸の
束が、前後左右と頭上から猛進する魔人に降りかかる。肉塊を一瞬でミンチにする幾万の刃。
全方位からの襲撃に、さしもの達人も対処できるものかどうか。
 
 流れるような動きであった。
 駆ける速度はまるで落とさず、肉体の軌道のみが変化する。柳のように。流麗にして峻烈。
 響子の指に伝わる感覚が、触れる直前全ての糸が斬られて効力を失ったことを教える。
 マニキュアも鮮やかな人差し指が動く。女教師の周囲に張られる、新たな糸の罠。
 伸縮性がありゴムのように伸びる特殊糸は、対刃を想定した防御用のネットであった。
 
「無駄だ」

 大上段から魔剣が一息に振り下ろされる。疾走の加速を乗せて。雨に濡れ光る妖糸の束
が、グイーンと伸びたまま凶剣に絡まっていくのがかすかに見える。
 嵌ったわね。わずかに緩む真紅の唇。ガムを思わす粘着質の糸で、そのまま剣客最大の武
器を奪ってしまえ―――
 手首を返した久慈の斬撃は、一瞬のうちに下から上へと軌道を変えていた。
 ブツブツブツブツ!!!
 対久慈用に開発した秘密兵器が、刹那のうちに無意味と化したことを響子は悟る。
 
「なッ?!」

「無駄だと言うのが理解できぬかッ?!」

 後方に跳ぶ響子。距離を詰めて追いすがる久慈。
 最後の仕掛け、念には念を入れて張り巡らせておいた絶対不可視の透明糸が、間合いに飛
び込む魔人の首筋に食い込む。
 ビュッッ!!
 咽喉元真一文字に開いた切り口から、噴き出た鮮血が妖女の美貌を点描で染める。
 表皮を裂かれた瞬間、跳ね上がった久慈の刀は首が離れる前に仕掛けの斬糸を断ってい
た。
 
「貴様がオレを倒す研究を進めていたのは知っていた」

 振り上げる真剣。避けきれぬ至近距離。冷たく光る刃の下で、薫るような美貌が彫像のよう
に硬直する。
 響子の両手が上がる。間にかかる白糸の束。日本刀をあやとりの糸で防ごうとするかのよう
な。
 
 ザクンッッ!! という斬撃の音とともに、魔剣が大地にまで一気に振り下ろされる。
 
「だがオレも、貴様を殺す準備はしていたのだ」

 真紅のスーツの切れ端とボタンが宙を舞う。
 胸元から股間まで、切り裂かれた響子の身体の中央から縦一直線に血の飛沫が迸る。
 
「くあッッ!!・・・あァッ?!!」

「浅いか。だが」

 胸から腹部にかけて走る灼熱に身を捩らせながら、渾身の力で妖艶美女が後方に飛び避け
る。糸引く鮮血と破れたスーツを追って魔人が詰める。
 神速の足捌き。ダッシュを凌駕する剣術の秘奥義。
 逃げるビーナスの如き完璧なプロポーションは、暗殺剣の射程にピタリと捉えられていた。
 
「貴様の身体能力では、このオレの足元にも及ばぬわ!」

 唸りを上げる豪砲の突き。
 魔剣の切っ先が豊かな左のバストに突き刺さり、柔肉を穿って一気に体内に食い込む。
 
 ゴブウウウウッッッ!!!
 
 瞳を見開いた響子の唇から、破壊を知らせるように血の塊が吐き出される。
 
「き、響子ッッ!!」

「フハハハハハ! まずは一匹!」

 嘘。そんなはずがない。あの片倉響子が。私たちを苦しめ続け、智謀で常に闘いを支配して
きた妖女が手も足も出ずに敗れるなんて。それほどまでに、今の久慈は恐るべき相手なの
か?!
 冷たい汗が背中を伝う。クナイを握る手に力がこもる。下卑た笑いを浮かべた久慈を凛とし
た視線が迎え撃ったとき、変化は起こった。
 
「ようやく、掴まえたわ」

 娼婦のごとき微笑を刻んだ女教師が、己が胸に埋まった刀身を掴んでいる。
 魔人が気付く。確かに暗殺剣は響子の左乳房を潰して食い込んだ。内臓に深刻なダメージ
を与えた。しかし、その肉を裂いてはいない。心の臓を貫いてはいないのだ。
 刀身に絡みついた、ガムのような糸。
 あれか。先程、大上段から斬り下ろしたとき。響子が両手で張った糸の束は、刀を受け止め
るためのものではなくこの粘着質な特殊糸だったのだ。
 
「最後まで振り下ろしてくれてよかったわ。さっきは上手く切断されたから」

 仕留めようとしたわずかな隙が、魔人の詰めを誤らせたか。
 糸が飛ぶ。触れるもの全て切り裂く妖斬糸。胸へのダメージと引き換えに、女策士が逆転の
一手に掛かる。
 
「評判通りのいい女だ」

「えッッ?!!」

 里美と響子の口から、奇しくも同じ驚きの声が漏れた。
 女教師の背後に現れた、サングラスの最凶極道。
 海堂一美が久慈との闘いで身動きの取れぬ響子を、ここぞとばかりに襲い掛かる。
 1vs2で集中的に狙うというのか?! それも里美ではなく響子を! 想定外の展開に、コン
マ数秒少女戦士の行動は明らかに遅れを取った。
 必死に放つ響子の糸も、『最凶の右手』の前には何の意味も成さなかった。
 
 ベギイイイイイッッッ!!!
 
 無防備な右の脇腹に凶器となった拳が埋まる。
 『最凶の右手』の一撃で、無惨にも響子の肋骨3本は一度に砕け折れた。
 
「あぐうッッッ!!!・・・・・・ぐッッ・・・ぐうゥッッ・・・」

 全身を貫く激痛に、女教師の指先が震える。
 続けざまに飛ぶ右フックをスウェイして避ける。距離を取るべくよろめく脚で後退する。陶器
のような美貌に浮かぶ明らかな焦り。汗と吐血が点々と霊園の地に落ちる。
 左右から迫る魔人と凶魔の追撃を、かわすスピードは響子には残されていなかった。
 
「くうッッ!!」

 闇雲に放つ糸のドリル。束になった妖糸が鋼鉄の強度を誇ってサングラスの男に放たれる。
 恐るべき『右手』が剛糸の乱流を弾くのを見たとき、鋼の鈍器と化した魔剣が黒髪の側頭部
に吸い込まれた。
 
「ッッッがァッッッ!!!」

 半ば白目を剥いた美貌の教師の鳩尾に、凶魔の右腕が突き刺さる。
 吐瀉物を撒き散らし、妖艶な美女が壊れたような円舞を踊る。ゲラゲラと笑う久慈がスーツの
中のシャツと下着を掴むやビリビリと破り捨てた。
 艶かしい裸身に真紅のスーツを羽織っただけの扇情的な姿となった響子が、反撃を試みんと
痺れる両手を緩慢に上げる。
 
 グシャアアアああッッッ・・・!!
 
 海堂の右拳が右胸を、久慈の魔剣が再び左胸を潰すのとは同時であった。
 ガクーンと女教師の両腕が落ちた瞬間、魔人と凶魔による爆撃の乱打が、裸にスーツの生
贄を左右から包み込む。グシャグシャと肉が潰れ、赤い飛礫が宙を舞う。白く美しい指先が、
救いを求めるように暴打の嵐のなかから天に向かって差し伸びる。
 
「クハハハハハハ!! やはりな。昨日まで敵だった者と、易々とコンビネーションを築けるわ
けがないッ! 貴様らの綻びは始めから見えていたわ!」

 崩れ掛かる響子の肢体を、羽交い絞めにして久慈が支える。鮮血と泥と痣とで、彫刻のよう
な美の結晶はドス黒く汚れ歪んでしまっていた。
 悪の参謀として妖艶に咲き誇った美女とは思えぬ、無惨な姿。
 適わないのか?! あの片倉響子でさえ、これほど圧倒的な力の差に屈してしまうというの
か?!
 
「・・・バ・・・カな・・・・・・この・・・私・・・・・・がッ・・・・・・」

「響子よ、裏切り者の末路、その身でよく覚えておくことだな」

 海堂の右手が二度の剣撃で窪んでしまった左のバストを、臓器に届く勢いで鷲掴む。
 オトナの色香と豊潤な質量を伴った極上品を、破裂させんばかりに超握力が潰していく。
 
「あぐううッッ!!! くううッッ〜〜ッ!! くああッッ?! あああああッッッ〜〜〜ッッ
ッ!!!」

「ワハハハハハハ! どうした?! 天才学者が随分いい声で泣き叫ぶではないかッ!! フ
ハハハハ!」

「・・・フン、来るか」

 殺到する里美のクナイの一撃を、圧搾刑から離した『最凶の右手』が振り返りざまに受け止
める。
 
「そろそろ動く頃合いと思っていたぞ。五十嵐里美」

 素手の海堂より武器を持った里美の方が警戒して距離を取る。迂闊には仕掛けられなかっ
た。海堂の右腕は凶器を持っているも同じ。いや、クナイのような小型の鉄器より遥かに危険
だ。響子を助けようにも不用意に飛び込めばこちらが終わる。久慈と海堂、必殺の一撃を持つ
相手に1vs2で挑まねばならないとは。
 
 やられた。
 久慈の言葉は真実を射抜いていた。決して響子を見殺しにするつもりなどなかった。信頼関
係もある程度は構築できたつもりでいた。だが互いに拭い去れなかった、ある種の遠慮。戸惑
いのうちに硬直してしまったのは紛れもない失策。
 こんな展開が待っているなんて。読みきれなかったのは、里美と響子、ふたりの甘さ。戦略で
は読み合いを制したが、こと実戦の機微においては若い里美と修羅場を知らぬ響子より、百
戦錬磨の相手の方が一枚上手だった。
 だが悔やんでいる余裕はない。まずはとにかく響子を助けねば。かつて敵だったとはいえ、
いや、だからこそ私のせいで傷つけるわけにはいかない。
 
「今頃になって焦っているな、里美! 見よ、貴様のせいで響子はこの有り様よ」

 雨混じりの泥のなか、うつ伏せに倒れた響子の右腕が御影石の台座に伸ばして据えられ
る。
 漆黒の瞳を見開く里美の前で、久慈は両抱えにした墓石を女教師の肘目掛けて躊躇なく振
り下ろした。
 
 ゴギイイッッッ!!! ブチイッッ!! ブチブチッゴキンッッ!!
 
「ウギャアアアアアアアアッッッ〜〜〜〜ッッッ!!!!」

「ワーッハッハッハッハッ!! そおら、受け取れッ!!」

 ダラリと垂れた右腕を支え、絶叫する美女を雨空高く久慈は放り投げた。
 錐揉み回転しながら花崗岩の墓碑に落下していく妖艶な女教師。
 その薄汚れた肢体を飛び出した里美が空中でキャッチする。
 
「その遠慮が、コンビネーションの乱れというのだ」

 不快そうな海堂一美の呟きを、里美はすぐ耳元で聞いた。
 駆られていた。響子を助けねば、という気持ちに。響子の生命力を信じることも出来ずに、た
だ傷つけたくない一心で闇雲に身を躍らせてしまった。
 七菜江には、見捨てる決意すらできた里美だったのに。
 
 ゴキイイイイインンンンンッッッ!!!
 
 左右から襲った凶魔の剛打が、里美の側頭部を挟み撃ちに捉えた。
 視界が霞む。あらゆる神経のスイッチが切断され、ビリビリと痺れる感覚と頭蓋の軋む激痛
だけが里美に残された全てであった。
 脱力した腕から、ズルリと泥まみれの女教師がボロ雑巾のように地面に落ちる。
 垂れ下がった四肢と虚ろな瞳。一撃にして意識のほとんどを吹き飛ばされたくノ一少女に、
続く悪魔の打撃を避ける術はない。
 誇張し過ぎず、絶妙なラインを描いた胸の稜線。乙女の可憐さとオトナの色香を凝縮した左
の乳房にバズーカの如き右腕が突き刺さる。
 
「うぐうううッッッ!!! ッッ〜〜〜〜ッッ・・・ぁぁアアッ・・・アアッッ〜〜ッッ・・・!!」

 胸を潰された少女の悲痛な呻きが、静謐な霊園に漂い流れる。
 もはや破壊の激痛に支配された里美に、抵抗は不可能であった。
 壮絶な破砕音が響き、顎の跳ね上がった美少女の肢体が吐血の糸を引いて空中高く舞い
上がる。
 海堂の右アッパーブロー。小さな少女の顔に放っていいとは到底思えぬ容赦ない豪打。並の
女子高生ならば顎が吹き飛んでいたであろう悪魔の一撃を受け、口腔を真紅で濡らした虚ろ
な令嬢が悲劇の待つ地上へと落下していく。
 
 突き上げた久慈の魔剣が落ちる里美の鳩尾を抉り、そのままカウンターで反撃不能の天使
の肢体を高々と天空に刺し掲げた。
 
「おぶううううッッッ―――ッッッ!!! ごぼッ・・・アアッ・・・アッ・・・アアア・・・」

 吐き出された大量の鮮血が、剣撃で支えた魔人の顔に降りかかる。
 くの字に折れ曲がり、指一本動かせぬ肢体を空中に掲げられる正義の少女。食い込む腹部
の苦痛に漏れる悶絶の呻きとボトボトと垂れる吐血の飛沫のみが、残酷な決闘の地に響く音
色の全て。
 八の字に寄った細眉とヒクヒクと震える桃色の唇。美少女の苦しむ表情を堪能し尽した久慈
が、再び里美を天高く放り上げる。
 
 悪魔のキャッチボール。受け手となった海堂が、瞳を濁らせた少女戦士の茶色混じりのスト
レートを無造作に鷲掴んだ。
 『最凶の右手』は女子高生の体重を、まるで意に介していないようだった。
 おおよその女優もモデルもアイドルも到達し得ない秀麗な美貌を、海堂は顔面から花崗岩の
墓石に叩きつけた。
 鈍い音色と飛び散る血潮。
 ガラガラと崩れ落ちる墓碑の向こうから、おびただしい出血で深紅に濡れ染まった美乙女の
マスクが、泣き入りそうな苦鳴とともに現れた。
 
「ああアぁッッ・・・ああァッ〜〜ッ・・・ゴブッ・・・アア・ア・ア・・・アアッッ・・・」

“・・・こ・・・んな・・・・・・私・・・も・・・う・・・・・・”

 投げ捨てられたくノ一少女の肢体が、驟雨が造った泥沼に水没する。
 鮮血と泥とで汚れたセーラー服が、ピッチリと大の字で転がる少女の肢体に張り付く。
 汚泥に沈み、蝕む激痛に身を痙攣させるだけの乙女の姿は、正義が悪に蹂躙された様を雄
弁に物語っていた。
 
「終わりだな」

 泥水にまみれ無惨に転がるふたりの美女・・・五十嵐里美と片倉響子の黄土色に汚れた肢
体を、久慈仁紀と海堂一美が冷たく見下ろす。美少女の顔面は紅に染まり、妖艶美女の右腕
は有り得ない方向に折り曲がっていた。
 瀕死の乙女と無傷の男たち。これが正義と悪の実力の差なのか。
 トドメを刺すべく久慈が、絡みついたガム状の糸を剥がし、煌く刀身を頭上高く差し上げる。
切れ味を取り戻した兇刃が狙うのは、うつ伏せに倒れた五十嵐里美の首――。
 
 ボコボコボコッッ!!
 墓の下の大地が盛り上がったのは、その時であった。
 
「・・・なんだと?」

 地面から勢いよく飛び出した、人の腕。
 過酷過ぎる暴魔の凶行が、死者の安眠を妨げたのか。
 いつか見たゾンビ映画のシーンが久慈の脳裏をかすめる。一気に墓場の下から飛び出した
泥の塊は、紛れもない人間の形を取って、驚愕する二匹の悪魔の前に立ち塞がった。
 
「ちッ・・・兵隊を隠しておったか!」

 死者が蘇った、などという妄想に取り憑かれたのはわずかな間であった。
 泥で固められた2mほどの巨人は怪物ゴーレムを想像させるが、里美と響子が施した仕掛
けであることは疑いようがなかった。本物のゾンビやゴーレムであるわけがない。恐らくは里美
の配下、忍びの手の者を潜ませておいた。突進してくる泥巨人と正対する久慈に、動揺は微塵
もなく消え失せていた。
 銀光が煌く。
 抜いた刀身が再び鞘に納まったとき、墓場より生まれたゴーレムの首と両腕は同時に切り離
れた。
 
「?! こいつ、まだ動くかッ・・・」

「どうやら人間がなかに入ってる、というわけでもないようだ」

 大砲の撃ちこまれる轟音が青山霊園に響き渡る。
 首と両腕を失くした泥巨人の胸の中央、茶色に染まった“最凶の右手”が背から貫いて生え
ている。
 そのまま海堂一美はいまだ蠢くゴーレムの身体を上下ふたつに引き千切った。
 久慈の兇刃が再び虚空を舞う。今度斬ったのは土人形の身体ではなかった。
 泥巨人を操っていた見えない妖糸を断ち切った途端、動きを止めた土の塊がボトボトとぬか
るんだ地面に落ちていく。
 
「木の枝と泥で作ったマリオネットか。裏切りブタめッ・・・これは響子の仕事だな」

「万一に備えた隠し玉というわけだな。さすがに参謀を務めていたというだけはある」

「フンッ、だがその切り札を使っても逃げるのに精一杯だったようだ」

 そぼ降る雨のなか、くノ一少女と美妖女の姿は悪鬼二匹の視界から消えていた。
 
「逃がさんぞ、忌々しいメスブタども。貴様らの墓場にはうってつけの場所だ」

 刀身にこびりついた泥を、久慈の長く真っ赤な舌がベロリと舐め取った。
 
 
 
「ふふ・・・まさかこんな形であの仕掛けが役に立つなんてね」

「喋らないで。ズレるわ」

 泥のゴーレムが作ったわずかな隙に、里美は響子の肢体を抱いて霊園の隅に隠れ逃げて
いた。
 障害物の多いこの場所を戦闘地に選んだのは間違いではなかった。草陰、墓石の裏、広葉
樹の枝。自然に隠れての逃走により、しばらくは時間を稼げるだろう。だがいずれは見つか
る。なによりも圧倒的不利にある里美にとっては、ふたりしか敵がいない今は好機であることに
変わりはない。態勢が整い次第、再び闘いを挑まねばならないのは明白であった。
 
 聖愛学院の男子誰もが魅入り、女子誰もが憧れる生徒会長の美貌は流れる鮮血に染まって
いた。
 ドクドクと噴き出す血が尖った顎先から落ちていく。凄惨な己の姿に気付いていないように、
里美は千切った新体操のリボンで折れた響子の右腕を固定していた。
 下半身を投げ出して座り込んだ真紅のスーツの美女は、里美とは対照的に顔面を蒼白にし
ていた。引き攣った彫りの深いモデル顔に脂汗が浮かんでいる。骨を潰された激痛など、初め
て味わうに違いなかった。自信に満ちた天才学者の表情は、いまや疲弊と敗北感に覆い隠さ
れている。
 
「リボンはあなたの大切な武器でしょ。こんなことに使っていいの?」

「喋らないでと言ってるでしょう」

「ふ・・・ふふ・・・情けないものね。どうやら私はあの坊ちゃんを舐めていたようだわ。まさかここ
まで圧倒されるなんてね。糸の仕掛けは全て破られ、右腕も壊された。念を入れて備えておい
たマリオネットのおかげでなんとか生き永らえたけど・・・時間の問題でしょうね。力を増した久
慈と、最凶のヤクザ海堂一美。完敗を認めなければならないようね」

「・・・ごめんなさい」

「あなたが謝ることはないわ、五十嵐里美」

「いいえ、私のミスよ。ヤツらがあなたを集中攻撃するとは思ってもいなかった。援護が遅れな
ければこんな事態にはならなかった。この敗退は、全て私の甘さのせいよ」

「ふふ、同情されるのが、これほど惨めなものだとはね」

「同情ではないわ、事実を話してるまでよ」

「私が弱いから負けた。それだけのことよ。元々あなたは私と組むといいながら、自分ひとりで
あの二匹と闘うつもりでいた。だから自分を襲ってこない奴らの動きに戸惑ってしまった。そう
でしょ? あなたが責任を被ろうとすればするほど、私は惨めになるってわけよ。足を引っ張っ
たのはむしろ私の方」

「響子、それは・・・」

「やめましょう、この場においての責任追及は無意味よ。今はここからどう脱出するかが重要。
私もあなたも、このダメージでは今度闘えば死は」

「逃げないわ」

「?! なんですって?」

「私は闘う。久慈と海堂、このふたりさえ倒せばきっと敵は瓦解する。この国に迫った危機を救
うためには、今チャンスを逃すわけにはいかないの」

 鮮血に濡れた瓜実の顔のなかで、切れ長の瞳が決意の色を灯して燃え上がる。
 これまでの情報収集の成果により、敵方の全貌はほぼ掴めている。久慈の一派に加担し
た、最凶のはぐれ極道ふたり。だが理知的な面を持つ海堂と異なり、殺人快楽者で欲望がま
まに生きるスカーフェイスこと城誠が、若輩の久慈の指示を素直に聞くとは思えない。久慈と海
堂、このふたりが冷静な関係を築けているからこそ機能している同盟のはずだ。首魁2名さえ
倒せば、空中分解する可能性は極めて高い。
 もちろん一筋縄でいく相手ではない。この悪鬼二匹に対抗できる手段があるものかどうか。
 しかし同時に一気にクーデターを終結させるチャンスでもあることを、里美は冷静に判断して
いた。
 
「バカな。命からがら逃げてきたのをもう忘れたのかしら? 無駄に死ぬだけよ。勝てるわけが
ないわ」

「私も勝てるとは、思っていないわ」

「ふふッ・・・奴らの攻撃を受けておかしくなっちゃったのかしら?」

「引き分けで構わない。いいえ、そんな贅沢は言わないわ。せめてひとり、道連れにできるだけ
でいい。それも許されないなら、数日間動けなくするだけでもいいの」

 どこまでも深い漆黒の瞳に、憂いと炎が漂った。
 死ぬつもりか、五十嵐里美。
 このふたり、いやひとりだけでも数日間戦闘不能に追い込めば、もしかしたら希望が灯るか
もしれない。危ういバランスで成り立っている敵陣を思えば、確かにその点は響子も否定はし
ない。しかしそのために、守護天使側の大将とも言うべき自らの命を散らすつもりなのか。
 
 なんという、愚かな思考。響子の本心は確実にそう思っている。
 だがこの少女の真似を、自分では到底できないこともまた、確信している。
 
「やめなさい、五十嵐里美」

 己の口から流れる言葉が、響子には厳しくかつ優しいものに聞こえた。
 
「チャンスは必ずまた訪れる。焦って死を選ぶのは愚かな行為よ」

「あなたは勝算のない闘いには挑まない主義だったわね。安心して、もうあなたを巻き込んだり
はしないわ」

「奴らにこの世界を蹂躙されたくない気持ちは私も一緒なんだけど」

「私はナナちゃんを見捨てたのよ。できないの、撤退なんて」

 秀麗なる美少女の柳眉が、苦しみを訴えて寄っていた。
 戦士として失格の、苦悩に沈む少女の顔。
 五十嵐里美という少女の本当の素顔を初めて見た気分に駆られる響子の耳に、か細い告白
は続いた。
 
「あのコを見捨てて私はこのチャンスを得たの。あのコの命を利用したチャンスなの。これ以上
重いチャンスなんて、絶対にもう有り得ないの」

「里美・・・」

「その腕ではあなたはもう闘えない。逃げて。私は必ず奴らを道連れにする。その後の闘いに
備えて」

 骨折の応急措置を済ませた少女が、残ったリボンを額に巻く。
 白いリボンの切れ端と茶色の混ざった長い髪が、里美の立ち上がる勢いでふわりと揺れた。
 
「・・・響子。もしよかったら、私のお願いをひとつだけ聞いてくれないかしら?」

「・・・私にできることならね」

「チャンスがあったら・・・ナナちゃんを助けてあげて。いいえ、ナナちゃんだけでなく・・・あのコ
たちを助けてあげてください。お願いします、片倉先生」

 背中越しに女教師に言葉を遺したセーラー少女は、流れる絹髪を翻して霊園の茂みへ姿を
消した。
 
 
 
「痕跡をうまく消している。なかなか見事なものだな」

 潮香にも似た独特の血の匂いが途絶えたことを悟り、鼻を鳴らしていたサングラスの男が傍
らの久慈を見遣る。
 ぬかるんだ地面に落ちた血の痕を追ってここまできたが、霊園のほぼ中央でプツリと手掛か
りは途切れていた。忍びの後裔である少女が意図的に証拠を消したのは間違いない。暗殺を
生業にしてきた男はターゲットを追い込む作業にも慣れていたが、今回の獲物は逃亡術ひとつ
とってもこれまでとは段違いであることを実感せざるを得なかった。
 セーラー服の美少女と真紅のスーツの女教師。手負いの2名を見失ってから、10分以上は
広大な墓地を走り続けている。
 唯一の手掛かりであった血痕は、嘲笑うように通路の途中で消えていた。泥土に足跡ひとつ
ないことから、墓石を足場にでもしたか、頭上の枝を飛び移りでもしたか。戦闘では圧倒したと
はいえ、この場所が現代くノ一に利を運ぶことは肝に銘じる必要がありそうだった。
 
「逃げられたか。まさか二度も同じ相手を仕留め損なうとはな」

 海堂の口調には自嘲とともに愉快そうな含みが込められている。
 
「ファントムガール、やはり最高の獲物だ」

「フン・・・最凶と呼ばれる暗殺者にとっては、獲物を逃すのは屈辱でしかなかろう」

「たまには思い通りにいかないのもいいもんだ。この煮え立つようなたぎり。人を殺すのにこれ
ほどウズウズするのは久しぶりだな」

 マイナス記号のようなサングラスの下で、薄い唇が吊り上がる。
 屈辱の憤りより、殺人への高揚が上回るか。
 海堂が抱えた生粋の闇を、まざまざと見せ付けられた想いであった。
 
 守護天使ファントムガールを抹殺するため、久慈が雇った最凶の暗殺者たち。その実力が
疑いのないものであることは、不遜たる若き魔人もよく理解していた。強い。そして、残酷。ファ
ントムガール・サクラを惨殺した海堂=ゲドゥーの仕事ぶりは、久慈の復讐心を慰めるだけの
ものではあった。
 ナナの命は風前の灯、失踪したアリスは瀕死状態、満足に闘えぬユリアなどいつでも殺すこ
とができよう。凶獣二匹と組んだことで、守護天使殲滅の目論見は間もなく現実になろうとして
いる。
 だが、出来うるならば、憎きメスブタどもの息の根を止めるのは、自分であるのが理想。
 特に眼の上のコブであり続けた五十嵐里美だけは。あの女だけはこの手で切り捨てねば、
積み重なった怨讐が晴れるとは思えない。
 5人の少女の抹殺を依頼したのは久慈本人ではあったが、と同時に凶獣たちの思い通りに
はさせないという複雑な感情も隠しようもなく渦巻いていた。
 
「さてどうする、久慈よ。このまま探索を続けるか?」

「いや。これ以上里美を探す必要はあるまい」

「ほう、どういう意味だ?」

 怪訝そうな表情がサングラスの下に見てとれる。
 戦闘力に関してはともかく、こと感覚の鋭さにおいては己に分があるようだ。
 柳生の剣術を受け継いだ魔人は、胸の内側でほくそ笑んだ。

「ヤツは逃げてはいない。・・・そこにいるからだッ!」

 黒で統一した痩身の男が、一息で躍動する。
 一直線に向かうは黒い御影石の墓。7mの距離が、まばたきの間に縮まった。
 袈裟切りに真っ二つにされる墓石の向こうで、長い髪の少女が後方に跳びながら右腕を振
る。
 
「くッ!」

 十字手裏剣が乱れ飛ぶ。急襲に失敗した里美の柳眉は、かすかに動揺を見せていた。気配
は完全に消したつもりだった。二度の不意打ちは許さない、久慈の技量をこそ褒めるべきか。
 咄嗟に放った飛び道具は、鈍く光る刀身によって容易く打ち落とされる。
 額に巻いたリボンとポニーテールに纏めた髪とがなびく。距離を取らねば。車輪の勢いで回
る、連続の後方宙返り。新体操の元オリンピック候補生が見せる美技は、金メダリストの演技
を遥かに上回って見えた。飛燕の速度でセーラー服の美肢体が一気に後方へ跳ぶ。
 
 詰める殺人剣の神速の足捌きは、くノ一少女の上をいっていた。
 速い。光速の矢の如く。
 跳び退る里美にピタリと並走した魔剣の遣い手は、その冷たい刃の射程距離に美しき獲物
を捕らえた。
 
 甲高い、金属音が響く。
 首筋に降ろされた魔剣の一撃を、到達寸前、里美は小さなクナイで受け止めていた。
 ギリと奥歯が鳴る。冷たい汗がどっと月の美貌を濡らす。
 逆襲を誓い再戦に臨んだ少女戦士は、瞬く間に劣勢に追い込まれていた。
 
「クハハハハ! 逃げなかったとは愚かだな、里美! 望み通り、このオレ様の手で葬ってくれ
る!」

 突きの連撃。マシンガンの形容が、比喩にならぬ速さと量。
 跳び逃げる。クナイで弾く。2種の防御を複合させねば、守護女神のリーダーといえどとても
凌ぎ切れぬ。セーラーの青カラーと白シャツが切れ端となって宙を舞う。皮膚の表皮が無数に
切り刻まれていく。致命的な攻撃以外の防御は諦めざるを得なかった。一瞬気が抜ければ、
死ぬ。
 プリーツスカートから伸びた長い脚は後方へと下がり続けていた。背中に眼があるように、障
害物を避けて退いていく。広大な青山霊園を選んだのはやはり正解だった。かさになって殺到
する久慈の凶剣を、里美は後ろへ後ろへと逃げ続けた。
 
「挟撃を避けるつもりか?! ならばッ!!」

 守護少女の狙いはわかっている。2vs1を避けたい。久慈と海堂に挟まれるのを嫌うからこ
そ、一直線に下がっているのだ。
 走りながら足元の泥を、日本刀の切っ先が掬う。茶色の飛沫が目潰しとなって玲瓏たる美少
女に降りかかる。
 反射的にスレンダーなボディは、縦に跳躍して泥の飛礫を避けていた。
 重力に引かれて落下するのを魔剣が待つ。構える。落ちてくるはずの里美の肢体は・・・来な
い。
 木の枝に掴まった現代くノ一は樹上に身を躍らせるや、枝伝いに樹から樹へと移動を始め
た。
 
 逃げるかッ、クズめ!
 
 仕留め切れない苛立ちと憎悪が絡み合って、久慈の脊髄を駆け登る。沸騰した血が頭に昇
るのを、久慈自身も自覚した。長きに渡る怨念を晴らす絶好のチャンス。憎しみの深さゆえ
に、勢いづく久慈の足元には確かな隙が生まれていた。
 不意に訪れる、消滅の感覚。
 地面が、ない―――。気付いた時には遅かった。木の葉でカムフラージュされた、落とし穴。
子供騙しの策略に嵌った己への怒りを朱色の顔面に表しながら、黒衣の痩身が短時間で作ら
れた縦穴へと落ちていく。
 
「勝負よ、久慈仁紀!」

 枝を蹴った麗しき少女の肢体が急降下する。
 狭い土中の穴のなか、正義と悪の総帥が同時に飛び込めば決着は必至であった。逃げ場
はない。宿敵の心臓はすぐ眼前に差し出されている。ノーガードの殺し合いを強要される、決
闘の縦穴。いずれか、あるいは両方の命が確実に消える死の穴へ、里美の身体が躊躇なく飛
び込んでいく。
 勝算は、ないわけでもなかった。
 刃渡り80cmに迫る久慈の魔剣は直径1.5mに満たぬ穴のなかでは自在に動かせぬ。長さ
20cmほどの里美のクナイに分があるのは明らかだった。剣術自体に差はあっても、恐らく久
慈を仕留めることは難しくはないはず。
 だが、破壊力に欠けるクナイの一突きで『エデン』の保持者を絶命させるには、しばしの猶予
が必要となることだろう。
 憎悪に衝き動かされる久慈は、即座には逝かぬ。命の残滓を振り絞り、刀身を煌かせよう。
里美を貫くため。あるいはその首を斬り落とすため―――。
 十中八九、死ぬ。里美も、久慈も。
 
“それでいい・・・それで構わないわ。望み通りの、結末よ・・・”

 深遠の瞳に死を決意して、ピンと伸びた美少女の肢体が穴の入り口へと迫る。
 木の葉が噴き上がったのは、その瞬間であった。
 深さ2mに落ちたはずの、黒衣の男が飛び出す。足が空を蹴った瞬間、久慈の右手は剣を
大地に突き刺していた。落下する肉体を支え、逆に反動で一気に飛び上がる。急降下する里
美にとって、浮き上がる久慈の動きはくしくもカウンターの迎撃となった。
 徒手となった久慈の右手が、急降下と急上昇の加速を掛け合わせてセーラー服の鳩尾に撃
ち込まれる。
 異物が腹部に埋まる圧迫は、一瞬で里美を襲っていた。
 拳が胃まで到達する衝撃に、白く長い四肢が壊れたようにバラバラと踊る。
 
「ぐううぅゥッッ!!! あぐゥッ?! ッッ〜〜〜〜ッッッ!!」

 ドシャリと背中から大地に激突した美少女が腹部を押さえて悶え転がる。胃が破れてしまっ
たのではないかと思われた。立とうにも苦痛で意識が集中できない。
 黒の革靴が、突然眼の前に現れた。
 咄嗟に差し出した腕のガードごと、スレンダーな制服姿が蹴り飛ばされる。赤い飛沫が舞っ
た。濡れた泥土の上を10mは少女の肢体が滑り転がる。捨てられた仔犬のように。
 
「がはァッ!!・・・ううゥッ・・・あァッ!!・・・」

「解体してくれるわッ・・・忌々しい雌ネズミが」

 大地に刺さったままの凶剣を引き抜き、眼を血走らせた魔人が歩を進める。肢体を引き攣ら
せた、くノ一少女の元へ。吐血か額から流れた血か、美貌を朱色に染めた五十嵐里美は、た
だ全身を駆ける痛みに耐えるように横臥した肉体を震わせている。
 ぬかるみに転がる守護少女に迫る、魔剣の遣い手。
 禍々しき光を放つ刀身を振り上げる。狙うは里美の、心臓。終わり、か―――切れ長の瞳に
刹那よぎる、絶望の色。
 
 変化が起こったのは、その時であった。
 墓の影から身を躍らせた、白いスーツの男。海堂一美。迂回して先回りした兇悪ヤクザが、
美しき獲物を仕留めんと決着の場に現れる。
 久慈と海堂に挟まれる、最悪の形。
 危惧していた事態に陥り、絶望をより濃くするのは本来少女戦士のはずであった。
 
“こやつ・・・オレ様の獲物を横取りする気かッッ!!”

 だが動揺と隙を顕著に表したのは、より有利になったはずの久慈の方―――
 跳ね上がる、新体操戦士の肢体。
 ロケットのごとく突き上がった長い脚が魔人の顎を打ち砕く。下から上へ。浮き上がった久慈
が数瞬意識を飛ばす間に、現代くノ一は樹上の緑のなかに姿を消した。
 
「おオッ・・・オオオ・・・おのれェェッッ〜〜〜ッッ!!!」

 焦点の定まった血色の視線で闇の王が見上げる。ない。生い茂る葉に隠れたセーラー服が
どこにも見当たらない。忍びの末裔にとってここはホームグラウンドなのか。必ずくる反撃に備
えて、抜き身の刃が緊張に凍りつく。
 だが五十嵐里美の取った逆襲の一手は、凶魔たちの予想の外にあるものだった。
 
 音もなく、葉の間からスレンダーな肢体を急降下させるくノ一戦士。
 いつの間に、移動していたのか。
 里美が急襲したのは黒衣の魔人ではなく、海堂一美の背後であった。
 
「後ろだァッッッ!!!」

 日本最凶を冠する冷酷な暗殺者も、連綿と技術を受け継いだ忍びの気配を察知することは
できなかった。
 咄嗟に飛び出ていた久慈の叫びと、脅威的な海堂の身体能力。ふたつが掛け合わされてい
なければ、里美のクナイは凶魔の心臓に達していたのかもしれない。
 弾丸を凌駕する速度で、白スーツの極道者は独楽のように回転していた。
 振り返りざまの、右の裏拳。
 巨大な拳は棍棒を振り回すかのようであった。
 
 背後に迫った襲撃者に“最凶の右手”がヒットした瞬間、落下物は轟音とともに四散した。
 
“墓石・・・だとッ?! 変わり身の術かッ!!”

 くノ一の戦術を悟る海堂のサングラスに、砕け散る花崗岩の奥から現れた玲瓏な美貌が映り
込む。
 死を司る女神は、これほどまでに美しいのか。
 最大の武器である右手を発射し終え、開ききった凶魔の身体の正面に刃を光らせた聖少女
が降り立つ。
 
 ザクン!!という裁断の音色と、縦一直線に走る銀の光芒。
 頭頂から股下まで、里美が手にしたクナイは一息に振り下ろされていた。
 
“・・・浅い・・・ッ!!”

 後ろに跳ね飛んだ長髪の少女が、危険区域から距離を取る。
 海堂の正中線、身体の中心から鮮血が噴き出したのは、数瞬空いてのことだった。
 胸の中央から下腹部まで。裂けたスーツの間から確かに真っ赤な色をした血潮が、ブシュブ
シュと濡れた大地に落ちていく。
 
「・・・切ったか。このオレを。女子高生の小娘がな」

 日本で最も恐れられている侠客の声が、低く雨の霊園に流れていく。
 憎悪に駆られる久慈を落とし穴に仕掛けることには成功した。
 気配を断ち、忍びの術を駆使し、海堂の虚を突くことにも成功した。
 だが結果的に里美が得た戦果は、久慈の顎にハードヒットを一撃と、海堂の表面の肉をわ
ずかに削るのみ。
 智略と技術を出し尽くした先に守護女神を待っていたのは、憤怒と憎悪の闇をさらに濃密に
させた魔人と凶魔に、挟み撃ちにされた最悪の状況であった。
 
「くッ・・・・・・ううゥ・・・・・・」

「もはや逃げられんぞ、五十嵐里美」

「このオレに血を流させた代償、高くつくぞ」

 ジリジリと迫る二匹の悪魔に挟まれて、美麗なる少女戦士の顎から大粒の汗が滴り落ちた。
 
 柔らかな乙女の肉を穿つ凄惨な響きは、その後数十分に渡り、途絶えることなく雨に沈む青
山霊園にこだました。
 
 
 
「ちょっとォ〜、どこ行ってたのよォ〜?」

 うさぎの被り物を手にふらりとスタジオに戻ってきたスカーフェイスのジョーに、神崎ちゆりは
不満げな口調を抑えながら言った。
 いつ五十嵐里美が現れるかもしれないというのに、随分と脇の甘い男だ。内心の呆れ顔を、
必死に『闇豹』は隠していた。苛立ちだけはとっくにピークを迎えているこの疵面ヤクザを挑発
などすれば、敵味方関係なく八つ裂きにされる。ジョーこと城誠が隙を見せているのは、ただ単
にテレビ局の分厚いセキュリティを信じ切っているからに過ぎない。自分たちのように正面から
力づくで突破するのならともかく、現代くノ一とはいえアリ一匹逃さぬ監視網を潜り抜けることが
できるとは思っていないのだ。だからこそ大切な人質のもとを平然と離れることもできるのだろ
う。
 だが五十嵐里美の忍びの腕を知るちゆりとしては、そんな余裕ある態度は取れそうになかっ
た。
 不意に目の前に現れる可能性だってなくはない。気がつけば、藤木七菜江の姿が消えてい
た、なんて事態もあるかもしれない。
 久慈と海堂が渋谷に向かって数十分が経った今でも頭に血が昇ったままのジョーの近くにい
るのは心臓に悪いが・・・といっていざ闘いとなれば、これほど力強い者もいない。
 いつあるかもしれない襲撃に張っていた気が、ジョーが戻るとともに緩むのを金髪のコギャル
は自覚した。
 
「とりあえず、今のトコはなにも変化ないけどさァ〜・・・あのクソ女は忍者らしいからねェ〜。こう
いうトコに潜入するのも得意らしいよォ〜」

「あァ? フジテレビご自慢のセキュリティシステムってやつが動いてんだろォッ?!」

「メフェレスがいうには、カメラ36台と赤外線センサー24箇所が作動してるらしいけどさァ・・・」

「んじゃ誰が忍びこめるってんだッ?! あッ? どいつが来ようと、ここに入った瞬間わかるだ
ろうがよッ」

 言葉とは裏腹に、誰も来訪者がないことが疵面の殺人鬼を苛立たせているのは明らかであ
った。
 五十嵐里美が渋谷に出現すると予想した久慈に反するように、ジョーは藤木七菜江の側を
離れないことを主張した。若造の鼻を明かすには、守護天使のリーダーには是が非でもこちら
に来てもらわねばならない。
 実際のところ、里美が危険を省みずに七菜江救出に現れるかどうかはわからなかった。いち
いち考えることは、ジョーには面倒臭かった。ただ自信満々に能書きを垂れる若造が、気に入
らなかっただけだ。
 
 来い。五十嵐里美。大事な仲間を助けにここへ来い。
 来たが最後、お前は・・・死ぬのだ。このオレの手によってなあ。
 
 悔しさに震える久慈と、女神と謳われる少女の惨殺体とを想像し、ケロイドに崩れた顔に一
瞬愉悦が走る。
 渡しちゃならねえ。極上中の極上品を。あんな小僧にくれてたまるか。海堂さんにだっていい
思いはさせねえ。人類の守護者と崇められ、希望を一身に背負う小娘どものリーダー。これ以
上に快感を覚える殺傷は、二度と味わえることはないだろう。
 ドス黒く歪んだ表情をうさぎの着ぐるみが覆い隠す。
 恐竜のごとき分厚い肉体にうさぎの頭を乗せた凶獣は、処刑台に吊るされた虜囚少女のもと
へと踏み出して行った。
 
 絞首刑状態で吊るされた藤木七菜江の命は、まだ繋ぎとめられていた。
 浮かんだ汗で豊満な生身が全身濡れ光り、痙攣が足の指先まで覆っている。顔に被せられ
た黒いゴミ袋の隙間からは白い泡がとめどなくこぼれ落ちていった。首と両手首に食い込む枷
が、疲弊した少女の肉体と生命を蝕んでいるのは明らかであった。
 常人ならとうに事切れている。
 『エデン』の力か。あるいは七菜江の生まれ持つ、並外れた生命力ならではか。死に掛けの
少女はそれでもまだ生きていた。音声は切られたものの、青いファントムガールの正体である
少女の公開処刑は、刻々とフジテレビのネットワークを利用して放映され続けている。
 
「ちょッ・・・な、なにする気よォ?!」

「グダグダと、かったりィんだよォッ! あめェことやってるから、でてきやがらねえんだ」

 画面の端からうさぎの着ぐるみを被った紫スーツの男が登場する。予想外の展開に、視線を
テレビに釘付けにされていた人々が色めき立ったのは数瞬のことであった。
 驚きはすぐに、絶望となって視聴者の心に広がっていった。
 ごつい両手が少女の細い足首を掴む。空中に吊られた足を。
 厚い肉体から生まれる怪力は、首吊り少女の肉体を強引に下方へ引っ張った。
 
「グオオオ゛オ゛オ゛ッッ・・・オオオオオッッ・・・・・・ゴボオッッ!!・・・グブウッッ!!」

 肉感的ながら小柄な少女の肢体が、引き千切れそうに長く伸びる。細い首に血管が浮き上
がる。
 苛立ったスカーフェイスは実力行使を始めたのだ。
 いつまでも仲間を助けに来ないのなら、藤木七菜江を殺してやる、と。
 絞首刑での処刑にまだ時間が掛かることを察したジョーは、力づくで聖少女の残りわずかな
命を奪い取りに掛かったのだ。
 
「なッ、なにしてんのォ?! そいつ、死んじまうよォッ?! 人質としての価値が・・・」

「こうすりゃヤツもとっとと出てくるだろ。ギャハハハハ! 死ぬならそれまでだァッ!」

「グブッッ!!・・・ビグウッッ!!・・・ゴホオッ!! オオオッッ・・・アアッッ・・・」

「オラァッ、早く来いやァッ、ファントムガールのリーダーさんよォッ!! ゲハハハハハ!」

 ゴミ袋の表面に浮き上がる、断末魔の苦悶の表情。
 呼吸ができないだけではない。七菜江の首の骨は、ボキリと折れる寸前であった。
 涙と涎と鼻水と・・・大量に溢れる己の体液のなかで、溺れたアスリート少女の意識がブツリと
途切れる。ヒクヒクと奇妙に折れ曲がっていた指が、その動きを止めた。失神した女子高生に
も殺人鬼は容赦がなかった。弛緩した肢体にさらに力を加えるや、首ごともげそうな少女を一
息に縊死に導いていく。
 
 本気だ。本気でスカーフェイスのジョーはファントムガール・ナナこと藤木七菜江をこの場で始
末しようとしている。
 死に近付けば近付くほど、きっと五十嵐里美が現れると信じているのだ。いや、最悪現れなく
ても、聖なる少女戦士のひとりを殺せる快感に浸れるなら構わないと思っているのだ。
 濃いマスカラに彩られた『闇豹』の視線が反射的に監視カメラのモニターに飛ぶ。転がった死
体以外、なにも映ってはいなかった。やはり来ないか。このまま守護天使のひとりは末期を迎
えるのか。散々煮え湯を飲まされた宿敵の呆気ない最期に、複雑な感情がちゆりの心に芽生
える。
 
 ビクンッ!!・・・
 
 己の体液で濡れ光る虜囚少女の肉体が、引き攣るように大きく動く。
 その瞬間、であった。
 
 激しい震動が『闇豹』の身体を、いや、スタジオ全体を包み込む。
 地震か?! 再度モニターに眼を向ける。なにも映ってはいない。ただ画面が揺れているの
み。いや、違う。大きな変化にちゆりは気付いた。
 いくつかの画面が消えている。配線が切れたことを示すように、ザーザーと砂嵐が映ってい
る。
 震動の第二波はすぐさま続いた。
 あやうく尻餅をつきそうになり、エナメル質の高いヒールで踏みとどまる。視界の隅で疵面ヤ
クザが動揺するのが見えた。この騒ぎはたった今ひとを殺そうとしていた兇悪獣にとっても、意
表を突かれたものだったのか。いくつかのモニターがさらに回線不良となるなかで、『闇豹』の
眼は見逃さなかった。
 
 監視カメラに映る、巨大な銀色の手を。
 事態を飲み込んだ瞬間、今までとは比べ物にならぬ巨大な震動が足元からせりあがる。
 壁に走る亀裂。天井が崩れ落ちてくるなか、神崎ちゆりは壁を突き破って銀色の巨大な手が
現れるのを見た。
 
「待たせて・・・悪かったわね。こっちにもいろいろ・・・あったのよ」

 雨の東京湾。お台場、フジテレビ。ガラガラと崩壊する社屋の一部から、右手を引き抜いた
巨大な女神が囁くように声を掛ける。
 握っていた右手をそっと開く。
 そこには拷問の限りを尽くされた全裸の少女が、絞首刑から解放された肢体を静かに横た
わらせていた。
 
「ただ・・・生きて帰れるかどうかは・・・これからが本番、みたいね」

 印象的なフジテレビの社屋の傍ら、膝立ちで屈んでいた銀とオレンジの女神はゆっくりと立ち
上がる。
 装甲天使、ファントムガール・アリス。
 端整な無表情のマスクが見詰める先には、銀の体毛を生やした巨大な豹女と、両腕が鋭い
象牙に変化した疵面の凶獣とが、東京湾の浅瀬のなかに立ち塞がっていた。
 
 
 
 肉を潰す重い響きが、清閑な空間に流れる。
 穿つような、抉るような。聞く者の腹腔にまで届いてくる重低音は、途絶えることなく続いてい
る。かれこれ一時間近くは経っただろうか。避難警報が発令され、無人のはずの青山霊園の
一角。耳を澄ましていれば、重い響きの正体がひとを殴っている打撃音だとわかる。驟雨に煙
る静寂の墓地に、殴打の鎮魂歌は一定のリズムを刻んで奏でられていた。
 時折混ざる、なにかが倒れる音と可憐さを仄めかしたかすかな呻き。
 もし墓影でじっと数種類の音を聞いている者がいたら、墓地のなかでひとりの少女が凄惨な
リンチに遭っている事実に気付くのに、さほどの時間は要らなかっただろう。
 
 手も足も、でなかった。
 幼少のころより五十嵐里美は実技においても理論においても戦闘を学んできた。1対1の場
面を想定することなど稀であった。実戦においては対多数のシチュエーションが圧倒的に多い
のが現実だからだ。複数の敵に囲まれた場合の闘い方も、里美はとうに熟知しているはずで
あった。
 相手が、悪すぎた。
 同等以上の戦闘力を持つ悪魔二匹に挟まれた里美に勝機などなかった。一方の攻撃をか
わすだけで精一杯の美戦士の背後を、もうひとりが狙い打つ。耐えることができたのは数度ま
でだった。背骨への一撃をまともに食らった里美の動きは、ガクンと落ちた。翼をもがれた小
鳥のように。飛ぶ手段を失った鳥を仕留めるのは容易い。単なる的と変わり果てた女神の化
身を、暴力の嵐が飲み込んでいった。
 白のシャツに青いカラーとプリーツスカート。聖愛学院指定のセーラー服はところどころが破
れ、裂け目から覗く雪肌には紫の痣が浮かんでいた。
 唇の端から垂れた鮮血が、細首を伝って胸元までを染めている。
 背後から最凶のヤクザに羽交い絞めにされた麗しき戦士は、身動きひとつさせることなく、狂
ったように放たれる久慈仁紀のブローをその身に浴び続けていた。
 
 ドボオッッ!! 鳩尾に拳が埋まる。
 グシャアッッ!! 形のいい乳房が潰される。
 ボギイッッ!! 浮き上がった肋骨が嫌な音をたてる。
 
 魔人の拳が美少女に突き刺さるたび、吐血の飛沫がピンク色の唇を割った。
 三桁に上る打撃の嵐。心なしか里美の溜め息の出るようなボディラインが歪んで見える。
 内臓も骨格も筋肉も皮膚組織も・・・全てが軋んだ悲鳴をあげるなか、とっくに失神している美
麗女神は濁った瞳でただ暴虐を受けるしかなかった。
 
「そろそろ交代だ、久慈」

「フン、仕方あるまいな」

 海堂一美が拘束を解くや、ストレートの髪をなびかせた敗北天使がゆっくりと大地に崩れ落
ちる。
 もはや闘いはリンチを経て、嬲り殺しの段階に突入していた。
 片方が捕らえ、もう一方が破壊を楽しむ。戦闘不能に陥った里美をいたぶる時間が延々と繰
り返されていた。魔人と凶魔にとっての至福の時。ファントムガールのリーダーが苦悶に震え、
その身体を拳で抉るたびに死に向かっていくのがわかる。
 
“か、身体・・・が・・・・・・鉛の・・・よう・・・・・・”

 冷たい水溜まりに突っ伏したことで、美麗少女の意識は混乱しながらも戻っていた。
 全身余すところなく押し寄せてくる痛覚に、大脳が麻痺を始めていた。筋組織も細胞も、バラ
バラに引き千切られたような、痛み。深く体幹にまで沁みこんだ殴打のダメージが、重さと錯覚
して感じられる。ズキズキと疼く激痛と熱さ。身体の内部が締め付けられるような苦しみに、内
臓にまで痣が出来たかのようだ。
 なにか言葉を発しようと、潤んだ唇が開く。
 ヒクヒクと震える桃色の口からこぼれたのは、ドロリとした血の塊であった。
 
“・・・私・・・は・・・・・・殺される・・・のね・・・・・・”

 浮揚感が動けぬ肉体を捉える。背中から胸へと回された悪鬼の手が、強引に抱き上げたの
だとすぐに知れた。
 柔らかな丸みを帯びた乙女の乳房を乱暴に揉みしだきながら、背後で久慈がゲラゲラと笑っ
ている。
 屈辱に身を焼かれながら、里美にできることは何もなかった。無理矢理に立ち上がらされ、
胸への愛撫を甘受する。ボトボトと垂れ落ちる血の糸を、虚ろな漆黒の瞳は黙って見詰めるの
みだった。
 
 誰も、救うことはできなかった。
 桃子が殺された。七菜江も殺される。私のせいで、汚れなき少女たちが儚く命を散らしてい
く。
 この国を守るために生まれた私は、結局何も守れずに惨めにこの地で死んでいくのだ・・・
 
「あアッッ・・・アアアッ・・・アアアッッ―――ッッ!!!」

 嫌よ。
 そんなのは、嫌。死ぬのは構わない。でも、何もできずに死んでいくわけにはいかない。
 
 醒めるほどに美しい少女が、動物のように咆哮する。
 予想外の出来事であった。悪魔どもにとっても。里美自身にとっても。まだこれだけの力が残
されていたなんて。御庭番の末裔として育てられた強い信念が、肉体を越えて衝き動かす。動
かなくなったはずの少女戦士が再び躍動する。
 
 油断し切っていた久慈の拘束には、隙があった。
 戒めをすり抜ける。脱出する。瞬間、くノ一の脚は強く大地を蹴っていた。
 生い茂る樹上の梢へ。緑のなかに身を潜らせれば、気配を絶って行方をくらますことができ
る。
 今の里美にできることは、逃げることだけであった。勝利はおろか、道連れすら不可能。一旦
退いて態勢を整える以外に、取るべき道はない。一縷の希望を残すために、やむなき逃亡の
道を女神は選択する。
 
「あッッ?!」

「バカがッッ!! 何度も同じ手が通用するかッッ!!」

 跳躍した里美の前後を挟んで、久慈と海堂もまた、上空に躍り上がっていた。
 塞がれた。脱出の、道を。
 広葉樹の枝に届く前に、現代くノ一の肢体は恐るべき悪鬼二匹の手に堕ちた。両腕の手首
を海堂、両足首を久慈が掴む。力無い美乙女のスレンダーな身体を、大地と水平に一直線に
引っ張り伸ばす。
 
「ああッッ?! ああ、アアアッッ―――ッッ!!!」

 四肢を伸ばした無防備な体勢で、ボロボロのセーラー少女が地球に引かれて落ちていく。
 待ち受けるは、頭ひとつ高い花崗岩の、墓石。
 悪魔二匹と己の体重、その全てを加速をつけて、里美の背中が硬い石の杭に叩きつけられ
る。
 
 ボゴオオオオオォォォッッッ!!!
 
 生身の肉を打ったとは思えぬ轟音が、青山霊園全体に響き渡る。
 死者が眠る敬虔な場所に、あまりに相応しくない残酷な光景が現出していた。
 背中を支点に墓石上に捧げられた、美麗なる長髪の少女。
 柳のようなしなやかな肢体が、ほぼ180度に反り曲がってしまっていた。
 ローファーの踵とポニーテールの後頭部がくっついている。横から眺めればゼロの字を描い
た美少女の肢体。広大な墓地に突如現れたオブジェは、残酷すぎるものであった。
 
「・・・ァ・・・・・・ぁがッ・・・・・・ア・・・アッ・・・・・・」

「まだ生きているか。さすがは新体操の五輪候補生だったというだけある」

 瞳と口を開き、ヒクヒクと痙攣する折れ曲がった女神に、サングラスの凶魔が手を伸ばす。
 頭を下にした里美の上半身、そのセーラー服を一息にずり下げる。黒の下着から、乙女の
美乳がまろび出る。
 全身を脱力させ、墓石の一部となってぶら下がった里美の乳房を、貪るように海堂は撫で回
した。
 
「ヒャハハハハ! いい姿だな、五十嵐里美!」

 哄笑する久慈の顔が、プリーツスカートから覗く漆黒のショーツへと近付いていく。
 だらしなく白い太腿を投げ出したくノ一少女。付け根の中央に、生地越しにもわかる乙女の秘
裂が窪んでいる。
 性戯に長けた真っ赤な舌は、遠慮することなく敗北女神のクレヴァスを舐め上げ始めた。
 胸と下腹部から送られる官能の刺激。度重なる暴虐によって理性も体力も吹き飛んだ剥き
出しの乙女の中枢に、桃色の電撃は容赦なく射出されていく。心身とも擦り削り取られた里美
のガードでは、トドメの愛撫に耐えることなどできなかった。
 
「・・・ぁッ・・・・・・ひぅッ・・・・・・んあぁッ・・・・・・ひぐッ、ぅああ・・・」

 ぴちゃ・・・ピチャ・・・クチュ・・・
 執拗な舌責めに溢れた愛蜜が、ショーツの端から染み出していく。
 おもむろにスラックスのジッパーを下げた鋭利なヤクザは、その兇悪なまでに長い剛直を一
気に乙女の半開きの口腔に突き入れた。
 
「おぶううぅッッッ?!!」

「もう抵抗もできないようだな。終わりだ、五十嵐里美。このまま快楽を心ゆくまで愉しめ。ファ
ントムガール・サクラと同様、劣情に身を焦がしながら息絶えるがいい」

 口と胸と下腹部と。犯されながら里美は、もはやよがり悶えるしかなかった。
 官能に貫かれながら、惨めに体力を枯らして死んでいく・・・それが守護天使としての使命を
背負った者の、残酷な末路。
 
“あくッ・・・あ・・・アア・・・か、身体が・・・・・・も・・・う・・・・・・”

 背骨に受けた破壊の衝撃で、麻痺が全身を覆っていた。
 柔軟性に富んだ里美の身体であっても、ほぼ折り畳まれた姿勢を長時間強いられるのは苦
痛でしかない。軋む背中がいつボキリとふたつに折れても不思議ではなかった。無理な体勢で
肺が圧迫され、呼吸すらままならぬ。異形の肉棒で咽喉奥まで塞がれた今は、ほとんど酸素を
取り込めなかった。
 殴打による痛みと背折りによる苦しみ。ボロキレと化した里美の精神に、強引に注入される
快楽の刺激。
 死を間近に控えた肉体が確かに悦んでいるのを自覚しながら、里美の心が漆黒の闇に飲み
込まれていく。
 
“・・・この・・・まま・・・・・・犯され・・・ながら・・・・・・私は・・・死ぬ・・・・・・”

 光を失った切れ長の瞳から、すっと透明な雫が逆さまになった額に向かって落ちた。
 
「威勢がよかったわりには、随分惨めな格好じゃない」

 妖しさを秘めたアルトの声が、嬲りの場と化した霊園を硬直させる。
 反射的に一度鞘に収めた刀の柄に手をかけながら、久慈仁紀は声の主を振り返った。
 
「・・・貴様、逃げたとばかり思っていたが」

「そのつもりだったんだけどね。カワイイ生徒を置き去りにはできないでしょ?」

 濁っていた里美の瞳に、かすかに戻る光。
 聞き違いではない。幻覚でもない。
 徐々に焦点が定まっていく視線の先で、深紅のスーツを纏った長髪の美女は場違いなまで
の妖艶を振り撒いて佇んでいた。
 
「里美、悪いけどあなたの願いは受けられないわ。藤木七菜江を救出するにはここから距離が
ありすぎる。他のコたちといっても、所在がわからないんじゃ助けようもないしね」

「・・・・・・き、響・・・子・・・?・・・・・・」

「だから、まずはあなたから助けることにするわ。コレが先生が導き出した模範解答よ。最終的
にこいつらに勝利するためのね」

「ハッ、柄にもなく女狐が恩師気取りか! 響子よ、己の本分もわきまえずに行動する奴は早
死にするぞ」

 薄い唇を吊り上げた久慈の笑みには余裕がこびりついていた。
 泥と痣とで黒ずんだ裸体を真紅のスーツで包んだ美女の姿は、レイプ後のそれとしか映らな
かった。白いリボンを三角巾代わりに吊られた右腕。肋骨の数本が折れていることも確認済み
だ。
 モデル風の美貌にどこか見下した視線が戻っていようとも、片倉響子の肉体が重大なダメー
ジを被っている事実に変わりはない。万全の状態であっても圧倒した相手が、満身創痍となっ
て再び目の前に対峙しているのだ。悪鬼の王には狩りの獲物が自ら進み出たとしか思えなか
った。
 
「・・・・・・な・・・ぜ?・・・逃げ・・・て・・・・・・」

「安心しなさい、里美。ここに来たのは、あなたに同情したからでも、甘ったるい師弟愛に目覚
めたからでもない。あなた言ったわよね? 勝ち目のない闘いなら私は避ける主義だろうって」

 くノ一少女の乳房に食い込んでいた右手の指を、海堂が無言で引き抜く。
 
「その通り。勝算がなければ私は闘わないわ。今は、多くはないけどなくはない。それだけのこ
とよ」

 突っかかったのは殺人剣の使い手ではなく、“最凶の右手”であった。
 響子の台詞を戦闘再開の合図と取った海堂が、躊躇うことなく一直線に駆ける。
 
「もらうぞ。足りないんでな」

 走りざま残した言葉は久慈へのものであった。
 守護天使のリーダーと智略に長けた天才女学者。これほどの極上品にありつけるチャンスな
ど、もはや二度とないかもしれぬ。
 足りなかった。喰い足りなかった。このまま瀕死の女子高生一匹殺したところで満足できなか
った。久慈が五十嵐里美に特別な感情を抱いているのはわかっている。ならばもうひとつの獲
物は、自分好みの調理法で存分に堪能させてもらおうじゃないか。
 片倉響子。面白い糸の技を使う女。だが『エデン』の力を授かった自分には到底及ばぬ。ま
して片腕を失った今、その攻撃力は半減以下―――
 
 紅いスーツの左腕が上がる。突進を妨げる斬糸が四方から乱れ飛ぶ。やはり。明らかにそ
の数は緒戦の折より減っていた。“最凶の右手”を手刀の形へ。視界の隅で墓石が豆腐のよう
に切れていくのが映る。
 
「芸のないことだ」

 振り降ろした凶魔の右手が、刃より鋭い妖糸の束を一撃で両断していた。
 鋼線より強い斬糸を素手で断つか。いや、工藤吼介も藤木七菜江もこの偉業はすでに成し
遂げている。悪魔の右手を持つ者ならむしろ当然の帰結。2mまで迫った先で、彫りの深い美
女の瞳が大きく見開かれる。
 
 思った通り――
 久慈にも海堂にも糸の攻撃が通用しないのはわかっていた。まして折れた右腕は動かない。
脅威を感じていない相手は容赦なく懐に飛び込んでくる。
 活路はきっと、そこにあると思っていた。
 響子の左腕が動かしたのは、無数の斬糸だけではなかった。
 
 ザクザクザクザクンンッッ!!!
 
 白スーツの全身に、数え切れぬ朱線が縦横無尽に刻まれる。
 折れた右腕が、動いていた。
 巧みに斬糸を操る右腕には、目に見えない極細の糸が左手の指先から繋がっている。我が
身を我が手で操るマリオネット。判断を誤った最凶ヤクザの全身から、かつてない量の血が一
斉に噴き出す。
 恐らく、海堂一美の血をこれほど流させたのは、片倉響子の後にも先にもいるまい。
 
「こう、こなくてはな」

「なッ?!」

 総毛だったのは罠に嵌めたはずの女教師の方であった。
 絡みついた妖糸をブチブチと凶魔の右腕が引き千切っていく。力任せに。
 皮膚を切り裂く千本単位の斬糸を右手で掴み千切りながら、サングラスの凶魔が残る響子ま
での距離を一気に詰めた。
 迫撃砲のごとき轟音が、清閑とした霊園を震わせる。
 真紅のスーツの上から腹部を突き上げた海堂のボディーブローが、美妖女の肢体を80cmは
上空に浮かせる。
 
 ゴボオオオオオォォォッッッ・・・!!
 
 鮮血と胃液の混ざった吐瀉物が一息に潤んだ唇を割って吐き出される。
 胃袋の潰れる苦痛に、立ち尽くしたままビクビクと痙攣する妖艶な美女。身体の中心が捩れ
るような苦しみに失神すら許されなかった。ただ、ヒュウヒュウと息を吐くのみ。それでも『エデ
ン』による超人的な体力を授かっていなければ、絡んだ妖糸が海堂の突撃を妨げていなけれ
ば、響子の腹部は突き破られて絶命していた。
 “最凶の右手”の一撃を受けて、女教師はただ立っているしかなかった。
 棒立ちの響子に次なる一撃を避ける手段はない。死。もう一度海堂の打撃を食らえば、いか
に『エデン』の寄生者でも命は繋げぬ。だが悪魔の右手を持つヤクザは、トドメの追撃を仕掛
けてこなかった。
 
 黄金色に光る5cmほどの針が8本、“最凶の右手”の指にも甲にも突き刺さっている。
 まるでハリネズミのようであった。“金剛糸”。猛毒により激痛を引き起こす響子の拷問具。触
れるだけで悲鳴をあげる極痛針にわずかでも刺されれば、気の弱い者ならショック死は免れ
ぬ。それを8本も突き刺されて、さすがの海堂も平然といられるわけがなかった。
 紅いスーツの裏、仕込んでおいた万一の仕掛け。
 もし海堂が響子の顔面に一撃を浴びせていたなら、勝負は決していた。虐げることに歓喜を
見出す凶魔の性癖ならば、一撃で終わる顔面より苦しみが長く続く腹部を狙うはず。希望にも
似た予想から忍ばせておいた猛毒の糸針が、天才生物学者の命脈をすんでのところで引き延
ばす。
 
 小刻みに震え続ける響子と、黙り込んだまま硬直する海堂。
 激しい衝突の後、停滞の時間が闘いの空間に訪れている。
 
 チャンスだ。
 久慈の脳裏に明滅する、喜悦の信号。勝利を引き寄せる絶好の機会が訪れたことを、死の
遣り取りに慣れた肉体が教えてくれる。
 動けぬ片倉響子を仕留めるチャンス、ではない。
 五十嵐里美を思うがままに殺せるチャンス。
 海堂が自由に動けぬ今は、誰に邪魔されることなく憎き宿敵を嬲り殺すことができるのだ。
抜け駆け的に響子を襲った海堂に、文句を唱える権利はあるまい。殺せる。この手で、忌々し
い守護天使を。願わくば内臓の全てが粉になるほど責め抜いてやりたかったが、もはや鬱憤
晴らしには拘らぬ。殺すこと。その存在を消し去ること。成すべき最も重要なことが、苦汁から
這い上がった久慈には見えている。
 
 一気に真剣を抜いた。冷たい光が雨を弾く。
 振り返りざま、墓石の上で逆に折れ曲がった美少女の首に死の斬撃が飛び掛る。
 動けない。はずであった。全てを枯らした五十嵐里美に、回避は不能―――
 
 兇刃が美貌を跳ね飛ばす寸前、悪鬼の王が見たものは闘う少女の凛とした眼光であった。
 跳ね上がったセーラー服の上半身を素通りして、魔剣が花崗岩の墓石を打ち砕く。
 バカなッ?! 驚愕。焦燥。瞬時に浮かぶ、疑問への回答。
 あの時か。一瞬の隙を突き、樹上へと逃れようとした刹那の自由時間。久慈と海堂に再び捕
らえられるわずかな合間に、伊賀忍び秘伝の回復薬・万能丸を含んでいたか。
 ようやくの体力回復と助っ人登場による気力の復活。
 絡み合ったふたつの要素が、死に掛けの肉体を蘇らせたのか。
 
 墓石の串から脱した少女戦士が脚から着地する。怜悧な瞳に輝く戦意。右手に握った鋼鉄
のクナイ。戦闘態勢が整うのは、里美と久慈でほぼ互角。
 大地を蹴る。正面から飛び込んだのは、両者同時であった。激突の音色が雨の墓地に響く。
 二合、三合。忍者の剣状鉄器と柳生の兇剣が火花を散らす。力を若干戻したとはいえ、暴虐
に晒され続けた里美が不利にあるのは否めない現実。
 澄んだ響きを残して、戦女神のクナイは魔人の刀に弾き飛ばされていた。
 
「死ね」

 空気が裂ける、音がした。
 錐揉み状に突き出された日本刀が美少女の咽喉元を狙う。近い。完全なる射程圏。常人に
は光にしか見えぬ超高速の突き。冴える美貌が瞬間凍る。
 里美の身体は消えていた。
 違う。崩れたのだ。いや、それも違う。沈んだのだ。すらりと伸びた脚を前後に割って。元新
体操選手ならではの驚愕の柔軟性。身を屈めたのならば斬撃は避けられなかっただろう。重
力に引かれるまま腰から上の身体を「落とした」。それこそが最速の回避術。
 久慈の脳裏をかすめ過ぎる、かつての記憶。あった。以前にも。際立った柔軟性で剣撃をか
わした里美。その直後、襲い来たものは・・・!!
 
 やはり来たかァッッ!!!
 下から上へ。沈んだセーラー服が反転急上昇する。久慈の真下、懐の内。隠し持ったチタン
合金製のバトンが新体操少女の右手に。魔人の尖ったガラ空きの顎に、逆襲の打撃が吸い
込まれていく。
 
 一度喰らった攻撃を二度もらうほど、漆黒の魔人は甘くはなかった。
 顎に届く数cm先で、冷たい刀身は迫る金属棒を受け止めていた。
 ガキーンンン・・・衝撃が震動となって空間を駆ける。
 細胞にかつての記憶が擦り込まれていなければ、里美の反撃は久慈の顔面に届いていただ
ろう。柳生の血を継ぐ者の、確かな戦闘力。奇跡的な反抗の一打すら、この男には通じないと
いうのか。
 勝った。
 薄い唇が歓喜に捲れあがる、その瞬間であった。
 
 里美の白い指先がバトンを放つ。
 加速のついていた特殊金属の棍棒が投げられる。軽く、しかし硬いバトンは回転しながらそ
の進撃を止めなかった。
 天に向かって打ち上げられたバトンが尖った顎を砕く響きは、やけに乾いたものだった。
 
 カシュンッッ!!!
 
 仰け反る魔人。噴き出る血潮。
 怨嗟の叫びをあげる久慈をひとり地上に残し、美しき少女は白鳥のごとく雨降る空に舞って
いた。
 左手に残るもう一本のバトン。急降下とともに振り落とされる正義の鉄槌。桃色の唇が裂帛
の気合いを咆哮する。棍棒の一撃を頭頂へ。
 携帯用の隠し武器として開発された特殊金属のバトンは硬いが、軽い。それゆえにダメージ
は激しいが、浅い。
 口腔を吐血で満たした魔人は怒号を轟かせながら、上空から襲うバトンを力任せに兇剣で薙
ぎ払った。
 
「きィさァッ・・・まアアアァァッッ〜〜〜〜ッッ!!!」

 切れ長の闘志の瞳と、憎悪に燃える眼光が至近距離で交錯する。
 パシッッ! という軽やかな音があがったのはその時であった。
 高く掲げた里美の右手に握られた、バトン。
 久慈の顎を砕き、天に向かって高々と投げられた金属の棍棒は、まるで計算され尽くされて
いたかのように持ち主の少女の手元に戻っていた。
 
「久慈仁紀。私が死ぬのは、あなたを葬ってからよ」

 棍棒の一閃が驟雨を切り裂く。
 側頭部に叩き込まれた正義の逆襲が、鮮血振り撒く魔人を泥溜まりへと吹き飛ばした。
 
 
 
 藤木七菜江の弛緩した肉体をそっとフジテレビ社屋の影に隠し、ツインテールの巨大女神は
盾となるかのように前面に立ち塞がった。
 引き締まっているのにグラマーな肢体が、全裸のまま雨に濡れている。いかなる仕打ちを受
けたのか。モノとして扱われたことがわかる、酷い状態であった。首と両手首を拘束した木枷
はいまだ外れてはいない。かすかな反応があったことで、命の灯が消えてはいないことはわか
っている。だが、壮絶な敗北と過酷な拷問によって瀕死に陥った聖少女に、一刻も早い救護が
必要なことは火を見るより明らかであった。
 できるなら、今すぐ服を着せてあげたい。拘束を解いてあげたい。
 しかし、そんな余裕は距離を置いて尚、膨大な殺気をぶつけてくる二体の悪魔が許すはずも
なかった。
 
 銀に輝く肢体にオレンジの幾何学模様。胸と下腹部に青く光る水晶体と、黄金のプロテクタ
ー。
 赤髪のツインテールと甘く端整なマスクが意外なまでにマッチした装甲の天使、ファントムガ
ール・アリスの視界には、忘れようにも忘れられない宿命の敵が映り込んでいた。
 向かって右に、象牙の杭のごとき両腕を生やした、茶褐色の疵面獣。=ギャンジョー。
 左に、眼と爪の青色が毒々しい、銀毛の豹女。=マヴェル。
 お台場フジテレビの社屋を背にしたアリスと、雨が水面を揺らす東京湾の海に膝まで浸かっ
たギャンジョー、マヴェル。憎悪と殺意が濃密な靄となって、対峙する両者の間の空間を埋め
ていく。
 
「てっきりさァ〜、生徒会長が来るものだとばっか思ってたんだけどォ〜? 油くせえ負け犬の
スクラップが出しゃばってくるとはねェ〜」

 尖った牙を剥き出した笑みとは裏腹に、魔豹の声には怨念にも近い感情が溢れていた。
 この破壊欲に満ちた狂女とは、どれほど憎しみをぶつけ合ってきたことか。
 やられたらやり返す、を繰り返してきた。ことマヴェル=神崎ちゆりに対しては、正義だ悪だと
いう観念とは別の次元で闘っているのをアリス自身悟っている。どうあっても、相容れぬ宿敵。
この狂女から下された、魂を磨り潰されるような壮絶な苦痛と屈辱の数々は、アリスの脳髄に
深々と突き刺さっている。
 特別な感情を抱いているのは“闇豹”もまた同じ。ちゆりが久慈の傘下に納まっているのは、
ただ虐げ、踏み躙る悦びのためだ。己の前で泣き喚く者を、跪かせる快感。藤木七菜江も西
条ユリも桜宮桃子も・・・みなカワイイ声で泣いたものだ。五十嵐里美と霧澤夕子。このふたり
だけは違っていた。抑え切れないドス黒い感情。ちゆり自身、理由はわかっていた。里美に対
する感情は、嫉妬。そして夕子に対する感情は・・・純粋な憎悪。
 
 もし、どうしても倒したい相手をひとり選べと言われたら、恐らく互いが互いを選ぶ。
 アリスがこの場に現れたことを、心の内で“闇豹”は歓喜していた。忌々しくて仕方のないサイ
ボーグ少女を、ついにこの手で地獄に葬る日が来たのだ。
 マヴェルがこの場にいたことを、アリスもまた感謝していた。恐らくは、最後になるであろう闘
い。心の底から倒したいと願う宿敵が相手にいることは、戦士として恵まれた状況であった。
 
「マヴェル・・・この間の借り、まだ返していなかったわね」

「ハア〜〜ッ?! 機械の内部いじられてアヘアヘ狂ってたポンコツがなに息巻いてんだよォッ
ッ!! てめえとはあのとき決着ついてんだッッ!!」

「相変わらず隣りに仲間がいるときは強気じゃない。でも、あのときあんたの隣りにいたキリュ
ーは私が倒したわ。今度はあんたたちが消える番よ」

 機械人間・桐生を擁した「夕子抹殺計画」に嵌り、ちゆりの前に完全なる敗北を喫したのはつ
い一ヶ月ほど前のことだ。巨大ローラーで身を潰され、プログラミングされた苦痛と快楽を直接
サイボーグの身体に打ち込まれた夕子は、廃人寸前にまで“闇豹”に追い込まれた。
 否定のできない惨敗であったことは間違いない。その気になればいつでもちゆりは夕子を殺
すことができたのも確かだ。だが最後まで屈服の言葉を、サイボーグ少女が吐かなかったのも
事実。そして、最終的に生き残り、今霧澤夕子は守護天使の姿で“闇豹”の前に立っている。
 
 ムカつく。確かに勝利したのは自分であったはずなのに、敗北感にも似た感情がマヴェルの
胸に渦巻いている。苦悶の叫びをあげ続け、無様に悪臭漂うスペルマの汚濁に沈んだサイボ
ーグ少女が、なぜ見下した視線を送ってくるのか。完全勝利に酔いしれたあのときの快感が、
妙に空々しい記憶へと変わっていく。
 嘘だったのだな。あのときの勝利は。
 ようやく“闇豹”は気付く。蹂躙された夕子と、した自分。だが結果的にコケにされたのはちゆ
りの方であった。キリューは敗れ、この女は生き残った。本当に勝ったのはどちらだったの
か? 完全にこの女の息の根を止めねば、本当の勝利など有り得ないのだ。
 
 一方の夕子も怒りの質と量では負けていなかった。単なる敗北ではない。“闇豹”の仕打ちは
夕子が「人間」であることの尊厳を踏み潰すものであった。かつては顔を剥がされ、醜いサイボ
ーグの素顔を晒された。ハッキングによる苦痛と快楽のプログラムで、常人ならば体感できぬ
地獄を味わった。機械人間の冷たいペニスに貫かれ、白濁まみれの身体を生ゴミ同然に放置
された。
 半身が機械で構成されたサイボーグ少女にとって、「人間」であることの否定はなにより許し
がたい暴挙であった。
 許せない敵がここにいる。残酷な拷問に屈しようと、壮絶な敗北を喫しようと、這いつくばって
でも倒したい相手がここにいる。己を取り巻く状況を冷静に把握する一方で、アリスの胸には
たぎる闘志が燃え上がっていた。
 
「調子こいてんじゃねえッッ、クソ女がァッッ!! てめえが死に掛けなのはとっくにわかってん
だよォッッ!!」

 圧倒的不利な状況下にあることは、アリス自身がよく理解していることだった。
 胸と肩を守る黄金のプロテクターは亀裂がくまなく入り、装着しているというよりわずかにこび
りついているだけという有り様。
 腰部の装甲もほとんどが崩れ落ち、もはや鎧の役目を果たしていない。休息で体力は回復
できても、破壊された機械の部品が修復することはないのだ。昨夜の死闘のダメージを、ほぼ
忠実に再現した装甲天使の姿がそこにはあった。
 マスクを砕かれ、晒されたアリスの素顔の左半分は、鋼色の金属で構成されていた。レンズ
製の左眼が赤い光を放つ。
 右乳房から胸の中央にかけて大きく穿った孔。コードの切れ端が数本垂れ落ちる穴の内部
には、明らかな空洞があった。毟り取られたままなのだ。機械で出来た肉体の一部を。命の象
徴、エナジー・クリスタルの間近にこれほどの損傷を受けて、尚動けること自体がすでに奇跡
に近いのかもしれない。
 仲間の救出に現れたファントムガール・アリスの肉体は、闘いの前からすでに瀕死の重傷で
あった。
 
“あのひとがいなければ・・・私のカラダは直すことができない。そしてあのひとが、この遠い首
都の地にまで来られるわけがない。私の死は・・・もう、避けることができない”

 最先端の科学技術を結集して造られたサイボーグ少女の損傷を修復できる人物は、父親で
ありこの技術の担当責任者である有栖川邦彦ただひとりしかいなかった。
 そして彼が勤める三星重工の研究室は、東京の地より遥か離れた夕子たちの地元に所在し
た。来るわけがない。あの冷徹な男が、戒厳令下の首都になど。まして夕子の状態を知らせる
銀色のリングは激闘のさなかに故障して、居場所すらはっきり伝えられぬ状況なのだ。
 いや、仮に・・・仮に邦彦が上京を望んだとしても、彼を取り巻く環境がそれを許すとは到底思
えなかった。今や有栖川邦彦博士は日本の国にとってかけがえのない知的財産。危険極まり
ない東京の地に、みすみす向かわせるはずがないのだ。サイボーグ戦士が邦彦の修理を受
けようとするならば、この闘いが終結するまで待つしかなかった。
 
 だが、ファントムガールが壊滅すれば、全ての希望は潰える。
 サクラが死んだ。109に磔にされた亡骸を、テレビのモニター越しに幾度となく見せ付けられ
た。
 そして今また、捕獲された七菜江が処刑の時を迎えている。見え透いた、罠だった。サクラに
続きナナまで失えば、守護天使の苦境はもはや覆せないものになる。しかし、もし里美が安い
挑発に乗るようなことがあれば、恐らく生きては帰れまい。
 私が救出に向かうのが、ベストのはずであった。
 このまま時間だけが過ぎていけば・・・どうせ私は息絶える。
 ならば、この生命と引き換えに七菜江を救う。最期を飾るに相応しい、闘いに思えた。ギャン
ジョーとの激闘であまりにも傷つき過ぎていた。もはや満足に闘えぬ私の代わりに、希望を七
菜江に託すのだ。そう、あのコは・・・私なんかより、ずっと強い可能性を秘めているんだから。
 
「わかっているわ。私が・・・長くないことは。でもせめて、あんたたち悪魔を、一匹でも多く道連
れにさせてもらうから」

 豹女の青い眼が怒りに吊り上がるのが見て取れる。
 こうして挑発を繰り返せば、攻撃の矛先をアリスに向けてくるのは間違いなかった。それでい
い。なによりも優先すべきは、七菜江を救出することなのだ。サイボーグ戦士の惨状を見て、
二匹の悪魔は人質の奪還などいつでもできるとタカを括っている。その眼中に、いまや大切な
虜囚少女の姿は映っていない。巨大すぎる憎悪が生む隙を、逃すわけにはいかなかった。
 
“そう・・・私は・・・もう、十分に生きた。思い残すことも、悔いることも、なにもない”

 サイボーグとして授かった命。ファントムガールとして授かった命。
 憎んだこともあった。過酷な運命を呪ったこともあった。だが、今なら言える。犠牲となってこ
の地で散ろうとも、自信を持って言い切ることができる。
 霧澤夕子は、幸せであったと。
 
 里美、七菜江、ユリ。あとは頼んだわ。
 桃子・・・いま、そっちいくから。
 ・・・・・・お父さん。
 あなたの娘は、幸せでした。
 
「マヴェル、あんたにも感謝しなくちゃいけないかもね」

「はァ〜??」

「あんたに殺されかけたおかげで、私はファントムガールになった。素晴らしい仲間たちに出会
うことができた。そしてあんたは、私が生きていく理由を与えてくれた」

「プッ! アハハハハハ!! あんだけグチャグチャにやられて感謝ァ〜?? どんだけおめ
でたいバカなんだよォォッッ、てめえはァ〜〜ッッ!!」

 青い毒の爪が短剣の如く、一気に伸びる。
 牙を剥き出した銀毛の豹女が、赤髪の装甲天使に殺到する。襲撃は唐突であった。揺れる
波間が一直線に割れていく。光る青い爪。かするだけで眩暈を起こす毒の刃。凶器を広げた
悪女が、豹のしなやかさで一息に距離を詰める。
 風が、空間を切り裂く。
 鉤爪を思わせるマヴェル右手の攻撃を、ツインテールの女神は触れる寸前、避けていた。
 
「ッッ?!!」

「そう、感謝してる。あんたみたいな鬼畜を滅ぼしてこそ、私の生涯にも意味があったってもん
だわ。一緒に地獄に来てもらうわよ、『闇豹』。ファントムガール・アリス最期の敵があんた
で・・・本当に感謝している」

 爆発したような轟音が魔豹の肉体の中央で響く。
 マシンのパワーを誇るアリスの右腕が、マヴェルの鳩尾を身体ごと突き上げていた。渾身の
ボディブロー。折り曲がった豹柄の体躯が、潰れた呻きと黄色の吐瀉物を撒き散らす。
 
「オボオオオッッッ・・・ォウェエエッッ!!」

「私には時間がない。瞬殺させてもらうわ」

 冷たく言い放つアリスの顔面に、毒の爪が飛ぶ。合金の拳を腹腔に埋めながら尚、『闇豹』
は逆襲を開始していた。クールさ漂う端整な美貌の鼻先を、豹の爪がかすめ過ぎて行く。
 
「てェッ・・・てめええええエエェェッッ〜〜〜ッッッ!!!」

「マヴェル。あんたの言う通り、私は瀕死の状態よ。けど、だからこそ今の私にあんたは勝てな
い」

 一旦間合いを取ったアリスに休む間を与えず、怒り狂った魔豹が毒爪のラッシュを浴びせ
る。右。左。右。敏捷性に優れた豹の一撃は、決して遅い部類に入らなかった。雨が海面に落
ちることすら許さぬ襲撃の嵐。風を裂く唸りが海鳴りとなって水面を揺らす。
 その全ての攻撃を、ツインテールの戦士は最小の動きで避け切っていた。
 
「ッッッ?!! なッッ・・・?!」

「見えてるからよ。あんたの動き、全部」

 カウンターとなったアッパーが、マヴェルの尖った顎を砕く。
 グシャリッッ!! という鈍い響き。砕けた牙の欠片と血の塊が宙を舞う。
 
「ガアッ!!」

 止まらなかった。執念か、憎悪か。KO必至の一撃を喰らって尚、それでも『闇豹』は動きを止
めなかった。
 一喝とともに薙ぎ払われる毒爪。
 心憎いまでに易々とかわしたアリスが、サイボーグの左ミドルを無防備な右脇腹に突き刺
す。
 ひしゃげる、という表現が最も妥当と思われた。
 ボギボギと肋骨の折れる音色と甲高い悲鳴を残して、横にくの字に曲がった銀毛の魔豹が
跳ねる石の如く、海面上を滑り飛んでいく。
 
「名付けて『臨死眼』。生命の危機に直面した肉体が引き起こす超感覚と、異常なまでに高速
回転する脳とが紡ぎ出す、時の神に悪戯された視覚世界。この奇跡の前じゃあんたは、溜め
息がでるほど、遅い」

 アリスの台詞が終わるころ、東京湾中央付近まで遥か遠く飛ばされたマヴェルの肉体は、海
中に突っ込んで高く水の柱をあげた。
 臨死眼――恐らくは、幾度も死の間際まで追い詰められた経験と類稀な天才的頭脳を持つ
霧澤夕子、ならでは可能な超人技。
 交通事故に遭った瞬間、景色がゆっくりと流れて見えた、という体験談を聞いたことはないだ
ろうか?
 過去の思い出が走馬灯のように駆け巡る、とは死に直面した者が体験するとされる代表的
なエピソードだ。窮地の刹那、ひとの脳は常識外に活性化される。1秒が1時間に感じられるほ
どに。飛躍的に情報処理を行なう脳の前では、あらゆる事象が止まって見える。
 崩壊寸前の肉体を支え、アリスの全細胞はMAXで活動していた。その状態のさなか、元々研
ぎ澄まされた大脳をなんらかの方法で限界までフル回転させる・・・
 今、アリスの青と赤の瞳は、乱射されるマシンガンの弾道ですら見切れよう。
 ギャンジョーとの決闘で開花した究極の秘儀を、再びアリスはこの場で体現しているのであっ
た。
 
「『闇豹』、てめえはそこで寝てろ。てめェじゃこいつに勝てねェ」

 沈黙を貫いていた茶褐色の肉厚の凶獣が踏み出す。
 縦横に走る顔面の疵と、兇悪な杭のごときふたつの腕。ギャンジョー。殺人狂のはぐれ極
道。アリスをこの惨状に追い込んだ張本人。
 因縁の宿敵、と呼ぶには強大すぎる恐るべき怪物が、今またサイボーグ少女の前に立ち塞
がる。
 
「そろそろいいかァ? ファントムガール・アリスゥゥゥッッ・・・」

「やけに大人しくしてると思ったら、じっくり私と遊べるチャンスを待ってたってわけ?」

「ムカつくんだよォッ、なにもかもッッ!! クソみたいに弱ェ『闇豹』もッ!! したり顔でスカし
た久慈のクソガキもッ!! 臆病風に吹かれたファントムガールの大将もッ!! 小娘の死刑
執行を邪魔しやがったこともッ!! だが一番気に入らねえことはなあッッ!!」

 抑え込んでいた殺意を、スカーフェイスの凶獣は一気に解放した。
 
「アリスッッ!! てめえがノコノコ、オレの前に現れたってことだああアアアッッ―――ッ
ッ!!!」

 漆黒の稲妻がTレックスのごとき体躯を全身駆け巡ったようであった。
 暗黒のエネルギーが弾ける。肉体に留まり切らぬ、膨大な闇の力。放電するように黒い閃光
がバチバチとギャンジョーの体表で火花を散らす。
 ゴボッ・・・ゴボゴボ・・・ボコンッ・・・
 凶獣の足元の海面が、不規則に泡立つ。やがて泡は同心円状に広がっていった。沸騰して
いるのだ。海が。ギャンジョーが破格外の負のエナジーに、周囲の原子が巻き込まれていく。
 
「このオレが獲物を逃したことなんざ、ただの一度もなかったッッ!!! てめえだけだッ、アリ
スゥゥッッ!! そのてめえが殺されに戻ってくるとはッ・・・舐めんじゃねえェェッッ、小娘えェェ
ッッッ!!!」

「ギャンジョー、あんたにやられて私はこんな姿にされた。だけどおかげで『臨死眼』を手に入れ
ることもできた」

「二度はねえェッッ!! 今度こそてめェは殺すッッ!! バラバラに引き千切ってなァッ
ッ!!」

「普通に闘って勝てないのはわかってる。いかに『臨死眼』を自分のものにするか・・・それが私
の唯一の希望だった」

 人差し指と中指、右手の二本の指を伸ばし、サイボーグ戦士が己のこめかみに添える。
 銀色の薄めの唇が細かく動く。呟いている、のか? 何事かを唱えるアリスに魔女の姿を重
ね、肉厚な凶獣が雄叫びとともに駆けた。
 
「呪文のつもりかァッッ?!! 死にさらせェッッ、ガキがァッッ!!!」

「成し遂げたわ。時間は掛かったけど。『臨死眼』を自在に発動する方法」

 勉学とは無縁の世界に生きるギャンジョーが、アリスの呟きを呪文と勘違いしたのも無理は
なかった。
 「フェルマーの最終定理」。
 17世紀の数学者フェルマーが残した証明問題は、プロアマを問わず多くの人々の研究と考
察を経て、1994年アンドリュー・ワイルズの手によって完結を迎えた。その間、350年以上。そ
れほど証明作業が困難を極める一方で、中高生レベルの知識で理解可能な内容であるた
め、若き数学ファンを多く虜にしたのがこの「フェルマーの最終定理」であった。
 霧澤夕子もそのひとり。
 遊び気分で取り組んだ独自の証明方法を、彼女は脳内で暗唱することができる。解決は未
だ半ば。しかし「フェルマーの最終定理」に挑むたびに、夕子の大脳は恐るべき速度で回転し
研ぎ澄まされた。
 『臨死眼』を発動できるまでに。
 瀕死の状態と「フェルマーの最終定理」。ふたつが揃ったときに、『臨死眼』は現れる。それが
死地に赴くサイボーグ少女が、準備した最高の切り札。
 
 「『臨死眼』」

 その瞬間、アリスの青と赤の瞳は強い光を放ったように見えた。
 世界の時の流れが、変わった。
 
 ギャンジョーが距離を詰める。本来ならば眼で追えぬその動きを、『臨死眼』はしかと見てい
た。
 完全なる射程距離。兇悪な腕がすぐ目前に迫る。パワーはおろかスピードまで、ギャンジョー
はアリスを圧倒していた。胸を、腹部を、致命傷を狙った槍腕が至近距離で乱れ飛ぶ。
 当たらなかった。
 単純な速度は凶獣の方が遥かに上。それでも斬撃の嵐は瀕死の少女戦士を捕らえられな
い。流れる柳のように、アリスが攻撃を避ける。避けまくる。
 
 噴出する暗黒の熱気が表皮を灼く。運動神経を凌駕する凶腕の刺突に肉の表面が削られて
いく。雨に混ざる赤い霧はアリスの身体が無傷に済んでいないことを報せた。だが、薄い。深
刻なダメージには至っていない。怒り猛るギャンジョー本気の攻撃を、『臨死眼』が上回ってい
る。
 ガキンッッ!! 鋼鉄を打つが響き。装甲天使の右が凶獣の顎を跳ね上げる。
 倒れない。グラつかない。なんたる頑強さ。衰えることない猛撃のラッシュが何事もなく続く。
 サイボーグの左脚が、疵だらけの顔面を正面から打ち抜く。
 倒れない。だが、グラついた。
 動力を最大限稼動させた渾身の右ストレート。迎撃するギャンジョーの槍腕と真っ向から衝
突する。
 轟音。余波を受けて海がふたつに割れる。
 神々の闘いを思わせるマクロな衝動の激突。あおりを受けた両者の肉体が飛ばされ、距離
を置いて再び対峙する。
 
「てェッッ・・・めええェェッッ〜〜〜ッッ!!!」

 破れかぶれとも取れる凶獣の怒号を、肩で息をしながらツインテールの女神は冷静に聞いて
いた。
 勝っている。
 『臨死眼』を発動した際の動きは、アリスがギャンジョーの上をいく。前回の闘いはまぐれなど
ではなかった。ヒットしている数も、与えているダメージも、装甲天使が殺人凶獣に勝っている
のは疑いようがない。
 だが、ギャンジョーの脅威は残酷なまでの攻撃力だけに留まらなかった。
 ゴムの塊を叩いているかのような頑強さ。サイボーグであるアリスの打撃は、威力だけならフ
ァントムガールのなかでも随一であった。その会心の一打が二度も決まったというのにこの余
裕。通用しないのだ。化け物じみたタフネスの前には、グラつかせるまでが限界なのだ。かつ
てアリスが闘ったなかで、これほど頑強な肉体を持つ者など存在しなかった。
 いや、敢えて言えば、人間ならばギャンジョーと同クラスと思わせる強固な肉体を持つ男はい
た。
 無意識にアリスは頭を振っていた。考えるな。あの男のことは今は考えるな。集中しろ。巨大
すぎる脅威を前に、対抗し得る全てを注ぎ込むんだ。
 
 アリスの攻撃でギャンジョーに通用するものがあるとすれば、ふたつ。
 電磁ソードとヒート・キャノン。しかし、電撃の剣は前回の闘いで折られ、右腕の内部には装
着されていない。義手のなかはすぐにヒート・キャノンの発射口であり、熱エネルギーが充填し
さえすれば最大の必殺技は射出することができる。だが強敵を何匹も葬ってきた超高熱弾で
すら、「本物」の凶器が具現化して創られたギャンジョーの象牙の腕には跳ね返されたのだ。
防御をかいくぐって本体に直撃できねば、ヒート・キャノンでさえギャンジョーには通じない。
 
「死に損ないがッッ!! いつまでも逃げれると思ってんじゃねェぞッッ、あァッ?! どんだけ
足掻いてもハラワタぶちまけて死ぬんだよッ、てめェはよッッ!!」

「ちょっと待ちなよォ、ギャンジョー」

 漆黒の煙を立ち昇らせる凶獣の隣りに寄ったのは、冷静さを取り戻したマヴェルであった。
 ゾワリという悪寒が、アリスの背中を駆け登る。
 狂乱に走るマヴェルは危険であった。だが、憤怒のなかでも冷静を失わぬマヴェルはさらに
危険であった。
 なにかある。無自覚のままツインテールの戦士は身構えていた。
 
「あァ?! 邪魔すんならてめえからバラすぜ、『闇豹』」

「ちょッ・・・勘弁してよォ〜。遊びたいのはわかるけどォ、こいつに手間取ると後々厄介だよ
ォ? まだ仲間がいること、忘れたわけじゃないでしょォ〜?」

 『エデン』の寄生者は巨大化しての活動は限られている。体力や時間を消費するほど、強制
的な睡眠=休養が必要になるのだ。
 いつ次なる闘いが幕を開けるかわからない総力戦では、体力温存はファントム陣営もミュー
タント陣営も重要課題であった。無駄な戦闘は減らすのが鉄則。余計な体力を使わずに勝利
することが、今後の展開をさらに有利に運ぶのだ。
 
「・・・ちッ」

「もう終わらせるよォ〜。なんのための罠か、わからないしねェ〜」

 罠。
 そうだ。私は悪党どもが仕掛けた罠に単身乗り込んできたのだ。危険を承知で。
 ギャンジョー、マヴェルが待ち受ける。その程度で済むほど、罠が甘いとは思えない。
 
「終わりだよ、キモイ機械女ァ〜! ここに来た時点でェ〜、あんたの死は決まってんだよォ
〜!」

 衝撃は、突然であった。
 
 ゴブッッ・・・
 
 ドス黒い血塊が、何か言い返そうとしたアリスの唇から溢れ出る。
 
“なッ・・・?! こ、れは・・・闇の光線を・・・・・・浴びた、ような・・・”

 不意に全てを悟ったように、装甲天使は振り返っていた。
 お台場に浮かぶフジテレビの社屋が、墨をかぶったように漆黒に染まっている。
 放送電波を送受信するための巨大なパラボラアンテナが、例外なく己に向けられているのを
見詰め、アリスは恐るべき罠の全容を理解した。
 
「お前らファントムガールの誰か・・・聖なる力の持ち主とやらが来るのはわかってたからねェ
〜。交代しながらた〜っぷりと、闇のエナジーをフジテレビに注いでやった♪ キャハハハハ!
 とっくにこの場所はァ、お前らにとっちゃァ地獄の一丁目ってわけェ〜! ゲラゲラゲラ!」

 屋上に取り付けられたアンテナから、漆黒の光線がアリスの頭部目掛けて発射される。
 頭蓋骨が割れるかのようだった。引き攣る悲鳴をあげた少女戦士が、ツインテールを抱えた
まま仰け反り苦しむ。
 
「ガアァッ?!!・・・ああァッ・・・グッ、ぐううゥッ〜〜!!」

 時間をかけて濃密な闇を浴び続けたフジテレビ社屋は、いまやそれ自体が闇そのものにな
っていた。
 本性をさらけ出した暗黒の建造物は、光の属性であるファントムガールにとって毒を噴き出
す沼も同じ。
 呼気するだけで肺を焼かれる苦痛のなか、アリスは全てのアンテナが暗黒の光線を無力な
己に射出するのを見た。
 
「仕方ねえ。遊びは終わりだ。こっからは全国放送で、ファントムガール・アリスの解体ショー
だ」

 漆黒の魔光線が半壊状態のサイボーグ少女を包み込む。
 幾条もの光線を全身で浴び、悲痛な絶叫をあげるアリスの胸を、凶獣の杭腕が貫き刺した。
 事実上、その一撃は決着をつけるような一撃となった。
 
「ゴブウッッ!!・・・・・・あ・・・ェア・・・ビグンッ!! ビグンッ!!」

「ギャハハハハ! アリスゥゥゥッ〜〜ッ!!! さすがのファントムガールも、どうやら・・・」

「夕子ォッッ!!!! てめえ、死ぬんじゃねえぞッッ!!!」

 かすれゆく意識のなかで、確かに飛び込んできた裂帛の叫び。
 霞んで見えないはずの視界で、やけにハッキリとアリスには見えた。
 海の向こう。レインボーブリッジ。お台場と本土とを繋ぐ橋。通行止めのはずの車線に停まっ
た、一台のセダンカー。ふたつにしばったおさげ髪の少女と、逆三角形の筋肉を持つ男が身を
乗り出して叫んでいる。
 西条ユリと、工藤吼介。
 
 ・・・バカね、ふたりとも。なにしてんのよ。
 こんなところに来るなんて。
 
 グッと握ったアリスの右手に、確かな力が生まれていた。
 
 姉のエリがいない今、天才武道家・西条ユリとてこの悪魔たちには敵わない。
 まして『エデン』を持たぬ工藤吼介は足手まといにしかすぎぬ。
 この地は。お台場フジテレビの地は。もはや光の守護天使にとって処刑の毒沼と化してい
た。
 来てはならない。来ても意味がない。そう理屈ではわかっているのに。
 
“・・・力が・・・沸いてくるじゃないッ!!”
 
 上がる。ゆっくりと。
 ブルブルと震える銀とオレンジの右腕が、目前の凶獣に差し向けるように上がっていく。
 もはや死に体のアリスに容赦なく注がれる暗黒の光線。光を蝕む闇の集中砲火。その苦痛
は十数本もの毒の串で全身を滅多刺しにされているようなものであった。激痛に全ての筋肉が
引き攣る。生きながら腐っていく苦しみに泣き叫びたくなる。その煉獄の最中、残酷なスカーフ
ェイスの怪獣はトドメとばかりにアリスの左胸を抉り抜いたのだ。
 噴き出る鮮血の代わりに、絶望が胸へと押し寄せていた。
 ダメだ。恐らく、もう、ダメ。
 潰れかけていた。ハッキリと“死”を認識していた。吼介の叫びが届いていなければ、多分そ
のまま終焉を迎えていたことだろう。
 今は、違う。
 肉体は限界を越えているのに、闘う力が確かにある。尽きることを知らない闘志が燃え盛っ
ている。
 
 ・・・そう、よ・・・・・・
 私は・・・死ぬ。・・・わかってる。・・・ここで、こいつらに・・・殺される・・・。
 でも・・・まだ、よ。
 
「なんだ、その眼は? その腕は? いくら殴ろうが効かねえってまだわかんねえのか、あ
ァ?」

「・・・ハァッ・・・ハァッ・・・余裕こいてる、と・・・ケガ・・・するわよ・・・」

「ッッッ!!!・・・てめえ・・・よっぽど惨めに殺されてえらしいな・・・」

 左胸に半分ほど埋まったままの象牙の杭が回転を始める。
 殺人狂・スカーフェイスのジョーが扱う武器、凶器、拷問具。脅威の変化能力を誇るギャンジ
ョーの両腕は、残虐極まりないそれらの道具に姿を変える。先程まで匕首であった凶獣の右腕
は、今ドリルへと変形したのだ。
 ギャリリリリリリッッッ!!!
 肉と金属の破片が散乱する。鮮血の飛沫が降りしきる。
 ツインテールの女神がドリルで胸を抉られる、残酷すぎる地獄絵巻。
 駆けつけた武道少女と格闘獣の目の前で、悪夢の光景が現実として突きつけられる。
 
「ウギャアアアアアアアッッッ―――ッッッ!!!! アアアアアアッッッ―――ッッッ!!!」

「おゥらァッ!! たまんねえなァッ!! クソ生意気な女神様を引き裂く感触はよォッ!!」

 ドリルで抉りながら、ギャンジョーが強引にアリスの身体を頭上に掲げる。
 ギュイイイ―――ンンン!!!! ギャリギャリッッ!! ブチブチブチィッッ!!!
 サイボーグ戦士の破壊されゆく葬送曲が、雨雲の下の東京湾に響き渡る。
 
「ギャアアアアアアアッッアアウウウウゥゥッッ―――ッッッ!!!! ガアァッ?!! ヘブウッ
ッ!! アグウワアァァッッ〜〜ッッッ!!!」

「夕子さんッッッ?!! アリスがッ!! アリスが死んじゃうッ!!」

 純白のセーラー服が踊る。
 カローラの助手席から飛び出した華奢な影は、レインボーブリッジの上を海に向かって駆け
ていた。衝き動かされていた。勝算も計算も西条ユリにはなかった。ただあらゆる細胞が、スレ
ンダーな武道少女をかけがえのない仲間のために走らせていた。
 
「ユリッッ!!」

 筋肉に包まれた男が名前を呼ぶ。
 このお台場に来たのは吼介の我儘のせいだった。七菜江を助けたい。その一心で、重要な
役目を担う存在であるユリまで連れて来てしまった。ファントムガール・ユリアには絶命したサク
ラを蘇らせる使命がある。変身しないという条件で、ここまで行動をともにした。
 今アリスを救出するためユリアに巨大化変身すれば、サクラ復活は極めて困難になるだろ
う。
 ただでさえ、死者に生命を与えるエナジー・チャージは膨大な光のエネルギーを必要とする。
極力エネルギーの喪失は避けねばならなかった。たとえアリスを助けることができたとしても、
サクラ復活が覚束なければ守護女神陣営の苦境は覆ることがないだろう。
 
「頼む。生きて・・・還ってきてくれ!! 頼むッッ!!!」

 オレは、なんて情けねえんだ。
 止められるわけがない。仲間を助けに命を張る少女を、止める言葉などない。暴虐を前にし
て、少女たちにすがることしかできない。
 最強の男? 聞いて呆れる。なにも出来ず、ただ苦しむ少女たちの背中を眺めているだけじ
ゃないか。
 
 白いプリーツスカートが翻る。疾走するスレンダーな少女が、躊躇することなくレインボーブリ
ッジのコンクリートの欄干を飛び越える。
 純白の少女戦士が暗い海へとダイブした瞬間、眩い光が絶望の東京湾を明るく照らし出し
た。
 
 ファントムガール・ユリア。
 銀色に輝くスレンダーな肢体に描かれた、黄色の幾何学模様。丸く愛らしい瞳が印象的な童
顔に、襟足でふたつに縛った緑色の髪がよく似合って乗っている。
 スラリと伸びたモデル体型に、人形を思わすロリータフェイス。力強さとは無縁に見える黄色
の守護天使が、神に愛された才能を持つ柔術の天才であることは、この場の誰もが熟知して
いた。
 瀕死の重傷、数的不利、仕組まれた罠。死以外の選択肢は有り得ないと思われたアリスに
灯る、一筋の希望。だが守護天使の側にとって、あまりにも状況は厳しい。闘いの舞台はすで
に闇によって腐食され、深刻なダメージを負ったアリスに戦力の期待はできない。しかも、この
場にいない姉・西条エリの許可がなくては、トラウマを抱えたユリアは本気で闘うことすらできな
いのだ。勝てるのか。いかに天才武道家といえ、今のユリアにこの死地を脱する力があるとい
うのか?
 
 黄金の装甲が剥がれたアリスの左胸に深々と突き刺さった残酷なドリル。ヒクヒクと痙攣する
オレンジの女神に容赦することなく、ギュルギュルと疵面獣の右腕が回転し続けている。死ぬ。
死んでしまう、アリスが。切り裂くような絶叫を迸らせる仲間の下へ、一直線に可憐な黄色の天
使が駆け走る。
 
「おっとォ〜♪ こっから先は通せんぼよォ、小鳥ちゃん♪」

 立ち構えた魔豹の姿は、獲物に飛び掛る寸前の肉食獣、そのものであった。
 カパリとマヴェルの真紅の口腔が開く。鋭い牙の列と、滴る唾液の糸。『闇豹』は接近戦にお
けるユリアの強さと己の不利を十分に把握していた。距離を置いて、倒す。必殺の、破壊音波
で。ユリアの背後に工藤吼介を乗せたセダンカーがあるのを承知したうえで、マヴェルは最良
の攻撃方法を選択していた。
 
「通して・・・もらいます!」

「はあァ〜? いつになく、強気じゃなァ〜い! クリームみたいな甘ちゃんがァッ!!」

 真っ直ぐ向かってくるスレンダーな美少女が、その瞬間、消えた。
 超音波砲を放つことも忘れて、銀毛の女豹が硬直する。予測の範疇をはるか越えた事象を
前に、誰もが陥る生理反応。凄まじい速度でユリアが移動のベクトル方向を変えたのだと悟っ
たのは、数瞬の後。
 
 生物の視界には限界がある。意識して注目できる範囲はさらに限定される。
 向かってくる対象に焦点を合わせていたマヴェルの視界は、ごく狭くなっていた。これも古流
柔術の一環なのか。歯噛みし掛けた『闇豹』の顎下で、不意に圧力が湧き上がる。
 アニメにでも出てきそうな、愛くるしい銀色の童顔。
 食べたくなる、キャンディーのごとき甘い顔立ち。だが、可憐さ溢れる瞳のなかに、狂女はか
つて見たことのない激情をはっきりと認識した。
 
「想気流柔術ッ、『巌岳』ッ!!」

 魔豹の懐、顎の真下に飛び込んだ細身の肢体が一気に伸びる。
 全身のバネを利して垂直方向に飛び上がったユリアが、前頭部からマヴェルの尖った顎に
直撃する。拳、足に続いて第三の武器と言われる頭部。硬くて厚い頭蓋骨を弾頭と化して真っ
直ぐに伸びた銀と黄色のミサイルの威力は、並のアッパーブローなどとは比較にならない。ユ
リアの全体重が、全筋肉によって加速された砲撃。マヴェルの頭部がブレる。鼻奥から脳天ま
で一気に突き抜ける衝撃。火花散る意識のなかで、咽喉に溢れる血の味だけを『闇豹』が噛
み締める。
 
「ブッ!! ブプッッ・・・てェッ・・・めえェェッッ〜〜ッ!!」

 ぐらつく世界と鈍痛のなかで、毒爪のナイフを光らせた右手が、可憐な美少女の容貌に突き
出される。
 柔術の達人にとって、それはプレゼントをもらうような行為であった。
 マヴェルの右手首に武道女神の指が絡まった瞬間、豹柄の肢体はユリアの頭上で舞ってい
た。
 
「奥義ッ、『青嵐』ッ!!」

 手首から肘、肩、背骨と極められた『闇豹』の全身を、電撃となった激痛が貫く。風に舞う花
びらのごとく、豹柄がギュルギュルと宙空を回転する。
 そのまま勢いをつけて大地に落とせば、奥義は完成する。だがここは東京湾、足元に広がる
のは静かな海原。
 やはり、甘い――マヴェルの牙がわずかにめくれたその時、魔術師のように女豹を廻す武道
天使の身体が大きく動いた。
 
 大地なら、ある。
 海浜から突き出た出島のような正方形の大地。黒船を迎撃する砲台場であったころの歴史
を色濃く残す第三台場。現在の台場公園。
 レインボーブリッジとフジテレビ社屋の間、海にポツリと浮かぶ一辺約160mの埋立地は、さ
ながら巨大な戦士たち専用のリングのようにその存在を主張していた。
 
 落とすのかッ?! この大地に?! この甘ったるい小鳥ちゃんがッ??
 
 悲鳴にも似た叫びが口を割ろうとした瞬間、加速のついた『闇豹』の肉体は、脳天から真っ逆
さまに砲台跡地の地面に叩き落されていた。
 落下の轟音が砂浜と海とを激しく揺らす。
 
「・・・久しぶりだなァ、ユリア・・・姉ちゃん、まだ生きてるかァ?」

 『闇豹』が正方形の大地に沈むのを確認するより速く、構えを取った武道天使はもうひとりの
敵に振り返っていた。
 圧倒的であった。
 マヴェルの残虐性は対峙しただけでもわかる。近付いてはならない、危険な存在であると本
能が教えてくれる。目に見えなくとも内包する暗黒の濃度を感じるだけで、いかに危険か悟るこ
とができた。
 そのマヴェルの何倍にもあたる闇を、この男は纏っていた。
 ギャンジョー。凶暴性も危険度も遥か『闇豹』の上。
 アリスが瀕死に追い込まれたのはこの凶獣の仕業だ。確信できる。そして自分と間違えられ
て襲撃された双子の姉エリは、今も地元の集中治療室で生死の境界をさまよっている。
 
「・・・お姉ちゃん・・・アリスさん・・・あなただけは、許せません。なにがあっても・・・この手
で・・・」

「ハッ、小娘が怒ってやがるのかッ?! 姉ちゃんナシじゃあクズみてえなガキだと聞いてた
が、ちったぁマシになったつもりかァッ、アァッ?!」

 これまでどんなに頑張っても、双子の姉エリの許可がなければ、西条ユリは相手を傷つける
闘い方ができなかった。意識しても克服することのできない、深く根ざした課題であった。
 姉と霧澤夕子。ユリにとって大切なふたりを死に追いやろうとしている巨悪が、沸騰する憤怒
を内気な少女の奥底に呼び起こしている。一度は五十嵐里美に戦力外を通告された柔術少
女。だが、もう退けぬ。ユリの本気なくしては、人類の未来は開けてこない。それより先に、ファ
ントムガール・アリスの命を救うことなどできない。
 
「てめえの姉ちゃんは楽しかったぜェッ?! 弱えくせに何度も向かってきやがってよ。やわら
けェ〜刺し心地だったぜェッ、ギャハハハ! てめえも少しは楽しませてくれんだろうなァ
ッ?!」

「それは・・・多分、できません」

「あァ? 処刑の楽しみ邪魔しといて、なにほざいてやがる?」

「私が・・・あなたを、倒すから・・・です・・・」

 内気な少女のらしからぬ発言に、疵面に浮かんでいた余裕と愉悦が消失する。
 底知れぬ怒りがユリアを変えていた。そしてまた、ギャンジョーも怒りによって態度を変えた。
 剥き出しの敵意が、雨の東京湾で交錯する。

「アリスさん・・・今、助けます。そして・・・あなたは、滅ぼします!」

「調子に乗んなやッ、怒りくらいで変われるかッ、ボケがァッ!!」

 凶獣の左の腕槍が、見せびらかすように高く掲げられたアリスに突きつけられる。させるか。
ダッシュをかけるユリアの両脚に力が込められる。
 灼熱が左脚を包んだのはその刹那であった。
 
 ブスブスブスブスブスッッ!!!
 
「ッッ!!・・・・・・んくッッ・・・」

「小鳥ちゃ〜〜ん♪ あんた、やっぱりシロップみたいに甘すぎるわァ〜〜♪」

 沈黙させたはずの『闇豹』が、細長いユリアの左脚にしがみついている。
 ふくらはぎを貫いた、10本の毒爪。
 ハリネズミのごとき姿となった膝から下の脚が、激痛と麻痺とでガクガクと震え始める。
 
「くぅッ!・・・あゥゥッ・・・・・・んゥんッ!!」

「優しくしてくれてありがとォ〜♪ お礼にたっぷりィ〜〜と可愛がってあげるぅ〜。キモい機械
女をバラバラにしたあとでねェ〜・・・キヒヒヒヒ!!」

 無意識に、受け身を取らせていた。
 仕留めるつもりだった。ユリアのなかでは。怒りは殺意にすら近いはずだった。それでも柔術
天使は本気の攻撃を仕掛けてはいなかったのだ。脳天から大地に叩き落されたマヴェルは、
そのダメージをほとんど引き摺ってはいなかった。
 後頭部を撃ち抜かれたような、衝撃であった。
 マヴェルを倒せなかったことや、身動き不能な状況に陥ったことが、ではない。これほどの激
情をもってしても、手加減をしてしまう事実が。ユリアの意志ではどうにもならないレベルで、深
いトラウマは柔術少女の戦闘力を縛っているのだ。
 
 勝てない。
 絶望的なまでの脅威を振るう敵に、こんな状態で勝てるわけがない。足手纏いなだけだ。
 押し寄せる。惨めさが。恐怖が。残酷な最期の予感が。
 猛毒に侵された左脚をがっしりと捕らえられ、銀と黄色のスレンダーな天使が完全にその動
きを止める。
 
「試し撃ちでも、させてもらうぜェ〜〜」

 疵面獣が黄色い牙を剥き出して口腔を開ける。
 高密度の闇エネルギーが内部に収束していく。暗黒の波動を放つつもりか。ユリアは瞬時に
悟った。ヤクザ者が一般人に浴びせるもっとも効果的な攻撃とはなにか? 最初から殴ったり
などしない。手を出すまでもなく、彼らは他者を脅かし、魂を削るようなマネができる。
 声だ。ドスの効いた声。
 通常なら物理的には損害を与えることのない、極道必携の武器。だが『エデン』の能力を授
かった者は、感情そのものすらを攻撃手段として具現化する。元々形がないのに、武器として
成立していた声。そこに込められているであろう氣を思えば、暗黒エネルギーを得たその威力
は・・・
 
“・・・私では・・・耐えられない・・・”

 反射的にユリアは、光の防御壁フォース・シールドを前面に創っていた。
 麻痺する左脚。背後の工藤吼介。逃げることはできなかった。だが、フォース・シールドでは
ギャンジョーの放つ激烈な怒号砲を抑えることなどできないこともわかっていた。
 絶体絶命。
 一撃で、終わる。恐らく私は、もう二度と立てない。
 絶望の底に叩き落された柔術少女に、突きつけられる死の予感。全ての覚悟をユリアは飲
み込んだ。
 
「喰らえや、オレ様の“弩轟”をッッ!!」

 ギャンジョーの口腔内で、超高密度な闇の砲弾が渦を巻く。殺人狂のヤクザが放つ恫喝。あ
まりにも巨大すぎる邪悪が放射する殺気の閃光は、かつて地上が経験したことのない殲滅の
一撃となるはずであった。
 
「ケガするって・・・言ったでしょ?」

 冷徹にすら聞こえる甘い声は、ギャンジョーの頭上から響いた。
 ファントムガール・アリス。装甲はほとんど剥がれ落ち、身体中に穴を抉られた瀕死のサイボ
ーグ戦士。
 向けている。バズーカ砲でも放つように、ピンと伸ばした右腕を。似ていた。必殺技である、ヒ
ート・キャノンを撃ち込む姿勢に。
 
「アリスッ・・・さんッ?!」

「アァッ?!」

 右腕に灼熱の砲弾が仕組まれていることはギャンジョーも知っている。だが、その射出口は
現れてはいない。鋼鉄製の右腕は装着されたままだ。
 雨粒が、アリスの右腕に触れた瞬間、蒸発する。
 銀色の腕が全体に赤みがかっていることにようやく気付き、疵面獣はアリス最後の切り札を
悟った。
 
「ヒート・キャノンッッ!!!」

 サイボーグ天使の右腕が、爆発する。
 アリスの二の腕から先が、粉々に砕けて爆散する。溜めに溜め続けたヒート・キャノンの高熱
で、特殊金属は灼熱の飛礫と化した。摂氏1000度のショットガン。飛び散る右腕の破片が、ズ
ブブブブブ!とTレックスにも似た頑強な肉体に降り注ぐ。
 右腕一本を引き換えにした、アリス究極の一撃。
 絶叫を轟かせ、噴血と肉の焼ける白煙に包まれたギャンジョーが東京湾に沈んでいく。数百
の、それも溶けるほどに熱せられた弾丸を浴びて、平気でいられるわけはない。天地も震える
魔獣の叫びを残して、海面から立ち昇る水蒸気のなかに褐色の肉体が消えていく。
 
「てッ・・・メッ・・・エエェェッ〜〜〜ッッ!!!」

 マヴェルの銀毛が一斉に逆立つ。宿敵のまさかの復活に狂気が全開する。
 ユリアの足元から立ち上がろうとした女豹の首筋に、華奢な腕が絡みついたのは瞬きの暇も
ない刹那であった。
 
「んぎゅうッ?!! おぶッ、てッてめェッ・・・ユリィ・・・アァッ〜〜〜ッ!!!」

「本気で・・・闘えないことは・・・身に沁みました・・・。“倒せない”なら・・・・・・“眠らせ”ます」

 細い腕が狂女の頚動脈を絞める。巨大化し弾力を増したミュータントの血管であっても、的
確なポイントを抑えた柔術家の裸締めは、着実に脳へと送る血液量を途絶えさせた。
 殺すことも、倒すこともユリアにはできない。ならば。技術によって、失神を狙う。
 ギュルリと青い瞳を反転させたマヴェルが、ゆっくりと波間に倒れていく。『エデン』の回復力
を考えれば、恐らく気絶の時間などわずかなものだろう。だが、自由な時間をユリアが得たの
は確かだった。
 
「アリスさんッ!!」

 銀と黄色の女神が駆け寄る。崩れそうなオレンジの女神を必死に支える。
 胸と右腕から千切れたコードを垂れ流し、全身を血の色で染めたアリスの身体は、異様なま
でに重く、熱かった。
 
「・・・バカね、ユリア・・・なんで・・・・・・こんなとこ、来たのよ・・・」

「バカはアリスさんですッ! こんな・・・無茶を・・・・・・」

 いまだシュウシュウと立ち昇る煙。
 金属製の断面とコード数本を残して、アリスの右腕は上腕部から吹き飛んでいた。
 サイボーグ戦士にとってそれは、戦力のほとんどを失ったことを意味している。
 
「・・・フフ・・・まさか、ユリに・・・・・・バカって言われるなんて・・・ね・・・」

 足元の覚束ないアリスを引き摺るようにして、吼介が待つレインボーブリッジへと歩を進めて
いく。毒のせいで、ユリアの脚もうまく動かなかった。近付いて始めて、ユリアはサイボーグ少
女の胸のクリスタルが消えそうに点滅していることに気付く。変身が解除されないのが不思議
なくらい、アリスの生命は限界まで磨り減っていた。
 
「・・・ご、ごめんなさい・・・」

「いいのよ・・・ちょっと・・・嬉しいし、ね・・・・・・ユリが・・・来てくれた、ことも・・・・・・」

 ファントムガールの姿であるユリアのことを、アリスはユリと言い始めていた。
 
「右腕・・・ひとつなら・・・・・・安い、代償よ・・・」

「アリスさん、変身を・・・解いてください。私が・・・守りますから。ここは、退避しましょう」

「・・・待って・・・その前に・・・七菜江を・・・・・・」

 左手にそっと握られた少女の肢体を、アリスがユリアに手渡す。
 サイボーグ天使が生死を賭けてこの地に乗り込んだ最大の目的。虜囚と堕ちた仲間を奪還
したツインテールの少女は、彼女には珍しくニコリと端整な美貌を綻ばせた。
 
「早く、あの男に七菜江を預けて・・・ここから逃げるのよ・・・ユリ、あなたも一緒に」

「・・・あの・・・アリスさん・・・は・・・?」

「早く行ってったら! あんたたちが死んだら・・・私がここへ来た意味がない!」

 悲痛なまでの叫びは、武道少女の中央を貫いた。
 戦力外扱いされたユリアだからわかる。罠が確実に待つ、このお台場に来る意味が。犠牲に
なるためだ。自分は役に立てない。だから仲間の身代わりになる。今のアリスにとって、最も重
要な事案は七菜江を死地から救い出し、ユリたちを無事に逃がすことなのだ。
 応えなければ。アリスに報いるためには、必死の想いで救出した七菜江を安全な場所まで運
ぶ以外にはない。
 
 衝き動かされるようにスレンダーな女神は駆け出していた。引き摺る左脚が荒々しく波を立て
る。レインボーブリッジで停車する、セダンカーの元へ。巨大化した姿で見てもハッキリとわか
る筋骨隆々の男に、大事な少女をそっと受け渡す。
 
「工藤さん、七菜江さんをお願いします!・・・このまま、行ってください!」

「ユリッ!! お前も早く来い!」

「・・・ダメです。・・・私は・・・」

 巨大な物体が海面に倒れる轟音とともに、高い水柱が噴き上がる。
 仰向けに倒れたファントムガール・アリスが、ゆっくりと海中に沈んでいく光景が、振り向いた
武道天使の瞳に映った。
 
「アリスさんを・・・助けます! お願いです、行ってください!」

「・・・ッッ!!!」

「大丈夫、必ずあとで・・・合流します! お願いします・・・七菜江さんを助けないと、全て無意
味になるんです!」

 柔術少女の言葉の意味は、痛いほどに工藤吼介にもわかっている。
 アリスが、霧澤夕子が・・・ユリアが、西条ユリが・・・命を賭して闘っているのは、大切な仲間
を救うためだ。
 逃げなければならない。七菜江を連れて、なんとしてでも生き残らねば。
 わかっているのに。わかっているのに、少女たちを置き去りにして逃げ去るのは、己を噛み
殺したくなるほどの悔しさであった。
 
「・・・待ってるぞ!! ユリッ!! いつまでも・・・待ってるからなッ!!」

 フルスロットルでアクセルを踏んだカローラが急発進する。
 狂ったように軋むタイヤがアスファルトを擦る音を残して、一台の乗用車が猛速度でレインボ
ーブリッジを品川方面へと疾走する。
 
「ッッッ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」

 男が叫んでいた。言葉ではなかった。猛獣の咆哮。限界まで稼動するエンジン音を、怒声に
も号泣にも似た雄叫びが消し飛ばす。
 破れた咽喉から噴き出た鮮血が、ビチャビチャとフロントガラスに降りかかった。
 
 力が、欲しい。
 大切な者を、守れる力が。
 無様な己と決別できる、力が。
 
 グニャリとハンドルが曲がる。咆哮の衝撃か、猛速度の反動か、ビキビキという不協和音が
車内のあちこちで漏れ始める。今にもバラバラに分解しそうな車を、筋肉獣の激情が衝き動か
す。
 
「逃がすかよォォ〜〜〜ッッッ!!! クソ野郎がアアァァッッ〜〜〜ッッ!!!」

 波柱があがる。銀毛の、女豹。殺意と狂気が巨大な青い眼にギラつく。
 脳への血流遮断で起こった失神などでは、やはり蘇生までの時間はわずかであった。蘇る
『闇豹』。瞬時にしてマヴェルは状況の把握と己が何をすべきかを理解していた。
 真っ先に狙ったのは、虜囚少女を乗せて逃走を図るセダンカー。
 生え揃った牙が口を開く。破壊の音波砲。直撃すれば、カローラは搭乗した人物ごと塵となっ
て蒸発しよう。仮に外れても、レインボーブリッジは崩れ落ち、地面を失った車は奈落へのダイ
ブを避けられまい。
 カパリと口が開く。漏れ出る、死の旋律。
 バチン!!という乾いた音色が響き、黄色の掌が平手打ちでマヴェルの顔面を叩き塞ぐ。
 
「させません!」

 顔を支点に豹の身体は空中を一回転していた。
 逆さになったマヴェルを後頭部からそのまま海上に叩きつける。大したダメージを与えられな
いのは、ユリアももうわかっている。しかし今は、とにかく敵の意識を自分に向けさせることだっ
た。
 もう一度、失神させる。戦闘の技量においてはマヴェルの上をいっている、その認識は決して
ユリアの過大評価ではないはずだ。すぐに復活するのなら、何度も“落とす”まで。海中に沈ん
だ『闇豹』の首に、再び狙いを定める。
 
 海面が一斉に沸騰したのは、その時であった。
 ビリビリと震える空気と戦慄がユリアの全身を叩く。視線を向けるまでもなく、武道少女は恐
れていた事態が現実となったことを知った。
 天に向かって吼える、ギャンジョー。
 暴走している、憎悪と破壊衝動が。抑え切れない邪のエナジーが、雨曇りの世界に濃密な漆
黒を撒き散らす。
 仕留められないとはわかっていた。アリスの右腕と引き換えにした一撃でも。それでもこのわ
ずかな時間に、かすかなダメージしか感じさせず復活するなんて!
 
「そ・・・そんなッ・・・!!」

「殺すッッ!! 殺すッッ!! コロスッッ!! どこだアアァァッ――ッッ!!! アリスッッ―
―ッッ!!! てめえだけは引き裂いてくれるああアアッッッ〜〜〜ッッッ!!!」

 すぐ先の海中に沈みかかっているツインテールの女神に、疵面獣は気付いていなかった。
 いや、違う。見えていないのだ。
 流れ出る血と己の肉が焼ける煙とで。
 
「ハンド・スラッシュ!」

 広げて突き出したふたつの掌から、正義の白い光線が連続して発射される。
 威力は大きくなくても連射が可能なハンド・スラッシュは、ユリアも会得しているファントムガー
ルの基本技であった。着弾したギャンジョーの肉体からもうもうと白煙が昇る。取り憑かれたよ
うに黄色の守護天使は光の散弾を浴びせ続ける。
 
「ボケがアアッッ!! 効くかッッ、こんなモンがよォッッッ!!!」

 ギャンジョーの分厚い体皮の前に、ハンド・スラッシュは傷ひとつつけることすら適わなかっ
た。
 だが、立ち込める煙のなかからおさげ髪の美少女が現れたとき、殺人獣はファントムガー
ル・ユリアの目論見を悟った。
 
「・・・勝負、です!」

 女子高生と殺人極道。本気で闘えない少女と、殺意丸出しの凶獣。まともにぶつかれば勝敗
は誰の眼にも明らかであった。
 チャンスがあるならば、視界を失っている今。
 さらに煙幕で視界は閉ざされている。そして気配を読むことに関しては、想気流柔術次期後
継者である少女は天才と謳われていた。
 
「小娘ッッ・・・がァッ!!」
 
 白煙のなか、激突の音が響く。
 風圧で煙幕が飛ばされ視界が開けたとき、ギャンジョーの右の槍腕は柔術少女によって捕
獲されていた。
 手首が捻られる。電撃となった激痛が、肘を経て肩まで一気に駆け上がる。
 
「えッ?!」

 飛ばない。激痛に飛び上がり、自ら引っ繰り返るはずの敵が動かない。
 耐えるというのか。このギャンジョーという悪魔は。頑強な肉体と邪悪に塗り固められた精神
とが、連綿と受け継がれた柔術の構造すらを超越するのか。己の血が引いていく音をユリアは
確かに体内で聞いた。
 
「死ねやッッッ!!!」

 裂かれた空気が唸る。
 尖った象牙の腕が、驚愕の表情を浮かべるロリータフェイスに迫る。バズーカ砲のごとき、脅
威。まともに喰らえば、首が千切れ飛ぶ。姉エリが敗れた理由を、意識の深くでユリアは納得し
た。
 
「気砲ッッ!!」

 ドンンンンンンッッッ!!!
 
 凶獣のど真ん中で、落雷を束ねたような号砲が轟き渡る。
 想気流の長い歴史のなかでも数人しか体得できなかった奥義・気砲。姉のエリにも発動不能
な究極技は、攻撃してくる力の流れをそのまま敵に撃ち込み返す秘儀であった。
 攻撃力が巨大であればあるほど、カウンターとして返ってくる威力もまた、大きい。
 街ひとつを吹き消すほどのエネルギーを持って放たれたギャンジョーの一撃は、その衝撃の
全てをユリアの小さな右拳から鳩尾に集中して撃ち返されていた。
 
“こッ・・・これも・・・耐える?・・・”

 踏みとどまる。
 かつていかなる強靭な敵も吹き飛ばしてきた極意・気砲を、疵面の凶獣が受け止める。有り
得ない光景であった。ギャンジョーの攻撃が最強の矛なら、ギャンジョーの耐久力は最強の盾
なのか。愕然とするユリアの視線の先で、ゆっくりと凶獣の顔面が牙を剥く。
 ゴボリ・・・
 溢れ出たのは、ドス黒い血塊。
 途端、弾かれたように、銀と黄色のスレンダーな肢体と重厚な茶褐色の体躯とが宙を吹き飛
ぶ。
 気砲は効いていた。だが、ギャンジョーが己に跳ね返る破壊の衝撃を耐え切ったことで、エネ
ルギーの一部がさらにユリアへと弾き返ってきたのだ。
 軽やかに脚先から海へと着地する少女戦士と、両脚で踏みしめる凶獣。
 フジテレビの社屋を背後に構えを取るユリアと、東京湾のほぼ中央で仁王立つギャンジョー
が再び対峙する。
 
「はぁッ・・・はぁッ・・・はぁッ・・・」

「・・・効いたぜェ・・・今のはよォ・・・面白えことするなァ・・・てめェ・・・」

「うぅッ・・・そ、んな・・・・・・はぁ、はぁ・・・“気砲”でも・・・倒せない・・・?・・・」

「そろそろ・・・遊びは終わるぜェ・・・ファントムガール・ユリアァァッ〜〜ッ・・・」

 ゾクンッッ!!!
 戦慄としか表現しようのない衝動が、ユリアの総身を叩く。
 反射的にユリアの身体は、空いたスペースへと駆け出そうとしていた。
 だが、数歩進んだ黄色のブーツは、すぐにその動きをピタリと止める。
 
「やってくれちゃったわねェ〜・・・小鳥ちゃァ〜〜んん・・・・・・」

 静かで、しかし怨嗟に満ちた声がゆっくりと近付いてくる。
 雨と海水に濡れそぼった銀毛の魔豹は、凍えるような青い眼でユリアを凝視し続けていた。
美少女の背中を走る冷たい予感。知っている、この感覚は。細胞が覚えているのだ、深く刻み
込まれたあの体験を。粟立つような恐怖が、足元から全身に昇って沸き起こる。
 殺された、あの時と同じ感覚。
 悪魔たちのリンチ処刑に遭い、一度は絶命したファントムガール・ユリア。あの時と同じ、濃
密な殺意がユリアの周囲を包み込んでいる。
 殺す気だ。
 ギャンジョーとマヴェル。二匹の魔獣は全力で私を殺そうと迫ってきている。逃走した白のセ
ダンカーはもはや影も見えなかった。逃げ切れたのだ。藤木七菜江と工藤吼介は。屈辱で悪
魔たちの内部は煮えたぎっているのだろう。怒りと憎しみを晴らすには、守護天使を惨殺する
以外になかった。アリス、そしてユリア。オレンジと黄色の女神を八つ裂きにして、虜囚を奪還
された復讐を果たすつもりなのだ。
 
「人質逃がしました、ってんじゃあ・・・メフェレスに何言われるか、わかんないからねェ〜・・・償
ってもらうよォ、アンタの死で」

 構えを取る、人形のような美少女戦士が。
 1vs2。本気で闘えないトラウマ。圧倒的不利にあっても、わずかな可能性がある限り武道天
使は闘いに背を向けるようなことはなかった。
 だが、そのか細き勝利への可能性は、次の瞬間完全にユリアの手から途絶えた。
 
「ッッ?!! はああうううぅッッ―――ッッ!!!」

「キャハハハハハ、バァ〜カッッ♪ お前らにとっちゃそこは、地獄の拘束台なんだよォ〜〜
ッ!!」

 フジテレビから無数に発射される暗黒の光線。
 この地点まで吹き飛ばされたのは、決して偶然ではなかった。狙っていたのだ。ユリアの身
体を死のゾーンまで運べるチャンスを。七菜江を奪われたと判明した瞬間、おそらく敵はユリア
抹殺へと標的を変えていた。
 
“しまッ・・・た・・・・・・私を・・・殺す・・・つもりで・・・・・・”

「あくッ!! んんッッ?! あッアアアッッ・・・アアぅッ!! ンアアアッッ・・・!!」

「イーッヒッヒッ!! ムダムダァ〜〜ッ!! もがいたところで逃げらんないよォ〜〜ッ♪ 身
体中をブスブスに刺されて焼かれてるみたいでしょォ〜〜ッッ?! もうお前はオシマイなんだ
よォッ、ユ・リ・アちゃ〜〜ん♪」

 直立不動で全身を突っ張らせた黄色の天使が、漆黒の稲妻に覆われビクビクと痙攣する。
 細胞が爆発して腐っていくような煉獄に、ユリアは正気を保つだけで精一杯であった。
 意志と無関係にスレンダーな肢体が揺れる。暗黒の電撃が神経を灼くことで起こる、悶絶の
ダンス。アンテナから放たれる暗黒光線の集中砲火に、ユリアは成す術なく悲鳴を挙げ続ける
しかなかった。
 
「ああッッ?! ひうッッ!! んああッ!! あああッ、アアアアアッッ〜〜〜ッッッ!!!」

「さァ〜て・・・じっくりバラしてやるぜェェェッ〜〜〜ッ・・・天才武道家の天使様よォ〜・・・」

 ギュイイイ―――ンンンンッッッ!!!
 ドリルと化したギャンジョーの左腕が、残酷な調べを響かせる。
 ビクンビクンと震えながら、ユリアは己の心臓へと狙いを定める、鋭利なドリルの切っ先を絶
望の瞳で見詰めた。
 
“ひぐぅッ!!・・・んくッ!!・・・う、動け・・・ない・・・・・・殺さ・・・れる・・・・・・”

 身を捩らせることすら叶わなかった。闇の光線を全身に浴びながらユリアに出来るのは、た
だ苦悶を示して痙攣するのみ。このまま集中砲火に晒され続けるだけでも、十数分後には聖
なるエネルギーとともにユリアの命は消滅するだろう。
 だが、そんなキレイな死に方を兇悪ヤクザは許してくれそうにもなかった。
 愉しむつもりだ。柔らかな美少女の肉を抉って。動けないのをいいことに、幼さ残る華奢な肢
体を、幾度も幾度も刺し貫くつもりなのだ。ユリアが息絶えても尚、生の挽き肉と化すまで銀色
の身体を解体するのだろう。
 引き攣るように少女戦士の唇がヒクヒクと動く。言葉は出てこなかった。
 耳をつんざくドリルの音が、なだらかに膨らんだ左の乳房に一息に迫る。
 
 やられる。心臓を、貫かれる。
 致命的なダメージを覚悟したユリアの身体を、衝撃が襲う。
 
「・・・えッ・・・?!」

 銀色のスレンダーな肢体は海面に倒れ込んでいた。無傷。衝撃は覚悟していた前からのも
のではなく、不意に飛び込んできた横からのものであった。
 
「ア、アリスさんッッ?!!」

「逃・・・げて・・・・・・ユ・・・リ・・・」

 凶撃に貫かれる寸前、武道少女の危機を救ったのは、戦闘不能に陥っていたはずのツイン
テールの女神であった。
 動けることがユリアにも信じられなかった。サイボーグ戦士ファントムガール・アリスの全身か
らは白煙がシュウシュウと立ち昇り、右腕は上腕部から失われてしまっている。仲間を助けた
い。ただその一心で、ひとはこんな奇跡を起こすことができるというのか。
 フジテレビ社屋に張られた天使殲滅の暗黒網から脱出し、東京湾の波間に倒れ込んだオレ
ンジと黄色の女神をスカーフェイスと『闇豹』が憎悪の視線で見下ろす。
 雨粒が波紋をつくる水面を割りながら二匹の脅威が迫る。無言であった。ゆっくりとした足取
りが、怒りの深さを知らせるようであった。シブトい。あと一歩まで追い詰めるのに、そのたびに
逃げられる。苛立ちはとっくに沸点に達していた。暗殺者の鋭利な両腕が、確実な死を求めて
刻々と近付いていく。
 
「・・・逃げる・・・のよ・・・・・・ユリ・・・あなた・・・だけでも・・・・・・」

「アリスさんもッ!! アリスさんも一緒にッ!!」

 異常に重く感じるサイボーグ少女の身体を支えながら、ユリアが立ち上がる。
 もはやアリスの肉体のどこからも力を感じることができなかった。
 
「変身を・・・解除・・・するのよ・・・・・・・ユリ・・・」

「アリスさんこそッ・・・早く変身を、解いてください! なんで・・・なんで解除しないんですか
ッ?!」

「・・・・・・それは・・・できないのよ・・・」

 殺気が、暴発した。
 叩きつけられる死の脅威。疵面の凶獣と銀毛の女豹とが、塊となって殺到する。
 前に出ていた。盾とならんとする、武道少女の決意。だがスレンダーなユリアの肢体は、サイ
ボーグ少女の手によって突き飛ばされていた。
 
 ドシュウウウッッ!!! ズブズブズブズブズブッッッ!!!
 
「・・・な・・・んで・・・ッッ・・・!!」

 可憐な柔術家の少女は、その瞬間に全てが終わったことを悟った。
 弾き飛ばされた、ユリアの瞳に映るもの。
 右胸を背中まで極太の槍腕に貫かれ、腹部を十本の毒爪で抉り刺されたツインテールの女
神が、冷たい雨に打たれながら断末魔の苦しみに震える光景であった。
 
「・・・・・・かッ・・・いじょはッ・・・ゴブッ!!・・・で、できィ・・・ない・・・のッ・・・」

 異常なまでに震える、オレンジ色の天使。
 絶命寸前のアリスが言葉を紡ぐ。魂から搾り出された声は、しっかりとユリアの耳に届いてき
た。
 
「へんしんッ・・・をッ・・・と、解いても・・・・・・も、もうッ・・・助からないッ・・・から・・・エ、『エデン』
がッ・・・・・・ゴボォッ!! ・・・わかってる・・・からッ・・・」

「そんなッッ・・・そんなことってッッ・・・!!」

「あなた・・・ひとりッ・・・で・・・・・・カフッ・・・に、逃げる・・・のよ・・・」

 海上に崩れ落ち、四つん這いとなったユリアに向かい、黒い血塊を吐き続けるアリスの顔
が、ガクガクと揺れながらゆっくりと振り返る。
 ニコリと、微笑んだ。
 端整なアリスの美貌が、見せたことのない表情であった。まるで、四葉のクローバーを見つけ
た時のような、明るい少女の笑顔――。
 
「わかる・・・でしょ? ユリ・・・私は・・・もう、ダメッ・・・なのよね」

「いやッ・・・嫌ですッ・・・アリスッ・・・さんッ・・・!!!」

「七菜江と・・・あなた・・・・・・ふたりも、助けられてッ・・・大満足・・・よッ・・・」

 空いているギャンジョーの右腕が高々と掲げられる。象牙のように尖った切っ先が、残酷な
光を跳ね返す。
 アリスの台詞を断ち切るように、凶獣の惨撃はサイボーグ天使の左脇腹から右脇までを、一
気に貫通していた。
 
 ドジュウウウウッッッ!!! ブチッ、ブチブチブチィッッ!!! スボオオオッッ!!!
 
「うぐうゥッッ?!! はアッぐううゥゥッッ―――ッッッ!!!!」

「イッ、嫌アアッッ〜〜〜ッッッ!!!」

 両脇腹と口腔とから、噴火するような大量の鮮血が迸る。銀とオレンジの天使は、もはや凄
惨な紅に染め抜かれていた。
 ヴィッ・・・・・・ヴィッ・・・・・・ヴィ・・・・・・
 消え入りそうな音色を立てていた胸中央のクリスタルが、その点滅の速度を、ゆるく、ゆるく、
落としていく。
 ズボズボと凶器を生肉から引き抜く響きが続き、アリスをメッタ刺しにした十二本の刃が抜か
れる。噴き上がる血の霧に、東京湾が朱色に霞む。
 穿たれた無数の孔からドクドクと鮮血を垂れ流すアリスの身体は、ついに直立したままピクリ
とも動かなくなった。
 お台場の海にツインテールの巨大女神が仁王立つ。胸を大きく抉られ。腹部に無数の孔を
開けて。右腕を失い、全身を血祭りに挙げられて。
 民放の雄と称されるマスメディアの真ん前に晒された、敗北の守護天使の像。
 それは人類に対する示威行為としても、あまりに残酷な光景であった。
 
「次はお前だ、ユリアァ〜〜ッッ・・・」

 舌なめずり、というのがピタリとくるギャンジョーの声であった。
 ふたつにまとめたおさげ髪を垂らし、海のなかでうなだれ座った黄色の天使。
 だが、わかる。殺人狂の悪魔には、ユリアの感情が。仲間の死を嘆く、だけではない。強い
怒りと闘争心。散華したアリスの仇を討つべく、この少女戦士は復讐の牙を尖らせ昂ぶってい
るのだ。
 まさしく思うツボであった。
 ユリアの戦闘力はもはや見切っている。甘すぎる、小娘。確実に殺せる獲物であった。次に
向かってきた時が、ファントムガール・ユリアの最期となる。
 
「一度に二匹も守護天使さまを葬れるとはなァ〜〜」

 歓喜の言葉が自然、口を衝いて出ていた。
 
「このギャンジョー、狙った獲物は逃がさねえ。ファントムガール・アリスが唯一の例外だったが
よォ、ほれこの通り、穴だらけになって死んじまったぜ! ギャハハハハハ!」

 ギリッ! 歯軋りの音が美少女の口元から漏れる。
 跳躍していた。怒りに衝き動かされ、無謀とも思える闘いを再度挑むファントムガール・ユリ
ア。ニヤリと唇を綻ばせたギャンジョーが、ふたつの腕を鋭いドリルに変形させて迎え撃つ。
 本気を出せない柔術少女が、真正面から恐るべき凶獣に突っ込んだのは自殺行為であっ
た。
 見掛けによらぬ猛スピード。ギャンジョーの腕ドリルが飛び込むユリアのロリータフェイスに突
き出される。
 
 ギュルルルルッッ!!! ズリュッ!! ブリブチブリリッッズバアッッ!!
 回転するドリルが、肉を引き裂き、貫く壮絶音。
 
「・・・・・・逃げなさい・・・・・・ユリ・・・」

 立ち尽くしたファントムガール・アリスの姿は、無惨でありながら美しかった。
 ユリアをかばって差し出した左腕が、二の腕のところでふたつのドリルに貫かれている。
 ブジュブジュと噴き出す大量の血が、呆然としたユリアの顔に降りかかる。生身のままである
アリスの左腕は、筋肉の繊維がほとんど断ち切られ、かろうじて薄皮で繋がった状態であっ
た。肉体も精神も、とっくに死滅しておかしくないのに。聖なるエナジーが尽きたはずのアリス
が、再び戦友の盾となっていた。
 
「・・・ゆッ・・・夕子ッ・・・さんッッ!!・・・」

「・・・あと・・・・・・頼んだわ・・・よ・・・・・・」

 言葉を搾り出すアリスの表情を、もう確認することはできなかった。
 銀と黄色の天使が光の粒となる。思った瞬間、眩い光は散乱し、ファントムガール・ユリアの
雄姿は跡形もなく東京湾から消えていた。
 
「ッッ・・・てめえは・・・相変わらずムカつかせてくれるじゃなァ〜い・・・」

 しばしの静寂を破ったのは、怨嗟に満ちた『闇豹』の声であった。
 アリスの不屈とも思えるしぶとさは忌々しい限りであった。人質であった藤木七菜江は奪還さ
れ、始末できるはずだったファントムガール・ユリアにも逃げられた。恐らく、この結果はアリス
が望んだ通りのものなのだろう。いつでも殺せたはずのファントムガール・ナナを生かしておい
たメリットは、この瞬間霧散したと言える。
 だからこそ、アリスだけは殺さずにはいられなかった。
 屈辱にも近いこの感情を晴らすには、因縁深いサイボーグ天使を惨殺せねばならない。それ
がわずかでも溜飲を下げることのできる唯一の方法。
 
「獲物を逃したことのないオレが・・・てめえのせいでふたつも汚点を残しちまった。まずてめ
え。そしてユリアだ」

 日本一の暗殺者を自認するギャンジョーにとって、ターゲットに逃げられるのは屈辱以外の
何物でもなかった。
 ドス黒い炎が胸の内でとぐろを巻く。このオレが、よもやコケにされようとは。それも半分ほど
の体重しかない女子高生に。面子を潰す、それはヤクザに対する最大の重罪。殺人狂の疵面
獣のプライドを傷つけた罰は、死以外には有り得ない。
 天使殲滅の処刑場に、ただひとり残されたツインテールの鎧女神。
 全ての憎悪と殺意がアリスの身に集約するなか、サイボーグ少女の運命は決まった。
 
「死ねやアッッ!!! ファントムガール・アリスゥゥッッ!!!」

 ふたつのドリルが回転する。アリスの左腕を串刺しにしたまま。ビチャビチャと赤黒い塊が、
少女の肉を削る猟奇音とともに振り撒かれる。
 
「グアアッッ?!! ウアアァアアッッッ〜〜〜ッッッ!!!! アアアアアッッ―――ッッ
ッ!!!!」

「ラクには殺さねえぜェェッッ、クソアマがァァッッ!!! 原型も留めねえほどグチャグチャに
してやらあァッ〜〜ッッ!!!」

「う、腕がァァッッ――ッッ!!! アッ、アアッ、アアアアアッッッ―――ッッッ!!!!」

 ブチンッッッ!!!
 
 アリスには、その音が天をも轟かす大音声に聞こえた。
 オレンジの模様が描かれた銀色の左腕が、くるくると回転しながら宙を舞う。
 残酷な両腕のドリルはついに少女の二の腕の筋肉全てを断ち切り、アリスに残されたもう一
本の腕を胴体から切り離していた。
 左腕の着地点で、海が高く水柱をあげる。華が咲いたように、ささくれた腕の切断面から真
紅の飛沫が噴き出す。
 
「アアアアッッ〜〜〜ッッッ!!!! ガアアアッッ―――ッッ!!! ウアアアアッッッ―――
ッッ!!!」

「ギャハハハハハ! いい姿になったなァッ、アリスよォッ〜〜ッッ!!」

 我が身を襲った残酷な悲劇に混乱するアリスに、背後に回った暗殺獣の気配を勘付けるは
ずもなかった。
 通常の槍状態に戻った二本の腕を、大きく広げるギャンジョー。
 黄金の鎧が剥がれ、無防備となったアリスの胸の両脇を、凶獣の杭は左右から肋骨ごと砕
いて刺し貫いた。
 
「アグアアッッッ?!!」

 刺突の響きはグシャリッッ!!と重いものだった。
 仰け反った瞬間、アリスの引き攣る絶叫はピタリと止んでいた。
 肺腑の器官ほぼ全てが、潰されていた。もはや呼吸も、満足にできない。サイボーグの体内
を巡る人工体液が肺を満たし気道にまで溢れていく。ドブドブと真っ黒な血とオイルにも似た液
体が、痙攣する唇からこぼれ落ちる。
 ヴィ・・・・・・・・・ヴィ・・・・・・・・・ヴィ・・・・・・・・・
 まだ息があることを知らせるかすかな水晶の警告音だけが、惨劇の舞台に静かに流れてい
く。
 
「あんたには、さんざん世話になったよねェ〜〜♪」

 ツインテールを鷲掴み、強引に整った容貌を覗かせたマヴェルが処刑囚の正面に立つ。胸
を左右から串刺しにされ、両腕を失ったたアリスに、なんの抵抗もできるはずはなかった。
 
「ようや〜くあんたを殺せる日が来たみたいねェ〜。このマヴェルに殺されるんだから、あんた
も本望ってもんでしょォ〜?」

「・・・・・・マ・・・ヴェ・・・・・・」

「おらァッ〜〜ッッ!!!切り刻んでやるよォッッ、クソブタがァァッッ!!! ゲラゲラゲラゲラ
♪」

 左半分、金属の表面を見せているアリスの顔に、鋭利な青い爪が5本立てられる。
 ギャリッ!! ギャリギャリッッ!! ガリガリガリッッ!!!
 ザクリと縦に切り裂かれていく、美少女の容貌。
 女性にとって、それも思春期の少女にとって悲痛すぎる仕打ちに、乙女の叫びが知らずに漏
れる。
 
「ガアウッッ?!! ギイィッッ・・・い、イヤアアッッ〜〜ッッ!! ・・・や・・・めッッ・・・・・・」

「キャハハハハハ!! 楽しいィィッ〜〜♪ 楽しすぎるゥゥッ――ッ♪ そらァッ、ズタズタにし
てやるよォッ〜ッ!!」

 グサリとサイボーグ天使の肩に、十本の青爪のナイフが突き立てられる。蹂躙の時間であっ
た。憎き宿敵を、ついにこの手にかけて葬れる日。アリスの生皮を全て剥いでやりたかった。
グリグリと柔肉を抉る感触を堪能した後、肩口から太腿にかけて、深く、長く、じっくりと鋭利な
刃は下ろされていった。
 ブチィッ・・・ビリビリビリィィッッ・・・グジュ・・・ザク・・・ビリッ、ブチィッ・・・
 
「ビクンッッ!! がふッッ!! ア・・・アガ・・・ビグビグ!! ひぐうッッ!!」

 文字通り、アリスの身体は『闇豹』の手によって切り裂かれていった。
 まるで敗者の烙印を押されるように。十の創傷を縦に刻まれた無惨な天使。流しすぎた血
は、もうほとんど残されてはいなかった。バチバチとあちこちの箇所で火花が散っている。銀の
皮膚が内側からショートし、覗いた金属の断面から切り裂かれたコードがズルリとこぼれ出て
いた。生身部分だけでなく、サイボーグの機械部分もすでに限界を迎えて壊れ始めていた。
 
 解体・・・されるのね・・・・・・
 
 定かではない意識の中で、アリスは己に待ち受ける過酷な運命をぼんやりと悟っていた。
 死が避けられないことはわかっていた。まだ生きているのが不思議なくらいだ。サイボーグで
あるが故、他のファントムガール以上に頑丈に出来ているのだろう。まだ楽になれないのが、
正直辛い。
 憎しみを一身に煽るような闘いをしてきた。残酷な殺され方はとっくに覚悟できている。この
煉獄が続くなか、悶え苦しみ抜いて死ぬのだろう。
 
 構わないわ。私は十分、幸せだった。
 
 仲間ができた。かけがえのない、仲間たちが。時に冷たい態度を取り続けた私が、温かく迎
えられるようになった。アリスとして闘うことで、何人かの人々を救うくらいのことはできたと思
う。
 多くのものを手に入れた。私には勿体無いくらい、多くのものを。
 そのうえ七菜江とユリのふたりを救って死ねるなんて・・・上出来といっていい人生じゃない。
 
「ま〜だ、生きてんのォ〜? マジでキモイぐらいシブといよねェ〜・・・」

 ツインテールを両手に握り、血塗れの天使をマヴェルが宙吊りに掲げる。ブラブラと揺れるア
リスの身体のなかで、ただひとつ動いているのはかすかに点滅する胸のクリスタルのみであっ
た。全身至るところを切り刻まれ、無数の箇所からコードを引き出されたサイボーグの残骸。
誰の眼にも、愛らしい守護天使が死を迎えるのは明白であった。
 
「どうだァ、アリスゥゥッ・・・いっそクリスタル壊して終わらせてやろうかァ、あァッ?!」

 醜く歪んだ疵面の笑顔を、ギャンジョーがアリスの目前に突きつける。
 整った美少女の顔は、毒爪で抉られスカーフェイスになっていた。嗜虐の悦びが総身を駆け
巡っている。小生意気な女子高生の哀れな死に顔。屈辱を味合わせてくれた小娘を嬲り殺す
快感。異様なまでの昂ぶりは納まりそうにない。
 ゴツン、と響いたのはそのときであった。
 視線を降ろすギャンジョーの股間に、アリスの右脚が吸い込まれている。
 蹴り上げたのか、この期に及んで、この女は。
 
「ッッッ〜〜〜ッッッ!!! てェッ・・・めええェェッ・・・!!」

 変化する右腕が巨大なペンチへと形状を変えていく。
 両腕を無くした無惨な姿に変わり果てても、もはや一縷の生存の可能性すら途絶えていて
も。
 ファントムガール・アリスは闘いをやめようとはしなかった。それが逆鱗に触れるとわかってい
るのに。
 
「生きたまま内臓抉り取ってくれるわッッ!! おらァッ、泣き喚けッ!!」

 右胸に開けられた傷穴に無造作にペンチが突っ込まれる。眼を覆う、残虐な光景。
 バキバキと無機質が破壊される調べと生体が抉られる音。アリスの体内を掻き乱し、巨大ペ
ンチが科学が生み出した金属の臓器を探る。
 
「ぎうゥゥッッ?!! ひぎいいいィィッッ・・・ギイッ?! ギャアアアアッッ〜〜〜ッッ!!!」

「まだいい声で鳴けるじゃねえかッ、おいッ!! おら、痛えかッ?! 苦しいかッ、アリスゥゥッ
〜ッ!! 守護天使様の体内はあったかくて気持ちいいぜええェェッ〜〜ッッ?!」

 グチュ・・・グジュル・・・ゴキンッ・・・ベキゴキッ!! バキンッッ!!
 
「ギャアアアッッ・・・ふばあァッ?!! あぎゅうァッッ!! ギィアアアッッ・・・やめェェッッ――
ッッ!!! やべでえええッッッ〜〜〜ッッッ!!! 許じでえええェェッッ――――ッッ
ッ!!!!」

「ギャーッハッハッハッハッ!! これ何だァ? なんか掴んだぜェェッ!! おらァッ、毟り取っ
てやるッッ!! 苦しいかァッ、守護天使さまァッ〜〜ッッ?!! ヒャハハハハハ!!」

「いやあああアアアッッッ〜〜〜〜ッッッ!!!! ひィィッ、ひんひゃッッ・・・死んひゃううッッッ
――ッッ!!! ギャアアアアアアアアッッッ――――ッッッ!!!!・・・・・・」

 ブチブチブチッッ!!! ゴトンッッ!!!
 アリスの体内から金属製の立方体が引き摺りだされ、ペンチから投げ捨てられる。数本の細
いコードが音を立てて断裂していく。
 その装置が人間の臓器でいう何に当たるかはギャンジョーには解らない。もしかすると臓器
ではなく、兵器の一部などかもしれぬ。
 だがアリスに壮絶なダメージと底なしの絶望を与えたことは、苦痛に泣き叫んだまま硬直した
表情と、開けっ放しになった口から垂れ流れる膨大な吐血とが教えてくれた。
 守護天使とすら称される巨大な少女が、怪物の手により体内から臓物を引きずり出される光
景は、単純な処刑以上に衝撃的な惨劇であった。
 
「アッ・・・あくッ・・・ゴボゴボッ!!・・・ゲボオォッ!!・・・・・・」

「そうそう、その顔・・・苦しみ泣き叫ぶそのツラ・・・ちゃんとできんじゃねえか。クク、とは言って
ももう聞こえちゃいねえか。やるぞ、『闇豹』」

 疵面獣の合図にあわせ、マヴェルが処刑囚の身体をお台場の砂浜へと横たわらせる。
 仰向けに転がされたズタズタの天使は、もはや人類への見せしめに利用されるモルモットで
しかなかった。サイボーグであるがため、いまだ死ぬことを許されないファントムガール・アリ
ス。両腕のない無惨な少女を、残酷な悪魔二体が冷たく見下ろす。
 端整な顔が切り刻まれていた。
 銀色であった肢体はオレンジの幾何学模様が判別不能なまでにズタズタに裂かれ、血の海
に漬けたかのようであった。丸みを帯びたふたつの乳房が抉られている。胸と腹部、それぞれ
の両脇に開いた孔。断線したコードが皮膚の破れ目からこぼれ、全身のあらゆる箇所でバチ
バチと火花をあげている。
 サイボーグ戦士・ファントムガール・アリスの末路であった。
 踏み潰された虫が、原型も留めぬのにピクピクと動くことがある。スクラップにされた機械製
品が、なにかの拍子に不意に動くことがある。
 今のアリスがそれだった。
 もはやアリスは破壊されていた。
 ただ、命の炎がいたずらに灯っているのみ。
 
「・・・あ・・・・・・えあ・・・・・・ゴフッ・・・・・・あぐァ・・・・・・」

「な〜んでここに連れられたか、わかる〜?」

「・・・・・・ゴブ・・・うァ・・・・・・」

「一応ね、定点カメラをセットしておいたのよォ〜。フジテレビから全国中継できるようにねェ
〜・・・ファントムガールの死に様を見せ付ける、いいチャンスだもんねェ〜♪」

「腕千切られて、メッタ刺しにされたてめえの姿が、全国のヤツらに見られてるってわけだ。だ
がよォ、これから生中継される映像は、もっとガツンとくるもんになるぜェェ〜〜・・・『闇豹』、や
れや」

 指示を受けたマヴェルが投げ出されたアリスの両足首を掴む。ムッチリと張った肉付きのい
い太腿が、銀色の光沢を跳ね返してやけに艶かしく映る。
 変化していくギャンジョーの右腕を見詰めながら、サイボーグ少女は己に課せられた次なる
地獄の内容を悟った。
 ギャンジョーの右腕は、鋭い刃を無数に生やしたノコギリへと変わっていた。
 
「ヒャッハッハッハッハッ!! これぞまさしくファントムガールの解体ショーだァッ!!!」

 脚の付け根に触れる、冷たい刃の感触を確かにアリスは実感した。
 地獄絵図が、展開された。
 ギコギコとノコギリの刃が鳴る。絶叫。悲鳴。懇願。血飛沫の噴射音と猟奇の光景。
 都合2回、ノコギリの擦過音は鳴り響き、アリスの胴体からふたつの物体が切り離された。
 
「ギャハハハハハハッッ!! ファントムガールがダルマになっちまったぜェェッッ!!」

「アハハハハハ♪ ゲラゲラゲラゲラ、いいザマァ〜〜ッッ!!! 待ってたんだよォッ、てめえ
がこうなる日をなァァッッ!!」

 二匹の悪魔が、女神のツインテールをひとつづつ持ち、宙空に吊り上げていた。
 両腕両脚を失った、胴体のみのファントムガール・アリス。
 侵略者と身を張って闘い、人類を守り続けてきた装甲天使を待ち受けていたものは、あまり
にも悲痛な最期であった。
 戦利品となったアリスの四肢は、闇の力を誇るように、お台場周辺に散りばめられている。
 お台場海浜公園の砂浜に右脚。台場公園の正方形の土地に左腕。そして、レインボーブリッ
ジの上に左脚。
 赤髪のツインテールを両サイドから握られ、ブラブラと揺れるアリスの胴体は、両耳を掴まれ
吊り下げられた狩りのウサギを思わせた。ボトボトと鮮血が垂れ落ちる。残酷な公開処刑に科
せられた守護天使の端整な顔は、無表情に固まっていた。
 
 ・・・・・・・・・ヴ・・・・・・・・・ヴ・・・・・・・・・
 
「アハハハハ♪ 胴体だけになっても、こいつ、まだ生きてやがるわァッ〜〜ッ!! どうするゥ
〜、ギャンジョー? いっそ首も切断しちゃうゥ〜〜?」

「ハッ、泣き叫ばねえんじゃ面白くねえ。投げろや、マヴェル。そのガラクタの残骸は、“弩轟”
の試し撃ちに使ってくれるわ」

 胸の水晶体の奥深く、消え入りそうにかすかに瞬く光を認めたマヴェルが、四肢のない銀色
の女神を高々と持ち掲げる。仕留めた獲物を誇るように。
 ガクンと首が垂れ、ツインテールの赤髪がサラサラと流れ落ちていく。
 ファントムガール・アリスは最期の瞬間を迎えた。
 
「サ・ヨ・ウ・ナ・ラ♪ ファントムガール・アリスッッ〜ッッ!!」

 待ち構える疵面獣の上空に向かって、物体と化したサイボーグ少女の胴体を、かつての宿
敵が力の限りに投げつける。
 
 これで・・・・・・いいのよ。
 
 意識とすら言えぬ白い世界のなかで、アリスの魂が言葉を放っていた。
 
 私が犠牲になることで・・・七菜江とユリを助けられた。
 もう私は・・・十分に生きた。
 死ぬのは・・・怖くない。惜しくない。
 これで全て・・・・・・いいの。
 
 なにかの光景が入り込む。
 暗い空と海。小さく見える、フジテレビ社屋の屋上とレインボーブリッジ。
 血染めの巨大な腕と脚が、オブジェのように置かれている。よく見知った、守護天使の手足。
 天高く投げ上げられた身体が、上空から見下ろしている景色なのだとわかった。
 
 これで、終わる。死が、待っている。
 逃げることはできない。助けも・・・入ることはない。
 でも・・・・・・これで、いいの。
 
 残忍な腕を持った分厚い凶獣が上を向いている。大きく開けられた口。生え揃った牙のなか
で、高密度な漆黒が渦を巻いている。
 あれをやる気だ。暗黒のバズーカ砲。耐えられるわけがない。破裂。
 我ながら、ひどい・・・・・・死に方ね。
 
 皮肉な笑みを思い浮かべたその時、死に逝くアリスの瞳は、レインボーブリッジを蠢く小さな
点を認めた。
 まさかという想い。大地が近付くにつれ、すぐにそれは消えた。
 間違いなく、動くものがあった。
 人影であった。
 
 ・・・・・・父さん・・・ッッ?!!
 
 霧澤夕子の父、有栖川邦彦が人も車もいないレインボーブリッジの上を走っている。
 ひとりだった。白衣を着ていた。
 何かを叫んでいた。何かの名を。
 それが自分の名前であることを、アリスはすぐに悟っていた。
 
「・・・死に・・・たくないッ・・・・・・死にたくないッッ・・・・・・お父さんッッ!!」

 お父さんッ、まだ別れたくないのッ!! 話したいことがいっぱいあるのッ!! あなたと・・・
まだ触れ合いたいのッッ!!
 里美ッ、七菜江ッ、ユリッ、桃子ッ!! 会いたいッ、あなたたちに会いたいッ!! このまま
別れたくない、まだ私たち、これからでしょッ?! 大好きよ。今までも、これからも、ずっと一
緒なんでしょッ?! 死にたくないッ、こんなところで死にたくッ・・・
 
「“弩轟”オオォォッッッ―――ッッ!!!」

 ドッッッ・・・オオオオオオオッッッ――――ッッッ!!!!
 
 暗黒の粒子砲が一直線に地から天へと吐き出される。
 殺人鬼ギャンジョーの闇エナジーを収束した波動砲は雨雲の空を割り、高く放り投げられた
ファントムガール・アリスの鳩尾を貫いた。
 
 ドオオオオオンンンンンッッッ!!!!
 
 ヴンッッ!!!
 胴体の中央に風穴を開けられた守護天使の胸のクリスタルが、消える。
 アリスのなかで全ての光が、消滅していた。
 暗黒の一撃で絶命した少女戦士の屍体は、重力に引かれてそのまま疵面獣の頭上に落ち
てきた。
 尖った右の槍腕が、天に向かって突き上げられる。
 
 ガシャアアアアンンッッッ・・・!!
 
 ギャンジョーの象牙の腕がアリスの胸中央を突き刺すや、命の象徴エナジー・クリスタルは
粉々に砕けて散った。
 パラパラと水晶の破片が疵面に降りかかる。
 暗黒波動に貫かれた守護天使の聖なる光は完全に消滅し、ファントムガール・アリスは一切
の生命活動を停止していた。
 アリスの思惑通り、囚われた藤木七菜江の救出は成功した。西条ユリも窮地を脱した。
 だがその引き換えに、ファントムガール・アリスは死んだ。
 凶獣ギャンジョーの手にかかり、四肢をバラバラにされた末、惨殺された。
 
「ヒャハハハハハハ! 見ろや、お前らの希望、ファントムガール・アリスは死んじまったぜェェ
ッ!! オレ様がこの手で殺したのだ!! これでサクラに続き二匹目だなァッ!!」

 鳩尾を貫かれ、胸のエナジー・クリスタルを割られた守護天使の亡骸が、勝ち鬨の哄笑とと
もにフジテレビの画面に映し出される。
 中央に開けられた風穴の周囲は、黒く焦げ爛れていた。泣き叫ぶ表情のまま固まった美貌
が、壮絶な苦痛を偲ばせる。光を無くした瞳から垂れ落ちる一筋の鮮血が、まるで無念の涙の
ようであった。
 絶命したファントムガール・アリスの惨死体は数分間に渡って、全国に放送され続けた。
 
 次なる標的を狙うため、悪魔たちが消え去ったお台場に、静寂が戻る。
 パラパラとそぼ降る雨音だけが世界を包む。濃い血臭が漂ってさえいなければ、数十分前ま
で正邪の激闘が繰り広げられたとは思えなかった。
 砂浜に、巨大な少女の右脚が転がっている。
 少し先にある突き出した埋立地には、同じ少女のものと思える左腕が置かれていた。レイン
ボーブリッジの上には血に染まった左脚が放置されている。
 東京湾を挟んだレインボーブリッジの対岸に、特徴的なフジテレビの社屋が建っていた。
 闘いのあおりを受け、ところどころが瓦解している。だが、明らかな変化は屋上にあった。
 
 手足をもぎ取られ、胴体だけとなった守護天使の屍体が突き立てられている。
 全身、顔までも切り刻まれていた。ボリュームのある乳房が大きく抉られ、断線したコードが
引きずり出されている。鳩尾の部分が背中まで貫かれ、身体の中央に大きな穴が開いてい
た。胸中央にあるはずの青い水晶体は、わずかに破片がこびりついているのみであった。
 人類の希望を背負い、闘い敗れた少女戦士の末路。
 民放放送の社屋に飾られたファントムガール・アリスの無惨な死体は、正義の敗北を全世界
に晒しているかのようであった。
 
 凶獣ギャンジョーの前に、ファントムガール・アリスは死んだ。
 残酷な公開処刑の光景に、人類は絶望の闇に沈んだ。




第十二話 3章〜
第十二話 3章〜



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