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4、
まだ、桜が舞い散る季節だった。
遠くで歓声が巻き起こる。振り向かなくても、体育館から洩れたものであることは容易に知れ
た。先輩たち、逆転したんだ。木陰で仰向けに寝転んだ藤木七菜江は、轟く声の大きさでなに が起きたかを悟っていた。額に乗った冷たいタオルが、ちょっとわずわらしく思う。
見上げる春の空は、どこまでも青かった。
ふわふわと舞い降りる、薄桃色の花弁。じっと見ていると、天に吸い込まれそうになってくる。
酔っちゃいそうだな。呟きながらもショートカットの少女は、桜吹雪を樹の根元から見上げ続け た。
知らなかった。
空をバックに見上げる桜が、こんなにキレイなものだなんて―――。
「あなた、もう大丈夫なの?」
不意に声を掛けられても、自分でも意外なまでに七菜江は驚くことはなかった。
掛けられた声が、陽だまりのように温かなものだったからかもしれない。口調に、隠しきれな
い優しさが滲んでいたからかもしれない。
サク、と軽く新緑の大地を踏む音がして、七菜江は誰かがすぐ傍にまで近づいていることを
知った。今から思えば、その距離まで気付かなかったのは、接近者の体術が成せる業だった のだろう。
「ん・・・大丈夫」
「かなり厳しくチェックされてたものね。ハンドボールの試合って、いつもあんなに激しいものな
の?」
「あはは・・・あたしは特別かなー。なんかいっつも狙われてる・・・気がする・・・」
「あれだけ目立った活躍したら、狙われるのも当然なのかな?」
天を見上げる七菜江の視界に、傍らに立った人物の顔がひょっこりと飛び込んでくる。
柔らかな微笑を湛えた少女の顔は、眼の醒めるような麗しさだった。
「あッ!? い、五十嵐里美ッ!?・・・さんッ!」
「ちょッ、ちょっとあなた、身体起こして平気なの!?」
「へ、へーきへーきッ! 桜見てただけだ・・・ですから! ていうか、なんで里美さんがこんなと
ころにッ!?」
上半身を跳ね起こした七菜江は、勢いよく飛んでいったタオルを慌てて拾う。予想外の人物
の登場に、動揺するユニフォーム姿の少女の様子は、傍目から見ても不自然なほどだった。 周囲に人影がなかったのは、七菜江にとってはラッキーだったかもしれない。
「校内でハンドボール部の練習試合があると聞いたから、見ていたの。あなたこそ、なぜ私の
名前を知っているの?」
「だ、だって生徒会長じゃないですか! それにほら、里美さんほどの有名人はこの聖愛学院
にはいませんって!」
怪訝そうに切れ長の瞳で見詰める里美に、七菜江は弁解じみた口調で言った。
己がどれほど大きな影響を持つ存在なのか、生徒会長であり旧華族出身の令嬢であり学園
のマドンナである里美は自覚していないようだった。
「里美さんのことを知らないひとは、この高校にはいないです! 男子にとっても女子にとって
も、里美さんは憧れの存在なんですから!」
「え? そ、そうなの?」
「そうですよ! だから、あたしが知ってるのも当たり前なんです! 別に深い理由なんてない
んですから、全然気にしないでください!」
言えば言うほどドツボに嵌っていくのを、オーバーに手を振りながら七菜江は自覚していた。
五十嵐里美が学園の人気者で、誰もがその存在を知っているのは嘘ではない。間違いなか
った。
ただ、数ヶ月前に知り合った、同じ聖愛学院の先輩・・・街のチンピラに襲われていたところを
救ってくれた恩人が、里美の恋人と噂されているのを七菜江は調べ上げていた。それとなく、 男の噂を集めていたら、五十嵐里美に行き当たってしまったのだ。
初めて里美とその男子生徒とが仲良く話しているのを目の当たりにしたときは、ショックだっ
た。
格闘獣などと異名をもつ先輩が、あんな優しい眼差しで見詰めるのは里美以外にはいなかっ
た。
「あなた、ウソつけない性格って、よく言われない?」
クスリと微笑みながら、里美は猫顔の少女に視線を合わせるべくその場にしゃがむ。
甘い香りが、鼻腔の奥をくすぐる。ひとつしか年齢の変わらないはずの生徒会長は、七菜江
には随分とオトナの女性に写った。
「い、いえあの・・・憧れの存在っていうのはホントですよ!? そこはウソじゃないです!」
「くす・・・あなたがとってもいいコだって、よくわかったわ・・・ちょっと、羨ましいかな」
頬どころか顔全体を、七菜江は一瞬にして赤く染めた。
見ることはあっても、対等に喋ることなどないと思っていた存在が、不意に身近になった瞬間
だった。
「ごめんなさい。あなたの名前をまだ聞いてなかったわね」
「ふ、藤木七菜江ですッ! あの、その・・・どうしてあたしなんかに声を!?」
「試合を見ていたら、すごい動きをするコがひとりいるな・・・と思ってね。相手が反則覚悟で潰
しにきてたものね」
「あはは・・・それでこのザマですけどね」
「ナナエだったら・・・ナナちゃん、ってこれから呼んでもいいかしら?」
わずかに小首を傾げて訊く里美のことを、七菜江はとっくに好きになってしまっていた。
「もちろんですッ!」
「これからもよろしくね、ナナちゃん」
ざあっ・・・と一陣の風がふたりの間を通り過ぎる。
春の強風に煽られて、桜の花びらは渦を巻いて舞い踊った。
「わあっ・・・キレイですね・・・」
「・・・そうね」
「でも、なんか切ないな・・・こんな簡単に散っていくなんて」
「・・・どんな花にも、散る時はくるのよ、ナナちゃん」
スッと立ち上がった里美は、頭上に広がる薄桃色を見上げながら、静かに言った。
「だから、せめて・・・その姿を心に留めておきたいの。そうすれば、心のなかでずっと咲き続け
られるから・・・」
ビョオオオオオオッッ・・・
吹き抜ける風は、春ではなく、冷たい秋のそれだった。
大地に座り込んだ青き守護天使の瞳に、力なく風に揺れる、しなやかな四肢が映り込む。
東京タワーに串刺しにされた、ファントムガール・サトミの手足が。
紫のブーツやグローブを履いた銀色の素肌は、鮮血で薄黒く汚れていた。開きっぱなしの唇
から、糸を引いて垂れる深紅の唾液。その瞳にも、胸のクリスタルにも、下腹部のクリスタルに も・・・もはや光は灯っていない。
ナナが見ている目前で、サトミの処刑は執行された。
人類の守護天使として崇められてきた少女戦士が、ついに悪の手により散華した瞬間であっ
た。
「・・・残るは、こいつひとりか」
魔人メフェレスの冷たい呟きが、ナナの耳に届いてくる。
じわり、と四つの気配が動くのがわかる。サトミの四肢を捉え、東京タワーに貫いた張本人た
ち。ひとり生き残ったファントムガールからすれば仇である四体が、視線をこちらに向けてくる。
動けなかった。
処刑者たちの殺意を浴びながら、ナナは動くことができなかった。恐怖に身体がすくんだわけ
では、もちろんなかった。
少女の心は、空っぽだった。
「・・・サト・・・ミ・・・さん・・・・・・」
声が洩れた。吊り気味の瞳に鮮血に濡れた東京タワーを映しつつ、ナナにはもう、なにも見
えていなかった。
自分がなにをすればいいのか、わからなかった。
藤木七菜江にとって、ファントムガールとしての闘いは、大切な者を守るためのものだった。
五十嵐里美を失った今、少女は闘う意味すら無くしていた。
「すでに、死んだも同然か」
右手に握った青銅の魔剣を、三日月に笑うメフェレスが大きく振りかぶる。
大地にしゃがみこんだまま動きを止めた青い守護天使に、切っ先を尖らせた魔剣が一直線
に投げつけられた。
その心臓を、貫かんと―――。
ガキィィィッ・・・ンンンッッ!!!
「立ちなさいッ・・・ファントムガール・ナナッ!!」
空を裂いて飛来した青銅の剣は、妖糸が重なって造られた盾に弾き返されていた。
「サトミを想うならッ、悲しむより立ち上がりなさいッ!! なんのために彼女は犠牲になった
の!?」
鮮血と泥土と、白濁の粘液に汚れた蜘蛛の妖女が、片腕で斬糸を操りながら叫んでいた。
シヴァの周囲には、ミュータント数体分と思われる肉片が転がっている。
義手である4本の腕は全て折られ、光線による火傷と殴打による打撲とで、水色の肢体は薄
黒く染められていた。顔や股間にこびりついた、大量の白い残滓。100に迫るミュータントの包 囲網から夥しい蹂躙と陵辱の嵐を浴びて、なお妖女は幾体かを殲滅したのだろう。
盾を形成していた妖糸がほどける。ふわりと緩んだかと思うや、座り込んだナナを包む。
巨大な手を引くかのように、シヴァは青色の守護天使をその手元に引き込んだ。
「・・・シ・・・ヴァ・・・・・・」
「逃げるわよ」
視界に飛び込む、蜘蛛妖女の凄惨な姿が、ナナの言葉を詰まらせた。
宿敵だった女。度重なる屈辱を受け続けた相手。
高飛車で高慢で大嫌いだった女教師は、血と汚辱にまみれていた。無数のミュータントども
にリンチされ、輪姦されたことがひとめでわかる姿。端整な美貌にそぐわぬムッとする悪臭が、 ナナを瞬間、現実の世界へと引き戻した。
「今は逃げるしか、ない。生き残るのよ」
シヴァの台詞が終わると同時に、斬糸が絡まってできた針の山が、地中から天へと向かって
突き出す。四体の悪魔との間を遮るように、妖糸の竹林が生え伸びる。
「ハッ、逃がすと思うかよォッ!」
豪腕を振るおうとしたギャンジョーを制したのは、ひとつ眼の白い凶魔だった。
「ゲドゥーさんッ!? ここで殺っちまわねえんですかいッ!?」
「黙っていろ」
「今ならショック受けてる小娘を、ラクに消すチャンスがッ・・・」
「チャンス、だと?」
疵面を引き攣らせる褐色の凶獣に、ゲドゥーは濃紺の眼を向けた。
ビクンッと肩を震わせたギャンジョーが押し黙る。
食事を邪魔されかけた野獣の如き猛性を、菱形の凶魔は全身から立ち昇らせていた。
「お前はチャンスが無ければ、ファントムガールひとり殺せないというのか?」
「フンッ、抵抗しない相手を殺してもつまらない・・・とでも言いたげだな、ゲドゥー」
凶魔の心情を代弁したかのような台詞は、魔人メフェレスから放たれていた。
「すでに大勢は決した今、残ったご馳走はじっくり堪能したい、か」
「メフェレス、ファントムガールを全滅させれば、お前との契約は履行される。殺し方についての
言及は受けんぞ」
「貴様のやり方にケチをつけるつもりはない。たとえ今逃がしたところで、所詮ファントムガール
はオレたちの前から逃げられんしな。第一に、我らに残された時間はあまりに少ない」
ちらりと青銅の魔人が、東京タワーに点灯するデジタル時計の表示を見る。
ファントムガール・サトミの血に濡れた時計は、間もなく13時になろうとしていた。
「ただひとり生き残ったファントムガールよ、終末までしばしの猶予をやろう。恐怖と悲嘆に苛ま
れ、処刑の時を待つがいい。だが」
三日月に笑う黄金のマスクが、守護天使を抱えながら走り去るシヴァの背中を見詰める。
開いた右掌の上には、渦巻きながら凝縮していく漆黒の砲弾が、亡者の慟哭の如き唸りをあ
げていた。
「なにかと目障りな裏切り者には・・・消えてもらおうか」
全てを滅する暗黒弾が、メフェレスの右手から発射される。
斬糸が重なってできた針山を容易く貫くや、殲滅の魔弾は逃げるシヴァの背後へと迫った。
「・・・ッッくうッ!?」
着弾の刹那、世界は割れたようだった。
轟音が響き、黒煙が渦を巻く。ビリビリと震撼する大地と空気とが、東京タワーを揺らした。
魔人メフェレスの負のエネルギーを極限にまで集中させた漆黒の砲弾、“殲滅魔弾”。
その爆風がやみ、視界を遮る煙が晴れたときには、蜘蛛妖女の姿も、青い少女戦士の姿も
消え失せていた。
「退くぞ。仕上げに向けて、我らも休息せねばな」
東京タワーを中心として、いまや芝公園の付近一帯をミュータントの大群が埋め尽くしてい
た。
正義の名を掲げた者は、もはや誰一人としてそこにはいない。
あるのはただ、かつて正義を名乗った銀と紫の女神が、蹂躙され尽くした亡骸を串刺しにさ
れて晒しているのみだった。
時折強く吹く秋風に、力なく四肢が揺れる。金色の混ざった茶色のストレートが舞う。
人類の未来を賭けた決戦の地において、悪魔の計略は成就し、ファントムガール・サトミの処
刑は執行された。
「さらばだ、サトミ」
もの言わなくなった少女戦士を見上げながら、ただ一言を魔人は呟いた。
宿敵に贈ったメフェレスの囁きは、暗黒王なりの手向けであったか。
変わり果てた女神の骸を残し、魔人率いるミュータントの大群は、一斉に黒い霧となって首都
の空に溶けていった。
絶望が覆い尽くす東京の地に、冬の到来を告げる冷たい風が吹き抜けていった。
ボト・・・ボト・・・
滴る鮮血が、土埃にまみれた大地に黒々と沁みを広げていた。
凶魔ゲドゥーとファントムガール・サクラとの激闘が2日前に繰り広げられたばかりの、東京・
原宿。全ての住人が退避し終えた街で、ないはずの人影がふたつ、崩落した無数の建物のひ とつで向かい合っている。
これが格闘技の試合会場。あるいは対戦ゲームのなかであったなら、垂涎ものの光景と言
えたかもしれない。
弱冠18歳の高校生でありながら、最強の格闘獣を冠する男と。
現代御庭番衆の総帥であり、忍び世界の頂点に君臨する男。
格闘技と忍術、ふたつの世界の最高峰同士がぶつかった闘いは、一時間近くが経過しようと
いうのに、いまだ決着はついていなかった。
いや、闘いという呼び方は、その激突には相応しくなかったかもしれない。
暗殺者と獲物。
始末するか、生き残るか――。闘いというある種爽やかさを伴った言葉にはそぐわぬ、もっと
生々しい、命の遣り取り。
世界から不安を取り除くことを使命とした五十嵐玄道にとって、シュラ・ガオウとなった工藤吼
介は抹殺すべき対象であった。政府が吼介に貼ったレッテルは「ファントムガール・ユリアを屠 った男」であり、「核兵器にも比肩する危険な存在」なのだ。
国家の存亡と秩序安寧とを裏から守る御庭番衆の総帥として、玄道は破壊をもたらす存在
を見逃すわけにはいかなかった。
そして、それにも増して、娘・里美の進むべき道を狂わせた男を、許すつもりはなかった。
「・・・そろそろ、理由を聞かせてもらおうか。業深き赤鬼よ」
漆黒の忍び装束に身を包んだ玄道の姿が、ゆらりと揺れる。
反射的に吼介の全身は総毛立った。これまでの闘いで、御庭番総帥の恐ろしさはイヤという
ほど肉体に刻まれていた。
「ぐッ!!」
突如眼前に現れ、短刀で斬りつけてくる玄道の一撃を、格闘獣は身を捻って避けていた。ほ
とんど本能による回避。数瞬反応が遅ければ、吼介の心臓は貫かれていたことだろう。
忍術を極めた玄道の動きは、まるで脳の死角をついたように、認識することができなかった。
認識できないということは、見えないということ。見えないものは、最強の格闘獣にしても反応 はできない。
ザクリと厚い胸板を切り裂いた刃が、血飛沫を振り撒く。
すかさず距離を取る吼介の後を追うように、黒々とした血痕が続いていく。現代忍者の追撃
を許さない動きはさすがといえた。
だが、すでに無数に切り裂かれた逆三角形の肉体は、噴き出す鮮血で紅に染まっている。
夢の対戦どころか、ふたりの闘いは一方的なものとなっていた。始終攻める玄道と、致命傷
を受けないのが精一杯の吼介。なますのように切り刻まれる筋肉獣が、いまだ立っているのが 不思議なほどだ。
「・・・くッ・・・ぐッ・・・いてェな・・・」
「なぜ、本気を出さぬ」
荒い息を吐く吼介に、玄道は冷たい視線を送り続けていた。
「・・・それは」
「ユリアを手に掛けた罪滅ぼしに、死で応えるとでもいいたいのか?」
御庭番衆の現頭領が、握った短刀を構え直す。
同時刻、東京タワーの見下ろす地で、ファントムガール・サトミがいかなる戦禍に飲まれてい
るのか、玄道は知らない。部下たちにも内密に行動を起こした彼には、新たな情報は入ってこ なかった。
私闘に近い、闘いだった。
娘のために、この男だけは始末せねばならなかった。全ての元凶である、この男を。少々の
規範を無視してでも、里美の未来のために工藤吼介は抹殺しなければならない。少なくとも、 人智を超えた巨神の闘いを指を咥えて眺めているより、よっぽど意味がある。
「その割には無様に生にしがみついておるのう、赤鬼よ。所詮、我が身が可愛いか」
「死ねるなら・・・死にたいさ。マジの話で」
「ならば、何故我が刃を避ける?」
「里美が、生かしてくれた命だからな」
娘の名が憎悪する男の口から出た瞬間、玄道の隻眼は鋭さを増した。
「死んだ方がマシだってのは、わかってるんだ・・・オレなんかは死んだ方がいいってことも。い
っそ、あなたの刀を心臓に喰らったらどんなにラクになるか・・・けど、寸前で逃げちまうんだ。 身体が。オレが簡単に死んだら、アイツは一体なんのために『エデン』をオレにくれたのかっ て・・・」
「それはただ、うぬが生き延びようとしているだけよ」
「かもしれない」
「うぬが醜く延命する言い訳に、里美の名を利用するでないわッ!」
「・・・しょうがないじゃねえか」
まるで無抵抗を示すかのように、工藤吼介の両腕が垂れる。
血の混ざった赤い涙が、ふたつの眼から頬を伝って流れ落ちる。
「自分でも・・・わからないんだ。どうすれば、いいのか」
「・・・貴様」
「ただ、里美のことを守りたかったんだ。アイツのことが、好きだったから。でも、オレにはそれ
は許されなかった」
吼介が里美に近づかないようにしたのは、執事の姿を借りた玄道自身であった。
「自分でもどこかで・・・わかってたんだ。オレが普通じゃないってことは。だから『エデン』も手に
するべきじゃないって思ってた。きっと誰かを傷つけるって、わかってたんだ。・・・玄道・・・い や、安藤さん・・・あなたがオレと里美のことを引き裂こうとしたのは、正解だったと思う。事実オ レは、ユリアに手を出すっていう、最悪の結果を招いた」
「・・・うぬに流れているのは、闘鬼の血なのだ」
「もう二度と被害者を出さないためには、オレは死んだ方がいいんだと思う。安藤さん、あなた
の言う通りだ。オレは危険な存在だし、政府がこの血に流れる鬼を消したいのはもっともだ。で も、ひとつ聞かせてください」
「・・・なんだ?」
「オレが死んだら、里美は喜んでくれるでしょうか?」
格闘獣から投げ掛けられた疑問に、玄道は言葉を失くして詰まらせた。
「オレが存在すべき人間じゃないってことは、納得しています。里美が苦しんでるのも、オレの
せいだ。でも・・・それでも里美は、オレに生きて欲しかったんじゃないかって。たとえオレが怪 物になったとしても、生きて欲しかったんじゃないかって」
「・・・だからこそ、里美は御庭番衆としての全てを失ったのだ」
玄道の搾り出した答えは、吼介の言葉を肯定していた。
「だったら、里美のために、オレは死ねない。人類にとっては邪魔者であろうと、鬼と蔑まれよう
と、好きなヤツのためにオレは死ねないんです。もう、手助けできるような力にはなれなくて も・・・」
それまで開いていた格闘獣の右手が、静かに握られる。
その脳裏には、生涯忘れることのない黒髪の幼馴染と・・・ショートカットの少女の顔が、同時
に思い浮かんでいた。
「オレはユリアを、仲間を手に掛けた・・・どうしようもない外道だ。平和とは掛け離れた、忌む
べき鬼だ。本当は消えちまったほうがいいのか、生きた方がいいのか、わかんないんだ。だけ ど・・・わかんないから、もう少し、生かせてください」
「それは・・・反撃宣言と取っていいようじゃな」
拳を作った吼介がゆっくりと構えを取るのにあわせ、玄道もまた短刀を持つ手に力を込め
た。
迎え撃ってくる限り、次の一撃が勝負になる。
手負いの格闘獣に、与えられたチャンスは何度もない。一発に逆転を賭けてくるはずだっ
た。無論、優位に立つ現代忍者の総帥も、反抗の芽を与えず押し切るつもりだ。
鮮血が、廃墟の地を叩く音色だけが響く。
忍び装束に身を包んだ玄道が、ゆらりと揺れる。と、見えた瞬間―――。
御庭番衆・現頭領は、正拳突きの構えを取った吼介の懐に飛び込んでいた。その脳が、認
識する余裕を与えず。
ドドドドドドドドドドドドォンンッッ!!!
「げぼォッ・・・オ゛オ゛オ゛ッ・・・!!?」
「刹那十二連撃ッ・・・秒間12発の打撃・・・これがオレに出来る、最高の打撃です」
胸から腹部にかけて、陥没した12個の打撃痕。
ドス黒い血塊を吐き出しながら、五十嵐玄道は不思議そうに己の肉体を見詰めた。クレータ
ーを思わすような、巨大な拳の痕跡。玄道が短刀を数十cm突き出すより速く、格闘獣の打撃 はカウンターとなって黒装束の肉体を骨ごと粉砕していた。
「・・・うぬッ・・・は・・・我が刃ッ・・・見えていたのかッ・・・?」
「見えてません。だから、“ゆらっ”とした瞬間にメチャメチャに拳を放った。それだけのことで
す」
ただジャブのように拳を素早く打つだけなら、一秒間に12発以上のパンチを吼介は放てる。
それは加速を重視した打ち方の場合だ。
一撃必殺足りうる“響く”打撃を、連続で叩き込む。それが刹那十二連撃。
足の指から地を掴み、足首、膝、股間、腰、肩、肘、手首と・・・次々に膨れ上がったエネルギ
ーを全身の関節を捻って送り込み、ドリルの如く拳に集めて放出する、渾身の一撃。あらゆる 筋肉の瞬発力と、全体重を一点に込めた至高の正拳突きを、12発まとめて放つ・・・言葉通り の必殺打。
ベキベキと背骨の軋む音色を響かせて、のけぞった玄道がそのままの姿勢で弾け飛ぶ。突
っ張った二本の足が、廃墟の地面を焦がすほどに摩擦する。
勝負アリでもおかしくなかった。工藤吼介の剛打を受けて、並の人間に立っていられるわけ
がなかった。
ただ御庭番衆現当主としての、そして五十嵐里美の父親としての、使命感と怒りとが、壊れ
たはずの玄道の肉体を衝き動かした。
“ゆらっ・・・”
黒い忍び装束が揺れる。次元の狭間にでも隠れていくように、玄道の姿が消えていく。
ドドドドドドドドドドドドォォッッ!!!
「・・・タネ明かしを聞いて、正面から飛び込んでくるヤツはまず、いませんよね」
くるりと振り返った逆三角形の男は、己の背後に向かって12発の瞬間連撃を発射していた。
ほのかに拳の皮が、焼ける匂いが漂う。
ゆっくりと引いた右拳の先には、再び12個の打撃痕を穿たれた、五十嵐玄道の姿があっ
た。
背中から格闘獣を襲撃した隻眼の老人は、胸骨と肋骨のほとんどを砕かれて意識を失って
いた。裏返った右眼。ドロリと粘った黒い血が、開いたままの唇からこぼれていく。
糸の切れたマリオネットの如く。ぐしゃりと音を立てて、現代忍びの総帥は、その場に崩れ落
ちた。
「まだ・・・死ねないんだ・・・まだ・・・」
玄道の身体が再び起き上がってこないことを確認し、吼介は震える指を、己の胸に伸ばし
た。
胸と腹部、そして二の腕と右脚の太腿に、合計5本のクナイ=棒状手裏剣が突き刺さってい
た。
丁寧に、御庭番特製の猛毒が塗られているであろうことは、調べるまでもなかった。十二連
撃を浴びるのと引き換えに、玄道の執念は最後の攻撃を放っていたのだ。
筋肉から引き抜かれたクナイが、乾いた音色をたてて、コンクリの地面に捨てられる。
血に染まった筋肉獣は、脚をもつれさせながら、無人となった原宿の街並みに消えていっ
た。
突き抜けるように爽やかな青色が、首都の空に広がっていた。
狭い通りに、時折強い秋風が吹き抜けていく。冷たさを含んだ風は、汗と泥とに汚れた身体
には心地よい。午後の陽光が全身を優しく包むのを、藤木七菜江は洩れそうになる嗚咽を堪 えながら受け入れていた。
なぜ、神様はこんな美しい光景を見せるのだろう?
絶望に打ちひしがれるあたしに、こんな光景は必要なかった。
泥水が人々の心に降りしきるこんな日に、晴れやかな空は皮肉でしかなかった。
濁った少女の心を、嘲笑うかのような清清しい気候と涼やかな風――。
ファントムガール・サトミの処刑が執行されたのがウソのように、瞳に映る世界に変化はなか
った。ただ、人々の影が見えないだけ。騒音がピタリと止んでいるだけ。
ガラガラと、人類の造った世界が全て崩壊したような気分なのに、現実には、決戦の地から
わずか離れた場所では被害を受けないところも多かった。あるべき場所にある建物が、以前と 変わらず立っている光景。
つい先程まで、光の女神と暗黒の悪魔による聖戦が起こっていたとは思えないほど、東京の
街は静かだった。のどか、とでも形容できるほどに。襲撃の傷跡を至るところに刻んだ巨大都 市は、主人公である住人を失って、死んだように沈黙していた。
唯一、といっていい音が、裏通りの狭い路地に響いている。
重なるようなふたつの人影が、ゆっくりと青山方面へと進んでいた。ショートカットの少女が一
歩を踏み出すたびに、スニーカーがアスファルトと擦れ合う音色を奏でる。
猫のように吊り気味の瞳は、じっと前に向けられていた。
噛み締めた下唇から、血が滲んでいた。ヒクヒクと頬が揺れるたびに、いっぱいに溜まった涙
がこぼれそうになる。
泣いちゃ、ダメだ。
無意識のうちに少女は、感情を抑えようとしていた。今は泣いているときではない。逃げなく
ては。このひとだけでも、逃がさなくては。
ただただ七菜江は、歩き続けていた。傍らの片倉響子に肩を貸し、引き摺るように抱きかか
えながら。
少女の吐く荒い息が、静寂に包まれた無言の東京に、やけに大きく響いていた。
敗走。
その言葉が、首都の路地裏を必死に駆け抜ける今のふたりには似合っていた。藤木七菜江
と片倉響子。ファントムガール・ナナと妖女シヴァ。
目的を達成することができなかったふたりは、ボロボロの肉体を無理矢理に動かして、ただ
「生」を求めて逃げていた。行く先の当てなどない。とにかく、この場から離れねば。止まれば、 殺される。
惨めさが、巨大な杭となって心臓を貫いていた。油断をすれば、脚から崩れそうになった。
響子の肢体を支えながら、七菜江は己もまた、響子に支えられていることをわかっていた。こ
のひとがいるから、あたしは動くことができる。このひとを助けなきゃ、って思うから、前に進む ことができている。
もし、あたしひとりだったら、きっともう動けなかった。死んでもいい、て思っていた。
だって、里美さんが・・・殺されてしまったのだから。
「・・・藤木七菜江。もう、いいわ」
ずっと無言だった女教師が、声を絞り出す。
軽く一瞥をくれただけで、七菜江は脚を止めようとはしなかった。巨大変身を解いたあとに
は、猛烈な睡魔に襲われ、強制睡眠に入る。ファントムガールにしろ、ミュータントにしろ、『エ デン』の宿主には避けられない習性が、ふたりの肉体にも襲い掛かっていた。完全に意識を失 う前に、少女は少しでも先に進みたかった。
「もう・・・いいわ。私を放して」
「・・・ダメだよ。あなたを・・・ほっとけない」
変身解除した後のダメージは、肩を貸す七菜江より、借りる響子の方がずっと深刻であっ
た。
リンチさながらに暗黒の破壊光線を浴び続けた少女戦士も、決して軽傷ではない。『エデン』
の血を引き継いだ超人類ゆえのタフネスがあればこそ、歩くことができているのだ。だが100体 に迫る敵に暴行を受け、魔人メフェレスのトドメの一撃を受けた蜘蛛妖女の惨状は、見るも明 らかだった。
元々折れていた右腕はぶらりと垂れ下がり、深紅のスーツは背中部分が溶け破れて、ほと
んど露わになっている。全身に浮かぶ鬱血の痣と擦過傷とで、妖艶美女は赤黒い肉塊へと変 わり果てていた。
巨大変身時に受けたダメージは元の肉体では何十分の一かに軽減される、というのが『エデ
ン』の戦士の特性にも関わらず、響子の姿は激しいレイプとリンチを受けたあとのそれであっ た。
ファントムガール・ナナのために身を犠牲にしたシヴァが、いかなる陵辱地獄に堕とされたの
か・・・浮かんでくる残酷な想像に、七菜江が過去の仕打ちを忘れて衝き動かされるのも当然 であっただろう。
「追っ手が迫っている・・・あなたも薄々感じてるでしょう?」
半ば強引に響子は、肩を支える七菜江の腕を引き剥がした。
深紅のハイヒールが立ち止まる。進むことをやめた女教師を、猫顔の少女は眉根を寄せて
振り返った。
「・・・片倉・・・響子・・・」
「藤木七菜江。あなたとは、ここでお別れのようね」
青黒く腫れ上がった瘤のせいで、響子の左眼はほとんどふさがっていた。
片眼ひとつで真っ直ぐに七菜江を見詰める視線には、覚悟を決めた強い光が灯っていた。
「・・・なんで?」
「わかってるでしょ。もうこのザマでは、私は足手まといにしかならない。なにより、御庭番の連
中からは狙われてる身だしね。私と離れたほうが、あなたの生存確率は高まるわ」
里美を裏切り、闘鬼ガオウの誕生に暗躍した反逆者・・・というのが、政府による片倉響子へ
の公式見解だった。
その悪印象は恐らく、戦闘で明らかにファントム陣営に協力した直後であっても、容易に覆る
ことはないだろう。実際の闘いを目の当たりにした者ならともかく、心変わりを繰り返す響子の 心証は決していいものではない。また、『新しい人類の創生』を目標とする響子は、現政府から すれば危険人物であることは確かだった。
少し前までは、巨大変身を終えた守護天使たちの身柄は、現代の御庭番衆ともいえる特殊
国家保安員を中心に保護されてきた。国家をバックにした豊富な人員と巨大な情報網は、テロ 組織と位置づけされる久慈ら敵方に比べ、大きなアドバンテージを誇る部分だったと言えよう。
しかし、政府からも官僚からも現代忍びからも裏切り者が続出する現在、もはやファントムガ
ールを後方支援する組織は、事実上、崩壊しているようなものだった。
特殊国家保安員のなかにも、どれだけの者に久慈の息が掛かっているかはわからない。東
京タワーを中心にして、多くの者が変身解除したファントムガール・ナナを探し求めているだろ うが、その半数近くは敵であると考えてもいいのだ。
ただでさえ、安易に身を任せることは危険な現状。
それに加えて、すでに反逆者の烙印が押されている響子と一緒にいれば、微妙な七菜江の
立場は圧倒的に悪くなる。赤鬼ガオウの仲間とみなされ、罪人として捕らえられてしまう可能性 も十分あるのだ。
七菜江と行動をともにすることは、彼女のためにならない。
唯一の希望となった最後のファントムガール・・・青き天使ナナを救うためには、ここで自分は
離れるべきだ。
それが、戦闘不能となった響子が導き出した答えだった。
「あなたは・・・どうなるの? そんな身体じゃひとりでは・・・」
「里美から、習ったんでしょ? 常にベストを尽くせって」
響子が口にした名前が、グサリと少女の胸を刺した。
その名を聞くだけで、崩れ落ちてしまいそうだった。思い出すことが、いっぱいありすぎるか
ら。
「今は互いに庇いあってる余裕はないわ。生きるのよ、藤木七菜江。とにかく生き残るの」
「でも。でも、あたしはッ・・・」
我慢していた涙が、耐え切れなくなって溢れ出た。
肩を震わせ、鼻をすすりあげて、少女は泣いた。
「もうッ・・・もう、なにが一番いいか、わかんないのッ・・・これからどうすればいいのかッ・・・わ
かんないのッ・・・!」
「・・・七菜江」
「里美さんもッ!!・・・桃子も、夕子もッ・・・ユリちゃんも・・・みんな、みんなッ、いなくなっちゃっ
て・・・あたしだけ、なんで生きてんだろうって!! 大事なひとがみんないなくなってッ・・・大切 なひとを守るためにファントムガールになったのに、結局あたしはなにも出来なかったッ!!」
「・・・」
「・・・あたし、やっぱりあなたの言う通り・・・クズなの・・・どうしようもないダメダメなのッ!! あ
いつらのこと、憎まなきゃいけないのに・・・悲しくて悲しくて、もうッ動けないのッ!! どうやっ て闘えばいいのか、わかんないのッ!! ねえ、どうすればいい!? あたし、どうすればいい かなァッ!?」
「・・・もう、やめなさい」
「わかってるのッ!! あいつら倒すのは、あたししかいないってッ!! あたしがやらなきゃい
けないってッ!! でもッ、でもッ・・・もう、立ってることさえ、ツラいのッ・・・いっそあいつらに殺 されて・・・みんなと一緒に・・・なれ・・・たら・・・・・・」
涙でぼやける視界の奥で、片倉響子が左手を振り上げるのが見えた。
頬に走るであろう痛みを予感し、反射的に少女は瞳をつぶった。大粒の雫がこぼれて落ち
る。
炸裂する痛みの代わりに、熱い抱擁が七菜江を包んでいた。
崩れ落ちそうな守護天使を、かつて宿敵であった妖女は力の限り抱き締めていた。
「あなたッッ、たった17歳じゃないのッッ!!!」
痣だらけの美貌が叫ぶ。肩口に乗ったその表情を、七菜江は見ることができなかった。
「生きるのよッッ!! 生き残ることだけを考えればいいのッッ!! もう、闘わなくてもいいの
ッ!! あなたは十分よくやったわッ!! 私たち大人に任せて、あなたは生き残ることだけを 考えればいいッ!! 自分のことだけ考えて、必死に生きていけばいいのッ!!」
「・・・んく・・・ひぐっ・・・」
ボロボロとこぼれる少女の涙が、深紅のスーツを濡らしていく。
しゃくりあげる七菜江の口から、言葉にならない泣き声が洩れた。
深い哀しみに暮れる少女を抱き締めるのは、仲間でも、恋人でもなく、宿敵だったはずの女
教師だった。
「私たちは・・・負けたの。負けたのよ。ファントムガールはことごとく敗れ、政府はテロに屈しよ
うとしている。もう、あなたひとりがどれだけ頑張ってもどうにもならないわ。奴らの巨大な戦力 の前に・・・私たちは負けたのよ」
「・・・あふ・・・ぐふっ・・・うぅっ・・・」
「生き延びましょう。泥を這ってでも、残された私たちは生きるのよ。生き延びて・・・チャンスが
来るのを待つのよ。ファントムガールは光のエネルギーをチャージすれば蘇生するんでしょ う? まだ里美たちを救える可能性は残ってる。今は逃げて、生き延びるの。必ず、いつか私 が迎えにいく。その時まで・・・一年でも、十年でもあなたは待つのよ。生き延びるの」
逃げる。そして、待つ。
それが考え抜いた末の、響子の答えだった。
認めねば、ならなかった。
敗北を。自分たちの力は、及ばなかったことを。
ファントムガールは負けたのだ。七菜江ひとりが生き残ったところで、もはや覆すことは有り
得まい。
魔人メフェレス、そして凶魔ゲドゥーと凶獣ギャンジョーによる恐怖の支配が始まるのだ。響
子の考えでは、それは人類の進歩を遅らせる暗黒の時代。
今できることは、来るべきチャンスに備え、守護女神の血を絶やさぬことであった。
七菜江と工藤吼介とがいれば、次世代の戦士を生むことができる。『エデン』の血を濃厚に
引き継いだ、恐らくは最強の“シュラ”が。
その誕生の時こそが、反撃開始の狼煙となろう。
そして同時に、新たな人類“超人類”の時代の幕開けとなる――。
「・・・ダメ・・・だよ・・・」
響子の胸に抱かれながら、ふるふると七菜江は首を振った。
「そんなに長く・・・待てない・・・」
「今の私たちでは・・・奴らには勝てない。わかるでしょ?」
「肉体が壊れてしまったら・・・みんなを、助けられない・・・いくらエナジーチャージしても・・・」
以前、絶命したファントムガール・ユリアをナナは蘇生させたことがある。だがそれは、ボロボ
ロになりながらも、ユリアの肉体が完全には壊れていなかったからだ。
いくら電池を交換しても故障した機械は直らないのと同様に、器である肉体が崩壊すれば、
女神の蘇生は不能になる。そのように七菜江は教えられていた。
数日という短い期間ならともかく、何年も亡骸を放置されて、守護天使の肉体が無事で済む
のか?
どれだけ想像しても、無惨な光景しか少女の脳裏には浮かんでこなかった。
「・・・それは、わからないわ。実際にどうなるかは、誰も知らないんだから」
天才と呼ばれた生物学者の言葉は、本心からのものだった。
『エデン』を使っての実験は、政府機関の者よりも多くの研究材料に恵まれた響子の方が、
ずっと経験しているのは間違いない。その響子にしたところで、一度死んだモノを蘇らせるなど という実験は、やったことがなかった。
「肉体が壊れたら蘇生不能、というのはあくまで予測に過ぎない・・・真実は誰にもわからない」
「・・・でも・・・」
「・・・今は、信じるしかないわ。奇跡を。私たちに、他に道はないんだから」
ゆっくりと少女の身を引き離した女教師は、真正面から吊り気味の瞳を見詰めた。
いっぱいに溜まった涙の奥から、真っ直ぐな光が見返す。
崩れ落ちそうになりながらも、藤木七菜江は藤木七菜江のままだった。
「生き抜くのよ、ファントムガール・ナナ」
ゆらりとヨロめきながら、片倉響子はひとり方向を変えて歩き出した。
重い頭痛が圧し掛かってきていた。響子だけではなく七菜江にも、『エデン』が求める強制睡
眠は、もはや間近に迫っている。意識を失う前に、安全な場所に身を隠さなければならなかっ た。暗い闇が意識を包もうとしているのが、七菜江にも自覚できる。
「また、逢いましょう。逆襲のときに」
小さくなった背中を向けたまま、響子の声は届いてきた。
路地の奥へと消えていく女教師は、もうこちらを振り返ることはなかった。
振り切るように、少女は背中を見せた。反転する勢いで、涙が迸る。
眠りに落ちる寸前の身体を動かし、七菜江は全力で反対方向へと駆け出した。
何者かが叫ぶ声が、聞こえた気がした。
ファントムガール・サトミの処刑から、24時間が過ぎていた。
どこまでも青色が澄み切った好天。絹のような薄雲が、白い尾を長く伸ばしている。秋の空
は、胸のなかを吹き抜けていくように爽やかだった。いつもなら街中に溢れているはずの喧騒 は途絶え、行き交う人影も見当たらない。首都らしからぬ光景が、一層季節の寂しさを際立た せている。
昨日との違いは、風がやんだことくらいだろうか。
穏やかな空気のなかで、豹柄を基調とした女のファッションは、やや時期尚早なものだった。
厚手の白ニットセーターに、マーブル模様の革パンツ。そこまではともかく、首に巻いた豹柄の ショールは、季節をひとつ越えて冬の気配すら感じさせる。
『闇豹』神崎ちゆり。
人類絶望の象徴と化した紅白の鉄塔。その近くに豹柄の女は立っていた。
毒々しいほどに濃いアイラインの下の、丸い瞳が一点を見詰めている。腕組みをした姿勢の
まま、ちゆりはほとんど動いていなかった。
この芝公園に戻って以来、狂女と呼ばれる魔人メフェレスの片腕は、すでに一時間は同じ場
所に立ち続けている。
東京タワーに串刺しにされた守護天使の遺体に、一日経っても特に変化は見られなかった。
激戦の地に一夜明けて舞い戻ったちゆりは、最初の数分間はファントムガール・サトミの屍
をただ黙って見上げていた。
これがあの、忌々しい生徒会長・・・誰からも愛され、何不自由なく暮らしてきたお嬢様、五十
嵐里美の最期なのか。
何度見ても、どれだけ眺めても、眼前の銀と紫の女神は絶命していた。美少女の形を残した
肉塊が、冷たくなって東京タワーに貫かれている。
心のどこかで、この女には一生何も勝てないのではないか? そう思っていた『闇豹』にとっ
て、サトミの死は信じ難いものであり、呆気ないものでもあった。こんな簡単に死ぬものだった のか。だが、もはや疑う余地もなく、人類の盾となって激闘を続けてきた少女は、その憐れな 惨死体を全世界に晒している。
紛れもなく、死んだ。
五十嵐里美は、死んだのだ。
「・・・ざまァないわねェ〜、里美ィ〜・・・」
ぼそりと一言呟き、くるりと『闇豹』は振り返った。
そこまでだった。ちゆりがファントムガールのリーダーに興味を示したのは。
存在自体が憎悪の対象であった女は、これ以上はないというほど残酷な最期を遂げた。そ
れが確認された今、悲惨な末路を迎えた仇敵にもはや用はない。
眼の前から消えてくれれば、いい。死ねば、それでお終い。
そういう関係だった。ちゆりにとって、五十嵐里美という存在は。
『闇豹』がわざわざ見に来たのは、紫のファントムガールではなかった。
東京タワーのオブジェに背を向けたちゆりは、『もうひとつの亡骸』に視線を向けた。
以来ずっと、濃厚なマスカラの下の瞳は、一点を見詰め続けていた。時間的な比率でいえ
ば、サトミに向けていた数分とは、何倍もの差があるだろう。
芝公園に晒された守護天使の遺体は、ひとつだけではなかった。
東京タワーに串刺しにされたサトミ以外に、もうひとつ。
濃緑の粘液にまみれ、仰向けに転がった桃色の天使、ファントムガール・サクラの亡骸もま
た、そこには放置されていた。
凶魔ゲドゥーに処刑されてから、すでに3日が経っている。渋谷の街でも飽きることなく眺めて
いたはずの殉死の女神の美貌を、再び『闇豹』はこの地においても網膜に焼き付けていた。
シブヤ109に磔にされていたエスパー天使の死体を、吸引怪物バキュロスの胃に飲み込ま
せたのは、ちゆり自身の発案であった。
必ずサクラの身体が役に立つ――そんな予感は、現実となった。あの時、ファントムガール・
ナナの“BD7”が発動されていたとしても、結果は変わらなかったかもしれない。だがサクラの 遺体を捨て駒に使えたことで、楽に勝利が手に入ったのは確かだ。
バカね。あんたは。
サトミの時とは異なり、ちゆりは心の内でサクラへの台詞を呟いた。
「サクラに・・・桜宮桃子に、思い入れでもあるのか?」
突如背後から掛けられた言葉に、ニットセーターに包まれた両肩がビクリと跳ねる。
「・・・意外なところで会うじゃない〜。てっきり、メフェレスに付いてったとばかり思ってたァ〜」
「オレとジョーが依頼されたのは、あくまでファントムガールの抹殺だ。ヤツの言う征服うんぬん
には興味などない」
振り返った『闇豹』は、そこに立つサングラスの男を一瞥するや、再び視線を元に戻した。
アウトロー界最強最凶の名を欲しいままにする海堂一美は、ジャケットも、スラックスも、ネク
タイも、全てを白で統一したファッションでその長身を包んでいた。
「お前こそ、久慈と別行動でいいのか?」
「今更ちりが手伝いする必要もないでしょォ〜。メフェレスには90人の子分どもがいるんだしね
ェ〜。第一、あの男とは基本、別行動なのよ」
吐き捨てるような言葉尻に、尖ったものを海堂は感じた。
「そういえばお前は、河西のオジキに拾われたんだったな」
広域暴力団花菱組の幹部であり、ちゆりの裏世界での後ろ盾となっている男の名を出した途
端、『闇豹』は口を閉ざした。
河西組組長・河西昇は長期療養中で、実質は第一線から退いて数年が経っている。
押し黙ったままのちゆりを無視するように、懐から白い箱とジッポーを取り出した海堂は、煙
草に火をつけながら言葉を繋いだ。
「ゴロツキのなかでも特に幼女趣味の連中に、次々と自分の娘を抱かせて商売してる女がいる
のは、聞いたことがあった。相当あくどく稼いでいたようだが確か3年ほど前、娘の口車に乗せ られたヤツらに、ハラワタぶちまけてバラバラにされたんだったな。娘の復讐、というわけだ。 その娘をオジキが引き取ると聞いた時は、あのひとらしいと思ったものだ」
紫煙をくゆらしながら、海堂は喋り続けた。
短めの煙草とは不釣合いなほど、大量の煙がサングラスの周辺に漂う。
「元々その母親は、オジキの舎弟分のオンナだったみたいだが・・・あのひとなりに責任を取っ
たんだろう。だが10年以上ヤクザ者に身を捧げ、実の母親から虐待され続けた娘からすれ ば、生まれて初めて知った愛情だったのかもしれんな」
「・・・今日はやけによく、喋るじゃなァ〜い」
「久慈の家と河西組とは、土地の利権を巡って揉めたことがあったな」
再び、金髪の豹柄女が口を閉じる。
もし海堂一美でなければ、相手の口も封じるために『闇豹』は襲い掛かっていたに違いなかっ
た。
「『エデン』の力を授かった久慈ならば、相手が指定暴力団の組長といえど、暗殺するのは容
易いだろう。お前にとっては世界中でたったひとり、かけがえのないひとだ。オジキの命と引き 換えに、己を売っても不思議ではないな」
「・・・はぐれヤクザにしては、いろいろと知ってるのねェ〜。けど、ゼンブあんたの妄想だから」
「シンパシーを感じていたか。桜宮桃子に」
ジジ・・・と煙草の燃える音が、静寂に包まれた秋の公園に響く。
「超能力者というだけで、お前と同様、誰からも不条理なまでの扱いを受け続けた少女に。限ら
れた人間の愛情に、すがるしかなかった哀れな存在に。だが、ファントムガール・サクラは仲間 を得て、お前とは異なる道を進んだ。裏切り者であり、同類でもある少女の死に、胸中複雑と いったところか」
「・・・ベツにィ〜」
振り返った『闇豹』は、唇を極端なまでに吊り上がらせ、笑顔を刻み込んでいた。
「ちりは、いいコぶった女が大っ嫌いなだけよォ〜! コイツもメフェレスの女に納まってれば、
始末されなかったのに・・・バカさ加減を嘲笑ってただけェ〜」
コツコツと金色のハイヒールを鳴らして、豹女が白ずくめのヤクザに近付く。
すっと、二本の指を開いて差し出す。ちゆりの人差し指と中指の間に、海堂は黙って煙草の
一本を挟み込んだ。
「あんた、わかっているようで、わかってないわねェ〜。メフェレスどうこうに関係なく、ちりはム
カつくから里美もサイボーグ女も殺してやったのよォ〜」
「そうか」
「それに、あたしたちは」
アイラインの下の丸い瞳が、真っ直ぐにサングラスの男を射抜く。
張り付けた笑顔が消え、『闇豹』は凍えたように表情を固めていた。
初めて見る真剣な光が、常にどこか他者をからかうような瞳に灯っていた。
「世界にたったひとりでも、愛を注いでくれるひとがいれば、十分なのよ」
もらった煙草を口に咥えると、先端を海堂の煙草に押し付けて火をもらう。
ゆっくり煙を吐き出したちゆりは、硬い表情の全てを崩すように、再びニカリと笑ってみせた。
「キャハハハァ〜ッ♪ どいつもこいつも死んでェ〜、いい気味だわァ〜! あとはたった一
匹、子猫ちゃんを始末すればァ〜、ゼンブ終わりねェ〜!」
ケラケラと笑う『闇豹』を、海堂一美はしばらくの間、ただ紫煙を漂わせてサングラスの奥から
見詰め続けた。
「現政府の連中が、事実上、久慈に降伏したようだ」
ようやく最凶のヤクザが声を発したのは、二本目の煙草に火を点けたときだった。
「首相は一足早く、行方をくらませたようだが、ほとんどの政府の中枢機関は制圧したらしい。
今やこの国の手足は、久慈のものとなりつつある」
「保身に長けた“先生”方ならァ〜、変わり身も早いんだろうねェ〜。歯向かっても死ぬだけだし
ねェ〜」
かつてはその身体を、何人もの“先生”方に委ねたことのある『闇豹』には、彼らの性質はよく
知るところだった。
「通常の攻撃が通用しないミュータント相手には、この国の、いや、世界の戦闘力など無きも同
然だ。今の久慈は90発の核ミサイルを保持する独裁者より、タチが悪いだろう。形式的にもヤ ツが支配者となるのは、時間の問題だろうな」
「あんたたちの、やりたい放題できる時代がやってくるわねェ〜」
「言ったはずだ。征服などには興味はない。オレはただ、ファントムガールを殺せれば構わん」
まだ吸い掛けの煙草を、豹柄の女は金色に輝くハイヒールの爪先で踏み潰した。
視線を海堂が手にした、白い箱に向ける。煙草の銘柄を確認した『闇豹』は、いつもの不敵
な笑みを派手なメイクで彩った顔に浮かべた。
「それにしてもォ〜・・・あんたがその煙草を吸うのは、ホントに皮肉だよねェ〜」
「昔から、コレが好きでな。深い味わいと仄かに香る甘み。いろいろ試したが、結局コレに落ち
着く」
『HOPE』の文字が躍る白い箱を、“最凶の右手”はグシャリと握り潰した。
「終わらせるぞ。全てをな。最後のひとり、ファントムガール・ナナは・・・この海堂一美が始末す
る」
ゆっくりと開いた瞳に飛び込んできたのは、突き抜けるような空の青さだった。
キレイ、だ。
わずかな眩しさとともに、七菜江は素直にそう思った。
澄み切った青さに、今が秋であることを今更のように少女は思い出していた。意識を失う前
に見ていたのと、ほとんど変わらぬ空模様。一瞬七菜江は、眼を瞑っていたのがほんの数分 だったのではないか、と勘違いしそうになった。
“・・・あたし・・・どれだけ、寝てたんだろう・・・?・・・”
徐々に意識が覚醒し、思考が働き出すにつれ、己の境遇が思い出されていく。今はどんな状
態か、冷静に把握できていく。
身体が、軽い。
一方で、全身の筋肉がやけに強張り、冷えている。
数分どころか、かなりの長時間、強制睡眠に入っていたのは間違いなかった。片倉響子と別
れて以来、いつ、どこを彷徨ったかさえ記憶にないが、今こうして生きていることだけは確かだ った。
「ッ・・・里美さんッ!!」
東京タワーに串刺しにされた女神の姿が、覚醒を待っていたかのようにフラッシュバックす
る。
無意識に叫んだ少女は、上半身を跳ね起こしていた。軋む筋肉が悲鳴をあげる。冷え切っ
た細胞を急激に動かした反動で、激しい痛みが七菜江の全身を襲った。
「くぅッ!・・・」
「おい、まだ無茶するなよ」
傍らから降りかかったのは、初めて聞く男の声であった。
反射的に距離を置こうとした少女戦士であったが、温まっていない肉体は思うように動いてく
れなかった。顔をしかめながら、締め付けるような痛みが過ぎ去るのを待つ。落ち着いて考え れば、男が敵である可能性は低かった。自分を仕留めるチャンスなど、強制睡眠中にいくらで もあったはずなのだから。
あたしは、このひとに助けられたんだ。
痛みが引くころには、七菜江はすっかり命の恩人として男を認識できていた。
「あの・・・ありがとう、ございます」
「大丈夫か? 丸一日寝てたんだ。急激に身体を動かすのは負担になるぞ」
「丸一日、ですか・・・」
意識を失う前と、太陽の高さがほとんど変わらなかったのを納得しながら、七菜江は立ち尽く
したままの男の姿を見上げた。
迷彩柄のレンジャー服が、男が防衛省所属の自衛隊隊員であることを示唆していた。
ファントムガールとして闘った後、特殊国家保安員の手によって保護されたことは過去にもあ
る。七菜江にとって彼らの存在は、身近なものといっていいだろう。
だが男の姿は、これまで七菜江が出会った保安員たちとは異なる特徴を有していた。
時折吹く秋風に、迷彩服の右袖が揺れる。
男は右腕を失っていた。
「気にするな。戦闘のなかでのことだ。むろん、君のせいではない」
「・・・・・・でも」
「必要以上に、自分を責めることはない。藤木七菜江、君はよくやった。誰もがそう、思ってい
る。情けないのは・・・オレたちのほうだ」
眉根を寄せ、グッと奥歯を噛み締める女子高生に、20代と思える男は極力感情を押し殺して
言った。
「君の正体だけ知っていて、こちらの名を教えないのは不公平かもな。坂本勇樹、だ。五十嵐
玄道さまに直接仕える御庭番衆の末裔・・・といえば、大体のところは理解してくれるかな」
変身解除後の身を保護してくれた自衛隊隊員が、素性を明らかにするのを初めて七菜江は
聞いた。
影に生きる特殊国家保安員として、それは極めて異例な行動と言えたかもしれない。
「あの・・・坂本さん、はその・・・あたしを助けてくれるために・・・」
「正直に言えば、残念ながら違う。倒れていた君を救えたのは、完全に単なる偶然だ。オレは
里美さまを・・・ファントムガール・サトミを保護するつもりで、あの場所に待機していた」
隻腕の青年の言葉に、七菜江は再び惨劇の瞬間を思い返していた。
幾度眼を醒まそうと、悪夢は醒めなかった。五十嵐里美が処刑された現実は、覆ることがな
かった。
絶望的な闘いであると悟りつつ、きっとこの坂本というひとも、里美の生還を信じたひとりだっ
たのだろう。
結果的に、坂本一尉が身柄を確保したのは、ストレートのロングヘアの令嬢ではなく、ショー
トカットのアスリート少女だった。たまたま居合わせた彼が人類最後の希望を守ったのは確か だったが・・・その灯火はもはや、かすかなものと断言せざるを得ない。
「しかし偶然でも、失神していた君を拾えたのは幸運だった。メフェレス配下の連中も、変身の
解けたファントムガール・ナナを探していたからな。オレがあの場にいたのも・・・無駄じゃなか ったということだ」
言葉を返そうと開いた口から、七菜江は声を出すことができなかった。
口調の端々に、里美を慕う坂本の想いが滲んでいた。男の声には、己の無力さへの怒りが
隠しようもなく満ちていた。せめて七菜江の命を救えたことが、彼の贖罪の意識を、わずかな がらも薄めていることだろう。
だが、最後の守護天使となった少女自身には、今の自分にそれだけの価値があるとは、到
底思うことができなかった。
気がつけば七菜江は、無意識のうちに首をフルフルと横に振っていた。
「ごめんなさい・・・坂本さん、あたしは・・・あたしはもう、助けてもらえるような人間じゃないんで
す・・・」
「・・・どういうことだ?」
「もう、あたし・・・どうすればいいのか、わかんないッ・・・里美さんや、夕子や桃子、ユリちゃん
がいなくなって・・・どうやって闘えばいいのか、わかんないんですッ・・・せっかく助けてもらって も、もうそんな価値のある人間なんかじゃ・・・」
「オレは君が、ファントムガール・ナナだから助けたんじゃない」
「・・・え?・・・」
「さっきも言っただろう。君は本当に・・・よくやった。もう、闘わなくてもいいんだ。藤木七菜江と
いう少女の命を守れたことに、オレは満足しているんだ」
坂本の言葉の真意を、七菜江は理解することができなかった。
ただ『闘わなくてもいい』という言葉が、強く胸に残る。片倉響子にも、掛けられた言葉だっ
た。闘わないということは、即ちファントムガール・ナナの存在を否定されたも同じであった。
最後ひとり、生き残った守護天使にとって、それは本来掛けられるはずがない言葉――。
「で、でもッ・・・あたしが、ファントムガール・ナナがやらなきゃ・・・」
「そうやって、もう無理をすることはないんだ。君の身はしばらくここで休ませ・・・時機を見計ら
って、オレがもっと安全な場所に連れて行こう」
『ここ』と言われて、ようやく七菜江は周囲を見回した。
生い茂る高い樹木や手入れされた芝生。高低差のついた広い敷地のあちこちには、錆びれ
たベンチがいくつも設置されている。中央付近の開けた広場を見下ろせば、テレビドラマなどで 見覚えがある、人工の滝が落ちていた。
公園であることはすぐにわかった。だが公園自体の風景よりも、真ん前にそびえ立つ巨大な
建築物が、初めて東京の地を訪れた少女にも、『ここ』がどこであるかを特定させていた。
高層ビルが連ねる周囲にあっても、一際高く、特徴的な建築物のフォルム。ふたつの巨塔を
連絡橋で繋いだような独特の姿は、東京タワーと並び、首都を象徴する建物といって過言では ないだろう。
東京都庁。新宿副都心を、代表する巨大建築。
その真裏に位置するこの広大な土地が、新宿中央公園であることはまず疑いようがなかっ
た。
「ひっそりとした地方都市に潜伏し、君はファントムガールであった過去を忘れて、ひとりの少
女として生きていくんだ。身の安全は保障できるよう、オレもできる限りのサポートはする」
「ちょ、ちょっと・・・待ってください! 気持ちは・・・うれしいけど・・・でも・・・」
片倉響子と示し合わせたかのように、闘いから遠ざけようとする坂本の態度に、七菜江は戸
惑った。
ふたりが共謀するどころか、顔すら合わせていないのは間違いなかった。玄道の配下という
のが本当ならば、坂本にとって響子は油断ならない敵、というべき相手なのだ。
それなのにふたりは、全く意見を一致させている、ということになる。
「あたしが・・・ファントムガール・ナナがやらなきゃ・・・世界はホントに終わっちゃうんじゃ・・・」
「もう、終わったんだ」
なにかの動画を映し出しているスマートフォンを、坂本は少女の手に投げ渡した。
特殊国家保安員用のスペシャル仕様、というわけでもなさそうなところを見れば、その動画は
全世界の誰もが簡単に見られるものなのだろう。
「・・・これはッ!?・・・」
見開かれた瞳で覗き込む先に、会議室らしき巨大な円卓が映りこんでいた。
議長席と思える上座に、漆黒に身を包んだ、若き痩身の男が座っている。
シャツも、スラックスも、ジャケットも、全てが闇のように深い黒。画面越しにも、男の瘴気が
漂ってくるかのようだった。
悪の総領・久慈仁紀。
七菜江が生涯忘れ得ないであろうその顔は、蝋のごとく青白く、眼だけが異様に血走ってい
た。
席に座った闇王の背後には、スーツ姿の男たちが、ずらりと横一線に直立不動で立ってい
る。
『・・・全国・・・いや、全世界の人間ども・・・』
動画のなかの久慈が、マイクを前に低い声で言葉を放つ。
『ご覧のように、日本政府はこのメフェレスに恭順を示した・・・もはやこの国は、我々の支配下
となった。無駄な逃亡を続けている、内閣首相よ。名ばかりとなったその座を諦め、即座に我 らに投降するよう勧告する。貴様には、形式的にも国の主権をこのメフェレスに授ける仕事が ある。我が意に沿うならば、その命、救ってやらなくもないぞ・・・』
冷め切った魔人の声を聞きながら、七菜江はようやく、背後の男たちが現内閣の大臣たちで
あることに気付いた。他にも各政党の代表や国会両議院の議長など、ニュースなどで見覚え のある顔が並んでいる。
『世界各国の首脳たちには、今日より3日の猶予を与えよう・・・我らに従うか、否か? 返答次
第で国家の存続が決まることを、よく肝に銘じておくことだ。より反抗的な態度を示した地域か ら順に、民族の血一滴すら残さぬ殲滅が待っていると覚悟するがいい。無論、服従を誓うなら ばこれまでと同様の生活が送れることを保証しよう。我が目的は貴様らを死滅させることには ないからな・・・』
久慈の言葉は、七菜江が聞いても巧みだった。アメとムチを両方示し、なおかつ『順』を強調
することで、自分たちだけは助かりたいという人心を突いてくる・・・。自分たちの国だけは助か ろうと、各国の代表は出来うる限り、メフェレスに擦り寄った返答を出すだろう。
100体近くもいるミュータント相手に、強硬な姿勢を示せばどんな大国も焦土と化すのは避け
られなかった。変身できる時間は限られているため、巨大生物の侵攻に限界があるのは確か だった。しかし、メフェレスらを道連れに国が滅びれば、他国家が喜ぶだけなのだ。
まして、核兵器すらミュータントには通用しない現実を知り、逆にゲドゥー、ギャンジョークラス
の怪物は一撃で街を消滅させるのを目の当たりにした今、この“戦争”を仕掛けるのはあまり にも無謀と誰もが悟っているだろう。
ネットを通じ、全世界に配信されているメフェレスの声明を聞きながら、全ての国・地域は他
国家が犠牲となることを願って、恭順の準備を進めているに違いなかった。
「事実上の支配下宣言、だな」
汚れた毛布にくるまれた七菜江の横に、坂本一尉は腰を下ろした。
下には畳まれたダンボールが敷き詰められている。眠りに落ちた少女を休ませるにも、現状
ではこれが限界だったのだろう。七菜江も坂本も、いまや政府乗っ取りに成功したテロリストた ちから追われる身なのだ。満足な物資の調達など、望めるはずもなかった。
「総理だけは危機が迫る前に逃げられたようだが、だからといって、どうとなるわけでもない。
久慈に中枢機関を抑えられた以上、この国はもはや奴らのものだ」
淡々とした坂本の口調が、かえって七菜江に事態の深刻さを教えていた。
自分たちファントムガールの力が及ばないのは、思い知らされていた。だが、居並ぶ大臣た
ちが久慈に従う光景を見ると、重い現実が小さな身体に圧し掛かってくる。
あたしたちの力不足で、世界は奪われたんだ。
あたしたちは結局、なにも守れなかった・・・
「・・・頼むから、泣かないでくれ」
一筋の雫が頬を伝う少女に、レンジャー服の青年は搾るように言葉を出した。
「君に泣かれると・・・己の無力さに耐え切れなくなる」
「あの・・・安藤さん・・・・・・御庭番衆の皆さんや、里美さんの・・・お父さんは?」
こぼれる涙を、グイと掌で拭い取って七菜江は訊いた。
「玄道さまの行方は掴めていない。もとより、防衛省の中枢も久慈の支配下に置かれた今・・・
特殊国家保安員も事実上、解散しているようなものだ。各自連絡すらも不能で、バラバラのま まさ」
「・・・吼介先輩や・・・片倉響子・・・は?」
「わからん。だが、もしそのふたりの所在が判明したら・・・君には悪いが、オレは奴らを始末し
ようとするだろう」
五十嵐玄道と工藤吼介が原宿で激突した事実を、恐らく坂本は知らないのだろう。
仮にも現代忍びの頭領である玄道が、ただひとりで戦闘に赴くなど普通は考えられない。元
御庭番衆には何も告げず、単独行動を起こして吼介の抹殺に動いたに違いなかった。
原宿とここ新宿中央公園は、歩いてでも十分に行ける距離だ。坂本が闘いがあったことを知
っていれば、玄道なり吼介なりを捜索しに、今頃奔走しているはずだった。
坂本をはじめとする元御庭番衆たちが、吼介や響子をやはり敵視しているのは、七菜江の
胸を暗くした。
しかしそれ以上に、愛する者たちとの繋がりが途絶えたことが、孤独感を募らせた。
いまや、七菜江がすがることができるのは、初めて会ったこの坂本という自衛官だけなの
だ。
「そんな暗い顔、するんじゃないよォ〜、お嬢ちゃん」
突然背後から湧いた声に、七菜江はビクリと肩を揺らす。
本来の彼女なら当然察知できた気配も、長い睡眠から醒めた直後では、相当感覚が鈍って
いたようだ。振り返る七菜江の視界に、ガサガサと茂みを掻き分け、ニンマリと笑顔を浮かべ た男たちの姿が飛び込んでくる。
「え!? ええッ!? あ、あの・・・」
「まだ紹介していなかったな。君をここまで運んでくれたのは、このゲンさんたちだ。オレなんか
より、彼らに感謝するんだね」
「うえっへっへっ・・・眼が醒めたみたいだなァ、おい。元気そうでなによりだァ〜、ガッハッハ
ッ!」
「えっ・・・えっと、そのッ・・・あ、ありがとうございますッ・・・」
「しかしなぜ隠れるんです? やましいこと、してるわけでもないでしょうに」
「いやっはァッ〜〜! そりゃあおめえ、アレだ、おい。なんだか難しい顔して話してるところに、
邪魔しちゃあ悪りィだろォ? これでも気ィ、つかってんだぜェ〜! ガッハッハッ!」
眼を白黒させる七菜江の前に、男たちがゾロゾロと集まってダンボールの端に座っていく。
ほとんどが初老を迎えた中年男性。薄汚れたコートやジャケットを身に纏い、なかには日本
酒の一升瓶を片手にした者までいる。
「あ、あの・・・皆さんは・・・?」
「あん? ワシらか? ワシらはこの新宿中央公園を根城にしてる、ホームレスってやつだ。も
っとも他人様から住所を訊かれたときにゃあ、都庁の裏の一等地に住んでますって答えるんだ けどなァ〜!」
キョトンとする七菜江を中心に、ホームレスの輪で爆笑が起こる。どうやら彼らにとっては、鉄
板のギャグだったらしい。
その身なりや、うっすらと顔にこびりついた脂が、リーダーらしきゲンさんと呼ばれた男の言
葉を後押ししていた。どの顔にも浮かんでいる笑みが、彼らがホームレスであることを一瞬忘 れさせそうになる。多くの女子高生にとっては、これだけのホームレスに囲まれることなどまず 経験することがないだろう。
ずいっとひとり前に乗り出したゲンさんが、七菜江の真ん前にどっかりと座り込む。どこか遠
慮がちな他の者たちと違い、この男だけは言動の節々に自信らしきものが漂っていた。まだ50 代と思しき、グレーのソフト帽が特徴的な男は、丸い眼鏡の奥で理知的な光を輝かせている。 この場所で会わなければ、考古学者だとでも間違えたくなるような雰囲気を醸し出していた。
「最初にお嬢ちゃんを見つけたときにゃあ、ビックリしたぜェ〜。全然眼を開けないから、てっき
り死んでるのかと思ったもんだ。そこの坂本に会わなきゃあ、ここに運ぶのは諦めてたかもな ァ?」
「・・・助けてくれて、ありがとうございます」
「だからよォ〜、笑えっての! こんな状況になっても、命だけは助かったんだ。辛気くせえ顔
するんじゃないっつうの。生きてるだけでも感謝だぜ。だろ?」
「・・・はい」
バンバンとゲンさんに肩を叩かれながら、七菜江は少しだけ微笑んでみせた。
その表情が複雑なものになったのは、決して強く叩かれる肩の、痛みのせいではなかった。
「よォし! んじゃあ、お嬢ちゃんの生還のお祝いだ! みんな、宴の準備だぜ!」
歓声がどよめくや、遠巻きに見守っていた他の連中も、次々に周囲に集まりだした。
それぞれの手には端が欠けた湯のみやら、大量のお菓子袋やらが「待ってました!」とばか
りに握られている。酒もつまみも・・・集められるだけの飲食物が、ダンボールの床に並べられ ていく。新宿中央公園に残った全ての者たちが、七菜江の覚醒と同時に宴会が始まるのを、 待ち構えていたようだ。
「ちょ、ちょっとゲンさん! 大騒ぎして奴らに見つかったら・・・」
「心配すんじゃねえよ、坂本ォ! 宴会はこの新宿中央公園じゃあ、しょっちゅうやってることだ
ぜェ! 第一にワシらのナワバリに、あんな連中入らせるものかよォ〜!」
「えッ!? えッ!? こ、困ります! あ、あたしまだ未成年で・・・アルコールはマズイです
よ!?」
「東京がこんな無法地帯になってるってえのに、カタイこと言うんじゃねえよォ〜、お嬢ちゃ
ん!」
「で、でもッ、あたしお酒にはすっごく弱くてッ・・・」
「んじゃあ、お嬢ちゃんはコーラでいいや。ていうか、オッパイ見えてるぞ」
言われて七菜江は、初めて自分が全裸で毛布にくるまっていることに気がついた。
「きゃああああ〜! なんで早く言ってくんないんですかァ〜!!」
茶碗にコーラを注ぎつつ、じっと七菜江の胸を凝視していたホームレスが、アスリート少女の
平手を受けて吹っ飛んでいく。
「ガッハッハッ! ちったア、元気になったじゃねえか! よっしゃあ、みんな嫌なことは全部忘
れて・・・今日は騒ぐぜェ〜!」
ゲンさんの声に応えるホームレスたちの歓声が、中央公園の林にこだました。
「いっやだあァ〜〜♪ サトリンってなんでそんなにエッチなんですかァ、もうっ!」
胸へと伸びてくる男の手をピシャリと叩き落とし、ケラケラと七菜江は笑顔を弾ませた。
サトル、とホームレス仲間に呼ばれている男のことを、少女は勝手につけたあだ名で呼び始
めていた。このなかでは年少に分類される男は、40前後といったところか。小太りの体型に乗 った丸顔は、えびす様のように相好を崩しっぱなしで、この新宿中央公園に運ばれてきた女子 高生のことを大好きなのが、傍目にもよくわかる。
「だってェ、もうずっと女のコの身体、触ってないんだよォ〜。頼むよ、ナナちゃん! ちょっとだ
けでいいからさァ〜」
「ヤ・ダ! だからって、なんであたしがサトリンにオッパイ揉まれなくちゃいけないのよっ!」
「そんな見事でキレイなオッパイ、眼の前にしたら揉みたくなるのがオスのサガだよォ〜。勿体
無いよォ〜、そんなキレイなオッパイ、触らせずにいるのはァ〜」
「んむぅ? そんなにあたしのオッパイ、キレイですかァ?」
アルコールを口にしていないものの、酒に弱い七菜江は周囲に漂う臭いだけで、少し酔いが
回っているようだった。
すでに太陽は、西に傾いている。時折吹き抜ける風に冷たさが混ざり、気温が数度、下がっ
たようだった。気がつけば宴会が始まってから4時間以上が過ぎ、オレンジ色の光が空に広が り始めている。
クーデターが起こり、東京、いや日本全土が緊張に包まれるなかで、この新宿中央公園だけ
は別世界のようだった。ざっと30人以上はいるホームレスたちが、飲み、歌い、騒ぐ・・・。傷つ いた少女の生還を祝う、のを建前とした宴会は、まだまだ終わる気配すらなかった。
「キレイキレイ! しかもめちゃデッカイ! こんなに凄いオッパイ、初めて拝めたよォ〜!」
「えへ、なんか照れちゃうなァ」
「だからちょっとだけ! 乳首は触らないからさァ〜」
「ん〜〜、しょうがないなァ。じゃあ、ちょっとだけですよ?」
「わーい♪」
「こりゃ! なにをしとるか、なにを!」
両手を伸ばしたサトルの頭を、木の枝がバシリと叩く。
あと一歩で成功寸前だった小太り男のミッションは、突如背後に現れた老人によって未遂に
終わった。
「イタタ! な、なにするんだよォ〜、柴爺ィ〜」
「酒の勢いでセクハラまがいをするでないわ! まったく、最近の若いモンは・・・七菜江くん、あ
んたも問題じゃぞ。うら若き乙女が、やすやすと胸など触らせちゃいかん!」
「あは、ご、ごめんなさいィ〜。ついノリで・・・」
「大体、いまだに裸身でおることがまずいのじゃ! そんなムチムチプリンな裸を晒しておった
ら、むらむらと欲情せん方がおかしいわい」
「む・・・ムチムチプリン・・・で、でも、服とか破れちゃって着替えもないんです」
柴爺と呼ばれている白髪の老人は、80歳を越えているという話であったが、そうとは見えない
ほどカクシャクとした人物であった。
背筋はピンと伸びているし、肌艶も公園で寝泊りしているとは到底思えぬものだった。リーダ
ーであるゲンさんと並び、ホームレスのなかで一目置かれた存在のようだ。
「あんたのような美しい娘さんをキズモノにしたとあっては、中央公園の恥じゃ! 身柄を預か
った者としては、大切に扱わねばのう!」
「・・・柴爺さん・・・あの、ありがとうござ・・・」
「なんか無いのか、なんか! ええい、そこの葉っぱでもよいわ! お、その新聞紙も使えそう
じゃのう。裸でチラチラと悩殺されては、アソコが元気になってかなわん! わしゃ、もう勃たん はずだったんじゃがのう!」
「・・・さっき言いかけたお礼、取り消しますね・・・」
「坂本くんとやら、君はなんか持ってないのかね!? あんた、七菜江くんの保護者代わりなん
だろう?」
離れたベンチでひとり日本酒のコップを傾けていた隻腕の自衛官が、フルフルと首を横に振
る。
七菜江の身柄を保護した後、逃走経路の確保に奔走した彼は、そこまで心を砕く余裕がな
かった。わずか一日の間に、現政府が久慈ら一派に事実上の降伏をし、現代の御庭番衆であ る特殊国家保安員も組織として瓦解したのだ。平静を装ってはいるが、この数日・・・婚約者で あった相楽魅紀を殺され、人類の希望であるはずのファントムガールが処刑されていく日々 は、坂本にとっても悪夢の連続であった。
「あの・・・ボクのコレクションでよかったら・・・」
おずおずといった様子で、小柄な男が手をあげる。
「ん? てっちゃんか。なんか持っとるのか」
牛乳瓶の底のような眼鏡をした痩身の男が、へこへこと頭を下げながら七菜江の前に進み
出る。
ゲゲゲ・・・とかいう漫画にでてくる、ねずみをモチーフにした妖怪をさらに貧相にしたような男
は、七菜江とほとんど変わらないくらい小さかった。年齢は50代手前と思えるが、なにかに脅え るように妙に腰が低いのは、性分なのだろう。
黒いボストンバッグを手にしたてっちゃんは、少女と柴爺の間に割って入ると、ジッパーを引
き下ろす。
「てっちゃんさんッ・・・これって・・・!?」
「ボクが長年かけて集めたコレクション・・・よ、よかったら使って・・・」
バッグのなかから出てきたのは、ナース服や客室乗務員の制服、あるいはアニメキャラのコ
スチュームなど・・・あらゆる種類の衣装であった。
「て、てっちゃん!? お前はこんなものを隠し持っとったのか! ど、どこから盗んできたんじ
ゃ!?」
「ち、違うよ、柴爺っ・・・ひ、拾ったんだってば。どういうわけか、裏通りのゴミ箱なんか探すと、
けっこう見つかるんだよ・・・」
「ゴク・・・てっちゃんにこんな趣味があるとはねェ〜。コスプレ風俗の使用済み、とかかなァ
〜? ニオイ嗅いでもいいィ?」
「か、勘弁してよ、サトル・・・ナナちゃんのために出してきたんだから・・・い、一応洗ったからキ
レイなはずだよ・・・こ、こんなものでよかったら・・・」
いくつか物色していた七菜江は、やがてひとつの衣装を選び出す。
これからのことを考えれば、ずっと毛布にくるまっているわけにはいかなかった。入手経緯が
少し不安ではあるが、コレクションというだけあって、てっちゃんの提供した衣装はどれも思っ た以上に清潔で、丁寧に保管されていた。
「うん! ありがとう、てっちゃんさん! 遠慮なくお借りしますね!」
「え、ホ、ホントにこんなのでいいの? き、着てくれるの?」
「ありがたく! 早速着替えさせてもらいまっす!」
選んだ衣装を手に取った七菜江は、頭から毛布をかぶってなかへと消えた。
ゴソゴソと動いていたかと思うと、1分と経たずに毛布が派手に舞い飛ぶ。
「ジャ〜ン! 新生藤木七菜江、参上っ!」
ヒーロー顔負けの大袈裟なポーズを取って毛布のなかから現れた七菜江は、青のカラーとス
カーフ、そしてプリーツスカートが印象的なセーラー服に身を包んでいた。
「どぉう? 似合いますか?」
パチン!とウインクしながら、敬礼ポーズを取る猫顔の美少女。
「お・・・おおうッ!? か、カワイイっ! カワイイよぉ、ナナちゃんっ!」
「天使じゃ! じぇいけーの天使が舞い降りよった!」
「ちぇっ、これでオッパイのチラ見も見納めか〜」
期せずしてホームレスの輪から、歓声が巻き起こる。
そのセーラー服が七菜江の通う聖愛学院のものと瓜二つであることなど、無論彼らが知る由
もない。だがまるで元々自分のものであったかのように、少女は制服を着こなしていた。男たち の胸にかつて存在した甘酸っぱい想いが、キュンと蘇る。可憐さのなかに含まれた、確かな 凛々しさ。青いセーラー服を身につけた七菜江は、輝きすら増したように見えた。
「・・・うん。なんか、やっぱ、これが落ち着くな・・・」
よくよく観察すれば、聖愛学院の制服とは細かい箇所で異なる作り。素材も上質とは言い難
く、先程サトルが言ったように、風俗店で使用された模造品がたまたま似ていただけ、のよう だ。
それでも身に纏った瞬間、七菜江は肌にフィットする感覚を覚えた。
慣れ親しむと同時に、身の引き締まる想い。無意識のうちに軽くジャブを放った左手が、シュ
ッと空気を切り裂く。
「あは・・・ゲンさんにも、見せてきますね」
小高い丘の上に、ひとり立っているソフト帽の姿を見つけると、運動神経抜群の少女は一気
にホームレスたちのリーダー的存在の元まで駆け登っていった。
「よォ。楽しく、やってるかい? お嬢ちゃん」
息ひとつ切らさず階段を一足飛びに上がった少女を、眼鏡の奥から優しい眼が迎えた。
ウィスキーのポケットボトルを手にした初老の男に、七菜江はスカートの裾をちらりとあげ、お
どけて深々と礼をしてみせる。中世西洋の貴婦人の真似事は彼女に似合うとは言い難かった が、かえって可愛らしさが強調されたようであった。
「はい。・・・みなさんの、おかげです」
「ガッハッハッ! そいつぁ、いいこった! あいつらとこんな短時間で打ち解ける女子高生な
んざ、まずいないだろうぜ」
「あの、あたし、途中で気付いちゃいました」
「んぁ?」
「みなさんが、あたしを笑わそうとして、頑張ってくれてるって」
小瓶に入った琥珀の液体を、ソフト帽の老人はグビリと飲んだ。
ふぅ、と熱い息を吐く。遠い空を見上げる眼に、ビルの谷間から洩れる、夕暮れのオレンジが
挿し込む。
「・・・あの・・・なんでみなさん、ここから逃げないんですか?」
気になりつつも訊けなかった質問を、七菜江は口にした。
「今、この街が・・・とっても危険な状態にあるのは知ってるんですよね? メフェレス・・・巨大生
物たちに襲われたら、この公園も一瞬で・・・」
「ふあっはっはっ! その答えは簡単だぜェ、お嬢ちゃんよォ!」
「え?」
「逃げるとこなんかねえからだよ。どいつもこいつもなァ。ワシらの居場所は、世界中でここにし
かねえのさ」
細眉をピクリと反応させた少女は、奥歯をぐっと噛み締めた。
ある程度予測も覚悟もしていたとはいえ、17歳の女子高生にとって、その答えは決して軽く
ないものだった。
「逃げる先もなけりゃあ、脱出するための手段もねえんだ。どうせここに残るしかねえなら、ビク
ビクしててもつまらねえ。目一杯楽しまなきゃ損ってもんだぜェ」
「・・・でも」
「んな辛そうな顔すんじゃねえよ。お嬢ちゃんが気に病むことじゃねえ。こういう生き方選んだの
は、ワシら自身なんだからよォ。望むと望まざるとは、別にしてなァ」
考古学者のような顔が、小山の麓にある宴会場を見下ろす。
ホームレスたちが集まってできた輪の中心で、てっちゃんが胴上げされていた。小柄で細身
の肉体が、何度も宙に打ち上げられている。
「・・・てっちゃんはいいヤツなんだが、不器用な男でよォ。このご時勢だ、就職先が決まらずふ
らふらしてるうちに、いつの間にかここに居ついちまった。何度か仕事が決まったこともあった が、結局戻ってきちまうんだ」
「・・・仕事、やめちゃうんですか?」
「どこいっても職場でイジメられんだよ。性格が優しすぎるからなァ、あいつぁ」
繰り返される胴上げを眺めながら、また一口ウィスキーを流し込む。
宙を舞うねずみ顔の男は、泣いているような笑顔を慣れない様子で浮かべていた。
「サトルは嫁とひとり娘を交通事故で亡くしちまってな。運転してたあいつだけ、幸か不幸か生
き残っちまったらしい」
「ッッ!?・・・そんな・・・」
「あいつが笑えるようになったのは、つい最近のことだぜ。それまでは、さっきまでのお嬢ちゃ
んみたく、この世の終わりみたいにくら〜〜い顔してやがった。少々スケベなところは、大目に 見てやってくれよ」
無意識のうちに胸の前で組んでいた両手を、七菜江はギュッと強く握った。
「・・・みなさん・・・そんな過去が・・・」
「全員ってわけじゃねえよ。柴爺なんかは、大金持ちだぜ。とある企業の元会長だからなァ」
「えッ!? あ、あの柴爺さんが会長さんだったんですか!」
「そこそこデッカイ企業のな。名前は言えねえがよ」
「ど、どうして、そんなひとがここに?」
「よくは知らねえが、息子である今の社長に会社を譲った途端、邪魔者扱いされる屈辱に耐え
られなくなったそうだ。まあ、金持ちの考えることは、ワシにゃあよくわからんよ」
唇を噛んだ七菜江は、言葉を失い黙り込んだ。
日暮れ前の秋の風が、プリーツスカートの裾を揺らす。
小瓶から口を離した初老の男に、少女は再び質問をした。
「・・・ゲンさんは? ゲンさんも、普通のひとじゃないんでしょ?」
「ワシか? ガッハッハッ! ワシは見ての通り、ただの・・・」
「ゲンさんは、オレの元上司だ」
濁しかけた言葉のあとを継いだのは、レンジャー服の隻腕の青年であった。
「・・・ちッ。坂本ォ〜、おめえは余計なこと、言わなくていいんだよォ〜」
「元特殊国家保安員、松尾源太一佐。玄道さまの懐刀として長く仕え、里美さまが成長される
まで現代御庭番衆の実務を担当されていた方だ。数年前、少し早い引退を迎えてからは、ず っとこの公園にいらっしゃる」
いつの間にか、七菜江の傍らに立っていた坂本勇樹一尉は、静かな口調で言った。
「坂本よォ、ワシらの稼業を人前でバラしたら、平常時なら首刎ねてるところだぜェ!?」
「今は平常時ではありませんから。それに源太さまは“元”ですからね」
「ケッ! 泣き虫小僧が、いっぱしの口利くようになったもんだな、おい」
「修行時代の昔話は勘弁してください。しかし、源太さま・・・いや、ゲンさんがこの地に隠遁され
ているのが、このような形で役立つとは思ってもいませんでした」
親しげに話す源太と坂本を、七菜江は交互に見遣った。
予想外の事実を知らされても、驚きをあまり感じずにいられるのは、それ以上のショックな出
来事に遭遇し続けたため、だったかもしれない。それにゲンさん・・・源太の佇まいは、出会っ た直後からすでに一廉の人物であることを漂わせていた。
「あの・・・ゲンさんはなんで、ここに?」
元部下である坂本では聞きにくい質問を、少女はストレートに尋ねた。
「非常事態のときのために、敢えてこの公園で備えていたんじゃないんですか?」
「ガッハッハッ! そいつぁ、買いかぶり過ぎってもんだぜ、お嬢ちゃんよォ」
大口を開けて笑った初老の男は、またグビリと琥珀の液体を流し込んだ。
「ここに居ついたのは、そんな大層なお役目のためじゃあねェよ」
「じゃあ、どうして・・・」
「嫌になっちまってなぁ。自分の稼業がよォ」
遠く、夕焼けの空を眺めながら源太は言った。
「ワシらの稼業は騙し騙され、みたいなとこがあるからな。人生の最終コーナーぐらいは、もっ
とわかりやすく生きてもいいんじゃねェかって」
「・・・わかりやすく・・・」
「ここの連中はみんな不器用なヤツらばっかだが・・・思うがままに生きてる。世間のしがらみと
離れてな。それぞれ自分なりに、懸命にその日その日を生きてんだ」
「・・・だからゲンさんは、この場所を守ろうって思ったんですか?」
「ははッ・・・そんな偉そうなもんじゃねェよ。ただワシも、ここが気に入っちまっただけのことさ」
すっと源太は指を伸ばし、彼方を差し示す。
鮮やかな夕陽をバックに、ビルの群れが黒いシルエットを浮かび上がらせていた。秋の澄ん
だ空が、暖かな光と混ざり合っている。
「この丘は富士見台といってなァ。昔はここから、富士山が見えたそうだぜ」
「ここから!? でも・・・」
「ああ。ビルが邪魔で今はとても見えねえなァ。ワシら人間はデカイ建物をどんどんと造ってい
ったが、一方でなにかを失っていったのかもしれねェ。けどよォ、その影じゃあ、こうしてちゃん と人間が生きているんだぜ・・・って、ガラにもねェこと言っちまったな」
ガハハ、と考古学者然とした男は大笑してみせた。
レンズの奥で眼がすっと細くなる。柔らかな微笑を浮かべた源太は、真正面からセーラー服
の少女に向き直った。
「お嬢ちゃん、あんた、青いファントムガールだろ?」
反射的に七菜江は、隣りに立つ坂本を見た。
首を横に振ったのは、オレは言っていない、という意味だろう。
「ふあっはっはっ! わかるさ、言われんでもよォ。明治神宮で闘ったとき、ワシと一部の連中
は直接見に行ったからなァ。お嬢ちゃんとあの青髪の女神はそっくりだ」
返す言葉が見つからず、七菜江は黙り込んだ。
思えば、首都東京での初めての闘いが、あの明治神宮での一戦だった。メフェレス、マヴェ
ルに加え、ゲドゥーとギャンジョーまで出現した闘い・・・あのときファントムガール・ナナが勝利 していれば、多くのものが失われずに済んだ。
こみあげる悔しさと惨めさに、七菜江はショートカットを垂らして俯くしかなかった。
「・・・あの・・・・・・ごめんなさい・・・」
「立派だったぞ、ファントムガール」
「・・・え・・・?」
初老の男の頬を、オレンジの光を反射して水滴が濡らしていた。
「あんた、立派だった。人々を守るために身を張って・・・ワシは涙が止まらんかった」
「・・・ゲンさん」
「ワシはあんたのこと、大好きだ。みんなに代わって、お礼を言わせてくれ」
ソフト帽を脱いだ男は、深々と腰を折って頭を下げた。
「や、やめてください。あたしは・・・結局なにも、誰も守れなかったんです」
「そんなことないぞッ! オレたちはナナちゃんに・・・ファントムガールに救われたんだッ!!」
慌てる七菜江の周囲を、ホームレスたちの輪が囲んでいた。
富士見台の丘の上に、新宿中央公園を根城にする、全ての者たちが集まっていた。
「君の闘いを見て、胸が熱くなったッ!! 君が生きる勇気をくれたんだッッ!!」
「ボロボロにされても立ち上がるあんたを見てるとよッ・・・泣けてくるんだッッ!! こんなオレ
たちでも、頑張らなきゃって思えるんだッッ!!」
「お前さんみたいないいコが辛そうにしてるのは・・・もう見てられないんじゃよ」
「オレたちもあんたのこと、大好きなんだッッ!!」
「そうだッッ!! ナナちゃんが・・・ファントムガールが大好きなんだッッ!!」
「ありがとうッッ、ファントムガールッッ!!」
「ありがとうッッ!!」
巨大生物の脅威に対抗し、闘ってきた少女に、初めて届けられる感謝の声だった。
「ッッ!!・・・だ、ダメだよッ、みんなぁ・・・」
猫顔のマスクがぐにゃりと歪む。
潤んだ瞳から雫がこぼれる寸前、少女は両手で己の顔を覆った。
こんなあたしに。
負けたあたしに、そんな優しい言葉を掛けちゃ・・・
想いは、言葉にならなかった。
ボロボロと七菜江は泣いた。
丸く小さな両肩が震える。顎の先から雫が落ちる。
ホームレスの輪から浴びせられる「好き」と「ありがとう」は、いつまでも降り止まなかった。
「・・・・・・ありがとう・・・・・・」
覆った手の隙間から、誰にも聞こえぬほどかすかな声で、ようやく七菜江は呟いた。
「・・・辛く、厳しい闘いを、今までありがとうなぁ・・・青いファントムガールよ」
優しい声とともに、源太の手がセーラー服の肩に掛けられる。
「今度はワシら人間が頑張る番だぜ・・・もう、あんたはゆっくり休んでいいんだ。これまで酷い
目に遭った分まで、幸せに暮らしてくれよ・・・なァ?」
顔を覆ったまま、七菜江はただ肩を震わせ続けた。
源太の視線が、元部下である青年に向けられる。
頬を濡らした坂本は、コクリと深く肯いた。感謝の言葉を受けることもなく、散っていった里美
のためにも・・・せめてひとり生き残ったこの少女だけは、安らかな休息を取ってもらいたかっ た。再び、闘いの時が訪れるのか・・・あるいは、二度と闘うことはないのか、わからないが。
「・・・そろそろ・・・行こうか?」
黙ったままの七菜江に、坂本が旅立ちを促す。
隻腕の自衛隊員は、御庭番衆の隠れ里のひとつに少女の身を移すつもりだった。唯一の守
護天使となった彼女の力が、また必要となる日が来るかもしれない。だが、事実上の終戦を迎 えた今、反撃の態勢が整うまでは無事に生き延び、退却することが重要であった。
「・・・・・・あたし・・・」
ポツリと少女が呟いた、その時―――
轟音が、鳴り響いた。
茜色に染まる夕空を、漆黒の稲妻が切り裂く。震える大地が、中央公園の樹々と目前の都
庁とを揺り動かす。
「ッッ!?・・・まッ・・・まさかッ!!」
引き攣る坂本の声を、傷ついた首都を震撼させる、巨獣の怒号が掻き消す。
「ウオオオオオッッッ―――ッッッ!!! 暴れ足りねえェェッッ!!! 喰い足らねえぜェェッ
――ッ、こんなもんじゃあよォォッ〜〜〜ッッ!!!」
新宿副都心の中央、東京都庁の眼前に、茶褐色の疵面獣が出現していた。
咆哮する、ギャンジョー。
怒りをぶつけるように、左右の槍腕で空を切る。巌のごとく分厚い肉体。その首元には新しい
疵跡が、ツキノワグマの模様のごとく刻まれていた。
「政府との交渉だァッ?! んなもん、どうだって構うかッッ!! オレァ、ファントムガールを全
員ぶっ殺せればいいんだよォォッ〜〜〜ッッッ!!!」
殺人快楽者であるギャンジョーにとっては、魔人メフェレスのクーデターなど、興味の対象外
なのだろう。
ただ、ひとを殺せればいい。極上品の守護天使がまだ一匹残っているならば、それを喰らわ
ない手はない。
「ギャハハハハアアッッ〜〜〜ッ!!! このデケエ建物ぶっ壊したら、正義の女神さまは登
場せずにいられねえだろうがアァァッ!!? 出て来いやァッ、ファントムガール・ナナァッ〜〜 ッ!!!」
「・・・挑発に乗るなよ。ヤツは恐らく、君がここにいると気付いていまい。破壊衝動を抑えるた
め、都庁を標的にしただけだろう」
ギャンジョーが七菜江の居場所を知っていたのなら、直接中央公園を襲うだろう。獲物が近く
にいると知って、まわりくどいことをする性格ではない。
七菜江の前に左腕を伸ばし、制しようとするレンジャー服の青年。
その坂本の腕を、少女はそっと押し戻した。
「ッッ!?・・・藤木七菜江ッ・・・」
「・・・あたし・・・闘います」
目蓋を赤く腫らしながらも、少女はもう、泣いてはいなかった。
「闘うだと・・・ッ!? ここにいる皆の声が聞こえなかったのかッ!? 君はこれまで十分よくや
ったんだッ!! もう我々のために、身を犠牲にすることは・・・」
「ううん・・・違うよ、坂本さん」
上空を見上げる七菜江の視線は、戦士のそれに変わっていた。
巨大な都庁の向こうに、ギャンジョーの体躯が見え隠れする。243mの建築物の前には、さす
がの巨大生物もわずか5分の一程度と見劣りするが、その破壊力をもってすれば倒壊までに 多くの時間は要さないだろう。守護天使の代わりに切り刻むべく、一歩づつ疵面獣は欧州の大 聖堂にも似た庁舎に接近していく。
「犠牲だなんて・・・そんなつもりで、闘うわけじゃないよ」
「しかしッ・・・」
「思い出したの。あたしが、闘う理由」
すぅっ・・・と大きく少女は息を吸った。
セーラー服のなかでボリュームある胸が、さらに膨らむ。桜色の唇を尖らせ、呼気を吐く七菜
江に、凛とした気配が張り詰めていく。
「あたし・・・仲間たちがいなくなって・・・里美さんさえいなくなって・・・どう闘えばいいのか、わか
んなくなってた」
プリーツスカートの裾を揺らして、ぐるりと周囲を七菜江は見た。
突然のミュータント襲撃に脅えながらも、逃げずに留まっているホームレスたちが、彼女の周
りにいた。
「い、いくなっ、ナナちゃんッ!!」
「そうだッ! あんなバケモノと闘うことはねえ!」
守るように少女の身を囲いながら、押し留める声が輪から湧き上がる。
それらの声を、七菜江は両手をあげて制した。
「みんな・・・本当に、ありがとうね」
「・・・ッッ・・・ナナちゃん・・・」
「でも、あたしは闘う。闘わなきゃいけない、理由があるのッッ!!」
ふと脳裏に、顔が浮かぶ。
里美・・・夕子・・・桃子・・・ユリ・・・そして、工藤吼介と片倉響子。
みんな、怒るだろうな。あたしが闘うってことに。
あたしだけには生きて欲しいって・・・言うんだろうな。
けど、ゴメンなさい。
そのお願い、聞けそうにないや。
「あたしにはッッ・・・こんなにもいっぱいッ、守りたいひとたちがいるッッッ!!! 守りたい世
界があるッッッ!!! みんながここにいる限りッ、あたしは闘うッッッ!!!」
引き留めようとするホームレスたちの手を振り切り、七菜江は走り出していた。
そうだ。
あたしが守りたいひとは、里美さんや仲間たちだけじゃなかった。
この世界に、大好きなひとがいっぱいいる限り。
「ギャンジョーッッッ!!! お前らの好きには・・・あたしがさせないッッ!!」
眩い光が、都庁の裏・・・新宿中央公園で爆発する。
光は青い模様が描かれた、銀色の巨大な女神へと形を変えた。
「そこにッッ・・・いたかァッ――ッ、ファントムガール・ナナァッッ!!!」
右の槍腕を咄嗟に引く疵面獣。都庁越しに現れるはずの女神を、迎撃すべく態勢を整える。
ドドドドドドッッッ!!!
揺れる。東京都庁第一本庁舎が。
まさか、都庁の壁を突き破ってくるつもりなのかッ!? だとすれば、あまりに守護天使らし
からぬ動きに、動揺がギャンジョーを襲う。あの愚かなまでに甘いナナが、積極的に建造物を 壊すなんて!? いや、しかしこの尋常ならぬ揺れはッ・・・?
「ここよッッ!! ギャンジョーッッ!!」
243m上空。
北塔の頂上に、ファントムガール・ナナは姿を現していた。夕焼けの光を、青と銀の肢体が照
り返している。
都庁の壁を、駆け登ったのかッ!! 先程の揺れの正体は、壁面を蹴上がる衝撃・・・
だが真に驚愕すべきは、次の瞬間だった。
駆け降りてくる。都庁の壁を。
ただ重力に任せて、落ちるのではない。自然落下を遥か越える速度で、グラマラスな少女の
肢体は眼下の巨獣へと一気に殺到した。
「ぎィッッ!!?」
「あたしは闘うッッ!!! みんなを守るためッ、お前を倒すッッ!!」
急降下する青い天使の跳び蹴りが、ガードをすり抜けギャンジョーの疵面に直撃した――
―。
5、
夕焼けに染まる新宿副都心のビル群に、轟音がこだました。
茶褐色の巨躯が、空中を弾丸のごとく飛んでいく。都庁前に広がる『とみん広場』。古代のコ
ロッセオを連想させるような、半円状の敷地に疵面獣が落下し、震動でビリビリと都庁舎の南 北の塔を揺らす。
摩天楼を思わす、天衝く超高層ビルの数々。
都庁をはじめ、この国を代表するような高層建築がいくつも周囲に並んでいる。それらは『エ
デン』寄生者が巨大化した姿より、5〜6倍は高いものばかりだった。
ファントムガールとミュータント。人智を超えた存在が決着をつけるには、これ以上相応しい
舞台はないのかもしれなかった。
人造の巨柱に囲まれた決戦の地で、最後の守護天使の闘いが今、幕を開けようとしていた。
銀色の素肌に鮮やかな青の模様を浮かべた女神が、ギャンジョーを追って『とみん広場』に
脚を踏み入れる。
夕陽のオレンジを跳ね返す肢体は、S字のラインを描いたように凹凸に富んでいた。パンと
張った胸の双房とヒップとが、健康的な色香を無自覚に発散している。
肉感的なボディにアクセントをつける、青い模様と同じ色のショートヘア。
無人となった東京都庁の前に立つ巨大な少女の姿は、神々しくすらあった。
「・・・勝負よ」
ファントムガール・ナナ。ついに地上には、この青き守護天使ただひとりが残るだけとなった。
政府が機能停止に陥った今、人々が希望を託せる存在は、彼女しかいないのだ。
人類と光の女神とが追放された首都・東京・・・失楽園の地を舞台に、最後の少女戦士が全
てを賭けた闘いに踏み出す。
「ゴオッ・・・!! グオオオオオッッッ――ッ!!」
仰向けに倒れた凶獣が、脚の勢いを利して咆哮とともに跳ね起きる。
ブッ!と赤い唾を吐く。現代コロッセオのコンクリの床に、鮮血に混ざって白い牙が転がっ
た。
「・・・てッ・・・めえェェッ〜〜ッ・・・覚悟はできてるんだろうなァッ・・・」
怨嗟を含んだ獣の呻きに、グッと拳を握ってナナは黙り込んだ。
言い返せなかった。
ギャンジョーの恐ろしさは、すでに嫌というほど思い知っている。
“覚悟”という言葉は、ナナの心境を的確に表していた。その通りだ。圧倒的暴力を誇るこの
疵面獣と相対するのに、少女は“覚悟”を決めていた。
仲間たちは、次々にこの凶獣に殺された。
すでに彼女自身が、完膚無きまでに敗れ去っている。
今、闘って勝てる保証など、あるわけもなかった。
「・・・でも・・・あたしは、やる」
「そうか。死ぬ覚悟はしてきたかッ・・・」
尖った槍腕の穂先を光らせて、ギャンジョーの巨体がゆらりと一歩を踏み出す。
半円のコロッセオに並び立った両者。狭い闘技場のなかでは、数歩も進めば敵に攻撃が届
く。
「守りたいひとたちがいるから、あたしは闘う・・・」
「この期に及んで、まだくだらねェことを」
「お前にはくだらなくてもッ・・・あたしにとっては大事なことよッ!」
そう、死を“覚悟”しても構わぬほどの。
里美も、ユリも、夕子も、桃子もいない。大好きなひとたちは、ことごとく消えていった。守るべ
きひとたちは、もうこの世界に存在しないかと思っていた。
違う。そうじゃない。
「あたしはッ・・・この世界が好きッッ!! みんなが好きッッ!! だからッ・・・闘うッ!!」
「・・・小娘らしい・・・甘臭えこと抜かしやがる・・・反吐がでるぜェッ!!・・・」
「甘くて上等よッ!! 好きだから守るッ!! あたしにはそれで十分だもんッ!!」
「てめェみたいな、いいコちゃんこそ・・・ぶっ殺すと気持ちいいんだ・・・」
吹き付ける“悪意”が、濃度を増した。
気の弱い者ならば、ギャンジョーの発する黒い風のみで、失神してしまいそうだった。“殺意”
そのものがすでに武器。それが最凶を冠するハグレ極道の、恐ろしさであった。
「勘違い・・・しないでよね」
グッと奥歯を噛み締めつつ、青い天使が言い放つ。
濃厚な瘴気を真正面から浴びながら、ナナは怯んでいなかった。
「あァ?」
「怒りってことなら・・・お前なんかより、あたしの方が上よ・・・」
「・・・てめェッ・・・」
「あたしを助けるためにッ・・・アリスは死んだッッ!! 夕子を殺したお前への怒りッッ・・・ない
だなんて綺麗事、絶対に言わないからッッ!!」
銀色の女神が輝きを強める。
錯覚ではなく、確かにナナの全身は発光した。感情の高揚に、呼応するかのように。
「殺してやるぜッッ・・・ファントムガール・ナナッッ・・・」
静かに、しかし怒気に満ちた声で、疵面獣が吐き捨てる。
決闘のリングと化した『とみん広場』が、緊迫で満ちた。さらに一歩、ギャンジョーがナナとの
距離を詰める。
“射程圏”内までは、あと一歩。
どちらかが次に脚を踏み出した時が、本格開戦の合図となろう。
“ここだと・・・イヤでも接近戦しかできないっ・・・普通に考えたら、圧倒的にあたしが不利・・・”
ギャンジョーを追って『とみん広場』に立ったのは、ナナの作戦ミスだろう――。
一般的に考えれば、それがごく当然の帰結になるはずだった。狭い足場ではフットワークが
使えない。唯一スピードのみが勝っている守護天使にすれば、己の優位点を封じられたも同然 だ。
閉じ込められた密室で、兇器を持ったヤクザと殺し合いをする――。
まだ高校生の少女が置かれた境遇の、実態がそれだった。
“けどッ・・・あたしが勝つには・・・格闘でこいつに上回るしかないッ!・・・ソニック・シェイキング
は使えないんだから・・・”
一見不利にしか見えぬ接近戦を、敢えてナナは仕掛けていた。
全方位の敵を一度に殲滅するソニック・シェイキングは、ギャンジョーにしても回避不能なは
ずだ。大地から超震動を送るこの技は、逃げるにも防ぐにも容易ではない。放てば確実にダメ ージを与えられるのは、間違いなかった。
しかし、周辺一帯に影響を及ぼすことを考えると、事実上、この場でソニック・シェイキングを
放つのは不可能と言っていいだろう。
都庁のすぐ裏、新宿中央公園には、行く先のないホームレスたちが、ナナの闘いを固唾を呑
んで見守っているのだから。邪を滅ぼす光の技といえど、人間の肉体が巨大なファントムガー ルの一打に耐えられるわけがない。
ギャンジョーを仕留められそうな必殺技となれば、他には“BD7”とスラム・ショットしかない
が・・・サトミのファントム・リングを耐え切り、アリスのヒート・キャノンすら槍腕で受け切った怪 物に、易々と致命傷を与えられるとはとても思えなかった。
敵は並外れたタフネスと防御力を誇るバケモノだ。闇雲に挑んでも、エネルギーを失うばか
り。
“勝つためには・・・肉弾戦でダメージを与えるッ! それができない限り・・・あたしに勝ち目な
んてないわ・・・”
ナナにとっても、ギャンジョーにとっても得意な、近接距離での闘い。
制しなければ勝ち目はない以上、少女戦士は退路を絶った。パワーも、サイズも、タフネス
も、全て敵が上。おまけに両腕に兇器を装備した、恐るべき殺人鬼。そんな相手に背中を向け ず、真っ向から格闘戦を挑む。
逃げないッッ・・・!!
あたしはこいつと・・・殴り合うッッ!!
ガガガガガガガッッッ!!!
ギャンジョーが踏み出しかけた瞬間、機先を制した守護天使の連打が、茶褐色の巨獣を襲
う。
ローキックから左右のブロー。側頭部を狙った回し蹴りまで。
視覚に捉えることすら困難な、飛燕の連撃。無数に繰り出されたそれらを、しかしギャンジョ
ーの両腕は全て防ぎきっていた。
「うッッ!!?」
銀と青の天使が不意にバックステップで下がる。
その鼻先を、下方から薙ぎ払われた槍腕がかすり過ぎていく。
ハイキックが受けられた瞬間、脚を狙って放たれたカウンターの剣撃を、かろうじてナナは避
けていた。右の太腿表面に、スッと赤い線が走る。
「くッ!? 防御もッ・・・こんなに堅いなんてッ!!」
「あとがねえぞォッ〜〜ッ!! 小娘ェェッ〜〜ッ!!!」
ナナの背に当たる、『とみん広場』のコンクリの壁。
それ以上、距離は置けなかった。追い詰められた守護天使。すでに凶獣は、象牙のごとき鋭
利な腕を大きく振りかぶっている。
逃げられない。
背筋に戦慄が這い登ると同時に、ブンッ!!と豪腕を振る音色が耳朶を叩く。
「ヒャァッハッハアッ〜〜〜ッ!! やるなッッ、おいッ!!」
耳障りな笑い声は、頭上から降り注いできた。
退くことも、左右に逃れることも不能だったファントムガール・ナナは、逆にギャンジョーの懐
へと飛び込んでいた。
凶獣の左右の二の腕、力瘤の部分を手で抑え、全身の筋肉を突っ張らせて懸命に支えてい
る。
槍腕の鋭い切っ先は、ナナの身体までわずかなところで止まっていた。
「はァッ、はァッ、はァッ!!」
「いいセンスしてやがるッ! 咄嗟に突っ込んでくるとはなァッ!? やはりファントムガールは
極上品揃いだぜェッ!!」
「うゥッ!!・・・くゥふッ・・・な、なんてパワー・・・ハァッ、ハァッ!!」
「だが真正面からオレ様とやりあおうなんざァ・・・とんでもねェバカだぜッッ、てめェはよォ
ッ!!」
ガブウウウウッッッ!!!
両腕の兇撃を防がんと、全身を突っ張らせた青い守護天使。
身動きできないナナの右肩口に、大口を開けたギャンジョーが噛み付いていた。無数の鋭利
な牙を食い込ませたまま、首の力だけで凶獣がナナを空中に吊り上げる。
「うわああああああッッ―――ッッッ!!! かッ、肩があァァッ〜〜〜ッッ!!!」
メチメチッ・・・と筋繊維の悲鳴が不気味に奏でられる。
暴れる少女戦士が、左右の蹴りをめちゃめちゃに褐色の巨獣に放っていく。それでいて、青
いブーツの踵や爪先は、着実にギャンジョーの正中線・・・顎や鳩尾などの急所を抉っていた。
思わず牙が緩む隙を逃さず、噛み付きから脱したナナがコンクリの床に着地する。弾けるよ
うに地を蹴ると、一気に現代コロッセオの反対の壁まで一旦距離を取った。
「ハアッ!! ハアッ!! ハアッ!! ぐくゥッ・・・うああ・・・」
「ケッ、今ので肩を食い千切れなかったか・・・まったく、頑丈さといい、身体能力といい、たいし
たアマだぜェ・・・ただし、あくまで女子高生としてはだがなァッ〜〜!!」
右肩を押さえながら、荒い息をつく守護天使は、それでも凶獣を睨み返した。
「てめえがこのオレ様に勝てる可能性は・・・一万分の1もねえよ」
構えを取るナナに対し、ギャンジョーは悠然とした足取りで近づいていく。
「遊びはもういい。これからは・・・最後のファントムガールの、嬲り殺しショーだァッ・・・」
壁に囲まれた現代コロッセオのなかでは、迫る疵面獣から逃げる術はなかった。
来る。超速の刺突が。
わかっていながらナナは立ち向かうしかなかった。聖天使たちをさんざん苦しめた恐怖の斬
撃。眼で見ることすら困難な超スピードの槍腕の猛襲に、戦乙女たちの柔肌は幾度も貫かれ てきたのだ。
『臨死眼』を習得する前のアリスは、成す術なくメッタ刺しにされ瀕死に陥った。
ユリアとサトミは気の流れや敵の動きを読むことで、超速の襲突を防いだ。だがそれは、あ
のふたりだからこそできた神業だ。天性のアスリート・ナナといえど、簡単に真似できるレベル のものではない。
己の能力で、あの速度の刺突を見極められるのか、どうか?
それはナナ自身ですら、やってみなければわからなかった。
“超速の刺突・・・あたしの力で防げるなら・・・この闘い、なんとかなる・・・でも、通用しないな
ら・・・”
「終わりだ。正義の天使さま」
制空圏内。互いに手の届く間合いに、躊躇なく凶獣は踏み込んでいた。
死神が微笑む刹那があるならば、それはまさにこのとき――。
ナナの全神経が、針のように研ぎ澄まされる。その瞬間、周囲の空気は凍えたように硬直し
た。
ピクッ・・・
ギャンジョーの右肩。太い筋肉の繊維が動くのが、アスリート天使には確かに見えた。
「ッッッ!!!・・・来」
る。
脳が言葉を完結するより速く、衝撃がナナの鳩尾を下から突き抜けていった。
ドボオオオオオオッッッ!!!
「げぼおおおオオォッッ―――ッッ!!?」
くの字に折れ曲がった肉感的な肢体が、宙に浮く。
ギャンジョーの右の槍腕。その尖った切っ先が、ナナの腹部に埋まっていた。
呻きとともに、美少女の口を割って出る吐血。ビチャビチャと血塊が、コロッセオの床に降り
注ぐ。
捉えられなかった。
ナナのガードが機能するより速く、超速の刺突は乙女の肉に撃ち込まれていた。
「がふゥッ!!・・・はひゅウッ・・・!!」
「ギャハハハハアアッッ〜〜〜ッッ!!! これでファントムガールはッ・・・全員抹殺だぜェッ
ッ!!」
次の瞬間、背筋を凍らせたのは、疵面の凶獣の方だった。
苦悶し、鮮血を吐く聖天使が、ギン!と顔を振り上げる。
強く輝く、瞳の青色。
脳の片隅で固まっていた疑問が、一気に氷解する。ある種の違和感。刺突は決まった。小娘
は予想通りに苦しんでいる。だが、なにかが違う。なにかがおかしいのだ。本来展開されるべ き光景が、今は見えていない・・・
なぜ、鋭利な槍型の腕が、ナナの肢体を貫いていないのだ?
「ソリッド・ヴェール・・・あたしの光の防御膜はッ・・・あんたの兇器に耐えられたみたいッ・・・」
先程全身が発光したのは、この技が発動された合図だったか。
槍腕の兇撃は確かにナナの腹部に埋まっていた。
だが、その表皮を破ってはいなかった。光のヴェールで耐久力をあげたナナのボディに、進
撃を食い止められていたのだ。
真剣であったはずのギャンジョーの武器は、木刀にまで威力を下げられた。
ナナにダメージはある。内臓を潰される苦痛に腹腔は焼け、衝撃で脳天まで痺れている。
だが、反撃不能に陥るほどの致命傷を、超速の刺突は与えられてはいなかった。
ギュルリッッ・・・!!
青い天使が捻れた、と見えた瞬間、鳩尾から槍の切っ先を引き抜く。ギュルギュルと旋回す
るナナの背中が、凶獣の視界に飛び込んでくる。
回転後ろ蹴り。
気付いた時には、ナナの足刀はギャンジョーのどてっ腹に深々と突き刺さっていた。
ドボオオオオッッッ!!!
「おぐうウゥッッ!!?」
「龍尾ッッ!!」
腹部に埋まった足を踏み台にして、ナナの肢体が浮き上がる。
一気の攻勢だった。パンパンに張った太腿から、放たれる膝蹴り。
ぐしゃりッッ!!
乙女の膝は、疵面獣の顎を打ち砕いていた。
肉の潰れる打撃音。ギャンジョーの膝が、ガクリと折れかかる。
「裏龍尾ッッ!!」
休ませなかった。
回転する守護天使の追撃。後ろ蹴りが、再び巨獣の鳩尾を抉る。今度はギャンジョーの方
が、くの字に折れ曲がる番だった。
独楽のごとく旋回するナナは、足を腹部に埋めたまま、再び跳び上がる。もう一方の脚が鞭
のようにしなり、虚空に鮮やかな円を描く。
甲高い音を響かせて、ハイキックが凶獣の側頭部を蹴り抜いた。
かつて工藤吼介に習った、格闘奥義の二連発。
「ッッカフッッ・・・!!」
「ギャンジョーッッ!!! あたしはお前をッ・・・殴り倒すッッッ!!!」
崩れ掛かる疵面獣の懐に、銀と青のハリケーンが一気に襲い掛かる。
「ウオオオッッ!!・・・オオオオオオオッッ―――ッッッ!!!!」
ドドドドドドドドドドンンンッッッ!!!!
回転するナナの怒涛の連撃が、ギャンジョーの巨体に炸裂した。
「・・・ッッギィッ・・・ブッ!!」
茶褐色の分厚い肉に、青い天使の拳が、脚が、次々と叩き込まれる。疵面獣の口から涎の
塊が噴き出す。
ファントムガール・ナナがもっとも得意とするハリケーン連撃。
もろに喰らったギャンジョーの肉体は、あちこちで陥没して仄かな煙をあげた。
「これッ・・・でッ!!」
回転の加速と遠心力。身体ごと叩きつけるように、左の裏拳を放っていく。
ナナのフィニッシュブローは、動きの止まった凶獣の顔面に吸い込まれた。
パキャアッッ!!!
疵面が、グニャリと歪む。
一旦グラリと揺れたギャンジョーの巨躯が、ゆっくりと仰向けに倒れていく。
半円状の『とみん広場』を、ダウンする巨体の地響きが包み込んだ。
立っている、ファントムガール・ナナ。沈む、ギャンジョー。
夢ではなかった。紛れもない、現実があった。
小柄な銀と青色の守護天使が、巨大な凶獣を倒す。純粋な格闘技術で凌駕する。
驚愕の瞬間が、今まさに新宿東京都庁の真ん前で起きている。
「ッ・・・勝ッ・・・!?」
叫びかける守護天使の口。しかし、それは瞬時に閉じられた。
倒れたギャンジョーの両脚が、勢いよく跳ね上がる。
下半身の勢いと首の力とを使って、褐色の巨体は間髪入れずに立ち上がった。
まるで何もなかったかのように。濁った眼で、硬直した少女戦士を見下ろす。
「なッ・・・!?」
「・・・驚いた・・・ぜェッ・・・小娘の分際でまさか、このオレをダウンさせるとはなァ・・・」
「う、ウソよ・・・あたしの全力が・・・効いてないなんてッ・・・!!」
「いや、効いたぜェ〜〜ッ・・・だが、あれじゃあオレは殺せねェ」
ナナの格闘能力の高さは、ギャンジョーの想像を遥かに上回っていた。心底からの驚嘆が、
通常なら逆上するはずの暗殺鬼に冷静な対応を取らせる。
「殺意ゼロの攻撃がオレ様に通用すると思ったか・・・? 所詮シロップみてえな女子高生だな」
『エデン』を宿した戦士は、その精神性が強く戦闘能力に影響する以上、殺人に躊躇する・し
ないの差は攻撃力に顕著に現れる。殺人鬼ギャンジョーや闘争の塊であるガオウが絶大な攻 撃力を保持するのは、『エデン』の性質からすれば当然の理であった。
スポーツ少女そのもののナナにとっては、殺意という感情は近いようで、遠い。
恐らく、5人のファントムガールのなかでも、“甘さ”という点においてはナナとサクラが双璧だ
ろう。もっとも非情になりきれるサトミですら、ギャンジョーにその攻撃は通じなかったのだ。
「その程度で仲間の仇討ちとは笑わせやがるッ・・・“殺す”度胸もねェガキが・・・」
「・・・くッ・・・!!」
「・・・だが・・・てめえ、タダの女子高生じゃねえな・・・他のファントムガールとも違う・・・どうなっ
てやがる?」
青い守護天使を見下ろす生臭い眼に、鋭さが増していく。
心臓の弱い者ならショック死しそうな威圧に、ナナは耐えた。狭い闘技場。一歩踏み出せば、
手の届く距離。言葉を交わしつつ、両者は互いの隙を見計らう。
「異常に生命力のあるヤツだとは思っていたが、刃は通さねえ・・・素手でこのオレを倒す・・・バ
ケモノか、てめえは?」
「・・・お前に、バケモノ呼ばわりされたくないよ」
「てめェのその強さ・・・やけに虫唾が走るぜェッ・・・」
「そうね。あたしは、みんなとは・・・普通のファントムガールとは違うかもしんない」
「あァ?」
「あたしも・・・本当は“シュラ”なのかもしれない」
「“シュラ”ァ?」
空気の、爆ぜる音がした。
聞き慣れぬ言葉に疵面が歪んだ瞬間、青いグローブを嵌めた拳が飛んでいた。
真っ直ぐな突き。顔面中央を狙った、ナナのストレートパンチ。
渾身のパワーとスピードを込めた一撃。しかし、巨体に見合わぬ敏捷性を誇るギャンジョー
には、その軌道はあまりに単純すぎた。
「うッ!?」
青い拳が疵面をかする。頭を振った、ギャンジョーの頬を。
マズイ。
思ったときにはすでに遅い。凶獣の反撃は、とっくに発動されていた。
カウンターはボディにきた。尖った杭のごとき槍腕が、ナナの鳩尾に突き刺さる。
「ぐぶうううゥゥッッ〜〜〜ッッ!!! ゴボオッッ・・・ゴブッッ・・・」
「あまり・・・ナメんなやッ、小娘ェェ・・・」
くの字に折れ曲がった少女戦士、その口から黄色の粘液が吐き出される。光のヴェールで
食い止めて尚、刺突の衝撃はナナの腹部を突き抜けていた。
内臓の軋む痛みに、脚が引き攣る。ショートカットの天使が動きを止める。
苦悶を浮かべた可憐なマスクに、ギャンジョーのもう一方の槍腕は唸り飛んだ。
ナナの顔面を串刺しにせんと。
ザシュウウウゥゥゥッッ!!!
鮮血が飛んだ。
半円の広場に、真紅の点描が降り注ぐ。
今度はナナが、首を捻って攻撃を避ける番だった。ザクリと裂けた頬に、朱色の線が走って
いる。
パシィッ! と乾いた音色。
青い聖天使の掌が、象牙のごとき腕を掴んでいた。ふわりと浮く銀色の肢体。伸びた凶獣の
豪腕に、ムチムチと張った乙女が絡みついていく。
跳び付きの腕ひしぎ十字固め。
槍の付け根、手首にあたる箇所を両手で握ったナナが、ギャンジョーの左腕にぶらさがる。
両脚と背筋に力を込めて、全身を一気に反り上がらせる。
“なッ・・・なんてパワー・・・”
通常、肘の角度が90度を越えると腕というものは伸びやすくなる。力が入りにくくなるのだ。
まして、伸ばそうとするナナが全身の筋力を駆動させるのに対し、ギャンジョーは上腕の力にし か頼れない。両者の体勢からすれば、この関節技の攻防は圧倒的に守護天使に利があった。
それでいて、ナナの全体重を持ち上げたままの左腕は、伸びきらなかった。
関節技には力は要らない、とはよく耳にする言葉ではあるが、正確には『極まった関節技に
は』と注釈をつけるべきであろう。実際には、関節を極める過程で力は必要になる。
女子高生アスリートと、日本最強最凶と謳われるはぐれ外道。
ふたりの腕力差は、今更考えるまでもなかった。
ニヤリと疵面が笑う。
「器用なこと、できんじゃねェか? あァ?」
「ぐううぅッ・・・うううッ〜〜ッ!!」
「ギャハハッ!! 無駄だ、無駄だァッ!! 関節技なんざ、圧倒的力の前には通用するわけ
がッ・・・」
「ううゥゥッ・・・うおおッ、おおおおッッ―――ッ!!」
吊り上がっていたスカーフェイスが、わずかな瞬間歪んだ。
左腕にかかる負荷が、増す。
気合いを込める聖天使の姿が、凶獣には銀と青色のバネに見えた。この体格の小娘に、な
ぜこれほどのパワーが? 想定を遥かに越える筋力の前に、左腕がビキビキと奇妙に鳴き始 める。
「ッッ―――ッ!!」
極まった。
真っ直ぐに伸びきった凶獣の左腕。その瞬間、ファントムガール・ナナの腕十字は完璧な形
でギャンジョーを捉えた。
「・・・てめェ・・・」
ブチッ・・・ビチビチッ・・・
筋繊維のあげる悲鳴が、密着した素肌を通してナナにも聞こえた。
激痛が走っているにも関わらず、平静を装うギャンジョーの耐久力は確かに脅威だった。そ
れでも、敢えて挑んだ接近戦、狭い半円のリングで五分以上に渡り合っているといえるのは、 最後の少女戦士に大きな自信を与えていく。
ギャンジョーは強い。桁外れに。パワーもスピードもタフネスも、全てにおいて恐ろしい。
けど。そんな怪物相手に、あたしは十分闘えている――。
“BD7やソニック・シェイキングは一回のみ・・・命を賭けても、せいぜい2発があたしの身体の
限界・・・それまでに、こいつの体力をある程度削ぎ落とすことができればッ・・・”
「・・・恐れ入ったぜェ・・・正直、女の力とは思えねェなァッ・・・」
「みんながッ・・・あたしに力を貸してくれてるのよッ!」
「ケッ、くっだらねェッ・・・だがよ、こうしてちんたら遊んでるところが・・・あめェってんだァ
ッ!!」
叫ぶなり、牙の生え揃った疵面獣の口が、大きく開かれた。
腕十字に捉えられたギャンジョーの肉体は、ナナによって上半身をコントロールされている。
反対の腕では効果的な攻撃は出せない。だが、首から上に関してはむろん自由だ。
顔が意志どおりに動くならば・・・ギャンジョーには反撃に留まらぬ一撃があった。
ギロリと疵面が向く。ナナの視線と正面から交錯する。
真っ赤な口腔の内部に集束する闇エネルギーを見たとき、優勢にある聖少女の背中に戦慄
が走った。
「ッッ・・・!? う、ウソッ・・・まさかッ!?」
「“弩轟”オオォォォッッ―――ッッ!!!」
渦巻く漆黒の砲弾が、躊躇なく至近距離からナナの顔面に発射された。
夕陽の世界に黒の余韻が飛び散る。ギャンジョー必殺の一撃に、新宿全体が揺れた。
鳴動する大地。震撼する空気。
暗黒砲が直撃する寸前、咄嗟に手足を離したナナが弾けるように飛び逃げる。
「うわあああああッ〜〜〜ッ!!?」
銀色のアイドルフェイスがあった場所をすり抜け、ギャンジョー最大の闇砲は闘技場の大地
に着弾した。
黒色が、爆発する。
轟音が都庁の壁を叩き、一斉に窓ガラスが砕けた。
間一髪で被弾を避けたナナの肢体が、天高く舞い上がる。闇エネルギーの余波を受けた銀
の皮膚が、焦熱で焼かれたように煙をあげている。
数瞬の間、守護天使の意識は飛んでいた。“弩轟”の衝撃で脳が揺れている。
夕焼けの空に浮いたナナの肢体は、格好の的となったはずだった。
「ッッぬおおッ!?」
ファントムガールを絶滅させる好機に、ギャンジョーは追撃を放つことはできなかった。
ナナに避けられた暗黒弩流が『とみん広場』の床を穿った瞬間、コンクリの大地はその衝撃
に耐え切れず崩壊したのだ。
半円の地面全体がガラガラと崩れ落ちる。広場の下に広がる空洞、地下へと巨獣が雪崩れ
落ちていく。
それは、ナナが東京に来てから初めて、闘いの女神がファントムガールに微笑んだ瞬間だっ
たかもしれない。
「はッ!?」
意識が戻ったと同時に、ナナの脳裏を思考が巡る。勝利に向けての、道を探して。
ソニック・シェイキングは・・・ここでは撃てない。
“BD7”は・・・まだ早い。
ならば、放つべき技はただひとつ。
「スラム・・・ショットッ!!」
上空高く舞い上がったグラマラスな少女が、右腕を大きく振りかぶった。
オレンジに包まれた世界に、神々しいまでの白い光球が生まれる。まるでもうひとつの太陽
のように。
幾多のミュータントを葬ってきた、ファントムガール・ナナ必殺の一撃。ハンドボールをモチー
フにした圧縮光弾は、崩落した巨大な穴に吸い込まれていく。
ドオオオッッ・・・オオオオッッンンン!!!
“一発で・・・あの怪物を倒せるわけがないッ!! だったらッ!!”
重力に引かれるより早く、アスリート天使は再度空中で身を捻っていた。
二発目。
さらにもう一発。合計三発のスラム・ショットが、次々に空洞に吸い込まれ、爆発の炎をあげ
る。
「・・・やっ・・・たッ・・・!!?・・・」
『とみん広場』から少し距離を置いた地面に着地したナナの両肩は、激しく上下していた。
手応えは、あった。
いくらギャンジョーが頑強な肉体を誇るといえど、並みのミュータントならば数体を貫通するこ
とも可能なスラム・ショットを三連続で喰らって無事なわけがない。
空洞の下、地下の底に転がっているはずの茶褐色の凶獣を確認すべく、青色の脚が一歩を
踏み出す。
ボゴオオォッッ・・・!!
コンクリの地面を突き破って生えた巨大ペンチが、ナナの右の足首を挟んだのはその瞬間
であった。
「あッッ!!?」
「やってくれんじゃねェかァッ〜〜〜ッ!!! 小娘がよオオォォッ――ッ!!!」
怨嗟を帯びた怒号が足元から響くや、聖天使の肢体は一気に地下に引き込まれていた。
凄まじい力だった。立っていた大地が抜け落ち、胸までズボリと乙女の肉体が埋まる。
スラム・ショットはギャンジョーを仕留めていなかった。地下を移動した凶獣は、足元からの奇
襲に転じたのだ。
「うああァッ・・・!! し、しまッ・・・!!」
「今のはちょいと、肝が冷えたぜェェッ・・・だがな、オレ様の両腕の兇器を破壊するには、生易
しすぎんだよォッ、てめェの攻撃はァッ!!」
槍突起に代表されるギャンジョーの両腕は、元々が暗殺鬼スカーフェイスのジョーが手にす
る得物=武器から変形したものだ。
本物の短刀や鋼鉄のペンチが具現化した両腕は、相当高い強度を持つ。破壊力ならファント
ムガール中でも1、2を争うアリスのヒート・キャノンすら、槍腕は弾き返しているのだ。
「御礼はたっぷりッ・・・てめェのカラダで払ってもらうぜェッ!!」
憤怒を込めた凶獣の声が、地下から届く。
見えない敵の姿に、沸き起こる恐怖。だが腋の下、盛り上がった乳房のところでコンクリの床
に挟まった形のナナは、自由に動くことさえままならない。
懸命にもがく二本の脚は、空しく宙を蹴るばかりであった。
「ぐううゥッッ!!?」
激痛が、左右の脇腹に走る。
巨大ペンチの歯が肋骨に食い込んだのは、圧迫される痛みですぐにわかった。ソリッド・ヴェ
ールで防御力を高めてなお、ギリギリと磨り潰されていく脇腹。アバラの軋む悲鳴が、ナナの体 内で共鳴する。
ミキ・・・メシメシッ・・・ゴリィッ・・・
「くはァッ!! ぐうゥッ!! かはァッ・・・!!」
「容赦ない攻撃っていうのを・・・オレ様が教えてやるぜェェッ〜〜ッ!!」
悪寒が守護天使の背筋を駆ける。だが、剛力で締めあげるふたつのペンチに、ずっぽりと穴
に嵌ったナナの肉体は完全に捕獲されていた。
ガブウウッッ!!
右の太腿に、鋭利な牙が無数に食い込む。
乙女の筋肉は、怒れる凶獣に噛み付かれていた。筋繊維を噛み千切らんと、グリグリと牙が
暴れ回る。肉が裂けていく感覚が、激痛とともにナナの脳髄を直撃した。
「うわあああッッ〜〜〜ッ!!! ぐわああアアァッッ―――ッッ!!!」
「チッ。見た目よりも固い肉だぜェッ・・・」
ガブウウッッ!! ガブウウッッ!! ガブウウッッ!!
噛み付きの凄惨な音色が、地下から連続して起こる。そのたびに青のショートカットは、苦痛
に衝かれたようにビクンッ!と跳ねた。
満足に身を避けられないナナの肢体に、次々とギャンジョーは噛み付いていく。攻撃を見るこ
とができないため、恐怖と痛みとは倍増して守護天使に襲い掛かった。
“食べッ・・・られるッ!! あたしッ・・・食べられちゃうッ!!”
ソリッド・ヴェールで強化された皮膚にも、じっとりと赤い色が滲み始めていた。パンパンに張
った銀の筋肉には、噛み痕を示す無数の穴が開いている。
同時に、ペンチによる圧搾はますます強さを増していった。
「あァッッ!!?」
胸を襲う激痛に、たまらずナナは叫んでいた。
右の乳房が、ぐにゃりと潰れるのが自分でもわかる。メロンとも形容される自慢のバストが、
凶獣の牙に喰らいつかれているのだ。
柔肉を千切られそうな痛みに、青のショートカットはガクガクと揺れた。
「うがああああァァッ〜〜〜ッッ!!! はッ、離しィッ・・・離してェェッッ!!! む、胸ェェッッ
〜〜ッ・・・!!!」
「ギャハハハアァッ〜〜〜ッ!!! 小娘のくせに随分ボリュームあるおっぱいだぜェェッ
ッ!!! オレ様が食い千切ってやろうかァッ〜〜ッ!?」
ゴリッ・・・ゴリゴリッ・・・
ブチッ・・・ギヂイィッ・・・ブチブチッ・・・
巨大ペンチで肋骨を潰され、鋭利な牙で右乳房を噛まれて。
コンクリートに遮られた視界の下で、天使の肉体が破壊されていく。残酷な調べは、仰け反っ
たナナの耳にも届いてきた。
“このッ・・・ままじゃッ・・・嬲り殺しにッ・・・”
ブルブルと震えつつ、青いグローブを嵌めた右手が、高々と上げられる。
開いた掌の上で、白の光球が渦を巻いて膨らんでいく。
胸に噛み付いている間は、地下に隠れたギャンジョーの位置も、当然のように正確にわかっ
た。だが、捕獲されたこの体勢からでは、威力ある打撃は放てない。並のパンチでは、怪物ギ ャンジョーを揺るがすことなど不可能であろう。
ダメージを与え、戒めから脱するには・・・この攻撃しかナナには思いつかなかった。
「・・・スラム・・・ショットッ!!」
右腕を振り下ろす。己の右胸近く、凶獣が存在するであろう場所へ目掛けて。
コンクリートの地面を突き破った光弾は、すぐに爆発を起こした。
至近距離で巻き起こる轟音と衝撃に、ビリビリと全身が震える。
確実な、手応えだった。光弾が疵面に直撃したのは、疑う余地もない。
全力の一撃とは言えないまでも、スラム・ショットをこの距離で受けて無事でいられるわけが
なかった。逆転の予感に、思わず開いていたナナの右手が強く握られる――。
その瞬間だった。
ボギイイイッッ!!! ベギィッ!! ゴキッボギイィィッ!!
「はァぐうゥッッ!!?」
ナナの左右の肋骨は、3本づつ、一斉に砕かれた。
ゴブッ! と血塊が口を割って出る。稲妻のような激痛に、カクンと前倒しになる銀のアイドル
フェイス。
「・・・効かねェってのが・・・まだわからねえのかアァッ〜〜ッ!!!」
怒号が地下から沸く。と、守護天使を捉えたままのギャンジョーが、床を突き破って上空へと
跳び上がる。
地面の抜けた『とみん広場』を飛び出し、第一と第二、ふたつの都庁の間に凶獣は着地し
た。変形した両腕のペンチはナナの脇腹を潰し、疵面はバストに喰いついたままだ。
頭部からほのかに昇る白煙が、スラム・ショットの着弾を証明している。
効いていない、はずはなかった。だが、なまじ効果があっただけに、ギャンジョーの怒りと殺
意はもう一段、上のレベルに増幅してしまっている。一気にアバラを折られたのが、凶獣の意 識が“嬲り殺し”から“抹殺”へと変わった、なによりの証左だ。
底が知れなかった。
実力は、明らかにギャンジョーが上だった。ナナがこれほどの犠牲を払って、ようやく本気を
引き出せる程度とは・・・
「あぐッ・・・くふッ・・・アアッ・・・ア・・・」
「潰してやらァッ・・・ぐちゃぐちゃになァッ!!」
ぐしゃああああッッ!!!
砕けた骨に構うことなく、巨大ペンチはナナの脇腹をさらに挟み潰した。
胴が真っ二つにされたような、激痛。
少女の腹部が有り得ないほど、ひしゃげている。
大きく反り上がった守護天使が、吐血を振り撒く。青い瞳を点滅させる。
ソリッド・ヴェールが弱まったのか、牙が深く食い込み、乳房からも鮮血が迸る。
「ひぎゅわああアアああ―――ッッ!!? がァッ!!・・・うぐううゥゥッ〜〜ッ!!! ・・・ごぶ
ッ・・・!!」
「スポーツなら、あるいはオレといい勝負したかもなァッ・・・だがな、オレはお前を殺すぜェ
ッ!!」
光輝く銀の表皮を、薄い紅が汚していく。苦痛に引き攣ったように、ナナの両脚はバタバタと
宙空をもがいた。
その二本の脚の間に、脇腹を放した右のペンチ腕が、無造作に差し込まれる。
割り込んで這い登るや、鋼鉄ペンチは少女の股間を前後に挟んだ。下腹部のクリスタルか
ら、秘所、尻肉まで・・・大事な部分がひんやりと冷たい感触にさらされる。
「ッッ!!!・・・まさッ・・・かァッ!!?」
うわずったナナの悲鳴に躊躇うことなく、ギャンジョーは全力を右腕に込めた。
バクンッ!! とペンチが締まる。
股を開く形となったナナの両脚が、大きく2回、痙攣した。
凶獣の怪力は容赦なく、『エデン』本体と合体した下腹部のクリスタルを、そして腹腔奥の子
宮を、握り潰すように圧迫していく。乙女肉が奏でる悲鳴が、ペンチの隙間から洩れ流れる。
メキッ・・・ピキキッ・・・ゴォリィィッ・・・
「うがァああああアアァァッッ―――ッッ!!! やめッッ・・・やめてえェェッッ―――ッ
ッ!!!」
「ヒャッハッハッハアアァッ〜〜ッ!!! オラぁッ、上のクリスタルも一緒に潰してやらァ
ッ!!」
「んんぐあァッッ!!? うあああああァァアああッッ―――ッッ!!!」
左腕のペンチが胸中央の水晶体を挟む。ギリギリと締め付けながら、捻じ回す。
抜群のプロポーションを誇る少女戦士の肢体は、胸のクリスタルと股間、そして右乳房に全
体重を預けて空中に浮いた。メロン乳が千切れそうになる。エナジー・クリスタルが今にも引き 抜かれそうだ。股間にますます深く埋まっていく巨大ペンチ・・・壮絶な苦痛に叫ぶナナの口か ら、ゴボゴボと白い泡が溢れ流れる。
“ぎゃはあァッ!!! うぐああッ・・・アアッ・・・ま、負けるかッ・・・こ、これくらいで・・・負けるも
んかッ!!”
仲間たちは・・・散っていった少女たちは、この程度の責め苦では済まなかった。
もう、闘えるのはひとりしかいないのだ。世界でただひとり、ファントムガール・ナナしか――。
「ぐうゥッ・・・ウアアッッ!!」
渾身の力を込めて、右拳を振る。ストレートパンチを、間近にある疵面へ。
青色の拳はギャンジョーの左眼に、狙い済まして直撃した。
「ッッギイッ!!?」
戒めが緩む瞬間を逃さなかった。弾けるように後方へ跳ぶ、聖少女。ペンチと牙から、一気
に身体を引き剥がす。
圧搾刑から脱出したナナが、久しぶりに大地を踏み締める。崩れそうな膝を、懸命に堪え
た。ソリッド・ヴェールで強化して尚、肉感的なボディは鮮血で汚れている。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・ぐッ・・・ううッ・・・」
「目潰したァ・・・やってくれんじゃねえかあァァッ〜〜ッ!!!」
対峙する凶獣の疵面は、憤怒でさらに歪んでいた。
左眼は、潰れてはいなかった。眼球というものは、想像するよりずっと硬い。貫き手ならとも
かく、ナナが放った拳では目潰しを達成できる圧力は掛けられないだろう。
噴きつける闇のエナジーが、暴風となってナナの全身を叩く。そばに立つだけで、細胞が腐
食していくような憎悪の念。殺意はすでに、頂点に達している。
「少しはマシな攻撃、するようになったじゃねえかッ・・・だがなッ! まだまだてめェは甘ェんだ
よォッ!!」
ズイ、と凶獣の脚が一歩詰め寄る。
来る。あたしを、殺しに。
戦士としての直感が、次なる一撃をナナに囁きかけてくる。
「・・・それ、だけ?」
「あァッ!?」
「あたしが甘いことなんてッ・・・ハァッ、ハァッ・・・わかってるッ! だから、殺そうなんてムリに
は思わないッ・・・お前を、殴って殴って殴り倒すッ!!」
普通に闘っても勝てないことは、イヤというほど思い知らされていた。
ならば自分の力を。可能性を信じて、ただ全力を振り絞る。
「ケッ・・・てめえにそれが・・・できるかよォォッッ〜〜ッ!!! アアァッ!?」
「・・・できるわ」
「思い上がんなやッッ!!! 小娘がアアァッッ!!!」
「あたしは。里美さんが生んだ、“シュラ”だから」
ドンンンンッッッ!!!
ギャンジョーがさらに一歩を踏み込む。射程距離内。ピクリと右肩が動く。
超速の刺突。
ナナが回避できなかった超速度の打撃を、凶獣は発動させた。戦乙女の肉体を、一気に撲
殺せんと―――。
“防げないのならッ・・・攻撃は、最大の防御ッッ!!”
「ッッ・・・い・・・っけェェ!!!」
ドドドドドドドドドドドドンンンンンンンンンンンンッッッ!!!!
地が割れたがごとき、轟音が響いた。巨大ペンチがナナの顔面に届くより速く。
一瞬にして、十二発の打撃がギャンジョーの肉体に着弾していた。
茶褐色の分厚い胸板や腹部が、ボコボコに凹んでいる。摩擦による熱で、白い煙が仄かに
立ち昇る。
ゴボオォォォッッ・・・
生え揃った牙の間から、鮮血の塊がこぼれ出た。
仰向けに倒れていくギャンジョーの耳に、守護天使の声が届く。激しく吐き出す呼気とともに。
「カハアッーッ!!・・・ハアッーッ!!・・・や・・・った・・・ハアッ、ハアッ、ハアッ!!・・・これ
が・・・刹那十二連撃ッッ!!」
握り締める。ふたつの拳を。強く、強く。
実戦では初めて使用する、瞬間12発の打撃。刹那十二連撃の手応えが、いまだビリビリと
拳に残っている。無意識のうちに右手を突き上げ、ナナは咆哮していた。
「ウオオッ・・・ウオオオオッ―――ッ!!」
血の糸を引いて大地に沈んでいく、凶獣の姿が瞳に映る。
効いた。確かに効いた。間違いなく――。
だが同時にナナは悟っている。ギャンジョーの昏倒は一瞬に過ぎないと。
本家・工藤吼介の刹那十二連撃でさえ、疵面獣に決定的ダメージは与えられなかった。武道
館の前で七菜江自身が目撃した事実だ。あの時の吼介は『エデン』の力を得ていなかったとは いえ、すでに十分な戦闘力を保持していた。あの打撃に耐えた怪物が、この程度で終わるは ずがなかった。
この機に、一気に畳み掛ける。
千載一遇のチャンスが到来していた。無謀とも思える肉弾戦も、いつか訪れる好機を信じて
仕掛けたのだ。
実力で劣るナナが勝負を賭けるには、今、全力を尽くすしかない。
反射的に脳裏をよぎったのは、ソニック・シェイキング――。
首を振って、慌てて打ち消す。超震動と聖光の組み合わせならば、きっと頑強な肉体も滅ぼ
すことができよう。だが、ダメだ。東京都庁のすぐ裏、新宿中央公園にはホームレスの“仲間” たちがいるのだ。
光はともかく、超震動は生身の彼らに耐え切れるわけがない。
といって彼らを、公園から引き離すことはできない。彼ら自身も出て行くわけがなかった。他
に行く場所など、ないのだから。新宿中央公園こそが、彼らにとって唯一のホームなのだから。
「みんながいる場所を・・・いるべき場所を、守るためにあたしがいるッ! そのために、ファント
ムガールがッ!!」
“もう、あたしのために『犠牲』はいらないッ・・・!! みんなを守るために、あたしはファントム
ガールになったんだからッ!!”
天に突き上げたままの右拳に、光が凝縮していく。
ソニック・シェイキングの発射態勢・・・ではあるが、ナナが発動しようとしているものは、もうひ
とつの必殺技だった。
“BD7”――守護天使を闘神へと昇華させる秘技。
心臓への負担と引き換えに手にする、神速と超パワー。“BD7”を敢行すれば、先程口にし
た通り、凶獣を殴って殴って殴り倒すことも十分可能なはずなのだ。
無傷のギャンジョー相手には、限られた“無敵状態”の時間内で仕留めるのは難しいだろう。
しかし、今のギャンジョーは、決してノーダメージではない。
押し切れるはず、だ。いや、押し切れ。押し切らねば、ならない。
「この身がッ・・・ボロボロになってもッ!! まずはギャンジョーォォッ!! お前をッ!!」
夕暮れの世界に、もうひとつの太陽が出現したように。
高く突き上げた右拳が、眩く輝く。光の集合体が、ビリビリと茜空を震撼させる。
見下ろす先には、地に伏したギャンジョー。緩慢に動く凶獣が、すぐには立ち上がれないの
は明らかだった。
あとは右拳を、己の心臓に振り下ろすのみ――。
『ファントムガール・ナナッ! もう周囲に気兼ねする必要はないぞッ!』
突如として上空から響いた声が、動きかけたナナの腕を止めていた。
『中央公園の連中は全員救った! 心配せずに、全力で闘うんだッ! 思い切り闘っていいん
だッ!』
振り向くナナの瞳に、回転するプロペラと迷彩柄の機体が映る。
声の主が坂本勇樹一尉と気付くまでもなく、自衛隊の救難ヘリであることは一目瞭然であっ
た。久慈のクーデターにより混乱を極める防衛省とはいえ、現場レベルでは坂本と志を同じに する者はまだまだ多い。
ひとり生き残ったファントムガールを、少しでも手助けしたい・・・彼らの想いが、ホームレスた
ちの救出に駆り立てた。人類最後の希望、ファントムガール・ナナが、存分に闘えるようにと。
『ナナちゃ〜ん! オレらのことは気にしなくていいんだよ〜!』
ヘリに内蔵されたスピーカーから、別の声が流れてくる。
「サ、サトリンッ!?」
『わしらの居場所など、すぐにまた見つかるわい! そんなことより、お前さんの方がずっと大
事じゃ!』『そうだよ・・・ナナちゃんの足手まといになるほうが・・・ずっと嫌なんだ』
「柴爺さん・・・てっちゃん・・・」
次々と降りかかる、ホームレスたちの声。
彼らがこの場を離れるのは、むろんナナにとっては闘いやすくなることを意味する。だが一方
で、“ここにしかない”居場所を奪うことでもあるのだ。
「・・・ごめん、みんな・・・結局あたしはなにも守れ・・・」
『十分なんだよ、お嬢ちゃん』
複雑な心境に駆られる少女の胸に、低い男の声は沁みこんだ。
「ゲンさんッ・・・!?」
『お嬢ちゃんには、もういっぱい守られてきた。ワシらからも、少しはお返ししねェとよォ』
「でもッ!」
『勝て』
救難ヘリ・ブラックホークが急激に加速する。口から鮮血を垂らしたギャンジョーが、身を震
わせて立ち上がっていた。憤怒に歪む、疵面。巻き添えを食らわぬようにと、全速力で自衛隊 機は新宿を離れていく。
『そいつに勝てッ、ファントムガール・ナナッ! 生きて帰って・・・宴会の続きだぜェッ!!』
遠ざかる初老の男の叫びが、青い天使にはハッキリと聞こえた。
“・・・わかってるよ”
大切な“居場所”を彼らは捨てた。捨ててくれた。ナナを勝たせるために。
あたしはまた、みんなの大切なものを守れなかった。
だからこそ。
“もう、あたしは・・・絶対に勝つしかないッッ!!!”
「ウオオオオオオオッッ・・・オオオッッ―――ッ!!!」
再び守護天使が咆哮する。
いや、ナナだけではなかった。ギャンジョーもまた吼える。激情に衝かれたのは、凶獣もまた
同じだった。
「テメエエエエェェッッ―――ッッ!!! あの野郎と一緒かアアァァッ〜〜〜ッッ!!!」
刹那十二連撃。喰らった瞬間、脳裏に浮かんだ赤銅の鬼神。
藤木七菜江と工藤吼介の関係はもちろん知っている。だが、ナナが発した聞き慣れない言葉
が、闘鬼ガオウに恨みを抱く凶獣に、新たな真実を教えていた。
シュラ。
そうか。てめえもあの赤鬼も、同じバケモンだったてェわけだ。
「殺すッッッ!!! てめえもあいつもッッ!!! 殺さなきゃあ、気が済まねえェッッ!!!」
「滅びるのはッ・・・お前の方だァッ!!!」
パカリと開いた疵面の口のなかで、漆黒の砲弾が渦を巻く。暗黒のエネルギーが急激に密
度を増していく。
高まる光と闇の波動。都庁のふたつの塔がグラグラと揺れる。オレンジに染まる世界のなか
で、聖なる白光と憎悪の黒念が激突の瞬間を迎えようとしていた。
“普通にやって・・・勝てる相手じゃない。イチかバチかッ・・・!!”
ナナの右手が心臓に振り下ろされるのと、ギャンジョーの口腔で漆黒が膨らむのは、同時で
あった。
『ダメだッ、ナナッ!! “そっち”を今使ったらッ・・・!!』
機体の識別も困難なほど離れた空で、坂本の絶叫が響く。
人影の絶えた首都に、声はバラけて消えていった。叫びが届くには、遠すぎた。未練の糸を
引き延ばすかのように、爆音を残してブラックホークは飛んでいく。
「“BDッ・・・7!!”」
暗黒砲の発射より早く、青い拳が盛り上がった左胸に撃ち込まれた。
「“弩ッッ――”」
凝縮された光が。ナナの心臓に吸い込まれるのが見える。
赤みがかる、銀色の肌。それは全身の血流が異常促進された証。超戦士に生まれ変わるナ
ナに、ギャンジョーは極大の暗黒弩流を放って――
「“ゴォッオブボオ゛ォォッッ!!!”」
グシャアアアアッッッ!!!
放てなかった。
赤銅に輝くナナは、すでに凶獣の懐にいた。
突き上げるアッパーが、ギャンジョーの顎を打ち抜く。骨のつぶれる音色。噛み合わされる牙
の狭間で、渦巻く闇エネルギーが暴発を起こす。
激震が、新宿全体を揺るがした。
爆散する暗黒の砲弾。天が落ちたような轟音のなか、衝撃でナナと凶獣が吹き飛ぶ。
「うわッ・・・あああッ!!」
木の葉のごとく舞い飛ぶ守護天使。だが、爆風のさなか、ナナは体勢を立て直した。二本の
脚で踏ん張る。全身から立ち昇る白煙。長い間合いを空けて、すかさず敵に視線を飛ばす。
「ゴボオオオッッ・・・グゴオオオッッ!!! ギュグゴオオォゥオオッッ―――ッッ!!!」
立っていた。鮮血を滝のように振り撒きながら。
吼えるたびにグジュグジュと真紅の血塊が飛び散る。それでもギャンジョーは立っていた。口
のなかで、爆発が起こったというのに。
同じ闇属性とはいえ、弩流の暴発すら耐え切るのか、この怪物は。
「ゴロ゛ズッッ!!! 小娘ェェェッッ〜〜〜ッッ!!! 殺してや゛ら゛アアァァッッ―――ッ
ッ!!!」
「わかってたッッ!! こうなることはッ!!」
殺意に凝り固まった怒号を、守護天使は真っ向から迎え撃った。
怯まず。脅えず。その青い瞳に宿るは、勝利への真っ直ぐな光。
ドゴオオオオオオッッ!!!
漆黒の稲妻が大地を叩いたのは、その時であった。
「・・・そこまでだ。ファントムガール・ナナ」
低く、重い声が高層ビル群に漂い流れる。
悪夢。
その言葉を忠実に具現化するのに、恐らく、今この光景を置いて他にはないだろう。
「お前の命は、オレが頂く」
ひとつ眼の白き凶魔が、静かに呟く。
ゲドゥー。そして、魔豹マヴェル。
新たな二体のミュータントが、守護天使をトライアングルで囲むように出現していた。
「・・・あは♪ きゃははは! 惜しかったわねェ〜、子猫ちゃん! あともう少しで、ギャンジョー
に勝てたかもしれないのにィ〜! ちょっ〜と時間、かかりすぎねェ〜」
豹女の嘲笑が背中に浴びせられる。
ギャンジョーの単独行動から始まった都庁下での闘い。だが、いまや背後に控える戦力は正
義と悪とで段違いなのだ。ナナが1対1で闘える状況など、いつまでも許されるはずがない。
しかし、それでも――。
「わかってた、って・・・言ったでしょ」
ナナの瞳に浮かぶ強い光は、翳ることはなかった。
「“BD7”を全力でやったら・・・あたしはほとんど動けなくなる。お前たちを一斉に倒すには・・・
思い切り“BD7”を発動するわけには、いかなかった」
赤銅に変色したはずの守護天使は、すでに元の銀色に戻っていた。
加減して放った“BD7”―――その事実を証明するかのように、高々と掲げたナナの右拳に
は、再び白き光が結集している。
「読んでいたか。オレたちの出現を」
抑揚のないゲドゥーの声が、硬直した戦場にやけに大きく響き渡った。
「みんながッ・・・あたしのために、くれたチャンスッ!! 今のあたしは、躊躇うことなくこいつを
撃てるッッ!!」
ドンッッッ!!!
右手の輝きが増す。高密度の光が生み出す共鳴音が、3体の悪魔にも聞こえてくるようだっ
た。
天高く突き上がる、青き守護天使の右腕。
「この一撃でッッ!! お前たち全員を葬るッッ!!」
「ィッッ〜〜〜〜ッ!!!」
声にならないマヴェルの悲鳴が、夕闇みの世界に轟いた。
「ソニックッッ・・・シェイキングッッ!!!!」
聖なる光に包まれた右拳を、ナナは一気に足元の大地へと振り下ろした――。
ドオォンンンッッッ!!!
青きグローブを嵌めた右拳が、コンクリートの大地を叩く。
響く轟音。オレンジ色の静止画のなかで、その音色だけが息づく。
瞬間、首都の地はドクンと脈打ったかのようだった。
ドドッッ!!・・・ドドオォッッ!! ・・・ドドドドドドドドッッ!!!!
ナナの足元に、一極集中した光。
超震動が同心円状に広がるのに合わせて、眩い光が拡散する。地を裂いて噴き上がる白光
が、一直線に天を衝く。次々に立ち昇る光の柱。
引き攣るような絶叫が、聞こえたような気がした。
猫顔のアイドルフェイスが、かすかに唇を綻ばす。
超必殺ソニック・シェイキングは発動された。もう、あたし自身でも、止められない――。
大地を揺るがす破壊の超震動。空間を貫く聖なる光。
ふたつを複合させたソニック・シェイキングからは誰も逃れられない。あらゆる魔を殲滅して
きた破壊力に、耐えられるものなどいるわけがない。
“・・・これで、終わる・・・終わらせる・・・ッ!!”
加減をしたとはいえ、ソニック・シェイキングの直前には“BD7”を発動した。消耗の激しい大
技を連発し、己の肉体も無事に済むなどとはナナも思っていない。
それで構わない。上出来だ。
勝負を賭けた一撃によって、ナナはもはや満足には動けないだろう。だが悪鬼羅刹の軍勢を
相手に、勝利するにはこの方法しかなかった。最善の策は実行に移せた。
あとはもう、祈るだけだ。
“・・・お願いッ!! 決まってッ!!”
魔豹マヴェルでは、ソニック・シェイキングは耐えられまい。
問題は残るふたり。無傷の凶魔ゲドゥーと、ダメージをすでに負ったギャンジョー。
この二体を仕留めきれるか――?
できなければ、最後のファントムガールの運命は決まる。
そこまでを瞬時に考え、ナナは腹を括った。覚悟の微笑を浮かべていた。ダメなら・・・仲間の
元へ、ゆくまでだ。
“里美さんッ・・・ユリちゃんッ・・・夕子ッ・・・桃子ッ・・・!! あたしにッ・・・力をッ!!”
噴き上がる白光の柱が、八方に広がる。
守護天使を囲む3体の悪魔に、一斉に襲い掛かっていく。
「残念だ」
ポツリと呟いたのは、ひとつ眼の凶魔だった。
黒縄で編んだような右腕が、高々と天に突き上げられている。まるで、ナナのマネをしたかの
ように。
濃紺のひとつ眼に、迫る光の柱が映る。
「ソニック・シェイキングとやらが・・・この程度のものだったとは」
“最凶の右手”をゲドゥーは降り下ろした。拳が大地を、叩く。
首都の地が、泣いた。
鳴り響く、轟音。大地が割れたかのように。建造物の窓ガラスが一斉に砕け散り、首都圏一
帯が縦に揺れる。
「ッッ!!?」
大きく見開かれた瞳で、信じられぬ光景をナナは見た。
「ファントムガール・ナナ、破れたり」
大地を揺らす超震動が。噴き上がる光の柱が。
ナナ最大の必殺技ソニック・シェイキングが、跡形もなく掻き消えていた。
ただキラキラと宙に漂う白光の粒子が、技の余韻を残している。呆然と見詰める天使の視界
のなかで、やがて粒子も夕闇に溶けた。
「・・・ウ・・・ソ・・・・・・」
「震動を、更なる巨大な衝撃で吹き飛ばした。お前ごときの打撃など、このゲドゥーには遠く及
ばん」
バカな。バカな。バカなバカなバカな。
そんなわけが、ない。ソニック・シェイキングが、技そのものを吹き消されるなど。
正真正銘、血を滲ませて習得した秘技だ。来る日も来る日も地面に拳を叩きつけ、おびただ
しい汗と涙と引き換えに、やっと手に入れた必殺奥義。
究極ともいえる一撃を、凶魔の右手は強引に無効にしてしまったというのか。
「ソニック・シェイキングは、オレには通用しない」
どしゃあああッ・・・!!
なにかが崩れ落ちる音がした。気がつけば、ナナの両膝は地面に着いていた。
ムッとこみあげるものを、たまらずに吐く。咳き込む口元を、慌てて左手で押さえる。
真っ赤な鮮血が掌を汚していた。
「ゲホォッ!! ゴボッ、ェボオォッ!! ・・・ハァッ、ハァッ・・・」
心臓に負担をかける“BD7”の反動が、今更のようにナナを襲った。内臓を、巨大な手で握り
潰されているようだった。骨が、軋んでいる。細胞にひとつひとつが分離し、バラバラになってし まいそうだ。
掻き毟る。果実と見紛う豊かなバストを。
跪き、うずくまったままナナは、己の肢体を抱き締める。動けなかった。禁断の大技を連発し
た代償で、銀と青の少女戦士は、苦痛のなかで震えることしかできない。
「はくふぅッ!!・・・くふッ!!・・・ハァッ、ハァッ!!・・・ぐ・・・うァ・・・」
“む、胸ェ・・・は、破裂しちゃッ・・・!! くる・・・し・・・い゛ッ・・・!!”
喘ぐ天使が、懸命にもがく。ボタボタと口から垂れる鮮血が、灰色の地面に点を描いていく。
霞む視界の奥から、3体の巨大生物の脚が迫ってくる。マズイ。逃げなければ。
わかっていて尚、必殺奥義を破られた聖少女はどうすることもできなかった。
一撃で全方位の敵を殲滅するソニック・シェイキングは、光の戦士にとっては最後の希望だ
った。圧倒的多数に囲まれても、ソニック・シェイキングがあれば逆転は期待できた。たったひ とりのファントムガールが、奇跡を実現するための、唯一の切り札だった。
最終手段である超必殺技が容易く破られた今、もはやナナに、いや、光の守護天使陣営に
勝機はない。
白い甲冑に包まれた凶魔の脚が、眼と鼻の先にまで近づいた。
ゲドゥー。ギャンジョー。マヴェル。
3体の悪魔の中央で、ファントムガール・ナナは地に跪いたままだった。
地球最後の光の女神は、殺意を込めた視線のなかに、完全に取り囲まれた。
「ハアッ! ハアッ! ハアッ!・・・うあ゛ッ・・・あ゛ァッ・・・!!」
「ファントムガール・ナナ。処刑の時間だ」
冷ややかな凶魔の宣告が、頭上から降り注いだ。
その瞬間、だった。
動かなかったはずのナナの四肢に、力が湧く。
飛び跳ねた。銀と青色の閃光。
地面に伏せていた天使の、急襲。大地から飛び出した魚雷のごとく、凶魔ゲドゥーの尖った
顎へと拳を振る。
「うおおッ・・・!! おおおおッ―――ッ!!!」
「やはり、そう来なくては、な」
「あたしはァッ!! まだッッ!!!」
負けてないッ!!! 負けるわけにはいかないッッ!!!
「刹那ッッ!! 十二連ッッ・・・」
凶獣ギャンジョーに膝を着かせた、瞬間12発の打撃。
窮地のナナに、余裕はなかった。今出来る最高の攻撃を放つ。
格闘獣直伝の秘打、その初弾が、迎え撃つゲドゥーのカウンターブローと激突する。
真正面から衝突する、ナナの右拳と“最凶の右手”―――
ベキベギィボギィィッッ!!!
凄惨な音色を響かせて、青いグローブに包まれた拳が、ぐしゃりと潰れた。
「うわあああッッ――ッ!!? あがあああァァッ〜〜〜ッッ!!!」
「フン。女子高生の拳など、脆いものだ」
血を噴く右手を押さえ、絶叫するナナ。5本の指が、有り得ない方向に折れ曲がっている。
ゲドゥーの右手が、潰れた少女の拳をさらに握り掴む。巨大なヒトデが獲物を飲み込むようだ
った。「あッ!?」と短くナナが叫んだときには、凶魔の圧搾は終わっていた。
ブジュウウッッ!! と“最凶の右手”のなかで鮮血が爆発する。
「あ゛あ゛あ゛アアァッ〜〜〜ッッ!!! 手があァァッ!!? あ、あたしの右手があァァッ――
ッ!!!」
ゴリゴリと手の甲が、指が、潰されていく。骨伝導の響きが、ナナ自身に事実を教える。
グイ、と右腕が引き上げられた。
軽々と守護天使の脚は、大地から浮いていた。急速に視界が流れていく。遠心力に襲われ、
全身が引き延ばされる。
ヘリコプターのプロペラのように。
片腕一本でゲドゥーは青い天使を振り回した。ビュンビュンと風切りの音が、都庁の壁を叩
く。
「うわあァッ・・・わああああッ〜〜〜ッ!!!」
回転する天地。流れる視界のなかで、憎悪に疵面を歪ませた巨獣が映る。
右手はいつの間にか、鉄球に変形していた。ビッシリと埋め尽くした、鋭利な棘。
待ち受けるギャンジョーに叩きつけるように、ゲドゥーがナナの肢体を振った。
ドボオオオオオッッ!!!
棘付き鉄球のストレートパンチが、アスリート天使の腹筋にめり込む。
「ェボオオォ――ッッ!!!・・・オ゛オ゛ァッ・・・〜〜〜ッッ!!」
その瞬間、腹部を支点にナナの身体が折り畳まれた。
無数の棘が、根本まで銀色のお腹に埋まっている。
ドス黒い血のヘドロが、生き物のように少女の口を飛び出した。咽喉の奥から次々に湧いて
出てくる。
「オボオ゛ッッ・・・ゴブゥッ・・・ぐぶッ!!・・・」
「こんなもんでッ・・・済むわけねえェッ・・・!!」
守護天使を突き刺したまま、ギャンジョーが右腕を高く掲げる。
鉄球が回転を始める。腹筋に埋まった棘が、ザクザクと銀の皮膚を裂いていく。
「闇豹」マヴェルですら思わず顔をしかめる、残酷な光景だった。
ギュイイイイ―――ッンンンッ!!! ギャリギャリギャリィィッッ!!!
「キャアアアアアッッ―――ッッ!!!! ひぎいィィッッ!!! ぎゅふはああアアァッッ――
―ッッ!!!」
「泣けやァッ!! 喚けッ、小娘ェァッ〜〜ッ!!!」
高速回転する鉄球が、天使の表皮を削っていく。
細かな肉片混じりの鮮血が、回転に合わせて飛び散る。凶獣が、新宿の街が、真紅の霧に
濡れていく。
“こんなァッ・・・こんなはアッ!!・・・耐えられへェッ・・・!!”
蹂躙のなかで気力を奮う。脱出を図ったナナは、右脚に全力をこめて疵面へと飛ばす。
懸命な反撃すら、暗殺鬼には見透かされていた。
殺意が深刻になるほど、ギャンジョーは冷静さを増す。聖少女がこの体勢から逆襲するに
は、蹴りを放つしかないのはわかっていた。
左腕。象牙を思わす槍腕が、銀色の太腿を待ち構えていた。
ドシュウウウウウッッッ!!!
「はアアウゥッ!!」
ナナの右脚、パンと張り詰めた太腿を、極太の杭が串刺しにしていた。
突き抜けた切っ先が、裏から覗いている。
絶叫する天使を、哄笑する凶獣が投げ捨てた。鉄球棘と杭とが、同時に乙女の肉から抜け
る。
塞いでいた栓がとれ、聖少女を抉った穴から一斉に鮮血が噴き出した。
「あぐゥふウッ・・・!! ェう゛ッ・・・いぎィッ!!・・・ギアアッ・・・!!」
「これでもう、逃げられないねェ〜、子猫ちゃん♪」
己の血溜まりでのたうつナナに、観覧を決め込んだ「闇豹」が笑う。
血祭りにあげられた肢体は、すでに青の模様がわからないほどだった。
“お腹ッ・・・がァッ・・・・・・脚ィッ・・・がはァッ・・・・・・あ、あたし・・・・・・”
死ぬ。
これまでの闘いで、幾度もよぎった予感が脳裏を走る。
奇跡的に生き抜いてきた。ある時は仲間に救われ、ある時はギャンブルに近い逆襲に成功
して。
だが、もうナナの救出に現れるファントムガールはいない。
仲間たちは、みな悪魔の手により処刑された。
サクラも。アリスも。ユリアも。・・・そしてサトミも。
無惨な亡骸を首都のあちこちに晒され、守護天使は人類敗北のオブジェと化した。東京は、
ファントムガールの墓場となった。
最後ひとり。
生き残ってしまったあたしも、今、死を迎えようとしている。
ナナ自身、勝機は見出せなかった。
かつて経験したことのない、濃密な死の香り。それは確信といってよかった。
己の肉体の状態。取り巻く状況。
もはや、運命は避けられまい。
それでも―――
「・・・立ったか」
ゲドゥーの口調には、明らかな感嘆と歓喜があった。
右の太腿を貫通されて尚、ファントムガール・ナナは立ち上がっていた。
折れ曲がった右手の指を、左手が握る。
捻じ潰れた指を一本一本、少女戦士は拳の形に固めていった。常人ならば、失禁しかねぬ
激痛。痛みの凄まじさは、耐える表情が教えてくれる。
「ぎィッ!!・・・ぐウウゥッ!!・・・ハアッ!! ハアッ!! ハアッ!!」
「いいぞ、ナナ。これだからファントムガールは堪らん馳走だ」
皮肉にすら聞こえるゲドゥーの賛辞も、守護天使には届いていなかった。
儚く散っていった仲間たちのためにも、応援してくれる人々のためにも、少女はただ死ぬわ
けにはいかないのだ。
前のめりに、散る。
一筋の希望となるために。
里美が教えてくれた、今できる全力を尽くすこと。現状においてのその答えは、最後まで闘い
抜くことに違いなかった。出来のいい後輩じゃなかったけれど、今のナナは自信を持って答え られる。
下腹部と右脚が、真っ赤な網目で染められていた。
血とともに力が、太腿から抜けていく。ガクガクと痙攣する右脚。自分でもよく立っていられる
と、タフな身体に呆れかける。
“・・・どうせ・・・死ぬなら・・・・・・”
命と引き換えに、ファントムガール・ナナは最後の一撃を放つつもりだった。
打撃では仕留められないのはよくわかっている。もとより、潰れた右拳は何度も使えまい。
スラム・ショットはギャンジョーに弾かれる。
ソニック・シェイキングはゲドゥーに吹き消される。
なにもかも通用しないナナに、残された技はひとつしかない。
“BD7”
こんな時のために、先程の“BD7”は全力で打たなかったのだ。
超必殺技は2回が限度。ソニック・シェイキングで一発は使ったが、命を捧げる覚悟で放てば
「オマケ」でもう一回くらいは神様も許してくれるんじゃないか――
一方で、わかっている。
“BD7”を発動したところで、死は免れないことは。
3体の敵、それもゲドゥーやギャンジョーといった怪物相手に、どこまでダメージを与えること
ができるのか・・・所詮は悪あがきだった。赤銅色の無敵状態が終わると同時に、最後のファン トムガールは処刑されるだろう。
それでも。
諦めない少女戦士の闘いは、きっと残された人々に光を灯すに違いなかった。
「だが、そこまでだ」
低く重い、ゲドゥーの宣告が響く。
まるでナナの心を読んでいたかのように。
「ムダだ。お前はもう、なにもできない」
右にゲドゥー。左にギャンジョー。
最凶の刺客二体に、動けぬ天使は挟まれていた。それは奇しくも、初めて明治神宮で遭遇し
たときと同じ立ち位置。距離を置いて囲んだ凶魔と凶獣を、血塗れた少女戦士がキョロキョロ と見回す。
二体は同時に、両手を伸ばした。
立ち昇る瘴気が濃度を増す。膨れ上がる、闇のエネルギー。
襲い来る恐怖の予感に、ナナの表情が引き攣った。
「ああッ!?・・・アアア・・・」
「てめえのブザマな足掻きをッ・・・指くわえて見てると思ったかッ、アアッ!?」
「ファントム破壊光線ッッ・・・二重殺ッ!!」
暗黒の弩流が二方向から発射される。
ゲドゥーとギャンジョー、最凶の破壊光線がナナの全身を包み込んだ。
「ウアアアアアアァァッッ―――ッッッ!!!! ワアアァアアアアッッ―――ッッ!!!」
闇の奔流に飲み込まれ、銀の肢体が漆黒に塗り潰される。
黒い炎が内側から焼き尽くすようにも見えた。光のエナジーを滅する暗黒光線・・・他とは一
線を画す殺人鬼の闇が、双方向からボロボロの天使に浴びせられたのだ。
火箸を全身に突っ込まれ、掻き回されるようだった。
細胞のひとつひとつが猛毒に侵されていくのをナナは自覚した。輝く銀色の体面が、みるみ
る黒く穢れていく。
ソリッド・ヴェールを張っていなければ、グラマラスな乙女の肢体は爆砕していただろう。
木っ端微塵の悲劇は起きなかった。しかし、かろうじて凶魔どもの猛攻から身を守ってきた光
の膜は、闇光線の挟撃に弾け飛んだ。
「うあああァァああァッ―――ッッ!!!! アアッ!!! ごぶううッッ――ッッ!!! はが
アァッッ!! ううウウゥぐううゥゥッ―――ッッ!!!!」
立ち尽くしたまま、叫び続けるナナに、二条の暗黒光線は休むことなく撃ち込まれた。
やがて光線の狙いが、集中し始める。
胸中央と下腹部。ふたつのエナジー・クリスタルに破壊光線は延々と浴びせられた。
ビクビクビクッッ!! ビクンッ!! ビクビクビクッッ・・・!!
「よし、やめろ」
絶叫が途絶え、激しく痙攣するだけとなったナナに、ようやく照射は止められた。
シュウシュウと煙が立ち昇る。
銀と青色の天使は、黒い火傷と鮮血に覆われ、見るも無惨に変わり果てていた。
「どうしたァッ、おらッ!? さっきまでの威勢はどこいったッ、あァッ!?」
瞳の青色は消えていた。
立ったまま意識を失った守護天使に、凶獣の嘲りが聞こえるはずもなかった。ただ激痛の余
韻にヒクヒクと震え、無意識のうちに苦悶の呻きを洩らすのみ。
ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・ヴィーン・・・・・・
点滅する胸の水晶体が、かろうじて最後の女神の生存を報せている。
「相変わらず、驚くべき生命力だな」
直立不動でクリスタルを鳴らすナナに、凶魔と凶獣はゆっくりと近づいていった。
反撃を警戒して、ではない。処刑の歓喜を噛み締めるために。
右の肩と腕をゲドゥーが、左をギャンジョーが、担いで支える。小さな子供が大人ふたりに介
抱されているようにも見えた。現実には、女子高生が殺人鬼に両脇から捕獲された姿。
さらにそれぞれが、足の甲を踏む。
自然に股間を開いた角度で、ナナの両脚は固定された。
最凶の魔獣二体に挟まれ、瀕死の少女戦士は大の字の格好で捉えられた。
「おかげで、少しでも長く愉しめる」
“最凶の右手”のボディブロー。
無防備な乙女の腹部に、巨大な拳が打ち込まれる。
大砲のごとき轟音。鳩尾を突き上げた拳が、背中を盛り上げる。
「く」の字に浮き上がったナナの肢体は、拘束によって引き戻された。
「ゲボオオオッッ―――ッッ!!? オボォッ・・・ゴブゥッ!!・・・」
黄色の吐瀉物を撒き散らし、意識を戻す囚われの女神。
内臓を潰される苦しみに、身を捩る。だが、それまでだった。固定された肢体は、もはや暴虐
から逃げることはできない。
巨大ペンチに変形した、ギャンジョーの左腕が瞳に映る。
ゲドゥーの拳が抜けた後、同じ箇所に鋼鉄の塊が打ち込まれる。凶魔と凶獣は、代わる代わ
るに少女を撲殺するつもりなのだ。
「エボオオォォッ〜〜〜ッッ!!! グブゥッ・・・オ゛ッ・・・オオ゛・・・」
「オラッ、まだくたばんじゃねえぞォッ!!」
ドボオオオオッッ!!!
再び“最凶の右手”が鳩尾に埋没する。
ナナの腹筋越しに胃を掴んだ“右手”は、そのままぐしゃり!と握り潰した。
「ゴボオッッ!! ブボオオオオッッ―――ッッ!!!!」
ぐじゃああああッッ!!!
逆流した胃液が、口と鼻から噴き出す。
筋肉も内臓も破壊される地獄。次々に撃ち込まれる恐怖の打撃を、ナナは避けることもでき
ず受け続けるしかない。
Sのラインを描いた瑞々しい乙女のボディは、今や肉の詰まったサンドバッグであった。
ズボオオオッッ!!! ドブウウッッ!!! ドボオオオッッ!!!
「あぐうゥアアッッ!!! ウボオオッッ〜〜ッ!!! あがァッ・・・ごプッ!!」
「オラオラァッ!! もうボコボコだなッ、てめえの腹はッ!? 吐くものもねえかァッ!?」
「ぐぶッ・・・ゆ・・・ゆるじィッ・・・でェッ・・・!! も、もうッ・・・やめェェッ〜〜ッ・・・」
半開きになったナナの唇から、ドボドボと赤い涎が溢れ始める。
執拗に殴られ続ける苦痛に、少女戦士の精神は崩壊し始めていた。半ば意識のないまま懇
願する。絶命することすら許されず、ファントムガール・ナナの肉体は文字通り破壊され続ける のだ。
ゲドゥーの右手が胸中央の、ギャンジョーのペンチが下腹部のクリスタルを掴む。
警報を鳴らす命の結晶を、凶魔と凶獣はギュリギュリと捻り回した。
「ウギャアアアアアァァッッ―――ッッ!!!! やめてやめてやめてェェェッ〜〜〜ッッ!!!
死ィッ・・・死んじゃううゥゥッ―――ッッ!!!!」
「いい悲鳴だ。これはどうかな?」
吐血の混ざった涎を、バシャバシャと振り撒くナナ。
張り詰めた乙女の肢体は、陥没の痕で埋め尽くされた。さらに凶魔が蹂躙の拳を放つ。
たっぷりと実った胸の果肉に、ゲドゥーのブローが真正面から撃ち込まれる。
ズドオオオオオオッッッ!!!
「はきゅふううゥゥッ――ッ!!?」
乳房を穿たれる激痛に、囚われの女神がビクンッ!と大きく跳ねた。
虚空を見詰めたまま、ブルブルと痙攣し続ける。
ふっ・・・と瞳から光が消えるのと同時に、可憐なフェイスがカクリと垂れた。
右乳房から凶魔が拳を引き抜く。反動で、ピンクの舌がとろりとこぼれた。
ドス黒い血の糸が、舌先をつたってコンクリの地面に落ちていく・・・
「起きろ、ファントムガール・ナナ。まだ貴様のカラダが壊れていないのはわかっている」
ナナのボリュームある胸の膨らみを、悪魔二体が握り掴む。右乳房をゲドゥーの右手が、左
乳房をギャンジョーの鋼鉄ペンチが。
再び失神した守護天使に、残酷な仕打ちを避ける手段はなかった。
芸術的なまでの聖少女のバストは、超握力とペンチの圧搾で一気に握り潰された。
グジャアアアアッッ!!!・・・ミチミチミチィッ!! ギギギッ・・・!!
「いぎいいィィッ!!? はぎゃあァッ・・・イイイイィィヤアアアァァッッ〜〜〜ッッ!!!!」
蘇生の瞬間、大量の鮮血をナナは吐いた。
ギチギチと乳房蹂躙の音色を響かせながら、守護天使は泣き叫んだ。思春期の女子高生に
とって、その拷問は苛烈に過ぎた。
「イイイイイィィッッ〜〜〜ッッ!!! ぎあああッッ・・・アアアァァッ―――ッッ!!!!」
ゴブッ・・・ゴブゴブゴブ・・・
ゴボボボボボ・・・ゴブッ・・・
引き攣りながら、とめどなく血泡を吐き続けるナナ。
発狂死寸前のその胸を、容赦なく“右手”とペンチがギュルギュルと捻る。
「うあああァァああァッッ―――ッッ!!! もうやめへええェェッ――ッッ!!! ぎゅわああ
あァァッ〜〜〜ッッ!!!!」
ボコンッ!! ゴブウッ!!
沸騰する水泡のごとく、吐血の塊が転び出る。
ガクガクと前後にショートカットを揺らしながら、正義の戦士は悶絶した。焦点の定まらぬ視線
が、守護天使に残された生命があとわずかであることを示唆する。
“先・・・パイッ・・・・・・吼ッ・・・介ェッ・・・たすけ・・・てッ・・・・・・あた、し・・・あたしッ、ダメェェ
ッ・・・も、もうゥゥッ・・・!!”
吹きこぼれる血の泡が、ブクブクと胸元から腹部までを濡らしていく。
激しく点滅するクリスタルの音色が、遠くで聞こえた。全身を焼き尽くすような苦痛さえ、感じら
れなくなっていく・・・
轟音が鳴り響いたのは、その時であった――。
「・・・愉しいこと、しているじゃないか・・・」
男の声が、流れる。
ゲドゥーともギャンジョーとも違う声。決戦地に出現した新たな巨大生物は、ゆっくりと囚われ
天使に近づいていく。
「・・・てめェ・・・」
「そう、睨むな」
呪詛にも似た凶獣の眼光を、涼やかに受け流す。
新宿の地を揺らしながら、新たな巨大生物は瀕死のナナの正面に立った。
「こいつの処刑には、オレも参加する権利があるはずだ」
「ゴボォッ・・・グプッ・・・メッ、メフェレッ・・・スッ・・・!!」
三日月に笑う、黄金のマスク。
巨悪の首謀者である青銅の魔人は、ファントムガール抹殺計画を完成させるべく、東京都庁
の膝元に参上した―――。
「あやうく最後の宴を、愉しめぬところだったがな」
メフェレスの台詞には、あからさまな毒が含まれていた。嫌味と怒り、の中間程度の。
聞き逃すほど、ギャンジョーは優しくない。この闘いの発端が、己の独断にあることは、さしも
の凶獣も自覚していた。
「オレらの仕事のやり方にッ・・・ケチつける気かッ、てめえェッ!!・・・」
「本来ならば、もっとゆっくり・・・じっくりと嬲り殺しにしたかったのだが」
血相を変える疵面獣を、ゲドゥーのひとつ眼が制する。
計画にはなかったギャンジョーの暴走に、むしろメフェレスの方が内心穏やかではないだろ
う。だが、この場で二大凶獣と対立するのは、むろん愚かな行為であった。
すべては、ファントムガールを殲滅してから、だ。
まずは憎き小娘どもを、一匹残らず始末する。
はぐれ極道二体との『清算』は・・・それからのことだ。
「・・・・・・お、お前・・・さえ・・・お前さえ・・・・・・いなけれ・・・ば・・・」
ドス黒い血の雫を垂らしながら、ナナは声を絞り出した。
思えば、藤木七菜江が初めてファントムガールになって闘った相手が、この魔人メフェレスで
あった。
もしも『エデン」がメフェレス・・・久慈仁紀に渡っていなければ、多くの命が失われずに済ん
だ。土地も、建物も、破壊されずに済んだ。悲しみも、絶望も、人々の心を埋め尽くすことはな かった。
七菜江は、ファントムガールにならなくても、よかった。
里美も、ユリも、夕子も、桃子も、闘わなくてよかった。
死ななくても、よかった。
「フンッ・・・ようやく・・・貴様らを、消滅させる日が来たか」
青のショートカットが、魔人に握られ、グイと上向けられる。
ギリ、と奥歯を噛む。先程まで苦痛に歪んでいた顔は、眦を決していた。頬に付着した吐血
の飛沫が、まるで涙のように見える。
エナジー・クリスタルは鳴り響き、胸も腹部もさんざんに潰されたというのに、ファントムガー
ル・ナナは宿敵を睨みつけた。
メフェレスへの怒りが、青い守護天使を衝き動かすかのようだった。
「・・・お前に・・・だけは・・・負けない・・・・・・負けたくないッ・・・!!」
「死に掛けのクズがッ・・・どの口でほざくか・・・」
青髪を掴んだまま、オモチャのようにグラグラと揺さぶる。
鉛を埋めたような鈍痛が、ミシミシと一斉に騒いだ。筋肉がバラけそうな激痛に、アイドルフェ
イスがたまらず歪む。
「ぐあァッ!!・・・あァッ!!・・・」
「負けない、だと? クハハッ、笑わせるわッ! すでに貴様らは負けているではないかッ!
サクラもッ! アリスもッ! ユリアもッ! そして、サトミもッ!! どいつもこいつも処刑してく れたわッ!」
「だッ・・・まれッ!!」
「気持ちよかったぞォ〜ッ!! サトミをこの手で貫いた感触はッ!! 見ていたかッ!? あ
のブザマな死に様ッ!! 絶命した瞬間の、あの女の表情は、たまらなかったわッ!! なに もできなかった、弱者の無念さに満ちていたなァッ!!」
「だまッ・・・れえェェッ――ッ!! サトミさんはッ・・・サトミさんはッ!!」
ゲドゥーとギャンジョー、二体が不意に拘束を解いたのは、その時だった。
メフェレスの嗜虐をサポートするような、拘束係りと成り下がったような、そんな役割は御免で
あった。高きプライドの持ち主たちは、魔人のお膳立て役にはならない。四肢を離して、ナナの 背中を突き飛ばす。
悪党どもの不協和音は、少女戦士の助けとなった。
なにが起こったかは、わからなかった。だが、自由を戻したことと、逆襲の好機が訪れたこと
を、ナナは悟る。
すでに拳は握っていた。砕けた右拳を。
突き飛ばされた勢いを利用して、躊躇なく右腕を振る。
「サトミさんはッ!! お前より、ずっと強いひとだァッ!!」
渾身の、一撃。
腹部を削られ、穿たれた。乳房を潰された。右脚を貫かれた。ふたつのクリスタルは、集中
砲火を浴びた。その他、数え切れない蹂躙の数々。
鮮血にまみれた守護天使が、命の残り火を燃やして右ストレートを放つ。
ドボオオオオオッッッ!!!
「ッッ!!!・・・オ゛ボオ゛オ゛ォッッ・・・!!!」
大量のドス黒い血が、塊となってバチャバチャと大地を叩いた。
都庁前を汚す、黒い集中豪雨。
「フンッ・・・もはや、この程度か」
ナナの右腕は、止まっていた。
聖天使の銀色の鳩尾に、メフェレスの右拳が手首まで埋まっていた。
「どうやら、今の貴様では、そのスローモーな動きが限界らしいな」
「ゴブウウッッ!!! ゴボオ゛ッッ・・・!!」
鮮血の残滓を吐きながら、見開かれたナナの瞳は、呆然と己の拳を見詰めていた。
哀しくなるほどに、遅い打撃だった。
身体能力ではナンバー1であるはずのアスリート少女が、メフェレスの動きについていけなか
った。魔人が早いのではない。ボロボロのナナには、もう本来のスピードが出せないのだ。
「・・・ゴボッ!!・・・・・・そ・・・んなッ・・・・・・」
腹部に打ち込まれたまま、震える右拳を引く。
根性と諦めの悪さだけが、自分の長所だと少女は思っていた。三日月に笑う、目前の黄金マ
スクに再度ストレートを放とうとする。
グシャアアアッッ!!!
ナナの拳が動くより速く、鳩尾から抜いたメフェレスの拳が、アイドルフェイスの中央に叩き込
まれた。
「ブシュッ!!・・・グブッッ!!・・・グブブ・・・グジュウッ・・・」
「クハッ!! クハハハッ!! 貴様の格闘能力は要注意だと思っていたが・・・すでにまともに
動けんかッ!! ファントムガール・ナナも、ここまでのようだッ!!」
ヌチャリ、と音を立てて、魔人の拳が引かれる。
真紅に染まったナナの表情は、泣き崩れたように苦痛に歪んでいた。ボタボタと粘った血が、
雫となって顎先から垂れ落ちる。
残酷な、光景だった。
凶獣ギャンジョーと正面から渡り合った少女戦士が、悪の首魁を前にして、満足に闘うことさ
えできないとは。
「うあアッ・・・アアッ、アアアアッ――ッ!!!」
それでもなお、拳を放とうとしたのは、少女が守護天使たる所以であった。
ドドドドドッ!! ドボオッ!! ガスッ! ボゴオッ!! ズボオッ!! ベキイッ!!
ナナの必死な足掻きを嘲笑うように、魔人の拳が次々にグラマラスな肉体を破壊した。
「フハッ・・・フハハハハッ!! 終わりだッ、ナナッ!! 貴様の死をもって、ファントムガール
は終末を迎えるッ!!」
ムチムチと張った乙女の肢体に、ズボズボと拳が突きたてられる。乳房に、腹部に、脇腹
に。
右ストレートを放つ体勢のまま、肉感的な聖少女は、サンドバッグと化した。
筋肉と脂肪がほどよく乗った、女子高生のダイナマイトボディ。柔らかく、かつ引き締まった豊
満な肢肉が、無抵抗のまま、拳で穴を穿たれ続ける。前後左右から、殴られ続ける。顎先が跳 ね上げられ、肋骨が乾いた音色を立てた。
ナナのお株を奪うような、連撃だった。
ドピュッ・・・・・・ピュッ・・・・・・
魔人の拳が突き刺さるたび、青い天使が血飛沫を吐いた。
立ち尽くしたまま、痛みと脳震盪とで、ナナは意識を失っていた。
瞳の青色が消えた女神を、それでも青銅の魔人は殴り続けた。ドスドスと、乙女の牝肉に拳
が埋まる。
ヴィ・・・ン・・・・・・ヴィ・・・ン・・・・・・ヴィ・・・ン・・・・・・
まだ生きているのが、不思議なほどだった。
極上のボディラインが、奇妙に凸凹とひしゃげていた。真っ黒な血の糸が、唇の端から垂れ
ている。
リンチによって肉を潰された少女戦士は、気絶したまま、ゆっくりと傾いていく。
仰向けに、ファントムガール・ナナの身体が、大地に沈む。
震動で、都庁のふたつの塔が揺れた。地鳴りが、無人となった首都に響く。
胸の水晶体を点滅させて、大の字となったナナは、死んだように動かなかった。
もはや心臓が動いているだけの守護天使を、四体の悪魔が取り囲んで見下ろす。
「悶え・・・踊れ」
ドドドドドドドドッッッ!!!!
漆黒の破壊光線が、横臥するナナに、容赦なく浴びせられた。
夕闇の世界に、黒煙が立ち昇る。
光の女神を滅ぼす魔光は、銀色の肉体を焼き焦がしていった。
「ウギャアアアアアッッ―――ッッ!!! ウガアアアアァァあああッッ〜〜〜ッッ!!!!」
激痛に意識を戻した聖少女の、絶叫が轟く。
背を仰け反らせ、悶え暴れるナナの姿を、悪魔たちは楽しんだ。
生意気に抗い続け、歯向かい続けた小娘の、末路だった。
「フハハハハッ・・・!! オレの勝ちだッ!! このメフェレスのッ!! ・・・どうした、ナナ
ッ!? ファントムガールは負けないんじゃなかったのかァッ!?」
ビクビクと痙攣する青い右手が、救いを求めるように、天へと伸びる。
力なく右腕が垂れ落ちたとき、ナナの瞳は、再び光を失っていた。
暗黒光線の、集中砲火がやむ。
赤黒い火傷に覆われた女神の肢体から、蛋白質の焦げる悪臭がオレンジの空に漂い昇っ
た。
「・・・勝負アリ、か」
事実上の、ファントムガール・ナナ、敗北の瞬間だった。
シュウシュウと黒煙をあげる少女に、悪魔の哄笑が浴びせられる。
ただひとり、生き残っていたファントムガールは、ピクリとも動くことなく、輝きをなくして大地に
転がっていた。
ふたつの水晶体に灯った、かすかな光だけが、ナナの命がかろうじて繋がっていることを示
している。
「オレたちの仕事も、完成が近いようだ」
「ケッ・・・できりゃあ、オレ様ひとりでバラしたかったんだがよォ・・・」
表情を変えないゲドゥーと、悔しさを露骨にするギャンジョー。
態度は異なりながらも、その根底に、守護天使を仕留める快感が流れているのは、変わりな
かった。絶品の馳走・ファントムガール。その最後のひとりを、処刑する瞬間が、いよいよ迫っ ている。
「前祝いだ。息の根を止める前に・・・愉しもうではないか」
黄金マスクの提案に、凶魔と凶獣は特に言葉を返さなかった。
可、の合図。
ファントムガールを滅ぼす、という一点において、3体のミュータントは意志統一が図られてい
た。守護天使を蹂躙するためならば、仲違いは敢えて起こさない。手を組む3体。さらに加え て、魔豹マヴェルもこの場に、いる。
「フハハハハハッ!! よく見ているがいい、人類よ! 貴様らの希望、ファントムガールが・・・
地獄に堕ちる様をなッ!!」
斜陽のなかで、守護天使への処刑宣告が響き渡った。
沈みゆく太陽とともに、ファントムガールもその最期を迎えようというのか――。
仰向けに転がったナナの四肢を、四体のミュータントが掴む。
右手をメフェレス。左手をゲドゥー。右脚をマヴェル。左脚をギャンジョー。
夕陽に染められた新宿の街を、ズルズルと大の字の守護天使が引きずられていく。
四体の悪魔の手によって、第一の処刑場へと、ナナの肢体は運ばれていった。
「ククク・・・簡単に、死んでくれるなよ? まあ、異常な貴様の生命力ならば大丈夫か」
意識のない聖少女が運ばれたのは、JR代々木駅の裏であった。
新宿の次の駅である代々木は、近い。都庁からも、わずか1kmほどの距離であった。巨大
生物からすれば、眼と鼻の先といえるだろう。
代々木駅東口には、ニューヨーク摩天楼を思わせる、272mの超高層ビルがあった。極端に
細く、長い外見は、時計塔のような趣きすらある。
NTTドコモ代々木ビル。通称ドコモタワー。
運命は、残酷を通り越して無情であった。藤木七菜江にとって、生涯忘れ得ない場所が、そ
のNTTドコモ代々木ビルだった。
なぜなら、工藤吼介と初めて結ばれた場所が、そのビルの最上階なのだから。
「生命力の強さを・・・せいぜい嘆き悲しむことだ、ファントムガール・ナナ」
悪魔どもが、闇のエネルギーを尖った超高層ビルに注ぐ。オベリスクにも似たデザインのビ
ルが、見る見ると漆黒に変貌していった。
暗黒の照射が終わったとき、七菜江の思い出の場所は、光を滅ぼす巨大杭と化した。
「このメフェレスに歯向かった者がどうなるか・・・身をもって示すがいい」
「・・・・・・ァ・・・ぅア・・・ッ!?・・・」
再び四肢を掴まれる感触に、ナナの意識が呼び戻る。
なにが起きようとしているのか!? 悟ったときには、遅かった。
四体のミュータントに四肢を拘束された肢体は、ふわりと宙に浮いていた。
「アアッ!? うああアッッ――ッ!!?」
「フハハハハッ!! 貴様はサトミのことが大好きのようだなッ!! 憧れの先輩を、マネした
いだろうッ!?」
懸命に手足をもがく。今のナナに、拘束を解く力は残っていなかった。
大の字で天を仰いだ守護天使が、漆黒のビルへと急降下していく。
ブスリッ、と背中の中央に、ドコモタワーの先端が突き刺さった。
「あッ!!?」
「サトミとッ・・・同じ苦痛を味わうがよいわッ!!」
ズボオオオオオオッッッ!!!!
漆黒タワーに串刺したまま、四体のミュータントが、一気にナナの肢体に荷重を掛ける。
背中から腹部の中央を貫通され、青いファントムガールが超高層ビルの半ばまで引き降ろさ
れた。
「うわああああアアアアアァァッッ――――ッッッ!!!!」
ビリビリビリィィッッ!!! ブチブチッ!!!
サトミに続き、二体目のファントムガールの串刺し刑が、代々木駅前に出現する。
悪夢、再び。絶叫するナナの口から、真紅の泡がゴボゴボと噴きこぼれる。
ショックと激痛で、四肢を脱力させる守護天使。
超高層ビルの半ばで、鮮血に染まった巨大な美少女が、串刺しにされて手足を垂らしてい
る・・・。
「へげえ゛ッッ!!!・・・ゴパアアッッ!!!・・・あぎゅうあァッ・・・ぎゅふわああァッ〜〜
ッ!!!」
悲鳴にならない悶絶の呻きが、哀れな聖天使から洩れ流れる。
だが、それでもナナは死ななかった。生命エネルギーが途絶えてから串刺しにされたサトミと
は、決定的な差がそこにあった。『エデン』の血によるタフネスも、最後のファントムガールの命 を繋ぎ止めている。
だが、それらは全て、メフェレスの思い通りであった。
ぐぼおおおおおッ!!!
猛り立った股間の肉棒を、魔人は悶えるナナの口腔に突っ込んだ。
開いた脚の間に立ったゲドゥーが、少女のクレヴァスを右手で丹念に摩擦する。ヴァギナと先
端のクリトリスとが、呆気ないほど容易く、浮かび上がってくる。
ギャンジョーは左手の巨大ペンチで、ナナの右のメロン乳を千切り取らんばかりに潰してい
た。
串刺しにしたまま、3体の悪魔は、瀕死の守護天使を嬲り犯すつもりなのだ。
大量の血を流しながら、女精すら搾り尽くされる・・・肉一片、体液一滴までしゃぶり抜かれる
ナナに、生命はもちろん、尊厳すら残されるはずもない。
より醜く、より無惨に。
ファントムガールという存在が、いかに哀れかを見せ付けるために、青い天使の処刑が執行
されていく。
「・・・えぼお゛ォォッ〜〜ッ!!・・・・・・やァ・・・ァめ゛ェェッ〜〜ッ・・・ぐぷッ!!」
喘ぐ銀色の唇を割って、長大な漆黒のペニスは容赦なく出し入れされた。
口腔から咽喉奥まで、肉剣がいっぱいに埋め尽くす。メフェレスが腰を動かすたびに、食道
の内壁が擦れた。ぐぷぐぷと奇妙な音が、唇の端から洩れ流れる。
「クハハッ!! カワイイものだなッ、随分と貴様の咽喉は、柔らかいわ!」
「おぼえ゛ッッ〜〜ッ!!・・・ごぷッ!!・・・んオ゛オ゛ッ・・・!!」
「小さく、トロトロの舌が・・・絡んでくるのがたまらんなァッ!! うまいじゃないかッ、ナナッ!!
フハハハハッ!!」
口腔を埋めた魔人の性器に、聖少女の舌は否応なく張り付いた。舌先が裏筋を舐める。猫
顔の美少女は、舌もやはり猫のようだった。
漆黒の亀頭からは、先走りの汁がすぐに溢れた。唾液と混ざる。ツン、と饐えた臭いとイラマ
チオとで、吐き気を催した咽喉がゴブゴブと鳴る。
涙を流せぬ銀色の顔の下、少女戦士はボロボロと泣いた。
「・・・んぶぼォッ!!・・・ひィぐッ!!・・・えぐッ・・・ひギィア・ア・ア・・・」
「そらッ、まず一発ッ!!」
魔人のペニスがビクビクッと痙攣する。
咽喉奥に熱が浴びせられるのを、ナナは認識した。ドクンッ、ドクンッと男根が脈打っている。
串刺し地獄に悶絶する少女の胃腑に、大量のザーメンが流し込まれていく。
白濁の残滓が、ナナの唇から、あるいは鼻の穴から、こぼれでた。腹部をビルに貫かれ、純
真を汚辱で蹂躙されて。心身ともに破壊される少女戦士から、なにかが抜け出ていく。
それでもメフェレスは、口姦をやめなかった。
落ちることない性欲で、腰をグラインドさせ続ける。
さらにはピンク色に染まった左手で、ナナの空いた左胸をガシリと揉み潰した。
「んんああハアァッ――ッ!!! んぼおお゛お゛ッッ〜〜〜ッッ!!!」
「フハハッ、串刺しになっても、性の感度は敏感かッ!!」
「ファントムガールも・・・こうなっては、陵辱されるがままの性人形、ということだ」
浮き上がった膣口を、執拗に撫で回していたゲドゥーの右手もまた、ピンクの光に包まれる。
『最嬌の右手』・・・メフェレスに劣らぬ愛悦魔光を纏った指は、陰唇の周辺をスリスリと摩擦し
続けた。
時折指が、割れ目に入る。濡れた肉襞に、激感を催す。
経験の少ない少女に、耐え切れる刺激ではなかった。ツツ・・・と透明な糸が、股間の中央か
ら涎のように垂れ落ちる。
「あばアアァッ!! あぎゃあアア・アッ・・・あめェ・・・ハァめェェッ〜〜ッ!!」
「胸とアソコ、感じているのはどっちだ、ナナッ!?」
「あがああアアッ!!・・・んんああアアアァァッ〜〜〜ッ!!!」
剛直に口を塞がれた天使は、ただビクビクと震えるのみであった。
尖りたった左の乳首を、魔人のピンクの指が摘む。競うように、『最嬌の右手』が股間の先の
萌芽を剥く。
過敏な突起を擦り、捻り、転がしながら、法悦の魔光をそれぞれが注入する。
乳首とクリトリスとに、快楽のピンク錐を突き刺されたようなものだった。
「はあァぎゃあアアアアアッッ―――ッッ!!!! んんばああ゛あ゛ッッ〜〜〜ッッ!!!!」
ぶしゅううッッ!!・・・ぶっしゃああああッ〜〜ッ!!
串刺し天使の股間から、凄まじい勢いで水流が迸った。
愛蜜の泉から、放物線を描いて噴き上がる潮。
バシャバシャと、夕暮れの副都心に聖なるスコールが降る。尿と間違うような、大量の噴水だ
った。
「・・・がァぼォッ・・・ゴボオッ・・・!!・・・」
「フンッ、これでは悲鳴がハッキリ聞こえんな」
二度目の白濁を胃のなかに放出して、メフェレスが怒張を引き抜く。白い粘液が、長く伸び
た。
代わりとばかりに、ゲドゥーの長剣が、ナナの股間に根本まで挿入される。
震動で、背中と腹部に開いた穴から、鮮血が飛び散った。
「あぎゃあああッッ――ッ!!! があアアッッ!!! ・・・やッ、やめえッ・・・やめてェェッ
ッ・・・」
「死に掛けの女子高生を犯すのも、悪くはないな」
あくまで冷静に呟く凶魔は、ピンクに光る右手を下腹部のクリスタルへと伸ばした。
悦楽光線を纏ったまま、子宮そのものであり、『エデン』の住処でもある水晶体を、握り掴む。
「はァきゅううッッ!!?」
腹部から真紅が飛び散り、叫ぶ口から逆流した白濁がこぼれる。
官能の魔悦で包みながら、ゲドゥーの右手は戯れるように下腹部のクリスタルを捻り回した。
ギャリギャリッッ!! ギュリイイィッ!! ギュルギュルッ!!
「ギャアアアアアアァァァアアアッッ〜〜〜ッッ!!!! ひぎゅうわあああッッ―――ッ
ッ!!! 許しィィッッ!!! 許しべえええェェッッ―――ッッ!!!!」
血も、涎も、愛蜜も、胃に注がれた精液も。
あらゆる体液が、ナナの全身から噴き出る。全身を壊れるほどに突っ張らせて、被虐の少女
戦士は絶叫した。
“サトミさんッッ!!! 吼介ェェッッ!!! たすけッッ!!! 助けてェェェッッ――ッ
ッ!!! あたし狂うゥゥッッ!!! もう死んじゃうゥゥッ――ッ!!!”
ギギギギギギギギギッッッ!!!
子宮と繋がるクリスタルが、虫のように不気味に鳴いた。
小刻みな震動が、音となった。許容外の快感に、悲鳴をあげているのだ。肉体を貫く激痛と
悦楽。精神を蝕む屈辱と嫌悪感。
幾多の苦闘をくぐり抜けてきた健気な守護天使に、限界が訪れようとしていた。
「ギャハハハハアッ〜〜ッ!! 敏感な女神さまよォッ、オレ様のことを忘れちゃこまるぜェ
ッ!?」
巨大ペンチに力がこもる。丸い右胸を圧搾しながら、ギャンジョーが残る右手を変形させてい
く。
変幻自在の右腕は、巨大な注射器に形を変えた。
なかにはピンク色の液体。正体は説明するまでもないそれを、屹立した乳首に針を刺し、ゆ
っくり送り込んでいく。
ググッ・・・グウウウッ・・・
「はひィィッッ!!? ひゃめえェッ!!・・・ぎゃはアァッ!!・・・」
「ヒャハハハハアッ〜〜ッ!!! デッカイおっぱいがさらに膨らんじまったなァッ!? たっぷ
り催淫媚薬を打たれて気持ちいいだろォッ〜〜ッ!!」
「きゃふッ・・・はあアアァァッ〜〜〜ッンンンッ!!! おかひィッ!! おかひくなゆううゥゥッ
〜〜〜ッ!!! 胸へええェェッ〜〜〜ッ!!!」
元々メロンのごとく豊かに実ったバストが、スイカほどまでに肥大化した。
左と比べれば、ふた回りは大きな右乳房。破裂しそうな肉果実を、鋼鉄のペンチがギリギリと
締め付けていく。
「いぎィいッ〜〜ッ!! あぎゃアッ!! ・・・ふぎゃあああッッ〜〜〜ッッ!!!」
「ギャッハッハッハッ!! 痛いのか、気持ちいいのかッ!? どっちなんだァッ、ナナッ!!」
「こんッ・・・なァッ!! こんなのォォッ――ッ!!! 耐えれへえェェッッ!!! 耐えられなァ
ッ――ッ!!!」
ザーメン混じりの泡が、ブクブクと女神の口から溢れ出る。
快楽に衝き動かされるたび、ナナの肢体は震え、貫通した腹部の穴から鮮血が迸った。グジ
ュグジュと、凄惨な音色が天使の体内で響いている。
“・・・・・・も・・・う・・・もう・・・・・・あたし・・・”
「ゲボオッッ!!・・・ガフッ!!・・・・・・お、おがじィッ・・・ぐ、なゆ・・・・・・あだ・・・し・・・・・・ごわ
れェ・・・ぢゃうゥゥ・・・・・・」
「フン・・・そろそろトドメといくか」
ヴィッ・・・・・・ヴィッ・・・・・・ヴィッ・・・・・・
痙攣にあわせるように、緩やかに点滅する胸のクリスタル。
もはや生きているのがやっとの青い天使に、魔人の肉剣は再び咽喉奥まで突き込まれた。
「おぼおおおおォォッッ―――ッッ!!?」
「全世界の人間に・・・陵辱ショーを見てもらうんだな、ナナ」
新世界の覇者となるメフェレスの指示で、テレビもネットも、あらゆる回線がファントムガール
の公開陵辱を生中継していた。
放送コードなど存在しない映像のなか、銀と青色の女神は悪魔どもに捧げられた。
前と後ろの穴を塞いだ漆黒ペニスが、激しくピストンする。串刺しの天使がガタガタと揺れ
た。
メフェレスのザーメンが、胃腑を満たしていく。入りきらなくなった白濁が、にゅるにゅると鼻や
口から溢れ出た。
蜜壷にはゲドゥーの精汁が射出され、潮や女蜜と混ざり合った。ドブドブと半濁の粘液が、股
間の秘窟からこぼれ落ちる。
巨大ペンチに圧搾されると同時に、右胸の乳首からは、ピンクのミルクが派手に噴き出し
た。コチコチに尖った乳首を、ギャンジョーは注射器の針先でブスブスと突いて弄くる。
ピンクに光る掌は、全身を撫で回して官能に火照らせ、下腹部のクリスタルは依然として捻り
回される。
「ひゃぎゅううううゥゥッッ―――ッッ!!!! ウアアギャアアアアッッ〜〜〜ッッ!!!! ん
んンンアアアアああァッ〜〜〜〜ッッ!!!!」
ブッシュウウウッッ!!! プシュッ!!! ブジュウウウッッ!!!
潮を吹き、涎を撒き散らし、愛蜜を飛び散らすナナ。
鮮血と、法悦の淫液とで全身を濡れ光らせる守護天使に、3体の悪魔が尽きることない白濁
を浴びせる。
口も膣穴もザーメンで満たしたあとは、可憐なマスクと盛り上がった乳房に、精汁はぶっかけ
られた。
ムッとするような生臭い汚臭が、串刺しの巨大少女から立ち昇った。
「フハッ・・・クハハハハハッ!! 見たか、人類よッ!! ・・・このドロドロにまみれた生ゴミ
が・・・愚かな小娘の末路だッ!!」
ぷしゅッ・・・!!
ジョ・・・ジョロロ・・・・・・ジョボボボボ・・・・・・
最後の一線が、決壊したのを報せるように。
ヌラヌラと濡れ光った天使の股間から、黄金色の雫が洩れ出た。
ファントムガール・ナナは、失禁していた。
「おっと。このままラクになれると・・・思うなよ」
まだ息があるのを確認し、3体の悪魔がビルの杭からザーメンまみれの肢体を引き抜く。
ナナ自身が噴き出した体液の海に、グラマラスな肢体が投げ捨てられる。
仰向けに転がった乙女のボディは、ところどころに白濁をこびりつかせていた。破裂しそうだ
った右胸は、元の大きさに戻っている。
虚空を見詰める瞳。
半開きの口から、トロリと垂れた舌。
かすかにエナジー・クリスタルを灯らせた少女戦士は、悶絶の表情のまま、小刻みに痙攣し
続けていた。
ビクッ・・・ビクンッ・・・ヒクヒクッ・・・ビクンッ・・・
「フアッハッハッハァッ〜〜ッ!!! 終わりだッ!! これで憎きファントムガールはッ・・・全
滅だッ!! ついに忌々しいメスどもを・・・抹殺してやったわッ!! フハハハハハッ!!」
三日月の黄金マスクが、哄笑する。
狂ったように、魔人は笑った。
テロの成功など、世界征服など、オマケであった。ファントムガールを処刑し、屈辱を晴らす。
復讐を果たすことが、メフェレスにとっては、なにより最優先される宿願――。
「待ってたのよね・・・この瞬間を」
背後から湧いた女の声は、ひどく乾いて魔人には聞こえた。
「普段は油断することない、てめえが・・・唯一気を抜く瞬間だろうって・・・ねェ〜・・・♪」
ドシュドシュドシュッ!!!
振り返るより早く、青い毒爪が、青銅の背中に刺さっていた。
『闇豹』マヴェル。
見開いたメフェレスの視界に、残虐な笑顔を刻んだ、女の表情が飛び込んだ――。
「・・・きッ・・・さまァァッ・・・!!」
ズキズキと背中が疼く。
突如、出現した刺客は、牙を剥き出しにして笑っていた。馴染みの深い、女豹の顔。下卑た
表情が、以前からずっとメフェレスは気に入らなかった。
「アハ♪ あはははははッ!!」
気を、抜いた。
マヴェルの指摘を、魔人は噛み締めていた。その通りだ。最後の守護女神、ナナの死がほと
んど決定的になって、メフェレスは狂喜に溺れた。
だが、最大の誤算は、いまだ『闇豹』が深い憎悪を抱いていた事実―――。
「・・・『闇豹』ッッ!! ・・・完全服従した貴様が、このようなッ・・・」
「ザケんじゃねえェッ〜〜ッ!! このボケがアァッッ!!!」
渾身の力を込めて、右手の毒爪をさらに深く突き刺した。
「テメエを殺したくてッ、殺したくてッ・・・ずっとチャンスを狙ってたんだよオォォッ!!! テメエ
のようなカスにッッ!! 誰が服従するものかァッ!!」
「・・・やはりあの時ッ・・・もっと痛めつけるべきだったかッ・・・!!」
メフェレスの脳裏に、過去の映像が蘇る。
“降服”と称し、『闇豹』神崎ちゆりは、ひとりで久慈の屋敷を訪れた。当時、トラブルが起きて
いた暴力団の、組長の養女。豹柄の衣服に包んだ肢体は、女子高生にしては抱き心地が良さ そうだった。
土下座をして、組の助命を願い出てきた。
条件は、“この身体は、好きにしていいから”
交渉は成立した。すでに手元にあった『エデン』の駒とするべく、徹底的に嬲り犯した。悲鳴が
枯れるまで、拷問し尽くした。
一週間後、一旦心臓が止まったちゆりに、ようやく『エデン』を与えて命を取り止めた。
恐怖によって、『闇豹』は忠実な下僕と化したはずだった。実際にこれまでのちゆりは、久慈
の右腕代わりとして働いてきた。
「ぬかったわッ・・・隙を窺うため・・・忠実なフリをしていたかッ・・・!」
「テメエに従うくらいならッ・・・死んだ方がマシなんだよオォッ!! このクズ野郎がァッ〜〜
ッ!!」
「・・・思い出したぞ・・・河西とか言ったな、あのヤクザ・・・アイツのためか、クク・・・ククク」
「あのひとの名前をッ〜〜ッ・・・汚ねえ口で、喋るんじゃねェェッ!!!」
「フハッ、フハハハハッ!! 所詮、甘ったるいメスかッ!! くだらんッ!!」
魔人の右手に、青銅の剣が握られた。
剣の修行で鍛えられた背筋が、マヴェルの爪を締め付ける。抜くのも、刺すのも、『闇豹』の
力では困難なほどだった。それでも構わず、マヴェルは右手を押し込んでいく。
「『闇豹』が聞いて呆れるッ!! 狂気の原動力が、あの中年ヤクザへの愛情とはなッ!!
見下げ果てた弱者めがッ!! なついた捨て猫が恩返しとは、反吐がでるくだらなさよッ!!」
「喋んなッつってんだろうがァァッ――ッ!! テメエもファントムガールもッッ!! 気にいらね
えヤツは皆殺しなんだよォォッ〜〜ッ!!! 死ねッ!! 死ネッ!! シネェッ!!!」
「もうよいわッ! 貴様ごとき甘臭いメスなど、いらぬッ!!」
毒爪が、根本まで埋まる。
同時に、青銅の魔剣が夕闇に煌いた。
「すでに用済みだ。『闇豹』」
斬撃の音がして、血風が舞った。
肘から切断された女豹の右腕が、丸い断面から鮮血を噴き出した。
「ウギャアアアアアァァッ〜〜〜ッ!!!」
血飛沫の舞うなか、仰け反るマヴェル。
その右腕を背中に生やしたまま、反転したメフェレスが正対する。振り上げた魔剣を、斜めに
薙ぎ降ろす。
ザクンッッ!! と軽やかな音色が響いて、『闇豹』の右乳房がもがれて飛んだ。
「ギイィッエエアアアアァァッ―――ッッ!!! ウギイイィィッッ〜〜ッ!!!」
「阿呆が。服従していれば、もう少し長生きできたものを」
「ギ・ア・アッッ・・・!! テッ、テメエのォォッ〜〜ッ・・・のさばる世界になどッ・・・誰がァッ!!」
「元々始末する予定だったが、あのヤクザは早めに処理してやる。目障りなヤツは、全て消
す」
切り取られた右乳房の断面から、赤い滝が流れ続けた。
『闇豹』が吼える。パカリと口を開く。牙と爪とを立てて、血塗れた豹女が正面から、青銅の魔
人に飛び掛る。
真っ赤な口腔のなかで、超震動の砲弾が唸りをあげた。
「死ネェヤアアッッ――ッッ!!! メフェレスウゥッッ〜〜〜ッッ!!!」
「貴様も消えろ。マヴェル」
踏み込んだ魔人の身体は、一瞬にして『闇豹』の眼前に現れた。
神速の突き、一閃。
マヴェルが超音波を発射するより速く、魔剣の切っ先は豹女の左眼を貫いた。
ドジュウウウウッッ!!!
「ハギュフウッッ!!?」
潰れた左眼から、鮮血の華が散った。
ビクビクと痙攣する半豹半女の肢体。顔面に埋まった剣を引き抜くべく、メフェレスが忌々し
げに蹴り飛ばす。
紅に染まった『闇豹』は、弧を描いて軽々しく吹き飛んだ。
剣先に、抉られた眼球が刺さっていた。鮮血とともに大地に振り払うや、魔人の足がグジュッ
と踏み潰す。
仰向けに転がったマヴェルの肢体は、小刻みに震え続けた。顔左半分にくり抜かれた空洞
に、真っ赤な池が溢れ出す。
右腕と右乳房、そして左眼を失った瀕死の『闇豹』は、そのまま霧のように掻き消えていっ
た。
「フンッ・・・! 我が時代の到来に焦ったか・・・本性を晒しおって」
背に刺さった右腕を引き抜く。投げ捨てると、後を追うように消えていった。
わずかに痺れが全身に残っていた。だが、それだけのこと。深刻な毒の影響はない。圧倒的
闇の瘴気に包まれたメフェレスには、『闇豹』の攻撃など児戯に等しいのか。
マヴェルが消えた周辺を狙い、魔剣を大きく振りかぶる。
以前、原宿を崩壊させた技で、街ごと『闇豹』を消し去るつもりだった。深いダメージを負った
神崎ちゆりの姿は、そう遠くには移動していないはず。裏切り者を処理するのは、新世界の覇 王たらんとするメフェレスには、造作もないことだった。
もはや誰もが、魔人の暴走を止められそうになかった。
ゆっくりと、青銅剣に暗黒のエナジーを充満させていく。意識を集中させた。『闇豹』への感傷
は一切なく、ただ憎しみだけが湧き立っていた。
軽い衝撃が、背中を襲ったのは、その時だった。
「ッッッ・・・貴様」
銀と青色の守護天使が、立っていた。
右の拳を、魔人の背中に当てている。マヴェルの毒爪に抉られた、傷跡。腕を真っ直ぐ伸ば
したファントムガール・ナナは、そこに突きを打ち込んでいた。
まだ、動けたのか。
串刺しにし、陵辱し尽くしたナナの生命力にメフェレスは驚愕した。瞬時に悟る。いや、この小
娘は・・・
瀕死にあって尚、最後の一撃に賭けていたか。
そうだ。コイツは尋常ではなかった。“シュラ”とかいう、聞き慣れぬ単語を思い出す。そう、恐
らくこの小娘は、あの赤鬼と同じ。
“シュラ”などという、バケモノに違いない。
「・・・ハッ・・・・・・ぅグッ・・・・・・グブッ・・・・・・」
呻くナナの唇から、白濁の残滓と吐血とが、混ざり合って糸を垂らした。
背中に放ったストレートパンチは、残酷なまでに力無いものだった。少女戦士自らが、誰より
も悟っている。もはや、己に残されたエネルギーはごくわずかであることを。
一発。これが、最後の技。
『闇豹』が仲間割れを起こしたのは、なんとなくわかった。理由はわからない。どうでもよかっ
た。どうせ、道連れに出来るのはひとりだけなのだから―――。
“お前さえ、いなければ”
ひとりを選ぶのに、迷いはなかった。悪の元凶、メフェレス。この男さえいなければ、ファント
ムガールとなった少女たちを含め、多くの犠牲者は生まれずに済んだのだ。
残る悪魔たちは、未来に託そう。
そんなことを片隅で考えている自分が、ナナは少しおかしかった。余裕があるのかな? バカ
だな、あたし。もうすぐ死ぬっていうのに。
“里美さん。これがあたしにできる・・・全力です”
里美にはさんざん、今できる全力を尽くせ、と教えられた。最後の最後で、教えを守れそうだ
った。
だから、全員を倒せなくても、胸を張って里美のもとへ、いける。
未来を信じて、ナナは喜んで、捨て石になれる。
“ユリちゃん。夕子。桃子。仇、とれなかったよ・・・ごめんね”
あっちの世界で、どうやって謝ろうかな。
言葉がでないや、きっと。ごめん。ごめんね。
“吼介。いままで、ありがと。幸せだったよ、あたし”
“ゲンさん。みんな。居場所、守れなかった・・・ごめんなさい。でも、みんなの声が、嬉しかった”
たくさんのひとの顔が、ナナの脳裏を行き過ぎた。
すでに死んだ人々。かつて倒した敵たち。知り合ったばかりのホームレスから、クラスメイト
の顔まで。
さようなら、みんな。
ごめんなさい。
そして、ありがとう。
「虫ケラの、悪あがきか」
拳の感触を背中に受けながら、三日月の黄金マスクは笑った。
命を振り絞った一撃、にしては、ナナのパンチは軽すぎた。
その気力は脅威的であっても、所詮、立ち上がるまでが精一杯か。
「もはや、オレを倒すどころか・・・ダメージすら与えられぬようだな。ブザマな牝め」
魔人が背後を振り返る。
嘲笑を刻んだマスクが、凍りついた。
拳を打ち込んだ体勢のまま、ファントムガール・ナナの全身は、青い光に包まれていた。
「ッッッ!!!」
「・・・ぜ・・・んぶッ・・・・・・ぶちこんでッ・・・あげるッ・・・!!」
独特の微震動が、少女戦士を細かく震わせていた。
メフェレスは知っている。この感覚を。高密度の光。超震動の前兆。
ファントムガール・ナナの超必殺技。ソニック・シェイキング。
地面にではなく、直接あの一撃を、メフェレスに叩き込もうというのかッ!!
「きさッッ!!!」
身を捻り、魔剣を振るおうとした青銅の肉体が、ガクンと膝を折る。
マヴェルの毒が、下半身に回っていた。麻痺が数瞬、メフェレスの反応を遅らせる。
ナナにとっては、十分な時間だった。
“・・・いッ・・・・・・けぇッ!!!”
最後の技を、発動するべく。
ファントムガール・ナナの右腕に、渾身の力が込められた。
「くらッ・・・えェッ・・・!! これッ、が・・・・・・あたしの、ファントムガール・ナナのッ・・・最後の
ッ、一撃ッッ!!」
身体の隅々から掻き集められた光のエネルギーが、一箇所に集中していく。
ナナの右手、握った拳へと。
魔人メフェレスの背中、抉られた傷痕に、ピタリとつけられた拳へと――。
「ソニックッッッ・・・・・・!!」
命の残り火と引き換えに、魔の首魁を葬る。
少女戦士の唇が叫ぶ、その瞬間だった。
「そうは、させんぞ」
パンッッッ!!!
乾いた、音がした。
ナナの青い瞳は見た。己の右手首を、凶魔ゲドゥーの右手が掴むのを。
“最凶の右手”が掴んだ瞬間、濃密な闇が、必死に掻き集めた光エネルギーを吹き飛ばして
いた。
「・・・あ・・・? ・・・ぅあ・・・あああッッ!!?」
「お前は、オレが殺す。自滅などは、許さん」
「ああァア゛ッッ・・・!! ウアあッ・・・わあああアアッッ―――ッッ!!!」
絶叫が、巨大少女の唇を割って迸った。
全てを賭けた、一撃。それをゲドゥーの右手に消し飛ばされた意味を、ナナはよく理解してい
た。
そんな。
そんな。
そんな・・・
手首がゴキゴキと軋む。
黒く塗り潰されたナナの心は、もはや痛みすら感じていなかった。
ただ、抵抗する。守護女神として闘ってきた、本能に従うように。食い込む凶魔の“右手”を、
強引に引き剥がした。ゲドゥーが敢えて、離してやったとも気付かず。
なにかせずには、いられなかった。
叫びながら、自由になった右拳で殴りかかる。すでに光を失った拳で。
ドゴオオオオオッッッ!!!
カウンターとなったゲドゥーの右ストレートが、ファントムガール・ナナの顔面に叩き込まれた。
「ッッッ!!!・・・・・・ぐぷッッ・・・・・・ヌチャ・・・」
言葉にならない、凄惨な音色が洩れた。
可憐な銀のマスクに、凶魔の剛拳が埋まっている。
ボトボトと鮮血の滝が、拳と顔の隙間から流れ落ちた。右腕を突き出した姿勢のまま、守護
天使の肢体がビクビクと痙攣する。
ズル・・・・・・
顔面を紅に染めたファントムガール・ナナは、赤い糸を引いてゆっくり大地に沈んでいった。
地響きが、都庁のふたつの塔を揺らす。
瞳の青色は、消えていた。
三体の悪魔が見下ろす先で、昏倒した聖少女がうつ伏せで地に転がっていた。
四肢をバラバラと投げ出した姿は、壊れたオモチャのようだった。
「・・・貴様」
静まり返った新宿の街に、魔人の声が低く流れる。
「勘違いをするな、メフェレス」
救ったはずのゲドゥーと、救われたはずのメフェレス。
その関係に相応しいとは、到底思えぬ視線を、両者は絡ませ合った。
「オレがお前から依頼された仕事は、ファントムガールの抹殺だ」
「・・・『闇豹』の造反には、眼もくれぬとうそぶくか」
「お前の命を守るつもりはない。そして、マヴェルの肩を持つ気もない」
濃紺のひとつ眼を、凶魔はゆっくりと、足元に向ける。
瑞々しく実った乙女の肢体が、ピクリとも動かず地を這っていた。
「ファントムガールを処刑する。ただ、それだけだ」
沈んでいく夕陽が、新宿の高層ビル群を、赤々と照らし出した。
血のような太陽の光と、浮かび上がる漆黒の影。
都庁のふたつの塔の前には、佇む三体の悪魔と、横たわる守護天使の影とが、映し出され
た。
終末を示す、公開処刑が始まる―――。
『人類に告ぐ――』
魔人メフェレスの低い声が、夕闇の首都に響き渡った。
テレビ、ラジオ、ネット。あらゆるメディアで、新しき覇王となるべき男の声は、流されているは
ずだった。この国のメディア媒体は、すでにメフェレスの手先機関と化している。どのチャンネ ルも、動画配信サービスも、生ライブで、黄昏の都庁を映し出しているだろう。
『貴様らの守護天使とやら・・・ファントムガール・ナナは、このメフェレスの手に堕ちた』
真っ赤な夕陽が、都庁のふたつの塔を染め抜いていた。
塔の最上部には、巨大な鉄骨が橋を渡している。南北の塔が鉄骨の橋で繋がっていた。
橋の中央からは、これも巨大な鎖が真っ直ぐ下ろされている。
銀と青色の女神が、その鎖に吊り下げられていた。
ファントムガール・ナナの首には、鎖が二重三重に巻きつけられていた。
背中に回された両手にも、別の鎖が絡みついている。
時折、敗北天使の足掻きを示すように、鎖がカチャカチャと音を立てた。
吹き付ける、強い秋風のなかで、その音すらも儚く霞んだ。
開かれた両脚が、南北の塔の壁を破り、突き込まれている。
内部に運び込まれた重機によって、両脚もまた固定されていた。そのため、脚の拘束と引き
換えに、ナナはかろうじて窒息死から免れていた。
美しきデザインの東京都庁は、守護天使の絞首刑台へと化していた。
『我らに歯向かうと、どうなるか・・・この愚かな小娘の姿を、よく見ているがいい』
ヒュオオオオオ・・・
冷たい風が、夕闇の世界を吹き抜けた。
「人」の字の形に吊られたナナが、ギシギシと音を立てて揺れる。
瞳も、そして胸のエナジー・クリスタルも、かすかな青色を灯していた。少女戦士は、まだ生き
ている。だが、ガクリと俯いたままの顔は、固まったように表情を変えなかった。
視線の高さに吊られたナナを、三体の悪魔はじっと見詰めていた。
品を定めるように、ぐるぐると前後を回る。
ファントムガール・ナナとギャンジョーの激闘が始まってから、まもなく一時間が迫ろうとしてい
る。
制限時間が訪れる前に、最後の女神を処刑しなければならなかった。
『これより、惨めな敗北者・・・ファントムガール・ナナの、公開処刑を開始するッ・・・!!』
赤い夕陽が染め抜く宙吊りの少女に、巌のごとき巨獣がゆっくりと近づいた。
両腕の先が、巨大な杭のように尖っている。
「ギャハハハハハアアッ〜〜ッ!!! 死ぬ準備はできたかァッ!!? ブザマな守護女神さ
まよォォッ〜〜ッ!!」
ギャンジョーが右の槍腕の穂先を、ピタリとナナの左脇腹に当てた。
青髪の天使は、無言だった。ただ、可憐なマスクを垂らしている。
「ヒャアッハッハッハアアァッ〜〜〜ッッ!!! 死ねやァッッ、ファントムガール・ナナァ
ッ!!!」
ズボボボボオオオオッッッ!!!!
凶獣の槍腕は、銀色の少女の腹部を、一気に左から右へと貫いた。
「ふぎゃあああアアアァァッッ―――ッッッ!!!! ギュワアアアァァアアアッッ〜〜〜ッ
ッ!!!!」
ナナの右脇腹から、杭の先端が突き抜ける。
「ギャハハハハッッ!! いいザマだなッ、女神さまァッ!!? 頑丈で、簡単に死ねねえって
のは、ツライよなァッ!?」
「あッ・・・ああァッ!! ・・・ゴブッ!! ・・・・へげぇッ・・・!!」
「フンッ・・・“シュラ”として生まれたその身体・・・後悔しながら、息絶えるんだな」
血塊を吐くナナの背後に、魔人メフェレスは迫っていた。
青銅の魔剣が、右手に握られている。
「貴様ら、ファントムガール・・・この手で根絶やしにする瞬間を、どれほど待ち焦がれたことか」
三日月に笑う黄金のマスクが、般若の面へと変わっていた。
憎悪の化身となったメフェレスは、剣先を果実のごとき乳房に向ける。ギャンジョーと同様、
水平に構える。
「断末魔の悲鳴を・・・派手に叫べッ!!」
ブスッ!! ・・・ズブブ・・・ブシュッ!! ・・・グググ・・・
ナナの右胸に、鋭い刃が突き刺さった。
女子高生らしからぬ張り詰めた乳房を、魔剣が横に貫いていく。
じわじわと肉を抉り、鮮血を噴き出しながら、青銅の刀身がふたつのバストを串刺しにしてい
った。
「ぎゅああアアッッ〜〜ッッ!!!! いぎいィィッッ!!! げはァッッ!! ひゃぐぅッッ、ぐわ
ああああアアッッ―――ッッ!!!!」
「フハッ、フハハハハハアアアッッ〜〜ッ!! 胸も腹部も、貫かれる気分はどうだァッ!! 貴
様の乳房を抉る感触は、最高に気持ちいいぞッ!!」
「おっと、このギャンジョー様の腕が、もうひとつあることを忘れちゃ困るぜェェッ!?」
脇腹を串刺しにしたまま、ギャンジョーがもう一方の槍腕をナナに近づける。
鋭い先端が、ナナの股間・・・開いた両脚の中央へ、ピタリと狙いを定めた。
「ごぶうッッ!! ・・・へぶえッッ!! ・・・あッ、ああアッ・・・!! や、やめェッッ・・・!! や
めべェェッッ〜〜〜ッッ!!!」
「ギャハァッ、次にどうなるか、わかったようだなァッ〜〜? アァッ!? もう遅えェぜッ!!
さんざん恥かかせてくれたてめェは・・・単なる嬲り殺しじゃ、すまねえェッ!!」
非情な槍の一撃が、一気に突き上げられた。
少女戦士の股間に埋まる、白き極太の杭。
鮮血を撒き散らしながら、槍腕がナナの下腹部深くまで貫く。
乙女の肉を抉る凄惨な音色と、股間から噴き出す血の音とが、重なり合って都庁周辺に響い
た。
ズボオオオオッッッ!!!! ブシュッッ!! ・・・ブッシュウウウッッ〜〜〜ッッ!!!!
「ギャアアアアアアッッ――――ッッッ!!!! ひぎゃあああァァアアッッ〜〜〜〜ッ
ッ!!!!」
ギギッ・・・ギギギッ・・・ギギギギギッ―――ッ!!!
絶叫に合わせるように、下腹部のクリスタルが金切る音色をあげる。
危機を報せる警報にも、死に逝く虫の鳴き声にも似ていた。
3本の凶剣に貫かれ、ムチムチと張った乙女の肢体は、ビクビクと痙攣し続けた。
大きく開かれた唇からは、絶え間なく血の塊がこぼれでている。
首に鎖を巻きつけられた処刑台の天使は、虚空を見上げながら、悶え踊った。銀と青色に輝
いていたボディは、ほとんど紅に濡れている。
「あッ、あぐあアァッ・・・げええッッ・・・ぐぷッ・・・・・・」
「もうすぐ、サトミの元へ送ってやるぞ・・・ファントムガールは全員、我らの手により処刑される
のだ」
苦しむナナの姿を愉しむように、般若面の魔人が胸を横に貫いた刀身を、ギュリギュリと捻
る。
そのたびに、左右の乳房に開いた穴から、ピュッピュッと鮮血が噴き出した。
「ぐああァッ!! ガハアァッッ!!!」
ビクンッッ!! と大きく仰け反るナナが、血の塊を吐き出す。
三箇所を串刺しにされたまま、血を搾り取られていく守護天使。
悪魔どもの憎悪を一身に浴びながら、それでも最後のファントムガールは生き続けた。
「たいした生命力だ。やはり、クリスタルを破壊せねば、絶命しないか」
ひとつ眼の凶魔が、右手を胸の水晶体へと伸ばす。
今にも消え入りそうに点滅するクリスタルを、“最凶の右手”が握った。
ミシミシッ・・・!! ゴリッ!! ピキキッ・・・!!
凄まじい圧迫に、命の象徴が不気味な軋みの音をあげる。
「ひゃぐッッッ!!! ぎゅわあアァッ!!! う・あ・あ・アアッッ・・・ッ!!!」
「ファントムガール・・・小娘とはいえ、お前たちは極上の馳走だった」
「やめええェェッッ・・・やめてッッ、もうッ・・・も・・・うッッ・・・」
「さらばだ。死ね、ファントムガール・ナナ」
エナジー・クリスタルを握った右手から、ありったけの暗黒エネルギーをゲドゥーが発射する。
ゼロ距離から。直接命の水晶体へと撃ち込まれる、漆黒の弩流。
瀕死の守護天使に、トドメのファントム破壊光線が注ぎ込まれた。
「いやああああァァァアアアッッ―――ッッ!!!! うぎゃああァァああァアアァッッ・あッ・アッ・
あアッッ〜〜〜ッッ!!!!」
漆黒のエネルギーが、ナナの体内から皮膚を突き破った。
全身から無数の黒いヘビが飛び出した、ようにも見えた。破れた皮膚から、鮮血が霧を吹く。
許容外の暗黒エネルギーを撃ち込まれ、ナナの肉体が爆発したかのようだった。
叫び続けるナナに、ゲドゥーは闇の破壊光線を注ぎ続けた。首に繋がれた鎖と、後ろ手に拘
束した鎖とが、カチャカチャと暴れ鳴る。
「あッッ!! ・・・・・・アッ!!・・・・・・ァッ!!・・・・・・・・・」
“・・・・・・・・・サトミ・・・・・・さ・・・ん・・・・・・・・・”
悲鳴が、やんだ。
苦悶の表情を刻んだまま、ファントムガール・ナナの可憐なマスクは、天を見上げていた。
半開きになった口から、ゴボゴボと赤色の泡が、とどまることなく溢れてくる。
すでに胸のクリスタルに、光は灯っていなかった。
ただ下腹部のクリスタルが、ギギッ、と時折鳴き声をあげる。
「これでも壊れぬとはな。よほど頑丈にできているらしい。だが・・・」
青銅の魔剣が、凶魔の右手が、凶獣の槍腕が、一斉にナナの肢体から引き抜かれる。
ボトトッ・・・ボタ・・・ボタ・・・ボタ・・・
都庁に「人」の字に吊られた最後の守護天使から、鮮血の驟雨が降り落ちた。
「トドメだ。ファントムガール・ナナ」
ゲドゥーの声が、処刑執行を宣告する。
エナジー・クリスタルを解放した右手が、再びナナに襲い掛かる。
“最凶の右手”は、絞首刑台の少女の、下腹部のクリスタルを握り掴んだ。
ナナの子宮でもあり、『エデン』が寄生した巣でもある、クリスタルを―――。
「ぎゅはアァァッッ!!?」
動かなくなったはずのナナが、ビクンッッ!! と大きく痙攣した。
瞳を見開き、口を開いて、絶叫する少女戦士。
それがファントムガール・ナナの、最期の台詞となった。
ブチブチブチィィッッ!!! ブチイッッ!! ビチィッ!! ビリイィィッッ―――ッッ!!!!
下腹部のクリスタルを握り掴んだまま、ゲドゥーが右腕を引く。
少女の皮膚と筋肉が、糸のように長く伸びた。
引き裂く音色を響かせて、ナナの下腹部から、クリスタルが抉り抜かれた。
「こうなれば、脆いものだ」
右手に握った水晶の球体を、凶魔はナナの顔面に突き出した。
苦悶に歪んだまま固まった表情に、もはや生命の兆しは宿っていなかった。
“最凶の右手”に、わずかに力がこもる。
グシャアッ!!
暗くなった瞳の前で、下腹部のクリスタルは潰された。
「フハハハハハッ!!! ハーッハッハッハッ!!!」
背後に回っていたメフェレスが、青銅の魔剣を突き出す。
すでに絶命しているファントムガール・ナナに、更なる暴挙が繰り出される。
螺旋を描いて発射される、魔人の突き。
威力を倍増させた青銅の剣が、ドリルとなって動かぬ少女の背中を襲う。
ギュルルルルッッッ!!! ドボオオオオッッッ!!!!
回転する魔剣は、ナナの背中から胸中央まで、一気に貫いた。
グボオオリリィッッ!!!
なにかが飛び出る音がする。
エナジー・クリスタルが、剣先に突かれて胸中央から飛び抜けていた。
あれほど頑丈だったファントムガールの命の結晶は、背中から突き出される形で、ナナの肉
体から抉り取られた。
肉片をこびりつかせた水晶体は、輝くこともなく、魔剣の先端に刺さっている。
「フンッ!!!」
背中から、胸中央まで。
ナナの亡骸を貫いたまま、魔人メフェレスが闇エネルギーを刀身に走らせた。
パリィッ・・・ンンンッ・・・・・・
全てが終わったことを知らせるように、エナジー・クリスタルが粉々に砕け散った。
冷たい秋風が、キラキラと光る破片を、新宿の街に舞い降らせる。
息絶えたナナに、その光景が映るはずもなかった。
「死んだッッ!!! ファントムガール・ナナは死んだッ!!! これでファントムガールの抹殺
は・・・全て完了したッ!!!」
新しき世界の王・メフェレスの叫びがこだました。
ふたつのクリスタルを抉り取られたファントムガール・ナナは、魔人の言葉通りに、処刑され
た。
無数の穴を開けられ、鮮血に染まった死体が、ただ都庁のふたつの塔の間に吊られてい
る。
ヒョオオオオ・・・
強い秋の風が、絶命した最後の守護天使に、吹き付ける。
闇が迫る赤色のなかで、ファントムガール・ナナの亡骸は晒され続けた。
魔人メフェレスの勝利の雄叫びが、首都・東京の夜闇に轟く。
「ファントムガールは・・・全滅したッッ!!! このメフェレスの勝ちだッッ!!!」
冷たい風が、吹いた。
《ファントムガール 第十三話 〜東京鎮魂歌〜 了 》
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